コロナ禍でわたしは森と共に暮らし始めた―身体的経験,安心できる居場所,本物の食の大切さ

音楽を例にとると、音譜が全部理解できて正当な感受性をもっている人は、音楽全体をもっと完全に楽しむことができるだろう。

それと同じように、一つのすばらしい風景をあらゆる角度から調べる人も、風景が見せる全体の組みあわせの効果を完全に理解できるのだ。

したがって、旅をする人はまず植物にくわしくなければならない。なぜなら、どんな風景も主たる装飾は植物が担っているからである。(p461)

―チャールズ・ダーウィン 新訳 ビーグル号航海記 下

代未聞の新型コロナウイルスの流行によって、世界的に大混乱が生じた2020年。わたしたち一人ひとりも、各々ライフスタイルの変更を余儀なくされました。

自宅で仕事をすることになった人もいれば、感染の危機にさらされながら命がけで働くことになった人もいます。基礎疾患のある人や高齢者は、三密を避けて注意深く生活するよう強いられました。

わたしの長年の知り合いである、25年近く慢性疲労症候群で苦しんでいる友人も、これを機に外来を卒業することにしたと話していました。病院に通っても進展がなく、感染のリスクのほうが大きくなったからです。

幸いなことに、わたしが住んでいる日本列島の最北の地域では、今のところ、まだ感染者は一人も確認されていません。

それでも、同じ道内では、札幌や旭川といった大都市を中心に感染が拡大し、早期に緊急事態宣言も出ました。わたしも基礎疾患持ちということで、町に買い物に出かけるのを極力避けるようになりました。

多くの人は、新型コロナウイルスの流行によって、今までになく健康や安全を意識するようになったことでしょう。わたしも例外ではありませんが、大半の人とは少し違った方法で、ライフスタイルを変えることになりました。

わたしはスーパーに買い物に行く代わりに、頻繁に森に出かけるようになりました。今までより本腰を入れて、自然観察に勤しみ、山菜やキノコの見分けに詳しくなり、無農薬野菜を栽培している農家のお手伝いをし、もっと自然と共生する生活を送るようになりました。

ここ半年のあいだに、わたしの生活がどう変わったか、何を発見したか、またかつて都会暮らしをしていたころや、慢性疲労症候群で寝たきりだったころには得られなかったどんな経験をしたかを、お話ししたいと思います。

自然を観察し、見分ける力が育ってきた

わたしが、どれくらい自然オンチだったかは、これまで何度も書いています。でも、過去のわたしを知らない人のために書いておくと、都会に住んでいたころは、こんなにひどかった。

家の近所の生えている木の名前なんて知らない。花はチューリップとパンジーなど数種類しか見分けられない。そもそも存在に気づかない。虫は大嫌い。触れない。徹底したインドア派。家でゲームしたり本を読んだりするだけ。

でも、わたしだけがひどかったのかというと、そうではないはずです。都会生まれ、都会育ちの人のほとんどが、かつてのわたしと似たり寄ったりではないでしょうか。

自然のことを何も知らない、虫も触れない、デジタル機器に夢中になり、バーチャルの世界に生きている。これは生まれついた性格によるものではなく、社会環境によって形作られる好みだと、わたしは確信しています。

かつて自然が身の回りに豊かだったころ、子どもたちは日が暮れるまで野山で遊んでは怒られていました。しかし今では、一日じゅう、宿題もせずに家でゲームばかりして怒られます。

本当にゲームが悪者なのか―発達障害の子がなりやすい「ゲーム依存」を考える
WHOが「ゲーム障害」を依存症とみなしたことを受けて、ゲーム依存の背後にある原因について考えてみました。

何が変わったのでしょうか。人間の遺伝子や性格がそんな短期間に激変するはずはありません。変わったのは社会環境です。子どもの興味を惹くもの、身近にあるものが激変し、それによって好みが変わっただけです。

環境が変われば、何に興味を惹かれるかなんてすぐに変化します。それはわたし自身の変化によって証明されています。

引っ越してきてから2年。わたしは、地元の森を自由に歩き回って、花や樹木やシダ植物を、少なく見積もっても100種類、たぶんそれ以上見分けられるようになりました。

尊敬する脳神経科学者オリヴァー・サックスが、熱くシダ談義を繰り広げるオアハカ日誌を改めて読むと、トクサやヒカゲノカズラの話に付いていけるようになっていて、嬉しく感じたものです。

また、野草なんて食べたことがなかったのに、食べられる山菜数十種を区別できるようになりました。様々な木と関連づいている食用キノコも、今や数種類見分けて採ることができます。もはや地元の人の大半より詳しいはずです。

10月末に振り返ってみたところ、今年見つけて味わった山菜・木の実・キノコなどは53種。図鑑によれば可食とされるものの、色々な理由から食べるに至らなかったものは34種でした。野山の植物や菌類の大半は食不適なので、少なくともこの数倍の種類を見分けられるようになったということでしょう。

引っ越してきた当初は、どれがヨモギかさえ分からず、カタバミをクローバーと間違え、キノコはすべて同じように見え、マツとスギの区別すらつかなかったのに、なんという成長でしょうか。自分でも驚くほど。

相変わらず汚れたり気持ち悪かったりするのは苦手ですが、それでも森に自由に出入りできる知恵を身につけました。手袋やゲイターや顔網で全身を覆うことで、虫が苦手でも不快感なく森歩きを楽しめています。(わたしが虫嫌いを克服できた経験については別の記事参照)

もっとも、たいがいの虫なら、手袋さえつけていればつまみ出せるようになりました。畑仕事をしていてミミズを掘り起こしたくらいでは気にしません。家に迷い込んだエゾアカガエルを外に持って行ったこともありました。

こうした変化を遂げたのは、ここ2年のことです。しかし、急激にレベルアップしたのは間違いなく今年の春以降です。

去年もときどき近所の森に出かけては自然観察を楽しんでいました。でも、このコロナ騒ぎでいよいよ町に出かけなくなったせいで、森歩きの回数が増えました。週に3,4回、年間では100回を越えるペースで出かけていると思います。

春先のコロナが急速に拡大していた時期には、スーパーに買い物に行く代わりに、山菜採りで食材を補いました。必要が生じたことで、かえって、山菜採りに熟達しようという意欲が増し、本腰を入れて自然観察に務めました。

森に出かけるたびに、異なる景色、新たな植物と出会い、経験や知識が増し加わっていきました。アイヌ時代に重宝されていた植物や、山菜図鑑には載っているけれど、あまり知られていない植物を見つけるたびに嬉しくなりました。

特に美味しかったのはイラクサ(イギリスではネトルと呼ばれて有名)で作ったスープと、若いオオイタドリ(和製ルバーブみたいなもの)で作ったジャムでしょうか。

どちらも道ばたに大量に生える雑草扱いなので採り放題でしたが、山菜として美味しい時期は、ほんの一瞬だけです。一週間でも時期を逃せば、成長して固くなってしまうので、毎日出かけて観察する必要がありました。

ほかにも、桜の香りがする野草クルマバソウや、酸味のあるエゾマツの若芽で作ったコーディアルは、とても爽やかな味と香りで気に入りました。

もちろん、いくらでも採れるからといって、採り尽くしてしまうようなことはしません。半分以上採ってならない、という昔からの教えに従います。森の恵みは人間だけのものではありません。といっても、恵みはとても豊かなので、半分どころかほんの少しもらうだけで足りるのですが。

もともと人口がとても少なく、森に入る人もめったにいない場所なので、誰かに鉢合わせることはまずありません。気兼ねなく森歩きでき、山菜の奪い合いにもならないので、とても気が楽です。

しかしだからこそ、安全に1人で森を歩けるよう気をつける必要がありました。ヒグマに出会わないために鈴をたくさんぶら下げたり、ヒグマより危険度が高いマダニやスズメバチに対処するため服装を工夫したり。

現に今夏は、車の中からですが、ヒグマを3回も目撃しました。地元生まれの人で一度も見たことがなかったりするのに。用心に用心を重ねて、慎重に探索するに越したことはありません。

森は別名、樹海とも呼ばれるように、方向感覚を失い、遭難する危険もあります。わたしは家のすぐ近所の浅い森を歩いているだけですが、秋に一度、冬に一度、方角がわからなくなりかけたことがありました。

幸い、わたしは無謀に未知の場所を探検したりはしないタイプなので、すぐ引き返していつもの道に合流できました。慎重を期して徐々に探索範囲を広げるよう努め、今ではもっと地理がわかるようになりました。

森を歩くのが好きだ、と話すと、「知らない道にどんどん行ってみたくなって危ないのでは?」と心配されたことがあります。でもわたしは慎重な性格だから、そんなことは一度もありませんでした。

森歩きは、山登りとは決定的な違いがあります。山登りは先へ先へ、頂上へとひたすら進んでいくのが目的です。道中で立ち止まることはめったにありません。

しかし、わたしの森歩きは、もっとスローペースです。狭い範囲をひたすら観察して楽しみます。知らない植物や菌類を見かけるたびにじっくり調べつくします。

生物学者デヴィッド・ジョージ・ハスケルがミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球で実践していたように、森の中のたった1m四方の領域でも、1年間通い続けてなお新しい発見があるものです。

ごく普通の森の、ごく狭い領域に、なんと多様で複雑な生態系が形成されていることか。今歩いている地元の森でさえ、一生かけても観察しきれないほどの、面白い動植物が満ち満ちています。

雪が降る数週間から現れる雪虫(トドノネオオワタムシ)の生態なんて、あまりに複雑すぎて、すでに解明した人がいるのが何よりの驚きでした。でもきっと、同じほど複雑な生き物は、まだまだ身近に人知れず存在しているのでしょう。

余談ながら、登山と森歩きでは装備からして全然違います。たとえば、登山では足首を支持してくれる底の固い安定性のある靴が疲れにくいと言われますが、森歩きでは底の柔軟な靴のほうが、地面の石や倒木の形状をつかめるので便利です。

失われた、自然を読む力に書かれている、ボルネオ島のジャングルを自在に歩き回るダヤク族の知恵にあるとおり。

川の岩に対してどんな履き物がよいかの考え方が衝突し、西洋の考え方が敗れた。

…現地の方法は、重要なのは地面をつかむことだけというものだ。ティトゥスとヌスは、靴底に小さなプラスチックの鋲のついた白くて薄いスニーカーを履いている。彼らは一日中足を濡らしているが、滑らない。

わたしのブーツは歩くためのブーツとしてはよく地面をつかむが、柔軟性がなく、足で地面が感じられない。(p329)

長靴を履く人もいますが、わたしの場合は、安いスノーシューズを転用しています。一番いいのは、地下足袋だと聞きます。海外ではジャパニーズ・ニンジャ・シューズと呼ばれているのだとか。

「でもからだは忘れない―ありがたいことに」

森を歩き、観察して楽しむための、こうした知識やスキルは、どれも「経験」によって身につくものです。

わたしは、これまでの人生で、「経験」をひどくないがしろにしてきました。

学校では、ただ教科書の知識を詰め込んで、トップクラスの成績を維持していました。でも、当時学んだことは何の役にも立たないまま忘れてしまいました。

たとえば、学校の理科や生物の仕組みで、シダやコケの構造について学んだはずですが、何も覚えていません。経験が伴っていなかったからです。体で経験していない知識は薄っぺらく、実感が伴わず、すぐ記憶から失われます

慢性疲労症候群になってしまってからは、自分の病気を治療するために本をたくさん読みました。しかし、やはり机上の知識を収集しただけでした。(それでも、病気を実際に「経験」している当事者であるぶん、傍観者にすぎない大半の医者よりは優れた考察ができたと自負していますが)

やがて、わたしがたどり着いたのは、ソマティック・エクスペリエンス(身体的な経験)についての研究でした。いかに現代社会から好ましい身体的な経験が失われ、わたしたちを苦しめる問題の源となっているかは、以前の記事にまとめました。

「生きている実感」が希薄な人への処方箋―ソマティックなエクスペリエンスが必要な理由
現代社会では「生きている実感が希薄だ」と感じる人が増えているようです。どうして現実感に乏しい人が増えているのか、どうすれば、もっと生き生きとした充足感を感じることができるのか、ソマ

わたしはこの半年のあいだ、今までの人生では考えられないほど多くの、楽しい身体的な経験を積みました。わたしが学んだことは、すべて実地訓練であり、自分の五感を通して体験したことです。

ジークムント・フロイトの言葉が真実であることを確かに実感しています。「こころは忘れてしまう。でもからだは忘れない―ありがたいことに」。

フロイトのこの言葉は、トラウマについて学んでいるときは、神経を逆撫でするようなところがありました。フロイトは気づいていませんでしたが、今では、トラウマもまた、身体的な記憶だということが証明されているからです。

トラウマに苦しむ人が、すでに恐怖や苦痛が去った後も、延々と苦しみ続けるのは、「からだは忘れない」からです。たとえ心は忘れても(その作用を解離といいます)、身体的な記憶はそう簡単に忘れられません。

子どものときに覚えた自転車の乗り方、箸の持ち方、懐かしのメロディ、スポーツの身のこなしなどを決して忘れないのと同じです。

強烈な恐怖や慢性的な拘束といった苦痛は、身体的な記憶、つまり手続き記憶として保存され、無意識のうちに何度も再現されてしまいます。だから、トラウマ当事者にとっては、「からだは忘れない」ことほど憎らしいものはないのです。

しかし、トラウマの研究を調べるうちに、決して忘れられない身体的な経験を治療するのもまた、身体的な経験だということを知りました。強固なトラウマの手続き記憶を癒やすには、別のポジティブな手続き記憶で上書きするしかないのです。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にそのことがこう書かれていました。

変化を起こすためには、手続き的に学んだこと(特に身体傾向)を「無効にする」必要があります。洞察を得るだけでは不十分です。

古いパターンをソマティックに再演する傾向を変える必要があるのです。新しい行動によって古い行動を置き換える必要があります。(p335)

要するに、単なる洞察(カウンセリングなどを通して、頭で考えて気づくだけ)では、身体症状は改善しないということです。体に染み付いた有害な反応のパターンを、新しい身体経験のパターンによって上書きしてやる必要があります。

さまざまな身体セラピー(ボディワーク)では、セラピールームの中でそれを試みます。わたしも一時期そうしていましたが、限界も感じました。

わたしは、セラピーの訓練を受けた後、そこで学んだことをもっと広いフィールドで実践したいと思うようになりました。本物の自然の中で、さまざまな身体感覚を経験し、新しい体験を体に染み込ませていきたいと。

自分の足で歩き回った森は、どこにサラシナショウマの花があり、どこに目印となるキハダの木があったか、決して忘れることがありません。どこでウドやタラノメを採取し、どこにタマゴタケが生えていたか、すべて体で記憶しています。

何よりも、体は、森で経験した心地よい刺激すべてをはっきりと記憶しています。心地よい複雑なフィトンチッドの香り、精神を浄化してくれる滝の砕ける音や渓流のせせらぎ。響き渡るヤマゲラやアオバトの鳴き声。

森に足しげく通って気づいたことの一つは、どれだけ体調の悪い日でも、森を歩いているうちに元気になってくるということです。

森林浴で腹側迷走神経が活性化してリラックスするのか、森で味わう身体感覚によって根深いトラウマの手続き記憶が上書きされるのか、歩いているうちにセロトニンやドーパミンが出るのか、はたまた、いまだ知らない様々な未知のメカニズムのおかげなのか。

とはいっても、頻繁に森歩きしているだけで、体調がどんどん改善して健康体になる、といったことはありませんでした。相変わらず季節の変わり目は悪化しますし、動く気になれないほどしんどい時もあります。

自然がもたらす、いわゆる「生体調節効果」と呼ばれる望ましい影響は、あくまでその環境にいるとき限定のものにすぎないのでしょう。

それでも、わたしの体は、それら心地よい体験をすべて記憶しています。森に行くたびに同じように元気になりますし、わたしは森が大好きです。

わたしは森を歩き回ることによって、確かに森の匂い、肌触り、声を身体感覚として覚え、心地よいものとして記憶しています。生物学的には「愛着」と呼ばれる手続き的な絆を、母なる森との間に育んでいます。

かつてのわたしは、安心できる居場所がどこにも見いだせないと思っていました。今でも人間に対しては根深い不信感があります。

でも、森はそうではありません。森はときには厳しく、ときには優しく振る舞いますが、わたしにとって安心できる居場所です。親というのは、本来きっと、そうしたものなんだろうな、と思うことがあります。

わたしは、やはり幼少期の戦争体験やトラウマから、他人を信頼するのが難しいと吐露していたオリヴァー・サックスが、色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記で書いていた言葉に、心から共感しています。

こうして森の中に立つと、自分が大きな、そして静かな存在の一部だと感じることができる。

それはまるで我が家にいるような感覚、地球と自分が仲間であるという感覚なのである。(p259)

いつでもどこでも森の心地よさをイメージすることができる。そして、辛くなったら、自分から森に足を運び、心身がリフレッシュされるようにする。そこに居場所があると感じる。

これこそ、本来は親とのあいだに結ばれる愛着の絆が、森とのあいだに結ばれていることの証だと思います。発達心理学者メアリー・エインスワースが提唱した安全基地の理論の、親が森に置き換わったバージョンです。

森での体験は、確かにわたしの身体的な手続き記憶を徐々に書き換え、新しいパターンを少しずつ作ってくれているようです。

マインドフルネスを意識して、自分で自分のセラピストになる

本音を言えば、誰か信頼できるセラピストがいて、手取り足取り自己調節のスキルを教えてくれるほうがいいのに、と思うことはあります。

人間のセラピストがいれば、言葉によるフィードバックがあるので、自分がうまくできているのか、それとも袋小路に入り込んでいるのか、判断しやすくなります。

しかし、わたしはセラピーに行ける環境より自然を選んだので、もうセラピストのもとに通ってトレーニングすることはできません。少なくとも、わたしの近所には、セラピールームではなく大自然の中で訓練してくれるセラピストはいません。

だから、わたしは森をセラピールームにして、自分で自分のセラピストになって、自己調節のスキルをトレーニングしていく必要があるでしょう。そのために何が役立つか。

過去記事で詳しく書いたように、トラウマ、恐怖症、嫌悪、偏見、依存症など、人が陥る有害な反応の多くは、条件反射、および条件付け反応と呼ばれる、よく知られた仕組みによって生じています。

「からだの記憶」の治療法―解離や慢性トラウマのための身体志向のトラウマセラピー
解離やPTSDは「からだの記憶」によって引き起こされる、「からだ」を土台とした生物学的な現象である、という理解にもとづき、身体志向のトラウマ・セラピーについて考察しました。

パブロフの犬で有名な、この条件付け反応という仕組みは、わたしたちの生活のあらゆる面でごく普通に起こっています。それなしで人間は生きることができせん。

わたしたちが日々無意識のうちにこなしている行動は、いずれも条件付けによって無駄な労力なしに行われています。

もしも、あらゆる行動の前に、毎回毎回、次は何をしようか、などと考えなければならなかったなら、どれほど不自由でしょうか。

この条件付け反応は、繰り返される体験や、一度限りの衝撃的な体験によって、無意識のうちに習得され、無意識のうちに発動するという性質を持っています。

そのため、わたしたちにとってプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともあります。マイナスに働いてしまう最たるものがトラウマであり、恐怖症や嫌悪や偏見や依存症なのです。

たとえば、虫が苦手な人の場合、虫の姿を見るという体験と、それに対する恐怖や嫌悪という反応とが、条件付けされてしまっています。脳の中で、それら2つの異なるニューロンが、ヘッブの法則によって結びついてしまい、同時発火します。

本来、多くの虫は怖いものでも気持ち悪いものでもありません。虫を見て、見事にデザインされている美しいもの、かっこいいもの、と感じる人も大勢います。

しかし、幼いころの経験や、繰り返される反復学習を通して、望ましくない条件反射が成立してしまうと、無意識に拒否反応を示すようになります。現代社会の人々と虫嫌いの多くはそれが原因でしょう。

人種、宗教間の偏見なども、これと同様の条件付け反応です。幼いころからの体験によって形作られ、無意識のうちに、自分でも意識しないレベルで、拒否感の条件反射が引き起こされるようになります。

食べ物の好き嫌いの味覚嫌悪もこれと似ています。味覚嫌悪の場合、ただ一度の不快な体験が、強固な拒否感の条件反射を形成します。

スティーブン・ポージェスのポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」によると、程度の差こそあれ、「トラウマの反応は、味覚嫌悪モデルと非常に類似して見えます」。(p160,165)

中毒や依存症の場合、この条件付けの形成には、ドーパミンも関係しています。お酒を飲んだり、ギャンブルやセックスをしたりして、ドーパミンが放出され、快感を覚えると、そのたびに条件付けが強化され、抜け出せなくなっていきます。

ノーマン・ドイジの脳は奇跡を起こすによると、たとえばポルノ中毒になる人は、性的快感によってドーパミンが噴出され、ドーパミンは「脳内の結合を定着」させるので、やめられなくなります。(p136)

こうした望ましくない条件付けを解消するために必要なのは、立ち止まってクールダウンするスキルだと言われます。たとえば、依存症の場合、10秒我慢して待ってみるようにと勧められることがあります。

それよりもっといいのが、マインドフルネスを訓練することでしょう。今この瞬間の感覚をあるがままに感じるよう努め、意識を今ここに引き戻すことによって、気持ちを冷静にならせ、自己を客観視できるようになります。

たとえば、もう一度、虫嫌いの人のことを考えてみます。通常、その人は、虫を見かけるたびに、すぐ無意識のうちに嫌悪感という条件反射を起こしてしまいます。

しかし、マインドフルネスを習得して、今この瞬間で「立ち止まる」ことを覚えるとどうでしょうか。虫を見たとき、今この瞬間の感覚に意識をつなぎとめ、ただありのままを感じるようにすします。

虫の姿かたちを、ありのままに、先入観や過去の感情抜きに認識するように努めれば、必ずしも、それが恐怖を引き起こすようなものでないことに気づくかもしれません。虫という概念がゲシュタルト崩壊して、今までと違った印象を持つかもしれません。

わたしの場合、虫は基本的に苦手ですが、森の中で虫を見かけても、さほど怖いとも気持ち悪いとも感じず、美しいと思って写真を撮ることもよくあります。

ひとつの理由として、家の中や、アスファルトの地面より、森の中のほうが、虫が背景に調和していて綺麗に見えるからではないかと思っていました。

しかし、もしかするとそれ以外にも、森の中だとマインドフルネスが強化されていて、先入観や固定観念にとらわれず、虫のあるがままの美しさを認識できる、といった理由もあるのかもしれません。

個人的に、この体験は、絵を描く人、ことに絵を模写する人はイメージしやすいのではないかと思います。絵を模写するときには、描き写す絵の意味や印象をオフにする必要があります。

普通なら、絵を見たとき、全体としての印象が心にわいてきたり。描かれている人物について考えたり、意味を推測したりしてしまうものです。

しかし、模写するときにそれを感じてしまっては、必ず狂いが出てしまいます。印象派の画家の絵画が象徴しているように、もし「印象」のままに描けば、実物とかけはなれた色や形に誇張されてしまいます。

ちょうど、虫を見た場合に、条件付けされた「印象」のままに反応すれば、虫が実際よりはるかに気持ち悪く見えたり、大きく誇張されたりして、頭の中でイメージが歪曲されてしまうのと同じでしょう。

町の中でアラブ人を見かけたときに、ついテロなどのネガティブなイメージが浮かんで、偏見の目を向けてしまうのもまた同じです。

それで、絵を模写する人は、模写するあいだ、対象の意味や印象を、頭から締め出すようにします。その代わり、画板の上に乗っている画素に神経を集中させます。周囲の色の印象に影響されないよう、ありのままの色を感じます。

全体の位置関係にしても、絵全体のイメージや印象に流されて模写してしまうと、必ずずれや狂いが生じます。

それで、印象を抜きにして、あたかも幾何学的な作図であるかのように、たとえば鉛筆を定規にして長さを測ったりしつつ、位置関係を描き写していきます。

同じように、好ましくない条件付けを克服するときも、無意識のうちにかきたてられる、強烈な印象や感情に流されないようにしなければなりません。

まずは今ここ、この瞬間に立ち止まって足を踏ん張ることが大切です。そのために必要なのがマインドフルネスです。

マインドフルネスは、意識を今ここにつなぎとめ、条件付け反応に流されないように、いわゆる錨のような役割を果たします。

手の指先に注意を集中したり、足と地面の接地面に意識を向けたり、風や空気が顔に振れる感覚を意識したり、どんな音が聞こえているか注意を向けたりして、今この瞬間の感覚に注意を向けます。

そうすれば、今この瞬間の身体感覚を感じる島皮質や、それに気づく前頭前皮質のような脳の領域のスイッチがオンになります。

自然観察でマインドフルネスを身につける方法―ミクロの森の生物学者の教え
マインドフルネスは医療や宗教的な瞑想によってのみ身につくスキルなのでしょうか。五感を過ぎすませて自然を観察する生物学者、デヴィッド・ジョージ・ハスケルの本から学べるアドバイスを考え

人によって、どの感覚が、ありのままの今この瞬間の体験に意識を向けやすい錨になるかは違います。ある人にとっては利用しやすい感覚でも、別の人にとっては重大なトラウマを想起させてしまうため、利用できないことがあります。

わたしの場合は、音に意識を向けるのが役立ちました。でもセラピールームで聞こえる音は、どれもあまり心地よいものではありません。森の中で木々のざわめきや鳥の声を聞くほうが、練習しやすいと感じました。

そのような「今この瞬間」の感覚を強固な錨として維持しながら、自分が苦手とする感覚をありのままに客観的に見つめるように練習します。

もし途中で、怒涛のごとき条件反射に飲まれそうになってしまったら、錨となる今ここの感覚を再び意識することによって、流されないようにしがみつきます。

ヘッブの法則が示すとおり、同時発火するニューロン同士の条件付けはどんどん強化されていきますが、同時発火しないニューロンの条件付けはやがて薄れていきます。

望ましくない条件付け反応に陥りそうになるたびに、マインドフルネスを意識して、今ここに自分をつなぎとめ、無意識のままに反応してしまうのを遮るように努めます。そうすれば、やがて少しずつ条件付けは薄れていくといえます。

最初のうちは、怒涛のごとき流れに抵抗するだけで精一杯かもしれませんが、繰り返し繰り返し意識的に抵抗していれば、ニューロンの結びつきが書き換わっていきます。

こうして、手続き記憶が上書きされていきます。先に書いたように、古い有害な身体反応のパターンが、新しく学んだ身体反応のパターンによって書き換えられていくのです。

もっとも、条件付けや手続き記憶は、人が生存のために発達させる強固な仕組みですから、それを解消するのはたやすくありません。だから、これほどトラウマや依存症や偏見が蔓延しているのでしょう。

だから、失敗したり、後もどりしてしまったりするのは、ごくごく自然なことです。落ち込む必要はありません。

もし道に迷ってしまったら、マインドフルネスに立ち返ることです。抵抗しても流されてしまうのは、ひとえに船を海底につなぎとめる錨が弱いからにほかなりません。「今この瞬間」にしっかり長時間とどまれるようになれば、流されることは減っていくはずです。

先ほど、ドーパミンが条件付け反応を強化すると書きましたが、一方で、オキシトシンは条件付け反応を解消するという説を、ノーマン・ドイジの脳は奇跡を起こすで読んだことがあります。

女性が妊娠や出産を機に、それまでのライフスタイルや習慣を一変させることができるのはこのためかもしれません。

オキシトシンは、学習した行動を消し去ることを可能にしているため、科学者たちはこれを、忘却ホルモンと呼ぶようになった。

フリーマンは、オキシトシンが、現存する愛着の根底にあるニューロンの結合を溶かして、新しい愛着が作られるようにすると考えている。(p150)

だとすると、オキシトシンの働きが弱い愛着障害の人たちが、望ましくない条件付けの問題を抱えやすいのもこれと関係しているのかもしれません。古い条件付けを「溶かす」ことが難しく、新しい条件付けで上書きしにくいのです。

この場合、安心できる自分の居場所を見つけ、愛着システムをつかさどる腹側迷走神経の働きを強めることも、望ましくない条件付けを解消するのに重要なステップといえるでしょう。

わたしは自分の性格からして、たとえセラピールームに通い続けても、決してセラピールームが安心できる場所にはならないだろう、と思いました。

そもそも、セラピストを避難所としてしまうのは、自分にとってもセラピストにとってもよくありません。セラピストは親ではありません。セラピストと愛着の絆など結べるはずもありません。

安心できる居場所や愛着の絆がないまま、セラピーに通っていても、大きな変化がもたらされるとは思えません。この世のどこにも居場所がない人が、どうして生きていく気力を回復し、トラウマに立ち向かう動機づけを得られるでしょうか。

わたしの経験からすると、他人をどうしても信頼できない人は、無理をして人とつながろうとしたりせず、母なる自然との間に愛着の絆を見つけ、自然界に安全基地を見い出せばいいと思います。

前に書いたとおり、親子間の愛着理論は、自然との関係にも当てはめることができるという見解があるからです。

ADHDは「自然欠乏障害」なのだろうか?ー自然不足が脳,自律神経,愛着,腸内微生物にもたらす影響
リチャード・ルーブが提唱した「自然欠乏障害」という概念とADHDのつながりについて、豊かな自然が脳機能や自律神経にもちらす効果、母なる自然に対する愛着障害、微生物生態系(マイクロバ

人間のセラピストから施されるセラピーだけが、トラウマを癒せるわけではありません。わたしたちは人間である以前に、動物たちの仲間、ヒトという種であり、母なる地球に育まれた自然界の一員なのですから。

個人的な見解をいえば、自然界を、安全基地、つまり心の拠り所とするメリットはたくさんあると思います。

たとえば人間は、どれほど親しい人でもいつか別れが訪れます。どれほど信頼できると思っている人でも、やむを得ない事情から裏切られたと感じてしまうことがあります。

現代ではアイドルやキャラクターを心の拠り所にする人もいます。しかし、商業コンテンツはいつか終わります。引退、卒業、最終回、サービス終了の憂き目に遭います。

一方、基本的に自然界は、わたしたちの寿命よりはるかに長いスパンで、永遠に時をつむいでいくものです。

この不安定で揺れ動く世の中にあって、毎年、約束を守るかのように順番に姿を現し、確かな時と季節を告げ知らせてくれるという安心感があります。

過去の自分の自然観察日記を見てみると、毎年ほとんど変わらない時期にスプリング・エフェメラルが現れ、ヤチダモが芽を出し、ネマガリダケの芽が出て…、というような予測可能性に驚かされます。

そのような決して絶えない、失われない、自分より先になくなってしまわない、必ず約束を守り期待に答えてくれる、という安心感こそ、安全基地としての拠り所に必要な条件ではないでしょうか。

わたしは、世の中でどんな激震があろうとも、今回のように突然の恐ろしい疫病の大旅行が訪れようとも、森の中に行けば、変わらぬ静けさと時の流れに身を委ね、心の底から安心できます。

慎重でありながら好奇心豊か、という才能

話は変わりますが、山菜採りやキノコ狩りをするようになって、いくつか面白い発見がありました。

まずひとつ目はわたしの性格特性についてです。わたしは、自分のことを、慎重かつ繊細な特性と、好奇心旺盛で新奇性を追求する特性の2つが同居しているタイプだと思っています。

慎重さや繊細さは主にセロトニン関係の遺伝子の多型による性質であり、好奇心や新奇性探求はドーパミン関係の遺伝子の多型によるものだと思われます。

以前の記事で書いたように、これは遺伝的な性質かもしれませんし、幼少期の複雑な環境によって育まれたものかもしれません。個人的には後者、すなわち無秩序型の愛着によるものだとみなしています。

いずれにしても、制御しにくい暴れ馬のような性格であることには違いありません。先天的であれ後天的であれ、「アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような」と形容される性格なのです。

今まで、このような性格は、ある局面においては創造性として役立つ、というくらいにしか理解していませんでした。

しかし、山菜採りやキノコ狩りをするようになって、考えを改めました。この能力はおそらく、かつて狩猟採集生活をしていたころには、とても有用だったのではないだろうか、と。

まず、自然観察に、好奇心の豊かさは欠かせません。単に繊細な人たちは、とても慎重で控えめなので、未知なる世界を探索したり、冒険したりすることはあまり好まないでしょう。

しかし一方で、好奇心が豊かであれば、それだけで自然観察がうまくいくわけではありません。冒険には危険がつきものです。自然界には遭難や滑落、獰猛な野生動物、命に関わる毒性のある植物やキノコといった危険があります。

好奇心がなければ、新たな知識を得るために不慣れなフィールドに踏み出すことはできません。しかし、慎重さもなければ、安全に未知なる世界を探索することができません。

それで、自然観察や狩猟採集生活に向いているのは、この両方の性質を持っている人なのです。

新型コロナウイルスが世間を震撼させ、山菜採りを始めたとき、そのバランスがいかに大切かを痛感しました。

初めて森に生えている植物を食べるときは、いつでも緊張します。図鑑やネット上の情報によく目を通して、目の前の植物が本当にその山菜だと確実に同定できてから味見します。

なにせ、最初はトリカブトとヨモギの見分けすらつかなかったのです。都会で生まれ育った人にとって、葉裏の毛の手触りを確認するとか、葉を揉んで匂いを確認してみるといった発想はありません。触覚や嗅覚の使い方を知らないのです。

今では十分見分けがつきますが、トリカブトとヨモギが仲良く並んで生えているところを何度か見かけたことがあります。文字通り、死と隣り合わせです。

最近楽しんでいるキノコ狩りのほうはもっと大変です。キノコはどれもこれもよく似ていて、幼菌と老菌でまったく姿が違うなど、山菜よりもはるかに見分けにくいからです。猛毒のドクツルタケやタマゴタケモドキは、普通にあちこちに生えています。

そこまでして食べる必要があるのか、と言う人も当然いるでしょう。でも、わたしは自然界について、もっと深く知りたいと思っているので、これも大切なステップです。

高度に文明化された時代に生まれたわたしたちは、自然界にある食料を自分で探すことも、採取することも、食べることができるものかどうか確かめることも必要ない社会で生きてきました。ほしいものをただスーパーの買い物カゴに入れればいいだけです。

でも、人類の歴史全体からすれば、安全な食料を自由に買える時代より、自分の知識と全感覚を総動員して食料を探さなければならなかった時代のほうがずっと長かったはずです。

そのころきっと有用だったと思われる、新奇性探求と慎重さがセットになった遺伝子が、この飽食時代のわたしのような人にも、受け継がれていても不思議ではないでしょう。

わたしは、ここ数年の世界情勢の不安定さからして、スーパーやコンビニで自由に食べ物を買える「当たり前」が、いつなんどき崩壊してもおかしくないと思っています。

日本は裕福なので、今のところ影響はほとんど出ていませんが、世界に目を向けると、新型コロナウイルスや異常気象の影響で、これまでなかった食糧不足に直面している地域がいくつもあります。

文明社会の平和や安全なんてもろいものです。今年、それがわかったのではないでしょうか。ほんの数世代前にさえ、二度の世界大戦が起こっています。救荒食糧の知識が役立つ日が来るかもしれません。

もし仮に、これから混沌の時代がやってきたら、自分で食糧を探せるスキルや食糧を育てて収穫するスキルがなければ、生きていけないでしょう。

もっとも、わたしのおもな動機付けは、サバイバル技術の習得ではありません。あくまで、自然界についてもっと知りたい、自然と共生してた先住民族や、19世紀の博物学者のような人たちにちょっとでも近づきたいという気持ちです。

考えうる限りの最高の食事とは何か

それに、「スーパーで安全な食品が買えるこの時代に、わざわざ危険を冒してまで、山菜やキノコなんて採らなくても…」などと、もっともらしいことを言う人は、ひどい思い違いをしています。

都会に住んでいたころ、河川敷の堤防で、雑草を摘んで食べている知人がいました。どうにも汚らしく感じて、もっと「まとも」な食事をすればいいのに、と内心思ったものです。

今でも、都会のゴミだらけの川沿いの雑草が新鮮だとは思いません。でも、スーパーで売っているものが「まとも」だと思っていたあのころのわたしも、また浅はかでした。

著名なジャーナリスト、マイケル・ポーランについて知ったのは、たまたま腸内細菌とトラウマの関係性について書かれた腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか という本を読んでいたときでした。この本にポーランの名前が2度出てきますが、そのうち片方の文脈を引用してみます。

マイケル・ポーランが著書「フード・ルールー人と地球にやさしいシンプルな食習慣64」で述べているアドバイスに従おう。スーパーでは食べ物らしい食べ物を買うべきである。

食べ物らしく見えなければ、脳を阻害する人工甘味料、乳化剤、フルクトース、コーンシロップ、活性グルテンなどの食品添加物が含まれている可能性が高い。

それと同じ理由により、スーパーで売られている食品の見かけには注意しよう。ラベルをよく読んで、成分や添加物、そして生産地を確認しよう。(p285)

前述のとおり、この本は、単なる理想の食生活についての本ではなく、腸内細菌とトラウマの関係について説明した本だ、というのが重要です。自己免疫疾患や慢性疲労症候群といった病気とも関連しています。

つまり、わたしのように、トラウマや解離やそれに関連した身体疾患といった問題を克服したいと思っている人は、自分が何を食べているかに留意しなければならない、ということです。

もはやトラウマは心の病ではなく内臓の微生物群集(マイクロバイオーム)を取り巻く生態系の問題だというパラダイムシフト
エムラン・メイヤーの研究から、トラウマ医学におけるマイクロバイオーム(体内の微生物群集)の重要な役割について考察しました。

わたしは、マイケル・ポーランとは誰なのか知りませんでしたが、彼の著書「雑食動物のジレンマ」は世界的なベストセラーなので、少しでも食の安全に関心のある人ならきっと知っているのでしょう。

彼は、これ、食べていいの?: ハンバーガーから森のなかまで――食を選ぶ力という本で、狩猟採集が非現実的に思えるとしたら、現代のファストフードや加工食品に頼り切りの食生活も、同じほど非現実的だと指摘しています。

今回の「狩猟採集」食は、たしかに非現実的かもしれません。が、それをいうならファストフードだって非現実的といえるのではないでしょうか。

地球をどんどん汚していく食のありかたは、決して現実的とはいえません。心身を穏やかに育むどころか、逆に病気にしてしまう工業製品を食と呼ぶなど、とても現実的とはいえません。(p290-291)

ポーランは、雑食動物であるヒトは、何でも食べることができるがために、まともな食品を見分ける能力を失っている、と述べています。

自分で食品を選ぼうともせず、スーパーに売っているというだけで、ないしはレストランで提供されるというだけで、安全だと鵜呑みにしてしまう人はその最たるものです。

いくらか知識があり、健康を意識している人は、買い物をするとき、ラベルを見て原材料を確認します。それでも、本当の意味で食物を識別する力があるとはとてもいえません。「ジャガイモ」と書いてあったとして、それがどんな環境で作られているのか知るよしもないのですから。

かねてよりわたしは、たくさん本を読んできたので、現代の食品産業が供給している食品が、いかに劣悪で怪しいものかを、ある程度知っていました。

たとえば、微生物学者たちは、抗生物質の安易な使用に警鐘を鳴らしていますが、抗生物質を最も多く使用しているのは、医療ではなく食肉産業です。

微生物学の権威マーティン・ブレイザーの失われてゆく、我々の内なる細菌に書かれているように、どういうわけか抗生物質を投与すれば家畜は巨大化します。食肉産業はこぞって、単なる病気予防のみならず、成長促進剤として、抗生物質を濫用するようになりました。

現在アメリカで販売されている抗生物質の70から80パーセントが、ウシ、ニワトリ、七面鳥、ブタ、ヒツジ、カモ、ヤギといった何億頭もの動物に使用されている。(p91)

抗生物質使用が若い家畜の発育に本質的な影響を与えていることは間違いない。農家が抗生物質をニワトリ、ウシ、ブタに、早期に投与すればするほど、家畜の発育過程は変化する。

最も重要な所見に、どの抗生物質も家畜の成長を促進するという事実がある。どの抗生物質もすべて効くのである。化学的組成の違いや構造の違い、作用機序の違い、標的細菌の違いにもかかわらず、である。(p164)

そうして生産された抗生物質漬けの肉は、ありとあらゆるファストフードや、冷凍食品、レストランや給食の料理に含まれています。

1980年代、90年代に行われた調査は、肉、牛乳、卵の100回の検査のうち9回で、残留抗生物質の量が法的上限を超えたことを示した。

…大半の人は何年も抗生物質を飲んでいないと言うかもしれないが、それは間違いなのである。(p94)

ここ日本を含め先進国では、数世代前に比べ、子どもの体格がどんどんよくなっています。ある人たちはそれを、栄養状態が改善されたから、というポジティブな理由で片付けていますが、微生物学者の見解は違います。

抗生物質漬けにされた肉牛の体格がよくなるのであれば、それを食べて育つ現代社会の子どもたちはどうなるのだろうか、と。

40年経った今、背の高い若い日本人はさらに増えた。…栄養がよくなったということも含めて、多くの説明が可能だろう。一方、私たちは、細菌が身長に与えた影響を考えている。(p162)

酪農家が若い家畜に抗生物質を与えることによって成長を促進することが可能なら、私たちの子どもが同様の抗生物質によって成長促進効果を受けることがあっても不思議ではない。(p164)

果物や野菜、魚介類とて、状況は大差ありません。それらにも抗生物質は使用されています。虫を大量殺戮する農薬や除草剤も。利潤を得ている人たちは、人間には無害だから大丈夫だと取り繕いますが、説得力があるとは思えません。

わたしは薬や農薬がすべて害だとは考えていませんが、安全なのは、標的を選別する狭域スペクトルで作用する場合です。現状では、無差別に殺傷する広域スペクトルの薬品が主流で、メリットよりデメリットが多いように思います。

たとえば、これ、食べていいの?: ハンバーガーから森のなかまで――食を選ぶ力にこんな様子が出てきます。現実にある農場の話、しかもわたしたちが食べている食品の話です。

散布されていた農薬は数種類あって、モニターと呼ばれる殺虫剤も使われていました。人が吸えば神経がやられてしまう猛毒の薬品で、散布後五日間はだれも畑に入ることができません。

…生育期間中のジャガイモの内部にまで染みこんで、少しでもかじった虫はみな死んでしまうーそんな農薬もまかれていました。となるともちろん人間もそのジャガイモを食べるわけにはいきません。

…農薬の効果が薄れ、半年たって、ようやく食べられるようになる。初めてフライドポテトに加工される。(p3)

これはあくまで一例ですが、それと大差ない仕方で作られた野菜や果物は、間違いなく、わたしたちの近所のスーパーで売られている加工食品に使用されています。

わたしは農業に携わるようになってから、ドローンで農薬が大量散布されているのをよく目撃します。近くにいると肌がひりひりして息苦しくなるので、明らかに毒性があるのがわかります。

ましてや、建前だけの安全基準をクリアした化学工業薬品を、味付けや、着色料、保存料として加えた、「便利」で「お手軽」なファストフードや加工食品は、食品と呼ぶことすらはばかられるものです。

でも、そうしたことを知らない大半の人々はもちろん、本を読んである程度は知識を得ている人さえも、現代社会に住んでいる限り、選択肢がないのが実情です。

スーパーに買い物に行くほかに、いったいどうやって食料を手に入れるのでしょうか。都会の住宅には畑や庭はおろか、ベランダさえないかもしれません。屋内プランターでプチトマトを育てたところで何の足しになるでしょう。

しばしば泥水しか飲めない発展途上国の貧しい人たちの様子が報道され、わたしたち「先進国」の人々の同情を誘いますが、本当に自分たちは恵まれているといえるのでしょうか。

微生物学の研究が示すとおり、不衛生な発展途上国で感染症が猛威が振るうのと、衛生的な先進国で自己免疫疾患や慢性疲労症候群などの謎の慢性疾患が蔓延していることとは、同じコインの表の裏です。

泥水を飲まなければならない地域では危険な細菌、ウイルス、寄生虫に感染する急性の病気の発症率が上がります。

一方、過度に殺菌され、抗生物質漬けの食品を食べ、自然との関わりが激減した社会では、体内の細菌の多様性が減少し、免疫システムが適度に訓練されなくなり、慢性的な疾患が増加します。

スーパーで売っている「食品もどき」を食べるという選択肢しかない裕福な国のわたしたちは、泥水しか飲めない貧しい国の人々と、それほど大差ないのです。

急性病にかかって若くして死ぬのと、慢性病で何年、何十年も苦しむのとでは、どちらがましか、というだけのことです。

腸内細菌の絶滅が現代の慢性病をもたらした―「沈黙の春」から「抗生物質の冬」へ
2015年の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたマーティン・ブレイザー教授の「失われていく、我々の内なる細菌」から、抗生物質や帝王切開などによってもたらされている腸内細菌(

では文明社会の住人にできることは? 貧しい地域の人たちが、できるだけきれいな水をくむよう気をつけると同じように、原材料表記を見て、比較的安全そうなものを選ぶことくらいしかできません。でも、そんなまともな食品はめったにありません。

わたしも、食品産業の裏側を知りながら、体に悪い食べ物を食べざるを得ないというジレンマ、ある種の学習性無力感のようなあきらめに陥っていましたが、引っ越しを機に、別の世界が開けてきました。

わたしが今年食べた多くの山菜やキノコは、今のこの終末的な世界においては、考えうる最も安心安全な食材でした。

確かに、今の世界で完璧を求めることはできません。どれほど美しく見える山や海でも、ひどく汚染されている領域とつながっています。マイクロプラスチックが今やどこでも検出されるように。

しかしそれでも、都会から遠く離れたこの道北の深い森の中で育まれ、立ち並ぶ大樹によって濾過された山菜やキノコは、考え得る限り最も安全ではないでしょうか。

むろん「自然界の物=安全」ではないことは承知していますが、しっかり調査して、経験を積んで、何が食べれるもので、何が毒性のあるものかを判別した上でなら、森に自生しているものを安全に楽しむことができます。

それは、わたしたちの先祖が、何十世代にもわたり、日常的に食してきたものなのです。適応進化の原則が示すとおり、人間の体も腸内細菌も、そうした身近な食物に対して、長い年月をかけて順応してきた、と考えるのは自然なことです。

野菜類もたくさん食べましたが、それは無農薬栽培をしている友人の畑で採れた物です。形だけの「有機栽培」や「オーガニック」ではありません。わたしもお手伝いして作ったものだから、間違いない。

周辺の畑では農薬が使われているので、これも完璧とはいえません。でもやはり、考えうる限りではベストの選択肢です。

ほかにも、市販の工業製品としてのイースト菌を買う代わりに、無農薬で育てたトマトを使って、空気中をただよっている天然酵母菌を集めるといったこともそうです。

市販の農薬まみれのお茶を淹れる代わりに、森で採ってきたヒトリシズカやゲンノショウコのお茶を楽しむといったことも。

この秋には、アイヌが煎じてお茶を淹れていたというホオノキの実やチョウセンゴミシの実を採取してきました。ヤマブドウの実を見つけてほおばり、サルナシの実を採ってきてジャムを作りました。薬味にできるキハダの実も見つけました。

ポーランが、自分の手で狩猟採集して集めた食材について、こう語っているのと同じ気持ちを覚えます。

そう、わたしにとってはまちがいなく完璧な食事、最高のごちそうでした。

それは料理の腕がよかったからではなく、食材と暮らしている土地とお互いの結びつきがしっかりと感じられる食事だったからにほかなりません。

そうした安心感、つながりを求めて、「食の流れ」をたどる旅を始めたのではなかったか。

ラベルもバーコードも値札もついていないけれど、知りたいことはだいたいみんなわかっているーそれが今回の食事であり食材でした。

あのオークやマツがイノブタやキノコを育て、それをわたしたちがいのちの糧にしているのだという、その図をわたしははっきりと思い描くことができます。(p289)

今まで食べていたものは、どこで作られたのかも、誰が採ったのかもわからない、得体の知れぬものばかりでした。その材料は非人道的な施設で「生産」された動物の肉だったり、薬物漬けの野菜だったりしました。

また、わたしたちの祖先がずっと食べて順応してきたものばかりではなく、わずかここ数世代のうちに突如現れた、人体にとって新奇な合成物質も多量に含まれていました。

でも、今食べているものは、すべてではないにせよ、出どころのわかっているものばかりです。わたしは誰に感謝すればいいかを知っています。どこの森と大地がそれを育んだのかも。

わたしは、今回のコロナ騒動をきっかけに、自分のライフスタイルが大きく変わったことを喜んでいます。

もともと道北に引っ越したことで、自然に親しむようにはなりましたが、それ以上の変化を遂げる動機付けがありませんでした。

しかしコロナのせいで町にめったに出かけなくなり、足しげく森に通うようになり、本腰を入れて友人の畑のお手伝いもできるようになりました。その結果、本物の食べ物を味わうという喜びにありつけたのです。

相貌失認が自然観察ではプラスになるかもしれない

自然観察を通して発見した別の点は、わたしの相貌失認、つまり、人の顔を見分けるのが苦手な短所が、自然観察においては長所に思えたことです。

人の顔が覚えられない「相貌失認」の4人の有名人とその対処方法―記憶力のせいではない
人の顔が覚えられない、何度会っても見分けられない。それは10人に1人が抱える相貌失認(失顔症)かもしれません。ルイス・キャロル、ソロモン・シェレシェフスキー、オリヴァー・サックスな

以前の記事で書いたように、現代社会では障害とみなされている色覚異常も、近年の研究では、自然の中で暮らす人にとって、カモフラージュを見破り、必要なものを探しやすいという長所になっていたようです。

発達障害やHSPの人が自信を取り戻すのに役立つ、異常巻アンモナイトや先住民族の物語
発達障害は本当に「障害」なのでしょうか。むしろそれは、さまざまな環境に適応した、生物としての多様性である、ということを地衣類、アンモナイト、先住民族たちのエピソードから考えます。

相貌失認もそれと同様、何らかのメリットがあって遺伝的に受け継がれてきたものかもしれません。

相貌失認の人は、「だいたいこんなもの」という印象で親しい人の顔を見分けるのが苦手です。だから、顔の細かな特徴や、髪型、服装、場所、声の調子など、さまざまな状況要素から総合的に判断するようになりがちです。

しかし、自然観察のときは、そのような見分け方のほうが、間違いありません。「だいたいこんなもの」で見分けていたら、(さすがに以前のわたしのようにヨモギとトリカブトを間違う人はいないにしても)、ニリンソウとトリカブトを間違えて死ぬかもしれません。

目的の山菜のように思えても、時期、サイズ、葉っぱや花のつき方、匂い、手触り、時には根っこの形など、細かな特徴をしっかり確認して判断するべきです。

人間は自由に移動するので、相手が誰なのかを、出会う場所で判断するには限界があります。しかし、適した自生地が決まっている植物や菌類の場合はすばらしく役立つスキルになります。

たいていの山菜類は、群生する場所が決まっているので、一度見つけたら場所と紐づけて記憶しておくと便利です。たとえば各地に点在する「~ウシ」というアイヌ語地名は、何々の群生地という意味でした。

わたしは記憶力にまったく自信がなく、本で読んだことや勉強したことは瞬く間に忘れます。ところが、去年の秋に見たキノコや、今年の春に採った山菜は、どれもこれも、その姿から生えていた場所に至るまで、はっきり記憶しています。

これこそ、記憶の2つのタイプの違いです。ただ言葉だけの表面的な知識、つまり宣言的記憶はすぐに損なわれますが、身体に染み付いた非言語的な経験、つまり手続き記憶はそう簡単には消えないのです。

とりわけ、場所や匂いによる記憶は強固です。古代の人たちが、記憶の宮殿と名づけた記憶術からもわかるとおり、人は場所と結びついた記憶をそうそう忘れません。

経験を積むうちに、ある植物がどんな場所に生えているか、湿地か、林道か、森の中か、渓流沿いかといったことがわかってきます。

キノコを見分ける場合も、どんな場所に生えているか、針葉樹林か、広葉樹林か、混合林か、地面から生えているか木の幹から生えているか、その木の種類は何か、といった場所の情報がとても重要です。(つまり、キノコ狩りをしたいなら、最低でもまず樹木を見分けられるようになっていなければなりません)

たとえば、弱ったヤナギの木によく生えるヌメリスギタケモドキという美味しいキノコがありますが、必ず幹から生えます。もし地上から生えていたら、どれほどよく似ていても、中毒の危険がある別のキノコです。

自然界には、成長途中のある時期において、驚くほどそっくりさんなのに、性質が全然違うものがよくあります。山菜のユキザサと毒草のホウチャクソウ、食べれるキノコのキタマゴタケと猛毒タマゴタケモドキなど、本当に色々。

こんなに似ていて、生物学的にも親戚だったりするのに、どうして片方は美味しくて片方は猛毒なんだろう、と不思議に思います。

センボンイチメガサとドクアジロガサのように、あまりに見分けにくいものは手を出さないのが最善ですが、どちらにしても多方面から観察するスキルは培っておいて損はないでしょう。

今年は、オリヴァー・サックスの影響で、シダの観察も始めました。その見分けにくいことと言ったら!

ジュウモンジシダやクジャクシダのような、よほど特徴がはっきりしているシダを除けば、ほとんどのシダは遠目には同じように見えてしまいます。あたかも、自分が生まれ育ったのではない国の民族が、みんな同じような顔に見えるのと同じように。

けれども、観察のポイントを覚え、何度も何度も経験を積むうちに、少しずつ身の回りには様々な種類のシダがあることがわかってきました。たとえば、オシダ、メシダ、ヘビノネゴザ、リョウメンシダ、サカゲイノデなどのシダは、ほぼ見分けがつく顔見知りになってきました。

相貌失認のせいで、人の顔を見分けることに関しては、なぜこんなにも回り道をしなければならないのだろうと、思ったものでした。

しかし、自然界に関しては、回り道をすることのほうが正解なのです。ひと目見ただけでわかった気になり、そっくりさんに騙されるより、周囲の手がかりを集めて、本当の名前を推理するほうが間違いないからです。

奇しくもサックスは、 オアハカ日誌 で博物学者になる人たちの資質について、次のような言葉を残していました。

観察し、細かなところまで忘れない特殊な才能と、場所に関するずばぬけた記憶力は、自然への愛やロマンとともに、博物学者に共通する資質である。

地質学の父ウィリアム・スミスは、1830年代に晩年を迎えてからも「場所に関する記憶は極めて正確で、何年もまえに発見した化石を採掘するために、迷わずその場所に行くことができた」といわれている。(p32)

わたしは、細かなところまで観察して記憶するアスペルガー的な映像記憶には自信がありませんが、場所記憶のほうはそこそこ自信があります。半分くらいは博物学者の資質があると思いたいものです。

じっくり観察を繰り返し、違いを見分けられるようになってくると、身の回りにはこれほど多種多様な生き物がいたのか、と驚かされます。

今はまだ「みんな同じ」に見えるイネ科、カヤツリグサ科、コケ、地衣類なども、いずれは個々の種と顔見知りになって、もっと自分の世界を広げていきたいと感じます。

実地で理解した「停止」と「凍りつき」との違い

森歩きのときに発見したさらに別の点は、トラウマ研究における、「停止」と「凍りつき」の違いについて、理解が深まったことです。

わたしたちは普通、新しい刺激に直面したときに、それがどんな刺激なのか認識し、安全なのか危険なのかを確かめようとします。その一連の流れの反応は、定位反応と呼ばれています。

ところが、過去にトラウマを経験した人は、これがうまくいきません。先に書いたとおり、安全か危険か、ニュートラルな態度で観察する代わりに、すぐに怒涛のような条件付け反応が起こって、押し流されてしまいます

パット・オグデンによる、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際には、その点がこう説明されています。

トラウマ体験をしたクライエントは新しい刺激、もしくは条件つきの刺激に対して、適応的な定位反応をすることができません。

まず防衛的に反応します。トラウマ体験は認知を条件づける学習になっています。本来穏やかな刺激が恐れの感情によって彩られてしまいます。(p113)

わたしもそのような条件付けに支配された生活を送っていたので、この本に書いてある、適応的な定位反応、つまり刺激に対するごく普通の反応というのが、今ひとつよくわかりませんでした。

だから、過去の記事で何度もこの本から詳しく引用しているにもかかわらず、定位反応まわりのことは、一度も書いたことがなかったと思います。実感がないため、どういう意味なのかよくわからなかったのです。

特に、理解しにくかったのは、定位反応の流れの一部である、「停止」と呼ばれるステップについての説明でした。

活動停止反応は、動物において最も顕著に見られます。なじみのない音を聞くと、動物は動きを止めます。そして刺激が何であるかを確かめるまで、動こうとはしません。

停止と凍りつき反応は区別する必要があります。凍りつき反応というのは、刺激が危険であると判断された後に [ 原文では「後に」に傍点が振られて強調されている ] 身体におきる防衛反応です (p108)

わたしは、頻繁に凍りつき反応を起こす人だったので、過去記事では繰り返し、凍りつきとは何か、というテーマについて扱いました。

凍りつき反応は、ヘビに睨まれたカエル、ヘッドライトに照らされたシカなどと同じ生物学的な防衛反応のひとつです。現代社会の多くの人に頻繁に起こっているにも関わらず、正しく理解されていません。

嘆かわしいことに、凍りついて動けなくなってしまう人は、心が弱い人、臆病な人とみなされることもあります。しかし、これが生物学的な反応だと知っていれば、いわれなき非難から身を守ることができます。

凍りつきや解離は弱さのしるしではない―「クマにあったら腰抜かせ」から学べること
恐ろしい場面で抵抗できず固まってしまう、頭が真っ白になって何も言えなくなる。そんな凍りつき(解離)反応は、現代文化では弱さや恥とみなされがちです。しかし生物学的には弱さどころか勇敢

また、慢性的な凍りつき反応のせいで、身体の動きがぎこちなくなっている人は、自分が不器用だとか、発達性協調運動障害だとか誤解しているかもしれません。

でも本当は、慢性的に苦手な刺激にさらされているせいで、背側迷走神経がブレーキをかけ、身体が固まっているだけなのかもしれません。

人前に出ることや、評価されること、スポーツで身体を動かすことに対して恐怖を感じるとしたら、すぐに凍りつき反応が引き起こされ、スムーズに動けず、声も出せなくなってしまうでしょう。

HSPの人が知っておきたい右脳の役割―無意識に影響している愛着,解離,失われた記憶
HSPの子は右脳が活発、という知見にもとづき、右脳と左脳の役割や二つの記憶システム、愛着、解離など、HSPの人が知っておくと役立つ話題をまとめました。

慢性的に凍りつき反応が起こって、筋肉が固く収縮している人は、けいれんや痛みに悩まされるようにもなります。こうして、線維筋痛症などの慢性疼痛や、エネルギーが極度に消耗した慢性疲労症候群に陥ってしまうこともあります。

もし凍りつき反応についての知識がなければ、かつてのわたしがそうだったように、これらの症状は、原因不明の疾患として片付けられてしまうかもしれません。

無意識下の身体の緊張が慢性疲労症候群や線維筋痛症につながる―名古屋大の研究
慢性疲労症候群、線維筋痛症、PTSDなどに共通する筋緊張のメカニズムについての名古屋大の研究。

そういったわけで、わたしは凍りつき反応について詳しく調べるようにしてきましたが、そこで困ったのが先の記述です。

「停止と凍りつき反応は区別する必要があります」。なんとなくわかるようでわかりません。

この本の後の部分でも、改めてこの違いが強調され、次のように書かれていました。

動物においては、ひとたび捕食者を見つけると、凍りつきは支配的な防衛反応になります。

人間においては、凍りつきでは、筋肉が張ったようになり、心拍数が上がり、感覚の鋭さが増加するような交感神経系の高度な関与がみられます。そして、非常に強い警戒態勢になります。

凍りついて交感神経が高ぶることは、定位反応の停止(arrest)段階、つまり刺激が見つけられ、明確にされ、評価されるまで動きが一時的に停止される状態に似ているように見えます。

しかし、凍りつくことは定位反応の停止段階とは明らかに異なります。なぜなら、刺激がすでに危険と判断され、自律神経系の反応はすでにはっきりと動員されています。

定位反応の停止段階にも身体的静止がおこりますが、刺激はまだ危険と評価されていません。それが脅威として評価された場合に、凍りつきが誘発されます。(p131)

ここでも、凍りつきと停止反応は似ているけれど違う、ということが強調されています。文章で読むと、なんとなくわかるようで、やはりわからない。そもそもこの2つを区別する意義がわからない、という状態でした。

そして、これもまたよく引用している本ですが、ピーター・ラヴィーンの身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアにも、「停止」反応の話が出てきます。

キャノンの発見から75年以上も動物行動学および生理学の研究が進展した現在、闘争か逃走反応は、「一つのAと四つのF」という頭文字にまとめられる。

すなわち停止(Arrest:注意の増加、状況の精査)、逃走(Flight:まず逃げようとする試み)、闘争(Fight:動物や人間の逃走が阻害された場合)、凍りつき(Freeze:恐怖―怯えによるこわばり)、そして破綻(Fold:無力感による虚脱状態)。(p60)

わたしの過去記事を読んでくださった方なら、頻繁にこの話題が出てくることをよく知っていることでしょう。

もともと、人間の危機に対する反応は、ウォルター・キャノンが提唱した有名な「闘争か逃走か」という反応のみだと思われていました。

そのせいで、ストレスのもとでは、攻撃的になったり、多動になったりといった、過覚醒寄りの反応が当たり前だと思われていました。トラウマも、PTSDのような激しい反応しか注目されていませんでした。

しかし、ストレスに対する反応には、ほかにも「凍りつき」「破綻」(過去記事では、凍りつき/擬死、凍りつき/固まりといった表現を使っています)といった、低覚醒寄りの反応もあるのです。

これが明らかになったことで、わたしのような、慢性的なストレスやトラウマによって、過眠になり、動けなくなり、慢性疲労や解離といった症状を起こすタイプの人について、十分な説明ができるようになりました。

以上のような点については、過去の記事で何度も詳しく説明しているのですが、いま引用した文脈にある「一つのA」つまり「停止(Arrest:注意の増加、状況の精査)」については触れたことがありません。

しかも、ラヴィーンは続けて、やはりあのお決まりの注意書きを記しているのです。

注意 : 最近一部の研究者には初期の停止反応を「凍りつき」と呼ぶ傾向があるが、私は混乱を避けるために「凍りつき」という用語を持続性不動状態に関する行動を記述するときにのみ用いることにする。(p61)

彼もまた、「停止」と「凍りつき」を区別することが大事だと考えていることがうかがえます。いったいどういう意味なのか、当時はよくわかりませんでした。

しかし、森歩きをするようになってから、この停止反応が身近に感じられるようになりました。なぜなら、森の中で、よくこれを経験するからです。

森の中では、時々正体のわからない音が聞こえることがあります。わたしは、熊鈴をジャラジャラぶら下げながら歩いているので、何の音か確かめるために、「停止」しなければなりません。

衣擦れの音さえ起こらないよう、一切の動きをやめて、耳を澄まします。さっきの音は、他の野生動物の気配なのか、それともマツの木が風にきしむ音なのか、それとも、自分が踏んだ枝の音だったのか、といったことを確かめます。

そして、安全が確認されれば、また歩き出します。まれなことですが、もし動きを止めてもなお、野生動物や野鳥のけたたましい声が聞こえる場合は、その方向には向かわないようにして引き返します。

自分で体験してみるとよくわかりますが、この停止反応は、確かに凍りつきとはまったくの別物です。

まず、怖いと感じて動きを止めるわけではありません。単純に、周りの状況を知りたいという、中立的な動機から停止します。動かないのは、自分の音が混じってしまってわかりにくくなるのを防ぐためです。

また停止の際は、周囲の環境を知ろうとして、アクセルである交感神経が覚醒し、注意が呼び覚まされます。しかし、凍りつき反応に関与しているブレーキである背側迷走神経は関与していないはずです。

そのため、トラウマ性の凍りつき反応と違って、停止反応のときは、別に筋肉が固まって痛んだり、身体に不快感があったり、息苦しくなったりはしません。

どちらかというと、停止反応は、すでに解説したマインドフルネスに近いものです。動きをやめて、特定の反応をする代わりに、ありのままの現状を把握しようと「今ここ」に注意を向けるからです。

先ほど引用したところによると、「活動停止反応は、動物において最も顕著に見られます。なじみのない音を聞くと、動物は動きを止めます。そして刺激が何であるかを確かめるまで、動こうとはしません」とのことでした。

森の中でわたしが頻繁に停止を経験するのは、動物たちの暮らしに一歩近づいたということかもしれません。動物は人間と違って、今ここに注意を向けて、マインドフルに生を謳歌しているものなのです。

コロナの流行下だからこそ、本物の感覚を大切にしたい

コロナの流行にともない、こんな日本列島の果てでも、感染予防のため、オンラインのビデオ会議システムを使ったミーティングや交流が増えました。

ビデオ通話は平面の画像と音声によって相手の様子がわかるとはいえ、やはり通常のコミュニケーションに比べると非言語的サインが欠けているので、Zoom疲れを感じます。

「ズーム疲れ」はなぜ? 大きな負担、脳にかかる|ナショジオ|NIKKEI STYLE

「そうした非言語的な手がかりに強く依存している人にとって、それが見られないというのは大きな消耗につながります」と、フランクリン氏は言う。

このナショナルジオグラフィックの記事によると、もともと非言語的なサインにあまり頼らない自閉症スペクトラムの人は、かえってコミュニケーションが楽になった、と感じることがあるようですが、わたしはバーチャルな空間のやりとりは苦手です。

普段なら、コミュニケーションが苦手と言われるタイプの人たちが、かえって今の環境に馴染んでいる様子は、障害とは周囲の環境によって作りだされるものだという見方を思い起こさせます。

ちょうど、道程:オリヴァー・サックス自伝の中で、サックスが聴覚障害者だけの大学に出かけたとき、その環境では手話ができない自分のほうが、コミュニケーション障害を抱えている「言葉の不自由な人」になったと書いているエピソードのように。

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わたしも、いまだに都会に住んでいたとすれば、このコロナの流行下で、いよいよ現実の地に足のついた接触が減り、バーチャルの世界に適応して生きていくほかなくなったことでしょう。

もしそうなれば、わたしはさらに適応不良を起こして、体調を崩したことでしょう。コロナ以前でさえ、生きるか死ぬかギリギリのラインにいたのに、いまだに大都会で暮らしていたら、と思うとゾッとします。

最近、東京の友人たちによるZoomミーティングに参加して、こちらの近況を話す機会がありました。

何より驚かれたのは、この地域にコロナ感染者が出ていないということでした。まだこの日本にそんな秘境が残っていたのか、とでも言うかのように。

東京の人たちにとって、いかにコロナが身近になり、生活が一変してしまったかが、ひしひしと伝わってきました。

そんな時代に、マスクもつけずに自由に外出して、誰とも会わないまま公園も森も散歩できるわたしは、とても恵まれていると思います。

もともと、都会は生物学的に異常な環境で、災害や暴動などが起こったら耐えられない、と判断したことが、引っ越しを決めた動機のひとつでした。でも、まさかこんなに早く未曾有の災害が到来するとは思ってもみませんでした。

これから世界の状況が、どう変転していくのかはわかりません。また普通の暮らしが戻ってくるのでしょうか。いえ、そもそも、普通だと思っていたかつての暮らしは本当にまともだったのでしょうか。

コロナの流行の影で、環境破壊はさらに進展し、異常気象が増加しています。世界各国の政治は不安定さを増し、社会の価値観の分断が進行しています。ネット上では度を超えた誹謗中傷が増えています。

感染症への恐れのため、野外での運動や人との接触といった身体的な経験がさらに減ったら、子どもたちの発達やお年寄りの健康にはどんな影響が及ぶのでしょうか。考えたくもありません。

将来が良くなりそうな要素は皆無に等しい反面、悪くなりそうな要素ならいくらでも挙げられます。残念ながら、きっと悪い予感は当たるでしょう。

わたしは人類社会の将来には何の期待もしていません。でも、そんな時代だからこそ、自分が愛する森のそばで生きていられることを嬉しく思います。

先ほどのビデオ通話の話と同じく、森歩きの楽しさや心地よさもまた、多くの非言語的な感覚に支えられています。どんなにいい景色でも、映像だけでは、ずっとリラックスして見ていることなんてできません。

非言語的要素を欠いたコミュニケーションは、かえって疲れを引き起こすのと同じように、森を実際に歩くときに感じるさまざまな身体感覚が伴わなければ、本当の心地よさは実感できません。

わたしを癒やし、力づけてくれるのは、単なる美しい景色のみならず、森の立体的なさざめき、複雑な味わい深い香り、葉や実のリアルな手触り、そして自分の足で歩く臨場感です。テレビや動画では絶対に代用できず、バーチャルの世界では再現できないものです。

全身で味わえる本物の自然、本物の身体的な経験があればこそ、この困難な時代にも、生きている喜びを味わうことができます。

この半年でかなり自然観察の経験値を積んだとはいえ、あくまで、以前のわたしに比べたら、というだけのこと。RPGで言ったら、まだレベル20にも達していない序盤も序盤です。

記事のタイトルでは、偉そうに「森と共に暮らし始めた」なんて書きましたが、まだまだ文明社会の住人です。ほんの足先を突っ込んだだけにすぎません。

だから、これからもチャンスをとらえて四季折々の自然に親しみ、知識では代えがたい本物の経験を積んで、レベルアップしていきたいと思っています。いつか本当に、自然と共生して生きられる日が来ることを願って。