PTSDは「心の傷」ではなく脳の炎症を伴う全身の病気―トラウマ記憶の治療法をめぐる最近の研究

PTSD(心的外傷後ストレス障害)に対して、新たな薬物療法のアプローチが開発されているというニュースが、ここ数ヶ月の間に何度か報道されていました。

2016年8月のニュースでは、トラウマ記憶を短期間思い出させたあと、海馬の神経新生を刺激する薬物であるメマンチンを用いることで、記憶を修正できる可能性があるということ。

2016年11月のニュースでは、PTSDの患者では、脳のミクログリア細胞に炎症がみられ、炎症を抑える薬物であるミノサイクリンを投与することでトラウマに伴う行動の異常が少なくなること。

マウスでの実験成果をそのまま人間に当てはめるわけにはいきませんが、PTSDが脳の炎症という生化学的な一面を持っていることを明らかにした興味深い研究で、被災者を対象に臨床試験計画も進められているそうです。

そのほかにも、VRやニューロフィードバックを用いた治療など、近年のPTSDやトラウマ記憶に関する研究を、簡単に概観してみました。

トラウマ記憶をメマンチンで忘れさせる

まず、2016年9月の東京農業大学の研究では、応用生物科学部の喜田聡教授らのグループが、海馬の神経新生を利用して、トラウマ記憶を忘れさせる方法を開発したとのことでした。

心的外傷後ストレス障害(PTSD)治療のための簡便なトラウマ記憶の忘却方法の開発-海馬神経新生を亢進して古いトラウマを忘却させる-(PDF)

心的外傷後ストレス障害(PTSD)治療のための簡便なトラウマ記憶の忘却方法の開発 – 海馬神経新生を亢進して古いトラウマを忘却させる — 東京農業大学 | 東京農業大学

これまで、トラウマ記憶は、通常の記憶と異なる性質を持っていて、忘れさせたり、内容を改変したりするのが難しいと言われていました。

その理由については、最近の記憶は脳の記憶中枢である海馬によってコントロールされていますが、トラウマ記憶のような古い記憶は、海馬の影響を受けないからではないか、と説明されています。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法では、トラウマの極限状況下で刻み込まれる記憶は、海馬のシステムから切り離されて保存されると述べています。

通常の条件下では、理性的なものと情動的なものという、この二つの記憶のシステムは協働し、統合された反応を生み出す。

だが、覚醒の度合いが高まれば、両システム間の均衡が変化するだけでなく、入ってくる情報を適切に保存したり統合したりするのに必要な、海馬や視床など他の脳領域との接続も断たれる。

その結果、トラウマ体験の痕跡は、筋の通った、一環した物語としてではなく、断片化された感覚的痕跡や情動的痕跡、すなわち、光景、音、声、身体的感覚として構成される。(p291)

現に、今回の研究では、トラウマ体験から8週間以上たってから、マウスの海馬の神経新生を刺激しても、トラウマ記憶に変化はなかったそうです。

しかし今回の実験では、トラウマ体験から8週間以上経過したマウスに、まずトラウマ記憶を10分間思い出させ、その時に海馬の神経新生を促進することで、トラウマ記憶を忘れさせることができたそうです。

これは、トラウマ体験を短期間思い出させることで、古いトラウマ記憶を一時的に海馬の影響下に置き、それと同時に海馬の神経新生を刺激することで、記憶の改変ができるということを示唆しています。

この実験でトラウマ体験を思い出させた時間は10分間でしたが、3分間だと効果はみられませんでした。

これまでは、古い記憶を思い出しても海馬は活性化されないと長く信じられてきましたが、10分間という比較的長い時間恐怖記憶を思い出させると、古い記憶の制御に海馬が関与することが初めて明らかになりました。

さらに、一旦海馬が活性化されてしまうと、古い恐怖記憶であろうとも、その想起に海馬を再び必要とするようになること、加えて、その記憶の再貯蔵にも海馬を必要とすることが明らかとなりました。

今回の実験では、海馬の神経新生を刺激するために、エクササイズ(運動)や薬が用いられ、いずれの場合も効果が見られました。

用いられた薬は、NMDA型グルタミン酸受容体の拮抗薬のメマンチンで、すでに認知症などの治療に使われています。東京農業大学は過去に、メマンチンに海馬の神経新生を促進する効果があることを発見していました。

東京農業大学 総合研究所|研究成果報告「認知症治療薬メマンチンに記憶力向上効果を発見」

国立精神・神経医療研究センターの金吉晴部長らにより、PTSD治療のためのメマンチンのオープン臨床試験がすでに開始されているそうです。

なお、研究を主導した喜田聡教授は、医学部とは異なるアプローチで、農大にしかできない手法を活用して、PTSDを軽減する研究に力を入れているそうです。

朝日新聞デジタル:東京)こどもの未来へ/東京農業大 – 東京 – 地域

治療的再固定化のプロセス(TRP)を促進する

この研究で明らかになった、トラウマ記憶を思い出すことで改編が可能になる、という結果そのものは目新しいことではありません。

わたしたちが辛い体験を傾聴してくれる人に話すと楽になったり、カウンセリングや心理療法によって少しずつトラウマ記憶が和らいだりするのも同じことだと思われます。

つまり、トラウマ記憶は、思い出して活性化させることで、「記憶の再固定化」が生じ、改編されていきます。これは、治療的再固定化のプロセス(TRP)と呼ばれます。

しかし、これまで用いられていたトラウマ体験に向き合わせる暴露療法のような心理療法は、患者への負担も大きく、必ずしもうまくいくとは限りませんでした。

そのため、過去の記憶を想起する際の激しい負担を減らし、圧力を逃すために、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)のような方法が取り入れられてきました。

EMDRはどうやってトラウマ記憶を再処理するのかーレム睡眠を利用した負担の少ない治療法
EMDEの開発者フランシーン・シャピロによる「過去をきちんと過去にする」などから、レム睡眠の記憶の再処理システムとトラウマ記憶の関係を考えてみました

今回の研究成果も、メマンチン単独で効果があるわけではない、ということははっきりしているので、心理療法と組み合わせて負担を軽減し、治療の効果を高める補助として用いるものだと思います。

海外では、規制薬物とされてきたエクスタシー(3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン:MDMA)の、PTSDに対する臨床試験が行われているそうです。

こちらの場合も、薬物療法は単独で用いられるものではなく、心理療法と組み合わせることで効果を発揮すると考えられているようです。

「エクスタシー」が米国で大規模臨床試験へ:5年後には処方薬となる可能性も?|WIRED.jp

これまでの臨床試験で、患者は12週間の心理療法プログラムを受けた。その中で、MDMAを摂取した状態でトラウマとなった記憶を語るという8時間のセッションを、3回行っている。

心理療法だけでは効果が思わしくなかった人の場合でも、薬物療法を併用して再固定化を促進するなら、トラウマ記憶に対して、より効果的な治療が行えるかもしれません。

「MDMAは人生を変えてくれました」。臨床試験に参加した37歳のC.J.ハーディンさんは、『ニューヨーク・タイムズ』にそう語っている。

同氏は、イラクとアフガニスタンの戦地に3度派遣され、帰国後PTSDに悩まされた。そのせいで妻とは離婚、自暴自棄になり、アルコール中毒を患った。

MDMAの研究に参加する前は、心理療法や薬物治療も試したが効果があまりなかったという。

「MDMAのおかげで、恐れたり戸惑ったりすることなく自分の心の傷と向き合い、対処して前に進むことができたのです」と語る同氏は現在、飛行機の整備士として働きながら大学に通っている。

エクスタシーについては、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中でも触れられていて、オキシトシン、バソプレシン、コルチゾール、プロラクチンなど、多くの重要なホルモンの量を増すとされています。

ミットホッファーとその共同研究者たちは、精神療法の効果を高めてくれる薬を探していて、MDMAに興味を持った。

MDMAは、恐れや過剰な自己防衛や麻痺を軽減すると同時に、内部経験へのアクセスを手助けするからだ。

MDMAによって患者は耐性領域内にいられるようになるかもしれないので、抗し難い生理的・情動的覚醒に苦しむことなくトラウマ記憶に立ち返れるのではないかと彼らは考えた。(p366)

実際に、MDMAはそれまでのセラピーでは効果のなかったPTSD患者が、MDMAを服薬しながら内的家族システム療法に取り組んだところ、83%の回復率を示したそうです。偽薬の対照群の回復率は25%で、圧倒的な違いが見られました。

その後のニュースによれば、アメリカ食品医薬品局(FDA)が臨床試験の効果を認めたそうです。

「MDMAはPTSDの画期的な治療薬」アメリカ食品医薬品局が臨床試験を認める | BUZZAP!(バザップ!)

心理療法とMDMAを併用する治験においてPTSDの改善が見られたという続報もありました。

合成麻薬MDMAを利用した心理療法、PTSDに効果の可能性 | ロイター

PTSDの症状改善に有用か、合成麻薬MDMA 米研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 チームは、心理療法と「1か月間隔で2,3回の投与のみ」の速効薬とを組合せる、この「薬物療法への新たなアプローチ」によって、患者の治療を加速できる可能性があることが今回の試験では示されたとしている。

 一方、この結果について研究チームは、精神疾患の患者が違法薬物のエクスタシーに助けを求めるべきということを意味するものではないと注意を呼び掛けている。

MDMAのような中枢神経刺激薬は、単体でトラウマを治療するようなものではなく、トラウマによって麻痺した状態にある人が、心理療法を受けられる程度の活力を一時的に取り戻せるようにするという意味で、効果を期待できるといえます。

トラウマ記憶の形成を防ぐテトリス効果

PTSDのトラウマ記憶が形成されるプロセスについては、2月に筑波大学による研究がありました。

筑波大学|お知らせ・情報|注目の研究|心的外傷のケアはタイミングと場所が重要 ~PTSD治療に新たな展望~

PTSD予防、直後のケアが重要 筑波大などマウス実験:朝日新聞デジタル

PTSDモデルマウスにおいて、トラウマ直後に記憶の汎化を引き起こしやすい時間帯が存在することを発見しました。

さらにこの汎化の条件を詳細に検討した結果、トラウマ直後に慣れ親しんだ場所に置かれると、その場所に特に汎化が起こりやすいことが判明しました。

この研究によれば、トラウマ直後の時間帯にどう対処するかによって、トラウマ記憶が形成されるかどうかが決まります。

8月には、富山大学の井ノ口馨教授(NHKサイエンスZEROにも出演した記憶の専門家)らが、トラウマ記憶は日常のささいな記憶と結びついて形成されることを明らかにしていました。

大学院医学薬学研究部(医学)井ノ口教授らのグループが強烈な体験によってささいな出来事が長く記憶される仕組みを解明|教育・研究活動|富山大学

強い記憶、連動の仕組み解明 富山大など  :日本経済新聞

精神的ショック前後のささいな記憶はなぜ残る? 富山大がメカニズム解明 PTSD治療も – 産経WEST

富山大、強烈な体験によってささいな出来事が長く記憶される仕組みを解明 | マイナビニュース

通常ならすぐに忘れてしまうようなささいな出来事でも、その前後に強烈な体験をした場合には、長く記憶として保存される仕組みを解明しました。

強烈な体験をしたときの記憶は、前後一時間ほどの間に活性化した日常のささいなできごとの記憶と結びついてしまうとのことでした。その結果、結びついたささいなことがトリガーとなってフラッシュバックが生じるようになってしまいます。

この研究から思い出されるのは、近年しばしば見かける、テトリスゲームがPTSD防止や、PTSD治療に役立つという研究です。

研究結果:テトリスがPTSD治療に役立つかもしれない|ギズモード・ジャパン

Can Playing the Computer Game “Tetris” Reduce the Build-Up of Flashbacks for Trauma? A Proposal from Cognitive Science

CNN.co.jp : 心の傷に起因するPTSD、「テトリス」で予防できる可能性

心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発症を防ぐのに「テトリス」が有効であることが明らかに – GIGAZINE

PTSD予防にテトリス 研究者「対処法として有望」:朝日新聞デジタル

チームは2014~15年、英オックスフォードの病院で、自動車事故に遭ったり目撃したりした71人を対象に実験した。

半数の人には事故から6時間以内にゲーム機「ニンテンドーDS」を渡し、テトリスをしてもらった。

その後、1週間で、事故を急に思い出すフラッシュバックの回数を調べると、テトリスをしなかった人は平均23回だったのに対し、テトリスをした人は平均9回に抑えられたという。

おそらく、トラウマ経験の直後に、テトリス効果によって日常的な記憶との結びつきを阻止することで、トラウマ記憶が形成されるのを防ぐ効果があるのでしょう。

またPTSDの体験からしばらくしてから、トラウマ記憶を想起してからテトリスをすることで、トラウマ記憶が和らいだという研究は、前述の研究の、記憶の再固定化を利用した治療と類似したメカニズムによるものかもしれません。

ここでは一例としてテトリスを用いて研究されてはいますが、同様の単調な作業没頭できるゲームであれば、テトリス以外でも問題なさそうです。

ところで、記憶には大きく分けて、言葉や意味として記憶される陳述記憶(顕在記憶)と、身体に刻み込まれる手続き記憶(潜在意識)とがあります。

このうち手続き記憶は、自転車の乗り方、楽器の弾き方のように、言葉で表現することができず、身体そのものが覚えるかのような記憶です。

PTSDのトラウマ記憶は、恐怖体験のときの心身の反応が身体に刻み込まれた一種の手続き記憶だと考えられます。そして、テトリス効果もまた、手続き記憶の一種だとされています。

身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く
世界的なトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる「身体はトラウマを記録する」から、著者の人柄にも思いを馳せつつ、いかにして「発達性トラウマ」が発見されたのかという

近年の研究によると、睡眠には手続き記憶(潜在記憶)を定着させる役割があると言われています。

嫌な思いをした日「早く寝て忘れよう」は逆効果:日経ビジネスオンライン

陳述記憶ははっきりしませんが、スポーツや楽器の演奏などに関係する手続き記憶は、睡眠をしっかり取れば定着することが分かっています」と内山主任教授。

手続き記憶が練習後に睡眠を取ることで定着度が高まることは、イスラエルのワイツマン研究所の研究により実証された(Science. 1994 Jul

そうすると、トラウマ的な経験をした直後に、心身ともに疲れ果ててしまって、すべてを投げ出して寝てしまうと、トラウマ記憶が定着し、PTSDを発症してしまうということになるでしょう。

おそらくは、寝て忘れたように思われるのは、トラウマ記憶を潜在記憶として定着させるからではないでしょうか。意識上は忘れますが、身体にはしっかりと刻み込まれてしまうということです。

また、トラウマ体験の後に、それについて詳しく話す手法(デブリーフィング)がかつて推奨されたことがあります。しかしかえってPTSDを悪化させる結果になりました。

それで、トラウマ体験の直後は、すぐに寝たり、反すうするかのように詳しく想起したりするのではなく、テトリス効果などを用いて手続き記憶を上書きしてから眠るようにすることで、トラウマ記憶の定着を防ぐのが重要なポイントであるように思えます。

PTSDの脳の炎症がミノサイクリンで改善

その後、11月には、東北大学の富田博秋教授、災害科学国際研究所の兪志前助教授、そして先に出てきた東京農業大学の喜田聡教授らによる、PTSDと脳内炎症についての研究が報道されました。

脳内炎症の抑制が恐怖記憶に伴う行動異常を改善する~… | プレスリリース | 東北大学 -TOHOKU UNIVERSITY-

脳内ミクログリア細胞のTNFα産生が恐怖記憶の保持に重要な役割-東北大ら – QLifePro 医療ニュース

心的外傷後ストレス障害 (PTSD)のモデルマウスで認められる恐怖体験の記憶が持続することに伴う行動異常に伴って、脳内ミクログリア細胞において炎症に関わるサイトカインというタンパク質の1つであるTNFαの産生が増加し、行動異常の改善とともに産生が減少することを発見しました。

さらに、ミノサイクリンの投与によるTNFα抑制が恐怖記憶による行動異常の改善を促進することが確認されました。

これまでも、PTSD患者の血液から、炎症を引き起こすサイトカインというタンパク質の異常が見つかっていました。

この研究では、実際に、PTSDのラットの脳にある、ミクログリアという免疫細胞において、サイトカインの1つ「TNFα」が増加していることが確かめられました。

そして、炎症を抑える抗生物質ミノサイクリンを投与すると、TNFαが抑制され、トラウマ記憶による異常な行動が改善したそうです。

今年1月のニュースによると、こちらも臨床試験が計画されていて、東日本大震災の被災者を対象に、ミノサイクリンと同じ炎症を抑える効果がある健康補助食品を使った治療法を試みるそうです。

マウスのPTSDが薬で改善 東北大が被災者で臨床試験計画:朝日新聞デジタル

同じしくみが人間にも効くかどうかを確かめるため、東日本大震災の被災者を対象にした臨床試験を計画しているという。

 …ミノサイクリンは抗生物質として使われているが、めまいなどの副作用も知られている。そこで富田さんらは、同じ炎症を抑える効果がある健康補助食品を使った治療法を、被災者に試みる考えという。

近年、通常の医療機関では確認できないレベルでの脳のミクログリアの炎症が、さまざまな疾患に関係していることが報告されていて、その中にはアルツハイマー病や自閉症、慢性疲労症候群、線維筋痛症なども含まれています。

線維筋痛症と自閉スペクトラム症には免疫細胞ミクログリアの活性化が関係している?
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かといって、これらの病気の原因が、一概に脳の炎症にあるかといえばそうではなく、脳の炎症は原因とはなく結果のひとつである可能性もあります。

脳の炎症を標的にした薬が、PTSDの治療に功を奏するかどうかは、今後の結果を見てみないことにはわかりません。

とはいえ、薬物治療はときに効果がありますが、心身のケアに代わるものではないことを覚えておく必要があります。

脳の扁桃体のブレーキの異常

そのほか、昨年は、理化学研究所の国際研究チームによる一連のトラウマ記憶にかかわる研究成果も何度か報告されていました。

「2度あることは3度あるか?」を脳が計算 | 理化学研究所

嬉しい体験と嫌な体験は互いに抑制し合う | 理化学研究所

過剰な恐怖を抑制するための脳内ブレーキメカニズムを解明 | 理化学研究所

いずれの研究も、脳の扁桃体と恐怖記憶に関するものです。

扁桃体は、脳の警告アラームや、煙探知機と呼ばれていて、PTSDや恐怖症、不安障害の人では、このアラームが常に鳴り響き、過剰に反応していると言われています。

PTSDを発症した人では扁桃体や海馬が小さいことが知られています。ストレスホルモンのコルチゾールが海馬の萎縮をもたらす一方で、もともと海馬や扁桃体が小さいことが、PTSDになりやすいリスクをもたらす可能性も指摘されていました。

Smaller hippocampal volume predicts pathologic vulnerability to psychological trauma. – PubMed – NCBI

PTSD linked to smaller brain area regulating fear response — ScienceDaily

研究では、特に「扁桃体外側核」と呼ばれる領域がトラウマ症状と強く関係しているらしいことが示唆されていました。

本来、脳は一度恐怖を体験し、恐怖を事前に予測できるようになると、扁桃体中心核などのブレーキ回路が活性化して、さらなるトラウマ記憶が作られるのを防ぐようです。

本研究の結果は、恐怖体験を事前に予測することで活性化される「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質→吻側延髄腹内側部」回路という一連の脳領域の活動が、過剰な恐怖記憶の形成を防いでいることを示しています。

しかし、このブレーキ回路がうまく働かないと、恐怖記憶の中枢である「扁桃体外側核」が活性化し、強固なトラウマ記憶がつくられると考えられます。

この扁桃体外側核は、「2度あることは3度あるか」という判断にも関係していて、危機が去っても安心することができず、また何度でも同じ目に遭うかもしれない、という終わりなき恐怖が生じてしまう原因ともなっているようです。

そして、扁桃体外側核の内部には、嬉しい記憶の細胞群と、嫌な記憶の細胞群が異なる領域に分かれて存在し、互いに抑制し合っていることもわかったそうです。

そうすると、もし、嫌な体験の記憶が常に活性化されている状態にあるならば、楽しい記憶は抑制されていて感じられない、ということになるでしょう。

このことから、嬉しい体験細胞および嫌な体験細胞の活動が、それぞれの体験に特有な行動を実際に引き起こすことが示されました。

さらに研究チームは、嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は、互いに抑制し合うことも明らかにしました。

この成果は、嬉しい体験や嫌な体験に対応した神経細胞の特徴に照準を絞った情動障害の治療法開発の研究につながると期待できます。

それぞれの記憶が互いに抑制しあい、同時に働かないという性質を利用すれば、過剰な恐怖記憶を抑制する治療法が見つかるかもしれません。

同じ研究チームは、過去に、うつ状態のマウスの楽しい記憶を活性化させることで症状を改善できるという研究も行っていました。

光で過去の楽しい記憶を活性化してうつ状態を改善
楽しい記憶を刺激するとうつ状態が和らぐそうです

先程の富山大学の井ノ口馨教授のチームも、その後の研究によって、光ファイバーによる光刺激で特定の神経細胞を抑制することで、結びついた記憶を切り離すことに成功したそうです。

共同発表:記憶を関連づける神経細胞集団の仕組みを解明

つらい記憶:忘れられる?…PTSD治療に応用も 富山大 – 毎日新聞

つらい記憶 消去できる? 富山大など、PTSD治療に一歩  :日本経済新聞

例えば、フラッシュバックのように日常の出来事の記憶とトラウマ記憶の結びつきが問題となる場合、重複した記憶痕跡細胞集団の神経活動を抑制することで、それぞれの記憶には影響を与えず両者の記憶を切り離すことも可能と思われ、将来的にはPTSD治療への適用も視野に入ってきます。

競合する脳機能を強化する

この記事では、PTSDの薬物治療に期待されている薬として、メマンチンやミノサイクリン、MDMAを取り上げました。

以前このブログで紹介したものとしては、めまいの薬セロクラールが効くという話もありました。

PTSD治療に使える薬の選択肢が増えることには良い面もありますが、同時に気をつけるべき問題もはらんでいます。

さきほど、MDMA(エクスタシー)の効果について引用した身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、トラウマ研究の専門家のヴァン・デア・コーク博士は、薬が果たす役割は認めつつも、薬だけに頼りすぎると、本当の問題から注意がそらされてしまうという懸念を表明しています。

私はPTSDのための薬の研究を非常に多く行なったあと、精神科の薬には重大な欠点があることに気づくに至った。

こうした薬は、根底にある肝心な問題への対処から注意を逸らしかねないのだ。

精神的な問題を脳の疾患と捉える脳疾患モデルは、人々の運命の主導権を本人の手から奪い取り、彼らの問題の解決を医師と保険会社に委ねる。(p69)

PTSDのような病気は、確かに脳の病気という一面がありますが、その実態は、心の病気でも体の病気でもなく、1人の人間という、心も体も巻き込んだ全身に関わる病気です。

うつ病やPTSDは老化の加速を伴う「全身の病気」である
うつ病はこころの病気、脳の病気ではなく、老化の加速を伴う全身の病気なのだそうです。

脳の化学物質がおかしくなったから薬で補えば治る、というような単純なものではなく、思考や言葉、全身の感覚、人とのつながりなど、人としてのあらゆる面がからみあっています。

自力で動いたり、考えたりする気力さえなく、症状に振り回されている人にとって、薬物療法は治療と向き合うきっかけにはなりますが、本当の意味で回復していくには、自分の意志で主導権を握って、積極的に心身の治療に携わっていくことが不可欠です。

ヴァン・デア・コークは、ただ薬を飲めばよくなるということはなく、薬はあくまで補助的なものであり、精神療法に向き合う助けとして活用できるにすぎないことを繰り返し強調しています。

だが、薬はトラウマを「治す」ことはできない。乱れた生理機能の表れを抑えることができるだけだ。また、自己調節を可能にする効果が永続するような教訓を与えてはくれない。

感情と行動を制御するのを助けることはできるが、それには常に代償が伴う―なぜなら薬は、関与、モチベーション、痛み、喜びを調節する化学システムを抑え込むことによって作用するからだ。(p368)

その点で、競合する脳機能を活用することは、薬物療法とはまた異なる、主体的な治療の道筋を示すものかもしれません。

たとえば、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、慢性疼痛に対する視覚化を用いた治療法は、同時には活性化させることができない拮抗する脳の機能を活用する治療法だとされています。

モスコヴィッツの着想は単純で、「この競争的な性質を持つ可塑性をうまく利用できないものか?」「痛みを感じ始めたとき、いかにそれが大きくなろうと、それまでに行っていた活動を無理にでも続けることで、対応する脳領域をそれらの活動のために〈取り戻し〉、痛覚処理に〈乗っ取らせずに〉済ませられないものだろうか?」であった。

…つまり彼は、慢性疼痛を引き起こしている神経回路の勢力を弱めるために、対応する脳領域に痛み以外の処理を強制的に行わせればよいと考えたのだ。(p40)

このような互いに競合し、抑制し合う脳機能には、さまざまなものが存在していて、扁桃体における嬉しい記憶と嫌な記憶の競合もそのひとつなのでしょう。

すでに偏ってしまった脳機能を正反対の方向へシフトするのは簡単ではありませんが、近年活用されはじめたニューロフィードバックやVR(バーチャルリアリティ)などの技術は、競合する脳の機能を強化するのに役立つ可能性がありそうです。

「仮想子ども」に優しく接して「うつ」を治療するVR実験|WIRED.jp

心理学者のアルバート・リッツォは、イラク戦争の退役軍人に見られる心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療にVRを利用している。

「Virtual Iraq」(仮想イラク)と名付けられたプログラムを利用するこの治療法は、曝露療法の形式で、患者を実際の環境にさらすのではなく、「恐ろしい状況も含めた仮想環境にさらす」ことが行われる。

2016年11月の国際電気通信基礎技術研究所(ATR)やカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校などの研究によると、ニューロフィードバックを用いることで、トラウマ経験を思い出させる曝露療法をすることなく、恐怖記憶を消去することに成功した、という研究もありました。

つらい経験を思いだすことなく、無意識のうちに恐怖記憶を消去できるニューロフィードバック技術を開発 |株式会社 国際電気通信基礎技術研究所/a>

また、本成果は、恐怖記憶消去について、新たな科学的な知見をもたらすものです。恐怖記憶を思い起こさせる刺激を直接見せる従来法を用いた場合、前頭前野腹内側部という脳領域の働きにより、恐怖記憶が抑制されることが知られています。

この抑制機能はあくまでも一時的なものであり、時間が経過すると、恐怖記憶がよみがえりやすいのが難点とされます。

一方、DecNefを用いた本研究では、この前頭前野腹内側部の関与が認められず、その代わりに、報酬にもとづく学習にかかわる線状体という脳領域の関与がみられました。

このことから、DecNefを用いることにより、単に恐怖記憶を抑制するのではなく、記憶の痕跡そのものを変容できた可能性があると考えられます。

この研究では、被験者に報酬を与えるデコーディッドニューロフィードバック法(Decnef)を用いて、恐怖記憶を抑制するのではなく、置き換えることができました。

もちろん実験室で作られた恐怖記憶は、PTSDのトラウマ記憶とは程遠いものですが、今後さらに研究を重ねて臨床でも活用されるかもしれません。

また、脳科学は人格を変えられるか?には、コンピュータを用いたトレーニングによって、常にネガティブな側面に注目してしまう脳のバイアスを身に着けてしまったPTSDの兵士たちを治療する取り組みが紹介されていました。

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この記事でいくらか考えた、PTSDは心の傷ではなく、脳や全身の問題である、という点については、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復に基づくこちらの記事で詳しく扱っています。

原因不明の身体症状に苦しむ人のための「記憶」の科学の10の考察
全身に散らばる原因不明の身体症状の謎を、記憶の科学から読み解きます

最近公開された、PTSDと闘い、生き抜いてきた人たちの手記も、補助的に薬物療法を活用しつつも、何より大切なのは、自分の人生の主導権を握り、少しずつ前進していくことである、ということを物語っています。

書くことが精神を浄化させる PTSDと闘う記者の告白 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

レディー・ガガ、PTSDについて長文のテキストを公開。全文訳を掲載 | NME Japan

【AFP記者コラム】自分のPTSDを認めることの重要性──2人のAFP記者の体験 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News

これからも、様々な観点からPTSDの研究が進み、トラウマ記憶にとらわれてしまった人生を溶かす方法が解明されていってほしいと思います。