愛着回避と愛着不安がいずれも強い愛着スタイルは、恐れ・回避型(fearful-avoidant)と呼ばれる。
対人関係を避けて、ひきこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係はより錯綜し、不安定なものになりやすい。(p236)
これは、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)という本で説明されている、ある特殊なタイプの愛着スタイルを持つ人たちの感じ方です。
わたしたちは一般に、世の中には、内向的な人と外向的な人がいることを知っています。内向的な人は人づきあいが苦手で引きこもりがちな人たちであり、外向的に人は逆に一人でいるのが寂しく、どんどん交友を広げていきます。
ところが、中には外向的とも内向的とも言いがたい、矛盾した振る舞いをみせる人たちがいます。人づきあいがうまく、気を回すのが得意で、初対面の人とも親しげに振る舞える。それなのに、人への恐怖や根深い不信感を秘めている人たちです。
こうした人たちは、表面的にはよく配慮の利く「良い人」とみなされていますが、心の中では他人への恐怖がうずまいていて、決して他人に心から親しみを感じることがありません。
人間嫌いなのに配慮が得意、というのはどう考えても矛盾しているように思えます。それもそのはず、このような人たちは「無秩序型」また「混乱型」と名づけられた歪んだ愛着を抱えているのです。
当の本人も、このような矛盾した感情に苦しめられていますが、まるで呪縛をかけられたかのように抜け出すことができません。その結果生じる強烈なストレスは、その後の人生全体に破壊的な影響を及ぼすこともあります。
いったいなぜ、このような相反する混乱した愛着が生まれるのでしょうか。
この記事では、ヴァン・デア・コーク博士の身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法などに基づき、人への恐怖と気遣いに絡め取られた「無秩序型愛着」という呪いの原因、そしてそれがもたらすありとあらゆる災厄というパンドラの箱の蓋を開けて調べてみたいと思います。
もくじ
これはどんな本?
今回主に参考にした本のうち、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) と愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)
は、岡田尊司先生による、愛着理論、そして愛着障害について解説された本です。
前者は一般向けにさまざまな有名人の例を挙げたわかりやすい内容で、後者は多くの研究に言及して、医学的に考察した内容となっています。
また友田明美先生によるいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳は、愛着障害の重症例ともいえる子ども虐待の被害者について、脳画像研究から実態を解明した本であり、愛着が単なる心の問題ではなく脳の発達に影響を及ぼす深刻なものであることが示されています。
さらに、トラウマ研究の専門家であり、発達性トラウマ障害(DTD)という概念を提唱したヴァン・デア・コーク博士の最新の著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法は、参考文献が少ない無秩序型愛着について詳しく説明している貴重な本です。
いずれの本も、これまで何度も取り上げてきた本ですが、今回は特に「無秩序型愛着」というテーマにそって、他のさまざまな資料ともからめながら、問題を浮き彫りにしたいと思います。
無秩序型愛着パターンとは?
まず、「無秩序型愛着」とはなんでしょうか。これは愛着理論と関係する概念の一つです。
愛着(アタッチメント)理論とは、イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィによって提唱された概念です。
ボウルビィは1969年、第二次世界大戦後の臨床経験から、子どもが幼いころに親と引き離され、愛着の絆が育まれないと、さまざまな心身の問題に発展することを突き止めました。
ボウルビィは、子どもの愛着パターンをA,B,Cの3つに分類しましたが、後に1986年になってメインとソロモンが4つ目のタイプDを発見しました。
この4つのタイプは、アメリカの発達心理学者メアリー・エインスワースが開発した新奇場面法によって調べることができます。
新奇場面法は、子どもと母親を引き離し、しばらくしてから再会させ、その間の子どもの様子を観察するというものです。
すると子どもは以下のA,B,C,Dのいずれかの反応をみせます。
全体の15%。親にほとんど頼らず、一人になっても寂しさを感じず、親と再会しても無視したりする
■B型/安定型(Secure)
全体の60%。親に素直に頼り、一人になると寂しさを感じるが、親と再会すると積極的に迎える
■C型/抵抗型/抵抗両価型/不安型(Resistant Ambivalent)
全体の10%。親から離れられず、親がいなくなると激しく動揺し、再会するとしがみついて怒りを示すこともある
■D型/無秩序型/無方向型/混乱型(Disorganized)
全体の15%。A型、B型、C型の入り混じった無秩序な反応を示す。
(これは心理テストではなく、生物的な反応です。「愛着」は脳に愛着システムをもつ哺乳類などの生物で共通しています。たとえばこの新奇場面法で、ネコの飼い主に対する愛着パターンを調べた研究もあります)
資料によって表記ゆれがあるので、それぞれ名称を幾つか並べていますが、次のように考えると理解しやすいでしょう。
愛情に富む家庭で育てられた普通のバランスのとれた人づきあいができる子どもはB型(安定型)です。
冒頭に挙げたような引っ込み思案で人づきあいが苦手な子どもはA型(回避型)で、一人でいるのが苦手で人との関わりを求める子どもはC型(抵抗型)になります。
そして、今回のテーマである、矛盾した振る舞いをみせる子どもはD型(無秩序型)です。D型の子どもは、どれか一つのタイプではなく、その時々でA型になったり、B型になったりC型になったりと混乱した振る舞いをみせます。
A型、B型、C型は、方法こそ違えど一貫した振る舞いをみせる「秩序型」とみなせますが、D型は、そうした一貫性がみられないために「無秩序型」と呼ばれるのです。
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)では、その特徴が、こう説明されています。
混乱型は、回避型と抵抗型が入り混じった、一貫性のない無秩序な行動パターンを示すのが特徴である。
まったく無反応かと思うと、激しく泣いたり怒りを表したりする。また、肩を丸めるなど親からの攻撃を恐れているような反応をみせたり、逆に親を突然叩いたりすることもある。(p39)
D型の顕著な特徴は、A型(回避型)の特徴である対人関係の回避を示しながら、同時に正反対のC型(抵抗型)の特徴である人への執着を見せることです。
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害にはこう書かれています。
D型のアタッチメントパターンとは近接と回避という本来ならば両立しない行動が同時的に、また継時的にみられたり、また、フリーズしたり、初めて出会う人にむしろ親しげな態度をとることなどが特徴である。(p98)
D型は、本来なら両立しないはずの、人に対する親しげな接近と、恐れによる回避とが、入り混じってみられるパターンであることがわかります。
トラウマ治療の専門家であるヴァン・デア・コークによる身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法では、さらに詳しく、こう説明されています。
彼らは「接近する(安定型「戦略」と相反型「戦略」)ことも、注意を他へ移す(回避型「戦略」)ことも、逃げ出すこともできない」。
…彼らは誰が安全かも、自分が誰に帰属するのかもわからないので、見知らぬ人に対して強烈な親愛の情を見せたり、逆に誰も信用しなかったりしかねない。
メインはこのパターンを「無秩序型の愛着」と呼んでいる。無秩序型の愛着は、「解消のしようがない恐怖」だ。(p193)
無秩序型の愛着を抱えた子どもは、人づきあいを回避したいのに、人に接近するという意味不明で矛盾した振る舞いを見せます。その根底にあるのは、「解消のしようがない恐怖」です。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 によれば、無秩序型の愛着を発見したメインとソロモンは、その特徴を特徴を7つに分類しました。以下に折りたたんで載せておきますが、要点は恐れと親しみの相矛盾する行動が見られることです。
ここで説明しているD型、つまり「無秩序型」とは、あくまで幼い子どもに見られる愛着パターンです。
幼い子どもですから、A型(回避型)は照れ屋さんともいえますし、C型(抵抗型)は甘えん坊とみなされることもあるでしょう。そうした子どもはそれほど珍しくありません。
でもD型(無秩序型)はまったく違います。当初D型の存在をボウルビィが見逃していたのも無理はありません。それはまったく子どもらしくない異様な行動パターンです。
いったい何が生じているのでしょうか。
幼いころの生育環境という呪い
ここまで考えた子どもに見られる4つの愛着スタイルは、おおよそ生後半年から1歳半くらい、長く見て3歳くらいまでの生育環境によって決まります。
一般に、B型(安定型)がバランスのとれた家庭の子どもに見られるのに対し、A型(回避型)は感情表現が乏しい放任型の親、C型(抵抗型)は子どもをかまいすぎる過干渉型の親の子どもに見られるそうです。
しかしD型(無秩序型)は、そうした普通の家庭、ないしは多少偏っているとしても人間味のある親の家庭で育った子どもには見られません。
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)にはこう書かれています。
混乱型は、虐待を受けている子や精神状態がひどく不安定な親の子どもにみられやすい。
安全基地が逆に危険な場所になることで、混乱を来していると考えられる。
親の行動が予測不能であることが、子どもの行動を無秩序なものにしているのである。(p39)
D型(無秩序型)の愛着を示す子どもは、異常な家庭環境で育ったために、混乱し、矛盾した 反応を示すようになるのです。
異常な家庭の例として、ここでは虐待や、親の精神疾患が挙げられています。
虐待の中には、身体的・性的虐待のみならず、言葉による虐待や、育児放棄(ネグレクト)も含まれます。
たとえ虐待のような極端な環境でないとしても、親が精神疾患を抱えていたり、アルコール依存症だったりして、気まぐれで不安定な養育態度を示すなら、やはりD型の愛着になるリスクが生じます。
特にアルコール依存症の家庭で育った子どもの悩ましい振る舞いは、アダルトチルドレン(AC)としても研究されてきた歴史があります。
また、本来は良い親であるにもかかわらず、不可抗力によって一時的な異常な家庭が生じてしまうこともあります。
すでに述べたとおり、愛着がおもに形成されるのは、生後数年間のわずかな期間です。その時期に親が共働きせざるを得なかったり、病気などで育児ができなかったりして、複数の養育者をたらいまわしにされると、赤ちゃんにとっては同じはずの親が、無秩序に変容する異常な環境と感じられるでしょう。
実際に、以前の記事で紹介したとおり、母親ではなく複数の育児者によって効率よく子どもを育成しようとしたイスラエルのキブツの取り組みでは、子どもの愛着に悲惨な影響が及びました。
解離性障害の専門家の柴山雅俊先生は、解離の舞台―症状構造と治療 の中で、明確な虐待がなくても、無秩序型の愛着になる場合があることを述べています。
虐待された幼児の80%が無秩序型愛着を呈したとする報告もあるが、はっきりとした虐待がなくても、養育者自身が子どもの体験に調子を合わせていなかったりコミュニケーションに食い違いが見られたりすると、無秩序型愛着が見られることがある。
ヘッセとメイン(Hesse and Main 1999)は、明らかな虐待がなくても、両親の脅しや怯え(frightening or frightened)の行動が無秩序型愛着をもたらしうることを報告している。(p138)
愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)では、この無秩序型の愛着とはつまり、予測できない無秩序な親の反応に対する適応である、ということが説明されています。
ひとつの戦略を保持することができず、親の見せる些細な兆候に対して敏感に揺れ動くのである。
無秩序な混乱は、見通しや予測が立たないことの表れであり、養育者の気まぐれな態度におびえ、どうしたらいいかわからない状態だとも言える。(p75)
虐待する親、精神疾患を持つ親、アルコール依存症の親、脅しや怯えを見せる親など…。
こうした親はいずれも、親として子どもを育てているにもかかわらず、時に態度を豹変させ子どもを傷つけます。幼い子どもは、安心できる対象と思っていた親が、突然、迫害者に変化する恐怖を何度も味わいます。
そうすると、保護者として親に頼りたいのに、迫害者としての親から逃れ身を守らなければならないという矛盾した状況に置かれます。
無秩序な親のもとで生きていくためには、自分もまた無秩序になるしかありません。無秩序な家庭に適応するという、混乱と葛藤が反映された戦略が、D型(無秩序型)の異常な愛着パターンなのです。
▼愛着障害のリスクになる生まれつきの過敏さ
ここでは、おもに親の側の養育の問題について考えていますが、不安定な愛着の形成には、親の側の要因と子どもの側の要因の双方が関係しています。
近年、生まれつき敏感で繊細な性質、HSP(Highly Sensitive Person)が注目されていますが、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)で説明されているようにHSPの子どもは、養育環境に過敏に反応しやすいでしょう。(p88)
愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)によると、遺伝的にドーパミンD4受容体の多型をもっている子どもでは感受性が強くD型アタッチメントになりやすいことがわかっているそうです。(p130)
家族の中の両極端の関係
D型(無秩序型)は「混乱型」とも言われますが、そうした子どもは、幼いころから、とても子どもの心には理解できないような家庭環境に直面して、心理的に混乱していることが少なくありません。
アメリカの解離性同一性障害(DID)の専門家ラルフ・アリソンは、著書「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からの中で、そうした異常な家庭環境をこう説明しています。
患者はたいてい子どもの時に、家族の中で両極端の関係を経験している。
片方の親は「良い親」で、もう片方は「悪い親」と見られている。しかしその役割がときどき変わり、「良い親」が「悪い」ことをして子どもを混乱させる。
これには「良い親」が子どもを「捨てる」といったことも多い。
実際には、親が死亡したり、軍務についたり、あるいは他の理由によるいたしかたない別離なのだが、子どもにとってはそれが理解できない。(p45)
たいていの場合、虐待やネグレクトする親のもとで育ったり、親に精神疾患や依存症があったりする場合でも、両親が二人とも迫害者であることは少ないでしょう。
どちらかというと、異常で攻撃的だったり、精神疾患を抱えたりしている「悪い親」のもとで、もう一人の「良い親」が苦しめられたり、怯えたりしている様子を子どもは感じ取ります。
そこで子どもは「良い親」のほうに頼るようになりますが、しばしば安全だと思っていた「良い親」から見捨てられたり、傷つけられたりするのを経験します。
たとえばそれは、「良い親」が死んだり離婚していなくなったり、何かの事情で子育てができなくなったりすることかもしれません。たとえ十分な事情があるのだとしても、子どもはそれを理解できず、信頼していた「良い親」に見捨てられたと感じます。
または安心できると思っていた「良い親」自身も、精神に異常を来たしていて、子どもの信頼に答えられず、虐待に加担するようになったのかもしれません。
特にありがちなのは、「良い親」が「悪い親」を恐れるあまり、助けを求める子どもを「悪い親」の暴力から守らない場合です。
子どもはそのとき、たとえ「良い親」といえども、身を挺して自分を守ってくれることはなく、この世界には誰一人として信頼できる人はいないのだ、ということを学ぶのです。
虐待された子どもの中には、実際に虐待した親に対するのと同じくらいの、あるいはそれよりもさらに強い怒りや恨みを、虐待から守ってくれなかったもう片方の親に対して抱いている場合があるそうです。
その点は、毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)という本に詳しく書かれていました。
サバイバル脳
この異常な家庭環境が、子どもにD型(無秩序型)という愛着パターンを埋め込んでしまうのは、それがごく幼いときに経験される出来事だからです。
もし、愛着が形成される感受性期である生後数年ごろまで、安定した親に愛されて育ったなら、その後、小学生以降に親から引き離されるようなことがあっても、これほどまでに深い傷は抱えないかもしれません。
しかし、まだ幼い時期、見るもの聞くものすべてが新しく、世の中について、人間について何も知らない人生最初の時期に異常な環境で育つと、その子にとっての「あたりまえ」の常識が変わってしまいます。
いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳にはこう書かれています。
被虐待児は「日常的で普通の生活」を経験したことのない者がほとんどであるから、たとえそれがストレスフルな状況であっても、その環境を疑うことができない。
ゆえに、耐え難い苦痛や恐怖の中で、何とかして生きていく術を身につけていく。
その表れとして起こるのが、愛着形成の問題である。(p108)
たとえば日本に生まれ育った人にとって、日本の文化こそあたりまえで、成長してからアメリカに移住したとしても、なかなか文化に馴染むのが難しいかもしれません。
その逆ももちろんしかりです。わたしたちは、生まれ育ち、慣れ親しんだものを「当たり前」「普通」「日常」とみなします。
では、生まれたときから異常な家庭環境に置かれ、生まれてはじめて見る人間である親や家族が異常だったらどうなるか。
その子どもは、それが「異常」だとは思いません。そうした家庭環境こそが「当たり前」であり、その緊迫感こそが「日常」であると判断するでしょう。そしてそれ以降に学ぶ知識や出会う人間すべてをその尺度にそって解釈するようになるでしょう。
同じ本は続けてこう述べています。
虐待の場合では、この愛着が正しく形成されない。少なくとも、一般的な形では形成されない。自分を保護するべきはずの存在である親は、恐怖と不安に満ちた存在である。
…そのような親でも、子どもにとってはすべての存在である。子どもは、苦痛を与える人間のもとでもできる限りの安心感と信頼を得ようとして、親に対して愛着をもとうとする。(p112-113)
たとえ異常な親であっても、「子どもにとってはすべての存在」なのです。
わたしたち大人は、虐待やネグレクトをするような親は「異常」だとわかります。そのほかの家庭と比較できるからです。
しかし子どもは、そして生まれて間もない赤ちゃんは、目の前にいる親以外の親を知りません。どんなに異常な親であって、その親こそが「すべての存在」なのです。
幼い子どもは、たとえ身の危険を感じても、そこから逃げることはできません。その親が「当たり前」なのであれば、その状況に適応するしかありません。
それで、その異常な親のもとで生き延びようとする過程こそが、歪んだ愛着、D型「無秩序型」の愛着パターンとして、子どもの生き方に刻み込まれます。それはその後の人生を生き抜く基礎になります。
この“歪んだ形”での愛着形成により、子どもは加害者を絶対的なものと思い込んだり、逆に自分こそが悪いのだと考えたりするようになる。
…このような歪んだ形の愛着は、それを基礎として親以外との人間関係にも適用される。
無条件に相手の言うことに従ったり、自分の意見を押し殺して相手に言わなかったりして、できるだけ他者との間に問題を起こそうとしない。
それはしかし、相手に対する不信や、相手との関係を絶って孤立することにもつながりやすい。(p113)
歪んだ愛着はあたかも傾いた土台の上に家を建てていくかのようなものです。
子どもは土台が傾いていることなどまったく気付かずに、その後の人生をその上に建てていきます。その後の知識も人間関係も、すべてその土台の上に築きます。
子どもは異常な親との関わりを通して、他の人と関わるときには、傷つけられないようにするために、自分を相手に合わせ、自己主張せず、顔色を伺わなくてはいけない、ということを知ります。
その後の人生で出会うどんな人に対しても顔色をうかがい、相手によって自分の行動をカメレオンのように変えます。
周りの人の行動から危険を察知して、あるときはA型(回避型)、あるときはC型(抵抗型)といった愛着パターンを使い分け、衝突を回避します。
ときにはB型(安定型)のような愛着パターンさえみせて、相手に合わせるかもしれません。しかしいずれの場合にも、決して相手を信頼しているわけではなく、生き延びるために合わせているだけなのです。
こうした過酷な子ども時代を生き延びた人たちの脳の特徴は、ボストン大学医学教授ヴァン・デア・コークによって適切にも「サバイバル脳」と表現されています。
この世の中は、いつなんどきだれかに傷つけられるかもしれない危険な「戦場」であり、D型愛着パターンの子どもは、生まれた時から終わることのない戦時下を、死と隣りあわせでサバイバルしているのです。
このとき、子どもの脳にどんな変化が生じているのか、という点については、以下の記事をご覧ください。
子ども時代から異質な家庭で育つと、当たり前の常識が変わってしまうという点についてはこちらで扱いました。
パンドラの箱を開ける
子どものころの異常な親への適応は、単に子ども時代のものだけではありません。そのときに学んだ愛着タイプは、その後の人間関係にも適用され、発展していきます。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、ヴァン・デア・コークはこう述べます。
幼少期の愛着パターンによって、私たちが一生にわたって人間関係を図示することになる、心の中の地図が作り出される。
その地図は、私たちが他者に何を期待するかだけでなく、彼らがいてくれるとどれだけの慰めや喜びを経験できるかにもかかわっている。p202)
子どものころの4つの愛着パターンは、必ずしも大人になってもそのままであるというわけではありませんが、それぞれ対応する4つの愛着スタイルに発展しやすいと言われています。
4つの愛着スタイルとは、これまで考えてきた4つの愛着パターンの大人バージョンです。
子どものA型(回避型)に相当。人との関わりを避け、ひきこもりがちで感情表現に乏しい。
■自律型(Autonomuos)
子どものB型(安定型)に相当。適度に他人に頼りつつ、自分の責任も果たせる安定した大人。
■とらわれ型(Preoccupied)
子どものC型(抵抗型)に相当。人の顔色に敏感で依存しやすく、見捨てられ不安が強く、感情の起伏が激しい。
■未解決型(Unresolved)、恐れ型(Fearful)
子どものD型(無秩序型)に相当。人への恐怖と見捨てられ不安が混在する混乱した振る舞い。未解決型のうち、A型の要素が強い場合を「未解決・回避型」や「恐れ・回避型」、C型の要素が強い場合を「未解決・とらわれ型」などと呼ぶこともある。
これら4つの愛着スタイルは、子どもの場合の新奇場面法と同様、成人愛着面接という方法でうかがい知ることができます。
この成人愛着面接は、子どものころの親との体験や思い出についてさまざまな角度から質問し、傾向を分析する手法です。
その場合、愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)によると、大人の場合のD型に相当する未解決型では、やはり混乱した感情が読み取れるそうです。
これは、混乱型に対応するカテゴリーで、未解決-混乱型とも呼ばれる。
外傷体験について尋ねられると、言葉やまとまりが論理性を欠き、奇妙で不可解な考えを示したりする。(p105)
子ども時代のD型(無秩序型)が大人になって未解決型に発展するとは限りませんが、深い傷を抱えていて、いまだに土台が斜めになっていることに気づいておらず、無秩序さを「当たり前」「日常」と感じている場合は、その未解決の混乱が言動にも現れてくるのです。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法には幼少期の無秩序型の愛着が、思春期になってから及ぼす影響について、こう書かれています。
ハーヴァード大学の研究者カーレン・ライオンズ=ルースは、約18年にわたって追跡した子供のサンプルで、同様の結果を得た。
3歳のときの無秩序型の愛着、役割逆転、母親による意思疎通の不足は、その子が18歳のときにメンタルヘルス・サービス制度あるいは社会福祉サービス制度の世話になっているかどうかを予想するうえで、最も有力な判断材料となった。(p652)
ライオンズ=ルースの研究によれば、3歳までに無秩序型の愛着になってしまった子どもは、18歳のとき、すなわち早くも10代のころから、心身の不調を抱える割合が高いことが明らかになったのです。
すでに考えたとおり、D型(無秩序型)の愛着を抱えた人の人生は、斜めの土台の上に建材を積み上げていくようなものです。
たとえ土台が斜めであっても、最初のうちは建物の材料を積み上げることは可能でしょう。しかし材料をどんどん積み上げていき、建物の高さが高くなっていくとどうなるでしょうか。
斜めの土台のような歪んだ愛着を抱える人の人生も、最初のうちはかろうじて積み上がるように感じられるかもしれません。
しかし歪んだ愛着の上に人生経験を積み重ね、年齢を経るにつれて、人生の建物の高さはどんどん高くなり、その重みで傾きもひずみもどんどんひどくなります。
その結果何が生じるのでしょうか。
境界性パーソナリティ障害
D型アタッチメントいう歪んだ土台がもたらす悲惨な問題の一つとしてよく知られているのは、境界性パーソナリティ障害(BPD)です。
ササッとわかる「境界性パーソナリティ障害」 (図解 大安心シリーズ)にはこう書かれていました。
境界性パーソナリティ障害の人の愛着スタイルを調べた研究によると、75%がネガティブな感情に支配されやすい「とらわれ型」、89%が心の傷を引きずる「未解決型」の愛着スタイルを示したということです。(p38)
境界性パーソナリティ障害になる若者や成人の多くは、子どものころのC型と関係する「とらわれ型」、そして何より、D型と関係する「未解決型」を非常に高い割合で抱えていたのです。
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)によると、境界性パーソナリティ障害の人には、次のような親に対するイメージが認められるそうです。
自己中心的であれ権力的であれ、親がいた。それが失われたか、失われるという強い不安やおびえが根底にある。
見捨てられ不安が強い攻撃性を生み、親や周囲の人に向けられる。(p79)
すでに考えたとおり、子どもにおけるC型(抵抗型)や大人のとらわれ型は、過剰にかまう親の家庭で見られやすいタイプです。その特徴は親への執着と見捨てられ不安です。
より家庭環境が悪く、D型(無秩序型)、あるいは未解決型に発展した場合でも、境界性パーソナリティ障害になるような場合には、背後には愛してもらいたいのに愛してもらえないという苦悩があります。
もしかすると、さきほどの両極端の家庭環境の例でいうと、「良い親」のほうが突然いなくなったか、必要に答えてくれなかったかしたために、見捨てられ不安を抱えるようになったのかもしれません。
愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)によると、D型アタッチメントの子どもは、攻撃的になったり脅したりすることで親をコントロールして生き延びようとする戦略を示すことがあります。(p76)
境界性パーソナリティ障害の人は、他の人を理想化したかと思えば突然激しくこき下ろしたり、「死ぬ」と表明して周囲を脅したりします。
ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で述べるとおり、そのような両極端で激しく不安定な人間関係は、子どものころに身につけた生き延びるためのサバイバル戦略を引きずっているのです。
これらの患者たちには、家出したり逃れたりする選択肢がなかった。頼れる人もいなければ、身を隠す場所もなかった。
それでも彼らはどうにかして恐怖と絶望を処理せざるをえなかった。彼らはおそらく翌日も学校に行き、万事順調というふりをしようとしたのだろう。
境界性パーソナリティ障害者たちの問題(解離や、助けてもらえそうな人ならば誰にでもすがること)はおそらく、圧倒的な情動と逃れようのない残虐行為に対処する手立てとして始まったのであろうことに、ハーマンと私は気づいた。(p232)
解離性障害
境界性パーソナリティ障害(BPD)と同様、D型アタッチメントとの関連がよく知られているもう一つの病気として解離性障害があります。
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害にはこう書かれていました。
1991年には、Barach,P.M.M.がはじめて解離性同一性障害とD-アタッチメントの関連を示唆し、2003年にLyons-Ruth,K.によって、D-アタッチメント・タイプの幼児は解離性障害になるリスクが高いと指摘された。(p78)
D型が解離性障害のリスクとなることは何度も繰り返し報告されています。
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によると、近年では解離性障害は、性的虐待のようなトラウマ体験というより、無秩序型愛着の結果として生じる病であるとみなされるようになっています。
すなわち解離性障害とは、それが基本的に「愛着トラウマ」による障害のひとつと理解されることを常に念頭に置いておくべきなのである。(p15)
解離性障害を「幼児期の(性的)トラウマ」によるものとしてみるのではなく、愛着の障害としてみることのメリットは大きい。(p17)
むしろ、 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法が示すとおり、解離という症状は、幼い頃の無秩序型愛着なくしては生じないようです。
ライオンズ=ルースは、赤ん坊の誕生後二年間に母親が関与も同調もしないことと、その子供が成人したときに解離の症状を見せることとの間に、「顕著で意外な」関係があるのを発見した。(p200)
ライオンズ=ルースの研究から、解離は幼少期に学習されることが明らかになった。のちの虐待やその他のトラウマでは、若年成人に見られる解離の症状は説明がつかなかったのだ。
虐待やトラウマは、他の多くの問題のおもな原因だったが、慢性的な解離や自分に対する攻撃性の原因ではなかった。(p201)
同様の研究については、解離の舞台―症状構造と治療 の中でも触れられています。
ライオンズ=ルース(Lyons-Ruth 2003,2006)によれば、虐待や外傷などは後の解離症状を予想しなかったのに対し、幼児の18ヶ月における母親の混乱した感情的コミュニケーションは19歳における解離症状をかなり予想したという。
貧困、片親、母親の解離症状などとの関連は見出だせなかったという。(p139)
虐待は解離症状を悪化させる要因にはなりますが、解離症状そのものは、虐待やトラウマではなく、幼いころのD型アタッチメントなくしては生じないのです。解離はD型アタッチメントと共に「幼少期に学習」される防衛反応だといえます。
解離の舞台―症状構造と治療 によると、成人してから解離性障害を発症する場合でも、その起源は、幼いころの無秩序型愛着による潜在的な解離傾向にあるようです。
カールソンほか(Carlson et al.2009)によれば、早期幼児期において無秩序型愛着が見られてもその後の生活が標準的であれば、解離傾向は高くはなるがサブクリニカルな水準にとどまり、ストレス状態において解離的行動が表面化する潜在的素質を抱えることになる。
その後の生活において重度あるいは慢性的な外傷が見られ、かつそれに対する情緒的な援助がなければ、病的解離として発症する危険性は高くなる。(p139)
成人してからのトラウマ経験によって解離性障害が発症したとしても、そのときPTSDやうつ病や他のさまざまな精神疾患ではなく解離性障害になるのは、幼少期の無秩序型愛着による潜在的な解離傾向があったため、ということになります。
なぜ、無秩序型の子どもが、強い解離傾向を身に着けてしまうのか、小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ) はこう説明しています。
『ブレーンストーム(Brainstorm:The Power and Purpose of the Teenage Brain)』の著者で、対人関係神経生物学の分野でも活躍する児童精神科医のダン・シーゲルは、子どものジレンマを次のように説明している。
「親がトラウマの原因の場合、子どもの脳は『生き延びるためにこの人から逃げろ』と命じます。でも、その一方で『この人のところに逃げろーそれが生き延びるための方法だ』とも命じるのです。
脳の一部分が『母親のところへ行け』と言い、脳幹が『逃げろ』と言えば、それは解決不能な生物学上のパラドックスです」とシーゲル。この2つの回路が一緒に機能して結合しようとするが、不可能なので、子どもの頭が寸断されるのです」(p194)
すでに見たとおり、無秩序型の愛着は、予測できない無秩序な親のもとで育った結果生じるものです。子どもは、生き延びるために親に頼ればいいのか、それとも逃げるべきなのか混乱し、圧倒されます。
このとき頭の中では、本来同時に働くはずのない接近と回避の回路が、互いに干渉しあいます。解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合にはこう説明されていました。
この右脳の機能をわかりやすく表す言葉として、CANという概念がある。これはCNS-ANS limbic circuitsの省略形である。
ここでCNSとは中枢神経系Center Nervous Systemを、ANSは自律神経系Aitomatic Nervous Systemを意味している。Limbicは「辺縁系」だ。つまりCANとは「中枢神経-自律か神経-辺縁系」を結ぶサーキットのことだ。
…このCANにはさまざまな情報が入るが、それによりかなり柔軟な対応を見せ、交感、副交感神経は相互補完的に働く。ところがその柔軟性、流動性が失われてしまうのが、トラウマにおける反応である。
それはたとえばトラウマ状況にある母親の、一方での興奮と、他方での解離という情報を同時に得て両方向に引っ張られるという状況により生じる。それが極端になると、CANの中の連携がちぐはぐになり、子どもも解離を起こすいう。
つまり解離とはこのCAN内の齟齬、不調和という形をとるという。(p21)
簡単に要約すると、無秩序な親のもとで育った子どもは、CAN(中枢神経-自律神経-辺縁系)が、上向きと下向き同時に引っ張られてしまうので、処理できなくなってフリーズしてしまう、ということです。
その結果、「子どもの頭が寸断される」、つまり解離(切り離し)が生じてしまい、自分が自分でないように感じたり、現実感が失われたり、ときに人格が多重化したりするようになります。
注目すべきことに、すでに見たように、境界性パーソナリティ障害も無秩序型愛着の一つの結果でした。
しかし、同じ無秩序型の愛着を土台にしているとはいえ、解離性障害は、すでに見た境界性パーソナリティ障害とは成り立ちが大きく異なっています。
愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)には、要点がこう説明されています。
一般に、不安の強さは両価型と有意に関連し、意識や記憶が飛ぶといった解離症状は回避型や混乱型だった人にみられやすい。(p102)
つまり、同じD型(混乱型)であっても、境界性パーソナリティ障害ではC型(両価型)の傾向が強い人に生じるのに対し、解離性障害はA型(回避型)の傾向が強い人に生じやすいようです。
すでに考えたとおり、C型(抵抗型)とA型(回避型)は、正反対の行動パターンを見せます。
C型(抵抗型)は一人でいるのが不安で親に執着するのに対し、A型(回避型)は寂しさを感じず、親がいるかどうかは気にしません。
D型の人たちは、A型(回避型)とC型(抵抗型)両方の傾向を見せるため混乱し矛盾しているように見える、というのはこれまで見たとおりですが、やはりA型(回避型)とC型(抵抗型)は相反するものなので、人によってどちらの傾向が強く出るかは異なります。
解離性障害になるD型の人はA型(回避型)の傾向がより強く現れているようです。
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)には解離性障害の人の親のイメージについてこう説明されています。
現実において安心できる居場所がない。自分を守ってくれる親のイメージも希薄で、現実の世界で他者との関係にしがみつくことはなく、孤独のなかをさまよっている。(p79)
先ほどの境界性パーソナリティ障害になるD型の人たちの場合、親のイメージは歪んでいるとはいえ、少なくとも存在はしていました。だからこそ、愛されたいという強い思い、見捨てられることへの強い不安がうずまいていました。
ところが解離性障害の人たちの場合は、親に愛されたい、見捨てられたくない、という思いは希薄です。まるで親などいなかったかのようです。
愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)によると、D型アタッチメントの子どもの中には、子どもの方が親の相談相手になったり、親の顔色から「調子」を察し、機嫌を取ったりして生き延びる生存戦略を用いるようになる場合があるそうです。(p76)
先ほど見た、攻撃的な態度で親をコントロールしようとする生存戦略とは対照的です。
攻撃的な態度で親をコントロールする場合は、ヒステリックに泣き叫べば親は動いてくれるというかすかな期待が感じられます。
しかし自分を犠牲にして親に合わせ、機嫌をとる戦略にはあきらめが感じられます。もはや親に期待することは不可能なので、自分を押し殺して合わせるしかないという絶望感です。
そうしたあきらめは、成長したとき、人間全般に対する絶対的な不信として表れます。
身体の時間―“今”を生きるための精神病理学 (筑摩選書)には解離性障害の人の特徴について、こう書かれていました。
そこにあるのは、非常に根深い周囲への警戒である。それは「不信」と言い換えてもいいだろう。
目の前の他者に対しても、自分の所属する集団や社会に対しても、安心して向かい合い、身を委ねることができず、けっして本音は見せずに表面的な関わりに留める。(p96)
解離性障害に発展したD型の人は、それまで親や周囲の人の顔色をうかがって気を回してきたので、優しく気配りのできる「良い人」とみなされていることも少なくありません。気立ての良い明るい人と思われていることさえあります。
境界性パーソナリティ障害の人のように怒りにまかせて攻撃したり、激しい感情をぶつけたりすることもありません。むしろ相手が必要としているものを敏感に察して言葉や態度を同調させることさえできます。
しかしそれは裏を返せば、もう他人という存在に何かを期待することは諦めていて、いくら感情を表しても無駄だと達観していることの現れなのです。
他人を自己に従わせようとするどころか、その場その場に合わせた人格を創りだして対処する解離性同一性障害(DID)へと発展することもあります。
それはおそらく、無秩序型愛着の人が、子どものころから、場面ごとに無意識のうちに空気を読んで、A型、B型、C型というまったく異なる愛着パターンを使い分けてきた生存戦略の延長線にある終着点なのでしょう。
場面によって異なる別々の愛着パターンを示すという時点では、まだ一つの人格の多面性にすぎませんが、それらが青年期の過剰同調性に発展したり、青年期のイマジナリーコンパニオン(IC)のような別人格へ膨張したりすると、やがて解離が進むとともに、記憶さえも分かつ交代人格として分裂ないしは独立するのかもしれません。
▼PTSD傾向と解離傾向
解離性障害と境界性パーソナリティ障害は、同じD型であっても、A型が強いかC型が強いかの違いに由来しているようです。それは解離傾向が強いか、PTSD傾向が強いかという違いでもあります。詳しくはこちらをご覧ください。
発達性トラウマ障害(DTD)
D型アタッチメントのような歪んだ愛着と関連している病気は、決してこの2つだけではありません。
むしろ、もっとさまざまな病気、ありとあらゆる不定愁訴が歪んだ愛着と関連していると考えられています。
ヴァン・デア・コークは、無秩序型の愛着が心身に及ぼす影響について、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中でこう述べます。
赤ん坊のころに安心感を得られなかった子供は、成長しても気分や情動的反応を調節するのに苦労する。
幼稚園では、多くの無秩序型の幼児が攻撃的か、ぼうっとして人や物事に関与することをやめてしまっているかのどちらかで、やがてさまざまな精神医学的問題を起こす。
また、心拍数、心拍変動、ストレスホルモン反応、免疫性因子の低下といったかたちで、生理的ストレスを示す。
この種の生物学的調節不全は、子供が成熟したり、安全な環境に移されたりすると、自動的に正常に戻るのだろうか。
私たちの知るかぎりでは、そうはならない。(p104)
この説明が明らかにしているように、無秩序型の愛着の影響は、心身両面に及びます。
先ほど見たとおり、無秩序型の愛着によって生じる解離とは、単なる心理的な問題ではなく、脳のCAN(中枢神経-自律神経-辺縁系)の処理できない過負荷、そしてフリーズでした。
日常のあらゆる場面で、常に中枢神経や自律神経に過剰な負荷がかかっているとしたら、子どもの脳や体はどうして健全に成長していけるでしょうか。しかもその反応は、環境が変わったり、歳を重ねたりしても、正常には戻りません。
愛着がどのくらい歪んでいるかは、その人が育った環境がどれほど歪んでいたかによりますが、土台が傾いていていればいるほどその上の建物が倒壊するのも早くなります。
虐待など異常な家庭環境で育った子どもたちが、人生の初期から、ありとあらゆる心身の不調に見舞われる現象は、ヴァン・デア・コークによって、「発達性トラウマ障害」と名づけられています。
いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると、こう説明されています。
被虐待児たちは、PTSD、反応性愛着障害、不安障害、素行障害、反抗挑戦性障害、解離性障害、うつ病を主とする気分障害などのさまざまな疾患を呈することがわかってきた。
…van der Kolk(ヴァン・ダー・コーク)は、被虐待児の臨床像の推移を「発達性トラウマ障害」という呼称で表現している。(p138)
幼いころの愛着の傷や慢性的なトラウマ体験は、単に精神的な悪影響を及ぼすのみならず、子どもの脳の発達そのものに影響を及ぼすという考え方です。
そのため、愛着障害をはじめ、発達性トラウマ障害の子どもたちは、従来の先天性の発達障害(自閉症やADHD)に似た症状を示すだけでなく、むしろそれよりさらに悪い発達の問題を招きます。
その結果として、脳が正常に機能せず、人生の早い段階から、不安障害や非行、うつ病のような様々な心身の不調を抱えるようになります。
ヴァン・デア・コークの著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法では、D型アタッチメントを持つ子どもが、その後の人生でさらにトラウマ経験を自ら抱え込みやすいことも指摘されています。
心の中で安心を感じていなければ、安全と危険を区別するのは難しい。人は慢性的に麻痺状態であるように感じていたら、むしろ潜在的に危険な状況にあるときに、生き生きとした気分になるかもしれない。
自分はひどい人間に違いない(そうでなければ、親が自分をあのような目に遭わせるだろうか)という結論を下したら、他者にひどい扱いを受けるのは当たり前だと思い始める。
おそらく自分はそういう扱いに値するのであり、どのみち自分には手の打ちようがないのだ。
無秩序型の人がこのような自己認識を持っているときには、その後の経験でトラウマを負うお膳立てができていると言える。(p197)
幼い時期にD型のアタッチメントを身に付けてしまった人は、その異常な状態が日常と感じられるせいで、自らトラウマとなるような危険な状況へと飛び込んでいき、さらに多くのトラウマを抱え込んで、発達性トラウマ障害(DTD)へと発展していくのです。
生態的表現型
子どものPTSD 診断と治療によると、これら様々な病気や脳の発達異常の下地に子ども時代の不安定な愛着やトラウマがあるという考えは、「生態的表現型」という呼び名で区分されているそうです。
最近では、被虐待経験者にみられる疾患は、「生態的表現型(ecophenotype)」と呼ばれている。
発症年齢の低さ、経過の悪さ、多重診断数の多さ、そして初期治療への反応の鈍さがみられる。(p100)
この考えは、虐待の脳科学の専門家、ハーバード大学医学部のマーチン・H・タイチャーによるものです。
タイチャーは、幼少期の逆境体験や不適切な養育経験を診断時にグループ化し、そのグループを「生態的表現型」と呼んで治療にあたることを提案しています。
Childhood maltreatment and psychopathology: A case for ecophenotypic variants as clinically and neurobiologically distinct subtypes. – PubMed – NCBI
「生態的表現型」のグループに属する患者たちは、同じ精神科にかかる患者の中でも、発症年齢が若く、初期治療への堪能が鈍く、しかもありとあらゆる症状が出るため、さまざまな病名で多重診断されがちです。
実際に、子ども時代の慢性的なトラウマ経験による症状は、うつ病、統合失調症、双極性障害II型などと見分けにくいため誤って多重診断されていて、治療の効果が出ずに長引いている例が少なくないそうです。
表面的な症状がたとえ双極II型や統合失調症のように見えても、その人が「生態的表現型」であるなら、単純な薬物療法による治療では改善できません。
あらかじめ「生態的表現型」かどうか特定することで、トラウマ処理や解離の治療など、適切な治療を施せるようになり、治療の経過がよくなるかもしれません。
これらの点について詳しくは、「発達性トラウマ障害」の特徴について詳しく書いた別の記事にまとめています。
幼少期のトラウマが、思春期や成人後の多種多様な病気の引き金となることは、17000人以上の参加者を対象に行われたACE研究という大規模な調査で確かめられています。
「無秩序型愛着」に呪われた人たち
最後に、このようなD型(無秩序型)アタッチメント、そしてそれに起因するさまざまな問題に苦しめられたと思われる人たちの例をみていきましょう。
D型アタッチメントが引き起こすさまざまな心身の問題は、すでにみたとおり、子ども時代の悲惨な環境と関連しています。
悲惨な環境の度合いは、複雑で混乱した親子関係といったレベルから、命に関わる虐待までさまざまですが、いずれの場合も程度の差こそあれ愛着の歪みにつながります。
大人になってからは、非常に悩ましい性格気質を示すとともに、「生態的表現型」として、多種多様な症状を示すため、いったい何の病気だったのか疑問に思われているケースがしばしばです。
そのような人たちの例として、ここでは、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介、ヴァージニア・ウルフの4人を取り上げたいと思います。
夏目漱石
夏目漱石は、さまざまな精神疾患に似た症状や体の慢性的な不調を抱えていたことがわかっていて、神経衰弱、統合失調症、うつ病、双極性障害など、後世の研究者たちから様々な多重診断がくだされています。
しかし、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)では、その原因としてD型アタッチメントによる愛着障害が関わっていたと推測されています。
漱石の精神疾患をめぐっては、これまでも諸説あったが、愛着障害と考えると、漱石を苦しめた症状を過不足なく説明できるだろう。
ベースは回避型であろうが、愛着不安も強いところがあり、恐れ・回避型と言うこともできるだろう。(p258)
夏目漱石の生い立ちを見ると、望まれない子どもとして生まれ、いきなり里子に出されて、養子として偏愛され、しかも養父母がいがみあい、実家に送り返されるという、明らかに異常で悲惨な子ども時代を過ごしたようです。
このような環境で愛着が正常に発達することは考えられないので、典型的なD型(無秩序型)の愛着を抱えた人物だったと思われます。
その後の人生を見ても、「坊っちゃん」の形をとって告白されている子どものころのADHD傾向は愛着障害によるものだったと考えられますし、双極性障害や統合失調症とみなされてきた気分の浮き沈みや幻聴は解離傾向だったのでしょう。
漱石はD型と言っても、A型(回避型)の傾向が強く出るタイプだったので、幻聴、幻覚、リアルな夢など解離的な症状を色々と経験したようです。
生誕150年の夏目漱石は、疱瘡、PTSD、パニック障害、糖尿病、胃潰瘍など病魔と苦闘した49年!|健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレス/HEALTH PRESS
太宰治
太宰治は、ADHDだったと言われることもありますが、現在では、典型的な境界性パーソナリティ障害だったのだろうということで大方の一致をみているようです。
そもそも、愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)の中で、ADHDの遺伝的傾向を持つ人はD型アタッチメントになりやすく、境界性パーソナリティ障害にも発展しやすいと言われています。(p130)
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)にはこう書かれています。
太宰治もまた、愛着障害を抱えた人ゆえの苦しみを嘗め、それを創作にぶつけたが、ついに克服しきれなかったと言えるだろう。
愛着障害から境界性パーソナリティ障害へと移行していく場合、その人が何を体験するのか、太宰のケースは、その精神内部のドラマを、鮮やかに明らかにしてくれる稀有の一例である。(p75)
太宰治は生まれてすぐに乳母に預けられましたが、幸いにも愛情をかけて育てられました。しかしある朝突然、乳母が他国に嫁いでしまい、いなくなってしまいました。
境界性パーソナリティ障害になるタイプは、親は存在していたものの、何らかの事情で見捨てられたと感じ、愛してもらいたい思いと、見捨てられたくない不安が刻まれていることはすでに見たとおりです。太宰治の生い立ちはその典型でした。
太宰治は、D型アタッチメントの中でもC型(抵抗型)の傾向が強く、見捨てられ不安にさいなまれていたので、不安定で激しい人間関係を送りました。
次々と愛人を作り、何度も自殺未遂を繰り返し、最後には「人間失格」を著して、本当に死んでしまった太宰治の人生は、愛されたいのに愛してもらえないという愛着障害の呪いを物語っています。
芥川龍之介
芥川龍之介も、さまざまな体調不良に悩まされましたが、一般に統合失調症とみなされています。
芸術療法 (補完・代替医療)という本では、芥川龍之介は「統合失調症に罹患した代表的な芸術家」であると説明されていますが、同時にこうも書かれています。
芥川の母親は彼を出産した後、間もなく統合失調症を発病した。このため芥川は母親の姉妹などに養育され、このことがエリクソンのいう基本的信頼感の獲得を困難にしたと考えられている。(p11)
統合失調症かどうかはさておき、注目に値するのは、彼が生後1年も経たないころに母親から引き離され、基本的信頼感を獲得せずに育ったと見られていることです。これは愛着の問題が生じたことを物語っています。
また、彼の症状については、やはり夏目漱石と同様の「神経衰弱」が学生のころからみられたとされています。そして比較的健康そうな時期の小説「老婆」「影」「奇妙な再会」には幻視や幻聴などを思わせる文章が多くみられるともあります。
最終的に彼は35歳の若さで自殺をとげますが、その背景についてはこう書かれています。
芥川はその遺書に「将来への漠然たる不安」と書き、35歳で服薬自殺を遂げた。
福島は芥川龍之介は統合失調症を発症しても健康な自我機能が残存しており、来るべき人格の解体を予見したと考察している。
…若い時期から神経衰弱の症状や不眠に悩み続け、作品に統合失調症の病的体験が描かれていることから、内因性の病的過程が不完全な形で活動していたと推定している。(p12)
このように芥川龍之介の疾患は統合失調症の前駆期、あるいは初期統合失調症とみなされています。
しかし、解離性障害の専門家の柴山雅俊先生が解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論で書いているとおり、従来、初期統合失調症とみなされていた病態は解離性障害であることが多く、幻視が多い、妄想を妄想だと自覚しているなどの違いが見られます。
統合失調症の数学者ジョン・ナッシュに関する伝記ビューティフル・マインド: 天才数学者の絶望と奇跡 (新潮文庫)などからもわかるとおり、統合失調症はひとたび発症すれば、回復しないかぎり論理的な構成が求められる学問は不可能な状態になります。
死ぬ間際に見事な完成度と客観的視野を示した作品「河童」を書いた芥川龍之介は統合失調症とみなすにはあまりにも例外的です。
幼い時期の母との離別、若いころから症状が出たこと、統合失調症のような症状を含みながら、神経衰弱や睡眠障害など多彩な症状に苦しめられたことからすると、芥川龍之介は、「生態的表現型」だった可能性が大いにあります。
ヴァージニア・ウルフ
イギリスの女性作家ヴァージニア・ウルフは、原因不明の病に悩まされ、最終的には入水自殺を遂げ、双極性障害などの可能性がしばしば指摘されています。
ある作家の日記 [新装版]によると、確かにヴァージニア・ウルフは独特な性格をしていたようで、単なるうつ病でなかったことは明らかです。
たとえば本書を読むと、ヴァージニアという人は、憂うつな気分と闘いながら創作をしていた人、という印象をうける。
それもたしかに彼女の大きな一面なのだが、生前の彼女を知っていた親類や知己の人びとは、たいてい彼女のことを陽気な、機知に富んだ、社交的な人であったと証言している。
…彼女が人に対する好き嫌いが烈しかったこと、心を許す人びととの間にあるときだけ、きらめくような才智あふれる会話をし、聞く者を別世界へ連れて行くような空想力を発揮し、自らも天真爛漫な笑いに身を委ねることが多かったことは人びとの認めるところである。(p522)
確かにヴァージニア・ウルフの病気には、躁うつ病と思われる一面があり、社交的で想像力豊かだったことがわかります。
しかし同時に、人に対する好き嫌いが激しい、言い換えれば人をなかなか信頼できず、一部の人々にのみ心開いて自分を出していたともされています。接近と回避が共存している人によくある特徴です。
またヴァージニア・ウルフの症状には、拒食症、幻覚、妄想といった双極性障害らしからぬものも含まれていたようです。(p522)
そして自殺の原因も「また声がきこえ気が狂って行くのがわかる。集中できない」ことだと遺書に書いていて、幻聴の存在が示唆されています。(p528)
これらは双極性障害より統合失調症を思わせる症状ですが、ヴァージニア・ウルフは死ぬまで正常な思考力を保っていましたし、遺書でも残された人に配慮を示しています。
ヴァージニア・ウルフの生い立ちをみると、彼女は父と母の連れ子が同居しているステップファミリーの結婚後第三子として生まれました。
子どものころから過敏で激しくとっぴなことをする性格で、兄弟たちから「ゴート(やぎ)」とやゆされたようです。これは、ADHD気質ともみなせますが、この混乱した家庭環境からくるD型アタッチメントの愛着障害だった可能性があります。
そして6歳から23歳までの期間、母の連れ子の義兄にひそかに性的虐待を受けていました。ごく幼い時期から慢性的なトラウマにさらされ、しかも親に打ち明けられないでいたのです。
しかも悩みを相談できないまま母が13歳のときに死んでしまい、その数カ月後から、生涯悩まされるさまざまな精神症状が現れたそうです。(p526)
こうしたさまざまな情報を照らし合わせるに、ヴァージニア・ウルフを苦しめた病気は、幼いころの歪んだ愛着から続く「生態的表現型」だったのかもしれません。
箱の底に希望は残されているか
幼いころの歪んだ愛着やトラウマという呪いが、その後の人生に絡みつき、様々な災厄をもたらしたと思われるこれら4人の例は、いかに問題が深刻かを指し示しています。
ここで挙げた4人がすべて、本当にD型アタッチメントの結果としてこのような人生を歩み、多種多様な症状に苦しめられたのかは定かではありません。
しかし4人が共通して示している人間関係の不安定さ、双極II型のような浮き沈み、若いころからの神経衰弱とも言われるさまざまな心身症状、そして解離症状と思われる幻覚などは、「生態的表現型」らしき特徴を兼ね備えています。
今回挙げた4人のうち3人は自殺してしまいました。それはあたかも斜めに傾いた土台の上に建てた人生という建物が、高く人生を積み重ねるにつれ、重みとひずみに耐え切れなくなり、倒壊してしまったかのようでした。
もし幼いころのD型アタッチメントというカギがパンドラの箱のフタを開け、ありとあらゆる災いを解き放つものだとしたら、箱の底に希望は残されているのでしょうか。
幼いうちに愛着を修復する
先日のNHKおはよう日本では、子どもの愛着障害の治療が取り上げられていました。
この特集では、生まれて1週間で実の母親によって乳児院にあずけられ、1歳半で養子となった男の子の愛着障害が取材されていました。
そして愛着障害と修復的愛着療法―児童虐待への対応 の著者テリー・M・リヴィ―博士が考案した修復的愛着療法による治療の取り組みが紹介されていました。
家族の苦悩にどう向き合う|特集ダイジェスト|NHKニュース おはよう日本
30年以上にわたり、アメリカで愛着障害に悩む家族の対応にあたってきました。
海外からも、リヴィー博士を頼る家族は絶えず、これまでに1,000を超える家族の問題を解決してきました。
近年、愛着障害の存在は世の中にも知られるようになってきており、治療プログラムの開発も進んでいます。
幼いころに愛着の歪みに気づき、斜めに傾いている土台を正常に修復することができれば、上に積み上げる人生が崩れ落ちるのを未然に防げるでしょう。
ネグレクトのような劣悪な環境で育った場合でも、早期に対処できれば、不安定な愛着を修復できることがわかっています。
成人してから獲得型の愛着を目指す
成長してから問題に気づいた場合はどうでしょうか。その場合は、単なる愛着のゆがみにとどまらず、「発達性トラウマ障害」などのさまざまな症状に発展しているかもしれません。
解離性障害や境界性パーソナリティ障害に進んだ場合、より修復が難しくなりますが、近年では、マインドフルネスを取り入れた弁証法的行動療法(DBT)や、アダルトチルドレン向けのセラピーなども行われていますから、真剣に取り組むことで、少しずつでも傾きを修正していくことは可能かもしれません。
発達性トラウマ障害など多様な心身症状に対する薬物療法も、徐々に研究が進み、効果的な処方が発見されてきているようです。
ヴァン・デア・コークによる身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法では、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)、ニューロフィードバック、ヨーガ(トラウマ・センシティブ・ヨーガ)、演劇、内的家族システム療法(IFS)、ソマティック・エクスペリエンス(SE)、ペッソ・ボイデン・システム精神運動療法(PBSP)の実践的な事例が載せられています。
幼少期に不安定な愛着しか育めなかった人が、愛情深い家庭で自然に身につくような愛着を育てることはもはや難しいかもしれません。
それでも、ネイティブとして安定型の愛着は身につけられなくとも、あたかも第二言語を学ぶようにして獲得型の愛着を習得することは不可能ではありません。
創造性を活かす
注目に値するのは、今回紹介した4人の例がいずれも感性豊かで独創的な創作に長けた作家であったことです。4人はいずれも高名な小説家ですし、夏目漱石や太宰治は画才にも長けていたそうで、優れた絵も残されています。
今回紹介した4人の作家がたまたまD型アタッチメントらしき特徴を示していて、同時に鋭い芸術的感性を備えていたのかというとそうではないようです。
むしろ、小説家、詩人、画家など、芸術の分野には、幼少期の心の傷や不安定な愛着を抱えていると思われる人が不思議なほど多いのです。
創造力の不思議―アイデアは脳のどこからやってくるのかという本には、こう書かれていました。
科学的な分野ではさほどでもないが、とりわけ芸術の分野では、幼くして親を亡くすといった幼児期の心の傷が創造力の発達に有利に働くことがある。
このような現象のうち最も説得力があるのは、トラウマを受けた幼児の中で内省的な側面が大きく成長し、例えば芸術的な言葉に信頼を寄せることで、それが過去の悲しい感情を美化する経路になるという考え方である。(p38)
そのあたりのことは、このブログの過去の記事でも紹介しました。
異常な家庭で育つなど、幼少期にトラウマを受けた人は、他の子どもが天真爛漫に過ごしている時期から、さまざまな思考を巡らすようになる場合があります。
それは普通ではありえないような悩みを何とか癒やし、生き抜こうとする努力です。それはある種の「心的外傷後成長」(PTG)をもたらすこともあるでしょう。
子どものPTSD 診断と治療にもこう書かれていました。
有名なアーティストや文学者などを見てみると、そういう人たちの多くが、自分の傷つきをクリエイティブなかたちで発信していることがよくわかります。
…傷が残ったとしても、それを成長の中に活かすポストトラウマティックグロース(トラウマ後の成長)という捉え方もあります。
傷があるからこそ、もたらされる豊かさや創造性、文化もあります。(p68)
ヴァン・デア・コークもまた、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、こう述べています。
モンテ・クリスト伯さながら、まるで残りの人生を地下牢で過ごすことを宣告されたかのように、自分は双極性障害「である」、境界性パーソナリティ障害「である」、あるいはPTSDを「負っている」と言う患者に、私は数えきれないほど出会ってきた。
だが、これらの診断のうち、私たちの患者の多くが生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギーを考慮に入れているものは一つもない。(p228)
苦しみながら得た内的世界の深みや、敏感な感受性は、「生き延びるために発達させる並外れた才能」や「奮い起こした創造的なエネルギー」として、芸術の世界では有利に働くことさえあります。
複雑な内面の苦悩を、芸術的表現という形で昇華することは、D型アタッチメントの人が抱える、さまざまな苦痛を和らげるものにもなります。
創作を通して愛着の傷を克服しようと苦闘しつつ人生の半ばで命を絶ってしまった芸術家がいる一方で、創作を生涯の友として、苦悩の中でも人生をまっとうできた芸術家もまた少なくありません。
夏目漱石は、人への恐れを抱えていましたが、創作を通して大切な友人を作ることができ、まめに手紙をやりとりしていたそうです。
先日ブログの記事で取り上げたオリヴァー・サックスも、自身に愛着の問題があり、人を信頼するのが難しいということを吐露していましたが、それを「独創的な孤独癖」として活かし、本当に心を許せる人を見つけたら、筆まめに手紙を書いていました。
壮絶な解離性同一性障害から回復を遂げたオルガ・トゥルヒーヨは、自身が過酷な幼少期を生き延びるために身に着けた解離という手法そのものが、創造的な生存戦略だったと述べています。
異常な家庭環境で育ったことによるD型アタッチメント、無秩序型愛着パターンは、多くの場合、その後の人生にも暗い影を落とし、さまざまな問題を生じさせます。
成人になってから問題に気づいた場合、おそらくはすでに様々な症状に波及していて、その呪いを完全に解くには手遅れであり、複雑な葛藤や悩みを抱える人生は避けられないでしょう。
それでも、呪われた人生を受け入れ、それゆえに他の人にはない感性や強さが自分には備わっていることに気づくとき、あらゆる災いが飛び出した後で、最後にパンドラの箱の底に残った、かすかに輝く希望のかけらを見つけることができるのかもしれません。