「色のない島」の人々から障害のもとでも喜びを見つける生き方を考える

「水平線の雲の流れ、澄み切った空、消えていく明りと深まっていく闇、珊瑚礁のリーフの輝くような波、星空と天の川の壮観さ、かがり火に照らされた、水から跳び上がるトビウオ」

クヌートは夜釣りの思い出にうっとりと浸っていたが、こう言った。

「僕はトビウオを追って一網打尽にするのに何の苦労もいらないだろうな。きっと僕も生まれながらの夜の漁師なんだよ」(p133)

んなに詩的な言葉で情景を細やかに描写する人が、じつは色が見えないと知ったら、どう思いますか?

一色や二色が見えないというわけではなく、全色盲です。しかも生まれてこのかた、一度も色を見たことがありません。さらに昼間の視力は、普通の10分の1しかなく、カフェのメニューを読むにも4倍の拡大鏡が必要なのです。(p37)

オリヴァー・サックスの著書、色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記は、そんな生まれつき色が見えない、先天性全色盲の人たちについての本です。

しかし、重い障害にもかかわらず、悲壮な雰囲気ではありません。むしろ、その人たちが、いかに豊かな感覚世界を築き、日常生活を楽しんでいるかが描かれています。

わたしたちは、誰でも、自分ではどうしようもない問題を抱えることがあります。ひどく人生を回り道しているかに感じることもあります。

そんなときどうすれば、病気や障害ではなく美しい景色のほうに目を向けて、喜びを保てるでしょうか。この本に出てくるの全色盲の人たちの、三者三様のエピソードから考えてみました。

これはどんな本?

わたしは、もともと読書が嫌いで、文字を読もうとすると不快感が生じるので、できれば本は読みたくありません。でもやはり、自分の枠を広げ、進歩を続けるためには、良い読書の習慣が必要です。

そこで、手始めにオリヴァー・サックスの本を読み直すことでリハビリしようと思い、色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記の前半部分を読みました。

この本は、2部構成で、2つの神経学的な旅行記からなっています。どちらも太平洋ミクロネシア(日本の小笠原諸島の南でフィリピンの近海)の島を訪問した話ですが、目的も場所も異なっています。

前半部分は、本のタイトルとなっている「色のない島」、つまり先天性全色盲の住民が人口の1割を占める、ピンゲラップ島やポーンベイ島を訪問したエピソードです。

障害ゆえの不自由や、植民地支配の爪痕は随所に見られるものの、全体として明るい雰囲気に終始しています。難しい先天性の障害があっても、環境と工夫次第で、それを強みに変えることができる人々の強さに焦点を当てているからです。

後半のグアム島への訪問記は、もっと重苦しい雰囲気に包まれています。グアム島のチャモロ人はまずスペインの宣教師によって、のちには日本軍の占領下において、虐待され、殺戮されました。

チャモロ人の受難はそれで終わることなく、やがて「リティコとボディグ」(Lytico-bodig)という奇病が発生し、死に至るまで苦しめられるようになりました。ちょうどALSとパーキンソン病を合わせたような、難病中の難病です。

そのような恐ろしい運命のもとでも、尊厳を失わず人間らしく生きている島の人々の様子にサックスは注目します。また、医学の無力さを噛み締めながらも、常に前向きに患者たちをサポートする献身的な医師たちの姿も描かれています。

どちらのエピソードも、単なる医学読み物ではなく、博物学的な旅行記です。サックスは医師であると同時に、文化人類学者のように、ミクロネシアの歴史、自然、そこに生きる人々の暮らしを結びつけ、厚みのある物語を紡いでいます。

今回の記事では、前半の「色のない島」の旅行記から、障害をもっていても、それを個性や強みに変えて生きていく方法について考えてみました。

「色のない島へ」の旅路

ことの起こりは、ほぼ同時期にサックスのもとにもたらされた、「色のない島」についての知らせでした。

サックスは幼いころから持っている偏頭痛のため、一時的に色が失われる発作を経験することがありました。

また、彼の患者の中には、後天的に色彩感覚を失った画家ジョナサン・Iがいました。そのエピソードは火星の人類学者──脳神経科医と7人の奇妙な患者に掲載されています。

こうした出来事からサックスは、「生まれてから一度も色を見たことがないということ、色が何かも知らず、私たちの生活の中で色がどのような役割をするかが分からないとはどういうことか」考えるようになります。(p27)

そのころ、サックスは、友人の神経科医ジョン・スティール(後半に登場するグアム島で「リティコとボディグ」を診ている医師)から、ミクロネシアには、先天性全色盲の人が大勢住むピンゲラップ島という場所があることを教えてもらいました。

また時をほぼ同じくして、火星の人類学者──脳神経科医と7人の奇妙な患者を読んだフランシス・フッターマンという女性から手紙をもらいます。彼女は3万人から4万人に1人とされる先天性全色盲の当事者でした。

彼女は、先天性全色盲の当事者であり医師でもあるクヌート・ノルドビーの本に、デンマークにも、先天性全色盲の人が大勢住むフール島という場所がある、と書かれていることを教えてくれました。

かくしてサックスは、オスロ大学のクヌートに連絡をとってみました。すると、フール島には、もう全色盲の人はいなくなっている、とのことでした。

しかし、ピンゲラップ島にはまだ大勢、全色盲の人々が住んでいることがわかりました。サックスは、クヌートに「科学的冒険の旅」に出かけないかと持ちかけます。(p33)

こうして、神経科医のオリヴァー・サックス、全色盲の当事者でもある研究者でもあるクヌート・ノルドビー、ほかに何人かの友人も連れ添っての、ミクロネシアの島を目指す科学的冒険の旅路が始まりました。

ピンゲラップ島まで快適な飛行機でひとっ飛び、とはいかず、道中は多難でした。

途中、ジョンストン島に降り立ち、飛行機の修理のため何時間も待たされます。そこはアメリカ軍によって、何千トンもの化学兵器や生物兵器の実験場とされてきた島で、防護服なしに出歩くことはできません。

また修理に立ち寄ったマジュロ環礁は、美しい自然が残っているかに見えましたが、浜辺にはゴミがたくさん打ち上げられていて、海は生活排水で汚染されてよどんでいました。

飛行機はまだ直らず、クワジェリンで修理することになります。そこでは兵士たちに連れ出され、壁に背を向けて立つよう指示され、牢獄のような貯蔵庫の中で待機させられます。

クワジェリン環礁は、米空軍のミサイル発射実験場になっていて、夜には空が燃え上がり、空爆現場のようになります。そこから追い出された住民たちはエベイ島という「地獄」に押し込められて生活しています。かつて原水爆実験で汚染されたビキニ環礁も近くにあります。

サックスが目にしたのは「文明社会」の裏側でした。先進国の人々が豊かな暮らしを楽しむ裏では、美しい自然とそこに住む人々が犠牲にされているのです。

旅は最後の最後まで受難でした。やっとのことで目的地のピンゲラップ島に降り立つという時、小さなプロペラ機は、すんでのところで滑走路を外れて海に沈みそうになりました。

すわ事故死かという危機的な瞬間、サックスは「奇妙に落ち着いていて」「まるで違う世界のことのように遠くに感じられて」いました。(p56-57)

これは明らかに解離の影響です。話題がそれてしまうので、詳しくは別の記事に追加しておきましたが、サックスは危機やストレスに面したとき、闘争・逃走反応ではなく、解離を起こすタイプの人だったことがわかります。

こうしてついに、サックスたちは幾重もの厳しい試練をくぐり抜け、やっとのことで目的地に到着しました。

そこは緑一色の自然豊かなのどかな島でした。サックスは感動をこう綴っています。

どこを見渡しても熱帯の植物がうっそうと生い茂っている。人も自然も原始の美しさをたたえて、私は最初の数秒のうちにこの光景にすっかり魅了されていた。

愛が津波のように私の胸に押し寄せてきた。子どもたちへの愛、森への愛、島への愛、目に見えるものすべてへの愛が。

ここは楽園だ。まるで魔法のようだが、現実の世界なのだ。とうとうこの地にたどり着いたのだ。(p57-58)

この苦難の旅に同行してきたクヌートも、別の感動を味わいます。物珍しさに惹かれ、飛行機のまわりに集まってきた子どもたち。その表情を見たとき、クヌートはすぐに気づきました。

「すごい」私の横に立っていたクヌートがうっとりとささやいた。「あの子を見てごらん、それにあの子も、あの子も、それから……」(p58)

子どもたちはしきりにまぶしさに目を細めたり、しばたたかせたりしていました。その仕草は、全色盲の当事者に特有なものだと、クヌートはすぐにわかりました。ついに「色のない島」にやってきたのです。

「色のない島」では障害が個性になる

色覚障害の人は、わたしたちの身近にも大勢います。この本によると、赤緑型色盲は、男性の20人に1人に発生するそうです。しかし先天性の全色盲ははるかにまれで、3万人から4万人に1人とされています。(p27)

ところが、ポーンベイ島やピンゲラップ島では、住民の12人に1人が生まれつき色が見えません。島で続いた近親婚のため、遺伝子が濃縮されてしまったからです。(p67)

一般社会では、全色盲の人は圧倒的な少数派ですが、ここではごく普通にいる隣人です。彼らは「マスクン」(現地語で「見ない」の意味)と呼ばれ、ユニークな個性を持つ隣人として受け入れられています。

全色盲の人たちは、色が見えないだけでなく、明るい光がひどく苦手で、視力もごくわずかしかありません。明るい場所で色を認知する錐体細胞が機能しておらず、暗い場所で物を見る桿体細胞しか使えないせいです。(p36)

子どもたちは黒板に書かれた文字を読むことができず、明るい場所では目がくらんでしまいます。顔を紙面すれすれまで近づけないと文字を読めないので、目が痛み、とても疲れます。(p72,105)

科学的な知識が普及していないため、厄介な偏見もあります。マスクンはどんどん進行して盲目になってしまうのではないか、妊娠中に何かに感染したせいでマスクンの子どもが生まれたのではないか、などと恐れたり不安になったりする人もいます。(p79)

島で働いている数少ない医者たちは、先天性全色盲についてほとんど何も知りません。命に関わる病気に対処するのに精一杯なので、「先天的で進行しない種類の遺伝病で、しかも日常生活に極度の不自由は生じない疾病」は見過ごされてしまうのです。(p114)

それでも、ピンゲラップ島のマスクンたちは、ひどく差別されることも、迫害されることもなく、島のコミュニティの大事な仲間として認められ、受け入れられています。

マスクンは昼間に物が見えない代わりに、夜はとてもすばらしい視力を発揮し、物の質感の違いや、かすかな音に敏感であることが、島の人々に広く知られています。それで、彼らは夜釣りの漁師として活躍しています。

暗くなるにつれ、クヌートや島の全色盲の人々は動き易くなるようだった。

マスクンの人たちにとっては目が暗順応する日没、日の出、そして月明りの夜のほうが行動しやすいことは、この島では誰もが知っていて、彼らの多くは夜釣りの漁師として働いている。

そして、夜釣りにかけては全色盲の人たちは極めて優れていて、水の中の魚の動きや、魚が跳ねるときにこれに反射するわずかな月の光まで、たぶん誰よりもよく見えているようだった。(p89)

面白いことに、島には、マスクンの人たちの出自を保証する神話さえあります。マスクンたちは神話に登場する神様の腹違いの子孫で、「この神の子孫はみな昼間の光を避けるが、夜にはよく目が見える」のです。(p86)

この島の環境も、色が見えない人たちが暮らすのに適しているようです。色のついた果物はほとんどなく、「パンの実やパンダナスの実はどちらも緑色をしているし、島に生えている様々な種類のバナナの実もそう」です。(p273)

島を走り回っているブタは、なんと白黒です。祖先が1000年も前に連れてきたものだといいます。(p60)

島の緑一色の植物を見分けるのは、色が見える人よりも、マスクンの人たちのほうが上手です。

なぜなら、色が見えない代わりに、「物の形、質感、輪郭、境界線、釣り合い、奥行き、そしてほんのわずかな動き」や、「明るさ、像、形、質感などの重なり合いを、しごく簡単に見分けることができるから」です。(p37,60)

あるマスクンの女性は、その優れた視覚認知能力を活かして、糸のわずかな明るさや光沢の違いを生かした、複雑で繊細な模様を織ることができました。(p75)

以前の記事で書いたように、赤緑型の色覚障害の人たちは、正常に色が見える人たちよりも、形やパターンの認識に優れているという研究があります。

より障害の程度が重く、全ての色が見えない人はなおのこと、形やパターンの認識に優れているようです。

さらに、マスクンの人たちは、色が見えなくても、熟したバナナを簡単に見分けることができます。

「じゃあ、どうやってバナナが熟しているか分かるんだい?」ジェイムズは答える代わりにバナナの木に近寄り、慎重に明るい緑色のバナナを選んでボブに渡した。

ボブは皮をむこうとして、それが簡単にむけたので驚いた顔をした。それから用心深くほんの一口食べ、あっという間に全部平らげてしまった。

「ね、お分かりでしょう。私たちは色だけで判断するわけでないのです。目で見て、触って、匂いを嗅いで、それで分かるのです。

全感覚を使って考えるんです。あなたたちは色でしか判断しませんけれど」(p61)

色が見えないことは、必ずしもデメリットばかり生み出す「障害」ではないことがわかります。かえって、色が見えないからこそ開ける新しい感覚世界があるようです。

この島は、色が見えなくても、ある程度住みやすい配慮された環境になっています。それでも足りない部分は、マスクンの住民たちがすばらしい適応をみせて、短所を長所で補っています。

この島では、全色盲に生まれついたとしても、「自分が完全に社会から孤立していたり、無理解にあっていると感じることはない」のです。(p134)

「障害」とは個人の欠陥ではなく、環境によって作り出されるものだ、という考え方が思い出されます。

社会において圧倒的に少数派の特性をもつ人は、まったく理解されず、生きづらさに圧迫され「障害」を意識します。

しかしある程度数が多くなると、偏見にさらされることはあっても、おおかた隣人として尊重されます。これがピンゲラップ島の状況でしょう。

そして、もし多数派と少数派が逆転すれば、その特性は「障害」とはみなされなくなり、かえって今まで健常とみなされていた人のほうが生きづらさという「障害」を抱えることになります。

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兄妹3人だけの「色のない島」で

では、全色盲の人が圧倒的に少数派になってしまう、わたしたちの社会の場合はどうでしょうか。そこで生まれた3万人か4万人に1人の全色盲の人たちは、どんな暮らしを強いられるのでしょうか。

この本では、そのような例のうち2人が出てきます。すでに名前が登場したクヌート・ノルドビーと、フランシス・フッターマンです。

クヌートの場合、「同じように全色盲の弟と妹がいたので、兄妹三人は自分たちの色盲の島で暮らしていたようなものでした」。色が見える人ばかりの広い大洋のただ中で、同じ境遇の3人は、心強い仲間でした。(p109)

しかし世の中は過酷です。クヌートは、目が見えるにもかかわらず、地元の盲学校で点字の勉強を強制されそうになったりました。やっと学校に行けても、色が見えないことでからかいの的になりしました。

でも、周囲の無知と偏見にあらがうため、人一倍努力しました。

本の文字を識別できなかったので、代わりに記憶力を発達させました。本に書かれていることを誰かが読んでくれるだけで、自由に思い出したり、暗唱したりできるようになりました。

物の名前を言えなければからかわれるので、「色のルール」や「正しい色使い」を勉強しました。身の回りの物の色の名前を片っ端から覚え、普通の人よりはるかに色彩に詳しくなりました。(p106-107)

明るい光で目がくらみ、わずかな視力しかありませんが、常に拡大鏡、望遠鏡、濃いサングラスなどを携帯することで、日常生活を送っています。たとえば、壁にかかったメニューを見るために、単眼式の望遠鏡を使うのです。(p37)

そのような才気あふれる工夫と努力によって、クヌートは生理学者また心理物理学者として成功し、ついに全色盲を研究する世界的な科学者にまでなれました。

サックスは何週間も彼と共に過ごした旅行の終わりに、こう書いています。

ボブと私が初めて出会ったときのクヌートは、魅力的で、学者肌で、少々内気な仲間であり、非常に稀な全色盲の専門家かつ患者だった。

そして何週間か共に過ごすうちに、私たちは彼のまったく違う面をいくつも見た。

何にでも興味を持ち、時々思いがけなく見せる情熱(彼は路面電車と狭軌鉄道に詳しく、豊富な知識を有している)、ユーモアのセンスと冒険心、適応力、そして全色盲であることゆえの数々の困難

―特にこの熱帯の気候では、光への過敏さがもたらす痛みや細かいものが見えないこと―

を目のあたりにした後では、私たちはクヌートの強い意思、遠い土地までやってくる勇敢さ、弱い視覚にもかかわらずさまざまな状況に適応する能力

(たぶん、彼のいろいろな能力と素晴らしい方向感覚はこれらの障害と引き換えに養われたものだろう)に感服したのだった。(p132)

クヌートは、多種多様な魅力とすばらしい能力を備えていました。でもそれは生まれつきの才能ではありませんでした。

神経科学者オリヴァー・サックスの目には、「彼のいろいろな能力と素晴らしい方向感覚はこれらの障害と引き換えに養われたものだろう」と映りました。

このエピソードは、「どんな雲にも銀の裏地がある」ということわざを地でいっている話に思えます。自分が生まれ持った障害をただ嘆くのではなく、独特な境遇ゆえに培われた能力を強みに変えています。

誰もが彼のような社会的成功を収められるわけではないでしょう。それでも、どんな障害を持つ人でも、彼から学べることがあります。

たとえば、彼は「色」について非常に広範な知識を集めていました。

あるときサックスは、紺碧のラグーンの美しさを褒めちぎっていましたが、隣にクヌートがいたことを思い出し、恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。

しかしクヌートは、色の見えるサックスを妬んだり、気分を害したりはしませんでした。代わりに「紺碧」とはどのようなものなのか、好奇心から質問を浴びせかけました。

自分が持っていないものについてくよくよ考え、自己憐憫に陥ると、惨めになります。しかし、自分にも他の人にも、それぞれ別の長所と短所があるだけだ、と考えるようにすれば、羨ましいとは感じません。

人の脳は、常に置かれた環境からフィードバックを受け、可塑的に変化し続けます。病気、障害、虐待などの劣悪な環境に置かれた場合でも、生き延びるために常に方法を模索し、最適化されていきます。

たとえばクヌートは、色のある世界には不適応にならざるを得ませんでした。しかし、自分は色のない世界に適応しており、そこには、他の人には見えない美しさがあることを、わきまえ知っていました。

「君たちは単に灰色と呼ぶけれど、僕は自分の世界が無色彩だとは思わないし、もちろん不完全だなんて思っていない」

生まれてから一度も色を見たことがないので、クヌートは自分の世界が無色であることを残念に思うことはない。

なぜなら、彼は自分の持つ視覚の中で、それに基づいた美しさ、秩序を手がかりにして意味のある視覚の世界を作り上げてきたからだ。(p38)

クヌートがあまりにも景色を味わい深く楽しんでいるので、サックスは、「彼の視覚世界はある面では私たちのものより劣っていても、他の面では私たちの世界と同じくらい、あるいはそれ以上に豊かなものに違いない」と考えました。(p95)

病気や障害というのは、ちょうど回り道に例えられるでしょう。目的地にたどり着くのに、みんなが通る大通りとは違った道を通らなければなりません。とても時間がかかり、戸惑い、不安になり、疲れます。

でも、回り道をしたことで、ほかの人たちは気づかない景色を見ることができます。大通りを通っている人たちが、一生かけても気づかないような発見があります。

回り道をした人が、みんな前向きな見方をするわけではありません。中には自分はひどい目に遭っていると感じて、不幸な境遇を嘆く人もいます。一方で、自分だけが見つけた素晴らしい景色を喜ぶ人もいます。

クヌートは後者でした。自分が、回り道をして発見した素晴らしい景色を自覚していました。だから、サックスが色のある世界を絶賛しても、妬みませんでした。純粋な好奇心のほうが勝りました。

わたしは、他の車が猛スピードで飛ばしている国道や高速道路ではなく、めったに人が通らないような山道や林道を通るのが好きです。

確かに目的地まで時間はかかります。でも猛スピードで飛ばすより、有意義な体験がたくさんできます。可愛い野生動物に出会ったり、珍しい山菜や花の群生地を発見したり。

人生も同じだと思います。人と違う道を通り、回り道をしてきたからこそ、経験し、発見できたものがあるはずです。それを自覚できているなら、病気や障害に嘆くことなく、他の人を妬むこともなく、独自の才能を伸ばしていけるでしょう。

世界をつなぐ「色のない島」を作り出す

この本に登場するもう1人の全色盲の当事者は、カリフォルニア州バークレーに住んでいる、テキサス生まれの女性、フランシス・フッターマンでした。

彼女は、クヌートよりさらに辛い境遇に育ちました。

家族の中で1人だけ全色盲で、適切な視覚補助器具も与えられず、ずっと屋内にとどまるよう強制されました。周囲の無理解と孤独に耐え続け、自分の経験を分かち合える人もいませんでした。(p135)

しかし彼女は、徹底的な調査と、たぐい稀なる行動力によって、置かれた境遇を乗り越えました。

彼女の家の本棚は何百冊という本で埋め尽くされています。視覚機能についての専門的な本や、サポートやリハビリのための本、自分が大好きな夜の世界についての本、そして未知なる色の世界についての本などです。(p290)

フランシスは、視力が非常に限られているにもかかわらず、それらの本を読みこみました。そうすることで、自分の障害について理解を深め、色のある世界で生活する知恵や、人々とコミュニケーションをとる方法について学びました。

彼女もまたクヌートと同様、色彩の科学について、色が見える大多数の人たちより、はるかに詳しい知識を持っています。

トラウマ研究者のベッセル・ヴァン・デア・コークが、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 で書いていた、この言葉が思い出されます。

科学者というのは、自分が最も不思議に思うことを研究するものなので、他の人々が当たり前と思って気にもかけないテーマの専門家となる

(あるいは、愛着研究者のベアトリス・ビービーがかつて私に言ったように、「ほとんどの研究は自分探しだ」(p180)

色が見えている人たちは、それがあまりにも当たり前なので、わざわざ調べようなどと思いません。フランシスやクヌートが色について飽くなき興味を抱くのは、それが自分の知らない謎めいた世界だからです。

わたしも、本を読むのが苦手でストレスですが、脳について幾十冊もの本を調べずにはいられませんでした。自分があまりにも奇妙な状態にあったので、人々が当たり前だと思って、気にもしないようなことを調査するよう駆り立てられました。

フランシスは、自分の障害について詳しく調査することによって、自分の長所を認識し、アイデンティティを確立することができました。

色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記によると、彼女もまたクヌートと同じく、色が見えないからこそ分かる美しさに気づいていました。

「全色盲」という言葉は、私たちの視覚の欠陥についてしか説明していません。つまり、私たちに備わっている能力や、私たちが見たり作り出したりする世界については何も語っていないのです。

夕暮れ時は私にとって魔法の時間です。目の眩むような光と影の対比がなくなると、視野が広がり視力も突然良くなるのです。これまでに目にした最も美しい世界は、どれも夕暮れ時かあるいは月明かりの下で見たものです。(p298)

彼女は、自分が回り道をしたことをよく知っていました。そして、回り道しなければ見られない、すばらしい景色を愛していました。

前半部分の言葉は、このブログの過去に何度も引用してきた、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 の、ベッセル・ヴァン・デア・コークの言葉と、とても似通っています。

だが、これらの診断のうち、私たちの患者の多くが生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギーを考慮に入れているものは一つもない。(p228)

病気や障害を持っている人は、医療の場では、診断名というラベルを貼られます。診断名は、その人は不完全な人間、欠陥がある身体なのだ、という意味合いを植え付けます。

もしそれ以上なんの調査もせず、医者にすべてを丸投げしていたら、病名に呪われた人生を送ることになるでしょう。自分は◯◯病、◯◯障害の哀れな人間で、人生に失敗した落伍者なのだと思い込まされるだけです。

しかし診断名は「私たちに備わっている能力や、私たちが見たり作り出したりする世界については何も語って」いません。

「私たちの患者の多くが生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギーを考慮に入れているものは一つも」教えてくれません。

わたしたちは破損した機械ではなく、個人的な歴史と物語をもった人間です。わたしたちの脳は、置かれた境遇に適応して再配線される動的なシステムです。

だから、どんな病気や障害の場合でも、置かれた境遇のもとで「適応と補償」が起こります。自分で気づいていようがいまいが、その人独特の創造的な長所が発達していきます。

色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記によると、フランシス・フッターマンは、色がわからないからこそ、かえって食感、匂いなど多くの特徴を観察するようになり、「物事についてよりの多くの情報を知ることができ」ていると述べています。(p274)

彼女はある意味、自分自身の最高の研究者です。クヌートはフランシスについて、同じ全色盲の当事者として、また専門家として、こう評しました。

彼女は全色盲の人に対するあらゆる種類の補助器具について、膨大な情報を的確にまとめている。

自分では科学的な人間ではないと言っているが、僕は彼女のことを本当の意味での研究者だと思うよ。(p292)

彼女はやがて、その知識を生かして「全色盲ネットワーク」を設立し、世界中の仲間が交流できるウェブサイトを開設しました。

「色のない島」のマスクンと違い、彼女はもともと、同じ境遇の人が誰もいない孤独な世界に育ちました。しかし、今や文字通りの島より大規模な、インターネット上の新しい「色のない島」を作り出したのです。(p136)

運命の牢獄から自分を解き放つために

こうして、全色盲の人たちの三者三様のエピソードをまとめてみると、興味深いことに気づきます。

全色盲の当事者が、比較的不自由なく暮らせるのは、大勢の仲間が住んでいるピンゲラップ島です。しかし、全色盲について最も徹底的に調査し、正確な情報にたどり着いたのは、一番孤独だったフランシスなのです。

最も回り道をしなければならず、一番険しい道を辿らなければならなかった人が、最も多く考え、発見し、遠くの地平線まで見渡しました。

置かれた境遇があまりにも辛いものだったがため、人一倍深く考えるようになりました。誰も自分のアイデンティティを保証してくれる人がいなかったので、自分で自分を研究し、自分が何者かを知らなければなりませんでした。

他方、ピンゲラップ島の人々は、多くの仲間に囲まれて、理解も得られていましたが、その先に進むことがなかなかできませんでした。

マスクンたちも島の医師も、濃いサングラスを身につけるといったごく簡単な対策さえ講じていませんでした。「行動の意味を考え、類別する作業」をしていなかったので、何が問題なのか気づけていなかったのです。(p113)

サックスら専門家の一行が旅行で訪れて、フランシスが持っていくようにと提案してくれたサングラスを配布して初めて、全色盲の赤ん坊は泣き止み、全色盲の子どもは昼間の景色を楽しめるようになりました。(p79,111)

確かに、彼らは夜の漁師としては自由に生きられるので、サングラスがなくても不自由しなかったかもしれません。でも、本来なら経験できるはずの世界を知らないままだったでしょう。もし専門家がこなければ、彼らはずっと運命の檻に囚われたままだったのです。

このことを思うと、たとえ回り道になるとしても、よく考え、観察し、思考することの大切さが身に染みます。誰もが、通りすがりの優秀な神経科学者に的確なアドバイスをもらえるとは限らないのですから。

わたしこんなふうに考えてみます。もしクヌートのように、わたしがサックスと旅行に行けたら、どんな反応が返ってきるだろう。わたしが気づいていない自分の長所も、優れた神経科学者の臨床の目によって明らかにされるのだろうか。

ある意味で、障害をもつ人、ずっと檻の中に捕らわれてきた人に必要なのは、このような視点、つまり客観的な神経科学者の目なのです。

自分には生まれてからこのかた、欠点ばかりしかない、と感じる人がいるかもしれません。しかし、人が適応する生き物である以上、障害や病気と引き換えに作り出される能力は必ずあります。ところが、それは往々にして当人の目からは隠されています。

できるなら優秀な神経科学者が、一人ひとりとじっくり話し合い、親しくなって、その長所に気づかせてくれたら、と思います。でもそれは無理な話です。

ならばその代わりに、自分で神経科学者のような視点に立って、言い換えれば、自分の常識の外側に身を置いて、自らを客観視してみなければなりません。

狭い運命の檻の中から、自分の視点のみで世界を眺めるのではなく、檻の外側にいる人たちの視点を学んで、多角的に世界を見る必要があります。

そのための手段が、全色盲のクヌートやフランシスにとっては色のある人たちの視覚世界を調べることであり、わたしにとっては、たくさんの本を読んで見識を広めることです。

ずっと障害を持っている人は普通の暮らしを知りません。たとえ多くの人たちが持っていない優れた何かを、自分が持っているとしても、自分ではなかなかそれに気づけません。よく調査し、本を読んで、別の人生を疑似体験してみない限りは。

寄り道しながら本を読む楽しさ

この記事では、全色盲の人たちの三者三様のエピソードを比較して、普遍的に役立つ教訓を引き出してみました。

回り道したからこそ見られた景色、この人生だからこそ育まれた長所を自覚することこそが、病気や障害のもとでも前向きでいる鍵でした。そのためには自分の病気についてはもちろん、まったく異なる境遇の人たちに視点など、幅広く調べて視野を広げることが大切でした。

でも、この本の魅力は、単に神経科学的な部分のみにあるわけではありません。ミクロネシアの島々の雄大な自然の描写や、人々のユニークな文化あってこその科学的な冒険記です。

自分も旅行に出かけたかのように、いろいろ考えながら読むのも楽しいものです。

サックスが地衣類を見つけるなり「かじってみた」という話を読んで驚きます。(p70)

今の季節、真っ白な森の中を歩いていると、あちこちに鮮やかな地衣類が貼り付いています、キャベツのようだと感じたことはあれど、食べてみようとしたことはありません。

調べてみたら、日本でもイワタケやバンダイキノリが食されるようですが、まだ地衣類の見分けはできないのでハードルが高そうです。

ナン・マドール(ナンマトル)遺跡への旅の部分は、さながらインディー・ジョーンズの冒険のようです。自閉症の画家スティーブン・ウィルシャーが描いたナンマトル遺跡の絵が掲載されています。

気になって画像検索してみたら、この遺跡は水路が張り巡らされた海上の砦で、RPGの入り組んだダンジョンのような趣です。

サックスも書いているように、古代の亡霊がまだ潜んでいるかのような気味悪さがあり、ただの観光地ではなく迷宮を思わせます。(p95-100)

シャカオ(コショウ科の植物ヤンゴーナの根を砕いた飲み物。カヴァとも呼ばれる)を飲んだ興味深い体験記もあります。「世界で最も性質の良い麻薬」とも呼ばれる飲み物です。(p101,128,300)

シャカオでサックスが酔っ払ったときの描写は、いわゆる薬物による解離現象とよく似ています。幻覚が見えたり、身体の感覚がなくなったり、さらにはペンが勝手に動いて文字を書くという自動症のような現象まで起こっていて、体験してみたくなります。(p131)

ほんの少しだけですが、サックスが大好きなシダの話も出てきます。今回はクロヘゴ(cyathea nigricans)、ポーンベイヘゴ(cyathea ponapeana)などの木生シダや、リュウビンタイ(angiopteris evecta)という超大型のシダです。

写真を検索すると、まるで恐竜時代のシダがそのまま現れたかのよう。「毛深い若葉がくるくると渦巻き状になっている」のをぜひ自分の目で見てみたいです。植物園ではなく、自生地で。(p124)

わたしは、色覚異常ではありませんが、明るさに弱かったり、目を常にしばたたいたりしているので、クヌートたちの境遇に自分を重ね合わせて読んだところもありました。おそらく、彼の色の濃いサングラスは、わたしにもぴったりでしょう。

サンバイザーを手渡されて、昼間でも自由に駆け回れるようになり、「見える、見えるよ!」と叫んだ子どものエピソードは、自分自身のことのように思えてなりません。わたしが真っ白な雪の世界で「見える」のも、特製のサングラスのおかげだからです。(p111)

ずっと目を細めて声を挙げていた全色盲の赤ん坊にサングラスをかけると、途端に落ち着いて、周囲の世界に関心を向け始めた、という記述は、発達障害の研究にも当てはまる気がします。

ADHDや自閉症の子どもが問題児になるのも、感覚過敏による不快感が関係していのでしょう。その刺激を何らかの方法で取り除くことができれば、行動や学習意欲が改善されるはずです。(p80)

最後に、この記事の冒頭にも引用いた、クヌートが、夜の海で驚くほどリラックスし、「きっと僕も生まれながらの夜の漁師なんだよ」とつぶやいた言葉には考えさせられます。(p133)

彼に受け継がれた全色盲の遺伝子は、遠い昔にどこかで役立った遺伝子、夜の海の最高の漁師の遺伝子だったかもしれないのです。

わたしの明るさ過敏の場合も、考えてみれば、普段はサングラスが手放せないのに、夏の鬱蒼とした森の中の明るさだと「ちょうどいい」のが不思議です。

もしかしたら、かつて森の中で暮らしていた狩猟採集民の血が受け継がれているのでしょうか。いわば「生まれながらの森の採集者」なのでしょうか。

いろいろなことを考えながら、脇道へそれ、寄り道し、回り道しながら本を読むのは楽しいものです。

そうすることで、ときに思いがけない発見をして、視界がパッと開けます。予想だにしないところから、自分の問題をひもとく手がかりが得られることもあります。

色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記は、まだグアム島のリティコとボディグについての記述、およびロタ島のシダ植物についての記述が残っています。そのシダについての記述を読みたいと思って再読し始めたのでした。

後半について感想を書くかどうかはわかりませんが、今後も少しずつ本を読んで、自分の視界を広げていきたいと感じました。