ミラータッチ共感覚―他人の痛みを自分の身体で感じてしまう超HSPな人たち

子供時代は比較的何事もなくすぎたが、慎重な性格のせいで自閉症に間違えられやすいところもあった。

実際は自閉症の子供の多くとは違い、他人に共感することや相手の行動を理解することには苦労しなかった。

それどころか、他人の考えや感情がよくわかりすぎてしまうー他人が感じてしまうことを自分も感じてしまうのだ。(p262)

この9つの脳の不思議な物語からの引用説明を読んで「ああ、わたしもそうだった」と感じる人がいらっしゃるかもしれません。

このブログで書いてきたHSP(Highly Sensitive Person:とても敏感な人)の説明とよく似ているからです。HSPの子はアスペルガー症候群などと混同されがちです。

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ところが、この引用は、HSPの子についてのものではないのです。

このジョエル・サリナスという男の子は確かに慎重で敏感で、他人の気持ちをわかりすぎてしまうところがありました。でもそれだけではなかったのです。文章はこう続きます。

誰かが頭をかく、顔をしかめる、手首を叩くといった行動を見ると、その人の身体に起こるのと同じ感覚を彼も感じるのだ。(p262)

彼の場合、ただ人の気持ちや感覚がわかるだけではありませんでした。他人の感覚を「我がことのように」感じるのがHSPの特徴ですが、彼は文字通り「我がこととして」感じてしまうのです。

この特殊な能力はミラータッチ共感覚と呼ばれています。だれかが殴られるのを見たなら、自分もガツンと殴られた感覚や痛みをそのまま感じるといいます。

ミラータッチ共感覚は独特ですが、HSPと似ているのには理由があります。どちらも脳のミラーニューロンシステムという機能が活発に働いていることが確かめられているからです。この機能は自閉症では逆に活動低下しているところです。

ミラーニューロンシステムとは何でしょうか。なぜミラータッチ共感覚の人たちは他人の感覚を自分の身体で感じてしまうのでしょうか。ジョエル・サリナスの不思議な人生から、感受性豊かな人は何を学べますか。

この不思議な脳の現象について調べてみましょう。

ミラーニューロンシステムー自閉症とHSPでは正反対

「ミラーニューロン」という言葉は、少しでも発達障害や脳科学などに触れたことのある人なら聞いたことがあると思います。それほど有名な概念です。

でも、ここではまず、その発見の歴史から簡単に振り返ってみることにしましょう。

神経科学者ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドランは、脳のなかの天使の中で、ミラーニューロンの研究が発表された場に居合わせたときのことを、こう振り返っています。

1990年代後半に、サルをもちいてその運動指令ニューロンの研究をしていたイタリアのパルマ大学の神経科学者ジャコモ・リゾラッティと同僚のジュゼッペ・ディ・ペレグリーノ、ルチアーノ・ファディガ、ヴィットリオ・ガリースは、奇妙なことに気づいた。

一部のニューロンが、サルがある動作をしているときに発火するだけでなく、ほかのサルがそれと同じ行動をしているときにも発火したのである。

リゾラッティがある講演でこのニュースを発表したとき、聞いていた私は座席から跳びはねそうらなった。

…それらのニューロンは…事実上、ほかのサルの心を読みとって、そのサルが何をしようとしているかを把握していた。(p177)

リゾラッティら研究者たちは、サルの脳に特殊なニューロンを見つけました。

そのニューロンはサルが自分でピーナッツをつまんだときに発火しました。しかし、それだけでなく、研究者がピーナッツをつまむのをサルが見たときにも発火したのです。

このニューロンはわたしたちヒトにも備わっています。自分の動作を感じるだけでなく、他人の動作を「見た」ときにも同じように反応するニューロンです。

このニューロンは他人の行動を鏡のように反映するので、「ミラーニューロン」と名付けられました。

その後の研究で、関連するさまざまな仕組みが発見され、脳の中で一連のミラーニューロンシステムを構成していることがわかってきています。

たとえば、ミラーニューロンシステムには、他人の動作を模倣するだけでなく、他人の感覚を模倣するニューロンも存在していることがわかっています。

リゾラッティによる発見のあと、ほかのタイプのミラーニューロンも発見されている。

トロント大学の研究者たちは、脳外科手術を受けている意識のある患者で、前部帯状回のニューロンの活動記録をとっていた。

この領域のニューロンは身体的苦痛に反応することが昔から知られている。

…その痛覚ニューロンが、ほかの患者が突かれるのを見ているときにも同じくらいさかんに反応することを発見した脳神経外科医の驚きを想像してみてほしい。

それはあたかもニューロンが、ほかのだれかに同情しているかのようだった。

…その後、触覚についても同様のニューロンが頭頂葉で、クリスチャン・カイザーズが率いるグループの脳画像の技法をもちいた研究によって発見されている。(p180)

このニューロンは他人の感覚を模倣します。それによってわたしたちは他人の動作を理解するだけでなく、他人の触覚や痛みを自分でも感じることができます。人の感覚に共感できるのです。

これは何を意味するでしょうか。

たとえば、あなたの目の前で、友人がひどい言葉をかけられたとします。そうすると、友人の辛い気持ちをあなたも感じます。

また、もし友人が殴られたとしたらどうでしょうか。その痛みや衝撃を、あなたもある程度感じます。このとき脳の中で、これらのミラーニューロンシステムが発火しているのです。

でも、もしこのミラーニューロン・システムには問題点もあります。誰かの喜びや痛みに感情移入するのはよいことです。他人の経験を我がことのように感じるからこそ共感が生まれます。

しかし他人の痛みを「我がことのように」ではなく「我がこととして」感じてしまうなら、まったく別です。

人の痛みや苦しみはもちろん、喜びでさえ、ぜんぶ同じように感じていたら疲れ果ててしまいます。

もしもミラーニューロンシステムが、完璧に他人をミラーリングしてしまったら、わたしたちは、自分を保てなくなってしまいます。個性などなくなって他者と同化してしまいます。

実のところラマチャンドランは、もし人間は皮膚によって隔てられていなかったら、ミラーニューロンシステムによって他者と溶け合い、同化してしまうだろうと述べています。

(これは誇張ではなく事実と思われます。別の科学者によると、わたしたちが持つ自己や意識といった個を保つための感覚は、自分の内部を外部と隔て、同化しないように保つホメオスタシス(恒常性)の仕組みまでさかのぼれるからです。

単純化して考えると、わたしたちが一個の自分を保てるのは、細胞膜によって外界と隔てられていて、内部のホメオスタシス(恒常性)が維持されているおかげです)

でも、わたしたちは現に他者と同化していません。ちゃんと個を保っています。それはなぜか。

ラマチャンドランによると、同調しすぎることを防いでくれるメカニズムが、ミラーニューロンシステムに組み込まれているからです。

では触覚や痛覚などの感覚ミラーニューロンの場合には、なぜ自動的な発火によって、見たものすべてを感じてしまうということにはならないのだろうか?

おそらく、あなた自身の手の皮膚や関節にある受容体から無効信号(「私は触られていない」)が出て、ミラーニューロンからの信号が意識にのぼるのを阻止するのだろうと私は考えた。

無効信号とミラーニューロンの活動が重なって存在すると、高次の脳中枢がそれを、「もちろん共感はするが、あの人の感覚を文字どおりには感じるな」という意味に解釈する。(p181-182)

ミラーニューロンは、他者の痛みや苦しみを鏡のように反映します。でも、わたしたちの脳には、それが他人の経験か自分の経験かをチェックする仕組みがあるのです。

ミラーニューロンが他者の感覚を模倣しても、自分の肌でそれを感じているという実感がないなら、脳はそれは「ひとごと」だと判断します。無効信号が送られて、過度に感じすぎないように守られます。

このことは、湾岸戦争で片手を失い、幻肢(幻の手の感覚)を感じるようになった人の実験を通して裏付けられているそうです。その人は、他人が触られているのを見たとき、自分の幻肢にも同じ感覚を感じました。

文字どおりの肉体としての手と感覚受容体がないために、「私は触られていない」という無効信号を作りだすことができなかったのです。この現象は「獲得性過共感」と呼ばれています。

このように、わたしたちは、他者の感覚を「見て」感じるミラーニューロンと、自分の身体が「触られた」ことで感じる能力のバランスをとっています。

自分の身体に直接触れられていないときには、ミラーニューロンに無効信号が送られるので、他者の痛みや苦しみを、自分のことのように感じすぎることはありません。

でも、容易に想像できることですが、これには個人差があるはずです。

他者の痛みや苦しみ、喜びや興奮を見たときに、どれほど強くミラーニューロンが発火するか。また自分の身体が触られていないときに、どれほど強く無効信号が送られるか。

これらの程度差によって、他者にひといちばい共感する人もいれば、ほとんど共感しない人もいるでしょう。

ミラーニューロンの活性レベルをものさしにした場合、一方の端にいるのが、ミラーニューロンシステムが弱く他者の経験にあまり関心を示さない自閉症の人たちです。

ラマチャンドランが述べているように、自閉症の人たちの振る舞いの多くはミラーニューロンシステムが弱いことで説明がつきます。

多くの自閉症児は、ほかの人の行動をまねるのが困難である。この観察所見は私に、ミラーニューロン・システムの欠陥を想起させた。(p198)

私たちは、ミラーニューロンの機能と推定されるもの、すなわち共感、意図の読みとり、模倣、ごっこ遊び、言語学習などが、まさに自閉症で機能不全が見られるものであるという事実に驚いた。(p201)

自閉症の人たちで、実際にミラーニューロンシステムの働きが弱いことを示した研究はたくさんあります。

この本にもいくつかの研究が載っていますが、その中のひとつ、TMS(経頭蓋磁気刺激法)を用いた研究では、自閉症の人たちのミラーニューロンが「行方不明」になってしまうことが確認されました。(p204)

他方、このミラーニューロンシステムの働きが強く、他者の感情や感覚を我がこととして感じすぎてしまうのが、近年、HSPとかエンパスとか呼ばれるようになった人たちです。

HSPという概念の提唱者であるエレイン・アーロンがひといちばい敏感な子で書いているように、HSPの人たちの脳でミラーニューロンシステムが活発なこともまた研究で確かめられています。

HSPは非HSPに比べて、ミラーニューロン系の働きも活発です。

…ミラーニューロンとは、ほんの20年前に発見された神経細胞です。他の人が何かをしたり感じたりしているのを見ると、このニューロンが発火し、あたかも自分が同じことをしている、感じているかのようになるのです。

…運動選手やダンサーが激しい動きをしてるのを見て、筋肉がぴくりとしたならば、それはミラーニューロンが働いているのです。

この驚くべきニューロンは、模倣による学習の助けになるだけでなく、ビアンカ・アセヴェドの研究で、HSPで特に活発に働くことが認められた脳の部位と協同して、他人の意志や気持ちを深く酌み取る助けになることが分かりました。

つまり、脳のこの部位は、共感を呼ぶのです。(p431)

ことミラーニューロンの働き具合に関していえば、自閉症とHSPは正反対の場所にいます。

しかし、どちらも感覚が敏感で圧倒されやすいので、ちゃんと観察しない人たちから、ときに混同されてしまっています。冒頭で9つの脳の不思議な物語から引用した例のようにです。

子供時代は比較的何事もなくすぎたが、慎重な性格のせいで自閉症に間違えられやすいところもあった。

実際は自閉症の子供の多くとは違い、他人に共感することや相手の行動を理解することには苦労しなかった。

それどころか、他人の考えや感情がよくわかりすぎてしまうー他人が感じてしまうことを自分も感じてしまうのだ。

誰かが頭をかく、顔をしかめる、手首を叩くといった行動を見ると、その人の身体に起こるのと同じ感覚を彼も感じるのだ。(p262)

この人、ジョエル・サリナスは、子どものときからミラーニューロンシステムがとびきり活発でした。

敏感なHSPの人たちは、ミラーニューロンシステムが活発なほうに属していますが、それよりもさらに強い人でした。

ミラーニューロンが活発な人は、他人の感覚を「我がことのように」感じました。しかしジョエルはそれを通り越して、他人の感覚を「我がこと」として感じるのです。

「その人の身体に起こるのと同じ感覚を彼も感じる」。

これがジョエルの特徴「ミラータッチ共感覚」でした。

外傷性脳損傷で思いやり深くなったジェイソン

わたしが初めて「ミラータッチ共感覚」という言葉を知ったのは、31歳で天才になった男 サヴァンと共感覚の謎に迫る実話という本を呼んでいたときのことだったかと思います。

この本を書いたジェイソン・パジェットは、暴漢に殴られて外傷性脳損傷を負いました。しかしそれをきっかけに、風景にフラクタルが見えるなど、不思議な現象が次々に起こるようになりました。

おそらく脳損傷によって、脳の抑制回路のどこかが不具合を起こしたのでしょう。本来なら、抑制されているはずの能力が解放されてしまい、さまざまな感覚に圧倒されるようになりました。

ジェイソンは洪水にように過剰に迫ってくる感覚に苦しみながら、自分の身に何が起こっているのか調べました。そのとき出くわしたのがミラータッチ共感覚の文献だったそうです。

僕が読んだ現象の中でいちばん興味深いものは、ミラータッチ共感覚だった。ミラータッチ共感覚を持つ人は、人が触れられているのを見ると、自分が触れられているように感じる。

このメカニズムはだれもが持っているミラーニューロンの活動と結びついているーだれかが殴られるのを見るとびくっとする、あの反応のことだ。

ミラータッチ共感覚は単にそれが大きくなったものかもしれない。(p88)

ジェイソン自身は、他人が触れられたときに、自分も触れられていると感じるような、極端なミラータッチ共感覚はありませんでした。それでも、周囲に対して敏感になり、過剰に反応してしまうようになっていましした。

ミラーニューロンが共感反応を起こすことを示す研究もあり、自分でもそれが高まりつつあるのを感じていた。

僕の場合、脳損傷のあと、それまで以上に人の感情を感じ取れるようになったようだ。

滅多にないことだが、人に囲まれると、自分の感情だけでなく、その人たちの感情も感じ取れるため、押しつぶされそうになった。

運のない日を過ごしている人と話せば、その人の不安を自分のものとして感じた。(p88-89)

ジェイソンはもともと、他人にあまり共感するタイプではありませんでした。「危険と冒険を求める熱追尾ミサイル」だったと回想しています。(p30)

ところが、外傷性脳損傷のあとは、周囲の人たちの気持ちを過剰に感じ取るようになってしまいました。そこにはメリットとデメリットが共存していました。

これには利点もあり、人の心を読むのがうまくなり、以前よりずっと人を思いやるようになった。

また、ボディランゲージを見れば、その人の本音がわかるため、行動を予測できることに気づいた。

やがて、ボディランゲージによって、相手の思考だけでなく、感情も感じ取れるようになった。

相手が浮き浮きしていれば、自分も浮き浮きした。相手の不安が自分の不安になった。

だから、人と一緒に過ごしたあとには、暗く静かな場所に引きこもり、しばらく人と会わないでいなければならないこともあった。(p89)

過剰に共感してしまう能力によって、彼は思いやり深くなり、気配りができる人になりました。熱追尾ミサイルではなくなったのです。

しかし人の気持ちがわかりすぎてしまうせいで、耐えられなくなることがありました。他人の喜びや不安を自分でも感じるので、圧倒されて、疲れ果ててしまいます。

ジェイソンの悩みは、HSPを自覚している人にとっては、ひとごとではないでしょう。ひといちばい敏感な子に出てくるキャサリンのように。

キャサリンは、高校3年生で、典型的なHSCです。ハキハキしていて、大人びていて、外向的ですが、集団の中にいるとすぐに疲れます。

涙もろく、うるさい音が苦手で、他の人の気持ちを過剰なまでに感じ取ります。

思慮深く、よく気がつき、「年の割りに賢い」ことから、小学1年生で「優秀な生徒のためのプログラム」というものに参加することになりました。(p387)

キャサリンは外傷性脳損傷を負ったわけではなく、生まれながらのHSPですが、やはり「他の人の気持ちを過剰なまでに感じ取」ります。

それはある面では「思慮深く、よく気がつ」くという優秀な才能です。しかし、「集団の中にいるとすぐに疲れ」てしまうので、クールダウンが必要になります。

生まれながらのHSPのキャサリンと、後天的な怪我で敏感になったジェイソンは、背景は違うといえ、脳内で似たようなことが起こっている可能性があります。ミラーニューロンシステムの活動亢進です。

もちろんこれは、HSPの人の脳が、外傷性脳損傷と同じ状態にあるという意味では決してありません。ジェイソンのケースが例外すぎるのです。

ジェイソンは、外傷性脳損傷を負いましたが、脳が損傷した、というよりは、衝撃によって働き方が変化してしまった、というほうが正しいようです。

このような例は極めてまれです。31歳で天才になった男 サヴァンと共感覚の謎に迫る実話によると、のちにバジェットはダロルド・トレッファート博士の研究に参加し、博士の50年間の経歴で30人しか見つかっていない後天性サヴァン症候群と診断されました。(p263)

サヴァン症候群の専門家であるトレッファート博士とは、スカイプで何度か話していた。

…博士は、ボディランゲージに対する執着は、後天性サヴァンの多くが経験する感受性と意識の高まりに起因している可能性があると説明してくれた。

僕の人の行動の対する感受性が強迫観念ではないかと心配した博士は、多くの質問をした。そして話し合ったあと、こう言った。

「感受性の高まりは特別な能力になることもあれば、重荷になることもある。それは、どの程度現れるかによって決まる。君の場合は利点であって、代償ではないだろう」(p171)

ジェイソンの場合、脳の働き方が変化し、ミラーニューロンの働きが活発になってしまったことは、ときには重荷になることもありましたが、おおむね利点になりました。

しかし、そんな彼でも、自分の状態は、ミラータッチ共感覚ほど劇的ではないことがわかっていました。こう書いています。

自分にミラータッチ共感覚が起こらないことをありがたく思った。もしそうであれば疲れてしまうだろう。(p88)

では本物のミラータッチ共感覚をもつ人の生活とはどんなものなのか。改めて、ジョエルのストーリーに戻ってみましょう。

ミラータッチ共感覚ー他人の痛みをそのまま感じる

9つの脳の不思議な物語によると、子ども時代のジョエル・サリナスは、とても敏感で慎重でした。そのせいで自閉症に間違われることもありました。

しかし、彼は自閉症ではありませんでした。自閉症とは真逆の方向に突き抜けてしまった能力ゆえに慎重だったのです。ミラーニューロンシステムが働き過ぎてしまうという特徴です。

彼の日常はこうです。

ジョエル・サリナスは階段教室で自分のことを考えていたときに、誰かの手で喉を触られている感覚を覚え、その感触に驚いた。

それは一瞬で消えたが、すぐに彼は教室の前に立っている講師の仕草に気づいた。講師は自分の喉のあたりをそっと撫でていたのだ。(p261)

ジョエルは、自分の目に見えた他人の仕草を、そのまま自分の身体に起こったものとして感じてしまうのです。これがミラータッチ共感覚です。

ミラータッチ共感覚という事例を最初に発見したのはユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの神経学者サラ・ジェーン・ブレイクモアです。

ブレイクモアは、ある講演のとき、一人の女性から「他の人の触覚を自分も感じるのは普通ではないのですか?」と尋ねられました。

その後、彼女の脳を調べたとき、彼女のミラーニューロンシステムが同年齢の人たちより非常に多く反応していることを突き止めました。(p263)

この女性が、ブレイクモアの講演を聞くまで、「他の人の触覚を自分も感じるのは普通」だと思いこんでいたのは興味深いことです。

子どものころからミラータッチ共感覚を持っていたジョエル・サリナスも、20代はじめごろまで、みんなそうなのだ、と思いこんでいました。

幼いときからずっとそうなので、自分の感覚体験が人と違う、ということに気づけなかったのです。

この本に出てくる別の共感覚者(他人を見ると特有の色、オーラが見える人。これはオカルトではなく、数字に色がついて見える共感覚の人バージョンにすぎない)もこう言っていました。

その人にまつわる色がずっと見えていたという気はしますね。でもそうじゃないという経験がないと、それが人と違うとわからないんですよ(p111)

この話に共感する人は多いのではないでしょうか。わたしも20代になって、解離や相貌失認といった脳科学の研究を知るまでは、自分の経験が普通のものだと思い込んでいました。

自分は特に変わったところのない普通の人間なのに、人と同じようにできない、ということにひどく落ち込んでいました。

でも、たまた読んでいた本に「解離」について書かれていたことがきっかけで、自分の感覚の特殊さをひもとけるようになりました。それを知ってから、自分はダメ人間だという自責から徐々に解放されました。

ジョエルはわたしのような劣等感には苦しんでいませんでしたが、やはり20代になって自分の感覚が人と違うことを知りました。

彼はミラータッチ共感覚のほかにも、数字に色が見えたり、人を見るときに数字が見えたりする、さまざまな共感覚を持っていました。

共感覚について調べるラマチャンドランの研究に参加し、ありとあらゆる質問をされるに及んでやっと「あ、そうか。みんながこうではないということ?」と思い当たったそうです。(p267)

HSPとミラータッチ共感覚者はよく似ています。どちらもミラーニューロンシステムが活発なため、人あたりがよく、コミュニケーションがうまく、他の人の気持ちを敏感にくみ取れます。

9つの脳の不思議な物語の著者ヘレン・トムスンは、ジョエルの印象についてこう書いています

ジョエルにはどこか安心するような親しみやすいところがある。彼はにこやかで誠実で、話しやすい人だ。

私が笑うたびに彼も笑い、謙遜し、話がうまく、初対面ですぐに友達になりたいと思うような要素を全て備えている。(p264)

HSPの人の特徴とよく似ています。

でも、この世界にHSPの人たちは数多くいるのに対し、ジョエルのようなミラータッチ共感覚の人はわずかです。

どちらもミラーニューロンが活発なところまでは同じです。しかし、ミラータッチ共感覚をもつ人は、それだけではなく、ミラーニューロンの無効信号が送られないため、他人の感覚をそのまま模倣します。

私が自分の膝に手を置くと、ジョエルは彼の膝に手が載っていると感じる。私が唇を噛めば、彼は同じ場所がヒリヒリする。

私が腕にコインを押し当てたら、彼の腕に冷たい感触が走る。私が自分の脚を楊枝で刺したら、彼の脚がチクッとする。(p265)

このことから、ミラータッチ共感覚は、HSPの中のHSPとでも呼ぶべきもの、敏感で共感の強い人の中でも、とびきりそれが強い人だといえます。

ミラータッチ共感覚をもつ人が、他人の感覚をそのまま感じていることは、実験でも裏づけられています。

神経学者マイケル・バニッシーの研究では、ミラータッチ共感覚の人たちの脳では、他人と自己を区別する領域の白質が少なかったそうです。「まるで脳が、この人は自分ではないと考えるのを禁止しているみたい」でした。(p274)

では、ミラータッチ共感覚の人たちが感じる他人の感覚は、どれほど正確なのでしょうか。他の人の苦痛をそっくりそのまま再現できるのでしょうか。

ジョエルはそれを否定します。あくまで、自分の共感覚は「感覚のこだま」つまり「現実の感覚の不完全な複製にすぎない」といいます。相手とまったく同じものを感じるわけではありません。(p265)

だいたいは相手の感覚を不完全に知覚している。SFみたいに君の身体の中に飛び込むことはできない。

君の痛みとか感情を自分のものとしてすべて正確に感じられると自分で思っていたとしたら、それは君への侮辱のようなものだ。

僕にとっては、人の感情がわかると言うのはちょっと失礼だし……傲慢だ (p287)

確かに、わたしたちの感覚や感情は個人差がかなりあります。どれほど共感力に優れた人でも、そうした個性の差までは再現できないでしょう。

とはいえ、彼の感情移入が、かなり正確だとみなせる理由もあります。彼の共感は、推測ではなく、ミラーニューロンの模倣に基づいているからです。

先に見たとおり、ミラーニューロンは、もともと動作、つまり身体の動きを模倣するニューロンです。そのニューロンが共感、つまり心の感情の模倣にも関わっているのはなぜでしょうか。

ジョエルは説明した。

「僕が他人の気持ちを感じるのは、その人の姿勢や、顔の表情や無意識のごく小さな動きなどのせいだ。こういうものがみんな僕の身体に感じられるんだ」

…ここで我々は、人の気持ちの中心にあるのは身体的感覚だというダマシオの研究にたちもどるのだ。(p266)

ここで言及されているように、鍵となるのはダマシオの研究です。神経学者アントニオ・ダマシオの研究については前に詳しくまとめたので、そちらを参照してください。

心は脳だけでなく身体全体から作られる―神経学者ダマシオの自己意識の研究を読み解く
心は身体を土台として生まれるという神経学者アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説について、「意識と自己」という本から整理してまとめてみました。

上の記事の要点を簡単にいうと、わたしたちの「心」は、すべて、無意識のうちの「身体の動き」から生まれているということです。

ダーウィンが分類したように、わたしたちは国や文化が違えど、悲しいときや怒っているときなどに同じ仕草を見せます。

このときの身体の動きは「情動」と呼ばれています。基本的な情動は人間だけでなく動物にも共通しています。

そして、重要なのは、わたしたちの感情に先だって情動が生じているという事実です。わたしたちは怒りや悲しみ、喜びといった感情を感じる前に、身体に何らかの仕草をみせます。

言い換えれば、まず身体が何らかの仕草(情動)で反応して、それから、それに対応する感情が生じるのです。

ということは、ミラーニューロンによって、身体の動きを模倣すれば、それに伴って、特定の感情が生み出されるということになります。

まったく同じ感情を生み出すことはできませんが、だいたい一致するでしょう。

共感には2種類あるといわれます。トップダウン型の認知的共感、つまり頭で考える共感と、ボトムアップ型の情動的共感、つまり身体で感じる共感です。

トップダウン型の認知的共感とは、思考力を使って、誰かの感情を分析的に推測する方法です。その推理はたいてい外れます。これはフロイトの精神分析が、非科学的で的外れだとされる理由でもあります。

サイコパスの人たちは、この種の認知的共感に長けていると言われています。でもサイコパスが思いやり深いなんて考える人はいないでしょう。それは見せかけだけの冷たい共感です。

しかし、もう片方のボトムアップ型のアプローチ、情動的共感は違います。これは、誰かの動作をミラーニューロンによって無意識のうちに模倣し、相手の感情を経験するやり方です。

情動的共感はサイコパスのやり方の真逆で、温かい共感とも呼べます。HSPやミラータッチ共感覚の人たち、さらにはボディワークの優秀なセラピストたちが得意とする方法です。

この人たちは、相手の仕草や身振り、身体の感じなどから、自然にどんな気持ちかが読み取れます。

誰かの気持ちをわかってあげるには、頭であれこれ考えても無駄なのです。相手のそばによりそい、相手が泣くときに自分も泣いてはじめて、本当の気持ちがわかります。

ミラータッチ共感覚は才能にもなる

ジェイソンが書いていたように、情動的共感はとても疲れます。その最たるものと言えるミラータッチ共感覚はなおさらです。

ジョエル・サリナスもそうでした。医学生だったとき、切断された誰かの腕を見てしまい、「自分の腕がちぎられる感覚をはっきりと感じ」ました。(p276)

また、初めて人の死を目撃したときには、「突然、自分の呼吸が遅くなるのを感じ」ました。「身体が物理的に死の課程を真似て」いたのです。(p278)

にもかかわらず、ジョエルが選んだ仕事はなんと「医師」でした。人の苦しみや悲しみ、生死と向き合う、敏感な人にとってはひときわ辛いと思える仕事です。

しかし、叔父の医療助手を務めたとき、自分の並み外れた共感能力を医師として生かしたいと思うようになったそうです。

大半の医者は、患者に共感しようとしません。あえて共感をオフにして事務的に振る舞うことで、共感疲労を回避しようとする医者もいます。

でもジョエルは違いました。自分の並外れた共感能力は、医者としての仕事に役立っていると考えています。

患者が大丈夫だって言っていても、僕は彼らの中にある本当に強い否定的な情動を感じるから、それが嘘だってわかる。

誰かが泣きそうになっていたら、僕も泣きそうになるからわかるのと同じようにね。

でも大体はそれで助かっている。

相手と全く同じ気持ちになっているかどうかはわからないけど、不快さや苦しみとかは感じるし、怖がっているのか、混乱しているのか、落ち着いてきているのかはわかる。(p275)

本来、医者とはこういうものではないでしょうか。現代の医者は、患者を流れ作業で診るだけですが、古来の医者はそうではありませんでした。

何世代も診てくれる地元の医者、かかりつけの医者がいて、患者の気持ちにも生活にも寄りそっていました。

神経科医オリヴァー・サックスの父親は、そのこまやかな気配りから、患者の家の冷蔵庫の中身まで知っているとのもっぱらの噂でした。

一般に、医師たちは、患者に感情移入しないように教えられるそうです。共感しすぎると、理性的な判断ができなくなるのみならず、共感疲労にも陥るという理由からです。

人の苦しみに気を遣いすぎると疲れ果ててしまうから、あえて壁を作って距離を置こうと防衛するわけです。

しかし、近年では、感情移入の豊かな人が必ずしも燃え尽きて共感疲労に陥るわけではないことがわかってきています。

現にオリヴァー・サックスのように、生涯にわたってエネルギッシュさを保ったまま、患者に共感し続けた医者もいます。どうすれば、共感疲労に陥らず、感受性を生かせるのでしょうか。

独特すぎる個性で苦労してきた人の励みになる脳神経科医オリヴァー・サックスの物語
書くことを愛し、独創的で、友を大切にして、患者の心に寄り添う感受性を持った人。2015年に82歳で亡くなった脳神経科医のオリヴァー・サックスの意外な素顔を、「道程 オリヴァー・サッ

強すぎる共感能力をコントロールするには?

その秘訣のひとつが、この本に載せられています。

ドイツのマックス・プランク認知神経科学研究所のタニア・シンガーは、共感について興味深い発見をしました。

共感(相手の痛みを自分のように感じる)する人は他人の悲鳴を感じると、痛みを感じるネットワークが活性化しました。しかし同情(助けたいという思いやり)を抱く人は、そうなりませんでした。

つまり、苦しんでいる相手に同化して、自分も犠牲者になってしまうと、強い感受性はあだになり、いずれ燃え尽きてしまいます。

しかし苦しんでいる相手を助けたい、手を差し伸べたい、という救助者の立場に身を置く場合は、燃え尽きるところか「相対的な幸福感」が生まれ、強い感受性が輝くことになります。(p280-281)

慈善活動や社会福祉活動に真摯に携わっても燃え尽きてしまわない人たちがしばしばいるのは、このおかげでしょう。サックスのような思いやりのある医者もそうです。

ジョエル・サリナスの場合も、医師になったことがかえってよかったのかもしれません。誰かを助けることのできる立場と能力があるおかげで、ただ共感するのではなく、助けたいという思いやりに変換できるからです。

先ほど、ミラータッチ共感覚の人たちの脳をスキャンした実験に触れました。興味深いことに彼らの脳では、他人と自分を区別する側頭頭頂接合部の白質などが少ないことがわかったそうです。

解離の研究に詳しい人は気づくかもしれませんが、この側頭頭頂接合部はこのブログによく出てきます。体外離脱や離人症、第三者の気配といった解離体験にも関わっている場所だからです。

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解離を起こしやすい人は、他者と自分を区別するのに苦労します。過剰に人を気遣ってしまう過剰同調性の傾向をもともと持っていることが多いとも言われています。

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空気を読みすぎる、気を遣いすぎる、周囲に自分を合わせすぎる、そのような「過剰同調性」のため疲れ果ててしまう人がいます。「よい子」の生活は慢性疲労症候群や線維筋痛症の素因にもなると言

ジョエルはしっかり自分をコントロールできているようですが、そのためにはかなり努力が必要でした。

たとえば、周りの人の恐れや不安や痛みに同調して押しつぶされそうになってしまうときには、「その部屋の中で一番落ち着いている人に意識を集中する」などのテクニックを身に着けました。(p276)

また、できる限り毎日走って、運動するようにもしています。ダマシオの理論によれば、心は身体から生まれているので、心理的に強くありたいなら、身体をしっかり意識するのは大事です。

ジョエルはミラータッチ共感覚のおかげで、「新たな身体的スキルを人より短時間で学ぶことができる」とも述べています。

そのおかげで、「内受容の領域」をコントロールし、切羽詰まったときでも落ち着くことができる身体的技法を身につけています。(p283)

前に書いたように、HSPなどミラーニューロンの活性が高い感受性豊かな人は(凍りつきなど起こっていないかぎり)身体的スキルを身に着けるのに有利なはずです。

これはつまり、感受性の強い人は、マインドフルネスなど、ボディーワークの技法を学ぶのにも適しているということです。そうした技法は、自分の感覚をコントロールするために役立ちます。

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ジョエルは、ときにはホラーやサイコスリラーを見て、耐性をつけるようにもしているそうです。

「血や暴力を見たらシャットダウンしてしまう医者なんて何の役に立つ?」と彼はいいます。シャットダウンとはつまり、心ここにあらずの状態になって解離してしまうことです。(p278)

もっとも、感受性の強い人がみなそうできるわけではないでしょう。少なくともわたしは無理です。

わたしの場合は、かえって影響されすぎて辛くなってしまうます。だから、悲惨なニュースやネガティブな感情に触れたりしないように気をつけています。

感受性の強い人は、メディアやSNSなどを通して、過度に影響されてしまい、代理トラウマを負ってしまうこともあるからです。

代理トラウマは、自分が経験していない苦痛でも、それを見聞きするだけで、他人の苦痛をある程度自分の身体で感じてしまうせいで起こります。

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HSPの子どもが敏感さゆえに抱えることの多い8つの特徴と、それに対して親ができることをまとめました。

この本にもそのことが、「感情の伝染」として書かれていました。

他人の感情を過剰に感じる危険があるのはジョエルばかりではない。我々にはみな、他人の痛みが伝染する危険がある。感情の伝染と呼ばれる現象だ。我々の情動はウイルスのように拡散する。

…2014年の研究では、フェイスブックのアルゴリズムを操作し、特定のユーザーにネガティブな投稿、あるいはポジティブな投稿を多く見せることで、我々の心がどう変わるか、実験された。

これによりネガティブな投稿を多く見せられたユーザーはネガティブに、ポジティブな投稿を多く見せられたユーザーはポジティブになったという結果が出た。ツイッターの実験でもユーザーに同じ結果が見られている。(279p)

ポジティブな感情の伝染ならいいじゃないか、と思う人もいるでしょう。しかし、基本的にSNSやネット上のニュースのほとんどはネガティブな内容です。

それに、HSPやミラータッチ共感覚の人は、自分の感情が他人の感情に上書きされることで疲れてしまうかもしれません。それはポジティブな感情の伝染でも同じです。

しっかりコントロールできているジョエルでさえ、「僕は本当は自分というものがなくて」困っているのかもしれないと吐露していました。透明な自分に別の人の色を取り込んでしまうのです。(p286)

だから、わたしの場合は自衛として、過剰に感情を刺激するSNSやニュースといった情報収集手段を避けています。もちろん、ジョエルがそうであるように、どんな方法を選ぶかは人それぞれであるべきです。

ジョエルの場合は、生い立ちが恵まれていたことも関係しているかもしれません。たとえ感受性の強い人であっても、どれほどシャットダウン(解離)しやすいかは、幼少期にどんな経験をしたかに左右されるからです。

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HSPの提唱者エレイン・アーロンが認めているように、感受性の強い子どもは、良い環境で育てられたなら普通の子より健康的で柔軟になります。

一方、子ども時代に繰り返しおびやかされたなら、ちょっとしたことで解離が起こってしまう条件反射が身体に染みついてしまいます。

そのような場合には、ジョエルのように血や暴力だらけの最前線で感受性を生かすような仕事は現実的ではないでしょう。

しかし、たとえそこまで耐性が育ってないとしても、共感を思いやりに変えたり、共感をコントロールするテクニックを身につけたりすることは誰にでも可能です。

感受性が負担になるか才能になるかはあなた次第

後天的に感受性が豊かになったジェイソン・パジェットの経験も、幼いころからミラータッチ共感覚を持っていたジョエル・サリバンの経験も、同じことを教えてくれます。

感受性の強さは、負担になることもありますが、使い方によっては才能にも変えられるということです。

この記事では、おもに、ミラーニューロンシステムの強さを軸に、感受性の豊かさについて考えてきました。

ミラーニューロンシステムの強さをものさしにすれば、弱いほうの端には自閉症がありの、強いほうの端にはHSPがあり、そのさらに頂点にミラータッチ共感覚があります。

これは、自閉症に比べてHSPやミラータッチ共感覚が勝っているという意味ではありません。どちらも人と違った感覚を持っているわけなので、それぞれにメリットデメリットがあります。

それに、ミラーニューロンだけをものさしにして、人の個性を分類できるわけではありません。ラマチャンドランが脳のなかの天使で書いているように、ミラーニューロンですべてが説明できるわけではありません。

先にも述べたように、脳に関する不可解な面をすべてミラーニューロンのせいにしないように気をつけなくてはならない。

なにからなにまでミラーニューロンがおこなっているわけではない!(p208)

自閉症とHSPはミラーニューロンの点からみれば両極端です。でも別の観点、たとえば解離や感覚過敏といった点からみれば、似たような特徴を抱えています。

わたしは、あまりステレオタイプなカテゴリ分けが好きではありません。

特に、近年、発達障害という単語が過度にクローズアップされ、HSPやエンパスといった概念が、人々を分類するラベルのように使われている現状には危惧を覚えます。人間はそんな単純ではないからです。

このブログでは、さまざまな概念を扱っていますが、ある人はこれに属し、別の人はこれに属する、という厳格なカテゴリ分けを目的としているわけではありません。

そうではなく、この世界には、さまざまな脳をもった多様な人たちがいる、ということを強調しています。一人一人が違うので、特定のグループやカテゴリに厳密に分類したりはできないのです。

今回参考にした、9つの脳の不思議な物語のような本もそのことを教えてくれます。世界にはさまざまな脳があり、一人一人見ている世界は異なっているという事実です。

互いの個性の表面だけなぞって、発達障害やHSPといったレッテルを貼って分類したり、自分の境遇を嘆いたりするより、もっといいやり方があります。

ここまで言わずにきてしまったが、脳がつくりだしている生活を我々は楽しむべきだ。特に「普通」でない脳の持ち主は。

本書に登場した人たちは特別な人々だが、願わくばその風変わりさではなく彼らの人間性に驚嘆し、彼らとの違いより共通点に驚いていただきたい。

彼らは、我々はみな一人一人特別な脳を持っていると教えてくれた。(p302)

わたしたちはみな違いがあります。誰もがそれぞれ特有の脳と身体を持っており、それを生かすことができます。

実のところをいえば、わたしは「普通」など存在しないと思っています。誰もがある面では特殊なのです。

定型発達は本当に“ふつう”なのか―コケの生態学からふと考えた発達障害やHSPのこと
定型発達という概念の不自然さについて、コケの生態学について学んで考えたこと。

この本では、一度経験したことを決して忘れない人や、常に幻聴の音楽が聞こえる人、自分は死んでいると感じる人、動物になったように感じる人、ミラータッチ共感覚など、さまざまな「特別な人々」が出てきます。

でも、彼らのストーリーを読むと、そんなに特別でもないことがわかります。確かに極端な能力を持っているものの、自分たちとの「共通点」があることもわかるからです。

ジョエル・サリナスのミラータッチ共感覚も、それだけ聞くと特別に思えますが、実はもっと大勢いるHSPの人たちの体験と共通した部分があります。

わたしも、もともとは、人をカテゴリ分けしたいと思っていたことを認めねばなりません。このブログの過去記事では、だれが発達障害か、ADHDか、アスペルガーかといった分類にこだわったものもありました。

でも、最近の記事に書いたように、調べれば調べるほど、境界があいまいになってきました。たとえ同じ病名をつけられていても、同じ症状や困り事の人はいませんでした。

結局わかったのは、人は一人一人違うから、厳密に分類などできないということでした。トムスンのいうとおり、「我々はみな一人一人特別な脳を持っている」のです。

もし自分は「普通」だとか、特定の病気や障害のカテゴリに完璧に当てはまると思っている人がいたら、自分のことをもっと調査してみるべきだと思います。

安易なカテゴリ分けに走ってしまうのは、まだ自分のことをよく知らないからです。

もっとさまざまな背景の人たちの物語に触れるなら、意外な境遇の人と似ていて、参考にできる部分があることがわかってきます。

深く知るにつれ、既存の安易な枠組みに疑問を抱くはずです。世間では「障害」だと言われているものが、見方によってはメリットや才能になる可能性があることにも気づくでしょう。

ミラータッチ共感覚の感受性の強さはその一例です。感受性の強い人はみな、そのストーリーから学べます。

さまざまな境遇の人の生き方について知るとき、わたしたちは自分の個性をメリットとデメリットのパッケージとみなし、個性を才能として生かしていくためのヒントを学べるのです。