「自分を信じてさっと行動する」。これは順風満帆に過ごしている人であっても、難しいことです。どんな人でも、初めて取り組むことには不安になり、尻込みするものです。もし自分にハンディがあると感じているとしたら、なおさら不安は強くなるでしょう。
わたしは、慢性疲労症候群を発症して、しばらくの間、自信を喪失し、まったく何も手につきませんでした。新しいことを始め、病気の中で一歩を踏み出すのを恐れていました。
もちろん、身体的な制限のために身動きが取れなかったのは確かです。しかし心理的な制限もありました。病気のために自分は何もできないと思い込んでいたのです。みなさんもそのように感じることがありますか。
スタンフォード・インプロバイザー ─ 一歩を踏み出すための実践スキルというの本の考え方は大いに助けになるでしょう。
これはどんな本?
著者のパトリシア・ライアン・マドソン女史はスタンフォード大学で長年インプロを教えてきたインプロバイザーです。
インプロとは何でしょうか。わたしは知らなかったのですが、この本やWeb上での説明を見ると、演劇において、即興のスキルを訓練するためのノウハウのようです。
即興には、自分を信じて、さっと行動することが必要です。そのスキルを演劇だけに限らず、実生活にも当てはめようというのがこの本の趣旨です。具体的なテクニックというよりは考え方の部分が多いですが、経験に裏打ちされた言葉には説得力があります。
本書はインプロのルールを13のテーマに分けて紹介していますが、この書評では、わたしの心に残ったエピソードを3つ紹介しましょう。
1. ひとつのことに集中する p108
「2つのことをそれぞれ片方の手で行うのをやめて、両方の手で1つのことを行いなさい」。
この書籍では、繰り返し、目の前にあるひとつのことに集中するよう勧められています。即興で演技をするには、失敗するという不安に注意を向けたりせず、今その場でできることに思いを集中させる必要があります。
これはいかにも簡単そうに見えて、難しいアドバイスです。今 目の前にやるべきことがあるのに、過去の失敗を振り返ってくよくよしていないでしょうか。あるいは、未来の起こるかもしれないことを過度に心配していませんか。
しかし、脳は一度に複数のことを考えることはできません。わたしたち慢性疲労症候群の患者は、ただでさえ複数作業を同時にするとパフォーマンスが低下すると報告されています。それに対し、あるCFSに関する資料は、「自分の活動に優先順位をつける患者は…ひとつの重要な活動を行うことが可能」だと保証しています。
ですから、病気や障害のもとで歩み出すためにまず大切なのは、生活をシンプルにし、目標をただひとつにしぼることなのです。目標がひとつに定まれば、ポモドーロ・テクニックなどを利用して、ただそれだけに没頭することが可能です。
2. 自分を支えてくれているものに気づく p135
即興で演技するには、自信をもつことが不可欠です。周りの人が失敗をあげつらおうと待ち構えているのではなく、成功できるよう助けたいと思ってくれていることが理解できれば、堂々と演技できます。支えてくれる人が身の回りに大勢いることに気づく必要があるのです。
著者は「あなたを今支えてくれているものについて思いめぐらしてください」と述べています。そして、そのあと、意外なものに注意を向けています。
『あなたはきっと、椅子に腰掛けてこの本を読んでいることでしょう。その椅子は確かにあなたを支えています。しかしあなたはきっと、わたしが指摘するまで、椅子のことなど考えもしなかったでしょう』。
わたしたちは、身近にありすぎるために、あるいは当たり前すぎるために、自分を支えてくれている大切な人や物を見過ごしている場合があるかもしれません。病気の人はときに、自分はひとりぼっちだ、と思うことがありますが、本当にそうなのでしょうか。注意深く周囲を見回せば、自分を助けてくれる人や物が意外に多いことに気づくでしょう。
著者は、わたしたちが周りを見る3つのレンズがあることを指摘しています(p131)
◆自分を大きくし、他人を小さくする「批判」のレンズ
◆自分も相手も同じ大きさで見る「客観」のレンズ
◆自分を小さくし、他人を大きく見る「贈り物」のレンズ
苦しい境遇では、自己中心的になり、「批判」のレンズを用いがちです。しかし、謙虚になって「贈り物」のレンズを通して他の人に感謝できることを探しましょう。そうすれば、支えてくれているものに気づき、一歩を踏み出す自信が持てるでしょう。
3. 「イエス」と言う p40
即興で演技をするには、なにはともあれ、失敗を恐れずに「イエス」と言う必要があります。
体調が悪いとき、気分がすぐれないときは、肯定的な返事をためらってしまうものです。「○○しましょう!」と言われても、何かと言い訳をして「でも…」と言ってしまいがちです。
しかし著者はこう述べています。『居心地のいい場所の外にあることに果敢に挑戦してください。カメを思い浮かべると分かりやすいでしょう。カメが前に進むのは、甲羅から首を出したときだけです』。p152
「ノー」と言えば安心感が得られますが、前に進むことはできません。「イエス」と言えば、安全な場所から首を伸ばす必要がありますが、ワクワク感が得られ、前へ進むことができます。たとえ難しく思えることだとしても、あなたがともかく「イエス」と言えば、物事は進展しはじめるでしょう。そうすれば具体的な解決策が見つかるかもしれませんし、だれかがあなたを手助けしてくれるかもしれません。
線維筋痛症の橋下裕子さんも、そのことを「自分の足で立つ」という言葉で表現しておられます。以下のエントリもご覧ください。
いま、即興で歩み出す
はじめに書いたように、体調が悪いために行動を躊躇してしまうことは確かにあります。しかし、非常に重い症状の方でさえ、患者会代表として活躍されているような例を見ると、行動できないのは、身体的な制限のためというより、心理的な制限のためではないかと思います。その心理的な制限を取り払うために、スタンフォード・インプロバイザー ─ 一歩を踏み出すための実践スキルは大いに役立つでしょう。
最後にこの本のP77に載せられているアンネ・フランクの言葉を引用して終わりたいと思います。
誰もがどんどん行動を起こしていくと思い描くのは、なんてすてきなのかしら。わたしたちは今すぐ始めることができる。…そして、あなたはいつどんな時も何かを与えることができる。たとえ優しさだけだとしても…!
ーアンネの日記