30万人の患者より1人の悲劇のヒロインが心を動かす理由

性疲労症候群の患者数はおよそ30万人、線維筋痛症の患者数はおよそ200万人と言われています。その患者数も関係して、新たな難病対策から漏れたとの報道があったのは、記憶に新しいところです。

ところで、「慢性疲労症候群の患者数はおよそ30万人で…」と医師や患者が述べるとき、病気の規模を伝えて、深刻さを認識してもらおう、という意図があるものと思います。統計を持ち出すことで、相手の心を動かそうと試みるのです。

しかし、お金と感情と意思決定の白熱教室: 楽しい行動経済学という本によると、それはまったくの逆効果かもしれません。この本が例に挙げているのは、ルワンダの大虐殺のニュースです。これは多くの人が殺されたショッキングで痛ましいニュースでしたが、当時のテレビ局は、それよりも一人の少女が井戸に落ちて救出されたニュースのほうを優先的に報道したのです。

多くの人の生死が関わる問題より、たった一人の悲劇のヒロインが注目を集めるのはなぜなのでしょうか。このときに働く心理学的な要因を、難病の患者が利用するにはどうしたらいいのでしょうか。

これはどんな本?

この本は、行動経済学のブームの火付け役、デューク大学教授のダン・アリエリーが、NHK白熱教室で語った全六回の内容を文字起こししたものです。

今回取り上げる心理学は本書のp89-100というほんの一部分で取り上げられている内容であり、本書にはほかにも面白い心理学的実験が山ほど載せられています。

大勢の命より一人の命

世界で起きた大災害や、世界規模の病気に対する寄付金の内訳を見てみると、非常に困惑するパラドックスが見られるといいます。

それは、被災者や患者の人数が少ないほど寄付金が多く、多いほど寄付金が少ないというのです。

たとえば、「マラウイでは食料不足で300万人以上の子どもが苦しんでいる」と言うより、「マリ共和国のロキアという女の子のために寄付をしてください」と言ったほうが、寄付が集まるのだといいます。

なぜこんなことが起こるのでしょうか。要因はいくつもあるかもしれません。たとえば、問題があまりに規模が大きいと、自分は「バケツの中の一滴」にしかなれないと感じ、無力に思ってしまうのかもしれません。

これは個人レベルだけの問題ではありません。先に述べたように、報道機関もまた、この傾向に従います。

ルワンダの大虐殺が起きているころ、アメリカのニュース専門放送局CNNは、ベビー・ジェシカが井戸に落ちて丸一日閉じ込められていた、という救出劇を優先して流しました。

別の場所では、数多くの人が死んでいるというのに、全米の注目や同情は、このたった一人の可憐な女の子に向けられたのです。以前の記事で、報道は視聴者の情報の利用可能性を高め、交通事故よりテロのほうが重大だと思わせるということを書きました。この場合も、それと同様の利用可能性ヒューリスティックが働いています。

まず、メディアは、利用可能性が高いニュース、つまり報道しやすいニュースをこぞって報道しました。それによって、視聴者は、ルワンダの大虐殺より、ベビー・ジェシカのニュースのほうをよく見聞きするようになりました。結果として、後者のほうが重大なことだと思えたのです。

しかし問題は利用可能性だけではないでしょう。大勢の生死が関わる問題より、一人の悲劇のヒロインのニュースが人口に膾炙するのはなぜでしょうか。

「統計とは、涙が渇いた人間である」

この問題のポイントについて、ダン・アリエリーはこう述べています。

私が言いたいのは、物事を統計的に、数字の問題として捉えた途端、私たちの感情のスイッチは切れてしまうということだ。(p94)

ヨシフ・スターリンもこう述べたと言われています。

一人の死は悲劇だ。しかし100万人の死は統計上の数字に過ぎない。(p94)

たとえば「八人全員が助けを必要としています」と掲げた場合と、「八人のうち、この子にお金をわたします」と伝えた場合とでは、後者のほうが寄付金が多くなるという実験もあるそうです。

命の価値は、人数が増えるごとに積み重なっていくと考えるのが普通に思えますが、実際には違うのです。命の価値はただ一人のときが最も高く、人数が増えるにしたがって減少していくのです。これは、普通なら一人の人を殺すことに非常に抵抗を感じる一般市民が、いざ集団虐殺がはじまると容易に加担してしまう心理でもあります。

それで、ダン・アリエリーはこうアドバイスしています。病名の周知に気を使っている人などは、肝に銘じるべき助言です。

仮に君たちが慈善団体で働いていて、より多くの寄付金を集めようとした場合、つい問題の大きさを強調したくなるだろう。でも実際は、大きな問題は人々の感情のスイッチを切ってしまい、単なる統計的な数字に過ぎないと思わせてしまう。つまり逆効果なのだ。(p96)

たとえば、最初に挙げた慢性疲労症候群や線維筋痛症のアピールをしたいと思う場合はどうでしょうか。

「全国で30万人もの人が苦しんでいる慢性疲労症候群という病気があります。これはとても深刻な難病です」と訴えても、ほとんどだれも見向きもしないかもしれません。

統計ではなく、だれか一人のエピソードを持ち出すべきです。

「学校に行けない。ベッドからも起きられない…。14歳のあかねちゃんは、慢性疲労症候群という難病と闘っています」というメッセージに、効果的な顔写真をつけるほうが感情に訴えるということになるでしょう。

では、両者の組み合わせはどうなのでしょうか。「14歳のあかねちゃんは…(中略)…慢性疲労症候群という難病を発症したのです。慢性疲労症候群は全国で30万人もいます」

実は、これもまた逆効果だといいます。統計的数字だけを挙げた場合ほど低くはないにせよ、寄付額は減ってしまうのだそうです。人はいったん論理的に考え始めると感情のスイッチが切れてしまうのです。

(あかねちゃんは特定の実在する人ではなく、この記事のために考えた例にすぎません)

考え方を変えるのは個々のエピソード

ここで、ファスト&スロー (上)という本から、関連する興味深い事例を紹介したいと思います。

ミシガン大学のニスベットとボージダは「人助け実験」という実験をしました。

参加者は個別のブースに入り、おのおの自分の悩みをみんなに聞こえるように放送します。その途中、ある人が放送中に、喘息を持っていることを明かし、ひどい発作が起こったように見せかけます。このとき、ほかの人たちは、その人を助けに行くでしょうか。あなたならどうしますか。

実際には15名の参加者のうち、助けに行ったのはたった4人でした。ほんの27%です。助けを求める声を聞いた人がほかにもいることを考えると、人は助けに行く責任を感じないのだそうです。

これはとても興味深い実験ですが、ポイントはこの次です。

学生に、この実験の統計的事実(27%しか助けに行かないこと)を教えた後で、あるビデオを見せます。感じのよい二人が何やらしゃべっているビデオです。そしてこの二人は、さきほどの実験の参加者だと伝えます。その上でこう訪ねます。「この二人がすぐさま助けに行った確率はどれくらいだろうか」

さきほどの実験からすると、助けに行った確率は27%で、それを基準にして考えるべきです。しかし、学生たちは、「あんな感じのよい人たちは、すぐさま助けに行ったにちがいない」という考えを頑として変えようとしませんでした。統計的事実は、学生の考え方を変えなかったのです。

しかし逆に、別の学生たちにこんな実験をしました。人助け実験の概要を伝えながらも、統計的事実の結果は知らせず、先に、感じのよい二人がしゃべっているビデオを見せます。そして、この二人は助けに行かなかったのだ、と伝えます。そこから実験結果の統計を推定してもらうと、学生たちは極めて正確な数字を算出したのです。

このことは次のような事実を示しています。

学生には、驚くべき統計的事実を示しても、何も学ばない。だが驚くべき事例(あんなに感じのよい二人が助けに行かなかった)には反応し、ただちにそれを一般化して、人助けは自分たちが考えていたより難しいのだと推論することができた。

ニスベットとボージダは、この結果を印象的な表現でまとめている。

「被験者は全体から個を推論することには不熱心だが、まさにそれと釣り合うように、個から全体を推論することには熱心である」(p256)

つまり、ここまでで論じてきたことと同じです。統計は心に訴えないのです。心を動かすのは個々のエピソードにほかなりません。

30万人の難病患者という事実より、たった一人の難病患者のあかねちゃんなのです。

アメリカがん協会の取り組み

アメリカがん協会は、このような心理学的なパラドックスをよく知った上で、効果的な寄付集めをしているといいます。

たとえば、感情に訴えるCMを流しています。手術であけた首の穴から喫煙する女性など、ある一人の患者をクローズアップしたCMです。

統計を持ち出すのではなく「がん生存者」という感情に訴える言葉を用いています。

がんになった有名人を起用しています。有名人が病気をアピールすると、その人のファンはもちろん、ちょっと名前を知っていたという人でさえ、関心を持つのです。これは利用可能性ヒューリスティックをうまく活用しているといえます。有名人の名前はよく聞くので、親しみを感じるのです。

有名人が広告塔になって寄付集めをしている団体というと、マイケル・J・フォックスのパーキンソン病団体も思い浮かびますが、同様の成果を挙げています。

さらに、支援者一人につき、被支援者一人を割り当てている団体もあります。寄付をすると、自分の支援している子どもから手紙が来たりして、絆が強まるのです。動物支援団体でそうした取組をしているところもあります。

いろいろな方法はありますが、ポイントは感情を動かすことです。そして、多くの患者ではなく、有名人や悲劇のヒロインなど、一人の患者に注目させることです。

もちろん、残念なことですが、こうした手法を用いた詐欺も存在するので、気をつけたいところです。

 

ところで、このブログはどうなのでしょうか。

基本的にこのブログの内容は、統計的数字などを書いている場合が多いと思います。個々の事例も見つけたら収録していますが、微々たるものです。感情に訴えるコンテンツは非常に少ないといえるでしょう。

しかしこのブログの目的は、感情に訴えて人を動かすことではなく、論理的な情報をまとめることです。情報の信ぴょう性を高めたり、論理的に考えてもらったりするためには、やはり統計的な手法が不可欠です。

この記事では、統計を使わないほうがよい場合について考えてきましたが、すべての場合にそうではないのです。

感情を動かしたいなら、個々のエピソードを用い、論理的に考えさせたいなら、統計を用いるべきです。後者の例はテロリストが活用している利用可能性カスケードで述べました。

場面によって、これらを効果的に使い分けるなら、情報をうまく役立てることができるでしょう。