「わたしには、空想の友達の姿がはっきり見えるし、声も聞こえる」。
イマジナリーフレンド(IF)、つまり空想の友達現象に関する研究でしばしば話題に上るのが、当事者(IF保持者)の訴えるそのリアルさです。日本の研究者である麻生武博士は、著書ファンタジーと現実 (認識と文化)の中でこう述べています。
その興味深い特徴は、その“実在性(リアリティ)”にある。それは極めてリアルであり、しばしばその声が聞こえ、姿が見え、時には手で触ることもできるようにも感じられる。(p204)
これは比喩ではありません。イマジナリーフレンドを持つ人のうち、すべてではないものの、少なくとも一部は、実際に空想の友達の姿が見えたり、その声が聞こえたり、触れることもできたりすると述べます。
特に、声が聞こえる、というタイプの人は書籍に例として挙げられていることが多く、この中では一番多いのかもしれません。もちろん「聞こえるような気がする」「声を想像できる」という意味ではなく、はっきりと外から聞こえるのです。
イマジナリーフレンドという概念そのものは、こうしたリアルな感覚を伴わない人も含む、幅広い概念です。リアルな感覚を経験するタイプの人たちは、IF保持者のうちどのくらいの割合を占めるのかを調べた研究は、今のところ知りません。
この記事では、そうしたあまり理解されることのないリアルな感覚について、オリヴァー・サックス先生の名著見てしまう人びと:幻覚の脳科学からさまざまな例を示したいと思います。
まず子どものイマジナリーフレンドの幻覚について扱い、続いて大人のイマジナリーフレンドの幻聴、幻視、幻触を扱うので、それぞれご自分の興味のあるところから読んでください。
※イマジナリーフレンドは、学術的にはイマジナリーコンパニオン(想像上の仲間)として知られています。しかしインターネット上ではイマジナリーフレンドの表記のほうがはるかに一般的なので、この記事ではこちらを用います。
もくじ
これはどんな本?
この本は、さまざまな神経疾患の患者についてのリアルな実話を書き、人間の脳について示唆に富む本を出版し続けている神経科医オリヴァー・サックス先生の最近の本です。
オリヴァー・サックスは、パーキンソン病についての本また映画である「レナードの朝」で特に有名です。
この本は幻覚体験について科学的に解説した本で、幽霊や天使が見えるといった話から、偏頭痛、入眠時幻覚、金縛り、体外離脱といった現象まで、すべて医学的な立場から解説しています。
子どものイマジナリーフレンドの幻覚
この本はさまざまな幻覚について扱った本ですが、わずかながら子どものイマジナリーフレンド現象についても記述があります。まずはその部分を引用してみましょう。
架空の友だちがいる子ども、というのは珍しくない。想像力豊かでたぶん寂しい子どもがつくり出す、順序だって進行していく空想や作話のようなものの場合もある。幻覚の要素を持つケースもありえる。(p297)
架空の友だちは、ほかの空想や想像の産物にはないくらい、とてもリアルに思えるようだ。
…子どもは幻覚が(私たちの文化では)「異常」と見なされることを知らないので、自分の幻覚を大人より素直に受け入れるのかもしれない。(p298)
このような子どもたちは、一般に考えられているような孤独な子どもではなく、社交的な子どもであることは、以前の記事でも説明しました。そうした子どもが寂しく感じるときに、想像力をふくらませてイマジナリーフレンドを作ります。
オリヴァー・サックスは、ヘイリー・Wから聞いた子供のころの空想の友だち現象についてこう綴っています。
きょうだいのいなかった私は、三歳から六歳くらいまで、よく架空の友だちをつくって一緒に遊びました。いちばん記憶に残っているのは、ケイシーとグレイシーという名前の架空の双子の女の子でした。
…私の心の目には彼女たち全員の姿がはっきり見えていて、当時の私にとってはまさに現実に思えました。
…両親の記憶では、私は「誰もいない」テーブルで長いあいだおしゃべりをしていて、訊かれるといつもケイシーとグレイシーと話しているのだと答えていました。
…おとなになって、人から子どものころに架空の友だちなどいなかったと聞かされるとびっくりします。それほど彼女たちは私の子ども時代の重要な―そして楽しい―一部だったのです。(p298)
この例では、空想の友だちの姿は、はっきり見えていて、声も聞こえていたようです。現実の人間と何ら変わるところはなかったので、その存在を疑うことはありませんでした。
同じような例は、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)にも載せられています。
五歳の頃、いっしょに遊ぶ女の子の友だちがいました。でも、その子は本当は実在しませんでした。それがわかったのは大人になってからです。
当時、幼稚園では一人も友だちがいなくて、いつもその子といっしょに遊んでいました。
ある日、急にいなくなったので、お母さんや幼稚園の先生に聞いても、そんな子はいないと言われました。意味がわかりませんでした。(p61)
この場合も、やはり現実の友だちと同じほどリアルだったので、その存在が空想だと疑うことはありませんでした。姿が見え、声が聞こえ、そしておそらくは触れることもできたのだと考えられます。
普通、イマジナリーフレンドを持つ子どもは、それが空想だと分かっています。しかし、この例のようにイマジナリーフレンドの実在を強く信じている場合には、解離性障害が関わっている可能性もある、という点はおさなごころを科学する: 進化する幼児観に書かれていました。(p241)
あるいは、柴山雅俊先生の説明によると、それは幼いころからのウィルソンとバーバーの空想傾向(fantasy-proneness)を示しているのかもしれません。解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)にはこう書かれています。
空想傾向の強い人は人口の約4%に見られ、幼少時からイメージや空想の世界で生活しており、事実と空想を混同してしまう傾向がある。
また五感のすべてにおいて幻覚的強度をもつほどの空想を経験しており、空想の記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向があるといわれる。(p121)
こうした記述からすると、目で見える、耳で聞こえる、手で触れられるという幻覚を伴う子どものイマジナリーフレンドは、次のように分類することができます。
まず、たとえ感覚のリアルさを伴っているとしても、子どもに空想の友だちについて尋ねたとき、それらが現実のものではないことがわかっているなら、その子どもは普通の子どもです。特に問題ありません。
しかし空想と現実を混同している様子があり、架空の友だちが実在するとはっきり信じているなら、空想傾向の強い子どもです。空想傾向の強さは、のちの解離性障害の発症とも関係しているので注意が必要かもしれません。
声が聴こえる幻聴、姿が見える幻視といった症状そのものは決して病的ではなく、自然に存在するものですが、それらを現実と区別できないとしたら、いくらか病気につながるリスクをはらんでいると考えられます。
大人のイマジナリーフレンドの幻聴・幻視・幻触
では、大人のIF保持者の幻聴や幻視についてはどうでしょうか。
ここからがある意味で本番です。子どものころの幻覚は忘れている人も多いですが、大人のイマジナリーフレンドに伴う幻覚は、多くの人が今まさに体験しているものです。中にはその正体を知りたくて、この記事にたどり着いた人もいるでしょう。
大人の場合、姿が見える、声が聞こえる、などと誰かに言おうものなら、頭がおかしいと思われるに決まっています。そのため、だれにも言えずに、自分だけの秘密として幻覚体験を抱えている人も少なくありません。
では、目で見え、耳で聞こえ、触れることもできるイマジナリーフレンドは、病気なのでしょうか。
1.幻聴―空想の友だちの声が聞こえる
幻聴について、オリヴァー・サックスは、興味深い実験を挙げています。1973年のその実験では、精神病歴のない8人の人が、アメリカのさまざまな病院で「声が聴こえる」と言って偽の患者として振る舞いました。
すると、なんと全員が統合失調症と診断されてしまい、二ヶ月も入院させられたのです。これは今の時代でも同じような傾向があります。「声が聴こえる」人は統合失調症とみなされるのです。
ところがオリヴァー・サックスはこう言います。
一般人のイメージでは、声の幻聴は統合失調症とほぼ同義語である―声が聞こえる人の大半は統合失調症ではないので、これは大きな誤解だ。(p76)
統合失調症の人が聞く声は、責めたり脅したり、ののしったり、しいたげたりする敵対的なものが多いといいます。それにひきかえ、正常な人の中にも幻聴を経験する人は大勢おり、聞こえる内容は、たいていごく平凡なものだそうです。
こちらの記事では、アフリカやインドなど一部の文化圏では、友好的な幻聴が広くみられるとされています。
どこからともなく頭の中に聞こえてくる「声」には良いものもある – GIGAZINE
インド人やアフリカ人は、自分の見る幻覚や幻聴が自分の友達や家族を思い出させてくれるようなものである、と説明しています。そして、幻聴の声音は楽しげ なものである、と報告しています。
あるガーナ人の被験者は「ほとんどの幻聴が良いものです」と語り、インド人の被験者は「私は話をする仲間を持っているの で、誰かと話しをするために外出する必要がありません。自分自身と話すことができますからね」とコメントしており、幻聴ととてもうまく付き合っていること がわかります。
オリヴァー・サックスは、近年の研究では、統合失調症以外の病的でない幻聴が思いのほか多いことが確認されていると述べています。
最近の多くの研究が、声が聞こえるのはそれほど珍しいことではなく、聞こえる人の大部分は統合失調症でないことを確認している。(p79)
この統合失調症でない正常な人たちの「声が聞こえる」という現象は、いろいろと説明がなされているようで、原因はさまざまと言われています。その中で興味深いのは、自分の内面の考えが外から聞こえるようになってしまう、というものです。
幻聴の原因は、心のなかの発話を自分のものと認識できないことにある(あるいは聴覚野との交差活性化から生じているために、大半の人が自分自身の考えとして経験するものが「声に出される」のかもしれない)と主張する研究者もいる。
おそらく大部分の人には、ふつうはそのような内面の声が外から「聞こえる」ことがないようにする、生理的な障壁か抑制のようなものがあるのだろう。
たえず声が聞こえる人たちの場合、その障壁がどういうわけか壊されたか、十分に発達していない可能性がある。(p84)
このような障壁がゆるく、子どものときから自分の思考の一部が他者の声として脳内に響いてくる人の場合、しだいにその声と会話するようになり、イマジナリーフレンドとしてつきあうようになる、ということは十分に考えられます。
これは一種の解離状態です。本来しっかり保たれているはずの脳の抑制機能が弱まり、解除されているからです。
この生理的な障壁は、ストレスによって弱まる可能性があります。ストレスが強くなるとイマジナリーフレンドの声が生じる、という経験はわかりやすい「解離性障害」入門に書かれていました。
コユキさんが幼いころには、両親の間は常にいさかいが絶えることがなく、そのたびにコユキさんはつらく寂しい思いをしていました。
しかしサクラやモミジはいつもそんなコユキさんのそばにいて励ましてくれ、時には一緒に歌を歌うこともありました。
このように幻聴を相手に話をすることは、コユキさんにとってはまったく違和感のない日常的な出来事だったのです。
…それに結婚してからしばらくはそのような幻聴自体をほとんど聞かなくなっていました。
…ところが結婚後二年を経たころからご主人の両親の病気による介護の問題がわき起こり、親戚のいざこざに巻き込まれるようになりました。
そのころから幻聴は再びコユキさんの周囲に現れ、話し相手として支えてくれるようになったのです。(p25)
この例が示す通り、中にはストレスがかかることで、生理的な障壁が弱まり、内面の声がだれかほかの人の声のようにして聞こえるようになる場合があります。
統合失調症の幻聴と異なり、元は自分が考えた内容なので敵意を感じることはありません。しかもいつも同じ声として聞こえるので、親しみがわいて、友だちとしてつきあうこともできるようになります。
さらに、もっと極限状況に面して、より強いストレスがかかった場合、このような第三者の声が聞こえる現象は「サードマン現象」として知られています。
サードマン現象とは、たとえば雪山で遭難しかかっているときに、だれか見知らぬ人の声が聞こえて自分を導いてくれる、といった現象です。
登山家ジョー・シンプソンは、死のクレバス―アンデス氷壁の遭難の中で、足を骨折して深いクレパスに落ちてしまうという最悪の状況で、そのような声を聞き、その導きにしたがって生き延びたことを記しています。
オリヴァー・サックスも、膝を脱臼して小川をわたるときにそのような声を聞きました。フロイトも人生で二度危険な目に遭って、二度とも耳元でだれかが叫ぶのを聞いたそうです。(p81-83)
そのようなわけで、極限状況では、だれでも、幻聴を聞きうることがわかります。もしかすると、イマジナリーフレンドの声が聞こえる人たちは、日常のストレスで、極限状況と似た脳の解離状態が引き起こされているのかもしれません。
日本の研究者の森口佑介博士は、著書おさなごころを科学する: 進化する幼児観の中でこう書いています。
この仮説は、幼児が寂しいときに空想の友達を作ることで寂しさを紛らわすというものです。
…サードマン現象も、これに近い構造があるように思えます。つまり、生命の危機に瀕するという情動的に負荷がかかったときに、大人であってもサードマンを作り出して、情緒的安定性を保つということです。(p262)
サードマン現象とイマジナリーフレンドの関係性については、以下の記事をご覧ください。
なおわかりやすい「解離性障害」入門にはNHKの連続テレビ小説「つばさ」に出てきた「ラジオ」という名のイマジナリーフレンドについても書かれています。
番組では、「ラジオ」は愉快なおじさんという目に見える姿を伴って描かれていましたが、おそらく「声が聞こえる」タイプのイマジナリーフレンドではないかと思われます。
「声が聞こえる」タイプのイマジナリーフレンドは、基本的に一緒にいて楽しく、保持者の願望にそって話すものであり、解離性同一性障害の別人格とはまったく違うものであるとされています。
しかし、もし敵対的な言葉や中傷を話し始めたら、コントロールを失って精神疾患へ移行している可能性もあるので注意が必要です。
2.幻視―空想の友だちの姿が見える
これに対し、イマジナリーフレンドの姿が見える、という話はそう多くありません。
幻視は、「見えるような気がする」「ありありと思い浮かべる」というのとは異なります。fMRIによると、幻覚を見ている人と、視覚心象をイメージしている人とでは、まったく働いている脳の領域が違っていたそうです。(p58)
わかりやすい「解離性障害」入門には、イマジナリーフレンドではありませんが、常に幻視が見えていた青年の話が出ています。
ハルさんは思春期から慢性的な頭痛や抑うつ感、不眠に悩まされていましたが、もう一つ、人には言えない体験がありました。
それは、窓の外に大柄で黒い服を着た顔のない男性の姿がいつも見えることでした。
その男性像はハルさんにとって非常に恐ろしい存在であり、ハルさんはそれをひそかに「死神」と名づけ、なんとか逃れたいと思っていました。(p226)
後に判明したところによると、この「死神」は、幼少期から独りで抱え込んでいた強いストレスが原因の解離症状でした。良い医師やカウンセラーにめぐり会い、自分の心を整理していくうちに良くなっていったそうです。
この「死神」はとうていイマジナリーフレンドとは言えませんが、強いストレスによる解離症状が原因で、継続的な幻視が見える場合があるということがわかります。
これがもっと親しみやすいイメージの幻視であれば、イマジナリーフレンドとして扱う場合もあるかもしれません。
ファンタジーと現実 (認識と文化)には、姿が見えたイマジナリーフレンドの話が出てきます。
心の中のもう一人の自分と言うべきかもしれないような空想の友達はいた。髪の長いフリルのワンピースを着た彫りの深い顔の目の大きな透けるように色白のリボンをつけた可愛い女の子だった。
…姿は見え(私にしか見えない)、彼女の声も聞こえた。透き通るような甘い可愛い声だった。彼女が時と場所を考えずに話しかけてくるので困ってしまったこともあった。
…当時たくさんの友達がいたが親友はいなかった。人間関係で悩んだりしたことを彼女に話すことによって本当に助けられた。(p122-123)
この例は大人ではなく中学生の女の子ですが、年齢的に幼児のイマジナリーフレンドとは別物であるように思います。同様のストレスにさらされたとき、大人でも幻視を伴うイマジナリーフレンドを持つことがあるのかもしれません。
こうした幻視は、何も異常なものではなく、幅広い背景の人が経験するようです。
オリヴァー・サックスによると、幻視が生じる背景のひとつは、視力を損なうことです。視野の一部、または全部を失ったお年寄りは、比較的楽しく、ときには異国情緒のある幻を見ることがあり、シャルル・ボネ症候群として知られています。(p15)
また同じような風景をずっと見ている人、たとえば牢屋に入れられている人や、何もない高高度の空をずっと飛んでいるパイロット、長距離トラックドライバーなども幻視を見るようになることがあり、「囚人の映画」と呼ばれています。(p51)
これらは「感覚遮断」という原因によって起こるもので、視覚からの情報がほとんどなくなると、脳が記憶に基づいて構成した映像を再生し始めるのだそうです。健康な人でも目隠しなどをして厳密に感覚遮断した実験で再現できます。
また、感覚遮断タンク(アイソレーションタンク)を使って五感を遮断すれば、ごく普通の人でも幻覚体験ができるようです。つまり、解離において生じる様々な幻覚は、脳の作用により、あたかもブレーカーが落ちるかのように感覚が遮断されたとき、その感覚の空白を埋めるかのようにして生じるということでしょう。
こうした幻覚の特徴は、ちょっと楽しいものが多いということです。
デイヴィット・スチュワートは自分の幻覚を「とにかく友好的」と言い、自分の目がこう言っているのだと想像している。
「がっかりさせてごめん。失明が楽しくないことはわかっているから、このちょっとした症候群、目の見える生活の最終章のようなものを企画したよ。たいしたものではないけど、私たちにできる精いっぱいなんだ」。(p42)
これはイマジナリーフレンドの幻視とは異なりますが、見る人を楽しませることもある幻視、という点が興味深く思います。これと同様のメカニズムで、聴覚を失った人の場合は幻聴、嗅覚を失った人の場合は幻臭が生じることもあります。
幻視は、幻聴と同じく、心身のストレスでも生じます。砂漠を歩き続けてオアシスを見る人や、トライアスロン選手が疲労困憊の果てに幻を見たりするのは一例です。
さらに死別後の寂しさに起因するストレスは、一時的に死んだ人や死んだペットを見、その声を聞くという幻覚をもたらすことがあり、それを見た人は、霊魂や幽霊を信じがちです。
ウェールズの一般開業医のW・Dリースは、配偶者に先立たれたばかりの人たち約300人と面談し、そのほぼ半数に、亡くなった配偶者の片鱗をかいま見たり、またはその幻覚に正面から向き合ったりした経験があることを知った。
幻覚は視覚・聴覚、あるいはその両方のケースもあり、面接を受けいれた人のなかには、幻覚の配偶者との会話を楽しんだ人もいた。(p280)
こうした記述からすると、寂しさやショックが原因で亡くなった人の幻を見る人はそれなりの数存在し、ときには会話ができることもわかります。寂しさはイマジナリーフレンドが生じる原因の一つともされています。
こうした幻覚の多くは一時的なものですが、もっと長い間続くとどうなるのでしょうか。
パーキンソン病およびパーキンソン症候群の人は、病気のせいで幻覚が生じやすく、その傾向がLドーパという薬によって強められるといいます。ある年配の女性は、継続的に幻視を見るようになりました。
ガーディー・Cは半ば制御できる幻覚を、Lドーパを始める何十年も前から感じていた。…それがLドーパを投薬されて変化し、社交的でときに性的なニュアンスを帯びるようになった。
彼女はそのことを私に話したとき、不安そうに「私のような欲求不満のおばさんなら、親しい仲の幻覚くらいきっと許されますよね?」。
彼女の幻覚が楽しくてコントロールできる性質のものであるなら、この状況下ではむしろ良いことに思える、と私は答えた。
…彼女はユーモアと如才なさと自制心を育み、幻覚を見るのは夜の八時以降、時間は30~40分以下にするようにした。
…いま彼女は毎晩誠実に訪ねてくる幻の紳士から愛情と思いやりと目に見えない贈り物を受け取っている。(p112)
この女性は、幻の紳士の幻覚を継続的に見ましたが、愛あるパートナーのように交流を深めることができました。もはや目に見えるタイプのイマジナリーフレンドといっても差し支えないと思います。
同じ幻視をいつも見ているとすれば、その幻に愛着を深めて、相互交流し、イマジナリーフレンドとして扱うことのできる場合がある、ということをこの経験は物語っているでしょう。
3.幻触―空想の友だちに触れることができる
手で触れることができる、というタイプの幻触については、今回扱った範囲の本では情報が少なく、あまりまとめられるような点はありませんでした。
オリヴァー・サックスは、パーキンソン病と診断された人が、物体の表面がふさふさになったように見え、触るとその感覚もある、という触覚の幻覚を経験したことについて述べています。(p105)
また彼の同僚の話によれば、知力に何も問題もなく、パーキンソン病の治療を受けているある女性が、リアルな猫の幻覚を経験するようになりました。
彼女は(猫が好きだと思ったことがないので)自分でも驚いたことにグレーの猫が現れるのを楽しんでいて、「彼に何か起こるかもしれない」ことを心配している。
その猫が幻覚だとわかっているが、彼女にはとてもリアルに見える。猫が来る音が聞こえ、体のぬくもりが感じられ、触りたければ触ることができるのだ。(p112)
この幻は一年近くこの女性をお見舞いに来ているようです。中には動物の形をしたイマジナリーフレンドを持つ人もいますから、この例は手で触れられる幻触を伴うイマジナリーフレンドの存在を示しているといえるでしょう。
▼「だれかがいる」という感覚
イマジナリーフレンドの幻覚を見るだけでなく、イマジナリーフレンドがそこにいる、という気配を感じる人もいます。
こうした「後ろや横に誰かいる」「影の気配を感じる」という気配過敏は、解離性障害の代表的な症状とされていて、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)や解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)という本で詳しく説明されています。
2006年にオラフ・ブランケらが行った実験では、てんかんの若い女性の左側頭頭頂接合部を電気的に軽く刺激すると、彼女は誰かが背後にいると感じるようになりました。刺激を繰り返すと、男性が背後から見えない腕で自分を抱きしめているように感じました。(p342)
そのようなわけで、気配過敏は脳の頭頂葉または側頭葉の一部の領域が過敏に反応することで生じるようです。この付近の領域は幽体離脱を誘発できる場所としても知られています。
脳科学的な詳しい説明はこちらの記事をご覧ください。
姿が見え、声が聞こえるのは病気ではない
このように、姿が見えたり、声が聞こえたりすることは、医者に話せば統合失調症と誤診されやすいとはいえ、その多くは病気ではありません。
とはいえ、何がしかのストレスによる、脳の機能の解離状態を示している可能性もあり、その場合は、できることなら、ストレスを軽減するほうが、健康にとって良いものと思われます。(あるいは自閉スペクトラム症などの原因も考えられるかもしれません)。
オリヴァー・サックスは、レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) の中で、慢性疾患を抱える人たちが、統合失調症ではない幻覚を、思いのほか多く経験していると書いています。
まず、最も長く入院している重い障害を負った患者の少なくとも3分の1、おそらく過半数は「慢性的に幻覚を見る」ことであり、次に、患者に対しても彼らの幻覚に対しても「統合失調」という言葉を使うことは適当でないことである。
その理由の概略を述べておこう。
これらの患者たちが見る幻覚のほとんどには曖昧さや偏執さがなく、統合失調症患者の幻覚にみられる制御不能の性質とは異っている。(p380-381)
しかし、(ここが重要な点ですが)、幻覚を見る人はこれほど多いにも関わらず、ほとんどの人は、自分がおかしいと思われるのを恐れて、幻覚を見ていることを打ち明けたがりません。
一方で、幻覚を見ている人のうち少数でしかない統合失調症の人たちは、妄想的であるせいで自分がおかしいとは思っていないので、はばかりなく幻覚について語ります。
すると、多くの医師たちは、少数例にすぎない統合失調症の幻覚だけを耳にし、大多数を占める統合失調症ではない幻覚については知らないままになるので、幻覚=統合失調症という誤った図式が出来上がります。
サックスが述べているように、統合失調症ではない、つまり妄想的ではなく自分がおかしいと思われることを恐れる人たちは、医師とのあいだによほどの信頼関係がなければ、自分の幻覚症状を打ち明けないからです。
当然のことながら、幻覚を見る人は「見えたもの」や「聞いた声」について大きな声では語らない。なぜなら変わっているとか狂っているとか思われるのではなないかと恐れるからである。
…何年もかかってようやく、彼らは私を信用するようになり、個人的な経験や感情を打ち明けてくれるようになった。つまり、知り合ってから10年近く経つこの頃(1974年)になって初めて、私は二重の観察ができるようになったのである。(p380)
「知り合ってから10年」ものあいだ、患者と信頼関係を構築する医師が、今やどれほどいるでしょうか?
患者をオートメーション化された流れ作業のように診察する医師が大多数を占める今日では、こんな信頼関係はめったに築かれません。
その結果、医師たちは、妄想的で語るのをはばからない統合失調症の幻覚にしか接することができず、妄想的ではない私秘的な幻覚の存在には気づかないのです。
(面白いことに、わたしが自分の主治医に解離症状を打ち明けたのも知り合ってから10年くらい経ったころでした。しかもわたしの主治医は、一回の診察の30分以上時間を取ってくれる人でした)
サックスは、医師たちからほとんど気づかれず、当事者の心の中に秘められたままになっている、こうした妄想的でない幻覚について、多くの場合、当事者の助けになっている良性のものだ、と述べています。
一般的に統合失調症状としての幻覚の機能と型は現実の否定だが、マウント・カーメル病院の患者たちの幻覚は性質の良い想像の産物であり、宿命によって彼らから奪われた充実した幸福で健康な生活なのだ。
そこで、私は患者たちの幻覚を、彼らの健康、生きること、充実した生を送ることへの尽きない望みと理解することにした。想像や幻覚の世界の中でなら、彼らは今でも自由を楽しむことができ、人生の豊かさやドラマを目にする。
極端に過敏だったり、動く能力や社会的つながりを失う中で、彼らは幻覚を見ることで生き延びてきた。
そしてそのためにも、患者から豊かで良性の「生活」を幻覚で見たと聞く度に、私はその人を心から応援するのだ。ちょうど、彼らが生きるために行なうあらゆる創造的な努力を応援するように。(p381)
サックスのこの説明は、この記事で取り上げたような多種多様な幻覚、とりわけイマジナリーフレンドの幻覚にもそっくりそのまま当てはまると思います。
イマジナリーフレンドの多くは解離現象の一環として生まれますが、たいていは現実の生活で何らかの強いストレスを感じている場合に起こります。
解離とは、心を保護するための防衛機制ですから、解離によって生じる幻覚は、統合失調症のような病的なものではなく、「極端に過敏だったり、動く能力や社会的つながりを失う中で…幻覚を見ることで生き延び」ようとしている良性の適応なのです。
イマジナリーフレンドについての研究の多くは、当事者にとって幻覚が害になるのではなく、かえって支えとなっていることを示しているので、この解釈を裏づけています。
幻覚を体験する、というのは、多くの人にとって人生を変えるほどの劇的な体験だそうです。幻覚をきっかけに神を信じるようになって宗教に入る人もいますし、亡くなった人の幽霊に囚われてしまう人もいます。
そうであれば、幻覚を伴う空想の友だち現象も、人生に大きな影響を与えるのかもしれません。
今回おもに紹介した見てしまう人びと:幻覚の脳科学という本から読み取れるのは、無害な幻覚の場合であれば、多くの人はそれを楽しんでいる、ということです。シャルル・ボネ症候群の幻視を利用して詩人として開花した人までいます。
それで友好的なイマジナリーフレンドとしての幻覚が生じているとしたら、その不思議な感覚を受け入れて楽しんでしまうのが一番よいのかもしれません。むろんトラウマやストレスが関係している場合には、解離の専門的治療が必要でしょう。
もし解離による幻覚現象についてさらに詳しく知りたいなら、このオリヴァー・サックス先生の見てしまう人びと:幻覚の脳科学や、本文中でも紹介したわかりやすい「解離性障害」入門などを読んでみるようお勧めします。
このブログのイマジナリーフレンド関連の記事は、カテゴリ空想の友だち研究にまとめてあるので、よろしければほかの記事もご覧ください。
幻視とイマジナリーコンパニオンの関係については、こちらの記事で再考しています。