いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。最近、こちらのブログの更新が滞っていますが、近況や創作などはスケッチブックのほうで更新しています。
このブログは、プロフィールに書いたように、学生時代以来悩まされてきた得体のしれない病気を何とかしたいという一心で始めました。
わたしは後天性の失読症ぎみだった時期があり、今も本を読むのは苦手です。それなのに、たくさん調査を重ねてきたのは、ひとえに自分の抱えている苦痛の正体を知りたい、できることなら少しでも元気になりたいという気持ちゆえでした。
幸い、徹底的な調査のかいあって、この1、2年の間に、状況は大きく好転しました。経緯は過去の色々な記事(最も詳しくはMy Life History、簡単にはなぜ道北に~の記事など)で書いたので省きますが、今ではとても穏やかな暮らしをしています。
もちろん、わたしにとって解決策となったことが、他の人にそっくりそのまま当てはまるわけではないと思います。
わたしの場合、最終的には環境を変えたことが復調のきっかけになりましたが、それだけが奏功したとは思っていません。
長年にわたる調査で知識を取り入れたこと、セラピーに取り組んで感覚の使い方を変えたこと、その上で環境を変えて、新しい環境を有効に活用できたこと、このすべてが関係しています。
プロフィールにも書いたことですが、人は一人ひとり違うので、各人がよく調査して、自分に適した解決策を見いだす必要があると考えています。
幸いにも、わたしは、回り道をしながらも答えにたどり着き、環境や体調を大きく変えることに成功しました。しかしその結果、このブログの記事を書くのが難しくなってきました。
わたしは、トラウマや解離といった人間の本質に迫る分野の研究や考察が好きです。人間の脳の不思議に魅せられていたので、オリヴァー・サックスの著書の数々にも感銘を受けました。
でも、わたしはサックスと違って、専門家でも研究者でもありません。大学や研究機関に所属しているわけでもありません。これまで記事を書けたのは、単に自分が当事者だったからにすぎません。
オリヴァー・サックスはしばしば、神経科学の未知の分野を、“地図に載っていない国”に例えました。たとえば、妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)ではこう書いています。
この本の患者たちは、想像もできない国を旅した人たちだった。そんなふしぎな国があろうとは、もし彼らが教えてくれなかったら、われわれには想像できなかったし、思いつくことさえできなかっただろう。(p13)
わたしは、いわば地図にない不思議な国の現地リポーターでした。たまたま、その国の中に住んでいたから、さまざまな考察ができただけです。
長年抱えていた症状が和らぎ、当事者としての実感が薄れてしまった今、わたしに以前のような考察はもうできないと思います。今のわたしはもう、地図にない国の住人とはいえません。
もとより、まったく症状が消え去ったわけではありません。時おり揺り戻しを経験しますし、以前と同じ環境に置かれたら、同じ苦しみが再燃すると思います。トラウマとは特定の環境要因に紐付けられた条件付け反応だからです。
解離の当事者は、鋭敏な感覚のせいで、環境に合わせてカメレオンのように心身の反応が変わります。過剰に同調してしまうというこの特徴は、悪い環境だけでなく、良い環境にも当てはまります。
わたしが今、辛い症状にわずらわされずに生きていられるのは、ほかでもなく恵まれた環境のおかげ、およびその環境を生かせるよう感覚の使い方を訓練してくれたセラピーのおかげだと思っています。
病気そのものが根治したとは思っていませんし、主治医も同意見です。生まれた国や民族の血が変わらないのと同じように、わたしの出自は死ぬまで変わりません。
しかし出自は変わらずとも、どこで生きるか、どのように生きるかは自分で選ぶことができます。選んだ環境によって、そしてその環境とどう関わるかによって、人は変わっていきます。
個人的な興味からすれば、もしわたしが研究機関に所属していたら、もしわたしが医者や科学者だったら、解離についてずっと研究してみたかったです。人生をかけて考察する価値がある、それほど奥深い現象だからです。
以下の記事は、このブログの集大成、またインデックスのようなものです。
でも、残念ながら、わたしには論文を読み解く能力も語学力もないし、研究できる環境も学位もありません。考察の手がかりは、当事者としての自分の症状のみでしたが、それさえも薄れつつあります。
むろん、神経科学の本を定期的に読めば、知識だけはアップデートできるでしょう。曲がりなりにも当事者としての経験があるので、そこそこの記事は書き続けられるかもしれません。
でも、せっかく具合が良くなったのに、生々しい研究に触れるなら、フラッシュバック(映像や感覚だけでなく身体症状の再現も含む)の引き金になりかねません。
あのころの、命を呪いながら生きるしかない、死よりも辛い日々がよみがえるリスクを冒してまで、考察を続ける気概はわたしにはありません。過去にとらわれるより、新しい人生を歩みたいです。
ずっと人の内面、たとえば心理学、脳科学、さらには哲学や芸術などに関心を持っていたわたしですが、トラウマについて学ぶうちに、それがいかに偏った興味だったかを知りました。
世界のもう半分、つまり、人間の外部に広がる自然科学や生き物たちの生態系についてまったく無知でした。解離の当事者にとって環境ほど大事なものはないのに、自分が住む世界のことを知らなかったとは皮肉なものです。
わたしが尊敬するダーウィンやサックスは、人の内部について深く洞察しましたが、同時に、人の外部に広がる世界のことも熟知していました。
ダーウィンは植物学や地質学に精通していましたし、サックスは山登りが好きで、化学元素やシダ植物のマニアでした。(最近、サックスが生前に絶賛していた本、植物が出現し、気候を変えたを読みましたが、ぐいぐい引き込まれる良書でした)
人間の内部の世界についてもっと知りたいのはやまやまですが、外部の世界にもっと目を向けるほうが先決だと思いました。
たとえ心理学や脳科学については高度な話ができても、家の前に咲いている花や、木の上でさえずっている鳥の名前も言えないようでは、人としてアンバランスな気がして。
最近は野山を歩き回ってフィールドワークを楽しんでいます。10年以上にわたる慢性疲労状態から解放され、さまざまな感覚を全身で味わえるのが新鮮です。
花も、樹木も、コケや地衣類も、野鳥も、夜空の星も、野山の歩き方も、川床の遡上も、スキーやスノーシューの扱いも、服装の選び方も、車の運転も、何から何まで、初歩の初歩、レベル1の素人からのスタートですが、楽しく気長に学んでいます。
今このブログに何か記事を書いても、過去の考察の焼き直しになるだけでしょう。でも、新しい経験をたくさん積んでからなら、当事者として、さらなる味付けをした考察ができるかもしれません。
ダーウィンやサックスのように幅広い分野に触れ、博物学的な経験を深めれば、もしかすると、いつか新たな観点で神経科学の考察を深められる日が来るかもしれません。
自分の内部の精神世界にこもって生きた過去の経験と、自分の外部の物質世界を感じながら生きた新しい経験をミックスして、何か新しいものを生み出せるかもしれません。
でもそれはまだずっと先の話です。現時点においては書けることが思いつかないので、ひとまずこのブログはあまり更新しなくなるかと思います。
このブログの内容は、地図にない神経科学の奥地に、不幸にも迷い込んでしまった一人の当事者が書いた手記のようなものでした。
数年間にわたって、このブログに書いた考察が、かつてのわたしと同じような状況にいる人たち、今まさに地図にない国の内側にいて、当てどなく さまよっている方々の道しるべになればと思います。
ちょうど歴史上、数多くのアマチュア探検家が、先人たちの残した手がかりを頼りにして、極地や密林から無事生還してきたのと同じように。
後から続く人たちが、この恐ろしくも不可思議な土地について、より考察をアップデートして、全貌を明らかにしてくれたなら、それに勝る喜びはありません。
これまでお読みいただき、ありがとうございました。