「日本の取り組みは、わたしにとって大きな拠りどころとなっている。いわばロゼッタストーンだよ。さまざまな事実を解明する鍵を握っているんだ」と、アラン・ローガンはわたしに語った。(p14)
ジャーナリスト、フローレンス・ウィリアムズによる、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方を読んでいて、わたしは驚きました。
というのも、日本は、自然セラピーの研究で、世界の最先端を走っている、そして他国の研究者たちから注目されている、ということが書いてあったからです。
2004年以降、日本では文部科学省と農林水産省から計3億8000万円の研究費が出され、全国各地に森林セラピー基地やセラピーロードが設定されているのだそうです。(p33)
恥ずかしながら、日本に住んでいるのに、ぜんぜん知りませんでした。
でもそれも仕方ないかもしれません。わたしは自分の病気の関係で、日本の疲労研究をずっと追ってきました。日本の疲労研究は世界最先端です。
でも日本の疲労研究が世界から注目されていることを知っている人なんてわずかでしょう。この多極化した社会では、いくら最先端の研究がなされていようと、日々のニュースに埋もれてしまいます
この記事を読むとわかりますが、わたしが追ってきた日本の疲労研究と、今回紹介する自然セラピーの研究は、じつは表裏一体のものです。
日本人は、「先進国のなかでも最長の労働時間をこなすオフィスワーカー」です。国際的にkaroushi(過労死)として広く知られる問題が蔓延していたため、疲労研究が進みました。(p32)
死ぬまで働く日本の若者 「karoshi」の問題 – BBCニュース
それと同時に、その疲労を解消するためのshinrin-yoku(森林浴)の研究が進み、世界的に知られるようになりました。
日本発祥の森林浴、アメリカでも「Shinrin-yoku」として大ブームに
日本の自然セラピーの研究が、海外の研究者たちから注目され、「ロゼッタストーン」とまで言われるのはなぜでしょうか。
慢性的な疲労に悩む人たちは、その研究成果を、どのように当てはめることができるでしょうか。
日本の自然セラピーの研究からわかったことを7つのポイントにまとめてみました。
もくじ
これはどんな本?
今回の記事で主に参考にしたのは、宮崎良文
宮崎教授は、冒頭で引用したNATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方という本でも、森林セラピー研究の世界的な第一人者として紹介されています。
森林セラピーの効果を実証できる人物をひとり挙げるとするならば、宮崎良文教授にほかならないだろう。
生理人類学者で、千葉大学環境健康フィールド科学センターの副センター長である宮崎教授は、自然のなかで進化してきた人類は、たとえ自覚はなくても、自然に囲まれているときがもっとも快適で心地よさを覚えると考えている。(p36)
わたしたちもよく知っている、そして今や国際語にもなっている「森林浴」(shinrinyoku)という単語は、1982年に林野庁の秋山智英長官によって命名された造語だそうです。
2004年以降は、国家予算による研究も承認されました。その研究の中心にいたのが宮崎教授です。
背景にあったのは、日本人が抱える、慢性的な疲労です。1980年代以降のバブル経済時代に過労死が問題になり、「文明のせいで命を落とす可能性があるという認識」を世界に広めました。(p32)
過労死の社会問題化とまったく同時期に生まれた言葉が森林浴です。それをきっかけに、自然セラピー研究、さらには、わたしがよく知っている疲労研究などの機運が高まりました。
わたしは、三池輝久先生らのチームによる、不登校とは「学校過労死」である、という研究から大きな影響を受けてきましたが、その研究が始まったのも、同じころなのです。
NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方の中でも、日本にはびこる慢性的なストレスと、自然セラピーの研究は、切り離せない不可分の関係である、と指摘されていました。
日本人がストレス解消法を研究するのも無理はない。
長時間労働はもとより、受験や就職、職場での競争やプレッシャーのせいで、日本の自殺率は世界で三番目に高い(一位は韓国で、二位はハンガリー)。
日本では四人に一人が首都圏で暮らし、870万人が毎日地下鉄を利用している。
その地下鉄はと言えば、ラッシュアワーには白い手袋をはめた係員が乗客を電車に押し込まなければならないほどの混雑ぶりで、「ツウキンジゴク」なる言葉まであるほどだ。(p34)
わたしたち日本人、とりわけわたしのように、生まれてからずっと大都会で育ってきたような人は、この満員電車などの社会的環境を当たり前と思いがちです。
しかし、世界から見れば、日本は「カロウシ」や「ツウキンジゴク」、そしてトップクラスの自殺率の国なのです。
この国の研究者たちが、疲労とは何か、自然の回復力は本物なのかを突き詰めてきたのも不思議ではありません。
自然セラピーの科学 ―予防医学的効果の検証と解明―は、そのような自然セラピーの効果についての研究データをまとめた資料集です。
研究論文を集めたものなので、内容は難しめで、読み物として面白くはありません。それでも、世界をリードする貴重な研究がたくさん詰まっています。
世界をリードする日本の自然セラピー研究
日本の自然セラピーの研究が、世界をリードしているといえるのはなぜでしょうか。
自然が健康にいいことは昔から、多くの文化で知られていました。しかし、それはあくまで、経験則の域を出ませんでした。科学的に研究されたものではなかったのです。
しかし、自然セラピーの科学 ―予防医学的効果の検証と解明―によると、日本の研究は、自然セラピーを科学の域に押し上げました。
千葉大学と森林総合研究所による研究チームは2005年から2015年までの11年間で北海道釧路湿原から沖縄ヤンバルクイナの森まで全国62か所の森林において、744名の被験者を用い、各1週間を目処に実験を行ってきた。
…森林部の歩行と座観によって、都市部に比べて、前頭前野活動が沈静化し、ストレスホルモン濃度が低下し、生体が生理的にリラックスしていることが示された。
これらの生理データは世界ではじめて提出された成果であり、…生理指標を用いた日本の森林セラピー研究は現状においては、世界をリードしている。(p176)
日本の研究が世界的に注目されたのは、主観的なアンケートではなく、客観的な数値「生理データ」によって、自然セラピーの効果を実証したからです。
「過労死」(karoushi)も、「森林浴」(shinrinyoku)も、今やどちらも日本発祥の国際語として知られています。
日本の研究では、これらは同じ生理的指標、たとえば自律神経機能、心拍変動、脳血流、コルチゾール濃度、NK活性などを用いて測定されてきました。
科学的な測定技術によって、客観的な数値を計測することで、かたや過労は気のせいではないこと、かたや自然セラピーの効果が本物であることを可視化したのです。
この2つは表裏一体の関係にあります。常に慢性的な疲労を感じている人や、疲労研究に興味を持ってきた人にとって、同じコインのもうひとつの面である自然セラピーの研究を知ることには、大いに価値があります。
これから詳しく見ていきましょう。
1.データのばらつきは「生体調節効果」だった
自然セラピーの研究は数多くあれど、その中でも、最も重要な発見はなんでしょうか。
それは、自然には「生体調節効果」があるという発見です。
自然セラピーの研究のさなか、とても不可解なデータが現れました。被験者によって、自然セラピーの効果が違ったのです。
たとえば、血圧の場合、ふつう血圧が上がることは緊張の表れであり、血圧が下がるのはリラックスのしるしだとみなされます。
ところが、自然セラピーでデータを測定してみると、血圧が下がる人だけでなく、血圧が上がる人もいたのです。
これはどういうことでしょうか。
自然の中では、ある人たちはリラックスできるものの、別の人たちはリラックスできない、つまり自然セラピーが役に立つ人もいれば、逆効果な人もいる、ということでしょうか。
もしそうだとすれば、自然セラピーは、一部の人にだけ当てはまる、限定的な治療方法でしかないことになるでしょう。
しかし、さらに研究を進めたところ、驚くようなことがわかりました。
これまでの森林セラピー研究においては、基本的に生体が生理的にリラックスすることを前提としていたが、森林セラピー後、血圧は低下する人もいるが、上昇する人もおり、大きな個人差が生じていることが明らかとなった。
そこで本人がもともともっている血圧値との関係を調べたところ、血圧の高い人は低下し、低い人は上昇していることがわかり、森林セラピーは単に生体をリラックスさせるのではなく、生体調節効果をもつことが解明された。
同じ被験者による都市部歩行においては観察されない。(p4)
なんと、もともと低血圧の人は血圧が高くなって標準値に近づき、もともと高血圧の人は血圧が下がって標準値に近づいていたのです。
これは、自然セラピーがただ血圧を上げたり下げたりするのではなく、「生体調節効果」をもつ証拠とされました。
この効果が注目に値するのは、どうしてでしょうか。
なぜなら、これは薬にはできないことだからです。血圧を下げる薬はあれど、バランスよく調節してくれる薬はありません。
自然セラピーの「生体調節効果」は、血圧だけではありませんでした。
別の研究によると、唾液中コルチゾール濃度、唾液中免疫グロブリンA濃度、交感神経活動、前頭前野活動などにおいても確認されています。(p67,126)
いずれの場合も、もともと低い人は上昇し、もともと高い人は低下し、ほどよい中間領域(ゴルディロックスゾーン)に近づくのです。
このブログを読んできてくださった方ならわかると思いますが、これは非常に重要なポイントです。
もともと、医学では、人は緊張しているかリラックスしているかのどちらかだと考えてきました。交感神経が強く緊張しているか、副交感神経が強くリラックスしているかです。
でも、この理論は間違っていることが、近年、わかってきました。最新のポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)では、2つではなく、3つの段階があると考えます。
興奮しすぎている状態、リラックスしている状態だけでなく、凍りついて麻痺してしまうという第三の状態があります。(詳しくは下記記事を参照)。
ストレスを感じている人は、緊張して「逃走/闘争」モードになります。
血圧が上がり、交感神経が活性化し、ストレスホルモンであるコルチゾール濃度が上がります。
ところが、それでは説明できない状態にある人が大勢います。
ストレスがかかると、低血圧になり、副交感神経が優勢になって身体が動かなくなり、コルチゾール濃度が逆に低下する人です。
このような人は、従来の理論では、慢性疲労や自律神経失調症、起立性調節障害などと診断され、原因不明扱いされてきました。
しかし、ポリヴェーガル理論によって、これらの人たちは、「熱すぎる」とは真逆の、「冷たすぎる」状態に陥っている人だということがわかってきました。
つまり、わたしたちの身体反応には、熱すぎるか(興奮)、ちょうどいいか(リラックス)、冷たすぎるか(凍りつき)の三種類の段階があります。
人によって、ストレスに対する反応は異なり、「闘争/逃走」と呼ばれる熱すぎる反応を示す人もいれば、その真逆のストレス反応である「凍りつき/擬死」に陥ってしまう人もいます。
これまでの医学では、「凍りつき/擬死」に陥って動けなくなってしまう人たちは原因不明とみなされ、ほとんど治療方法もないまま放り出されていました。
しかし、自然セラピーの研究は、まさにこうした人にこそ役立ちます。自然は、生理機能をちょうどいい中間状態(ゴルディロックスゾーン)に引き戻すことがわかっているからです。
「闘争/逃走」状態にある人の緊張を和らげるだけでなく、真逆の「凍りつき/擬死」状態にある人を活性化させることができます。
この研究を読んで、わたしは、自分の身体に起こったことがよくわかりました。
わたしは10年以上、どれだけ治療しようが良くならない「凍りつき/擬死」の慢性疲労状態にありました。
しかし、大自然の中では動けるようになりました。
大自然には、生体調節効果があり、今まで医療から見放されていたような人たちの息を吹き返すことができるのです。
2.自然嫌いでも身体はリラックスする
けれども、中には、「私は自然が好きではない」「都会のほうが落ち着く」「都会が大好き」「電気コンセントのない場所は不便で嫌だ」という人もいるでしょう。
わたしの知り合いにも、そんな人がけっこう多いです。
たとえば、わたしの知り合いのある人は、境界性パーソナリティ障害と思われる病気を抱えています。常に「闘争・逃走モード」にあり、いつも緊張して混乱しています。
このような人が、自然界の中で長期間過ごせば、リラックスして落ち着く、という研究は数多くあります。
でもその人は、絶対に自然の中に行こうとはしません。便利な都会が大好きで、田舎は大嫌いだからです。
けれども、もし何かしらの理由で、都会を離れざるを得なくなり、嫌々ながらでも自然豊かな場所で暮らすことになったらどうなるのでしょうか。
その答えは、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方で、宮崎教授が述べていたことにあります。
人間は、その歴史の大部分を自然の中で生きてきたので、「たとえ自覚はなくても、自然に囲まれているときがもっとも快適で心地よさを覚える」のです。(p36)
自然セラピーの科学 ―予防医学的効果の検証と解明―には、それを裏づける研究があります。
たとえば、ヒノキ材で作られた壁と、ただの白い壁のリラックス効果を比較した研究です。
ヒノキ材で作られた木造の家は温かみがあります。でも、それが好きな人ばかりではないでしょう。鉄筋コンクリートの壁の住宅が好きな人もいます。
この研究でも、主観的なアンケートでは、ヒノキの壁が「好き群」と「嫌い群」がいました。
しかし、客観的な生理機能のほうを調べたところ、意外なことがわかりました。
ヒノキ材の壁を見たときに「好き群」においては有意に血圧が低下したが、「嫌い群」においては有意差が認められなかった。
一方、白い壁を見たときは「嫌い群」においては、血圧が有意に高まることがわかった。
つまり、ヒノキ材壁面の視覚刺激においては、不快であると感じられても生体はストレス状態になっていないことがわかった。(p50)
まず、白い壁を見たときはどちらのグループもストレス反応を示しました。
対して、ヒノキの壁を見たときの反応は、「好き群」ではリラックスしました。
「嫌い群」では、リラックスするまではいきませんでしたが、ストレス反応はありませんでした。
「不快であると感じられても生体はストレス状態になっていないことがわかった」のです。
つまり、「嫌い群」は、自然好きな人に比べると効果は弱いものの、相対的には、白い壁を見ているときよりも、緊張がとれてリラックスしているといえます。
別の研究では、木材とアクリルに触れたときの反応が比べられました。このとき、もともと温かみのある木材は冷やすことで、同じような条件に近づけました。
すると、主観的には「冷やしたナラ材が最も不快」で「冷やしたアクリルも強く不快」であるという感想が返ってきました。どちらも主観的には嫌な人が多かったのです。
ところが、客観的な生理データの反応は違っていました。
人工物であるアクリルへの接触では、有意な血圧の上昇を認め、冷やしたアクリルへの接触においてはさらに強い上昇が観察された。
…一方、不快であると評価された冷やした木材の接触においても、血圧の上昇は生じず、生体はストレス状態にならないことが明らかになった。
これは、筆者の研究仮説である「人の生理機能の先天的に自然対応用にできている」ことを示す傍証のひとつであると考えている。(p52)
人工物であるアクリルは、客観的に測定すると身体も不快感を感じていました。
しかし木材は、主観的には不快だった場合でも、客観的な生理データは不快感を感じておらず、身体はストレス反応を示さなかったのです。
このことから、やはり主観的な評価、つまり好きか嫌いかという好みと、客観的な身体の生理的反応は必ずしも一致しないことがわかります。
自然が好きか嫌いかでいえば、自然好きな人のほうが、大自然の中でリラックスできるのは確かでしょう。
しかし自然が嫌いな人が、自然の中にいくとストレスを感じるかといえばそうではありません。
身体は無意識のうちに、人工的な都市にいるときよりも、リラックスしているものなのです。
それは、「人の生理機能の先天的に自然対応用にできている」からです。
人類は長い歴史にわたり、自然とともに生きてきたので、自然の中で落ち着くような造りになっています。
たとえば、わたしたち人類は、自然界の有機的な景観やデザインを見ると、好みに関わらず、無意識のうちにリラックスすることがわかっています。
ハーバード公衆衛生大学のJulia K.Africaはこう書いていました。
季節ごとの風がつくる渦、木々の枝がつくるフラクタル、静かに流れるせせらぎの低い音、そして花びらのフィボナッチ構造(訳者注:フィボナッチ数と呼ばれる、自然界にみられる3,5,8,13枚の花びらなどの構造)は、気づくにせよ気づかないにせよ、どれも混乱した心や問題を抱える体を落ち着かせる手がかりを与えてくれる。
生物多様性―つまり構造的な多様性―は人間の景観への好みと関係している。
このような自然への志向性は現在の人工環境下では「バイオフィリックデザイン」(自然や自然なデザインを健康増進のために使うこと)という言葉でよく知られるようになってきている。(p146)
わたしたちは、「気づくにせよ気づかないにせよ」自然界のデザインと景観を、本能的に、先天的に心地よいものとして認識します。
一方で、自然が嫌いだとか苦手だという好みは、いずれも後天的に作られたものです。
たとえば、生まれたときから都会で育つと、虫が苦手になったり、汚れるのが嫌になったり、不便さに耐えられなくなったりするかもしれません。
けれども、人類の長い世代を通して遺伝的に伝えられてきた自然対応用の体の好みと、たかが一世代だけで形成された自然への苦手意識とでは、どちらが生理的に強い影響をもつかは明らかでしょう。
簡単な例に言い換えると、あなた個人は、野菜が嫌いでジャンクフードやファストフードが好きかもしれません。
しかしあなたの体は、きちんと栄養価のある食物を必要とします。好き嫌いにかかわらず、わたしたちの体は、先祖が食べていたもので形作られており、それを必要としているからです。
同じように、あなた個人は、自然が嫌いで人工的な都会が大好きかもしれません。
しかし、あなたの体は、好むと好まざると、先祖たちと同じく自然対応用にできています。たとえ都会が好きでも、体は自然環境下のほうがリラックスするのです。
もちろん、ここで書いているのは、あくまで穏やかな自然を体験する場合です。
たとえば、虫が苦手な人が、いきなり虫だらけの森の中に行ったら、警戒心でリラックスできないと思います。
いくら野菜が健康によくても、嫌いな人に無理やり食べさせるのは、かえって逆効果です。
ペンデュレーションやタイトレーションと呼ばれる方式のように、無理のないレベルで少しずつ慣れていくべきでしょう。
興味深いことに、利用しやすい自然がどれほどある地域に住んでいるかによって、その地域の人の寿命や有病率が変わるという統計がいくつかあります。
勤務地の近くに緑地が存在するオフィスワーカーは緑地のない場合に比べ、職業満足度が高く、職業から受けるストレスは少ないことが報告されている。
さらに、歩きやすい緑地の近くに居住している高齢者は、緑地が近くにない場合と比較して、生存率が高いことが報告されている。(p38-39)
Wilkerらは居住地から緑地への距離と脳卒中後の生存率が関連するという驚くべき事実を見出した。
社会経済的地位(SES)が低く緑地に乏しい地域ほど生存率が下がったという結果であり、緑地への平等なアクセスの必要性がよくわかる。(p145)
NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方にも似た研究が出ています。
オランダの研究により、緑豊かな場所から約800メートル以内に暮らしている住民は、心身ともに自然から恩恵を受けていることがわかった。
糖尿病、慢性疼痛、片頭痛などに悩む人の数が少なかったのである。(p203)
こうした研究は、もちろん、さまざまな変数を考慮する必要があります。
しかし経済状態や学歴など、できるだけ多くの変数の影響を除き去っても、自然の近くにいるだけで健康が増進されるというデータは変わらないそうです。
そうした地域に住んでいる人の多くが「自然好き」だとは限りません。
むしろ、わたし個人の経験からいうと、自然豊かな地方に住む人の多くは、別に自然好きではありません。
レイチェル・カーソンは、満天の星空の下に住んでいる人はめったに星を見上げないと言っていました。自然の近くに住んでいると、かえって価値がわからないものです。
そもそも、歴史的には、人類はもともとみな自然の近くに住んでいて、その恩恵を受けていたはずなのに、自然を破壊し尽くしてきたのではないでしょうか。
それでも、自然の近くに住んでいる人たちは、健康状態が良くなります。それは主観的な好みに関わらず、わたしたちの体が無意識のうちに環境に反応している証拠なのです。
3.運動は大切。でも自然環境があってこそ
とはいえ、こうした統計研究に異議を唱える人もいます。
NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方によると、グラスゴー大学の疫学者リチャード・ミッチェルは、上記のオランダの研究について批判的でした。
ミッチェルは、緑豊かな場所と健康増進に相関関係が見られるのは、緑豊かな場所で暮らす住民が身体を動かしているためではないかと考えた。
…身近に自然があるところで暮らしている人は、すでに健康で、すでに身体を動かす習慣があり、どちらかと言えば裕福であるかもしれない。
それなのに、自然のおかげで健康であると結論づけるのはあまりにも短絡的すぎる、と。(p203)
つまり、本当に効果があるのは「運動」であり、「自然」ではない。もし都市部に住んでいても、定期的な運動の習慣をもてば健康になれるのではないか、と考えたのです。
現代の医者たちの多くも、病気を治すために「自然」を処方することはめったにありません。しかし「運動」を処方する医者はそれなりにいます。
わたしは慢性疲労症候群と診断された後、専門医たちがいる病院にかかっていました。
慢性疲労症候群の治療法はほとんどないのが現状です。でも、一部の漢方薬やサプリメント、さらには認知行動療法や段階的運動療法が効くとされるエビデンスがあります。
そのせいか、わたしは毎回、受診のたびに、もっと生活リズムを正すように、そして定期的に運動をするように口を酸っぱくして言われ続けました。
当時のわたしは、本当に体調が悪く、家でほぼ寝たきりみたいな生活でした。数ヶ月に一度、病院に行くことさえ重労働に感じました。
だから、いくらそうアドバイスされても、とてもそうできるとは思えませんでした。
しかし、仲間の慢性疲労症候群患者の中には、定期的に運動し、町内をぐるりとウォーキングする習慣を身に着けた人もいました。
わたしは自分は意志力がなく、ダメな人間だと思いました。自己嫌悪に陥り、情けなくなりました。
その後、わたしは小児慢性疲労症候群の専門医のほうに転院しました。そして、今の主治医と話し合う中で、自分に足りないのは自然ではないか、と思い始めました。
運動なんてまったくできないほぼ寝たきりの状態でしたが、思い切って、大自然の真っただ中に引っ越しました。すると不思議なことに、運動がぜんぜん苦にならなくなりました。
今や、わたしは毎日数キロ サイクリングしているほどです。あんなに動けなかったのが嘘のように。
なんとも不思議なパラドックスではないでしょうか。
でも、このことは、自然セラピーについての日本の研究と一致するのです。
先の疫学者リチャード・ミッチェルは、自然セラピーの健康増進効果は「自然」ではなく「運動」によるものではないかと反論していました。
しかし、のちに意見を変えました。きっかけになったのは日本の研究を知ったことだといいます。
こうしたミッチェルの考え方が徐々に変わってきたのは、森林を歩いた人にはストレスの減少が見られ、都会を歩いた人には見られなかったとする日本の論文を読んだからだ。
さらに、公園や緑のある場所の近くに住んでいる人は、とくに運動をしなくても健康だという報告もあった。(p205)
日本の自然セラピーの研究は、「運動」よりも「自然」のほうが大切だと、はっきり示していました。
自然セラピーの科学 ―予防医学的効果の検証と解明― にも、都市部と森林部での運動の効果を比較した、数々の研究が出てきます。
近赤外時間分解分光法を用いた脳前頭前野活動計測が森林部と都市部において行なわれている。
…その結果、森林部における20分間の歩行において、都市部に比べ、脳前頭前野活動が沈静化し、生体が生理的にリラックスすることがわかった。(p12)
Songらは、中年期から高年期の高血圧者に対する森林歩行の影響について、心拍のゆらぎ計測による自律神経活動(交感・副交感神経活動)ならびに心拍数を指標として明らかにした。
…その結果、森林部歩行によって、都市部歩行に比べ、(1)副交感神経活動が高まり、リラックス状態になること、(2)心拍数が減少することが認められた。(p12)
こうした研究から、都市部での運動と、自然豊かな場所での運動では、明らかに異なる効果があることがわかります。
自然豊かな場所で運動すると、都市部で運動するより、はっきりとした生理的なリラックス効果があるのです。
今引用した研究では、前頭前野が沈静化し、交感神経や心拍が低下するとされていますが、もちろん「生体調節効果」を考慮に入れる必要があります。
ADHDのように、もともと前頭前野活動が弱い人は、森林の中で運動すると、まるでリタリンを服用したときのように集中力が増すはずです。
また、もともと副交感神経が強い凍りつき傾向の人は、自然の中で運動すると、交感神経活動や心拍数が高まるでしょう。
興味深いことに、この「生体調節効果」は、自然の中を歩いたときだけ確認されたといいます。
「初期値の法則」に関しては、森林歩行セラピーにゆって、血圧の高い被験者は低下し、血圧の低い被験者は上昇し、正常値に近づくという調整作用があることがわかった。
しかし、都市部歩行においては、そのような調整作用は認められないのである。(p177)
このことから、自然セラピーの最も重要な効果と思われる「生体調節効果」は、純粋に自然の恩恵であり、運動の恩恵ではないことがわかります。
ほかにも、疲労研究のほうでよく見かける免疫力の指標「NK活性」(ナチュラルキラー細胞の活性度合い)が森林セラピーによって高まるという研究があります。この研究では、運動の影響が除外されています。
一般的に運動がヒトのNK活性およびNK細胞数に影響を与えると報告されているが、今回の実験では、各被験者の森林浴時および旅行日の運動量を平日の運動量にあわせて設定したため、運動による影響が排除されると考えられる。(p20)
また、森林セラピー旅行ではNK活性や抗がんタンパク質が増加したのに対し、同じ距離と日程の都市部旅行では変化しなかったことも確かめられています。
つまり、森林セラピーによってNK活性が改善するのは、運動による効果でも、旅行で気分転換したからでもありません。(p20-21)
さらに別の研究でも、都市部への旅行と森林セラピー旅行を比較したところ、森林セラピー旅行でのみ、ストレスの指標である尿中アドレナリン濃度が低下したことが確認されています。(p24)
こうした多種多様な研究が、一様に指し示している答えはとてもシンプルです。
「運動」によって「自然」の回復効果を得るのは不可能だということです。
もちろん、運動そのものにも、さまざまな健康増進効果があることは実証されています。しかし、運動が万能薬になることはありません。
わたし自身の経験に戻ってみると、なぜ医者に口を酸っぱくして運動を指導されつづけたのに、うまくいかなかったのかがわかります。
わたしが意志力が弱く、ダメ人間だからではありません。
そうではなく、当時のわたしが、大都市の真っただ中に住んでいたからです。
当然、そんなところでは身体がリラックスするはずもありません。当時のわたしは寝たきりに近い慢性疲労状態だったので、運動なんて無理です。
都会にいたときは、動かない身体を無理やり動かそうとしていたので何度やっても無理でした。
むしろ凍りつきを悪化させていたと考えられます。現に都会で無理やり運動していた わたしと同じ病気の知り合いは、体調が改善していないからです。
しかし、自然豊かな環境のもとでは、身体が生理的にリラックスします。凍りついていた身体でも、「生体調節効果」によって、交感神経がほどよく活性化し、動けるようになります。
身体が楽になると、しぜんな感情として、身体を動かしたいと思うようになるものです。
こうして、無理やり頑張る必要もなく、おのずと運動の習慣が身につき、よりいっそう健康が回復していきます。
わたしの最初の主治医は、「運動」を処方する前に、まず「自然」を処方するべきだったのです。
もし、都市部と森林部での歩行の効果を比較した研究を知っていて、意味をよく理解してさえいれば、大都市の真ん中で、慢性疲労状態の患者に運動を勧めるようなことはしなかったでしょう。
4.うつ病やトラウマのセラピーも自然の中で
わたしは、大都会にいるとき、自分の体調不良の一因がトラウマにあることに気づきました。
といっても、一般的な「心の傷」としての意味のトラウマではありません。わたしは子ども時代の記憶がほとんどなかったので、心理的な葛藤や悩みは思い出せませんでした。
そうではなく、近年研究されているほうのトラウマ、専門家であるベッセル・ヴァン・デア・コークの本のタイトルになっている身体はトラウマを記録する という意味のトラウマのほうです。
詳しいことは別の記事を見てください。
身体的に記録されたトラウマの痕跡を治療するには、別の身体的な感覚によって修正していく必要があります。このブログでも、そうしたセラピーのいくつかを取り上げてきました。
わたしは、ブログに書いたことを自分でも実践してみました。セラピーの専門家のもとに通うこともしました。でも、何かがうまくいきませんでした。
わたしがセラピーを受けていたのは、大都会の真ん中のビルの一室でした。もちろん、居心地よくリラックスできるよう、可能なかぎり配慮されていました。
けれどもそこを一歩出れば、混沌のきわみである大都会です。自動車が群れ走る道路を駅まで歩き、混み合った地下鉄を乗り継いでセラピールームに通い、また同じようにして帰ってきていました。
そんな環境で、本当に、セラピーの効果を最大限に実感できるのか、疑問がぬぐえませんでした。
でもわたしはセラピストには感謝しています。そのおかげで、自分の問題に気づくことができたからです。
セラピーを通して身体感覚に注目したことで、わたしは都会から大自然の中に引っ越すことを決めました。この決断は正しかったと思っています。
自然セラピーの科学 ―予防医学的効果の検証と解明―によると、精神的ストレスもまた環境によって大きく左右されると書かれているからです。
まず、精神的ストレスの指標とされる、尿中アドレナリンなどの生理的指標の値が、自然と触れ合うことで低下することが確認されています。(p113-116)
また、自然の近くに住んでいることで、精神的ストレスが緩和されるという統計があります。
オランダにおいては…1km圏内により多くの緑がある生活環境において、24の疾病のうち15において有病率が低かった。
この相関は、不安障害とうつ病で最も高く、社会経済的地位が低い人と子供でも高かった。さらに、少し都市化が進んだ地域においては高い相関を示した。(p71-72)
あるヨーロッパの研究では、緑の少ない地域(家から1kmの範囲内で緑地の占める面積が約10%)に住んでいる人は、緑が多い地域の人に比較して、抑うつのリスクが25%、不安障害のリスクが30%増加するという結果が出ている。
イギリスの世帯パネル調査を分析した研究では、緑の少ない地域から多い地域に引っ越した人はメンタルヘルスが向上したことが見出された。(p155)
ほかにもニュージーランドやカナダなどの同様の研究が載せられています。(p156)
これら各国の研究では、いわゆるメンタルヘルスの問題や精神疾患と呼ばれるカテゴリの病気が、自然豊かな場所では減ることがわかっています。
言うまでもなく、これは先に引用した身体的疾患についての研究と同じです。
過去の記事で書いたように、神経科学によれば、身体的健康と心理的健康を分ける必要はないからです。
身体疾患と精神疾患は分けることができない同一のものなので、同じ傾向が見られるというだけです。
最近のニュースでも、都会における大気汚染のようなストレスが、うつ病や躁うつ病を増加させるという研究がありました。身体と心は別物ではなく一つです。
大気汚染で躁うつ病やうつ病に? 脳への影響は不明 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
ではなぜ、都会では精神的な健康が悪化し、自然豊かな場所では改善されるのでしょうか。
多くの理由がありますが、ひとつには、都会にいると常に脳と身体が危険に身構えてしまうからです。
一方、都市人工環境は扁桃体の活動を活発化させる。
扁桃体は恐怖、注意や危険評価を行う脳の部位としてよく知られており、もしかすると我々が人工環境を競争というプレッシャーと結びつけて認識していることを反映した小進化が、今まさに起こっているのかもしれない。(p160)
都会にいると、脳の扁桃体と呼ばれる危険アラームがひっきりなしに反応します。
扁桃体は、うつ病や不安障害、前述の境界性パーソナリティ障害、さらにはトラウマのPTSDなどで活性化する部位です。
扁桃体が活性化すると、わたしたちは「闘争/逃走」モードになります。常に危険に対して身構えてしまい、リラックスすることができません。
あまりにそれが長く続き、危険が慢性化すると、前頭前野の抑制機能が扁桃体の活動を抑え込んでしまい、真逆の「凍りつき/擬死」状態に反転してしまうこともあります。
どちらにしてもリラックスとは程遠い、「熱すぎる」または「冷たすぎる」状態に陥ります。
今引用した中では、都会にいると脳が常に警戒するのは、「我々が人工環境を競争というプレッシャーと結びつけて認識している」からではないか、と説明されていました。
しかし、それだけでなく、わたしたちの脳と身体が、人類にとって生理的に異質な環境を、無意識のうちに感じ取っているからでもあるでしょう。
わたしたちの社会は、「ここ30年間で第2期の人工化社会に進んだ」とされています。(p2)
デジタル化とともに、いよいよ自然の中で過ごしたり、体を動かして感覚を体験をしたりする機会はなくなりました。
自然界に比べて、はるかに大きな騒音が鳴り響き、夜間も消えない光に照らされ、これまで存在しなかった化学物質や人工物に満たされている環境。
そして自然界に普遍的な存在している周期的な「ゆらぎ」のリズムが感じられない環境は、いずれも潜在的な異変を想起させるでしょう。(p86-87,99)
わたしたち人類は、長きにわたって自然の中で暮らしてきたので、ここ数世代のうちに現れたまったく異質で人工的な環境に、適応できていないのです。
このような環境は、脳の扁桃体を活性化させ、自律神経機能をかき乱し、当然のことながら心身の健康を悪化させます。
その中で、心理セラピーを受けたとしても、効果はあまり上がらないかもしれません。
実のところ、病院のような人工環境下よりも、自然豊かな場所のほうが心理セラピーの効果が高くなるという研究があるのです。
Kimらは、森林環境で行う認知行動療法は、病院で行う心理療法に比べ、うつ病の緩和に効果的であることを報告している。(p13)
北米におけるフィールド研究では…中等度の抑うつ患者50人がランダムに分けられ、植生が豊かな樹木園の中か、繁華街の道を50分歩いた。
抑うつ者の特徴である反すうを惹起するために、被験者は歩行の前にネガティブな経験を思い出すよう指示を受けた。
結果として、歩行直後の認知機能テストにより自然の中を歩いた群でワーキングメモリーと気分状態の改善がみられたと報告されている。(p156)
これらの研究からいえることは、運動の場合と同じです。
運動もセラピーも、間違いなく効果はあります。しかし、どんな環境でそれを行うか、ということがより大事なのです。
大都会のような、常に自律神経や前頭前野に負荷がかかり、扁桃体が危険アラームを鳴り響かせる環境で、運動やセラピーを続けても、効果は限定的にならざるを得ないでしょう。
わたしの場合、大自然を求めて引っ越した結果、最寄りのセラピストのところに通うには片道4時間かかることになってしまいました。
わたしの望みは、自然豊かな場所で心理セラピーを継続することでした。でも残念ながら無理でした。
仕方なく、セラピーの継続はあきらめましたが、セラピーよりも自然を重視したことを後悔していません。
前に書いたように、人間のセラピストは、自然の中に含まれる特性を模倣しているにすぎないと思われます。
わたしは大都会にいながらにしてセラピーに通うより、心底リラックスできる大自然に囲まれているほうが幸せです。
願わくば、古代のシャーマン医療のように、自然環境のメリットと、心理セラピーの手法を組み合わせる 複合的な知識を備えたセラピストが増えることを希望します。
ギリシャの哲学者プラトンは「自然の観察なしに医学は成立しない」と言いました。今でもそれは真実です。(p93)
5.自然の効果についての研究は他にもたくさん
ここまで紹介してきたほかにも、自然セラピーの科学 ―予防医学的効果の検証と解明―には、自然界のもつ多種多様な健康改善効果についての研究がたくさん載せられています。
たとえば、「森林セラピーが交感神経活動を低下させて尿中アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミン濃度を低下させる」という研究がありました。(p44)
むろん、生体調節効果があるので、必ずしもこれらが低下する人ばかりではなく、増加する人もいると思われます。
大事なのは、低下するか増加するかではなく、自然がドーパミン、アドレナリン、ノルアドレナリンの量に影響を与えているという事実です。
これらの神経伝達物質は、精神科の薬を服用したことがある人なら知っているとおり、さまざまな精神疾患やADHDのような発達障害に関係しています。
しかし、自然環境のもとでは、精神科の薬に頼らずとも、これらの神経伝達物質が変化し、バランスよく調整される見込みがあるのです。
また、森林セラピーはDHEA-S(デヒドロエピアンドロステロンサルフェート)のレベルを上昇させることもわかっています。(p45)
わたしも検査を受けたことがありますが「性ホルモンの前駆体である血清dehydroepiandrosterone sulfate(DHEAS)がCFS患者では明らかに減少している」ことがわかっています。
そのDHEA-Sの値が、自然のもとでは回復することが確かめられているのです。
さらに、「自然由来の嗅覚刺激による副交感神経活動の概日リズムの回復」が認められたとの研究もありました。つまり、概日リズム睡眠障害のような睡眠問題に効果があるということです。(p90)
24時間明るい都市の「自然から隔絶された家」では「体内時計のリセットをする機会」が失われます。
しかし、人工的な明かりの少ない自然環境では概日リズムは回復します。(p86)
最も重篤な非24時間型睡眠覚醒症候群のアスペルガー女性でさえ、大自然の中のアウドドア生活で睡眠障害が回復したくらいです。
そのほか、森林の中を歩くことによって、動脈硬化、肺機能、血糖値が改善されたという研究もあります。(p12-13)
疲労や老化に関係しているといわれる酸化ストレスが軽減されることもわかっています。(p79)
こうした研究から、慢性疲労症候群と診断され、しかもADHDや、非24時間型睡眠覚醒症候群とも診断されたことがあるわたしが、大自然の中で元気になれたのは偶然ではないことがわかります。
もちろん、自然セラピーによって、こうした病気が治るわけではありません。わたしも、自分の病気が治ったとは思っていません。
自然が万能薬だと主張するつもりはまったくありません。わたしが言いたいのは、自然豊かな環境は、あらゆる治療に先立つ前提条件であるべきだ、ということです。
運動にせよ、心理セラピーにせよ、薬物療法にせよ、食事療法にせよ、他のどんな療法にせよ、どんな環境で取り組むかが、前提条件として、まず重要だと思うのです。
日夜過剰な生体ストレスのかかる環境で、病気を治療しようとするのは理不尽です。
それは嵐のさなかに家を建てるようなもの、また濁流に逆らって泳ごうとするようなものです。
都会では身体がストレス状態になるのに対し、自然の中ではまったく反対に負担が取り除かれます。そのような環境を用意してはじめて、治療としっかり向き合えるのです。
6.自然があっても、活用しないと意味がない
自然の効果を裏づける こうした研究は数え切れないほどたくさんあります。
でも、これは、わざわざ研究で指摘されなければわからないようなことでしょうか。
自然が健康を改善し、都市のごみごみした環境が健康を悪化させることは、常識のある人なら誰でもわかるはずです。
わたしは大自然の中に引っ越すことに決めたとき、ある友人にその理由を説明しました。
すると友人は言いました。「自然の中に行ったら元気になるなんて当たり前じゃないの?」と。
そうです。当たり前のことなのです。
それなのに、その友人も含めて、ほとんど誰も実践しようとしないだけなのです。
大都会よりは不便かもしれませんが、今ではインターネットがつながり、技術も発達しているので、住みやすくなっています。
仕事も探せばあるものです。わたしの友人は重いアトピー性皮膚炎のために、仕事をやめてまで自然豊かなところに引っ越しました。しかしそのおかげですっかり体調がよくなり、ゴミ収集の仕事で生計を立てることもできています。
自然豊かな場所=観光地ではないので、裕福でないと自然の恩恵を受けられないわけでもありません。(むしろ観光地は環境が破壊されていて、治安も悪いので避けたほうがよい)
にもかかわらず、多くの人は都会に集中します。自然の「生体調節効果」よりも、医者の処方に望みを置きます。都会でないと手に入らないものがあると信じています。
自然がわたしたちの健康を改善するという研究が足りないわけではありません。研究はすでに十分なされているのに、ほとんどの人が無関心なだけなのです。
NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方に書かれているように。
当初の期待に反して、自然と脳の関係に関する研究はその後数十年間、ほとんどかえりみられなかった。
当時の医学界では、こうした研究は従来の科学とは異なるソフトサイエンスだと見なされていたのだ。
つまり遺伝学や現代化学などのように脚光を浴びることがなかったのだ。
ましてや、鉢植えの草花や庭の眺めでは収益を得られないのだから、製薬会社が資金提供するはずもない。(p44)
自然セラピーの研究は、長らく注目されないままでした。
冒頭で書いたように、わたしも この本を読んで、日本が自然セラピー研究で世界をリードしていることを知ってびっくりしたくらいです。
それだけでなく、自然セラピーの科学 ―予防医学的効果の検証と解明―によると、日本は国土面積の大部分が森林であり、韓国、フィンランド、スウェーデンなどと並んで、森林面積率の最も高い国のひとつなのだそうです。(p133)
けれども、さっきも書いたように、自然豊かな場所に住んでいるかどうかと、その価値を認識して活用しているかはまったくの別問題です。
奇しくもそれは日本だけでなく、他の森林面積の高い国も同じで、韓国は近代化とともに自殺率トップに躍り出ましたし、北欧諸国でも燃え尽き症候群が問題になっています。
アメリカもまた、自然豊かな国で、大都市からちょっと出かけるだけで、雄大な自然公園があります。しかし、アメリカ人が自然から益を得ているかというとそうではないようです。
これまで他国では、緑地の利用による健康効果が示唆されてきたが、アメリカにおいてはそのような結果は見出されなかった。
彼らは、アメリカは車への依存度が高く、これらに付随するライフスタイルが緑地のもつ利益に影を落としているのではないかと述べており、さらなる調査が必要と結んでいる。(p71)
この研究は、もしかすると、日本にもそのまま当てはまるかもしれません。
たとえば北海道の自然豊かな地方では、車移動の「ドア・ツー・ドア」が当たり前すぎて、誰も自然の中を散策したりしません。(おかげでわたしにとっては貸し切りですが)
それでいて、生活習慣病などの治療のため、わざわざ数時間かけて、大都市の病院まで通っている人も少なくないのです。近くの大自然はまったく利用せずに。
嘆かわしいことです。かつての、アイヌ民族やネイティブアメリカンは、自分が住む場所の自然を熟知していて、病気になった人や虚弱な人にどの植物を使えばいいかまで知っていました。
しかし今日、自然の近くに住んでいる人に足元の植物の名前を尋ねてみても、わかる人はめったにいないでしょう。自然がそこにあっても、誰も利用しないのです。
地域の動植物たちについて何も知らない人がどれほど多いことか。森の近くに住んでいながら、一年に一回たりとも森を散歩しない人のどれだけ多いことか。
たとえ世界最先端の自然セラピー研究を誇る、世界有数の森林率の高い国に住んでいても、それを活用しないなら、何の意味もありません。
ならば、どうやって利用したらいいのか。
NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方によると、フィンランドの研究では、毎月五時間、自然の中で過ごすだけでも効果があることがわかっているそうです。
トゥルヴァイネンのチームはある研究で、都会に暮らす3000人を対象に、自然のなかですごしたあとの気分の変化とストレスの軽減について尋ねた。
すると一ヶ月に五時間、自然のなかですごすと、最大の効果を得られるという結果が出た。(p190)
(※このフィンランドの研究は、自然セラピーの科学 ―予防医学的効果の検証と解明―のp140でも言及されています)
毎月、5時間だけでも、自然を満喫してリフレッシュする習慣を身につければ、きっと優れた生産性を保ちながら、仕事を楽しめるでしょう。
ただし、これは比較的健康な人の話です。わたしのように重い病気になってしまった人や、敏感で感受性の強い人、さらにはKaroushi寸前の人には当てはまらないでしょう。
そのような人にはもっと長期間、もっと規模の大きな自然が必要です。自然セラピーの「集中治療」が必要なのです。
一か月に五時間、自然のなかですごしましょうという提案を実行すれば、日々の雑事に追われ、一服の清涼剤を求めている人たちにはたしかに効果があるだろう。
でも、仕事でくたくたになっているわけではない人の場合は? それよりもっと深刻な問題を抱えている人はどうすればいいのだろう?
その答えが知りたいのなら、スコットランドやスウェーデンの人たちのアドバイスに従おう。
重度のうつ病を患う人を森や庭に送り込み、そのまましばらくすごしてもらうという研究をすでに実施しているからだ。
どうやら、効果をあげるには12週間必要らしい。(p100)
大自然の中に少なくとも12週間です。そうすれば改善しはじめることが実証されています。あなたは実践しますか?
7.自分は変えられない。環境は変えられる
自然が近くにあるのに、てんで利用しようとしないのは、わたしもまたそうでした。
自然豊かな国に住んでいるからといって、自然を利用するアクセスがいいとは限りません。
東京23区から2時間ほどで奥多摩や秩父にアクセスできるといっても、行く人はわずかです。定期的に通う人はもっと少ないでしょう。
体力のない人にとっては、その距離が負担になりかねません。
わたしはといえば、家からわずか5分か10分で河川敷に行ける場所に住んでいました。でも、めったに利用しませんでした。
近くに大きな公園のある場所に住んでいたこともあります。それでも利用しませんでした。
病気がひどいころは、車だらけの都会を5分か10分移動するだけでもストレスだったからです。
それに都会の真ん中の公園は、緑豊かに見えても、騒音や人混みだらけで、景観もよくありません。
いくつかの研究が示すには、わたしのような体調の人には、もっと雄大な自然、畏怖の念を起こさせる大自然に、長期間触れることが必要でした。
結局、わたしは究極の手段を選びました。
大自然のまっただ中、ドアを開けて一歩外に出るだけで自然を味わえる場所に住むことにしたのです。
非24時間型睡眠覚醒症候群を治すために、アウトドア生活を始めるという究極の選択をしたアスペルガー女性のジョーンズと同じです。
今わたしは、森のそばに住んでいて、家から一歩出れば、すぐ大自然です。
街灯やネオンのどぎつい明かりに代わりに、星降る夜空が出迎えてくれます。自動車の騒音の代わりに、鳥や虫たちのオーケストラが響きます。
そのおかげで、自然を体験するハードルがまったくなくなりました。
外出するのがとても楽に、心地よくなったので、毎日サイクリングするようになりました。
睡眠リズムも安定しました。メリハリのある気候のおかげで自律神経の働きもだいぶよくなりました。
医者に運動を勧められ、規則正しい生活を送るよう指示されていたころは、なんで自分はできないんだろう、と自分を責めました。
一時期は意志力を鍛える方法を学ぼうとしました。
でも、記事を書いた本人が言うのも無責任ですが、そんなのは無理だとわかりました。意志や習慣の力で自分を変えられるのは、あくまで健康で体力ある人の話です。
前に詳しく書いたように、わたしのような状態にある人は、意志力に関わるドーパミンが低下したり、不安定になったりしています。
自分で自分をコントロールするのが苦手で、環境にふりまわされてしまいます。
環境に振り回される、というのは、別の言い方をすれば、感覚が過敏であるとか、感受性が豊かである、ということを意味しています。
感覚過敏とはすなわち、環境からの刺激に反応しやすいことだからです。
こんな場合の解決策は一つしかありません。自分を変えることではなく、環境を変えることです。そして環境を変えれば、おのずと自分も変わります。
感覚過敏な人は、大都会のような刺激だらけのところにいれば、おのずと扁桃体が危険を察知し、闘争・逃走モードがオンになり、過労や慢性疲労に陥るでしょう。
一方、大自然のただ中のような場所に身を置けば、努力せずともおのずと身体が環境に反応し「生体調整効果」によって、程よいバランスに調節されるでしょう。
頑張って無理しなくても、光害がない環境のおかけで睡眠リズムは正しくなっていきますし、身体を動かしたくもなります。
感覚が過敏で、環境に敏感な人ほど、都市や人工物からくる刺激過多のあおりをもろに受けますし、逆に自然のリラックス効果の恩恵も人一倍受けやすいはずなのです。
この記事のポイントは、とてもシンプルにまとめることができます。
あなたは、さまざまな体調不良を抱えているかもしれません。それを治療しようと病院に通っているかもしれません。
では、あなたは自分が過ごす環境に関心を払っていますか?
たとえば、ヘビースモーカーだらけの家に住みながら、呼吸器疾患を治すために病院に通い、薬を飲むのは賢明でしょうか。
光害だらけの24時間明るい社会で、無理やり睡眠リズムを正そうと頑張るのは成功するでしょうか。
敏感な人が、都会の真ん中に住みながら、病気を治そうと高いお金を払って病院に通い、薬やサプリメントを飲み続けるというのは、つまりそういうことなのです。
環境を変えることを検討してみましょう。
今回紹介した自然セラピーの科学 ―予防医学的効果の検証と解明―や、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方といった本の情報は参考になるでしょう。一読をおすすめします。
大自然に親しむのはハードルが高いと思うかもしれませんが、落ち着いて費用を計算してみてください。
たとえば、ニュースや論文では、最先端の病気の治療法が、時々紹介されます。ぜひ試してみたいと思うことでしょう。
けれども、まだ研究段階だったり、高額すぎたりして、おいそれと受けられないことが少なくありません。そうでなくとも、薬やセラピーの費用は一回につき数千円ないしは数万円です。
それに比べて、自然の恩恵はたいてい無料です。わたしは毎日森林セラピーを受けているようなものですが、費用はかかっていません。生活費は都会にいたころより安いです。
長期滞在する場合でも、観光地以外で探せば、比較的安い金額で長期滞在できるコテージや湯治施設などもあります。
また、いくら自然が健康にいいといっても、文明から隔絶されたジャングルのような場所に行けばいい、というわけではありません。
研究によると、わたしたちは本能的に広々とした開放的な自然を好み、暗い森の奥のような混み合った環境はリラックスしにくいようです。
自然環境がすべて同じように有益なものだというわけではなく、実のところ不安を惹起するような環境もありうる。
最近、自然環境のうちでも眺望が開けていて隠れるような場所があまりない環境が、少なくとも認知機能の維持には最もよいといえることが明らかになった。
隠れられる場所(何か怖いものが潜んでいるかもしれない)がたくさんあるような自然環境は心理的苦痛を招く可能性がある。(p159)
自然には未知の危険もたくさん潜んでいます。いきなり近づきがたい山奥に行ったり、人里離れた場所へ向かうのはおすすめできません。
人の手が入っていることや、人工的に作られた物をすべて悪とみなすような、極端な考え方はしないようにしましょう。
よく整備された森林公園など、利用しやすい自然から体験するのがよいと思われます。
日本は、自然セラピー研究が進み、各地には、森林セラピー基地やセラピーロードが認定されています。認定された場所にこだわる必要はありませんが、下記情報は参考にはなります。
研究結果は、読むだけでなく試してみないと意味がありません。自然豊かな国に住んでいても、利用しないと意味がありません。
わたしたち日本人は、世界でも有数の自然豊かな国に住んでいます。治安もいいので、女性や子どもでも、気兼ねなく大自然を楽しむことができます。
さらに、サウス大学の生物学者D・G・ハスケルは、木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学 の中で、日本は自然を愛する伝統的価値観が根づいている世界的に珍しい国だと書いています。
日本では、季節の移り変わりを見守り、称える習わしが非常に発達している。そうした営みの中心に、往々にして樹木がある。
色を変える葉、春に現れる木の芽、咲き誇り、やがて散り逝く花。
だが季節を愛でる風習は、もっと幅広い現象をも取りこみ、例えば凍結する川や湖沼にまで目が向けられる。
…日本以外の、特に工業化の進んだ国々では、そうやって自然環境に思いを馳せる機会などほとんどないままに一年が終わることも珍しくない。
日本の伝統は、わたしたちが生命のコミュニティの一員たることを、胸の躍るやり方で、贅沢に思い起こさせてくれるのだ。(p5)
日本においては、風景のなかの、とりわけ木々の形や特徴が、芸術の基盤にある。
木々や森の様相や、それが伝えてくれるものを敏感に取りこもうとする芸術のあり方は他の社会ではあまり見られない。
…日本の芸術は人間の世界を大きな生命コミュニティとつないでくれるのだ。(p6)
ですから、わたしたちには、自然セラピーの効果を実証する十分な研究資料があり、十分な自然環境があり、十分な治安も、伝統も芸術もあります。こんな優れた環境はめったにありません。
ということは、あとは自分次第です。わたしたちの周りにある自然の効果を喜んで活用するか、まったく無視して無関心であるかはあなた次第なのです。
あなたは、やってみますか。