空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か

嫌われないように相手に合わせる。相手が喋っている内容から、その人の考え方を読み取って、それをもとにしてその人が好むようなことをいう。嫌われるのも、怒らせるのも、議論になるのも怖い。(p139)

つまり家族の雰囲気や学校という場での緊張感、雰囲気、空気などを読んで、トラブルにならないように自己犠牲的に周囲に合わせようとする。

以上のような特徴を「過剰同調性」と名づける。(p83)

今、「空気がよめない」人、いわゆるKYという問題がよく取り上げられます。場にそぐわないことを話したり、おこなったりして、ひんしゅくを買う人たちです。

しかし一方で、子どものときから、周囲に合わせすぎ、気を使いすぎて、「空気を読みすぎる」人たちもいます。

その傾向は「過剰同調性」と呼ばれ、ストレスの多い子ども時代を過ごした人にみられるそうです。中には、解離性障害や解離性同一性障害(多重人格)につながる素因となってしまう人さえいます。

自分を押し殺した「いい子」「いい人」は、慢性疲労症候群線維筋痛症など、さまざまな難病と関わっている可能性もあります。また意外にも、真逆とも思えるアスペルガー症候群とも関連している場合があります。

解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論という本や、他の書籍から、空気を読みすぎる「過剰同調性」とは何か、ということについて調べてみました。

▼追記:
この記事を書いて以降、さまざまなサイトで過剰同調性についてまとめられ、過剰適応の同義語のように独り歩きしはじめていますが、あくまで冒頭で引用したとおり解離の専門家による用語であることにご留意ください。

何より、過剰同調性はこの記事で書いているように、心理学的な「心の問題」ではなく、生物学的な仕組みをもつ身体の問題です。

これはどんな本?

この本は、解離性障害の専門家、柴山雅俊先生による、解離についての専門的な本です。

同著者による、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)は一般の人向けにわかりやすく書かれているのに対し、この本は、さまざまな医療と哲学の専門知識をふんだんに盛り込んだ、専門家向けの本といえます。

解離性障害の特有の症状(幻聴、幻覚、体感異常、変容、夢など)が、患者の主観から表現されていて、その中で、解離の素因を説明してある部分に「過剰同調性」という言葉が出ています。

空気を読みすぎる人たち

冒頭で紹介した本には、空気を読みすぎる人たち、つまり「過剰同調性」には、以下のような特徴がみられるようです。

■ひたすら相手の表情と状況を読んで機嫌を損ねないようにする
■家庭や学校という場の雰囲気を読んで、自己犠牲的に周囲に合わせてきた
■親からみて「いい子」だったといわれることが多い
■相手の責任を追求したり、攻撃的態度に出たりすることは少ない
■自分の欲望、主張、意見より、相手の意向を尊重する
■悪いことが起こると、周りを責めるのではなく、自分を責める
■人に対して怯えがある。虐待やいじめが原因のことも

こうした過剰同調性に陥った人たちは、常に、「相手から嫌われるのではないか」「相手に見捨てられるのではないか」「仲間はずれにされるのではないか」といった不安や不信と隣り合わせで生きています。

その背景には子どものころの無力感があります。虐待やいじめに遭って、抵抗できず、ひたすら相手に合わせるしか逃れ道がなかったこと、あるいは両親が不仲だったり、病気の兄弟がいたりしたために、家庭内が緊張に包まれていたことなどが原因です。

さらには、親の精神疾患やアルコール依存症があったために、常に親の顔色をうかがいながら過ごさなければならなかったのかもしれません。この点は以前に取り上げた「毒になる親」と通ずるものがあります。

10種類の「毒になる親」から人生を取り戻すためにできること
スーザン・フォワードのベストセラー「毒になる親」にもとづき、子どもを精神的に虐げる、気づかれにくい10のタイプの親について書いています。また、その親の支配から逃れる方法についても簡

子どものころは、自分の存在を揺るがす問題に直面したとしても、そこから逃れるという選択肢はありません。自分の存在を受け入れてくれない相手に、無理に取り入って、過剰に相手にあわせるしか生き延びるすべがなかったのです。

子どものころ身につけた「D型の愛着パターン」

過剰同調性を持つ人たちは、一般と異なる愛着スタイルを持っていることがよくあります。愛着スタイルとは何でしょうか。

イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィは、幼いころの養育者との結びつきを「愛着」(アタッチメント)と表現し、幼いころ、特に生後半年から1歳半ないしは3歳ごろまでの養育者との関わり方のパターンが、その後の人生における人間関係のひな形となるという考えを提唱しました。

たとえば、その時期にバランスのとれた愛情を注がれたなら、安定した自尊心を持つ大人に成長しやすくなりますが、親からあまり関心を示されないで育つと感情表現に乏しく人間関係を回避する傾向が、逆に過剰に構われて育つと見捨てられ不安が強くなる傾向があります。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」
愛着理論によると、子どものころの養育環境は、遺伝子と同じほど強い影響を持ち、障害にわたって人生に関与するとされています。愛着の傷は生きにくさやさまざまなストレスをもたらす反面、創造

これらはそれぞれ「安定型」(B型)、「回避型」(A型)、「不安型」(C型)として知られていますが、さらにもう一つ、「無秩序型」(D型)という特殊なタイプがあり、それが今回の記事のテーマである「過剰同調性」を持つ人たちと深く関係しているようです。

D型の特徴について、 講座 子ども虐待への新たなケア (ヒューマンケアブックス)にはこう書かれています。

メインらが発見した「Dタイプ」は、ランダム化研究による調査で、現在では約15%と考えられている。ただ「虐待事例で検討すると、その80%はDタイプであった」という報告もある。

Aタイプ、Bタイプ、Cタイプなどは、だいたいにおいて同じような行動パターンをとる。

つまり「パターンとして組織化されている」のに比べ、Dタイプは「ときにA、ときにB、また、ときにCタイプ」などのようにさまざまな行動タイプを示すタイプであり、アタッチメント行動様式が一定のパターンに組織化されていない。すなわち「未組織型」と分類された。(p27)

このように、D型の愛着パターンを持つ子どもは、「ときにA、ときにB、また、ときにCタイプ」という場面ごとに違う性格であるかのように振る舞います。

これは一見「未組織」あるいは「無秩序」であるかのように見えますが、そうではありません。

「無秩序型」(D型)の愛着パターンは、虐待する親や、アルコール依存症や精神疾患を持つ親、そのほかの様々な理由で緊張した家庭で育った子どもに見られやすいタイプです。

そうした子どもは、気まぐれで予測の付かない親に合わせるために、その場その場で、異なる対応をするようになります。

ごく幼いころから「空気を読んで」周りの異常な環境に対処してきた結果、「ときにA、ときにB、また、ときにCタイプ」といった対応を無意識のうちに使い分けるようになるのです。それこそが無秩序型(D型)の愛着パターンであり、「過剰同調性」のおおもとです。

生まれつきの敏感さ「HSP」

このようなD型アタッチメント、そして「過剰同調性」が生じる原因には、緊張した家庭などの環境要因が大きく関係していますが、それとは別に、当人の側の生まれつきの遺伝要因も関与しているようです。

愛着障害の専門家の岡田尊司先生による愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書)では、D型アタッチメントにリスク要因として、次のような遺伝子が認められたと書かれています。

愛着障害(不安定型愛着)に関連する遺伝子変異として最初に発見されたのは、ドーパミンD4受容体遺伝子の変異で…この遺伝子多型をもっている子では、混乱型の愛着障害になるリスクが、もたない場合の四倍にもなるという結果であった。(p130)

ここに挙げられている「混乱型」はD型のことを指しています。ドーパミン関連のとある遺伝子変異がある子どもでは、そうでない子どもに比べ、無秩序で混乱したD型アタッチメントに四倍なりやすい傾向がありました。

しかしこの遺伝子は、単なるリスク遺伝子、つまり遺伝的な欠陥や弱点ではない、ということが続く部分で説明されています。

この多型遺伝子をもつ人では、親のうつや不和といった影響を強く受けやすく、中年期になっても未解決型の愛着スタイルを示しやすいが、親に問題がない場合は、未解決型の愛着スタイルを示す人の割合が、むしろ低かったのである。

それに対して、この多型遺伝子をもたない場合には、親の状態に影響されにくかったという。

つまり、この多型遺伝子をもつ人は、養育環境の影響を、良い方向にも悪い方向にも受けやすいということになる。(p131)

この遺伝子多型は、欠陥ではなく、「感受性」の遺伝子だったのです。この遺伝子を持って生まれた子どもは、普通の子どもよりも養育環境の影響を、良くも悪くも強く受けやすくなります。

つまり、良い養育環境で育った場合にはより安定した性格になり、悪い養育環境にさらされた場合にもより不安定になりやすい、つまりD型アタッチメントや過剰同調性を抱えやすいという、増幅器のような役割を果たしています。

この本の続く部分によると、ほかにもセロトニントランスポーター遺伝子の多型など、やはり強い感受性をもたらす遺伝子が見つかっており、生まれつき ひといちばい敏感な子どもが存在するとされています。

近年では、このような生まれつき ひといちばい敏感な子どもを指す、HSP (Highly Sensitive Person:ひといちばい敏感な人)、あるいはHSC (Highly Sensitive Child:ひといちばい敏感な子)という概念が提唱されています。

HSPは1996年にアメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士が提唱した概念です。博士の著書ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)は大きな反響をもって迎えられ、日本でも出版されています

生まれつき敏感な子ども「HSP」とは? 繊細で疲れやすく創造性豊かな人たち
エレイン・N・アーロン博士が提唱した生まれつき「人一倍敏感な人」(HSP)の四つの特徴について説明しています。アスペルガー症候群やADHDと何が違うか、また慢性疲労症候群などの体調

国内でHSPを研究している長沼睦雄先生による「敏感すぎる自分」を好きになれる本では、HSPは過剰同調性や愛着障害のリスク要因であるとされていて、前述の岡田尊司先生の見解と一致しています。

HSPの多くは、相手の心に寄り添い、喜びや悲しみといった相手の感情に深く共感する能力をそなえています。

けれど、HSPの中には共感性が高いというレベルを超え、周囲の人に対して、過剰に同調してしまう人も少なからずいます。

このような状態は「過剰同調性」といわれ、共感性とは似て非なるもの、まったくの別物です。(p44)

トラウマや愛着障害は、HSPの生きづらさをさらに増す要素となりますが、それだけではなく、HSPの敏感さが、親子関係の不和や学校での先生との対立を呼び、トラウマや愛着障害を起こす引き金になるケースもあります。(p88)

こうした説明から明らかなとおり、D型アタッチメントのような無秩序な愛着と、そこから引き起こされる過剰同調性には、養育環境の劣悪さが関係しているだけでなく、それを増幅する要因として、生来の感受性の強さ「HSP」も関与している可能性があるのです。

もともと遺伝的な感受性の強さ「HSP」を持っているからこそ、親の不仲や精神疾患など、劣悪な養育環境に置かれても、心を閉ざして絶望したりするのではなく、むしろけなげに空気を読みとり、自分を犠牲にして、家族の仲を取り持とうとしてきたのが「過剰同調性」を持つ人たちなのでしょう。

しかし、幼いころから空気を読み続けてきた人は、もちろん心の底から、相手に同意して自分を合わせているわけではありません。単に生き延びるという目的それだけのために合わせているにすぎず、心の中では、その状況を受け入れがたく思っています。

そのため、過剰同調性を持ったまま大人になった人たちは、心身に大きな負担がかかります。常に心の中に葛藤があり、やりたくもないことをやるので疲れやすく、自分自身を見失ってしまうことさえあるのです。

そのような負担は、「空想傾向」や、さまざまな病気という形で現れる場合があります。それぞれ順を追って考えてみましょう。

「空想傾向」

過剰同調性を示す子どもたちにとって、現実世界は、どこもかしこも安心できない危険な場所です。

家の中には緊張、学校にはいじめがあるかもしれません。そうでなくとも、親の気持ちを先取りして、迷惑をかけないよう振る舞わなければなりません。

本来であれば、安らぎや楽しさをもたらすはずの場が、いわば戦場のような緊張に満ちた状態となり、常に顔色をうかがう過剰同調性という戦略なくしては生き延びられないほど過酷なのです。

そのような子どもたちは、安心して落ち着ける居場所を見つけられず、満たされることを望みながら、決してそれを見いだすことができません。

そのため、自らの想像力をたくましく働かせ、空想の世界に逃れ場を設けることがしばしばです。解離の構造―私の変容と“むすび”の治療には、次のような経験談が載せられています。

小さいころから心の中に避難場所があった。苦しい時に「ここにいちゃいけない」と思うと、頭の中で「気持ちいい」と思うところへ飛んだりしていた。嫌なことがあるといつもそこへ行っていた。

お花畑とか、ローマの宮殿とか…私は人と話してストレスを解消できないので、普段は自分の中でそういう場所があった。(p221)

多くの人にとって、友だちと会話するのは、楽しみであり、憩いの時間です。ところが、この経験談のように、過剰同調性を持つ人にとって、人と話すことは、疲れることなので、それとは別の方法でストレスを緩和することが必要なのです。

過剰同調性によって現実世界をかろうじて生き延びている人たちは、現実世界に安心できる居場所がないので、自分の想像力で、空想の世界にそのような場所を作ってしまいます。(p201)

空想傾向を持つ人たちは、子どものころ、遊んでいた人形やおもちゃに独自の人格を持たせていたり、妖精などの存在を信じていたり、想像上の友人(imaginary companion)と遊んだ経験があったりします。

空想が膨らみやすく、それをありありと感じることができ、ときにそこへ逃避し、没入できるようになるのです。

これはまた、白昼夢(Wachtraumerel)と呼ばれることもあります。空想的映像が細部まではっきり見え、ストーリーがあり、音が聞こえ、触感さえ感じることがあります。それがあまりにも日常的なので、多くの場合、みんなそうなのだと思い込んでいるそうです。

このような空想傾向は、何も悪いものとは限りません。オークランダー(Oaklander,V)によると、空想的避難場所を思い描くことは、精神疾患の治療で重要だとされています。(p221)

そもそも空想傾向は、苦痛を伴う現実から逃れるために発達させた適応ですから、それ自体は悪いものではなく、むしろ心の安定を保たせる働きをもっています。

空想傾向は、ときに豊かな想像力として発揮されるということは、以下の記事で述べました。

文学や芸術を創造する「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」
辛い子ども時代を過ごした人の中に、文芸や芸術などの分野で、豊かな想像力を発揮する人が意外なほど多いといいます。「愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)」という本に基づい

先ほど考えたように、過剰同調性は特殊な愛着パターンと関係していて、空想への逃避もその延長線上にあります。

本来愛着を育める場である家庭での親子関係、学校での友人関係が、緊張をもたらす場所であった場合に、過剰同調性と空想への逃避という生存戦略が生じるのです。

しかし一方で、過剰同調性や、それに源を発する空想傾向は、心身の大きなストレスを招き、病気を呼び寄せてしまうこともあります。

過剰同調性がもたらす人格の解離

今回引用してきた本のテーマは、解離性障害、そして、その中でも特に重い解離性同一性障害(多重人格)です。じつは、ここまで取り上げてきた過剰同調性の体験談は、解離性同一性障害の患者のものだそうです。

この本で過剰同調性が取り上げられているのは、解離性障害の患者の幼少時からの傾向として、「空気を読みすぎる」ことがみられるからです。先ほど触れたD型の愛着パターンは、解離性障害のリスク要因だと言われています。

解離性障害とは、自分が二つに解離してしまう病気のことです。子どものころから、やりたくもないことを感情に反して無理に行い続けていると、徐々に人格が解離していきます。

「空気を読みすぎる」人たちも、笑顔で相手に合わせる表面上の自分と、その行為を裏でさげすんだり、困惑したりする本心の自分とが解離してしまうことがあります。自己犠牲的な自分の背後に、形のはっきりしないもう一人の私が現れます。

すると、だれかの気配を感じたり、幻覚や幻聴が生じたり、自分が自分でないように思えたり、現実感がなくなったりする、解離性障害の症状が現れてくるのだそうです。

それがさらに進むと解離性同一性障害、つまり多重人格になります。

図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法によると、親から性的虐待を受けていたある子どもは、夜には虐待者の意向に合わせ、昼には普通の学校生活に自分を合わせなければなりませんでした。

マリアンは子どものころ父から虐待を受けた。彼女の一部は、父親の望みをどうやって果たせばよいか知っている必要があった。それは父親を怒らせないためであり、また誤った方法とはいえ父親の愛情をつなぎとめておくためでもあった。

…その代わり、マリアンはあたかもすべてが通常どおりで問題はないかのように、学校で普段どおりに授業を受けなくてはならなかった―そのようにふるまえる能力が必要だったのだ。

彼女の心の中ではこれまでずっと、片方を忘れることで、この2つのスキルや自我状態を切り離してきた。マリアンは昼間に、夜間に起きていることを思い出すことはできなかった。(p31)

マリアンは、生き延びるためには、夜は虐待する父親に自分を合わせ、昼間には何でもないかのように学校の先生や友だちに自分をあわせなければなりませんでした。その場その場で、空気を読んで自分を変えなければならなかったのです。

その結果、やがて人格が解離して、昼には、夜にあったことを思い出すことができなくなり、昼と夜とで別の自分を使い分ける解離性同一性障害になってしまったといいます。

「過剰同調性」をもつ人たちは、幼いころから、D型の愛着パターンを持ち、場面に応じて、無意識に空気を読んでA型、B型、C型などの反応を使い分けていることについては、すでに見たとおりです。

その「空気を読み過ぎる」戦略の最たるものが解離性同一性障害(DID)であり、場面ごとにふさわしい人格を使い分けるようになるのだと考えることができます。

無意識に人格が切り替わってしまう「スイッチング」とは?―多重人格をスペクトラムとして考える
複数の人格を抱え持つ多重人格(解離性同一性障害)は奇病のようにみなされがちです、しかし実際にはスイッチングというグレーゾーンの現象を通して、普通の人たちの感覚と連続性をもってつなが

このように、過剰同調性は、解離性障害や解離性同一性障害と関係しているのですが、もっと広い意味で言えば、過剰同調性がもたらす問題は、さらに多彩です。

過剰適応と過剰同調性の違い

過剰同調性に陥った人たちはとても疲れるといいます。

共感や信頼に従って他人に合わせるのではなく、無理をして周りに合わせることは、心身ともに疲れ果てさせ、ストレスを溜め込む結果をまねきます。

子どもの慢性疲労症候群について扱った本である学校を捨ててみようには、次のような説明があります。

心身の疲労を訴えて受診する子どもたちや若者の訴えのなかに、よい子の苦悩があぶり出される。

「自分が自分として生きている実感がない」

「周囲の雰囲気に合わせて生きているので、誰か他人が自分のなかに入りこんで生きているようだ」

「自分のなかで他人が生きているのと同じ。だとすると生きている意味がない」

「周囲に合わせて生きているのに、先生や仲間から評価される。

本当の自分はほかにあるので、借り物の自分が評価されているにすぎない。

なんとか自分をさらけ出して、本当の自分に対する評価を知りたいが、こわくてそれができない。

そんな自分が情けなくて死にたくなる」などの述懐はしばしば耳にすることである。(p130-131)

この本によると、よい子でいることには、極めてエネルギー消費の大きい自己監視が求められます。強い集中と持続的な緊張が必要なので、慢性的な疲労感につながる、と説明されています。(p137)

過剰同調性とは、いわば常に周囲にアンテナを張り巡らし、意思や行動をコントロールする脳の前頭前野をフル活動させ、素直な感情を抑えこんで、一挙手一投足をすべてコントロールしている状態なのです。

子どもの慢性疲労症候群の3つのストレス背景のひとつとして、偏差値知育教育の元での「自己抑制的よい子の生活」が挙げられていることも不思議ではありません。(p194)

小児慢性疲労症候群(CCFS)とは (3)10の原因と診断の流れ
小児慢性疲労症候群(CCFS)の10の原因と、診断の流れについてまとめています。CCFSを引き起こす現代の教育制度のいびつさとは何でしょうか。CCFSはどのように診断されますか。こ

また、子どもの慢性疲労症候群と類似した病態である、若年性線維筋痛症についても、いわゆるよい子の生活が発症の素因となり、他人への過剰な気遣いがみられる、とされています。線維筋痛症は、慢性的な体の激痛を特徴とする病気です。

子供の体の慢性的な痛み「若年性線維筋痛症(JFM)」とは? 原因と治療法
子どもの慢性痛、若年性線維筋痛症とはどんな病気なのでしょうか。どんな治療法が可能でしょうか。東京女子医科大学 膠原病リウマチ痛風センターの宮前 多佳子先生による「小児の線維筋痛症」

このことから、子どもの慢性疲労や慢性疼痛の少なくとも一部には、過剰同調性が背景に存在する場合があると考えられます。

また、子どものPTSD 診断と治療という本では、不登校になる子どもには「過剰適応型」「受動型」「衝動型」「混合型」の4タイプがあるとされ、そのうちで最も多い「過剰適応型」の特徴についてこう説明されていました。

この中で最も多いタイプとされる「過剰適応型不登校」の子どもは、学校では諸活動で他者に認められる成績をあげ続ける、教師の賞賛を得るために、あるいは教師の叱責を受けないように頑張り続ける、仲間との一体感を失わないように必要以上に気をつける、仲間から孤立しないよう自己を過度に抑制する、といった姿勢をとることで、仲間関係や教師との関係、活躍できる分野での成功などから得る心理的支えを確保している。(p158)

これによると、「過剰適応」型の不登校になる子どもは、自己を過度に抑制して、周りに合わせたり、良い成績を取り続けたりしていて、それが限界に達したときに不登校に陥ってしまいます。

とはいえ、今回取り上げている「過剰同調性」は、単なる一時的な「過剰適応」とは異なっています。

「過剰同調性」が、幼いころの環境のせいで人格深くに染み付いた本能的な生存戦略であるのに対し、「過剰適応」に陥る学生は、必ずしも育ちに問題があるわけではなく、学校特有の厳しい環境のせいで一時的に「過剰適応」を強いられていることもあるでしょう。

「過剰同調性」の人たちが、安心できる居場所がどこにもなく解離して対処するしかないのに対し、「過剰適応」から不登校になる子どもの場合は、少なくとも家庭には安心できる居場所があるからこそ、最後の砦としてそこへ逃避できるといえるかもしれません。

解離の舞台―症状構造と治療の中で柴山先生は、双極性障害II型の対人過敏と、解離の過剰同調性の違いについて説明していますが、これは一般的な過剰適応と過剰同調性の違いとして読むこともできるでしょう。

解離性障害の患者には発病以前から認められる対人関係の特徴がある。目の前の相手や周囲の人に対して、過剰に気を遣って、合わせてしまう過剰同調性のことである。

…こうした対人関係の特徴は、気分障害、パーソナリティ障害、対人恐怖などに限らず、現代の若い女性たちにも見られる一般的な傾向である。

しかし、もう少し細かく見ていくと、そこには微妙な違いがあることがわかる。

…双極II型に見られる対人過敏では不安、混乱、嫌気、怨み、自罰、他罰など苦悩の色彩が概して強い。そしてそれらですぐに自分が一杯になる。

それに対して解離性の過剰同調性においては、こうした感情や同調をめぐる苦悩はあってもそれほど目立たない。

また必ずしも周囲に同調していることを意識しておらず、気づいたときにはすでに「自分が目の前の相手に合わせてしまっている」ことが多い。(p142-143)

双極性障害II型などに見られる対人過敏、つまり、一般的な意味での過剰適応に陥る人は、自分が無理をして相手に合わせているのをよく承知しています。

本当は合わせたくもない相手にへつらっている自覚があるので、鬱憤が溜まり、イライラし、ときにはそれを爆発させてしまうこともあります。それが感情の不安定さにも反映されるのでしょう。

無理をして自分を使い分けているという葛藤から精神的に疲労しやすいので、双極性障害II型や新型うつ病、境界性パーソナリティ障害などの心身の問題を抱えやすいかもしれません。

若い女性に多い「新型うつ」「非定型うつ病」とは何か、本当に存在するのか
若い女性に増加しているという「新型うつ」「非定型うつ」「現代型うつ」と呼ばれる病態について整理しています。

一方、過剰同調性は、自分が相手に同調してしまっているという自覚さえほとんどない状態です。

これまで見てきたとおり、過剰同調性は、物心つく前のD型アタッチメントという生存戦略から生じるものなので、無意識のうちに空気を読んで相手に合わせることが当たり前になっています。それ以外の選択肢、生き方を知りません。

相手に合わせようと意識するまでもなく、勝手に無意識のうちに、いつの間にか相手に同調してしまっているのが過剰同調性であり、その先にある解離性同一性障害(多重人格)では勝手に人格が切り替わるようにさえなります。

過剰同調性を持つ人たちは、相手に合わせてしまうことについて、ほとんど葛藤を持っていません。それを、自分の能力のうち、とさえ思っています。

先ほどの過剰適応と過剰同調性の違いについての文脈の続きで、ある解離性同一性障害の人は、自身の過剰同調性の特徴について、こう説明しています。

相手に合わせるというよりも、そういった自分が出て来る。相手によって色が変わる。コアは変わらないが、それを覆う膜が変わる。それがいつか破綻する不安がある。

読書をすると、その世界に入ってしまう。夢にも影響を受ける。

さまざまな状況に合わせることがそれなりにできてしまう。合わせることに疲れるということはない。いろんな人の気持ちがわかる。

裏表ではなくサイコロです。どの面が出ても私。(p143)

過剰同調性は、「裏表ではなくサイコロ」です。幼少期から無意識のうちに空気を読み、さまざまな自分を切り替えてきたので、それらはもはや仮面ではなく人格、「どの面が出ても私」です。

過剰同調性を抱え持つ人は、葛藤やストレスが意識されないので、過剰適応に陥る人のように、他の人に合わせすぎることへの自己嫌悪を感じて心を病むことは少ないでしょう。

その反面、自己同一性の混乱や、解離性の奇妙な症状、さらには身体的な疲労や痛みとして、ひずみが生じやすいかもしれません。

葛藤やストレスが意識されず、症状だけが出てしまうからこそ、それは「解離」(つまり切り離し)と呼ばれるのです。

とはいえ、「過剰適応」と「過剰同調性」は、おそらくまったく別のものというわけではなく、程度の差こそあれ、地続きになっている特性だと思われます。

すでにみたとおり、過剰同調性の根本にあるのは幼少期のD型のアタッチメント、つまり「無秩序型」や「未組織型」と呼ばれる愛着で、A型、B型、C型のすべてが同時に現れるという特徴がありました。

一方、幼少期にそこまで混乱した愛着の問題を抱えず、A型(回避型)や、C型(不安型)など、どれかひとつだけの不安定さを身に着けた人は、無意識のうちにさまざまな自己を使い分けることはできず、他の人に合わせるには仮面をつけるしかありません。

自己がなまじ組織化されているゆえに、無理をして周囲に合わせるしかないのが過剰適応の人であり、幼少期にD型の愛着を抱え、自己がもともと無秩序なために葛藤もなく同調してしまえるのが、過剰同調性の人であるのでしょう。

過剰同調性は身体的・生物学的な現象

さらに、過剰同調性からくる空想傾向について、身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価という本に、次のような話が載せられています。

39歳で乳がんにかかったミシェル(第5章)は、いつも夢想の中に救いを求めてきた。不幸な子ども時代の思い出を語りながら彼女は言った。

「私が夢想の世界に住んでいたのも無理はありません。そのほうが安全ですから。自分でルールを作るんです。そうすれば幸せで安心できる世界を自分の思いどおりに作ることができるわ。外の世界はまったく違っていても」

二年近くを費やして行われたある研究によれば、楽しい夢想にふける傾向のある乳がん患者は、より現実的な考え方をしている患者と比べて治療後の経過が悪いということである。

またネガティブな感情を表すことの少ない患者も、やはり予後が好ましくなかったということである。(p353)

この事例から分かるように、過剰同調性や空想的な傾向は、病気への抵抗性の弱さをもたらすことがあります。

子どものころの無力感が生む空想世界への逃避は、大人になって無力でなくなった後も、問題に直面したときに空想世界へと逃避する傾向をもたらすかもしれません。

そうすると、本当は解決策が手の届くところにある場合でさえ、いつものように現実逃避するだけで、実際的な行動へと踏み出せなくなってしまいます。

とはいえ、過剰同調性や空想傾向を持つ人が身体的な健康を損なうことには、もっと生物学的な理由があります。

少し難しい内容に感じるかもしれませんが、過剰同調性とは何かを知る上で非常に重要な部分なので、ぜひ注意して読んでください。

すでに触れた過剰同調性の大元であるD型アタッチメントとは、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によると、次のような生物学的現象であると説明されています。

このタイプDについての話をもう少し続けよう。ショアはこれを示す赤ちゃんの行動は、活動と抑制の共存だという。

つまり他人の侵入という状況で、愛着対象であるはずの親に向かおうとする傾向と、それを抑制するような傾向が同時に見られるのだ。

ちょうど「アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態」と考えるとわかりやすいかもしれない。

そしてそれは、エネルギーを消費する交感神経系と、それを節約しようとする副交感神経系の両方がパラドキシカルに賦活されている状態であるとする。これが解離状態であるというのだ。(p17)

D型アタッチメントとは、つまるところ、過敏な刺激によって、交感神経(アクセル)が過緊張しているときに、同時に副交感神経(ブレーキ)もフル稼働させて反応を制御し、空気を読んで周りに自分を合わせている状態なのです。

言い方を変えれば、あたかも敵国の領地のただ中にいるような生死が関わる状況で、生き延びるために一世一代の芝居を演じて、自分の正体を隠し続けているようなものです。

恐怖や不安からくる強い緊張と、それをさらに上回る自己抑制とが同居していて、しかもそれが四六時中続いているのですから、体に負担がかかるのも、免疫系が抑制されるのも、ひどく疲れるのも当然ではないでしょうか。

ここで言われている副交感神経とは、通常わたしたちが副交感神経と聞いてイメージするリラックスするための神経(腹側迷走神経)ではなく、もっと原始的な無髄の副交感神経(背側迷走神経)のことです。

このアクセルとブレーキを同時に踏んだ状態は生物学的には「凍りつき」「擬態死」と呼ばれていて、サックス博士の片頭痛大全で指摘されているように、生物界で広く見られる危機反応です。

動物の世界においては、威嚇に対する反応としては急激なものよりも受け身反応のほうが重要であり、そのレパートリーは著しく多彩である。

その特徴は、一般的に分泌が増え内臓が活発になるのとあいまって、無動を保つ(ただし姿勢の制御や意識の覚醒はやや失われる)ことだ。

いくつか例示すれば、恐怖におののく犬(パブロフの「わずかに抑制的なタイプ」の犬ではとくに)は身体をすくませ、嘔吐し、便を失禁する。ハリネズミは、身体を丸めて脅威に対抗する。

スナネズミは筋肉の緊張を突然失ってカタトニーのように硬くなり、オポッサムは失神様無動すなわち「偽死」を装う。馬は驚愕して「凍りつき」、冷や汗を流す。

スカンクは恐怖を感じると凍りついて汗腺に変化が生じ、汗がほとばしる(分泌反応は攻撃的機能と考えられる)。また危険にあったカメレオンは凍りつき、体色を環境に似たものに変えるという独特の反応をみせる。(p381-382)

過剰同調性は前述のとおり、子ども時代から、いつ殺されるかもわからないような敵地で自分の正体を隠し続けているかのような生活を送ってきた人特有のものですが、これは動物が捕食者から隠れようとして本能的にとる行動と同じです。

脅威に対して凍りついたり身体を丸めたりする動物の本能的行動が「心の問題」だなどという人はいないでしょう。過剰同調性は、心理学や精神医学のような心の問題とみなすべきものではありません。

「危険にあったカメレオンは凍りつき、体色を環境に似たものに変えるという独特の反応をみせ」ますが、怯えや恐怖から、できる限り目をつけられないように過剰に同調する子どもも、まったく同じ動物的な本能的な防衛反応から凍りついています。

ですから、そもそも過剰同調性とは心の病理ではなく、生物学的反応として解釈すべきものです。まず身体の生物学的反応が生じ、そのあとで二次症状としての心理学的問題が起こっているのです。

近年の研究によると、幼少期の愛着トラウマのような逆境体験は、その後の人生における身体的な健康にも多大な影響を及ぼすことがわかってきました。

「病は気から」を科学するという本にはこう書かれています。

特に子ども時代の環境は、その後の人生におけるストレスへの感受性に影響を及ぼすらしい。(p224)

その場合もやはり、危険な状態にあるのは子どもたちだ。幼い頃から虐待され、逆境を経験するだけでなく、子宮内ですでに母親のストレスホルモンにさらされていたため、その後の人生で、テロメアはずっと短いままだ。(p225)

ここで出てくる「テロメア」とは人間の染色体内部にある、老化やがんの発症に関わる物質のことです。テロメアが短いほど、寿命が短くなるといわれています。

テロメアが短くなる原因は、ストレスや喫煙など色々ありますが、その中でも特に危険なのが、幼少時の養育環境だと言われています。

子ども時代に逆境にさらされると、成長途中の脳がストレスに敏感になることはすでに学んだ。

さらにエピジェネティクスによって、幼少期のトラウマ―特に厳しい社会環境―が生理機能に組み込まれる可能性もあり、これにより、厳しい環境で育った人たちがのちにあれほど慢性疾患に罹る理由が説明できる。

今のところ、研究は予備的なものにすぎず、また、人間はラットと同じではない。

しかし、人が幼少期に(あるいは体内で)経験する逆境が、のちに炎症レベルを上げ、免疫系を脅威に敏感にするタグを遺伝子につけることはあり得る。(p283)

ここに登場するエピジェネティクスとは「後成遺伝学」のことで、持って生まれた遺伝子のオンオフが、生まれてからの環境によって変化する現象を指しています。

ある病気に関わる遺伝子を持っていても、若くして病気になる人もいれば、一生発症しない人もいるのは、環境要因によって、その遺伝子が目覚めるかどうかが左右されるからです。

幼少期の逆境経験は、遺伝子のオンオフを変化させ、慢性的なストレス環境への適応という形でストレスホルモンのバランスを変え、免疫系を敏感にならせ、結果的に本来なら発症しなかったかもしれない病気のリスクを高めてしまうようです。

文中に「幼少期のトラウマ―特に厳しい社会環境―が生理機能に組み込まれる可能性」があると書かれていましたが、ある意味で、過剰同調性とは、幼少期のトラウマが脳に生理的な反応として組み込まれたものであるともいえます。

一時的な危機に直面したときに、ストレスホルモンが出たり、周囲に敏感になって場の空気を適切に読み取って逃れたりするのは、わたしたち人間がもつ生理的な機能です。

ところが、生まれてすぐの幼少期に危機に直面したり、慢性的なストレス環境におかれたりすると、そうした状態が当たり前になってしまい、ずっとストレスホルモンが分泌され、過度に緊張し、周囲に警戒し続けているような状態になります。

本当は危機が去っているにもかかわらず、心身の警戒状態を解くことができず、先程の比喩のごとく、敵陣のただ中にいるかのように、周囲の反応に過敏でありつづける、それが過剰同調性の正体なのです。

一時的な逆境を生き残るための体の警戒反応が、幼少期のトラウマという危機が去ってもずっとフル活動している状態が過剰同調性だとすると、心身が疲弊するのも、体の病気をも招きやすくなるのも当然だといえるでしょう。

ACE研究が明らかにした「小児期逆境後症候群」ーなぜ子ども時代の体験が脳の炎症や慢性疾患を引き起こすのか
17000人以上のデータから子ども時代の逆境体験と成人後の体調不良の関連性を導き出した画期的なACE研究の取り組みをもとに、幼少期の経験がわたしたちの一生にわたり、心身の健康にどん

アスペルガー症候群 空気が読めない人たち?

ところで、空気を読めない人たちとして、代表的に取り上げられるのは、自閉スペクトラム症のアスペルガー症候群の人たちです。一見、アスペルガー症候群の人と、過剰同調性の人は対極に位置するように思います。

しかし必ずしもそうとは言えない点は、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の中で次のように説明されています。

場の空気を読むことが苦手な場合には、相手の表情や空気を読むことを意識して学ぼうとする。この辺りはアスペルガー症候群の解離群と関係してくる。

過剰同調性はいわば「強いられた」同調性であり、生命的な共鳴性共振性とは異なっている。(p140)

つまり、空気を読めないアスペルガー症候群の人であっても、過剰同調性に陥ることはあるのです。アスペルガー症候群の人は、解離しやすいことも知られています。

発達障害と解離の専門家である、杉山登志郎先生の発達障害のいま (講談社現代新書)という本にもこんな記述がありました。

人の気持ちが読めないということと、他者配慮ができないということは、別ものということである。

むしろ、この問題に気づいている凸凹系の人は多く、代償的に人の気持ちに対して読みにくいぶん、逆にすごく気にするようになるのが常である。

すると人の意図や感情に過敏に反応をしてしまうということが逆に持ち上がってくる。(p232)

この言葉からすると、凸凹系、つまり発達障害の傾向がある人の中には、空気を読めないからこそ、かえって空気を読もうと意識しすぎ、過剰同調性に陥ってしまう人がいることがわかります。

「空気が読めない」アスペルガー症候群の人もまた、「空気を読みすぎる」、あるいは「空気を読もうと意識しすぎる」過剰同調性に陥ってしまうことがあるということです。

こうしたケースは、アスペルガー症候群とD型アタッチメントの重なり合い、と解釈できるかもしれません。当然、アスペルガー症候群の人も、生育環境によって愛着の問題を抱える可能性があります。

しかし、ここまで考えてきた通常の過剰同調性と異なっているのは、アスペルガーの過剰同調性は、人の反応を過剰に気にするとはいっても、あくまで空気が読めないという点です。

解離の舞台―症状構造と治療の中で柴山先生はこう述べます。

過剰同調性については、ASDと解離性障害では差異がある。

解離性障害では虐待やいじめなどが関係しているのに対し、ASDではそこに発達の病理が絡んでいる。

解離性障害では他者の意図をすみやかに汲むことによって先回りして他者に合わせようとするが、ASDではそもそも相手の意図がわからず、それを汲み取ることが苦手である。

そのため、せめて表面的にでも他者に合わせようとする。(p16)

ASDの人たちは、他人の気持ちがわからないことを気にして、過剰に相手の気持ちを読み取ろうとするのですが、いくら気を回してもやはり空回りで、より問題をややこしくしてしまいがちです。

定型発達の過剰同調性の人たちは、適切に空気が読めるため、カメレオンのように場の空気に同調していけますが、アスペルガーの過剰同調性の人たちは、過剰に気にしてはいても、見当外れな反応をしてしまうことで、より苦悩を深めてしまうのです。

アスペルガーには、一般に積極奇異型・受動型・孤立型の3タイプがあると言われていますが、もしかすると過剰同調性が問題になるタイプは受動型に多いのかもしれません。

アスペルガー症候群と解離の関係についてはこちらをご覧ください。

アスペルガーの解離と一般的な解離性障害の7つの違い―定型発達とは治療も異なる
一般にアスペルガー症候群などの自閉スペクトラム症(ASD)は解離しやすいと言われていますが、定型発達者の解離性障害とは異なる特徴が見られるようです。その点について、解離の専門家たち
「解離型自閉症スペクトラム障害」の7つの特徴―究極の少数派としての居場所のなさ
解離症状が強く出る解離型自閉症スペクトラム障害(解離型ASD)の人たちの7つの症状と、社会の少数派として生きることから来る安心できる居場所のなさという原因について書いています。

受動型アスペルガーの人についてはこちらの方の記事などが参考になると思います。

受動型の人は、「どうしたらいいかわからない」|「親を、選べず 障害も 選べず。」 でも、自分の人生は、選べた!

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感情を適切に表現することを学ぶ

過剰同調性のために疲れ果てている人、過剰同調性から体調を壊してしまった人は、感情を適切に表現する方法を学ぶことが必要です。

自分の気持ちを抑圧し、周りの人に合わせるために無理を重ねる生活を続けるなら、心身にかかるストレスは増え続けていくだけでしょう。

また体の問題として考えると、生理的な警戒反応がずっと解けていない状態にあるので、意識して自分を落ち着かせ、説得し、安全な環境に適応していく必要があるでしょう。

過剰同調性から来るストレスを避けるためには、次のようなことが役立ちます。

■嫌なことには、はっきりノーと言う。

■怒りや悲しみを貯めこまず、適切な仕方で表現する。感情は、我慢するか爆発させるかの二択ではないことをよく理解する。たとえば丁寧に敬意を込めて気持ちを相手に説明したり、芸術などの形で表現したりできる。

■空想の世界を大切にしつつも、現実的な方法で問題に対処することを学ぶ。空想は心を休めるための場所であっても、現実逃避するための場所ではない。

■「いい子」「いい人」よりバランスのとれた大人となることを目指す。

■自分は相手に同化してしまう傾向があるということをよくわきまえ、適度な距離感を保ち、自分と相手を「区切る」ことを意識する。

■自律訓練法、漸進的筋弛緩法、マインドフルネス、バタフライハグのような心身の緊張を解く技法を訓練する。

過剰同調性を克服するというのは、他の人の気持ちを考えない傍若無人な人になる、という意味ではありません。むしろ、自分の気持ちを適切に表現し、他の人と自分を区切るバランスのとれた人になる、という意味です。

子どものトラウマ・セラピー―自信・喜び・回復力を育むためのガイドブック に載せられている以下のアドバイスは、大人にとっても役立ちます。(長いので折りたたんでいます。クリックで展開)

▼参考:「必ずしも守らなくてよいルール」

〈嫌だ!〉
これは、子どもが必要なときには「嫌だ!」と言えるよう練習するゲームです。

1.子どもが必ずしも守らなくてよいルールについて洗い出してみましょう。

・人には親切にしなくてはならない。
・人の気持ちを傷つけてはならない。
・誰かが話しかけてきたら、失礼のないように答えなくてはならない。
・他の人の面倒をよくみなくてはいけない。
・自分の必要としていることより他の人を優先しなくてはいけない。
・目上の人には楯突いてはいけない。
・世話をしてくれる人にはいつも従わなくてはいけない。

これらの“ルール”を話題にし、そして吟味することで、従うほうがよいときに、「嫌だ!」を言ったほうがよいときの選択ができるようになります。

2.実際に言う練習をしてみる
まずは1人か2人の子どもと1人の大人が順番にお願いごとをするふりをします。簡単に「嫌だ」と言えるものから始めましょう。

子どもが上手に言えたら、難度を上げて、「何か問題があるの、もう私のことが好きじゃないんでしょう?」などと言って、どうなるかみてみましょう。あくまでも大人に向けて「嫌だ」を言うチャンスを作りましょう。

やってみてどれだけ簡単に子どもが大人の要求に“屈する”か驚くことでしょう。「嫌だ」を言うことで子どもは、自分が意地悪で、ききわけがなく、失礼なことをしたと思ってしまうのです。

このゲームでは、あなたのお子さんが、被害に遭うような状況でどのように行動できるか査定し、自信をもって力強く「嫌だ」を言えるように練習をさせるチャンスです。(p197-198)

先ほど引用した解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の次の一文を思い出してください。

過剰同調性はいわば「強いられた」同調性であり、生命的な共鳴性共振性とは異なっている。(p140)

ここでは過剰同調性と本来の共感とは違うと書かれています。この言葉の意味するところは、「敏感すぎる自分」を好きになれる本の次の説明を読むとよくわかります。

同じ周波数の音叉を2つ並べた状態で、片方を鳴らすと、もう1つの音叉も、鳴っている音叉に共鳴するように音を出します。これが共感です。

このとき、当然ですが音叉はそれぞれの距離を保ったまま、それぞれに音を出すわけです。そのため、あくまでも1つひとつは独立した存在であり、共鳴はしても、いっぽうが他方に同化して一体となることはありえません。

これに対して、過剰同調性は自分の中に相手が入り込んでしまう状態をいいます。…それは自分と他人との間に当然あるべき「境界線」がないか、あってもとても薄いためだと考えられます。(p44-46)

生命的な共鳴による「共感」と、「過剰同調性」の違いがおわかりでしょうか。

「共感」は別々の二人の人が互いに共鳴し響き合うことですが、「過剰同調性」は自分を捨てて相手に同化してしまうことなのです。

「過剰同調性」を克服するということは、他の人の気持ちを考えない鈍感な人になるという意味ではなく、本当の意味で「共感」しあえる人間関係を目指すということです。

いくら周りの人が自分に何かを望んでいるとしても、それが道理に合わないもの、感情に反することであれば、はっきりノーと言えるようになる必要があります。そうするのは何も不親切なことではなく、自分らしくあるということです。

その上で、譲歩できる部分は譲歩したり、ほかのアイデアを提案したりすることもできます。そうすれば自分と相手との間に、明確な境界線を置きつつ、相手の意向ではなく、自分の意向に従って行動できるようになるでしょう。

そして、心から共感できる人、信頼できる人に対して、進んで自分を合わせたいと思ったときには、自分の意思で同調することができます。そのようにして心に促されて自分を合わせることは過剰同調性ではありません。

こうしたことはどれも簡単ではありません。子どものころから身につけた行動や考え方の癖が関係しているからです。

子どものときは、周りに合わせなければ、生き残ることができなかったのかもしれません。家庭や学校で生き延びるために、嫌なことでも受け入れて、あたかも戦場のように空気を読んで身を守る必要がありました。

しかし大人になったあなたは、もはや戦場にいるわけではありません。まわりの人の顔色に過度に敏感になる必要はありません。たとえその結果として、まわりの人に嫌われることがあっても、あなたは自分の力で生きていくことができます。

今この記事を読んでいるあなたはもう無力な子どもではないはずです。大人は自分で自分の歩む道を選ぶことができるのです。

継続的な努力を通して、徐々にでも自分の対人関係を変化させ、空気を読みすぎることなく、自然に振る舞うことができるようになれば、緊張に満ちた世界から解放され、心身を休め、自分の居場所を見つけることができるでしょう。

過剰同調性については、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)のp68-69にもわかりやすくイラスト入りで図解されているので参照してみてください。

▼解離や過剰同調性を克服していくためのアドバイス
解離や過剰同調性の当事者に役立つ、身体志向の実践的な対処法はこちら。

▼過剰同調性のおおもとであるD型アタッチメント
D型(無秩序型)の愛着パターンを持つ人の特徴について詳しくはこちらをご覧ください。

人への恐怖と過敏な気遣い,ありとあらゆる不定愁訴に呪われた「無秩序型愛着」を抱えた人たち
見知らぬ人に対して親しげに振る舞いながらも、心の中では凍てつくような恐怖と不信感が渦巻いている。そうした混乱した振る舞いをみせる無秩序型、未解決型と呼ばれる愛着スタイルとは何か、人

▼他人が怖い・信じられない
過剰同調性を持つ人たちは、他人に対する過度の恐怖心を抱えている場合が少なくありません。詳しくはこちらをご覧ください。

他人が怖い,信頼できない,人といると疲れるなどの理由―解離と対人過敏
人が怖い、だれにも気持ちを打ち明けられない、だれも信じられない…そう感じるのは、子どものころの「安心できる居場所の喪失」が影響しているのかもしれまらせん。「解離の構造」ほか7冊の本

▼人生のコントロールを取り戻すには
過剰同調性に陥った人は、だれか他の人によって人生をコントロールされているように感じ、自分は無力だと感じることがあります。そのような人が、自分の手に人生のコントロールを取り戻すにはどうすればいいのでしょうか。以下の記事もご覧ください。

難病や試練を乗り越える人の共通点は「統御感」ー「コップに水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか」
難病など極めて困難な試練から奇跡の生還を遂げる人たちは、共通の特徴「内的統制」を持っていることが明らかになってきました。「がんが自然に治る生き方」「奇跡の生還を科学する」などの本か
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