■物心ついたときから、空想の友人がいる。わたしが不安になると、彼はいつも「大丈夫だよ」と優しく励まし、力づけ、強くしてくれる。
■愛する家族を亡くしたあと、いつしかその亡くなった愛する人と会話するようになった。静かな場所に行き、その声に耳を傾け、対話することで悲嘆が和らぎ、慰めを得ている。
あなたは、この3つの経験談に思い当たる点がありますか。あるいは、これらの人は頭がどうにかなってしまったのだろうか、とか、彼らは守護天使や死んだ人の魂のような霊的存在を感じているのだろう、とか考えますか。
この3つの現象は、決して珍しいものではなく、どれも頻繁に報告されるものです。それぞれサードマン現象(Thirdman)、イマジナリーコンパニオン/イマジナリーフレンド(IC/IF)、そして亡くなった愛する故人との対話です。
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」という本によると、この3つの現象は共通のメカニズムの上に成り立っています。
サードマン、すなわち極地探検家、登山家などの冒険家や災難に苦しむ人が呼び出す案内人は、もっと日常的な危機に直面している人を助けるために呼び出すこともできるのだろうか。
…孤独な子供やストレスを受けた子供は、空想上の友達という形で仲間を呼び出す。配偶者を失った人も同様である。(p246)
なぜ脳は恐怖や不安を鎮めるために空想の他者をありありと描き出すのでしょうか。どうして、これら空想の他者は慰めを与えるのでしょうか。さまざまな文献を引用しつつ、この驚くべき脳の機能を詳しく解説しましょう。
もくじ
これはどんな本?
今回取り上げる本は、おもに次の三冊です。
奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころという本は、危険な状況の飛び込み取材をしているジャーナリスト、ジェフ・ワイズが恐怖と勇気の脳科学について書いたものです。
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」は、歴史学者ジョン・ガイガーが、さまざまな神秘的なサードマン現象についてまとめた本です。
リジリエンス―喪失と悲嘆についての新たな視点は、心理学者ジョージ・ボナードが、死別の悲嘆について科学的に調査したもので、亡くなった愛する人と想像上の会話をする人たちについて載せられています。
この三冊の本を読むと、サードマン、イマジナリーフレンド、亡くなった愛する人との会話という3つの現象は、互いに深く関係しているということがわかります。
この3つの現象に共通するのは、次の4点です。
1.対話性 : 声が聞こえ、会話ができる
2.実在性 : 実際にそこにいる、というありありとした感覚を伴う
3.回復性 : 恐怖・不安といった苦しい感情が和らぐ
わたしたちの脳は、一人で困難な状況に立ち向かわなくてはならなくなったとき、案内人、友達、家族ともいえる空想の他者を創りだし、勇気を与えてくれるのです。
それではそのメカニズムを詳しく見ることにしましょう。
なぜ空想の他者は脳の恐怖反応を鎮めるのか
まず、考える必要があるのは、人間の恐怖はどこから生じるのか、という点です。少し難しい話になりますが、リラックスしてお付き合いください。
人間の不安や恐怖はどのようにして生じるのでしょうか。
奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころという本によると、非常に大まかに言えば、人間の恐怖回路は、脳の二つの部分のせめぎあいです。それは、警告を発して恐怖を感じさせる扁桃核と、それを抑制し、恐怖を鎮める前頭皮質です。
扁桃核のはたらきが弱すぎず強すぎずというバランスを維持するためには、扁桃核と前頭皮質の釣り合いがとれていなくてはならない。
「脳の制御系は回路になっているのです。家電製品のサーモスタットと同じ、負のフィードバックループですね」というのが、ムジカ=パローディの説明だった。
扁桃核が興奮させる側、前頭前皮質が抑制する側を担当している。(p33)
扁桃核は、危険なものに目ざとく、即座に警告を発します。たとえばフラッシュバックのトラウマ記憶もここに格納されていると考えられています。危険を認識し、本能的にそれを避けるよう促す脳のアラーム部分なのです。
それに対し、前頭皮質は、理性的な反応をつかさどる部分です。扁桃核から危険だというアラームが発せられても、理性的に考えてそれが危険ではないことがわかると、前頭皮質が「大丈夫だ、危なくない」と判断し、扁桃核を抑えこむことができます。
これらの脳の反応は、カリフォルニア大学の心理学者マシュー・リーバーマンによって、XシステムとCシステムのせめぎあいという仕方で説明されています。(p117)
脳の機能の中には、扁桃核の恐怖反応のように、本能的・反射的で、自動で生じるものがあります。これがXシステムです。Xとは「反射性の」を意味する:reflexiiveから来ています。
いっぽう、脳の機能の中には、前頭皮質の抑制反応のように、意志力でコントロールでき、理性的に判断できるものもあります。これがCシステムです。Cとは「内省的な」を意味するreflectiveから来ています。
わたしたちは、普段はおおむね、Cシステムを働かせ、理性的に生きています。しかし、危険な状況になると、Xシステムが主導権をのっとり、本能的な恐怖に支配されてしまうのです。
つまり、恐怖を司るシステムが、ふだんは自分を抑制している認知機能のコンセントを抜いてしまうというわけだ。
リーバーマンはこれについて、「危険が差し迫り、興奮が激しくなれば、人間の脳はCシステムから決定権を奪い、Xシステムに譲り渡すのである」と記している。(p181)
この状態こそが「パニック」です。冷静に考えるCシステムが機能しなくなり、恐怖や不安に圧倒されて、ただ危険から逃げようとして混乱してしまうのです。
しかし、このような「パニック」の状態を鎮め、冷静なCシステムのコントロールを取り戻す方法があります。前置きが長くなりましたが、ここからが、この記事で書こうとしている本題です。
危機的状況でCシステムによるコントロールを取り戻すカギ、それは、親しい人との会話、およびその人がそばにいてくれるという感覚なのだそうです。
ミリング―会話が恐怖を鎮める
まず一つ目は、親しい人との会話です。
奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころにはこう書かれています。
ほとんどの人は、一人でいるときの方が恐怖に負けてしまいやすい。ヒトは群れで生活する動物だ。友だちや親戚、知り合いの輪は、人間にとって欠かせないセーフティネットであり、恐怖のみならず、あらゆるストレスの影響を緩和するのに役立ってくれる。
人間は、危険に遭遇すると、他者の支えを求める本能がある。この現象を「ミリング」といって、みんなで寄り集まってしゃべり、情報を交換し、現状や対策についての意見をまとめようとするものだ。(p226)
この「ミリング」は恐怖を鎮める、とても強い働きを持っています。
「ミリング」がもたらした悪い例とがあります。1977年のあるクラブの火災では、「ミリング」に没頭するあまり、火災現場から逃れるようにという警告に耳を貸さず、テーブルに座ったまま死んでしまった人もいたそうです。恐怖回路が働かなかったのです。
良い例としては、戦場や雪山で、互いに励まし合い、支えあうことで恐怖を乗り越え、生還できた人たちの話がたくさんあります。
いずれにしても、他者と会話することは、Xシステムの暴走を鎮め、Cシステムによるコントロールを保つための大切な方法の一つなのです。
親しい人との触れ合いが恐怖を鎮める
二つ目は、愛する人がそばにいてくれるという感覚です。
国立精神衛生研究所のピーター・カーシュは、扁桃核が興奮して激しい恐怖を感じている人に、オキシトシンの点鼻薬を吸ってもらうと、恐怖が和らぐことを見つけました。これは特に社交上の恐怖に有効でした。
オキシトシンは、愛情や社交性に関係するホルモンで、母親の深い愛の源です。わたしたち自身も、だれかに愛されると、このオキシトシンが分泌され、心が安らぎます。
ちょっと露骨な話なのですが、奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころにはこう書かれています。
前にも述べたとおり、単にパートナーに抱きしめてもらうだけでもオキシトシンの濃度は上がり、ストレスは軽減する。
もっと効果的なのはずばりセックスだ。2006年に行われた研究では、人前でのスピーチを控えているときのストレスは「挿入をともなう性交」によって軽減するという結果が出ている。(p130)
ここで重要なのは、体の触れ合いが、扁桃核の恐怖や不安を鎮めるという点です。
親しい人が目の前にいてくれて、手をつなぐことができ、抱きしめることができ、愛情を交わすこともできる…そのようなありありとした実在感が、恐怖や不安を和らげるのです。
冒頭に取り上げた、3つの空想の他者の現象に共通する特徴は、まさに今考えたとおり、会話できる存在であることや、そこにいるかのようなありありとした実在感を伴うことでした。
そうした特徴が、極限状況で暴走するXシステムを鎮め、理性的なCシステムのコントロールを取り戻すことに寄与していると思われます。
それでは、具体的に、ひとつひとつの現象を見てみましょう。
絶望的状況から奇跡の生還を導くサードマン
サードマン現象とは、雪山での遭難、海上での難船など、命が脅かされる危機的状況で、どこからともなく第三者が現れ、励まし、導いてくれるというものです。
空想の友達(イマジナリーコンパニオン)の専門家である発達心理学者の森口佑介博士が、サードマン現象とイマジナリーフレンドとの関連性を指摘しているという点は、以前の記事で取り上げました。
サードマン現象は非常に多く報告されていますが、その基本的な特徴は、絶望的なほどの危機に直面したとき、目に見えないだれかの声が聞こえ、その存在をはっきりと感じることです。
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」から、一例を挙げてみましょう。
1983年、28歳の大学院生、ジェームズ・セビニーは、友達と一緒にカナディアン・ロッキーの氷の溝を登っていました。
しかし友人が氷の破片を落としてしまったことをきっかけに激しい雪崩が生じ、セビニーはそれに巻き込まれ、押し流され、意識を失います。目が覚めたとき、彼は重傷を負い、全身のさまざまなところを骨折していました。友人は死んでいました。
彼が絶望感に襲われたそのとき、その存在は現れました。
そのとき突然、すぐそばに見えない〈存在〉があるような奇妙な感覚におそわれた。「目には見えないが、たしかに何かがそこにいた」。その〈存在〉は心に語りかけてきて、はっきりと告げた。
「あきらめてはいけない。がんばりなさい」(p19)
その存在、つまり「サードマン」は、彼を導き、励まし、助けます。
それはセビニーを立ち上がらせた。そして、どう動けばよいかを具体的に指示した。たとえば、鼻の先からしたたる血の跡を追って歩くよう告げた。
…そのあいだ何者かは右肩の後ろに立っていて、いくらあがいても生き延びられるはずがないと思われたときでも、あきらめないでと哀願した。また、黙っているときでも、すぐそばについてきているのがわかった。(p20)
そしてついにセビニーは、スキーをしていた他の登山者に発見されます。その瞬間、「サードマン」はどこかへ消え去り、セビニーは初めて孤独感を覚えました。ともあれ、彼はなんとか生き延び、救出されました。
この例がはっきり示すとおり、サードマンは、危機的状況で突如現れ、恐怖や孤独を和らげ、冷静で理性的な行動を助けます。つまりXシステムが暴走してパニックになりかねない状況で、不思議なほど冷静なCシステムのコントロールを取り戻すのです。
この“サードマン”は、精神科医ラルフ・B・アリソンが提唱した、内的自己救済者(Inner Self Helper : ISH)とも関係がある可能性があります。ISHとは危機に陥ったときに現れる有能なお助け人格であり、冷静かつ愛情に満ちていることが特徴です。
ただしISHが人格交代によって現れるのに対し、サードマンは、明確な他者として認識されます。
ISHは解離性同一性障害(DID)のように、本人(主人格)の意識を乗っ取ることで危機に対処しますが、サードマンは、イマジナリーフレンドのように、対話できる他者として現れることで、あくまで本人(主人格)が冷静さと勇気を保つのを助けるのです。
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」の著者ジョン・ガイガーは、サードマン現象のもっとも大きい意義は、「仲間がともにある」という感覚をもたらすことだと述べています。
その信念が過酷に試され、失敗、あるいは死も避けられないと思われたときに、サードマンがあらわれる。そのとき何が変わるのか。挫折を目前にして、何が生還の奇跡を起こすのだろうか。
まずは信じることである。仲間がともにあると信じることだ。
…人間がいかに社会的な動物であるかを示す究極の例として、人が深い孤独のなか苦しんでいるとき、脳や精神は、自分は一人ではないと思わせる方法を見つける。その同胞感覚が、結局は生と死を分ける。(p243)
すでに述べたとおり、恐怖回路の暴走とパニックを鎮めるのは、親しい人がそばにいてくれて、触れることもでき、会話することもできるという感覚です。
脳はそのことをよく知っていて、理性のコントロールが失われそうな危機的状況に陥ったとき、それを防ぐ最後の手段として、ありありとした実在感を伴う、空想の他者を創り出すのです。
サードマン現象を経験した人は、それが自分の脳の機能であるとは信じがたく思い、守護天使や神の使いではないかと感じます。
なんといっても、自分の意志でその存在を創りだしたわけではないことは明白だからです。その存在はどこからともなく独りでに現れ、実在の他者と変わらないほどの、あるいはそれ以上の存在感を伴って、向こうから話しかけてくるのです。
しかし、そのような現象は、何も、命の危険を感じる遭難事故のような危機的状況でのみ生じるわけではありません。まったく同じような状況が過度の精神的ストレスにさらされた子どもに生じます。
それが次に考えるイマジナリーフレンド、イマジナリーコンパニオンと呼ばれる空想の友だち現象です。
不安や孤独を癒やすイマジナリーフレンド
イマジナリーフレンド、または学術的に言うと、イマジナリーコンパニオンについては、このブログで、過去に詳しく取り上げてきたので、詳細な点は、下記の記事を参考にしていただければと思います。
イマジナリーフレンドとは、おもに子どもに見られる、空想の友だちのことです。子どもの約半数は2歳半くらいから空想の友だちを持ち始め、目に見えない友だちと会話したり、ごっこ遊びをしたりするようになります。
これは非常に一般的な現象であり、まったく健康な発達の過程です。ストレスや孤独の表れではなく、むしろ社交的な子どもが寂しさを感じたときに、気を紛らわしたり、社交の練習をしたりするためにイマジナリーフレンドを創り出すと考えられています。
しかし、イマジナリーフレンドは幼児期だけでなく、青年期に現れることもあります。学童期に入って、9歳,10歳ごろから現れるタイプのイマジナリーフレンドは、孤独や精神的ストレスと関係している場合が見られることが報告されています。
たとえばぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)の中で、ダニエル・タメットは、学童期に友だちがおらず、ひとりぼっちだという耐えがたい苦痛を感じていたとき、アンというおばあちゃんのイマジナリーフレンドが出現したことを述べています。
この話について詳しいことは、以前の記事を参考にしていただければと思いますが、この場合もやはり、特徴は、サードマンと同様、ありありとした存在感を伴い、会話できるということでした。
彼はこう回想します。
休み時間になるとアンと長い深遠な会話を交わした。彼女の声は静かで、思いやりにあふれ、穏やかで、心安らぐものだった。彼女といると安らぎを感じた。
…しかし彼女はこう言った。ほかの子のことは気にしなくていいのよ。あなたはきっと大丈夫。
彼女の言葉はいつもぼくを慰め、彼女を身近に感じた後はきまって心が安らぎ、幸せを感じた。(p97-98)
ちょうど、雪山で遭難した人がサードマンと出会ったときのように、ダニエル・タメットは、イマジナリーフレンドとの会話、そしてそのありありとした存在感から安らぎを得たことが分かります。
しかし、雪山で遭難したセビニーが、他の登山者に発見されたときに、サードマンが去っていったと同じように、ダニエル・タメットのイマジナリーフレンドも、やがて彼に別れを告げます。
気が動転したぼくが理由を尋ねると、彼女は、わたしは死にかけているので、さよならを言いに来たの、と言った。そしてとうとう彼女は消えてしまった。
ぼくは涙が涸れるまで泣き、それから何日も彼女が消えたことを悲しんだ。アンはとても特別な人だった。ぼくは彼女のことは一生忘れない。(p99)
なぜアンは、ダニエル・タメットのもとからいなくなってしまったのでしょうか。彼はこう分析しています。
いま思うと、アンは、ぼくの孤独と不安とが人の姿となって現れたものだったのだ。
自分の限界を知り、そこから脱したいというぼくの心がつくりだしたものだった。
彼女を手放すことで、ぼくはこの広い世界に自分の場所を探し、そこで生きる覚悟を決めたのだ。(p99)
ダニエル・タメットは、あたかも、人間社会という雪山で、比喩的な雪崩にのまれ遭難したかのようなものでした。
彼は、心のさまざまな箇所を骨折し、自力では歩けないほど弱っていました。しかも彼は孤独で、助けとなる友人はだれもいませんでした。
そのとき、彼の脳は、危機的状況を脱するために、イマジナリーフレンドという人格的存在を創りだしました。
アンという空想上のおばあちゃんの温かい愛情は、ダニエル・タメットのオキシトシン分泌を刺激し、彼の不安を和らげました。対話を通して、彼は安らぎを得て、彼の傷は癒えていきました。
そして、もはや彼が、危機を脱し、この広い世界で生きていけると脳が悟ったとき、その空想の他者は消えてしまったのです。
このように、サードマン現象とイマジナリーフレンド現象は、根本のところで、同じ働きをしています。
身体の危機も心の危機も、命の危険ということでは変わりありません。
そのような生命の危機に直面し、しかも孤独でだれも助け手がいないとき、脳は独りでに空想の他者を創りだして、安らぎと勇気を与えるのです。
サードマン現象を体験した人は、それが自分の脳の機能であるとは思わず、守護天使や超常現象のように感じるとすでに述べました。それは、自分の意志でその存在を創りだしたという自覚がないためでした。
イマジナリーフレンドも同様で、ダニエル・タメットは、アンを自分で意識的に創造したとは考えていませんでした。むしろサードマンと同様に、その存在は向こうから独りでに現れたのです。
それで、イマジナリーフレンド現象を経験する人の中には、自分は頭がおかしくなってしまったのではないかと心配したり、イマジナリーフレンドは別の世界からやってきた霊的存在なのではないか、と感じる人もいるようです。
しかしこれまで考えた事柄に基づくと、それは、危機的状況のもとで自動的に実行するよう脳にプログラムされた救済手段であるように思えます。
さて、ここまでは、空想の他者が現れるという現象について、遭難者や孤独な子どもの例を考えてきました。
しかし、子どもだけでなく、もっと年配の、成熟した大人の場合も、同じ現象が姿を変えて現れることが知られています。
最後に考えるのは、愛する家族を亡くした人が経験する、亡くなった故人との想像上の対話です。
悲嘆を和らげる亡くなった家族との空想の対話
愛する配偶者との死別、大切な子どもとの別れ、尊敬する親の喪失…。家族との死別は、残された人の心に深い傷をもたらします。
その傷は、ここまで考えた雪山の遭難者や、世界でひとりぼっちの子どもと同様、生命の危険を感じるほど危機的なものです。
そのような危機的状況で、ある人たちは、亡くなった家族との想像上の対話を経験するといいます。これは決して霊媒のようなオカルトではありません。
以前の記事で紹介したとおり、亡くなった家族との想像上の対話がイマジナリーフレンドと近縁の現象であることは、日本のイマジナリーコンパニオンの研究者、麻生武博士も指摘しています。
具体的な例をリジリエンス―喪失と悲嘆についての新たな視点という本から見てみましょう。まずは愛する妻を亡くしたダニエル・レヴィの経験談です。
ジャネットが亡くなって数ヶ月経ったある日、ダニエルは沼地に行ってみようと考えた。
「私は一日中妻のことを考えていました。とても寂しかったのです。いつもと同じ時間に沼地に出かけました。この時、何かひどく強い感情が襲ってきました。妻がそこにいるかのように思えたのです。妻は私に話がしたいと言っていました」。
ダニエルは妻の名を呼んだ。何も聞こえず、何も見えなかった。しかしジャネットがたしかにそこにいるというののがはっきりとわかった。(p178)
ダニエル・レヴィは、亡き愛する妻の存在感を感じ取りました。そして、その妻と会話を交わします。
ダニエルは「一種の忘我」の状態に陥り、長いことジャネットと話した。傍からは、ダニエルが自分自身に話しかけているように見えたかもしれなかったが、彼にとってそれは明らかに「会話」であった。
ダニエルがジャネットに質問すると、彼女は答えてくるように思えた。私はダニエルにたしかにジャネットの声を聞いたのかと質問した。
「わかりません。私は妻の声を聞きましたが、沼地でたしかに声がしたのかどうかわかりません。答えられません。でも、ありありと感じたのです。本当にありありとしていました」と彼は答えた。(p178-179)
読者の皆さんは、この経験談を読んで、きっと、今までの例と同じだ、ということに気づかれたことでしょう。つまり、サードマン、イマジナリーフレンドと同様に、ダニエルが語りかけた妻ジャネットの存在は、ありありとした実在感を伴い、会話することもできたのです。
これは彼が死者の霊のようなものと話すことのできる特別な人だったことを示唆しているのでしょうか。
そうではありません。このような現象は、頻繁に認められるそうです。大規模研究によると、愛する人と死別した人の3分の1が、故人と定期的に話をすると答えたそうです。(p177)
夫のジョンを亡くしたヒーサー・リンキストは、亡くなったジョンと会話しますが、それが超常現象ではないことを承知しています。
ヒーサーがジョンと話をしている時に、ジョンがたしかにそこにいると感じるかと質問したところ、彼女はしばらく考えてから、「夫がそこに漂っているとかいった具合には、おそらくそこにはいないだろうと思います。
でも、私が以前にお話ししたように、私に何がわかっているのでしょうか? 私たちが話をしている時に、私は夫と一緒にいる感じがします。それが大事なのです。話していると、私たちはおしゃべりをしているような感じで、気分がよいのです」(p180)
彼女の話からわかるとおり、話している相手が、本当に死んだ愛する人なのかどうか、といった点は重要ではありません。
ただ、愛する人がそこにいるような「一緒にいる感じ」が大事なのであり、会話を通して、安らぎが得られるのです。
これは、さきほど、ジョン・ガイガーがサードマン現象のもっとも大事な点は「仲間がともにある」という感覚であると述べていた点と一致します。
愛する家族を亡くした人は、いいようのない孤独にさいなまれます。それは、ダニエル・タメットのような子どもが、世界でひとりぼっちだと感じていたのと同様です。
その孤独と恐怖という危機的状況を脳が察知したとき、ダニエル・タメットの脳がアンというイマジナリーフレンドを創りあげたのと同じ機能が働き、残された人の目の前にありありとした故人の存在が描き出されるのです。
イマジナリーフレンドと会話する人が、自分は頭がおかしくなってしまったのではないか、と心配するのと同様に、はじめて愛する故人と対話した人の中には、これは危険な前兆なのではないか、と感じる人もいるそうです。(p182)
しかし統計が示すところによると、これは多くの人の喪失体験に見られる正常な過程であり、文化によっては当たり前に受け入れられている場合さえあります。たとえば、日本では仏壇の前に座って愛する故人と対話することは、別におかしいこととはみなされません。
亡くなった愛する人のことを思い続けるのは正常なことです。「自分は決して独りではない」という安心感を与え、恐怖や不安を抑えるために、脳が独りでに、亡くなった愛する人のイメージをありありと描き出しているのです。
脳の非常用復旧プログラム
ここまで考えた3つの例、サードマン、イマジナリーフレンド、愛する故人との対話は、すべて、共通の特徴によってくくられています。それは最初に述べたとおり、
1.対話性 : 声が聞こえ、会話ができる
2.実在性 : 実際にそこにいる、というありありとした感覚を伴う
3.回復性 : 恐怖・不安といった苦しい感情が和らぐ
の4点です。
これらの特徴から推測できるのは、わたしたちが尋常ではない危機的状況に置かれたとき、脳には平静を取り戻すのを助ける機能が備わっているということです。
危機的状況は、ブレーカーが落ちる停電になぞらえられます。非常に強い負荷がかかると、いつも電力供給をしていた、理性を司るCシステムのブレーカーが落ちて、恐怖反応を司るXシステムという非常用電源のみで動くようになるのです。
しかしXシステムには、Cシステムの復旧を促すプログラムが仕込まれており、それがサードマンやイマジナリーフレンド、愛する故人の存在を創り出すのではないかと考えられます。
思い出してください。サードマン、イマジナリーフレンド、愛する故人は、ほとんどの場合、独りでに自動的に現れます。それは、そのプログラムが、自動的に働くXシステムの支配下にあることを示唆しています。
そして、他者のぬくもりや会話というのは、前頭皮質のCシステムを強める大きな要素でした。つまり、Xシステムは自律的な空想の他者を創り出すことで、Cシステムがコントロールを取り戻すよう促しているのです。
奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころはこう述べます。
危機のさなかに感情にのみこまれたくないなら、だれでもいいから、話を聞いてくれる人がいれば―それどころか、声に出して独り言を言うだけでも―Xシステムをいくらかコントロールすることができる。(p236)
このとき、頭の中で何が起こっているのか、ということは、徐々に解明されつつあります。以前の記事で取り上げたように、サードマンなどが持つありありとした実在感は、脳を直接刺激することで誘発することができます。
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」によると、スイスの研究では、てんかん患者の脳の「側頭頭頂接合部」、つまり側頭葉と頭頂葉の繋ぎ目を刺激すると、見えないだれかがいるという気配が生じました。(p226-228)
ここは感覚を統合し、自己と他者を区別する領域です。自分の内なる声と、外部の他人の声とを区別する機能も担っているのかもしれません。
この部分は酸素不足によって異常を生じやすいと言われています。そのことから、死の間際や重症事故、高山地域で、サードマンをはじめ、体外離脱や幻覚などの感覚統合のずれが生じやすい理由と考えられています。
とはいえ、これまでに考えたように、危機的状況下で脳が空想の他者を創り出すことは、単なる酸素不足による脳の誤作動ではなく、もっと積極的な意味合いを持つもの、つまり非常用の復旧プログラムであるように思えます。
また、これらの現象は、やはり科学的にすべて説明しきれるものではなく、超自然的な人知の及ばない面があると信じている人もいます。まだすべてが解明されたとはいえないでしょう。
人間は「だれかが共にいる」ことで希望を得る
最後に、サードマン、イマジナリーフレンド、愛する故人との対話について、知っておくべき、ひときわ重要な点があります。
それは、これらの脳の復旧プログラムを活用して、本当にコントロールを取り戻すかどうかは、その人当人に委ねられた責任なのだ、という点です。
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」は、1934年にエベレストに挑んだモーリス・ウィルソンを警告の例として引き合いに出しています。
ウィルソンが登山中に遺した日記によると、嵐に見舞われて遭難したとき、彼はだれかがそこにいる、という感覚をありありと感じました。
しかし彼は無謀にも、さらに登山を続けるという決定をしました。1年後、別の登山者が彼の遺体を発見しました。
ジョン・ガイガーは、この事実から学べる教訓をこう記しています。
彼の見えない同行者が最後の数時間もそばにいたかどうかはわからない。ウィルソンの悲劇は、ある重要なことを強調している。
助かろうとしない人の命を救う方法はないのだ。サードマンには、意志の強いパートナーが必要なのである。(p242)
サードマンも、イマジナリーフレンドも、愛する故人のありありとした空想も、すべては、危機的状況を脱するために脳が創りあげた救済者です。
しかし、救済者の助けを受け入れ、危機から脱し、恐怖や不安を乗り越え、人生のコントロールを取り戻すかどうかは、その人の決定にかかっているのです。
救済者と手を取り合って、肩を並べて希望の方向に進むか、それともかたくなに絶望へと進み続けるかは、当人が決めることです。
サードマンに導かれ、奇跡の生還を遂げる人がいます。イマジナリーフレンドから勇気を得て、社会の荒波を乗り切る人がいます。愛する故人との想像上の対話から励まされ、新しい人生を歩み出す人がいます。
彼らはみな、一つのことを選びました。すなわち、危機的状況で現れた空想の他者を受け入れ、会話を交わし、ありありとした存在感から安らぎを得、その存在とともに希望の方向へと歩き出したのです。
彼らがそうできたのは、彼ら自身が強い意志を持っていたからです。彼らは空想の他者が現れたとき、そのよきパートナーとなりました。
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」は最後にこう述べています。
サードマン [そして、イマジナリーフレンドや愛する故人のありありとした空想] は希望の媒介者である。
その希望は人間の性質の根本にある認識によって―すなわち、私たちは一人ではないという信念と理解によって達成されるのである。(p247)
わたしたちは、一人ではないという信念によってどんなに絶望的な状況でも希望をつかむことができます。そして脳にはそれを助ける機能が備わっています。
その助けを受け入れ、サードマン、イマジナリーフレンド、亡くなった故人のありありとした空想から勇気を得るとき、わたしたちは絶望的状況から奇跡の生還を遂げることができるのです。
空想の他者が日常生活の中でも支えになるという点はこちらをご覧ください。
サードマン現象の由来や発生条件など、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
この話題に関するこのブログのほかの記事は空想の友だち研究からご覧ください。