本当にゲームが悪者なのか―発達障害の子がなりやすい「ゲーム依存」を考える

界保保健機関(WHO)が、最近、「ゲーム障害」という概念を疾患カテゴリに含めようとしているというニュースがありました。

「ゲーム障害」を依存症に分類へ WHO、年次総会で採択予定:国際:中日新聞(CHUNICHI Web)

この「ゲーム障害」については、当事者や専門家に取材した一連のニュースもありました。ゲームに依存しすぎて、日常生活が破綻してしまう子どもや大人について扱われています。

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最終回の(5)では、ゲーム依存になりやすいリスクとして、次のような点が挙げられていました。

久里浜医療センターの研究で、
(1)ゲーム時間が長い
(2)ゲームを肯定する傾向が強い
(3)男性
(4)ひとり親家庭
(5)友人が少ない
(6)衝動性が高い

-などがリスク要因に上がっている。

またセンターにかかる患者の4割ほどが、うつ病などの精神疾患を併発している。

発達障害の一つ、注意欠陥多動性障害(ADHD)の傾向がある子どもも多い

ADHDや自閉症スペクトラムといった発達障害傾向のある子がゲーム依存になりやすいというのは、わたしがかかっていた概日リズム睡眠障害を専門とする不登校外来でも言われていました。

わたし自身、学生時代は、(学業のほうでもちゃんと成績は残していたとはいえ)、並みのゲーマーよりゲームに熱中していたので、この話題はひとごとではありません。

昼夜問わずゲーム依存状態に陥ってしまうと、日常生活がまわらなくなり、専門的な治療が必要なほど支障をきたすというのは事実だと思います。

しかし、この問題は、最近ブログで書いていた、「本当は環境側に問題があるのに、個人の側の脳に障害がある、とみなされてしまう」現象の一例だとわたしは考えています。

本当にゲームが悪者なのでしょうか。本当に発達障害が原因なのでしょうか。いくつかの資料をもとに考えてみましょう。

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なぜ発達障害にゲーム依存が多いと言われるのか

まず、ゲーム依存と発達障害の関係性について、兵庫県立リハビリテーション中央病院子どもの睡眠と発達医療センターによるいま、小児科医に必要な実践臨床小児睡眠医学では、概日リズム睡眠障害についての文脈で次のように書かれていました。

小児の概日リズム睡眠障害は、生来の生物時計の遺伝的脆弱性や調節異常を基盤として、これに睡眠を不足させたり、心理的・身体的にストレスを与える環境要因が誘因となって発症すると考えられる。

したがって、対象である小児睡眠障害患者は一般小児の母集団とは異なり、その特性についても把握する必要がある。

対象患者の発達障害特性の内訳は、自閉症スペクトラム障害(autistic spectrum disorder:ASD )29名(50.0%)、注意欠陥・多動性障害(attention deficit hyperactivity disorder:AD/HD)4名(6.9%)、ASD+AD/HD12名(20.7%)、定型発達13名(22.4%)と、発達障害特性を有する者は非常に高率(77.6%)であった。

睡眠障害のきっかけとして、“インターネット、ゲームによる睡眠の不足”を挙げた症例は18例(31.0%)であり、「部活」に次ぎ、「塾」と並んで頻度が高かった。(p70)

この調査からわかることの一つは、確かに発達障害傾向をもつ子が、ゲームに依存しやすいということです。それには、ADHDとASDの両方が含まれています。

発達障害特性との関連については、特に不注意、多動、衝動性の3症状すべてのAD/HD特性を有する場合、インターネット・ゲームに依存傾向を示しやすいとの報告がある。

…またASD特性が強く、さらには不安症状や社会的な孤立状態を伴っている場合には、面と向かった人との関わりが困難になり、唯一社会とつながる方法としてネットに依存しやすいという報告もある。(p71-72)

同じ発達障害でも、ASDとADHDではハマるゲームが少し違う傾向があるとも書かれていました。

AD/HDとASDのゲーム嗜好の違いについては、AD/HD、ASDどちらも定型発達より依存に陥りやすく、AD/HDの不注意が依存と特に関連していた。ASDではより依存傾向に陥りやすいロールプレイングゲームを好む傾向がある。(p72)

端的にいえば、ADHDは次々と新しい要素があるゲームに依存しやすく、ASDはやりこみ要素の強いゲームに熱中しやすいということでしょう。

なぜこうした子どもたちはゲーム依存になってしまうのか。

ゲーム依存状態になると、一種の覚醒剤であるアンフェタミンと似たような効果を感じるという研究があります。

この分野における初期の研究で最も有名なものとしてNatureの論文がある。

本研究において、50分のテレビゲームでのC raclopride PETを用いて算出した線条体でドパミン放出量は約2倍であった。

ちなみにアンフェタミン0.2mg/kgを静脈注射したときのドパミン増加は約2.3倍であるという。(p72)

前に書いたように、日本では認可されていませんが、海外ではアンフェタミンをベースにしたADHD治療薬が処方されています。

ADHDの治療に効果のある薬のまとめ(適応外処方も含む)
ADHDの治療に用いられている薬をまとめました。中枢神経刺激薬、NRI、SNRI、DNRI、α2アドレナリン受容体作動薬など、それぞれ参照リンク付きで解説しています。

つまり、ゲーム依存は、一種の自己治療(セルフメディケーション)であるとみなせます。

引用した説明によると、ゲーム依存はとりわけ「不注意」の傾向と関連していました。

これは慢性的にドーパミンが欠乏しているために起こる症状です。いつも意欲や集中力に欠け、なんとなくだるい状態にあります。

しかし、ゲームをやっているときだけは、必要な量のドーパミンが出るので、意欲的に集中できます。なんとなくだるい感じもなくなり、心地よさを感じます。

いつもあらゆることに退屈しているのに、ゲームをしているときだけは、「時間の感覚なく過集中」できます。(p75)

ゲームはある意味、治療薬の代わりになっているのです。

ドーパミンが慢性的に欠乏している状態が、いかに辛く苦しいかは、体験した人でないとわかりません。

たとえるなら、ひどく話が下手な先生による、退屈きわまりない1時間の講演をずっと聞いているときの苦痛が、年がら年中続いているようなものでしょうか。

それは単なる心理的なしんどさではなく、身体的な辛さです。時間がまったく進まないだけでなく、体中あちこちの疲れや痛みに注意が奪われます。生きていること自体が牢獄にとらわれているかのように苦痛になります。

「時間感覚の障害」としてのADHD―時の流れを歪ませるのはドーパミンだった?
ADHDの人は時間感覚が歪んでいる、ということが実験で証明されているそうです。「脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのか」という本から、なぜADHDの時間感覚は歪んでいるのか
なぜADHDの人は慢性的な疲労や痛みを感じやすいのか―脳の注意配分能力とワーキングメモリー
注意力のコントロールが苦手なADHDなどの人では、痛みや疲労が強く感じられている可能性があります。その理由は、フロー状態・マインドフルネス・ワーキングメモリ・注意配分能力などの研究

そんな生き地獄、独房にとらわれたような状態から、ゲームをしているときだけ解放されるのです。エキサイティングで充実した別の世界を体験できます。やめられなくなるのも当然です。

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本当にゲームが悪者なのか

では、こうした発達障害の子どもたちを依存状態に引きずり込んでしまう、ゲームという文化は悪者扱いされるべきなのでしょうか。

わたしはそうは思いません。

引用文献に書かれていたとおり、概日リズム睡眠障害を引き起こしている原因のうち、『“インターネット、ゲームによる睡眠の不足”を挙げた症例は18例(31.0%)であり、「部活」に次ぎ、「塾」と並んで頻度が高かった』のです。

ですから、ゲームという文化を批判するなら、それ以前に、もっと非難されるべきなのが、「部活」や「塾」だということになります。

冒頭で挙げたニュース記事では、ゲーム依存の克服についてこう書かれていました。

【リアルはどこに ゲーム依存を考える】<5完>脳機能低下 欲求抑制は困難|【西日本新聞ニュース】

依存症は、ゲームの過剰使用によって不登校など何らかの『明確な問題』が日常生活で起こっている状態だ。

ゲームの優先順位を落とし、仕事や学業などを一番にする。

明確な問題がなくなることが大切で、ゲームから完全に離れる必要があるわけではない。

ゲームの優先順位を下げ、「仕事や学業などを一番にする」ことを目指すと書かれています。

わたしはこれは完全に間違っていると思います。

すでに見たとおり、不登校や概日リズム睡眠障害の原因は、「インターネットやゲーム」よりも「部活や塾」のほうが頻度が高いのです。

ゲームをやめて、勉強を第一にすれば解決するという単純な問題ではありません。熱中する対象が変わっただけで、概日リズム睡眠障害や不登校のリスクは変わっていません。

わたし個人の経験をいえば、わたしはゲーム依存である以上に、学業依存でした。

ゲームをやりすぎて不登校になることはありませんでしたが、朝4時まで勉強し続ける生活を送ったせいで概日リズム睡眠障害と慢性疲労症候群になりました。

わたしのような子どもが珍しい存在でないことは、何十年も前に、不登校研究の三池輝久先生と、今は愛着障害やトラウマの研究をしている友田明美先生が、「学校過労死」という概念で警鐘を鳴らしていたとおりです。

子どものCFS研究の原点「学校過労死―不登校状態の子供の身体には何が起こっているか」
不登校は、「生き方の選択」「学校嫌い」「心の未熟さ」「能力の欠如」「根性が足りない」「親の育て方のせい」なのでしょうか。医学の進歩は、子どもや親に原因を求める伝統的な考え方について

一般に、わたしたちの社会では、子どもがゲームで遊ぶのは悪いこと、学校や塾で勉強するのは良いことだという、根深いバイアスが存在しています。

だから、かつての「ゲーム脳」報道に始まり、ゲーム依存はいつも諸悪の根源のように槍玉に挙げられますし、それを克服して「仕事や学業などを一番にする」ことが解決策だなどと、まことしやかに主張されたりします。

こうした意見は、ゲームは悪、勉強は善だと考えている親や教師たちにとっては、自分たちを正当化してくれる、耳をくすぐるような「立派な学説」なのです。

一見すると、正しく納得がいく説明であるように思われるので、実際の研究データとはかけ離れていても、人口に膾炙して、広く受け入れられてしまいます。

しかし、実態はそうではなく、過度にゲームに依存することが不登校の原因になるように、過度に勉強や部活を強いることも、概日リズム睡眠障害、慢性疲労症候群、オーバートレーニング症候群をもたらします。

それは体罰の問題ではないー背後にある「壮大な人体実験」とは何か
高校のバスケットボール部に所属していた方が、体罰を苦に自殺されたという痛ましいニュースが話題になっています。しかしこの事件を体罰の問題とみなしてしまうのは、問題のすり替えといえます

昨今のオンラインゲームやスマホゲームの、中毒を利用して射幸心をあおる仕組み(ルートボックス)や、性や暴力を助長するようなコンテンツ内容が非難されるべきなのは確かです。

しかし、ゲーム産業だけを悪とみなして攻撃するのは間違っています。ゲームを非難するなら、それだけでなく教育界の現状を非難すべきです。

そして、よりバランスのとれた見方は、教育のすべてが悪いわけではないように、ゲームもすべてが悪いわけではないという視点でしょう。

塾や部活は、それ自体は必ずしも悪いものではありませんが、過度に子どもを拘束する場合は、概日リズム睡眠障害や慢性疲労症候群の原因になります。

同様に、ゲームもまた、それ自体は必ずしも悪いものではありませんが、極端に時間を忘れて熱中してしまうなら、概日リズム睡眠障害や不登校につながるリスクがある、とみなせます。

本当に発達障害のせいなのか

では、ゲームそのものではなく、それに過度に熱中してしまうことが問題なのだとすれば、本当の原因はどこにあるのでしょうか。

ここまでの流れをみると、それは発達障害傾向であるかのように思えます。もともとドーパミンの量が少ないなどの体質が先にあり、そのせいで過度に依存してしまう子どもがいるのだと。

ということは、根本の原因は、それぞれの子どもの脳の傾向、つまり個人の脳が抱える発達障害にある、ということになってしまいますが、わたしはこの考え方も間違っていると思います。

参考になるのは、近年、韓国でゲーム依存が急増しているという報告です。今回引用したニュースにも、そのことが含められていました。

【リアルはどこに ゲーム依存を考える】<3>産業界 eスポーツに熱狂する裏で|【西日本新聞ニュース】

ネット大国の韓国では、2002年、86時間連続でゲームをし続けた24歳男性が急死。その後もやり過ぎによる血栓症での急死や、親に取り上げられたことによる自殺や殺人が相次ぎ、政府は対策に乗り出した。

 専門相談機関を設置し、依存の子どもを対象に、ゲームやネットが一切ない環境で生活を整える合宿形式の治療を実施。さらに11年から、16歳未満は午前0~6時にゲームができない「シャットダウン制」を採っている。

また、いま、小児科医に必要な実践臨床小児睡眠医学でもこう書かれていました。

韓国の小学生535名を対象にした質問紙調査によると、IAT[※internet addiction test インターネット依存度テスト]スコア50以上のICT[※information and communication technology 情報通信技術]依存群のうち、

AD/HD症例は22.5%であり、一方、IATスコアが49以下のICT非依存群のうちAD/HD症例は8.1%と、ICT依存群で有意に高い比率を示した。(p72)

この研究でも、やはりインターネット依存とADHDには関連性があることが示されてはいます。しかし、そもそも、ADHDでない子も大勢、依存に陥っています。

ということは、確かに発達障害は依存症のリスク要因であるとはいえ、それ以上に子どもたち全体を取り巻く何らかの環境が影響しているということではないでしょうか。

先に見たとおり、子どものゲーム依存やそれに伴う概日リズム睡眠障害には「心理的・身体的にストレスを与える環境要因」が深く関わっています。

ゲーム依存は、地球上あらゆる地域で等しく問題視されているわけではありません。韓国や日本のように、特に注目されている地域もあれば、さほど話題に上らない地域もあります。

だとすれば、いま韓国や日本で生じている、子どもを取り巻く環境の劇的な変化にこそ、ゲーム依存のリスクを高める何らかの環境要因がある、とみるのが理にかなっているでしょう。

実際、世界で最もゲーム依存が問題となっている韓国の研究者は、そのことに気づいています。

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方という本で、韓国の山林庁の山林治療指導士を務めるパク・ヒョンスという人がこう述べていました。

韓国では大半の子どもが学習塾(ハグオン)に通っていて、放課後にスポーツをしたり、遊んだり、ぼんやりとすごしたりすることはまずない。

…パクの話によれば、韓国はいま「ストレスのピーク」を迎えている。なかなか興味深い見解だ。

貧困から猛スピードで抜けだし、一連の独裁政権を経て豊かな民主国家となり、世界で14位の経済力を誇るまでに発展した。…だが、華々しい成功には犠牲がともなった。

…高校生の96%が充分に睡眠をとっていないそうだ。2011年の調査では、高校生の87.9%が「この一週間で」ストレスを感じたことがあると応じた。

日本、中国、アメリカのティーンエージャーで同様のストレスを感じていたのは、韓国の約半分程度だった。

延世(ヨンセ)大学の調査によれば、先進国のなかでもっとも不幸なのは韓国の学生だ。精神病と診断される人も多く、韓国の自殺率は世界一高い。(p96)

この説明から、いま韓国では、日本以上に学生の過労が問題になっていることがわかります。その背景には、かつての日本と似た、高度経済成長があるようです。

韓国でのゲーム依存の急増の一因は、こうした社会環境にあるとみなせます。

学歴至上主義で、息が詰まりそうなほど学業に追い立てられる子どもが、ゲームの世界ではつかの間のやすらぎを見いだせる。これは、韓国のみならず、どこの先進国でも似たり寄ったりでしょう。

それに加えて、もっと直接的な要因があることが指摘されています。

デジタル機器を断つのは現実的ではない。こうして韓国の子どもたちのようすを見ているうちに、わたしはあることに気がついた。

韓国の子どもの大半にとっては、ゲームしか遊ぶ方法がないのだ。さらにゲームは、親に監視されずにできる唯一の遊びであるに違いない。

「学校以外の場所で遊ぶことは禁じられているんです」と、ひとりの母親が話してくれた。

ソウルにも緑の多い公園がないわけではないが、数が少ないうえ、そうあちこちにあるわけではない。

校庭はほぼアスファルトでおおわれているうえ、狭く、閉所恐怖症を起こしそうなほどだ。

そもそも子どもたちは放課後、学習塾に通うため、運動をする時間などまずない。(p114)

「ゲームしか遊ぶ方法がない」。これこそが、ゲーム依存を急増させている直接的な原因、もっともシンプルな理由なのではないでしょうか。

韓国に限らず、ここ日本でもそうです。半世紀以上前、まだ身近な自然が残っていたころ、たとえば「ドラえもん」や「サザエさん」の時代なら、子どもはどこで遊んでいたでしょうか。

のび太やカツオは、今でいえば、それぞれ不注意優勢型ADHDや、多動型ADHDに近い性格の持ち主として描かれています。

でも、彼らはゲーム依存になっていません。そのかわり、裏山や空き地や公園に行って、みんなと体を動かして遊ぶ様子が描かれています。かつてはそれが普通だったのです。

ところが、身近な自然が破壊され、都市が建物で埋め尽くされ、緑あふれる公園や裏山が生活圏内になくなり、遊ぶ場所が消えました。

近年は、事故や犯罪に対する警戒心が増したため、公園から遊具がへり、砂場には柵がもうけられ、子どもたちにとって、外出することはいっそうハードルが高くなりました。

こうして、大人たちが何十年にもわたり作り上げてきた、子どもたちを取り巻く環境の変化によって、子どもは家でゲームをするくらいしか楽しみがなくなりました。

その結果、ドーパミンが不安定な体質の子どもは、ドーパミン不足を自己治療(セルフメディケーション)するため、ゲーム依存に陥りやすくなりました。

しかし、こうしたADHD傾向を持つ、ドーパミンが不安定な子ども(おそらくは環境によってドーパミンが変動しやすい体質の子ども)は、昔からいたはずです。それこそのび太やカツオみたいに。

ではゲームがない時代、そうした子どもは、どうやってドーパミン不足を補っていたのでしょうか。あなたの子どもには自然が足りないに答えがあります。

アンドレア・フェイバー・テイラー、フランシス・クオ、そしてウィリアム・C・サリバンが行なった研究から、緑の野外スペースは子供たちの創造的な遊びを促し、大人と積極的に交流させ、注意欠陥障害の症状を和らげることがわかった。

子供の周囲に緑が多ければ多いほど、ADDの症状は緩和された。

一方、テレビ鑑賞のような屋内での遊びや、屋外でも舗装された場所のように緑のない環境での遊びは、症状を悪化させた。(p116)

注意欠陥障害、つまり、ドーパミン不足の症状は、「子供の周囲に緑が多ければ多いほど」緩和されることが研究から明らかになっているのです。

自然豊かな環境は、ドーパミンの欠乏を治療し、リタリン(メチルフェニデート)やアンフェタミンのようなADHD治療薬と同じ働きをするようです。

多くの親は、たとえ確たる証拠はなくても、いつもは多動気味の子供が山歩きや何か自然を楽しむ活動をしているときには、その行動に大きな変化があることに気づく。

「息子はまだリタリンの世話になっていますが、屋外ではずっと静かになります。ですから、私たちは山に引っ越すことを真剣に考えているんです」と、ある母親が言った。

彼はただ体をもっと動かすことが必要なのだろうか。

「いいえそれはスポーツでやっています。自然の中にいると、息子を静めてくれる何かがあるような気がするんです」とその母親は言う。(p113)

このことは、やはり、ADHDのゲーム依存に悩む韓国の研究でも明らかにされています。

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方に載せられている山林治療士キム・ジュヨンの指摘を見てみましょう。

「自然のなかに身を置くと、子どもは全身の筋肉と五感のすべてを駆使しなければなりません。すると、身体感覚が発達します。

怖い思いもするでしょうが、自信もつきます。問題が起きたときに自分で解決する力も伸ばせます」。

その言葉が正しいことは、科学が立証している。

韓国でテクノロジー依存症のボーダーラインにいる11歳と12歳の子どもを対象にしたふたつの研究が実施され、子どもを森で二日間すごさせると、コルチゾール値が下がり、自尊心の評価が大きく改善し、その効果が2週間持続することがわかった。

この論文の筆頭著者である忠南(チュンナム)大学の森林環境・健康研究所の朴範鎭(パク ポムジン)によれば、森ですごすと幸福感が増し、不安感が減り、将来について楽観的に考えられるようになるという。(p115)

森で長時間過ごすことには、生理的にストレスが減って、気分が改善される効果があることがわかります。

言い換えれば、最初のほうに書いたような、不注意優勢型ADHDの子が感じやすい、あの独房のようなストレスや苦痛が軽減される、ともみなせます。

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環境の問題を個人の問題にする「巧妙なすり替え」

確かにドーパミンが不安定で、ADHD傾向をもつ子は昔からいました。

そもそもADHD遺伝子は狩猟採集生活や遊牧生活のなごりだとも言われているので、必ずしも悪いものではありません。

ADHDの人にしかない素敵な7つの長所―個性を才能に変えるには?
ADHDというとネガティブなイメージがつきまといがちですが、「個性」と考えて長所を伸ばすなら、「才能」へとつなげることもできます。行動力や創造性など、ADHDの人が持っている7つの

そのような子どもたちは、まだ身の回りが山野や森林に囲まれている時代には、ドーパミンの不安定さに悩まされることはあまりありませんでした。のび太やカツオがそうであるようにあくまで個性のひとつでした。

ところが、大人たちがそうした環境を取り去って破壊してしまったがために、ドーパミンを安定させる方法がなくなりました。

そして、せめてもの自己治療を求めて、ドーパミンを放出する体験を味わわせてくれるゲームに頼るようになりました。こうして、ゲーム依存のリスクが増加したと説明できます。

もともとは、こうした子どもたちは、野外で野原を走り回ったり、木登りしたり、取っ組み合いしたり、珍しい昆虫を集めたりして、心身の安定を得ていたのです。

それが今では、そんな遊びができる場所がなくなったので、せめてゲームの中で、広い世界での遊びを疑似体験して、ドーパミン欠乏を癒やしているだけなのです。

かつての子どもたちは、いわば“野原依存”でした。お母さんから「外で遊んでばかりいないで早く帰ってこい」と怒られていました。それが今では“ゲーム依存”にすり替わっただけです。

「遊んでばかり」とは言われつつも、“野原依存”は子どもの心身の発育を促進する、「全身の筋肉と五感のすべてを駆使」する体験でした。

日光を充分あびるので概日リズム睡眠障害にはなりませんし、夜はしぶしぶながらでも家に帰ってこなければなりませんでしたから、過度に遊びすぎることはありませんでした。

ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」によると、こうした屋外での遊びは、哺乳類全般にとって、子どもの神経系を育むエクササイズの役割を果たすとされています。

「あそび」とは、相互交流的なもので、顔と顔を見合わせたり、韻律に富んだ声など社会交流システムを使うことが求められます。

…「あそび」というのは、むしろ哺乳類に特有の社会交流を用いた「神経エクササイズ」です。(p66)

ところがそれに取って代わった“ゲーム依存”は家の中にこもって座ったり寝転がったりしながら昼夜問わず延々と続けられます。身体を育む運動にはなりませんし、概日リズム睡眠障害も引き起こされます。

現代っ子のこうした一人遊びは、生物学的な意味では「あそび」の定義を満たしておらず、神経系の発達に必要な要素が欠けている、とされています。(p63)

要するに、子どもは昔も今も、遊んでいたのです。しかし屋外での遊び場だった雄大なフィールドが破壊されたことで、家の中でゲームするようになり、そのせいで問題が引き起こされています。

もともとの要因は子どもたちの脳ではなく、大人たちが作り出した環境にあります。それなのに、子どもの側の発達障害のせいにされる現状は間違っています。

愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書)に書かれていたこの説明を思い出させます。

発達障害という診断名が盛んに使われる隠れた理由のひとつは、その辺りにある。

発達障害は遺伝子レベルの問題で生じる障害なのだから、それは不可抗力であり、誰のせいでもない。親は自分の養育のせいではないと言われて、自分を責める気持ちから解放される。

実際、医者が発達障害という診断を告げる場合には、必ずそうした説明をする。あなたの育て方のせいではないんですよ、と言ってくれる。

親にとっては、それが大きな救いとなるのである。親を元気にして、支えるという意味では、それも必要な方便だろう。

ただ、そうした臨床的な方便と、何が真実かということを混同すると、これは困ったことになる。

子どもの側からすると、養育環境の問題まで、自分の脳の機能による問題として片づけられることになる。これは、巧妙な問題のすり替えではないだろうか。(p169)

確かに、ADHDや自閉症スペクトラムの傾向が、遺伝的要因によって決定されているのは事実です。

でも、そうした子どもが「障害」になるかどうかは、あくまで環境次第なのです。

以前の記事で書いたように、産業革命前のもっと自然豊かだったころの社会では、不注意・多動性・衝動性をもつ人や、感覚が過敏な人のほうが社会に役に立てた可能性もあります。

自然淘汰の中で、ある遺伝子がこれほど多くの子どもに脈々と伝えられているということは、歴史のある時点では多大なメリットがあったからにほかなりません。

定型発達は本当に“ふつう”なのか―コケの生態学からふと考えた発達障害やHSPのこと
定型発達という概念の不自然さについて、コケの生態学について学んで考えたこと。

本来は、子どもが育つ環境のほうがおかしいのに、それを個人の脳の問題にすり替える、というのもまた、ゲームばかりが悪者にされる構造とよく似ています。

先に考えた「ゲームが悪者」「勉強は良いこと」という考え方は、親や教育関係者といった権力をもつ立場の人たちにとって好まれる理由づけだからこそ広まりました。

同じように、「発達障害が原因」という考え方も、立場のある大人たちにとって都合が良い説であるがために広まっただけです。

おかしいのは子どもの脳であり、大人たちが作り上げたこの社会の構造ではない、そうみなすことによって、本当の問題を直視せずに、子どもをスケープゴートにできる説明だからです。

「問題がじつは解決策である」場合

先ほど、いま、小児科医に必要な実践臨床小児睡眠医学から引用した、インターネット依存度(IAT)テストでは、ADHDの子どもは依存症のリスクが高いという結果が出ていましたが、それには、次のような続きがありました。

また、青年期のAD/HDにおいて、家族関係への満足度の低さが重症の依存に至る最も強い因子であり、その他、両親の社会的・経済的状況なども関連していることも報告されている。(p72)

たとえ遺伝的に、同じADHDの傾向を抱え持っているとしても、インターネット依存やゲーム依存に陥るかどうかには、明らかに生まれ育った環境が関与しているのです。

そもそも、そうした人たちのADHD傾向が、本当に遺伝的なADHDなのかどうかも、疑問が残るところです。

このブログの過去記事で取り上げたように、近年のトラウマ医学では、幼少期にトラウマ的な逆境を経験した人は、ADHDに似た不注意・多動性・衝動性や、ASDに似た感覚過敏を抱えることがわかっています。

従来の発達障害とよく似ており、しかも遺伝的な発達障害よりはるかに症状が重いため、「第四の発達障害」とか「発達性トラウマ障害」と呼ばれています。

発達性トラウマ障害(DTD)の10の特徴―難治性で多重診断される発達障害,睡眠障害,慢性疲労,双極II型などの正体
子ども時代のトラウマは従来の発達障害よりもさらに深刻な影響を生涯にわたってもたらす…。トラウマ研究の世界的権威ヴァン・デア・コーク博士が提唱した「発達性トラウマ障害」(DTD)とい

つまり、重篤なゲーム依存に陥る人のなかには、単に遊ぶ場所がなくなった、といった理由以上に、複雑な生い立ちを抱え持つ人たちがいると思われます。

発達性トラウマを抱える人たちは、さまざまな依存症に陥りやすいことが明らかになっています。

それは、自律神経の機能が混乱していて、自分で覚醒度をコントロールするのが難しいからです。

健康な人であれば、起きたり眠ったり、集中したりリラックスしたり、といった自律神経のモード切り替えが簡単にできます。しかし、発達性トラウマを抱える人たちは、自分でスイッチを切り替えられません。

リラックスしたいのに全身が緊張して張り詰めている、眠りたいのに神経が休まらない、そうした苦痛に延々と苦しめられるため、外的な何かに頼って、スイッチを切り替えるようになります。

無意識に人格が切り替わってしまう「スイッチング」とは?―多重人格をスペクトラムとして考える
複数の人格を抱え持つ多重人格(解離性同一性障害)は奇病のようにみなされがちです、しかし実際にはスイッチングというグレーゾーンの現象を通して、普通の人たちの感覚と連続性をもってつなが

その切り替えの役割を果たしてくれるのが、自傷行為だったり、むちゃ食いだったり、タバコだったり、ギャンブルだったり、アルコールだったり、麻薬だったり、あるいは「ゲーム」やスリリングなスポーツだったりするわけです。

身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこう説明されているように。

トラウマを負った人の少なくとも半数は、自分の内面世界の耐え難さを薬物やアルコールで紛らわせようとする。

麻痺させることと表裏一体になっているのは、刺激を追い求めることだ。

自分の体を切ることによって麻痺した感覚を追いやろうとする人も多いし、バンジージャンプをしてみたり、売春やギャンブルのような危険な行動を試したりする人もいる。(p438-439)

これは、すでに説明した「自己治療」(セルフメディケーション)としての依存症の、より強力なものです。

自律神経のモード切り替えが不安定で、自分の意志に反して、興奮しすぎたり、機能停止に陥ったりすることへの対処法として、ゲームが役に立つことがあります。

ゲームは手軽にドーパミンを放出させてくれるので、「麻痺した感覚を追いやろうと」するのにうってつけです。しかも、上に挙げられていた他の依存症より、楽しく害が少ないものです。

この本によると、トラウマ研究者たちは、患者が抱える依存症という「問題がじつは解決策である」というケースをたびたび経験します。

患者は、摂食障害や自傷行為など、何かの頑固な依存症を抱えて外来にやってくるかもしれません。しかしそれは「じつは自分なりの解決策かもしれない」といいます。(p245)

ACE研究グループは、こう結論した。

「[喫煙、飲酒、薬物摂取、肥満といった]適応のそれぞれは、健康に有害であると広く理解されているものの、やめるのがはなはだ難しい。

だが、長期的な健康への危険の多くが、短期的には個人的に有益であるかもしれないことは、ほとんど考慮されていない。

私たちは患者から、これらの『健康への危険』の恩恵を、繰り返し聞かされる。

問題が解決策になっているというと、多くの人が不審に感じるのはもっともだが、生物学的システムの中には相反する力が頻繁に共存するという事実と、間違いなく一致している

……人が目にするもの、目に見える主症状は、本来の問題の目印にすぎないことが多い。

本当の問題は、時間の中に埋もれ、患者の羞恥心や秘密主義、そしてときには記憶喪失―さらには、頻繁に臨床家の不快感によって、隠されている」。(p247)

依存症は、あくまで「本来の問題の目印にすぎない」ものです。しかも、その本来の問題の解決策として機能しているので、「やめるのがはなはだ難しい」のです。

ゲーム依存もまた、問題そのものではなく、問題の目印にすぎず、何より自分なりの解決策として働いています。

本当の問題は、家庭内の緊張かもしれません。学校での過剰すぎるストレスかもしれません。遊び場のない都市環境かもしれません。

そのせいで、体がいつも緊張して、凍りつき、息をつくことすらできないのかもしれません。窒息しそうな毎日の中で、ゲームは唯一の逃れ場なのかもしれません。

それなのに、本当の問題のほうを解決せずに、ゲーム依存が悪者だと決めつけて、それだけを治療しようとするとどうなるでしょうか。

その意味するところを考えてほしい。

誰かの問題解決策を、解決すべき問題であると誤解したら、依存症の治療プログラムにありがちなことだが、治療が失敗する可能性が高いばかりでなく、他の問題も起こりかねない。(p246)

本当の問題を放置したまま依存症だけ治療しようとすると、問題はそのままで、その人なりの解決策だけを取り上げることになります。

これまでギリギリのところで踏ん張り、なんとかやってくるのに役立っていた気晴らしや気分転換の手段を取り去ってしまうことになります。

「治療が失敗する可能性が高いばかりでなく、他の問題も起こりかねない」のは当然です。

子どもたちの概日リズム睡眠障害や不登校の原因として、ゲームや発達障害に注目するのは、「人が目にするもの、目に見える主症状は、本来の問題の目印にすぎないことが多い」ことの典型例です。

本当の問題は、子どもを取り巻く家庭環境や、学歴重視でひたすら勉強に追い立てる学校の構造や、満足に遊ぶ場所さえない、現代のいびつな都市環境かもしれません。

しかしそうした「本当の問題は、時間の中に埋もれ、患者の羞恥心や秘密主義、そしてときには記憶喪失―さらには、頻繁に臨床家の不快感によって、隠されてい」ます。

大勢の人や社会そのものの仕組みが関わっている複雑な「環境」という問題の本質に切り込むよりは、ただ「個人」の脳がおかしいとみなしたほうが、誰にとっても楽だからです。

問題に苦しめられている当事者をのぞいては。

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自分から環境を変えていくために

わたしもそうでしたが、学校から不登校のレッテルを貼られ、医者から発達障害や病気のレッテルを貼られ、子どものころから依存症を抱えているような人は、自尊心が低くなりがちです。

あらゆる問題に関して、「お前が悪いから」「脳がおかしいから」「障害があるから」「努力が足りないから」ダメ人間なのだ、と言われているようなものだからです。

でも、この記事で見てきたように、それらはすべて、親、教育関係者、医者、そしてこの社会全体のような、より権威ある立場の人たちが非難されないように張り巡らされた方便であり、「巧妙なすり替え」です。

神経科学者スティーヴン・ポージェスは、ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」の中で、本当は生物学的問題であるものを、道徳的問題にすりかえてしまう、わたしたちの社会の傾向を「エセ道徳のベニヤ板」と呼んでいました。

私たちは、身体的反応は反射的であり、自分の意思でコントロールできないということを忘れています。

…うわべだけの社会通念で、「これは悪いことだ」と言われてしまうと、私たちはつい、「そうですね、たぶん自分が悪かったのだと思います」と言ってしまいます。

しかしこうした「エセ道徳のベニヤ板」を剥がし、神経生物学的な適応反応について理解することができたとき、初めて、実は自分の反応はすばらしいものだったのだと見解を改めることができるのです。(p176-177)

わたしたちの社会は、自分の意思ではコントロールできない身体の自動的な適応反応を、道徳的問題にすり替えて、「それは悪いことだ」と裁きます。

上記の説明は、おもにトラウマに直面したときの身体的な反応についての記述ですが、ゲーム依存などの問題にも当てはまります。

ゲーム依存に陥る人は、「意志力が弱い」とか、「努力が足りない」と非難されることもあります。「今の子どもは甘えている。昔はそうではなかった」などと言う人もいます。

それこそが「エセ道徳のベニヤ板」です。子どもたちを取り巻く環境が引き起こしている生物学的な問題を、軽率にも道徳的問題という上っ面だけのベニヤ板にすり替えているからです。

実際には、依存症は単なる個人の脳の問題ではなく、その人を取り巻く環境に対する「神経生物学的な適応反応」です。

必要な何かが欠乏している状態を、自己治療しようとして見つけ出した、自分なりの解決策です。

本当に非難されるべきは、そのような適応反応に至った子どもではなく、子どもがまともに発達できず、自分の個性をのびのびと活かすことができず、ゲームの中でしか楽しめないような環境を作り出した、現代社会ではないでしょうか。

発達障害や依存症と診断されている人たちは、こうした点をよく思いに留めて、自分がおかしいわけではなく、決してダメ人間に生まれついたわけではない、ということを自覚する必要があります。

そして、自分の場合には、いったいどのような環境要因が問題を引き起こしているのかを突き止め、生活をがらりと変えてみることが大事です。

ひとつの例として、先日の記事では、発達障害や学習障害と診断されている子どもたちに対する、アウトドア教育の価値について考えました。

ピーター・ラビットの作家ビアトリクス・ポターの例を考取り上げましたが、この記事の内容とも重なる点があります。

発達障害にアウトドア教育はどう役立つか―大自然を教師にしたビアトリクス・ポターに学ぶ
ピーター・ラビットの作家ビアトリクス・ポターの生涯から、アウトドア教育のメリットについて考えました。とりわけ発達障害や学習障害の子どもにとって、自然のなかで学ぶことがどう役立つか考

記事を読んでいただければわかると思いますが、ビアトリクス・ポターは家庭内での親子のふれあいがほとんどなく、遊び場所もなく、しかもかなり変わった子どもでした。

もしもビアトリクス・ポターが現代に生まれていて、手元にスマホがあったなら、どうなっていたでしょうか? ゲーム依存になっていたとしてもおかしくないと思います。

ビアトリクス・ポターは幸い、大自然の中で遊ぶ機会が与えられたので、さまざまな動植物を採取して標本づくりを楽しめました。その現代版が、スマホでさまざまなアイテムや実績を延々と収集するゲームなのではないでしょうか。

子どもは、手元にあるもの、身の回りにあるものを活用して、自分の欠乏を埋め、心地よさを手に入れようとするものです。

かつては身近に森がありました。今は手元に代わりにスマホがある、ただそれだけのことがゲーム依存を生んでいるかもしれません。

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方には、韓国の依存症克服プログラムについての研究でわかったのは、「しごく単純なこと」だったと書かれています。

「自尊心の高い子どものほうが、依存症になりにくいですね」と、朴は言う。

自身の研究結果に基づき、彼は10代前半の子どもたちに2週間に一度、半日以上、自然の中ですごすことを推奨している。

「この研究によってわかったのは、しごく単純なことです」と、彼は説明する。

この年齢の子どもにとって「森ですごすのは、ゲームをしてすごすよりおもしろいわけではない。果物がジャンクフードより美味しいというわけではないのと同じです。子どもたちに無理矢理、ゲームで遊ぶのをやめさせることはできません。

しかし年齢を重ねるにつれ、ある日臨界点に達し、もうジャンクフードより果物を食べなくちゃという気になる。

森ですごしているあいだはゲームでは遊べません。森で遊ぶこと自体も楽しい行為ですから、臨界点に達する時期を早められるのです」(p115)

彼は、ゲームをジャンクフードに、森で遊ぶことを果物にたとえています。

子どもがお菓子好きなのは普通のことです。でも、本当に健康にいい食べ物を食べたことがあれば、次第にそちらのほうが好きになっていくものです。(わたしは元々お菓子と肉しか食べられない偏食でしたが、今は新鮮な野菜好きです)

しかし、もし身の回りにジャンクフードしかないのに、それを取り上げようとするなら、子どもは嫌がるでしょう。

無理にやめさせるより賢いのは、ジャンクフードよりもっといいものを体験させて、自分からそちらを選ぶように助けることです。

ゲーム依存だけを治療すべきでないのは、それが「問題の解決策」かもしれないからでした。もっとよい解決策を与えずして、依存症だけを取り去ろうとすると、問題が悪化するだけです。

しかし、たとえば森の中で遊ぶことのような、科学的にドーパミンを補充することが明らかになっている別の解決策を与えるなら、子どもは次第に、今までのやり方を捨て、新しい方法に馴染んでいくでしょう。

わたしは、子どものころからゲーマーだったので、今でもゲームが好きです。

でも、自然の中で過ごすようになると、ほとんどゲームをしなくなりました。アウトドアに出かけるほうが面白いからです。わたしは時代を逆行して、“ゲーム依存”から“野原依存”になりました。

自分はインドア派だとずっと思っていましたが間違っていました。どうも騒音や人混みに敏感なため、都会では引きこもりがちになっていただけのようです。

虫が嫌い、汚れるの嫌いなタイプでしたが、すぐに慣れてしまって気にならなくなりました。「インドア派」という概念も現代の社会特有の副産物なのかもしれません。

ゲーム好きなので、最新のVRゲームも体験してみました。VRで非現実的な世界を冒険できるのは確かに楽しいですし、感動もします。VRは今後の医療にとっても重要な技術だと思います。

でもやっぱり、五感をフル活用できる現実世界の探検のほうに慣れ親しんでしまうと、仮想世界ではちょっと物足りなく感じます。

新鮮な果物のおいしさを知ってしまうと、ジャンクフードが物足りなくなってくるのと同じです。

ゲームや発達障害を悪者にする前に、また子どもの脳や体に欠陥があるとみなす前に、もっとこうした、「しごく単純なこと」に目を向けてほしいと思います。

何より、安易に環境の問題を個人の問題にすり替える、「エセ道徳のベニヤ板」に、簡単に惑わされないでほしいとも思います。

教育関係者が言うこと、医者が言うこと、メディアが主張することを鵜呑みにする前に、子ども本人に目を向け、あるがままの現実をよく観察してみてほしいと思います。

そうすることが、何が欠乏しているのか、何が足りないために解決策としてのゲームを必要としているのかを見極め、本当の解決策を見つける第一歩だからです。