このブログでは「解離」という現象についてさまざまな観点から扱ってきました。
「解離」というと、解離性同一性障害(いわゆる多重人格)などが有名なので、自分には縁遠い現象だと考えている人が多いかと思います。でも、決してそうではありません。
近年、「解離」はトラウマ被害者だけに関わる現象ではなく、わたしたち人間、それどころかほとんどの動物が経験する、とても普遍的な生物学的現象であることが解明されてきました。
トラウマ経験に限らず、ストレスの多い環境のせいであれ、はたまた身体的疾患や、交通事故の後遺症のせいであれ、感覚刺激が過剰になる人はだれでも「解離」を頻繁に経験しています。
解離という概念を知らなければ説明しようがない現象はとても多くあります。特に発達障害やアダルトチルドレンの当事者が解離という概念について知らずにいるのはもったいないと思います。
この記事では、ブログで扱ってきた「解離」についての話題を、Q&A形式に整理して、参考資料をまとめました。より詳しい記事に飛べるリンク集にもなっています。
Q1 解離とは何なのか?
A.解離とは感覚遮断です
解離は、感覚刺激が強すぎて処理できないときに自動的に生じる感覚遮断(感覚の切り離し)です。
脳に備わる「防衛機制」と呼ばれる保護システムの一つです。
いわば脳に備わるブレーカーのようなもので、過剰な刺激に圧倒されないようシャットダウンをかけることで脳を保護します。
参考資料
脳は奇跡を起こす
人には防衛機制が備わっている。耐えがたいほどの辛い考えや感情、思い出を、意識から隠してしまう反応パターンだ。
防衛機制のひとつに、解離がある。自分にとって危険な考えや感情を、ほかの精神から切り離すことで防衛するのだ。(p275)
トラウマをヨーガで克服する
過覚醒は、〈耐性の窓〉を超えた強烈な感情的経験であり、麻痺と解離は〈耐性の窓〉を超えた、感情的経験の遮断である。(P147)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
シャットダウンおよび解離状態にある人は、いくら懸命に試みても現実の今ここでの接触を行うことがほぼ不可能であるため、「自らのからだの中に」存在していない。(p134)
「極限を超えた」状況のこの最終段階で、臨界点に達してしまう。…パブロフはこのシャットダウンは神経系の過負荷に対する生物学的な防衛であると信じていた(p292)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
硬直反応は、生き残りのための機能と痛みを鎮める効果を持つだけでなく、神経系のブレーカーとして重要な役割を果たしています。
硬直反応なしには、人間は深刻な危機的状況における激しい動揺を、エネルギーの過重負担の危険を冒すことなく生き延びることはできないでしょう。(p126)
※「硬直反応」とは、生物学的な「凍りつき」反応のこと。後で考えるように、解離は生物学的には凍りつきとほぼ同義。
9つの脳の不思議な物語
離人症は明確なきっかけがなく急に現れることもあれば、強いストレスや子供時代のトラウマ的な出来事の後に現れることもある。
これは極端な危険に直面したときに、現実に起こっている出来事と自分自身のつながりを断つことで、その出来事のストレスから自分を切り離す防衛機制だという説もある。(p210-211)
※後で考えるように離人症は解離の代表的な症状のひとつ。
解離は生物学的な防衛反応です。
精神的なストレスであれ、身体的なストレスであれ、過剰すぎる刺激にさらされると、心身の別なく働きます。
続く部分でも解説しますが、解離症状には そもそも心身の区別がないので、解離は単なる「精神疾患」や「メンタルヘルスの問題」ではありません。
解離について知るには、心と身体を分けて扱う古い考え方を捨てる必要があります。
現代の脳科学では、もはやデカルトの心身二元論による、身体と心を別のものとしてとらえるアプローチは、時代遅れで非科学的だとされています。
参考資料
身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価
人は昔からなんとなく、心とからだを分けることはできないと感じてきた。
ところが、世の中の近代化とともに不幸な分離がもたらされてしまった。私たちがひとつの全体的な存在と感じていることと、頭で考えて真実だと思うことが食い違ってきた。
このふたつの知識のうち、より限定的な後者が勝利をおさめることが多いのは非常に残念なことである。(p iii)
不登校外来ー眠育から不登校病態を理解する
“こころの問題”とはどのような問題であろうか。こころはどこにあり、どのように不登校と関連してるのだろうか。こころの持ち様は変えられるのであろうか。
何もかも曖昧で、明確な方向性を示すことができない医療現場の“逃げ口上”ともいえる。
不登校で苦しむ彼らを医学生理学的に明確に評価する方法を持たない医療は、漠然としてとりとめのない無責任な言葉“こころ”に逃げ道を求めたにすぎないのではないか。
現代の医療レベルの発展を考えるとき、医療に従事する者が“こころの問題”などと逃げること自体が許されないことだと考えている。(p12)
※不登校の子どもにも解離の当事者はとても多い。不登校は心の問題とされがちだが、心身両面が関係する生物学的な問題だとみなすほうが理にかなっている。
脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線
神経科学者は、19世紀と20世紀を通じて身体と脳領域のマッピングを行ってきた。だが、脳のマッピングを調査するうちに生じる問題は、「すべての行動の起源は脳にある」と見なすようになることだ。
神経科学者のなかには、脳をあたかも身体から切り離された器官であるかのごとくとらえる者や、身体は脳の付属感であり、脳をサポートする下部構造にすぎないと主張する者さえ現れた。
しかしこの「脳=帝王」という見方は、正しくない。…身体はニューロンに満ち、内臓だけでもその数は一億に達する。
脳が身体から切り離され、頭蓋内に閉じ込められているのは、解剖学の教科書のなかだけにすぎない。(p19-20)
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳
たいていどこの国でも、「精神病」は狂気と同義語だ。患者はそういう烙印を押されてしまう。ガン患者は同情を集めるのに、精神病患者は恐怖心を呼び起こす。
…精神を身体より上に位置づけていることも、恐怖を感じる理由のひとつだろう。それはある意味でデカルトのせいだ。彼は「我思う、ゆえに我あり」で二元論の形を定め、身体と精神を分けてしまった。
でもデカルトひとりが悪いのでもない。私たちは精神と身体が別個のもので、精神が身体をコントロールしていると直感的に思っている。だから身体ではなく精神が病むことを恐れるのも無理はない。
…それでも精神病を神経心理学的な視点から見ていくと、身体と精神の二分法は誤りであり、誤解を生じさせることがよくわかる。
自己感覚を構成するさまざまな側面は脳にある。もしくは精神に属するものだとふつうは思われているが、実は身体とも密接に結びついているのだ。(p312-313)
小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)
さらに変革を妨げているのは、身体疾患と精神疾患の成人向けの薬が依然として異なる分類に属していることだ。
「医療行為の行い方」にACE研究を利用するには、従来の医療における「身体」と「精神」「心理」のあいだの壁を撤廃することが必要となる。
といっても一筋縄ではいかないだろう。内科医は手で触れられるもの、目に見えるもの、顕微鏡やスキャンで検査できるものだけを扱うように訓練されてきたからだ。
だが、現在では小児期の体験が脳の遺伝子に変化を及ぼすという科学的根拠があるため、もはや境界線を引くことはできない。
小児期の逆境が心身の健康を損ない、学習障害、心疾患、自己免疫疾患、うつ病、肥満、自殺、薬物乱用、対人関係の破綻、暴力、不十分な子育て、早死にのリスクを高めることは、数えきれないほどの研究で証明されている。(p312)
脳は奇跡を起こす
こうした実験結果は喜ばしいだけではない。フランスの哲学者、ルネ・デカルトが提唱した心身二元論は、精神と脳はまったく別ものであり、べつの法則によって支配されているとした。
この理論から生じた混乱は数世紀続いてきたが、それがくつがえされることになったのである。
…デカルトの説では、実体のない精神が実体のある脳にどのような影響を及ぼすのか、納得のいく説明ができなかった。それなのに、彼の心身二元論は400年ものあいだ科学の世界を支配してきた。(p252)
Q2 解離はとても珍しい病気?
A.だれでも知らず知らず経験しています
どの家庭にもブレーカーが備わっているように、すべての人に解離が備わっています。
そして、過剰な刺激にさらされると、だれもが解離による保護を経験します。
解離は無意識のうちに自動的に起きるので、あまりに生活に溶け込んでいて、ほとんどの人は気づかないか、別の表現を使って説明しています。
しかし、絶え間なく過剰な刺激にさらされると、常にブレーカーが落ちたまま、感覚が切り離されたままになり、慢性的な解離という病的状態になります。
参考資料
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
幼少期に繰り返しトラウマを受けた人は、この世に存在しやすくするための方法としてしばしば解離を身に着けます。
彼らは常にたやすく解離し、しかもそれに気づいていません。
習慣的に解離しない人でも、覚醒したり、不快なトラウマのイメージや感覚を持ちそうになると解離します。
どちらの場合でも解離は、未解放の過覚醒エネルギーを私たちが完全に体験せずにすむという点で貴重な役割を果たしています。(p160)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
トラウマに苦しむ人は慢性的解離の世界で生きている。からだから切り離されたこの永久的な状態は、方向感覚を見失わせ、今ここ、とのつながりを奪う。
しかしながら先に述べたように、トラウマを生き延びた人だけがからだから切り離されているのではない。
軽度のからだとこころの分離は現代文化に浸透していて、私たちすべてに大なり小なり影響を及ぼしているのである。(p419)
Q3 解離にはどんな症状があるの?
A.日常的な現象から、一般に超常現象と誤解されているような体験、さらには強い身体症状までさまざまです
以下のさまざまな現象は、ひとつひとつを見ればまったく無関係に思えるかもしれません。
しかし、どれも過剰になりすぎた感覚刺激や、耐えがたい感覚刺激を切り離すことで生じている、という共通点に注目してください。
参考資料
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
解離は、ここで紹介したようにさまざまな方法で起こりますが、共通しているのは、身体や体験(の一部)と人との間の根本的な断絶です。考えられる断絶は以下の通りです。
1 意識と身体
2 頭や手足など身体のいち部分と、残りの身体
3 自己と感情、思考、または感覚
4 自己と出来事の一部または全体の記憶 (p162-163)
■日常的な解離
子どものころはまだ感覚が十分に統合されていないので、さまざまな解離現象を経験します。
感覚が敏感な子は、過剰な刺激にさらされると、まわりで起きていることを切り離して、ぼーっとして自分の空想の世界にこもります。過剰すぎる外部からの刺激をシャットダウンしている状態です。
創造的な作家の中には、軽度の解離による空想傾向を活用して創作している人も少なくないと考えられます。時間を忘れて没頭できるのも、健常な解離です。
無意識のうちにカギをどこかに置いて場所が思い出せないとか、ぼーっと運転して帰宅したので、道中のことを覚えていないといった現象も日常的な弱い解離の一種です。
参考資料
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
解離を定義する最良の方法は、実際に体験してみることです。
解離の最も穏やかな形は、ある種のゆめごこち状態であり、最も深刻な場合は、いわゆる多重人格症候群として表れることもあります。
…解離ではほとんどいつも時間と知覚のゆがみが起こります。
近くの店から運転して帰ってくるときに、どのように帰宅したかまったく覚えていないのに気づいたらもう家に着いていた―最後に覚えているのは、店から車で出るところだった―という誰にでもあるような体験は、軽度の解離が原因です。
カギをどこかに置いたはずなのに、それがどこだったか思い出せないというのも解離の働きです。(p159)
上の空になることや忘れっぽさが解離からくる症状であることは明らかです。(p163)
私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて
解離は自然な精神過程であり、結果として、思考のある側面を分離する。それは経験と症状が結びついて起こる。
白昼夢を見たり、映画や本に夢中になって時間を忘れたり、無意識に家に向かったりという具合に。
わたしたちのほとんどは日常生活において軽度の解離を経験する。これらの解離症状の裏にはすべて軽い記憶喪失がある。(p14)
子どもにはありがちなことで、鋭い身体的・精神的苦痛、またはそういう苦痛が起こりそうな不安に対する、きわめて効果的な防御として解離が使われている。(p15)
9つの脳の不思議な物語
特に強いストレスに晒されたときや疲れ切ったときなどに、短いあいだ離人症状を経験することは、一般的によくあることだ。
例えば時差ぼけや二日酔いのときにぼうっとしたりするのは、一過性の離人症だともいえる。エクスタシーなどのドラッグにはこうした感覚を生じさせるものもある。(p210)
■突然の危機で生じる解離
恥ずかしさに耐えられず頭が真っ白になったり、カッとなって突然キレたりするのも解離です。
これは、過剰な刺激によって交感神経系が高ぶりすぎて、意識のブレーカーが落ちることによるものです。
交通事故や犯罪被害などで、心理的どころか、生存にかかわるすべてが脅かされると、痛みや恐怖から全身の感覚が遮断されます。
そのとき、一時的に恐怖心が麻痺したり、すべてがスローモーションで見えたりする感覚の変容が起こります。
また、身動きが取れない金縛り状態(生物学的には後で説明する「凍りつき」状態)になることがあります。
このとき、脳が身体の感覚がもたらす位置情報を取得できなくなるので、感覚の統合が混乱し、体外離脱として知られている浮遊感が生じ、あたかも自分を第三者の立場から傍観しているような幻覚が生じます。
金縛り、幽体離脱、走馬灯といったオカルト体験は、解離による感覚遮断という概念を用いれば、生物学的に説明することが可能です。
特定の脳の領域が関わっている一種の解離現象であることが確かめられています。
参考資料
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
前に述べたように子どもの虐待のサバイバーや交通事故の被害者、トラウマを受けた兵士は頻繁に二次的な解離に苦しめられる。すなわち観察する自我と経験する自我の解離である(Fromm,1965)。
トラウマを受けた被害者は時間や場所や人についての経験がしばしば変化することを報告している。それは起きている出来事が非現実であるような感覚を与えるものである。
すなわち、トラウマとなる出来事の最中の解離では時間感覚が変化する。時間の流れがゆっくりになったり、あるいは加速されたりして経験される。
多くの被害者が離人体験、体外離脱体験(out-of-body experience)、困惑状態や錯乱、失見当識、痛覚の変化、ボディイメージの変化、トンネル視野や直接の解離体験を経験する。(p370)
色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記
パイロットは必死で機体が横滑りするのを抑えたが、飛行機は着陸点を通り過ぎて走り続け、すんでのところで滑走路を飛び出しそうになった。
パイロットが操縦桿を力いっぱい回すと、幸運も手伝ってか、ようやく機体は回転して止まった。あと6インチほどオーバーランしたら、まちがいなくラグーンに突っ込んでいたことだろう。
…クヌートとボブの顔からはすっかり血の気が引いていた。パイロット自身も青い顔をしている。三人とも、飛行機ごと海に沈み、脱出しようともがき苦しむ自分の姿を脳裏に思い浮かべていたに違いない。
私はというと奇妙に落ち着いていて、リーフで死ぬのもロマンティックでいいものだろうな、と考えていたとき、突然猛烈な吐き気が込み上げてきたのだった。
あの恐怖の中でさえ、不思議と私の耳には笑いさざめく声が聞こえ、ブレーキのすさまじい音がまるで違う世界のことのように遠くに感じられていた。…島に降り立った最初の数秒はまるでストップモーションのようにゆっくりと過ぎていった。(p56-57)
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳
ほどなくして陣痛が始まった。鎮痛剤はあえて飲まなかったので、いよいよ胎児を外に押しだすというとき、痛みも最高潮になった。この瞬間、ミケルは身体から出ていったという。
「天井の隅から全体の様子を眺めていました。身体はそこに残したままです。痛みが強烈すぎて上にあがってしまったんです。出産が終わると、すぐに身体に戻りました。あれはほんとに奇妙な経験でした」(p239-240)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
私はある晩遅く、自宅近くの公園で強盗に襲われた。そのとき私はその場の上方に漂い、頭に小さな傷を負って雪の中に倒れている自分を眺めていた。
その自分を、ナイフを手にした三人のティーンエイジャーが取り巻いている。私は両手に負った刺し傷の痛みを解離させ、少しも恐れを感じずに、空にされた財布を返してもらおうと、冷静に交渉していた。(p167-168)
スイスのローザンヌ大学で機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を使って行なわれた研究から、人がこの手の体外離脱体験をして、天井から見下ろしているかのように自分自身を眺めているときには、脳の上側頭葉皮質を活性化していることがわかった。(p658)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
親友バッチの60歳の誕生日をお祝いしに出かけようと楽しい期待に満ちながら私は歩いていた。交差点に差し掛かって……。
……次の瞬間、麻痺と無感覚状態で私は路上に横たわり、動くことも呼吸することもできなかった。何が起きたかすら理解できなかった。どうして私はここにいるのだろうか?
…意識は奇妙に分離し、私は奇怪な「自失状態」を経験した。それはまるで自分が自分のからだの上に浮かび、事態の展開を見下ろしているかのようであった。(p4-5)
この状態では極端な痛みや恐怖を感じにくくなる。…この「慈悲深い」鎮痛効果は、からだ自身の持つ深いモルヒネ鎮痛システムである、エンドルフィンの放出によって媒介される。
ガゼルにとっては、チーターの鋭い歯と爪によって引き裂かれる苦痛すべてを感じずに済むことを意味する。
これとほぼ同じことがレイプや事故の被害者にも当てはまる。この鎮痛状態では、被害者は自分のからだの外からその出来事を目撃しているかのように、(私自身が事故で経験したように)あたかも誰か他の人間に起こっていることのように思われるのである。
解離と呼ばれる、このような離れ方は、耐えがたきものを耐えられるようにしてくれるのだ。(p63)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
生死にかかわる出来事が続いている場合、解離は、私たちを死の痛みから守ってくれます。探検家リビングストンは、彼の日記の中で、アフリカの平原でライオンに遭遇した話を生き生きと記しています。
「私は叫び声を聞いた。驚いてあたりを見回したとき、ライオンがまさに私に飛びかかろうとしているのが見えた。
…そのショックで私は、猫に襲われたハツカネズミさながらの無感覚状態に陥った。起きていることはすべてはっきりと意識しているのに、何の痛みも恐怖感もない、ある種の夢心地である。
それはまるで、クロロホルムの部分麻酔の影響下にある患者が言うような、手術のすべてが見えるのにメスの痛みは感じない状態のようだった。この並外れた状態は、どんな精神的プロセスの結果でもなかった。
…この特定の状態はおそらく、肉食動物に殺されるすべての動物の中で起きるのだろう。そうだとすれば、それは死の痛みを軽減するために情け深い創造主がお与えくださった、ありがたい備えである」(p158)
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳
ブランケの女性患者の場合、右角回に刺激を与えると奇妙な感覚が引き起こされることがわかった。
電流が弱いあいだは、「ベッドに沈みこむ」「高いところから落下する」感じだった。
しかし電流を強くしたところ、「ベッドに横たわる自分を上から見ている」と言いだした。体外離脱である。
右角回の近くにある前庭皮質は、内耳の前庭系から情報を受け取り、身体の姿勢を調節し、平衡感覚を保つ役割を果たしている。
電気刺激によって、触覚などの前庭情報との統合が混乱し、体外離脱になったのではないか。ブランケはそう推測した。(p250-251)
■慢性的なストレスで生じる解離
以上はいずれも、だれもが経験しうる一時的な解離です。
しかし、これらが慢性的に生じてしまうと、日常生活に重大な問題をもたらします。
たとえば、一時的な恥ずかしさで感情がシャットダウンされるのはよくあることです。
しかし、厳しい家庭で育ったり、ネグレクトされたりして、子どものころから繰り返し恥を味わわされてきた人は、感情がいつも切り離されて麻痺している「失感情症」になります。
失感情症の人たちは、自分の感情を認識するのが苦手で、何でも言葉や理屈だけであれこれと考えてしまうようになります。原因不明の身体症状を抱えやすいのも特徴です。
それが一歩進んで、特定の感覚だけでなく、全身の感覚が慢性的に切り離されると、現実感を喪失した「離人症」になります。常に体外離脱の一歩手前のまま生きているような状態です。
自分の身体から、時間の流れから、そして世界そのものから切り離されたような疎外感を伴います。
参考資料
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
失感情症について私に教えてくれた人の一人が、精神科医のヘンリー・クリスタルで、重度のトラウマを理解しようと、1000人以上のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)サバイバーを診た人だ。
自身も強制収容所生活を生き延びたクリスタルは、患者の多くが職業人生では成功しているとはいえ、個人的な人間関係はわびしく、よそよそしいものであることを発見した。
感情を抑え込むことで世事は処理できたものの、それには代償が伴った。彼らはかつて圧倒的だった情動を抑えることを学んだのだが、その結果、自分が何を感じているのか、もはや気づくことがなくなった。セラピーに関心のある人はほとんどいなかった。(p166)
失感情症の人は情動の言語に代えて行動の言語を使う。
…彼らは情動を、注意を払ってしかるべき信号としてできなく、身体的問題として認識する傾向にある。
腹立たしさや悲しさを感じる代わりに、原因不明の筋肉の痛みや、腸の不調、その他の症状を経験する。(p165)
自己忘却への階段をもう一段下がったところにあるのが離人症で、自己の感覚の喪失だ。(p167)
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳
1970年代半ば、アイオワ大学医学部のラッセル・ノイエス・ジュニアとロイ・クレッティは、学生新聞に「生命の危機に直面した体験談募集」の広告を出し、集まった61人にインタビューを行なった。
…こうしたインタビューから、ノイエスとクレッティは次のように結論づけた。
「離人症は極度の危険とそれにともなう不安からの防衛作用という解釈は避けられないと思われる……生命が脅かされたとき、人間は起きている状況を観察して、確実に危険を取りのぞこうとする。
解離は重要な適応機制だが、そのことを際立たせるのが離人症なのだ」(p165)
9つの脳の不思議な物語
これが自分の声で、これが自分の記憶とわかってはいるんだけど、離人症のときは自分のものだと思えない。
何を話すかは自分で決めているってわかっているけど、まるで映画の中にいるみたいに他人を感じるの。
私は全ての中心にたった一人でいて、現実の人は誰もいないような感じ。すべてから隔絶されていて、ものすごく孤独。世界でたった一人実在している人間のよう。(p217)
頭で考えるとほかの人たち、例えば両親とか夫とかへの愛情があるのはわかるんだけど、彼らがそばにいるときに離人症になっていたら、部屋中が演劇で、見えるものはみなセットのように感じてしまう。
家族もただの俳優よ。だからその時点では人や周囲のことへの愛情や感情は持っていないわ。(p219)
トラウマをヨーガで克服する
〈解離〉には、自分の体や周囲の世界との断絶感がある。
ある生徒は解離を、「煙でいぶしたガラスで隔てられて生きているような感じ」と表現した。
時にはそのガラスが非常に暗く、向こう側らあるものは、形が辛うじて分かるだけだ、と彼女は言った。
時どき、彼女の声に答える声が聞こえてくることもあり、ガラス越しに何かが動いているようには見えるが、人の顔の表情は分からず、彼らに触れることもできない。
彼女は世界と切り離されていたのだ。(p82-83)
解離もまた、その人の“時間を無駄にさせてしまう”が、それは本人には自覚がないままに時が過ぎ去る現象である。
ヴァン・デア・コークは、「時間の〈外〉に住み、繰り返しトラウマの再現の中にはまり込んで、決して終わることがないように感じられる」地点にまで至るトラウマ・サバイバーに、しばしば言及している。(P90)
近年の研究によれば、わたしたちの外から入ってくる外的感覚(五感など)への注意と、内側から湧き起こる内的感覚(思考やイメージなど)への注意はシーソーのように、一方が増えれば他方が減る逆相関にあるようです。
そのため、慢性的な解離状態で外側への注意が減少すると、脳はちょうど夢を見ているときのように内側への注意が増加することになります。
たとえば内側から思考や空想がイメージが次々にわき起こって頭が騒がしく感じたり、外から隔絶された白昼夢の世界に閉じこもったりするようになるかもしれません。
解離の当事者が、ふだんからリアルな夢を見やすいのも、おそらく外的感覚が切り離されることによって、相対的に内的感覚への注意が過剰になっているためでしょう。
参考資料
解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論
解離性障害によくみられる症状として思考促迫(Gedankendrangen)がある。
これは想念や表象像が次から次へと湧き出ては消えていき、意識的に制御することができない体験である。(p182)
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳
意識的な自覚には二つの次元があるとローレイズは説明してくれた。
ひとつは外の世界に対する自覚で、視覚、触覚、嗅覚、聴覚、味覚を通じて知覚されるものすべてだ。
もうひとつは内的な自覚で、自分の身体への知覚や、外的刺激とは無関係に生まれる思考、心象、白昼夢など、自己参照的な知覚だ。
…健康な人で調べると、二つの次元の自覚は逆相関になっていることがわかる。外部に注意が向いているときは、外的自覚のネットワークが活発になり、内的自覚のネットワークはおとなしくなるのだ。もちろんその逆もある。(p27-28)
離人症性障害になると、情動が抑え込まれ、身体感覚や現実感覚が変質する。これはまちがいない。脳が身体の状態を感じとる仕組みがどこかでおかしくなっているのだ。
また自己反芻(self-rumination)にも陥りやすいー変質した状態にばかり思考が向かい、外界への注意が極端に減るのだ
(外的自覚と内的自覚にはそれぞれネットワークがあって、逆相関になっているというスティーヴン・ローレイズの説を思いだしてほしい)。(p180)
子どものトラウマ・セラピー―自信・喜び・回復力を育むためのガイドブック
加えて、性被害を受けた子どもは、硬さ、ぎこちなさ、過度の体重増加または減少などの身体的な症状を呈します。
これは、他者を“閉め出す”ことで安全を確保しようとする意識または無意識の試みなのです。
身体を感じると苦痛を伴うので、空想の世界をもつ、集中が困難になる、夢想する、そして(心理学者たちが呼ぶところの)解離をすることもあります。
これらは恐ろしいできごとを封じ込める対処メカニズムです。(p173-174)
解離性障害を抱える人は、ときには起きながら悪夢を見ているかのように、幻聴や幻視を経験することがあります。
幻覚は統合失調症でもみられるため、解離性障害は統合失調症と誤診されることがよくありますが、専門家は両者には幾つか際立った違いがあるとしています。
まず、統合失調症の当事者は、現実と幻の区別がつかず、妄想的になりがちです。しかし解離の当事者は、しっかり自分を客観的に見ることができます。
また、トラウマを抱えている人が経験する幻聴や幻視は、過去に経験した身体感覚がふとしたきっかけで再生される、断片的な記憶のフラッシュバックであり、一種のPTSD症状です。
参考資料
見てしまう人びと:幻覚の脳科学
一般人のイメージでは、声の幻聴は統合失調症とほぼ同義語である―声が聞こえる人の大半は統合失調症ではないので、これは大きな誤解だ。(p76)
9つの脳の不思議な物語
「子供の頃はいつも数分で終わっていたの。パニックを起こして誰かと一緒にいようと慌てたけど、このことは誰にも言わなかった」
「どうして言わなかったの?」
「わからない。すごく変なことだと思ったからかな。頭がおかしいと思われたくなかったのかも」
ここが離人症と統合失調症の違うところだ。離人症では自分も周りの世界も変わってしまったと不安な気持ちになるが、精神疾患は伴わないのだ。
この症状に悩まされている人たちは現実とそうでないものの区別がつかなくなることはない。(p215)
こんな風に心の中は混乱していたのに、周囲の人は彼女の異変にすぐ気づくことはなかった。
ルイーズはどう振る舞うべきかを頭でわかっていたから、他人には彼女の行動は全く正常に見えた。(p216)
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合
他方の幻視はどうか。統合失調症においては少ないとされる幻視は解離性障害では比較的多く聞かれる。
また統合失調症の幻視が奇怪な内容であるのに対し、解離性障害の幻視の内容はおおむね現実的で、過去のトラウマのフラッシュバックという色彩を持つ (Bremner,2009)。
しかし他方では、幽霊を見るケースも報告されている。(Hornstein,et al.,1992)(p125)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
ところが、赤ん坊と二人きりになった初日に、赤ん坊が泣き始めると、ヴェトナムの死にかけた子供たちの耐え難い姿が、突然どっと彼の頭に浮かんできた。
…そして、赤ん坊の泣き声がひっきりなしに聞こえ、火傷を負って血まみれの子供たちの顔が目に浮かび続けると訴えた。
私の同僚の医師たちは、精神病に間違いないと考えた。当時の教科書には、幻聴や幻視は妄想型統合失調症…の症状であると書かれていたからだ。
…だが、医師たちの診断は、どこかしっくりこなかった。…私は診察室でフラッシュバックを経験するビルをわが目で見たおかげで、自分が知慮しようとしている帰還兵を絶えず襲う苦悩に気づくことができ、また解決法を見つけることがどれほど重要かがあらためて身に染みた。
トラウマを引き起こす出来事は、たとえどれほど身の毛のよだつようなものであっても、必ず一過性のものであるだけましで、フラッシュバックのほうがいっそうつらいものになりうることが、このときわかった。(p32-33)
医師たちは幻覚について日常的に質問し、幻覚は患者の重い精神異常の証と捉えた。だが、私が深夜に聞いた話が本当なら、そうした「幻覚」はじつは現実の体験の断片的記憶である可能性はないだろうか。(p49)
■身体症状としての解離
危機に直面したとき、痛みを麻痺させるために一部の身体機能だけが切り離されると、その部分の機能がシャットダウンされて使用できなくなります。
いわば金縛りが部分的に生じている状態なので、検査では異常がないのに、目が見えない、耳が聞こえないといった身体的な解離(転換症状)が生じます。
どんなトラウマを受けたかに対応して、身体のどの部分が切り離されるかが変わるため、解離性の身体症状は千差万別です。
参考資料
腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか
私は、一見すると原因がはっきりしない複雑な症状を抱える患者を何年も診てきたが、そこで学んだもっとも重要な教訓の一つは、「いかに奇怪に聞こえようが、いかに現行の科学の知見に合わなかろうが、先入観を持たずに彼らの話に耳を傾けるべきである」というものだ。(p89)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
もしあなたが、誰も説明できないように思える奇妙な症状を体験しているのであれば、そうした症状はあなた自身の記憶にすらない過去の出来事に対するトラウマ反応から起きているのかもしれません。(p11)
トラウマ症状は私たちの感情的、知的な状態に影響するだけでなく、身体の機能にも影響します。身体疾患の理由が見つからない場合、ストレスとトラウマがその原因である可能性があります。
トラウマは人を視覚障害や聴覚障害にしたり、手足を麻痺させたり、慢性的な首や背中の痛み、慢性疲労症候群、気管支炎、ぜんそく、消化器系の問題、重い月経前症候群、偏頭痛など多くの心身症状を引き起こすことがあります。(p188-189)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
無力感の記憶は、影響を受けた身体領域の筋肉の緊張や、各部がばらばらになった感覚として保存されることもある。その領域とは、事故の被害者では頭や背中や手足、性的虐待の被害者では膣や肛門だ。(p438)
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)
解離のある人は、頭や体の中の異常な感覚にひどく悩まされることがあります。このような感覚の異常を「体感異常(セネストパチー)」といいます。
…感覚の異常は、主に頭部や脳、皮膚、手足の指などに感じることが多いといえます。体の深部、内臓に異常を感じることもあります。
…触覚や皮膚感覚、体内の深部感覚に違和感や異常が現れることもあります。なにかが見えるわけではなく感覚だけなのですが、その気持ちわるさや不気味な状態に本人は苦しみ、もがいています。(p30)
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
これらの解離症状は心理的、または精神表現的(psychoform)であり、同時に、感覚運動的または身体表現的(somatoform)になることで、さらに複雑化します。
精神表現性の症状は心的機能の解離であり、圧倒的感情、集中困難、健忘、記憶の混乱、信念体系の変化として表出してきます。
身体表現性の解離症状は、身体感覚、運動、および五感についても、感覚のゆがみ、生理的覚醒の不調、身体感覚的断片としてのトラウマの再体験として表出します。
Van der Hartらは、精神表現的および身体表現的症状は同じコインの裏表としてとらえるべきであると指摘しています。
「(なぜなら)それらはともに、心(psyche)と体(soma)という不可分の統合体の根底でおこっている解離過程のあらわれだからです」。(p5)
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
例えば、ジャネ(1889)は若い女性の事例について述べている。その女性は左目が見えなかったが、それは膿痂疹の子どもと同じベッドに顔の左側を下にして寝させられたことにさかのぼることができた。
支配的な人格は出来事を体験してはいなかったけれども、意識の分裂した部分は通常の認識の外にこれを記録していた。(p365)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
A&Eチャンネルのドキュメンタリー番組『Intervention』のエピソード74(シーズン6,エピソード2)を参照。
この中でニコルという少女が数年に渡って隣人(父親の親友でもあった)にフェラチオを強要されていた。
ニコルの家族がそれを知ったとき、家族はそれを隠そうとして、ニコルはその後何年もの間、その男の家の隣で生活させられた。
後に、ニコルは過敏性咽頭反射を発症し、唾液をはじめ何も飲み込めなくなってしまった。そして経管栄養状態となった。(p393)
後で考えるように、解離とは生物学的には、感覚を切り離して「死んだふり」をして身を守る作用なので、全身に慢性的な解離が生じると、体が死んだような状態になります。
慢性的な解離に伴いやすい身体症状としては、からだの固まり、凍りつき、原因不明の不快感、慢性疲労、慢性疼痛、エネルギーの枯渇、息苦しさ、胃腸障害などがあります。
慢性的に解離した人は生きているのか死んでいるのかわからないゾンビのようになってしまいます。
参考資料
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
メアリーは、姿勢はよいのですが、身体、特に首、腕、肩が固まっています。顎と旨は上がっています。…手足が動くとき、脊柱と胴は固さを残したままでした。
メアリーには緊張し硬直することを通して自分を安定化させる傾向があり、脚によってよく支えられた統合した身体からはほど遠いものでした。
彼女はまるで「生きているふりをしている」(going through the motions of living)ような感覚に困っていると言いました。(p310)
トラウマをヨーガで克服する
ヨーガを試みているもう一人のサバイバーが、ヨーガのプラクティスによって生き返ったという自分の経験を語っている。
彼女は自分がどれほど“死んで”いたか、体がいつも冷たく麻痺していたかを述懐している。彼女は自分自身を切り離し、他の人びとから孤立していたのである。(p217)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
残念なことに多くのトラウマ被害者にとっては、このような解離反応もしくは「からだの記憶」はささいなものでも一過性のものでもない。
それらはトラウマ被害者に現在の時間に―今ここに―注意を向け、定位し、機能することを不可能にさせ、なおかつ長きにわたる多種多様ないわゆる心身症的(身体的)症状(正式には「身体性解離」と呼ばれるもの)を発症させる。
実際にはトラウマを受けた人の身体的麻痺症状はずっと続くわけではない。
しかし霧の中にいるような不安、慢性的な部分遮断、解離、遷延化する抑うつ、そして無感覚状態で途方に暮れたままとなる。
多くの人は人生の喜びを享受できない「機能性凍りつき」状態のまま、かろうじて生活を送ったり家庭を築いたりしている。
こうした症状に加えて、生きていくうえでの困難な道のりを歩むためのエネルギーも、トラウマを受けたために激減してしまう。(p65)
ハリウッドのヒッチコック映画で描かれるようなトラウマでは、トラウマを受けた人はフラッシュバックに翻弄されるものである。
しかし実生活においては、シャットダウンによる無感覚状態の方がより深刻であり、またそれが重篤なもしくは慢性的なトラウマに見られる性質である。
こうした人々は「歩く屍」のようになってしまうのである。(p206)
ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち (光文社新書)
だが、ギリガンは驚くべき話を聞くことになる。実際に刑務所内で殺人をした人間が何人か、ギリガンに話をしてくれたのだ。
「皆が口を揃えて言ったのが、自分たちはもうすでに死んでいるということです」ギリガンは私にそう言った。
…彼らは自分の内面が死んでいると感じていた。内面が死んでいるから感情を持つことはない。また、身体的な感覚も麻痺してしまっている。
…自分がロボットかゾンビのように感じられると私に話した者がいた。自分の身体は空っぽ、あるいはただ藁が詰め込まれているだけ、肉もなく血もない、血管や神経はなく、紐や糸が入っているだけ、そう感じる者もいるらしい(p422-423)
脳のなかの天使
これは、行動の出力も情動の出力も停止した、一種の「死んだふり(playing opossum)とみなすことができる。野生のオポッサムは、捕食者がすぐ近くに迫っていて、逃げるという選択肢がないとき、まったく動かなくなる。
…この「オポッサム反射」の痕跡もしくは外適応が、極度の緊急時に、解離状態として人間にあらわれるのかもしれない。
あなたは表立った動きと情動を停止し、痛みやパニックから自分を切り離して、自分自身を客観的に見る。
これはたとえばレイプの場合に起こる場合があり、女性は逆説的な状態になる―「私は自分がレイプされるのを、一歩離れた傍観者のように見ていました―痛さは感じましたが、ひどい苦痛は感じませんでした。だからパニックも起こしませんでした」。
探検家のデイヴィッド・リヴィングストンがライオンに襲われて、腕を食いちぎられたときにも、同じことが起きたにちがいなく、彼は痛みも恐怖もまったく感じなかったという。
これらの回路の活性化や相互作用の比率によっては、それほど極端ではない解離状態も起こり得る。行動は抑制されず、情動だけが抑制されるケースである。(p384)
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
トラウマ歴のあるクライアントを扱う臨床家たちは、彼らの多くが消化、特に胃部不快感や便秘などの問題を抱えていると言います。
ポリヴェーガル理論では、横隔膜下迷走神経回路の機能不全は、この神経回路が防衛に使われるため、恒常性を維持する役割が阻害されるからだとしています。
闘争/逃走が起きていたり、恐怖を感じたり、危険な状態にある場合には、横隔膜下の神経制御は抑制されます。
…トラウマや長期虐待のサヴァイヴァーにおいては、特に解離状態のときに横隔膜下迷走神経が防衛に使用されていた可能性があります。
横隔膜下迷走神経が防衛に起用されている場合、さまざまな臨床疾患が現れます。
こうしたクライアントは、線維筋痛症や、消化の問題や腸の問題を抱えていることがあります。
…神経系が内臓器官の機能に及ぼす影響について理解している医師は少ないと言わざるを得ません。もしこうした点への理解が進めば、身体的不調についても、より良い説明がつき、治療へとつながる可能性があります。(p171-174)
Q4 トラウマ記憶とは何か?
A.トラウマは身体に記憶されます
近年、トラウマ記憶とは、心理的問題のような「こころの傷」ではなく、「からだの記憶」だと考えられるようになっています。
人間には、二種類の記憶システムがあり、それぞれ顕在記憶、潜在記憶と呼ばれています。
顕在記憶とは、海馬に依存する記憶で、学校のテストで覚えた内容のように、言葉で意味を説明できるので宣言的記憶とも呼ばれます。
潜在記憶とは、「からだの記憶」として保存されている記憶です。たとえば、自転車の乗り方や楽器の弾き方、音楽のメロディーなどの手続き記憶がこれに当たります。
潜在記憶はまた、言葉で言い表せる文脈のある記憶ではなく、空間に散らばった断片的な感覚からなる記憶でもあります。
アルツハイマー病などで顕在記憶が失われても、日常生活でのからだの動かし方や懐かしのメロディーがほとんど失われないのは、それらが「からだの記憶」だからです。
「からだの記憶」は、生まれて間もない時期に、左脳より先に発達している右脳に関係する記憶システムです。
生後2,3歳ごろまでの「からだの記憶」は愛着(アタッチメント)として、大人になってからも生涯影響を及ぼします。
トラウマ記憶も、「からだの記憶」にあたります。
危機的な状況では、身体の芯からの恐怖や苦痛を感じるので、それが「からだの記憶」として保存されます。
そして、ちょうど自転車に乗るときに勝手に身体が動くように、無意識のうちに、ふとしたきっかけで、身体に記録されたトラウマの痕跡が活性化されてしまうようになります。
参考資料
トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復
われわれは、言語習得前の出来事については、極めて限られた記憶しかないとされるが、妊娠六ヶ月から出生までのごく早期の「目に見えない」手続き記憶は厳然と存在している。
こうした痕跡が、後々の反応、行動、感情や情緒の状態に強力な影響を及ぼす可能性がある。(p134)
脳は奇跡を起こす
ヒトの場合、二歳までは右半球のほうが大きい。左半球はそれから急激な成長をはじめるが、三歳頃までは右半球が脳を支配している。
二歳二ヶ月の幼児は、複雑な「右脳に支配された」感情的な生き物であるが、左脳の機能がまだじゅうぶん発達していないので、自分の経験したことを話すことができない。
脳スキャンでも、子どもが二歳になるまでは、母親が自分の右半球を使って非言語コミュニケーションをして、子どもの右半球に訴えかけているのがわかる。(p267)
生まれてから三年以内にトラウマを経験した場合、そのトラウマの顕在記憶は、あったとしてもごくわずかだと思われる(Lは、四歳までの記憶はひとつもないと話していた)。
しかし、これらのトラウマについての手続き記憶/潜在記憶は存在していて、トラウマと似たような状況に置かれたときに噴出したり、誘発されたりする。
こういった記憶は、「まったく予期しないときに」よみがえる。顕在記憶とは違って、時間や場所、文脈によって分類されないらしいのだ。
感情的なかかわりにまつわる潜在記憶は、転移あるいは人生のさまざまな場面において、しばしば繰り返される。(p270-271)
音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々
生まれてから二年間に、たとえ顕在記憶が残っていなくても(フロイトはこれを小児健忘と呼んだ)、深い感情的な記憶や連想が、感情の表される脳の辺縁系やその他の部位で形成されるのは確かなようだ。
そしてこれらの感情記憶は、その人の生涯の行動を決定するかもしれない。(p275)
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
愛着パターンは、早期の愛着を反映した長期にわたる身体的傾向(physical tendencies)の中にもあらわれます。
手続き記憶としてコード化されて、これらの愛着パターンは、親近さを求める行動(proximity-seeking)、社会的関わり行動(微笑む、相手に向かって動く、手を伸ばす、アイ・コンタクト)、防衛的表現(身体を引く、緊張のパターン、過覚醒あるいは低覚醒)としてあらわれます。(p63)
トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復
トラウマの痕跡は、物語や意識的な記憶とは異なり、感情、感覚および心理的な自動反応のように、身体が勝手に行っていく「手続き」の形をとって、密かに私たちを支配している。(p ix)
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
解離こそがトラウマの核心を成す。圧倒的なトラウマ体験は、ばらばらになり、断片化するので、トラウマに関連した情動や音、声、イメージ、思考、身体的感覚がそれぞれ独り歩きを始める。(p111)
解離のせいで、複合的で絶えず変わる自伝的記憶の貯蔵庫内部にトラウマは統合されず、端的に言えば、複式の記憶システムが構築されるのだ。(p298)
この記事では詳しく扱いませんが、近年、トラウマ記憶は、単なる「心の傷つき」ではなく、より生物学的な現象として解釈されるようになってきています。
わたしたちヒトだけでなく、動物や、植物さえも、傷つけられたときにトラウマ反応を記憶します。
エピジェネティクスという仕組みによって、自分が受けた脅威の記憶を次の世代に伝えることもあります。子供が親のトラウマ記憶を受け継ぐことはヒトでも確認されています。
さらには、微生物(マイクロバイオーム)との関係性の中に、トラウマの記憶は保存されていることもわかってきています。
トラウマはもはや心の病ではなく、ヒトおよびその身体を構成する全有機体と、わたしたちの身体に棲む微生物群を左右する、生態系の問題とみなされるべきなのです。
参考資料
植物はそこまで知っている (河出文庫)
コセンダングサは針で刺されたという「トラウマ」的経験を何らかの方法で保存し、頂芽が切り取られたとき―それが何日もあとのことでも―過去のトラウマを想起するしくみをもっているに違いない、とテリエは考えた。
その後の実験は、コセンダングサの芽はどの葉が損傷したかを憶えている、という彼の推測を確定させた。(p144-145)
木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学
バルサムモミには記憶もある。毛虫やヘラジカに針葉を食われると、歯の攻撃は木の化学組成に刻まれる。
捕食者と接近遭遇(ニアミス)した後にコガラの神経細胞が示す変化とよく似た変化が起きるのだ。
歯で襲われた後の木は、おいしくない松脂でいっそう防備を固める。
ちょうどタカと出会って身のすくむ思いを味わった小鳥が、何かというとびくつきがちになるように。
モミはさらに、一年近くも遡って気温を記憶している。この記憶のおかげで、細胞の冬支度をいつ始めればいいか判断できる。
植物の記憶は世代をまたいでいく。ストレスにさらされた両親に続く世代は、誕生の時、たとえその時点での環境が穏やかなものであっても、遺伝子の多様性を発現させるよう拡大した能力を継承するのだ。(p62)
腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか
この発見以降、それに類するストレスや逆境体験の「世代間の受け渡し」を報告する、いくつかの研究が発表されるようになった。
たとえば、同時多発テロが発生した際、世界貿易センターから命からがら逃げられた人々の子どもや、第二次世界大戦中のオランダで飢餓を生き延びた人々の子どもを対象とする研究などである。
言語に絶するトラウマを経験した両親によって、保護された安全な環境のもとで育てられた子どもが、通常はトラウマを直接体験した人々にしか見られない行動の変化を発現する高いリスクを抱えているのはなぜだろうか?
…このような遺伝情報の伝達は、エピジェネティクスと呼ばれる。(p124-125)
私たちは、幼少期に経験した逆境、腸と脳の対話の変化、この対話におけるマイクロバイオームの役割という三者間の関係に対する理解を大幅に発展させてきた。
そして幼少期のストレスが、腸や脳ばかりか、マイクロバイオームにも深甚な影響を及ぼすことが明らかになった。(p130)
あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた
興味深いことに、赤ん坊のときに母親と引き離されたり愛する人を失ったりするようなトラウマ的な出来事があると、腸にすき間ができることがあるようだ。
ストレスによる苦悩がうつ病の発症に移行するときに、腸のすき間が関係しているのかはまだ断定できない。
だが、どうやらそうらしいという研究データは、腸とマイクロバイオータと脳のつながりを示す研究データと同様に増えつつある。
うつ病には肥満や過敏性腸症候群やニキビをともなうことが多いが、これまでそうした不具合はうつ病そのものの苦悩から派生するものと考えられてきた。
リーキーガットが慢性的な炎症を引き起こし、体と心の健康問題を健康問題を共に発症させるのかもしれないという考え方は、医学研究に一石を投じるものとなっている。(p159)
※一般に、リーキガットは似非科学とみなされやすい。この本の著者の微生物学者は、それを重々認めた上で、最新の研究では、リーキーガットが部分的には正しいと証明されてきたことに触れている。
Q5 なぜ記憶が失われるの?
A.「からだの記憶」だけがトラウマを覚えているからです
今考えたように、人間には2つの記憶システムがあります。
危機的な状況で意識が切り離されると、意識的にはトラウマを記憶していないのに、身体だけがトラウマを体験し記憶しているという記憶の解離が生じます。
頭ではトラウマ経験をすっかり忘れているのに、身体だけがトラウマ経験を覚えている、と考えてください。
たとえ意識の上ではもう危険ではないとわかっていても、身体のほうはトラウマを記憶しているので、トラウマのときの身体的な反応を無自覚のうちに繰り返してしまうようになります。
これは「再演」(再現)と呼ばれ、トラウマの被害者が自分ではやめたいと思いつつも自己破壊的な習慣に陥ってしまったり、コントロールできない感覚に悩まされたりする原因です。
たとえば、解離性障害でしばしば見られる“霊に憑かれた”ような体験は、意識は記憶していない行動を、からだの記憶が「再演」していると考えることができます。
原因不明の身体症状や幻覚もまた、無意識のうちに、身体だけがトラウマのときの生理的反応を「再演」している、一種のフラッシュバックのようなものだとみなせます。
もうトラウマは終わっているのに、身体はちょうど自転車の乗り方を覚えるときのように、それをずっと覚えています。
トラウマのときの動作や痛み、音、匂い、光景、触感などをしっかり記憶していて、ふとしたきっかけで繰り返してしまうのです。
それゆえ解離では、心はストレスに気づかないのに、身体はストレスに反応して原因不明の症状が生じる、という奇妙な現象がよく見られます
参考資料
トラウマをヨーガで克服する
解離は、情動、意識、あるいは身体症状から距離を置くために使われる対応メカニズムである。危険や破壊が進行している最中は、肉体的・感情的な苦痛に耐えるために、われわれは自分を切り離す。
…解離が起こると、外傷経験またはその記憶に結びついた感情的苦痛に、意識的に、しかも完璧に、気づかないことがある。
しかし、痛みはそのまま肉体に保存されている。
ある人は、自分自身を厳格にコントロールしていることから来る、首や背中の慢性的な痛みを抱えているかもしれない。また、葛藤に直面したとき、喉に息苦しさを覚える人もいるかもしれない。
あるいは、潜在的な苦痛が完全に離れてしまっているために、体に何も感じない人もいるだろう。(p33-34)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
トラウマを負った人々は、記憶が極度に乏しいと同時にあまりに多すぎる。
イレーヌは母親の死の意識的な記憶をいっさい持っていなかった。つまり、彼女は何が起こったかを語れなかった。
だがその一方で、母親が死んだときの出来事を、体をつかって表現せずにはいられなかった。
…ジャネは自分の患者に見られるような、記憶の痕跡の分離や孤立を表すために「解離」という言葉を造った。(p296-297)
ある人が思い出す代わりに再演を続けているかぎり、医師や警察官、ソーシャルワーカーはどうすれば、その人がトラウマ性ストレスを抱えているのだと気づくことができるだろうか。
患者自身は、自分の振る舞いの原因をどうすれば突き止められるだろうか。
過去のいきさつがわからなければ、彼らは過去を統合する助けを得られずに、頭のおかしい人というレッテルを貼られたり、犯罪者として罰せられたりする可能性が高い。(p301)
脳の左側と右側では、過去の痕跡の処理の仕方も著しく異なる。…右脳は音や声、触感、匂い、それらが喚起する情動の記憶を保存する。
…右脳が思い起こすことは、直感的な事実、すなわち物事の実際のありようのように感じられる。
…トラウマを負った人が何かの弾みで過去を思い出すと、そのトラウマ体験が今起こっているかのように、右脳が反応する。
だが、左脳がうまく働いていないので、自分が過去を再び経験したり再現したりしているという自覚がないかもしれない。(p83)
トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復
トラウマの記憶は、過去の圧倒された体験によって刻まれた「記憶痕跡」であり、脳、身体および精神に深く刻み込まれている。
…「トラウマの記憶」は、感覚や感情、イメージ、匂い、味、思考などの意味不明な断片として沸き起こってくる。
たとえば自動車事故による火災から生還した人は、ガソリンスタンドで給油中にガソリンの匂いを嗅いだときに、突然胸がドキドキしはじめ、激しい恐怖および逃げ出したい衝動に襲われる。
これらの混乱した断片は、整理された物語として出てくるのではない。個人の意思にかかわりなく、断片的な侵入的イメージや、身体症状として突然「再現」され「再体験」される。(p18)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
明らかに、あるいはひっそりと、私たちは元のトラウマを繰り返すような状況に避け難く引きつけられてしまいます。子ども時代に性的虐待を受けた過去のある売春婦やストリッパーなどはよくある例です。(p296)
繰り返し起こる自己は、特にその事故がある程度似通っている場合、この種の再現のよくある形です。その人が、特定の種類の怪我をし続けるという場合もあります。足首や膝の捻挫、むち打ち、それに多くのいわゆる心身症でさえ、身体を使った再現のありふれた例なのです。
…頻繁な再現は、最も興味深く複雑なトラウマの症状です。この現象は人によってさまざまな異なり、再現と元の状況の間の「偶然の一致」は驚くほどです。(p208)
さらに注目に値するのは、第三者にはこうした事件とそれに続く再現が明らかに元のトラウマと関係しているのが分かっても、トラウマを受けた当の本人はふつうその結びつきにまったく気づかないことです。
多くの場合、再現は偶然に起こる無意識的な合図に符号して起こるのではなく、トラウマ的事件の記念日に起こります。本人がたとえその事件を意識的には覚えていないときでさえ、驚くことに一致する場合があるのです。(p210)
Q6 自分が解離しているかどうかはすぐわかる?
A 周りの人が気づかないばかりか、自分でも気づいていないことがあります
まず、学校関係者や医師をはじめ、ほとんどの人は、解離の症状について詳しく知りません。
そのため、学校の子どもや、病院を訪れた患者が解離の症状を示していても見逃してしまうことが少なくありません。
参考資料
トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復
「シャットダウン」したクライアントは、一見落ちついているように見えることがあるので、セラピストは混乱することがあるだろう。(p98)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
トラウマの追体験は劇的で、人をぞっとさせるし、自己破壊的なものになりかねないが、長い目で見ると、自己が不在の状態は、それに輪をかけて有害になりうる。
これは、トラウマを負った子供たちにとってとりわけ問題となる。行動に表す子供は他者の注意を惹くことが多いのに対して、頭が働かなくなっている子供は誰にも迷惑をかけないので放置され、自分の未来を少しずつ失ってしまうのだ。(p121)
時がたつうちに、体が慢性的なトラウマに順応するのだ。麻痺状態に陥ったときの結果の一つは、本人は気が動転しているのに、教師や友人、その他の人がなかなか気づかなくなることだ。本人さえもが認識していないかもしれない。
麻痺状態に陥ると、たとえば身を守る行動をとりそこなうなど、苦悩に対してしかるべき反応をしなくなる。(p271)
トラウマをヨーガで克服する
これらの子どもたちの多くが、そうした経験の直後に「眠れない」「学校で集中することができない」「気持ちを鎮められない」「仲間とうまくいかない」などの経験をする。
しかし往々にして、子どもの頃のトラウマの衝撃がその全貌を現すのは、何年も経ってから、すなわち青年期や成人して以降である。
そのように、トラウマにさらされた子どもたちは、当初、傷みや苦しみの様子をはっきりと示すことがないので、大人たちは「痛手を受けてはいない」と誤解することが多い。(p4)
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
チュウとディル(Chu & Dill,1990),およびサックスら(Saxe et al.,1993)の研究によれば(第7章を参照)、解離性障害はアメリカの精神科入院患者にはきわめてありふれたものである。
サックスらの研究からもたらされた有症率は、一般の解離性障害とDIDとでそれぞれ15%と4%である。しかしながら、臨床家はこれらの患者を正しく診断するための訓練をめったに受けていない。
すなわちサックスらの研究(1993)で行なわれたカルテの再調査では、健忘、離人症、自動症、麻痺などの解離を経験した患者のうち、そういった解離について診断が行われていたのは全体の約17%でしかなかった。
また、PTSDと解離性障害を両方合わせた場合、症状がこれらの解離性障害の診断基準に合致する患者のうちで、診断がついていたのはわずかに8%であった。(p177)
また、解離は正確には障害や病気ではなく、生き抜くための適応です。
非常に大きな苦痛にさらされても、それでも何とか機能して生きのびられるようにしてくれる能力が解離です。
解離とはトラウマの後遺症ではなく、その正反対のもの、すなわち、トラウマの深刻な後遺症を覆い隠して、自分からも他人からも見えなくしてくれる能力です。
自分のトラウマをうまく解離できている人たちは、自分がトラウマを抱えていることを「否認」することがあります。
失感情症になって感情的苦痛を自分で麻痺させてしまったせいでトラウマを否定する人もいれば、解離性健忘によって、そもそもトラウマとなった出来事を思い出せない人もいます。
そうした人たちは、口では「大丈夫だよ」と言って、何も問題がないかのようにふるまったり、過去について尋ねると、自分は「幸せな子ども時代」を送った、と述べたりします。
しかし、意識の上では過去のトラウマの苦痛を麻痺させていても、トラウマの潜在記憶、つまり手続き記憶のほうは身体に残っています。
それで、原因不明の身体症状やパニック症状などを訴えて、延々とドクターショッピングを繰り返すかもしれません。
参考資料
図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法
クライエントに解離性障害の兆候があれば、見た目にもはっきりわかるはずだと単純に信じ込んでいるセラピストは多いのですが、そうではありません。
解離とはもともと、自己や世間から秘密を守るのが目的で生じるので、表面的にはその心理的防衛機制が往々にして成功しています。
解離性障害のクライエントが症状を派手に表出することはめったになく、臨床家が面接をして所定の質問やテストを行って調べないかぎり、特定するのは難しいものです。(p47-48)
クライエントのパーツが解離を隠したがっていると、スクリーニングの際に、偽りの「ノー」という答えが返ってくることがある(情報がまだ意識化されていない)(p55)
幼少期のトラウマを抱えた人々の内なる“家”には、しばしば多くの考えや感情・身体感覚・情動(秘密にされた、あるいは恥ずかしさとともに体験された強い感情)があるものです。
そうしたものは、まるで鍵つきのドアと厚い壁によって隔てられているかのように、自己からも他者からも隠されています。(p32)
意識と自己
われわれはときおり、事実を見いだすためにではなく事実を隠すために心を使う。
われわれは心の一部を衝立(ついたて)として使い、心の別の一部がよそで進行していることを感知しないようにしている。
この隠蔽はかならずしも意図的ではないが、意図的であろうとなかろうと、衝立が事実を隠していることは確かである。(p44)
※この説明は神経学者アントニオ・ダマシオによるもので、解離という表現は出てきていない。しかし、解離の専門家ベッセル・ヴァン・デア・コークとピーター・ラヴィーンがそれぞれの著書でこの説明を引用し、解離に当てはめている。
意識の川をゆく: 脳神経科医が探る「心」の起源
私はこの異常な、とっぴでさえある物語をつなぎ合わせるうちに、担当医が私の症状のようなものは聞いたことがないと言ったのも無理はないと思えてきた。
この症候群はさほど珍しくはない。不動状態や神経損傷によって、自己受容感覚やほかの感覚フィードバックが失われるときは必ず起こる。
しかし、これを記録するのは、この症候群を神経学的知識として十分に認識するのは、なぜそれほど難しいのだろう?
神経学者に使われている「暗点」(スコトーマ)という(ギリシャ語の「暗い」に由来する)用語は、知覚の断絶または欠落部分を指し、それは基本的に、神経病変によって生まれた意識のすき間である(そのような病変は、私自身のような末梢神経から、脳の感覚野にいたるまで、どんなレベルでもありえる)。
そのような暗点を抱える患者にとって、何が起きているかを伝えることはなかなかできない。本人がその経験を暗点化してしまう。(p199)
※これはサックスが経験した身体失認症(身体の一部の感覚が存在しなくなる)についての記述だが、一種の身体性の解離症状だったと思われる。
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
しかし、中にはそれが解離からきているとは分かりにくい症状もあります。それは以下のようなものです。
■否認はおそらくより低いエネルギーレベルの解離でしょう。
否認では、人と、特定の出来事(あるいは一連の出来事)に対する記憶や感情との間に断絶が起こります。
私たちは、ある出来事が起こったことを否定したり、それが大して重要ではないかのように行動したりすることがあります。(p163)
自分がトラウマを受けたことを否定する(何も起こらなかったと主張する)人々を私たちは批判したい誘惑にかられますが、これ(否定すること自体)がトラウマの症状なのだということを忘れないことが大切です。(p189)
■身体の不調はしばしば、身体の一部が他の部分から切り離されてしまうという、部分的な、または区分化された解離の結果起こります。
頭とそれ以外の身体との分離は、頭痛を引き起こすことがあります。
PMS(月経前症候群)は骨盤部の臓器と残りの身体部分とが分断された結果起こる場合があり、消化器系の症状(過敏性腸症候群)など、再発性の腰痛、慢性的な痛みなどは、狭窄によって悪化した部分解離が原因となって起こることもあるのです。(p164)
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
レイプや拷問、あるいは虐待といったような個人間の暴力にともなう恥辱感は非常に強烈なものであり、その結果、往々にして解離されてしまう。
そうした場合、被害を受けた本人は、恥辱感の存在を意識しなくなるかもしれない。
しかしそれでも、恥辱感はその人の環境との関わりを大きく左右することになる。
自分自身の恥辱の感情を否認すること、そして、他者のそれを否認することが、さらなる虐待の扉を開くことになる。(p23)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
脅威には他の反応もありうることが、今ではわかっている(その反応は、現在のスキャナーではまだ計測できない)。単に否認という反応を見せる人がいるのだ。彼らの体は脅威を認識するが、意識ある心はまるで何事もなかったかのように振る舞い続ける。(p84-85)
過去について尋ねると、幸せな子供時代を「送ったに違いない」と思うとマリリンは答えたが、12歳になる前のことはほとんど思い出せなかった。(p206)
彼らはかつて圧倒的だった情動を抑えることを学んだのだが、その結果、自分が何を感じているのか、もはや気づくことがなくなった。セラピーに関心がある人はほとんどいなかった。
…彼らの大半は、さまざまな医師を訪ね、癒えることのない病気を治療し続けるほうが、過去の魔物たちに立ち向かう、つらい課題をこなすよりもましだという、無意識の決定を下してしまったように見える。(p166-167)
トラウマと自己免疫疾患が関連していることに気づいていた私は、特別な関心を持ってシャディックの研究の進展を追った。…多くのトラウマサバイバーと同じで、関節リウマチ患者もまた失感情症だった。
のちにナンシー・ソーウェルから聞いたのだが、患者たちはとても耐えられない状態にならないかぎり、苦痛や身体的な不自由についてけっして不満を訴えなかった。
いかがですかと問われると、「大丈夫です」と判で押したように答えた。
患者たちの毅然とした部分が問題への対処に役立っているのは間違いなかったが、そうした管理者のせいで、患者は何でも否認する状態に陥っていた。
なかには、身体的感覚や情動を大幅に遮断していたため、医師とうまく協力できない人もいた。(p483)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
実際、自分が感じていることについて説明できないと、私たちは必ずといっていいほど勝手に、一つかまたはそれ以上の理由を作り出してしまう。
…多くの場合このような人たちは複数の症状を抱えた病人となる。救いを求めて医師から医師へとたずね歩くものの、自分たちを苦しめているものに対する解決策をほとんど得ることができないのだ。(p219)
私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて
私の中に厳重に守られた部屋に保管したすべての記憶を知らず、子供時代の貧困を克服し、大学進学を果たし、弁護士になり、幸せな結婚をしたと信じていた。
私にはほとんど子ども時代の記憶がなかった。(p166)
パニック発作が起こるようになるまでは、よく覚えていないが、私は幸福な子ども時代を過ごしたのだと思いこんでいた。
公民館や学校に友だちと行ったことは覚えていたが、家でのことはあまり覚えていなかった。(p204)
身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価
このままでは何らかの反応をしてしまい、そうすれば自分が困った立場になるというとき、子供は目をそらす―たとえば夢想にふける―ことで事態に耐えようとする。
過去の出来事は覚えているが、それにまつわる心の傷は思い出さないというときには、この種の“解離”が働いている。
多くの人が「幸せな子供時代」を回想するのはそれが理由なのである。
たとえば全身性エリテマトーデスにかかったアイリス(第4章)が、父親は暴君のようで母親は精神的にまったく頼りにならなかったというのに、「幸せな子供時代」だったと言っているように。(p363)
解離がうまく機能している人の中には、非常に優れた業績を上げる人さえいて、なまじ社会に適応できているために見逃されがちです。
そのため、解離能力が比較的弱くて、いろいろな症状に悩まされる人のほうが解離性障害だと診断されやすく、解離が高度に組織化されて症状が覆い隠されている人ほど兆候に気づかれず放置されてしまうというパラドックスが見られます。
しかし、たとえ解離によってトラウマの後遺症を覆い隠すことに成功し、表面的にはうまく生活している人の場合でも、実際にはギリギリのところで綱渡りしている状態にあります。
解離が十分に働かず、綱渡りから落下して社会的機能に破綻を来たした人のほうが解離性障害だと診断されやすいのは確かですが、ギリギリ綱渡りしている人のほうが、そうした人たちよりも症状が軽いというわけではありません。
むしろ、持ち前の強力な解離能力によって、限界を超えてふんばり続けているだけであり、本当は信じられないほど巨大なトラウマを抱えていることさえあります。
心身への多大な負担を考えれば、遅かれ早かれ過去のトラウマ記憶を治療することが不可欠でしょう。
参考資料
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
解離能力によって、このような患者の多くは、人生のいくつかの局面においてかなりの成功を収めることを可能にするような有能な領域を発達させることができるが、一方で、解離した自己の断片のある面は、トラウマに関する記憶をもっており、親密さや攻撃性に関係する問題を調整する能力に壊滅的な軌跡を残してしまう。(p216-217)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
トラウマ患者は、たとえ教育やビジネスや医学や芸術におおいに貢献していたり、子供をりっぱに育てたりしていても、通常の人と比べて日々の生活の課題にはるかに多くのエネルギーを費やす。(p404)
私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて
とくに私の場合は、有能で雄弁な女性がDIDによって生きのびたことを見てほしい。私のようにDIDであるのに、あるいはDIDであったからこそ、成功した人はたくさんいる。(p13)
私は司法省でしっかり働いていた。「わたし」の何人かは非常に勤勉だった。私の優れた記憶力が人びとの名前、地位、会議中の発言内容を覚えるのに役立った。
私の解離は、上の空であるというより、むしろ冷静で集中している印象を与えた。
事実、慢性的な解離状態は、よい仕事をするのに役立った。(p173)
トラウマをヨーガで克服する
ケイト(ここ何年間か、数人の生徒でやってきたヨーガ・クラスの中の一メンバー)は、子どもの頃、家族から長い間、性的虐待を受けたというトラウマを持つ。
…確かに、彼女があちこちと忙しく動き回って仕事をしている大学では、あるいは、彼女がその分野ではもっとも聡明な若手科学者の一人とみなされている実験室では、問題の論理的解決のために集中する、という事実はある。
彼女はそういう環境では、単なる頭脳、それも高性能の頭脳で、彼女はそれを心地良いことと感じている。しかし、彼女は体を持たない、つまり全体的存在ではないのだ。(P56-57)
ケイトは起こっていることを〈解離〉として認識するようにはなっていた。それは彼女にとってお馴染みの経験ではあるが、やはり驚愕のあまりコントロールすることができない。(P59)
Q7 どうして人格が複数に分かれるの?
A 解離は「自己」を「他人」だと認識することで感覚を麻痺させる生存戦略です
解離の当事者は人格の内部分裂を経験することがよくあります。たとえばイマジナリーコンパニオン(空想の友達)や、解離性同一性障害(いわゆる多重人格)などの現象です。
このような人格の分裂は、これまで心理的な現象だと解釈されてきました。
しかし最初に書いたように、もう心と身体を分けるのは時代遅れです。人格の分裂も生物学的な現象だと考えることができます。
解離とはまず、感覚を遮断することによって、痛みや苦痛を麻痺させる生存戦略でした。
このとき、わたしたちの脳は、自分の一部を他人だと認識することによって、苦痛を麻痺させているようです。
逃げられない苛酷な状況に繰り返しさらされると、脳は、苦痛を受けているのは自分ではない、と認識してやりすごそうとします。
言い換えれば自分の身体を他人の身体のように認識することで、苦痛の感覚を切り離して「他人事」にしてしまいます。
近年の神経学者アントニオ・ダマシオによる意識に関する研究によれば、「自己」という意識は身体的な感覚(内受容感覚)の集まりから生み出されています。
つまり、解離によって身体的な感覚を切り離せば、身体的な感覚から生み出されている「自己」の一部もまた切り離されて「他人」になります。
そのため、解離している人は、意識していようがいなかろうが、またDIDと診断されていようがなかろうが、感覚遮断を行っている時点で、必ずある程度は人格の分離が生じている、ということになります。
「自己」を「他人」だと認識した結果、たとえば、暴行されている自分を体外離脱して他人のように見下ろしている、失感情症になって自分のトラウマ経験を他人事のように語る、夢の中で第三者として自分を遠くから見ているといった傍観者的な視点に変わります。
参考資料
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳
離人症性障害になると、自分のことが知らない他人に思えてくるし、情動を感じる能力も低下する。このことは、「私は誰?」という謎にどんな手がかりを与えてくれるのか。
それは自己をつくりあげるうえで「いちばん重要なのは物理的な感覚と内部感覚」だということ。メドフォードはそう話す。「感情は体性感覚情報で構築されるというダマシオ的観念ですよ」(p183)
あくまで推測だと前置きしたうえで、セスはこうしたエラーが、解離を引き起こすのではないかと言う。
自分の身体と情動に現実感が失われ、身体が分離したり、自分自身が他人みたいな感覚に襲われるのだ。
エラーに見舞われている脳が、それでもがんばって予測を行なった結果、内受容信号の発信源は自己ではなく非自己だと仮定するのだろうか。(p193)
9つの脳の不思議な物語
すべてがうまく働いているときは、脳が行う、身体の内部で起こっていることについての予測が、実際の信号とも一致する。そしてその情報が、「自分」のものだという感覚が最も高まる。
しかしどこかうまくいかなくなり、例えば予測や体内からの信号を統合する過程に問題が起こったりすると、脳が体内の状態を予測しても、それが実際に受け取った信号と一致しない。
脳はこの混乱を解決しようと、身体からの信号とそれによって起こる感覚が他のところからくるものと考える。
その結果、自分の身体や思考とのつながりが感じられなくなったり、自分がちゃんと参加していなくても身の回りの世界が動いているように感じたりしてしまう。(p226)
小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)
たとえば、身体的虐待を受けた場合は前頭前皮質および島皮質に萎縮が見られた。「島皮質は身体帰属感や個人の主体性と関わりがあります」とブラムバーグ。
「この発見は、身体的虐待を受けた子どもがしばしば訴える解離症状がこの部位の萎縮に関連している可能性を示しています」。
子どもが自分の心と身体を切り離そうとするのは、それが自分の身に降りかかる恐怖から逃れるための唯一の方法だからだ。
そうした子どもは心の中で「どこにでも行く」。ひねられているのは自分の腕ではない、叩かれているのは自分の顔ではない、性的虐待を受けているのは自分の体ではないと言わんばかりに。(p155)
芸術の中動態―受容/制作の基層
例えば、離人症の患者は、自分の身体について次のように語っている。
私のからだもまるで自分のものでないみたい。だれか別の人のからだをつけて歩いているみたい。[木村、1981、61頁]
昨晩はまだ、手を腕の方へ押しつけてやらないと手が固定しないような感じでした。この前先生に、自分があると感じるためには自分を自分の中に、自分のからだの中に押し込んでやらなくてはならないんだとお話しした通りだったのです。手も同じことで、腕はこれまで切り株みたいだったのが今では手が元通り腕から生えています。(回復途上の患者のことば)[GEBSATTEL,S.26.訳52頁]
歩いても、歩いているのではなくローラースケートに乗っているような、車輪にのっかって動いているような感じだったのは、足の中に自分がいなかったからなのでしょうか?[同]
「別のひとのからだ」「切り株」「ローラースケート」「車輪」―患者は自分の身体をこれらのものにたとえる。ここで訴えられるのは、自己の身体が、自分の体としてではなく、ただの事物としてしか感じられないということである。
本来、自己の身体は自分にとって、他のものとは違ったものとして感じられる―あまりにも当たり前で、普段はほとんど意識されることのない私と私の身体の関係を、離人症患者のことばは逆投射する。(p47-48)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
これは解離の影響である。シャロンはまるで他人に起きた出来事を説明しているようだった。
彼女は自分のからだの外側にいて自分を観察していて、彼女自身はそこにはいないかのようだった。
彼女は解離の原因となったショックの瞬間に未だとどまっていた。しかし解離のおかげで、想像を絶するような恐怖と戦慄から免れることができたのだった。(p206)
見てしまう人びと:幻覚の脳科学
解離という考え方は、ヒステリーや多重人格障害のような病気だけでなく、心的外傷後ストレス症候群の理解にとっても、きわめて重要に思われる。
命にかかわる状況になったとき、人は即座に自分から離れる、つまり解離が起こる可能性がある。
衝突事故に遭遇しているドライバーが、自分の車を遠くから、まるで劇場の見世物のように、当事者ではなく傍観者のような感覚で見る場合がそうだ。
しかしPTSDの解離はもっと根本的なものである。おぞましい経験の耐えがたい光景、音、におい、そして感情が、心の奥深くの地下室にしまい込まれるのだ。(p287)
解離している人は、身体的な感覚が「自己」と「他人」に切り分けられているので、そこから生まれる人格も、必ず複数に分裂しています。
そして、無意識のうちに人格が別人のように切りかわるスイッチングと呼ばれる症状を呈します。
ほとんどの場合、人格の内部分裂は、社交辞令をこなす「表面的にノーマルな人格」(ANP)と、トラウマ記憶をコンテナ詰めにして無意識下に封じこめた「感情的な人格」(EP)に分離するというかたちで表れます。
ふだんは「表面的にノーマルな人格」が冷静に日常生活を送っていて、何も問題がないかのように振る舞いますが、ときおり「感情的な人格」にスイッチングして人が変わります。
いつも冷静な人が、突然、キレたりパニックになったりするのは、スイッチングによる軽度の人格交代です。
前項で考えたような、無意識のうちに身体的な記憶を「再演」してしまう症状も、軽度の人格交代とみなすことができます。
より高度にそれぞれの人格が組織化されている人の場合、もっとはっきりとしたスイッチングが生じ、日常生活のさまざまな状況ごとに別々の人格に切り替わって役割分担するようになります。
これが解離性同一性障害(DID)、いわゆる多重人格です。
人格が複数に分裂した人は、場面ごとに異なる人格を使い分け、それぞれの人格が別々の記憶を保持していて、記憶の断裂が生じていることもあります。
参考資料
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
そうした変化は臨床現場では「スイッチング」と呼ばれており、トラウマを負った人にしばしば見られる。
患者は話題が変わるたびに、まったく違う情緒的状態と生理的状態に入る。
スイッチングは声のパターンのはなはだしい変化としてだけでなく、表情や体の動きの変化としても表れる。
臆病な人から強引で攻撃的な人へ、心配症で他人の言いなりになる人からいかにも魅惑的な人へと、人格が変わるようにさえ見える患者もいる。(p396-397)
図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法
混沌とした家庭で暮らしている子どもにとっては、ある自我状態から別の自我状態に切り替わる(スイッチする)こと、そしてスイッチしたあと、その前の状況をすっかり忘れてしまうことは、辛い現実を生きていく手立てになります。
そのようにして、異なる自我状態は異なる状況にうまく対応することを学ぶのです―たとえそれぞれがどれほど異なる状況であったとしても。(p41)
子どもは世間的に好ましい顔として機能する“誤った自己”を作り出し、口では「大丈夫だよ」と言います。自己の内側に健忘というカーテンを下ろし、現実はその背後に押しやられ、意識の外に置かれます。
…Nijenjuis et al.(2004)の功績のひとつは“表面的にノーマルな人格部分(ANP)”という概念を打ち出したことです。
これは前を向き、人生に向き合い、外からは健全に見える自我状態があることを示唆しているため、有効な概念です。
本書ではこのあと、主として“フロントパート”または“ANP”という言葉を使うことにします。
Nijenjuis et al.(2004)はまた、適応的に解決されていないトラウマ体験を抱えている“感情的人格”(EP)についても述べています。
ANPは外界でふつうに暮らしノーマルに見えますが、“EP”は通常、未処理のトラウマ記憶に端を発する態度・感情・身体感覚・認識を備えた“子どものパーツ”です
心に重荷を抱えたEPのことを、苦痛の容器という意味を込めて、私は“コンテナ・キッズ”と呼んでいます。(p39-40)
前述のとおり、わたしたちの自己、つまり人格とは、身体的な感覚から生み出されているものです。
ということは、PTSDの人が抱える身体的感覚のフラッシュバックと、DIDの人の人格交代は、実は同じ現象だとみなせます。
断片的に散らばった身体的な感覚が、突然 自動的に再生されてしまうのがフラッシュバックであり、もっとまとまって人格のかたちになった身体的な感覚が、突然 自動的に現れるのが人格交代なのです。
DIDは、映画などの娯楽作品でセンセーショナルに描写されたり、オカルトと結びつけられたりしてきたたため、まれで奇妙な症状であるかのように誤解されがちです。
しかし、たとえ典型的なDIDではなくても、軽度のスイッチングによってキレたりパニックになったりする人を含め、さまざまな程度のグレーゾーンの人たちが大勢存在しています。
さらに実際にはDIDであるにもかかわらず、人格交代したときの記憶が完全に失われていたり、めったに人格交代しなかったりするために、自分がDIDであることに気づくことができていない潜在的なDID当事者も大勢いると思われます。
参考資料
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合
またこのことは、PTSDのフラッシュバックも一種の人格交代現象に類似する、という見方を促すことにもなるであろう。(p146)
フラッシュバックとは、PTSDの症状に特徴的とされ、ある種のトラウマをその時の知覚や感情とともにまざまざと再体験することである。
つまり、この子どもの人格部分の出現は、そのフラッシュバックが「人格部分ごと生じる」現象として理解することができるだろう。(p154)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
解離性同一性障害に見受けられる内部分裂や異なる人格の出現は、幅広い精神生活の領域の極端な例にすぎない。
自分の中に相容れない衝動や部分がいくつもあるという感覚は誰しも抱いているが、トラウマを負い、生き延びるために極端な手段に頼らざるを得なかった人々には、とりわけ顕著なのだ。(p457)
解離性障害―多重人格の理解と治療
私は日常の臨床感覚として、DIDの患者はいたるところに眠っているという印象を受けるようになった。…いわば潜在的なDIDのケースにも何人も出会った。
彼女たちの中には、いわば不全形の病像を示し、交代人格が十分に「結晶化」されていないために、それらを同定することが難しい場合もある。
このような場合は、その病理を明らかにする過程で解離症状が頻発し、一時的に社会機能が悪化する可能性も否定できない。(p164-165)
図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法
特に治療の初期段階にいるDIDクライエントは、実際には重度の解離症状があっても、自分の症状を軽く報告しがちなところがあります。
こうしたことが起きる理由のひとつに、解離性健忘のせいで、クライエントが解離症状に気づいていないことが挙げられます。(p54)
Q8 なぜ解離はさまざまな表れ方をするの?
A ストレスの種類が異なれば解離の表れ方も変わります
解離は病気ではなく防衛機制です。慢性的なストレスによって引き起こされる解離は、後遺症ではなく適応である、といえます。
慢性的に激しい感覚刺激にさらされる異常な環境でも、なんとか生き延びていけるよう、生物としての身体が適応を遂げた結果だということです。
自然界の動物に見られる適応進化が非常に多様なことからわかるとおり、環境が違えば、適応の形もさまざまに変化します。
解離は過剰な感覚を切り離す能力なので、どんな過剰なストレスを受けたかによって、何をシャットダウンするかが変化します。
慢性的なストレスが心理的なネグレクトであれば、感情を切り離して心を守る失感情症という形で解離が生じます。
もっと心身全体が絶えず脅かされる環境なら、全身の感覚を切り離して身を守ろうとする離人症など、より重い解離が生じるでしょう。
事実、子ども時代にどのようなトラウマを受けたかによって、脳に生じる変化が異なることが確認されています。
一人ひとりトラウマの内容は異なるので、解離の症状もまた一人ひとり違っており、同じ症状は存在しないということです。
参考資料
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
マクリーン病院のマーチン・タイチャーによるのちの研究で、どの発達段階でどのような種類の虐待を受けたかによって、影響を受ける脳の領域が変わってくることが明らかになった。(p233)
いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳
Teicherは、幼い頃に激しいストレスにあうと、脳に分子的・神経生物学的変化が生じ、おそらく(非適応的なダメージが与えられてしまうと考えるより)、神経の発達をより適応的な方向に導いたのではないだろうかと推測している。
たとえそれが過剰適応になったとしても、危険に満ちた過酷な世界で生き残り、かつ、子孫をたくさん残せるように、脳を適応させていったのではないだろうか。
つまり虐待による脳の変化は、冷酷な世界を生き抜く“適応”ではないのだろうか。(p126-127)
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
ジャネは解離がトラウマとなった体験の結果としての適応を決定する重要な要素であると信じていた。
…ジャネはまた、解離がもう有効な機能ではなくなって適応的な価値を欠くようになっても、その後のストレスに対する対処行動として存在し続けることがしばしばあるとも述べている。(p364-365)
図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法
前ページのイラストに描かれたルースの場合、家族と朝食をとったり学校で勉強したりするとき、前夜に父親が彼女の部屋に入ってきて性的虐待をしたことをまったく覚えていない。
逆に、夜間父親から性関係を強要されているとき、ルースは日曜の教会で父の隣に座っている自分のことを覚えていないのかもしれない。彼女にとっては、思い出さないことが辛い現実を生きていく最善の方法なのだ。(p42)
ルースの自己同一性(アイデンティティ)と時間の連続性は犠牲になるが、「そんなことは私に起きていない」という幻想を信じ込むことで、彼女はなんとか苛酷な現実を生き抜いてきたのだった。(p40)
私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて
子どもにはありがちなことで、鋭い身体的・精神的苦痛、またはそういう苦痛が起こりそうな不安に対する、きわめて効果的な防御として解離が使われている。
解離性同一性傷害は、高度に創造的な生き残り手段とよく言われる。この手段が効果的なのは、解離していれば、とくにトラウマ的出来事の発生状況などの情報が、通学、交友、スポーツなどの日常活動の情報に関連づけられないからだ。
トラウマ的情報は、しばらくのあいだ、望ましくは、経験に直面できる強さと洞察力を獲得するまで、直接的な意識から遠ざけられる。(p15)
すでに書いたとおり、普通の人とDIDの人のあいだのグレーゾーンには、さまざまな程度の解離を呈する人たちが連続的に分布しています。
ヴァン・デア・ハートらの構造的解離理論によると、少なくとも解離には3つの段階があるとされ、第一次解離、第二次解離、第三次解離にわけられています。
突然我を忘れてキレたり、パニックやフラッシュバックを起こしたりする軽度のスイッチングの症状は「第一次解離」にあたります。
体外離脱体験のように、感覚が麻痺し、感情を失った傍観者のようになり、遠くからトラウマ体験を眺めて冷静でいる状態は「第二次解離」です。
解離性同一性障害のように、アイデンティティが複数に分割され、トラウマ経験を保持する人格部分と、表面的に健常な人格部分とに切り離されるのは「第三次解離」にあたります。
これらは表に出ている症状は異なりますが、当事者の解離傾向の程度や、ストレスの種類や期間によって、どの程度解離が強く働くか、という違いが生じているスペクトラム的現象(解離性連続体)だと考えられています。
幼少期に愛着トラウマがあったり、ストレスが慢性的であったりするほど、より重い解離に進展しやすいようです。
参考資料
図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法
私の面接室にやってくる人は、誰もが解離性連続体のどこかに属しています。
…下図の解離性連続体は、左端のノーマルな役割や状態から、右へ進むごとに内面の葛藤や未解決のトラウマが増え、健忘をともなう解離性同一性障害に至るまでを示しています。(p50)
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
解離という言葉は現在、3つの異なる、しかしながら関連する精神的な事象に対して使われている。(van der Hart,van der Kolk,& Boon,1996)
子どもや大人の多くは圧倒的な脅威に直面したとき、起こっていることの全体像を意識に統合することができない。…この状態が「第一次解離」(primary dissociation)であり、PTSDの特徴である。
PTSDの最も劇的な特徴は解離したトラウマ性の記憶の表出ー強烈な動揺を起こさせるような想起、悪夢、フラッシュバックなどである。
ひとたび個人が精神的にトラウマを受けた(解離の)状態になると、個人の経験の要素の解体がさらに起こる可能性がある。
…距離を置くという第二次解離(secondary dissociation)の方策によって、個人はトラウマ体験を目撃者として観察するようになり、痛みや苦痛を制限することができるようになる。
…第二次解離は人がトラウマに関する感覚や情緒と接触しないようにする。いわば人を無痛化する。
…トラウマ体験を含むような異なった自我状態―異なる認知、感情、行動パターンを有する複雑なアイデンティティから構成される―が発達するとき、それを「第三次解離」(tertiary? dissociation)と呼ぶ。
いくつかの自我状態は、特定のトラウマの経験に関する痛み、恐怖、怒りを保持しているか、ほかの自我状態はトラウマとそれに付随する感情には気づかないまま、日常のルーチンワークを行ない続けている。
その例は解離性同一性障害(DID)における多重解離性アイデンティティ(交替)部分であり、それらのうちのいくつかは、ひとつあるいはそれ以上のトラウマの事件に対して異なった局面を経験している。そして他のものはこの耐えがたい経験に気づかないままいるのである。(p164-165)
慢性的なストレスの内容や、恥とされる概念は、時代や文化によってもさまざまに異なります。
そのため、ひとくちに「解離」と言っても、国や地域によってさまざまに症状は変化します。
ある文化でのみ見られる独特な解離現象は、「文化結合症候群」(文化依存症候群)として知られています。
社会の中で経験する慢性的なストレスは、単に時代や地域によって変わるだけでなく、男性か女性かという性別によっても大きく変化します。
わたしたちの文化で重篤な解離を発症するのは圧倒的に女性が多いと言われていますが、こうした文化ストレスの性差が、症状の表れ方や程度に反映されていると思われます。
近年増加しているとされる、身体症状を伴う「現代型うつ」や「新型うつ」、やはり増加している「不登校」もまた、文化結合症候群としての側面を持っています。
会社や学校といった、現代文化特有の状況下でのみ、身体が凍りついたり動けなくなったりするといった解離症状が現れ、現代文化以前の社会では存在していなかったからです。
参考資料
恥と「自己愛トラウマ」―あいまいな加害者が生む病理
文化結合症候群にはさまざまな興味深い病理現象が多く数えられており、その大半は解離性の障害だと考えられる。(p162)
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害
まず、ヒステリーについて考えてみましょう。
紀元前のエジプトやギリシャですでに報告があり、その後も洋の東西を問わずよく似た病態が知られていることを考えれば、ヒステリーという病理、すなわち、なんらかの精神的ショックによって痙攣を起こしたり、身体に麻痺が生じたり、錯乱や夢幻状態に陥ったり、さらにはなんらかの憑依や人格交代が生じるという病理は、文化や時代にかかわらずみられるようです。
しかし、同じヒステリーでもどのような症状をもつのかという点については、文化によって差があります。
たとえば、アイヌの中年女性にしばしばみられる、命令自動やカタレプシーなどを示すこの地域特有の「イム」という病態があります。
ほかにも世界中に地域特有の精神病が知られていて、それらは文化結合症候群と総称されますが、一部はヒステリーと考えられています。(p15)
まず、解離性障害という疾患そのものは文化や時代にかかわらず普遍的に存在すると考えてよいでしょう。
しかし、その症状の現れ方は周囲の状況によって大いに影響を受けるため、文化や時代によって表に現れる病態に違いが生じるのだと理解することができます。(p15)
Q9 どんな場合に慢性的な解離になるの?
A.どこにも逃げ場がない状態で繰り返しストレスを受け続けたときです
通常、わたしたちが経験する解離は一時的です。ブレーカーが落ちてもすぐ復旧できるのと同じです。
しかし、慢性的な危機にさらされて、そこから抜け出す方法がない場合、ブレーカーがいつも落ちたままになってしまいます。
マイヤーとセリグマンは逃げられない状況で繰り返し電気ショックを受けた犬が不動状態(慢性的な解離)に陥ることを発見し、これを「逃避不能ショック」と呼びました。
どこにも逃げ場がないというのは、文字通り体を拘束された場合だけでなく、恥ずかしさなどのため、心理的に追い詰められる状況も含みます。
子どもが「どこにも逃げ場がない」と感じる環境は、たとえば虐待や機能不全家庭などのほか、子ども時代から難病を患っていて自由に動けないことや、学校でのいじめ、絶え間ない緊張感など、実にさまざまです。
どこにも逃げ場がなくなったとき、最後の手段として、自分の身体の所有権を手放し、「自己」を「他人」だと錯覚させて苦痛を感じなくしてしまう、これが解離です。
参考資料
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
マイヤーは、ペンシルヴェニア大学のマーティン・セリグマンと共同研究を行なった。彼の論題は、動物における学習性無力感だった。
マイヤーとセリグマンは、錠を下ろした檻に犬を閉じ込め、痛みを伴う電気ショックを繰り返し与えた。二人をそれを「逃避不能ショック」と呼んだ。
…私はマイヤーの説明に釘付けになった。彼とセリグマンが哀れな犬たちにやったのとまさに同じことが、トラウマを負った人間の患者たちの身に起こっていた。
…闘争/逃走反応が妨げられてしまい、その結果は極端な動揺あるいは虚脱状態だった。(p57-58)
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
私たちは、逃げるか、身を守ることができる可能性があれば、闘争か逃走を選択します。適応反応としての闘争/逃走を起動するために、交感神経系を刺激します。
しかし、もしどこかに閉じ込められたり、押さえつけられている場合には、非常に限られた選択肢しかありません。
このように極めて危険で、命が脅かされる状態であるときには、恐怖のために、反射的に失神したり、不動化したり、解離状態に陥ったりします。こうした防衛行動は、系統発生的に古い回路に依存しています。(p236)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
後に獲得されたシステム(社会的交流または闘争か逃走)のいずれによっても状況が解決されない場合、または死が差し迫る場合―絶体絶命システムが発動する。
不動、シャットダウン、解離を支配するこの最も原始的なシステムが、あらゆる生存の試みに取って代わり、乗っ取ってしまうのだ。(p122)
この絶体絶命の不動系は緊急時に短時間のみ機能するようになっている。慢性的に作動すれば、本当に生きているわけでも実際に死んでいるわけでもない非存在という地獄のような状態に陥ってしまう。(p127)
私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびて
このような症状は、身体的な逃げ場のない圧倒的なトラウマ的状況を経験した人によく起こる。肉体に逃げ道がなければ、頭の中で「逃げる」しかない。
直観的に特定の感情、身体的感覚や反応、行為、そして自己同一性までも、切りはなしてしまう。(p15)
サイコロジカル・トラウマ
彼女は4歳半のとき重症のポリオを患った。脱力感と歩行困難から始まり、全身の麻痺へと進展し、長期の入院加療を要した。彼女は1年半ほど子ども病院に入院し、少なくともある期間は経管栄養や人工呼吸器による治療を受けていたようである。
…子どものとき、メロディはまさに「自分の身体を無くした」。身体は実際のところ、動けず、感覚が無く、そして管や危惧またおそらく鉄の肺(人工呼吸器)などによってひどく歪められていた。
彼女は長い間というもの死の予感に直面していたのである。この期間に、極端な孤立と身体を動かせないことは、明らかに患者の空想生活の拡大と、解離傾向の増大に影響していることが予想される。
家族から断固とした援助を受けることも同調されることもなかったため、この情緒的孤独と身体不全の恐怖の現実的体験は、よりいっそうひどいものになった。
彼女は守られ癒してくれるものとして経験できる安定した内的世界を得ることができなかった。(p178)
Q10 解離になりやすい人は?
A. (1)感覚過敏な人 (2)愛着が不安定な人 (3)自己抑制が強い人 (4)女性 (5)現代文化で育った若者 です
(1)感覚過敏な人
自閉スペクトラム症やHSPの人は強い感覚刺激にさらされるため、日常のいたるところで、生き抜くための手段として無意識のうちに感覚を遮断したり麻痺させたりして、習慣的に解離を使っていることがあります。
参考資料
トラウマをヨーガで克服する
現代神経学の父として知られるジャン=マルタン・シャルコー(1825~1893)はヒステリーを研究し、諸症状の中に共通するパターンを確認した。
彼は、外傷的な刺激と、“ヒステリー”に見られる症状には明らかな関係があることを証明した。
人はヒステリーになるような傷つきやすさを体質として受け継いで生まれてくることがあるが、それを病気として発症させる〈引き金〉は、トラウマを生ずるような出来事であると、シャルコーは示唆したのである。(p16)
解離の舞台―症状構造と治療
精神科臨床では、自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder:ASD)と診断される患者のなかに解離症状を併せ持つ一群がいることは知られている。
ここではそういった病態を、「解離型自閉症スペクトラム障害(解離型ASD)と呼んでおく」。(p192)
ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)
HSPについての調査を始めてすぐに、私はHSPには二種類あることに気づいた。うつ状態や不安感を強く訴える人々とあまり訴えない人々だ。このふたつのグループの違いははっきりしている。
前者のグループに属するHSPのほとんど全員が問題の多い子供時代を過ごしている。
…ただ、現在の問題の要因となった子供時代の大きな出来事を、本人が覚えていないことが多い。
ごく小さい時に起こったから覚えていなかったり、あまりにも苦痛だったために、わざと忘れてしまう。
つまり意識がその情報を無意識に葬り去ってしまったのだ。この無意識が、深く不信に満ちた態度を創り上げ、うつ状態や不安感を引き起こす。(p126)
ホールディング(抱かれること)が充分でなかったり、自分の存在が無視されたり、あるいは虐待されたりすると、乳幼児にとってあらゆる刺激が耐え難いものとなる。そうなった時、乳幼児が唯一できることは、意識を眠らせ、そこにいることをやめてしまうことだ。
そうやって、防衛手段として「現実から解離すること(dissociating)」が習慣になっていく。(p96)
(2)愛着が不安定な人
生後2-3年ごろまでの養育環境により愛着が不安定になった人たちは、解離を用いてストレスに対処することを学習する場合があります。
前述のように、愛着(アタッチメント)とは一緒の手続き記憶(感覚記憶)です。
生後2、3年間の出来事は顕在記憶には残りませんが、生涯にわたって、無意識の身体のパターンとして記憶されています。
幼いころの養育環境によって形成される愛着のタイプには、安定型、回避型、不安型、無秩序型の4つがあります。
回避型(拒絶型)の人たちは、感情だけを切り離す失感情症のような軽度の解離になりがちです。そのため、意識の上ではストレスを否認して、原因不明の身体症状だけを訴えます。
不安型(両価型)の人たちは、突然キレたり、性格が変わったりする軽度の人格の交代(スイッチング)を経験しがちです。
両者の特徴を合わせ持った無秩序型(混乱型)と呼ばれるタイプは慢性的な重度の解離を経験しやすく、成長してからのトラウマによって解離性障害や解離性同一性障害になるリスクが高まります。
自身がどのタイプかは、ネット上にもある愛着スタイルテストである程度判別できます。
参考資料
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合
すなわち解離性障害とは、それが基本的に「愛着トラウマ」による障害のひとつと理解されることを常に念頭に置いておくべきなのである。(p15)
解離性障害を「幼児期の(性的)トラウマ」によるものとしてみるのではなく、愛着の障害としてみることのメリットは大きい。(p17)
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害
1991年には、Barach,P.M.M.がはじめて解離性同一性障害とD-アタッチメントの関連を示唆し、2003年にLyons-Ruth,K.によって、D-アタッチメント・タイプの幼児は解離性障害になるリスクが高いと指摘された。(p78)
※D型とは無秩序型のことを指す。
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
ライオンズ=ルースは、赤ん坊の誕生後二年間に母親が関与も同調もしないことと、その子供が成人したときに解離の症状を見せることとの間に、「顕著で意外な」関係があるのを発見した。(p200)
ライオンズ=ルースの研究から、解離は幼少期に学習されることが明らかになった。のちの虐待やその他のトラウマでは、若年成人に見られる解離の症状は説明がつかなかったのだ。
虐待やトラウマは、他の多くの問題のおもな原因だったが、慢性的な解離や自分に対する攻撃性の原因ではなかった。(p201)
解離の舞台―症状構造と治療
ライオンズ=ルース(Lyons-Ruth 2003,2006)によれば、虐待や外傷などは後の解離症状を予想しなかったのに対し、幼児の18ヶ月における母親の混乱した感情的コミュニケーションは19歳における解離症状をかなり予想したという。(p139)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
被害者の年齢が若く未発達で愛着が不安定であるほど、その人がストレスや脅威、危険に対して積極的に抵抗することよりも麻痺で反応する傾向が強くなる。
主たる養育者との間にしっかりとした初期の愛着の絆が形成されておらず、それゆえ安心感の基礎を欠く人たちは、事件やトラウマ被害に遭うことでより傷つきやすく、恥、解離そして抑うつという確立した症状を発症する可能性が高くなる。
さらにトラウマと恥の精神生理学的パターンが似ていることから、恥とトラウマには本質的な関連性がある。(p75)
講座 子ども虐待への新たなケア (学研のヒューマンケアブックス)
乳幼児期の発達過程において、安定した他者、一般的には父親や母親との間のアタッチメント形成をとおして自己イメージが形成される。
もし他者が七色に変化すれば、七色の自己が現れてくるわけである。まして、あるときは殴られ、あるときは抱きしめられるというような状態が続くとすれば、自己の核となるものは非常に不安定とならざるを得ない。
こうして生じるアタッチメント障害は、自律的な情動コントロール機能の脆弱さ、つまりレジリエンス(resilience)機能の不全として現れてくる。
その結果、容易に解離反応を生じ、スイッチング(人格交代)といった自我の分裂につながっていく。(p117)
(3)自己抑制が強い人
嫌なことに対してノーと言えず、自分を周りに合わせてしまい、じっと辛抱するタイプの子どもは、感覚刺激から物理的に逃げる代わりに、感覚刺激を解離させることで対処しがちです。
ストレスに直面したときに感情を抑え、自己抑制することで、波風立てずに対処しようとする人、めったに怒らない、おとなしいタイプの人が解離しやすいといえます。
このタイプの人は、周囲の目を人いちばい気にして動けなくなってしまうことが多く、緘黙症や、回避性パーソナリティ障害と診断されたり、不登校になったりします。
参考資料
解離の舞台―症状構造と治療
解離性障害の患者には発病以前から認められる対人関係の特徴がある。目の前の相手や周囲の人に対して、過剰に気を遣って、合わせてしまう過剰同調性のことである。
…また必ずしも周囲に同調していることを意識しておらず、気づいたときにはすでに「自分が目の前の相手に合わせてしまっている」ことが多い。(p142-143)
解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論
場の空気を読むことが苦手な場合には、相手の表情や空気を読むことを意識して学ぼうとする。この辺りはアスペルガー症候群の解離群と関係してくる。
過剰同調性はいわば「強いられた」同調性であり、生命的な共鳴性共振性とは異なっている。(p140)
(4)女性
女性のほうが受動的で、ストレスに対して強い解離を示しやすいことがわかっています。
解離性障害や解離性同一性障害は、女性に圧倒的に多い病気の一つです。
研究によると、女性はストレスに対してより敏感で、もともとコルチゾールの分泌が男性より多いこと、そして限界を超えると反転して、コルチゾール値が逆に低下することが明らかになっています。
コルチゾールの値が低いことは解離と関係しているので、この研究結果は、女性は生物学的な理由から、たとえ同じストレスにさらされても、男性よりも圧倒されやすく、解離を起こしやすいことを示唆しているといえます。
また、歴史を通じて、女性は男性に比べ、文化的なジェンダーの性差から差別を受けやすく、幼少期から慢性的にストレスにさらされやすいため、一過性のストレスで済みやすい男性より解離を抱えやすいといえます。
近年注目されるようになった男女の発達障害の症状の性差は、突き詰めれば、女性のほうが解離傾向が強いという事実で説明できるように思います。
ADHDにおいて男性に多動性/衝動性の強いタイプが多く、女性に不注意の強いタイプが多いのは、おそらく男性は刺激に対し能動的な反応を示しやすいのに対し、女性は受動的な方法、つまり解離によって対処しやすいからです。
アスペルガー症候群を含む自閉スペクトラム症(ASD)において、男性に積極奇異型が目立ち、女性に受動型が多いのもやはり、女性はストレスに対して解離という受動的な手段で対処しやすいからでしょう。
さらに、慢性疲労症候群や線維筋痛症のような原因不明の身体疾患が女性に多いのも、前述したようにストレスの影響が解離性の身体症状として現れやすいからかもしれません。
とはいえ、男性は解離を経験しないという意味ではありません。持って生まれた感受性の強さや逆境的な生い立ちのために強い解離を起こす男性もいます。
男性は女性と解離の現れ方が異なっているだけで、解離の当事者が少ないわけではないという見解もあります。
おそらく男性は、離人症や解離性同一性障害のような重い解離ではなく、感情だけが切り離される失感情症や、カッとなって我を忘れる軽度の人格交代(スイッチング)が多いように思われます。
参考資料
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
女性は(心拍数を下げる)迷走神経と関連のある「凍りつき」のストレス反応をより多く示しがちである―反対に男性は交感神経―副腎系反応が優性であることが多い。(p17)
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合
解離と右脳との関係、ないしは幼少時のトラウマと右脳の機能不全との関係については、近年になりさらにいろいろとエビデンスが出されているようだ。
霊長類に関する研究によると、フリージング(固まり、凍りつき)状態では、右前頭葉の過活動(直観的には活動低下を想像しがちだが)とストレスホルモンの一種であるコルチゾールのレベルの低下がみられるという。(p22)
小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)
「男性はもともとコルチゾールの分泌が少ないため、ストレスとなる出来事が起きると、炎症をうまく抑えるためにコルチゾールの血中濃度が急激に上昇します」
それに対して、女性はエストロゲンの働きで最初から糖質コルチコイドの値が高い。「通常、健康でストレスのない女性はコルチゾールが多く分泌されます」とフェアウェザーは説明する。
ところが女性―とくに少女―がストレスとなる出来事に出くわして炎症反応がコントロールできなくなると、男性には起こらないことが起きる。糖質コルチコイドの分泌量が減るのだ。つまり、女性の体は炎症を抑制できなくなる。(p147)
脳の性差を研究しているマッカーシーは、女性のほうが自己免疫疾患を含む慢性の病気にかかりやすい理由として、さらに仮説を立てている。
「現代社会では、女性のほうが男性よりも多くのストレスを受けているという十分な根拠があります」。女の子は思春期に多くの逆境を経験する傾向にあるだけでなく、男の子にくらべて、毎日の生活で対人関係のストレスにさらされる機会が多いことが判明した。
女の子のほうが「魅力的ではない」「セクシーではない」あるいは「はしたない」「太っている」「胸がない」といった批判を受けやすい。
そればかりか、女性は一生を通じて病気にかかりやすく、男性と同じだけ働いても給与は低く、子育てや介護に時間を取られてキャリアを築くことが難しい。
そして成功した女性は、積極的というよりも強引、強いというよりも目障りだと見なされることが多い。
女の子はそうした差別が蔓延しているのを見て育つ。それだけでも免疫システムにダメージを与える慢性的なストレス要因となり、エピジェネティック変異や疾患の引き金となる。(p149)
(5)現代文化で育った若者
解離という現象が、昔から、あらゆる文化に普遍的に存在していたことは事実です。それは、各地に残されている、さまざまな文化結合症候群やヒステリーの記録によって裏づけられています。
とはいえ、現代文化では、心と身体が分離する軽度の慢性的な解離が、かつての社会よりも増加していると思われます。
その背景には、社会の文明化や、デジタル技術の普及があるようです。
もともと自然と共に生きていた社会では、五感すべてを同時に、統合して働かせるのが普通でした。あらゆることを身体全体で経験していました。
ところが、現代社会では、生き物として不自然な、特定の感覚だけに偏った生活が一般的になりました。
たとえばテレビやゲームでは、痛みや苦しみといった身体的感覚なしで、視覚や聴覚だけで戦いや冒険を経験します。
そのような偏った感覚体験は、身体の感覚だけを麻痺させて苦痛をやりすごす解離現象とよく似ています。
また、デジタル技術の普及によって、現実の空想の境目があいまいになりました。
インターネットやSNSが普及するにつれ、複数の人格モードを使い分けるのは普通のことだとみなされつつあります。
つまり、こうした文化で育った現代人は、軽度の慢性的解離に陥っているといえます。
たとえ重大なストレスやトラウマを抱えていなくても、ただ現代社会で生活し、学校や会社で日常生活を送っているだけで、軽度の解離状態に陥る人が増えているように思われます。
参考資料
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
最近では、度を越した特殊効果や、たくさんの車の衝突シーンがない映画を見つけるのも難しい。
私たちは文化的に、生命としてのからだが持つ繊細さを感じる能力を無視し、暴力や恐怖、爆発的でからだを震わせるような騒音の終わりない集中砲火に慣れてしまっている。
…貴重な自由時間は、現実の人との関わりの代用としてのオンラインでのチャットや、仮想空間にアバターを創り出すことや、携帯電話でテレビを見ることに費やされる。
…それでは、自分自身を十全に感じることはできない。途切れのない体験から形勢される豊かさを感じることができない。
…生き生きとして、五感で感じて、流れがあって、認知できるからだの中に実際に生きているというのがどんなものなのかを、私たちは感じるのだ。(p336-340)
ドリー・プレヴィンの歌のように、からだで経験されない神話的経験はまるで「定着しない」。そうした経験は地に足がついていないからである。
…トラウマを生き延びた人だけがからだから切り離されているのではない。
軽度のからだとこころの分離は現代文化に浸透していて、私たちすべてに大なり小なり影響を及ぼしているのである。(p419)
あなたの子どもには自然が足りない
フランクリン・アンド・マーシャル・カレッジの心理学助教授だった故エドワード・リードは、情報時代の神話に関する最も歯切れのいい批評家だった。
著書『経験の必要』の中で彼は、「世の中を良くするためにはほとんど役に立たない情報の滓を誰もがどこででも手に入れられるよう加工処理するために、金を使い何時間も努力するような社会は、何かが間違っている」と言う。
現代の主流派文化人もポップカルチャーの担い手も、リードが言った「最も根源的な経験」―自分で見る、感じる、味わう、聞く、嗅ぐということ―に何の注意も払わない。
リードによれば、私たちは「自分たちの世界を直接経験する力を失いはじめている。経験という言葉の意味には内容が伴わなくなってしまった。同様に、日常の生活の中での体験も貧しくなってしまった」(p86)
現代的な生活によって私たちの感覚は狭められ、ほとんど視覚的なもの、それもコンピュータのモニターやテレビのスクリーンのサイズに適したものになった。
反対に、自然は五感を刺激する。そして感覚こそ、子供たちが持つ最も原始的な自己防衛手段なのだ。(p201)
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
私たちが住む世界は認知機能にばかり焦点を当て、認知と身体的体験との統合がなされていません。
そのために解離が引き起こされ、それが人々の生活のかなりの割合を占めているのです。(p166)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
古代、野山を歩き回り、木の根や実を集め、狩りをしながら洞窟に住んでいた頃、私たちの存在は自然界と密接につながっていました。
…今日でもこの自然に備わった能力を行使するとき、私たちは高揚し、活気にあふれ、力強く、拡大し、エネルギーに満ち、どんな挑戦も受けて立つ用意ができているように感じます。
…しかし、現代社会では私たちがこうした力強い能力を発揮する機会はほとんどありません。
…自己の自然な部分とより深くつながっている人々が、トラウマに関してはうまく切り抜けることが多いのは偶然ではありません。
この原始的で本能的な自己という資源につながることができなければ、人間は身体を魂から切り離してしまいます。(p53)
Q11 生物学的に言えば解離とは何?
A 動物の「タヌキ寝入り」や「死んだふり」と同じ現象です
人間を含め、生物には4つのストレス反応が備わっています。
外敵に襲われるなど危機に面したとき、まず交感神経系が興奮して「逃走」か「闘争」を試みます。それができなければ「凍りつき」(固まり)か「擬死」(麻痺、死んだふり、タヌキ寝入りなどとも呼ばれる)が生じます。
前半の2つ、「逃走」か「闘争」が慢性的になっている人がPTSDで、後半の2つ「凍りつき」や「擬死」が慢性的になっている人が解離です。
大人になってから急性ストレスを受けてトラウマを抱えた人は前者のPTSDになりやすく、子どものころから慢性的にトラウマにさらされた人は後者の解離になりやすいと言われています。
参考資料
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
普遍的で原始的な防衛行動は「逃げるか戦うか」戦略と呼ばれます。
攻撃を必要とする状況であれば、危機に面した動物は戦います。もし脅かされた動物が戦いに負けそうであれば、可能ならば逃げるでしょう。こうした選択は熟考の上行われるのではなく、爬虫類脳と脳の辺縁系によって本能的に指揮されます。
逃走も戦闘も動物の安全を保証できないときには、もうひとつの自衛策があります。それは硬直(凍りつき)で、これも逃走や戦闘と同様に、生き残るためには普遍的で基本的なものです。
なぜかこの防衛戦略については生物学や心理学の教科書で他の2つと同列に論じられることはめったにありませんが、それでも硬直は危機的状況においては同じくらい有効な生存戦略です。(p114)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
哺乳類の闘争/逃走系は私たちを保護し、私たちが機能停止に陥るのを防ぐ。爬虫類脳は虚脱反応を引き起こす。
これらの二つの系の違いは、大きなペット店で目にすることができる。子猫や子犬、マウス、スナネズミは、絶えず遊び回っており、疲れるとぴったりと身を寄せ合い、一塊になる。それとは対照的に、ヘビやトカゲはケージの隅にじっと身を横たえ、環境に反応しない。
爬虫類脳が引き起こす、この種の金縛り状態は、慢性的なトラウマを抱えた人の多くによく見られる。
哺乳類脳がパニックと憤激を引き起こし、トラウマを負ってからそれほど時を経ていない人々を心底おびえさせ、また、他人をおびえさせる存在にしてしまうのとは対照的だ。(p137)
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
今まで科学者も臨床家も、人間の科学者も臨床家も人間の神経系がストレスに対抗し自己防衛するには、「戦うか・逃げるか」というたった一つの反応しかないと考えていました。
…しかし「ポリヴェーガル理論」では、「危険」や「生命の危機」に瀕したときには、ストレス反応とは違った防衛反応が起きると考えています。そこでは、自律神経系の反応は大きく抑制され、副交感神経の古い神経経路が使われます。
…この議論には欠けている要素があります。それは「可動化」を伴う闘争/逃走反応に代表される防衛反応とは違う、二番目の防衛システムがあるということです。
それは「不動」、「シャットダウン」そして「解離」です。…残念ながらトラウマ治療に真剣に取り組んでいる臨床家たちでさえ、この「不動状態」を伴う自己防衛システムについて、あまりよく理解していないようです。(p32-33)
「不動」、「徐脈」、「無呼吸」は、哺乳類が誕生するずっと昔の、太古の脊椎動物において発達した防衛機能だったのです。
ペットショップに行って、爬虫類を観察してみてください。そうすれば、この防衛機制を理解することができます。
爬虫類を見ていると、じっとしてあまり動きません。爬虫類にとっては、この「不動状態」が基本的な防衛システムなのです。
しかしハムスターや家ネズミなどの小さな哺乳類を見てください。彼らはまったく違った行動様式をとっています。小さな哺乳類はつねに動き回っています。
…闘争/逃走反応という防衛機制では、「可動化」が主要な要素です。しかし、太古の脊椎動物の防衛機制は、それとは反対のものです。
「不動状態」、「擬死」あるいは「死んだふり」は爬虫類やその他の脊椎動物にとっては適応的な行動でした。
しかし、哺乳類は酸素を大量に必要とするため、こうした反応は潜在的に死に至る危険があります。哺乳類も、生命を脅かすようなことが起きたときには「不動状態」に陥ります。
そして「不動状態」に陥った後、普通の状態に戻ることは非常に難しいと考えられます。これが多くのトラウマのサヴァイヴァーにも起きていることなのです。(p40-41)
トラウマをヨーガで克服する
“屈服の反応”は、身体の積極的防御の停止、つまり解離反応である。人間のこの反応は野生動物の“死んだふり”に似ており、屈服反応の生理学的な表現が、動物の世界の“負け”の反応に関して、われわれが知っているものに匹敵するのではないかと思われる。
屈服反応では、副交感神経の原初的な無髄植物性迷走神経が活性化され、身体の積極的防御が停止し、血圧と心拍数が減少する。
屈服反応において身体はまた、痛覚の伝達にかかわり、時間・場所・現実に対する感覚を変容させる。内因性オピオイド〔麻薬様物質〕も生み出す。
この反応の目的は、攻撃者のさらなる憤激を回避することと、攻撃に伴う苦痛の経験を切り離すことである。(p30)
サックス博士の片頭痛大全 (ハヤカワ文庫NF)
闘争-逃走反応は、それが極端な場合には重要なものだが、現実の動物の世界でみられる現象の半分を示しているに過ぎない。
他の半分はそれほど劇的ではないが、正反対の反応という点でやはり劇的なのである。その特徴は、威嚇に対して無動を保つことである。
…動物の世界においては、威嚇に対する反応としては急激なものよりも受け身反応のほうが重要であり、そのレパートリーは著しく多彩である。
その特徴は、一般的に分泌が増え内臓が活発になるのとあいまって、無動を保つ(ただし姿勢の制御や意識の覚醒はやや失われる)ことだ。
いくつか例示すれば、恐怖におののく犬(パブロフの「わずかに抑制的なタイプ」の犬ではとくに)は身体をすくませ、嘔吐し、便を失禁する。ハリネズミは、身体を丸めて脅威に対抗する。
スナネズミは筋肉の緊張を突然失ってカタトニーのように硬くなり、オポッサムは失神様無動すなわち「偽死」を装う。馬は驚愕して「凍りつき」、冷や汗を流す。
スカンクは恐怖を感じると凍りついて汗腺に変化が生じ、汗がほとばしる(分泌反応は攻撃的機能と考えられる)。また危険にあったカメレオンは凍りつき、体色を環境に似たものに変えるという独特の反応をみせる。(p381-382)
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合
解離において起きていることを明らかにするということは、これまでの恐怖の際のキャノンCannonの理論、つまり「fight-flight response 闘争・逃避反応」だけでは十分ではなかったということを意味する。
…要するにキャノンのストレス時の2つのFの理論に、もうひとつのF、つまりfreeze response(固まり反応)が加わるのだ。
そしてそれだけではなく、もう一つP、すなわちparalysis(麻痺反応)も加えなくてはならない。
すると、危機の際の反応は、
積極的なもの……闘争、逃避
消極的なもの……固まり、麻痺
の2種類に分かれることになる。
そして後者の消極的なものは解離に関係づけられるというわけである。(p22)
ところで解離において右脳で起きていることを知るためには、心的外傷後ストレス障害(以下PTSDと記載する)の右脳で起きていることを理解する必要がある。
解離とPTSDは、ともに心的なトラウマに対する心ないしは脳の反応といえるが、そこではおおむね逆のことが起きているものとして説明し、理解するのが最近の傾向である。(p19)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
強いトラウマを受け慢性的にネグレクトまたは虐待された人は、不動およびシャットダウン・システムによって支配されている。
一方、急性のトラウマを受けた(最近の一度だけの出来事によることが多く、繰り返すトラウマ、ネグレクト、虐待歴がない)人は、通常、交感神経系の闘争か逃走というシステムによって支配されている。
急性トラウマを受けた人はフラッシュバックと動悸に苦しむことが多いが、慢性トラウマのある人は心拍数に変化がなく、むしろ減少している場合もある。
こういった人々は、もうろう感、非現実感、離人症などの解離症状や、さまざまな身体的および健康上の問題に悩むことが多い。身体症状には、胃腸症状、偏頭痛、ある種の喘息、慢性疼痛、慢性疲労、人生生活への一般的な関心の低下などがある。(p124)
脳科学的には、「闘争」「逃走」が優位で、過覚醒状態にあるPTSDと、「凍りつき」「擬死」が優位で、低覚醒状態にある解離とでは、自己感知領域の活動が正反対であることがわかっています。
たとえば「感じる」能力をつかさどる島皮質や、「行動する」能力をつかさどる帯状回の活動が、PTSDでは活性化するのに対し、解離では低活性になるようです。
つまり、PTSDの人は過敏すぎるのに対し、解離の人は限界を越えてしまって反対に麻痺しているということです。
参考資料
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
過覚醒の症状は一般的にトラウマの特徴と考えられていますが、トラウマのあるクライエントすべてが過覚醒を報告するわけではありません。
Laniusらの研究では、…ほぼ3分の1の被験者が過覚醒ではなく低覚醒を体験しました。過覚醒反応の代わりに、これらの被験者はトラウマを再想起させるものに低覚醒と行動のシャットダウンとで反応したのです。(p45)
トラウマとなる記憶を回想している間の夫妻の体験には、著しい対照がありました。(p217)
夫は逃げる方法を考えていたこと、フロントガラスを割らなくてはという身体的な衝動、不安な感じが高まり、「跳び上がりそう」な感覚の鮮明な記憶を報告しました。
心拍数は基準値よりも毎分13回高く、前頭前皮質と扁桃体をふくむ領域の脳活性化と、この体験は一致していました。
…妻はとても「麻痺して」「動けない」と感じると報告しました。
…妻の「麻痺して」「凍りついた」傾向、心拍数上昇が認められないこと、および脳活性化の異なるパターンは、低覚醒反応も等しくトラウマに対する反応であることを示しています。(p217-218)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
研究では、シャットダウンおよび解離状態時には島が強く抑制されており、トラウマを受けた人は自らのからだを感じたり、情動を識別したり、ひいては自分(や他人)が誰なのかを認識したりできないことが確認された。
一方、被験者が交感神経性 過覚醒状態にある場合には、同じ領域が高度に活性化した。
右前島の劇的な活性化の増加によって、(不動、シャットダウン状態、および解離中の)身体意識がほとんどあるいは全くない状態と、交感神経性覚醒状態の一種の「過覚醒」状態との間に明確な区別が存在することが示唆される。(p135)
ラニウスとホッパーのfMRI研究を思い出してみよう。解離状態の患者には、身体感覚を制御する脳領域(島および帯状回)の大幅な活動低下が認められた。(p139)
上記の研究では、少なくとも30%の被験者に島および帯状回皮質の活動低下が認められた。この被験者らのPTSDの特徴は、解離および(迷走神経性の)不動状態であった。
一方、被験者の約70%が自律神経系の過覚醒の中でもより単純な症状を主訴とし、同じ領域において劇的な活動増加を示した。
島および帯状回は、体内の受容体からの感覚情報(内受容)を受け取る脳領域であり、ヒトが自らの「固有性」そのものとして感じ理解しているものの基礎を形成する。
活動低下は解離を表すのに対し、過活動は自律神経系の覚醒と関係がある。(p124-125)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
幼少期(本書ではおおむね「0~六歳」の時期を指す)の深刻なトラウマを抱える慢性的なPTSD患者18人のスキャン画像との著しい違いには驚かされる。
脳のこれらの自己感知領域のどれにも、ほとんど活性化が見られなかったのだ。
内側前頭皮質、前帯状皮質、頭頂皮質、島は、まったく活性化しなかった。(p152)
第6章で見たとおり、そしてまた、ダマシオが実証したように、心の中で抱くこの「現実」の感覚は、少なくとも部分的には、島に根差している。
島というのは体と心の意思疎通において中心的役割を果たす脳組織で、慢性的なトラウマの病歴を持つ人ではしばしば損なわれている。(p662)
9つの脳の不思議な物語
最近の研究では内部感覚から取り込まれる全ての情報の統合をつかさどっているのは、脳の島と呼ばれる部分だと示されている。島は脳の中心部深くにあるひだだ。
有力視されているある説によると、体からやってくる情報は島の後部と中心部で順序を整えて、まとめられてから、島の前部、つまり前島に再び認識される。これによって、我々の意識に上る感情が起きる。
「前島は『今ここにいる私』という基本的な設定を形作っている部分です」ブライアン・アンド・サセックス・メディカル・スクールの意識研究の専門家、ニック・メドフォードは語る。
…離人症の患者14人の島は驚くほど活性化せず、特に左の前島の反応は離人症ではない人々と大きく違っていた。
この研究では腹側前頭前野と呼ばれる部分も、ぞっとするような画像に対する島の反応の抑制に関与している可能性が示された。この部分は我々の感情の抑制を助けている。
離人症の人々はこの部分が過剰に働きすぎているが、元々の制御が強すぎるかのどちらかであるようだ。(p224)
トラウマ症状は、ADHDと非常に見分けがつきにくいと言われています。
「闘争」「逃走」が優位な状態は多動性・衝動性優勢型ADHDにそっくりで、「凍りつき」「擬死」が優位な状態は不注意優勢型ADHDと酷似しています。
遺伝のせいでそうなっているのか、環境のせいでそうなっているのか鑑別がとても難しく、並存例も多いようです。
すでに書いたように、女性のADHDで不注意優勢型が多く、女性の自閉スペクトラム症で受動型が多いのは、女性は凍りつき/擬死の解離反応を起こしやすいからだと思われます。
参考資料
子どものPTSD 診断と治療
ADHDとトラウマ障害は、行動面や認知も近似しているため、しばしば誤診されかねない。しかし、根底にあるものは異なるため、異なった対処法が必要とされる。
落ち着きがない、着席できないなどの多動症状をや反抗性を示し、一見するとADHDと思われる子どもの中には、過覚醒や回避などのPTSD症状が潜んでいる可能性もある。
心ここにあらずで注意が散漫な不注意優勢型のADDと思われていた症状は、トラウマ障害の解離であるかもしれない。(p117)
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害
先に述べたDTD概念を用いれば、なんらかのトリガーで行動状態がハイパーになれば多動と見られ(行動的にハイポな「動けなくなる」状態は臨床的によくみのがされている)、かつ解離により適切な注意集中ができなかったり、一度得た情報が状態の切り替えによって健忘されたりすれば注意欠陥と判断され、まさにADHDの症状と見分けがつかない。(p102)
Q12 どんなメカニズム?
A 原始的な副交感神経によるシャットダウンです
スティーヴン・ポージェスの「ポリヴェーガル理論」(多重迷走神経理論)によると、生物の自律神経系には、3つの階層があります。
(1)交感神経系…アクセル。闘争/逃走を引き起こす。
(2)副交感神経系(腹側迷走神経系)…穏やかなブレーキ。リラックスさせる。
(3)不動系(原始的な副交感神経系/背側迷走神経系)…緊急時の急ブレーキ。凍りつき/麻痺を引き起こす。
過剰な刺激によってアクセルである(1)交感神経系が興奮しすぎて、通常のブレーキである(2)副交感神経系では手に負えず限界を迎えたときに、(3)原始的な不動系が急ブレーキをかけ、有無を言わさずシャットダウンしてしまうのが解離だとされています。
参考資料
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
ポリヴェーガル理論が提唱され、自律神経系に関する新しい適応的機能のモデルが作られました。
ポリヴェーガル理論では、自律神経系の状態や反応は、交感神経と副交感神経系の相拮抗する二組の神経系の産物であるというふうには説明されていません。
本理論では、自律神経系の機能は進化の階層に則って三つに分けられています。人間やその他の哺乳類には
(1)有髄化〔絶縁性の髄鞘によってニューロンの軸索が覆われること、これにより神経パルスの伝導が高速化される〕されていない無髄の迷走神経経路で、横隔膜より下の内蔵の迷走神経制御を行っているもの、
(2)有髄の迷走神経経路で、横隔膜より上の臓器の迷走神経制御を行っているもの、
(3)交感神経系、という三つの下位システムがあります。(p41)
※原始的な副交感神経、すなわち無髄の迷走神経経路(背側迷走神経複合体)の生理学的経路を描いたフランク・ネッター博士によるイラスト「Vagus Nerve (X): Schema」も参照。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
Porgesの多重迷走神経階層理論では、他のすべての防衛が安全性の確保に失敗したとき、背側迷走神経が活動を始めるとされています。
子どものとき、特に発達途上の傷つきやすい期間に慢性的な虐待を受けた人、そして生き残るために社会的関わり、愛着あるいは動きをともなう防衛をうまく利用することが許されなかった人は、一般的に固まることによる防衛に頼るようになります。(p135)
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合
ちょうどアクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態と考えると分かりやすいかもしれない。
そしてそれは、エネルギーを消費する交感神経系と、それを節約しようとする副交感神経系の両方がパラドキシカルに賦活されている状態であるとする。これが解離状態であるというのだ。(p17)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
しばしば奇怪なPTSD症状は、この「硬直」あるいは「凍りつき」状態に入り、それをくぐり抜けて出ていくというプロセスを完了できないときに発現します。
…チーターが襲いかかった瞬間、インパラは倒れます。外見上インパラは身動きせず死んだように見えますが、内部ではインパラの神経系は今なお時速110キロものスピードで猛回転しています。
インパラは完全に静止していますが、その体内で起きていることは、車のアクセルとブレーキを同時に踏むときに起きることに似ています。
内部の高速回転する神経系(エンジン)と外部の身体硬直(ブレーキ)は、身体内に竜巻に似た強い混乱状態を作り出します。(p28)
ブレーキとアクセルが別の時に作動するよう設計されている自動車とは違い、トラウマ反応ではブレーキとアクセルは同時に働きます。
脅威が去ったことを神経系が認識できるのは、動員したエネルギーが解放されたときのみなので、神経系は解放が起きるまで永久にエネルギーを動員し続けます。
それと同時に、神経系はシステム内のエネルギー量が有機体の処理能力の限界を超えるほど多いということを認識し、非常に強いブレーキをかけるので、有機体全体がその場でシャットダウンします。
有機体はそこで完全に硬直してしまい、神経系の中の膨大なエネルギーは抑圧されてしまうのです。(p165)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
パブロフは、緩和されないストレスに続いて起こる衰弱の記録の第3章と最終章を超-逆説段階と名づけ、それを超限界段階とも呼んだ。
「極限を超えた」状況のこの最終段階で、臨界点に達してしまう。この頂点を超えてしまうと、彼のイヌたちの多くはシャットダウンした。
彼らはどんなに時間をかけても、反応しなくなってしまった。パブロフは、このシャットダウンは神経系の過負荷に対する生物学的な防衛であると信じていた
…慢性的にこれを患っている人は、しだいに、シャットダウン状態になっていく傾向がある。これは、アレキシサイミア(情動的な気づきの欠損により感情を描写したり詳述したりできない)や抑うつ、身体化といった症状として出現する。(p292-293)
レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
パブロフは「超最大限」のストレスを実験動物に与えるといつも類似した反応が起こることを報告した。実験では、しばにくすると動物の反応が減少もしくは逆転し、「矛盾」あるいは「超矛盾」した局相を見せる。
パブロフは、このようなケースでは「超最大限の興奮が起きると、限界を超える手前で抑制が働く」が、そのような抑制は防護的なものであるとみなした。
ゴールドシュタインは、パブロフの実験結果と基本的に類似した現象が患者にもみられるとし、それらが一般的な生理的反応であると考えた。
「興奮の道筋」がピークに達すると、その後は反応が逆転するか「平準化」するという。(p451)
危機的状況に直面したとき、まず、通常は、交感神経系が「闘争/逃走反応」を引き起こします。逃げたり闘ったりして窮地を脱しようとします。
しかし、それがうまくいかない場合には、最後の手段として、不動系が「凍りつき/擬死反応」、つまり解離が引き起こされます。
注目すべき点として、この反応は、自分の意志とは無関係に、反射的に引き起こされます。
たとえば性被害を受けた女性の中には、襲われたときに抵抗できなかった自分を責め続けたり、恥ずかしく感じたりする人がいます。
また習慣的に解離してしまう人の中には、学生時代から、自分はすぐ頭が真っ白になり、人前でしゃべったり堂々と振る舞ったりできない、内気で弱い人間だと思いこんで自尊心を失ってしまっている人がいます。
しかし、生物学的に考えれば、危機的状況下で凍りついて身動きがとれなくなってしまう反応は、自動的な反射として起こるものなので、意志でどうこうできる問題ではありません。
トラウマの専門家たちは、解離を弱さのしるしとみなしたりせず、むしろ解離が起こるような危機的状況を生き抜いてきた自分に、サバイバーとしての誇りを持つよう勧めています。
参考資料
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
60代後半のある女性から、自分の体験を記したメールをもらいました。その女性が10代の頃、ある人物によって首を絞められ、レイプされたということです。
何年も経った後、この方は自分の娘さんにこのことを話しました。ところが、娘さんは「お母さんは、どうして抵抗しなかったの? どうして何かしようとしなかったの?」と言ったそうです。
女性は困惑し、恥じ入りました。
しかし彼女は、ポリヴェーガル理論を読み「自分は正しかったのだ」と得心したのです。そのメールには、「私は今泣いています」と記されていました。(p175-176)
私たちは、身体的反応は反射的であり、自分の意思でコントロールできないということを忘れています。
命を奪うような脅威への反応として起きる不動は、他の哺乳類とも共通する一般的な「反射的」反応です。(p176)
医療の世界では、トラウマ・サヴァイヴァーの症状に対して、例えば失神などの反応が起きると、心理学的な問題だと捉えます。しかしこれは実は生理学的な反射なのです。(p209)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
この話は、圧倒的な脅威に直面したときの不動化や解離を臆病と同じ類の弱さとして裁きがちな現代文化に異論を唱えるものだ。
…自責感と自己嫌悪は性被害やレイプ被害者の間に共通して見られるものである。戦うことが生き残りのために適した選択肢でなかった場合さえも、彼女らは「戦う意志を見せなかった」ことでひどい自己批判に陥る。
しかし、…被害者の年齢が若く未発達で愛着が不安定であるほど、その人がストレスや脅威、危険に対して積極的に抵抗することよりも麻痺で反応する傾向が強くなる。(p74)
性的虐待や他の虐待を受けた場合、成人期に出現するトラウマの下に自責という基底層がすでに存在する。
実際、不動状態は受動的反応として体験されるため、性的虐待やレイプの被害者の多くは、攻撃者とうまく戦えなかったことに対して甚だしい羞恥を感じている。
…トラウマを受けた人が自己の主体感や力の感覚を取り戻し始めると…自らの不動状態も激しい怒りも生物学的に生じた本能的要請であり、人格の欠陥であるかのごとく恥じるべきものではないということを、慈しみとともに理解するようになる。(p110)
「凍りつき/擬死反応」は、先に生じていた「闘争/逃走反応」を中断させ、逃げたり闘ったりするために交感神経系が動員していたエネルギーをそのまま身体の中に閉じ込めてしまうようです。
解離は、精神医学的には、危険すぎるトラウマと向き合う代わりに、それを隔離し閉じ込めておく防衛機制ですが、生物学的に解釈した場合にも、同じことが当てはまります。
闘争/逃走反応が中断され、うずまくエネルギーが身体に閉じ込められたままになっていると、偏頭痛や喘息、慢性疲労、慢性疼痛など、さまざまな形の身体症状(精神医学では「転換症状」と呼ばれていたもの)が誘発されることになります。
専門家は、これを身体に閉じ込められたトラウマと呼んでいます。
参考資料
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
しかしこの行為が実行されない場合(闘争か逃走、固まる、からだをひねる、退く、伏せるなど他の防衛的反応のいずれかにかかわらず)、潜在エネルギーは感覚運動系の潜在記憶内に未完の手続き記憶として「蓄えられる」もしくは「保管される」。(p114)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
トラウマ症状は、その「引き金となる」事件そのものが引き起こすのではありません。それは、未解決で未放出の凍りついた残余エネルギーから生じるのです。
この残余エネルギーは神経系統の中に閉じ込められており、私たちの心身を破壊することがあります。
……この残余エネルギーはただ消えていくものではありません。それは身体に残り、しばしば不安、うつ、心身症、問題行動など広範囲にわたる症状を作り出します。
これらの諸症状は、行き場のない未放出のエネルギーを何とか閉じ込める(あるいは囲い込み)ための有機体の対処法なのです。(p28)
脅威に反応する際、生き物には戦うか、逃げるか、凍りつくかの選択があります。これらの反応は有機体のひとまとまりの防衛システムに属しています。
逃走反応や戦闘反応が妨げられたとき、有機体は最後の手段である凍りつき反応を起こすため本能的に収縮します。
有機体が収縮すると、逃走か戦闘を実施することで解放されたであろうエネルギーは増幅され、神経系の中に閉じ込められてしまいます。(p118)
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
カーディナー(Kardiner,1941)は、彼の患者の何人は、ヒステリー性の下肢麻痺などの症状にトラウマの後遺症的な影響を「閉じ込めてしまう」ことができているように思われると述べている。
彼の患者のなかには、その不安と興奮性が、転換症状あるいは解離性の傾向と反比例的な関係にあるように思われた者がいたのである。
抑うつ症状が最もひどい患者がトラウマとなった出来事に関して非常に詳細な記憶を持っており、さほど症状がひどくない患者の多くはその出来事についてあまりおぼえておらず、「知らぬが幸い」の生活を送る傾向があるということを、カーディナーは指摘した。
彼は大いなる率直さをもって、解離性症状あるいは身体化症状を呈する患者にとって最善であるとされている治療に対するきわめて重大な疑問を提起した。
その疑問とは、とてつもなく恐ろしい記憶に気づくことのみが、どのような場合においても、背中の痛みや意識喪失よりも好ましいと言い得るのか、ということである。(p28)
サックス博士の片頭痛大全 (ハヤカワ文庫NF)
周期的あるいは散発的な発作を経験する多くの患者では、こうした発作がまるで内在しているかのようであったり、(生理学的ドラマという皮肉な言葉を借りれば)積もりつもった内面的なストレスや葛藤を行動に移しているかのようである。
私の印象では月経性片頭痛(そして類似の月経性症候群)がまさにこれで、あたかも一ヶ月の間に蓄積したストレスを数日間の発作症状にそっくり凝縮しているかのようである。
そして私の観察では、そうした月経性片頭痛を治療した(奪いとった)場合には、数多くの患者が次の月経までの間に散発的に不安を覚えたり神経に障害を起こすのである。
つまり、こうした片頭痛は患者のさまざまな心理的苦痛をまとめて患者の内部に閉じ込めておく役割を担っているのであり、そのことは診療する側が片頭痛をむやみに駆逐してしまう前に心にとどめておく必要がある。(p391)
※片頭痛は凍りつき症状の一種であり、幼少期にトラウマ経験のある解離傾向を持つ人に多い。
不動系によるシャットダウンは、あくまで一時的に急ブレーキを踏んで闘争/逃走反応を中断しておく機能です。
自然界の動物がシャットダウン状態から復帰するときには、突然アクセル全開で動き出すことが観察されています。
これはトラウマによってシャットダウンした人間が、セラピーによってシャットダウン状態から復帰するときも同様です。
激しいトラウマを隔離している解離という急ブレーキを外すと、いきなりトラウマの洪水に呑み込まれ、PTSDのパニック状態になりかねません。
このため、セラピーでいきなり解離を解除するのは危険であり、安全にゆっくりトラウマ記憶の処理を進めるべきだと言われています。
特に、これまで一般的なトラウマ療法とされていた曝露療法(持続エクスポージャー療法)のような手法では、いきなりトラウマの強烈な闘争/逃走反応のエネルギーと向き合わせてしまうので、かえって再トラウマ被害を生みかねないと警告されています。
参考資料
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
たっぷりと食事を与えられている飼いネコがネズミを捕まえると、ネコの足で抑制されたネズミは動きを止めて動かなくなる。
…やがて不動状態から抜け出してきたときには、ネズミは非常に素早く(そして意表をついて)一目散に逃げていくので、ネコさえもびっくりさせることがある。
…不動状態に入るときに激しく脅かされた人は、同じような様子で不動状態から出てくることが多い。
「入ったときのように、戻ってくる」というのは、陸軍移動外科病院で、戦争で外傷を負った患者の反応を記述するために使われる表現であった。
兵士が手術にはいるときに怯えていて拘束する必要があった場合、その兵士は麻酔から目覚めたときに、半狂乱で、おそらくは暴力的な失見当状態である可能性が高い。(p76-77)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
追っ手のチーターから逃れようとしているときにインパラの神経系内部を流れるエネルギーは、時速110キロもの速さで蓄積されています。
チーターが襲いかかった瞬間、インパラは倒れます。外見上インパラは身動きせず死んだように見えますが、内部ではインパラの神経系は今なお時速110キロのスピードで猛回転しています。
…このエネルギーがどれほど強力かを実感するために、パートナーと性交しているところを思い浮かべてください。
あなたがもう少しで絶頂に達しようとするとき、突然何か外部の力が働いて強制的にそれを止めてしまいました。
その押しとどめられた感覚を百倍すれば、生死にかかわる体験によって喚起されたエネルギーの量に近いものになるでしょう。(p29)
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
トラウマの刺激に関して脱感作させるために暴露療法(不安や苦痛を克服するため、患者が恐怖を抱いている物や状況に対して、危険を伴うことなく直面させる行動療法)を用いるセラピストがいます。
しかしこれは、クライアントの生理学的状態、そして防衛反応が起きているときの状態について十分理解していないと言わざるを得ません。
クライアントの生理学的状態を考えると、この方法では、クライアントの反応性を下げていくというよりも、むしろトラウマ的な出来事に対しての感度を上昇させる恐れがあります。(p148)
トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復
トラウマ体験からの生還者に、トラウマを繰り返し詳細にわたって再体験させ、彼らを恐怖と生理学的過活性の状態に留置し、当然のこととして過去の激しい苦痛がさらに強化される状態を生み出す危険を冒している治療方法が見受けられる。
このようなことをしてしまうと、トラウマの記憶は、新たな戦慄体験と結びついて固定化され、内面の世界によって圧倒されている感覚が強化されていく恐れがある。(p xii)
持続エクスポージャー療法を含めたカタルシスを用いるトラウマ療法に決定的に欠けている視点がある。
トラウマの記憶についての正しい理解である。一つの記憶を何回も再体験させれば、トラウマの記憶を切除できるというのは幻想である。(p164)
子どものトラウマ・セラピー―自信・喜び・回復力を育むためのガイドブック
語らせられるだけのひどい体験には何の意味もありません。
私たち著者は、このようなトラウマのメカニズムを理解していない支援が、子どもに再トラウマを引き起こすことを確信しています。
子どもは(トラウマを受けた多くの大人もそうですが)従順になる傾向があるので、最初に対応した人は子供をさらなるショックによる停止状態や解離状態に追いやっていることにおそらく気付かないでしょう。(p268)
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
認知行動療法の柱である現代の曝露療法の研究からも、同様のがっかりするような結果が出ている。
この手法で治療を受けた患者の大多数が、治療の終了後三ヶ月の時点で、相変わらず深刻なPTSDの症状を見せるのだ。(p321)
イラクとアフガニスタンの戦争に参加し、新たにPTSDと診断され、退役軍人病院での治療を求めた帰還兵49425人に関する2010年の報告は、推奨された治療を最後まで受けた割合が10人に1人にも満たなかったとしている。
ピットマンが調べたヴェトナム帰還兵の場合と同じで、現在実践されているような曝露療法が新しい帰還兵に効果をもたらすことは稀だ。
身の毛もよだつような体験を処理できるのは、その体験に圧倒されないときに限られる。それはつまり、別の取り組み方が必要であることを意味する。(p365)
トラウマ性ストレスへの治療の取り組みの多くは、患者を過去に対して脱感作することに的を絞っている。トラウマ体験に再びさらされれば、情動の突発的なほとばしりやフラッシュバックが減ることを期待してのことだ。
だが私は、これはトラウマ性ストレスにおいて起こることの誤解に基づいていると考えている。(p122)
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
トラウマ的出来事を語ろうとすると、過去を突然に現前化させてしまい、現実感覚が部分的にあるいは一時的に喪失されることになってしまうかもしれません。(p4)
解除反応による再体験は、潜在的に再トラウマ化の恐れがあります。(p338)
解離とは不動系による急ブレーキである、というこの考え方は、解離に陥った人が「自己」の構築に問題を抱える理由を生物学的に説明しています。
アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説や、ジェームズ・ギブソンの生態学的心理学は、「自己」がどうやって作られるかを説明してくれています。
それによれば、わたしたちの意識は身体的な感覚から、そして身体的な感覚は生体の変化、つまり動くことから生じています。
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と述べましたが、現代の神経科学ではこれは間違っていることがわかっており、正確には、「我感じる、ゆえに我あり」です。
わたしたちは、動くことで何かを感じます。その感覚から、今ここに存在する、という自己意識が作られているのです。
裏を返せば、身体が凍りついて麻痺してしまうと感覚が失われ、感覚が失われると「自己」という意識も失われ、ずっと自己意識が欠けたままだとアイデンティティが失われ、自分が何者なのかわからなくなるのです。
参考資料
芸術の中動態―受容/制作の基層
環境の中の情報は、静止したままでは得られず、知覚者が動くことによって時間の中で変化における不変項として抽出される。
ギブソンは主に視覚の領域でこれを証明する実験を行なったが、その後の生理学的心理学は、聴覚や触覚などの領域でも、このアプローチを展開している。
知覚者自らが能動的に動くことが知覚に必要である以上、そこには目や耳や鼻などの狭義の知覚器官だけでなく、身体全体が関与する。…知覚は行為であり、全体的な活動だということになる。(p152-153)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
この最も原始的なシステム[※シャットダウン反応のこと]に支配されると、人間は動かなくなる。
ほとんど呼吸せず、声が出なくなり、怯えて叫ぶこともできない。じっとしたまま、死あるいは細胞の回復のいずれかに備えるのだ。(p125-126)
この有機的な見方は、「高次」の脳が消化系など「下位」の機能をコントロールするというデカルト的なトップダウンのモデルを覆すものだ。
思考と感情は、内臓の活動から分離した新しい独立したプロセスではない。私たちは、内臓で感じ、考えている。
例えば消化のプロセスは、まず身体的な感覚(純粋な空腹)として、次に感情(攻撃としての空腹)として経験され、最後に大脳で洗練され新しい知覚と概念(新しい知識への飢えやその消化として)が取り込まれる。
人間の自己中心主義にとってはあまりうれしくない話だが…私たちがこれほど夢中になっている、いわゆる高次の思考プロセスは、主人というよりはむしろ従者なのだ。(p302)
これはフロイトの自我とデカルトのcogito ergo sum(我思う故に我あり)への別れのあいさつなのだろうか?
この新しい信条「我思う故に我あり」は硬直した教会の教義から人々を解放する重要な開始点だったが、改定の必要性が高まっている。
現代の信条はむしろ、「我動く、我準備する、我行動する、我五感で感じる、我感情を感じる、我知覚する、我思考する。そして故に我存在する」のようなものであるべきだ。(p376)
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
西洋では「感じること」よりも、「考えること」に大きな価値を置こうとする。
…結果として皮質に基づく処理の重要性が強調され、理性の働きのほうがより価値ががあるとするトップダウンの偏向が生じている。一方身体から発されるボトムアップの価値は矮小化されている。
我々の文化では教育や宗教団体において、身体から発せられる感覚は、脳から発せられる思考のプロセスよりも下位にあると考えられている。
歴史的にもこれは明らかである。デカルトの1637年の言葉がよい例である。
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と論じた。デカルトは「我感ずる、ゆえに我あり」とは言わなかった。(p10)
身体反応を拒否する戦略は、私たちの文化と大いに関係があります。
私が導入部でお話ししたデカルトに関する言葉を思い出してください。デカルトは身体感覚を認知機能に服従させることを強調しました。
私たちの宗教観〔キリスト教〕と、このデカルト哲学が相まって、身体感覚の重要性を片隅に追いやってしまったのです。
身体感覚は動物的なものとされる一方で、認知は霊性に密接に関連していると考えられてきました。(p249)
サックス博士の片頭痛大全 (ハヤカワ文庫NF)
人間がもつ最高の機能―意識と自己―は、独立した自己充足的な存在として肉体よりも「上位」にあるのではなく、神経精神学的な存在―プロセス―であり、継続する肉体的な経験と統合の上に成り立っていることを思い知らされるのである。(p201)
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
リサは小さいころに解離した記憶があったが、思春期になると症状が悪化した。
「目が覚めると切り傷があるということが起こり始めたのです。学校の人にいろいろなあだ名で呼ばれていました。決まったボーイフレンドを持てませんでした。解離したときに別の子とデートしてしまい、しかもそれを覚えていなかったからです。よく意識を失い、気がつくととんでもない状況になっていることがしばしばでした」。
深刻なトラウマを負った人にはありがちなことだが、リサも鏡の中の自分を認識できなかった。
私は人が、連続した自己感覚を欠くというのはどういうことかをこれほど明瞭に描写するのを聞いたことがなかった。(p529)
Q13 どうやって解離症状を治療するの?
A 感覚を感じ取り、意識を「今ここ」に引き戻します
慢性的に過剰な刺激にさらされたことが、意識や感覚を飛ばして対処する解離の原因でした。
それゆえ、解離から回復するには、まず環境からの刺激を和らげる必要があります。
解離はどこにも逃げ場がないときに生じる最終手段なので、安心できる居場所を心理的また身体的に確保することが何よりも重要です。
特に、安心して眠れるような環境がなければ回復できません。PTSDも解離も「からだの記憶」による症状なので、記憶の処理に関わる睡眠の質を整えることは予防にも治療にも役立ちます。
参考資料
解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論
解離の回復過程を振り返ると大きく二つの経路がある。
眠りの経路と目覚めの経路である。
眠りの経路は他者の保護によって包まれ、その中でまどろむことである。これは比喩的に言えば、母親に包まれ、安心できる居場所を獲得することである。
入院などの保護的環境や生活の制限、さらには鎮静系の薬物治療などもそれにあたる。他者に対する依存の中で癒やされ、眠りに入るのである。
それに対して目覚めの経路は他者に対する依存を放棄し、自らの責任を自覚し、将来に向かって行動することである。これは父親に同一化し、外部へと出で立つことに喩えられよう。(p204)
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
疲れとストレスは解離のエピソードをおそらく悪化させるので、通常の睡眠―覚醒サイクルや活動―休養のスケジュール、食事の時間などが重要である。(p180)
睡眠の教科書――睡眠専門医が教える快眠メソッド
感情的トラウマを処理するにはレム睡眠が必要です。レム睡眠は、恐怖記憶除去と呼ばれるプロセスにかかわっています。
恐怖記憶除去というのは、日常生活のごくふつうの行動から、恐怖を感じた出来事を切り離す脳の作用のことです。(p209)
HSPや自閉スペクトラム症などの体質が関わっている場合は、過敏性を和らげる工夫が必要かもしれません。
自閉スペクトラム症の解離は、定型発達者の解離とは特徴や対策が異なるとも言われています。
参考資料
解離の病理―自己・世界・時代
定型発達者の解離性障害とASDの解離性障害とでは望ましい治療関係が若干異なっているように思われる。
解離型ASDでは患者自身の精神、認知の特徴や病態の構造などを共に検討しながら、具体的な生活上の問題について対策を立てていくことが望ましい。(p186)
薬物療法は少量なら役立つ場合があります。しかし、解離の当事者は、根底に感覚過敏があるので、副作用が出やすいことに注意が必要です。
解離とは過覚醒が限界に達して低覚醒に反転する現象であることからすると、神経の興奮を抑える薬には効果があるかもしれません。
とはいえ、一般的な精神科の薬の効果が薄い可能性もあります。
たとえば、同じうつ症状でも、子ども時代からの慢性的なトラウマを抱える人は抗うつ薬の効果が出にくいことがわかっています。
薬はあくまで補助的な助けであり、より望ましいのは自分で自己調整できるスキルを身に着けることです。
参考資料
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
医師たちは、薬物治療志向ですから、彼らの薬物の多用傾向を変えるのは難しいでしょう。
精神科医は、薬物が特定の疾病に働きかけることができるという信念のもとに、応用精神薬理学の専門家としての基礎教育を受けています。
そして、薬物が神経的フィードバックループだけでなく、身体の多くの系にも影響を与えるということを十分考えずに治療にあたっています。
将来的には、薬物は急性期や緊急時の治療においてのみ用いられ、長期的な治療においては用いられない方向に進むべきであると思います。
神経系は、脳と身体の調整を行っていますが、より幅広い神経系のフィードバックループは、脳と身体の関係だけでなく、人と人の関係性も含んでいます。この点に深い敬意を払う必要があります。(p200)
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて
特に幼少期にトラウマを受け、解離が続いている患者においては、侵入的な再体験は非常に生々しく、現実と区別がつかないこともある。
…フラッシュバックにおける幻覚と妄想は、解離性現象と考えたほうがよい。臨床経験からは、こうした場合、抗精神病薬をごく少量投与すると効果があることがわかっている(Sapota & Case,1991)。
トラウマにたいして解離することを覚えた患者は、新しいストレスにさらされたとき、防衛として解離を利用し続ける可能性が高い。
…多重人格性障害(現在では解離性同一性障害)の患者はしばしば幻聴を訴え(通常、頭の中で声がするという体験として)、また思考奪取、被害妄想、その他精神分裂症を示唆する症状を呈す(Klift,1987)。
しかし、これらの症状にはめったに抗精神病薬が効かないとされている(Loewenstein,Hornstein,& Faber,1988;Putnam,1989)。
発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方
フラッシュバックにせよ、解離性幻覚にせよ、このタイプの幻覚の特徴は、抗精神病薬に対する難治性である。
また不思議なことに、解離性の幻覚は抗精神病薬にやけやたらと強い。副作用すらまったく出現しないという例もしばしば経験する。
これは現在進行系で、心身が戦闘状態を持続しているからなのではないだろうか。抗精神病薬の順化作用は、本人の安心なしには発揮されにくいのであると思う。(p57)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
だが、薬はトラウマを「治す」ことはできない。乱れた生理機能の表れを抑えることができるだけだ。
また、自己調節を可能にする効果が永続するような教訓を与えてはくれない。
感情と行動を制御するのを助けることはできるが、それには常に代償が伴う―なぜなら薬は、関与、モチベーション、痛み、喜びを調節する化学システムを抑え込むことによって作用するからだ。(p368)
皮肉にも、虐待されたりネグレクトされたりしたことのないうつ病患者は、そのような背景を持つ患者よりも、抗うつ薬がはるかによく効くことが研究で示されている (p244)
プロプラノロール(インデラル)やクロニジン(カタプレス)のように自律神経系に働きかける薬は、過覚醒やストレスへの反応を抑える助けになりうる。
このグループの薬は、覚醒を促進するアドレナリンの、体への影響を抑え込むことによって作用して、悪夢や不眠や、トラウマのトリガーに対する反応を軽減する。
アドレナリンを抑え込むと、理性脳が稼働し続けるので、「これは本当に私がやりたいことなのだろうか」という問いに基づいた選択が可能になる。
私は、マインドフルネスとヨーガを治療に取り入れ始めてから、患者が安眠できるようにときおり処方する場合を除いて、こうした薬に頼ることが少なくなっている。(p369)
子どものPTSD 診断と治療
薬物療法を行う際、ADHDに使用される中枢神経薬は時としてトラウマ障害の症状増悪をもたらす可能性も示唆されている。
ドパミンを上昇させるメチルフェニデートではなく、むしろニューロトランスミッターを抑制するクロニジンのほうが望ましいとされている。(p118)
従来の言葉に重きを置いたカウンセリングは、気持ちを楽にしてくれたり、状況を理解する助けになったりするかもしれません。しかし、身体の反応を置き換えることはできません。
インターネットを調べたり、本をたくさん読んだりすることも、解離とは何か学ぶには役立つかもしれませんが、いくら知識が増えても、身体が楽になることはありません。
トラウマの原因は、手続き記憶(感覚記憶)、つまり、自転車の乗り方のような身体の記憶でした。単なる知識や言葉では、それを変えることはできません。
必要なのは経験です。どれだけ病気について専門的な知識を学んでも、新しい経験を通して安心感を学ぶという経験は得られません。
参考資料
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
トラウマの記憶を処理するのと、内面の空しさと向き合うのとは、まったく別の問題だ。
内面の空しさとはつまり、望まれたり、関心を向けてもらったり、真実を語らせてもらったりしたことがなかったために生じる魂の穴だ。
親が自分に目を向けるときにその顔が一度として輝かなかったとしたら、愛され大切にされるとはどういう感じなのかを知るのは難しい。
隠し事や恐れに満ちた理解し難い世界に生まれ育ったとしたら、自分の耐えてきたことを表現する言葉を見つけるのは不可能に近い。
望まれず、相手にしてもらえずに育ったとしたら、主体感覚や自尊心を体の芯から感じられるようになるのは大変な難題だ。
ジュディス・ハーマンとクリストファー・ペリーと私で行った研究(第9章参照)から、子供のころに望まれていないと感じた人や、成長過程で誰にも安心感を抱いた記憶がない人には、従来の精神療法があまり役立たないとわかった。おそらく、大事にされていると感じた古い痕跡を活性化できないからだろう。(p492-493)
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
既存の言葉によるセラピーでは、体の感覚や生理的な調節不全、自発的でない体の動き、無力感、恐れ、恥、激しい怒り、などの過去からの非言語的な影響を解決する手段をもたないままで、トラウマに関する潜在的な記憶を呼び覚まそうとします。
そうするとトラウマを受けた人は安全でないと感じて、目の前の関係性に助けを求める傾向が生じます。
そしてセラピストは何もできないと感じて無力になっている命の避難所になってしまいます。(p xxvii)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
気づきを深めるのは困難だ。両親が自分を十分に愛してくれなかったから困難なのではなく、困難だから困難なのだ。個人的な問題に帰する必要はない。
僕は何年もかけて自分の過去を掘り起こし、残骸を分類し、目録を作った。
しかし、本当の自分、自分の中の本質的な本当の自分は、どれほど自分の洞察力が鋭くても、理解することはできない。
僕は内観と気づきを混同していたが、この二つは違うものだ。
自分自身に関する世界有数の専門家になることは、完全に今にいることとは何の関係もない。(p344)
意識と自己
哲学者フランク・ジャクソンは、かつてこの問題についてある物語を書いた。それはいまでは哲学の世界ですっかり有名になり、この問題に関する議論でよく引き合いに出される。
それは、典型的な神経科学者「メアリー」についての話だ。彼女はずっと白と黒だけの囲われた環境で育ち、いっさい色というものを経験していない。
ただし彼女は、色の視覚の神経生理学について、知られている事実をことごとく知っている。
ある日メアリーはその無色の部屋から実世界へと出ていき、はじめて色を経験する。それは彼女にとってまったく新しい驚くべき経験である。
この話の最初の伝統的なポイント、それは、神経生理学についてのメアリーの並はずれた知識も、彼女に少しも色の経験をもたらしはしなかったということ。(p398)
見える暗闇―狂気についての回想
これまでの人生の多くの時間、わたしは医学を独習する必要に迫られ、医学的な事柄について普通以上のアマチュア的知識を寄せ集めていたが、おそらく賢明なことではなかったのだろう(その知識に友人の多くがしばしば敬意を払ったが、それもたしかに賢明ではなかった)。
…ともかく、鬱病状態が和らいでありがたくも集中力が回復する数時間のあいだ、そのころのわたしはかなり大量の読書でこの空白を満たし、多くの魅惑的事実や心配な事実を吸収したが、しかしその事実を実地に応用することはできなかった。
…市販されている多くの書物を何冊か読んでみて、基礎理論や症候学の方面では多くのことを知るが、急速な救済の可能性を筋道立てて示唆するようなものをほとんど見つけることができない。
たやすく抜け出る道を実際に説いているものは口先だけで、まずほとんどまやかしと見ていい。(p17)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
症状を軽減させる唯一の方法は生涯にわたる薬物療法や心理療法しかないという誤ったアドバイスには絶望感や無力感がともないます。
あなたが経験している症状はあまりにも奇妙なので、あなたは他に誰一人同じ体験をしている人はいないと確信しており、そのため他人に自分の症状を話すことを考えただけで疎外感や恐怖を味わうのです。
あなたはまた、仮に話したところで誰も信じてくれないし、おそらく自分が狂っているのではないかと思っています。
さらなるストレスは、何度も何度も検査や治療を受け、あちこちをたらい回しにされ、不可解な痛みの原因を突き止めるために試験開腹を行ったりすることで請求書がふくれあがることです。
何の医学的根拠も見つからないため、あなたは医師たちの心気症という診断に甘んじるしかないのです。(p57)
解離は単なる「こころの病」ではなく、生物学的な「凍りつき」「擬死」反応でした。
また、言葉で説明できる顕在記憶ではなく、からだの記憶が関係していました。
こうした研究からすると、回復するには、カウンセリングや認知行動療法より身体志向の治療法が有効と考えられます。
身体志向の治療法は、からだで感覚を感じ取る訓練をして、心と身体のつながりを取り戻し、意識を「今ここ」に維持するのに役立ちます。
参考資料
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
これからはさらに身体志向が強まるでしょぅ。今の臨床家の動向から見ても、それは明らかです。
私は臨床家ではないので、非常に興味深い立ち位置にいるのです。私は臨床家ではなく科学者ですが、臨床家がしていることの原理を説明しようとしています。
ですから、ピーター・ラヴィーンによるSE(ソマティック・エクスペリエンシング)、パッド・オグデンによるセンサリーモーター・サイコセラピー(sensorimoter osychotherapy)、ベッセル・ヴァン・デア・コークの業績など、トラウマ治療についての多様なモデルと関わることができました。
こうした洞察力に優れた臨床家たちが、「『ポリヴェーガル理論』は自分たちのやっていることを神経生物学的に説明している」と見抜いたのです。(p198-199)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
その日私は飛行機に乗りそこねた。どうしてもスティーヴン・マイヤーと話をしたかったからだ。
彼のワークショップは、私の患者たちの根本的な問題についての手掛かりばかりか、解決のための潜在的なカギまで与えてくれた。
たとえば扉が開いているときに電気ショックを与える檻から逃れることを、トラウマを受けた犬たちに教えるには、どうすれば逃げられるかを体で経験できるよう、檻から繰り返し引きずり出すしかないことを彼とセリグマンは発見した。
私も患者を手助けし、自らを守る手立てはまったくないという、彼らの基本姿勢を変えてあげられないだろうか。
私の患者たちも、自分に主導権があるという体の芯からの感覚を取り戻すには、身体的な経験が必要なのではないか。(p59)
とはいえ、人は体の芯から安全だと感じなければ、完全に回復することはできない。
したがって私は、治療的(セラピューティック)マッサージ、フェルデンクライス・メソッド、頭蓋仙骨療法といった、何らかのボディーワーク(手技や体操、運動などを通して体から意識に働きかける方法)を受けるように、すべての患者に勧めている。(p352)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
「ほとんどの人は」とラヴィーンが指摘するように「トラウマを〈精神的な〉問題、さらには〈脳の病気〉だと考えている。しかし、トラウマはからだの中にも生じる何かなのである」
実際に、トラウマが最初に、真っ先にからだに生じることをピーターは示している。トラウマに関連している精神状態は重要ではあるけれども、二次的なものである。
からだから始まりこころが後に続くのだ、と彼は言う。したがって、知性や情動さえも関与させる「対話による療法」では十分に深いところまで到達しないのである。(pxii)
からだを無視して主に思考にのみ注目する(トップダウン処理)治療的アプローチには、それゆえ限界があるだろう。
代わりに私は、修復的ワークの初期段階では、ボトムアップ処理が標準的な作業手段であるべきだと提案する。
言い換えると、クライアントの「からだの語り」を初めに扱い、そして次に、少しずつ、情動や知覚、認知に取りかかることである。
このことは単に重要であるだけではなく、必須事項である。トラウマ被害者の「会話治療」は、控えめだが驚くほど強力な身体表現である内なる声にその道を譲るべきである。(p57)
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
現在教えられている主要な心理療法である…認知行動療法(CBT)と精神力動療法のどちらも身体感覚とその意味や、あらかじめプログラムされた身体的な行動パターンについてはあまり注意を向けていません。
…トラウマを受けた人は最初のトラウマを受けたときの感情や行動をプログラムのようにくり返しています。
これを止めるには洞察と理解だけでは不十分だということを治療者は認識しました。
そして自動的な身体反応を引き起こす、このプログラムを書き換える方法を探し始めました。
そのような技術は、人の内部の感覚と身体的な行動パターンに対処する方法を含まなければならないのは当然のことです。(p xxv)
会話によるセラピーでは、今この瞬間に生じている適応不全な無意識による行動傾向にアプローチすることはほとんどできません。
「ストーリー」を語ることは、クライアントの過去および現在の生活体験についての重要な情報を提供します。
しかし、無意識的な手続き学習に取り組みそれを変容させるためには、話そのものや話の内容より、トラウマ的な過去の「今この瞬間での体験」に手をつけなければなりません。(p226)
感覚運動的な技法は、トラウマ記憶の想起時に主として解離性反応をおこすクライエントに効果的です。(p215)
トラウマをヨーガで克服する
従来のセラピーの多くは、“認識によって”つまり〈トップダウン〉で治療にアプローチしてきたが、ヨーガ・ベースの医療は〈ボトム・アップ〉の方法を用い、肉体的な経験を足がかりとしてその人の内面生活へ向かうのである。
身体指向のセラピーは、“心とはつかみどころのないものだ”という前提に立つ。
現に、何年もの間トーク・セラピーを続けているのに、これといった内的経験の局面を得ることができない、という人びとがいる。
“知性でとらえようとすること”は一般的に防衛として使われる方法であるが、とらえようとしているものが何であれ、解決のために相当な時間を費やしても「その精髄には決して到達し得ない」と言うことができる。
ヨーガ・ベースの医療のような身体指向のセラピーは、肉体レベルにつなげることを優先し、それを入り口として情緒・認識へと進むのである。(p36)
解離性同一性障害など、複数の人格の問題が顕著な場合は、自我状態療法や内的家族システム療法(IFS)のような、人格の内部分裂に特化した治療を受けることも役立つでしょう。
解離を起こしやすいのは、もともと感受性が豊かで、ひといちばい敏感なタイプの人たちです。
そうした感受性の強さから、解離の当事者は、文学、詩、音楽、演劇、絵画などの芸術的な創造性を持っていることが多く、芸術作品の創作に取り組む中で回復していくことも多いと言われています。
参考資料
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)
解離のある人は、現実との境がわからなくなるほど、空想の世界に深く浸る傾向があります。
たとえば、解離性障害の患者さんは豊かな想像力ゆえに文章や絵画、演劇などの芸術分野が得意で、活躍している人もいます。小さいときから作文が得意だったりします。(p61)
解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論
また患者は言語化を含め、自らの心を表現することに困難があるため、絵画や詩などさまざまな手段で自己を表現できるようにすることも効果的である。
解離の患者は文学や美術など芸術的センスに恵まれていることが多い。(p198)
解離の舞台―症状構造と治療
彼女たちは自分の色をもつことができないでいる。多彩な色を身にまとうことはできる。そのなかに溶け込み、演じ、かぶることはできる。
しかし、自分の色を「もつ」ことができないでいる。多彩な色は自分がもつ色ではなく、他者がもつ色でしかない。
しかし、彼女たちにはどこか状況に合わせて多彩な色を引き出す力、受動を能動に変えていく潜勢力がある。
彼女たちの何人かは、回復過程の中で絵やイラストを描いたり、作曲をしたりして創造的活動へと向かう。
こうした症例は概して経過が良好である。こうした表現活動は回復へのひとつの道であろう。
色に対して怯えている解離性障害の治療において大事なことのひとつは、封印された感情・記憶に表現を与えることである。(p39)
子どものPTSD 診断と治療
有名なアーティストや文学者などを見てみると、そういう人たちの多くが、自分の傷つきをクリエイティブなかたちで発信していることがよくわかります。
子どもがトラウマティックな経験をすると、一生癒えない傷を負ったことになるのではないか、その子はちゃんと育たないのではないかと大人は心配してしまいますが、トラウマにはポジティブな側面もあるし、トラウマをいかすこともできるという視点が重要です。(p68)
芸術の中動態―受容/制作の基層
すなわち芸術は、制作にしろ、受容にしろ、日常とは異なった体験をひとに生じさせるものと捉えられている。
芸術体験を通じて、ふだん生きている世界とは別の次元に手が届いたとか、今まで気づかなかった何かに気づいたとか、知らなかった何かに出会ったとか、これまで存在しなかった全く新しい何かが生まれたとか、それまでの自分とはどこか変わったとか、等々、ひとは感じる。(p240)
レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
これが「実存」療法の理由づけである。指示するのではなく呼び起こすこと、それは芸術を利用して不活発さ(inert)(つまり「内にこもった芸術(in-art)」)と戦うよう励まし、個人的なことや生きることについて想い起こさせる。つまり患者を目覚めさせ行動を促す療法である。
こうした患者のひどく狂った体の機能を正常にするのが、医薬品や手術、あるいは適切な生理学的手段である。「それ」を調整することこそ科学的な薬の働きなのだ。
だが、潜在的な意志、つまり「私」を呼び覚まし、その命令や調整の力を発揮させて統一性と規則性をとり戻させるのは、芸術や生きた触れ合い、実存の医学の働きである。(p484-485)
なぜ芸術や個人的な相互作用には「効く」ときとそうでないときがあるのだろうか。それについてはE・M・フォスターの含蓄のある言葉がある。
「芸術は薬ではない。服用したからといった効果が保証されているわけではないのだ。創造に向かう衝動のような、謎に満ちた気まぐれななにかが湧きあがらなければ、芸術の効果は得られない」(p481-482)
解離はまた正常な身体の動きのリズムから切り離された状態なので、音楽セラピーが役立つ場合もあります。
音楽は生物学的な凍りつき状態を、音楽が鳴っているあいだ限定であるとはいえ、“解凍”し、正常な運動のリズムを取り戻させることが知られています。
参考資料
トラウマをヨーガで克服する
複雑性トラウマを持つ人たちにとっての困難は、主として協調性の欠如と断絶にある。協調性とは、同調すること、足並みをそろえること、リズムに乗ることである。
同調しているものは、努力しなくても、共に動き、共に流れる。サバイバーには、「他の人たちと歩調が合わない」とか「自分自身とかみ合わない感じがする」と言う人が多い。
トラウマ・センシティブ・ヨーガのクラスでわれわれが携わっている多くのクライアントには、この協調性の欠如があるので、われわれは〈リズム〉というものに取り組んでいる。
〈解離〉には、自分の体や周囲の世界との断絶感がある。ある生徒は解離を、「煙でいぶしたガラスで隔てられて生きているような感じ」と表現した。…彼女は世界と切り離されていたのだ。
ジュディス・ハーマンが説明しているように、「トラウマは孤立している」のである。彼らの人生は、しばしばベールの向こう側―人間関係を特徴づけるリズミカルな舞踏や交流からトラウマ・サバイバーを切り離してしまうベールの向こう側で、送られる。(p82-83)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
音楽とリズムで表現される、コミュニティの癒しの力を私が痛感したのは、1997年の春、南アフリカ共和国で真実和解委員会の活動に携わっていたときだ。
…ある日、ヨハネスバーグ郊外の黒人居住区にあるクリニックの中庭で、レイプサバイバーの集まりに出席した。
…女性たちは前かがみで座り、悲しみに満ちて凍りついており、ボストンで目にしてきた多くのレイプセラピーのグループの女性たちとそっくりだった。
私は無力感というおなじみの感覚を味わい、虚脱状態の人々に囲まれて、自分自身も精神的に虚脱するのを感じた。
そのとき一人の女性が、体をそっと前後に揺らしながらハミングをし始めた。ゆっくりとリズムが生まれてきた。他の女性たちも少しずつ加わっていく。
まもなくグループ全体が歌い、動き、立ち上がって踊りだした。それは驚くべき変化だった。人々は生命を取り戻し、表情は同調し始め、生気が体に蘇った。
私は、ここで目にしているものを応用すること、そして、リズムと歌と動きがトラウマの治療にどのように役立ちうるかを研究することを誓った。(p350)
音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々
母の死の知らせを聞いたとき、私はすぐにロンドンに飛んで実家に駆けつけ、そこで一週間、喪に服した。
…しかしその一週間が終わり、ニューヨークの誰もいない冷え冷えしたアパートに戻ったとき、私の感情は「凍りつき」、鬱という言葉では表現しきれない状態に陥った。
何週間も、起きて、服を着て、職場に行って、患者を診て、外見はふつうに見えるようにと努力した。しかし内面は死んでいて、ゾンビのように生気がなかった。
ある日、ブロンクス・パーク・イーストを歩いていると、突然すっと気持ちが軽くなるのを感じた。気分が高揚し、命の、喜びの、ささやかな予感が感じられる。
そのときはじめて、心象か記憶とまちがえるくらいかすかではあったが、音楽が聞こえていることに気づいた。
歩き続けるとだんだん音楽は大きくなり、とうとうその源までたどり着き、地下室の開いた窓から流れるラジオのシューベルトだとわかった。
その音楽が私を突き刺し、さまざまな心象や感情を次々と解き放った―子どものころの思い出、一緒に過ごした夏休み、母がシューベルト好きだったこと(彼女はよく、すこし調子はずれの声で『夜の歌』を歌っていた)。(p405)
深い悲しみを解き放ち、感情を再び流れさせた音楽が、レッサーの場合は鎮魂歌、私の場合は哀歌だったことは、偶然ではない。これは喪失や死に臨むために考えられた音楽だ。(p407)
レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
音楽が持つこうした力は、それが鳴り響いている間は、患者の人格を統合し、癒し、パーキンソン症状から解放して自由な動きを可能にする。(「あなたは音楽/音楽が続いている間は」―T・S・エリオット)。
それは本質的な力であり、あらゆる患者に備わる力でもある。それを見事に示しただけでなく、深い洞察力で語ってくれたのが、かつて音楽の教師をしていたエディス・Tである。
パーキンソン症候群にかかった彼女は、発症と同時に「優雅さ」を失ったと言う。体が「ロボットや人形みたいに、木や機械でできているように」なってしまったからだ。
以前の「自然な」動きや「音楽のような」動きは消えてしまい、彼女は「音楽ではなくなった」のだ。
「でも、幸運なことに、病気自身に治る力があったんです」私が驚くと、彼女は続けた。「音楽ですよ。わたしは音楽でなくなったわけですから、また音楽になればいいんです」
エディスはしばしば「凍りついて」しまい、動くための力も衝動も奪われて、体をわずかに揺らすことさえできなくなる。そんなとき、彼女は自分が「氷の額縁に入れられた写真」になった気持ちになる。
それは視覚的な平面でしかなく、物質でも生命でもない。この生命のない世界、時間のない非現実的な世界で、彼女は動きも救いもない状態であり続ける―音楽がやって来るまで。
…心の中に音楽が湧き出ると、体を動かす力、行動する力が唐突に戻るのである。彼女は自分が物質であること、人格を持っていること、現実の世界に生きていることを思い出し、それまで閉じ込められていた平面的で凍りついた「額縁から外に踊り出し」、自由に滑らかに動くことができる。(p146-147)
※パーキンソン病ないしはパーキンソン症候群の症状は、直接の原因こそ違えど、解離と同じ生物学的な凍りつきを特色としている。近年では、両者ともに腸-脳をつなぐ迷走神経の部分からくる障害であることが判明しつつあるため、パーキンソン病の凍りつきに対する治療は、解離の凍りつきに対する治療に応用することができるように思う。
解離性障害は紀元前の昔からヒステリーとして知られていましたが、当時の人々は、大自然とのふれあいや、シャーマンによる治療の中でトラウマから回復していたようです。
野生動物も、捕食動物に襲われるなどトラウマ的な出来事に遭遇しますが、それでも慢性的なトラウマ症状を抱えたりしないのは、本能的な「身震い」の行動を通して、神経系をリセットしているからだと言われています。
凍りつき(解離)は、闘争/逃走のエネルギッシュな反応を中断して停止させる反応なので、凍りつきが解けるときには、無意識のうちにエネルギーを解放するための筋肉の震えが生じます。
参考資料
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
トラウマ的記憶に関して取り組むとき、クライエントは頻繁に無意識の震えや身ぶるいを体験します。
そのことは「私たちの中でサバイバルのために生成される膨大なエネルギー」の放電とみなしてもいいでしょう。(p358)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
野生動物は、ストレス状態に曝されたり拘束されたりするとき震えることがよく見られる。からだの震えやおののきは東洋の伝統的なヒーリングやスピリチュアルな系譜の実践においてよく報告されている。
例えば気功やクンダリーニ・ヨガでは、微細な動きや呼吸および瞑想の技法を用いる達人は、からだの震えやおののきを伴う恍惚の至福状態を経験することがあるという。
さまざまな状況下で経験され多種多様な機能をも有しているこのような「身震い」はすべて、真の変容や深い癒し、そして畏怖の念をもたらす可能性を秘めている。
不安による恐ろしい震えはそれ自身だけでは状態をリセットして平衡状態に戻ることを確実にするものではないが、「正しいやり方で」誘導され体験された場合にはそれそのものが解決となりうる。
…こうしたものは、私たちが脅かされたり高度に覚醒したりした後に平衡状態を取り戻すためのメカニズムである。(p20-21)
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー
私が硬直すなわち凍りつき反応を強調するのは、それがしばしば人間のトラウマを引き起こすからです。
動物は通常、それぞれのやり方で「死んだふり」をした後にその後遺症に悩まされることはありません。動物たちを注意深く観察すれば、彼らがどのように後遺症を免れているかが分かります。
…双眼鏡でよく観察すれば、警戒態勢から通常のリラックスした活動への鹿の変化を見ることができます。危険がないと判断すると、鹿はしばしば身体をぴくぴくさせたり、軽く身震いを始めたりします。
…こうした筋肉組織の細かい震えは、有機体が神経系のまったく異なる活性化状態を調節する方法なのです。(p116)
文明以前から、さまざまな文化のシャーマン治療者は、「迷子になった魂」が身体の正しい場所へ戻るように促す条件をうまく作り出してきました。
華やかな儀式を通じて、いわゆる「未開」の治療者たちは、患者の中にある強力な先天的治癒力をうながします。太鼓や歌、踊り、トランスによって高められる集団サポートの雰囲気が、癒やしが起こる環境を作り出します。
…注目すべきなのは、儀式自体はさまざまに異なるにもかかわらず、癒やしの受け手は儀式が終わりに近づくとほぼ身震いすることです。これは、拘束されたエネルギーを解放する際にすべての動物に起こる現象と同じです。(p70)
前述のように、現代人が解離に陥りやすい一因は、五感すべてを使う自然の中での生活から遠ざかってしまったことにあります。
身体志向のセラピーでは、五感を使って「今ここ」に生きている感覚を感じることを学びます。しかし、もとよりそうした感覚は、自然の中で暮らしていた時代には当たり前のものでした。
近年の研究によると、雄大な自然とのふれあいや宗教体験の中で感じる「畏怖の念」(畏敬の念)のおののきや震えは、おそらく解離と関係する迷走神経に働きかけることにより、トラウマ反応から回復させる効果があるようです。
解離が現代社会に蔓延している理由の一端には、現代人が自然環境の抗PTSD効果を利用しにくくなっていることが関係しているかもしれません。とりわけ女性は自然の奥深くに出ていくのは危険だと教えられがちです。
しかし、以下に列記するように、解離の原因を調べてみると、環境を変えることには非常に重要な意味があると思われます。
(1)素因としてのHSPや発達障害は、環境や刺激に敏感な性質である。
(2)解離の当事者に多い過剰同調性は、周囲の状況に合わせて自分の反応を変えてしまう特性である。
(3)過剰同調性が発展したスイッチングや多重人格もまた、外部の状況によって自分が容易に変化してしまう病態である。
(4)そもそもトラウマとは、特定の環境や状況と紐付けられた条件付け反応である。
解離の当事者は、環境からの影響を非常に強く受けやすいことが明らかです。
裏を返せば、もし環境をがらりと変えて、安心できる保護的な状況や、生物として理想的な自然豊かな場所に身を置くことができれば、その恩恵を人一倍受け、あたかも別人のように回復しうる可能性もある、といえるでしょう。
参考資料
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
繰り返して言う。一般に、野生の動物は、殺されなければ不動状態から回復し、元通りの生活に戻っていく。
…ある野生動物が(もしくはさらに言うならその種全体が)、多くの人間のように何らかの衰弱生症状を定期的に発症していたら、どうやってこれまで生き残れただろうか? 想像しがたいことである。
この自然の「免疫」は、明らかに現代のヒトには当てはまらない……しかしそれはなぜなのか、そしてそれに対して私たちは何ができるだろうか?(p67)
「自分が生きているってどうやってわかる?」と尋ねられると、ほとんどの人は、「ええと、それは……」と考えはじめる。だが、それでは答えることはできない。
自分が生きていることを知るには、私たちの深いところにある身体感覚に埋め込まれた生き生きとした身体的な現実を、直接的な経験を通して感じる能力を使わなければならない。(p340)
あなたの子どもには自然が足りない
「昔、祖先があの木の高いところへ登って土地全体を眺めた時、そこには何かがあったはずよ ―私たちをすぐに癒してくれる何かが」とブルックスは言う。高い木の枝の上でくつろぐことは、動物の餌食のなるかもしれない危険で噴出したアドレナリンをすぐに鎮めてくれていたのかもしれない。
「生物学的には私たちは何も変わっていない。私たちはいまだに大きな獣と戦うか逃げるかするようにプログラミングされているんです。遺伝子から見れば、私たちはこの世に最初に現れたころと根本のところでは同じ生き物だわ」(p62)
コーネル大学のニューヨーク州立人間生態学カレッジでデザインおよび環境分析学助教授を務めるナンシー・ウェルズはこう指摘する。
「調査の結果、自然が少ない環境で暮らす子供に比べ、豊かな自然環境で暮らす子供たちにとって、日常受けるストレスは心理的にそれほどの苦しみとはならないことが明らかになった。
そして、最高レベルの日常的ストレスを受けている最も傷つきやすい子供たちに関して、身近な自然が与える保護効果は最も顕著である」(p69)
NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方
畏敬の念に打たれると人が変わる経緯を観察するために、ポール・ピフはカリフォルニア大学バークレー校のダッチャー・ケルトナーと、ほかのふたりの研究者と協力し、一風変わった実験を行なった。
…数あるポジティブな感情のなかで、畏怖の念は唯一、IL-6の値を大幅に下げる感情と考えられている。
それはなぜだろう? ケルトナーによれば、畏怖の念は人との絆を強め、それによって炎症がおさまり、ストレスが和らぐという。
…迷走神経は脊髄のてっぺんから始まり、顔面筋、心臓、肺、消化器などに触手のように伸びている。…迷走神経は愛に反応し、畏怖の念にも反応するとケルトナーは考えている。(p163-165)
本当の夜をさがして―都市の明かりは私たちから何を奪ったのか
『都会の屋外にあらわれる性差』という論文で、著者のジェニファー・K・ウェズリーとエミリー・ガーダーは、「公共の空間、とりわけ手つかずの自然が残る場所や、都市近郊エリアにおける性差の構造が、どのように女性の弱さや、そうした場所への恐怖もしくは『恐怖の分布図』を特徴づけるのか」を調査した。
そこで判明したのは、「私的な空間で女性が受ける暴力の数は、公的な場での数をはるかに上回っている」こと、そして「レイプや暴力など性的虐待の圧倒的多数は密室で行われている」ということだった。
「茂みの陰や奥まった場所ならどこでもレイプに格好な環境になりえるという恐怖から、数えきれないほど多くの女性が、大自然のもつ癒しの効用を利用できないでいるようだ。(p112)
センス・オブ・ワンダー (※海洋科学者レイチェル・カーソンの最後の本)
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」を授けてほしいとたのむでしょう。(p23)
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たな喜びに通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。
自然がくりかえすリフレイン―夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ―のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。(p50-51)
植物と叡智の守り人
私たちの社会を苦しめる問題の多くは、自然界を愛する心、そして自然界から私たちに送られる愛から、自分たちを切り離してしまったことが原因なのではないのだろうか。
そうした愛こそ、傷ついた自然界や空虚な心を癒す薬なのに。(p162)
哲学者は、孤立して他者とのつながりを失ったこういう状態を「種の孤独」と呼ぶ―周りの生き物たちから遠く離れてしまったこと、関係性の喪失からくる、深い、名前のない悲しみだ。(p267)
解離の治療は、腕のよい医師にかかれば、手術をするかのように鮮やかに治してもらえる、という受動的なプロセスではありません。
治療者が患者を癒やしてあげる、というようなお仕着せのプロセスではなく、一人ひとりの身体にもともと備わっている、回復のための本能的な生命力を解き放つものです。
当事者は、治療者によって支えられながらも、自分で感覚を感じ取り、自分で変化を経験し、自分の足でひとつずつステップを上がってはじめて、凍りついた状態から息を吹き返します。
そうしてはじめて、身体の経験が書き換えられるのです。
参考資料
トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復
私は45年に及ぶ臨床経験で、人間には障害を克服し内側のバランスや平衡を回復する、基本的で普遍的な力が、生まれながらに備わっていると確信した。
これは圧倒されるような体験や、喪失の後の惨状を耐え抜き、癒す本能である。
加えてこの本能は、困難や逆境を耐え抜き、勝利しようと試みる生物学的な習性によるものではないかと私は思っている。
お金を払ってくれるクライアントがいるレベルのセラピストならわかっているはずだ。
人には逆境を乗り越える力が備わっており、セラピストはクライアントに「カウンセリング」したり、「治癒」したり、「治し」たりするのではない。
むしろ、耐え抜き勝利を収めることができる、人間の本能的な力を促進することがわれわれの役割である。(p100-101)
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法
私は徐々に気づくようになった。トラウマを癒やす仕事を可能にしているものは一つしかない。
それは畏敬の念だ。
患者が虐待に耐え、それから回復への道のりにはつきものの魂の闇夜にも耐えることを可能にした、生存へのひたむきな努力に対する畏敬の念なのだ。(p225)
図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法
最初のうち私は、自分がクライエントの全面的な支えとなり、勇気と決断力をもってリードを回復させるための仕事をするのだと重い、強いプレッシャーを感じていた。
しかし、EMDRやその他の介入によってリードが徐々に回復していくのを見ているうちに、回復力というのは、セラピストひとりが提供したものよりずっと大きな力なのだと気がついた。
クライエントが治癒を求める生来の力に、深い尊敬と畏敬の念を抱くようになったのだ。私は人間にそなわっていたポジティブな力の一部になれた幸運に感謝の気持ちを覚えた。
それによって、臨床的ならびに霊的な立場へと導かれていき、これが結果的に私とリードの双方に恩恵を与えてくれた。(p100)
Q14 解離についてもっと知るには?
A 「解離性障害」を扱っている本よりも、「解離」について扱っている本をお勧めします
「解離性障害」について説明している一般的なメンタルヘルスの本では、解離性同一性障害など、特殊な事例を中心に解説されていて、「解離」が多くの人に関係している普遍的な現象であることがわかりにくくなっています。
一般に解離性障害にはサブカテゴリーとして「解離性遁走」「解離性健忘」「解離性同一性障害」などがあると説明されます。
しかし、臨床現場では解離の患者の大多数が「特定不能の解離性障害」(DDNOS)であるとされるので、教科書的な分類はあまり役に立ちません。
比較的読みやすい本
以下の数冊は、もっと広い視野で解離について理解するのに役立ちます。
■私の中のすべての色たち: 解離について最初に出会う本
解離性障害の治療法として有名な自我状態療法の専門家サンドラ・ポールセンと、EMDRのセラピスト アナ・ゴメスによる、世界初の解離について学べる絵本。気づかれにくい解離の兆候がイラストでわかりやすく説明されています。
同著者による図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法 は、セラピーの内容についての解説書で専門用語が多いですが、人格の内部分裂やスイッチングが一部の人だけに起こる特殊な現象ではなく、わたしたちの多くがさまざまなレベルで経験しているありふれた現象であることを知るのに非常に役立ちます。
アナアナ ゴメス スペクトラム 2017-08-03
■身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
世界的なトラウマ研究の先駆者であり第一人者でもあるヴァン・デア・コークによる、詳しさと読みやすさを両立したすばらしい本です。解離の広範な症状について深く知るために、まずおすすめする一冊です。
べッセル・ヴァン・デア・コーク 紀伊國屋書店 2016-10-11
■身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価
カナダの精神科医ガボール・マテが、精神神経免疫学の観点から心と身体のつながりについて説明している本です
「解離」という言葉はほんの一部に出てくるのみですが、扱われている内容は慢性ストレスによる解離や失感情症と、それに伴う身体症状です。
■ 解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)
解離性障害の専門家、柴山雅俊先生による「解離」よりも「解離性障害」を中心とした本ではあるものの、解離を示しやすい人の性格や生い立ちについて知るのに参考になり、イラスト版なので読みやすいです。
■トラウマをヨーガで克服する
解離の身体志向の治療法について、かなりわかりやすく書かれている本。解離の専門医であるベッセル・ヴァン・デア・コークやピーター・ラヴィーンによる序文も寄せられており、身体感覚を用いたセラピーを実践したい人におすすめです。
デイヴィッド エマーソン,エリザベス ホッパー 紀伊國屋書店 2011-12-22
専門的な本
以下の書籍は難しめの専門的な内容です。
■ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」
最新のトラウマ医学における解離の理解に欠かせない、「ポリヴェーガル理論」の提唱者スティーヴン・ポージェス博士の著者の邦訳。
ヴァン・デア・コーク、ピーター・ラヴィーン、ノーマン・ドイジ、パット・オグデンら、この記事で取り上げたさまざまな本の著者によって推薦されています。
ステファン・W・ポージェス 春秋社 2018-11-06
■身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア
ヴァン・デア・コークの友人である神経生理学者ピーター・ラヴィーンによる、解離の身体症状と身体志向の治療法について詳しく扱われた一冊です。
生物学的なメカニズムも最も詳しく説明されています。しっかり読み解くには前知識が必要です。前述のカナダの精神科医ガボール・マテによるまえがきが寄せられています。
ピーター・A・ラヴィーン 星和書店 2016-10-31
■トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際
解離などのトラウマ症状が生物学的現象として生じていること、不安定な愛着スタイルとつながっていること、からだに手続き記憶として保存されること、そして身体志向のセラピーである精神運動療法(サイコモーターセラピー)が役立つことなどがまとめられています。
上記の本と同様、内容は専門的です。著者はセラピストのパット・オグデンらですが、前述の精神科医ベッセル・ヴァン・デア・コークがまえがきを担当しています。
パット・オグデン,ケクニ・ミントン,クレア・ペイン 星和書店 2012-07-02