子どもを襲う未曾有の危機 『「夜ふかし」の脳科学―子どもの心と体を壊すもの』

最近の小中学生は、あくびがで、眠く、横になりたがり、さらには、ちょっとしたことが思い出せず、物事に熱心になれず、考えがまとまらず、イライラし、物事が気にかかり、肩がこり、腰が痛いと訴えている。

このように生命力が消耗し、命の輝きを失い、燃え尽きつつある子どもたちにどうか手を差し伸べてほしい。 (p252)

う訴えるのは、小児神経科医の神山潤先生です。

神山先生は、現代の子どもたちは、「人類史上未曾有の環境」すなわち24時間社会のもと、一昔前には考えられなかったさまざまな問題を抱えていると述べています。

そして、三池輝久先生が主導された厚生労働省の小児慢性疲労症候群研究班の研究結果は「私の考え方とほぼ一致する」とも語っています。(p169)

現代の子どもたちとの置かれている環境はどれほど過酷なのでしょうか。低セロトニン後遺症とは何でしょうか。小児慢性疲労症候群の概念を理解する助けともなるこの本「夜ふかし」の脳科学―子どもの心と体を壊すもの (中公新書ラクレ)を紹介したいと思います。

これはどんな本?

両親が午後九時にはそろっていながら、子どもの就床は午前三時、起床が午後一時。しかも両親は子どもの眠りについて何の心配もしていない (p3,72)

神山先生がこの本を書こうと思ったきっかけは、そのような家庭があることを知ったことでした。「夜ふかし」の脳科学―子どもの心と体を壊すものは睡眠軽視社会ともいえる、日本の根深い問題に切り込んだ書籍です。

まず導入部分では、睡眠のメカニズムについて、分かりやすく丁寧に説明されています。小児慢性疲労症候群について調べていると出くわすことになる、「フリーラン」「サーカディアンリズム」といった用語はどういう意味か、といったことが興味深く学べます。

中盤では、日本の夜ふかし社会が抱える5つの問題、すなわち、慢性的な時差ボケ、明るい夜、睡眠不足、生活習慣病、低セロトニンについて書かれています。

そして終盤では、低セロトニンがもたらす、低セロトニン後遺症ともいえる現代の子どもたちの不調について論じられています。それは、慢性疲労症候群(CFS)や線維筋痛症(FM)、起立性調節障害(OD)とも関係している、とされています。

この書評では特に、中盤から終盤にかけての、慢性疲労症候群(CFS)に関する部分を取り上げたいと思います。

日本の睡眠軽視社会はどれほど異常か

現代の子どもたちはどれほど異常な環境に置かれているのでしょうか。神山先生は次のようなデータを持ち出しています。

日本の中学生は世界一睡眠不足: 2000年の国際比較では、日本の中学生の睡眠時間はヨーロッパより90分、スイスより2時間半も少ない。唯一台湾が肉迫しているが、台湾の学校では仮眠時間が設けられている。(p70)

4割以上の子どもが夜ふかし: 1999年の国際学会では「日本は一体どうなっているのだ」と驚かれた。オーストラリアでは「中学生の娘が夜9時半にならないと寝ない。朝は6時半に起きて学校に行かなければならない」と真剣に悩んでるというのに。(p75)

日本の高校生は世界各国より夜ふかし: 2003年の国際比較では、中国・アメリカの高校生の半分以上が午後11時前に寝ているのに対し、日本の高校生の半分以上が0時より後に寝ていた。(p79)

このような例は枚挙にいとまがありません。神山先生は「日本の子どもたちは、まさに人類がかつて経験したことのない未曾有の環境に放り込まれている」と危機感をつのらせています。(p168)

神山先生は眠りを奪われた子どもたちがどうなるか、さまざまな研究を引き合いに出してこう警告しています。

明るい夜にさらされ、夜ふかしで、慢性時差ぼけで、睡眠不足に陥った子どもたちは、血圧が上がり、肥満にさいなまれている。

さらに、糖代謝、脂質代謝、免疫機能、あるいは性腺の成熟過程にも障害がもたらされ、発ガン率が高まる可能性があり、老化が促進されてしまうのである。(p134)

セロトニン後遺症

このような子どもたちの問題のうち、最も深刻なものを、神山先生は「低セロトニン後遺症」としてまとめています。

低セロトニン後遺症とは何でしょうか。

セロトニンは脳の発育を促す物質です。2歳までの大脳が発達する時期に睡眠が削られると、セロトニン神経系がうまく働かず、その後の発達に影響を及ぼすと考えられます。この状態を、神山先生は低セロトニン後遺症と呼んでいるようです。(pp138,168)

幼少期の睡眠問題が発達に影響を及ぼすことは、三池輝久先生も警告していました。

発達障害を防ぐ「子どもとねむり」の大切さ
発達障害の原因は、赤ちゃんのときの睡眠障害にある…。最新の研究に基づいて、乳幼児期のねむりの大切さを説明している書籍「子どもとねむり」から、あまり知られていないねむりの役割を紹介し

低セロトニン後遺症がもたらすさまざまな問題にはどのようなものがあるでしょうか。

内的脱同調:その一つは小児慢性疲労症候群の一因とされている「内的脱同調」、つまり慢性の時差ぼけになりやすくなることです。この本では、体内のさまざまなリズムが狂っている慢性の時差ぼけが、まとまりがつかなくなったオーケストラの不協和音にたとえられています。

人間の体では視交叉上核という指揮者が、体温リズム、睡眠覚醒リズム、ホルモンリズムなどを24時間に束ねています。しかし指揮者が役割を果たさないと、それぞれが好き勝手に回り始め、フリーランと呼ばれる状態になります。(p27,51)

それぞれがフリーランすると、思うように眠れず、起きられず、体温が生活に同調せず、疲れ果ててしまいます。そのようなわけで神山先生は、慢性疲労症候群(CFS)と内的脱同調の関連を繰り返し指摘しています。特にp181の図は注目に値します。(p90,169,171,251)

痛みへの過敏性:セロトニンは脊髄のレベルで痛み刺激が脳に伝わることを遮断する働きもあります。そのため、線維筋痛症(FM)とも関係があるかもしれません。セロトニン不足が過敏性をもたらすことは渡辺恭良先生も指摘していました。(p172,187)

脳科学が解明する「脳と疲労―慢性疲労とそのメカニズム」
脳科学の進歩によって、疲労についての常識は、一昔前と比べて、今、大きく変わろうとしています。渡辺恭良先生の著書「脳と疲労 ―慢性疲労とそのメカニズム―」から脳科学の観点から慢性疲労

自律神経系への影響:セロトニンは自律神経系の働きも制御しています。また気分の落ち込みとも関係しています。そのため起立性調節障害(OD)とも関わっている可能性があります。(p176-180,187)

低セロトニン後遺症を防ぐには

この本には、低セロトニン後遺症を防ぐため、さまざまな提案が書かれています。たとえば、セロトニン神経系にとってとても大切なのは、運動、および食事の習慣です。また文部科学省の「脳科学と教育」プロジェクトに基づき、脳科学に基づいたしつけの必要性も説かれています。(p191)

このプロジェクトについては以下のエントリでまとめました。

子どもが生き生きと育つ「脳科学と学習・教育」の3つのポイント
「教育」は人間特有のとても大切な行動です。それだけに、非科学的な詰め込み教育は脳機能に害をもたらします。どんな「教育」が脳の機能に沿った自然なものだといえるのでしょうか。書籍「脳科

以上のことは家庭で実践できるため、ぜひ取り入れていきたい部分です。

しかし根源的には以下の5つの社会病理があると提言されています。(p246)

1.現代の大人たちの思い上がり

2.問題から目を背けている先送りの精神

3.夜ふかしの害についての想像力の欠如

4.理念を失った商業主義

5.子どもの未来への無責任

これらの点については、三池輝久先生の学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている (講談社プラスアルファ新書)のほうが、はっきりと意見を述べていて、問題の本質に踏み込んでいると思います。

神山先生は、最近の講演の資料などを拝見すると、問題は根深く価値観の変革が必要だと考えておられるようでした。

神山 潤 公式サイト | 日本の眠りについて考えるはてなブックマーク - 神山 潤 公式サイト | 日本の眠りについて考える

グローバル化、多様化が進み、現代社会はかつてないほど、“ある意味においての自由”を手にしています。それはたとえば、さまざまな娯楽であったり、好きなものが望む時に望むだけ手に入る便利さかもしれません。

しかし、だからといって、現代の若者が本当の意味で自由を実感できているかというと、決してそうではありません。あらゆる価値観や規準を投げ捨てたところで、快さは得られないのです。それは、車で心地よくドライブするには、根底となる交通法規が必要なのと同じです。

「夜ふかし」の脳科学―子どもの心と体を壊すものは、現代の子どもたちを取り巻く異常な環境を伝える点で、学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてていると並ぶ大切な書籍です。前者が予防に重点を置くもので、後者はすでに重症状態に陥った子どもを対象としたものといえるでしょう。小児慢性疲労症候群を考える際の関連書籍としてぜひ読んでおきたい一冊です。