トラウマ記憶はさまざまな症状の原因として、昨今注目されています。このブログでも取り上げたとおり、慢性疲労症候群の中にもトラウマ記憶が関わっている人もいるそうです。
トラウマ記憶を治療するのは簡単ではありません。トラウマ記憶に触れるのが怖いと感じる人もいますし、記憶が心の奥に厳重に封印されていて、症状だけが心身症として体に出ていることもあるからです。
そのような場合、効果的で負担も少ない治療法と目されているのが、眼球運動による脱感作と再処理法(EMDR)です。目を左右に動かしながら、トラウマ記憶を思い出すことで、処理が進みます。
しかし中には、EMDRではトラウマ記憶の核心に迫ることができず、治療が堂々巡りになってしまうことがあるといいます。そのような場合に、EMDRと併用すれば効果があるという治療法が図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法で紹介されていました。
それは自我状態療法というもので、この本では、解離のテーブルテクニック、通称「会議室テクニック」として紹介されています。
「会議室テクニック」とはなんでしょうか。どのように心の中を探るのでしょうか。
もくじ
これはどんな本?
この本は臨床心理学博士、サンドラ・ポールセンによるものです。ポールセンは国際EMDR学会の公認コンサルタントでもあります。
EMDRはトラウマ記憶によるPTSDに効果があることで注目を集めていますが、解離症状が関わっている症例ではうまくいかない場合があるようです。
そこでポールセンは、自我状態療法とEMDRを組み合わせるというアイデアを思いつき、それによって成果を挙げてきました。
この本は、豊富なイラストとシチュエーション別の具体例によって、自我状態療法の進め方のテクニックを記したものです。
わたしのような知識のない人には、理解しにくい部分も多くあり、専門家向けといえますが、翻訳事例は平易で読みやすく、事例には読み手を引き込む力があります。
自我状態療法とは
成人してからトラウマに直面し、何らかの心理的問題を抱える人の場合、意外にも問題の根は子どものときの体験にある場合が多いそうです。
幼少期に非常に辛い出来事を経験した人は、往々にして、成人してから生じた心的外傷(トラウマ)によって深刻な心理的問題を抱えます。
そのような人の多くは、大人になって重大なトラウマを負うまでは社会に適応した生活を送ってきているものです。(p15)
そのような場合、本人がトラウマだと思っているできごとよりも、さらに深いところに焦点を当ててEMDRを施す必要があります。その際に心を探る助けになるのが自我状態療法だそうです。
自我状態療法は、ジョン・ワトキンス(John G. Watkins)によって考案されました。彼はそれを次のように定義しています。
これは精神力学的アプローチであり、単一の人間の中で“自己内家族”を構成するさまざまな“自我状態”のあいだで起きる葛藤を解決するために、グループセラピーや家族療法と似た方法を用いる。(p27)
これでは少しわかりにくく感じるので要約すると、わたしたち一人ひとりには、心の中にさまざまな自己があります。
たとえば、フランクという医者がいるとします。彼は医者として患者と接するときには医師としての自己を用いています。家に帰って愛犬と触れ合うときには赤ちゃん言葉で可愛がり、愛犬のパパとしての自己を表に出します。
彼の心をもっと探っていくと、さまざまな自己が隠れているかもしれません。子どものころの満たされなかった自分なども存在している可能性があります。
いつも表面に表れているのは「表面的にノーマルな人格」(ANP:Adaptive Infomation Processing)ですが、そのほかに「感情的人格」(EP:Emotional Personalities)が幾つもあるのです。(p31)
幾つも人格があるというと、まるで多重人格のように聞こえます。実際、自我状態療法は多重人格(解離性同一性障害:DID)の治療に効果を発揮します。
しかしそうでない人でも、心のなかにさまざまな自己を持っていて、場面によって使い分けたり、心の中で一部の記憶や感情を担当してもらったりしているそうです。そのさまざまな感情的な自己のことを「自我状態」というのです。
わたしたち普通の人と、多重人格(解離性同一性障害)はまったく縁遠いものではありません。身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこうあります。
その症状は劇的ではあるものの、解離性同一性障害に見受けられる内部分裂や異なる人格の出現は、幅広い精神生活の領域の極端な例にすぎない。
自分の中に相容れない衝動や部分がいくつもあるという感覚は誰しも抱いているが、トラウマを負い、生き延びるために極端な手段に頼らざるをえなかった人々には、とりわけ顕著なのだ。(p457)
解離性同一性障害では、健康な人の心の中にも存在しているさまざまな自我状態が、独立した行動をとったり、記憶が分かたれてしまったたりするようになると、交代人格となります。図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法では、多重人格ではない人の心に存在するさまざまな自我状態は、単にパーツと呼ばれています。(p50)
自我状態療法は、問題を抱える人の心の中で葛藤しているパーツに注目して、トラウマになっていることを探り、問題解決の糸口を見つける手法です。
一人の人の心の中には、さまざまなパーツが存在していて、それはあたかもひとつの家族のようです。自我状態療法では、そのような自己内家族の各パーツにそれぞれの思いを語らせ、家族療法やグループセラピーのように対話する方法です。
これを特に理解しやすくしたのが、解離のテーブルテクニック、または「会議室テクニック」です。
忘れられたパーツ(人格部分)を知る「会議室テクニック」
解離の舞台―症状構造と治療 の中で、柴山雅俊先生は、「テーブルテクニック」またそれと類似した「ブラインドテクニック」について次のように説明しています。
交代人格の存在に気づく手段としては、フレーザー(Fraser 1991)の「テーブルテクニック(dissociative table technique)」や、シュスタ=ホックバーグ(Shusta-Hochberg 2004)の「ブラインドテクニック(window-blind technique)」などの方法がある。
これらは共に誘導イメージ法にもとづく技法である。
テーブルテクニックとは、机と椅子が置いてある安全な部屋をイメージし、そこに解離された部分人格を呼び出し、関心事について皆で共有する技法である。
ブラインドテクニックでは、ブラインドが下ろされている窓を思い浮かべ、その向こう側に他の人格がいると告げられる。
ブラインドを少し挙げたところで、そこに何が見えるかを報告する技法である。このようにして交代人格の存在に気づき、交流のきっかけとする。(p245)
「テーブルテクニック」すなわち「会議室テクニック」では心の中に空想の会議室を想像してもらいます。そこに、心の中にあるさまざまなパーツがいると想像します。
このとき、「表面的にノーマルな人格」であるフロントパートには席を外してもらって、さまざまな「感情的人格」から話を聞くことになります。
言葉で説明するとわかりにくいので、図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法から具体例を引用してみたいと思います。
エレノアは結婚生活を続けるべきかどうか、自分の感情を整理するためにセラピーを受けにきた。夫が支配的な態度をとり、そのことが自分に無力感を与え、憂うつになるのだと、エレノアは言った。
彼女らには解離性障害の顕著な兆候はなかったが、私は“会議室テクニック”を用いて、エレノアが結婚生活に抱いている複雑な感情にアクセスしようとした。途中で私はごく短く、次のような言葉をかけて介入した。
「エレノア、心の中に楽しい会議室があると想像してもらえますか? できた? いいわ! じゃあ、その部屋をちょっととのぞいてみて、なにが見えるか話してください」
「なにも見えません。テーブルと椅子だけです」
「それでいいのよ」と応じてから、私はほかの人に語りかけるような調子でこう言った。
「いまはエレノアのことはちょっと置いておいて、彼女の夫になんらかの感情をもっているパーツに会議室に来てもらおうと思っています。何人でもかまいませんよ。さあ、なにか変わったかしら? それとも同じ?」
「何人か人が見えます。8歳の女の子と私の父です。もうひとりは黒い雲のようで、あとひとりは本当に見えているのかどうかわかりません」とエレノア。
「それでいいのよ。なにか私に言いたいことがある人(パーツ)はいるかしら?」
「8歳の女の子が、私の夫のことをパパみたいだと言っています。私のことをよくいじめ、恥ずかしい気持ちにさせたんです」 (p82)
少し長くなってしまいましたが、本書には、こうしたわかりやすく、読んでいて引き込まれるような例が、とてもたくさん出てきます。
この例では、フロントパートである「エレノア」自身は脇に行ってもらい、心の中の会議室に、さまざまなパーツを想像してもらっています。
それぞれのパーツに話を聞いてみると、「エレノア」自身は話せなかった心の傷を話してくれるようになるのです。
子どものパーツ:
この例では、まず8歳の女の子の感情的人格が現れます。感情的人格は、未処理のトラウマを抱えた子どものパーツであることが多く、この本では「コンテナキッズ」と呼ばれています。辛い体験を容器の中に封じ込めているからです。(p40)
親や加害者の取り込み像のパーツ:
次に「私の父」という取り込み像のパーツが出てきます。理不尽な親の像を取り込んで、内在化しているのはよくあることだそうです。そのせいで成人してからも自分を親の視点で見てしまい、自尊心が持てなかったり、過度に厳しかったりします。(p44)
モンスターのパーツ:
怒りを抱えた「モンスター」のようなパーツが出てくることもあります。これは多くの場合、モンスターの皮をかぶった子どものパーツだそうです。子どものころ適切に表せなかった怒りを引き受けてくれていたパーツなのです。(p93)
スピリチュアルなパーツ:
何らかの信仰を持っている人の場合、「天使」のような、スピリチュアルなパーツが存在することもあります。強い自我意識がなく、無限の愛や思いやりを示してくれるパーツです。こうしたパーツは治療の助けになります。
こうしたさまざまなパーツを心の中に集めて、それぞれの言い分を聞いて、問題の解決を図っていくのが、「会議室テクニック」です。
「会議室テクニック」は、ふつう、熟練したセラピストの手で行われます。特に複雑性PTSDや解離性同一性障害(DID)の場合は、治療に危険が伴うので、注意深いセラピストが扱うことは不可欠です。
そうした熟練のセラピストは、患者がトラウマと向き合う力を得られるよう、会議室のイメージをふくらませる手助けをします。
たとえば、心の中の会議室に、記憶を映し出すスクリーンや安全な避難場所、記憶を封じ込めるコンテナなどを想像させ、適切なときにそれを用い、思考を助けたり、パニックになるのを防いだりします。(p130-131)
この会議室テクニックによって、トラウマを明確にしたところで、それを対象にEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)を行うことで、治療の成果が上がるようです。
またEMDRによって解離の存在が明らかになり、EMDRが行き詰まったときに、会議室テクニックは効果を発揮することもあります。
ここで引用した例は、結婚生活がうまくいかないというものでしたが、ほかにも、うつ病や心的外傷後ストレス障害、人前で緊張してしまうといった症状、体の不調や痛み、そして重い多重人格(DID)など、いろいろな例に「会議室テクニック」は役立つそうです。
トラウマとさまざまな病気とのつながりについては以下をご覧ください。
よく似た治療法や概念
心の中に存在する別の感情的人格(パーツ)と対話するというのは、別の概念として知られている場合もあります。
内的家族システム療法(IFS)
一つ目に紹介するのは、リチャード・シュウォーツが考案した内的家族システム療法(IFS : Internal Family Systems)です。
IFSについては、トラウマ研究の専門家ベッセル・ヴァン・デア・コーク先生の身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で詳しく説明されています。(p463)
近年の神経科学では、マイケル・ガザニガの分離能研究が示すように、人の脳の中に異なる複数の心からなる社会があるのはごく普通のことだとわかってきています。IFSは、自己の中のそれら異なる成員を、家族のように意識してつなぎ合わせる療法です。
IFSは、自我状態療法とよく似た手法で、巻末の解説のなかでも、杉山登志郎先生が「我が国では自我状態療法として行われている手法とほとんど同じ治療手段である」と述べています。(p606)
IFSの場合は、人格のパーツを「管理者」「追放者」「消防士」といった呼び名で区別していて、最終的に「セルフ」(自分そのもの)によるリーダーシップをとることを目指します。
自我状態療法の説明と比較しながら読むと、いっそう理解が深まると思うので、ぜひこの本も参考にしてください。
実際に体験した方の説明もありました。
自分の中のキャラを引き出す ? 花川ゆう子、Ph.D. サイコロジスト
インナーチャイルド
二つ目に考えるのはインナーチャイルドという概念です。
自己治癒力を高める医療: 病気になるプロセスに寄り添うにはインナーチャイルドについてこう書かれています。
「インナーチャイルド」という言葉を聞かれたことのある方も多いと思います。
これは幼いときに、主に両親との関係の中で、受け入れたくないようなつらい思いをしたときに、傷ついた幼い自分自身(あるいはそのときに感じたつらい感情や思い)が潜在意識の中に閉じ込められたもののことです。
…実はこの「傷ついた記憶」は大人になってからも病気に限らずその人の人生に大きな影響を与えます。(p80)
「会議室テクニック」の際に出てくる「コンテナキッズ」はこのような傷ついたインナーチャイルドであるということができます。
インナーチャイルドの傷を癒やすためにイメージを膨らませたり、対話したりするのは、「会議室テクニック」と似ています。
想像上の友人
三つ目は、「会議室テクニック」を持ち出すまでもなく、普段から心の中の別人格と対話している人についてです。その場合はイマジナリーコンパニオン(想像上の友人)という現象として知られています。
想像上の友人は、図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法によると、こう説明されています。
辛い思いを耐えていく子どもを助ける“想像上の友人”
子どもの場合、2歳から6歳くらいのあいだに“想像上の友人”を作りあげることがあります。
…しかし自己概念が發達していくにつれ…こうした空想上の友人は消えていき、ひとつの統合された自己が形成されます。
しかしながら、非常に辛く、慢性的で、逃れることのできないトラウマがある子どもの場合、想像上の友人から脱却するかわりに、こうした友にいっそう強く頼るようになるかもしれません。(Putnam 1985)
そうすることで仲間意識や安心感が得られるかもしれませんが、一方で、これが問題行動の原因となることもあります。(p37)
想像上の友人は、多彩なパターンを持っているので、良い方向に現れることもあれば、悪い影響を持つこともあります。
良い方向に現れると、親友や天使などのイメージを伴って、セルフ「会議室テクニック」のように働き、問題解決を促したり、当人に励みを与えたりします。
悪い方向に現れると、問題行動となって現れます。本書に掲載されている想像上の友人を持つ二例は、ともに解離性同一性障害と診断されました。
心の中に存在する自我状態(パーツ)の中には、すでに取り上げたように、子どものような仲間、親の取り込み像、モンスター、天使などさまざまなものがあるので、それとの対話が助けになることもあれば、そうでない場合もあるようです。
おそらく、イマジナリーコンパニオンは、特に青年期以降も続く場合、自力で自我状態療法や内的家族システム療法のようなことを行うことで、さまざまな逆境に対するセルフメディケーション(自己治療)のような役割を果たしているのではないかと思います。
トラウマ治療のためにイメージの力を活用する
「会議室テクニック」では、想像力を刺激し、イメージを用いた対話をすることによって、トラウマを解きほぐしていきますが、イメージには、時に大きな力があるといいます。
人間の脳というのは、そのイメージが想像の産物だということはあまり気にしないようにできていて、たとえ心の目に映るだけの慈愛体験であっても、その癒やしの効果には目を見はるものがあります。(p89)
単なる空想遊びのように見えて、こうしたテクニックによって、トラウマ記憶を探り当てられたり、リラックスを促したり、記憶の整理ができたりするのです。
日本では、「会議室テクニック」のような自我状態療法はどの程度使われているのかわかりませんが、解離性障害の治療や、EMDRの助けとして導入されていることもあるようです。
講座 子ども虐待への新たなケア (学研のヒューマンケアブックス)によると、杉山登志郎先生が、虐待された子どもの治療のために取り入れていました。
こうした心理療法は、自分からこれを受けたいと言って受診するようなものではなく、臨床心理士が必要だと思ったときに施すものなのかもしれません。
そのためWeb上にもあまり文献がないのですが、わたしにとってはとても興味深い情報でした。
さまざまな不調に悩まされている人は、その原因を探るために、自分の心の中に存在している幾つもの自我状態に注目できるよう、セラピストの助けを借りるのもよいかもしれません。
1.「安全な場所」のイメージ
そこにいても大丈夫だと感じられる安全な場所をイメージする。本当に安全かどうかは、それをイメージしながらEMDRをするとわかり、もし安全でないならトラウマ記憶が出てきてしまう。
「安全な場所」がまったくない人は、子どものころ大事にしていたぬいぐるみなど、少しでも安心感を感じられるものをたよりにして何とか構築する。「安全な場所」を確保しないとトラウマ処理はできない。
2.テーブルテクニック
架空の部屋をイメージしてもらい、そこにパーツ(各人格)に集まってもらう。全員が来てくれないとしても、最初の時点では構わない。鍵のかかった部屋に入って出てこないパーツもある。
3.パーツと交流する
各パーツにみんな大事な仲間であることを告げ、いらないパーツはなく、消える必要もないことを説明する。各パーツに性別と年齢、名前を尋ねる。
4.最も強力なパーツから対応する
各パーツのうち、最も強い主張を持つパーツからカウンセリングやEMDRを行う。
若年の場合は幼児人格のパーツが特に強力なトラウマを抱えている。成人の場合はモンスターのような暴力人格になっていることが多い。
まず否定的自己認知について聞き、次に肯定的自己認知、それぞれの強さの測定、身体的感覚の聞き取り、EMDRという順で交流・対話を進める。
5.セッションの終了
最後は安全な場所のEMDRで終える。初期のころは、出てきたトラウマ記憶の未処理な断片をトランクの中にしまって、次のセッションのときまで厳重に鍵をかけてもらう。信頼できるパーツに管理を委ね、子ども人格などのお世話も頼んでおく。
もちろん、自我状態療法をはじめ、解離性同一性障害の治療には危険も伴うので、専門家の指導を仰ぐことをおすすめします。