一般人のイメージでは、声の幻聴は統合失調症とほぼ同義語である―声が聞こえる人の大半は統合失調症ではないので、これは大きな誤解だ。(p76)
これは、有名な脳神経科医、オリヴァー・サックス先生の見てしまう人びと:幻覚の脳科学
という本からの引用です。
日本でもアメリカでも、精神科医の中には、今だに、患者に幻聴があると知ると、安易に統合失調症と診断してしまう人が少なくないようです。
しかしオリヴァー・サックス先生の言葉が示すように、幻聴がある人の大半は統合失調症ではありません。
幻聴を伴い、統合失調症と間違われやすいものの代表例は、解離性障害とアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)だと言われています。
この記事では、特に、統合失調症と解離性障害の違いについて、解離の専門家の本を参考にまとめてみました。アスペルガー症候群との違いについても少しだけ取り上げています。
もくじ
これはどんな本?
今回おもに参考にした本は、解離の専門家、岡野憲一郎先生の わかりやすい「解離性障害」入門、そして柴山雅俊先生の解離の病理―自己・世界・時代、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)などです。
いずれの本でも、統合失調症と解離性障害の鑑別に多くのページが割かれているので、この二つの病状を鑑別するのは、専門家にとっても重要なポイントであることがうかがえます。
とてもよく似ているので見分けにくい
統合失調症と解離性障害が混同されることの背景には、医師でさえなかなか見分けるのに苦労するという事情があるようです。
今では解離性障害の専門家として知られる岡野憲一郎先生も、解離性障害について本格的に学び始めた時期のことについて、続解離性障害の中でこう振り返っています。
メニンガーで初めて解離の患者の症例検討会に出席したときには、私自身も「どうしてこれが統合失調症でないのか?」という感じでした。(p204)
解離性障害と統合失調症は確かによく似ていて、いくつもの共通点があります。たとえば次のような類似点を挙げることができます。
■幻聴などの幻覚症状
■さまざまな身体症状や知覚過敏
■体の中に異物があるように感じる体感異常(セネストパチー)
■だれかに操られているような感覚(自我境界の障害)
■子どものころから「いい子」だった
冒頭で引用したサックス先生の言葉通り、わかりやすい「解離性障害」入門によると、特に昨今の精神科領域では、幻聴があると聞くと、すぐに統合失調症と診断する傾向が見られています。
特にもう何年も前に資格を得た大部分の精神科医にとっては、「幻聴といえば統合失調症」という観念が染みついているのです。
すると患者さんが「誰もいないのに声が聞こえます」と言っただけで、精神科医が「この人は統合失調症だ」と判断してしまい、その後はその路線に従った治療や薬の処方がされてしまうというわけです。(p129)
しかし、このようにして安易に統合失調症と診断されている人の中には、相当数の解離性障害やアスペルガー症候群の患者が紛れていると考えられます。
特に、聴覚が過敏になったり、誰もいないのに自分の名前を呼ぶ声が聞こえたり、音楽が勝手に聞こえたりする幻聴は、以前は初期統合失調症とみなされていましたが、実際には解離性障害である可能性が高いと言われるようになりました。(p71)
もちろん、解離の病理―自己・世界・時代によると、統合失調症とも解離性障害とも区別しがたい中間病態もあり、両者に詳しい専門家でも迷うケースもあるといいます。(p188)
しかし、たいていの場合は鑑別可能であり、そのことは治療にとっても重要だとされています。正しい診断に至らなければ、良かれと思って受ける治療によって悪化することさえあるのです。
解離性障害と統合失調症の6つの違い
それではこれから、解離性障害と統合失調症の6つの違いを見ていきましょう。
もちろん、すべての場合にはっきりと違いが明らかなわけではなく、解離性障害といえども統合失調症のような特徴を持っていたり、その逆の場合もあったりするかもしれません。
しかし全体的な傾向として判断すれば、どちらのほうが近いか、ということは判別できるのではないかと思います。
1.幻聴
まず最初に取り上げるのは、すでに述べたように解離性障害が統合失調症と誤診される一番の原因となっている幻聴です。
確かに、統合失調症と解離性障害とでは、どちらも幻聴が見られるという点は共通しています。しかし、それぞれ特徴が異なっているそうです。
岡野憲一郎先生はこちらの記事の中でこう書いています。
解離性障害の場合は、幻聴を日常生活の一部として受け入れていることも少なくない。
物心ついた時からすでに幻聴が聞こえている場合には特にその傾向が強い。
他方統合失調症の方は、発症の数ヶ月前から徐々に幻聴が聞こえ始めたり、場合によってはある日突然声が聞こえ始めたりすることが普通であり、またその声により日常生活もままならないほど苦痛や怯えを感じていることが多い。
解離性障害の幻聴は、幼少期から当たり前のように存在していることも多く、自我異和的な内なる声のように認識されています。
解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論にはこうあります。
解離性の幻聴で多いのは単に自分の考えが誰かの声として聴こえてくるという形式である。
そこには知られるはずのない自分の思考内容がどういうわけか他者の声として聴こえるという唐突な不意打ちはない。
解離において他者はあたかも自己であるかのようであり、その他者にこだわるということは少ない。
統合失調症では他者と自己は明確に区別されており、その上で自己は他者に圧倒され、先行されているという矛盾的構造がある。(p185)
統合失調症の幻聴は、頭の中と外とがつながって筒抜けであるという感覚を伴い、はっきりと自分の考えを読まれていると感じるのに対し、解離性障害ではあくまでいろいろな人(交代人格や空想の友人)のさまざまな声が聞こえるという感じなのでしょう。
■自分の思っていること、感じていることをずばり言われるので驚く
■幻聴の内容は不明瞭ながらおおむね敵対的
■幻聴は頭の外から聞こえる場合も中から聞こえる場合もある
■周りの人に思考がもれて筒抜けになっていると感じる
■声の主はだれかわからない。あるいは神や悪魔の超越的存在の啓示とみなすことも
■幻聴の内容はさまざま
■幻聴は頭の中から聞こえることが多いが、ぬいぐるみや人形などに投影されることも
■ザワザワと人の声がしたり、気配を感じたりすることもある
■交代人格が関係している場合、誰の声かわかる。かつての加害者の声のことも
■物心ついたときからずっと聞こえていることもある
(解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)p75、わかりやすい「解離性障害」入門
p71-72、130、離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合
p124などに基づく)
2.幻視
次に取り上げるのは幻視です。幻視も幻聴と同じく幻覚の一種ですが、統合失調症と解離性障害とでは大きな違いがあるそうです。
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合にはこう書かれています。
他方の幻視はどうか。統合失調症においては少ないとされる幻視は解離性障害では比較的多く聞かれる。
また統合失調症の幻視が奇怪な内容であるのに対し、解離性障害の幻視の内容はおおむね現実的で、過去のトラウマのフラッシュバックという色彩を持つ (Bremner,2009)。
しかし他方では、幽霊を見るケースも報告されている。(Hornstein,et al.,1992)(p125)
幻視は、統合失調症ではあまりなく、解離性障害に多い症状といえます。もちろん幻視をともなう病気は他にも色々あるので鑑別は大事です。
ちなみに、意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること (ブルーバックス) には、幻覚について、次のような記述がありました。
患者たちは左右いずれかの側頭葉の手術に臨んだが、左右の割合はほぼ同じで、電気的に幻覚を誘発できたのは520人中わずか40人だった。
その40人のうち25人で、てんかんが始まる焦点は脳に非優位半球(たいていの場合は右半球)にあった。
このことは右半球が幻覚を起こすというジェインズの考えをいくらか裏づけるように思われるが、右半球に起きがちな幻覚は視覚性であり、聴覚性の幻覚は左右の別なく起きる。(p163)
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によれば、解離とは「一種の右脳の機能不全」であり、「右の前帯状回こそが解離の病理の座であるという説もある」ので、視覚性の幻覚が解離性障害に多いことと関連性がありそうです。(p19-20)
■幻視はほとんどない
■幻視がある場合は奇怪な内容が多い
■豊かな幻視があり、人の影やはっきりしたイメージが見える
■おおむね現実的な内容で、過去のトラウマのフラッシュバックのこともある。
■天使・幽霊・小人・動物などが見えることもある
■空想の友達の幻視など、対話できる場合もある。
(わかりやすい「解離性障害」入門p72-73、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)
p75、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合
p125などに基づく)
興味深いことに、オリヴァー・サックスは、レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) の中で『最も長く入院している重い障害を負った患者の少なくとも3分の1、おそらく過半数は「慢性的に幻覚を見る」』と述べています。
そして、「これらの患者たちが見る幻覚のほとんどには曖昧さや偏執さがなく、統合失調症患者の幻覚にみられる制御不能の性質とは異っている」とも述べています。
こうした幻覚は、重い身体疾患をはじめ、さまざまな逆境で生じる解離現象であり、病的なものではなく、心を保護するために生じる良性のものです。
そこで、私は患者たちの幻覚を、彼らの健康、生きること、充実した生を送ることへの尽きない望みと理解することにした。
想像や幻覚の世界の中でなら、彼らは今でも自由を楽しむことができ、人生の豊かさやドラマを目にする。
極端に過敏だったり、動く能力や社会的つながりを失う中で、彼らは幻覚を見ることで生き延びてきた。
そしてそのためにも、患者から豊かで良性の「生活」を幻覚で見たと聞く度に、私はその人を心から応援するのだ。ちょうど、彼らが生きるために行なうあらゆる創造的な努力を応援するように。(p381)
サックスが指摘しているように、おそらくは統合失調症による病的な幻覚よりも、慢性的ストレスのもとで心を保護するために現れる解離性の幻覚のほうがよほど多いと思われます。
ところが、妄想的な統合失調症の人たちは幻覚についてはばかりなく医師に話すのに対し、妄想的ではない解離性の人たちは「変わっているとか狂っているとか思われるのではなないかと恐れる」ので、幻覚について秘密にしています。
その結果、医師たちは、統合失調症の妄想的な幻覚のケースしか見聞きしないために、幻覚=統合失調症だと誤解するようになってしまうのです。
しかし、冒頭で引用した文中でサックスが述べていたように、「大半は統合失調症ではないので、これは大きな誤解」です。
統合失調症の幻覚よりもはるかに多いだろう良性の幻覚の症例は、恐れの気持ちのために医師たちから隠されてきたにすぎません。
3.対人関係
三番目に取り上げるのは、統合失調症の人と解離性障害の人の、他人に対する接し方の違いです。
解離の病理―自己・世界・時代にはこう書かれています。
解離性障害の患者は、治療者や周囲に対して、不信感や攻撃性をそれほど露わにしない。むしろ、陽性転移が治療関係を覆っており、治療者に依存的である。
彼らは周囲に対する同調性のために、一般的に対立を回避しようとする傾向がある。
それに対して統合失調症の場合は、どこか医療側の治療方針や説得を受け付けないところがみられる。服薬なども拒否しがちである。
微妙に拒否が漂っているが、それが単なる拒否ではなく、了解しがたいところを含んだ拒否であるならば、いっそう統合失調症が疑われる。(p189)
一般的に、統合失調症の人は他人から自分を守ろうとして防衛的になるのに対し、解離性障害の人は、他人に同調する傾向があるようです。
■他人との間に壁を作って自分を守ろうとする
■他の人を拒絶して自己に固執する
■治療者に対して拒否的で、治療方針や説得、服薬指導を受けつけないことがある
■体調が改善すると気軽に仕事に就き、接客業・サービス業などを選びやすい。
■他者を助けることが好きで、入院中でもまわりを和ませる
■虐待する親をさえ世間からかばうこともある
■治療者に依存的で対立を回避する
■不信感や攻撃性をそれほどあらわにしない
(解離の病理―自己・世界・時代p23、p189などに基づく)。
解離性障害の人の強い同調性についてはこちらの記事に詳しく書いています。
4.妄想的な思考
四番目は、妄想的な思考についてです。統合失調症というと、思い込み・確信などの妄想がよく知られていますが、解離性障害ではその点が大きく異なるといいます。
HSP(感受性の強い人)や解離に詳しい長沼睦雄先生は子どもの敏感さに困ったら読む本: 児童精神科医が教えるHSCとの関わり方 の中で、統合失調症と解離をこう区別しています。
統合失調症がある人は自分が病気だという意識がないので、「それは変でしょ?」とこちらが聞いても、「いや、変じゃない。あなたがわからないだけです」と言います。
解離の人たちは「それ、変でしょ?」と聞くと、「そうですよね、変だと自分でも思うんですけど、そう感じるんですよ」とか「変ですよね、でも聞こえるんです」と言います。(p158)
統合失調症が妄想的な思考を持ちやすく、他の人から見た自分のおかしさを意識できないのに対しろ、解離では客観的、理性的な思考が保たれています。
解離性障害の研究の草分け的な医師であるラルフ・アリソンも、「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からの中で、解離性障害と統合失調症の幻聴に対する認識の違いについて、こう書いていました。
彼女は、その声が正常なことではないと知っていて、心配していた。真の〈精神分裂病〉患者は、自分に問題があるとは思わない。その声を現実のものと考えるのが通例である。(p30)
(※統合失調症が精神分裂病という差別的な表記で書かれているのは単に翻訳が古いからです)
同様の点について、解離の病理―自己・世界・時代の中で、柴山雅俊先生もこう書いています。
解離性障害の場合、過去のさまざまな体験について夢のように捉え、現実であるのか夢なのか区別が曖昧であることも多い。そのため概して患者は確信性や自己主張が乏しい。
妄想的な要素が見られた場合は統合失調症か否かを慎重に判断する必要がある。
ちなみに解離性障害では一級症状に類似した症候を呈するが、妄想知覚のみは例外であり、解離では決して見られない。(p189)
統合失調症の人は、妄想的な信念・思い込みを持っていて、考えを容易に変えないのに対し、解離性障害の人は、自分の記憶にさえ確信が持てず、周囲の人の言葉に影響されやすいことがわかります。
柴山雅俊先生の解離の舞台―症状構造と治療によると、解離性障害の人たちの性格特性は、妄想的であるどころかむしろその逆で、妄想を抑制する傾向にあるといいます。
過剰同調性に見られるように、解離の患者は他者に過剰に気を遣い、周囲の他者に合わせる傾向が顕著である。
他を変形するのではなく、自を変形することによって直面する状況を乗り越えようとする。そのため自己と他者の対立的関係は成立しがたい。
こうした「我の弱さ」は解離性障害の妄想形成に対して抑制的に働く要因のひとつになっている。(p235)
それに対して妄想形成は、ある種の自他の対立的性格、現実世界に密着した我の強さと関連しているように思われる。(p236)
解離性障害の夢のようなあやふやな世界は、統合失調症の確信のこもった妄想的な世界とは対極に位置しています。
■自分の考えがだれかに盗まれている、読まれていると思い込む(思考伝播)
■だれかの考えを吹きこまれている、だれかに操られていると思い込む
■幻聴について、頭の中にだれかが小さな機械を埋め込んだと信じている場合などがある
■過去の虐待などがある場合、妙に確信を抱いている
■他人の考えが頭に入ってくると感じることもあるが、そう感じるだけで確信はしていない
■だれかに監視されている、見られているという気配を感じることもあるが、あくまで不安を感じるだけ
■過去の虐待経験などは夢のようにとらえ、現実だったのかどうかあいまいに感じている
(解離の病理―自己・世界・時代p189 解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)p74-75、わかりやすい「解離性障害」入門
p72などに基づく)
5.幼少時からの特徴
五番目に考えるのは、それぞれの幼少時からの主観的体験です。解離性障害の人たちは、発症前の子ども時代から手のかからない「いい子」だったと言われることがよくあります。
そのような「いい子」であろうとして自分を抑圧していたストレスが発症に結びついているだけでなく、ほかにも独特な幼少時からの体験世界があるといいます。
解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)にはこう書かれています。
解離の患者は小児期にさまざまな不思議な体験をしている。
彼らはそのような体験が誰にでもある普通のことと思っていたり、それを言ったために人に違和感をもたれたり、あるいはそのような体験について人に言わないよう釘を刺されたりしていることが多い。
…米国の心理学者ウィルソンとバーバーは催眠感受性の研究で偶然に「空想傾向(fantasy-proneness)」を見つけ、高度に催眠に陥りやすい郡は空想に広く、そして深く没入する傾向があることを観察した。(p120-121)
解離性障害の場合は、子どものころから解離しやすい傾向を持っており、いろいろと不思議な経験をしていることがあるのです。
他方、統合失調症の病前性格は、おとなしいというより、奇抜であることが多いようです。?私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳には、このような例が載せられています。
「いまにして思うと、彼の病前性格は或る種の統合失調症にぴったり当てはまっていました。友人のことをこんな専門用語で評価するのは心苦しいのですが」とサスは言った。
親友は型にはまらない、自律を好む性格だった(精神障害は自律性が低下するというのが従来の見かただが、サスはそこに疑問を投げかける)。
「彼は私たち〈普通人〉は因襲にしばられていて、ある意味臆病だというのです……たとえば、ここでいきなり逆立ちする人はふつういませんよね。
でも彼は、やりたいと思ったら実行します。とんでもないことでもやってしまうし、恐れ知らずでした」(p127)
統合失調症の場合、「やりたいと思ったら実行し」「恐れ知らず」な病前性格が見られます。衝動的だったり、エキセントリックだったりします。
こうした性格でありながら、統合失調症を発症するまでは至らない境界線上の人たちは、「統合失調型パーソナリティ」と呼ばれ、しばしば天才と呼ばれる人に見られます。
付録部分で後述しますが、そこまで特徴的でなくとも、統合失調症の病前性格がどちらかといえば多動また衝動的で、事故や怪我をしやすいことは別の研究でも確かめられています。
そのため、たとえば 心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで に書かれている事例のように、「プリンストン大学の学生を目指していた人気者の妹が、何の前触れもなく重い統合失調症を発症した」というようなことが起こります。(p107)
解離性障害の場合のような、子どものころから空想世界に親しんでいるというわけではなく、発症の少し前から突然幻聴などが現れるので、本人の恐怖や苦痛も大きいといいます。
一般の本や体験談の場合、統合失調症の病前性格として内気だったり引きこもりだったりするとされている場合がありますが、おそらくかなりの程度、内向的な解離性障害やアスペルガー症候群の事例が混同されていると思われます。
■子どものころに幻聴や不思議な体験は特にない
■衝動的で恐れ知らずな傾向がある。
■統合失調症が発症する数カ月前ごろから前兆として幻聴が聞こえ出すので、恐れや苦痛が強い
■子どものころから独特な夢の体験がみられる
■子どものころから空想に没入する傾向がみられる
■子どものころからイマジナリーコンパニオン(空想の友達)の声として幻聴が聞こえていることも多いので、日常的で当たり前のことと感じている
■とても豊かで詳細な空想世界を築いていることも多い
(解離の病理―自己・世界・時代p188、わかりやすい「解離性障害」入門p130-131などに基づく)
この点については以下の記事も参考にしてください。
6.させられ体験・自動症
最後に、統合失調症と解離性障害には、どちらの場合も、だれかが自分を操っているように感じる「させられ体験」がみられるといいます。
1889年、フランスのピエール・ジャネは、このような体験について「自動症」と呼び、解離やトラウマと関連づけたといいます。
この「させられ体験」も、統合失調症と解離性障害では、それぞれ異なる特徴があると言われています。
解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)にはこうあります。
解離ではまず自明な自があって、そこに他が入ってくるのをどこかで感じている。自はその他の力に身を任せ、他になりきってふるまうことさえもある。
あくまで「なりきる」のであり、統合失調症の作為体験のように「させられる」ことはない。
「自に他を取り入れている」のであって、「自が他によって取り入れられている」のではない。(p150)
統合失調症のさせられ体験は、だれかに思考を先取りされている、自分のコントロールを奪われているといった妄想と関連しているようです。
一方、解離性障害のさせられ体験は、解離されていて意識していないトラウマ記憶による「再演」なのでしょう。
つまり、潜在的な感覚記憶(手続き記憶)として保存されているトラウマの記憶が、過去のトラウマ経験を思い出させるような状況に直面したときに無意識のうちに活性化し、そのときの感情や行動を勝手に再現してしまう、ということです。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 では、解離の「自動症」について、具体的にこう説明されています。
イレーヌは母親の死の記憶を失っていたのに加え、別の症状も示した。週に何度か、彼女は我を忘れて空のベッドを見つめ、周囲で何が起こっていようとかまわずに、いもしない人物の世話を始めるのだった。
…イレーヌは母親の死の意識的な記憶をいっさい持っていなかった。つまり、彼女は何が起こったかを語れなかった。
だが、その一方で、母親が死んだときの出来事を、体を使って表現せずにはいられなかった。
ジャネの言う「自動症」は、意図されずに無意識のうちにとられるという、彼女の行動の性質をうまく捉えている。(p295-296)
この「自動症」には、多重人格(解離性同一性障害)や催眠とも共通する要素が含まれていると考えられます。トラウマ記憶を抱え持った人格へ、無意識のうちに交代(スイッチング)してしまうということだからです。
解離性障害のさせられ体験とは、
■自分の行動や意思、感情をだれかに先取りされ操られていると信じている(他者の先行性)
■だれかが自分に憑依するような感覚がある
■だれかが乗り移っているときは、自分は背後からそれを傍観している
■自分の手が勝手に文章を書く(自動書記)
■自分の手が勝手にリストカットしてしまう
(わかりやすい「解離性障害」入門p67-70、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)
p75などに基づく)。
統合失調症と解離性障害では治療法も違う
統合失調症と解離性障害がまったく別の病気であるのか、それとも中間病態も存在する連続する病態なのか、という点は、今も専門家の間でさまざまな意見があります。
しかし、今のところ、多くの症例において、統合失調症と解離性障害を区別することは可能であり、そうするのは大切だと言われています。
なぜなら、どちらと診断されるかによって、どのような治療法がふさわしいか、という点もそれぞれ変わってくるからです。
薬物治療が違う
たとえば、わかりやすい「解離性障害」入門によると、解離性障害の場合、精神科の薬は、幻聴そのものにはあまり効果がないそうです。
しかし統合失調症の場合は比較的効果があり、場合によっては劇的におさまることもあります。(p131)
ラルフ・アリソンも、「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からの中で、統合失調症の薬が幻聴に効くかどうかで、解離性障害か統合失調症(精神分裂病)かを判別できると述べていました。
ジャネットは、最後にかかった病院では〈精神分裂病〉だと診断されていた。だが、わたしはその診断に疑問をもった。というのは、ジャネットは〈精神分裂病〉に対して処方される薬に、ぜんぜん反応しなかったからだ。わたしのそれまでの経験では、〈精神分裂病〉と診断された状態が薬によって改善されない時は、症状は似ているが必ず違う病気が真犯人だった。(p29)
ジャネットは、ときどき「自分の中から声が聞こえる」と訴えた。しかし、「フェノチアジン」の投薬をつづけてもこの現象に変化は起こらなかった。(p31)
発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方中で、子どもの解離性障害に詳しい杉山登志郎先生も、解離による幻聴や幻視には、統合失調症の薬が効かないと指摘しています。
フラッシュバックにせよ、解離性幻覚にせよ、このタイプの幻覚の特徴は、抗精神病薬に対する難治性である。
また不思議なことに、解離性の幻覚は抗精神病薬にやけやたらと強い。副作用すらまったく出現しないという例もしばしば経験する。(p57)
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)によると、解離性障害の場合も、興奮を落ち着かせるために統合失調症の抗精神病薬を使うことはあるものの、使う分量はまったく異なると書かれています。
解離性障害でも抗精神病薬を用いるが、処方される量は少ない。
統合失調症では大量に用いられてしまうことも(p74)
統合失調症は薬物治療が中心ですが、解離性障害はカウンセリングが中心で、長期間・大量の薬物治療が施されると、かえって悪化する危険があるそうです。(p89)
杉山登志郎先生もやはり、発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方の中で同じ意見を述べています。
解離やPTSDに対する薬物療法は、統合失調症の場合と違い、極めて少量処方のときのほうが効果を発揮するという説明はとても興味深く思います。
回復しやすさも違う
統合失調症と解離性障害とでは回復しやすさも異なるそうです。
統合失調症は、重症の場合には日常生活が破綻し、しかも復帰が非常に難しい病気です。
それに対し、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)という本によると、解離性障害は「統合失調症のようにみえても実際はそうではなく、じゅうぶん回復可能な病態」であると書かれています。(p199)
その理由について、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)では、解離性障害は統合失調症のような脳の病気ではなく、健康な人にも存在するありふれた症状が強く出ている状態にすぎないからだとされています。(p56)
解離の病理―自己・世界・時代によると、元日本精神病理・精神療法学会理事長の松本雅彦先生もこう書いています。
それでも解離性障害は、そこから脱出する可能性を多く秘めている病気である。
その経過は波状性、周期性の症状を特徴とするが、社会で何らかの居場所を築いてゆくにつれ解離症状出現の頻度が少なくなって行く患者が存在することは否定できない。
少なくとも統合失調症にみられる人格の硬化・崩壊がみられることはきわめて稀である。(p21)
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合において、岡野憲一郎先生も、それと同様の点をこう述べています。
1911年にブロイラーBluelerがschizophrenia(一昔前の「精神分裂病」、現在の「統合失調症」)の概念を生み出して以来、それと解離性障害との異同がさまざまに論じられてきているが、そのこと自体が両者を区別して論じるべき必要があることを示している。
端的に言えば、精神病の代表ともいえる統合失調症は、一般的に時と共に人格の崩壊に向かい、予後も決してよくない。
他方、解離性障害は社会適応の余地を十分に残し、また年を重ねるにつれて症状が軽減する傾向にある。
両者は全く別物であるというのは、この予後の観点から特に言えることなのだ。(p123)
統合失調症の治療法については、詳しく説明されているサイトが山ほどあるので、そちらに譲ります。
解離性障害の治療法については、今回紹介した色々な本で詳しく説明されています。このブログのこちらの記事でも、簡単にまとめてあります。
解離性障害と統合失調症の双方に詳しい柴山先生は、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論でこう述べています。
おおかたの臨床では、解離性障害と統合失調症は鑑別が可能であるが、中にはどちらにも判断できない症例も存在する。
安易にどちらかに診断するのではなく、全体像を把握しながら経過を追い、偏りがない柔軟な対応が不可欠であろう。(p174)
残念ながら、今はまだ精神科医の中にも、解離性障害についての知識を持っている人は少なく、一度統合失調症と誤診されると容易には覆りません。
一方で、統合失調症には、自分の妄想を妄想だと気づけない、という問題があるので、この記事を読んで、自分は妄想がないから統合失調症ではなく解離性障害である、と自己診断したとしても、専門知識のある第三者の判断を仰がない限り、本当のことはわかりません。
患者や家族は、自分で調査するとともに、病態についてしっかり知識を得て、適切な病院を選び、信頼できる専門家による治療を求める必要があるでしょう。
そのために、今回紹介した解離性障害についての本の数々はおすすめです。
付録 1: 統合失調症とアスペルガー症候群の違い
今回は詳しく取り上げませんが、すでに述べたように、解離性障害と同様、統合失調症と誤診されやすいものとしてアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)があります。
統合失調症とアスペルガー症候群の違いについては、杉山登志郎先生の発達障害のいま (講談社現代新書)のp202以降で詳しく解説されています。
いくつか簡単に違いを挙げると…
■アスペルガー症候群の幻聴・幻視は、じつは過去の体験のフラッシュバック
■アスペルガー症候群の場合は、しばしば解離性障害に似た特徴(人格のスイッチングなど)もある
■アスペルガー症候群の場合は、親族にも発達障害の人が多い
■アスペルガー症候群の場合は双極性障害に似た気分の上下を伴いやすい
■統合失調症の人が会話のほうが楽なのに対し、アスペルガー症候群では筆記のほうが楽
などの点が挙げられています。
この中にも挙げられていますが、単なる統合失調症ではなく、統合失調症+双極性障害の合併のような症状がある場合、実際にはアスペルガー症候群+愛着障害や解離の合併という可能性があるのではないかと思います。アスペルガー症候群は解離しやすいことが知られています。
もちろん、統合失調症であるか、アスペルガー症候群であるかを見分けるには、発達障害や解離に詳しい専門家の判断が必要でしょう。
付録2:統合失調症と解離性障害の病理学的な違い
あくまで議論の余地がある点ですが、統合失調症と解離性障害は、似ているどころかまったく別の病理で起こる疾患である可能性があります。
解離性障害が人類史の古くから見られた疾患なのは疑問の余地がありません。解離性障害の元の名称である「ヒステリー」(ギリシャ語「ヒステラ」に基づく)の名前がつけられたのは紀元前にまでさかのぼります。
また世界各地で、悪霊憑きや文化結合症候群として知られているものの実態は、ほとんどが解離現象であると言われています。
解離は病気ではなく人間の脳に備わる防衛機制です。そうであれば、それが強く働きすぎることで起こる解離性障害が、人類史と同じほど古くからあらゆる文化でみられるのは至極当然です。
それに対し、統合失調症のほうは(専門家によって意見のわかれるところではあるものの)比較的近年増加している病気だと見なす学者もいます。
例えば、心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで によると、メリーランド州ベセスダのスタンレー医学研究所の統合失調症専門医E・フラー・トリーは、次のように述べています。
「今の教科書にもまだ、統合失調症はこれまで常に身近にあり、世界中で同じ発生率を示し、有史以前から存在しているなどというばかげた記述がある。
疫学的なデータは、それとはまったく相反している」(p107)
この病気は「発現すると非常に人目を引くから、1806年より前の医学文献に明確な記述がないのは実に驚くべきことで、その年にイングランドとフランスで同時に記述されたんだ。それ以前の時代にも、ちゃんとした観察者がいたとしてね」(p108)
統合失調症の原因にはさまざまな説があり、ひとつには遺伝的要素が関係していると言われています。しかしこれまで統合失調症と最も確実に関係しているとされた遺伝子は免疫系に関するものだといいます。(p108)
ここで統合失調症について議論するつもりはないので、詳しくはこの本の記述に譲りますが、近年、統合失調症には慢性疲労症候群などと同様に、何かしらの潜伏感染が関係しているのではないか、という説が提唱されています。
トキソプラズマ、エプスタイン・バーウイルス、ヘルペスウイルスなどは、人口の大部分が感染しているものの、無症状の潜伏感染にとどまっています。例えば、トキソプラズマは世界人口の30%が感染していますが、ほとんどの人は気にも留めていません。(p83)
疲れたときに口にヘルペスが出るといった経験をする人は多いですが、それはヘルペスウイルスが普段から潜伏感染しているために生じます。わたしたちは知らないうちに体内に多くの感染体を住まわせています。
しかし、免疫系の遺伝子に脆弱性がある人の場合、通常は問題にならない程度の潜伏感染が精神疾患や慢性病の引き金になる可能性が指摘されています。(p109)
以前このブログで取り上げた研究では、統合失調症の患者の脳を死後剖検したところボルナ病ウイルスが見つかった例などが報告されていました。
興味深いことに、リーズ大学のグレン・A・マッコンキーらによる2011年の研究では、トキソプラズマに感染したニューロンは他の3倍半もドーパミンを生産することがわかりました。
統合失調症の治療に用いられる抗精神病薬はドーパミンを抑制することで効果を挙げるとされていますが、抗精神病薬はトキソプラズマの増殖を抑制することもわかっています(p95)
前述のように、抗精神病薬は解離性障害には効果がありません。
別の記事で考えましたが、解離性障害と統合失調症は、どちらも思春期のシナプス刈り込みが関係しているものの、問題の原因が異なっている可能性があります。
トラウマの結果引き起こされる解離性障害は、もともとトラウマ経験で脳がダメージを負っていたところに、思春期の正常なシナプス刈り込み現象が起こって必要なニューロンが足りなくなり、脳機能が低下するようです。
他方、統合失調症は、何らかの原因でシナプス可塑性のブレーキそのものが失われてしまっているので、もともと脳がダメージを負っていたかどうかにかかわらず、シナプスが過剰に刈り込まれて、思考に必要なニューロンが足りなくなるようです。
そうだとすると、解離性障害はシナプス可塑性自体は正常なのでいずれ回復できるのに対し、統合失調症はシナプス可塑性のブレーキそのものが効かなくなっているので、容赦なく進行していく、ということになるでしょう。
シナプス可塑性はドーパミンと関係しているので、統合失調症の抗精神病薬は、過剰なドーパミンを抑制することで、過剰なシナプス可塑性を制限し、統合失調症の進行をとどめていることになります。
他方、解離性障害の場合は、シナプス可塑性自体は正常なので、抗精神病薬でドーパミンを抑制してもほとんど効果がないのかもしれません。
統合失調症のヒトの脳内でドーパミン増加に関与していると思われるトキソプラズマは、さまざまな感染体の中でも、とりわけ統合失調症との関連を疑われてきました。
最も説得力があるのは、統合失調症の患者はそうでない人にくらべ、トキソプラズマの抗体をもつ割合が2倍から3倍高いという事実だ。
この数字は、トリーがジョンズ・ホプキンス大学の小児科医で神経ウイルス学者ロバート・ヨルケンと共同で実施した総括的分析に基づいている。
ふたりはこの問題をテーマにした論文を世界中から集め、全部で38にのぼる質の高い研究を分析した。(p108)
トキソプラズマがヨーロッパに持ち込まれたのは1800年頃と考えられていて、統合失調症が初めて報告された時期と一致しています。
ちなみにトキソプラズマが潜伏感染している人たちは、ドーパミンが生産されるせいか、通常よりも外向的、衝動的、事故に遭いやすいなどの傾向がわずかに見られるようですが、これは解離性障害になりやすい人にみられる極端に自己抑制的で用心深い性格とは正反対です。
あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた という本でもそのことが指摘されていて、次のように書かれています。
不思議なことに、トキソプラズマに感染すると男と女では性格が逆向きに変わる。
感染した男性は陰気になり、社会ルールや道徳を無視するようになる。そして疑り深く、不安になりがちだ。一方感染した女性は明るくおおらかになり、心が広く決断力のある自信家になる。
この変化は、不特定多数との性行為を許す環境になると考えれば納得がいく。女性がガードをゆるめ、男性が他人へのリスペクトやモラルをなくせば、ヒトの男女もラットと同じように大胆になるというわけだ。
トキソプラズマ感染の影響は性格の変化にとどまらない。感染者は男女とも、反応が鈍くなり集中力を失うことが多くなる。(p112)
そして、このトキソプラズマ感染は、やはり統合失調症の発症との関連性があると指摘されています。軽微な感染ではADHDのような衝動的な性格に変わるだけですが、免疫系の脆弱性などのため、より重度の症状が現れるのが統合失調症ではないか、ということです。
いざ研究対象とされるようになると、多くの微生物が心の病気と関係あることが明らかになったが、なかでもトキソプラズマは、心の病気の多くに関係していることが判明した。
この原虫にはじめて感染したとき、幻覚や妄想などの症状を呈する人がときどきいる。この症状から、統合失調症という最初の誤診が生まれる。実際、統合失調症の患者集団におけるトキソプラズマ感染の有病率は、一般集団のそれの三倍も高い。
統合失調症とトキソプラズマの相関関係は、これまで明らかになっている統合失調症と遺伝子との相関関係よりずっと強いのだ。(p114)
統合失調症の原因はひとつではなく、複数の要因が関係していると思われますが、こうした研究が示唆するのは、これが単なる心の病ではなく、脳や免疫の疾患である、ということです。
つまり、解離性障害は、おもにトラウマ経験などを引き金に、人類に普遍的な防衛機制である解離が強く働きすぎる状態なので、人類史に古くから見られるのは当然ですし、幼いころから解離傾向が強い人に多く、環境が変われば回復するのもうなずけます。
しかし統合失調症は、明らかな病変によって生じる脳の疾患であるため、思春期に突然発症し、予後が悪く、進行を抑制するために多量の投薬も必要とするのだとみなせます。
近年、トラウマ障害の専門家の中には、子ども時代に慢性的なストレス環境に置かれた結果として思春期に統合失調症を発症することがある、と述べる人が時々います。
そうしたトラウマ専門家はたいてい解離について詳しくないことが多い(まったく度外視していることさえある)ため、解離性障害を統合失調症と誤診している可能性を考えるべきです。
統合失調症が幼少期のトラウマによるものだ、と主張するような医師は、かつて精神医学が、統合失調症も解離性障害もアスペルガー症候群も一緒くたにしていた時代の負の遺産を引きずっている可能性があります。
心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで にこう書かれているように。
当時はまだ精神医学の暗黒時代だった。その分野の第一人者たちは、精神病は冷めたくて愛情のない両親への自暴自棄の反応だとみなしていたから、彼の母親は暗黙のうちにそのような考えを抱き、娘の窮状を思いやる苦悩に加えて罪の意識までを背負い込んだ。(p102)
あるいはあなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた にも次のように書かれているように。
この考え方[※統合失調症の原因は微生物ではないかとする1896年の実験]には大いなる見込みがあったにもかかわらず、20年後にジークムント・フロイトが唱えた精神分析理論が人気を得たせいで、静かに消えていった。
フロイトは、神経学的な症状の原因を生理学に求めず、幼少期の体験に由来する感情的なものだと主張した。
…20世紀前半には微生物が引き起こす病気が次々と明らかになったが、脳という器官の不具合だけは、微生物と無関係なものとして例外扱いされていた。
腎臓や心臓の不具合をカウンセリングで治そうとするのが無益なことは、だれにでもわかる。なのに、脳の不具合だけはカウンセリングで治せると信じられていたのは、いまとなっては笑止千万だ。(p113)
現代のトラウマ研究の第一人者であるヴァン・デア・コークのような人たちは、著書の中で、統合失調症とトラウマ障害をはっきり区別しています。
同様に、かつては両親の育て方の問題とされていた自閉症も、現在ではトラウマ障害とははっきり区別されています。
たとえば、別の記事で書いたように、人に近いアカゲザルを用いた実験では、妊娠中に母親が慢性の炎症を起こした場合、子供の自閉症のリスクが高まり、ウイルス感染など急性の炎症を起こした場合には統合失調症のリスクが高まることがわかっています。
ヴァン・デア・コークが提唱しているように、幼少期の逆境体験の結果として生じる「発達性トラウマ障害」という病態は、一部の症状が統合失調症やアスペルガー症候群などと似ているために、知識のない医師から誤診される危険がありますが、はっきりとした別物です。
むろん、統合失調症が思春期に発症しやすいことを思えば、確かに幼少期からの慢性的なストレスやトラウマが統合失調症の発症につながったようにみなせるケースもあるでしょう。
しかし、たとえ子ども時代のストレスやトラウマにより統合失調症が発症したように見える場合でも、本人にもともと何かしらの素因や潜伏感染があり、そこへ過剰な負荷が上乗せされて、発症の引き金となった可能性を考慮すべきです。
一方で、解離性障害のようなトラウマ性疾患も、フロイトが考えていたような「幼少期の体験に由来する感情的なもの」ではないことがわかってきています。こちらもやはり、別の観点から、体内微生物の生態系の関与を考える必要があるようです。
今後さらに議論や研究の余地は多くありますが、解離性障害と統合失調症は、単に少し違う似通った病気どころか、病理学的にはまったく別の疾患であることが いずれ明らかにされるかもしれません。