人の顔が覚えられない「相貌失認」の4人の有名人とその対処方法―記憶力のせいではない

とくに脈絡のないかたちで人に会うと、たとえ五分前に一緒にいた人でも混乱してしまう。

ある朝、かかりつけの精神科医(その数年前から週に二度通っていた)の診察の直後に、そういう事態が起こった。

診察室を出て数分後、建物のロビーで地味な服装をした男性にあいさつされた。

見ず知らずの人がなぜ私を知っているのか、わけがわからなかったが、ドアマンが彼の名を呼んでようやくわかった―そう、彼は私の精神科医だったのだ。(p102)

れは、心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 という本の著者、オリヴァー・サックスの体験談です。

彼のような、顔が見分けられないという問題は、単なる記憶力の問題ではなく、れっきとした脳の機能障害であり、専門的に「相貌失認症」と呼ばれています。

相貌失認を抱えている人は、次のような日常生活の困りごとを抱えていて、それによって内気になったりコミュニケーションに問題を抱えたりすることが少なくありません。

■一日中一緒に過ごした人でも、次の日に会うと、だれだかわからない
■待ち合わせの場所に行ったのに相手を見分けられない
■知り合いと会っても分からず、無愛想な対応をしてしまう
■逆に知らない人に愛想よくして奇妙がられてしまう
■職場で会う仕事仲間など、普段会う場所が決まっている人と別の場所で会うとわからない
■顔以外の手がかりで見分けようと必死になるので疲れる
■大勢いる場所で親や友人とはぐれると見つけられない

このエントリでは、相貌失認を抱える4人の有名人のエピソードを例に挙げて、なぜ相貌失認が生じるのか、どんな原因があるのか、どうやって対処できるか、といったことをまとめたいと思います。

これはどんな本?

今回取り上げる本はおもに以下の4冊です。

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 は、神経学者オリヴァー・サックスによる、さまざまな視覚異常の症例がまとめられた本で、自身の相貌失認の経験談が含められています。

スルーできない脳―自閉は情報の便秘です は自閉スペクトラム症(ASD)の翻訳家ニキ・リンコによる、自閉症の脳の解説書で、記憶の達人ソロモン・シェレシェフスキーの話が出てきます。

天才が語る サヴァン、アスペルガー、共感覚の世界はサヴァンまたアスペルガーのダニエル・タメットが自身の特殊な脳機能を手掛かりにして、脳の秘密を探っている本です。

天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー) インテリアデザイナーの岡南が、アスペルガー症候群(AS)の有名人の認知特性について考察した本で、タイトルのとおり、ルイス・キャロルが相貌失認だった話が出てきます。

相貌失認を抱える4人の有名人たち

相貌失認とはどんなものかを知るために、まずは有名人の具体例を見てみましょう。

登場するのは、「不思議の国のアリス」の作家ルイス・キャロル、「偉大な記憶力の物語」のソロモン・シェレシェフスキー、サヴァン症候群のダニエル・タメット、そして神経学者のオリヴァー・サックスです。

作家ルイス・キャロル

天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー) では、「不思議の国のアリス」の作家ルイス・キャロルについて、相貌失認症を抱えていたと思わせるエピソードが紹介されています。

ルイス・キャロルはアスペルガー症候群(AS)でもあったと言われており、相貌失認とアスペルガーを併発していました。

キャロルの甥のコリングウッドによると、キャロルは記憶力はすばらしいのに、人の顔や日付が分からなかったそうです。

キャロルは少女と散歩するのが好きでしたが、必ず一対一で散歩しました。複数人を見わけるのが難しかったのかもしれません。

また突然知り合いから声をかけられると、混乱してしまった、というエピソードもあります。

さらに「鏡の国のアリス」に出てくるハンプティーダンプティーは、アリスの顔が、みんなと同じに見えて分からない、と苦情を言います。これはキャロルの体験談だったのかもしれません。(p274)

記憶の達人ソロモン・シェレシェフスキー

スルーできない脳―自閉は情報の便秘ですによると、人の顔が覚えられない相貌失認は、記憶力が悪いせいではない、ということを強力に示すエピソードがあります。

有名なルリヤの偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫) に出てくる、あらゆるものを記憶でき、記憶術の分野ではひときわ有名になったユダヤ人ソロモン・シェレシェフスキー(シィー氏)は、超人的な記憶力の反面、人の顔は覚えられなかったそうです。(p159)

シェレシェフスキーは、記憶術について調べると必ず名前が出てくるほどの著名人で、場所法や共感覚を用いた記憶術の達人でした。それも訓練ではなく、生来の能力によるものでした。

シェレシェフスキーが人の顔を覚えられない理由は、その天才的な記憶力そのものにあるのではないかと推測されています。

シェレシェフスキーは、見たものを完璧に記憶できました。ところが、人の顔というものは、毎回表情など、微妙な点が異なります。それで細部まで記憶していればいるほどに、記憶と目の前の人の顔が一致しなかったのではないかというわけです。

人の顔を覚えるのは、「だいたいこういうもの」というある程度あいまいながら正確な記憶が必要です。しかし、超絶的な記憶力を持っていると、完全一致を脳が要求して、だいたい同じ顔を同一人物と認識できないのかもしれません。

シェレシェフスキーについて考察したニキ・リンコさんは、彼が自閉症的だったかどうかはわからないとしつつも、その相貌失認について、こう述べています。

シィー氏は完璧な視覚記憶と想起を駆使して記憶術の見世物で生計を立てていたにもかかわらず、解像度の高すぎる記憶が災いして、身近な知人の顔を覚えることができなかった。

…画像、それも、詳細かつ具体的な生の画像は、類似性を抽出する作業に向いていない。(p424)

ルリヤによると、ソロモン・シェレシェフスキーは比喩表現などの理解が難しかったらしいので、おそらくルイス・キャロルと似たとアスペルガー傾向があったのではないかと思います。

サヴァンの異才ダニエル・タメット

ソロモン・シェレシェフスキーと似たような能力を持つ現代の稀有な人物として、ダニエル・タメットがいます。

タメットはアスペルガー症候群であると同時に、数字が空間的に見えるなどの共感覚を有していて、円周率を22514桁暗唱したことで、サヴァン的能力の持ち主であることが広く知られるようになりました。また10ヶ国語以上を話す言語能力にも秀でています。

「サヴァン」とはいわゆる何かしらの弱点を持つ一方、特定の能力が異常に突出した人のことです。

たとえば何千冊もの本を一字一句暗記していたキム・ピークは「キムピューター」の異名をとっていました。先程のソロモン・シェレシェフスキーも、サヴァンの一人とみなしてよいでしょう。

ダニエル・タメットの経歴からすると、さぞかし記憶力がすばらしいのだろうと思わせますが、なんとシェレシェフスキーと同様、顔の記憶はてんで苦手だと著書天才が語る サヴァン、アスペルガー、共感覚の世界の中で吐露しています。

ぼくの場合は、人の顔を覚えるのに大変な苦労をしている。何年もつきあっている人の顔ですら覚えられないのだ。(p77)

顔が見分けられない理由についてはシェレシェフスキーの場合とよく似た説明がされています。

人の顔の複雑さについてちょっと考えてみてほしい。

細かな部分がそれぞれ違っているばかりか、表情は一瞬たりとも固定しないで、絶え間なく動いている。

ぼくが友人や家族の顔を忘れないのは、最近撮った彼らの写真を思い出しているからなのだ。(p77)

彼は、自分がサヴァン的な能力を持っていることを認めつつも、顔を見分けられる普通の人たちの能力も十分すばらしいものであり、サヴァンと一般人は、能力の方向性が違うだけなのだ、とも説明しています。

ぼくが顔を覚えられないことは、ひとつの動かしがたい真実を示している。たいていの人が一生のあいだに苦もなくたくさんの顔(やその人に関するデータ、噂、他の細々としたこと)を見分けられることを考えると、大半の人は実に素晴らしい記憶力を持っている、ということだ。

サヴァンの人と一般の人の記憶力の違いは、どうやって覚えるかにあるのではなく、なにを覚えるかという点にある。

ぼくが覚えやすいのは数字と事柄で、一般の人たちが覚えやすいのは顔なのだ。(p78)

シェレシェフスキーとタメットは、いずれも強い共感覚と、それに裏打ちされた高い記憶力を有していて、顔を見分けるのが苦手という点でよく似ています。

また、ルイス・キャロルは数学者としての一面を持っていましたし、ソロモン・シェレシェフスキーやダニエル・タメットはふたりとも数字に親しみを感じていて、数字ひとつひとつに対応する異なるイメージを持っているので、おそらくはアスペルガー傾向も共通しているのでしょう。

神経学者オリヴァー・サックス

最後に、心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 によると、著者でもある神経学者のオリヴァー・サックスは、冒頭に挙げたエピソードのように、子どものころから中程度の相貌失認を抱えています。

中学校になると友だちに会ってもわからないことがしょっちゅうで、親しくなったのは、眉毛が太くで分厚いメガネをかけていたエリックと、背が高くてひょろっとしていたジョナサンだけでした。顔が分からなくても姿でわかったのです。

大人になっても、人の顔は見分けらないことによる失敗は多くあり、冒頭の精神科医とのエピソードはその一つです。あるときは、6年一緒に働いた助手のケイトと待ち合わせしましたが、顔がわかりませんでした。

パーティでは、「ぼんやりしている」「社会性の欠如」「アスペルガー症候群」などと、さまざまに言われてしまうそうですが、サックスはそれは誤解だとしています。

サックスは、別の著書の中で、アスペルガー症候群の有名人であるテンプル・グランディンについて詳しく書いていますが、自身がアスペルガーだとは述べておらず、むしろテンプル・グランディンを自分とは別のタイプの人間だとみなしているようです。

サックスは本の執筆時点で75歳ですが、相貌失認のひどさは変わっていないそうです。ただ、家族など本当に親しい人は見わけることができ、脳の別の経路を使っているか、訓練によって弱い紡錘状回がかろうじて働いているのだろうと考えています。

相貌失認に関わるさまざまな症状

このように、相貌失認を抱える人たちには、似通っているところもあれば、異なっている部分もあります。

オリヴァー・サックスの心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 には、相貌失認の神経学的な根拠や、疾患としての歴史についても書かれています。

相貌失認を初めて報告した医学文献は、イギリス人医師のA・L・ウィガンによる1844年のものだそうです。

1872年には、ヒューリングス・ジャクソンが、脳卒中後に顔と場所がわからなくなった人について書いています。

「相貌失認症」(prosopagnosia)という言葉は、1974年、ドイツ人神経科学者ヨアキム・ボーダマーによって初めて作られました。

1947念、ドイツ人神経学者のヨアキム・ボーダマーが、顔は認識できないが、ほかの認識には問題がない患者3人について記述した。

ボーダマーに言わせれば、この非常に選択的な失認症には特別な名前が必要であり―「prosopagnosia(相貌失認症)」という言葉を考え出したのは彼である―そのような特定的な能力の喪失はも顔認識に特化した部位が脳にあることを意味しているに違いないように思われる。(p113)

相貌失認は、それ以来「失顔症」(失読症や失語症に対応する呼び方)とも呼ばれ、脳の機能異常として知られるようになっています。

相貌失認の人は、人の顔が見分けられず、覚えられませんが、程度には個人差があり、数回会えばなんとか覚えられる人もいれば、自分の子どもや配偶者さえ見分けがつかない人もいます。

先天性の相貌失認

相貌失認には、先天性の相貌失認と、後天性(脳損傷)による相貌失認とがあります。

先天性の相貌失認を抱えている人の割合は、広く見積もれば人口の10%ほど、つまり10人に1人の割合であり、その中でも重度の人は2%、つまり50人に1人だとされています。

深刻な先天性相貌失認症をわずらっている人は、少なくとも人口の2パーセントいると推定される―米国だけで600万人に上る(顔の認識は明らかに平均以下だが、深刻な失顔症ほどではない人の割合ははるかに高く、おそらく10パーセントだろう)。(p126)

先天性の相貌失認の人は、脳に大きな病変があるわけではありませんが、「脳の顔認識領域にわずかながらはっきりした変化が起きていることが明らかに」なっています。(p124)

また、相貌失認と場所失認(道や家の場所が覚えられない)といった症状は併発することもあり、似たような脳の部分が関係しているのではないかと推測されています。

先天性の相貌失認はある程度家族性があり、おそらく遺伝的な影響があると思われます。

とはいえ、家族性がある=遺伝的なものであるとは限りません。家族は生活環境を共有していて同じ環境要因の影響にさらされやすいですし、親から子へ受け継がれるものの中には、遺伝子のほかにも愛着スタイルや腸内細菌などが含まれているからです。

後天性の相貌失認

脳損傷などの後天性の相貌失認では、脳の右の視覚関連野の、特に後頭側頭皮質の下側に病変があり、ほとんどの場合、「紡錘状回」に損傷が見られるそうです。脳の紡錘状回や内側側頭葉は、顔の認識能力に関係しているとされています。(p116)

意識と自己 (講談社学術文庫) には、紡錘状回の損傷を抱えていた、重度の相貌失認のエミリーのエピソードが紹介されています。

彼女は顔認識能力が完全に損なわれていたので、まず鏡に映った自分の顔さえも識別できませんでした。

・ここにいるんだから、私にちがいない。

これは、目の前の鏡の中の顔をしげしげと眺めながら、エミリーが慎重に口にした言葉である。

そう、エミリーはみずからの自由意志で鏡の前に立ったのだから、鏡の中にいる人物は彼女自身でなければならなかった。ほかのだれかであるはずはなかった。にもかかわらず彼女は、鏡の中の自分自身の顔を認識することができなかった。

…エミリーが、それは自分の顔だと考えることができたのは、そのときの状況からだった。(p217)

エミリーは、他の相貌失認の人たちと同じく、状況証拠を手がかりに、人の顔を判断していました。しかし完全に顔認識ができない状態なので、たとえ手がかりに頼ったとしても、自分の子どもさえ満足に見分けられませんでした。

さまざまな人物を見分ける能力をテストするためにわれわれが何枚もの写真を使っているとき、上の歯が一枚だけ少し黄ばんでいる見知らぬ女性の写真を見るや、エミリーがそれは自分の娘だと言った。

「どうして娘さんだと思ったの?」、そう私は尋ねた。

「ジュリーは上の歯が一枚黄ばんでいるから。まちがいなくジュリーよ」

もちろんジュリーではなかったが、このまちがいによって、知的なエミリーがいまや頼らざるを得なくなっている方策が明らかになりつつあった。

エミリーは、顔の全体的特徴といくつもの部分的特徴から人物を特定することができなかったので、いまや彼女は、見分けることを求められる可能性がある人物については、その人物に結びつきそうな単純な特徴に目をつけていた。(p220)

自分の顔も娘の顔さえも見分けられないとなると、知的能力が大幅に損なわれているのかと誤解されそうですが、決してそうではありませんでした。

「エミリーは夫の顔、子供たちの顔、親戚、友人、知人の顔がわからなかったが、声は簡単に聞き分けられ」ましたし、「主人が耳元でその名をささやいてくれさえすれば、彼女のパーティの主賓たちと完全な会話をもつことができ」ました。(p217-219)

要するに、彼女の知的能力はまったく正常で、損なわれていた能力は、顔を見分けることだけだったのです。

このような後天的な脳損傷による相貌失認の場合は、症状がピンポイントではっきりしています。

発達性の相貌失認

先天性・後天性どちらの相貌失認とも関係しうるものとして、発達性の相貌失認についても考慮する必要があります。

「発達性」というのは、幼少期に顔を見分ける能力をうまく発達させることができず、結果として、大人になってから改善しようとしてもできなくなることをいいます。

子どものときに言語を学んだり、愛着を形成したり、立体視視力を発達させたりできなかった人は、大人になってからそれらを学ぶことが難しくなります。

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 によると、顔の認識能力もそれら同様に、子ども時代の学習が大きな意味を持っているようです。

生まれつきの、おそらく遺伝的に決まっている顔認識の能力があって、その能力は生後一年か二年で焦点が絞られるので、私たちはよく見かける種類の顔を見わけるのがとくにうまくなるようだ。(p118)

前述したように、もともと先天的に顔認識の能力が低い人は、後天性の相貌失認のような明確な脳の損傷はなくても、他の子どもに比べると、幼少期に顔を見分ける学習が妨げられてしまうため、発達性の相貌失認を抱えることになります。

それには、たとえばアスペルガー症候群のような発達障害特有の脳の傾向のために、子どものころから顔を見分けるのがうまくいかない人が含まれるでしょう。

他方、とくに生後2~3年ごろまでに劣悪な養育環境で育った子どもの場合、後天的に抱える愛着障害が引き起こす脳機能の問題のために発達性の相貌失認を抱える可能性があります。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 に出てくるリサのように、深刻な虐待を受けた子どもの中には、鏡に映った自分が見分けられないほどの相貌失認を抱える人が少なくありません。

深刻なトラウマを負った人にはありがちなことだが、リサも鏡の中の自分を認識できなかった。

私は人が、連続した自己感覚を欠くというのはどういうことかをこれほど明瞭に描写するのを聞いたことがなかった。(p529)

鏡が怖い,映っているのが自分とは思えない―解離や幻肢は「バーチャルボディ」の障害だった
わたしたちの脳は「バーチャルボディー」と呼ばれる内なる地図を作り出しているという脳科学の発見から、解離性障害、幻肢痛、拒食症、慢性疼痛、体外離脱などの奇妙な症状を「身体イメージ障害

アスペルガー症候群との違い

人の顔が分からないという相貌失認を持つ人は、サックスが述べるように、他の人から「アスペルガー症候群ではないか」と言われることがあります。コミュニケーションに問題を抱え、適切な親しみを示せないように見えるからです。

しかし、心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 の説明によれば、相貌失認とアスペルガー症候群は別物です。

相貌失認の人は、顔の表情には敏感なので、相手がだれだかわからなくても、幸せそうか悲しそうか、親しげか冷淡か、といった感情は読み取れます。

私は特定の顔をひと目で見わけることはできないかもしれないが…顔の美しさ、その表情には敏感だ。(p109-110)

ほとんどの相貌失認症患者は顔の表情には敏感なので、顔そのものを識別できなくても、幸せそうか悲しそうか、親しげか冷淡かはひと目でわかる。(p129)

意識と自己 (講談社学術文庫) に出てきた後天性の相貌失認のエミリーは、自分や家族の顔さえ見分けられませんでしたでしたが、表情に現れる感情を読み取って、適切なコミュニケーションをすることは十分できました。(p218)

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 に出てくるオリヴァー・サックスの母は医師でしたが、内気で、人づきあいも少なく、人が大勢いる場所が苦手でした。

とはいえ、サックスは母親について、コミュニケーションの問題を抱えていたわけではなく、相貌失認のため内気になってしまったのではないか、と推測しています。

それにひきかえ私の母は、病的なまでに内気だった。親しい人は少数―家族と同僚―で、大勢の集まりではひどく落ち着きがなかった。

振り返ってみると、彼女の内気さは軽い相貌失認のせいだったかもしれないと思えてくる。(p128)

相貌失認を抱えることを公表した俳優のブラッド・ピットも、自身の苦労についてこう語ってました。

「顔を覚えられない」ブラッド・ピットが失顔症を激白 | ニュースウォーカー

この世界では、何度も同じ人に会う必要があるんだ。それなのに顔を忘れてしまうから、人に会う度に不快な思いをさせるのではないかって、いつも心配しなくちゃいけない。

だから、家にいる方が気が楽なんだ。子供の世話で家から出られないって思われているみたいだけど、実際には全くその逆だよ。そろそろ検査をする必要があると思っている。

彼の場合も、人付き合いを避けて家にいるほうが気楽なのは、コミュニケーションが苦手だからではなく、単純に顔を見分けるのに苦労するためでした。

他方、アスペルガー症候群の人は、逆に顔を見分けることができるのに、表情を読み取ることに困難を抱える場合があります。

その逆もある。…アスペルガー症候群を抱えるテンプル・グランディンは言っていてる。

「人の顔の大まかな表情はわかるが、微妙な手がかりをとらえられない。50歳のときにサイモン・バロン・コーエンの『自閉症とマインド・ブラインドネス』を呼んではじめて、人は目で合図することを知った」

(テンプルは「視覚型思考者」であり、複雑な技術的問題をやすやすと視覚化できるが、顔の認識については平均より上でも下でもないようだ)。(p129)

テンプル・グランディンは表情の読み取りに困難を抱えていたものの、相貌失認ではなかったようです。

このようにアスペルガー症候群と相貌失認は別物ですが、両方が併存していて、顔を見分けられず、表情も読み取れない人たちがいることも確かです。

前述のルイス・キャロルやダニエル・タメットをはじめ、顔認識に苦労するアスペルガーの人は決して少なくないようです。

スルーできない脳―自閉は情報の便秘です によると、有名な自閉症スペクトラム(ASD)の作家グニラ・ガーランドは、相貌失認も併発していました。

学校でいじめられたとき、いじめっ子の顔がわからないので、いろんな子が日替わりでいじめに来ているように感じられ、自分はひときわ目立って異常なのだと思ってしまったそうです。(p14)

なぜアスペルガー症候群の人はポケモン博士になれるのに人の顔が覚えられないのか
自閉スペクトラム症(ASD)の人が持つ「細部に注目する」脳の傾向が、どのようにマニアックな記憶や顔認知と関係しているのか、という点を「顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 -

カプグラ症候群との違い

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 によると、相貌失認とはまったく逆に、顔は見分けられるのに、人にまったく親しみを感じられなくなる「カプグラ症候群」という病気もあります。

カプグラ症候群の人は夫や妻や、子どもなどの親しい人を見ても、まったく親しみが湧かないので、巧妙な替え玉か偽物に違いないと信じます。自分は正常であり、おかしいのは相手のほうだという信念を曲げません。(p123-124)

しかし相貌失認の人は、自分の脳のほうに問題があるのだと理解することができます。

興味深いことに、脳のなかの天使によると「カプグラと相貌失認は、構造的にも臨床症状の面でも、たがいに鏡像関係にあると考えられる」とされています。(p387)

わたしたちの顔の認知の処理は、二つのレベルで行なわれているようです。たとえば親しい人の顔を見ると、まず無意識下で身体が反応して親しみ深さを感じ(情動のレベル)、それから、意識の上でそれが誰なのかを見分けます(認知のレベル)。

カプグラ症候群の人は、親しい人の顔を見たとき、無意識の情動のレベルでは無反応なのに、意識上の認知のレベルでは相手を判別することができます。

その患者は、近親についての事実や記憶を思い起こすことはできる(言い換えれば、彼らを認知することはできる)が、悩ましいことに、そこに「あるべき」ほんのり温かい感情がもてないという状態になる。

このミスマッチは受け入れるにはあまりにもつらいので、患者は、「そっくりの偽物」という妄想をいだく。(p384)

カプグラ症候群は、相手が誰だかわかるのに、親しみは感じない状態です。

他方、相貌失認の人は、親しい人を見たとき、無意識の情動のレベルでは親しみ深さを感じるのに、意識上の認知のレベルでは相手がだれなのか区別できません。

その結果、彼女は依然として、親しい顔に対して情動的に反応する―たとえば母親を見ると大きなGSR信号[※無意識で起こる皮膚の発汗反応]を示す。しかし、それがだれかは、まったくわからない。

奇妙なことに彼女の脳(と皮膚)は、彼女の心が意識的には気づいていない何かを「知っている」のである。(p387)

相貌失認の人は、親しみ深さは感じるのに、相手がだれかはわかりません。これはカプグラ症候群とは正反対です。

この比較からわかるように、相貌失認の人は、あくまで意識の上で相手を見分けられないだけで、無意識下では相手が親しい人なのかそうでないのか識別できていることがわかっています。

意識と自己 (講談社学術文庫) によると、先ほどの後天性相貌失認の患者のエミリーもそうでした。

顔失認(第五章で述べたエミリーのような患者)に、患者の親族や友人の顔写真とともに患者が会ったこともない人々の顔写真をランダムな順番で提示し、同時に患者の皮膚電気伝導をポリグラフで記録すると、ある劇的な乖離が起きているのがわかる。

患者の意識的な心には、どの顔も同じように認識不可能である。友人、親族、まったく見ず知らずの者、そのどの顔も患者の心に同じ空白状態を生み、彼らがだれかを知らしめるようなものは何も心に浮かばない。

にもかかわらず、友人や親族の顔は事実上どの顔も、それが提示されると明確な皮膚電気伝導反応が起きたが、見ず知らずの顔の場合はそれが起きなかった。

こうした反応を患者自身は少しも気づいていない。さらに、皮膚電気伝導反応の強さは、もっとも身近な親族に対して大きくなる。(p389)

つまり、彼女の“からだ”は、親しい人の顔を見分けていました。しかし、彼女の“こころ”(意識)はその顔がだれなのか見当もつきませんでした。

このような、無意識下では身体が気づいて反応しているのに、意識の上では気づくことができない、というパターンはトラウマを経験した人に非常によく見られる症状です。

たとえばトラウマを負った人は、トラウマを思い出させるような刺激に無意識に反応してフラッシュバックを起こしますが、意識の上ではいったい何に反応しているかわからず混乱することがよくあります。

身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く
世界的なトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる「身体はトラウマを記録する」から、著者の人柄にも思いを馳せつつ、いかにして「発達性トラウマ」が発見されたのかという

すでに見たとおり、相貌失認は、先天性の遺伝や、後天的な事故や病気による脳障害によっても起こるので、必ずしもトラウマと関係しているわけではありません。

しかしながら、後で書くように、少なくとも相貌失認の人たちの一部は、幼少期の何かしらのトラウマのせいで、あえて顔を認識しないよう適応した結果、顔を見分ける能力が弱くなってしまうものと思われます。

超認識者(スーパー・レコグナイザー)

人の顔を認識する能力は、他の様々な能力と同様、正規分布にしたがって、能力の高い人から低い人まで、さまざまに分布していると考えられます。そのため、まったく顔の見分けられない人がいるなら、逆に顔を見分けるのが大得意な人もいます。

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 によると、そのような顔認識のプロは、ハーバード大学のケン・ナカヤマらにより、超認識者(スーパー・レコグナイザ)と呼ばれています。

一度見かけた顔は、何十年前に一瞬出会っただけでも記憶しているそのような人たちは、犯罪捜査の仕事に就いていることもあります。(p125)

こちらの記事では、ちょうどそうした特性をもつ警察官のことが紹介されていました。

一度その顔を見たら忘れない。驚異の記憶力を持つ警官、4年間で850人以上の犯人を特定(イギリス) : カラパイア?

相貌失認の原因は複数

相貌失認の原因は果たして何なのでしょうか。

問題は複数あると思われます。スルーできない脳―自閉は情報の便秘です はこう述べています。

おそらく、顔を覚えるのに必要な能力は複数あり、そのうちのどこに損傷があるかによって〈覚えられなさ〉のタイプも複数あるのだろう。(p425)

視覚野の紡錘状回が弱い

すでに述べたように、オリヴァー・サックスは、原因として顔認識を担う紡錘状回の弱さを挙げています。紡錘状回は後天的に損傷した場合相貌失認の原因となる箇所ですが、先天性の相貌失認とも関連性があるようです。

スタンフォード大学の神経科学者、カラニト・グリル・スペクターによる、5歳から12歳までの子供22人と、20代の25人を対象にした研究によると、紡錘状回はふつう年齢とともに発達していくはずが、相貌失認の人は成人しても十分に発達していないことがわかったそうです。

顔を見分ける能力、脳の部位の大きさが関係か – WSJ

さらに、見覚えのある顔を被験者に選ばせる方法で記憶力を検査し、紡錘状回の活動量や組織量と記憶力との間に相関関係があるかどうかを検証した。

その結果、紡錘状回の組織量が多いほど、人の顔を思い出す能力が高いことが分かった。

研究によると、大人は子供より約13%、この部位の組織量が多かった。

何かしらの理由で、幼少期に紡錘状回の発達が妨げられることが相貌失認と関連しているのかもしれません。

脳のなかの天使によると、紡錘状回は、色に関わる共感覚とも関係している部位で、色や立体の認知の処理担っているようです。

天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー) では、紡錘状回に位置する、色や明暗を認識する視覚野のV4と呼ばれる領域の働きが弱い場合、立体としての顔を認知しにくいのではないかと推測されています。(p264)

立体のというのは、わずかないろの明暗のグラデーションによって把握されるものであり、立体的な顔もまたしかりです。

事実、相貌失認の人の中には、後述しますが、空間(3次元の立体)では顔を認識できなくても、写真(2次元の平面)にすると見分けられるという人もいます。

LDを活かして生きよう―LD教授(パパ)のチャレンジでは、自身もLDとADHDを持っている上野教授が、顔を覚えるのが難しく、おそらく視覚的な形をとらえる力が弱いのだろうと述べています。(p23)

また、自閉症のドナ・ウィリアムズのように偏光フィルターのレンズを使うと立体が認知できるようになった人もいます。(p251)

これは光の特定の波長に対する感受性の障害によって、色の明暗を見分けるのが難しく、顔を立体として認識しにくいのが、偏光フィルターによって改善されたのかもしれません。

光の感受性障害「アーレンシンドローム」とは―まぶしさ過敏,眼精疲労,読み書き困難の隠れた原因
まぶしさや目のまばたき、眼精疲労、ディスレクシア、学習障害、空間認識障害などの原因となりうる、光の感受性障害「アーレンシンドローム」についてまとめています。偏頭痛や慢性疲労症候群や

細部に注目する視覚特性

顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 「読顔術」で心を見抜く (中公新書ラクレ)[Kindle版]によれば、自閉症やアスペルガー症候群の人は、幼少時から細部に注目する視覚特性を持っているため、顔の全体の印象をつかむことが難しいのだろうとされています。

同著者の発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)によると、ネイボン課題というテストでは、自閉スペクトラム症の人たちは、細部に注目し、全体像を見るのが難しい傾向を示すそうです。(p144-145)

記憶の達人ソロモン・シェレシェフスキーのように、記憶力が良すぎて柔軟性がないケースは、細部まで注目しすぎることと関係しているのかもしれまぜん。

興味深いことに、ダニエル・タメットは、天才が語る サヴァン、アスペルガー、共感覚の世界によると、アスペルガー症候群の人と定型発達の人は記憶する対象が違うのではないかと考えています。

ケンブリッジ自閉症研究センターのサイモン・バロン=コーエン教授が率いる研究班は、ぼくの数字を記憶する能力と顔を認識する能力の違いについて詳しく調べてきた。

その結果、ぼくは、同年齢の自閉症ではない人たちと比べて、長い数字の連なりやを覚えて思い出す能力はかなり高いのに、一時間前に見せられた顔の写真を見分ける能力はかなり低いことがわかった。

たいていの人は、人の顔を見てだれかわかるとたちまち、好意的な感情が顔に現れる。それをつかさどる脳の領域が、ぼくの頭のなかでは数字に対して同じ感情を抱くよう配線されているかのようだ。(p78)

定型発達の人が人の顔、つまり「ヒト」を対象としたおおまかな記憶に特化している一方で、自閉症の人たちは数字やデータなどの「モノ」を対象とした精細な記憶に特化しているのかもしれません。

最近のニュースでは、50人に1人とされる、家族の顔さえわからないような重度の相貌失認の人の脳では、顔が顔ではなく「モノ」のように認識されているというものもありました。

50人に1人! 人の顔が覚えられない相貌失認が解明される
顔を覚えられない相貌失認の仕組みが解明されたそうです。

言語機能の優位性

先ほどの天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー) では、人には視覚優位と言語優位の2つのタイプがあり、相貌失認は言語優位の人に多いとも書かれています。

確かに、シェレシェフスキーは記者として働いていましたし、ルイス・キャロル、ダニエル・タメットは数学的能力を持ちつつも、アスペルガー症候群としては言語機能に秀でたタイプでした。サックスは作家として類まれに言語機能を発揮しています。

教養としての認知科学では、言語優位の人がなぜ顔を見分けにくいのか、ということについて、手がかりとなる実験が紹介されていました。

スクーラーらが行った実験は、このことをまさに明らかにしている。

この実験では、一方のグループにはあるビデオに登場する人の顔を詳細に言語的に記述するように求め、もう一方のグループにはそうしたことをさせなかった。

その後に何人もの人の顔を見せ、その中にビデオに登場した人物がいるかを尋ねた(つまり、再認実験を行った)。すると言語的に記述したグループの成績は、もう一方のグループより悪くなったのである。

ひうした現象は、言語隠蔽効果と呼ばれている。つまり、ここで言語的に記述したグループは、顔の記憶や再生には不適当な言語化しやすい特徴に焦点化してしまったために、再生が劣化してしまったのだ。(p118)

この実験からすると、言語的能力への偏りが強い人は、視覚的な情報をすぐに言語化してしまうため、「言語隠蔽効果」により、相貌失認を抱えやすい可能性があります。

言語脳活動は遺伝と環境が半々だと言われているので、言語機能が強い家系は、顔認識が弱い傾向も幾らか遺伝するのかもしれません。

言語脳活動の遺伝と環境の影響度を双子研究で解明 ? リソウ

本研究グループは、遺伝的に共通点のある双生児を対象として、言語脳活動を脳磁計を用いて計測し、一卵性双生児と二卵性双生児で比較することにより、言語に関連する左前頭部の脳活動が遺伝と環境の影響はどちらも50%であることを解明しました。

オキシトシンの不足

愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書) によると、愛着ホルモンであるオキシトシンの分泌が、顔を見わける機能に関わっているとされています。これはオキシトシンが不足する発達障害の人に、相貌失認が多い一因かもしれません。(p122)

ルイス・キャロル、ダニエル・タメット、そしてソロモン・シェレシェフスキーは、いずれもアスペルガー傾向を有していたと思われるので、近年しばしば報道されているように、自閉症特有のオキシトシンの不足を抱えていたのかもしれません。

幼少期のトラウマ経験による愛着障害

オキシトシンの不足は、発達障害とは別に愛着障害でも報告されていて、近年では愛着障害の治療に、自閉症と同様のオキシトシン点鼻が検討されています

愛着障害は、幼少期の不適切な養育環境によって生じる、環境要因の強い後天的なものですが、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)によると、しばしば、顔認識能力の低下がみられます。(p121-123)

すでに見たように、顔認識能力は脳の視覚野の紡錘状回が担っていますが、いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳 によると、性的虐待を受けた女性は、紡錘状回をはじめ、左半球の視覚野が小さくなっていることがわかっています。

フリーサーファーで得られた結果は、性的虐待を受けた群が健常群に比べて左半球の視覚野の容積が8%も減少していた。

その詳細は視覚野を構成する紡錘状回(fusiform gyrus)の容積が18%、中後頭回(middle occipital gyrus)の容積が9.5%減少していた。その理由は視覚野を構成する舌状回(lingual gyrus)の容積が8.9%減少していたからである。

興味深いことに、とくに紡錘状回は顔の認知と密接に関連していると考えられている。(p74)

この研究は、性的虐待を受けた女性に関するものですが、たとえば子ども時代のDV目撃も、脳の視覚野の発達に影響を及ぼすとされています。(p87)

その後の研究では、幼少期の望ましくない養育体験によって愛着障害を抱えた子どものうち、特に内向的な問題の大きい子どもで、やはり左半球の一次視覚野の局所灰白質の容積が20.6%も減少していることがわかったそうです。

なぜ子ども時代の性的虐待が、視覚野、とくに顔認識に関わる紡錘状回の発達を妨げるのかというと、おそらくは、恐ろしい現実を「見ない」ようにするために適応したのではないかとされています。

視覚野の容積の小ささは、特に左半球に強く見られましたが、先行研究によると、さきほどのネイボン課題において、右視覚野は全体像に注目する役割があり、左視覚野は細部に注目する役割があることがわかっています。(p76)

とすると、これは細部を見すぎるために顔の全体がわからないアスペルガー症候群の人たちの相貌失認とはまったく逆である、ということになります。

すなわち、細部から目をそらし、全体をおおまかにしか見ないように適応していったせいで、他人の顔を見てはいてもぼんやりとしか認識できていない状態になっているのかもしれません。

これらの事実から、性的虐待を受けた被虐待児の脳、とくに視覚野の部分は細かい詳細な像を無意識下に“視ない”ようにするように“適応”していったのではないかと私は推測している。(p76)

発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)によると、アスペルガーの人が「空気が読めない」のは、場の全体でなく細部しか見えないためだとしていますが、虐待された子どもは、その逆の「空気を読み過ぎる」傾向、細部を見ず極端に全体を意識する視野を育てることがあります。

アスペルガーの人が細部にこだわって正確な記憶や数値などを重視するのに対し、子ども時代に性的虐待やネグレクトを経験した人は、記憶があいまいで、不注意傾向が強いという特徴があります。

いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳 によると、性的虐待を受けた女性では、視覚記憶テストの成績が悪く、見たものをほとんど視覚的なワーキングメモリ(一時的な作業記憶)にとどめられないことがわかったようです。(p77,100)

このような、辛い現実を「見ない」という形の適応が、視覚認知能力(視力ではなく見たものを認識する認知能力)を低下させ、相貌失認を招くことは十分に考えられます。

この記事で紹介した4人の相貌失認の当事者のうち、オリヴァー・サックスは、本人の弁からしても、また著書にみられる強い共感力や、広く全体を見渡す洞察力からしてもアスペルガーらしくありません。

しかし、自伝で語られているとおり、幼少期の疎開体験や、統合失調症の兄がいることによる家庭内の緊張などから、不安定な愛着を抱えていたように思われます。

オリヴァー・サックスは高い文学的才能を有していますが、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)の中で紹介されているように、文学者の中には愛着障害を抱えている人が多く、言語能力の強さとも何かしらの関わりがあるように思われます。

もしかすると、小児期にトラウマ的な体験をすると、現実を「見る」代わりに、空想の世界に逃避して「考える」ことで適応し、それが顔認識の弱さと言語能力の高さとを同時に引き起こすのかもしれません。

先ほどの研究において、特に幼少期のトラウマから内向的な傾向を強く抱える子どもたちの場合に左半球の視覚野がより小さかったという結果は、その点を裏づけているように思えます。

そのような子どもたちは、恐ろしいトラウマに対する防衛として、外の世界に対する感覚をシャットアウトして視覚認知能力などが低下してしまう代わりに、自分の内側の世界に対して敏感になり、旺盛な想像力を発達させるのです。

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ここで紹介したさまざまな原因のうち、どれが正しいというより、これらを含むいろいろな要因のどれか、または複数の組み合わせによって、程度がさまざまな相貌失認が生じるのでしょう。

顔が覚えられないことへの対処方法

ここまで取り上げてきた、キャロル、シェレシェフスキー、タメット、サックスをはじめ、相貌失認を抱える人は、無意識のうちに、あるいは意識的に、さまざまな対策を試みて、顔を覚えられない弱点をカバーしようと務めています。幾つかの対策を挙げましょう。

まず障害を知る

相貌失認を抱えている人は、そもそも、顔を覚えられないのは当たり前だと思っていて、それを変だと感じていないことがあります。

そのため、医者に相談することもありません。生まれたときから色覚障害のある人が、気づくのに時間がかかるのと同じです。

多くの相貌失認症患者は、人を声や姿勢や歩き方で認識する。それに当然状況と予想が最重要だ。人は学校で生徒に会い、会社で同僚に会う、というふうに予想する。

意識的にしろ無意識にしろ、そのような戦略はごく習慣的になるので、中程度の相貌失認症患者は、自分の顔認識が実際にどれくらい劣っているか自覚がないままの可能性もあり、検査(たとえば、髪や眼鏡のような補助的手がかりを排除した写真など)ではっきりわかるとびっくりする。(p109)

先天性相貌失認症を抱えている人たちは一般に、神経科医に自分の「問題」を相談しない。生まれたときから色覚異常がある人が、眼科医にそのことを訴えないのと同じだ。そういうものなのだ。(p124)

先ほどのグニラ・ガーランドは、相貌失認について知らないころ、クラス中の子どもからいじめられていると誤解し、自分は異常なのだと思ってしまいました。実際のいじめっ子は、ほんの一部だったにもかかわらずです。

もし相貌失認について知っていて、自分は顔がわからないということに気づいていれば、このような誤学習は避けられたことでしょう。

また、相貌失認の大人の中にも、自分は記憶力が悪いとか、忘れっぽいとか、努力が足りないと思って苦しんでいる人が大勢います。

しかし 、問題の原因が、脳の神経障害にあるとわかり、世の中には自分と同じ悩みを抱えている人が大勢いるのだ、と知るだけでも、気持ちが楽になるものです。

障害を公表する

イギリス人医師のA・L・ウィガンによる1844年の報告によると、ある相貌失認を抱えた中年の男性は、顔を覚えられないせいで仕事の信用を失っていました。

それで、ウィガンは、障害を周りの人に伝えるようアドバイスしますが、彼はそれを拒みました。

障害を認めることが、友だちを遠ざけてしまうような不幸な結果を招かないための最善策だと、彼を説得しようとしたが無駄だった。

できることなら隠しておこうと断固決意していて、目だけの問題ではないと納得させるのは不可能だった。(p132)

対称的に、相貌失認の研究者で、自分も相貌失認に苦しんでいるハーバード大学のケン・ナカヤマはウェブサイトとオフィスで次のように告知しています。

最近目が悪くなり、軽い相貌失認症と相まって、知っているはずの人を認識するのが難しくなってきています。

私に会ったらどうぞ名前を名乗ってください。ご協力ありがとうございます。(p127)

相貌失認を公表することで、たとえ失礼な思いをさせても、相手が「仕方ない」と納得できるようにしているわけです。

同様に、オリヴァー・サックスの秘書ケイトは、サックスに次のようにアドバイスしました。

ただ覚えていないと言うのはだめですよ―失礼ですし、人は気を悪くします。

『申し訳ありませんが、私は人の顔をちっとも覚えられないんです。自分の母親の顔さえわからないんですよ』って言ってください。(p104)

母親の顔も分からない、というのは、中程度の相貌失認症のサックスにとってはさすがに誇張ですが、そのように言えば相手は納得します。自分は顔が覚えられない、ということをはっきり伝えておくことで、理解を得るようにするのです。

有名なところでは、スウェーデンのヴィクトリア王女が、失読症と相貌失認であることをカミングアウトしていました。

スウェーデンのヴィクトリア王女、失読症になった過去を激白! | ニュースウォーカー

また人の顔が覚えられない失顔症であることも告白しているが、今度は視覚または発声器官に異常がないのに、文字を理解するまたは読むことのできない失読症だったことを告白。

写真で見分ける

すでに述べたように、相貌失認の人の中には、二次元の写真なら覚えられるという人もいます。

天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー) によると相貌失認の子どもの中には、名前と顔を一致させるため、クラスの集合写真を活用する人もいるそうです。(p267)

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 によると、顔の巨大なポートレートをたくさん描くことで有名な画家のチャック・クロースは、生まれつき重い相貌失認を抱えていますが、人の顔を絵に描く理由について、こう述べたそうです。

誰が誰だかわからないし、現実の空間にいる人の記憶は基本的にまったくないが、写真の中で平らにすると、そのイメージをある程度記憶に収められる。

平らなものについては、ほぼ正確な記憶力と言えるものが私にはある。(p128)

彼は、二次元的な認知はよく、立体的な顔はわからないタイプの相貌失認なのかもしれません。

人の顔が覚えられない人の中には、新しい人と会うたびにスマホで写真を撮らせてもらって、連絡先と結びつけることにより、覚えやすく工夫している人もいます。

しかしオリヴァー・サックスはクラスの集合写真でも見分けられなかったので、脳のどこの機能が弱いのかによって、二次元だと認識できる人もいれば、そうでない人もいるのでしょう。(p101)

パーティや大規模な集まりを避ける

ルイス・キャロルは、少女と会うとき、顔を間違えて気を悪くさせないよう、一度に1人だけと散歩しました。

オリヴァー・サックスは、不安を感じたり、決まりの悪い重いをしたりすることがわかっているので、パーティや集まりは避けているといいます。

人が大勢いると、知っている人が分からないだけでなく、知らない人にあいさつしてしまったりします。

彼は愛想よく振る舞うために、次のような手段を用いています。

相貌失認症患者の多くがそうだが、私は人にあいさつするとき、間違った名前を口にするといけないので、相手の名前は言わない。他人を頼りにとんでもない失態を免れるのだ。(p110)

もちろん、場合によっては、正直に人の顔と名前が覚えられないことを伝え、再度尋ねたほうがいいかもしれません。

ただしそれが何度も続くと相手は辟易するので、オリヴァー・サックスのような手法を取らざるを得なくなるともいえます。

誰かと一緒に行動する

今引用した文の中で、サックスは、「他人を頼りにとんでもない失態を免れるのだ」と述べていましたが、標準以上の顔認識能力を持つパートナーと一緒に行動するという手もあります。

配偶者、秘書、友人などが顔を覚えるのが得意なら、人が大勢いる場では、その人と一緒に行動することで、近づいてきた人がだれなのか、こっそり教えてもらうことができます。

顔以外の手がかりで見分ける

これは工夫というより、相貌失認の人が自然にやっている習慣ですが、オリヴァー・サックスは、相手の顔以外の特徴、たとえば、変わった鼻や口ひげ、メガネ、声のトーン、姿勢、歩き方、場所などの手がかりによって見分けることが多いそうです。

彼はこう述べています。

そういうわけでは、私は特定の顔をひと目で見わけることはできないかもしれないが、大きい鼻、とがったあご、ふさふさの眉、突き出た耳など、顔についてのさまざまな事柄を認識することはできる。

そのような特徴は、私が人を見わけるための標識になる。

…動き方、「運動スタイル」で見わけるほうがはるかにうまい。(p110)

相手の顔の特徴的な部分を覚えるようにすれば、漠然と顔を見分けようとするより、視覚的な手がかりが増えます。

あらかじめ、今から行く場所ではだれと会いそうか、ということを予期していれば、突然見知らぬ人に会ってパニックになったりせずにすみます。

しかしこの方法の弱点は、手がかりが変わると、見分けられなくなることです。たとえばひげが特徴的だった人が髭をそったり、付き合っている女性が髪型や装飾品を変えたりすると、途端にだれだかわからなくなります。

あくまで、いろいろな手がかりを複合的に活用するようにすべきでしょう。

わたしの経験

わたしがこのブログで、相貌失認について何度も繰り返し取り上げているのは、わたし自身が、軽度~中程度の相貌失認だからです。

初めて出会った人の顔を覚えられることはまずありません。相手がひときわ体格がよかったり、相当珍しいメガネをかけていたりすれば別ですが、基本的に会った人の顔は、次に会うとわかりません。

何年たっても覚えられない

オリヴァー・サックスの経験談ではないですが、10年来お世話になっている主治医の顔が今だに覚えられず、会うたびに、こんな顔だったっけと思います。多分診察室以外のところでばったり会うとだれかわからないでしょう。

重度の相貌失認ではないので、親しい人の顔は覚えられますが、見分けられるようなる基準というのは、だいたい1年以上の期間、繰り返し会い、できれば一対一で話す機会を何度も持つことです。

人が大勢集まる場所や待ち合わせでは、知り合いがいてもわからないことが多いので、相手から声をかけてもらえるのを待っています。

学校など、みんなが名札をつけているような場では、話しかけられたら、とりあえず名札を確認することにしていましたが、相手もこちらの視線に気づいてしまうので、恥ずかしい思いをすることも多々ありました。

みんな外国人

わたしの場合、シェレシェフスキーのような厳密な記憶力のために見分けられないというタイプではないようです。まったく面識のない人を見て、なんとなく知っているような顔なので知り合いかも、と思うことがかなりあります。

「だいたい同じ」の焦点が狭いのではなく、ほとんどの顔が「だいたい同じ」に見えてしまうのでしょう。ソロモン・シェレシェフスキーとは真反対で、おそらくオリヴァー・サックスと近いタイプだと思います。

これはちょうど、外国人を見るときの反応に似ているそうです。

オリヴァー・サックスの心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界 によると、たとえば外国人はみんな同じ顔に見える、という人もいますが、これは幼児期に自分の文化圏の人だけを見分けられるよう、脳が対象を絞り込んで発達するためだそうです。(p118)

ちなみに、相貌失認については、ロンドン大学バークベック・カレッジがPC用のCambridge Face Memory Test (顔認識テスト)を公開していますが、残念ながらモデルが外国人なので、日本人が試しても正確な結果が出ないと思われます。

わたしのように、同じ国の人の場合でも、外国人と同様「だいたい同じ」顔に見えてしまうというのは、何かしらの理由で、幼児期に外国人だけでなく自国人の顔を見分ける能力もあまり発達しなかったということなのかもしれません。

多くの相貌失認の人と同様、わたしも相手の声の調子や、特徴的な手がかり、体格、仕草などから相手を見わけるようにして、周りの人とコミュニケーションを維持しています。

相貌失認の人は創意工夫が必要

このように、相貌失認は脳の機能異常による神経学的な問題であり、決して記憶力の良し悪しや忘れっぽさではありません。

しかし、相貌失認は、読み書き障害(ディスレクシア)などと比べて、理解者も支援も少ないのが現状です。

もっと広く知られるようになれば、効果的な対策も講じられるのかもしれませんし、科学が進歩すれば、Googleグラスのようなデバイスに、Googleフォトの顔認識を組み入れて、瞬時に目の前の人の名前を検索してくれる技術の実現も可能でしょう。

顔認識、面白くて実用的な技術へと進歩 (1/2) – ITmedia エンタープライズ はてなブックマーク - 顔認識、面白くて実用的な技術へと進歩 (1/2) - ITmedia エンタープライズ

人間は顔認識を反射的に行うのではなく、認識技術を身に付けます。私たちは赤ちゃんの頃に、人を区別する方法を学ぶのです。しかし、誰もが同じように習得できるわけではありません。実際、認知障害(相貌失認)の場合、自分自身や身内などの見慣れた顔すら認識できません。

 こうした症状に苦しむ人たちに支援の手を差し伸べるのが、顔認識システムです。顔認識機能を搭載した(スマートグラスのような)ウェアラブルデバイスを使えば、会話した人たちの顔を日々記録し、その人の簡単な説明を表示させることができます。

イスラエルのスタートアップが開発している「OrCam MyEye」は一見ふつうのメガネと変わりませんが、人の顔や本の文字を認識し、音声に変換して教えてくれるそうです。

視覚障害者や全盲の方をサポート!目の前の視覚情報が瞬時に音声へ変換されるスマートメガネ「OrCam MyEye」 | Techable(テッカブル)

人の顔や本の文字を含む、目の前の視覚情報がカメラによって捕捉されると、付属のミニスピーカーを介して話し言葉へと変換される仕組みとなっている。

そう遠くない未来に、相貌失認の人に役立つウェアラブルデバイスが開発されそうな予感がします。

今のところは、各々が創意工夫で乗り切るしかありませんが、まずは、自分が相貌失認であること、そしてれに悩んでいるのは自分だけではないことを知るのが、相貌失認とうまく付き合っていく第一歩だと思います。