鏡の中に見える反転した自分の姿に向かって、わたしは嘆願しました。
(おぼえていてね、あなたが体験していることをぜんぶ、どうか、おぼえていてね!
こののうそっちゅうで、認知力がこわれていくことで、まったくあたらしい発見ができるように―) (p48)
もしも、刻一刻と壊れていく自分をリアルタイムで体験することになったら、あなたはどう感じるでしょうか。
一分一秒と時経つうちに、ひとつ、またひとつと能力が失われていき、体を動かす力も、言葉を話す能力も、見たものを把握する理解力も、次々に削がれ失われていくのを、ただ見ているしかない状況に置かれたとしたら。
科学者のジル・ボルト・テイラー博士が置かれたのはまさにそのような状況でした。37歳のある朝、彼女は朝起きると脳卒中になっていて、わずか数時間のうちに自分の能力が失われていくのを見つめることになったのです。
普通の人ならば、わけもわからずただパニックになるような異常な事態ですが、冷静な科学者たる彼女は違いました。
これまでの知識を総動員して、自分に何が起きているのか把握しました。そして働かない体と思考を駆使してなんとか助けを求め、壊れゆく思考の中で、冒頭の言葉を思いに刻みました。
「こののうそっちゅうで、認知力がこわれていくことで、まったくあたらしい発見ができるように―」。
この記事では、博士の劇的な体験記奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)をもとに興味深く思った点をまとめ、右脳と左脳の機能の違いや、自閉スペクトラム症(ASD)における右脳の役割などを考察してみました。
もくじ
これはどんな本?
今回紹介する奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)は、脳卒中によって左脳の機能がほぼすべて失われるという極めて過酷な逆境に陥りながら、科学者の目を失わずに自らの身に起きたことを分析し、たゆまぬリハビリによって後遺症を克服してきたテイラー博士の体験記です。
この本は大きく分けて3つの部分からなり、前半は脳卒中とリハビリの体験談、後半は脳卒中の経験から学んだ新しい生き方の勧め、そして付録として脳についての科学的な説明が収録されています。
特に前半部分の、脳卒中を身をもってリアルタイムで経験し、科学的な分析と当事者としての感情を織り交ぜて書かれた体験記は、極めて特異な感覚世界へ旅をして生還したテイラー博士にしか書けないすばらしい見聞録になっています。
後半部分は、読む人を選ぶ内容で、飛躍した意見も見られますが、奇跡の脳の織りなす不思議な世界を垣間見て、新たな人生観を持つに至ったテイラー博士の覚めやらぬ興奮が熱く伝わってきます。
37歳で脳動静脈奇形(AVM)から脳卒中へ
この本の著者のテイラー博士は、とても有能かつ前途有望な神経解剖学者でした。
統合失調症を発症して社会生活を送れなくなってしまった兄を見て育った彼女は、この破壊的な精神疾患の正体を探るべく医学の道に進み、35歳の若さで全米精神疾患同盟(NAMI)の理事に抜擢されます。
史上最年少の理事として若さとエネルギーに満ち溢れ、それまで否定的に見られがちだった脳バンクへの献体を、歌によって身近に感じさせる「歌う科学者」として活動するなど、前途洋々の人生を送っていました。
しかし1996年12月10日の朝、目が醒めた時に、彼女の人生は一変してしまいます。
最初に感じたのは、ひどい頭痛と、体の動きのぎこちなさでした。自分を外から見ているような解離状態が生じ、体のバランスが崩れ、何気ない物音が耳をつんざくような轟音になりました。
次々に思考と体に生じる不思議な症状を目の当たりにし、科学者としての知識を総動員した彼女は、ついにその正体に気づきます。
なんと37歳の若さで、脳卒中になってしまったのです。
それでも、絶望してショックを受けるどころか、冒頭に引用した言葉のように、自分の経験から新たな発見しようと決意したのは、知の探究に人生を捧げる科学者らしいところです。
これまで外から研究するしかなかった脳の機能を、自分の体験をもって、内側から調べるチャンスが訪れた、と感じたのです。
わたしのこれまでの人生は、人間の脳が現実に対する知覚をつくり出す仕組みを理解することに費やされてきました。
でも今、目を瞠(みは)るような新しい発見につながる一撃(脳卒中)を体験してる!(p44)
しかし、科学者として新たな発見を前に高揚する気持ちとは裏腹に、次々と脳の機能が失われていくのは、とても苦しく不自由極まりない経験でした。
ひとたび脳卒中が生じ、当たり前の脳の機能が失われていくと、ほんのささいなこと、たとえば助けを求めて電話をするといったことでさえ、不可能な難題に様変わりする、ということに彼女は気づきました。(p49)
一瞬前に何を考えていたかさえ忘れてしまう、電話番号をほんの数秒ワーキングメモリにとどめておくことさえできない、ごく普通の手の動きがままならない、文字が理解できない、そしてあまりに長い時間悪戦苦闘して、なんとか電話をかけることに成功しても、言葉がでてこない…。
わたしたちが常日頃、ごく当たり前とみなして気にも留めない諸々の認知機能が失われるだけで、助けを求めるという小さなステップが、どれほど高い、乗り越えられない壁になるかを経験したのです。
幸い、彼女は周期的に訪れる思考の「明晰な波」をとらえて、助けを求める電話番号を奇跡的に思い出しました。電話ではうめき声しか出せませんでしたが、これまた奇跡的に電話に友人の医師が出て、彼女の異常事態を察知してくれました。
そうして病院に入院した彼女は、先天性の脳動静脈奇形(AVM)による脳卒中と診断されます。彼女はかねてから偏頭痛のような痛みを感じていましたが、それは実は、AVMによる脳卒中の前兆だったことも知りました。
そのときから彼女の脳は新しく配線され、右脳だけで生きるとはどういうことか、そして左脳の機能を取り戻す中で、自分にどのような変化が起きていくのか、という摩訶不思議な過程を身をもって体験することになります。
脳卒中から回復するために必要なこと
続く部分では、入院中の苦労や心細さ、リハビリの過程などが綴られていきます。
体験者にしか書けない生き生きとした真に迫る描写の数々は、あらゆる人が読む価値のある貴重な現地リポートだと思います。
たとえば、脳卒中の患者という視点から見た病院の制度の問題や、助けになるスタッフと、苦痛を増し加えるスタッフについての違いは、医療関係者やヘルパーなどにとって必読ともいえる部分です。(p82 86 106 124)
「病院の一番の責務は患者のエネルギーを吸い取らないこと」というテイラー博士の実感のこもった言葉に思わず共感する人は少なくないでしょう。 (p118)
患者が今どんな状態にあるかを顧みようとしない機械的な対応や、ただ情報を聞き出そうとするぞんざいな扱い、体調を推し量ることなく全員を一律に扱って重病人を待たせて放置することなどが、いかに患者のエネルギーを奪うかが切々と語られています。
一方で、 親切なスタッフがどのように共感的に、尊厳を重んじて扱ってくれたか、ということも具体的に記されているのでとても参考になります。彼らは、テイラー博士が言葉を話せなくても、決して知的に劣る者のように扱ったりしませんでした。
さらに、テイラー博士のリハビリにおいて大いに助けになった、母GGによる世話の記述を読むと、回復に必要な支えとはどんなものかがよくわかります。
テイラー博士は、そうしたこまやかな支えが得られないために、本当は回復できるのにその可能性を閉ざされてしまっている脳卒中患者が少なくないと述べています。
脳卒中で一命をとりとめた方の多くが、自分はもう回復できないと嘆いています。
でも本当は、彼らが成し遂げている小さな成功に、誰も注意を払わないから回復できないのだと、わたしは常日頃考えています。
だって、できることとできないことの境目がはっきりしなければ、次に何に挑戦していいのか、わからないはず。
そんなことでは、回復なんて気の遠くなるような話ではありませんか。(p144)
同時に、そうした共感的、献身的な支えのもとで、できなくなったことではなく、できることに注意を向けて、達成可能なハードルを少しずつ設定し、たゆまずリハビリに努めたテイラー博士の姿勢からも大いに学べるものがあります。
外界のいかなるものも、わたしの心の安らぎを取り去ることはできません。それは自分次第なのです。
自分の人生に起きることを完全にコントロールすることはできないでしょう。でも、自分の体験をどうとらえるかは、自分で決めるべきことなのです。(p195-196)
テイラー博士は、多くの能力が失われても、決して無力感に打ちのめされたりせず、いつも自分の人生は自分でコントロールしている、という認識を抱いていました。
冒頭で引用したとおり、たとえ自分が壊れていく中にあっても、そこから何か新しい発見を得ようと未来を見据えていたほどでした。
これは、以前の記事で紹介した、自己統御感そのものでしょう。
まさにその自己統御感ゆえに、テイラー博士は脳卒中の後遺症から回復し、科学者として、再び一線に復帰することができたのです。
この本のp291-297には、付録として、テイラー博士の経験に基づく「病状評価のための10の質問」と「最も必要だった40のこと」が載せられています。
それらは、この本の体験談と合わせて、さまざまな病気の人と接する家族や医療・福祉関係者にぜひ読んでもらいたい内容だと感じました。特に「最も必要だった40のこと」は、印刷してデスクに貼っておくべきリストかもしれません。
アスペルガー症候群とよく似ている?
ところで、わたしは本書を読んでいるうちに気になったことが幾つかありました。
まず気になったのは、脳卒中後、言語中枢をはじめ、左脳の機能の大部分が低下しているときに著者が経験した様々な症状についてです。
読んでいるうちに、それらの症状が、どうも自閉スペクトラム症(ASD)、つまりアスペルガー症候群の人たちが経験するとされる症状に、極めて似通っているように思えてきました。
著者が体験した特異な症状は、リストアップしてみると、例えば、以下のようなものがありました。
「今ここ」に心を奪われる 115
過去や未来がわからない 137
■空間感覚
三次元がわからない 98 114
どこに手足があるかわからない 115
■感覚過敏・鈍麻
光過敏、蛍光灯の明かりが強すぎる 116 163
声を背景から区別できない 102 114
感覚の洪水、情報の集中砲火 136
洗濯機でパニックに 165
感情を過敏に読み取ってしまう 106 121
■ひどく疲れる
テレビにエネルギーを吸い取られる 148 182
頭と体の活動に区別なく疲れる 149
エネルギーを節約する必要がある 126
負のエネルギーを出している人の影響を受ける 192 193
■視覚的思考
絵で考えることはできた 108
全体思考 112
■失読症 ??
読むことが一番難しい 157
文字が染みにしか見えない 158
書けるのにそれを読めない 168
音読しながら意味を理解することが理解できない 187?
■自己同一性についての感覚
残された自分の人格はだれなのかわからない 93 101
左脳と右脳で異なる人格を感じる 223
こうした症状はいずれも、自閉スペクトラム症の人の本を読むと、たびたび目にするものばかりです。
たとえば、時間の流れの連続性がなくなり、常に「今ここ」にとらわれている特殊な時間感覚については、過去の記事で扱いました。
また、特に自閉スペクトラム症との類似性を思わせるのは、過剰な感覚の洪水に圧倒されてしまう症状です。テイラー博士はこう述べています。
脳が、最低限の刺激しか望んでいなかったからです。意気消沈していたわけではなく、脳が感覚の洪水でアップアップの状態にあり、情報の集中砲火を処理できなかったから。(p136)
この情報過多のせいで、テイラー博士はまぶしい光やつんざくような音に悩まされ、まわりの雑音に圧倒され、洗濯機を使っていてパニックになりそうになりました。
これと似たようなことは、自閉スペクトラム症の人たちがよく述べていて、たとえば綾屋紗月さんの発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)では「感覚飽和」と呼ばれていました。
本来は、外部から五感が受け取る情報はフィルターにかけられて必要なものだけが意識に上るのですが、自閉症の人たちはそれがうまく働かないようです。
また、テイラー博士は物事を文字で考えるのが不可能になり、絵で考えることしかできなかったと述べています。
外部の世界とのコミュニケーションは途切れていました。言語の順序立った処理もダメ。
でも絵で考えることはできました。瞬間、瞬間に垣間見た情報を集め、その体験について時間をかけて考えることもできました。(p108)
このような強い視覚的思考はしばしば自閉スペクトラム症の人たちにみられます。
最近、金沢大学の研究によって、「三次元の物体イメージを,心の中でうまく回転させることができる」ような視覚的思考の能力が高い自閉スペクトラム症の子どもでは、脳に特殊な結合が見られることがわかりました。
世界初! 自閉スペクトラム症児の視覚類推能力に関わる脳の特徴を捉える | 金沢大学
自閉スペクトラム症児においては,視覚野に相当する後頭部と前頭部の間で,ガンマ帯域を介した脳機能結合(図2)が強いと,視覚性課題の遂行力が高いことを発見しました。
自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐では、こうした独特な視覚的思考は、高名なアスペルガーの数学者が幾何学を通してひらめきを得るときに役立ったのではないかと考えられていました。
有名なアスペルガーの動物学者テンプル・グランディンは、まさに「わたしは絵で考える」と述べています。
どうして、右脳の機能に頼るようになったテイラー博士の感覚と、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちの感覚とがこうも似通っているのでしょうか。
まず思い出したのは、以前に読んだ芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察の中で、自閉症の人たちの特徴から推測するに、それらの人たちは脳機能のバランスが悪く、特に左脳の機能低下が生じているのではないか、と書かれていたことです。
自閉症者は、言語とコミュニケーションの面で重篤な障害があるので、左半球の機能不全がこの障害の主要な原因であると考えられているが、自閉症の視覚芸術家の脳についてこの点を確認できる資料はほとんど存在していない(p256-257)
自閉スペクトラム症の中でも、アスペルガー症候群など高機能とされる人たちの場合は、言語能力が高く、コミュニケーションもできますが、それでも、比喩表現や言外の意味を理解し、いわゆる空気を読むことが苦手だと言われています。
脳の左半球は、単に言語を扱うだけでなく、「既存の概念を再構成する能力」があり、想像力を働かせて意味を解釈することにも関わっているので、言葉を額面どおりに真に受けてしまうアスペルガー症候群の人はやはり左半球が弱いのかもしれません。(p257)
一方で、アスペルガー症候群の人は、視覚的な思考に長けていて、言葉より映像で考えるのが得意な場合があります。
同じ本によると、そうした視覚的思考の能力は言語能力とは逆に右半球の機能と大きく関係しているようです。
空間知覚や全体のなかの位置の判断、物理的空間のイメージ化、同じ対象や地形を心のイメージを通じてさまざまな視点から捉えることなどの機能に関しては、ほとんどの人で右半球が特殊化されている(De Renzi,1982:MeCarthy & Warrington,1990)。(p172)
テイラー博士の場合、脳卒中後、三次元を認識するのに苦労していましたが、それでも絵で考える視覚的思考が強くでていました。
空間認識能力は、完全に右脳だけで成り立っているわけではないのかもしれませんが、一般的に右脳が視覚情報の処理に特化していることはよく知られています。
また、テイラー博士の感覚過敏や、自閉スペクトラム症の人たちの感覚飽和についても、やはり右脳の優位性という観点から説明がつくように思います。
先程の右脳と左脳研究の第一人者、マイケル・S・ガザニガによる右脳と左脳を見つけた男 – 認知神経科学の父、脳と人生を語る –には、脳の左半球と右半球の役割の違いについて、次のような説明があります。
左半球には、状況の要点を把握し、できごとの概要にうまく当てはまるような推論を行い、そうでないものはみな捨て去る傾向がある。
こうした手の込んだ作業をすることで正確性には悪影響が生じるが、一般的には新しい情報の処理が容易になる。
右半球はこういうことはしない。まったく正確に、最初に見た写真だけを見分けるのだ。(p179)
このことから右脳は見たままの、感じたままの正確な情報を保存し、左脳はそれを加工し解釈する、という役割を担っているというものがあります。
先程の芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察の中では、左脳の加工し解釈する役割は「意味システム」と呼ばれていました。
マイケル・S・ガザニガはそれをインタープリター(解釈者)とも呼んでいます。
自閉症の一種とみなされるサヴァン症候群の人の中に、極めて正確な記憶力で知られるキム・ピークや、精密な写実画で知られるスティーブン・ウィルシャーがいますが、彼らの正確な記憶力は、「意味システム」や「インタープリター」(解釈者)が働いていない、つまり受け取った情報が加工されていないことを示しています。
これはアスペルガー症候群の人が冗談を字句通りに受け取ってしまうことともよく似ています。 彼らは正確な情報を扱うことには長けていますが、飛躍させたり、混ぜ合わせたり、行間を読んだりするのは苦手なのです。
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