わたしたちは土である―内なる土壌に微生物の生態系を回復することが必要な理由

の春、わたしは野山で植物観察をして過ごしました。野原にはいっせいに、色とりどりの花が咲き乱れました。

わたしは都会育ちで身近な草花の名前も知らないので、Google Lensなどを活用して名前を調べては覚えました。

ところが、程なくして、この自然豊かな色とりどりの大地は、本来の状態でないことがわかってきました。

わたしが目にした春先から夏頃の身近な花の多くは、セイヨウタンポポ、コウリンタンポポ、アカツメクサ、フランスギク、ルピナスなどの群生でした。これらは所狭しと咲き誇っていましたが、すべて外来種です。

一方で、山や森の中に入っていったときは、地元固有の在来種をたくさん見かけました。本当の多様な生態系は、はるか深くの自然林や原生林まで行かなければ残っていませんでした。

これは単なる植物観察の話でしょうか。

いいえ。確かに、わたしが観察していたのは、身の回りの外なる自然の風景でした。

しかし、闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るに書かれているように、わたしたちの内なる自然、体の中の風景でもまったく同じことが起こっています。

ひとたび、ある生態系あるいは共同体が変えられると、その修復は難しい仕事となる。

これは森林、海岸、湿地などの生態系、そして私たち自身の消化管の微生物群で見られる。(p29)

わたしたちの外なる自然の健康と、内なる自然の健康はつながっています。森林に見られる生態系の破壊は、わたしたちの体の中の微生物の生態系の破壊と地続きなのです。

この記事では、内なる生態系を扱う学問(医学)と外なる生態系を扱う学問(農業)が、同じ問題に直面してきたことを考えます。

わたしたちは自分の健康について考えるとき、もはやただ医者にかかったり、医学の本を読んだりすればよいわけではありません。

健康について考えたいなら、生態学や生物学に目を向ける必要があります。そう言えるのはなぜでしょうか。

これはどんな本?

このブログを読んでくださっている方ならご存じのように、わたしはもともと、慢性疲労症候群とか、発達障害とか、トラウマについて関心がありました。だから、医学の本をメインに読んでいました。

ところが、よくよく調べるうちに、これらの病気が、ひとつの生態学的問題、つまり人体の内部の微生物の生態系(マイクロバイオーム)の破壊から来ている、という研究があることを知りました。

わたしたちの体内には数え切れないほどの微生物が住んでいます。人間はひとりひとりが微生物たちの暮らす地球のようなものです。複雑で多様な生態系が作られています。

しかし、20世紀に入って、抗生物質が乱用されるようになり、人々が過度に衛生的な都市環境で暮らすようになると、この見えない生態系が かき乱されました。

抗生物質は、確かに“急性の”感染症から多くの人の命を救いました。けれども、時を同じくして、逆相関の関係で、“慢性の”炎症を伴う消耗性疾患が増加しました。

微生物学の権威マーティン・ブレイザーは、失われてゆく、我々の内なる細菌の中で、急増する自己免疫疾患、生活習慣病、慢性的な腸疾患、発達障害などの原因が、わたしたちの内なる生態系の破壊にあることを示しています。

腸内細菌の絶滅が現代の慢性病をもたらした―「沈黙の春」から「抗生物質の冬」へ
2015年の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたマーティン・ブレイザー教授の「失われていく、我々の内なる細菌」から、抗生物質や帝王切開などによってもたらされている腸内細菌(

一方で、微生物は当然ながら、わたしたちの体だけでなく、土壌の中にも多く棲んでいます。

微生物学に興味をもったわたしは、土と内臓 (微生物がつくる世界)のような本を読むうちに、医学で起きてきた問題は、農業でも同時に生じてきたことを知りました。

医学の世界で、抗生物質が内なる細菌感染への特効薬として活用されたのと同じく、農業の世界では、農薬や殺虫剤が作物の病気への特効薬として投入されました。

どちらも一時的には魔法のごとき解決をもたらしました。しかし程なくして、わたしたち人間が数々の慢性疾患に悩まされるようになったのと同時に、畑の作物も数々の病害に悩まされるようになりました。

さまざまな殺生物剤を農地にまき散らせば、一時的に農業害虫を抑えられるかもしれないが、長期的には害虫が逆襲してくる。

ここ数十年の抗生物質の多用と完全に傾向が同じだ。それは抗生物質耐性菌を生み、今や防御手段のない菌の数が増えている。(p314)

医学と農業は、わたしたちの内と外で、同時に微生物の生態系を破壊し、同じ問題を招いてしまったのです。

はっきり言って、現代の農業と医療―人間の健康と福祉にとって重要な応用科学の二大領域―の中心にある慣行は多くが完全に道を誤っている。

私たちは植物と人間の健康を下支えする微生物群集と、どう戦うかではなくどう協力するかを知る必要がある。(p324)

わたしは、病気を治したければ、もはや医学だけに目を向けている時ではないことを知りました。

そんなとき読んだのが、「生態学にもとづく独立した毒物学者」エミリー・モノッソンが書いた、闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るという本でした。(p225)

この本は、わたしが気づいた医学と農業の並行関係を見事に橋渡ししてくれています。本の内容紹介ではこう要約されていました。

人体で我々の健康を守っている微生物と、土壌で農作物の健康を守る微生物。

抗生物質と農薬で、人体と土壌の微生物に無差別攻撃をつづけた結果、アレルギー病、アトピー、うつ病から肥満まで、人体と農作物に多くの病気を生んできた。

本書は、この無差別攻撃に終止符を打ち、人体と土壌の微生物たちとの共生がもたらす福音を描く。

前述の本と同じテーマ、つまり医学と農業で同じ問題が並行して起こってきたことを取り上げた本だとわかります。

この本の内容は4つの部にわかれていますが、どの部でも、医学と農業が対比されており、片方で生じている問題がもう片方でも起こっていること、そして同じ解決策が双方に当てはまることが示されています。

私たちはまた、医学的解決と農業的解決を同じように理解することが出来る。それは、人と植物は実際に多くの共通点を持っているからである。

私たちが食物、環境、あるいは人びとの健康のいずれについて語るにせよ、それらは共通の生物学的、環境的要素にもとづいている。(p5)

わたしたちは普通、医者が扱う病気の問題と、地球の環境保護の問題は別物だとみなしています。しかし、近年の微生物学は、それらが同じコインの両面であることを明らかにしつつあるのです。

残念なのは、訳文がかなり機械的な印象を受けることです。とはいえ、とても興味深い内容の本なので、この記事を通して、他の関連書籍とともに概観してみたいと思います。

わたしたちの内なる土壌

学生のころ、同級生にカトリック教徒の子がいました。わたしは彼女に、本当に自分の宗教を信じているのか、と尋ねたことがあります。

すると彼女は、「私は家がキリスト教徒なだけ。聖書は人間が土でできているなんて書いてる本だから、頭から信用できるものじゃない」と言いました。数学や科学が得意な彼女らしい答えだと、当時は思いました。

しかし、わたしは今になって、人間は土からできているという古代の概念はあながち間違っていなかったのだ、ということを知るようになりました。

もし彼女が微生物学を専攻していたなら、土と人体は不可分のものだということに気づいたでしょう。

端的に言って、わたしたちヒトを構成している材料は、有機物も微生物も土の中に含まれています。

土と内臓 (微生物がつくる世界)には、ヒトの消化管と植物の根は同じ機能を果たしている「平行宇宙」だと書かれていました。

植物の根を、根圏も何もかも一緒に裏返しにしたとすれば、それが消化管に似ていることに気づくだろう。

この2つは多くの点で平行宇宙だ。土壌、根、根圏をまとめた生命活動とプロセスは、腸の粘膜内層と関連する免疫組織と鏡写しだ。

腸はヒトにとっての根圏、私たちの体の中で、ある目的のために受け入れた微生物がとてつもなく豊富な場所だ。(p310)

根と腸はあたかも平行宇宙のような関係にあり、とてもよく似た構造をもっています。

植物の根は、土から栄養を得るだけでなく、浸出液を出すことで土の中の微生物を寄せ集め、生物学的なバリアを形成し、病害から作物を守ります。

同じように、わたしたちの腸は、根のような柔毛で栄養を吸収するだけでなく、やはり浸出液によって微生物を集め、病原体を抑制するバリアを作ります。

わたしたちは、自分の腸の内側に、土壌微生物を包み込んでいるようなものなのです。それは「人間の内なる土」です。(p315)

それゆえ、農夫が自分の畑の土の健康について考えるのと、医者がわたしたちの体の健康について考えるのは、実質的に同じことです。

わたしたちはある意味では土と同じです。土の健康も、わたしたちの健康も、どちらも目に見えない微生物の生態系にかかっているからです。

根と腸それぞれの微生物相の役割がきわめて似ていることは、基礎的でもあり、普遍的でもある関係を暗示している。

いずれの場所でも、微生物の集団が宿主の生存に欠かせない2つの要素―食物を手に入れることと、敵から身を守ること―を助けているのだ。(p312)

外側と内側の生態系を同時に破壊してきた

わたしたちにとって外なる土壌の微生物と、内なる土の微生物は、ともになくてはならない貴重な存在です。

ところが人類は、外側の微生物の生態系と、内側の微生物の生態系を同時に破壊してきました。かたや農薬によって、かたや抗生物質によってです。

農薬や抗生物質が、一概に悪いものだと断罪するのは間違っています。もしそれらが急性の病気を一掃していなかったら、今ごろわたしたちは生まれていないかもしれないからです。

闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るには「私たちは白と黒の世界に住んでいるのではない」と忠告されています。一方的に抗生物質や農薬を悪とみなせるほど世の中は単純ではありません。(p186)

けれども、かつての医学と農業は、ともに微生物の生態系について無知だったために、一握りの病原体を駆除するために、微生物の生態系全体を破壊するという過ちを犯しました。

私たちの大部分が生きていられるのは、これらの化学物質が病害虫と病原体に対して闘ってくれたおかげである。

それらは、一時的には働く。

そのあと、薬剤への抵抗性と、病害虫と病原体がいなくなったことによって発生する日和見的な[条件によって発病したり、しなかったりする]病気と、思いもかけない副作用が現れる。(p4)

これは、いわゆる「角を矯めて牛を殺す」ということわざのようなものです。このことわざは「小さな欠点を直そうとして、全体を殺してしまうこと」を意味しています。

微生物の世界において、わたしたちに致死的な害をもたらす存在はほんのわずかです。

しかし人類は抗生物質や農薬を乱用しすぎ、「その内の僅かなものを絶滅させるために、すべての細菌を毒殺する」という過ちを犯してしまいました。(p15)

生物学者アランナ・コリンは、あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめたという本で、この生態系の大規模な破壊は、わたしたちの外なる自然と、内なる自然において、同時に起こってきたことを説明しています。

私たちは過去数十年で、ヒトという種を支えてきた微生物の多様性を大きく失ってしまった。

…地球全体の生物多様性が失われているように、私たちの内なる生態系の多様性も失われつつある。(p293-294)

胃腸病学者エムラン・メイヤーは、腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかの中で、地球全体の生物多様性の減少と、わたしたちの体内の生物多様性の減少が同時進行していると語っています。

気になるのは、彼らの発見によれば、典型的なアメリカの食生活が身についている人は、先史時代の生活様式を維持している人々に比べて、腸内微生物の多様性が最大で三分の一ほど失われていることだ。

それに関連するさらなる気がかりな事実がある。

私たちの体内のこの劇的な変化は、ヤマノミ族が住むアマゾン川領域の熱帯雨林を中心に、地球の生物多様性が1970年以来30パーセントほど失われてきたという概算とほぼ同じ数値を示しているのだ。(p210)

このことは、冒頭で書いたこととつながります。わたしが観察した外なる自然の風景が、なぜ内なる自然とリンクしていると言えるのか。

わたしが見た外なる自然、つまり身近な植物の風景は、すっかり外来種に侵食されていました。

セイヨウタンポポやフランスギク、ルピナスなどが咲き乱れる風景は、一見するととても美しい花畑に思えます。

ところが、そこには原生林のような複雑な生態系はなく、地元の地域に古くから根付いてきた固有種はほとんど見つかりませんでした。

通常、山や森の奥深くでは、複雑な生態系が根付いているので、そう簡単に外来種が一面に繁茂したりしません。

しかし都市開発された平野部や、整地されて農地になった場所では、もともとの生態系が大規模に損なわれ、新たにやってきた外来種に乗っ取られました。

こうして、一見美しいように見えても、生態系としてはとても貧弱な花畑が現れました。

同様のことは、わたしたちの内なる生態系にもいえます。

わたしたちは、本来、親から脈々と腸内微生物の生態系を受け継いできた生き物です。

出産のとき産道を通ったり、母乳を飲んだりするとき、微生物の複雑な生態系が子どもに受け渡されます。子どもは、世代を越えて脈々と形作られた複雑な生態系の免疫力を受け継ぎます。

ところが、抗生物質、帝王切開、粉ミルク、過剰な消毒と殺菌による育児といった習慣が入り込むと、こうした微生物の受け渡しが妨げられるようになりました。

闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るの著者エミリー・モノッソンは、母親としての実体験を次のように語っています。

私の子どもたちは、子どもがよくかかるような病気のために、繰り返し殺菌剤を処方された。

私は、ある程度 微生物学の知識を持っていたが、これらの抗生物質によって起こる、子どもたちの腸内の大混乱についてはほとんど考えなかった。

…進化と細菌の抗生物質への抵抗性について教えている生態学者の友人は、「あなたは最初にサムに抗生物質を与える時に、恐ろしいと考えるべきだった」と言った。

友人はつづけて言った。「あなたは彼の細菌を全滅させたのだ」。しかし、私は恐ろしいとは感じず、むしろほっとしていたのだった。(p14)

わたしたちの社会では、妊娠中の感染症を防ぐために抗生物質が過剰に投与されています。生まれてきた子どもが、幼いうちに抗生物質を繰り返し投与されるのも普通のことです。

確かに、そうした措置のおかげで、急性の感染症による突然の死は予防されます。ところが、本来、母から子へと受け継がれるはずの微生物の生態系が破壊されるので、かつてなかった慢性疾患にかかりやすくなります。

これらの細菌の大部分は彼等の生命を人間と長らく分かち合ってきた。

あるものは母から子に渡される。サムにアモキシリンを初めて飲ませた時、私は、私自身の顕微鏡的生物群から伝えた細菌も同時に殺したことを知らなかった。

彼が産まれた時、彼は子宮から膣を経て世界へ出る途上で私の細菌を拾い上げた。そして、私の胸にくっついて母乳を飲みながら、さらに多くの細菌を飲み込んだ。

この自然の微生物群の多くが、数ヶ月後、さじ一杯のピンクの液体によって乱されたのだ。(p16)

このとき起こっているのは、わたしが観察した外なる自然に起こっていたのと同じたぐいの生態系の破壊です。

子どもに繰り返し投与される抗生物質は、親から受け継いだ腸内微生物を「リセット」してしまうことがわかっています。

アメリカ腸プロジェクトの共同設立者であるロブ・ナイトは彼のTED「幅広い分野の専門家に講演してもらうイベントの主催者(アメリカの非営利団体)」での腸内微生物に関する講演で、抗生物質を処方された子どもの腸内微生物相のイメージを示した。

それは、ほとんど「リセット」ボタンを押されたようであった。

その微生物共同体は、幼児期に特徴的な微生物が、大人になるにつれて消失していた。(p32)

人類は、何百年、何千年もかかって作り上げられた、複雑な微生物の生態系を脈々と受け継いできました。その微生物たちは、祖先が闘った病気や、食べた食物について記憶していました。

ところが、その貴重な微生物の生態系は、突然現れた抗生物質によって大規模に殺戮されました。そして破壊された複雑な生態系の代わりに、貧弱な外来種が野原に、またわたしたちの内部に住みつきました。

わたしが観察した野原に外来種の花畑が咲き誇っていたように、わたしたちの内部にも、いわゆる「腸内フローラ」(フローラは花畑を意味する)が咲き乱れています。

しかしそれは、長い歴史とともに培われた複雑な生態系ではなく、一度すっかり更地「リセット」されて、ごく最近やってきた外来種による、貧弱な生態系の花畑なのです。

「種の孤独」―生態学的な意味での解離性障害

はるか昔からの生物学的なつながりが「リセット」された、という意味で、わたしたちは、かなり特殊な時代に生きていると思われます。

20世紀、二度の世界大戦によって、多くの国々の自然環境や文化が文字通り破壊されました。

それと同時に、化学的製剤の乱用によって、土壌や内臓の生態系も破壊され、過去の生物的歴史とのつながりを失いました。

わたしたちは、自分で望んだことではないとはいえ、この地球の生態系から自分を切り離してしまいました。

やがて、人類のほとんどが都会で暮らすようになると、ほんの限られた種類の動植物しか目にする機会がなくなりました。今や多様な動植物は、動物園や植物園、ネット上の写真でしか目にしません。

現代社会の人たちは、自分たちを取り巻く生き物への関心を、かつてないほど失っています。今の子どもたちは、ゲームのキャラクターには詳しいのに、現実の動植物のことは全然知りません。

わたしたちが身の回りの動植物と疎遠になったことは、それだけ内なる微生物とも疎遠になったことを意味しています。外なる自然と内なる自然は地続きだからです。

外なる自然の風景において、限られた動植物しか目にしないということは、内なる自然、つまりマイクロバイオーム(微生物群集)の風景も同じほど貧弱になっていることを意味しています。

わたしたちが生きるこの時代の特色は、植物学者ロビン・ウォール・キマラーが植物と叡智の守り人で書いていた「種の孤独」という言葉で表現できるでしょう。

自分の身の回りの植物や動物の名前を知らないまま生きるというのはどんな感じか、私は想像しようとする。

私の性格や仕事からして、そんな生き方は知る由もないが、それはちょっと恐ろしくて、自分がどこにいるかわからないような感じなのではないかと思う。

ちょうど、道路の標識が読めない外国の街で道に迷ったときのように。

哲学者は、孤立して他者とのつながりを失ったこういう状態を「種の孤独」と呼ぶ―周りの生き物たちから遠く離れてしまったこと、関係性の喪失からくる、深い、名前のない悲しみだ。(p267)

現代社会に生きる人間は、「種の孤独」、他の生き物たちとのつながりを失ってしまった、という大きな悲しみを抱えていると言われる。(p480)

キマラーは、現代のわたしたちが抱える問題の多くは、この「種の孤独」、つまり人類が自分たちを自然から「切り離して」しまったことから生じているのではないか、と指摘していました。

私たちの社会を苦しめる問題の多くは、自然界を愛する心、そして自然界から私たちに送られる愛から、自分たちを切り離してしまったことが原因なのではないのだろうか。

そうした愛こそ、傷ついた自然界や空虚な心を癒す薬なのに。(p162)

キマラーは主に、自然界との精神的なのつながりについて述べています。しかし、これは生物学的な意味において、よりいっそう事実です。

エミリー・モノッソンは、闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るで、微生物学の研究を踏まえて、いかに人類が、自分たちを自然界から「切り離して」きたかを語っています。

私たちは生態学を重視しなければならない。

あまりにも長く、私たちは自身を自然から切り離してきた。

人間の健康と農業システムは共に、それらが健全に機能する生態系の一部として存在する時により強くなる。

自然は私たちを必要としないが、私たちには自然が必要だ。(p185)

このブログでは、今日、急増している発達障害は、自然界から切り離された現代の生活スタイルが一因であるとする「自然欠乏障害」の概念について考えてきました。

下記記事で説明したように、これは微生物学の観点からも裏付けられています。

ADHDは「自然欠乏障害」なのだろうか?ー自然不足が脳,自律神経,愛着,腸内微生物にもたらす影響
リチャード・ルーブが提唱した「自然欠乏障害」という概念とADHDのつながりについて、豊かな自然が脳機能や自律神経にもちらす効果、母なる自然に対する愛着障害、微生物生態系(マイクロバ
定型発達は本当に“ふつう”なのか―コケの生態学からふと考えた発達障害やHSPのこと
定型発達という概念の不自然さについて、コケの生態学について学んで考えたこと。

近年では、これまで精神の病気とみなされてきたPTSDなどの病気も、微生物の生態系の乱れと関係していることがわかってきています。

もはやトラウマは心の病ではなく内臓の微生物群集(マイクロバイオーム)を取り巻く生態系の問題だというパラダイムシフト
エムラン・メイヤーの研究から、トラウマ医学におけるマイクロバイオーム(体内の微生物群集)の重要な役割について考察しました。

もとより、わたしたちの精神的な健康は、身体的な健康に根ざしています。心とは脳や体の有機的な作用によって作られているものだからです。

あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめたに書かれているように、腸内の健康は、脳の健康、ひいては心の健康に直結しています。

脳と腸は、離れた場所で別の機能を担っているにもかかわらず、深いところでつながっている。感情が腸の働きに影響するだけでなく、腸の活動が気分やふるまいに影響する。

…この一連の実験は、新しい考え方へのドアを開いた。腸内微生物は、体の健康を左右するだけでなく心の健康をも左右していた。(p107-108)

健康な作物は健康な微生物が生きている土壌からしか育ちません。同じように健康な心は、健康な微生物が宿る腸内の内なる土からしか育たないのです。

エミリー・モノッソンやロビン・ウォール・キマラーは、「種の孤独」にあえぐ人類の様子を、自分たちを自然界から「切り離し」た結果だと表現しています。

作物は土から切り離されて生きていくことはできません。わたしたちの心も、内なる土である微生物の生態系から切り離されて、正常に機能することはできません。

この「切り離し」という表現は、このブログで何度も取り上げてきた、防衛機制である「解離」という概念を思い起こさせます。

人体は通常、統合されたひとつの身体として機能しています。しかし、たとえばあまりに強い苦痛に直面すると、その部分の感覚だけが切り離されて麻痺してしまいます。

この感覚の切り離しがずっと続き、見た目はひとつ身体でありながら、内部で機能的に分断されたままになってしまう病気が解離性障害です。

そして、わたしたち人類は、いわば、“生態学的な意味での解離性障害”のような状態にあります。

ひとりの人間の身体のレベルで生じる解離が、地球をひとつの身体とみなした場合にも起こっているようなものです。これは一種のフラクタルです。

地球の生態系は、さまざまな種がひとつに統合されて、すばらしく相互作用するようにできていますが、人類はそこから自分たちだけ切り離されてしまいました。

解離性障害の治療では、地に足をつけるグラウンディングなどを通して、切り離された感覚をつなげます。

同じように、わたしたちはもう一度、自分が地球の土壌と微生物に根ざしていることを思い出し、つながりを修復する必要があります。

キマラーは、植物と叡智の守り人の中でわたしたち人類は自然界から“乖離”したと述べています。そしてその結果、自然に対する畏怖の念が失われたとも。

あまりにも自然界から距離がありすぎるのだ。そうやって、ある物のうちに宿る生命が見えにくくなってしまったときに、人間と世界の乖離が始まり、自然への畏怖が失われたのかもしれない、と私は考える。(p198)

これは物理的・精神的な意味で自然界と人類が離れてしまった“乖離”についての話ですが、考えさせられることに、医学的な意味での“解離”を治療する方法のひとつは畏怖の念だと思われるのです。

大自然から感じる「畏怖の念」を科学するー凍りついた人を生き返らせる逆PTSD効果
ポリヴェーガル理論など、近年の科学的研究に基づき、畏怖の念とは何か、どんな生物学的機能があるのか、大自然の中で味わう畏怖の念によってどのようにトラウマから回復できるかを考えました。

わたしは、個人が抱える医学的な意味での解離やトラウマの増加は、より大きな意味での切り離し、つまり「人間と世界の乖離」と関係していると思っています。

闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るによれば、「私たちは微生物に満ちた世界の中にいる少数の大型生物」です。この世界は微生物の生態系を中心に回っています。(p186)

わたしたちはその微生物の生態系とのつながりによって健康を保ち、心身のバランスを崩したときには癒やされるようにできています。そこから切り離されて正常に機能することはできません。

「自然は私たちを必要としないが、私たちには自然が必要」です。(p185)

医学はもはや単に人間だけの健康を考える学問であってはならず、農業は単に土壌の生産性だけを考える学問であってはありません。

人類が組み込まれている地球の生態系全体の健康を考慮に入れ、切り離された関係を修復したとき、初めて個人の健康や、作物の健康が改善されることになります。

どうすれば自然と闘うのではなく、共生できるか

闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るが興味深いのは、医学の本でありながら、農業の本でもある、というところです。

この本では、現代のわたしたちが抱える問題を解決する最新の研究の数々が紹介されていましたが、農業の課題を解決する手法は医学の課題をも解決します。

たとえば近年、炎症性腸疾患などの治療への効果が認められるようになった糞便移植は医学の治療法と思われています。

しかし、実のところ「人から人への便の移植は、畑の土壌生物群の働きを助長することとほとんど違いがない」と解説されています。(p5)

考えてみれば、畑では、有機物を土に戻すために、コンポストや堆肥を使って、人間や動物の糞便を利用してきたのではないでしょうか。糞便移植はそれと同じことを、内なる生態系で行います。

自閉症や慢性疲労症候群の脳の炎症は細菌などの不在がもたらした?―寄生虫療法・糞便移植で治療
感染症の減少と同時に増加してきているアレルギー、自己免疫疾患、自閉症。その背後には、抗生物質の乱用や衛生改革がもたらした、微生物の生態系のバランスの崩壊による人体の免疫異常があるの

また、これまで医学でも農業でも、細菌や害虫を善悪の別なく、一斉に絨毯爆撃する抗生物質や農薬が使われてきました。それらは少数の害を除くために生態系全体を破壊してきました。

そうした無差別攻撃に変わるものとして、近年研究されている技術がたくさんあります。

特定の細菌だけを食べるウイルス「バクテリアファージ」や、細菌が特定の細菌を攻撃する「バクテリオシン」は、従来の抗生物質に代わるピンポイントでの医療です。(p56,67)

農業では、フェロモンのような天然化学物質を用いて特定の害虫だけを誘い出し、交尾を妨害するという、殺虫剤の無差別攻撃に代わる研究が進められています。(p88)

いまだ安全性が論争の的になっている遺伝子組み換え作物(GMO)はどうでしょうか。

安全である、という研究が優勢ではあるものの、安全であるかどうかを判断する規準の正当性や、大企業の利益がからんでいることへの疑念をさしはさむ科学者もいます。

一方で、より自然の近い遺伝子操作技術として注目されているのが「シスゲネシス」です。

従来の遺伝子組み換えでは作物に虫の外来遺伝子を挿入したりするのに対し、シスゲネシスでは交雑できる近縁植物の間でのみ遺伝子組み換えします。(p115)

欧州食品安全機関(EFSA)は、遺伝子組み換え作物には不可知のリスクがあるとみなす一方、シスゲネシスの作物のリスクは、従来の品種改良された作物と変わらないと認めたそうです。(p118)

シスゲネシスでは、病害に対する「抵抗性遺伝子のセット」を挿入することができますが、これは人間の場合のワクチン接種によく似ているとも指摘されています。(p140)

近年ではさらに、機能が悪くなった遺伝子を修復し治療する、CRISPR(クリスパー)という遺伝子編集技術も注目されています。(詳しくはこれからの微生物学――マイクロバイオータからCRISPRへという本も参照)

CRISPRは「細菌が昔から持っている酵素システム」なので、この介入は、より自然に近い形で、人と作物の遺伝子を治療できる可能性を秘めています。(p119)

さらに、現行の医学と農業には、診断技術の問題もあります。よりピンポイントで病原体を攻撃する薬品を使うには、まずピンポイントで何の病気か特定できなければなりません。

それなのに、1世紀半前とほとんど変わらない診断方法を続けているせいで、検査結果がなかなか出ず、とりあえず広範囲をカバーできる抗生物質や農薬が使われてしまいます。

その診断技術の弱さを改善するために、スマホを用いたネットワークや、ディープラーニングによる的確な画像診断が開発されつつあるようです。

足早に概観しましたが、この本では、このように医学と農業で並行して開発されつつある最新の技術の数々が詳しく取材されています。興味のある人はぜひ読んでみてください。

生態系の多様性によって保護される

それでも、これら新しい科学技術が本当に今ある問題を解決できるかどうかは定かではありません。

最も懸念すべきは、著者がまえがきで書いていることでしょう。

この本の原稿を最初に読んだある人は、こうした科学技術は、最初は素晴らしいと感じられるかもしれないが、「のちにはとんでもない失敗になる」と警告したそうです。(p6)

科学の歴史をみれば、これは、まごうことなき事実です。

もとはと言えば、わたしたちの周りの科学技術は、すべてより良い時代をもたらすと約束された夢の技術として登場しました。

それが後々、広範囲の取り返しのつかない問題を引き起こそうとは誰も予測していませんでした。

人の命を救う抗生物質が、これほど多くの慢性病を生み出すとは誰が予想したでしょうか。

文明の象徴だった明かりが生体リズムの混乱を招くとは、あるいは洗練された都市に住む人たちが、これほど発達障害や精神疾患に悩まされるようになるとは、だれが予期しえたでしょうか。

人類は良かれと思って科学技術を発展させてきましたが、はじめは良いと思えた技術が、のちにとんでもない問題の温床になるのは、何度も通ってきた道です。

そうした失敗を可能な限り避けうる方法が何かあるでしょうか。

あるとすれば、「より自然の道理にそった介入」を選ぶ、ということに尽きるとわたしは思います。(p120)

何千万年もかけて淘汰され、発展してきた自然界の仕組みは、すべて理由があって存在しています。それをただ人間の都合で造り変えようとするなら、必ず予期せぬ問題が引き起こされます。

闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るに書かれている次のことを思いに留めるべきです。

過去数世紀を越えて、私たちは自然物を殺そうとする治療を探してきた。

しかしそれは不可能な仕事である。自然は私たちであり、私たちが自然なのである。(p35)

わたしたち現代人は、自分たち人間を、自然から切り離して考えがちですが、そもそもわたしたちが自然そのものなのです。わたしたちは土であり、土はわたしたちです。

環境保護の取り組みは、単に地球を守るということではなく、自分たちの身体を守るということでもあります。

ただ単に便利だから、役立つからといった理由で無作為に科学技術を受け入れるのではなく、「より自然の道理にそった介入」を目指す科学技術を選ぶことが必要です。

たとえば、農業では農薬の代わりに、植物や土壌の中の細菌がもともと持つ防御作用を活用しようとする取り組みが始まっています。

土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話に書かれているように、多様な微生物は病害を防ぎます。

一般的に、システムの多様性が高いほど回復力も大きいことを、生態学者は知っている。

単一栽培は自然にはめったに存在しない。起きたとしても、ただ一種類の生物が優勢な生態系は長続きしにくい。農場ではそうしたものは不安定で病害虫にも弱い。

一方、農地の生物多様性を高めることは、何億年もかけて自然界で実地テストされた、病害虫に対する回復力強化の秘訣だ。(p72)

わたしたちは、農場といえば、一面のトウモロコシ畑のような、単一作物の広大な畑を思い浮かべます。

しかし、そうした不自然な農法が病害虫を呼び込み、化学薬品なしでは回らない農業を作り出してしまいました。「単一栽培は自然にはめったに存在しない」のです。

闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るに書かれているように、今日の慣行農法の方法は、自然のあり方に沿っておらず、そのせいで病害虫が増加しています。

彼等は緑の革命―それは数十億人を食べさせることが出来るが、化学合成肥料を必要とし、大規模な単作を勧め、輪作を減らし、作物と牧場を病害虫を引き寄せる磁石に変えた―によって作り出された農業システムを受け継いできた。

生産者は数百万トンの殺菌剤、殺細菌剤、殺虫剤、そして除草剤と共に反撃する。

しかし、あらゆる化学物質を投じているにもかかわらず、害虫と病原体はなおも数千億ドルの作物被害をもたらしている。(p96)

作物被害をもたらしているのは、実際には害虫と病原体そのものではなく、「大規模な単作を勧め、輪作を減らし、作物と牧場を病害虫を引き寄せる磁石に変えた」農業システムです。

わたしは今年、自然観察をする中で、家のまわりでは同じような外来種の花ばかりが一面に生えているのを見ました。タンポポや、アカツメクサや、フランスギクの花畑です。

一方で、山や森の奥では、多様で複雑な生態系が発達していて、在来種の種類も豊富でした。ひとつの種類の花だけが一面に繁茂していることはありませんでした。

山の奥には、食用になる山菜も豊富に育っていました。それらは農薬や除草剤で守られてはいませんが、山の中の多様な微生物の生態系が作り出すバリアによって保護されていました。

生物多様性によって健康的な土壌が保護されるのは、農業と平行宇宙をなしている医学の世界でも同じです。腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかにこう書かれています。

次のことは確実にいえる。

自然界の生物多様性が生態系の荒廃からの回復力をもたらすように、人体内の微生物種と、その微生物が生成する代謝物質の多様性や豊かさは、感染、抗生物質、さまざまな食品添加物、発がん性の化学物質、慢性ストレスに対する回復力の向上に結びつくのである。(p210-211)

貧弱な生態系の土壌が、病原体を通しやすくなるように、貧弱な生態系の腸内では、腸壁の透過性が上がります。この現象は、「リーキーガット症候群」として知られています。

リーキーガット症候群は、長らくうさんくさい代替医療の概念だとみなされてきましたが、あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめたによると、近年、科学的な裏付けが増えてきた、とされていました。(p156)

肥満、アレルギー、自己免疫疾患、心の病気はどれも、腸の透過性の高まりと慢性的な炎症を併発している。

この炎症は、不法移民が腸の境界を越えて血液内に入ろうとするときの免疫系の過剰反応という形で現れる。

不法移民はグルテンやラクトースのような食物分子の場合もあれば、リポ多糖のような細菌由来の物質の場合もある。

ときには人体の細胞が一斉攻撃に巻きこまれることがあり、これが自己免疫疾患となる。

バランスのとれた健全な状態に保ち、人体という聖域を守るための警備団として働いている。(p160)

腸内の微生物の生態系が貧弱になると、腸壁の透過性が上がります。すると、ちょうど貧弱な土壌と同じように、有害物質を通しやすくなります。慢性的な炎症と過剰な免疫反応を引き起こし、さまざまな病気の引き金となります。

貧弱な生態系は、農場でも人体でも病害を招き、抗生物質や化学薬品の乱用という悪循環を招く、ということがわかります。

一方、多様な生態系は、こうした「不法移民」からの保護になります。

土と内臓 (微生物がつくる世界)に書かれているように、今、わたしたちは、自分の外なる農場でも、内なる土壌でも、同じことを推し進める必要があります。

堆肥や木材チップやマルチが土壌生物を育てるのと同じように、食べ物は腸の共生生物を育てる。

生きている土は地上に影響を及ぼして、庭や畑の健康と回復力を支えるが、人間の内なる土はもう一つの庭、すなわち私たちの身体を支える。

有益な微生物を育てれば、それは病原性の微生物を避け、免疫系が自分に牙をむくことなく正しく働くようにしてくれる。

…もし、抗生物質、病気、ことによると大腸内視鏡検査などで微生物相が損傷したら、園芸家がするように失ったものを植え直し、定着を助けることを考えてもいいだろう。(p315)

わたしたちは、自分の身体の「内なる土」を世話する園芸家になるべきなのです。

優れた農夫や園芸家が、生態系との調和をよく考えて、自分の畑を世話し、健康な土を作るように、わたしたちも自分の身体を土とみなし、生態系との調和を意識して世話しなければなりません。

自分も自然の一部であることを思い出す(re-menber)

この記事では、幾つかの微生物学の本から医学と農業の類似点について考えてきました。

微生物学は、自然と人間をつなぎました。作物も人体も、微生物という土壌に植わっているという意味で、同じ造りをしていました。

わたしたちは常に蒔いたものを刈り取って生きてきました。人類はずっと昔から、内なる土壌と外なる土壌に、種を蒔いては収穫してきました。

健康を刈り取るか、それとも不健康を刈り取るかは、外なる土壌と内なる土壌の微生物の生態系の質を保てるかにかかっています。

私たちは土壌(体内のものにせよ体外のものにせよ、よくも悪くも)に与えたものの産物を収穫していることを知れば視野が広がり、土壌中あるいは体内に有益微生物を増やすことの、農業や医療における計り知れない価値がはっきりする。(p313)

2つの土壌は同じものです。わたしたちはもう、内なる身体の健康と、外なる自然界の健康を、まったく別の分野の縁遠いものとして考えるのをやめる必要があります。

農家は微生物の医学に目を向ける必要があります。医者は医学の教科書だけでなく農地にも目を向けるべきです。

病気から回復することを願う人は、医者にかかって薬を処方されるだけでなく、自然界にも目を向けるべきです。それらは平行宇宙であり、片方の知識はもう片方に応用できます。

しかし、闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るによると、「私たちは医学と健康の関連を理解するが、同じ関連を植物と私たちを養う食物との間に当てはめるのは失敗」してきました。(p149)

いえ、回りくどい言い方はやめましょう。

率直に言って、都市に生活する現代人のほとんどは、自然界や農業のことなんて、考えもしないのです。

みなが大都市に住むようになる前、人々は何千年にもわたって、何らかの形で農業や漁業、狩猟採集などに関わっていました。それぞれが自分の食物のために、自然と関わっていました。

ところが都市というシステムが発達すると、人々は自分で食物を作るのをやめ、少数の田舎の生産者に生産を任せて、自分たちはただスーパーやコンビニで食べ物を買うようになりました。

土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話によると、もう人類の半数以上が、農村からはるか遠くの都市に住んでいるとのことです。

2009年以降、人類は公式に都市の生物とされている。私たちの半分以上が現在都市に暮らしているのだ。

われわれが都市を取り巻く農地にコンクリートを流し込むにつれて、エネルギー価格に連動して遠く離れた産地からの輸送コストが上昇するにつれて、大きな都市人口を養うことは、ますます困難になっていくだろう。(p297)

こうして自然界に対する無知と無関心が広がりました。自分たちが食べる食物が、どこでどうやって作られているか、まったく知らない世代が生まれました。わたしもその一人でした。

自分の身体の健康を気にし、医学には興味を持っているのに、身体を作る素材となる食物を生み出す農業や自然そのものについては何も知りません。

医者たちもそうです。彼らは有名大学を出て医学の専門教育を受けたかもしれません。しかし農業に携わったことがないので、わたしたちの健康を形作る土と微生物の仕組みについては何も知らないのです。

自然から切り離されて久しく、「種の孤独」に陥ったわたしたちは、自分たちの食べものがどこから来ているかも、自分たちがどんな動植物の生態系の中で生きているかも知りません。

最近読んでいる探検家トリスタン・グーリーの失われた、自然を読む力という本の帯にこう書かれていたのを思い出します。

私たちは、自然を読み解く技術を失うところまで来てしまったのだ。

いかに他の学問に詳しかろうが、生物学や生態学について無知であれば、どうして自然と調和した考え方ができるでしょうか。

人間という単一種の利益だけ考え、自然について無知で、生態系全体の健康を顧みなかった人たちによって作り出されたディストピアが、今この時代の慢性疾患だらけの現代社会なのです。

わたしたちは、人類もまた自然の一部であることを思い出し、自然とのつながりをとりもどす必要があります。

それは、科学技術を捨て、先史時代のような生活に戻るという意味ではありません。

むしろその逆です。今はかつてなく、本物の科学が必要とされている時代です。

現代のわたしたちは偏った科学の進歩の道筋の上にいます。戦争とともに発展してきた20世紀の科学は、自然界のフィールドから切り離され、研究室や実験室の中で進歩してきました。

だからわたしたちは、これほど科学が進歩したようでいて、自然界の仕組みや、動植物の生態については、信じがたいほど無知です。研究される間もなく絶滅に瀕して消えていく生き物は無数にいます。

これは本来の科学ではありません。植物と叡智の守り人の中で植物学者ロビン・ウォール・キマラーはこう書いています。

知性のみからなる科学という単一文化が、それを補完する知識の数々からなる複合文化に取って代わられる日がいつか来ることを私は思い描く。(p178)

現代科学は机上の知識や理性に偏重しています。

かつて、古くはアリストテレスやダ・ヴィンチが実践していた科学に、ファーブルやリンネ、フンボルト、ダーウィンのような人たちが愛した科学の道筋に立ち戻る必要があります。

自然とそこに生きる動植物をよく観察し、その仕組みから学ぶという科学です。生態系と調和して生きるには、まず自分たちがそれを理解しなければならないのです。

キマラーは、「一つの生物種による独裁」をやめて、人間以外の生物から学ぶことこそが「種の孤独」から抜け出す唯一の道だと説いています。

私は部族のエルダーたちが、「ステンディング・ピープル[訳注:木のこと]のところに行きなさい」とか、「ビーバー・ピープルとしばらく一緒に過ごすといい」というアドバイスをするのを聞いたことがある。

人間以外の生き物か、私たちにとっての教師となり、知識の担い手となり、導き手となり得るということを彼らは言っているのだ。

「バーチ・ピープル(樺の木の人々)」「ベアー・ピープル(熊の人々)」「ロック・ピープル(岩の人々)」がたくさん住んでいる世界を歩いているところを想像してほしい。

尊敬し、人間が暮らす世界に含まれる価値がある「人」であると私たちがみなし、「人」と呼ぶ存在。

…私たちはすべての答えを自分たちだけで見つけなくともよいのだ。知性を持っているのは私たちだけではない。先生は周り中にいる。そう考えると、この世界は今のように寂しいところではなくなるだろう。(p83)

もっと主体的に自然界と関わり、そこから学ぶことには大きな価値があります。自然界と関わるなら、精神的な意味で教訓を学べるだけでなく、身体的な意味での健康も増し加わります。

病気の人は、医者に行くだけでなく、自然ともっと関わるべきだ、と書きました。ロビン・ウォール・キマラーは、その方法のひとつとして、菜園を作ること、つまり、自分の食べるものを自分で作ってみることを推奨しています。

自然界と人間の関係を修復するために何か一つ推薦するとしたらどんなことか、とよく人に訊かれる。

私は必ずと言っていいほど「菜園を作ること」と答える。地球の健康のためにも良いし、人間の健康のためにもなる。

互いに栄養を与え合うつながり合いの温床であり、土は日常の中に畏敬の念を育ててくれる。(p163)

農作業を通して土と関わるなら、健康な土壌微生物が体内に取り込まれます。最近のニューズウィークでもそんな記事がありました。

「土に触れると癒される」メカニズムが解明される | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

さらに、自然の中で長い時間過ごすなら、自律神経系のバランスが調節されて、よりリラックスできます。

感受性が強いあなたに自然が必要な5つの科学的根拠―都市や学校の過剰なストレスを癒やすには?
わたしたちがごく当たり前だと感じている都市生活が、脳に慢性的な負荷をかけているといえる5つの理由を紹介し、大自然との触れ合いがストレスを癒やし、トラウマを回復させる理由を考察しまし

土と内臓 (微生物がつくる世界)の著者たちも、こう書いています。

庭づくりは私たちに、これまで想像もしなかったことを教えてくれた。…どうすれば土地を回復させ、自分を癒せるかがわかったのだ。(p326)

わたしたちは土で、土はわたしたちでした。自然を世話するということは自分自身を世話することです。

自分の外部の自然を大切にできない人が、どうして内部の自然を大切にできるというのでしょうか。土を世話することは、自分の体内の土壌を正しく世話する方法を学ぶことでもあるのです。

もちろん、ここでいう「庭づくり」とは、人工肥料や殺虫剤まみれにして、種苗会社が売っている外来種を植え付けて眺めるような自己満足の庭づくりではありません

そうした庭づくりは、ジャンクフードや加工食品で自分の内なる土を世話している現代人の食生活と同じものでしょう。

土と内臓 (微生物がつくる世界)の著者たちは、そうではなく、土壌をいちから作り直し、自分で有機物を戻すことによって、生態系に配慮した庭をつくりました。

一度生態系がリセットされ、外来種だらけになった貧弱な土壌を回復させるのは至難の業です。

自分の腸内に、何百年もかけて誕生するような自然林を回復させるのは一世代では不可能でしょう。アマゾンの熱帯雨林の辺地に住む部族のような腸内細菌を獲得することはもう無理です。

それでも、内なる土壌を扱う園芸家として、真剣に自分の腸内の微生物を世話するなら、可能な範囲で多様な生態系を呼び戻すことができます。

わたしもかつては、自分の健康と医学にだけ興味をもつ病人でした。自然から切り離されたディストピアで育ち、生態学などまったく考慮に入れない生き方をしていました。

しかし、発達障害やトラウマについて調べるうちに、根本の問題が自然界からの切り離しという、生態学的な解離であることに気づき、微生物の生態系について考えるようになりました。

かつてのわたしは同じ地球上に生きる隣人のことをまったく知りませんでした。

しかしこの春、毎日のようにGoogle Lensなどのアプリの助けを借りて自然観察したおかげで、少しは動植物を見分けられるようになりました。

面白いことに、今回紹介した闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るの著者エミリー・モノッソンも、花や木を画像認識して名前を教えてくれるアプリを使っている、という話が出てきます。(p158)

また、わずかですが、園芸や農業にも携わりました。わたしは、地元の固有種の植生を乱す園芸や農業に対してはいい印象は持っていません。でも、生態系に配慮しながらであれば、植物の世話を学ぶのは大切です。

そうして初めて、自分が無数の生物の中で生きていることがわかるようになってきました。少しずつ自然とのつながりが修復されていくさまを心と身体の両方で感じています。

以前の記事で書いたように、解離性障害の人は、自分が何から切り離されてしまったかを、身体的な感覚を通して「思い出す」ことによって回復していきます。

「思い出すこと」(re-member)はすなわち、ひとつに統合された身体という内的家族の一員(member)としてのつながりを取り戻すことです。

この回復は、知識や言葉だけでは決して生じません。失われているのは手続き記憶(身体感覚などの非言語的な記憶)なので、身体で感覚を味わってはじめて、自分が何者かを思い出せるのです。

解離とは神経学的に身体がバラバラに切り離されること―古代インドとエジプトの物語から学ぶ
解離の当事者が感じる「身体がバラバラに切り離されている」という感覚について、古代の二つの物語などを手がかりに考察しました。

これは、自然界から切り離された“生態学的な意味での解離性障害”においても同じです。地球の生態系から切り離されて久しいわたしたちは、感覚的体験を通して、地球的家族の一員であることを思い出す必要があります。

実験室で動植物の標本を研究したり、病院でセラピーを受けたり、家に引きこもって自然を再現したVRゲームをしたりしても、これは起こりません。本物の自然の中に身を置いて、五感を使うほかに、思い出す方法はありません。

自分の感覚で自然界の隣人の存在に気づくとき、わたしたちは、前世紀の科学が仕掛けた自然界との全面抗争によってもたらされた種の孤独から解放され、和平への道のりを歩みだすことができます。

自分が作物や樹木と同じく土に根ざしていることを思い出し、ゆっくりと、しかし確実に、失われた微生物の生態系とのつながりを取り戻していくことができるのです。

最後にもう一度、冒頭で、闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守るから引用した文章を載せて締めくくりたいと思います。この記事を読んでくださった方なら、この意味がよくわかると思います。

私たちはまた、医学的解決と農業的解決を同じように理解することが出来る。それは、人と植物は実際に多くの共通点を持っているからである。

私たちが食物、環境、あるいは人びとの健康のいずれについて語るにせよ、それらは共通の生物学的、環境的要素にもとづいている。

…私はそれらを並べて考えることが有効だと考えている。

あまりにも長い間、私たちは自身を自然環境から切り離して考えてきた。

私たちが私たちの食物と健康のために自然に対抗するのではなくて、自然と共に生きようとする時、私たちは難問を解決することになるだろう。(p5)