このニッポニテスをはじめとする異常巻アンモナイトは進化末期の奇形であるという考え方が長い間あった。
しかし、現在ではその不規則に見える殻形態は、むしろ様々な生活環境や生活様式への巧みな適応であると考えられ、進化の成功者であると捉えることもできる。
これは、首長竜やアンモナイトの化石を数多く展示している中川町エコミュージアムセンターの館内の説明からの引用です。
「異常巻アンモナイト」というと馴染みない人もいるかもしれません。一般によく知られている渦巻きのような殻のアンモナイトではなく、もっと不規則な殻をもったアンモナイトの化石のことです。(詳しくはGoogle画像検索を参照)
発達障害の歴史や概念に詳しい人なら、いま引用した異常巻アンモナイトについての説明が、発達障害をめぐる昨今の議論とよく似ていることに気づかれるでしょう。
異常巻アンモナイトはあまりに不規則な形なので、当初「奇形」とみなされていました。しかし研究が進むにつれ、さまざまな環境に適応した「多様性」だと判明しました。
同様に、ADHD、アスペルガーのような遺伝的傾向、また敏感なHSPのような性格特性は、長い間「障害」だとみなされてきました。
しかし、当事者たちの研究や情報発信が進むにつれ、障害ではなく人類の多様性の一部だとする考え方が普及してきました。
いきなりアンモナイトと比較したので面食らう人もいるかもしれませんが、人間もアンモナイトも動物の一種であり、同じ生物学的な法則に従って繁栄してきました。
古生代から中生代にかけて地球上に増加したアンモナイトという種と、新生代の今日、地球上を席巻しているホモ・サピエンスという種に、同じような共通点があるとしても不思議ではありません。
その共通点とは、最も増加した種類が、誤って「定型」とみなされたこと、そして、そのほかの多様な種類は「奇形」や「障害」と分類されてしまったことです。
この記事では、さまざまな生物や、世界各地の先住民族や少数民族たちの事例を参考にして、ADHDやアスペルガー、HSPなどの特性が「障害」ではなく、「むしろ様々な生活環境や生活様式への巧みな適応である」ことを考えてみたいと思います。
もくじ
これはどんな本?
今回の記事では、飛行および航海で大西洋を単独で横断した、探検家トリスタン・グーリーによる二冊の本からしばしば引用しています。
一冊目、日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめは様々な土地を歩く中で、自然や文化について思考を巡らせる博物物語のような本です。
もう一冊、失われた、自然を読む力は、より実践的な技術についての本で、スマホやGPSといった利器が何もないようなところで、どのように自然を観察すれば、方角やなどの手がかりを見つけられるかが解説されています。
コケと地衣類―都会では多様性を保てない
ここ最近、わたしは、人間について知りたいなら、自然界全般に目を向けなければならないという考えを強くしています。
人類はこの地球上に独立して存在しているわけではありません。ヒトは他の動物たちと同じ造りをしていますし、自然界の生態系なくしては生きることができない共生関係にあります。
現代の精神医学や心理学の行き詰まりを打開するには、生物学や生態学に目を向ける必要があります。
それで、今年の2月に書いた記事では、コケの生態学から、定型発達や発達障害という概念を見直してみました。
簡単に要約すると、ホモ・サピエンスのうち、人類が最近住むようになった都会という特殊な環境(生態学的には断崖に似ている)に適応した一部の種だけが「定型発達」とみなされ、その他の環境に適応した多様な種類は、現代社会では不適応を起こして、「発達障害」などとみなされているのではないか、ということでした。
その記事を書いたあと、コケだけでなく、地衣類にも、同じような傾向がみられることを知りました。
都会のど真ん中で生まれ育ったわたしは、恥ずかしながら、地衣類のことを知りませんでした。だから、木の絵を描くときには、丸裸の幹を描いてしまっていました。
でもそれも仕方のないことだったかもしれません。自然豊かな地方であれば、あちこちの木々が地衣類を身にまとっていますが、都会の木には地衣類がほとんどみられないからです。
たとえば、この写真は、わたしが最近撮った、山奥の木の幹です。なんとも鮮やかな地衣類、コケ、キノコに覆われています。
手つかずの自然のただ中では、木々や岩は色とりどりの衣を身にまとっているのが普通です。
ところが、これらの地衣類、コケ、キノコは、環境に非常に敏感なので、人間の手が入って開発された場所ではとたんに姿を消してしまいます。
失われた、自然を読む力という本には、地衣類の敏感さについて、次のように書かれていました。
地衣類は、日光、湿気、pH、ミネラル、空気の質など多くのことに敏感だ。
…歩いていて多くの地衣類を通り過ぎたら、深呼吸しよう。その空気は汚染されていない。
…地衣類の数は、町に近づくと減る。空気の質が低下するからだ。
都会に強いレカノラ・ムラリス(Lecanora muralis)は例外で、壁や歩道で灰色の広がりとして見つけることができる。これはチューインガムに間違えられる。(p117)
地衣類はコケと同様、環境にとても敏感です。大自然の真っただ中ではたくさんの種類が観察できますが、都会の真ん中では、チューインガムのようなレカノラ・ムラリスのような一部の種だけしかいなくなります。
都会の中心部では、敏感ではなく、汚染への耐性が強い、悪く言えば鈍感な一部の種のみが栄え、貧弱な生態系ができあがります。
これにはホモ・サピエンスも例外ではありません。
現代社会では、あまり敏感ではない人たち、いわゆる「定型発達」と呼ばれる人たちが多数派をしめています。
これは、都会の真ん中では、多様な地衣類の種類のほとんどが見られなくなり、レカノラ・ムラリスのような限られた種しか見かけなくなるのと、同じ現象ではないかと思えます。
本来、ホモ・サピエンスにも、地衣類やコケと同様、もっと多様な神経発達のパターンの種類が存在しているはずです。
しかしみんなが一極集中して、都会や学校という特殊な環境で生活するようになったせいで、多くの種類のうち、一部だけが適応し、あとは不適応を起こすようになってしまいました。
ホモ・サピエンスは動物界で唯一、社会福祉制度をもっているので、不適応を起こした種類が、コケや地衣類のように自然淘汰の餌食になって死に絶えることはありません。
不適応を起こす個体は、絶滅する代わりに、障害や欠陥のレッテルを貼られて生き続けることになります。こうして「発達障害」のような概念が生まれたのではないか、とわたしは思います。
異常巻アンモナイトは奇形ではなかった
コケ、地衣類ときて、今回注目したのはアンモナイトです。毎度のこと、変なところに目をつけると思われそうですが(笑)
アンモナイトの場合、当初、主要な生息フィールドである海洋に適応した種類が、「正常」だとみなされました。わたしたちもよく知る渦巻型の、螺旋状の貝殻を持つ種類です。
しかし、なかには、奇妙な形をした貝殻もたくさん発掘されました。
それらは当初、よく知られている「正常」なアンモナイトに対し、「異常」なアンモナイトとみなされ、「異常巻」と呼ばれました。
これは、ADHDやアスペルガーの人たちが、当初、社会で大多数をしめる「定型」に対して、「障害」だとみなされたことと似ています。HSPの人たちも、もともと神経質で精神疾患になりやすい弱い個体だとみなされていました。
しかし、やがて同種の不規則な貝殻のアンモナイトの化石が多く見つかり始めます。サハリン、カムチャッカ、アメリカ太平洋岸、そしてここ日本で見つかることが多いので、Nipponites mirabilis(驚くべき日本の石)といった学名もつけられました。
コンピュータシミュレーションで巻き方に規則性があることもわかり、どうやらその奇妙な貝の形は、「異常」ではなく「多様性」だということがわかってきました。
ADHDやアスペルガー、またHSPといった人たちの場合も、やはり事例が豊富になり、当事者たちの発信などが盛んになった結果、障害ではなく多様性だとみなされるようになってきた歴史があります。
興味深いのは、それら奇妙な貝殻のアンモナイトたちは、単に貝殻の形が違うのではなく、異なる環境に適応して発達したがために、異なる形になったらしい、とされている点です。
このことは深海魚について考えればよくわかるでしょう。深海魚は、わたしたちからすれば異形に思えます。
しかし異形に思えるその姿は、深海の暗闇の高圧下という、地上とはまったく違う環境に適応した結果です。
(「深海魚にとっては、わたしたちのほうが奇妙であって、自分たちが通常だ」という以前の記事の説明を参照)
同じように、ある生物が、一見奇妙に思える特徴を持っていたとしても、障害を持っているとか、奇形であるという意味にはなりません。
異なる特徴を持っているのは、異なる環境に適応して発達したせいだ、と考えるほうが自然淘汰の法則からして理にかなっています。
これは、われわれホモ・サピエンスにも、もちろん当てはまります。
一例として、生物学者であるデヴィッド・ジョージ・ハスケルは、ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球 で興味深いことを書いています。
わたしたちの社会では、三色型色覚が一般的なので、二色型色覚の人は「色覚障害」とみなされています。しかし生物学的にみれば、これは異常ではなく適応かもしれません。
第二次世界大戦中の戦略家たちは、色覚異常の兵士は視力が正常な者よりもカモフラージュを見破るのがうまいことに気がついた。
もっと最近の実験の結果は、二色覚者(二種類の錐体細胞をもつ、いわゆる赤緑色覚異常の人)は、三色覚者(三種類の錐体細胞をもつ、人間の一般的な状態)よりカモフラージュを見破るのに優れていることを裏づけた。
…現在ヒトの中に二色型色覚者がいるのが、過去に起こった自然淘汰の結果である可能性はある。
ひょっとしたら、二色覚者のいる集団のほうが、全員が三色覚である集団よりも生き残りがうまくて、その結果、二色覚者が生まれる遺伝的傾向が後続世代に受けつがれたのかもしれない。(p260)
医学では二色型色覚を障害とみなしてきました。しかし、生物学者は、過去のある環境では、二色型色覚が生存に役立っていたからこそ多様性として受け継がれたと考えるのです。
わたしはこの視点が「発達障害」とみなされている概念にそっくりそのまま当てはまると考えています。
これまで医学では、「発達障害」とみなされている子どもたちは、自身が障害や欠陥を持っているせいで不適応を起こしているのだと主張されてきました。
しかし、生物学の目を持つ人はこう考えます。彼らが不適応を起こしてしまうのは、生まれつき異なる環境に適応した遺伝的傾向を受け継いでいるからではないだろうか。
彼らは確かに、20世紀以降、ホモ・サピエンスが住むようになった都市や、義務教育化された学校という特殊な環境では不適応を起こしています。
しかし、世界保健機関(WHO)によると、都会に住む人口が半数を越え、ホモ・サピエンスが正式に都市に生息する種と認定されたのは2008年です。
ホモ・サピエンスは、長きにわたって、都市以外の多種多様な環境に住み、適応してきました。学校で学ぶだけが教育ではありませんでした。その名残を受け継いでいる人が大勢いるはずです。
中川町エコミュージアムセンターの説明によれば、異常巻アンモナイトが異なる姿をしているのは、一般的なアンモナイトのように大洋を泳いでいたわけではなく、海底などの別の環境での生活に適応して発達したからではないかとされていました。
多様な形態があるということは、さまざまな生活様式の異常巻アンモナイトが存在したことを示唆する。
一般に異常巻アンモナイトもふつうのアンモナイトのように、気房部の浮力によって海水中で浮遊生活をしたとされている。
しかし、異常巻アンモナイトは全体の大きさの割にロート(殻の口の部分)は小さいために運動能力は低く、海底近くをただようような生活や海底の堆積物に浅く潜り身を隠すような生活をしていたのかもしれない。
もしも、この海底の生活に適応したアンモナイトを、いきなり大洋のど真ん中に連れてきて、他のアンモナイトと同様の生活をするように強いたとしたら、不適応を起こして死んでしまうでしょう。深海魚が水族館ですぐ死ぬのと同じです。
現代社会で、「発達障害」の問題が起こっているのは、これと同じ、生息環境による不適応ではないでしょうか。
ここ数世代のうちに、人類の大半がいきなり都市で生活するようになったので、もっと別の環境、おそらくは自然豊かな場所での生活に適応した遺伝的特徴をもつ子どもたちが、適応できなくなっているのではないでしょうか。
「発達障害」を少数民族の能力と比較する
もしそうだとしたら、今日、発達障害の特徴とみなされているさまざまな「症状」は、かつて自然と共生していたころの社会では、欠点ではなく、優れた能力でさえあったはずです。
それを裏付ける事例があるでしょうか。さまざまな少数民族、遊牧民族、先住民族たちの文化をみてみましょう。
細部に注目する能力
アスペルガー症候群の人は、興味のある対象を、非常に細かく、マニアックに観察していることがよくあります。
これは、細部に注目する視覚特性によるものです。前に書いたとおり、その視覚特性は、彼らが描く絵に特徴に現れることもあります。
このような細部に注目する視覚的傾向は、アスペルガー症候群の人たちが空気を読むのを苦手とすることとも関係しているのではないか、という論考もありました。
場の「全体」をおおまかに概観することができず、「細部」だけに注目してしまうのが、場の空気を読めない理由だというわけです。
では、このような細部に注目する注意深さは、アスペルガー症候群の人特有の「障害」なのでしょうか。
いいえ、日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめによると、大自然の中で暮らす遊牧民、ベドウィンの人たちの中には、とんでもなく鋭い視覚的傾向を持っている人たちがいるそうです。
英国の探検家ウィルフレッド・セシジャーもアラブの砂漠で似たような体験をしている。
ベドウィン[中東・北アフリカの砂漠に住む遊牧民]が地平線を行くラクダを指し示しても、セシジャーには見つけられない。
セシジャーが懸命に目を凝らしている傍らで、ベドウィンたちはそれが授乳中のラクダかどうかを議論しているという具合で、セシジャーのような熟練した砂漠の旅行者ですらほんの点にしか見えないところを、乳首の張り具合まで見分けてしまうほど、ベドウィンの目は鍛えられていたのだ。
セシジャーはこのあと、遠くの[ウシ科]のオリックスを見落としてベドウィンにたしなめられたという。
あそこにオリックスがいる、とベドウィンたちから教えられたとき、セシジャーは白っぽい点を見分けることはできたが、言われるまで自分では見えていなかった。
目が弱いことではなく、意識すべきことを充分に意識していなかったことで叱責されたのだ。「もしあの点がアラブ人で、気づかないままずっとここにいたら、そのうちに近づいてきたやつらに寝首をかかれるぞ」と。(p29-30)
このようなエピソードは、他にもたくさんあります。
たとえば、失われた、自然を読む力によると、カラハリ砂漠のサン族(ブッシュマン)と一緒に過ごした人類学者のウェード・デーヴィスは、サン族「すべての足跡の見分けがつくので、サン族の中では不倫が難しい」と述べたそうです。(p42)
サハラ砂漠の遊牧民族であるトゥアレグ族は、文明に近づくとハエが増えることをよく知っていたので、「自分の前の男の背中のハエの数によって、最終日の終わりにあとどれだけ進まなければならないかを見積もることができ」ました。(p252)
19世紀の宣教師ジョゼフ=フランソア・ラフィトーは、北アメリカのイロコイ族と5年間共に過ごし、彼らが星や木の幹など、風景の細部に非常に目ざといことに気づきました。
未開人は森で、またアメリカの広大なプレーリーで、進路をよく知っている川でと同じくらい、“星”のコンパスによく注意する。
しかし、太陽も星も見えないとき、彼らは森の中に自然のコンパスを持っていて、それを用い、ほぼ間違いのないしるしによって北を知る。
ひとつ目は木の先端のしるしで、先端は常に南に傾いている。木が太陽によって南に引きつけられるからだ。
ふたつ目は木の樹皮のしるしで、樹皮は北側で色がくすんでいて、黒い。確かめたければ、斧で木を何度か切るだけでよい。木の幹にできた多くの年齢は北側で幅が広く、南側で幅が狭い。(p71)
では、このような細部に目ざとい能力は、今日どうなってしまったのでしょうか。森の幼稚園 ドイツに学ぶ森と自然が育む教育と実務の指南書にこんな言葉が引用されていました。
「私たちは、目を何かに留めておくことを忘れてしまった。
だから、私たちはほんのわずかしか認識しないのである。
イェアン・ギオノ・フランツ(Jean Giono Franz,作家〈1895-1970〉)(p195)
平和な現代社会に生きるわたしたちは、風景をぼんやりと見てしまいがちです。道ばたの動植物や、電車や車を、細部までまじまじと観察する人は変人扱いされがちです。
でも人類が自然の中で生きていたころ、地平線の果てに見える人影を見分けたり、道ばたの動植物のわずかな違いを見分けて、薬草と毒草を区別したりする能力は生死に直結しました。
細部に注目する、細部にこだわるという視覚特性を持った人たちは、変人ではなく、博識ある頼れる人として重宝されたはずです。
そのような能力の遺伝子が、現代のわたしたちまで脈々と受け継がれているとして不思議ではありません。
ありのままを記憶する能力
自閉症の中には、写真に匹敵するかのような視覚的な記憶力を持つ人たちもいます。見た風景や本の内容を一字一句思い出せる人たちです。
たとえば、神経科医オリヴァー・サックスは、火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF) の中で、そのような能力をもつ自閉症の少年、スティーヴン・ウィルシャーに触れています。
スティーヴンは建物を子細に調べもしなければ、スケッチもせず、実物を見ながら描くこともしなかった。
ちらりと見ただけですべてを吸収し、本質をとらえ、細部を焼きつけ、全体を消えくしてしまって、それから手早い単純な線で描いた。(p263)
彼の絵には、わたしの患者だったホセの絵と同じように、実物そっくりで素朴なところがあった。
自閉症の芸術家である娘をもつクララ・パークはそれを、感じたとおりではなく、「見たとおりに描く異常な才能」と言っている。(p263-264)
わたしの友人のアスペルガー症候群の子も、学生時代、とてつもない記憶力で知られていました。図案や文章を丸暗記するのは得意で、生き字引きのようになっていました。
一方、こうした能力は、意味をしっかり理解して覚えているとは限らないので、表面だけの知識で頭でっかちだと批判されることもあります。
自閉症スペクトラムの人たちは、解釈や意味づけが苦手だと言われています。比喩を額面どおりに受け取ってしまったり、融通の効かない受け答えをしてしまったりします。
それは、「感覚システム」が強い反面、「解釈システム(意味システム)」が弱い、という観点から説明できるのではないか、と考える人たちもいます。優れた記憶力と、融通の効かなさは表裏一体というわけです。
では、このような能力の偏り、つまり、ありのままを正確に暗記する一方で、解釈したり意味づけしたりするはあまり得意ではないという傾向は、障害や欠点なのでしょうか。
そうではありません。日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめによると、オーストラリアの先住民の中には、まったく同じような能力を持つ人たちがいるそうです。
ライヒハートはオーストラリアの先住民が大地を知るさまに、意識と記憶がともにあるのを見て取った。
彼らの網膜に映る像は、どうやらもともと、ヨーロッパ人の場合よりも鮮明だとしか思えない。彼らの記憶はおそろしく正確で、ごくわずかな細部までもはっきりしている。
奇妙な形の木だとか、目立つ木々だとか、折れた枝だとか、地面のかすかな隆起だとか、ヨーロッパ人ならばおよそ限界近くまで集中して見てはじめて気づくような事柄がいくつも、あたかも銀板に写しとったかのごとく記憶に刻まれ、彼らはどの細部も意のままに思い起こせるのだ。(p30-31)
オーストラリアの先住民たちは、風景を細部まではっきり記憶していました。かといって、彼らが発達障害者ばかりだった、などと主張する人はいないでしょう。
見たものをはっきりと、ありのままに記憶するのは、彼らが生きる環境では生死を分かつ能力でした。
地図もGPSも、看板も標識もない大地で、遠くまで狩猟採集に出かけることを想像してみてください。特定の風景をしっかり記憶できなければ、帰ってこれなくなります。
熱帯雨林の中で生活するボルネオ島のダヤク族についても、失われた、自然を読む力にこんなエピソードがありました。
その日のあとになって、ティトゥスは前方の木にハチの巣があると警告した。今一度、彼の風景の細部の記憶に驚かされる。
わたしの目には木の密集した熱帯雨林が同じように続いているように見える。しかし、ハチに群がられて、顔をまともに刺されることによって、シャディーはティトゥスが正しいことを示した。
この道を最後にいつ通ったかをティトゥスに尋ねる。2011年12月のことで、1年以上前だと、彼は答えた。
それはこれまで4回だけしたことのある旅のひとつで、毎回、熱帯雨林の中の少し異なるルートを選んでいるとのことだった。(p343)
熱帯雨林の中を歩くのはどんな様子なのか、現代人のわたしたちにとってはイメージしにくいものです。
でも、なんとなく、延々と同じような風景が続いて、方向感覚がなくなることはわかるでしょう。日本の森でも、山菜を採りに行って方向感覚がなくなり遭難する人がいます。
そんなとき、頼りになるのは、視覚的記憶だけです。風景の中に含まれる、さまざまな要素を覚え、目に焼き付けておくことが必要です。
一方、わたしたちも、現代の都市のコンクリートジャングルで生活しています。もし先住民族がいきなり都市につれてこられたら、どこもかしこも同じような風景だと感じるかもしれません。
しかし、熱帯雨林とコンクリートジャングルでは、求められる能力が異なっています。
わたしたちはどうやってコンクリートジャングルで迷わずに生活できるのでしょうか。風景を見たままに記憶することではなく、地図や看板や標識を解釈する能力によってです。
すべての道に標識や看板が立っており、初めて行く場所でも、地図やカーナビのおかげで、目的地にたどりつけます。
しかしそうした技術が存在しない文字通りのジャングルでは、解釈したり意味づけしたりするより、ただありのままを覚えることが重要でした。
社会で生き抜くために求められる能力が異なるため、各地の少数民族たちはありのままに覚える能力を発達させたのに対し、現代人は図や文字を解釈する能力を発達させてきたのでしょう。
面白いことに、9つの脳の不思議な物語 という本では、過去の自分の経験を事細かに覚えているHSAM(非常に優れた自伝的記憶)を持つ人たちについての研究が載せられています。
この現象を研究しているアメリカの神経生物学者ジェームズ・マクゴーは、ありのままに記憶する能力は珍しい種類の障害かもしれないとしつつも、もともと全人類が持ち合わせていた能力ではないか、とも語っています。
「彼らの脳は他の人たちとは違う働き方をしている」
彼はこうした能力をかつては人類みなが持っていたが、記憶を保持し続ける必要に迫られなかったために失っていったのではないかと考えている。(p58)
わたしも彼と同じように思います。今日、発達障害とみなされている人たちに強烈な記憶力が時おり見られるのは、そのような能力が生きるために必要だった時代の名残として、遺伝的に脈々と受け継がれてきたからではないでしょうか。
かすかな音や匂いに敏感な能力
発達障害の当事者たちは、音や匂いへの過敏性を抱えていることが少なくありません。
たとえば、アスペルガー症候群やHSPの人たちは、子どものころから騒音に耳をふさぐことがよくあります。ADHDの人も聴覚が過敏で、すぐに気が散ったりイライラしたりすることがあります。
音に敏感だと、自動車が道路を走る騒音、電車がホームに入ってくる轟音、遊園地や映画館の音響など、あらゆる場面で苦痛を感じてしまい、日常がとても生きづらくなります。
この敏感さは、現代社会では、なかなか理解してもらえません。気にしすぎ、神経質、みんなが気にしていない音に文句を言うほうがおかしい、と言って、取り合ってもらえません。
しかし、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方 に書かれているように、騒音による健康被害を警告する科学的な研究は数多くあります。
ほとんどの人が気に留めないような、都会の一般的な騒音であっても、健康被害をもたらすレベルを越えています。
健康への影響はどれも深刻なものばかりだ。こうした研究結果がほとんど知られていないことに、わたしは心底驚いた。
それに、少なくともワシントンDCでは、航路が不動産価格にまったく影響を及ぼしていないように見えることも意外だった。
こうした論文を読んだあと、わたしは携帯電話にデジタル騒音計のアプリを入れた。家のなかや外を駆けまわって騒音を測っているわたしを見て、子どもたちはおもしろがっている。
こうして計測した結果は、高血圧の発症や学習の遅れなどに関する研究で引きあいにだされていた騒音レベルと同程度だった。(p127)
都市に住んでいる人たちは、健康被害を抱えかねないレベルの騒音に日常的にさらされているのに、慣れてしまって深刻さに気づかないだけなのです。
一方、失われた、自然を読む力によると、音に敏感であることが、生死に直結する文化もあります。
危険な捕食者のいる、世界の各地で会ったすべてのレンジャーは、危険を意味する鳥の鳴き声を知っている。
昔、密猟者は、「夜の悪党がすべきことと、怒ったカササギとカケスの笑いを読み取る方法」を学ばなければならなかった。(p232-233)
現代人のレンジャーや密猟者でさえ、動物の鳴き声に敏感になるのであれば、自然のただ中で生きていたかつての人たちはなおのこと敏感だったでしょう。
森の中では、周囲の危険を知る重要な手がかりは、音に耳をすますことです。特に鳥たちは、地上の人間が気づいていない脅威にもいち早く気づいて、警戒声を発します。
動物の鳴き声は、人間には気づくことができない、周囲のさまざまな状況を知る重要な手がかりになります。
アメリカの博物学者で、鳥の専門家のジョン・ヤングはそのことを見事に述べている。
「鳥は、われわれが使える、すぐ近くの風景の地図を実用的に描いている。ここが水、ここがベリー、ここに、寒い朝のためじっとしているキリギリスやバッタ、イナゴがいる」。
鳥の歌の中に含まれているのは、われわれの周りの信じられないほど多様な出来事への手がかりだとヤングは考えている。(p244) [※かぎかっこは引用時に追加]
森の中で、鳥をはじめとする野生動物の声を聞き分ける敏感さは、森で過ごす人にとっての必須能力でした。
いえ、聴覚だけでなく、視覚や嗅覚など、五感すべてが鋭敏でなければ、生き抜けませんでした。
たとえば、日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめには、カリフォルニア州の先住民族ヤヒ族についてのエピソードが載せられています。
悲しいことに、ヤヒ族は、白人たちによって虐殺され絶滅しましたが、最後の一人だったイシという男性が、彼らの文化について伝えてくれました。
ヤナ族は狩猟採集の民で、この方法で生き延びるには、獲物がこちらの存在を感知する前にこちらが獲物に気づいていなければならないことを、イシは口で説明したあと、新しい友人たちに実際にやってみせた。
視力も聴力も嗅覚も、最大限に効果的に活用する必要があるのだ。(p27-28)
小動物たった一匹でも、野生の生き物を捕らえるのは並大抵のことではありません。視覚や嗅覚はもちろん、森の生き物の動向を探るためには、あらゆる声を聞き理解する必要がありました。
現代では、そうした能力も知識もほとんど失われています。わたしたちは森に行っても、多様すぎる生き物の鳴き声を聞き分けることができません。
近年では、そうした音の音を、コンピュータによって分類して研究するプロジェクトもあると聞きました。
沖縄の森で捕まえた音から生物多様性が見えてくる:朝日新聞GLOBE+
でも、ホモ・サピエンスがまだ自然界のただ中で生活し、あらゆる生き物と共生して狩猟採集していたころは、機械の助けなどなくとも、それらすべてを聞き分け、理解することができたはずなのです。
かすかな音を聞き漏らさず聞き取ることが生死をわかつ時代の人々は、今のわたしたちよりもっと敏感な五感を持っていたに違いありません。
もし、そのような人を現代社会につれてきたらどうなってしまうでしょうか。
鋭い聴覚で耳を澄まそうものなら、絶え間ない騒音に圧倒されてしまいますし、鋭い嗅覚をオープンにしたら、化学物質などの匂いに悩まされてしまうでしょう。
現に、ヤヒ族の最後の一人だったイシは、サンフランシスコに着いてすぐ、生まれて始めて風邪を引き、体がボロボロになって、二年後に死にました。
現代の社会で不適応を起こす発達障害やHSPの人たちは、イシと似たような敏感さを持っているように思えてなりません。
そのような人たちは、ごみごみした都会ではなく、もっと静かな環境で、聴覚や嗅覚など、五感を最大限に活用する生活に向いているのではないでしょうか。
味にこだわる能力
発達障害の人たちは、好き嫌いが多く、偏食や摂食障害に陥ってしまうことも多いと言われています。
わたしも子どものころひどい偏食で、学校では放課後まで居残りさせられて、給食を無理やり食べさせられる毎日でした。偏食はほぼ治りましたが、いまだにそのころの後遺症で摂食障害があります。
偏食がひどくなる原因はいろいろあるでしょうが、ひとつは味覚の感覚過敏でしょう。
数年前、アスペルガー症候群による味の敏感さを生かして、コーヒーの焙煎士になった高校生のニュースがありました。
アスペルガー症候群:15歳、ぼくにしかできないことを – 毎日新聞
優れた味覚生かしコーヒー豆焙煎 発達障害の15歳が開店? : 上毛新聞ニュース
響さんは障害の影響で空間をつかむ力が弱く、黒板の字を書き写せなかったり、運動が苦手だったりした。学校の授業と部活動の両立ができず、中学1年の10月に不登校になった。
物心ついた頃から、同じ調味料でもメーカーの違いが分かるほど優れた味覚と嗅覚を持つ。両親に毎日出していたコーヒーに興味を持つようになり、中学2年の5月に知人から手回しの焙煎機をもらった。
一つのことに熱中する性格で、市内の伊東屋珈琲のロースター、古谷哲成さんらとも意見を交わし、焙煎する時間と温度でコーヒーの味がどう変わるのかを研究した。
「同じ調味料でもメーカーの違いが分かるほど優れた味覚と嗅覚」は、アスペルガー症候群の生きづらさと表裏一体です。
感覚が優れているぶん、過敏に反応してしまうリスクがあります。しかし、感覚の鋭さを活かした仕事を見つけられれば才能になります。
では、このような味覚の鋭さは、「障害」の一面なのでしょうか。ここでもやはり失われた、自然を読む力から、各地の民族たちの暮らしに注目してみましょう。たとえばサハラ砂漠の遊牧民であるトゥアレグ族です。
人類学者の友人アン・ベスト博士は、マリのティンブクトゥの北で、トゥアレグ族と過ごしたときの話を最近してくれた。
トゥアレグ族に道の見つけ方を尋ねると、それは砂の味だった。
そこは塩の多くとれる地域で、今日まで金と交換されている。砂の中の塩と鉄の濃度は様々で、その砂の味によって、トゥアレグ族は地域がわかる。(p353)
また、日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめによると、探検家のアレクサンダー・フォン・フンボルトが出会った先住民族も、味を重要な手がかりとして用いていました。
フンボルトが出
会った先住民は、噛んでみることで木の種類を判別した。 これは先
住民の味覚が研ぎすまされていることと、彼らの生活を支えている 森との関係がとても近しいことの両方を物語る事例だろう。( p42)
砂や木はソースで味付けされているわけではありません。ちょっとした味にも敏感でなければ、違いがわからないでしょう。
いちばん強烈なエピソードは、ナチュラル・ナビゲーション: 道具を使わずに旅をする方法 に出てきたこの話です。
海にまつわる民間伝承を採集して本にまとめた民俗学者のホレース・ベックは、水深を測る船の錘(レッド)を舐めてみただけでどの海域にいるかを言い当てられるという評判の老水夫の話を記録している。
ある霧の深い日、船の仲間たちが老水夫を引っかけてやろうと、老人が見ていない隙にレッドに鶏の糞をなすりつけて彼に渡した。
老水夫はレッドをまじまじと見つめ、次に臭いを嗅ぎ、しまいにとうとう舐めてみた。老水夫はひどく興奮した様子で叫びだした。
「舵をとれ、みんな、舵をとれ。えらいことだ。レッドによればおれたちはいま、スミス島のマーフィーさんちの鶏小屋の中にいるってことになっちまったる!」(p41)
匂いと味だけで、海の海域ばかりか鶏の出どころまで突き止めてしまったのです! この老水夫なら、コーヒーや紅茶を味見しただけで、その産地や品質を言い当てられたでしょう。
こうした一級品の味覚や嗅覚をもつ人たちにとっては、現代のスーパーで売られている食品の味付けは強烈すぎるかもしれません。給食や市販の加工品の味付けはまったく受け付けず、偏食になってしまうかもしれません。
わたしの知り合いの、山菜好きのあるおばあちゃんは、山の中で採れたウドやギョウジャニンニクは大好きなのに、畑で栽培されたものは味が違うと言って食べようとしないそうです。
もしかしたら、敏感な味覚が、異質さを感じ取ってしまい「本物ではない」と訴えるのでしょうか。それとも単に好みの問題でしょうか。
確かなのは、味に対する敏感さが生死をわける時代があったということです。その敏感さが、今日の一部の人たちにも受け継がれているとしても、不思議ではないでしょう。
自然とコミュニケーションする能力
ここまで書いてきた五感の敏感さは、別の言葉に言い換えることもできます。
それらは、「自然とコミュニケーションする能力」なのです。
ドイツの教育家イングリッド・ミクリッツの著した森の幼稚園 ドイツに学ぶ森と自然が育む教育と実務の指南書によると、現代社会の人たちは、このようなコミュニケーション能力を失ってしまいました。
多くを自然の中で、そして自然と共に暮らしている社会では、いまだ自然の音や響きを模倣することができ、コミュニケーションをとることができる。
この能力を私たちは失ってしまった。(p116)
自然界の繊細な声は、静寂の中でしか聞き取れません。
自然界とコミュニケーションするには、心を落ち着けて、五感をそばだてて、全感覚を集中させる必要があります。
つまり、敏感な人でなければならないのです。
絶え間ない喧騒と情報の波に呑まれた現代社会の人たちは、この能力を失ってしまっています。
喧騒は麻痺させてしまう。
静寂はそれが生み出す、創造的かつ生産的な思考、体験、知覚と結びついた自己認識をさらなる可能性へと導く。
そこには重要な体験が含まれる。「私は対話的な生き物である、私には対話をする内なる声がある」という体験である。
つまり、私たちは、子どもたちに静寂をわずかしか体験させず、重要な知覚の機会を与えずにいる。
その機会は、哲学的、そして(あるいは)、敬虔な思考や感情、つまり、宗教上の教えを理解し、体験するための手がかりとなるものである。(p116)
古代の人々は、全感覚を使って自然と「対話」していました。その人たちは自然の声を聞き、動物と交信し、深い敬意を抱きました。
風の音、森のささやきに耳を傾け、天空の壮大な風景が日々移り変わり、季節が刻一刻とうつろうさまを目にしていた古代の人たちは、自然界の背後に何か(サムシング・グレート)がいる、と考えました。
現代社会の“文明人”は、こうした能力を失いました。より理性的になったから、論理的になったから、スピリチュアルな概念を放棄し、科学的に思考するようになったのだ、といえば聞こえはいいかもしれません。
しかし、日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめに書かれているように、この変化は、文明人が自然とコミュニケーションする能力を失ったせいだとみなすこともできます。
アメリカの天文考古学者アンソニー・アヴェニは、現代人と古代人が、大きく異なるところのひとつが、われわれはもう太古の人々のようには空と交感しないことだと指摘している。
現代人は星座の名前には精通しているし、火星や金星を表彰した古代神話の神々がいたことも知ってはいるものの、空のそういう側面と付き合おうとする人はもはやいない。
科学者はかつてないほど、空に関して理解している。夜の空も、昼の空も。
だが彼らははたして、古代の人々が知っていたように、親しく空を知っているだろうか。ここは大いに議論のしがいがありそうだ。(p146)
現代の文明人は、自然界を科学的知識として「知る」ことにかけては優秀です。しかし、自然界と友人のようにして「親しむ」能力は失ってきました。
「知る」ことと「親しむ」ことは同じではありません。
たとえば、医学や生理学を研究すれば、人間の身体の仕組みを知識として「知る」ことはできます。
しかしだれかと「親しむ」にはそんな知識は役に立たず、円滑なコミュニケーションの能力が必要になります。
人体の知識は詳しくても、コミュニケーション能力が壊滅的に欠けている医者は大勢いるでしょう。
自然界に対してもそれは当てはまります。現代人の多くは、学校で自然界について「知る」かもしれませんが、「親しむ」ことはできていません。
言い換えれば、都会人の多くが自然界に対するコミュニケーション障害を負っています。
一方、とても敏感な感覚を持っている有名なアスペルガー女性のテンプル・グランディンは、動物たちの感情を読み取る能力に長けていました。
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)で彼女はこう語っています。
テンプルがひざまずいて草を差し出すと、雌牛がやってきてその草を食べ、彼女の手に柔らかな鼻面を押しつけた。テンプルの顔に穏やかな幸せそうな表情が浮かんだ。
「いま、とてもくつろいでいます。家畜と一緒にいるときは、理性的に認識する必要がまったくありません。雌牛が何を感じているか、わかるのです」
家畜のほうでも彼女の安らかさ、信頼を察知して、その手から餌をもらうらしかった。彼らは私には寄ってこなかった。
たぶん、大半を文化的なしきたりと信号の世界で暮らし、言葉のない大きな動物にどう対していいかわからない都会人が不安なのだろう。
「人間が相手だとちがいます」テンプルはそう言って、火星の人類学者のような気がするという言葉をくりかえした。
「そこの住民を調査して、理解しようという感じです。でも、動物ならそんな感じはしません」(p337)
このエピソードから、とても奇妙なパラドックスが浮かび上がります。
アスペルガーの人たちは、コミュニケーションに問題を抱えている、と言われがちです。
ところが、動物たちと円滑にコミュニケーションしていたのはアスペルガーのテンプルのほうだったのです。
かえって、円滑なコミュニケーションに秀でた「都会人」は、「言葉のない大きな動物にどう対していいかわからない」コミュニケーション障害に陥っていました。
このことは、以前に書いたろう者の話ともよく似ています。
一般社会ではろう者はコミュニケーション障害を抱えているとみなされます。
しかしろう者の手話コミニュティの中では健聴者のほうが言葉の不自由な「手話障害者」になってしまうのです。
ということは、発達障害の人はコミュニケーションの障害を抱えている、という見方もまた相対的なのです。
定型発達と呼ばれる、都市生活に特化した人は、学校や会社における、多数の人間とコミュニケーションする能力は高いかもしれません。
そのような環境では、アスペルガー、ADHD、HSPなどの人たちは不適応を起こし、コミュニケーションに障害がある、とみなされます。
ところが、自然界の中で暮らすことになれば形勢が逆転します。
感覚が敏感で、自然界の繊細な言葉を理解できる人たちは、自然や生き物の声を聞くことができます。言葉によらず、感覚を通して、自然界とコミュニケーションできます。
それに対して、都会で「大半を文化的なしきたりと信号の世界で暮らし」てきた人たちは、それができません。自然界の中では、定型発達者のほうが“コミュ障”に陥ってしまうのです。
人類の大多数が、自然に対するコミュニケーション障害を抱え、自然界への敬意を失った結果、どんな問題が人類社会にもたらされてきたでしょうか。
その答えは、森の幼稚園 ドイツに学ぶ森と自然が育む教育と実務の指南書に書かれている先住民族ネイティブ・アメリカンの首長の言葉からわかります。
ネイティブ・アメリカンは、自然に対し特別な関係を持っていた。
首長ルーサー・スタンディング・ベア(Chief Luther Standing Bear)は、なぜ白人だけが、自然や彼らの資源に敬意を示さず破滅的に扱うのか、理解することができなかった。
教育においては、生存していくために必要な自然に関する実用的な情報と並んで、感情的かつ情緒的な関係形成を促す、あらゆるネイティブ・アメリカンの文化が重要であった。
「年老いたダコタたちは賢明であった。彼らは、自然と疎遠になった人の心がかたくなになることを知っていた。
彼らは、命あるすべてのものへの畏敬の念が不足していき、すぐに人々への畏敬の念もなくなっていくことを知っていた。
それゆえに、若い人々の気持ちを繊細にさせる自然の影響力が、彼らの教育の重要な要素の一つであった。」(Standing Bear in:Reicheis & Bydlinski,1985年)(p89-90)
人類の大多数が「繊細」さを失い、自然に対するコミュニケーション障害に陥った結果、いま地球がどんな状態になってしまっているか、わたしたちはみな、よく知っているはずです。
自分の内なる時計に従う能力
発達障害の中でも、ADHDの人たちは、時間を守れないことで知られています。わたしもそうでしたが、遅刻の常習犯で、どれだけ努力しても失敗しがちです。
このことについては、ADHDやディスレクシアの人は時間の認知そのものが異なっている、という科学的な研究結果があります。
しかしながら、これもまた、時間知覚の「障害」とみなせるかどうかは、疑問をさしはさむ余地があります。
日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめには、ローマの劇作家プラウトゥスによる、こんな考えさせられる詩が載っていました。
神々は幻惑する、最初に時間を見つけた人間を
時間をいかに区切るか初めて発見した者を!そしてまた悩ませる。
この地に日時計をすえつけた者も、
一日をさんざんに切り刻み 小さな塊にしてしまう。
子どもだった時分には腹が日時計だった。
何より確実で、信頼がおけ、どんな日時計よりも正確に。(p301)
この詩が言わんとしているのは、人工的な時計と、わたしたちの体の時計(腹時計)の対比です。腹時計という表現は、睡眠の研究では科学的な概念としても扱われています。
これはつまり、わたしたちは二種類の時計、二種類の時間を持っているということです。
ひとつは、協定世界時に基づく、社会的な外なる時計。もうひとつは、自分の体の概日リズムに基づく、内なる生物学的な時計の二種類です。そして、この両方に同時に従うことはできません。
社会的な人工の時計に従うとすれば、まだ眠いときに目覚まし時計で起きて出勤し、たいしてお腹がすいていなくても決まった時刻に食事をし、夜は明日の予定に備えて無理にでも寝る必要が生じます。
一方、生物学的な時計に従うなら、おのずと目が覚めたときに動き出し、腹が減ったときに食事をし、眠くなければ夜更かしして星を眺め、眠たくなったら眠ります。
自然界の中で、社会的な時計に従って生活する動物は人間だけです。ほかの動物たちはみな、生物学的な腹時計に従い、自分の体の欲求に合わせて暮らしています。
わたしたちは…毎日の生活の一分一秒をも使いつくすような仕事を創造して、動物王国のほかの住人と自分たちとを差別化している。
時間の皮肉の最たるものは、古代の人たちには立ち止まって偉大な天空時計を眺める時間があったのに、現代のわれわれは忙しすぎて、いたって精密なデジタル時計も、大急ぎで走りまわる合間に、ちらりと見るくらいしかできないことだろう。(p301)
ということは、ADHDの人たちが時間にルーズだという見方は、あくまで社会的な時計に合わせられないという、人間社会を基準とした見解にすぎないわけです。
もし生物学的な時計を基準にすれば、ADHDの人たちのほうがむしろ、自分の体に声に忠実で、生物学的な時間をよく守っていることになるかもしれません。
かえって社会的な時計に従っている大多数の人たちこそ、体の時間を無視しており、生物学的には遅刻の常習犯ともいえるわけです。
わたしたち人類は今でこそ、大多数が社会的な人工の時計に従って生活しています。しかし、動物たちと暮らしていたころは、当然、腹時計に従うことのほうが多かったはずです。
この本には、次のような、的を射たアフリカのことわざが引用されています。
白人は時計を持っているが、アフリカ人は時間を持っている。(p301)
古代のさまざまな民族の中に、現代のわたしたちほど厳密に時間を守っていた人はいませんでした。もしそうした人たちが現代文化に来たら、時間を守らないと叱責されるでしょう。
ではその人たちは、時間感覚の「障害」や「欠陥」を持っているのでしょうか。もしそうだとしたら、すべての動物を障害者だと断罪しなければならなくなります。
現代のホモ・サピエンスは、すっかり生物学的な時計に従わなくなってしまいましたが、中には「動物王国のほかの住人」の感覚に近く、「偉大な天空時計を眺める」生き方に遺伝的適性がある人が間違いなくいることでしょう。
現代社会でADHDとみなされているのは、まさにそうした人ではないでしょうか。
孤独を苦にしない能力
現代社会では、大勢の人とのやりとりが苦手で、クラスや職場で浮いてしまうような人は、すぐに「コミュ障」扱いされます。
確かに、わたしたちホモ・サピエンスをはじめ、あらゆる動物は一匹では生きていけません。他の個体とコミュニケーションすることは必須です。
しかし、ここまで人口密度の多い世界で、人に揉まれて、ひっきりなしにコミュニケーションを求められて生活するというのは、都市生活が一般的になった以降の現象です。
一人で遊ぶ子どもは、コミュニケーションが苦手だとか変わっているとは思われがちです。しかしドイツの森の幼稚園 のプロジェクトによれば、子どもたちが時に一人で遊ぶのは健全なことです。
本来、子どもたちは、一人遊びの際に、とてもよく集中することができる。
つまり、ねばり強さと注意力を持って、私たち大人をしばしば驚かすような、たくさんの忍耐力を要求される物事や仕事に没頭することができるのである。
…自然環境には、研究し発見することが山ほどある。そして、森の子どもは、他の子どもたちを呼び寄せる前に、しばしば一人きりで、幾多もの発見を楽しむのである。(p187)
前に書いたように、ピーターラビットの作家のビアトリクス・ポターはそんな子どもでした。
現代社会では、「一人でいたい」と感じる人が変人扱いされるかもしれませんが、歴史上、ずっとそうだったわけではありません。
日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめに書かれているように、過去の探検家や民族は、一人でいても孤独ではありませんでした。
孤独であることと寂しいこととは大きく違う。19世紀の作家チャールズ・キングスレーも、ひとりで小旅行をして淋しいと感じたことはないという。ミツバチや花や小石が道連れだった。
人類学者のリチャード・ネルソンは、アラスカ中部の先住民コユコン族の人々にキングスレーと同様の考え方を発見している。
コユコンの人々は、自然界はどんなに荒々しくとも、自分たちの存在に気づいていて、見守ってくれると考えていた。
森は生きていて感情もあるのだから、人々を守ってくれるぶん、尊重しなければならないというのだ。(p324)
大勢で寄り集まって過ごす生活を嫌い、一人ないしは少人数で過ごすことを好む人は、歴史上、いつの時代もいたようです。この本によると、そうした人がいたからこそ、新世界が開拓されてきたともされています。
パイオニアの多くは、性格的にどこかしら不器用だ。たぶん大勢のなかにいてもちっとも居心地悪く感じない人間には、わざわざそこから離れて何百マイルも出かけていく必要がないのだろう。
都会人は「相手を打ち負かせないなら仲間にしてしまえ」をモットーにするかもしれないが、だとすれば単独行の旅人のモットーはさしずめ、「相手の気持ちが推し量れないなら、捨てておけ」というところだろうか。(p325)
わたしたちが住む現代は、かつてなく、集団的居住が普遍的になった時代です。人々は都市に寄り集まり、集団で養い合わなければ、生きていけなくなってしまいました。
都市に住む人たちは、自分で狩猟採集できません。他人が作った食材や、加工された食品を買わなければ生きていけません。電気、ガス、水道といったインフラがなければ生活できません。だからどうしても集団で生きるしかありません。
けれども、人類は常にそうだったわけではありません。野生動物がたった一匹で食料を見つけて生き延びるように、自然と共生していた民族たちは、自分一人だけになっても、生き延びるすべを知っていました。
クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)の中で、アイヌの狩猟文化を受け継いだ最後の人だった姉崎さんは、たった一人でも、山の中で生き延びることができたと述べていました。
こんなことを繰り返して山を覚えてしまうと、あとは山のどこでも泊まれるという自信がつきました。心配ないんだと。
食料は、何もなかったら、塩を持って歩けば、当時はエゾライチョウでも何でもいるから捕れたものを食べてでも大丈夫だっていう頭があるから。
いくら暗くても平気で、歩けるあいだ歩いて、そして寝るところをつくって山のどこででも寝た。だから山を覚えたら、私自身は野生の動物となんにも変わりがなくなったんですよ。(p43)
これはたくましい男性だからこそできたことでしょうか。そうともいえません。
日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめによると、キリスト教の聖職者たちがサンニコラス島の先住民族を強引に移住させたとき、唯一島に取り残された女性が18年もたった一人で生き延びていたという話がありました。
この出来事は青いイルカの島 (理論社名作の森) という本の題材になっています。
皮肉なことに、良かれと思って本土に移住させられた先住民は彼女が発見されるより前に死に絶え、彼女も「救出」されて数カ月後に亡くなったそうです。(p316)
現代人にとっては、大都市で集団で固まって生きるのが常識であり、それ以外の生き方は考えられません。だから、都市で集団で暮らす生活が優れていると考えがちです。
しかし人類史上ずっとそうだったわけではなく、一人でいることを孤独とは感じない人たちや、一人でも自然界が見守ってくれていると教える文化があったことは事実です。
そのころの気質を受け継ぎ、現代社会の大人数での集団的な都市生活が肌に合わず、もっと少人数で、あるいは一人で生きていたいと感じる人たちがいるとしても不思議ではありません。
芸術家に向いている能力
発達障害やHSPの人たちの敏感さが生かされることが多い分野のひとつは、芸術の世界でしょう。
このブログで何度も扱ってきたように、芸術的創造性を示した歴史上の人物の中には、現代なら発達障害やHSPと診断されただろう人が極めて多くいます。
ゴッホやピカソはアスペルガー症候群やADHDらしい性格特性を持っていました。
アスペルガー症候群らしい芸術家は少なからずいます。
レオナルド・ダ・ヴィンチのような、多方面にわたって異例なほど創造的な人は、発達障害の枠組みで説明するより、HSPやHSSという概念から考えたほうがよいかもしれません。
もっとも、発達障害とHSPの研究はオーバーラップしているので、彼らが「アスペルガー」だったのか、「ADHD」だったのか、「HSP」だったのか、という区別は意味をなさないと、今では考えています。人間をステレオタイプに分類するのは不可能です。
そうではなく、芸術家たちの多くが、今日の基準に照らしてアウトサイダーだったということ、言い換えれば、定型アンモナイトではなく、異常巻アンモナイトのような型破りな人たちだった、ということが重要です。
この記事では、発達障害の当事者と各地の先住民族や遊牧民族の感覚特性が似ていることに注目してきましたが、面白いことに、失われた、自然を読む力 によると、芸術家も似たような感覚特性を持っています。
実は、目立たないランドマークの特徴に注意を向ける時間を割くのは、身につけるのに努力を要する習慣だ。
それが当たり前になっているのは、いっしょに歩いたことのある人たちの中では、3つのグループだけだった。それは芸術家と経験豊かな軍人、先住民だ。(p17)
周囲の物事に対する感覚が鋭いという性質は、芸術家、経験豊かな軍人(つまり感覚が鋭くないと生死に関わる職業)、そして先住民族に共通していたのです。
ということは、発達障害の人たちは、先住民族に似ていると同時に、芸術家にも向いているかもしれない、ということになるでしょう。
一例として、両眼視能力について考えてみましょう。
先ほど引用したニュースで、コーヒーの焙煎士になったアスペルガー症候群の少年について、「障害の影響で空間をつかむ力が弱く、黒板の字を書き写せなかったり、運動が苦手だったりした」という一文がありました。
以前の記事で書いたように、空間把握の難しさは、ひとつには両眼視機能の弱さにあると思われます。
発達障害の人は、両目を協調運動させて立体感を読み取る能力が弱いことが多く、学習障害やディスレクシアの隠れた原因であるとされていました。
しかしながら、この立体視能力の弱さを、本当に「障害の影響」と言い切ってよいのかどうかはわかりません。
脳神経科医オリヴァー・サックスは、心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界の中で、鬱蒼としたジャングルに適応した民族は、空間把握能力に欠けている場合があると、書いていました。
遠点までの距離が二メートル前後しかないほど鬱蒼とした森林に住んでいる人々の話を聞いたことがある。
彼らは森から連れ出されると、1メートル以上の空間や距離の概念もほとんどないので、遠くの山頂に手を伸ばして触ろうとするそうだ。(p141)
先住民族たちの中には、生まれ育った環境のせいで、奥行き知覚をほとんど持たない人たちがいることがわかります。
このような人たちにとって、立体視力や空間把握能力を持たないこと、言い換えれば平面的な視覚認知に特化していることは、欠陥ではなく、何らかのメリットを生んでいると考えられます。
そのメリットが何なのか、今のわたしにはよくわかりません。ひとつ興味深い点を挙げるとすれば、この立体視覚の有無が、部屋を片付ける能力と関係しているらしいという以前の記事です。
その記事では、立体視力が弱く、空間把握能力の低い人は「物が多くひしめき合っている空間でも、奥行きのない見かけだけを意識するなら、狭さを感じない」ため、散らかっていても苦痛に感じないということに触れました。
ジャングルはまさしく物がひしめき合っている空間です。だとしたら、立体視力を持たないおかげで、脳が情報量に圧倒されないといったメリットが生まれるのでしょうか。
確かな理由はわかりませんが、何かしらのメリットがあるがために、あえて空間把握能力が弱い傾向が、一部の現代人に受け継がれていたとしても驚くにはあたらないでしょう。
立体視力の弱さがもたらす、思わぬメリットのひとつは、二次元的な芸術、たとえば写真や絵を創作しやすくなることです。
平面に三次元の幻影をつくりだそうとする写真家や映画カメラマンは、よりよい構図で画像を構成するために、意図的に自分の両眼視と立体視を捨てて、視界を片目と一枚のレンズに抑制する必要がある。
2004年、ハーバード大学の神経生物学者、マーガレット・リヴィングストンとベヴィル・コンウェイは、《ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン》誌への投稿で、レンブラントの自画像を調べた結果、この画家は外斜視がひどくて立体視覚がなかったが、「一部の画家にとって、立体視ができないことは障害ではない―そして財産でさえある―かもしれない」と提唱した。
その後、ほかの芸術家の写真を検討して、デ・クーニング、ジョーンズ、ステラ、ピカソ、コールダー、シャガール、ホッパー、ホーマーなど、やはり重度の斜視で、おそらく立体視障害があった人がかなりいるようだと述べている。(p168)
これらの名だたる芸術家たちは、立体視や空間把握能力が優れていたからではなく、逆にそれらの能力に欠けていたことが役立って、二次元的な創作の分野において成功できたのです。
ルネサンス期から現代に至るまで、平面的な創作能力が高いがために、著名になった人はかなりの程度いるでしょう。
前に学習障害について扱った記事でも書いたように、イギリスのあるデザイン関係の学校では、生徒の六割はディスレクシアなどの特性を持っている、というエピソードもありました。
この例に限らず、先住民族が持つような感覚特性が、現代では芸術や創作に役立つという例は、少なくないように思われます。
先住民族のように、周囲の世界に敏感で、細かい違いに目ざとい人は、現代社会では生きづらいでしょう。しかしそうした感受性がなければ、芸術の世界で成功することなどできないのです。
「環境への無限の適応や多様な形態」
ここまで見てきたように、今日、発達障害の「症状」とみなされて、異常扱いされているさまざまな特性は、過去の別の文化のもとでは、生き残るために必須の能力だった可能性があります。
異常巻アンモナイトが奇形とみなされていたのと同じく、そうした特性も障害扱いされてきましたが、実際には別の環境に適応して発達した能力であり、多様性の一種であると思えます。
今日、発達障害のさまざまな過敏性が注目されています。
日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめによると、生物学者チャールズ・ダーウィンは、先住民族たちにそうした鋭い五感を見て取りました。
ダーウィンは、南アメリカ最南端のティエラデルフエゴ島の人々が、外来者の身振りを熱心に観察し、完璧に模倣することに気づいた。
「島人たちは誰もがみな、たぐいまれなほどに、この模倣の力を備えているようであった。
聞いたところでは、アフリカのカフィール族も、オーストラリア先住民も同様に、昔から歩きぶりを真似してみせてその当人が誰かをわからせることで名を馳せていたらしい。
このような能力をどう説明したらいいのだろうか。未開の者たちが総じておかれている状況、文明化して長いわれわれと違って、五官を研ぎすまして外界を認知する習慣から生じた観察力なのであろうか」。(p223) [※かぎかっこは引用時に追加]
ダーウィンは、先住民族たちの鋭い模倣能力に驚きました。
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF) によれば、このような優れた模倣能力も、発達障害の人に見られることがあります。
自閉症の芸術家スティーヴン・ウィルシャーは子どものころ「ものまねがあきれるほど上手」でしたし(p254)、ADHDに合併しやすいトゥレット症候群では、「変わった単語や文章、発音、イントネーションなどもすぐに真似してしまう」チックがあります。(p131)
ダーウィンはこのような模倣能力は、「五官を研ぎすまして外界を認知する習慣」によるものだと考えました。
そして、「文明化して長いわれわれと違って」「未開の者たちが総じておかれている状況」によって、このような感性が残っているのだろうと書きました。
しかし、日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめでは、ダーウィンが先住民族を未開人として扱ったのは、現代の視点からすると時代遅れだと指摘されていました。
ダーウィンは模倣そのものには心を動かされなかったが、それがつまるところ身振り言語に対する鋭い感受性のなせるわざであることは認めていた。
「五官を研ぎすまして外界を認知する習慣」が未開の状態であるとするダーウィンや、彼を輩出した文化は、現代の視点からはいささか逆行して感じられる。(p224)
ダーウィンの時代、ある人種が他の人種より優れているとする優生学が幅を利かせていました。ダーウィンが提唱した進化論も、その裏付けとして利用されました。
進化論は、その語感から、劣ったものがより優れたものへと進歩していく、といった印象を持たれがちです。
それが事実であれば、過去の先住民族より、現代人のほうがより優れた「進化」を遂げているということになります。
また、現代社会の中で、過去の鋭い感覚の名残を受け継いでいる人たちは役に立たない痕跡器官のようなものを持つ劣等者だということにもなってしまいます。
しかし、これは生物学的な事実に即した考え方ではありません。オリヴァー・サックスは、色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)の中で、こう説明しています。
私たちは、シダ類の時代に続いて裸子植物の時代が、それに続いて現在の顕花植物の時代が来たように考え、より古い生物形態がもはや存在しないかのように捉えている。
しかし、たとえ多くの古い種が新しい種に取って代わられたとしても、中には環境に適応した形をとってうまく生き延びている種もあるのだ。
たとえば、多雨林から砂漠までのあらゆゆる場所に生えているシダや裸子植物のように。
結局、私たちが生きているのはバクテリアの時代であり、その時代はここ30億年続いているのである。
進化あるいは発展についての結論を導くために、それがウマであろうがヒトであろうが、たった一本の系統を研究しても無意味であるということをグールドは示している。
地上のあらゆる生命、あらゆる種を視野に入れて初めて、自然を特徴づけるのは進化ではなく、むしろ環境への無限の適応や多様な形態などであり、そのいずれが「高等」あるいは「下等」と分類することはできないことが分かるのだ。(p349)
「自然を特徴づけるのは進化ではなく、むしろ環境への無限の適応や多様な形態」なのです。
生物が「下等」から「高等」へと進化するのであれば、シダ植物は種子植物より下等である、ということになります。
しかし実際にはそうではなく、両者は異なる環境に適応した種で、そこに優劣はありません。
同様に、過去の先住民族の感覚特性が「下等」で、現代の文明人の感覚特性が「高等」だというわけではありません。
先住民族はおもに自然界の中の環境に特化して適応しました。一方、現代人は都市という21世紀の居住環境に特化して適応している、というだけです。そこに優劣はありません。
これは言い換えれば、先住民族のような感覚特性を持ったADHDやアスペルガー、HSPの人たちと、現代社会に適応した神経系を持つ定型発達と呼ばれている人たちとの間に、優劣はない、という意味でもあります。
ADHDやアスペルガー、HSPの人たちは、少し異なる神経特性をもつがために、障害扱いされ、劣等者とみなされることがありますが、それは間違っています。
はじめは奇形だとみなされていた異常巻アンモナイトが、じつは多様な環境に適応した種類だったのと同じように、今日発達障害とみなされてきた人たちも、異なる環境に適応した神経系を持っているだけなのです。
確かに「発達障害」と呼ばれる症状の原因には様々なものがあります。正常な発達を妨げるような有害な原因を取り除いたり、病的な症状を治療したりする必要も、もちろんあります。
たとえば、過去記事で扱ったように、幼少期のトラウマが発達障害様の症状を引き起こすこともあります。これも一種の環境への適応として解釈できますが、だからといって、予防や治療が必要ない、ということには決してなりません。
発達障害が腸内の微生物群集(マイクロバイオーム)の異常によって引き起こされているという研究もあります。そのような問題を取り除こうとする研究を否定するつもりはまったくありません。
わたしがこの記事で念頭に置いたのは、近年の過熱する発達障害ブームにおいて、決して異常とはいえない神経特性までもが、病気や障害とみなされてしまっていることです。
ただ現代社会の環境に適応できないというだけで、障害者としてのレッテルを貼られ、異常扱いされている子どもや若者があまりに多すぎます。
そうした人たちにとって、この記事で紹介したような知識が役立てばと思います。
たとえ社会の大多数と異なった神経系を持っているとしても、必ずしも障害を持っているわけではありません。
それは人類が様々な環境を生き抜いてきた証として発達してきた多様な能力かもしれません。
もしその特性が「障害」ではなく「多様性」なのだとすれば、必ず生かせる世界がどこかにあるはずです。
祖先の誰かにとって役に立ったからこそ、その能力があなたに遺伝的に受け継がれてきたのであれば、あなたもその能力を生かすことができます。
途中で出てきたアスペルガー症候群の高校生のように、感覚が敏感だからこそできる仕事があるかもしれません。
都会ではどうしても不適応を起こす人でも、かつての人類が共生していた自然豊かな環境のもとでは、もっと輝けるかもしれません。
それは、森の幼稚園 ドイツに学ぶ森と自然が育む教育と実務の指南書に引用されている、ドイツの作家、教育学者、哲学者、そして芸術家であった フーゴ・キューケルハウスの次の言葉から明らかではないでしょうか。
想像してみよう。私たちがまっすぐ平らで障害物のないコンクリートの道を、何キロか行かなければならないと。
道のりの最後には、私たちはぐったりしていることだろう。森の中をハイキングするのとはどれほど違うことだろう!
そこにあるのは、くねくねした小道ばかりだ。がむしゃらに進むだろう。木の根っこ、苔、深い藪、小川。光は薄暗い。
耳を、そして目を、見開いていなければいけない。鼻もきかせなければいけない。すると、森の薬草や森の土の匂いがしてくる。変な匂いがあちらこちらからしてくる。
鳥の鳴き声、道のりの果てには、私たちは新鮮な気持ちになっていて、まるで新しく生まれ変わったかのようだ。
何が起こったのだろう?
森の中では肉体、精神、そしてすべての感覚を力の限り使い尽くす。あちらこちらに、小さな障害物につながる冒険がいくつも。
危険のないコンクリートの道の上に、私の気分をそそるものは何もなかった。乗り越えるものは何もなかった。私は、いってみれば、まったく用のない人間だった。
それこそが私たちを駄目にしてしまう。私たちの能力を発揮できなくする。冒険がないところに利益はない。遊びがないところに、人生はない。
Hugo Kükelhaus(1900-1084)
現代社会で「まったく用のない人間」「駄目」な人間とみなされているのは、まさにこのような生き方に向いた子どもたちなのです。
現代社会で、絶え間ない騒音、まぶしすぎる人工光、化学物質に異臭に悩まされているのは、「木の根っこ、苔、深い藪、小川。光は薄暗い」場所に適応し、「森の薬草や森の土の匂いがしてくる」生活に馴染んだ神経系を持つ子どもたちではないでしょうか。
コンクリートやアスファルトで舗装された道路ではなく、「耳を、そして目を、見開いていなければいけない。鼻もきかせなければいけない」ような場所に適応した、「すべての感覚を力の限り使い尽くす」敏感な子どもたちです。
あらゆる生物種の中で人間だけ、あるいは人間社会だけに目を向ける、精神医学や心理学の狭い観点にとらわれないでください。わたしたちが動物であり、自然界と共に生きてきたという、生物学や生態学の視点を取り入れてください。
コケも、地衣類も、アンモナイトも、シダ植物や種子植物も、自然界のあらゆる動植物は、生物が、この広い世界のさまざまな環境に適応して発達してきたということを教えてくれます。
たとえある限られた環境で不適応を起こすとしても、もっと別の環境、もっと広い世界に目を向ければ、自分にふさわしい居場所をきっと発見できる、ということを教えてくれているのです。