おそらくこの分野で最も驚くべき発見は、ひとりひとりの脳の構造が、その人の腸で最も優勢な微生物の種類と関係しているというものだろう。
これはメイヤーのグループが明らかにしており、頭部のMRIスキャンから、「その人の体内でどんな微生物の庭が育っているかを実際に予測できる」と彼は言う。(p148)
このブログでは、以前から、人体の微生物群(マイクロバイオータ)、もっと馴染み深い表現に言い換えれば腸内細菌が引き起こす諸問題を扱ってきました。
自己免疫疾患、自閉症、慢性疲労症候群など、現代社会に典型的な多くの疾患や脳の炎症が、腸内細菌の異常と密接に関係していることが近年明らかになっています。
腸内細菌は、しばしば食事やサプリによって簡単に変動するかのように誤解されていますが、実際にはあたかも指紋のように一人ひとり特有の多様性を有していて、そう簡単に変化しないようです。
このブログではまた、愛着やトラウマが引き起こす諸問題についても扱ってきました。こちらも、幼少期からの脳の発達に影響し、ときに生涯にわたる病気の土台となることがわかっています。
精神科医の書いた本が多かったせいで、当初は愛着やトラウマは心の問題かと思っていましたが、調べるうちにこれらはほとんど生物学的な現象だとわかってきました。
これまで幼少期のトラウマと、腸内細菌の異常が関与している現代病はかなり多いだろうと思っていましたが、あくまでこの二つは別個のものだと考えていました。
ところが、心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで などの腸内細菌に詳しい本を読んでいるうちに、どうやら別個のものどころか、愛着やトラウマは腸内細菌を土台として生じているのではないか、という極めて奇妙な考えに至りました。
自分で書いていて、突拍子もないことを言っている自覚はありますが、そう考えると納得のいく部分が多数あるのも事実なので、この記事で順を追って調べていきたいと思います。興味のある方は半信半疑くらいの気持ちでお付き合いください。
もくじ
これはどんな本?
今回おもに参考にしたのは、サイエンスライター、キャスリン・マコーリフによる心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで です。
この本は、近年にわかに注目されるようになってきた神経寄生生物学という新たな学問の研究をわかりやすく紹介しています。
この新興分野は「神経寄生生物学(neuroparasitology)」と名づけられた。だが名前に惑わされてはいけない。
この取り組みの中心となっているのは今のところ神経科学者と寄生生物学者ではあるものの、心理学、免疫学、人類学、宗教研究、政治学といった多彩な分野からの研究参入が増えてきている。(p11)
この説明が物語るように、当初この学問は、自然界の寄生生物が動物や昆虫を操作する特異な例を研究するものでした。
ところが調査するうちに想像よりはるかに多彩な仕方で微生物たちが動物や昆虫の神経系に影響を与えていて、わたしたち人間もまた、さまざまな微生物の思惑に翻弄されているのではないか、ということがわかってきました。
その結果、心理学や人類学、果ては宗教研究家や政治学者まで巻き込むようになり、人類の歴史や文化そのものが、知らず知らずのうちに微生物たちとの駆け引きによって作られてきたのではないか、という説さえ登場しています。
この本は極端な言説に偏らないよう慎重さを意識して書かれていますが、それでも「寄生生物中心の世界観を披露」している独特な本です。(p286)
そして、その独特の世界観に照らして考えるとき、このブログで扱ってきた愛着やトラウマ、解離といった精神医学の現象が、まったく異質な様相を帯びてきたのでした。
「自分の90パーセントは、実は自分ではない」
まず、腸内細菌について考えるにあたり、人体を取り巻く微生物についての認識を新たにしておく必要があります。
現代人の多くは、腸内細菌というと、健康食品やヨーグルトと結びつけるだけで、単におなかの調子の問題だとしか考えていません。メディアを通して、胃腸疾患や太ったり痩せたりする体質と関係すると知っているかもしれませんが、それ以上のものとは思っていません。
腸内細菌の影響をこれほど限定的に考えてしまうのは、あくまで人間が主体で、腸内にいる細菌たちは間借りしている居候にすぎないと考えているからでしょう。
人間が、いわば腸内細菌を住まわせてやって、対価として恩恵をいくらか受けている、という、あくまで人間側が主導権を握っている世界観の枠組みで考えています。
高度な思考を持ち、細菌よりはるかに大きな身体を持っている人間と、その腹の中にいる細かい微生物たちとでは、比較にもならない圧倒的な主従関係があるとみなすのはいたって普通です。
ところが、近年の微生物学の専門家たちはまったく別の見方をしています。心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで にはこう書かれています。
私たちひとりひとりに住みついているウイルス、細菌、菌類、原生生物、その他すべての生物を合計した数…は100兆個を超え、人体のすべての細胞を合わせた数はそれより一桁少ない。
微生物起源の遺伝物質の総量は、人間自身がもつ遺伝物質の150倍にもなる。
簡単に言えば、自分の90パーセントは、実は自分ではない。(p134)
「自分の90パーセントは、実は自分ではない」とは衝撃的な言葉です。
同様のことをニューヨーク大学 微生物学教授、米国感染症学会の元会長のマーティン・J・ブレイザーは、失われてゆく、我々の内なる細菌 の中でこう書いています。
ヒトの体は30兆個の細胞よりなる。一方、ヒトは、ヒトとともに進化してきた100兆個もの細菌や真菌の住処でもある。
…私たちの身体を構成する細胞の70から90パーセントは、ヒト以外の細胞ということになる。
…すべての細菌を合わせると、一人あたり約3ポンド、つまり脳に匹敵する重量の細菌がヒトに常在し、その種は1万に及ぶ。(p28-29)
わたしたち人間の細胞の70から90パーセントはなんと自分の細胞ではなく住みついている微生物たちであり、しかもそれらの総重量は脳の重量にも匹敵するというのです。
土と内臓 (微生物がつくる世界) によると、人体の細胞 対 細菌の比率が1:9だというよく引用される数値は、2013年、アメリカ微生物アカデミーによって、人間の細胞1につき細菌細胞3、ウイルス15という比率に訂正されたそうです。(原注 p6)
それでも、体内の細菌が持つ遺伝子レパートリーは200万個にのぼり、これはヒトゲノムの遺伝子の100倍です。(p159)
驚くべきことに、「ヒトの皮膚1平方インチに約50万個の微生物が棲んで」おり、「人間の体内には天の川銀河よの星よりたくさんの微生物がいる」とされています。(p188)
この数字を見ただけでも、わたしたちの中に間借りしているにすぎないと思っていたちっぽけな住人たちの印象が変わります。少なくとも数だけでいうと、人体の中では「自分」より微生物たちのほうがはるかに多く、圧倒的に発言権を持っている可能性があることに気づきます。
さらに、生物学的な証拠からすれば、わたしたち人間が、身体の中に微生物たちを住まわせてやっている貸主であり、微生物たちは賃借人である、という関係すら危うくなります。
地球に生命が誕生して37億年の歴史を24時間に圧縮してみると、…現生人類が現れたのは午前零時のたった二秒前になる。(p14)
この地球に、圧倒的に長く、それこそ比較にならないくらい長い期間住んでいた先住者は、微生物たちのほうです。彼らからすれば、人類のほうこそ、たった二秒前に現れたかのような新参者であり、微生物たちの世界の一部の住まわせてやっている居候ということになります。
それで、マーティン・ブレイザーは、端的にこう言っています。
人類は、細菌が圧倒的優勢である世界の小さなシミにすぎないとも言える。
私たちはこうした考え方に慣れる必要がある。(p16)
「私たちはこうした考え方に慣れる必要がある」と書かれているように、これはなかなか受け入れにくい観点です。
ちょうど、宇宙が地球と人間を中心に回っているという天動説を信じていた人たちが、自分たちは宇宙の中心ではない、という地動説を受け入れがたく思ったのと同様です。そのことは以前の記事で書きました。
土と内臓 (微生物がつくる世界)にはこう書かれていました。
地球が太陽のまわりを回っていることを発見したときと同じくらい輝かしい科学革命の時代を私たちは生きている。
けれども現在進行中の革命は、巨大な天体ではなく、小さすぎて肉眼では見えない生物が中心だ。
相次ぐ新たな発見によって、地下の、私たちの体内の、そして文字通り地球上至るところの生命について、急速に明らかになっている。
科学者たちが見つけているのは、私たちの知る世界が、これまでほとんど見過ごされてきた世界の上に築かれているということだ。
…現在科学者たちは、土壌の生産力から免疫系まで私たちが頼っているさまざまなものを、複雑な微生物の群衆が動かしていることを認識しつつあるところだ。(p i)
わたしたち人間は、とかく自分たちを優位において、他の生物を下等なものと考えがちですが、本当にそうなのでしょうか。
心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで に載せられている、神経寄生生物学の分野のさまざまな事例を読めば読むほど、人間中心の考え方を改めざるをえません。
むしろ、微生物たちは、非常に高度で洗練された戦術を駆使して、動物や植物、さらには人間をさえ有効に活用しているようです。
現在もなお、寄生生物と宿主があまりにも密接で複雑な関係をもっていることを知って、多くの神経科学者と心理学者は驚きを隠さない。
素人ならなおさら、そもそも自然は寄生生物が見せる巧みな操り方をどうやって生み出したのかと、あっけにとられるばかりだ。
寄生生物のとる策略のなかには、あまりにも巧妙で抜け目がなく、そんなものを考えつくのは人間か全知の神しかいないように思えるものもある。(p12)
寄生生物は、いずれも極めて複雑で独創的な戦略を持っています。そして、人間にとって最も身近で巨大な寄生生物、あるいは共生生物と呼べるのが、腸内細菌です。
生物学的なシステムとしての愛着
腸内細菌が人間にとって胃腸の働きを整える以上の役割を果たしているとは到底思えないかもしれません。
微生物たちが高度な戦略を弄して動物や人間を操っているなどと言い出せば、SFの世界の話だろうと一笑に付されてしまいそうです。
ところが、わたしたち人間の人格の土台部分を成している「愛着」と呼ばれる生物学的機能に、腸内細菌が密接に関与していることを知ると、腸内細菌たちのイメージが変わってきます。
愛着とは何かについては過去のさまざまな記事で説明したとおりです。
近年「愛着障害」という言葉がアダルトチルドレンと同義に扱われる傾向があるせいで、愛着は育ちの中で経験した心の傷つきと結び付けられてしまいがちです。
育ちの中で経験する心の傷は、しっかり記憶に残っていることも多いので、10代前後に経験するものがほとんどでしょう。しかし愛着は、おもに生後2歳ごろまでの養育環境によって形作られるとされています。
わたしたち個人の愛着パターンは生後2年ほどの記憶にない時期に決まります。おおまかに安定型、回避型、両価型、無秩序型と呼ばれる4つの傾向のいずれかを身につけ、たいていは大人になっても同じタイプのままです。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 によると、愛着とは、心の問題ではなく、身体に記憶されたパターンです。
愛着パターンは、早期の愛着を反映した長期にわたる身体的傾向(ohysical tendencies)の中にもあらわれます。
手続き記憶としてコード化されて、これらの愛着パターンは、親近さを求める行動(proximity-seeking)、社会的関わり行動(微笑む、相手に向かって動く、手を伸ばす、アイ・コンタクト)、防衛的表現(身体を引く、緊張のパターン、過覚醒あるいは低覚醒)としてあらわれます。(p63)
愛着が形成される生後2年ほどの時期は、まだ左脳が未発達なので、その時期に受けた養育体験は、言葉で説明できる記憶には残りません。
その代わり、その時期に受けた養育経験は、出生前から発達している右脳の無意識の手続き記憶として保存され、それ以降の身体の反応や、対人関係のパターンの土台となります。
愛着は、人間以外の多くの動物たちにも備わっている生物学的システムです。愛着の役割は、たとえばアカゲザルやプレーリーハタネズミを用いた実験から解明されてきました。
愛着とは、乳幼児期に受けた世話のパターンを身体が記憶したものであり、「社会的関わり行動(微笑む、相手に向かって動く、手を伸ばす、アイ・コンタクト)、防衛的表現(身体を引く、緊張のパターン、過覚醒あるいは低覚醒)」などに反映されます。
わたしたちは生まれて間もない時期に養育者(おもに母親)から受けた世話を対人関係や自律神経機能のテンプレートとして身体で記憶し、そのときのパターンを無意識のうちに その後の人生で繰り返し活用していくのです。
腸内細菌の生き残り戦略なのか
愛着とは、生まれて間もない生後二年間ごろの期間に身体に記憶されたパターンである、という特徴を持っていますが、不思議なことに、腸内細菌も似たような傾向を持っています。
心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで にはこう書かれています。
最初の二年間でその数は劇的に変化して、赤ちゃんひとりひとりに独特の組み合わせができあがる。そしてそれ以降は食べるものが固形物に移行するにつれて、安定したものになる。
子どももおとなも通常はおよそ二千から三千種の微生物に住みかを提供しており、まったく同じ組み合わせをもつ人間はふたりといない。自分の微生物相は指紋と同じで、自分だけのものだ。(p135)
ただ単に愛着と腸内細菌が形作られるのが生後2年ほどの時期だからといって、これらに関係があると安易にみなすことはできませんが、別の実験をさらに調べると、腸内細菌のもっと奇妙な性質が明らかになってきます。
無菌マウスは特別な方法によって無菌の状態で飼育されるため、腸内微生物をもたない。
腸にきちんとした微生物相を備えたふつうの健康なマウスは学習が好きで、すぐに覚える。
…ところが無菌マウスには、この自然な好奇心がまったくない。まるで直前に探検したものや場所の記憶がないように見える。(p138)
腸内細菌を持っているマウスと、腸内細菌を持たないマウスの行動を比較すると、腸内細菌を持っていないマウスは、「直前に探検したものや場所の記憶がない」ようになります。
以前に説明したとおり、愛着に関わっているのは右脳が関係する記憶であり、視覚や空間の把握に優れている感覚記憶また手続き記憶です。腸内細菌を持たないマウスは、まさにそうした記憶が弱くなっているように思えます。
腸内細菌を持たないマウスの奇妙な特徴はそれだけではありません。
実際、そのようなマウスは不安という感情に影響されないので、生まれてすぐ一日に三時間にわたって母親のもとから離されても、嘆く様子は一切ない―ふつうは子にとってトラウマとなり、生涯にわたる気まぐれな性格や社会不適応を引き起こす状況だ。(p138)
なんと、腸内細菌を持たない赤ちゃんマウスは、幼少期の母親からの世話による影響を受けないのです。
前述のとおり、愛着とは、哺乳類などの動物にも見られるシステムであり、ネズミにも愛着は備わっています。
普通、赤ちゃんのネズミを親から引き離すと、ここに書かれているように「ふつうは子にとってトラウマとなり、障害にわたる気まぐれな性格や社会不適応を引き起こす」ようになります。つまり、人間と同じく、愛着障害のマウスへと成長します。
しかし、腸内細菌を持たない無菌マウスは、そうした不安やトラウマを感じることが一切ありませんでした。あたかも愛着システムがなくなってしまったかのようです。
マックマスター大学のスティーヴン・コリンズは、この実験を詳しく説明してこう述べています。
コリンズが指摘するとおり、無菌マウスは学習能力が低かったり、今まで自分がどこにいたかを覚えていなかったりする。敵を避けることもない。
そして母親に育てられて守られることが生き残りには不可欠なのに、その母親から離されても悲しんだり抵抗したりしない。
「ところが」と、コリンズは話す。
「無菌マウスにその仲間にふつう備わっている微生物相を移植してやると、落ち着きを取り戻し、はるかに適切な、注意深い行動をとるようになる。
宿主が生き残って、できるだけリスクを冒さないことが、腸内細菌にとって最優先の利益だと言える」(p161)
腸内細菌を持たないマウスは、場所に関わる記憶が弱く、危険に面しても防衛行動を取りません。しかも、母親の世話によって愛着が形成されません。
前述のように子どもが身につける愛着パターンには4つのタイプがありますが、安定型の愛着だけでなく、不安定な愛着もすべて生育環境に対する適応として身につけられます。
乳幼児期に、過剰に警戒する必要がある環境に置かれれば、赤ちゃんは過覚醒の傾向に育ちます。すぐに闘ったり逃げたりする防衛行動を取れるように身構えているためです。そうした子は多動で衝動的になっていきます。
他方、乳幼児期にネグレクトに近い環境で育つと、赤ちゃんは低覚醒の傾向に育ちます。凍りついたり、固まったりする防衛行動を身に着け、その後の人生でもストレスに対して意識を解離させてただじっと耐え忍ぶようになります。
たとえ不安定な愛着に育った場合でも、それは外部環境に対する防衛反応として身につけている適応であることがわかります。
しかし腸内細菌のないマウスの場合、「敵を避けることもない」、つまり、危機に対していずれかの防衛反応を取ることがありませんでした。外の世界を警戒しないなら、環境に応じて適応する愛着が形成されることもないでしょう。
すなわち、右脳に関連した空間記憶があまり学習されないこと、危機に反応しないこと、愛着が形成されないことは、すべて同じ意味を持っているはずです。
それに対し、そうした無菌マウスに健康な腸内細菌を移植してやると、適切な学習能力が備わるようになります。これはまるで、腸内細菌の有無が愛着の学習に不可欠であるかのようです。
まさか、腸内細菌が赤ちゃんマウスに愛着を身に着けさせているとでもいうのでしょうか。
スティーヴン・コリンズは、この奇妙な実験の説明の締めくくりにこう述べていました。
宿主が生き残って、できるだけリスクを冒さないことが、腸内細菌にとって最優先の利益だと言える。
これはつまり、腸内細菌を持つマウスが、場所を記憶し、危機に反応し、愛着を形成するのはすべて、宿主が生き残る確率を高めるために、腸内細菌が仕組んでいる戦略ではないか、という意味でしょう。
前述のように、愛着とは、たとえ不安定なものであっても、すべて、養育環境に対する適応として生じています。虐待された子どもが無秩序型の愛着になる場合でさえ、予測できない親のもとで、少しでも生き延びていく確率を高めるための適応です。
愛着によって養育環境に適応するのは、子ども自身が生きていくのため、というのが、しごくまっとうな説明に思えますが、その愛着を形成しているのが腸内細菌であるとするなら話は別です。
子どもが養育環境に適した愛着を身につけるのは、じつは子どもの身体の中にいる腸内細菌たちが共生関係にある人間を保護するためなのでしょうか。
わたしたちが自分の住んでいる家に耐震構造を施すかのように、わたしたちを住みかとしている腸内細菌が、環境に適応する愛着という耐震構造をわたしたちに身に着けさせているのでしょうか。
別の研究によると、「生まれてすぐの微生物相が脳の配線そのものを形成する」ことがわかっています。(p138)
事実、スウェーデンのカロリンスカ研究所で行われた研究によれば、生後早い時期に腸内微生物相の影響を直接受けることが数百もの遺伝子の発現に劇的な影響を及ぼし、その多くは脳内の科学的メッセージの伝達にかかわる遺伝子だという。(p138)
わたしたちが生まれて間もないころに、腸内微生物たちは脳内の神経伝達に関わる数百もの遺伝子に劇的な影響を及ぼします。、生まれてすぐの様々な学習には腸内細菌が重要な役割を果たしているようであり、当然、愛着もそこに含まれることになります。
前述のように、腸内細菌は生まれて二年ごろに安定するようです。そしてそのころに脳の配線も整えられていきます。腸内細菌の組成はその後の人生で大きく変化しますが、一度形作られた脳のパターンは簡単には変わらないのかもしれません。
乳幼児期に不可欠な愛着、そしてその後の人生の土台となる脳の発達に腸内細菌が不可欠な役割を果たしているとなると、わたしたちを今の人格へと形成してきたのは、腸内細菌ではないか、ということになってしまいます。
それを裏付けるかのようなこんな実験もあります。
腸内細菌は人格まで左右している可能性がある。
母性剥奪の研究をしたカナダのオンタリオ州にあるマックマスター大学のスティーヴン・M・コリンズとプレミシル・バーシックらのチームは、ふたつの異なる気性をもつ近交系マウス(近親交配を20世代以上繰り返して、99パーセント以上同じDNAをもつマウス)を使って、この可能性を探った。
一方の系統のマウスはいつも物静かで、仲間たちと交流しようとしなかった。もう一方の系統のマウスはそれとは正反対の特徴を示し、より神経質で活動的、社交的だった。
これらふたつの系統では体内の微生物相も大きく違っていたので、研究者たちは一方の系統の無菌マウスにもう一方の系統の腸内細菌を移植するとどうなるかを確かめてみた。
すると、基本的に性格がそっくり入れ替わったのだ。(p138-139)
前に考えたとおり、愛着とは、わたしたちの人格の土台部分です。特に、愛着は社交性に大きな影響を持っていて、シンプルに言えば、社交的すぎる人は両価型(不安型)、内向的すぎる人は回避型と呼ばれる愛着と関係しています。
このマウスの実験では、「物静かで、仲間たちと交流しようとしなかった」マウスは回避型の愛着、「より神経質で活動的、社交的」マウスは両価型の愛着によく似ています。
ふつう、こうした内向性や外向性は、生涯を通してほとんど変化しないものです。それらが幼少期の愛着を土台としていることを思えば当然です。
ところが、無菌マウスにそれぞれの腸内細菌を移植すると、外向的にも内向的にもすることができました。少なくともマウスの実験レベルでは、どの愛着のタイプを身につけるかを決めているのは、腸内細菌だということになります。
それでは人間の場合はどうなのか。腸内細菌を持たない無菌人間を作り出すことは倫理的にできませんが、もしそうした赤ちゃんに回避型や両価型の赤ちゃんの腸内細菌を移植したら、その愛着パターンへと成長するのでしょうか。
もしそうだとすると、わたしたちの人格の土台は、腸内細菌によって決まっているのでしょうか。
人間という存在は、レオ・レオニの有名な童話スイミーを思い起こさせます。
大型生物に仲間を食べられてしまったスイミーは、大勢の仲間と寄り集まり、巨大な一匹の魚であるかのように見せかけることで、生き残りを図ります。
では、微生物たちがスイミーと同じような生き残り戦略を取っている可能性はないのでしょうか。
人間という大きな生物は、身体の細胞の90パーセント近くが微生物でできていて、あたかもスイミーたちが作った大きな魚のようです。
この場合、ひとまとまりになった大きな身体を動かしているのは、人間なのでしょうか。それとも無数の小さな微生物たちの群知能なのでしょうか。
心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで の著者がこう言うのももっともなことです。
腸内細菌は私たちの行動に目覚ましい影響を与えている。
事実、人間は自分の動機と細菌たちの動機を本当に切り離すことができるのか、私にはよくわからない。(p163)
トラウマは腸内細菌を自然選択する
腸内細菌が左右しているのは、愛着のタイプだけではありません。
心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで によると、腸内細菌は生後2年間ごろに重要な役割を果たしますが、その後の人生でも、わたしたちの普段の気分を大きく左右しています。
腸内で暮らす微生物は…私たちの感情を調整しているおもな神経伝達物質のほとんどすべて(注目すべきものは、GABA、ドーパミン、セロトニン、アセチルコリン、ノルアドレナリン)、さらに精神活性作用をもつホルモンまで、大量に生産する役割を果たしている。(p135)
ここに出てくるさまざまな神経伝達物質の名前は、多くの人にとって馴染みあるものだと思います。うつ病の人はセロトニンが足りないとか、ADHDはドーパミンバランスが不均衡にある、といった仮説はよく耳にします。
こうした神経伝達物質のほとんどは精神疾患や脳の病気と関連して登場しますが、これらのほとんどを生産しているのが腸内細菌となれば話は違います。
たとえば、脳の病気とされているパーキンソン病は、ドーパミンが不足する病気ですが、もしかすると胃腸から生じるのではないかとも言われています。パーキンソン病は発症のかなり前から便秘などが生じます。
近年うつ病や慢性疲労症候群といった脳の疾患とされる病気に、腸内細菌の異常があることもよく知られるようになってきています。
以前に紹介したように、自閉スペクトラム症のような発達障害も例外ではありません。
腸内細菌はまた、トラウマ性の障害にも強い影響を及ぼしているようです。
ふたりは初期に行なった試験で、健康な若い動物にストレスを加えながら育ててみた(そうすれば動物は確実に不安を抱いたおとなに成長する)。
すると、その動物の腸内細菌は、もっと穏やかな環境で育った動物とは大きく異なることがわかった。(p140)
この実験では、若い時期に経験した継続的なストレス、つまり人間でいうところの子ども時代の慢性的なトラウマ環境が、腸内細菌の組成を大きく変えてしまいました。
これは、先ほど見た愛着と腸内細菌のつながりを考えれば、それほど意外なことではありません。愛着障害とは、愛着トラウマとも呼ばれることがある、人生早期のトラウマの一種です。
愛着は外部の養育環境によって形成されますが、その実態は、外部の養育環境が、腸内細菌の状態に影響を及ぼし、その結果、異なる愛着パターンが生じているのではないか、ということでした。
そうすると、もう少し遅い時期、たとえば10歳ごろまでの幼少期に体験したトラウマもまた、腸内細菌の構成に影響し、その結果として多種多様な症状が起こっているのではないか、と推測できます。
人生早期のトラウマ体験が、脳の発達に影響を及ぼし、多種多様な心身症状を引き起こす現象は、このブログで以前に解説したように、「発達性トラウマ」と呼ばれています。
上記記事で引用したように子ども虐待の専門家である友田明美先生は、幼少期のトラウマが後の人生に延々と影響を及ぼすのは、「このときにホルモンの量がごくわずかに変化し、子どもの脳神経の配線を“適応”という形で永久に変えてしまう」からだと述べていました。
しかし、ここにはひとつ重要なステップが抜け落ちていたのかもしれません。トラウマ体験は直接 ホルモンの量を変化させ、脳の配線を組み替えているのではないのかもしれません。
トラウマはまず、腸内細菌の状態に影響を与え、腸内細菌が作り出す神経伝達物質を変化させ、結果として脳の配線に影響が及ぶのではないでしょうか。
前述のようにカロリンスカ研究所の研究は、「生後早い時期に腸内微生物相の影響を直接受けることが数百もの遺伝子の発言に劇的な影響を及ぼし、その多くは脳内の科学的メッセージの伝達にかかわる遺伝子だ」と示していました。
またマーティン・ブレイザーも失われてゆく、我々の内なる細菌 の中でこう書いています。
私の仮説は、腸内細菌が脳の初期発達に関与しているというものである。
ヒトの腸管は通常、1億個以上の神経細胞を含んでいる。これは脳細胞の数に匹敵する。腸管神経細胞は、おおむね脳とは独立して働く。
…腸管壁に末端を持つ神経細胞の豊かなネットワークは、迷走神経を通して脳に直接信号を送る。
…腸内細菌は、直接的あるいは炎症細胞を通して間接的に、こうした神経内分泌細胞と会話する。活発な会話である。(p201)
彼の説明は、自閉症と腸内細菌についてのものですが、その他の発達障害や、発達性トラウマ障害にも当てはめることができそうです。
彼の考えによれば、人間の脳は、「第二の脳」とも呼び習わされる腸と「活発な会話」をすることで形成されていきます。
「活発な会話」とあるとおり、これは相互フィードバックであり、腸内細菌の状態が脳に影響を与えることもあれば、脳の状態が腸内細菌に影響を与えることもあります。
脳が発達途上にある時期は、腸内細菌と脳が活発に対話することで、それぞれが最適な状態へと調整されていきます。
そうすると、その時期にもし、周囲の養育環境や、経験したトラウマによって脳が過覚醒や低覚醒を続けていれば、腸内細菌は、そのフィードバックを受けることになります。
このとき生じることは、人体をひとつの生態系としてとらえるとわかりやすくなります。
例えば、かつて気候変動により氷河期が訪れたとき、自然選択によって寒い環境に適した生物が生き残りました。逆に砂漠化が進行したところでは、熱波に最適化した生きものたちが栄えました。
それを人間という生態系に当てはめると、気候変動に当たるのは子どもが育つ環境で、生きものたちにあたるのは、腸内細菌をはじめとした体内の微生物たちということになります。
長引く氷河期や熱波のような環境とは過酷な子ども時代のことです。子どもは慢性的なストレスのもとでは、常に低覚醒になったり過覚醒になったりすることでやり過ごします。
そうした環境の激変が起こると、体内に住む微生物たちの生態系では自然選択が起こります。つねに過覚醒の環境ではそれに適した微生物たちが、つねに低覚醒の環境ではやはりそれに適応した微生物たちが生き残ります。
そうして作られた体内の微生物たちの生態系は、過覚醒のためにドーパミンを作りすぎたり、警戒を維持するためにセロトニンをあまり作らなかったりするかもしれません。発育途上の脳はそれに対応して発達していきます。
そうすると、幼少期の慢性的なトラウマによって、偏った体内の微生物たちの生態系がつくられ、その生態系に適応した、異質な脳の構造が発達していくことになります。
逃避不能ショックから学習する細菌たち
子ども時代のトラウマ体験の特徴として、「逃避不能ショック」と呼ばれるものがあります。
以前詳しく書いたように、これは、どこにも逃げ場のない状況で、繰り返し苦痛に合わされる体験のことを言います。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法はこう説明していました。
マイヤーは、ペンシルヴェニア大学のマーティン・セリグマンと共同研究を行なった。彼の論題は、動物における学習性無力感だった。
マイヤーとセリグマンは、錠を下ろした檻に犬を閉じ込め、痛みを伴う電気ショックを繰り返し与えた。二人はそれを「逃避不能ショック」と呼んだ。(p57)
「逃避不能ショック」を繰り返し受けた動物は、しだいに抵抗することもなくなり、身体が凍りつき、麻痺し、無力な状態に陥ってしまいます。これは、繰り返し経験したトラウマ反応を身体が学習した結果としての「学習性無力感」です。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 に書かれているように、どこにも逃げる手立てのない状況でトラウマを繰り返し経験した人は、低覚醒になって凍りつき、麻痺する防衛反応を見せるようになります。
Porgesの多重迷走神経階層理論では、他のすべての防衛が安全性の確保に失敗したとき、背側迷走神経が活動を始めるとされています。
子どものとき、特に発達途上の傷つきやすい期間に慢性的な虐待を受けた人、そして生き残るために社会的関わり、愛着あるいは動きをともなう防衛をうまく利用することが許されなかった人は、一般的に固まることによる防衛に頼るようになります。
それは、子どもとして依存せざるを得ない状態や発達の脆弱性を考えれば、やむをえないことです。(p135)
物理的な脱出が不可能であると判明した場合、固まる防衛は、それ以上の苦しみからその人を守るであろう生理学的心理学的対応です。(p136)
子ども時代のトラウマは、「逃避不能ショック」の環境で体験することが多いため、被害者は、闘ったり逃げたりする積極的な反応ではなく、ただじっとがまんする反応で対処することを学びます。これはイヌの実験で見られた「学習性無力感」と同じものです。
こうした子ども時代の慢性的なトラウマを経験した被害者は、その後の人生でストレスに直面したときも、幼少期と同じ凍りついたり麻痺したりする反応で意識を切り離して対処するようになります。これは解離と呼ばれています。
興味深いことに、心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで によれば、この「逃避不能ショック」の実験は、腸内細菌に関わる研究でも再現されています。
そうした実験のひとつでは、食事の介入を受けたマウスと受けていない対照群のマウスの両方を同じ檻に入れ、音と組み合わせた電気ショックを繰り返し足に与えた。
するとどちらのグループもまったく同じに、すぐ体をこわばらせるという反応を示した。それは適応反応だ。(p140)
この実験では、プロバイオティクスを与えられた(つまり腸内細菌を強化された)マウスと、そうでないマウスの両方に逃避不能ショックを与えました。案の定、どちらも固まる防衛反応を示しましたが、その後の経過が異なっていました。
ところが翌日に研究者たちが音だけを再生し、マウスがその音をどれだけ不快な刺激と結びつけて考えられるか確かめると、プロバイオティクスを与えられたマウスのほうが与えられていないマウスより頻繁に動きを止めた。(p140)
プロバイオティクスを与えられていないマウスは、昨日の苦痛をすっかり忘れていました。固まる防衛はほとんど身体に記憶されていませんでした。ところが、腸内細菌を強化されたマウスは、昨日の電気ショックのことを身体がよく覚えていました。
幼少期に繰り返し「逃避不能ショック」を経験した子どもが、その後の人生で解離を頻繁に活用し、トラウマ障害に陥ってしまうのは、トラウマの後遺症というより、トラウマに適応したせいです。
「物理的な脱出が不可能であると判明した場合、固まる防衛は、それ以上の苦しみからその人を守るであろう生理学的心理学的対応」だと書かれていたように、慢性的なトラウマに適応し、凍りついて意識を飛ばすことを学習したのが解離なのです。
そして、マウスの場合、そうしたトラウマ反応をより強く学習したのは、プロバイオティクスを与えられていたマウスのほうでした。つまり、腸内細菌を強化されていたマウスのほうが、トラウマの防衛反応をより強く学習していたようです。
これは前述の無菌マウスの研究結果とも一致しています。腸内細菌を持たない無菌マウスは、危険に対して防衛反応を示しませんでした。
もしも腸内細菌を持たないマウスに繰り返し逃避不能ショックを与えたとしても、凍りつくトラウマ反応は学習されないのではないかと思います。
これは言い換えると、「逃避不能ショック」によって生じる慢性的なトラウマにおいて、固まったり凍りついたりする防衛反応を学習させているのは、マウスの脳ではなく腸内細菌らしい、ということになります。
先に説明したように、この固まったり凍りついたりする防衛反応は、人間においては「解離」という呼び名で知られています。脅威に対して、身を固くして麻痺させ、意識を飛ばすことで対処する反応です。
では、マウスの場合、凍りつき反応の学習を左右するのが腸内細菌であるなら、幼少期に慢性的なトラウマを経験した人間の場合も、解離の反応を学習させているのは、その人の脳ではなく腸内細菌だということになるのでしょうか。
このブログはずっと解離とは何かを追ってきましたから、これは重大な問いです。正直いって、解離を引き起こしているのが腸内細菌だなどという考えはあまりに突拍子もなく思えます。
迷走神経は誰の声を伝えているのか
しかし、冷静に考えてみると、腸内細菌が解離を引き起こしているのではないか、という突拍子もない考えは、これまで解離について調べてきたことと矛盾していないばかりか、しっかり噛み合っています。
近年、トラウマの専門家たちは、トラウマにおける内臓の役割に重点を置いています。たとえば、トラウマ研究の第一人者のヴァン・デア・コークは身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法でこう書いています。
「怖くて体が硬直する」とか「恐怖で凍りつく」(虚脱状態や麻痺状態に陥る)といった表現は、恐怖やトラウマがどのように感じられるかをじつに正確に言い当てている。
トラウマは、内臓を土台とするそうした感覚から生じる。
恐れの体験は、何らかのかたちで逃避が妨げられて感じた脅威に対する原始的な反応に由来する。
内臓の経験が変わらないかぎり、その人の人生は恐れに人質に取られたままとなる。(p163)
トラウマは、「内臓を土台」として、「内臓の経験」から生じます。
わたしたちの文化ではたとえば、強烈な苦しみを「断腸の思い」と言ったり、猛烈な怒りを「はらわたが煮えくり返る」と表現したりします。
これは単なる比喩ではなくて、強い感情を感じるとき、感情に先立って内臓の激しい反応が生じることをよく言い表しています。このような表現は、日本語以外の文化でも頻繁に見られるようです。
以前の記事で考えたとおり、わたしたちの情動はまず身体から生じています。お湯に触れたとき、熱いと感じる前に手が反射的に動くように、身体の反応は感情や思考よりも先立って生じています。
トラウマを経験したときの苦痛は、意思を持つ自分が感じるより前に、「内臓を土台」として生じます。トラウマは身体が先に感じ、心が後に続くというわけです。
では、トラウマがまず内臓で経験されるとして、その苦痛はいかにして脳へ伝達されるのでしょうか。
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア の中で、トラウマ専門家であり、神経生理学者でもありピーター・ラヴィーンはこう説明しています。
驚くべきことに、内臓と脳を結ぶ迷走神経の90%もが感覚性である!
つまり、脳から内臓に指令を伝える神経繊維1本につき、9本の感覚神経が腸の状態に関する情報を脳に送る。
…ヒトは二つの脳を持つと言える。内臓内(腸の脳)と、頭蓋という円形ドーム内に鎮座する「上の脳」である。
この二つの脳は、太い迷走神経を通じてお互いに直接コミュニケーションをしている。
そして数で勝負するならば―1つの運動性、遠心性神経に対して、9つの感覚性、求心性神経―脳から内臓に対してよりも、明らかに内臓の方が脳に対する発言力がある(9:1の割合で)!(p145)
この神経線維の90%以上が求心性である。つまり迷走神経の主機能は、内臓からの情報を脳に向かって届けることである。
したがって、「本能的直感(はらわたの本能)」「勘(はらわたの直感)」、ひいては「はらわたの知恵」という表現には、確固たる解剖学的、生理学的根拠がある。(p166)
内臓と脳をつないでいるのは、先ほど解離と関係して出てきた背側迷走神経です。この迷走神経は、初期の魚類にも備わっているような原始的なものだとされていて、内臓からの指示を脳に伝達する役割を持っています。(p118)
文中で繰り返し書かれているように、この迷走神経は、内臓と脳をつないでいますが、その発言権は対等ではなく、内臓9に対し、脳が1だと考えられています。
すなわち、危機的状況においては、脳がどう考えようが、内臓からの強烈な信号のほうが圧倒的に強力だということです。そのせいで、交通事故やテロに直面した人は、何も考えられずパニックになって逃げ惑います。PTSDの人もまたそうです。
それに対し、内臓の声があまりに強烈すぎて、脳が圧倒されてしまうときに起動するのが背側迷走神経によるシャットダウン、すなわち解離です。
不動状態およびシャットダウン状態では、内臓が激しい恐怖を感じているため、通常はその感覚を意識から遮る。(p149)
解離はブレーカーに似たセーフティーシステムであり、あまりに強い刺激にさらされたときにそれをシャットダウンし、麻痺させることで切り離す防衛反応です。発言権が強すぎる内臓に対して、脳が拒否権を発動する唯一の手段が解離なのです。
それでは、このとき、9対1という発言権をもってして、あまりに強いシグナルを脳に送り、パニックやシャットダウンを引き起こしてしまうのは何者なのか。
心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで には次のような記述があります。
彼らの考えによれば、腸内細菌によって作られた精神活性化合物は腸神経系(腸の全長に沿って走っているニューロンの太い束)によって検知される。
このネットワークには脊髄より多くのニューロンが存在しており―だから「第二の脳」―のニックネームをもち―迷走神経を介して上方の大きな脳とつながっている。
腸内細菌にとって自らの声を伝える主要ルートだ。
実際に、このケーブルを通して伝わる情報の90パーセントは内臓から脳の方向に進み、脳から内臓への方向ではない。(p135-136)
もう説明するまでもありません。微生物学者たちは、この9対1の発言権をもって脳にシグナルを送る声は、腸内細菌の声であり、背側迷走神経とは「腸内細菌にとって自らの声を伝える主要ルート」だと考えているのです。
これはすでにある程度確かめられていて、脳と腸を結ぶ迷走神経を切断したマウスは、腸内細菌のいないマウスと同じ反応をみせるようになるそうです。
ユニバーシティ・カレッジ・コークの神経科学者ジョン・クライアンはこう言っています。
「細菌は迷走神経に何らかの影響を伝えている」とクライアンは言う。
だから迷走神経を切断してしまうと、「脳の神経科学を変化させる信号が、腸から脳に届かなくなるわけだ」。(p141)
この極めて奇妙な一致は、まるでトラウマの専門家たちがひたすら真実を掘り進み、トラウマは内臓を土台として生じることに気づき、やっとのことでトンネルを開通させたとき、そこで待っていたのは微生物学者たちだったというようなものです。
考えてみれば、わたしたちがトラウマを経験したときに生じる防衛は、極めて強い生存本能です。
トラウマに直面すると、まず闘うか逃げるか、という反応が起こり、それで無理だと凍りついて麻痺する反応が生じて、生き延びられる一縷の望みにかけることになります。
逃走・闘争反応と、それが不成功に起こったときに生じる凍りつき・麻痺反応は、能動的か受動的か、という点では正反対ですが、共通するのは、理性のコントロールの外で起こるということ、そして生き延びることへの強烈なまでの執着が見られることです。
これはあたかも、わたしたちの中に、生き延びることだけを目的にしている別の脳があるかのようです。
それこそがまさに「第二の脳」と呼び習わされている腸であり、そこに住んでいる住人たち、つまり生き延びるためにはなんでもする腸内細菌たちの本能なのでしょうか。
興味深いことに、体内に潜伏する微生物が、宿主である人間の危機を感じ取って敏感に反応し、生き延びるために本能的に行動した結果、それがあたかも病気の症状であるかのように現れる例は他にもあります。
たとえはヘルペスウイルスがそうです。わたしたちが高熱を出したり、疲労したりしたときにヘルペス症状が現れるのは、潜伏していたヘルペスウイルスが宿主の危機を感じ取り、「船底に潜んでいるネズミ」のようにして逃げ出そうとするからだと考えられています。
HHV-6の潜伏感染・再活性化のバイオマーカーとしての有用性
潜伏感染しているウイルスが再び活性化し感染力を回復することを再活性化と呼ぶ.
再活性化したウイルスは,唾液や発疹の水疱液など,外部に放出される体液中に現れ,他の宿主に感染を生じる.
ヘルペスウイルスにとって,再活性化しなければならない場面は,自分が潜伏感染している宿主に危機が訪れ,その生存が危うくなった時である.
ヘルペスウイルスは,潜伏感染している宿主が生存の危機に瀕していることを関知して,他の安全な宿主に乗り移るという,自律的な再活性化を行なう能力を持っている.
これは,船底に潜んでいるネズミが,船が危険にさらされているのをいち早く察知し,逃げ出す様にも例えられる
つまり、ヘルペスの湿疹は、単なる疲れたときに出る症状なのではなく、宿主の危機をいち早く察知し、生存のために行動する体内微生物(ウイルスが生物であるかどうかは議論のあるところですが)の行動なのです。
宿主の危機に際して、人体に寄生しているヘルペスウイルスが、生き延びるために逃げ出そうとするのに対し、人体に共生している腸内細菌の場合は、生き延びるために宿主の行動をコントロールするのだとしても不思議はありません。
人間の内部にまるで二つの脳があるかのようだ、というのはよく見聞きする話で、経済学者ダニエル・カーネマンも、わたしたちには速い直感的な思考(ファスト)と、遅い理性的な思考(スロー)が備わっているとしていました。
速い思考のほうは、直感的、本能的、場当たり的な目先の利益を優先します。遅い思考のほうは、じっくり考え、理性的に検討し、長期的な利益を考慮します。
この正反対の思考を持つ脳のうち、遅い思考は言語を使用する人間としての脳(第一の脳)で、速い思考は内臓を中心とする腸内細菌からなる「第二の脳」によるのかもしれません。
神経生理学者ピーター・ラヴィーンは、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア の中で、内臓の感覚についてこう説明しています。
内臓感覚は、胃腸の感覚と心臓や血管など他の臓器の感覚を直接に知覚する能力である。
ほとんどの医学の教科書には、洗練された内臓感覚などありえないこと、「直感(胃腸の感情)」は比喩にすぎないこと、私たちにできるのは内臓や体表に近い部位に「起因」する痛みを感じることだけだと書かれている。これは完全な間違いだ。
内臓感覚がなければ、私たちは文字通り、自分が生きていると知らせてくれる生き生きとした感覚を持てない。自分の最も深い欲求と願望を知覚させてくれるのは内臓なのだ。(p355)
彼の説明によると、わたしたちの本能的な快感や苦痛は、内臓によって感じられます。
他方、心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで によると、カリフォルニア大学のエメラン・メイヤーは、腸内細菌の研究から、次のような考えを持っています。
なかでも、腸内細菌は脳の報酬中枢に最も強く影響するように見える。
報酬中枢は、楽しみを求めて苦しみを避けようという気持ちにさせる脳の領域だ。(p147-148)
腸内細菌は、生きる喜びや苦痛といった快・不快を感じる脳の報酬中枢に強く影響しているようです。まさにそれは、本能的な速い思考に関係する領域です。
第二の脳を形成する腸内細菌たちは、迷走神経や脳の報酬中枢を介して自分たちの声を脳に伝え、本能的な直感や欲求という形でわたしたちを動かしているのでしょうか。
にわかには信じがたいことですが、筋は通っているようにも思えます。
末恐ろしいことに、科学者たちの中には、「上部の脳は腸の神経網の出先機関」のようなもの、つまり腸は第二の脳ではなく第一の脳で、わたしたちが脳だと思っているもののほうが第二の脳なのではないか、とみなす人もいるほどです。(p160)
トラウマ研究者のピーター・ラヴィーンが書いていたように、内臓と背側迷走神経のほうが、生物学的に言えば、より古くから存在する由緒あるシステムだということを思えば、あながち否定できる意見ではありません。
ここまで考えてきた、トラウマと腸内細菌とのつながりを整理すると次のようになります。
まず、わたしたちの内なる腸内細菌たちは、生まれて間もないころから、すでに成立している右脳とコミュニケーションをとりはじめます。
腸内細菌たちは、宿主である わたしたちが愛着を身につけ、環境に適応して、生存率が上がるように仕向けます。わたしたちの脳は、それを土台として発達していきます。
腸内細菌たちはわたしたちの本能的で直感的な思考をつかさどります。例えばわたしたちがおなかがすいた、と感じるとき、そう思っているのはわたしたち自身ではなく「第二の脳」、すなわち腹の中で飢えている腸内細菌たちだということになります。
腸内細菌は、わたしたちに本能的な行動をとらせることで、生きるための栄養と住みかを確保します。他方人間は、腸内細菌の生命維持活動のおかげで、人間らしい創造的な活動に携わるエネルギーを得ます。見事な共生関係です。
腸内細菌はまた、わたしたちがトラウマに直面すると、自分たちが生き延びるために、迷走神経を通して脳に命令を出します。
内臓から脳へ伝えられる圧倒的なシグナルのせいで、わたしたちの脳は乗っ取られ、理性が失われて闘うか逃げるかだけのパニック状態になります。
しかしシグナルが強すぎると、脳に備わった最後の拒否権とも言える、解離というブレーカーが落とされ、凍りつき・麻痺状態になります。
幼少期に経験したトラウマは人体という生態系の環境を変化させます。その結果、サバイバルに適した腸内細菌が自然選択されて繁栄するようになります。その偏った腸内細菌たちの影響を受けて脳が発達していくので、幼少期のトラウマは脳の構造を変えることになります。
メリーランド大学の精神科医テオドール・ポストラチェが述べているように、わたしたちが心の病気や愛着トラウマだと思っているものは、じつは腸内細菌や微生物の記憶から生じているかもしれないのです。
「何かをするのに、自分でもなぜそれをするのかわからないままするなんて、誰にでもよくあることだよ。
気分障害は、ふつうは幼児期の葛藤と関連づけられるけれど、そんなこと誰にもわからないだろう?
われわれの無意識の一部は病原体によってコントロールされているのかもしれない」(p112)
これが正しい推論なのか、ファンタジーじみた創作なのか、わたしにはわかりません。
科学の見解など、時代が進むとともにどんどん移ろい変わっていくものです。さまざまな解釈はその時々で手に入る手持ちのカードから推測したものにすぎません。
カードが増えれば解釈も変わるはずです。研究が進むうちに、これが単なる想像力の飛躍だったのか、事実を言い当てていたのかは、おのずと明らかになるでしょう。
わたしたちの体はひとつの生態系である
仮にもし、こうした推論が本物で、トラウマ記憶とは実は、内臓の経験であり、ひいては腸内細菌の記憶であるのだとすれば、どこに解決策があるのでしょうか。
しばしば宣伝されているような、健康食品やサプリメントで腸内細菌を変えるというのは、現実的ではないでしょう。
腸内細菌は非常に多種多様であるばかりか、まだ働きもわかっていない、名前もつけられていないような種類が無数にあります。心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで にこう書かれているとおりです。
ヒト微生物相(マイクロバイオータ)は人体を住みかとしている微細な生きものすべての集まりを意味し、それを対象とする研究は、科学のなかでも最も自由で制約の少ない未開拓分野のひとつだ。
そしてその住人たちが脳にどんな影響を与えているかは、おそらくすべての役割のなかで最も知られていない部分だろう。
それら微生物の大半は人間の体内での暮らしにあまりにも見事に適応しているために、科学者がペトリ皿で育てようとしてもほとんどうまくいかない。
その数を推定する技術ができたのさえほんの最近のことで、それらが何をするかを詳しく説明するとなると、まだ当分は難しそうだ。(p133-134)
それほど未開拓な分野であるにもかかわらず、ちまたの健康食品やサプリメントを試そうというのは、行き当たりばったりでしかありません。
現在、ヨーグルトなどの食品に含まれるプロバイオティクスは消費者の味の好みやさまざまな商業的判断に基づいて選ばれているから、それを治療目的で利用するのは、「薬局に行き、脳によい影響を与えるようにと願いながら行き当たりばったりで適当に錠剤を手にとるようなものだ」と、クライアンは話す。(p146)
マーティン・ブレイザーもまた失われてゆく、我々の内なる細菌 の中で、腸内細菌を整えると宣伝されているプロバイオティクスやプレバイオティクスには懐疑的な態度をとっています。
一般的に言って私は、プロバイオティクスをめぐる主張には懐疑的である。
薬局の棚や健康食品の棚に置かれているプロバイオティクスの効果が検証されたことはほとんどない。
…その実用のされ方にはプラセボ(偽薬)効果じみたところがある。…プロバイオティクスを探しに健康食品店に行くこと自体、あなたは自身の具合がよくなったと感じさせる何かを探していることを示唆する。
…二重盲検試験を行われなければ、プロバイオティクスがプラセボ以上の効果を持つかどうかを知ることはできない。
…プロバイオティクスによって利益を得る製薬会社は、そうした研究の資金援助を拒否している。(p234-235)
健康食品やプロバイオティクスが、腸内細菌の問題に限定的な効果しか示さないと考えられる根拠は他にもあります。
ネットやテレビの健康情報を見ると、何かの食品を食べることで腸内細菌が整えられると宣伝されていることがありますが、研究はそれに否定的です。
食事の変化も、細菌叢にそれほど大きな影響は与えない。数ヶ月、もしくは数年にわたって腸内細菌の構成は安定している。
…各人は、まるで指紋のように、独自の細菌叢を有していた。それは食事が変化しても変わらなかった。
しかし他の食事調査では、細菌叢に変化が見られたというものもある。
最近の研究では、植物由来の食物のみ、動物由来の食物のみといった食事への切り替えは、細菌叢に変化をもたらすことがわかっている。しかし、それは食事を変えた期間しか持続しなかった。(p38)
腸内細菌は、確かに年月が経つとともに変化していきますが、一人ひとり多様で、指紋のような独自性をもっており、食事を変えたところでそう簡単には変化しないようです。
腸が第二の脳と呼ばれることからすれば、腸内細菌の変化は、わたしたちがよく知る脳の可塑性と似ているのではないかと思われます。大人の脳にも可塑性はありますが、劇的に変化することはありません。腸内細菌もそれと同じく徐々に変わっていくものなのでしょう。
加えて、人体の内部の腸内細菌は、ひとつの生態系を成しているという事実も忘れるわけにはいきません。それらは単なる化学物質の組み合わせではなく、生きた生きものの集まりであり、日々弱肉強食の生存競争が行われています。
ジェラルド・エーデルマンは、わたしたちの脳の中では、神経細胞による生存競争が行われているのではないか、という神経ダーウィニズムを唱えましたが、第二の脳である腸では、腸内細菌たちによる生存競争が行われているのかもしれません。
腸内細菌の世界をひとつの生態系として考えると、もしも、人体の内部にすでに成立している腸内細菌の生態系に下手に手を加えようとするなら、意図しない結果が引き起こされる危険があることに気づきます。マーティン・ブレイザーはこんな例を挙げています。
70年前にオオカミがイエローストーン国立公園から駆逐されたとき、エルクの数が爆発的に増加した。
エルクは突然天敵がいなくなったので、安心して好物のヤナギを食べるようになった。
ヤナギは川堤に生息しており、その結果、鳴鳥やビーバーといった、ヤナギで巣やダムを作る動物の個体数が激減した。
川が侵食されるにつれて水鳥が見られなくなり、オオカミが食べ残す死骸がなくなったので、ワタリガラスやワシ、カササギ、クマの個体数が減少した。
エルクの増加はバイソンの減少も引き起こした。食物の不足が原因だった。コヨーテが公演に帰ってきてネズミを食べ始めたが、ネズミはトリやアナグマの餌でもあった。こうしたことが相次いだ。
キーストーン種が取り除かれたことによって、相互作用の深い関係性が破壊されたのである。
自然を取り巻くこうした考え方は、遠い昔からヒトに常在していたH・ピロリ菌が消失した場合のマイクロバイオータにも見られる。(p27-28)
ブレイザーは、イエローストーン国立公園で、良かれと思ってオオカミを駆除したことが、ドミノ倒しのように生態系を崩壊させ、思ってもみないような甚大な影響をもたらしたことに言及し、その原理を人体のマイクロバイオータにも当てはめています。
例としてピロリ菌が挙げられていますが、ピロリ菌は近年、胃がんなどの原因としてやり玉に挙げられ、ピロリ菌除去が進められてきました。しかしその結果、逆流性食道炎や食道がんのリスクが上昇しました。
一見、悪玉に思える菌がいるとしても、それは自然界の生態系における捕食者、国立公園のオオカミと同じで、全体のバランスの調整に寄与してます。もともと腸内細菌は人体と共生関係にあるので、どの菌も何かしらの役目を引き受けていると思われます。
それを生半可な知識で人為的に操作しようとしたとき、イエローストーン国立公園と同じ悲劇が起こらないとも限りません。
さらに言えば、腸内細菌が引き起こす問題は、脳の発達と絡み合っているということも忘れるわけにはいきません。
どんな人の腸内細菌であれ、腸の内部に独立して存在しているのではなく、脳と互いに会話して、フィードバックを送りあった上で成り立っています。
冒頭で心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで から引用したように、各人の指紋のような腸内細菌と、その人の脳の構造とは連動しています。
おそらくこの分野で最も驚くべき発見は、ひとりひとりの脳の構造が、その人の腸で最も優勢な微生物の種類と関係しているというものだろう。
これはメイヤーのグループが明らかにしており、頭部のMRIスキャンから、「その人の体内でどんな微生物の庭が育っているかを実際に予測できる」と彼は言う。
腸内に住みついた微生物の種が、脳内の灰白質の密度と量だけでなく、大脳皮質の異なる領域をつなぐ白質路にも影響を与えている。
なかでも、腸内細菌は脳の報酬中枢に最も強く影響するように見える。報酬中枢は、楽しみを求めて苦しみを避けようという気持ちにさせる脳の領域だ。
そこでメイヤーは、腸内細菌が「根底にある感情、ストレス反応、楽天的か悲観的かの性格」に影響を与えていると考えている。(p148)
たとえある人の腸内細菌が、さまざまな症状を引き起こしているとしても、その人独自の腸内細菌の生態系は、その人が生まれ育った環境や、脳の構造に適応して作られてきたものでしょう。
そして、その人の脳もまた、発達途上の幼少期から、その独自の腸内細菌に合わせて生育してきたはずです。すると、たとえ腸内細菌を入れ替えたとしても、すでに構造が定まった脳のほうが変化しない限り、釣り合いがとれないかもしれません。
一部の感染症や自己免疫疾患には糞便移植など腸内細菌を入れ替える治療法が効果を上げているのに、他の病気ではあまり期待に見合うほどの効果が出ていないのは、そうした理由によるのかもしれません。
とはいえ、腸内細菌に注目したアプローチが、現在治療が難しい病気に活路を開く可能性は大いにあります。
たとえば、世界の様々な文化で、古来より断食療法が多種多様な難病を治すと伝えられてきたのは、薬物や医療措置によらずして自然に腸内細菌の入れ替えを行なう手段だったのかもしれません。
もしも、ある人たちが言うように、「上部の脳は腸の神経網の出先機関」のようなものなのだとすると、脳の病気を治す近道は腸を変えることでしょう。
このブログで過去に紹介したように、現状、愛着障害やトラウマに効果があると考えられているのは、からだの記憶を扱うさまざまな治療法です。ヴァン・デア・コークの言葉を借りれば、「内臓の経験」を変える手段でした。
「内臓の経験」とは身体に染み付いた手続き記憶を扱うものと理解していましたが、愛着やトラウマ反応に関係した手続き記憶の形成には腸内細菌が関わっていました。
従来の言葉を用いた心理療法がトラウマにほとんど効果がないのは、言葉の通じない微生物たちを相手にしていたからなのでしょうか。だから、身体を使った治療によって、つまり生後幼い時期に腸内細菌と対話していた時の言語で話しかける必要があったのでしょうか。
もしかすると、微生物学が進歩して、人体内部の生態系に適切に介入する方法が見つかれば、愛着障害やトラウマの治療として腸内の微生物に直接アプローチする日も来るのかもしれません。
この疑念は「センメルワイス反射」ではないだろうか
この記事で見てきたように、人体の内部に存在する微生物たちの集合体、マイクロバイオータは、単なる腸の中の細菌コレクションでもなければ、人体の一部屋を間借りしている居候でもありませんでした。
むしろ生物学的見地からすれば、わたしたち人間は太古より続く「細菌の時代」に、ほんのちょっと前に登場したばかりの新参者で、微生物が圧倒的な多数派を占めている世界のただ中に生きる少数民族でしかないのです。
この記事で書いてきたことは今もってかなり奇妙に思えますし、書いてみた今もあまり自信がありません。とりあえず大雑把な仮説として記事に残しておけば、数年後に何か発見があるかも、というくらいの考えで書きました。
けれども、そう思ってしまうのは、わたしが人間中心の見方に偏りすぎていて、ガリレオやニュートンの発見になかなか付いていけず、思考を切り替えられなかった人たちのように既存の考え方に縛られすぎているせいかもしれない、という思いも捨てきれません。
土と内臓 (微生物がつくる世界) に書かれているハンガリーの医師イグナーツ・センメルワイスをめぐる、およそ2世紀前のエピソードには考えさせられるものがあります。
センメルワイスは、医師は解剖のあと、生きている患者を診察する前に白衣を着替え、手をカルキ(次亜塩素酸カルシウム)で洗うべきだと主張し出した。
この簡単な方法で、医師が勤務する病棟では死亡率が90パーセント低下し、助産師が勤務する病棟と同じレベルになった。
センメルワイスの成功は医学界を激怒させた。産褥熱の蔓延を衛生状態の悪さと結びつけたことで、センメルワイスは医師を責めただけでなく、病気は「悪い空気」から発生する―古代からの瘴気論―という主流の医学的知識にケンカを売ってしまったのだ。
…彼らはこの方法を冷笑し、手を洗うことで病気の蔓延を防げるという馬鹿馬鹿しい認識を受け入れなかった。
厳しい批判が絶え間なく哀れな医師を傷つけた。重いうつ病を患ったセンメルワイスは精神病院で死んだ。
先駆的な微生物学者たちが、人間の病気を起こすものは微生物であることを疑うことなく証明し始めていたちょうどそのころに。
今日、旧来の通説やパラダイスに反する新しい知識への手のつけられない拒絶を、哲学者は「センメルワイス反射」と呼んでいる。(p215-216)
もしトラウマなどの「心の病」とされてきた疾患に、微生物が主要な役割を果たしているという考え方を受け入れがたいと感じるとしたら、それは「センメルワイス反射」なのではないか、と自己吟味すべきでしょう。
このセンメルワイスの悲劇的な物語については、細菌が人をつくる (TEDブックス) のp111-112でも紹介されています。さらにその7年後、コレラの大流行を根絶しようとして微生物に注目したイギリスの医師ジョン・スノーも、同じように既存の学説に固執する頑迷な学者たちの猛反発に遭ったことも書かれています。
これからの科学や医学は、先に引用した失われてゆく、我々の内なる細菌 の中でマーティン・ブレイザーが述べていたように、「人類は、細菌が圧倒的優勢である世界の小さなシミにすぎない」という見方を持ち、「こうした考え方に慣れる必要がある」のかもしれません。(p16)
そうした斬新な考え方に興味のある人は、今回おもに参考にした心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで を読んでみるのをお勧めします。
「寄生生物中心の世界観を披露している」この本から、説明する糸口すら見つからないほど常識を超えた計略を駆使して生きる微生物たちについて知れば知るほど、世界の見え方が変わってくる気がします。(p286)
補足 : 微生物学はトラウマを治療できるか
この記事で書いたように、トラウマ性疾患にマイクロバイオームの異常が関与しているのであれば、微生物学の発見をトラウマの医学的治療に応用することができるのでしょうか。
この記事を書いた後になって読んだ、カリフォルニア州サンディエゴ校教授ロブ・ナイトによる細菌が人をつくる (TEDブックス) によると、今のところ特定の細菌をターゲットとした治療として、最も広く行なわれている医学的治療はワクチン接種です。
ワクチンは主に急性の感染症を引き起こす細菌を対象にしてきましたが、今日では、それ以外のさまざまな病気に細菌が、良くも悪くも関与していることがわかってきています。その中には、うつ病やPTSDも含まれているといいます。
ワクチン接種が行なわれていない種々の病気について、特定の細菌が役割を演じていているとわかり始めている今なら、そういった病気に対するワクチンを作れるのではないでしょうか。
…うつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)に対するワクチン接種はどうでしょうか。
…うつ病率の上昇は、炎症性腸疾患、多発性硬化症、糖尿病といった西洋特有のものと考えられている他の病気の発生率上昇と一致しており、これらの病気すべてが免疫と細菌の両方に関係していることがわかっています。(p130)
マイクロバイオームの研究によれば、現代人に増加している炎症性腸疾患や自己免疫疾患、アレルギー性疾患などは、抗生物質の過剰使用や清潔すぎる都市生活の結果、人々が幼少期に細菌と触れ合う機会が減ったことで増加しています。
子どものころに多様な細菌と触れ合うことができなければ、免疫システムが十分に訓練されず、成長してから敵味方をうまく識別できなくなり、それが慢性的な炎症を生じさせている、という研究については以前も扱いました。
興味深いのは、うつ病やPTSDなどのトラウマ関連疾患もまた、これらアレルギー性疾患や自己免疫疾患の「発生率上昇と一致しており、これらの病気すべてが免疫と細菌の両方に関係していることがわかって」いることです。
別の記事で詳しく取り上げましたが、ACE研究(逆境的小児期体験研究)によれば、幼少期のトラウマが発症率を引き上げる病気には、たとえば病的肥満、喘息、自己免疫疾患、慢性疲労症候群、うつ病などが含まれます。
それらはいずれもマイクロバイオームの関与が認められている病気ばかりであり、トラウマの問題とマイクロバイオームの問題は、やはりどこかでオーバーラップしているのではないか、と思えます。
文明的な都市生活を送るようになった人たちが、もっと自然と密接につながって暮らしてきた時代の人たちよりもトラウマに対してもろくなっている、というのはトラウマの専門家のピーター・ラヴィーンも、心と身体をつなぐトラウマ・セラピーの中で指摘していました。
現代社会では私たちがこうした力強い能力を発揮する機会はほとんどありません。今日、私たちの生存は、身体的に反応できる能力よりも思考する能力にますます依存するようになっています。
その結果、私たちのほとんどは自然で本能的な自己-特に、見下すのではなく誇りを持って「動物」と呼ぶべき部分―から切り離されてきました。自分たちをとどう見なそうと、最も基本的な意味では、私たちは文字通りヒト科の動物なのです。
現在の私たちが直面する根源的な課題は比較的速いペースで起こっていますが、私たちの神経系が変化するスピードはそれよりもずっと遅いのです。
自己の自然な部分とより深くつながっている人々が、トラウマに関してはうまく切り抜けることが多いのは偶然ではありません。(p53)
ここでは、現代人が文明社会で生活するようになり、「本能的な自己」を失ってしまったことが、トラウマに対する脆弱性を生んでいると論じられています。この記事で見てきたように、わたしたちの「本能的な自己」を生み出しているのは体内の微生物群集だと思われます。
ということは、トラウマ疾患の場合も、すでにマイクロバイオームの関与が判明している他の病気と同様に、細菌をターゲットにした治療で改善できる可能性があるのでしょうか。
細菌が人をつくる (TEDブックス) によると、先ほどのうつ病やPTSDに対するワクチンの研究については、すでにマウス実験のレベルで、少しばかり成果が出ているようです。
マウスの実験では、土壌細菌のマイコバクテリウム・バッカエが不安を軽減しました。
興味深いことに、社会的ストレスを与えた状況下(小さなマウスと、そのマウスを攻撃するような大きく強いマウスを同じかごに入れます)において、マイコバクテリウム・バッカエを施した小さなマウスははるかに強いストレス耐性を持つことがわかっています。
この結果はヒトのストレス障害に対する治療モデルになるかもしれません。(p130)
これまで、うつ病やトラウマを抱える人は、「心が弱い」、すなわち精神的な脆弱性を持っていて、ストレスに対して弱いかのように見なされていました。
しかしこの研究は、ストレスに対する耐性は、個人の心の強さなどというとらえどころのないもので決まるのではないことを示唆しています。
同じようなストレスに直面した場合でも、トラウマを発症するかどうかは、体内のマイクロバイオームの組成にある程度左右されているのです。
この本によれば、ロンドン大学の微生物学者グラハム・ルックらは、すでにマイコバクテリウム・バッカエをもとにしたワクチンの開発に成功し、ストレス性疾患の予防に応用するため、マウスモデルのデータを集めているそうです。
ストレスに対する反応が体内のマイクロバイオームの組成によって変わるというこの事実は、まったく同じトラウマ的な出来事に遭遇しても、人によって生物学的な反応が異なる理由も説明してくれるかもしれません。
同じ衝撃的な出来事に遭遇してもPTSDになる人もいれば、解離を起こす人、トラウマを抱えない人、さらにはトラウマを乗り越えて心的外傷後成長に至る人など、さまざまな反応を見せる人たちがいます。
こうした違いは、幼少期に身に着けた愛着のパターンによる部分が大きいとされてきましたが、この記事で見たとおり、愛着のパターンは幼少期に形成される細菌群集と相互に関係している可能性がありました。
たとえば、慢性的な不安感の強さは、幼少期の不安定な愛着に由来していることが多いですが、やはりマウスの実験のレベルでは、不安感はマイクロバイオームの組成と関係していることがわかっています。
食欲だけが細菌群集の影響下にあるふるまいなのではありません。不安もそのひとつです。
遺伝的に異なる2系統のマウスのあいだで細菌群集を交換すると、不安テストの結果も入り換わります。
不安を感じやすいマウスの細菌群集を不安を感じにくいマウスに移植すると、後者は不安を感じるようになりました。
同様に、不安を感じにくいマウスの細菌群集を不安を感じやすいマウスに移植すると、後者は落ち着くようになったのです。(p102)
食欲が、自分では制御できない「本能的な自己」の無意識の反応であるのと同じように、慢性的な不安もまた自分ではどうにもできない無意識の反応です。そして、それらはどちらも、マイクロバイオームの影響下にあるのです。
幼少期にどんな世話をされるかは、その子の体内にどんな常在菌が定住するかを左右し、体内に育った細菌群集は、その子が将来ストレスに対してどんな反応を見せるかを左右する、ということなのかもしれません。
もしそうであれば、微生物学にもとづく、喘息やアレルギーになりにくくするための子育てのアドバイスは、おそらくトラウマを含め、ストレス性疾患の予防にも役立つはずです。
まだまだ研究が必要なこうした証拠をかき集めて、子どもが喘息やアレルギーになるリスクを低下させる処方箋を導き出すことは難しいのですが、私のおすすめは以下です。
犬を飼う(できるだけ早い時期、胎児期が理想的)、牛とわらに触れられる農場で生活する、早い時期から抗生物質を摂らない、プロバイオティクスを摂る、母乳で育てる(ただし、最後の2つは現在のところ暫定的)。
科学者は取り込むべき細菌の種類について良し悪しを言いますが、一般的には兄弟姉妹、ペットや家畜の飼育、屋外での古き良き遊びなどを通じた多様な細菌へ曝露が役立つようです。多様なものに触れるというのがもっとも重要なのかもしれません。(p88)
むろん、この本で紹介されている、うつ病やPTSDに対するワクチンの研究や、健康なマイクロバイオームを育てるためのアドバイスは、いずれも症状の予防に寄与するものであり、すでにトラウマを抱えた人に対する治療法ではありません。
今のところは、まだトラウマの治療にマイクロバイオームを応用できるほどの研究は進んでいません。なんといっても、微生物の世界はあまりに「複雑」すぎて、まだわかっていないことが極めて多いからです。(p174)
細菌の研究とは、生物の生態系の研究です。科学者たちは、地球上のある地域にどんな生態系が作られているかすら、ほとんど理解できていません。体内の目に見えない微生物の生態系については言わずもがなです。
食生活の改善や、プロバイオティクスの摂取などは、トラウマからの回復に役立つ可能性はあるものの、体内の細菌のおおまかな組成が幼少期に決定されてしまうことからすれば、効果は限定的でしょう。
私たちがだいたい何をしても、細菌群集はあまり変化しません。なぜなら、年をとっても細菌群集には個人差がはっきりと残るためです。
幼稚園の入園式の日と会社の退職日で比較しても、みなさんとご近所さんの細菌群集の違いの程度はほとんど変わりません。(p64)
そもそも、わたしたちの人格の多様性というのは、ほとんど細菌群集によって決まっているようなものです。
ヒトの個体間において、細菌群集はすさまじく多様です。聞いたことがあるかもしれませんが、あなたのヒトとしてのDNAは99.99%他人と同じです。
ところが、あなたの腸内細菌は違います。あなたの隣人とわずか10%しか共通しないかもしれません。この違いは私たちヒトの多様性に大きく寄与しています。(p10-11)
わたしたちを他の人と異ならせている大きな要因が、幼い頃に定着する細菌群集なのであれば、もしちょっとしたことで体内の細菌群集の組成がコロコロと変わるようなら大変なことになるでしょう。
(では人格がコロコロと変化してしまうような解離性同一性障害、いわゆる多重人格にもマイクロバイオームが関係しているのでしょうか。おそらく何かしら関係しているはずだとは思いますが、どう関係しているかまでは現時点ではわかりません)
今のところはまだ、マイクロバイオームの研究をトラウマに対する治療に応用するのは困難です。しかし、腸と脳がつながっているという腸脳相関の視点からの研究が進めば、今後 必ず新たな事実が浮かび上がってくるでしょう。
私たちの心、気分や行動、つまり私たち人間を人間たらしめていると思われる部分は、本当に腸内細菌の影響が及ばない人間固有のものなのでしょうか。
おそらく違います。
おかしなことを言っているように聞こえるかもしれませんが、私たちがどのような人間になり、どのように感じるかを腸内細菌群集が決めていることを示す証拠はますます増えています。
だとしたら、細菌はどのようにして私たちの行動を形作っているのでしょうか? そのメカニズムは少ないというよりはむしろ多すぎてじっくり検討するのが難しいくらいです。(p94-95)
トラウマを含め、これまで「心の病」と思われていた問題が、じつは体内のミクロの生態系が関与しているという発見は、トラウマ研究に大きなブレイクスルーをもたらす可能性を秘めているとわたしは思います。
▼トラウマとマイクロバイオームの関係はすでに研究されていました
この記事執筆後、2018年5/31に発売されたエムラン・メイヤーの腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか では、この記事で書いたような話題がまさに扱われていました。詳しくは以下の記事をどうぞ。