ジョブズは、生後数週間で、生みの親から離され養子となった。彼は幼いころから多動で衝動的な傾向を示し、殺虫剤の「味見」をしたり、コンセントにヘアピンを差し込んだりして、何度も病院に担ぎ込まれている。今ならADHDの診断を受けただろう。
その背景には、明らかに愛着障害があった。彼が示した多動や衝動性は、本来の発達障害によるものというよりも、愛着障害によるものと考えられる。(p136-137)
この愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)による、アップルのCEO、故スティーブ・ジョブズについての話が示すとおり、ADHD(注意欠陥多動性障害/注意欠如多動症)と愛着障害はとても見分けにくいことがあるようです。
しかしADHDは生まれつきの発達障害であるのに対し、愛着障害は、おもに生後六ヶ月から一歳半までの期間に形成される、特定の養育者との愛着がうまく結べなかったために生じるものです。
子を愛せない母 母を拒否する子など、子どもの虐待の問題を研究している他の研究者の本を読んでみても、必ずといっていいほど、ADHDと愛着障害(特に脱抑制性)は見分けにくい、ということが書いてあります。ADHDと愛着障害はどこが似ていて、どこが違うのでしょうか。なぜそんなによく似ているのでしょうか。
(1)社会福祉学の観点 (2)臨床の観点 (3)脳科学の観点 (4)遺伝の観点 から4人の専門家の意見を調べてみたいと思います。
もくじ
(1)ADHDと愛着障害―社会福祉学の観点から
まず、ADHDと愛着障害の基本的な点について考えておきたいと思います。
ADHDは、生まれつきのものです。おもに遺伝要因が関係していて、それがさまざまな環境要因によって表面化しているものと考えられています。そのため、ADHDの子どもの周囲には、同じADHDの傾向を示す親や親族がいることがあります。親がアルコール依存症であるケースもあります。
他方、愛着障害は、おもに幼いころの養育環境に基づくものです。ネグレクトされたり、虐待されたり、親と死別したりすることが原因です。親自身が被虐待児だったり、人格障害・精神障害を抱えていたり、親同士が不仲で離婚していたりすることもあります。
しかしADHDと愛着障害はよく似ていることも知られていて、たとえば、以下の記事では、小児科医のNadine Burke Harris(ナディン・バーク・ハリス)氏が、ADHDと幼少期にトラウマを抱えた子どもたちとの比較をしています。
「子ども時代のトラウマが寿命を20年縮める」小児科医が驚きの実態を指摘 – ログミー
あるとき私は不穏な徴候に気づき始めました。
ADHDと診断された多くの子ども達を、あらためて私が徹底的に環境や身体面の調査をしたところ、そのほ とんどの患者にADHDが当てはまらなかったのです。
その子ども達は、別の何かと取り違えるほどの深刻なトラウマを抱えていたのです。私は重大な何かを見 落としていました。
ヘネシー・澄子さんによる本、子を愛せない母 母を拒否する子のp136-141には、「愛着障がいの見分け方」というADHDと愛着障害を比較した表があります。
ヘネシー・澄子さんは社会福祉学博士・またソーシャル・ワーカーであり、東京福祉大学の教授や、アジア太平洋人精神保健センターの所長などを務められた方です。
この表は本来31項目からなる非常に詳しいもので、双極性障害とも比較されているのですが、ここでは7項目のみの引用とします。詳しくは書籍を参照してください。
※画面の小さな機器で閲覧の場合は表形式が崩れるので色で判別してください。
この表に載せられている情報は、31項目すべてに目を通すと、非常に細かい分け方がされていて、本当にすべての場合にそうなのか、という疑問を感じるところもあります。しかしどれも貴重な観察です。
ポイントとして、愛着障害とADHDでは、対人関係に違いが見られることが分かります。ADHDは素直で純粋ですが、愛着障害のほうは複雑で、人を信頼できず、コントロールしようとすることさえあるのです。
同様に感情表現に関しても、ADHDは素直ですが、愛着障害では解離や抑圧が見られることがわかります。自己防御や被害者意識が根底にあるのです。
有効な薬物としては、両者に効くものとして、クロニジンとグアンファシンが挙げられていました。どちらも交感神経を抑制する高血圧の薬です。そのほか愛着障害に効果のあるものとしてはSSRI、ADHDに効果のあるものとしてはリタリン(現在のコンサータ)などが挙げられていました。
(2)ADHDと愛着障害―臨床の観点から
こうした子どもたちを治療している専門家たちは、発達障害としてのADHD、トラウマ由来の愛着障害との類似点を口々に指摘しています。
たとえば、トラウマを専門とするセラピストまた心理学者のフランシーン・シャピロは、過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法 がの中でADHDの多くは、未処理の記憶に由来しているトラウマ症状だと述べています。
ADHDの多くの症状は、衝撃的な体験をした、あるいは心的外傷を受けた子どもたちとまったく同じである。(p140)
多くの子どもたちは、未処理の記憶に起因する注意散漫、行動問題、短気、集中力の短さを、ADHDと誤診されていると思われる。(p141)
国内では、あいち小児保健医療総合センターの杉山登志郎先生が、ADHDと愛着障害はの類似点を早くから指摘していて、臨床の観点から区別する必要があると述べていました。
子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)には、愛着障害には、ADHD様症状が見られることが書かれています。このADHD様症状という名前をつけたのは、大阪大学の西澤哲という方だと紹介されています。(p77)
本来のADHDと、愛着障害のADHD様症状にはとても似ているところがあって、その類似点と相違点は次のように説明されています。(p79-82)
※画面の小さな機器で閲覧の場合は表形式が崩れるので色で判別してください。
ここで、一番のポイントとされているのは、愛着障害では解離が見られるため、不注意優勢型に似ているということだそうです。
解離の症状としては、かすかな人格交代(スイッチング)によって「切れる」ことや、怒られたときにぼーっとするなど、意識変容があると書かれています。
p220の部分では、病的解離ではない、日常的解離について、四つの側面から書かれています。その四つを簡単にまとめるとこうなります。
耐え難い状況に直面してその状況から逃れるために…
(1)その出来事を忘れる
…忘れっぽい健忘状態になる。
(2)空想に耽って現実を直視しないようにする
…実生活でやらなければならないことが滞るほどに空想に耽る。イマジナリーコンパニオン(想像上の友人)を持っている場合も。
(3)何かに没頭したり熱狂したりして逃避する
…空想が内的な活動にのめりこむのに対して、没頭、熱狂は外的な活動にのめりこむことを意味する
(4)気持ちを切り替える
…いやなできごとの気持ちを切り離す失感情症。記憶はあっても感情が抜け落ちている状態
結果として、これらが重ね合わさると、「忘れっぽくて空想に耽りやすく、何かに熱狂しやすい」性格になると書かれています
ADHDでは、やたらと忘れっぽく、ボーっとしていて、興味のあることには過集中する人がいますが、それととても似ています。ADHDの場合は遺伝的要素ですが、愛着障害の場合は解離という身につけた現実への対処法のせいでそうなっている可能性もあるのです。
しかしアメリカの精神医学会の診断基準では、解離性障害(病的な解離)があれば、ADHDの除外診断となることが規定されているそうです。
ここまで見たところでは、愛着障害とADHDは似て非なるものと思えますが、よく似ているところもあります。
しかも、杉山登志郎先生によると、ADHDが虐待の高リスク要因になるため、ADHDの素因+愛着障害という人もいるそうです。(p77)
つまり、ADHDのみ、愛着障害のみ、という明確に区別できる2つのグループに加えて、両者の合併という3つ目のタイプがいるようです。
▼解離の有無が決め手にはならない
杉山登志郎先生のその後の著書臨床家のためのDSM-5 虎の巻では、ここで参照した見解が調整されています。
われわれは以前、解離の有無が大きな決め手と述べたが、その後の臨床研究を積み重ねてみると、AD/HDの基盤があって虐待がかけ算になった例も、基盤がなくて虐待系の多動を呈している例も、子ども虐待があれば解離症の併存があるので、鑑別の決め手にはなりそうもない。(p43-44)
つまり、解離の有無は、愛着障害があるかどうかを判別する手がかりになりますが、愛着障害のみのケースと、ADHD+愛着障害のケースを判別するのは難しいということでしょう。
(3)ADHDと愛着障害―脳科学の観点から
福井大学の友田明美先生のグループも、子ども虐待の研究をしていますが、いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳(2011年新版)にはこう書かれています。
小児期の被虐待による反応性愛着障害と解離を背後にもつ多動性行動障害と、注意欠陥多動性障害(ADHD)とは鑑別に苦慮する場合が多い。(p107)
やはりSSRIやカタプレス、抗精神病薬が薬として用いられるとされています。しかし杉山登志郎先生の研究がここで引用されていて、ADHDの薬のストラテラ(アトモキセチン)は、特にADHDの素因がある場合など、愛着障害の多動症状にも有効な場合があるとも言われています。
友田先生のグループは、脳科学の観点から愛着障害とADHDの鑑別に注意を注いでおられて、お小遣いを与えて報酬系の機能を調べる、という実験をされていました。
それによると、ADHDの子どもは、お小遣いの量が少ないと、なかなかドーパミンがでませんでしたが、愛着障害の子どもでは、お小遣いの量が多くとも少なくとも、つまり、何を与えられてもドーパミンが出ないということでした。
治療法も、ADHDのほうはメチルフェニデートで改善しましたが、愛着障害はオキシトシンで改善するのでは?と言われています。
この研究の場合、愛着障害のグループに入っている子どもは、愛着障害単独なのでしょうか。それとも愛着障害とADHDを合併している患者も含まれているのでしょうか。その点はわかりません。
もし合併している患者も含まれているとしたら、ADHDに愛着の問題を重ね着した結果、意欲がなくなるという可能性も考えられます。
また友田先生と杉山先生が編集に携わった子どものPTSD 診断と治療によると、友田先生と同じ福井大学の滝口慎一郎先生、八ツ賀千穂先生の執筆部分で、ADHDとトラウマ障害の脳科学的な関連性について、こう書かれていました。
実際のところ、脳内のノルアドレナリン・ドパミンに影響されている点では、トラウマ障害もADHDも反応は近似していると推測される。
しかしトラウマ障害の過覚醒は、子どもの命を守るために脳が後天的に身につけた手法のようなものであり、ADHDにおいては、記憶にとらわれない覚醒過剰持続が存在しているといえよう。
…HartやTomodaの研究では、被虐待児における脳容量や活動異常の部位が、ADHDで報告されている部位とほぼ同領域であることを報告している。(p117)
このように、脳科学的に観点からみれば、ADHDとトラウマ障害(愛着障害)はほとんど同じ状態だとされています。しかし、そこに至るまでの経緯は異なっていて、先天的な脳の機能障害か、あるいは後天的に身につけた適応反応なのか、という違いがあるようです。
とはいえ、やはりADHDとトラウマ障害を明確に分類できるとは限らず、「鑑別も要す一方で合併も多い」と記されていました。ADHDの子どもは、トラウマを5割増で経験しやすいというKoenenらの研究もあるそうです。(p118-119)
このように脳の反応としてはよく似ていて、合併も多い両者ですが、薬物療法については、これまでにも触れたように少し違いがあります。
ADHDに用いられる薬のメチルフェニデートはトラウマ障害の症状の増悪をもたらす可能性があるため、トラウマが関係している愛着障害の場合はやはりクロニジンのほうが望ましいとされています。(p118)
余談ながら興味深い点として、先ほど、杉山先生の表で、愛着障害では朝は抑うつが強く、夕方からハイテンションになる気分変動があることが記されていましたが、友田先生の資料によると、オキシトシンが朝覚醒時のストレスホルモンを和らげる働きを担っているのではないか、というエビデンスがわかってきたそうです。(p6-7)
ADHDの人の中には宵っ張りの朝寝坊に陥り、朝起きるのが苦手な人がいますが、愛着障害の場合もオキシトシンが不足しているために、朝起きのストレスが強くなり、夜型に傾いてしまう傾向があるのかもしれません。
脳科学の観点からの研究はまだ始まったばかりなので、今後の研究に期待したいところです。
友田先生は、愛着障害とADHDの判別方法に関する特許も出願しておられました。
J-STORE(~愛着障害の判定方法 友田 明美 特願2013-264455~)
本発明は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に分類される愛着障害の判定および愛着障害と注意欠陥多動性障害の鑑別方法に関する。
より詳しくは、報酬系のストレス負荷による脳内部位の賦活度を測定することによって、注意欠陥多動性障害と区別のつきにくい愛着障害を判定する方法に関する。
(4)ADHDと愛着障害―遺伝の観点から
最後にADHDと愛着障害の関連について、愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)から見てみたいと思います。著者の岡田尊司さんは、京都医療少年院の医師で、愛着障害に造詣の深い方です。
この本によると、ADHDは多因子疾患であり、複数の遺伝子が関与しているそうです。地域や人種、年齢によって、関わっている遺伝子にばらつきがあるといいます。
しかし、その中で特に関連性が認められている遺伝子が一つあります。
そうした中で、現在のところ、ほとんど唯一有望なのは、すでに述べたドーパミンD4受容体の変異(多型)である。繰り返し配列が通常より長く、七回反復している場合には、新奇性探求が高く、ADHDとの関連を認めている。
またこの多型遺伝子は、混乱型愛着障害のリスク遺伝子でもある。(p162)
この混乱型愛着(無秩序型アタッチメント)が最も如実に現れるのは境界性パーソナリティ障害という病気です。子どものときADHDと診断された人が、青年期に境界性パーソナリティ障害と診断される場合もあり、やはりADHDと愛着には関係があるとも推測されています。
無論、この遺伝子多型を持っていると、必ずADHDや混乱型愛着になるわけではなく、あくまでリスク遺伝子であると説明されています。要は養育の問題を過敏に反映しやすい子どもなのだそうです。
この遺伝子多型があるために、前述の杉山登志郎による説明のように、ADHD+愛着障害というタイプになる人は意外と多いのかもしれません。
ADHDの遺伝子が、養育環境によって強められることを示すデータとして、次のような点が挙げられています。
自閉症スペクトラムが、社会的に上位の階層に多いのとは対照的に、ADHDは貧困層で有病率が高く、また、その上昇率も高い傾向にある。(p160)
そう考えると、ADHDの増加という事態は、まさに子どものおかれた環境が、劣悪なものになっているということを反映していることに尽きるだろう。そしてそれが、同時に愛着の問題を伴って顕在化していることも多いに頷けるのである。(p163)
貧困層では、親に余裕がなかったり、非行犯罪歴や精神疾患があったりして、親子の愛着が築かれにくい場合があります。そのためADHDの遺伝的素因が愛着の問題によって表面化しやすいようです。
臨床心理学者ゴードン・ニューフェルドによる思春期の親子関係を取り戻す―子どもの心を引き寄せる「愛着脳」という本にもその点が示唆されていて、こう記述されています。
注意欠如障害と診断されるケースの爆発的な増加が、私たちの社会における仲間指向性の出現と同時であったことや、仲間指向性がもっとも優勢な大都市の中心部やスラム街でひどかったことも、偶然ではない。
これは、注意の障害はすべてここに原因があるとか、ADDに関連する要因は他にないと言っているのではない。しかし、注意を統率する愛着の基本的な役割を認識しないことは、ADDと診断される多くの子どもたちの真実を無視することになる。
大人への愛着の欠如は、大人に注意を向けなくなる大きな要因だ。(p110)
大都市やスラム街で、ADHDの出現率が高いのは、大人(親)との愛着が損なわれることによるという説が主張されています。
大都市や貧しいスラム街では、親との愛着が築かれにくく、代わりに子どもは同年配の仲間と連れ立って行動します。それが仲間指向性という言葉で表現されています。
この仲間指向性の状態は、親や学校に対する注意力散漫を生みやすく、ADD(ADHD)として診断される要因となっていると考えられるのです。
こうなってくると、どこまでがADHDでどこからが愛着障害という線引きは難しく、おそらくはADHDでもあり、愛着障害でもあるという子どもが多数含まれているのでしょう。
またADDという表記が示唆しているように、多動を伴わない注意欠陥障害、つまり不注意優勢型のADHDの場合も、愛着障害との区別がつきにくい、という点も考慮に入れる必要があります。
ADHDと愛着障害を区別する
以上の研究を見ると、確証はありませんが、最初に出てきたスティーブ・ジョブズは、ADHDでもあり、愛着障害でもあった可能性がありそうです。
つまり、もともとADHDの遺伝的素因を持って生まれてきたところに、親から捨てられたという環境要因が重なって、ジョブズの独特な人格が作られたのかもしれません。
スティーブ・ジョブズの独特な発想力やエネルギッシュな行動力はADHDとしての遺伝的特性に支えられていたのかもしれません。
同時に単身インドに旅を出かけたり、禅を学んだりしたことには、愛着障害による心の空虚感が表れているともいえます。
娘のリサが明らかにしている常軌を逸脱した態度(悩み、それでも書いた ジョブズの娘が語る「気まぐれでサディスティックな父の物語」:朝日新聞GLOBE+ )や、人をコントロールしようとする統制的な性質もまた、愛着障害の存在を示唆しています。
もちろん、ADHDと愛着障害が明確に区別できる場合も存在していて、その場合には治療法も変わってくるようです。しかし、両方を重ね着している場合には、両面からの治療が求められるでしょう。
自分や子どもがADHDだと思う場合、そのADHDらしい性格、つまり、多動や衝動性、また忘れっぽくて空想にふけりやすく、興味のあることには熱中してしまうという性格が、生来の脳の構造によるのか、それとも解離によって身につけた現実への対処法なのか、あるいは両者の複合なのか判別する必要があるかもしれません。
愛着障害がなぜADHD様の症状につながるのか、という点について詳しくは以下の記事でも扱っていますので、あわせてご覧ください。