難病や試練を乗り越える人の共通点は「統御感」ー「コップに水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか」

劇的な寛解をした人々は、治療を自分で選ぶため医師のやり方に楯突くことも厭わなかったと指摘する研究報告もあります。

…こうした研究からわかったのは、がんを寛解させた人々は、自ら積極的に動いて治療法を選び取ってきたということでした。(p73)

れは、がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと という本に載せられている、がんが寛解した人たちを統計的に分析したデータの一つです。

さまざまな研究からすると、難病をはじめ、極めて困難な試練を克服し、命の危機から奇跡の生還を遂げる人たちは、ある共通の特徴を持っていることが明らかになってきました。

そしてその特徴は、遺伝によって生まれつき決まっている性格のようなものではなく、だれもが意識して身につけられるものであるといいます。

その特徴は、「統御感」と呼ばれています。「統御感」とは何でしょうか。それがどうして、危機的状況で活路を見いだすのに役立つのでしょうか。幾つかの本から調べてみましょう。

これはどんな本?

今回扱う本は、おもに以下の4冊です。

がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと は、がん患者の劇的寛解の事例を科学的に分析した本で、末期の病気から生還する人の特徴が書かれています。

奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころ は、航空事故などからの奇跡の生還を分析した本で、危機的状況でもパニックにならず、冷静に対処できる人の特徴がまとめてあります。

ポジティブ心理学の挑戦 “幸福”から“持続的幸福”へ は、「無力感」がさまざまな病気を悪化させ、「統御感」が回復を助けるという心理学の現象を発見した、マーティン・セリグマン博士の本です。

脳科学は人格を変えられるか? は、悲観主義と楽観主義がそれぞれどのような脳の機能によって生じているかを分析した脳科学の本です。

最も危険なのは「受け身」と「無力感」

「統御感」の益について考える前に、まずその正反対の特質について考えましょう。

つまり、難病や命の危険に遭遇したとき、そこから生還することができず、人生を台なしにしてしまう人たちの2つの特徴です。

1.過剰に「受け身」で主張しない

脳科学は人格を変えられるか? から一つのエピソードを引用したいと思います。

末期の肝臓がんと診断され余命数ヶ月と宣告されたある患者の例を引こう。

余命わずかと告げられたその患者はがっくり気落ちし、みるみる体力を失い、宣告された余命するまっとうせずに命を落とした―が、その死後、医師の診断が誤っていたという事実が判明した。

患者はがんにかかってなどいなかった。彼は「自分はがんで死ぬ」と信じたせいで亡くなった。死ぬという思い込みがあまりにも強かったために、それはほんとうに死を引き起こしてしまったのだ。(p53)

この患者は、病気だと告げられたとき、「がっくり気落ち」しました。その影響は、本来健康であったはずの肉体にまでおよび、ありえないはずの死をさえ招いてしまったのです。

これは極端な例ですが、この種の性格特性は、試練のもとで屈してしまうリスクを増大させます。

最初に引用した がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと にはこう書かれています。

過剰に受け身で、主張をせず、いつも他人の顔色をうかがう八方美人。

そしてそういったC型性格の人には、がんにかかりやすく、免疫力が弱い傾向がある、という報告が登場したのです。(p72)

受け身で自己主張に乏しく、周囲に同調する性格は「C型性格」と呼ばれ、分類されています。そのような性格がさまざまな病気と関連がある、といえる多くの根拠があります。

このブログでは、過去に「過剰同調性」について考えました。他人の顔色を伺い、常に周りに自分を合わせて生きてきたような人たちは、心身の疲労や痛みといった問題を抱えやすいのです。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か
空気を読みすぎる、気を遣いすぎる、周囲に自分を合わせすぎる、そのような「過剰同調性」のため疲れ果ててしまう人がいます。「よい子」の生活は慢性疲労症候群や線維筋痛症の素因にもなると言

2.何をやっても無駄だという「無力感」

さらに、同じ本は、より踏み込んだ性格特性について言及します。

一方、「C型性格」よりさらにがんとの関連が強い性格があるという新たな研究報告も出てきています。

それは「無力感を抱く」という性格傾向です。「無力感」は人の免疫力を弱め、がん患者の余命を縮める作用があるというのです。(p72)

この「無力感」とは、このブログで繰り返し取り上げてきた、1960年代にマーティン・セリグマン、スティーブ・マイヤー、ブルース・オーバーマイヤーら3人の学者が発見した「学習性無力感」と関係があります。

彼らが発見したところによると、犬、ラット、マウス、そしてゴキブリまでもが、自らの力ではどうすることもできない状況に陥ると受動的になり、困難に対処することをあきらめてしまう、ということがわかりました。

もちろん人も同様です。ドナルド・ヒロトらは、人間の「学習性無力感」を確かめる実験を行いました。

簡単に説明すると、実験参加者は、大きな騒音にさらされます。そして目の前のボタンを押せば、騒音が止むことを教えられます。しかし、そのボタンをいくら押しても、騒音はなりやみません。

そのような経験をした人たちを、もう一度、同じような状況に置くと、今度は、そもそもボタンを押そうともしなくなります。これまで無理だったから今回も無理に違いないと思い込んで、ただ騒音に甘んじ、行動しなくなったのです。

じっと苦痛に耐え、我慢することは、文化によっては美徳とされることもあります。たとえば、日本では、「いさぎよい」「忍耐強い」「辛抱強い」といって賞賛されることもあります。

しかし「受け身」になって「無力感」を抱いている人たちは、病気のリスクが高いことはすでに見たとおりです。何をやっても無駄だという「無力感」のため、病気ではないのに死んだ人さえいるのです。

「学習性無力感」について詳しくはこちらをご覧ください。

どんな辛い状況でも良いことを見つける真の楽観主義者になるためのポジティブ心理学
病気や死を招く「学習性無力感」とは何でしょうか。それを克服し、問題を乗り越えるのに必要な「学習性楽観」を身につけるにはどうすればいいでしょうか。ポジティブ心理学の第一人者マーティン

危機を乗り越える「統御感」

一方で、ポジティブ心理学の挑戦 “幸福”から“持続的幸福”へ によると、マーティン・セリグマンらは、「学習性無力感」の実験で、興味深い現象に遭遇しました。こう振り返ります。

ここまでの学習性無力感に関する私の説明に、一つ重要な事実をつけ加えなければならない。

人間に対して逃避不可能な騒音を与えたとき、あるいは動物に対して逃避不可能なショックを与えたとき、すべての人間や動物が無力になったわけではなかった。

規則性をもって、およそ3分の1の人(3分の1のラットと3分の1の犬も)が決して無力にならなかった。(p341)

この記述は「学習性無力感」に陥らない人間や動物がいたことを示しています。つまり、どれだけうまくいかない経験が続いても、決してあきらめようとしない人と動物がいたのです。

そのような人たちがあきらめず、困難な状況のもとでも楽観的でいられる理由は何でしょうか。

それこそが「統御感」です。どういうことでしょうか。

人生の舵は自分が握っている

マーティン・セリグマンは、「無力感」の対義語として「統御感」という言葉をたびたび用いています。「統御感」というのは、物事を自分でコントロールできるという感覚のことを意味しています。人生の舵は自分が握っているのだという強い意志です。

同じ状況に直面しても、「無力感」を持っているか「統御感」を持っているかで感じ方や行動は大きく変わっています。脳科学は人格を変えられるか?の中の次のわかりやすいたとえに注目してください。

猛スピードで走る自転車の後ろの荷台や、横滑りしている車の助手席に座っているときの恐怖を思い浮かべてほしい。

もし自分が運転をしていれば、恐怖心はいくらかなりとも緩和されるはずだ。

それは自分が状況を制御しているという感覚が、自信を与えてくれるからだ。(p282)

「無力感」を抱く人は、人生という車が暴走したとき、自分は助手席に座っているので何もできない、と考えます。

いっぽう、「統御感」を抱く人は、同じように人生が暴走している状況でも、自分はハンドルを握っているので、きっと何とかできると考えています。

奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころという本には「統御感」の特徴について、さらにこう書かれています。

危急の際に率先して行動したがるかどうかについては、個人差がある。

一貫して行動的なのは、よい結果を想像しがちな楽観主義者たち、人との交際を好む外交的性格の人たち、それに「どんな状況に置かれてても、自分なら何とか結果を出せるだろう」と考える、「内的統制」というタイプの人たちだ。(p224)

「内的統制」とは「統御感」に似た概念で、内側から、つまり自分の行動によって、物事を変化させられるという感覚のことをいいます。反対に、外部の物事によって自分がコントロールされ、自分ではどうしようもないと考える人たちは「外的統制」と呼ばれています。

記述はこう続きます。

また、内的統制と関連する概念に自己効力感というものもあるが、これは「自分なら何か課題を出されてもこなせるだろう」という信念のことをいう。

これらの性格特性を持つ人々は、置かれた状況をひっくり返すチャンスに気づきやすいし、有効活用しやすい。(p224)

「内的統制」の高い人とは、すなわち、試練という課題が降りかかってきても、自分なら乗り越えられると考え、置かれた状況をひっくり返すチャンスをうかがっている、あきらめない人たちなのです。あくまでハンドルは自分が握っていると感じているからです。

「蛇口はどこですか?」

このような人たちは、単に考え方が「ポジティブ思考」なのでしょうか。「前向きな考え方」の持ち主なのでしょうか。そうではありません。

一般に、ポジティブ・シンキングとは、コップに半分入った水を見て、「もう半分しかない」と考えるのではなく「まだ半分もある」と考えることだといわれています。しかし、それは、現実の捉え方を変えて、自分をなだめているだけに過ぎません。

むしろ、「内的統制」の高い人たちの考え方は、次のようなものだと説明されています。

コップの水を見て「まだ半分ある」と思うのではなく、「蛇口はどこですか?」と質問する人たちだ。(p224)

彼らは単に「考える」人ではなく、積極的に「行動する」人です。現実から目をそらす白昼夢にふけって時間を浪費するような人ではなく、問題を解決するため、実際的な解決策をすぐに探し始める人なのです。

脳科学は人格を変えられるか? もこう述べています。

楽観的な気質とはいわば、未来に真の希望を抱くことだ。

それは「ものごとは必ず打開できる」という信念であり、「どんなことがあってもかならず対処できる」という揺るがぬ思いだ。

単なる脳天気とはまるで違う。楽天的な人は、自分の身に悪いことが起こらないと思っているのではない。

悪いことは起きるかもしれないが、起きても必ず対処できる、と彼らは強く信じているのだ。(p22)

「内的統制」という概念は、行き過ぎると、完璧主義に陥るとも言われています。自分の身の回りのあらゆることを自分でコントロールしたいと思うためでしょう。

しかしここで扱っている「統御感」は何もかも自分でコントロールできるという思い込みではなく、どんな状況でも何かしらできることがある、という楽観的な見方を指しています。

同時に、その楽観的な見方とは、能天気に構えることではありません。その楽観的態度は、悪いことが生じても、何かしら必ずやれることはある、という確信に裏打ちされたものです。

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「統御感」の有無は生死をさえ分ける

自分の人生を自分でコントロールしている、という感覚があるかどうかは、病気や障害の予後と関係しているだけでなく、人の生死をも分けます。

脳科学は人格を変えられるか? によると、ニューヨーク市立大学の心理学者、ジュディス・ローディンとエレン・ライガーは、介護施設の住民を2つのグループに分けました。

2階の入居者は、決められた植物を与えられ、水やりもスタッフが行い、決められた曜日に映画を見に行くようにされました。

4階の住民は、好きな植物を選び、自分で水やりをし、好きな曜日に映画を見に行けました。

1年半後、それらの人たちはどうなっていたてしょうか。

18ヶ月後にローディンとランガーはふたたび施設を訪れた。結果は驚くべきものだった。

四階の住民が二階に比べて幸福度や健康度が高かったのはともかく、両階の差は死亡率にまで及んでいたのだ。二階の住民の死亡者数は四階の住民のじつに二倍にのぼった。

状況をコントロールする自由を手にしていた人々はそうでない人々に比べ、長生きをしていたわけだ。コントロールの有無によって余命にこれほど大きな差が出るとは、だれも予想すらしていなかった。(p283-284)

2階の入居者は4階の入居者より健康状態が悪く、2階の入居者の死亡者数は4階の二倍でした。状況をコントロールしているという「統御感」があるかどうかが生死をさえ分けたのです。

強制収容所を生き延びる

「統御感」は、より絶望的な状況で生死を分けるものともなっています。人生において、最も絶望的な状況とは何でしょうか。

愛する我が子を失うことでしょうか。雪山や海上で遭難し、孤立無援に陥ることでしょうか。ポリオになって鉄の肺に入れられることでしょうか。四肢麻痺で身動き一つとれなくなることでしょうか。

いずれの場合も、非常に恐ろしく、困難で、激しい苦痛を伴うものですが、ここではナチスの強制収容所の例をとりあげましょう。

有名な夜と霧の作者ヴィクトール・E・フランクルは、強制収容所という過酷な環境で、尊厳を保ち、生き延びることができた人についてこう述べています。

人は強制収容所に人間をぶち込んですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。(p.110)

彼は明らかに「内的統制」の高い人でした。人類史上最も過酷な環境の一つに置かれても、「自分にはなにかできることがある」という信念を捨てなかったのです。

すべてのものが奪われ、あらゆる自由が縛られた環境でさえ、自分のふるまいは自分でコントロールするのだ、という強い意志を保ち続けました。

強制収容所を生き延びたわずかな人たちは、「統御感」が強かったので、困難な状況でも自分の人生をコントロールし、人としての尊厳を失わず、「無力感」に屈さなかったのです。

脳の配線を組み替える

統御感の有無が、これほど人の人生を左右するという事実は、統御感が単なる精神面での態度、つまり気の持ちようといったものではないことを示唆しています。

視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書) の中で、神経生物学者のスーザン・バリーは、自己統御の有無が、脳卒中の後遺症のリハビリの予後にも影響することを述べています。

同じことが、外傷そのほかの身体的な問題から回復した人についても一般的に言える。

アラバマ大学のエドワード・タウブら研究チームは、リハビリにいちばん前向きに取り組む患者が、脳卒中からの回復もいちばん早いことを発見した。

そうした患者は、弱った手足を日常の作業においていかに使うか計画をたて、行動日誌をつけ、問題が浮上するたびに解決していった。

患者たちは自分の力で病気を直す必要があったのだ。(p217)

ここに出てくる脳卒中の患者たちは、単に前向き、つまりポジティブであっただけでなく、常に自分にできることを探し、熱心に取り組みました。間違いなく、「コップに水が半分もある」と考える人ではなく、「蛇口はどこですか?」と探し回る人たちでした。

そして、そうした態度を示す人たちは、脳卒中の後遺症からさえ、回復していくことができました。それはすなわち、統御感に基づく行動が、患者たちの脳を組み換え、新しい回路を作っていったことを意味しています。

統御感が脳を組み替えるなんて本当でしょうか? 

興味深いことに、スーザン・バリーは、ある動物の実験を引き合いに出しています。

たとえばメンフクロウは、ふたつの目を使って林床の小さなネズミを見つけだして捕獲する。ところが、科学者がその目にプリズムをかけると知覚が混乱する。目はネズミがこの場所にいると告げているのに、耳は別の場所にいると告げるからだ。

幼鳥は自動的に脳の配線を変えて、視覚と聴覚の不整合に対処する。たとえ、かごのなかで餌を与えられていても、狩りで食料を得ざるをえない状況であっても、同じようにこの配線の変化は生じる。

成鳥の場合、かごのなかで餌を与えられていると、変化は生じない。

ところが、その成鳥が狩りを強いられると、プリズムで変えられた脳の視空間地図に合うように、聴空間地図を調整する。(p218)

フクロウの視覚を混乱させ、目で見たことと耳で聞くこととが一致しないような状態を作りだすと、幼いフクロウは、それに適応して、うまく脳を組み替えることができます。

同様に、人間も、幼い子どもの時期に障害を負った場合、ある程度それに適応して成長していきます。生まれたときから耳が聞こえない子どもや、目が見えない子どもは、そうした世界に適応して生きるすべを身に着けていきます。

しかし、大人の場合、そこまで脳の柔軟な可塑性がないので、病気や障害に直面したとき、うまく適応できず、絶望してしまいます。それが、この記事で考えているような、試練や病気に直面した人たちの置かれている状態です。

フクロウの場合も同様で、大人になってから、突如として視覚が混乱させられると、幼鳥のようにすぐさまそれに適応することはできません。

しかし、決して適応できないわけでもありません。大人のフクロウが突然の障害を乗り越えられるかどうかを分けたのは、ただひとつの要素、つまりかごの中で餌を与えられているか、そうでないか、ということだったのです。

かごの中に閉じ込められ、ずっと餌を与えられているフクロウは、視覚の混乱から回復できませんでした。それはあたかも、前述した介護施設の二階の住民たちのようです。すべて決められた中で生活していた住民は、次第に弱って死んでしまいました。

他方、自分で餌を捕るよう強いられたフクロウたちは、成鳥であるにもかかわらず、幼鳥のように脳を組み替えていくことができました。自分でやりたいことを選べた介護施設の四階の住民たちが、健康を保っていられたのと同じです。

両者を分けたのは、自分はかごの中にいて、できることが何もないという「無力感」を抱いているか、それとも、制限がある中でも、自分には何かしらできる自由があるという「統御感」を抱いているかの違いでした。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアのによれば、これと同様の実験は人間やネコでも行われています。

リチャード・ヘルドとアラン・ハインは、「スペリーの原則」に刺激を受け、すべてが上下逆さまに見える特殊なプリズム眼鏡を成人被験者に装着させるという、一連の驚くべき実験を行った。

しばらく経つと(通常1~2週間)、積極的に動き回り環境に触って操作することを許された被験者の脳は適応し、実質的に再び正しい側を上にして環境を見ることができた。

しかし、動き回って探索することを許されなかった被験者では、視覚の正常化が見られなかった。(p158)

人間の大人を対象にしたこの実験でも、やはり要点は同じです。脳が新たな環境に適応し、柔軟に組み変わるかどうかは、「積極的に動き回り環境に触って操作する」かどうか、言い換えれば「蛇口はどこですか」と探し回るかどうかにかかっていたのです。

別の実験では、生まれたばかりの子ネコを自発的に動き回らせるか、逆に無理やり引き回して動かせるかして、それぞれの違いを観察しました。

両群とも囲いの中を動き回って厳密に同じ視覚体験をした。

しかし、環境を主体的に探索することなく、受動的に引き回された子ネコは、のちに視覚を運動の手がかりとして用いることができなかった。

足を適切な位置に置くことも、落ちそうな場所から逃げることもできなかった。

この障害は、環境を探索しながら自発的に動き回れるようにすると、すみやかに正常に戻った。(p159)

ここでもやはり要点は同じです。たとえ同じ経験をしたとしても、自発的に行動した場合は脳が変化するのに対し、無理やり受動的に行動させられた場合は脳は適応しないのです。しかし、受け身の態度を改めれば、脳は変わっていくことができます。

「統御感」を抱いている人たちは、介護施設で生き残り、強制収容所を生き延び、脳卒中のリハビリを成功させ、上下逆さまの眼鏡にも適応しました。はたまたフクロウの成鳥やネコでさえ、自分から動き回った場合には、脳を組み替えて新しい状況に適応していきました。

「コップにまだ水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか?」という態度、つまり単なる能天気ではなく具体的な行動が伴った統御感は、脳を刺激し、新しい環境に適応して変化していくよう促すからこそ、試練や病気を乗り越えるカギとなるのです。

「統御感」は強められる

ここまで考えてきた、試練に屈しない性質「統御感」は、生まれつきのものなのでしょうか。一部の限られた不屈の人のみの特権なのでしょうか。

確かに「統御感」には、遺伝的な性格特性、生まれ育った環境などが関係していると思われますが、決して後から身につけることのできないものではありません。

自分を大きく変化させた人々

がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと には、こんな話が書かれています。

最後にもう一つ、興味深い性格傾向についての調査を紹介しましょう。

劇的に寛解した患者群と、統計的にみて命に別状のない状態から寛解したがん患者群との比較です。

意外なことに、最初の診断時には、劇的寛解のグループの性格は、命に別状のなかったグループよりも、「受け身」の傾向がありました。

しかしがんが寛解した時点でくらべると、劇的寛解の人々のほうが、より「受け身ではない」性格になっていたのです。

つまり「受け身」であることをやめ、自分を大きく変化させた人々が、自分を劇的な寛解にもっていくことのできた人々だったと言っていいでしょう。(p74)

がんから劇的な寛解を遂げ、奇跡の生還を成功させた人たちは、もともと「統御感」が強かったわけではないのです。

むしろ、苦境のもとで、「受け身」で「無力感」を抱いている状態から、「統御感」の強い楽観へと、自分を変化させたので、危機的状況に打ち勝つことができました。

このような変化には何が関係しているのでしょうか。関係する要素は、いろいろとあるでしょうが、ここでは4つの点を考えましょう。

1.責任をもって自分で選択し、決定する

一つ目は、責任をもって決定することにより、人生の舵を取ることです。

冒頭で引用したように、「統御感」の強い人は、治療法を自分で選びます。これは、専門家の助言を受け入れない浅はかな患者になるという意味ではありません。

むしろ、専門家以上に、自分自身の病気について徹底的に調査し、分析します。自分が置かれた状況をよく理解し、その上で自分に合った治療法を選ぶわけです。

このような考え方は、セカンド・オピニオンやインフォームド・コンセントとして、新しい時代の医療に必須のものとされています。ただ一人の医師の意見に無批判に従うのではなく、多くの医療の中から、自分に最適なものを選ぶのです。

「統御感」の強い人は、自分の人生に責任を持っていて、決して人任せにはしません。自分の決定の結果、良い結果になるとしても、悪い結果になるとしても、その責任をきっちり取ることをわきまえています。

2.自己コントロールを働かせる

2つ目は、理性を働かせることです。脳科学は人格を変えられるか? によると、「学習性無力感」を発見した3人の1人であるスティーブ・マイヤーは、「統御感」のおおもとは、脳の前頭前野の働きにあることを発見しました。(p282)

前頭前野は、自己コントロールをつかさどる部分で、感情や衝動を抑えたり、未来を計画したり、行動を決定したりするのに関わっています。

ふだんから自制心を働かせ、自分の生き方や話し方をコントロールするようにすると、前頭前野の機能は強くなります。強制収容所を生き延びた囚人たちは、少しでも顔を洗い、清潔にするなど、日常的な行為を続けることで、尊厳を保ちました。

日々の生活で、自分の言動をコントロールする方法については、以下のような記事で扱いました。

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あなたは、ささいな言葉に傷ついてしまう「拒絶感受性」(RS)の強い人ですか? この記事では傷つきやすさに関する研究や対処法、ADHDや境界性パーソナリティ障害との関係について扱って

3.他の人と積極的に関わる

3つ目に考えるのは、前頭前野の働きというのは、だれかと会話することでも強められるということです。

孤独は病気や苦痛への耐性を弱める大きな要因であり、強制収容所を乗り越えたフランクルのような人たちは、他の受刑者との会話が大きな力になったといいます。

危機的状況に陥り、さらにだれも話し相手がいないとき、脳は自己コントロール能力を保てるよう、見えない存在との会話を促すことさえあり、遭難事故などのサードマン現象として知られています。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアにはこう書かれています。

社会的つながりのシステム(社会的交流システム)は本質的に自己鎮静的であるため、自己の生体が交感神経興奮系に「乗っ取られる」ことやもっと原始的な緊急シャットダウン系によって凍りついて降伏することに対する生来の防衛である。(p115)

南カリフォルニア大学でのいわゆる90+研究は1981年に開始された。65歳以上の被験者14000名が参加し、1000名以上が90歳以上であった。

上級調査員のカワス博士は、「見知らぬ人とも日常的に交流すると、パズルを解くのと同程度の脳力がたやすく用いられる。ゆえに、このことがすべての理由であるとしても驚くにあたらない」と結論づけている。(p116)

仲間がいると恐怖が鎮まること、つまり他者との会話や触れ合いが前頭前野の機能を強め、恐怖を抑制することについてはこちらをご覧ください。

脳は絶望的状況で空想の他者を創り出す―サードマン,イマジナリーフレンド,愛する故人との対話
絶望的状況でサードマンに導かれ奇跡の生還を遂げる人、孤独な環境でイマジナリーフレンドと出会い勇気を得る子ども、亡くなった愛する故人と想像上の対話をして慰めを得る家族…。これらの現象

4.信念に基づく希望を持つ

最後に、夜と霧には、自殺しようとしていた二人の人に関して、希望の果たした役割が書かれています。彼らは、もう何の希望もないと感じていましたが、フランクルとの話し合いから、愛する子どもやかけがえのない仕事のことを思い出します。

二人は愛する子どもと再会したい、仕事をいつかやりとげたいという希望を抱き、自殺を思いとどまりました。

また、強制収容所の生活について書いた別の本、イタリアの作家ブリーモ・レーヴィによるアウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書) (原題は「これが人間か」)について、脳科学者のエレーヌ・フォックスはこう述べます。

レーヴィの物語は徐々に、逆境をくぐりぬけた他の多くの人の体験と響きあう希望の物語として展開していく。

この種の楽観主義は、たとえば神のような至高の存在を信じる気持ちや、それにともなう「どこかにより良い生活がかならずある」という思いから生まれることもある。

あるいは、人間の善性を信じる深い思いから生まれることもある。(p25)

レーヴィ自身が、もともと「統御感」の強いタイプだったかどうかはわかりません。しかし、「人生への愛にあふれた力強い人々」との関わりを通して、彼は変わっていったとされています。

すでに述べたように「統御感」とは、現実から目を背け、自分をあざむくポジティブな希望的観測から生じるわけではありません。そのような希望は、簡単についえてしまいます。

しかし、何かの確固たる信念をもとに希望を持っているとしたら、それは非常に困難な状況のもとでも、理性を失わず、自分の人生の手綱を握り続ける助けになります。

なぜなら、将来に明るい希望があるという確信は、今どれほど苦しい状況にあるとしても、人生のコントロールは依然として失われておらず、最終的にはハッピーエンドになる、ということを意味しているからです。

こうした信念は、過去に自分は問題を乗り越えられたのだから、今回も乗り越えられるに違いない、という経験によっても強められます。

証拠に基づいて学習する楽観主義についてはこちらの記事で考えました。

なぜマイケル・J・フォックスは若年性パーキンソン病になっても絶望しなかったのか―ポジティブシンキングのうそ
俳優マイケル・J・フォックスは29歳という若さでパーキンソン病になっても絶望しませんでした。彼の楽観主義の秘訣を「脳科学は人格を変えられるか」という本から紹介します。カギとなるのは

「統御感」を強めて試練を乗り越える

ここまで考えたことをまとめてみましょう。

「無力感」―苦しい状況に屈する人の特徴

■過剰に「受け身」で自分から行動しない
■主張に乏しく、他の人の顔色を見て意見を変える
■自分は助手席にいるので、何をやっても無駄だと感じる
■がっかりし、気落ちし、あきらめている

「統御感」―苦しい状況を乗り越える人の特徴

■どんな状況でも「自分にできることがある」と考えて行動に移す
■「コップに水が半分もある」と考えるのではなく「蛇口はどこですか?」と尋ねる
■人生のハンドルを握り、責任をもって自分で選び、自分で決定する
■確固たる信念に基づく希望を持っている

どちらの人になるかは自分次第です。

今、辛く苦しい状況のただ中にいる人たちにとっては、行動を起こしたり、自分で決定したり、というのはなかなか難しく思えることでしょう。

「無力感」を抱いていた人が、突然、「統御感」のある人に変われるわけではありません。

突然変化しようとすると、かえって問題を招くかもしれません。たとえば、これまで「受け身」だった人が、突然あわてていろいろな決定を下すようになると、取り返しのつかない愚かな決定をしてしまうかもしれません。

「統御感」を強めて、どんな状況でも自分の人生をコントロールすることは、一朝一夕で身につくものではなく、日々の習慣に積み重ねです。あくまで、徐々に自分の態度を変えていくことが大切です。

もし自分が、「無力感」という駅へと走り続ける特急列車に乗っていることがわかったなら、すぐ次の駅で降りて、反対側へ向かう列車に乗り換えることができます。乗り換えても、すぐ「統御感」という駅には着きません。しかし方向性は変わります。

先ほど、脳卒中の患者やフクロウの経験などを引用した視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書) の中で、スーザン・バリーは、その乗り換えについてこう書いています。

おとなの場合は、自分が何をどんな目的でやっているのか、はっきり認識したときに最も成果をあげられる。

いままでずっと続けてきた世界との関わりかた、すなわち習慣を変えるには、とほうもない自覚と集中を要するのだ。

幸いにも、ふつうは、こうした高度な集中がいつまでも求められることはない。より効率的により多くの情報を得られるやりかたがひとたび身につけば、あらたな習慣がこれまでの習慣に置きかわってくれる。(p216)

自分が「無力感」という電車に乗っていることに気づき、そこから出て反対方面の「統御感」に乗り換えるには、「とほうもない自覚と集中」を要します。そこが一番大変です。しかし乗り換えに成功したなら、そこから降りない限り、目的地へと刻一刻近づいていくことができます。

今回引用した四冊の本などを参考にしつつ、少しずつ自分の見方、考え方、価値観などを調整するなら、やがて、苦境のもとでも自分をコントロールできる「統御感」が強まるのではないでしょうか。