まるで墓の向こう、別世界から全ての存在を眺めているようだった。すべてが奇妙に感じた。
私は自分の体から抜け出て、独立して存在しているようだった。人間でなくなり、超然としていて、孤立している。
これは狂気だろうか? (p210)
離人症の研究の歴史は、19世紀のスイスの哲学者アンリ・フレデリック・アミエルの日記にあるこの描写から始まりました。離人症の本質が、この短い文章にぎっしり詰まっています。
離人症とは何か、というテーマについては、過去に詳しくまとめました。離人症について詳しく知りたい方は、まず以下の記事をご覧になるようお勧めします。
この記事は過去の記事を補足するものです。
今になって、補足を書こうと思ったのは、2019年になって発売された、9つの脳の不思議な物語という本の第七章「この記憶も身体も私じゃない」で離人症が扱われているのを読んだからです。
とてもよくまとまっている良い内容だったので、ブログでも紹介したいと思いましたが、過去の記事に追記したら、あまりに冗長になってしまいます。
そこで、新しい補足の記事の形で、わたしの経験もところどころに交えながら、この本を概観してみることにしました。
もくじ
これはどんな本?
9つの脳の不思議な物語は、ジャーナリスト、ヘレン・トムスンによる、脳の不思議な現象について取材した9つの章からなる本です。
大学で脳について研究していたトムスンは、あるとき、どんな命令にでも即座に従ってしまう症状を抱える「ジャンパー」と呼ばれる人たちについての論文を読みました。
それがきっかけで、彼女は不思議な脳をもつ人たちと知り合い、友人になって、その人たちの体験世界を記述する仕事をはじめます。
この本では、離人症のほかに、完璧な記憶(HSAM)をもつ人、家の中で迷子になる人、色盲なのに色のオーラが見える共感覚者、脳の損傷で一夜にして暴漢から聖人になった人、脳内iPodが鳴り止まない人、動物に変身したと思い込む狼化妄想を抱く人、自分は死んでいると感じるコタール症候群の人、他人の痛みを感じてしまうミラータッチ共感覚をもつ人などが扱われています。
わたしが読んできた、オリヴァー・サックスやV・S・ラマチャンドランといった神経科学者の本によく似ており、著者のヘレン・トムスンも彼らに取材し、リスペクトしていることが各所から読み取れます。
また、やはりオリヴァー・サックスの著書に似ていると言われていた私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳 とも話題が似通っていて、その本に出ていたアニル・セスに取材して書かれた場所もあります。(p172)
ハイパーグラフィアについて書いていた、アリス・フラハティも出できます。わたしが読んできた本の著者たちのオールスター的な本です。
今は亡きオリヴァー・サックスは、「人間的な科学」また「物語的な科学」という新しい分野を切り開きましたが、新しい世代の人たちが、その遺志を確かに継いでいることを感じました。
何より、さすがジャーナリストと言うべきか、あるいは翻訳者の腕が良いのか、とても読みやすい文章だったことが印象的でした。
いきなり見知らぬ世界に放り込まれる
9つの脳の不思議な物語の第七章「この記憶も身体も私じゃない」の主人公は、ルイーズという女性です。
彼女は、一見すると、二人の子どもたちの母親として幸せに暮らしているかに見えます。
しかし、実感はまったく異なっていました。はじめて離人症が起こったのは、8歳のとき、病気で学校を休んでいた日だった、とルイーズは言います。
その日の朝、起きたら急に、自分が自分の身体にはめこまれたような気がしたの。本当になんて言ったらいいかわからないんだけど、生まれたばかりみたいだった。
周りのもの全てが新しく見えて。一秒前までの自分と完全に違うみたいだった。完全に違う自分。
急に自分がどこにいて、誰なのかに気がついて、周りのものが全て知らないもののように感じられて…。(p214)
8歳のときに起こった離人症は、はじめのうちは一過性でした。
その特徴は、自分の体が自分のものではないかのように感じられること、また見慣れているはずの世界がどこか別の異世界のように思えることでした。
しかし、大学生になると、症状が長時間続くようになり、本格的に悩まされはじめました。
これが自分の声で、これが自分の記憶とわかってはいるんだけど、離人症のときは自分のものだと思えない。
何を話すかは自分で決めているってわかっているけど、まるで映画の中にいるみたいに他人を感じるの。
私は全ての中心にたった一人でいて、現実の人は誰もいないような感じ。すべてから隔絶されていて、ものすごく孤独。世界でたった一人実在している人間のよう。(p217)
それ以来、彼女は、何十年も離人症の世界から抜け出せなくなってしまいました。
いえ、自分の身体から、あるいはこの世界から抜け出したままになってしまったと言ったほうが正しいのでしょうか。
彼女は世界から切り離されて、たった一人で生きているかのようになりました。現実を生きているはずなのに、あたかも映画のスクリーンの中にいるかのように現実感が失われました。
この章の中で、ルイーズは、自分の奇妙な症状を、なんとかして言語化して説明しようともがいています。
しかし、どれだけ言葉を重ねても本質を伝えられる気がしないので、まどろっこしくなって、「ああ! 説明がすごく難しい!」と叫びます。
あまりに奇妙すぎる世界なので、言葉で的確に言い表すことができない。これが離人症の特徴です。
ルイーズは離人症患者の多くと同じように、自分の精神状態を説明するのにとても苦労している。
どんなに雄弁な比喩を用いても、彼女の気持ちを正確には表せないらしい。
彼女はもう一度挑戦した。「世界を見ているけれど、その一部ではなくなったっていう感じかな」(p214)
わたしも、自分の個人的体験から、ルイーズの言葉に強く同意します。わたしの文章がいつも、やたらと長いのは、きっと離人症も関係していると思います。
以前の離人症の記事で書いたように、歴史上の哲学者の中には、離人症の傾向を抱えていた人が少なくないと思われます。
離人症という概念のさきがけになったアミエルの日記も、なんと17000ページもあったのだとか。
彼らは自分が経験する世界がとても奇妙に感じられたので、なんとかしてそれを説明しようとして言葉に言葉を重ねたのです。
いくら説明してもしっくりこなくて、言葉足らずに思えてなりません。どれだけ説明しても説明しきれない、表現しきれないので、言葉だけが増えていきます。
ルイーズが最初に離人症の発作を感じたのは8歳のころでした。振り返ってみれば、わたしの場合も、始まりは同じころだったように思います。
それまでも愛着障害的な問題を抱えていました。しかし、小学校2年生くらいのときに大きなトラウマ体験があって、はじめて離人症に見舞われました。風景が白黒になって呆然とした記憶があります。
それ以降、長期間にわたり記憶が飛んだり、幻覚やイマジナリーコンパニオンが現れたり、とつぜん芸術的才能が花開いたりして、次々に解離症状を経験しました。
それでもほかの子たちと変わらない日常を送ることができていました。そもそも解離は、極限状況下でもけろりとしていられるように苦痛を減じる能力なのです。
けれども、進学して極度にストレスが増し加わると、そうもいかなくなりました。とても厳しい学校で、罰が怖かったので、手を抜くことができませんでした。
やがて、次の日から期末テストが始まるという日曜日、朝目覚めたら、自分の身体ではなくなっていて、別世界にいるように感じました。世界がバラバラに崩壊して断片化したようでした。
同時に、泥のような疲労感になやまされるようになり、霧をかきわけて歩いているような日々が始まりました。自分の身体はもはや自分のものではなく、異質で奇妙な別の何かでした。
ルイーズも、離人症になってから「タールの中を歩いているみたいだった。ものすごく疲れるのよ」と述べています。(p216)
この状態を表現するのに、当時のわたしが思いついた比喩はジェンガというゲームでした。順番に積み木をタワー状に積み上げていき、あるときバランスが崩れて全てのパーツが崩壊します。わたしのシナプスがそうなったかのよう。
ずっと後になって、この表現はなかなか的確だった、と思うようになりました。小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ) という本で、似たような比喩が用いられていたからです。(p96)
私の子どもが小さいころ、「エレファント」というゲームをやったことがある。象の背中にブロックを積みあげてタワーを作る遊びだ。ブロックを慎重に置かないと、タワーがぐらぐら揺れ、崩れてしまう。
予測不能なストレスを受けた子どもは、言ってみれば、この不安定な荷物を背負った象のようだ。(p96)
すべてがバラバラになって、断片化したせいで、わたしは誰も疑問に思わないようなことを調べざるを得なくなりました。
普通の人たちは、この世界や自分という存在に、何の疑問も抱かず暮らしています。わたしたちの脳が感覚を見事に統合して、継ぎ目のない完璧な世界、一つの自己を見せてくれているからです。
ディズニーランドに遊びに行くと、作られた世界でありながら、夢の国に没頭できるのと似ています。決して舞台裏を見せないように、とても巧妙に設計されているからです。
ところが、離人症になると、そこにほころびができます。この世界、また自分という存在が、つぎはぎだらけの断片的な要素からできていることが見えてきます。夢の国の裏側、継ぎ目の内側をのぞけるようになります。
こうして、誰も疑問を感じないようなこと、ごく当然と思って無意識のうちに受け入れているようなことを、言葉を尽くして説明しなければならなくなります。
突然、空間にはざまがぱっくり空いて、一人だけ次元のはざまに落ちたようなものともいえます。みんながいる普通の世界に戻る方法を探し出さねばならなくなります。
自分とはいったい何なのか、自分の存在を自覚するにはどうしたらいいのか、なぜ人はアイデンティティを感じられるのか、この世界をリアルに認知できるのはなぜなのか、どうすれば世界とのつながりを取り戻せるのか。
そういった誰も考えもしないようなことに頭を悩ませながら。
自分が奇妙であることをはっきり自覚している
話をルイーズに戻しましょう。
9つの脳の不思議な物語によると、彼女は、8歳のときから離人症に悩まされましたが、子どものころの症状は発作的で、数分でもとに戻っていたそうです。
彼女は自分の奇妙な体験に心をかき乱されましたが、頭がおかしいと思われたくなくて、誰にも言いませんでした。(p214-215)
これは、オリヴァー・サックスが左足をとりもどすまで (サックス・コレクション) で書いているエピソードを彷彿とさせます。
サックスも子どものころから、偏頭痛に伴って起こる幻覚発作に悩まされていました。しかし、頭がおかしいと思われたくなくて、誰にも言いませんでした。
そういえば子供のころ、このような発作がおこったときも、ひどく恐ろしい思いをしたものだ。
傷つきやすい年頃だったので、私は二つのことにとても神経を使った。ひとつは、知覚に現れたごくわずかな変化や不調にたいして、もうひとつは、それらの変化を、まちがっても人に洩らさないようにするということだ。
「つくり話」だとか「頭がおかしい」と思われる可能性があったからだ。(p113)
わたしもやはりそうでした。解離症状をたくさん経験し、それが当たり前になるころには、自分でも何か変だと自覚していました。ものすごく悩んだり、罪悪感にとらわれたりしました。
でも、親にも言いませんでしたし、主治医に打ち明けたのは10年くらい信頼関係ができてからでした。
離人症の概念のさきがけとなった、アンリ・フレデリック・アミエルもそうでした。彼は日記に、「これは狂気だろうか?」と書いていたのではなかったでしょうか。
彼の日記は死後発見されたことで知られています。哲学者だった彼もまた、自分の奇妙な症状を自覚していながら、膨大な文章量の日記に書くだけにとどめて、決して周囲の人には口外しなかったのです。
自分で自分の狂気を冷静に自覚し、客観的に分析し、他の人には口外したがらないという特徴は、離人症が統合失調症とは異なっていることを示すポイントだと9つの脳の不思議な物語に書かれています。
ここが離人症と統合失調症の違うところだ。離人症では自分も周りの世界も変わってしまったと不安な気持ちになるが、精神疾患は伴わないのだ。
この症状に悩まされている人たちは現実とそうでないものの区別がつかなくなることはない。(p215)
離人症の人は、明らかに自分を客観的に自覚しています。自分がおかしいことはわかっています。でもとても冷静で落ち着いているので、離人症の人たちの言動からはまったく狂気が感じられません。
ルイーズは自分が、「狂っているのに冷静なままの人になったみたい」と言いました。まさしくそのとおりです。(p215)
わたしの場合、周囲のだれも、解離症状に気づいていなかったと思います。とても冷静で「まとも」だったからです。
一週間以上入院して検査を受けたとき、精神科医から「あなたは何も精神的な病気はないから帰るように」と言われました。要は仮病扱いで追い返されたということですが。
ルイーズの場合もそうでした。「数えきれないほどあちこちの医者にかかったが、みな症状を訴える彼女の話を信じず、肩をすくめてばかり」でした。
こんな風に心の中は混乱していたのに、周囲の人は彼女の異変にすぐ気づくことはなかった。
ルイーズはどう振る舞うべきかを頭でわかっていたから、他人には彼女の行動は全く正常に見えた。(p216)
経験している世界は、この上なく奇妙です。でも、振る舞いはまったく正常です。思考も理性的でおかしなところはどこもありません。これが統合失調症との大きな違いです。
以前に書いたように、精神医学の世界で、さまざまな幻覚が、統合失調症と結びつけられるようになったのは、このあたりの事情によると思われます。
幻覚(幻視だけでなく、幻聴、幻臭、幻触なども含む)を経験するのは、統合失調症の人だけではない、オリヴァー・サックスら、現代の専門家たちは認めています。
しかし、幻覚を感じる人のうち、冷静に自分を客観視できる人は、周囲の状況などと照らし合わせて、それが現実ではないと判断するので、誰にも言わず、自分の胸にしまいこみます。
一方、自分を客観視できない状態にある統合失調症などの人たちは、それを紛れもない現実とみなして、臆面なく他の人に話します。
この本にも書かれていますが、統合失調症の人たちは「感覚野に過剰な活動が見られるが、そこから前頭
すると、医者たちは、統合失調症の人が幻覚を経験したというエピソードばかり聞くようになり、そうでない人が幻覚を経験したというエピソードは表に出てきません。
こうして、幻覚は統合失調症特有のものだと誤解されるようになりました。
しかし、この本の第五章でも書かれているように、今では、幻覚はもっと幅広くみられるものであることが明らかにされています。
昔は、特に西欧文化では、幻覚を精神的不調の兆候ととらえる傾向があった。
だが近年ではオージャイェブのようなエピソードにより、科学界でも幻覚は単なる精神疾患の症状や、精神に影響を与えるドラッグのせいばかりではないと考え直されるようになった。
幻覚はまれなものではないし、精神病の兆候でもないと理解しはじめたのだ。(p160)
離人症の人の経験する奇妙さは、一種の幻覚とみなすことができます。世界は変わっていないのに、感じ方だけが変容してしまうからです。
離人症の人たちは冷静で理性的なので、おかしいのは自分であって世界ではないと理解しています。気が狂ったと思われたくないので、自分の奇妙な感覚について、誰にも相談することもできません。
世界の次元のはざまに転落したかのようなのに、誰にも頼ることができない、自分の問題を解決できるのは自分しかいない、それがどれほど孤独な闘いか想像できるでしょうか。
ルイーズが、「ものすごく孤独。世界でたった一人実在している人間のよう」と述べたのももっともです。(p217)
とはいえ、わたしの場合は、この孤独さをまったくといっていいほど感じませんでした。物心つく前からイマジナリーコンパニオンが現れていたからです。
おそらく、解離がもつ自己防衛作用だったのでしょう。後になって、長期の単独旅行や、雪山での遭難のような状況下では、解離による人格の分裂が起こり、一人なのに複数いるかのように感じられるサードマン現象が起こることを知りました。
日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめによると、サードマンについての記述は古今東西多くみられ、有名なところでは、あのマルコ・ポーロが記録しているそうです。
長期間の孤独に耐える人や楽しむ人(どちらの感情が優勢かは別として)は時として、すぐそばに何者かの存在を感じるようになるという。
マルコ・ポーロは馬上で眠ってしまって仲間とはぐれ、たった一人になった者には、精霊があたかも道連れとなったかのようにささやきかけてくると記している。
登山家や海に出る漁師も、とりわけ困難に直面しているときに、よく何者かがそばにいる錯覚を覚えるという。
アーネスト・シャックルトンは、サウスジョージア島の山々を越える最後の難関で、三人いるはずの一行が四人いるように感じられたと書いている。(p323)
ちょうどこの9つの脳の不思議な物語でも、単独の雪山登山で遭難しかけたアヴィナッシュ・オージャイエブがサードマンの幻覚を体験した事例が紹介されています。
彼は「肩越しに世界を見下ろしている感覚」を覚え、「声が聞こえて」「まるで何かが彼に逐一動きを教えてくれているように感じた」そうです。(p158,164)
「演技指導をしてくれてるみたいだと思った。
よく考えろとか、氷河を渡る道筋とかを指示してくれた。僕を支えてくれ、行くべき道へ導いてくれた」(p164)
前に調べたように、遭難時など極限状況でみられるサードマンと、追い詰められた子どもに現れるイマジナリーコンパニオンは、どちらも同じものです。
オカルトや霊的現象ではなく、解離による脳神経科学的な作用だとみなせます。たった一人になる極限の孤独のもとでは、脳が分身を創り出すのです。
わたしは解離によって、離人症の奇妙な体験に悩まされましたが、同時に同じ解離によって、究極の孤独から保護されてもいたのです。
明らかになった離人症の原因
離人症とは、あたかも世界に次元の裂け目ができて、たった一人で転がり落ちてしまうようなものでした。でも、どうして、そんなことが起こるのでしょうか。
わたしはゲーム世代なので、ゲームの背景のポリゴンの隙間にキャラクターがはまりこんで落下してしまうようなバグを想像してしまいます。
この世界もまた、神なるプログラマーが、マインクラフトのように創造したものであり、たまにバグによって、マップの隙間に落ち込んでしまう人がいるのでしょうか。
そんな空想をめぐらせるまでもなく、ここ最近のめざましい研究によって、離人症の原因はかなりの程度、突き止められています。詳しくは、過去のさまざまな記事で書きました。
わたしが書いた過去記事は、かなり専門的で難しいものが多いですが、今回読んでいる9つの脳の不思議な物語では、もっとシンプルに、わかりやすく、それでいて要点をしっかり押さえて解説されていました。
簡単にいうと、わたしたちの「自己」の感覚は、内受容と呼ばれる内なる感覚から作られています。内受容のおかげで、自分の身体を自分のものとして感じられます。(p221)
しかし、「強いストレスや子供時代のトラウマ」など、「極端な危機に直面したときに、現実に起こっている出来事と自分自身とのつながりを断つことで、その出来事のストレスから自分を切り離す防衛機制」が作動することがあります。(p211)
この防衛機制、つまり「解離」は、生化学的には、内受容の感覚を切り離して、自分の身体を感じなくさせることで、痛みや苦しみを麻痺させて自分を守っているようです。
自分の身体を感じる能力を切り離したら、確かに恐ろしい苦しみや痛みを味わわずにすみます。でも、あくまで一時的な緊急手段であるならば、です。
ずっと内受容が切り離されたまま、接続が回復しないと、自分の身体やこの世界を感じることできなくなります。半死半生の幽霊のように、この世を生き続けることになってしまいます。
とりわけ、受けたストレスが慢性的だったり、非常に強烈だったりすると、一時的な緊急手段であるはずの切り離しが、何年も何十年も続くリスクが高まります。
しかしながら、離人症に悩まされる人の中には、きっかけとなった「極端な危機」が思い当たらない人もいるかもしれません。その場合は、もともとの感受性の強さを疑ってみるべきです。
たとえば、もともとアスペルガーやHSPといった、普通の人より敏感な神経系をもっている人は、刺激過多な現代社会では、他の人たちと同じように普通に生活しているだけで過負荷状態になっているかもしれません。
この本でも、たとえば内向的な人の特徴について、とても興味深いことが書かれています。
1960年代にドイツの心理学者ハンス・アイゼングは、内向的な人は外向的な人に比べ、自制心が強いと主張した。内向的な人のほうが大脳皮質の興奮レベルが高い。
つまり、入ってくる情報に対して感受性が強く、反応性が高いからだ。この高レベルの興奮がその下にある感情をつかさどる領域の働きを抑えるのだ。
…内向的な人に麻酔をかけるときも同じことが起こる。先ほど述べたとおり、内向的な人は外交的な人より大脳皮質の興奮レベルが高いため、麻酔薬を多く必要とするのだ。(p144-145)
内向的な人、つまり感受性の強い人は、そうでない人よりも刺激を強く感じ取ります。脳の興奮性が強く、痛みを抑えるのに、より多くの麻酔が必要になります。
だとすれば、大半の人が苦にしないような人間関係、音や光や匂い、人ごみ、仕事や学業などのプレッシャーでも、全体的にかさ上げされて、相当なストレスになりかねません。
「私はみんなと同じように生活していただけ。強いストレスになるような経験などなかった」と思う人は、ストレスの感じ方が相対的なものだということを考えてみるべきでしょう。
前述の、自分の体を感じ取るための感覚「内受容」は、脳の島皮質という場所で処理されていますが、敏感な人はここが活発に働いています。
このような人は、他の人より苦痛を鮮やかに感じやすいので、耐えきれなくなると、全く正反対の状態に反転します。感受性を麻痺させて、感覚を遮断してしまうのです。
この本でも触れられていますが、離人症の人では島皮質の活動が、非常に強く抑制されていることがわかっています。(p224)
このあたりのメカニズムについて詳しくは以下の記事に書きました。
離人症が引き起こされる原因はさまざまで、いまだ解明されていない原因もあるはずです。前述の片頭痛のように、他の病気に伴う神経伝達の乱れによって離人症が起こることもあります。
しかし、大半の場合は、知ってか知らずかして、身体に何らかの強いストレスがかかり、防衛として感覚が切り離されていることが原因でしょう。
過敏と麻痺は表裏一体
離人症は解離によって感覚が麻痺し、物事の実際のありようがつかめなくなるために生じます。
そのため、離人症になった人は、痛みの面では鈍感になります。身体的な感覚が麻痺し、失感情症に陥ります。これは研究によって裏付けられています。
この研究では腹側前頭前野と呼ばれる部分も、ぞっとするような画像に対する島の反応の抑制に関与している可能性が示された。
この部分は我々の感情の抑制を助けている。離人症の人々はこの部分が過剰に働きすぎているか、元々の制御が強すぎるかのどちらかであるようだ。
…どんなにグロテスクな画像を見せられても、離人症の人には身体的反応がほとんど起こらない。(p224-225)
離人症、そして解離は、前項で考えたとおり、危機的状況に際して、苦痛を和らげる防衛機制なので、痛みを麻痺させて軽減します。
以前の記事で考えたように、今日の神経科学では、心は身体の「内受容」から生み出されていることが明らかになっています。
解離によって感覚が麻痺すると、身体的な苦痛や快楽を感じにくくなると同時に、感情的な痛みや悲しみ、喜びも麻痺する失感情症が起こります。
解離が強力に働き、内受容を感じ取れなくなった人は、自分の身体や心の状態を読み取れなくなります。
ある離人症の人は、「一日10マイル歩いているが何も感じない」「極端に気持ちが麻痺している。どこにでもいけるし、なんでもできるが、何も感じない」と述べました。10マイルというと16キロもの距離です。(p219)
わたしも学生のころ、一日中勉強したりトレーニングしたりしていましたが、身体的苦痛をほとんど感じませんでした。歯医者では治療のたびに寝るので怒られていたほどです。
どちらも共通しているのは、自分の内なる身体感覚が切り離されてしまっているせいで、身体や心の限界が把握できなくなってしまっている、ということです。
「痛み」という感覚は、もともと悪いものではなく、自分を守るためのアラームです。それがなくなるということは、苦痛から守られる反面、限界がわからなくなる、ということも意味しています。
以前に書いたように、「ベストをつくせ」と言われても、何がベストがわからない。完璧主義のつもりはないのにいつもやりすぎてしまう、といった人たちは、多かれ少なかれ、解離が働いていると思います。
一方で、離人症の人が、あらゆる感覚に鈍感になるか、というとそうではありません。離人症のルイーズはこう述べていました。
一番ひどい状態のときには、家の中のどんな音にも耐えられなかった。
その状態にいると、周りのものがみな私の注意を引こうと叫んでいるように感じるの。(p216)
離人症の人は苦痛が麻痺しているはずなのに、どうして、ルイーズは、ひどい過敏性に悩まされていたのでしょうか。
第一に、先ほど考えたように、強い解離に悩まされる人には、もともとHSPやアスペルガーとみなされるような、感覚の敏感さをベースに持っている人が少なからずいます。
生まれつき敏感だからこそ、周囲の刺激に耐えきれなくなり、許容範囲を越えてしまいます。そして、ブレーカーが落ちるかのようなシャットダウンし、感覚が切り離されます。
そのようなタイプの人は、解離が強い時期には感覚が麻痺しますが、解離が弱まる時期には過敏さに悩まされるでしょう。
第二に、解離という防衛機制は、PTSDの次の段階として引き起こされる、という理由もあります。
命の危機に直面すると、わたしたち人間を含め、多くの動物は「闘争/逃走反応」と呼ばれる、闘うか逃げるかの狂乱状態になります。
この状態が解除されないまま長引いてしまうのがPTSDです。PTSDの人はひどく過敏になり、あらゆることにおびえ、痛みに敏感になります。
しかし、一部の人、そして動物は「闘争/逃走反応」の次の段階である「凍りつき/擬死反応」に反転します。いわゆるタヌキ寝入りの仮死状態です。
こちらの状態が解除されないまま長引いてしまうのが解離や離人症です。感覚がひどく麻痺してしまい、あらゆることをうまく感じ取れなくなります。
離人症の人も、どれだけ感覚が麻痺しているといっても、PTSDのような過敏状態がベースにあり、その上で解離を起こしているはずです。
過敏が強いか、麻痺が強いかは人それぞれですが、どちらか一方だけ、という人はまずいないでしょう。ある状況ではひどく過敏になり、別の状況ではひどく麻痺してしまうのが普通です。
以前の離人症の記事では、典型的には「大きな刺激に対しては麻痺し、小さな刺激には過敏になる」傾向がある、という文献を引用しました。
それはちょうど、目隠しされた人が、足元のでっぱりには敏感になるのに、目の前にそびえたつ大きなビルには気づかないのとよく似ていました。
ルイーズは、家の中の小さな音に耐えられなくなりましたが、自分の出産のような大きな出来事に対しては感情が麻痺していた、と述べていました。
わたしの場合、解離がひどかった時期には、自分は痛みに鈍感なタイプだと思っていました。
わたしの症状が、タールのような慢性疲労がメインで、慢性疼痛がなかったのは、解離が強く働いていたせいだったようです。(疲労は解離と関係していて、痛みはPTSDと関係しています)
わたしは歯医者で寝るような子どもでしたが、怖い状況、辛い状況では意識を飛ばしてしまうのが普通でした。嫌なことがあっても気を失うように寝て起きたらすべて吹っ飛んでいました。
あれは鈍感だから寝ていたのではなく、危機的状況のタヌキ寝入り(擬死反応)だったと気づいたのは後になってからです。
やがて回復してきて、解離の麻痺が弱まってくると、自分がひどく敏感だということに気づきました。光や騒音が耐えられなくなり、全身の痛みを自覚するようにもなりました。
わたしの場合も、やはりまず極端な過敏さがあり、その上で耐えきれなくなって解離に反転していたのです。
切り離された自己を呼び戻す
もし、自分の身体から、そして世界から切り離されてしまったら、どうやって地に足のついた人生に戻ってくることができるのでしょうか。
今回読んでいる9つの脳の不思議な物語は、脳の不思議なエピソードを集めた本であって、治療法については詳しくありません。
ルイーズは、まだ離人症のままです。それでも、いくつか役に立った方法はあるようです。
まず、自分がおかしいのではないかと悩むあまり、パニックになりがちだった傾向には、認知行動療法が役だったそうです。
理性的に自分を評価する認知行動療法は、PTSDの過敏さのせいで、不安やパニックの傾向がある人にとっては、取り乱したときに、冷静さを取り戻す助けになるかもしれません。
一方で、解離傾向が非常に強く、不安やパニックに陥ることがなく、感情が死んでいるような人の場合は、かえって逆効果でしょう。
離人症の本質は、内部の感覚が切り離されていることなので、再び自分の身体を感じられるよう、接続を回復させていく必要があります。
身体が何かしらの強い危機を感じたせいで、感覚を切り離して自己防衛しようとした結果が離人症でした。
そうであれば、回復するためには、どうにかして、身体に「もう安心してもよい」ということを感じてもらう必要があります。
そのためには言葉で話しかけるだけでは不十分です。身体の感覚を通して、自分は安全なのだということを実感しなければなりません。
この世界から切り離された状態から帰ってくるためには、自分がこの世界にいても大丈夫だ、ということを、少しずつ段階的に、長い月日をかけて、身体的に実感する必要があります。
このブログでは、そうした目的のために考案された、身体と感覚を用いたさまざまなボディワークのセラピーについて、何度か取り上げてきました。
9つの脳の不思議な物語を読んでいてほかに興味深かったのは、心臓の鼓動を意識する能力が、内受容を感じ取る能力と直結しているらしいことです。
過去に紹介したように、自分の心拍を正確に感じ取れる人ほど、他人への共感も豊かだという研究があります。HSPの人は特にそうでしょう。
それに対して、この本によると、人工心臓を入れた男性が他人に共感できなくなってしまい、失感情症になってしまったという事例があるそうです。
人工心臓は、「元の心臓のように外部の出来事に反応しない」ので、興奮や恐怖が心臓の鼓動に反映されません。その結果、リアルな感情も生まれなくなってしまったのです。(p222)
このことから、共感とは、自分の身体を感じ取る能力あってのものだということがわかります。
逆にいえば、離人症の無感覚状態から脱するには、自分の心拍や体を感じ取れるようになることが必要です。
では、そのために何ができるか。
たとえば、自分の写真や自分と関係する6つのキーワードを見ながら、心臓の鼓動を感じるように練習することで、内受容を感知する能力が上がるという研究もあるそうです。(p229)
このとき、鏡で自分の姿を見ることも役立つと書かれています。まさにその方法を、精神科医ベッセル・ヴァン・デア・コークが、重度の離人症などを抱えるトラウマ当事者に用いていたのを思い出しました。
解離、また離人症とは、自分の身体や感覚が、「自分」ではなく「他人」だと処理されている状態だと言われています。
あまりに辛い経験が身にふりかかったとき、ひどい目に遭っているのは「自分」ではない、あれは「他人」なのだ、と脳が自ら錯覚することで苦痛を和らげようとしているのです。
その結果、痛みや苦痛が薄れて他人事のように感じられるのと同時に、自分の身体が自分のものではないような、他人の身体や異物であるかのような強烈な違和感に襲われるのが離人症です。
だとしたら、離人症から回復するには、もう一度、これは自分の身体だ、自分の感覚だ、自分の人生だ、ということを思い出さねばなりません。上っ面の言葉だけの説得ではなく、確かな実感を伴うやり方で。
ルイーズは、ふだんから離人症のせいで、自分の人生が他人事のように、まるで舞台の配役を演じているだけのように感じられると述べていました。
しかし不思議なことに、離人症が起こらない場面がある、といいます。
それは、自分が産んだ二人の子供と接する時でした。(p227)
このことは、前に書いた記事の中で、やはり重度の離人症を患うニコラスが、娘が生まれたときだけは、心底からの感情がこみ上げてきて、離人症ではなくなっていた、と述べていたのを思い出させます。
もちろん、離人症の人すべてが、親子のつながりから感情を取り戻せるわけではないでしょう。
それでも、自分の子どもと関わる時間は、先ほど考えた、自分に強く関わる何かを意識しながら、心臓の鼓動を感じるという、内受容感覚を呼び覚ます方法の、最たるものに思えます。
この世界から切り離された自己を再び引き戻すには、この世界と自分をつなげる強力な絆を見つける必要があります。
ときには家族の絆がそのような役割を果たすこともあるのでしょう。あたかもミノタウロスの迷宮から帰還するとき、外の世界までつながっていたアリアドネの糸のように。
世界とのつながりを取り戻す―人手によらずして
離人症から回復する道筋は、人によってさまざまだと思います。原因が何らかのトラウマにある場合でも、だれかに役だった方法が、別の人にも向いているとは限りません。
その人の生い立ち、生まれ持った神経系の特徴、症状の種類などに応じて、あらゆるセラピーに向き不向きがあります。
ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 に書いているように。
トラウマには、これぞという「選り抜きの治療法」はないし、自分の手法が患者の問題に対する唯一の答えだと考えているセラピストは、患者を本当に回復させることに関心を持っているのではなく、特定の観念を信奉しているだけである疑いがある。
有効な治療法のいっさいに精通しているセラピストなどいるはずがないのだから、自分が提供するものではない選択肢を患者が探ることをセラピストは許容すべきだ。(p347)
たとえば、わたしは、自分に認知行動療法が向いているとはまったく思いません。でも、ルイーズのようなタイプの人には現に役立っています。
また、自分にEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)が向いているとは思いません。しかし、視覚記憶が強いアスペルガーの友人にはうってつけだと感じました。
大切なのは、医者や誰かの意見を鵜呑みにしたりせず、自分でしっかり調査することです。
離人症の当事者は自己省察ができる人たちですから、自分でよく調べれば、必ず自分に合った方法が見つかります。
わたしの場合は、自分の不可解な症状の答えを求めて、ひたすら文献を読みあさる中で、ヴァン・デア・コークや、その友人ピーター・ラヴィーンの本にたどり着きました。
それらの説明に感銘を受けたので、ためらいを感じる中、なんとか勇気を振り絞って、本で勧められていたボディーワークのセラピーを受け始めました。
そこで得た経験はすばらしいものでした。ボディワークに取り組んで学んだ知識やスキルは、今でもとても役だっています。
けれども、わたしにボディワークが向いていたか、というと、首をかしげざるをえません
受け入れにくかったのは、セラピールームの中で、セラピストと一対一で治療を進めるという形式でした。
生い立ちゆえに、人に対する根源的な警戒心がある人にとっては、どれほど配慮が行き届いていても、また、どれほど信頼するセラピストが相手でも、対面式セラピーで心底から安全だと感じるのは難しいものです。
それに、わたしは、生物学の観点からトラウマを理解するようになってました。ヒトだけでなく、あらゆる動物もトラウマ症状を経験します。でも動物たちはトラウマから回復するのに、セラピストもセラピールームも必要としません。
NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方 という本を読んでいたとき、恐ろしい戦争や性犯罪のトラウマを大自然の中で癒やすセラピーについて書かれた章で、この部分が目に止まりました。
退役軍人省が提供する週に一時間のセラピーとは大違いだ。
「四方を壁に囲まれた部屋でじっと座り、胸に秘めた思いを打ちあけるのは苦行のようなものだ」と、シャイフェルドは言う。
「大自然のなかに身を置いているうちに、ごく自然に心情を吐露できるのがいちばんいい。自然には人をそういう気持ちにさせる力がある」(p292)
わたしが受けていたのはボディワークのセラピーだったので、「胸に秘めた思いを打ちあける」よう迫られることは一度もありませんでした。
しかし「四方を壁に囲まれた部屋」ではなく「大自然のなか」に身をおいてこそ、自分はリラックスできるのはないか、と思いました。
わたしは、動物たちがどのようにトラウマ的体験から回復するかを調べました。そして、人間のセラピストが用いる技術の多くは、もともと自然というセラピストが用いてきた技術の模倣だということに気づきました。
たとえば、良いセラピストは鏡のような役割を果たすと言われます。しかし、あなたの子どもには自然が足りない に書かれているように、もともとは自然がその役割を果たしていました。
自然はどんな形をとろうと、親とは離れたところにある、年を経た、大いなる世界を子供たちに差し出してくれる。
…自然は、荒れた家庭環境で生きる子供たちを癒やしてくれる。
自然は何も描かれていない石版なのだ。子供たちはそこに絵を描き、自分の周りの世界を自分なりに解釈しなおす。
自然は、心に思い浮かべることと五感をフルに使うことを要求することによって、子供たちの中に創造性を吹き込む。
機会さえあれば、子供は浮き世の悩みを森に持ちこんでくる。そして川でそれを使えば、それまで気づかなかった新しい一面が見えるようになるのだ。
自然はときに子供を脅かすが、それも目的あってのこと。
自然の中で、子供は自由に振る舞い、空想をほしいままにし、自分だけ時間を持つことができる。そこは大人の世界から遠く離れた、自分だけの安らぎの場だ。(p22)
また、セラピーの目的のひとつは、「安心できる居場所」を見つけることです。都会で行われるすべてのセラピーは、都市にいながらにして安心できる方法を、自己の内外に見つけようとします。
でも、現代社会の騒乱の中でそれは可能なのでしょうか。もともと人類は大自然の中の、さわやかな風が吹く高台のような場所に、「安心できる居場所」を見つけてきました。
ブルックスは一番高い丘に登った。ここからは太平洋が望める。彼女は一人でよくこの丘に座って、自然と雄大な眺めを胸の奥深くまで吸い込むのだ。…彼女は呼吸が穏やかになり、心臓が軽やかになるのを感じた。
「昔、祖先があの木の高いところへ登って土地全体を眺めたとき、そみには何かがあったはずですよ―私たちをすぐに癒してくれる何かが」とブルックスは言う。
高い木の枝の上でくつろぐことは、動物の餌食になるかもしれない危険で噴出したアドレナリンをすぐに鎮めてくれていたのかもしれない。
…今日の私たちは、いつ終わるともなく押し寄せる900キロもある自動車や1.8トンもの四輪駆動車に対して、常に警戒状態にある状態だ。
脅威は私たちの家の中にまで追いかけてくる。テレビを通して居間や寝室にまで侵入してくる恐怖のイメージ。また都市と郊外の風景からは、安らぎをかもし出す要素が急速に失われつつある。(p62)
セラピストはまた、振り子のように行ったり来たりするリズムに慣れさせることで凍りついた人に揺らぎを与えます。どんな苦しい感覚も、必ず変化するということを教えます。(ペンデュレーションと呼ばれる技法)
しかし、そうしたメリハリのある振り子のようなリズムは、現代社会の都市生活からはほとんど失われていますが、もともとは自然界の中に組み込まれていたものです。
レイチェル・カーソンがセンス・オブ・ワンダー で述べるように、自然のリフレインに同調する体験は、凍りついたわたしたちを癒やしてくれます。
鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い霧のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な神秘がかくされています。
自然がくりかえすリフレイン―夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ―のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。(p50-51)
それに、さまざまなボディワークのセラピーのベースは、「今ここ」にとどまるマインドフルネスのスキルを教えるものです。
自己が世界から切り離されてしまう離人症にとって、マインドフルネスが役に立つのは確かです。でもそれはセラピーでしか身につけられないものなのか。
そうではありません。生物学者デヴィッド・ジョージ・ハスケルは、ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球 の中で、自然観察を始める人に、こうアドバイスしています。
瞑想のやり方を真似て、繰り返し繰り返し、意識を今この瞬間に向けること。
私たちの意識はひっきりなしに彷徨ってばかりいる。そうしたらそっと連れ戻そう。
そして繰り返し繰り返し、自分が何を感じているかを詳細に追究する―音の特徴、その場所に触れた感じや匂い、視覚的な複雑性。(p307)
これはマインドフルネスのアドバイスそのものです。わたしが思うに、マインドフルネスはもともと特別なスキルではなく、自然と共に暮らす中で身につくものだったのではないでしょうか。
かの有名なハチミツ好きの黄色いクマが、プー横丁にたった家 (岩波少年文庫(009)) でこう言っているように。
時々ね、橋の下のほうの手すりに立って川がゆっくりと下を流れて離れていくのを見ていると、突然、知らなきゃいけないことは全部わかったな、って思うんだ。
離人症の人に足りないのはこの感覚です。
離人症とは、9つの脳の不思議な物語でルイーズが述べていたように、「自分の体からも世界からも切り離されたような感じ」であり「世界を見ているけれど、その一部でなくなった感じ」です。(p214)
ヴァン・デア・コークも、トラウマをヨーガで克服する で、「〈解離〉には、自分の体や周囲の世界との断絶感がある」と書いています。(p82)
そして、生物学者デヴィッド・ジョージ・ハスケルは、ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球 の中で、マインドフルネスに自然観察した結果、この感覚にたどり着くと書いているのです。
ここから私たちは、「自然」というのが私たちとかけ離れたものではないことを学ぶ。(p308)
回復するために必要なのは、世界とのつながりです。自分の肉体の中に、またこの世界の中に居場所がある、と感じられるようになる必要があります。
世界とのつながりを取り戻すために、人間のセラピストの助けを借りることもできます。でも、それが難しい人もいます。
日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめに、こんなエピソードがありました。
探検家ローレンス・ヴァン・デル・ポストは、カラハリ砂漠横断のときにユージン・スポードというカメラマンを雇いました。
スポードは北欧出身の、かつてのレジスタンスのヒーローとして知られていました。ナチスや共産党、ファシストたちと渡り合い、数々の過酷な経験をくぐり抜けていました。
そうした過去のトラウマのせいでしょうか。スポードは「明らかに世をすねたふう」があり、「陰気」で「たしかに闇があり、それは彼の心にわだかまって」いました。(p377-378)
そのせいで、探検隊とのあいだに険悪なムードがただよいました。スポードが心を開くことは決してないように思えました。
ところが、ある夜、転機が訪れます。
彼は自分のヴァイオリンをとってくると、野営地の中心を囲む輪から離れて、仲間たちに背を向けた。
スポードは楽器を奏ではじめたが、ずっと外を向いたままで草むらに顔を向けていた。
たき火を囲んでいた面々は話すのをやめ、半時間ばかり、スポードのひたむきな演奏に聴き入った。やがて彼は手を止め、振り向くとおぼつかない足取りで野営地に戻ってきた。
そしてヴァン・デル・ポストに腕をまわして抱きついた。スポードは泣いていた。彼は我を忘れ、ただもう、森に向かって弾くことしか考えられなかったのだと説明した。
ヴァン・デル・ポストは喜んで、いまの気持ちをいつも、物事に取り組む姿勢の真ん中においてはどうかと勧めた。そこが核心なのだ、と。(p378)
トラウマを負ったスポードは、たぶん失感情症のような状態に陥っていたのでしょう。感情が死んだまま生きていたのかもしれません。
スポードは、人に対してはどうしても防衛的になってしまい、心を開けませんでした。「仲間たちに背を向けた」態度からそのことがよくわかります。
しかし、音楽と、雄大な夜の森は違いました。芸術と大自然は、彼の心の防衛を解き、せきとめられた感情を、解き放ちました。
スポードは人に対しては安心感を抱くことができませんでしたが、自然に対しては心をさらけ出すことができたのです。
先に引用したNATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方 にかかれていたとおりです。
「大自然のなかに身を置いているうちに、ごく自然に心情を吐露できるのがいちばんいい。自然には人をそういう気持ちにさせる力がある」(p292)
わたしの場合も、人間のセラピストとセラピールームの中で治療に取り組んでいるときは、どうしても居心地が悪く感じました。セラピストのことは信頼していましたが、それ以前の問題でした。
それに対して、雄大な畏怖の念を起こさせる大自然のただ中に一人で立ったときは違いました。わたしの居場所はここにある、とはっきり感じられました。自分がゆりかごに包まれているかのように安心できました。この言葉の通りでした。
長きにわたって探し求めた答えが必ずしも宗教や教義の形であるとは限らず、自然の助けで見つかることも少なくない。
周囲の事物との絆を感じることで得られる喜びに浮き立つとき、ふだん頭蓋骨の周りを騒がせている事物からは得られない、もっとずっと奥深い経験をさせてもらえる。(p382)
目的は世界とのつながりを取り戻すこと、この世界に安心できる自分の居場所を確保することでした。どうやってそこに至るかは、人それぞれ異なっています。
もともとシャーマンがトラウマを治療していた時代、医学、コミュニティ、宗教、自然は渾然一体でした。今ではそれらは枝分かれしてしまいましたが、それぞれに似通った部分を見ることができます。
ある人は精神医学の治療やセラピーの教義を通して、自分がここにいる感覚を取り戻します。
ある人は我が子との絆によって、自分をこの世界につなぎとめます。
ある人は宗教を通して、自分はここにいてもよいのだ、という敬虔な信心に包まれます。
そして、またある人は、わたしがそうだったように、母なる大自然に抱かれることで自分の居場所を見つけ、自分の身体に、そしてこの世界に帰ってくることができるのです。
地図にない世界の旅行記
離人症から回復するのに、どんな方法が向いているにしても、さまざまな知識を集めたり、経験談を読んだりするのはとても大切です。
そうしなければ、自分の前にどんな選択肢が開かれているのか、知ることができないからです。
わたしもそうですが、離人症や解離の当事者は、生きることへの執着が薄く、人生なんてもうどうでもいい、という厭世観にとらわれがちです。
実感が抜け落ちているので、世界が薄っぺらく、色あせて感じられます。人生に価値などなく、ただむなしいだけに思えます。
それもまた離人症の症状の一部ですが、そのせいで回復したいという意欲さえ持てなくなるかもしれません。
そんなとき、自分の症状についてよく調べ、さまざまな体験談にあたるなら、牢の扉をこじ開ける助けになります。
いま見えている薄っぺらい地平線や水平線は世界の果てではない、もしかすると、その向こうに、まったく見知らぬ広い世界が広がっているのかもしれない、という見込みを、たとえわずかながでも、かいま見せてもらえるからです。
ルイーズの場合、我が子といるときだけ離人症でなくなると述べていました。それはつまり、自分一人ならもうどうでもよくなってしまうけれど、子どものためには自分はまだこの世界にとどまらねばならない、と感じられるからかもしれません。
この記事で紹介した9つの脳の不思議な物語は、具体的な治療法についての本ではありませんが、自分に何が起こっているのか、よりよく理解する助けになるのでおすすめです。この類いの本としてはかなり読みやすいです。
離人症を取り上げているのは1章のみですが、他の章のエピソード、たとえば自分は死んでいると感じるコタール症候群や、共感覚や幻覚の話題からも学べることは多いです。
わたしは以前に比べると、自分が地に足のついた人生を送っているのを実感してます。
ときおり、自分がもう解離しておらず、「今この瞬間」に足並みをそろえて生きていることに気づきます。
嬉しい反面、寂しく思います。わたしにとって解離とは、辛い時期をずっと支えてくれていた連れ合いだからです。
かと思えば、ちょっとストレスがかかると、かつての解離傾向が戻ってきて苦笑いします。
そんなときは静かな夜に、家のすぐ外の草原に出ていって、星空や月明かりの下で、ただ自分の内外の感覚に注意を向けるようにします。
わたし以外だれもいませんが、ときどき野生のキツネやウサギをちらりと見かけます。無数の虫たちが鈴のような音色のさまざまな楽器で夜の演奏会をしています。
30分から1時間くらい耳を澄ましていると、そのうち麻痺した感覚が戻り、凍りつきが溶け始めます。
セラピールームでのセラピーと同じく、辛抱強く取り組む必要がありますが、ありがたいことに、わたしたちにその気さえあれば、自然の癒やしは無料で、いくらでも味わうことができます。
(たまたま最近読んだ虹のおりるまち ウトロ絵日記 でも同じような話がありました。きっと宇登呂の自然もわたしの住んでいるところとよく似ているのでしょう)
確かに、生まれついた解離傾向は、たぶん一生続くものですし、一度ばらばらに砕けた世界は、ひとつに金継ぎしたとしても、継ぎ目は消えません。
ひとたび世界から迷い出た人が、完全に現実に帰ってくることは不可能なのかもしれない、という気もしています。
それでも、このあまりに奇妙な旅路のおかげで、ほかの人たちが一生かけても気づかないような世界の裏側を見てこれたことに、そこそこ満足しています。
9つの脳の不思議な物語は、神経科医オリヴァー・サックスをリスペクトして書かれた本でしたが、わたしも彼をとても尊敬しています。
サックスは、あれほど深く人間に関心を寄せた人でしたが、「3つのB」、つまりボンディング(心のふれあい)、ビロンギング(帰属意識)、ビリービング(信じること)に苦労していました。
一方、彼はオアハカ日誌などの著書で大自然とのふれあいがいかに居心地がよいか生き生きとした筆致で書いています。
サックスはアマチュア科学者たちとジャングルでシダ植物を観察し、一人でノルウェーの山に登り、波打つ海をイルカのように泳ぎました。自分の居場所がどこにあるかをちゃんと知っていたのです。
「人間的な科学」を提唱したオリヴァー・サックスは、左足をとりもどすまで (サックス・コレクション) で、この新しい分野を地図にない未踏の地に例えています。
博物学者、冒険家を自認していた私は、それまでも、神経心理学におけるかずかずの不思議を探検していた。
神経にかかわる不調という大きな世界、その極地から熱帯までを探求してきた。
しかしいま、私は地図のない人跡未踏の地を探検しようと心に決めたのである。
もっとも、決めざるをえなかったのかもしれない。目の前に広がっているのは、存在するはずのない土地、「何処にもない国」だった。(p130)
地図に載っていないこの世界に最初に足を踏み入れ、探検記を著したパイオニアが心理学者アレクサンドル・
その後、彼らの足跡を追って、他の人々もこの存在するはずのない土地に探検に繰り出しました。9つの脳の不思議な物語の著者ヘレン・トムスンもその一人です。
そして、わたしもまた、望んだわけではないにせよ、自分の体験から、この不可思議な大地に足を踏み入れることになりました。わたしの体験は、地図にない世界を探検してきた、類まれな旅行記でもあるのです
離人症について考えることは、人間とは何か、自己とは何かという本質に迫ることです。
大半の人が疑問すら抱けない世界の内側をのぞき、地図にない世界に足を踏み入れる、ということなのです。