「生ける屍」だった私が「生きる喜び」を取り戻すまでー大自然と暮らした3年間にどう変わったか

たしは長年、慢性疲労症候群に苦しんでいました。慢性疲労症候群は多因子疾患です。原因は人によってさまざまです。新型コロナウイルスの後遺症で発症した人のように、ウイルス感染が原因だった人もいます。

わたしの場合は、子ども時代の逆境体験が根底にあったと考えています。昔の記事で詳しく書いたとおり、小児期の逆境体験は、青年期に入ってから様々な難病をもたらす時限爆弾のようなものです。慢性疲労症候群の原因にもなりうることが明らかになっています。

ACE研究が明らかにした「小児期逆境後症候群」ーなぜ子ども時代の体験が脳の炎症や慢性疾患を引き起こすのか
17000人以上のデータから子ども時代の逆境体験と成人後の体調不良の関連性を導き出した画期的なACE研究の取り組みをもとに、幼少期の経験がわたしたちの一生にわたり、心身の健康にどん

過去の困難な経験は、わたしの体と脳に、この世界は危険な場所だ、と教え込みました。それで、わたしの体は身を守るために、解離という防衛機制を発動させました。危険で生々しい感覚から心を切り離して守るという戦略です。

それは、生物学的には「凍りつき/擬死」とも呼ばれています。圧倒されるような感覚から守られる代わりに、体が凍りついてエネルギーが感じられなくなり、生ける屍(しかばね)のような状態に陥ってしまいます。

さまざまな資料を調べた結果、わたしはその解決策が、大自然とのふれあいにある、とみなすようになりました。それで、3年半前に、日本の最北端の僻地に引っ越しました。その決定に至った経緯については別の記事に書きました。

それから、わたしはどうなったのでしょうか。この3年間に何があったでしょうか。生ける屍のような状態から回復できたでしょうか。かつて身体志向のセラピーを受けたことは、どう役立ってきたでしょうか。

この記事は引っ越して3年間の間に、わたしの症状がどのように変化したかに関するレポートです。

わたしは自然の「生々しさ」が大嫌いだった

わたしは子どもの頃からずっと、生身の人間でいるのが嫌でした。どうして苦しみのない仮想の世界で生きられないのか、とずっと思っていました。現実世界から逃避し、空想世界に入り込んでいました。

芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源
国語や美術が得意な人は子ども時代から空想傾向を持っている

子どもの頃、わたしがずっと思い描いていた理想の空想世界は、科学技術が極限まで発達した城塞都市でした。痛みや苦しみもすぐ解消し、どんな病気も治療できます。寿命にとらわれず生き続け、いつまでも姿は若いままです。

魔法のような最先端技術によって、食事することもトイレに行くことも必要ありませんでした。わたしにとってみれば、そうした活動は動物的で、野蛮で、きたならしいものだったからです。

人間にとって、動物的な行動は何一つ必要ないと思っていました。他の生命を犠牲にして欲望のままに食事し、汚物を排泄し、他人と交わって生殖することは、たまらなく不潔で受け入れがたく感じられました。

だからこそ、空想世界の中では、肉体でありながら、有機的な生々しさから限りなく距離を置くことができるという生活を、夜な夜な思い描いていました。

普段はあまり意識しませんが、科学の人体図などを見ると、自分の体に内臓が詰まっているという現実が気持ち悪く感じられました。自分の内側には脈打つ内臓があるのだという事実に、吐き気をもよおしました。

この有機的で内臓の詰まった体にとらわれているせいで、痛みや苦しみが生じるのだと思っていました。生々しい生命体であることは、諸悪の原因のように思えました。

有機物ではなく、無機物や機械やデータだったら、どんなにかよかっただろう、と何度も考えました。それは図らずも、オリヴァー・サックスが無機質な科学元素の世界に憧れたのとよく似ていたのかもしれません。

少年は空想の友だちに支えられて絶望を乗り越え、作家オリヴァー・サックスになった
オリヴァー・サックスの少年時代の自伝「タングステンおじさん」に描かれた、一風変わった空想の友だちとの不思議な出会いの物語

程度の差こそあれ、同じような傾向は、現代に生まれた若者たちの大半に共通するものではないでしょうか。

現代社会は、都市化が進み、科学技術が普及し、インターネットが発達し、自然から隔絶された生活が可能になりました。その結果、自然に憧れる人も増えましたが、同時に自然の「生々しさ」に対する恐れも蔓延するようになりました。

以前の記事で考察したように、これは母なる自然に対する愛着障害です。

多くの人は虫を怖がり、土や泥で汚れるのを嫌い、生々しい生物よりも、アニメやゲームの仮想のキャラクターを好むようになりました。

現実よりバーチャルを、3次元より2次元を愛する理由は人によって様々ですが、本質的な理由の一つは、そのほうが生々しさが和らげられるからです。

現代の人々は、あの手この手を尽くして、ワンクッション置いて生物的な生々しさを和らげようと工夫しているのではないでしょうか。

それこそは、社会全体に浸透する比喩的な解離だと、わたしは考えています。

比喩的な解離とは、現代社会に生きる大勢の人々に、無意識のうちに浸透している、社会的な防衛機制のことです。

文字通りの解離とは、あくまで個人レベルにおいて肉体から心が切り離されることを指します。強すぎる刺激を経験した時、その生々しさを和らげるため、精神を切り離して、遠くから見ているかのような状態を作り出すのが、解離という防衛機制です。

同じように、今の社会は、生身の肉体を含め、自然界の有機物に伴う生々しさから精神活動を切り離して、バーチャルの世界に分離しようとする傾向があります。

3次元の人間や生物をキャラクターに置き換えることで、また、現実世界をバーチャルに置き換えることで、有機物が想起させる苦痛やきたならしさや生々しさを和らげています。

現実世界で痛みや汚れにさらされながら冒険するより、オープンワールドのゲームの世界で冒険するほうに魅力を感じる人は多いはずです。

なぜ現代社会には、比喩的な解離が浸透しているのでしょうか。

ひとつの理由は、大勢の人が、子どものころから自然と隔絶された都会で育てられてきたからかもしれません。虫や土と無縁のまま成長し、過度に清潔な環境を当たり前のものだと思っているせいかもしれません。

虫や土や生身の生き物は、子どもの時から慣れ親しめば気持ち悪くもなんともないものです。でも、成長してから初めて触れようものなら、あまりにも生々しすぎます。

生々しいという刺激は心に強烈に突き刺さるので、心を守るための防衛機制が働きます。それが社会規模で同時に起こって、バーチャル空間への逃避を促しているように見えます。

わたしもずっと大都会で育ってきたので、生々しい自然には触れたくありませんでした。便利な都市での暮らしが好きでした。科学技術や機械に浄化されたバーチャルな世界で暮らしたいとずっと思っていました。

でも、まさかそうした考え方が、自分の病気からの回復を妨げているなんて思ってもみませんでした。

身体志向のセラピー(つまりソマティック心理学のボディーワーク)を学んで、自分がいかに、生々しい刺激を恐れて遠ざけていたかに気づきました。

それは身を守るために必要な無意識の対策でした。ところが、わたしは同時に「生きているという実感」までも遠ざけてしまっていました。

生きることの生々しさを遠ざけるということは、生々しい痛みや汚れだけでなく、生々しい喜びや満足や楽しさをも遠ざけるということだったのです。

わたしは、自分の病気について調べるうちに、生物学的には「凍りつき/擬死」(あるいは「固まり/麻痺」)という状態にあり、そのせいで慢性疲労や離人症が引き起こされていることを知りました。

だから君は慢性疲労に閉じ込められた―生きるエネルギーを枯渇させる解離そして不動状態
解離と慢性疲労は深く関係していて、不動系という生物学的メカニズムによって引き起こされているという点を、不登校や小児慢性疲労症候群の研究と比較しながら分析してみました。

過去に経験した、慢性的な苦痛がトラウマになり、わたしは身を守るために解離し、すべての刺激をシャットアウトしていました。

その結果、凍りついた状態、なんのエネルギーも感じられず、常に疲れ果てて、生気がなく、人生をあきらめ、厭世的であり、希望をもてず、喜びがなく、生ける屍のような状態に陥っていました。

一見すると、これは精神的な問題のように見えます。しかし、そうではありません。「生物学的には」と書いたように、凍りつき/擬死は、精神的な概念ではなく、完全に生物学的な神経科学の概念です。

そもそも神経科学においては、心は体から作られていると証明されていますし、心身二元論は否定されています。

心は脳だけでなく身体全体から作られる―神経学者ダマシオの自己意識の研究を読み解く
心は身体を土台として生まれるという神経学者アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説について、「意識と自己」という本から整理してまとめてみました。

心は有機物である身体の神経活動から作られています。それゆえ、有機的な脳と肉体が、生々しい刺激をシャットアウトする生物学的な防衛機制を発動させたら、生きている実感もなくなるし、エネルギーもなくなります。

この状況をリセットする方法は、一つしかありません。再び感覚を感じられるようにすることだけです。

身体志向のセラピーから学ぶ

生々しい感覚をシャットアウトすれば、生々しいエネルギーも、生々しい生きる喜びも消えます。生々しい感覚を再び感じるようになることができれば、それらは戻ってきます。

ただし、過去にトラウマを経験した人の場合、突然、生々しい感覚を感じるようになると、圧倒されてさらにひどくなってしまいます。そうした危険を冒さず、徐々に耐えうる範囲で感覚を取り戻していく、というのが、わたしの受けた身体志向のセラピー(ボディーワーク)でした。

ソマティック・エクスペリエンス(SE)を知る10ステップ―「凍りつき」を溶かすトラウマセラピー
近年注目されているトラウマの治療法「ソマティック・エクスペリエンシング」(SE)についてまとめました。

精神科医ヴァン・デア・コークは身体はトラウマを記録するの中で「何らかのボディーワーク(手技や体操、運動などを通して体から意識に働きかける方法)を受けるように、すべての患者に勧めている」と書いていました。(p352)

わたしは、しばらくセラピーを続けて、圧倒されることなく少しずつ感覚を感じられるようになりました。パニックを起こさない範囲で、少しずつ、少しずつ、生々しい感覚を感じられるようにトレーニングしました。

このプロセスは、上のリンク先の記事でも書きましたが、海でトラウマを負った人が自由に泳げるようになる過程になぞらえるとわかりやすいです。

例えば、子どものころ、海で船から落ちて溺れかけた人がいるとしましょう。その恐怖体験は生命の危機を感じるトラウマとなって残り、波打ち際に足をつけることもできなくなってしまったかもしれません。

その恐怖心は単に精神的なものではなく、生物学的なものです。生命を脅かされたために、海という生々しい刺激に少しでも触れることを、脳と肉体が許さないのです。そのおかげで、再度溺れるような危険から守られます。

しかし同時に、もし海に潜ることができたら味わえるだろう、あらゆる喜びからも遠ざけられてしまいます。夏に海水浴を楽しむことも、サンゴ礁で泳ぐことも、イルカと触れ合うことも経験できません。

その人が海で泳げるようになるにはどうすればいいのでしょう?

海にいきなり投げ入れるという荒療治は逆効果です。そんなことをしたらトラウマがフラッシュバックして恐怖に圧倒されてしまいます。トラウマの曝露療法はこれと同じ過ちを犯しています。

そうではなく、少しずつ、少しずつ、圧倒されない範囲で、楽しみながら慣れていくことが必要です。

最初は足先を砂浜に触れるだけで構いません。砂浜にいれば安全だということから学びます。安全な場所を確保できたら、少しだけ足を水につけます。恐ろしくなり始めたら砂浜に戻ってきます。

海の中と、安全な陸地とを、振り子のように行ったり来たりします。これを繰り返すうちに、少しずつ、少しずつ、深いところまで行けるようになります。

まずは足首まで、ついで膝くらいまでなら浸かっても安全だ、と思えるようになるでしょう。怖くなったら砂浜に戻ればいいと知っているので、好奇心に導かれて、もう少しだけ試してみよう、という気持ちになれます。

その間に、さまざまな発見をすることでしょう。波打ち際の美しい貝殻に気づくかもしれません。水が思っていたより心地よいと感じる瞬間があるかもしれません。ちょっと足をとられてヒヤッとしても、対処できることを学ぶかもしれません。

やがて、長い時間をかけて、もしかするともっと長い年月をかけて、全身が海に浸かれるようになります。こうして、生々しい刺激に耐えることのできる範囲が広がり、生々しい喜びも、少しずつ味わえるようになっていきます。

正直に言うと、わたしはセラピーを完遂できたわけではありませんでした。本当はもっと辛抱強く、何年もかけてトレーニングを繰り返し、海に浸かれるところまでいくべきでした。

でも、もっと早く、膝まで浸かったくらいで、自分の問題点に気づいてしまいました。

過去のトラウマの生々しさに慣れるよりも、もっと自分にとって必要なこと、それは自然界の生々しい刺激に触れることだと思いました。いかに自分が、自然界の生々しさから逃げ続けてきたかを悟ったからでした。

わたしが調査したところでは、大自然の生々しい感覚と向き合うことには「逆PTSD効果」があるようでした。畏怖の念を起こさせるような荒々しい大自然には、生ける屍状態にある人をよみがえらせ、生物学的な意味での凍りつきを溶かすことができるとみなせる、十分な理由がありました。

大自然から感じる「畏怖の念」を科学するー凍りついた人を生き返らせる逆PTSD効果
ポリヴェーガル理論など、近年の科学的研究に基づき、畏怖の念とは何か、どんな生物学的機能があるのか、大自然の中で味わう畏怖の念によってどのようにトラウマから回復できるかを考えました。

これは、もともと自然好きな人が、自然とのふれあいで元気になれる、という意味ではありません。自然が好きかどうかは関係ありません。

例えば、ジャンクフードが大好きな人がいます。わたしもそうでした。新鮮な野菜は大嫌いでした。

でも、好きかどうかに関わらず、健康のためにはジャンクフードをやめて新鮮な野菜を食べるべきではないでしょうか。人体はそのように造られているからです。

同じように、健康のためには、大自然との関わりが不可欠だと学びました。人体はそのようにできているのです。自然界の生々しさが大嫌いでも、生ける屍のような状態から回復するためには、それがどうしても必要です。

だからすぐ行動に移しました。トラウマに対するセラピーは残念ながら途中で止まってしまいましたが、自然界に対するセラピーは自分で続けました。

その決定は半分正しく、半分間違っていたと思います。この3年間で、わたしは間違いなく回復しました。以前と比べてはるかに元気に動けるようになりました。しかし、完全には回復してはいません。過去の症状のこびりついた残滓に苦しめられてもいます。

最善の選択は、大自然に浸りながら、同時にセラピーも受け続けることだったでしょう。しかし、幾つかの理由でそれは不可能でした。

まず、わたしが移住した場所はあまりにも僻地で、ボディワークのセラピストは誰もいませんでした。もし通うなら、片道4時間と莫大な費用をかける必要があり、事実上不可能でした。

また、結果論ではありますが、どのみちすぐにコロナ禍になったので、対面セッションを継続するのは無理でした。

ビデオ通話を用いたセッションの効果を説く人もいましたが、わたしはあまり信用できませんでした。人間のコミュニケーションの大半は、モニター越しには伝わらないような非言語的手がかりに依存しているからです。

ですから、最善の選択肢を選ぶのは無理な話でした。少なくとも、あのまま都会にとどまってセラピーを受け続けていたら、今ほどには回復していなかったに違いありません。

引っ越してからわずか一年と数ヶ月で、コロナ禍が始まってしまいました。都会にとどまっていたら、そこでの生活はよりストレスの多いものになり、わたしは限界を超えてしまっていたことでしょう。

引っ越したことにより、セラピストには会えなくなりました。しかし、コロナ禍でも毎日、何時間でも、自由に外出できる環境を手に入れました。

どれだけ森を歩こうが、河川敷を散歩しようが、自分以外には誰もいません。いえ、正しく言えば、自分以外の「人間は」誰もいないということです。

その代わり、無数の数え切れない樹木や草木の友達、そして鳥や動物たちがいます。それらは都会にはほとんど皆無だった、生きた生命を持つ生々しい隣人たちです。

いかにして、大自然の「生々しさ」に慣れていったか

けれども、わたしはその隣人たちと初対面でした。彼らを「友達」と感じられるようになるには、彼らの生々しさに慣れていく過程が必要でした。

先程の例え話と同じようにする必要がありました。わたしの場合は海ではなく森がフィールドでしたが、毎日毎日森に通っては、少しずつ、少しずつ自然界の生々しい刺激に慣れていきました。

虫なんて触れない。泥で汚れるなんて耐えられない。草花を触るのさえ恐る恐る。そんな状態からのスタートでした。

いまだに、必ず全身を覆う服装で出かけます。それはマダニやイラクサから体を保護するためですが、自然界の持つ生々しさを和らげるためでもあります。

自然界のものに触れる時には手袋を欠かしません。3次元の肉体が持つ生々しさを和らげるために、2次元のイラストをクッション代わりに挟むのと同じです。

わたしは圧倒されないように気をつけながら、少しずつ距離を縮めました。幾つかの例を振り返ってみたいと思います。

山菜を採って食べるという生々しさ

今でこそ山菜採りを楽しんでいますが、最初は無理でした。

幸いにも、最初から全部自分でする必要はありませんでした。最初のうちは、森について教えてくれた人が、代わりに山菜を目の前で収穫してくれました。下処理も料理もしてくれる人がいました。わたしはただ見ていればいいだけでした。だから、徐々に慣れることができました。

信じられないかもしれませんが、まず自分で山菜を収穫することさえ怖く感じました。植物をナイフやハサミで切る、というのがわたしには生々しすぎたのです。命を奪っているように感じられたからです。

実際それは命を奪う行為です。しかし自然界は食物連鎖によって成り立っています。命を奪うことを躊躇していたら自分が死ぬことになります。

けれども、冷酷になればいいというわけではありません。アイヌ植物誌植物と叡智の守り人といった本を読み、アイヌやネイティブ・アメリカンの教えから学びました。

相手が植物であれ動物であれ、食べるために殺す時には感謝や敬意の気持ちを決して忘れないこと。心からの「ありがとう」の気持ちで採り、決して必要以上には採りすぎず、他の生き物のために半分は残すこと。

自然を愛する感受性豊かな人にどうしても勧めたい一冊の本がある
自然が身体にいいのはわかっている。必要なこともわかっている。でもどう自然と関わっていいのかがわからない。そんな人に、ぜひ読んでほしい本、ネイティブアメリカンの血を引く植物学者ロビン

それを意識すると、植物の命を奪うという行為の生々しさを和らげることができました。都会育ちの現代っ子が山菜採りをするというのは、ナイフで切り取るだけでもこんなに大変なのです。

物心がついてからというもの、わたしは魚や肉を食べるのが嫌でした。それらがもともとは生きていて、食べるために殺された、という生々しさを想起してしまうからです。

一方、植物性の食べ物はその生々しさを感じないですむ、と以前は思っていました。でも、自分で山菜採りをするようになって気づきました。植物も命だということに代わりはないのです。

例えば、タラノキの芽を採るのは忍びない体験でした。棒のような幹の先端に、たった数本しか生やしません。

厳しい冬の間、どんな思いをして、この数本を準備したのだろう、それをわたしが採ってしまったらどれほど口惜しく感じるだろう、などと生々しい気持ちを想像してしまいます。

植物や動物を過度に擬人化するのは間違いだ、それらの生き物には人間と同じような高度な自己意識を生み出す脳の構造はない、という神経科学上の事実を知っているにも関わらず、勝手に生々しさを想像してしまいました。

幸い、タラノキなどの芽は一番芽を採っても二番芽が出てくるという事実を知って、少し罪悪感は和らぎました。それでも、絶対に他の人が採らない場所を選んだり、弱そうな木の芽は残したりと、採る前に相変わらず考え込みます。

でも、この感覚は、極端でも間違いでもないはずです。アイヌやネイティブ・アメリカンも、同じような考え方をしていたからです。植物を採取するとは、生命を奪うということだ、という良心的な感覚があってこそ、自然と共生していけるのだと思います。

何も気がねせず、バッサバッサと草を刈って、チェーンソーで木を切り刻める人は、別の意味で解離に陥っているのではないでしょうか。自然との関係においては失感情症、つまり感情が麻痺して切り離されているような状態です。それはそれでリハビリや教育が必要な状態です。

むろん、わたしだって庭の草刈りはします。でも、在来種を区別して残します。自分が何を刈っているのか、ちゃんと理解しているからです。

採った山菜を食べるのも、わたしにとっては生々しすぎました。虫がついていることもあります。泥がはねていることもあります。そもそも森の土なんて、生き物の排泄物が分解されて作られているものです。

加工された冷凍食品やスナック菓子は、食材を生のまま食べるという生々しさを和らげてくれているから、とても食べやすいと思っていました。原材料の元々の姿を想起しなくて済みます。

それに比べて、自分で採ってきた山菜のなんと生々しいことか。自分がナイフで切り取って殺したものなのです。

でも、自分の行為に責任を持つということを学びました。自分で採ったのなら、責任をもって感謝して味わいます。

そうすることにより、食物連鎖は循環し、私が奪った生命は、私の一部となって生き続けます。もちろん、それがすべてではなく、庭に掘ってあるコンポストに埋めて土に返すこともありますけれど。

この世界は生々しいところです。食べるというのは、その生々しさを受け入れ、受け止める行為です。最初のうちは胃が締め付けられそうでしたが、少しずつリラックスして味わえるようになりました。

今では、相当な数の野草を見分け、活用できるようになりました。タラノキの芽は美味しいけれど、もっと好きなのはハリギリの芽ですし、一番好きなのはオオハナウドです。何十種類も採るので、特定の山菜を採り尽くすようなことも避けられます。

これほどの種類を味わったことのある人はめったにいないでしょう。生々しさを乗り越え、自然を親しく知るようになれたのです。

北海道で見つけた山菜・野生ハーブの利用方法と見分け方まとめ
森歩きや自然観察の中で見つけて味わった、北海道の山菜・ハーブについて、見分け方や利用方法をまとめました。

生々しい虫を美しく思えるようになった

虫については意外でした。

都会に住んでいた頃は、虫はどうしても苦手で、近づくことも触ることもできませんでした。

しかし、森の中で見かける虫は、存外に早い段階で、美しいと感じられました。それもチョウのような一般的に美しいとされる虫だけでなく、ムカデやクモや名前の知らない他の奇妙な虫でさえも、不思議と美しく可愛く思えました。

下の写真はガの仲間のヒメヤママユです。屋内で見れば気持ち悪いほどの模様と大きさですが、森で見た時は美しさに見とれました。でも写真ではそれが伝わりません。三次元の森の中で見て初めて美しいと感じられます。

わたしは、周囲の背景が関係しているのではないかと、自分の中で仮説を立てました。虫のデザインは本来いるべき環境の中でこそ、背景と調和して違和感なく感じられるのではないかという意味です。

これは虫以外にも言えます。例えば、ある時、旅行先のクマ牧場でコンクリートのオリに閉じ込められているヒグマを見ました。それはもう悲惨でみすぼらしく可哀想で見るに耐えませんでした。

しかし、森の林道で車から見たヒグマは、非常に美しく可愛らしく雄々しく生き生きとしていました。背景が違うだけで、同じ動物の印象がそこまで変化したのです。

見た目以外の例もあります。晩夏のコオロギの鳴き声は、息を飲むほど美しいものです。家の庭にはたくさんコオロギやキリギリスやスズムシがいて、窓を開けて寝ると、一晩中、心地よいオーケストラを聞かせてくれます。

ところが、そうした秋の虫を一匹捕まえて虫かごに入れて室内に持ってくると、どぎつくて耳障りな音になってしまうそうです。草むらで鳴くと程よく音がこもって美しい音に聞こえますが、自然の遮蔽物がない環境では鳴き声の魅力が削がれてしまうのです。

わたしは都会にいた時、虫とは気持ち悪いものだ、生々しいものだと思っていました。もしかするとそれは、虫が本来生息している環境ではなかったからなのでしょうか。

虫のけばけばしい色や気持ち悪い模様は、都会のアスファルトやコンクリートの上、あるいは家の中で見れば、限りなく生々しいものです。しかし、森の中では周囲の色やデザインと見事に調和がとれているので、美しく見えます。

後になって、東大がそれを裏付ける研究を出していたことを知りました。現代人に虫嫌いが増えた原因の一つとして、「虫を見る場所が室内に移ったこと」が挙げられています。

こうして、わたしは生々しさの権化である虫と、少しだけ仲良くなりました。いまだに家の中に虫が出ると大騒ぎしますが、厚手の手袋でつまんで、玄関の外に放り投げることくらいはできるようになりました。

生々しいソニックブームの鳥と仲良くなる

鳥の話もしましょう。この地に二度目に旅行に来た時、わたしは夜、宿泊施設の庭に出て、暗闇を楽しんでいました。

ずっと光過敏で、概日リズム睡眠障害で、夜の闇を愛していたわたしにとって、この地の限りなく暗い本物の夜は、うっとりするような美しさでした。真っ暗であると言いながら矛盾するようですが、その暗闇はシルクのような高級な光沢をもって輝いてるように見えました。

しかし、暗闇には恐怖が伴うこともすぐ思い知らされました。突然、どこからともなく恐ろしい戦闘機のような音が迫ってきたのです。

人工的な衝撃波のような音でした。わたしめがけて、突き刺すように、狙い澄ますかのように突進してきました。

わたしは恐ろしくなって、その「ソニックブーム」が迫ってくるたびに、かがんで頭を低くして、どこから何に狙われているのかを知ろうとして、真っ暗な空をきょろきょろと見回しました。もちろん何も見えませんでした。

衝撃波の音は人工的に感じられましたが、その前後に、クワッ、クワッ、クワッ…、チューイ、チュイ、チュイ…といった奇怪な鳴き声がすることにも気づきました。

その奇怪さは、昔の人なら「ヤギの形をした悪霊」の声のようだと表現するかもしれません。しかし、わたしはオカルト現象は信じないので、論理的に考えました。

まだ半信半疑でしたが、あの声、あのリズム感は、ラジコンのような人工物ではなく有機的な生き物が発するものに違いないと思いました。虫にしてはあまりに音が大きすぎます。だとしたら、鳥で間違いないはずです。

ネットで「北海道 怖い音 鳥」と調べるとすぐ正体がわかりました。オオジシギという鳥のディスプレイフライトと呼ばれる求愛行動、通称カミナリダイブの音だったのです。

ネットで調べれば動画も見つかりますが、動画では迫りくる音を再現できないため、実物の10分の1も臨場感がありません。

その後、オオジシギは夜間だけでなく、昼間や夕方にも幾度となくダイブを繰り返しているのに気づきました。意外にも、全然頭をかすめるような高さではありませんでした。

昼間にダイブ音がして空を見上げても、オオジシギの姿はほとんど見えません。はるか上空に、小さな小さな鳥が羽ばたいているのがかろうじて見えるだけです。知識がなければ決して気づけなかったでしょう。

ふと、子どもの頃の記憶がよみがえってきました。当時関西のマンションに住んでいたわたしは、夜中にお風呂に入っていた時、窓の外から、恐ろしい音が迫ってきたので怯えました。

その音は衝撃波のようで、近づいては遠ざかることを繰り返しました。当時もオカルト現象は信じていませんでしたが、その体験だけはまったく異質でした。

耳鳴りや幻聴ではなさそうでした。だとしたらUFOが近づいたり遠ざかったりしているとしか思えませんでした。 わたしは今になって、その時の「UFO」とついに再会できたのです。

調べてみると、オオジシギは一般的には本州中部以北にしか飛来しません。しかし、まれに西日本でも繁殖することがあります。わたしがあの音を聞いたのは一度きりだったので、そのまれな例だったのでしょう。

わたしにとって、オオジシギの発するソニックブームは、ずっと恐怖を引き起こす「生々しい」ものでした。でも、何度もその音を聞き、正体を知り、はるか高空のオオジシギを眺めているうち、少しずつ慣れていきました。

サイクリングをしている時に、公園を歩いているオオジシギを見つけたこともありました。スマホで撮った謎の鳥が、あのオオジシギだとわかった時には興奮したものです。

今ではオオジシギが大好きです。毎年、ディスプレイフライトが始まるのを心待ちにしています。ずっと空を見上げて、高空の小さな鳥のアクロバット飛行に見惚れています。

オオジシギの音の生々しさは、わたしに生きる活力や喜びを与えてくれるものとなりました。オオジシギのダイブ音が聞けない夏なんてつまらない、と心から思っています。

生き物を解体する生々しさに触れたキノコ狩り

キノコの話も欠かせません。別の記事でも書いたとおり、最初の1年目は、誰かに教えてもらっても、キノコ観察会に行っても、自分で採れるようになるとは絶対に思えませんでした。違いをどうしても見分けられなかったからです。

しかし、すぐにコロナ禍が始まって、専門家に教えを請うことができなくなりました。わたしは覚悟を決めて、自分でキノコを観察し、学ぶことにしました。

できるようになるとは思えませんでしたが、何もしないという選択肢はありませんでした。秋になれば無数のキノコが生えるので、それほど目に止まる隣人を無視して森を歩くことは不可能だったからです。

こうして2年目は、自分でキノコを観察し、写真に撮って調べるようになりました。でも、どうしても種類がわからないものだらけでした。

ハナイグチやタマゴタケなど、非常に個性的な特徴をもつ幾つかのキノコは、かろうじて採取して食べることができましたが、大多数は謎のままでした。

もちろん、食べたキノコも、戦々恐々としながらでした。自分の判断で初めて採ったキノコを食べるのに、どれほど勇気が要ることか。

もし自分の判断が間違っていたら死が待っているかもしれません。しかも猛毒のキノコの多くは、想像を絶するほど苦しい死に方をしたり、長期間苦痛にのたうち回ったりすることになるのです。

しかし、山菜のほうで経験を積んだ後だったので、かろうじてその生々しさを乗り越えることができました。

まず山菜を教えてもらって味わい、ついで自分で判断して採れるようになり、それからキノコに挑んだので、このたびも無理なく徐々に慣れることができました。

それにしても、なぜキノコを全然見分けられなかったのでしょうか。そこにも生々しさが関係していました。

わたしは見知らぬキノコを摘むことを躊躇していました。キノコは姿の美しいものばかりです。せっかく生えているキノコを摘み取ってしまうのは可哀想に感じます。キノコの写真を撮るときも、上から見下ろすか、横から撮るくらいでした。

しかし、キノコについて学ぶうちに、種類を見分けるには「解体」するしかないことがわかってきました。

例えば、キノコを裏返してヒダの付き方をじっくり見なければなりません。半分に割いて、柄の内部に空洞があるか、ヒダが柄に付着する角度はどうなっているか調べる必要があります。傷つけた時に変色するかどうかも重要です。

キノコを分解し、解体するのは、あまりに生々しいことでした。しかし、キノコの本体は地下の菌糸であり、地上の子実体は花のようなものにすぎない、と知って少し気が楽になりました。

それで3年目は、心を鬼にして、後学のためにキノコを分解して観察するようになりました。こうして、見分けられるキノコの種類が飛躍的に増えました。

内部がボロボロになって虫の巣窟になっていることもありました。美しくもグロテスクに感じるキノコも多々ありました。下の写真は半分に割いて変色を確認した猛毒のバライロウラベニイロガワリです。

自然界の美しい生命体を分解し、解体することほど生々しい作業はありません。植物やキノコならまだしも、動物を解体する食肉加工技術者ほど生々しく、おぞましく感じるものはめったにありません。

その様子を想像するたびにゾッとしてしまうからこそ、わたしは成人してから菜食主義者になりました。

厳格なベジタリアンではなく、友人の家で提供されたら肉は食べますが、自分で買って食べることはしません。差し出されたものは仕方ないけれど、自分では屠殺の責任を負いたくないと思うからです。

いまだに釣りもできません。子どものころは楽しんだ時期もありましたが、今では魚を殺すという生々しさに耐えられないからです。友達からの釣りの誘いは何かと理由をつけて断っています。

魚をさばくのも嫌でした。小学生のころ、家庭科の調理実習で魚をさばく役目を押し付けられた時は、気分が悪くなってしまい、出来上がった料理を何も食べられませんでした。

だから動物を解体できる気はしません。でも、キノコなら解体できるようになりました。動物や魚と違って、菌類なら明確な意味で殺さなくても分解できます。

こうして、生き物を分解するという生々しさと少しだけ向き合えるようになり、そのおかげで世界が広がりました。幾多のキノコの犠牲により、わたしは森のキノコをはるかによく知るようになり、より多くの喜びを味わえるようになりました。

北海道の森で見つけた、食べられるキノコの見分け方まとめ
これまで北海道の森で採取した、食べられるキノコの見分け方についてまとめました。

森の動物たちとの生々しい出会い

ほかにどんな話ができるでしょうか。森の動物たちのことを話しましょう。

森の中で、なぜかまとわりついてくるキツネと出会ったことがあります。可愛い姿ながら実態は野犬のようなものです。

恐怖を覚えながら、飛びかかられないようとっさに杖で牽制して距離をとり、何分間も殺陣のような足取りで一緒に歩き続けました。

本当かどうかはわかりませんが、ヒグマは鍬や竿のような長い棒を突き出すと、それを飛び越えてまで襲ってくることはないといわれます。キツネもそうなのでしょうか。結局キツネは根負けして去っていきました。

これまでヒグマは6回見かけました。ヒグマの場合は姿を見なくても、同じ空間にいるというだけで生々しさを感じます。クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等には、星野道夫がかつて書いた、次のような文章が引用されています。

「アラスカの自然を旅していると、たとえ出合わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。(中略)クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれる」。(p316,338)

現にヒグマは姿が見えなくても、生々しい感覚を呼び覚まします。ヒグマと空間を共有することは恐ろしいと同時に、生きているという感覚を呼び覚ましてくれます。

もっとも、星野道夫と同じ末路を辿らないよう、細心の注意を払わなければなりません。

ヒグマは基本的には温厚で、むやみに人を襲ったりしない生き物ですが、突然出くわして驚かせるようなことがあれば、自己防衛のために襲ってくるからです。 慎重である上に、さらに慎重を期して森の中を歩く必要があります。

道北の山を登っていると、まれに他の登山客とすれ違うことがあります。ところが、まともな安全対策をしている人がひどく少ないことに愕然とします。ヒグマがいる場所なのに、熊鈴すら持たず、単独登山している人を何人も見ました。

あるときなど、1人の登山客が気配なく後ろから駆け足で登ってきたので、わたしは驚いて悲鳴を上げてしまいました。もしわたしがヒグマだったら、その人は死んでいたし、襲ったヒグマもハンターに駆除されていたでしょう。なんと無責任な登山客なのでしょう。

わたしは常に、複数の熊鈴をジャラジャラと鳴らしながら歩いています。杖で木を叩いたり、声を出したりして、存在を伝えています。

必ずクマ撃退のトウガラシスプレーを腰に携帯しています。1本1万円と高価ですが、年間3000円ほどの保険のようなものです。

クマの足跡、爪痕、フンも注意深く観察しています。生々しい痕跡ですが、ヒグマが残した大事なサインです。

大自然の生々しさを実感することは、無謀であることとはまったく違います。危険を冒すということでもありません。同じ空間にいる動物を尊重し、その息吹を繊細に感じ取り、適切な距離を保つということです。

ヘビも時々見かけます。車を運転していて、地面に落ちているヘビを見つけて慌てて停止します。わたしは道にいる動物を轢かないよう速度制限を守りますし、後続車が迫ってきたら、必ず道を譲るようにしています。

ある時、道のど真ん中でシマヘビが日向ぼっこをしていました。そのままだと轢かれる危険があるので、車を止めて、杖で道路脇まで追い立てました。シマヘビの動きの生々しくも美しいことといったら。

別の時には、初夏の森の中で、地面に横たわる何メートルものアオダイショウを踏みかけたこともありました。あれは肝を冷やす体験でした。

真夏の森にはエゾアカガエルがうじゃうじゃといます。草むらの中から突然飛び出してくるので心臓に悪い生き物です。踏まないよう常に注意を払う必要があります。

小さいのは可愛らしく思えるようになりましたが、大きいのは生々しすぎます。それでもわたしは毎年、カエルを見つけるたびに写真を撮っています。

まだ手でつかむことはできませんが、分厚い手袋をつけていれば、小さなカエルを踏まないよう誘導してやることくらいはできます。

近所の池にいるエゾサンショウウオとの出会いも、少しずつ進展しました。最初の春に教えてもらって、池に卵があることを知りました。

それから60倍望遠カメラを買い、3回目の春に初めてズームインして観察しました。すると、エゾサンショウウオが泳いでいるのが見えました。野生の小さなウーパールーパーの親戚です。生々しくはあれどキモ可愛い生き物でした。

そして今年、産卵期に池に見ると、恐ろしいほどの数がうじゃうじゃと集まっているのが見えました。生々しさの極致すぎて、もう気持ち悪いを通り越して笑ってしまいました。それに、カメラで見る限りは可愛いとさえ思えました。もちろん、まだ触れたことはありません。

生き物との遭遇で最も怖かったのは、ヒグマを除けば、真冬に「カラスの葬式」を誘発してしまった時です。

いつも歩いている雪深い森に出かけたときのこと。途中で暑くなったので、アウターをリュックサックに入れ、木の根元に置きました。どうせ帰りもこの道を通るのだからと考えて、リュックは置いていきました。

ところが日も暮れつつある帰り道、今まで聞いたこともないような騒がしいカラスの鳴き声が聞こえてきました。珍しいな、と思って歩いていくと、その鳴き声は、わたしの進行方向、つまり帰り道から聞こえることに気づきました。嫌な予感がしました。

やがて、異常なほどの大群が、黒い渦を巻いて大騒ぎしているのが目視できるようになりました。しかも、そこは、わたしがさっきリュックサックを置いた、まさにその上空でした。

何十羽ものカラスが上空を旋回し、さらに何十羽もがカラマツ林の枝に止まっています。そして全員が大騒ぎして声を張り上げているのです。

殺気立っている100羽くらいのカラスが注視するなか、わたしはリュックサックを持って帰らなければなりません。カラスと話せればいいのですが、何を考えているのか、わたしのリュックサックを何と誤認したのかもわかりません。

そういえばカラスは嗅覚は非常に鈍く、視覚だけで判別するらしいことを思い出しました。リュックサックは真っ黒なので、獲物か、あるいは仲間の死骸だと勘違いしているのでしょうか。

後で取りに来るべきかとも考えました。しかし、カラスの大群は、カラマツの高い枝より上で大騒ぎしているだけで、なぜかリュックサックの付近までは降りてきていませんでした。

それで、わたしは木陰に隠れるようにして、手に持った杖でリュックサックを引っかけて、そっと引っ張ってみました。

カラスは一段と興奮して声を張り上げ騒がしくなります。緊張して心臓の鼓動が高鳴りましたが、冷静に状況を見極めました。カラスたちは急降下してくる様子はみせません。

それで、リュックサックを引っかけたまま、急いで背の低いカエデとシナノキの木の木陰に逃げ込み、リュックサックを上着の胸元に入れて覆い隠しました。

そして、できるだけ木々の枝が茂っている場所を伝い歩いて、無我夢中で森を早足で通り抜けました。カラスの大群は、わたしの真上を追いかけてきましたが、わたしは振り返らず立ち止まらず、雪に覆われた森を歩き続けました。

やがて、次第に騒がしい声がしぼみ、カラスは旋回をやめて木々の枝にずらりと並んで止まりました。

少し気が緩んだその時、森の中の道なきルートを歩いたせいで、雪に埋まったササに足を取られて転んでしまいました。上着がはだけて、リュックサックが飛び出てしまったその瞬間、枝に止まっていたカラスが一斉に飛び出して、また騒ぎ出しました。

しかし、冷静にまたリュックサックを覆い隠して、陰になっている場所を歩いて立ち去りました。森を抜けると、カラスはそれ以上追ってはきませんでした。

後から、クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等を読み直していて、この異常な喧騒は「カラスの葬式」だったと知りました。カラスたちは黒いリュックサックを死んだ仲間と誤認していたのかもしれません。

これはこの言葉が当てはまるかよくわからないけれど、私は『カラスの葬式』というのを見たことがあります。私は私なりの判断で、カラスがお葬式をしたんだなと思っているんです。

何かで死んだカラスを大勢で囲んでガーガーガーガーってそばに降りて来て、それが大勢のカラスがくり返しガーガーガーガーってやって。

…カラスというやつは、自分たちの仲間を容易に見捨てては行かないんです。…一羽撃って落ちてばたばたしていると次のカラス次のカラスと全部来て、なんとか仲間を助けようという仲間意識があるんです。(p162)

これは圧倒されるほど生々しい経験でしたが、同時に自然界に生きる動物の凄まじいエネルギーを感じさせるものでした。100羽のカラスからたった独りで一心不乱に逃げていた時、わたしは間違いなく屍ではなく、生を実感していました。

過去記事に何度も引用している、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方という本のこのエピソードを、改めて思い出します。

ある日、朝の三時にトレイルを歩きはじめると、アメリカワシミミズクに遭遇した。トレイル沿いの岩礁にとまったまま、彫像のように身じろぎもしない。

金髪で、いかにも派手な女子学生のグループに交じっていそうなアメリアが、「生まれて初めて見た!」と歓声をあげた。

…「なんだか生まれ変わった気分! あたし、いままで半分死んでたのかも」(p255)

マイナス25℃の朝に絶滅危惧種のクマゲラと出会った時も、夏のうっそうとした森で不気味なアオバトの声を聞いた時も、森の中で珍しいサルメンエビネやキンセイランを発見した時も、足元に極小のウメガサソウやイチヤクソウを見つけた時も、この言葉のとおりでした。

慎重でなければ感受性は回復しない

大自然の中で野生動物と出会った、さまざまな体験について書いてきました。けれども、覚えておきたいことが一つあります。

大自然を満喫するというのは、無謀であることとは決定的に異なります。

例えば、スリルを求めて無理に雪山に登山したり、危険な滑降を試みたり、命綱なしで崖を登ったりする人もいます。しかしそれは、大自然の生々しさを実感する最適な方法ではありません。

わたしはボディーワークのセラピーを通して、慎重であることの大切さをはっきり学びました。このセラピーの真髄は、慎重さにあるといってもよいはずです。

まず必ず、安全な感覚を見つけるトレーニングを積み、トラウマ記憶に圧倒されないようにします。少しでも危なくなったら、すぐ安全な感覚に立ち戻るよう教えられます。

無理をすれば回復が早くなるということは決してありません。むしろその逆なのです。無理をしてトラウマ記憶が呼び覚まされ、圧倒されてしまったら、より症状は悪化してしまいます。

だから、絶対に無理のない範囲で、つまり楽しんだり好奇心を維持したりできる範囲で振り子のように行ったり来たりし、少しずつ、少しずつカタツムリのように進むことを教えられます。そうするなら、正常な感受性が回復されていきます。

対照的なのが曝露療法です。生々しいトラウマ記憶に身をさらすことで、慣れさせようとする手法です。溺れるのが怖い人を水に放り込むようなものです。

ときにはこの手法がうまくいったかに見える人もいます。でも実際には圧倒されすぎて我を失い、感受性が麻痺して無感覚になってしまっただけなのです。

同様に、大自然と関わるとき、生々しい刺激をもとめて危険な状況に身をさらすのはまったくの逆効果です。それは感受性を育てるどころか麻痺させます。

スリルを求める人はなぜ、より危険な状況をもとめてエスカレートしていくのでしょうか。何も感じられなくなるからこそ、次から次に、さらに危険な状況に身をさらすようになるのではないでしょうか。トラウマを負って感受性が麻痺した人もしばしば同じような破滅的な行動をとります。

一方、大自然の生々しさは、危険な状況に身を置かなくても、身近な場所で体験することができます。わたしが歩いている森は家から5分のところにあります。

自治体によってきちんと草刈りがされている場所を歩いています。ヒグマが絶対出没しないとは言い切れませんが、野生動物のテリトリーに土足で踏み込んでいるわけではありません。

山菜採りをしているのも林道沿いや堤防の河川敷などです。幸いにもこの地域には、そうした身近な場所に美しい自然がたっぷり残っています。さまざまな在来種の植物を観察できますし、多様な動物や鳥にも出会えます。

そうしたごく普通の場所で、立ち止まってじっくり観察することによって、小さなものに気づく感受性が養われます。

デヴィッド・ジョージ・ハスケルがミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球で書いていたように、森の中にわずか1平方メートルに囲いを作って、毎日、毎週そこに通うだけでも、畏怖の念を感じるような出会いがあり、新鮮な驚きに満たされます。

自然観察でマインドフルネスを身につける方法―ミクロの森の生物学者の教え
マインドフルネスは医療や宗教的な瞑想によってのみ身につくスキルなのでしょうか。五感を過ぎすませて自然を観察する生物学者、デヴィッド・ジョージ・ハスケルの本から学べるアドバイスを考え

大事なのは、隠された秘境のような大自然を探し求めることではありません。安全でじっくり観察できる身近な大自然を見つけることです。

都会でも良い、とまでは言いません。少なくとも豊かで汚染されていない自然環境は必要です。

しかし、人跡未踏の秘境である必要はありません。一生に一度しか行けない場所ではなく、毎日繰り返し通える場所のほうが望ましいといえます。

わたしは自然豊かな場所に引っ越しましたが、ここは観光地ではありません。観光名所などない観光空白地帯です。

観光客はみんな、富良野や知床や大雪山など、有名な景勝地に行きます。見るべきものは有名な場所にこそ存在すると考えているからです。

しかしわたしは、引っ越してからこのかた、それら北海道の観光地に出かけたことはありません。有名な景勝地より、家の前に広がる豊かな普通の自然の中にこそ、息を呑むような発見がたくさんあることに気づいたからです。

安全を確保して、腰をすえて、じっくり観察して、リラックスしながら五感で味わって初めて、秘められた魅力に気づくことができます。感受性が成長すれば、すぐ身近にあるにも関わらず、誰も気づいていないような自然の神秘を発見することができます。

一つ例を挙げましょう。わたしは毎年、春が来て、さまざま樹木の花が咲き始める時を楽しみにしています。

わたしが特に好きなのは、4月中旬か下旬ごろに咲く、カラマツの花です。それは息を飲むほどカラフルで、あたかも熱帯の果実のようです。

これほど美しい花なら、きっとみんな知っているのだろう、と思うかもしれません。しかも北海道には、カラマツが植林された山が無数にあります。カラマツは探さなくてもすぐ目の前にある普通の木です。わたしの家のすぐ裏にもカラマツ並木が無数にあります。

ところが、友人の中に、カラマツの花を知っている人は1人もいませんでした。ここで生まれ育った年配の人たちでさえ、カラマツの花を見たことがありません。わたしが写真を見せると、その美しさに感嘆していました。

どうしてこんなことが起こるのでしょう? それはカラマツの花が非常に小さいからです。しかも、毎年春のわずかな期間にしか見つけることができません。

わたしは年がら年中、目に映る自然界のあらゆるものをつぶさに観察しているので、カラマツが開花していることに気づくことができました。以来、毎年その時期には必ず探しに行きます。

でも、身近な自然をじっくり観察する感受性のない人には、カラマツの花は見えません。すぐ目の前にあっても気づくことができません。あまりに多すぎるカラマツの木を気に留める人などめったにいません。ましてや近づいて、その極小の花を探そうとする人は。

近年、雪の妖精として有名になったシマエナガという鳥についても同じことが言えます。

シマエナガは、じつは全然珍しい鳥ではありません。おもに冬のあいだは、探せば高確率で発見できます。カラマツの枝にいることが多く、公園でもよく見かけます。

ところが、地元に住んでいる人の大半は、この愛らしい鳥をテレビでしか見たことがないのです。

なぜなら、この鳥は非常に小さく、十円玉2枚分くらいの重さしかないからです。すぐ目の前を飛んでいても、注意しない人は気づきません。スズメより小さなこの妖精に気づくには、開かれた自由な感受性が不可欠です。

わたしはカラマツだけでなく、カツラやハルニレやヤチダモの花も大好きです。どれも小さく地味です。花期が短いため、誰にも気づかれないまま咲いて、知られないまま散ってしまいます。

でもわたしは、絶対にその開花を見逃しません。毎年、その花を見つけ、畏怖の念に満たされます。こうした小さな変化に気づく感受性が、生きる喜びをもたらします。そのためには慎重で注意深くなければならないのです。

解離の一種に、離人症と呼ばれる症状があります。自分の身体から離れて、遠巻きに眺めているかのような感覚に陥る症状です。現実感が薄れ、生々しい感覚が乏しくなり、生きている実感も湧かなくなります。

世界から切り離される「離人症」の感覚体験―地図にない場所をさすらって、今ここに戻ってくるまで
「9つの脳の不思議な物語」に離人症の女性ルイーズのエピソードが載せられていました。わたし自身の経験も交えて、改めて離人症の感覚世界を考えます。

観光地化された自然は、比喩的な意味での離人症に陥っているかのようです。

自然に手を触れたり、傷つけたりすることは許可されていません。美術館の展示物や動物園の動物と同じです。遠巻きにしか眺めることができません。自然と生々しい関わりをもつことができません。

人間によって囲われ、保護され、気軽に手を触れることのできない自然からは、生々しいエネルギーは伝わってきません。その場では感動するかもしれせんが、長続きしません。

アイヌや、ネイティブ・アメリカンや、自然と共に暮らしていた過去の人々が、地に足のついた生々しい現実感を持てたのはなぜでしょうか。年に一度、観光地の絶景を見たからでしょうか。

いいえ、毎日毎日、地に足のついた暮らしをしていたからです。無数の小さな出来事を通して、自然と関わって暮らしていたからです。植物を採集し、土を耕し、魚をさばき、動物を解体していたからです。

わたしは毎日、身近な自然に通っては、山菜を採集したり、キノコを分解したり、野生動物に出くわしたり、虫に触れたりしました。

クルマバソウを摘んでシロップを作ったり、イタドリの若い茎でジャムを作ったり、ヨモギを摘んでその場で虫除けに使ったり、シラカバの樹液を味わったりしました。

身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法 にあるとおり、セラピーを通して学んだ大切な点の1つは、「ゆっくりと、多くの場合カタツムリのようなペースで進むこと」でした。(p452)

言い換えれば、たった一度のセラピーで劇的に回復するわけではなく、日々の小さな積み重ねが大事だということです。

同じように、自然との関わりも毎日の積み重ねです。地の果ての絶景に身を投じれば劇的な変化が起こるわけではありません。

大切なのは小さなことです。大きなリスクを求めることではなく、慎重に注意深く、周囲の自然を味わうことです。

そうすれば、少しずつ感受性が育っていきます。自然の中に安心できる心地よい居場所が見つかります。小さな発見が無数に積み重なって、畏怖の念が織り合わされます。凍りついた身体がゆっくりと解け、生きる意欲が湧いてきます。

さまざまな症状は、実際にどう変化したか

では、これらのことは、わたしの体調にどんな具体的な影響を与えてきたでしょうか。豊かな自然に親しむことで、症状はどう変化したでしょうか。

最近のナショナルジオグラフィックの記事では、幼少期の逆境体験が、慢性疼痛や線維筋痛症、他のさまざまな病気の症状に影響していると指摘されていました。

腰痛が劇的に改善、「破局化」を解き放って慢性的な痛みを治す | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

その記事によると、慢性的な病気を抱える人は、常に「今までで一番ひどい痛みだとか、痛みがずっと続いている」だとか感じてしまう傾向があります。

しかし、時間をとって自分の状態を「もっと詳しく調べる」なら、「自分の状態をより正確にとらえられるようになり」、「以前はもっと痛みがひどかったことや、過去の痛みがもう消えたことに気づく」ことができるそうです。

ですから症状がどのように変化したかを、客観的に振り返って記録することはとても大切です。

ざっと思い返してみたところ、以下のような点で、過去の自分と今の自分を比較できると思いました。

・慢性疲労
引っ越してきてからこのかた、体調が周囲の環境によって変動するのを実感してきました。

常に体調が良いわけではなく、屋内にいる時、および都市部にいる時は体調が悪く、以前の慢性疲労状態に近くなることが多いです。一方、自然豊かな公園や森の中にいる時は元気になります。

こうした環境による体調の違いは、脳の前頭前野がシャットダウン状態になるか否かで説明できると考えています。

シャットダウンとは、過剰な刺激にさらされて過負荷に陥った脳が、自分を守るために無意識のうちに機能を抑制してしまうことです。解離という防衛機制を別の言い方で表現した言葉です。これが慢性疲労の原因になっていると考えています。

わたしは、屋外にいる時、特に森にいる時は、周囲の環境に自然と注意を向けています。たとえば、植物、足元の地形、景色、鳥のさえずり、動物の気配などに注意を向けます。

周囲の物に健全な注意、すなわち好奇心を向けられる環境であれば、脳の前頭前野に過剰な負荷がかかりません。

注意力、意欲、動きに関わる神経伝達物質であるドーパミンが自然に流れます。思考は明晰で、体は軽く、意欲に満ちあふれて、「元気だ」と感じることができます。だから自然の中にいると慢性疲労が和らいで元気になれます。

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方 の中で、注意力の専門家である認知心理学者デヴィッド・ストレイヤーがこう言っているとおりです。

「賭けてもいい、自然に囲まれていれば前頭前野に負荷がかかりすぎることなどありえない」(p160)

一方、屋内にいる時や都市にいる時は、いろいろな不快な刺激にさらされます。もともと自然界にない人工的な刺激の多くは、脳を圧迫し負荷をかけます。

周囲の環境に注意を向けるなら不快になるだけなので、無意識のうちに刺激を遮断することを選んでしまいます。

言い換えれば解離が起こっており、脳の前頭前野が過負荷のせいでシャットダウンしてしまいます。ドーパミンもうまく流れなくなります。頭はもやがかかり、体はだるく、意欲は乏しくなります。

屋内でも、趣味やゲームなど熱中できるタスクがある時には、フローや過集中になって、頭は冴え渡り、体の辛さも忘れることができるかもしれません。でもそれは一時的です。

基本的に、周囲の環境が、どんな刺激をもたらすかによって、自然の中では元気になり、人工的な環境のもとではシャットダウンを起こして慢性疲労状態になってしまうようです。

・耐性領域
トラウマ医学では、自律神経の「耐性領域」という概念が重要視されています。

詳しくは以前の記事で扱いましたが、トラウマを負っている人は、リラックスしていられる自律神経の許容範囲、つまり耐性領域が非常に狭いことがわかっています。

耐性領域の狭い人は、ちょっとでもストレスを受けたり、強い刺激を感じたりすると、容易に圧倒されてしまい、脳がシャットダウンしてしまいます。

シャットダウンすると、凍りついて固まったり、筋肉がガチガチに緊張して痛みや痙攣が引き起こされたり、頭が真っ白になって何も考えられなくなったりしてしまいます。

あまりに耐性領域が狭すぎて、四六時中そういう状態に陥り、自分は慢性疲労症候群や線維筋痛症だと感じる人もいます。リラックスして楽に感じられる瞬間が皆無に等しいのです。

わたしもかつてはそうでした。常に疲れ果てていて、体のあちこちに痛みがありました。

ボディワークについて学んでからは、もっと自分の体をよく観察できるようになりました。たとえば、疲れ果てたり、痛みを感じたりする時は、無意識のうちに神経系が圧倒されたり、筋肉が凍りついたりしている、ということに気づけるようになりました。

無意識下の身体の緊張が慢性疲労症候群や線維筋痛症につながる―名古屋大の研究
慢性疲労症候群、線維筋痛症、PTSDなどに共通する筋緊張のメカニズムについての名古屋大の研究。

ボディーワークのセラピーを受けたとき、どうすればリラックスできるか、自分の体にある安心できる感覚の名残りを探しました。たとえば、どんな姿勢を取れば、少しでもリラックスできるか試行錯誤しました。

わたしの場合、肩と首の付け根のあたりに安心できる感覚があり、そこに手の重みを感じると、神経を落ち着けることができました。

むろん、安心できる感覚は一人ひとりまったく異なるものなので、わたしの方法を他の人が真似してもまったく意味がありません。

たとえば、大半の人は、子どもの時に優しい誰かに抱かれた無意識下の心地よい記憶を持っているかもしれません。

でもどう抱かれたか、どんな姿勢でリラックスしたかは人によって異なるので、どうすればその安心できる感覚を引き出せるかは人によって違います。セラピストはそれを調べる助けになってくれます。

わたしは、都会に住んでいて極限状態のころは、常にセラピーで発見した手法を使って、神経を鎮める必要がありました。地下鉄に乗っている時も、病院の待合室でも、ずっとそうしていました。

引っ越してきてすぐの頃も、電車やバスでの移動中など、全身がひどく緊張してガチガチになり、息も絶え絶えになるので、何度も繰り返す必要がありました。凍りつきが頻繁に起きていたのです。

ところが、ここ2年くらいは、肩に手を置くことすら完全に忘れていました。おそらく、コロナウイルスの流行で都市部に出かける機会がなくなったことも関係しているでしょう。

でもそれだけでなく、耐性領域が広がったことも関係しているはずです。それは、別の症状が改善したことからもわかります。

・発熱発作
別の記事で詳しく書いたように、以前は少なくとも数ヶ月ごと、一番ひどい頃は一ヶ月半に一度の周期で、39℃や40℃の熱を出す発作を起こしていました。

調べた結果、これは一種の偏頭痛(片頭痛)だと判明しました。幼少期にトラウマを持つ人は、偏頭痛や喘息の発作を起こす頻度が非常に高いことが研究から知られています。

周期的にくり返す偏頭痛,高熱,腹痛などの謎を解く―手がかりは「凍りつき」の生物学的役割にあった
オリヴァー・サックスの片頭痛の研究から、凍りつきや解離が持つ生物学的な役割について考えました。

発熱発作は偏頭痛と同じものなので、偏頭痛と同様に、何かがおかしいと感じる前兆があります。引っ越してきてからも、発作が起こりそう、と感じる瞬間が何度かありました。

しかし、体に閉じ込められたエネルギーを、サイクリングなど、自然の中で運動することで発散し、発作を免れました。その後、この2年間は、発作が起こる気配はほとんどなくなりました。

この変化は、神経系が圧倒されにくくなったことを意味しています。まだまだ負荷に弱い傾向はありますが、耐性領域が少し広がったのでしょう。

・音過敏
都会に住んでいたころは、屋外に出れば、どこを歩いていても耳栓が必須でした。カスタムオーダーメイドの耳栓です。(現在販売されている種類では「mimibuta」と呼ばれる耳栓に似ています)

引っ越してきてからも、国道沿いに出るだけで、耳栓が必須でした。人が集まる空間でも、耳栓なしではいられませんでした。自動車学校に通っている時からずっと、運転する時にも耳栓をつけていました。

ところが、2年前くらいから、徐々に必要なくなりました。今では耳栓をつけると、かえって海の中にいるように聞こえづらく感じるようになってしまいました。

まだ掃除機をかける時や、工事現場の近くなどでは耳栓が必要です。しかし、かつては極端な聴覚過敏であったのが、少し過敏な程度にまで改善しました。

聴覚過敏は神経が圧倒されやすいことと関係しているので、やはり耐性領域が広がった可能性を示唆しています。

トマティス効果―なぜ高周波帯域の音に敏感だと感情表現がこまやかなのか
大半の人には聞こえないモスキート音やコイル鳴きのような高周波音が聞こえてしまう人は、もしかすると、こまやかな感情を読み取る力にも秀でているかもしれない、ということを「トマティス効果

・光過敏
一方、光過敏は、残念ながら、ほぼ変化していません。相変わらず外出時は特注のサングラスをかけています。もしかすると光過敏は生まれつきなのかもしれません。

家の中ではできる限り照明を暗くしています。PCのバックライトもフリーソフトを用いて、設定できる限界よりさらに低い輝度まで下げています。iPhoneもアクセシビリティのホワイトポイントを下げる機能で、通常以下まで輝度を下げています。

相変わらず、毎年、冬が来るごとに、真っ白な世界の照り返しでまぶたが痙攣を起こしがちです。サングラスをかけていてもなおそうなります。

とはいえ、わたしの住んでいる場所は、普通の人でも何割かはサングラスをかけているので、常時サングラス姿でいても目立たないので、特にストレスはありません。

・頭痛
頭痛はあまり改善していません。常に基底にこびりついて離れない弱い頭痛の波があります。

意識しないようにしていますが、ひとたび意識すると集中力を根こそぎ奪ってしまうほど鬱陶しく感じます。これは後述の体感異常と関連しているのかもしれません。

また、疲れると頭と首の付け根、脳幹のあたりに強い頭痛が生じ、一晩寝るまで解消しません。耐性領域をオーバーしそうになっていることを知らせるシグナルだと考えています。

・体感異常
体感異常は少し改善しました。これは全身あちこちに感じる、言葉にするのも難しい不快感のことです。

頭や内臓の異物感,手足を虫が這うような不快感の理由ー解離の体感異常についての考察
頭や内臓に異物感や不快感を感じたり、手足など全身の原因不明のむずむず感を感じたりする、解離に伴いやすい体感異常(セネストパチー)についてまとめました。

根本のところでは改善していませんが、意識せずに生活できる場面が多くなったおかげで、相対的に改善しました。

家の中にいると、相変わらず全身のさまざまな体感異常や不快感に悩まされますが、自然界の中にいるとほとんど気にならず、自然観察に没頭していられます。農作業など身体的な活動に集中し、フロー状態にある時も問題なくなります。

仮に体感異常がむずむず脚症候群のメカニズムと関係しているのだとすると、ドーパミン系が刺激される環境で症状が軽くなっていると考えることもできます。

おそらく体感異常を根本的に解消するには、もっとボディワークのセラピーを突き詰める必要があったのでしょう。

・概日リズム
以前は非24時間型(non-24)だったのが、睡眠相後退型(DSPS)にまで改善しました。つまり、まだ寝付くのに時間はかかるものの、毎日ずれていくことはなくなりました。

全盲のNon24(非24時間型睡眠覚醒症候群)にHETLIOZ(タシメルテオン)が効果的
アメリカでNon24適応の薬が承認されたそうです。

概日リズムが改善したのは、天の川が見えるほど屋外が暗く、家の中の照明も暗くしているおかげだと思います。

もしもう一歩進んでアウトドア生活をするようになれば、DSPSも解消するでしょうが、今のところできそうにありません。

・睡眠の質
入眠にはまだ時間はかかりますが、以前よりもはるかに簡単に寝てしまうようになりました。以前は入眠剤として、どうしてもカタプレスが不可欠でしたが、今では特別なストレスがかかっている状況下でない限り、必要なくなりました。

以前に比べて、圧倒的に早く眠りに落ちてしまうため、入眠時幻覚や持続的空想が見られなくなってしまったのは残念です。高熱で寝込んだ時など、期間限定で復活することがありますが、普段は見なくなりました。

睡眠の質はあまり改善していません。ベッドの硬さ、枕、寝室の温度、服装、湿度、アレルギー、換気、空気の質など、ありとあらゆる要素を調整してみましたが、変化しませんでした。

どうしても毎晩10時間は寝ますし、起きると疲れています。それでも、疲れが蓄積する傾向はなく、寝起きが悪いだけです、動き出すと比較的元気に回復しています。

相変わらず睡眠麻痺(金縛り)はたまに生じます。仰向けで寝ると起こりやすい傾向がありますが、疲れているとどんな姿勢でも起こります。かと思えば、仰向けに寝ても起こらない時期もあり、原因がつかめません。

それでも、毎晩、睡眠麻痺に悩まされていた地獄のような日々に比べると、最近は月の数回の頻度にまで改善しています。

・自律神経失調症
手の冷えはなくなりましたが、足の冷えには悩まされがちです。それでも、服装を工夫することによって、かなり過ごしやすくなりました。

年較差は60℃以上という、日本一寒暖差が激しい土地なので、服装に注意を払うようになりました。

アルフレッド・ウェインライトの名言「悪い天気などない。服装が悪いだけだ」(There’s no such thing as bad weather, only unsuitable clothing)の重みを、日に日に実感するようになっています。

都会ではおしゃれのために服装を吟味しますが、ここでは誰もが生きるために服装を選びます。

見た目も大事ですが、それよりさらに、うだる暑さに耐えて働き、極寒の吹雪をしのぎ、時にはぬかるみや分厚く積もった雪の上を歩ける服装のほうが大切です。

驚くべきことに、ちゃんと服装を選べば、マイナス20℃の真冬の森でも、何時間も快適に過ごせます。確かに悪い天気などなく、悪いのはいつも服装なのです。

この地の強烈な寒暖差は、一見、健康に悪そうですが、お年寄りたちの長寿には驚かされます。むしろこの寒暖差には自律神経を整える効果があり、交互温冷浴のような効果があるのではないか、とさえ思います。

わたしも、都会でクーラーのかかった均一な温度の屋内にこもっていた頃よりずっと元気になりました。均一な室温は、快適なようでいて、実際には自律神経の日内変動のリズムを歪め、脱同調を引き起こしてしまうのかもしれません。

一方、寒暖差のメリハリを通して、季節や昼夜のリズムを感じ取ると、身体機能が本来あるべきリズムに調整されていくように感じます。

・筋肉痛や怪我
以前は引きこもっていたので、大きな怪我はしませんでした。しかし、10年以上の引きこもり生活から、人生で初めて力仕事やフィールドワークをするようになって、体のあちこちに絶え間なく怪我や筋肉痛が生じる羽目になりました。

一年中森を歩き続けて、深い雪に覆われた時期でさえスノーシューで歩いているため、下半身はさほど傷めることはありません。しかし上半身はすぐに故障します。

なんとか基礎能力を向上させるべく筋トレやストレッチも導入していますが、それが原因で怪我をしてしまうこともあるほど虚弱なので、はっきり言って困っています。

それでも、農作業や力仕事はやりがいがあります。人間はもともと自然を相手に体を使って働くように作られているのだ、と思わずにいられません。

・人間関係
かつては、病気の話題が通じる一部の人たちだけと付き合っていました。必ずしも同じ病名である必要はありませんでしたが、何らかのハンディキャップを持っている人同士でないと話題が合わず、会話するのが難しく感じられました。

一方、最近は、さまざまな背景の人と会話できるようになりました。コミュニケーション術が巧みになったというより、引きこもりから脱して、周囲の人と同じ暮らしをするようになって、共通の話題ができたおかげでしょう。

仕事のこと、農作業のこと、天候のこと、旬の山菜や動植物のこと、コロナなどの時事ニュース。話せる話題はたくさんあります。

ここは都会のような複雑な社会ではなく、小さなコミュニティです。みんなが同じ時期に同じことを経験します。

例えばハクチョウが飛来したら、普段自然に興味のない人でも気づきます。厳しい気候は交通や仕事に影響するので、誰もが話題にします。役所が伝える地域のニュースもシンプルなのですぐ共有されます。

興味深いことに、ここの社会は個人主義の傾向があり、コミュニケーションのしやすさにつながっています。

日本の社会は一般的に集団主義なので、みんなと足並みを揃えていない人に対して批判的で厳しくなりがちです。都会にいたころは、病気で限界があるという理由で、白い目で見られることがよくありました。

「どうしてみんなと同じようにしないのか」「病気があるのは知っているけれど、頑張ればできるんじゃない?」という視線を感じました。

一見、配慮のある人もいましたが、「できないのなら、できるように手助けしてあげるよ」と言わんばかりで、結局は足並みを揃えさせようというプレッシャーがありました。

しかし、ここの社会は、日本国内でありながら同調圧力が弱いです。他人には他人の事情があるから口出ししない、それぞれが自立して生きればいい、という個人主義的なところがあります。

おそらくそれは厳しい自然環境によるものなのでしょう。 例えば真冬、吹雪の中、自動車に乗ることができなくても、誰にも文句は言われません。

運転の技量も、住んでいる場所の天気も、家からの距離も一人ひとり違うことをみんな知っているからです。安全かどうか自己責任で判断しなければならない場面が多く、一人ひとりが自分で決めるという考え方が浸透しています。

だから他人の決定に口出ししませんし、違う決定をした人については、きっと何か特別な事情があるんだろうな、と考えます。

わたしが病気のために人と違う行動をしていても、全然気にする人がいません。無関心だからではなく、病気の有無に関わらず、自分の裁量で人と違う行動をしている人ばかりだからです。

周囲と違うという理由で圧力を感じる場面がめったにないので、自分に引け目を感じることなく誰とでもやり取りしやすいと感じています。

とはいえ、結局のところ、一番の要因は、体調が良くなったからです。

子どもの慢性疲労症候群の研究によると、慢性疲労状態の子どもの多くは、一見すると、発達障害のような傾向を示すとされます。しかし回復すると、発達障害と診断する根拠がなくなるそうです。

発達障害(AD/HDやアスペルガー)と慢性疲労症候群は関係があるのか
慢性疲労症候群の発症と、自閉症スペクトラム障害やADHDなどの生まれつきの発達障害には関わりがあるのか、という点について、専門家による資料を集めています。

わたしもそうでしたが、体調が悪いと周囲の人たちと円滑にコミュニケーションできません。会話は脳の機能を広範囲に使う活動なので、脳が慢性疲労状態にあると、エネルギーがどうしても足りないのでしょう。

でも今は、会話を楽しむ余裕があるので、みんなに分け隔てなく声をかけることができます。楽しくコミュニケーションできるようになったことは、体調が回復した紛れもない証拠です。

もちろん、良いことばかりではありません。気難しい人もいます。自動車学校に通った時は、教官とのやりとりから来るストレスに苦労しました。

でも、その時の経験談に書いたとおり、自然の中でサイクリングしたり散歩したりすることで、リラックスできました。大自然の中に安心できる居場所を見つけ、ストレスを体の内部に溜め込むことなく、スムーズに発散できるようになりました。

かつて当たり前だった「生々しさ」を取り戻す

これら体調の改善には、間違いなく大自然の中での経験が役立っています。

さまざまな刺激に少しずつ慣れて、より多くのことを経験するうちに、自律神経の耐性領域の範囲が広がってきました。以前はとても耐えられなかったことも、少しずつ受け流せるようになりました。

わたしが自然界の中で畏怖の念を感じた体験は多岐にわたります。ここにすべてを書き切ることは到底できません。

森はわたしにとって、好奇心を満たしてくれる素晴らしい場所になりました。今でも怖い、生々しいと感じる瞬間はたくさんありますが、それをはるかに上回る楽しい発見があるので、わたしは森に通い続けます。

こうして、いつの間にかわたしは、長らく失っていた生きる喜びやエネルギー、そして生気を取り戻しつつあります。同時に、長年悩まされていた様々な症状も、その幾つかは改善が見られました。

単に精神的に気分転換できた、という意味ではありません。生物学的に変化したのです。体を使って、感覚を使って、より多くの充実した経験ができるようになって、脳が変化してきたということです。

過去に何度も引用してきた、あなたの子どもには自然が足りないという本のこの言葉のとおりです。

「私たちの脳は、5000年前に決められたとおり、農作業をし、自然を求めるようにできているのですよ」と、家族向けセラピストであり、ベストセラーとなった『よい息子』と『少年の不思議』の著者であるマイケル・グリアンは言う。

「神経学的には、人類は今日の過剰に刺激的な環境に対応しきれていません。ただし脳は強くて融通が利くため、70から80パーセントの子供はかなりうまく順応しています。

でも、残りの子供たちにはそれができません。

彼らを自然の中へ連れ出すと、状況を変えることができます。ただ、私たちはそのことを事例として知ってはいますが、証明できるまでには至っていません」。(p113)

大自然のもとで五感を使って活動し、新鮮な驚きを経験することにより、脳が自己防衛のために張り巡らしていた生物学的な凍りつき反応が解けていきました。すると、体にエネルギーが徐々に流れるようになりました。

かつて、バーチャルの世界の住人になりたいと望んでいた自分が、これほど変われるとは考えもしませんでした。

この記事では、何度も「生々しさ」という言葉を使ってきましたが、自然界や生物の営みが、本質的に生々しくグロテスクだという意味ではありません。

むしろそれが普通のことなのです。何億年もの間、生物はそのようにして命をつないできました。それが地球の唯一の文化でした。わたしたちはその地球に最近になって生まれました。

新参者である人類は、元からあった地球の文化を踏襲して生きてきました。過去数千年にわたり、人間は自然界の営みを生々しいなどとみなしませんでした。人類にとっても、それはごく当たり前のことだったからです。

ところが、産業革命以後のわずか100年ほどの間に、社会のありさまが瞬く間に変化しました。

まず都市という新世界が現れました。産業化と大量生産によって、大都市で暮らす裕福な人々は、自分で労苦しなくても、食事にありつけるようになりました。

自分で土を触って作物を育てなくても、また、虫と格闘したり、共存したりしなくても、そして、自らの手で動物を屠殺したり、魚を獲ったりしなくても、生きられるようになりました。

都市で生まれた新しい世代は、森を歩くことも、草原を走り回ることも知らずに育ちました。汚れることを知らず、野生動物と親しくなることもなく、全身を動かして遊ぶこともしません。

清潔な子ども部屋、上下水道が備わった衛生的な都市、加工され包装された食品に囲まれて育ち、それが普通とみなすようになりました。

これは新しい文化でした。今まで地球で当たり前だった文化、自分の手足や体を使って命を維持する泥臭い文化とはまったく異なっていました。

新しい文化のもとで育った人たちは、かつての文化を「生々しい」とみなすようになりました。

自分たちが遠く離れてしまった大自然に憧れを抱きつつも、その生々しさにおののき、きたならしく感じたり、嫌悪感を抱いたりするようになりました。

自分の足で野山に森に分け入ることはできなくなり、自然の風景をテレビのドキュメンタリーで見たり、ゲームの中で広大なフィールドを冒険したりするだけになりました。

そうすることで、本物の自然が持つ生々しさを和らげて、自然の良いところだけを楽しめる、と思うようになったのです。

しかし、それは間違いでした。地球や自然の本当の価値は、単に見た目の美しさにではなく、その生々しさにこそあるからです。

地球に生きてきた動物たち、そして、その文化を引き継いだかつての人類であるアイヌやネイティブ・アメリカンが生きることの喜びを実感できたのは、その生々しさの中で生きてきたからです。

生々しさを嫌悪するようになった現代社会の人々は、植物を採集したり、動物を狩ったり、土や虫に触れたり、手足が汚れたりしないでよい環境を作りました。そして、それらと引き換えに、燃えるような生命を実感する機会を失ってしまいました。

守られた都市に住み、大地に根ざした生活を捨て、荒々しい大自然を感じなくてもよい文化を作り出した結果、何が起こったでしょうか。

人々は地球の大自然の中ではなく、インターネットのバーチャルな世界で生きる時間のほうがはるかに長くなりました。

それはつまり、社会全体に弱い解離が蔓延したということでした。トラウマを負った人が強い刺激を避けるために、心を「今ここ」から切り離して、傍観者のような視点で自分を眺めるのと同じです。

ところが、人々は生々しい大自然を経験しなくてもよくなったと同時に、生きる喜びも感じにくくなりました。

漠然とした不安を抱え、生きている実感は乏しくなり、慢性的な疲労感やエネルギー不足を感じるようになりました。そして大自然の生々しさがもつ、「逆PTSD効果」を失いました。

過去の辛い経験を乗り越えるには、強烈な生きる動機づけが必要です。生きたい、前に進みたい、乗り越えたい、という燃えるようなエネルギーを感じられなければ、トラウマは乗り越えられません。

生きることに喜びが感じられなければ、山のような障害を乗り越えてでも、また立ち直ろうとは思えません。生物学的に凍りついた状態にあるなら、魂を揺さぶる何かが、どうしても必要です。

荒々しい大自然に触れて畏怖の念を抱くこと、それこそが古来より魂を揺さぶるものでした。動物も人も、太古の昔から、そうやってトラウマから立ち直ってきました。

ところが、現代社会はその原動力を遠ざけてしまいました。そこから切り離されてしまった現代のわたしたちが、慢性的な無気力や、生ける屍のような疲労感の檻に閉じ込められて出られなくなってしまうのは当然のことなのです。

大自然の生々しさには、それまでの価値観を根底からひっくり返す威力があります。凍りついた時間を再び動き出させるだけのエネルギーがあります。

どれほどトラウマを負い、生きるのをやめたいと思っている人でも、魂を揺さぶるような大自然の驚異を見れば、理屈抜きで、心がうち震えるかもしれません。

オリヴァー・サックスが左足を取り戻したときの「畏怖の念」およびヨブ記から学べる教訓
オリヴァー・サックスの「左足をとりもどすまで」、およびサックスがその中で引用している聖書のヨブ記の記述から、トラウマのシャットダウンとそこから回復するときの体験について考察していま

だから、自然の生々しさを感じるというのは、グロテスクさに慣れるという意味ではありません。

かつての当たり前に回帰する、もともと地球の生命や過去の人類が享受していた本来の文化に立ち返るという、ただそれだけのことです。

たかだかここ100年ほどの間の構築された、大都市という新世界にのみ存在する奇異な文化を脱ぎ捨て、もとあった生活に戻るというだけのこと。

むろん、原始の生活に回帰する必要はありません。わたしは科学が進歩したことによるメリットも最大限活用しています。最先端の素材の服装で荒々しい自然をしのぎ、カメラやインターネットやAIを駆使して自然界について学んでいます。

大切なのは、大地に足を根ざした生活に立ち返ることです。太古の人たちと違い、現代風の衣服を着て、メガネをかけ、手にはスマホやiPadをもっているかもしれませんが、大地に足をつけるという同じ暮らしに立ち返ることは可能です。

トラウマを負って解離した人は、地面から浮いているようだと述べます。だから地面に根ざすグラウンディングのトレーニングを受け、感覚を安定させることを学びます。

比喩的な意味で解離し、地球に根ざした暮らしができていない現代人にも、同じ訓練が必要です。地に足をつけて「生々しさ」を実感しなければならないのです。

すでに何代も都市で暮らし、子どもの時からずっと大都市での暮らしが当たり前だと思って育った人にとって、これは難しいことです。

ボディーワークのセラピーと同じように、少しずつ少しずつ慣れる必要があります。振り子のように行ったり来たりしながら、圧倒されないよう、耐えられる範囲を広げていくしかありません。

でもそうする価値はあると、わたしは学びました。

太古の昔から続く地球の文化には、生きる喜びが伴うからてす。

生物として、有機体として、この地球に生きる生命として当たり前の、生きることに伴う充足感を思い出すことができるのです。