軽度≠些細
これは、書籍子どもたちの高次脳機能障害―理解と対応のp13に、読者の注意を喚起すべく、巨大なフォントで印刷されている言葉です。
この本は、後天性脳損傷、特に軽度外傷性脳損傷により、高次脳機能障害を抱えた子どもたちのために書かれた書籍です。しかし広い意味では、不登校の子どもたちの多くも、高次脳の働きが弱くなっていることが分かっています。
後天性脳損傷とは何でしょうか。それがもし“軽度”外傷性脳損傷と呼ばれるとしても、決して些細なものではないといえるのはなぜですか。 そして高次脳機能障害というハンディを抱えた子どもたちに対して、大人はどのように接すればよいのでしょうか。
これはどんな本?
この本はオンタリオ脳損傷協会の方々によって執筆された“Eduvating Edurcators About ABI”の日本語訳版です。
とても読みやすいレイアウトで、後天性脳損傷により高次脳機能障害を負った子どもたちのために教育者ができる具体的な方策や、抱いておくべき心構え、コミュニケーションの方法が、具体例を交えて散りばめられています。
通説と事実の比較、つまりよくある誤解と正しい理解の比較や(p26,55,103,120,134)、脳損傷をどこまで理解できているか知ることのできるチェック・テストは正しい理解を得るのに最適です。(p146)
監訳者の帝京平成大学健康メディカル学部臨床心理学科の中島恵子教授は「このような本が日本にあったら、後天性脳損傷後の高次脳機能障害の子どもについての理解が進み、どのような対応をしたらよいかの手引書になるのではないか」と考えたそうです。
それに対し、いくつかの出版社は「良書ですが、日本にこの内容を必要とする人は極めて少ない」と述べて出版を断ったと書かれています。しかし、わたしのようにネット上で書評を書こうとする人も幾人かいるのです。
後天性脳損傷とは
後天性脳損傷(Acquired Brain Injury:ABI)とは、脳が突然に負うあらゆるタイプの損傷で、脳に一時的または永続的なダメージを残します。
特に事故など外傷によるものを外傷性脳損傷といい、損傷の大きさから、軽度、中等度、重度と診断されます。しかし損傷の部位によっては、決して軽度は些細ではないのです。
わたしたち人間の心の源は脳にあります。脳は体の2%の重さながら、残りの98%に多大の影響を及ぼしています。本書には、もし脳に傷を負うなら、わたしたちの人格そのものが変化すると書かれています。
外部からの強い力が加わり頭蓋骨が骨折したり、衝撃により頭蓋骨内部に生じたねじれの力により、脳が頭蓋骨の内側に打ちつけられたり、、擦りつけられたりすると、脳が引き裂かれ、神経細胞も損傷を受けます。
脳が損傷されたことで「私」に変化が起こります。(p2)
脳への損傷が引き起こす症状は多様で、ありとあらゆる問題が生じる可能性があります。考え方や行動、コミュニケーション能力、場合によってはその人自身の性格さえ変えてしまう可能性があるのです。
脳には損傷を補う可塑性があるとはいえ、それは元通りに回復させるものではなく、新たな状況に適応させるよう働くものです。ある部分のニューロンが死滅した場合、そのダメージは永久的と言わざるを得ません。(p12,26)
後天性脳損傷は誰にでも起こりえますが、統計学上では、25歳以下の人が危険だそうです。(p14) 本書には、脳損傷が子どもに及ぼす影響についてこう書かれています。
子どもの場合、受傷前に獲得した技能は維持される一方で、新たな技能を獲得する能力は妨げられ、時として特定の発達段階に留まってしまうこともあります。(p32)
集団行動ができなかったり、コミュニケーションが難しかったり、注意力散漫になったりするので、問題児や発達障害児と間違われることもあります。
そうした症状は事故後すぐ現れるとは限らないので、家族が事故のことをすっかり忘れさって、軽度外傷性脳損傷の可能性が見過ごされていることもあります。(p40)
後天性脳損傷と学習障害が異なるのは、後天性脳損傷の場合は突然問題が表面化すること、そして受傷前の知識が残っているため、表面上は学習能力があるように見えることです。(p56)
ある年齢になって、あるいはある課題に直面して初めて、特定のことができない、コミュニケーションが苦手といった問題が表面化する場合があります。
▼軽度外傷性脳損傷と脳脊髄液減少症
書籍脳脊髄液減少症を知っていますか: Dr.篠永の診断・治療・アドバイスにはこう書かれています。
脳脊髄液減少症と軽度外傷性脳損傷の症状は90%以上オーバーラップしています。軽度外傷性脳損傷と診断されている患者さんのなかには、脳脊髄液減少症の患者さんが少なからず含まれていると思われます。
軽度外傷性脳損傷は脳の損傷である以上、治療法は今後の神経細胞移植に期待するほかないのですが、脳脊髄液減少症は治療法がほぼ確立している疾患ですから、軽度外傷性脳損傷と決めつける前に脳脊髄液減少症を診断すべきではないかと思います。 (p108)
そのほか、後天性脳損傷には、低酸素脳症や毒物、感染症、脳血管障害などによるものもあります。
最近の研究によると、虐待やネグレクト、厳格体罰を受けた子どもは脳の一部の容積が小さく、萎縮していることが分かっています。脳に可視的な傷を負っているのです。
また書籍アンチ・エイジング医学 6ー3―日本抗加齢医学会雑誌 特集:疲労を科学するによると、Volumetryの研究から、慢性疲労症候群(CFS)の患者も、症状が重くなるほど、前頭葉の目に見える萎縮が進んでいることが分かってます。(p21-22)
また6-20歳の不登校状態の子どもを対象にした研究では、視覚刺激に対する脳波の異常が見られ、それは目の問題ではなく、高次脳における問題であることがわかっています。記憶障害、集中力や理解力の低下など、さまざまな脳機能障害として現れます。
高次脳機能障害の子どものためにできること
高次脳機能障害を持つ子どものために、親や教育者はどんなことができるでしょうか。この本には非常に多くの情報が書かれていますが、その一部を挙げておきます。
注目すべきなのは、これらが必ずしも、脳損傷の子ども専用の対策ではない、ということです。健康な子どもであれ、発達障害や不登校の子どもであれ、よりよい教え方をするために、以下に挙げる方策は必ず役に立つと思います。
具体例な工夫
◆新しい学習教材は小さな単位(チャンク)に区切る
◆カレンダーやポスト・イット、チェックシートなどを活用した自己モニタリングの方法を学べるよう助ける
◆多感覚、特に視覚に訴える表現をする。目に見えるモデルや色を使う。
◆こまめに休憩をとれるよう合図する
◆達成可能な目標を与え、失敗を繰り返すような土壌を作らない
◆情報の量や単調さで圧倒しないようにし、多様で変化に富んだ教え方をする
心構え
◆症状はひとりひとり異なり、型にはめるより子どもに合った方法のほうが大切だとわきまえる
◆子どもができることに重点を置く
◆受傷前の子どもの能力と、現在の学力や行動を絶対に比較しない
◆仲間の生徒や家族と協力する
◆問題行動の原因は反抗ではなく認知障害によるものだということを知る。過剰刺激や光・音過敏、体の不快感、理解しにくさなどが原因となっていることがある。(p96)
◆人を変えるより環境を変えるほうが簡単であるということを念頭に置く。(p98)
コミュニケーションの方法
◆方向転換(リダイレクション)
問題行動をするとき、やめるよう言うのではなく、まったく関係のない行動へ導く。
例:机を叩き続ける場合
?やめるよう言い、力で押さえつける
○ 身体的作業から言語的作業へ注意を振り向ける。たとえば次から次に、とりとめのない質問をしてみる
◆再構築(リストラクチャリング)
話す内容を否定せず、正しい部分だけを強調して、別の解釈ができるよううまく誘導する
例:不自然な誤解をしている場合
?誤解している部分を指摘する
○真実の部分を強調し、さりげなく正しい見解を織り込む
◆裏口手法(バックドア)
間違っている意見を正そうとせず、別の解決策を提示する
例:うまくいかないのはパソコンが壊れているせいだと主張する場合
?パソコンではなく子どもの扱い方に問題があることを話す
○パソコンを使わずにできる方法を提案する
◆正の強化法
問題行動をとがめるのではなく、良いことをしているときに目ざとくあり褒める。それによって良いことをする頻度が多くなる
例:暴言を吐く場合
?罰を与えて負の強化をする
○暴言を吐くときは立ち入らず、落ち着いているときに褒め、コミュニケーションを図る
◆積極的無視
みんなの前で恥をかかせないよう、公の場では叱らない。しかし問題行動をただ無視するのではなく、故意に、積極的に無視していることを知らせた上で反応しないようにする。
例:授業中に話しだす
?クラスの前で叱る、気づいていないかのように振る舞う。
○授業を続けながら、一度生徒にきちんと目を合わせ、それから逸らす。そして後で時間を取り分けて生徒と話す。
(p83-100)
ひとりひとりに愛を注ぐ
子どもは、もともと一人として同じ個性を持ってはいません。それでも、型にはまった教え方に順応できるのは、脳の機能に余裕があるからです。
本来であれば、どんな子どもであっても、その子どもの個性を大切にし、ひとりひとりに愛を注ぐほうが、子どもにとっては過ごしやすいはずです。子どもが危機に直面して初めて、その必要に気づくとしたら、それは残念なことです。
前述のように子どもたちの高次脳機能障害―理解と対応は、後天性脳損傷の子どもだけに関わる問題ではありません。慢性疲労症候群や不登校の子どもでも高次脳機能障害が生じます。
ハンディを負ってしまった子どもを支える立場にある人、あるいは誰かしらを教える立場にある人やには、ぜひ一度読んでもらいたい本だと思います。