この記事は解離と慢性疲労について考えた以下の記事の5つ目の補足ですが、単独記事としても読めるよう構成してあります。
本文では、解離と不動状態というキーワードを考慮することによって、不登校や小児型慢性疲労症候群の奇妙なさまざまな症状を、筋道立てて説明できることを示しました。
たとえば、小児型慢性疲労症候群の子どもたちが、「不登校になった理由を説明できない」のは、それが心理的な問題ではなく、慢性的な拘束ストレスによって、からだに叩き込まれた手続き記憶による不動状態だから、と分析しました。
この補足5では、不登校・小児型慢性疲労症候群の子どもたちが経験する矛盾した葛藤について、掘り下げて考えたいと思います。
その矛盾した葛藤とは、三池輝久先生が、学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている (講談社プラスアルファ新書)の中で紹介している次のような状態です。
そのような女子学生が一人、私の外来を訪れた。友人もできて学校は面白い、勉強もしっかりとついていける。喜びに目を輝かせて私に報告してくれたのは一学期の終わり。
ところが二学期がはじまりなぜか学校から足が遠のきはじめる。本人はどうしても行きたいという気持ちが強い。学校は嫌いではない。
「なぜだろう、先生なぜ私は学校へ行けないのでしょうか。こんなに行きたいのに」と涙ながらに訴えるが私にもわからない。(p145)
「どうしても行きたいという気持ちが強い」「学校は嫌いではない」。
それなのに「なぜ私は学校へ行けないのでしょうか。こんなに行きたいのに」と涙ながらに訴える。
わたしも経験しましたが、これは不登校状態の最も悲痛な体験のひとつで、こころではどうしても学校に行きたいのに、なぜかからだがどうしても動いてくれない、という奇妙なからだとこころの解離状態になります。
本人はこれほど強い葛藤に悩まされているのに、「学校嫌い」「怠け」「行きたくないから仮病を使っている」などと残酷な言葉を浴びせられるのは耐えがたい苦痛です。
なぜそんな状態に陥るのか、本人はまったく理由を説明できず、わたしも当時はわけがわかりませんでした。しかし今では、はっきりした医学的理由を提示できるようになったので、この補足にまとめたいと思います。
もくじ
はじめにー原因はさまざま
最初に注意点として書いておきたいのは、不登校の原因は多様だということです。この記事では、前回の記事に基づき、生物学的な不動状態として不登校を捉えています。おそらく感受性の強い敏感な子などに多いタイプです。
しかし、たとえば交通事故による髄液漏れや、食生活の偏りによる低血糖症のような、異なる原因で起こる不登校もあります。何かしら未診断の難病がひそんでいることもあります。不登校の原因を探るとき、さまざまな可能性を念頭に置くのは大切です。
「行きたいのに行けない」―ドーパミン不足
こころではどうしても行きたいのに、からだはどうあがいても動かなくなる。
これは、単刀直入に言えば、ドーパミン不足の症状です。
近年、小児型慢性疲労症候群ではドーパミン異常が生じていることが確認されています。
疲労と回復の科学 (おもしろサイエンス) にはこう書かれています。
また、CCFS患児においては、学習意欲が低下する傾向がみられるため、筆者には、この脳内メカニズムも調べました。
…線条体という脳領域には、ドーパミンと呼ばれる意欲と密接に関係する興奮性の物質が豊富に存在します。
期待しているほど報酬が得られない場合に意欲がわきにくい脳内メカニズムとして、慢性疲労によりドーパミン神経の働きが低下することが原因と考えられます。(p93)
ドーパミンはしばしば「意欲」を出すための神経伝達物質だと言われます。それで、ドーパミン不足というと、「やる気がない」状態と結びつけられることがあります。
しかし、実際にはそうではありません。ドーパミンは、行動を開始させる信号を送る神経伝達物質です。ドーパミンが働かないと、どんな状態に置かれるかは、次の二冊の本の説明を見るとよくわかります。
不登校の子どもを持つ親や、小児型慢性疲労症候群の当事者の方には、ぜひ以下の部分をしっかり熟読してほしいと思います。
このドーパミンの働きを親子双方がしっかり理解すれば、不幸な誤解によるいさかいが生じなくなりますし、それを周りの人に説明できるようになれば、教師や医者から浴びせられる事実無根の中傷に対する大きな自衛手段になります。
「いくら本人が動きたくても」
まず、精神科医ノーマン・ドイジの脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線という本では、ドーパミンが枯渇するパーキンソン病の当事者が陥る悩ましい状態について、こう書かれています。
パーキンソン病患者の動機の欠如は、怠惰な性格や無関心や意思の弱さに起因するのではなく、いくら本人が動きたくても、動作を起こす動機づけを司る、ドーパミンを基盤とする脳の神経回路が、特定の動作にエネルギーを付与できなくなるために生じ、それが疲労や倦怠に見えるのである。(p151)
注目したいのは「いくら本人が動きたくても」という部分です。
ドーパミン不足による無活動状態に陥った人たちは、まわりから見れば、「怠惰な性格や無関心や意思の弱さ」に見えてしまいます。不登校の小児型慢性疲労症候群の子どもたちもそうです。だらだらと怠けているように見えます。
しかし、本人はやる気がないわけでもなければ、意欲がないわけでもないのです。「いくら本人が動きたくても」、ドーパミンがなければ、意欲を行動へと結びつけることができないので、動き出すことができません。
これは言い換えれば、接触が悪くなった照明器具のスイッチのようなものです。スイッチをどれだけカチカチやっても、明かりがたまにしかつきません。
ドーパミン不足のパーキンソン病や小児型慢性疲労症候群の人たちは、そもそも意欲のスイッチを入れようとしていないとみなされがちですが、本人は、ひたすら意欲のスイッチを入れようとしているのに、なぜか動作につながらないのです。
そのせいで『「なぜだろう、先生なぜ私は学校へ行けないのでしょうか。こんなに行きたいのに」と涙ながらに訴える』状態になってしまいます。
言い換えれば、なぜこんなに意欲のスイッチをカチカチ操作しているのに動作につながらないんでしょう?ということです。それだけ必死にやっているのに、やる気がないなどとなじられたら泣き出したくもなります。
もう一冊、神経科学者ジェームス・ファロンのサイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅 にも、ドーパミン不足の影響がこう書かれていました。
ドーパミン細胞が死滅していると寝椅子から立ち上がることができない。
起き上がろうとする意志はあって(前頭前皮質)、その計画を持ち(運動前皮質)、起き上がり、歩き始める信号を送る(運動皮質)のだが、この運動を開始させるために、「それをしなさい」を活性化し、「それをしないように」を不活性化するドーパミンがないからである。(p63)
ここでも言わんとしていることは同じです。
「起き上がろうとする意志はあって(前頭前皮質)、その計画を持ち(運動前皮質)」という部分までは働いているのです。学校に行きたいという意志も計画もあるのです。
ところが、『この運動を開始させるために、「それをしなさい」を活性化し、「それをしないように」を不活性化するドーパミンがない』ために、意志や計画が、行動へと結びつかないのです。
極端な場合、どれだけ、起き上がって勉強しなきゃ、学校に行かなきゃと思っていても、「寝椅子から立ち上がることができない」ようになります。
あとで改めて説明しますが、ここで生じているメカニズムは、いわゆる金縛り(睡眠麻痺)に近いものです。金縛りに遭うと、いくら動こうとしても、からだが微動だにしないので疲れはて、ときには恐怖を感じます。
金縛り(睡眠麻痺)状態を一度でも経験した人ならわかるはずですが、そのとき動こうとする意欲も意志も持たない人はいません。むしろ普通以上に動こうとして渾身の力を込め、意欲を振り絞るのですが、動くことができません。
ですから、ドーパミン不足によって不登校状態になっている子どもに、怠けているなどと言った言葉を投げかけることは、本文でも取り上げた学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている (講談社プラスアルファ新書) の三池先生の言葉どおり、中傷でしかありません。
不登校状態に陥った学生生徒が両親からも、友人たちからも、また学校社会からも見捨てられるという強い孤独感と不安感を抱えこんでいく実態は、ほとんど知られていないようである。
ゆえに、彼らを怠けであるとか、根性がないとか否定することにつながっているのであろうが、このような中傷は彼らの傷口に塩を塗り込む行為、いじめや虐待と同様のものといってもよい。(p92)
ドーパミンが足りないと「朝起きられない」
もうひとつ、覚えておきたい点として、不登校や小児型慢性疲労症候群でみられるドーパミン不足は、不登校状態ではかなりの確率で概日リズム睡眠障害を合併することとも密接に関係しているようです。
なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学にはこう書かれていました。
老年期の覚醒と睡眠の周期にまつわる問題は、おそらくSCN(視神経交叉上核)のなかの細胞が失われた結果であろう。
SCNは、無傷でもせいぜい1立方ミリメートルほどの大きさで、約8000個の細胞からなり、視神経が交差する場所の真上にある。
このSCNが親時計としての機能を果たしている。もしこれが狂うと、体内時計全体が狂ってくる。
SCNは光の刺激を受けることが、実験によってわかっている。神経伝達物質ドーパミンはこのプロセスで重要な役目をしていて、老人ではこの物質の生産が減少する。
SCNにおけるドーパミン不足が、私たちが時間に対処する際に重要な問題を引き起こしている可能性がある。(p293)
むずかしい説明に思えるかもしれませんが、簡単にいえば、ドーパミンがなければ、体内時計のリズムが狂う、ということです。
ドーパミンが不足すると、なぜ概日リズム睡眠障害になりやすいか、という点については、こちらの記事で詳しく扱いました。
その記事でも書いたことですが、ドーパミン異常による概日リズム睡眠障害は、意志力でなんとかなる問題ではありません。
すでに見たとおり、ドーパミンは動作の切り替えスイッチの役割を果たしていますが、睡眠と覚醒というモードを切り替えられないのも、その症状の一部です。
ですから、学校に行きたくても行けない、という奇妙な葛藤や、起きたくても起きられないという奇妙な宵っ張りの朝寝坊は、いずれもドーパミンの機能異常という実態を持っている症状です。
決して「意志の弱さ」や「怠け」や「詐病」や「学校嫌い」などではなく、むしろ、当人はどれほど頑張ろうとしていても成果につながらない絶望的な状態に閉じ込められている、ということを理解しなければなりません。
「学習性無力感」に陥る
不登校状態が長くなると、本人が頑張ろうとしているとは到底思えず、何も努力せず、投げやりになっているように見えるかもしれません。でも、最初からそうではなかったはずです。
不登校の子どもは、最初、死に物狂いで頑張っていた時期から、やがて無気力であきらめたかのような無活動状態に移行します。
人間や動物はどれほど頑張っても報われないという経験を長く繰り返すと、最初から努力せずあきらめてしまうようになります。これは「学習性無力感」と呼ばれます。
脳科学は人格を変えられるか?には、心理学者マーティン・セリグマンとスティーブン・マイヤーによる、次のような実験が紹介されています。
この洞察の最初のヒントは、動物を使った研究からもたらされた。ある実験で犬に、絶対に逃れられない電気ショックを繰り返し与えると、〈学習性無力感〉と呼ばれる症状があらわれる。
この命名者であるペンシルバニア大学の心理学者マーティン・セリグマンは、同僚のスティーブン・マイヤーとともに次の独自な実験を行った。
…片方の犬は鼻でレバーを押せば電気ショックを止めることができるが、もう一匹の犬はレバーを押しても電気ショックを止められない。
ここでのポイントは、どちらの犬もまったく同じ回数の電気ショックを受けるが、片方の犬だけが状況を自分でコントロールできるというのだ。(p281)
かわいそうな実験ですが、マイヤーとセリグマンは、犬たちを逃げられない部屋に閉じ込めて、繰り返し電気ショックを与えました。
片方の犬は、レバーを操作すれば電気ショックを止めることができました。もう片方の犬は、レバーを押しても電気ショックが止まりませんでした。
この二種類の体験をした犬たちを、こんどは別の場所に移して、再度 電気ショックを与えると、対照的な反応を見せました。
実験用の小部屋に移され、床に電流が流れたとき、電気ショックを避けようとためらわずに低い敷居を飛び越えたのは、前の実験でコントロールを手にしていた犬たちだった。
逆にコントロールを与えられていた犬は、電気ショックから逃れようと試みすらしなかった。(p281-282)
最初に電気ショックを与えられたとき、自分でレバーを操作して電流を止められた犬たちは、すぐに逃げました。
しかし、どれだけレバーを操作しても電気ショックを止められなかった犬たちは、すぐに逃げられる状況に置かれたときでも、逃げようとせず、ただ無力に打ちひしがれていました。だいたい3分の2の犬がこの状態に陥りました。
この状態こそが「学習性無力感」というものです。何度やっても努力してもうまく行かないという体験があまりに繰り返し続くと、最初から努力そのものをあきらめてしまうようになります。これは動物だけでなく人間にも見られる現象です。
不登校の小児型慢性疲労症候群の子どもたちは、まさにこの「学習性無力感」に陥ります。
不登校の子どもたちの場合、何度押しても反応しないレバーとは、すでに見たようにドーパミンのスイッチのことです。
不登校の子どもたちは、最初のうち、なんとかして学校に行こう、動き出そう、朝起きようとひたすら死に物狂いで頑張ります。しかしドーパミン不足のため、どれだけ頑張ってレバーを操作してもからだを動かすことができません。
そのせいで、自分ではどうにもならない電気ショックを繰り返し与えられた犬たちのように、「学習性無力感」に陥ります。あれだけ頑張ってもうまくいかなかったのだから、もう何をしても無駄だと人生をあきらめてしまうようになります。
「学習性無力感」にとらわれた状態の不登校の子どもたちを見ると、無気力で怠けているように見えてしまうかもしれませんが、そうなってしまったのは、どれだけ頑張ってもうまくいかなかったせいです。
本当の問題は「意欲のなさ」ではなく、彼らが意欲のあるうちにどれだけ動かしても反応しなかったレバー、つまりドーパミン不足で反応しなくなってしまった行動切り替えのスイッチのほうにあるのです。
さて、ここまでは実はこれまでもわかっていたことで、過去のブログ記事に書いた部分の焼き直しにすぎません。この記事の本題はここからです。
本文で考えた、解離、そして不動状態というキーワードを手がかりにすれば、さらにこの先にある複雑なからくりを知ることができます。
なぜドーパミン不均衡になるのか
そもそも、小児型慢性疲労症候群でドーパミン異常が生じてしまうのはどうしてでしょうか。
すでに見たドーパミンの作用の説明は、おおかたパーキンソン病や年配の人についてのものでした。なぜ、まだ学生のころに若くして、ドーパミン不足に陥ってしまうのでしょうか。
ひとつの答えは、生まれつきドーパミン系が弱いADHDの素因を持っている可能性があります。
ADHDの中でも、不注意優勢型ADHD、いわゆるのび太型ADHDとも呼ばれ、海外では多動(H)がないADDとも呼ばれることがあるタイプの子どもは、ドーパミン不足状態にあり、ぼんやりしやすく、疲れやすい傾向があります。
以前の記事で見たように、小児型慢性疲労症候群の不登校の子どもたちは、かなりの割合で、不注意優勢型ADHDのチェックリストを満たすというデータがあります。
しかし、不登校や小児型慢性疲労症候群になる子どもが、皆もともと不注意優勢型のADHDだったのかというと疑問が残ります。
じつは不注意優勢型ADHDのような症状は、必ずしも先天性の発達障害として生じるとは限りません。生まれつき障害といえるほど不注意が激しくなくても、二次的にドーパミン不足の症状に陥ることがあります。
子どものPTSD 診断と治療には、次のような例が書かれていました。
ADHDとトラウマ障害は、行動面や認知も近似しているため、しばしば誤診されかねない。しかし、根底にあるものは異なるため、異なった対処法が必要とされる。
落ち着きがない、着席できないなどの多動症状をや反抗性を示し、一見するとADHDと思われる子どもの中には、過覚醒や回避などのPTSD症状が潜んでいる可能性もある。
心ここにあらずで注意が散漫な不注意優勢型のADDと思われていた症状は、トラウマ障害の解離であるかもしれない。(p117)
大事なのは、最後の一文です。
「心ここにあらずで注意が散漫な不注意優勢型のADDと思われていた症状は、トラウマ障害の解離であるかもしれない」
ここで、本文で取り上げた最大のキーワードと結びつきます。つまり、一見発達障害の不注意優勢型のAD(H)Dのように見える症状は、「解離」かもしれないのです。
不動系が引き起こすドーパミンの遮断
本文で詳しく説明したように、「解離」という症状は、不登校や小児型慢性疲労症候群の中核そのものだと思われます。
解離とは、慢性的に強い自己抑制を必要とするストレス環境に置かれた人たちに見られる、深刻なストレス反応です。
トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべてに書かれているとおり、「最近になって、トラウマと解離、そして身体症状化との間にかなり密接な関係があることが示されるように」なってきました。(p24)
本文でみたとおり、生物は、危機的状況に遭遇したとき、たいていは交感神経が高ぶり、「闘争か逃走か」というストレス反応で対応します。
しかし、あまりにストレスが慢性的で、しかもどこにも逃げ場がないという拘束状態が続くと、次の段階のストレス反応である「凍りつき・麻痺」で対応します。これが解離です。
このとき、不動系(背側迷走神経系)と呼ばれる、人間のみならず爬虫類などの生物にも備わっている原始的な神経系による反射が働き、身体の機能がシャットダウンされ、身動きが取れなくなり、凍りつき、エネルギーが枯渇したかのようになります。
(詳しい解説は、この理論の提唱者であるイリノイ大学のスティーブン・ポージェスによるポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」を参照)
この不動系という原始的な神経系が身体をのっとり、シャットダウンしてしまうと、自分の意志でからだを動かすことは不可能になります。先ほど触れた金縛りの状態です。
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアにあるとおり、凶悪犯罪などに遭い、どこにも逃げ場がない状況で襲われた被害者は、しばしばこの不動系による金縛り状態を経験します。
恐怖に誘発された不動状態の本質を考慮すると、大多数のレイプ被害者が、自分が麻痺したように(時には窒息したかのようにも)感じ、身動きがとれなかったと一様に述べるのは当然である。
…ある研究では、子どもの頃に性犯罪に遭った被害者のうち、88%、成人の性犯罪被害者の75%が、事件の最中、からだの強い麻痺を経験したと報告している。(p73)
このようなからだの凍りつきは、性犯罪特有のものではなく、強い危機にさらされながらも「逃げられない」状況に置かれた人がみな経験するものです。
たとえば、極度の慢性ストレス下に置かれた難民の子どもたちが、このような極度のシャットダウン状態に陥り、「痛みを感じない昏睡状態に」までなってしまっているというニュースがありました。
少年少女の身に一体何が起こっているのか? あらゆるトラウマを経験し、生きることをあきらめてしまった人たち
心的外傷の専門家ナオミ・ハルパーンは、この症候群は、人間に、そしてすべての哺乳類に生まれつき備わっている「防衛機制」の一種で、打ちのめされるような、あるいは危険を感じるような状況に遭ったときのためのものだと説明する。
たいていの場合、第一の本能的行動は逃亡だ。つまり、まずは「逃げなくては」と考えるのだ。もし走れないときは、脳は戦いのスイッチを入れることもある。ハルパーンはBuzzFeed Newsに、「動物でも人間でも、追い詰められたと感じると、一気にアドレナリンが出て戦いのモードになるのです」と説明した。
もし、戦うことも逃げることも選択肢にない場合は、動きを止める。「こういうことなのです。私にはどこにも行くところがない。走れない、戦って切り抜けることもできない。安全ではない。自分を守る唯一の方法は、完全にスイッチを切ることだ」。
この凍りつきを引き起こす不動系は動物にも存在しているので、強いストレスにさらされ、しかも「逃げられない」状況に置かれたら、人間でなくても解離による不動状態が引き起こされます。
勘の良い方は気づかれたかもしれません。それが、先ほど見た、かわいそうな実験の犬たちに生じていた身動きが取れない学習性無力感の正体です。
別の本、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法は、この実験についてこう説明していました。
マイヤーは、ペンシルヴェニア大学のマーティン・セリグマンと共同研究を行なった。彼の論題は、動物における学習性無力感だった。
マイヤーとセリグマンは、錠を下ろした檻に犬を閉じ込め、痛みを伴う電気ショックを繰り返し与えた。二人はそれを「逃避不能ショック」と呼んだ。(p57)
どうやっても逃げられない状況で繰り返し痛みを味わう「逃避不能ショック」を経験した犬たちは、しだいに解離に陥り、逃げたくてもからだが動かない不動状態に閉じ込められました。
ひとたび不動状態に陥った犬たちは、逃げ出せる状況に置かれてもなお、電気ショックを受けたときに、逃げ出すことができませんでした。
それらの犬たちは、単に逃げ出す意思がなくなってしまったわけではなく、からだが凍りつき、シャットダウンされていたのです。
不登校の子どもたちも、これと同様の不動状態に陥っているといえる根拠については、本文で詳しく説明したとおりです。
繰り返し慢性的なストレスを受けた犬たちが、逃げ出したくてもからだが凍りついてしまったように、不登校の子どもたちも、学校に行きたくてもからだが凍りついて動けない不動状態に陥ります。
この動きたいのに動けない、逃げ出したくてもからだが言うことを聞いてくれない不動状態こそ、最初に考えたドーパミン不足の状態です。
サイコロジカル・トラウマの中でベッセル・ヴァン・デア・コークは繰り返し逃避不能ショックにさらされた動物では、行動に関わるドーパミンやノルアドレナリンが激減する条件反射が起こることを報告しています。
回避不能ストレスはノルアドレナリンとドーパミンを減少させるが、それはおそらく使用が合成を上回るからである。
…AnismanとSklarは、初めて実験されるネズミでは何の効果も生じないようなショックを、以前回避不能ショックに曝露したネズミに与えたところ、それらのネズミではノルアドレナリンの激減と回避反応の欠如が観察されることを見いだした。
したがってノルアドレナリンの減少は条件反応のようである。(p79)
不動系が引き起こす解離のさまざまな症状、注意力散漫、心ここにあらず、健忘、固まり、凍りつきなどは、いずれもドーパミン不足が指摘されている不注意優勢型ADHDやパーキンソン病と共通した症状です。
特に不注意優勢型ADHDと解離は、臨床でも脳画像研究でほぼ区別がつかないとされています。
不動系は、動作を開始するために必要な神経伝達物質であるドーパミンやノルアドレナリンをシャットダウンしてしまい、からだを凍りつかせ、麻痺させるストレス反応です。こころでは動こうとする意志や計画があっても動けなくなります。
先ほどこう書かれていたのを思い出してください。
心ここにあらずで注意が散漫な不注意優勢型のADDと思われていた症状は、トラウマ障害の解離であるかもしれない。(p117)
トラウマ障害の解離、つまり慢性的なストレスによって引き起こされる不動状態が不注意優勢型ADHDと似ているのは、どちらもドーパミン不足に陥っているからです。
不登校の小児慢性疲労症候群の子どもたちが、不注意優勢型ADHDのチェックリストをかなりの割合で満たしていたのは、もちろん生まれつきそうだった可能性もあるでしょう。
しかしより説得力のある説明は、彼らが、学校生活の慢性的な拘束ストレスのせいで解離状態に陥っていて、ドーパミンが正常に働かず、意志があってもからだを動かせない不動状態に閉じ込められてしまったということです。
「学校に行きたいのにどうしても行けない」という奇妙な症状は、単なるドーパミン不足というよりは、危機的状況で引き起こされるからだのストレス反応である不動状態、そして解離の症状のひとつなのです。
「行きたいのに行けない」が連鎖していく
不登校の子どもが陥る、解離によるドーパミン不足は、年配者に多いパーキンソン病などのドーパミン不足とは似て非なるものです。
パーキンソン病は、ドーパミンの生産そのものの障害です。脳の黒質にあるドーパミンを生産する「工場」そのものがダメージを受けているので、生活のあらゆる場面で、ドーパミン不足に悩まされます。
他方、不登校の子が経験する解離によるドーパミン不足は、ドーパミンの「工場」そのものは正常に働いています。しかし、ドーパミンを運ぶパイプラインが、一部分だけ遮断されます。切り離される、つまり「解離」するということです。
すると、ある活動をするときには、ドーパミンが正常に供給されているのに、別の活動をするときには、ドーパミンが遮断されて足りなくなるという奇妙な状態になります。
そもそも解離というのは、すでに見たとおり、危機的状況に対処するための生物学的なメカニズムでした。生物は、どうあがいても逃げられない危機に直面したとき、ドーパミンを遮断してからだを「凍りつき・麻痺」の不動状態にならせます。
それは、あたかもブレーカーを落とすようなものです。電気は正常に届いていても、電線が切れていなくても、普通を超えた負荷がかかるとブレーカーが落ち、電気を遮断します。
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアによれば、「パブロフの犬」で有名な科学者イワン・パブロフは、これまたかわいそうな犬たちの実験を通して、この「普通を超えた負荷」によって脳のブレーカーが落ちてシャットダウンする現象を見つけ、「超限界段階」と名づけました。
パブロフは、緩和されないストレスにつづいて起こる衰弱の記録の第3章と最終章を超-逆説段階と名づけ、それを超限界段階とも呼んだ。
「極限を超えた」状況のこの最終段階で、臨界点に達してしまう。この頂点を超えてしまうと、彼のイヌたちの多くはシャットダウンした。彼らはどんなに時間をかけても、反応しなくなってしまった。
パブロフは、このシャットダウンは神経系の過負荷に対する生物学的な防衛であると信じていた。(p292)
解離によるドーパミンの遮断は、「神経系の過負荷に対する生物学的な防衛」として生じるシャットダウンです。
ドーパミン工場は正常で、途中のパイプラインが断線しているわけではなくても、「逃避不能ショック」の危機的状況に直面すると、一時的にドーパミンのブレーカーが落ち、からだが不動状態になります。
不登校や小児慢性疲労症候群の子どもの場合、このブレーカーが慢性的に落ちてしまっています。しかし断線しているわけではないので、一時的に元にもどって、明かりがつくこともあります。
最初のほうで使ったたとえで言えば、明かりをつけるスイッチがほとんど役に立たなくなってしまっていても、ときどきちゃんと電気が通って、明かりがつく瞬間があります。
解離は「からだの記憶」
実際の停電や明かりの故障とは違って、不登校や小児慢性疲労症候群の子どもたちの場合、ドーパミンのブレーカーが落ちたり、ときどき回復したりするのは、偶然でもたまたまでもなく、すべて理由があって生じています。
本文で見たとおり、解離、そして不動状態は、「からだの記憶」(専門的に言えば「手続き記憶」)によって引き起こされる条件反射のようなものでした。
かわいそうな犬たちが味わった慢性的な電気ショックのような体験、つまり逃げられない環境で繰り返しストレスにさらされると、それは条件反射としてからだに結び付けられます。
条件反射というと、パブロフの犬のエピソードが有名です。パブロフの犬は、エサを持ってくる人のベルの音を聞くや、まだエサを食べてもいないのによだれを垂らすようになりました。ベルを聞くだけで、エサを食べた「からだの記憶」が呼び起こされるようになったのです。
セリグマンとマイヤーの電気ショックを受けた犬たちは、電気ショックの痛みという「からだの記憶」が、そのときの反応である不動状態と結びついてしまいました。
そのせいで、たとえ逃げ場のある部屋で電気ショックを受けたとしても、不動状態になって逃げ出せませんでした。電気ショックは「からだの記憶」を呼び覚ましたので、動こうにもドーパミンが遮断されてしまっていたのです。
そして、不登校の子どもたちの場合、学校で繰り返し受けた慢性的なストレスが、それによって引き起こされた不動状態と結びついています。からだは、学校という場所で受けた苦痛を記憶しています。
そのため、こころがどんなに行きたくても、学校に行こうとすると、からだは不動状態を再演します。それは心理的な問題ではなく、「からだの記憶」が引き起こす条件反射です。
「学校に行きたくても行けない」という悲痛な訴えは、こころがいくら意欲を持とうと努力しても、からだのほうが学校に行くことを拒否して、マイヤーとセリグマンの犬たちと同じ不動状態に閉じ込められていることで生じるのです。
三池先生が学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている (講談社プラスアルファ新書) で、こう述べていたとおりです。
理性では二度とサリン事件などあるはずもないと感じている。しかし防衛本能が地下鉄に乗ることを抑止するのである。
不登校状態でも、生命力の低下を経験するので同じ反応がおこってしまうと考えられる。
肉体的な疲労は回復し精神的にも元気を取り戻したように感じていても、いざ学校に戻ろうとすると体が反応してしまうのである。(p67)
なぜ学校以外にも行けなくなるのか
このように「学校に行きたくても行けない」という不動状態は、学校と結びついた「からだの記憶」によって引き起こされています。
裏を返せば、学校と結びついていないことに関しては、「からだの記憶」は不動状態を引き起こさないということでもあります。
不登校の子どもたちが親を悩ませるのは、学校にはどうしても行けず、慢性疲労状態に陥っているのに、ときどきゲームなどには熱中できて、元気そうに見えることです。
本文で考えたとおり、これは、不動状態が必ずしも固定しているわけではない、ということから生じています。
不登校とパーキンソン病やパーキンソン症候群は違うとはいえ、興味深いことに、レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) によると、脳炎後遺症後のパーキンソン症候群でも、特定の活動のときにいきなり元気になる「キネジア・パラドクサ」という現象が知られています。
なによりもキネジア・パラドクサつまりパーキンソン症状が突然、(一時的にではあるが)完全に消失する現象である。この現象は最も重症の患者において誰よりも頻繁かつ劇的である。
深刻な障害が突然軽減することはなかなか想像できないが、患者が受ける強いプレッシャーが突然軽くなって一時的に負担から解放されると考えれば、理解しやすいであろう。(p60-61)
深刻な病気であるパーキンソン症候群でもこのような現象がみられることは、やはりドーパミン系の調節障害を抱える不登校の子どもが、ときに一時的に元気になるのは、単に気持ちの持ちようによる現象ではないことを裏づけています。
先ほど考えたとおり、不登校におけるドーパミン不足は、極度のストレスにより神経系のブレーカーが落ちてしまうことで生じていました。
このブレーカーは「からだの記憶」によってコントロールされていて、学校で味わった慢性的なストレスを想起させる場面ではブレーカーを落としてしまいますが、そのストレスから解放されている場面では、ブレーカーを上げて不動状態を解除することがあります。
今見た通り、パーキンソン症候群の場合も、症状が一時的に改善する場合には、「患者が受ける強いプレッシャーが突然軽くなって一時的に負担から解放される」、つまり極度のストレスにより遮断されていたブレーカーが一瞬復旧することが関係しているようです。
不登校や小児慢性疲労症候群の子どもたちでも、比較的ストレスを感じずに取り組めること、たとえば自分が特に興味あること、楽しいことなど取り組むときには、元気が回復しやすいのはこのせいでしょう。
しかし、それなら、学校には行けなくても、その他の活動なら何でも元気に楽しめるのか、というと必ずしもそうではありません。
ここが「からだの記憶」のやっかいなところであり、不登校が長期化し、慢性疲労症候群、そして社会的引きこもりへと発展していってしまう理由でもあります。
もう一度、脳科学は人格を変えられるか?に書かれていたセリグマンとマイヤーの「逃避不能ショック」にさらされたかわいそうな犬たちのことを考えてみてください。
一部の犬は実験用の小部屋に入れられる前に、逃れることのできない電気ショックを経験している。
手順は次の通りだ。二匹の犬をペアにし、弱い電気ショックを双方に与える。
片方の犬は鼻でレバーを押せば電気ショックを止めることができるが、もう一匹の犬はレバーを押しても電気ショックを止められない。
ここでのポイントは、どちらの犬もまったく同じ回数の電気ショックを受けるが、片方の犬だけが状況を自分でコントロールできるというのだ。
実験用の小部屋に移され、床に電流が流れたとき、電気ショックを避けようとためらわずに低い敷居を飛び越えたのは、前の実験でコントロールを手にしていた犬たちだった。
逆にコントロールを与えられていた犬は、電気ショックから逃れようと試みすらしなかった。(p281-282)
今回注目したいのは、これらの犬たちは、違う場所で同じ不動状態を経験していることです。
犬たちが「逃避不能ショック」というトラウマを経験したのは、「実験用の小部屋に入れられる前に」別の部屋でのことでした。
しかし「実験用の小部屋に移され、床に電流が流れたとき」、先ほどの別の部屋で経験したのと同じ不動反応が引き起こされました。最初と違う場所だったにもかかわらず、同じ刺激が与えられると同じ反応が生じてしまったのです。
これを不登校の子どもたちに当てはめると、つまりこういうことです。
不登校の子どもたちが「逃避不能ショック」のような慢性的な拘束ストレスを経験し、不動状態に陥ってしまったのは、学校という場所でのことです。だから、そのトラウマ現場である学校に行こうとすると不動状態が引き起こされるのは当然です。
しかし、たとえ実際に拘束ストレスを経験した学校以外の場所でも、似たような刺激を感じる場所ではどこでも「からだの記憶」が不動状態を引き起こす可能性があります。
ここで、冒頭に引用した三池先生の学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている (講談社プラスアルファ新書) のエピソードを、前後の文脈を含めてもっと詳しく引用してみましょう。
不登校状態とは、生命の脳が疲れ果てた状態、すなわち生命力の低下状態であることはこれまでに詳細に述べた。
中学時代不登校となり、なにかやり残してしまった思いから高校だけは卒業したいと考えて進学する人は多い。
そのような女子学生が一人、私の外来を訪れた。友人もできて学校は面白い、勉強もしっかりとついていける。喜びに目を輝かせて私に報告してくれたのは一学期の終わり。
ところが二学期がはじまりなぜか学校から足が遠のきはじめる。本人はどうしても行きたいという気持ちが強い。学校は嫌いではない。
「なぜだろう、先生なぜ私は学校へ行けないのでしょうか。こんなに行きたいのに」と涙ながらに訴えるが私にもわからない。
私にいえることは、学校に留まれば留まるほど、こだわればこだわるほど、生命力の低下は取り返しのつかないものになっていく事実である。
少なくとも不登校状態を経験したものは、学校での生活をあきらめて学校から離れなければならないという悲しい現実があるのである。(p145)
冒頭に引用した範囲ではあえて省略していましたが、これは高校時代に初めて不登校になった子どものエピソードではないのです。
中学時代に不登校になり、それでもなんとかもう一度トライしたいと思い、高校に進学したにもかかわらず、そこでもまた不登校になってしまった生徒のエピソードでした。
この女子学生は、中学時代はともかく、新しい高校では、「友人もできて学校は面白い、勉強もしっかりとついていける」と感じていました。学校は嫌いではなく、楽しめていたはずでした。
それなのに、なぜかからだが学校に行けなくなり、「なぜだろう、先生なぜ私は学校へ行けないのでしょうか。こんなに行きたいのに」と涙ながらに訴えることしかできませんでした。
三池先生はなぜそうなるのか「私にもわからない」としていますが、この奇妙な不登校のループは、ここまで見てきたセリグマンとマイヤーの実験と学習性無力感から、はっきりと説明できます。
それは、最初の部屋で逃避不能ショックを経験して不動状態に陥った犬たちが、別の逃避可能な部屋に移されたときも、電気ショックによって不動状態になってしまったのとまったく同じです。
ひとたび中学校という場で「逃避不能ショック」を繰り返し味わい、不登校という不動状態が引き起こされてしまった子どもは、高校という別の場所に行ったとしても、同じ不動状態が引き起こされます。
たとえそこで友だちができて授業も楽しめたとしても、高校の教室で感じる何らかの刺激が「からだの記憶」を目覚めさせてしまったら、有無を言わさずまたもや不動状態に陥ってしまうのです。
三池先生が「少なくとも不登校状態を経験したものは、学校での生活をあきらめて学校から離れなければならないという悲しい現実がある」と結論しているとおりです。
不登校から引きこもりへのループ
本文で説明したとおり、不登校の不動状態を引き起こしている「からだの記憶」はいわゆる「手続き記憶」と呼ばれるタイプの記憶です。
この記憶は、正誤クイズや受験勉強で覚える陳述記憶とは違って、自転車の乗り方や楽器の弾き方、懐かしの歌のメロディのような、からだに記憶される手順やリズムと同じたぐいの記憶です。
こうした手続き記憶は、陳述記憶と違ってめったに忘れることがありません。長い間自転車に乗っていなくても乗ってみれば走り方を思い出し、楽器を手に取れば弾き方を思い出し、たとえ何十年経っていても昔の流行のメロディをふと思い出せます。
ちょっとしたかすかな匂いや、誰かが口ずさんだフレーズで、懐かしのメロディ全体を思い出せるように、手続き記憶は、ちょっとした刺激で目覚め、昔学んだループを忠実に再現します。
不登校の子どものからだに染み付いている解離と不動状態の反応は、この手続き記憶であり、まったく同じ状況に置かれずとも、何かのきっかけで容易に再現されます。
ひどい慢性的な拘束ストレスを味わった場所の雰囲気、音、映像、におい、空間を、からだはよく覚えています。事実、トラウマ記憶はそうした断片的な要素で構成されています。
この種の記憶は右脳に保存されているようですが、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこう書かれています。
右脳は音や声、触感、匂い、それらが喚起する情動の記憶を保存する。
また、過去に見聞きした声や目鼻立ち、仕草、場所に自動的に反応する。
右脳が思い起こすことは、直感的な事実、すなわち物事の実際のありようのように感じられる。(p82)
右脳に保存されている「からだの記憶」は、雰囲気や場所などに「自動的に反応」して再生されます。あのときと似ていると直感的に感じたら、いつでもどこでも蘇ります。
脳は奇跡を起こす はこの種の記憶についてこう書いています。
これらのトラウマについての手続き記憶/潜在記憶は存在していて、トラウマと似たような状況に置かれたときに噴出したり、誘発されたりする。
こういっ記憶は「まったく予期しないときに」よみがえる。
顕在記憶とはちがって、時間や場所、文脈に分類されないらしいのだ。感情的なかかわりにまつわる潜在記憶は、転移あるいは人生のさまざまな場面において、しばしば繰り返される。(p270-271)
手続き記憶は、「似たような状況に置かれたときに」誘発され、「人生のさまざまな場面において、しばしば繰り返され」ます。
異なる状況に置かれても、延々と同じパターンが無意識のうちに再生され続けるというのは、手続き記憶としてからだに刻まれるトラウマの特徴です。
赤ちゃんのときに自分が養育者から受けた扱い方を大人になっても無意識のうちに繰り返してしまうのが「愛着」です。優しい愛ある世話を受けた人はそのパターンを繰り返して自分も良い家庭を築きますが、不適切な養育を受けた人は不適切なパターンを繰り返します。
愛着障害の人が「子ども時代を引きずる」のは、それが言語化できない手続き記憶だからです。
虐待された子どもは、その後の人生で同様のトラウマを再体験する確率が非常に高いと言われています。例えば暴力的な家庭で育ち、その家庭が嫌で家を出た娘が、なぜか暴力的な夫と結婚して再度DV被害に巻き込まれる、などの現象は「虐待的絆」と呼ばれています。
これもまた、子ども時代にからだに刻まれた手続き記憶としてのトラウマのパターンを無意識のうちに繰り返し「再演」してしまうからです。
手続き記憶は、苦労して身につけた投球フォームや楽器の演奏と同じように、からだに染み付いています。
虐待された子どもは その後の人生でもわけも分からず虐待を繰り返してしまい、ネグレクトされた子どもはわけも分からず孤立を繰り返してしてしまいます。
そして不登校になった子どもは、その後の人生でも、わけも分からず「不登校」を繰り返してしまうのです。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 には、そうした子どもたちの置かれた状況が、こう説明されています。
子ども時代のトラウマに慢性的に苦しんでいるクライエントは、固まる防衛[つまり解離による不動状態]に頼ることをずっと強いられてきているのです。
特にトラウマを思い出させる状況においては、現在もそのような手段を使い続けています。(p130)
こうした子どもたちは、実際には拘束ストレスを味わって不動状態に陥ったのが中学校のときの体験だったとしても、高校に通って教室の同じような雰囲気にからだが既視感を覚えると、からだは不動状態という手続き記憶を懐かしのメロディのように再生します。
社会人になって、アルバイトや会社勤めを始めたとしても、会議や勉強会のような場など、何かしら中学校のときの「からだの記憶」を呼び起こしうるトリガーがあれば、やはり長い時を超えて、不動状態の手続き記憶が再生されます。
困ったことに、不登校になりやすいHSPなどの感受性の強い子どもは、空気感を読み取るのに秀でていて、「手続き記憶」に関係する脳の右半球の活性が高いこともわかっています。
感受性の強さは、芸術的感性や飲み込みの良さとしてプラスに働くことがある反面、場の空気を過剰に読み取って、不動状態の手続き記憶をほ呼び覚ましやすいというマイナス面があります。
空気感を過剰に読み取ると、実際には脅威でないものに対しても、「からだの記憶」が反応し、不動状態を引き起こすようになります。
たとえば、職場のスピーチの際に、中学校で不登校状態になったころと似た緊張感を感じるとします。頭では、その二つの場面はまったく違うものだとわかっています。しかし心拍変動などのからだの感覚が似ていれば、からだはそれを同種のものと見なします。
これはいわゆる「吊り橋効果」です。吊り橋の上で告白されると、本当は高所のためにドキドキしているのに、相手に気があるせいでドキドキしているとからだが誤認してしまい、理由もわからず恋愛感情が引き起こされるというものです。
同様に先ほどの女子学生の例でいうと、高校での経験は「友人もできて学校は面白い、勉強もしっかりとついていける」と思っていたのに、教室で引き起こされるからだの反応が中学校時代に似ていたせいで、望まないうちに不動状態が誘発されていたのではないでしょうか。
こうして、もともとの体験とは一見関係なさそうな場面にまで不動状態が結び付けられ、不動状態を引き起こすトリガーが増加していき、しまいには四六時中不動状態に悩まされるようになってしまう状態、それが小児型慢性疲労症候群だといえます。
そして、不登校の子どもが、その後、意を決して社会復帰しようとしてもそのたびに不動状態のループを味わい、何度やってもうまくいかないという無力感をつのらせていき、最終的に学習性無力感に支配されてしまうのが引きこもりなのです。
サイコロジカル・トラウマ の中でヴァン・デア・コークは、学習性無力感に陥ったイヌたちに生じたことを、トラウマを負った人たちに当てはめ、こう説明しています。
第三の要因は、機能力の般化(刺激の般化)に関連していた。
自分が特定の状況でのみ機能できないと思っているのに対して、さまざまな良く似た環境でも機能できないと思うようになった場合には、学習された無力感が起こる可能性は増大するであろう。(p218)
じつは、これと同様のループは、慢性疲労症候群と近縁の病気である化学物質過敏症で、はっきりと観察できます。
化学物質過敏症(CS)は、最初、一種類か数種類の化学物質に反応してさまざまな症状が引き起こされるだけですが、次第にさまざまな無関係に思える化学物質にも反応するようになり、しまいにはあらゆる化学物質に反応して身動きが取れない状態に追い込まれます。
化学物質過敏症―ここまできた診断・治療・予防法 (生命と環境21)が述べるように、これを拡散現象(spreading)といい、多種多様な化学物質に反応するようになってしまった状態を多種類化学物質過敏症(MCS)と呼びます。
反応する化学物質とそれに伴う症状がどんどん増えていくことがあります。これを拡散現象と言います。多種類化学物質過敏症が完成されていく現象です。(p63)
化学物質過敏症は、おそらく特定の成分に反応しているというよりは、不登校の子どもが小児型慢性疲労症候群や引きこもりに発展していくのと同じような、「からだの記憶」の拡散現象に陥っている病態だと思います。
最初、ある匂いが特定の症状と結びついた条件反射という「からだの記憶」が作られ、その後、マイヤーとセリグマンの犬と同様、その「からだの記憶」を呼び覚ますトリガーであれば何でも反応するようになっていき、最終的に逃げ場がなくなってしまうのです。
解明難しい 化学物質過敏症 「におい」の記憶、起因の可能性 | どうしんウェブ/電子版(医療・健康)
このような条件付けの拡散現象は、一見奇妙に思えますが、 トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 で説明されているように、わたしたちが自然界に生きる生物であることを考えれば道理にかなったメカニズムです。
私たちは生物学的にも、新たな刺激を実際よりも危険と評価する傾向があります。
LeDouxのいうように、棒を蛇と認識する間違いの方が、蛇を棒と認識する間違いよりも生存のためにはよいのです。(p111)
簡単に言えば、自然界では、一つの危険を経験したとき、それと類似した多くの危険にも反応できるようになったほうが都合がいいということです。たとえ襲われたのがヤマカガシだっとしても、それ以外のヘビにも即座に反応できるようになったほうが生存率が高まるはずです。
それは自然界の生物や、昔の人類には最適な防衛反応だったでしょう。しかしその有用な生物学的な遺産が、現代社会に生きるわたしたちにとっては、不登校から引きこもりに至ったり、多種類化学物質過敏症を発症したりする諸刃の剣となっています。(p149)
ところで、先ほど、不登校ではドーパミン不足が生じているということや、小児型慢性疲労症候群ではドーパミン関連の治療が役立つ可能性があるというニュースを紹介しました。
そうすると、不登校における解離状態の治療にはドーパミンを増やす薬が効果的ではないか、という結論になりそうですが、こうした拡散現象のメカニズムからすると、それは慎重になるべき点です。
不登校でドーパミンがシャットダウンされているのは、解離という防衛反応によるものです。つまり、超限界段階の過剰な刺激に対する生物学的な対処として、あえてドーパミンがシャットダウンされています。
それなのに、薬でドーパミンを増やすなら、無理に覚醒状態を上げることになり、トラウマ反応の増強につながるおそれが考えられます。
ドーパミンを増やしてからだを活動的にすれば、交感神経系が活性化して行動範囲が広がるかもしれませんが、何かの活動で交感神経系が高ぶりすぎると、からだはそれをかつてストレス時に体験した「逃走・闘争反応」と同じものだと誤認するかもしれません。
すると、本当はドーパミンを増やして楽しめるようになったはずの活動が、からだの記憶をよみがえらせるトリガーとなり、トラウマの再体験とみなされてしまい、不動状態が引き起こされるかもしれません。
不登校状態のドーパミン不足の原因が、生理的にドーパミンが少ない不注意優勢型ADHDであれば、コンサータなどの中枢神経刺激薬でドーパミンを増加させるのは効果があるでしょう。試してみる価値はあると思います、
しかし、トラウマ障害の解離のせいで二次的にドーパミン不足になっている場合は、以下の子どものPTSD 診断と治療の指示に留意する必要がありそうです。
薬物療法を行う際、ADHDに使用される中枢神経薬は時としてトラウマ障害の症状増悪をもたらす可能性も示唆されている。
ドパミンを上昇させるメチルフェニデートではなく、むしろニューロトランスミッターを抑制するクロニジンのほうが望ましいとされている。(p118)
ここで挙げられている交感神経を抑制するタイプのクロニジン(カタプレス)やプロプラノロール(インデラル)などの降圧薬は小児型慢性疲労症候群による不登校の治療でも使われています。
サイコロジカル・トラウマ によれば、クロニジンは、動物実験レベルでも、逃避不能ショックによる不動状態の治療に対する効果が確かめられています。
回避不能ショックが行動に及ぼす影響は精神薬理学的方法によっても行動療法によっても改善することが可能である。
クロニジンやベンゾジアゼピン、抗うつ薬をはじめとする数種の薬物は、動物における回避不能ショックの長期的後遺症を軽減する。(p86)
別の記事で書きましたが、プロプラノロールなどβブロッカーと呼ばれるタイプの薬や、自律神経の興奮を鎮めるマインドフルネスは、この種の悪循環を食い止める助けになるはずです。
また、近年クロニジンと同系統で、眠気の副作用が少ないとされるインチュニブ(グアンファシン)がADHDへの承認を取得しています。
そのほか日本では認可されていませんが、ウェルブトリン(ブプロピオン)は、中枢神経刺激薬とは違うタイプのドーパミンに働きかける薬なので、個人輸入ができれば、役立つ人もいそうです。
ブプロピオンは、現状唯一のドーパミン再取り込み阻害薬であり、他のタイプの薬が効かない人ほど効果がある可能性があります。
こちらの個人輸入代行サイトでは、ブプロピオンを試してみた人のレビューがたくさん載せられていますが、もし似た症状があれば一考の余地があるかもしれません。
ブプロンSR(ザイバンジェネリック)の口コミ・レビュー (オオサカ堂)
「学校を捨ててみよう!」
こうして不登校の「行きたいのに行けない」の理由を解き明かすと、これが極めて深刻なトラウマ性の反応であることがわかります。
意欲を出せば克服できるものでもなければ、認知行動療法のように考え方を変えるだけで太刀打ちできるような「こころの問題」や「心理的な葛藤」ではないのです。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法が述べるとおり、この不動状態のループを抜け出すには、積極的な対策を考える必要があります。
人は圧倒するような力に屈服するように強いられると、しばしば忍従することによって生き延びる。
これは、虐待された子供や、家庭内暴力から逃れられない女性、監禁された人々のほとんどに当てはまる。
深く染み込んだ屈服のパターンを克服する最善の方法は、自ら積極的に行動して防御するための身体能力を回復することだ。(p357)
不登校における不動状態は、檻の中に監禁されて繰り返し電気ショックを浴びせられた犬たちのように、学校の塀の中に閉じ込められて、繰り返し緊張や恥にさらされ続けた子どもが陥る「深く染み込んだ屈服のパターン」です。
ここで考えたとおり、一度「からだの記憶」として学校と結びついた不動状態のループが染み付いてしまった人は、学校に戻るたびに不動状態が再生されます。たとえ場所が違っても似たような環境では不動状態が再演されます。
そうすると、学校にこだわればこだわるほど、「行きたくても行けない」という葛藤に悩まされることになります。学校に関われば関わるだけ条件付けが強化されていきます。
これは近年言われている不眠症のメカニズム、寝れないのにベッドに横になって寝ようとすればするほどベッド=眠れない場所という条件付けが強化され、不眠症が悪化していくという負のフィードバックと同じたぐいの現象です。
本当はその人の弱さでも怠けでもなんでもなく、ただ生理反応としての不動状態のために「行きたくても行けない」のですが、そんな医学的理由があるなど露ほども思いません
うまく行かず失敗するたびに周りの大人から、意欲が足りない、こころが弱いなどと言われつづけます。そう言われ続けると、自分でも、今回もダメだった、情けない、何をやってもダメだという気持ちを繰り返し繰り返し味わいます。
それを何度も何度も経験すると、どれだけトライしても状況を変えられなかったマイヤーとセリグマンの犬と同様、「学習性無力感」に陥ります。
失敗体験を積み重ねすぎて、本当なら活路がある場面でも挑戦しなくなり、最初からあきらめてしまい、引きこもりになります。
最初は学校に行けなかっただけのはずが、ありとあらゆる場面で、さまざまなトリガーによって「からだの記憶」が刺激され、不動状態が引き起こされるようになっていきます。そして一生抜け出せなくなります。
不登校の子どもたちは、学校にこだわればこだわるほど症状が悪化して、負のループに陥ります。
「ストックホルム症候群」
そもそも、なぜこれほど学校にこだわるのでしょうか。
このとき起こっているのはおそらく「ストックホルム症候群」です。
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアによれば、慢性的に監禁されたり虐待されたりした人は、感覚が麻痺してしまい、加害者から逃げるどころか、逆にしがみつくようになり、加害者を擁護するようにさえなります。
もう一つの例はストックホルム症候群を示す人質が挙げられる。
彼らは単に従順であるだけではなく、自分たちを拘束している人物に恋に落ちたかのように振る舞い、救助隊が到着しても逃げるのを拒否しさえする。
誘拐の被害者が何年も獄中の犯人を定期的に訪問し、ついには結婚してしまうという多数の例がある。(p292)
不登校になった子どもが、学校にしがみつき続け、医療という救助隊の助けもしばしば拒否する姿は、ストックホルム症候群に陥った被害者が、加害者のもとに自らとどまり続け、警察から加害者を守ろうとさえする様子と気味が悪いほど似ています。
ストックホルム症候群は、単に加害者とともに長時間過ごすうちに、情が移ることで生じるのでしょうか。
違います。これはなんと、パブロフの超限界段階に陥った犬たちがやがて示すようになる生物学的な現象なのです。
彼の動物たちが茫然自失の状態から「回復」すると、極端に奇妙で不可解な行動をした。
…洪水の前にはトレーナーに親愛の情を示していたイヌたちが、今や攻撃的に歯をむき出して唸り声を上げたり、突進したりしようとする様子に直面することになった。
他のイヌたちは、前は調教者のことを好きではなかったにもかかわらず、尻尾を振って好意的に歓迎の意を示したのである。(p292)
超限界段階に陥った犬たちは、性格が変容していました。ひどく攻撃的になる犬もいれば、逆にひどく従順になる犬もいました。それらはいずれも、極限状況を生き抜くための、生物的な過剰適応の帰結でした。
前者は、トラウマ経験後に人が変わったように家族に暴力的になる帰還兵、後者は監禁経験などで加害者に従うようになるストックホルム症候群と同様だとされています。
前者はまたの名をPTSDという闘争的な防衛反応であり、後者はまたの名を解離という服従的な防衛反応です。
そして不登校の子どもは、この両方の症状を示します。不登校になった子どもがしばしば人が変わったように家族に攻撃的になることがあります。逆に学校に対して異常に執着することもあります。
これらはみな、不登校という状態が、監禁などの慢性ストレスによって引き起こされる解離と同じものだと見なさないかぎり、説明しようがありません。
同様に、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にも、ストックホルム症候群が生物学的な問題であることを示す研究が載せられています。
例えば、ラットが他のラットの領域に侵入し、戦って負けたとき、その負けたラットは隅で静かに、まるで死んだように動きを止めたままでした。
…このように動物の固まる防衛と、人間が脅威状況の下で状況を打開しようとする能力を喪失することの類似性に注意してください。
虐待的な環境に置かれている子どもは、その養育者が支配している脅威に適応しなければなりません。
同様にラットの場合は、死んだように動かず、服従を示すことが他のラットの支配する環境で適応し、生き延びるために役立っています。
負けたラットはその檻の中では勝者の近くにいますが、危険を避けて、安全を守るために、自動的に擬態死状態の戦略を用います。愛着不全な子どもたちのふるまいはそれに似ているでしょう。
…これらの動物の行動は慢性的に精神的トラウマを受けた個人の行動に著しく似ています。
またこれはトラウマの再演やストックホルム症候群のような現象の説明となるでしょう。
慢性的に虐待を受けたクライエントが、虐待的な関係の危険性に気づかずに、そのような関係の再現を求め続けることは、まれではありません。(p203)
要約すると、ラットは慢性的に脅かされ続けると、死んだようになる防衛反応(擬態死あるいは解離)をみせることがあります。恐ろしい敵のそばで、傷つけられないように身を守るための適応です。
学校で慢性的にストレスを受けた子どもが、死んだような慢性疲労状態になり、なおかつ、それでも学校の環境にとどまり続けようとすることにそっくりです。
不登校の子どもが、茫然自失になり、不動状態になり、それでも学校にしがみつき続け、学校に行こうとさえし、学校のことを悪く言わず、自分が悪いと思い込むのは、ぜんぶ心理的な問題ではなく、超限界段階を経験したことによる生物学的な適応の可能性があります。
あまりに慢性的に危害を加えられ、支配された生き物は、加害者に勝つことはできない、逃げ出すこともできないという学習性無力感を身につけ、生き延びる唯一の選択肢として、身も心も加害者の奴隷となるストックホルム症候群に陥るのです。
ここまで見てきた動物行動学の研究が示すとおり、人間も動物も、等しく多種多様な病気を経験します。
マウスもPTSDになりますし、パブロフの犬も、レニングラードの大洪水で解離症状や不動状態を示しました。これらは不登校の子どもが示す症状と本質的に同じです。
動物も人間も同じ症状を経験しますが、人間だけがそれを「心の問題」とみなし、ありとあらゆる理由を創作して意味づけします。
動物も人間も、同様のものを経験しているというのに、人間の場合だけ、「心の問題」とみなすのはあまりに不合理です。本当の原因は、動物にも人間にも共通する仕組みにあるはずです。
不登校になった子どもは、意味がわからないなりにさまざまに不登校になった理由を説明し、解釈しようとするかもしれませんが、そこに答えはありません。カウンセリングで理由づけを探しても混乱するだけです。
以前の記事でスペリーとガザニガの分離能研究から説明したように、人は右脳の手続き記憶によっていつの間にか無意識に行動してしまったとき、左脳の解釈システムを用いて、見当外れな後づけの理由を作り出すことが繰り返し示されています。
不登校の子どもは、不登校になった理由をなんとかして解釈し、説明しようとするものですが、それを引き起こしているのは心理的な問題ではなく、からだに刻まれた手続き記憶であり、手続き記憶は意思にかかわらず反復されてしまうので逆らえないのです。
これを「克服する最善の方法」は、「自ら積極的に行動して防御するための身体能力を回復すること」です。
不登校の子どもにとって、自ら積極的に行動して防御するための身体能力を回復する最善の方法とはなんでしょうか。
三池先生は、学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている (講談社プラスアルファ新書) の中で、先ほどの女子学生についてのエピソードの終わりにこう書いています。
私にいえることは、学校に留まれば留まるほど、こだわればこだわるほど、生命力の低下は取り返しのつかないものになっていく事実である。
少なくとも不登校状態を経験したものは、学校での生活をあきらめて学校から離れなければならないという悲しい現実があるのである。
これが現在の私の結論である。そうしなければ彼らの脳は萎縮し、若年性痴呆があらわれてしまうかもしれない。
私のこころからのメッセージはこうである。
「疲れた子どもたちよ! 学校を離れて人生に役立つ大事な勉強をはじめよう」(p145)
人生の主導権を取り戻す
不登校から引きこもりに至る「深く染み込んだ屈服のパターン」を克服する最善の方法は、「自ら積極的に行動して防御するための身体能力を回復すること」です。
「疲れた子どもたちよ! 学校を離れて人生に役立つ大事な勉強をはじめよう」ということばに従うことです。
「どうあがいても学校に行けなかった」ではなく「自分から学校を捨てて、もっと将来に役に立つ勉強を始めてみました」と言えるようになることです。
「学校に行けなくなる」のと「自分から学校以外の道を選ぶ」のとではまったく違います。どれほど違うのか知るために、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアに書かれている次の実験を考えてみてください。
生まれたばかりの子ネコに可動性の装置を取り付け、円形の囲いの中に入れた。一群の子ネコは能動的に装置を引きながら囲いの中を歩き回れたのに対し、もう一群は受動的に装置に引っ張られた。
両群とも囲いの中を動き回って厳密に同じ視覚体験をした。
しかし、環境を主体的に探索することなく、受動的に引き回された子ネコは、のちに視覚を運動の手がかりとして用いることができなかった。足を適切な位置に置くことも、落ちそうな場所から逃げることもできなかった。
この障害は、環境を探索しながら自発的に動き回れるようにすると、すみやかに正常に戻った。(p158)
この実験では子ネコを2つのグループに分け、同じ機械を取り付けました。
片方のグループは機械に引っ張られて受動的に動き回りました。もう片方のグループは機械を引っ張って能動的に動き回りました。そしてどちらも同じものを見て歩きました。
同じものを見たのなら、同じことを学んだはず、と思うかもしれません。しかし同じ場所で同じ経験をしていたにもかかわらず、自分から動き回った子ネコは健康だったのに、引っ張られて動いた子ネコは混乱して感覚がおかしくなっていたのです。
学校という場は、どれだけ主体性を重んじようと綺麗事を言われても、受動的な体験ばかりです。授業の内容も、時間も、座る場所も、学ぶ課題も、すべて決められています。あまつさえ、塀に囲まれた刑務所のように、授業が終わるまで半日も拘束され続けます。
そんな受動的な空間に拘束され、逃げられないストレスを受け続け、しまいには不登校にされてしまい、しかも不登校になった子どものほうが悪いかのように責められ、落ちこぼれ扱いされます。
学校にとらわれ、学校の価値基準にそって考え続けているかぎり、機械に引き回された子ネコと同じです。
不登校状態の心身の混乱は、受動的に引き回された子ネコが陥った、極度の感覚の混乱と同じです。
学校に引き回されるのをやめて、自分の足で動きまわり、自分の人生を自分で決めるようになれば、おのずと無力感のループから解放されます。子ネコの障害は「環境を探索しながら自発的に動き回れるようにすると、すみやかに正常に戻った」のですから。
あなたが「学校に行きたいのにどうやっても行けない」のは、意志の弱さでもこころの問題でも何でもない、ということを知りましょう。それは学校社会から見た一方的な決めつけなのです。
あなたが学校に捨てられた不登校の子どもであるかぎり、主導権は学校側にあり、あなたは受動的な立場です。主導権を取り戻すには、学校を捨ててみよう!しかありません。「学校に捨てられた」はトラウマですが、「学校を捨てた」はトラウマにはなりません。
「ストックホルム症候群」に陥った人は加害者にしがみ続けます。あまりに慢性的に加害者に支配されたせいで、その人の奴隷のようなパターンがからだに刻み込まれてしまうからです。自分から加害者を捨てないかぎり、そこから抜け出せません。
不登校の子どもはストックホルム症候群のように学校にしがみつき続けているかぎり、学校の奴隷にされています。抜け出す唯一の手段は、学校は加害者、自分は被害者だと認識し、自分から学校を捨てることです。
今は、学校に通い続ける以外にも、社会に出て活躍する選択肢はたくさんあります。「人生に役立つ大事な勉強をはじめ」る選択肢は、高卒検定であれフリースクールであれ、さらにもっと多様な選択肢だって探せば見つかるでしょう。
「明らかにこの状態が改善してしまう状況が一つある」
それにしても、もしも不登校の慢性疲労症候群の原因、および学校にいけなくなる連鎖が、この記事で書いたような「条件付け」の反応によって説明できるものなのであれば、すでに成立してしまった条件付けが起こりにくい環境に行けば、症状が改善されるはずです。
要するに、過去に体験した「逃避不能ショック」を想起させるトリガーがあちこちにあふれている環境にとどまっているから、過去の手続き記憶の再演として慢性的な凍りつき状態が続いてしまっているわけです。
それならば、環境を根本からがらりと変えてしまえばいいのではないか。
三池先生は、フクロウ症候群を克服する―不登校児の生体リズム障害 (健康ライブラリー) のなかで、そのようにして慢性疲労症候群状態が改善した例を紹介しています。
エネルギー生産性が低下している状態はたしかに後遺症として引きつづいていくように思われます。しかし、明らかにこの状態が改善してしまう状況が一つあるのです。
環境が脳を変えるお話は前にしましたが、じっさい、環境を変えることは大変重要な意味をもっています。
フクロウ症候群[※小児慢性疲労症候群の別名。昼夜逆転することからそう呼ばれる]の若者たちがアメリカやニュージーランドなどでホームステイして外国の学校に通うようになると、つまり留学すると、みるみるうちに元気になっていくのは、まるでマジックをみているように不思議な現象です。
…アメリカで元気に活躍しているSさんは当時高校三年生でうつうつとした毎日を送っていました。
体調が落ち込み、数ヶ月の入院期間を経た末に、学校復帰を断念せざるを得ない状況にあり、相変わらず朝起きができない生活状態でした。
アメリカの友人から「体調がわるいからこそ来なさい。転地療養と思って」と優しい誘いの電話を受け、重い気持ちを何とか励ましてやっとの思いで飛行機に乗りました。
二ヶ月後の彼女の声は弾んでいました。結局、優秀な成績でアメリカの有名な大学で学んでいます。
「皆が宿題やテストで疲れ果てて倒れたりするのに、この私は元気いっぱいカゼひとつひかない」と笑う彼女の笑顔ははつらつと輝いているのです。(p188)
三池先生は、この「明らかにこの状態が改善してしまう状況」「まるでマジックをみているように不思議な現象」の説明として、重たい日本の教育システムの空気から逃れたことで脳機能が変化したと説明しています。
しかし、別の記事で書いたように、逆にアメリカの学校で不適応になった人は、日本に来ると元気になるかもしれません。つまりどちらの国の環境がよりよいといったレベルの話ではないように思います。
日本で不登校になった子どもがアメリカに行けば元気になるかもしれないように、アメリカで不登校になった子どもは日本に来たほうが元気になるかもしれません。文化の違いによって条件付けが呼び覚まされにくくなるからです。
先ほどの、シャットダウン状態の難民の子供たちのニュースでも、やはりいちばんの解決策は環境の変化であるとされていたのは興味深いことです。
少年少女の身に一体何が起こっているのか? あらゆるトラウマを経験し、生きることをあきらめてしまった人たち
亡命希望者情報センターのウェブサイトに公表されたファクトシートは、太字で書かれた次の1文で終わっている。「こうした子どもたちは、ナウルでは回復できない。なぜなら、ナウルこそが、彼らのトラウマの原因だからだ」
…「島から外へ移すと、回復するのです」と説明するのは、亡命希望者情報センターで抑留者支援マネージャーを務めるナターシャ・ブラッチャーだ。
「スウェーデンのケースと一致しています。スウェーデンでは、永住ビザが与えられると、希望と安定を感じることができ、その状態から回復するのです。一度ナウルから出られたので、彼らは健康的な環境にいるのです」
不登校の子どもたちは、たいていは難民の子どもたちよりは軽度ではあるものの、起こっているのは同じ不動系(背側迷走神経系)によるシャットダウン現象です。
過去のトラウマ的な体験の手続き記憶と紐付けられている環境そのものを変えれば、条件付け反応が引き起こされにくくなり、快方に向かいます。
これはもちろん、環境が変わると気の持ちようが変化して元気になるという話ではありません。気の持ちようで元気になるくらいなら苦労しません。上記記事でも書かれているとおり、「どれも意識的にやっていることではないのです」。
そもそも「気の持ちよう」「心の問題」も、心とは何かを解き明かせなかった旧来の医学による言い訳にすぎず、本来は心理的な現象ではなく生物学的な現象として説明すべきものです。
ですから、わたしとしては、このような思い切った転地によって小児慢性疲労症候群が改善するとすれば、それはこの記事で説明してきた条件付けの病理以外に説明しようがないと思います。
不登校の病理には、ほかにもマイクロバイオーム(腸内微生物)の代謝物の変化なども間違いなく関係しているとは思いますが、いずれにしても生物学的な変化であって心理的な変化ではありません。
わたしの場合は、学校にこだわりすぎて、不動状態のループがかなり悪化しました。自分で学校に行かないことを選ぶのではなく、ひたすら頑張って、学校に行こうとしがみつき続けて、あまりに体調が悪化してボロボロになって完全に行けなくなりました。
不登校になってからも復学することを望んでしがみつき続けました。どうにかして学校に戻るため力を振り絞りましたが、症状は悪化する一方で、生きているのか死んでいるのかわからなくなりました。
何をやっても、どうあがいてもうまく行かず、本当は頑張りたいという意志はあるのにからだがまったく動かなくて、学習性無力感に打ちひしがれました。自尊心なんて木っ端微塵に砕け散って、生ける屍の日々を過ごしました。
無理を重ねすぎた結果、不動状態がからだに染み込んで抜けなくなりました。不登校になって高校も卒業できず、大学も行けませんでした。凍りつきや慢性疲労にいまだに悩まされています。
もう学校には行っていないはずなのに、別の楽しい交流の場でも、しばしば不動状態が再演されます。最初は楽しんでいても、月日が経つとともに、まず交感神経系の「闘争・逃走反応」が起こり始め、身体がおかしくなっていき、しまいには「凍りつき・麻痺反応」に陥ってシャットダウンします。
「こんなに楽しいのになんでからだが行けなくなるんだろう」と思ったとき、不登校になったあのときと同じメロディをからだが再生しているのだとハッと気づきました。それがこの記事を書くきっかけになりました。
でも、そんなわたしでも、どんなに小さなことであっても、自分の人生の手綱を握ろうと決めたことで、少しずつ人生を取り戻してくることができました。
今だって、なんとか自活していますし、こうして問題が生じるたびに、頭をひねって原因を探り出すことができます。原因がわかれば、解決策を考え出すことだってできるのです。
自分の人生のコントロールを取り戻すのに手遅れはありません。
この記事で考えた手続き記憶、条件付けの原理と、それを応用した治療法については、こちらの記事もご覧ください。
薬物療法は副作用や耐性を伴うので、あくまで補助として用いるべきで、ボディーワークなどの手法で、動きを通して脳の習慣を書き換えていくほうがよさそうです。
転地などで自然豊かな環境に行くことが治療の助けになる可能性もあります。
また、不登校の子どもが、概日リズム睡眠障害や過眠に陥る理由についても、この条件付け反応から説明ができそうです。
慢性疲労症候群を動物行動学という観点から説明するのは、やはり慢性疲労症候群の当事者であったとされるダーウィンにルーツを持つ考え方である、という点はこちらで説明しています。