イマジナリーフレンド(IF、またはイマジナリーコンパニオン:IC)、すなわち想像上の友だちは、昔から、いろいろな作品の題材になっています。
広い意味で言えば、となりのトトロやピーターパンなど、子どもにしか見えない存在を扱った作品はイマジナリーフレンドを示唆している、と批評されることもあります。
いっぽうで、青年期以降のイマジナリーフレンドはあまり取り上げられることがありません。それに言及した作品があるとしても、若者がイマジナリーフレンドを持っているのは異常なこととされ、ホラーのジャンルに踏み込んでいたりします。
その中で、わかりやすい「解離性障害」入門という本によると、2009年に放映されたNHKの連続テレビ小説「つばさ」では、健康な大人のイマジナリーフレンドが扱われていた、という情報がありました。
わたしはこの番組を見たことがないのですが、該当箇所を紹介したいと思います。
これはどんな本?
この本は解離性障害の専門家である岡野憲一郎先生の著書です。岡野先生は、解離に関する専門的な本を幾つも書かれていますが、この本はタイトルどおり、一般向けに書かれた「わかりやすい」本です。
解離という現象のさまざまな面が、豊富すぎる事例とともに「日常的な」もの、「病的な」ものに分けて書かれていて、イマジナリーフレンド(IF)は「日常的な」ものに分類されています。
統合失調症や境界性パーソナリティ障害、発達障害など、似ている病態との鑑別や、治療の様子についても説明されています。
なお、以下の「つばさ」についての話は、岡野先生ご自身ではなく、心理療法研究会のR・Dという方によるものです。
「つばさ」とは
「つばさ」とは、2009年4月から、半年にわたり毎朝放映されたNHKの連続テレビ小説です。
ヒロインの玉木つばさは20歳。実家が営む老舗和菓子屋「甘玉堂」の跡継ぎです。しかし行方知れずの母が帰ってきたせいで家に居場所がなくなり、地元のコミュニティーラジオ局で働くことになります。
ラジオの仕事で町を駆け回ったつばさは、町にあふれる様々な問題や出来事を知ります。そして、リスナーと一緒になって悩みながら、問題の解決のために努力し、町の人々との絆を深めていくという物語です。
つばさのイマジナリーフレンド「ラジオ」
この「つばさ」という物語に、イマジナリーフレンドはどのように関わってくるのでしょうか。
まずヒロインの玉木つばさは、10歳の時に母親がいなくなってしまいます。そのためつばさは家事をとりしきり、ひたむきに頑張りますが、こみあげてくる寂しさを癒やすためラジオを聞くようになります。
するとあるとき、ラジオの中から「ラジオ」という名のおじさんが現れ、辛い時や悲しい時に出てきて慰めてくれるようになりました。これがつばさのイマジナリーフレンドです。
「ラジオ」はなぜか中年のダサいおじさんで、親父ギャグなどを飛ばします。つばさが冷たくすると、「ラジオ」はこう言います。
そんな冷たい言い方しないでよ。だって僕は、あんたの心の一部なんだからさ。
時は流れ、つばさが20歳になるころ、突然母親が帰ってきます。いろいろなドラマが繰り広げられた末、母親と父親は和解し、二度目の結婚式を挙げることにします。
そのとき、母親は再びつばさの母親として役目を果たすことを約束します。つばさはそれを聞いて母にしがみついて泣きます。
すると、その夜、「ラジオ」が現れ、もう自分は必要なくなった、とお別れを言いにきます。
つばさは驚いてこう言います。
そんな寂しいこと言わないで! あなたは私の一部だって言ったじゃない! これからも時々出てきて馬鹿な変装したり、冗談言ったりしてよ!
しかしその声むなしく、「ラジオ」は姿を消してしまうのでした。(p41-43)
「ラジオ」とおしゃべりしているつばさは、解離状態にあったといえるでしょう。それは母親の不在時に現れ、母親に再び抱かれ心を預けることができた時に去って行きました。
つばさの寂しさや不安を支えた「ラジオ」はイマジナリーコンパニオンとして理解することができるかもしれません。(p43)
と結ばれています。
このドラマでは、一貫して、「ラジオ」というおじさんは「つばさ」を助ける愉快な存在として扱われたようです。決して、得体のしれない空想や、精神的におかしい人の妄想のような扱い方はされませんでした。
青年期のイマジナリーフレンドが暗い孤独なものとして扱われることが多い一方で、このドラマはイマジナリーフレンドの明るい面をうまく取り上げていたといえるでしょう。
ちなみに、イマジナリーフレンドを扱った小説などの情報は、タイムトラベル・ロマンス-時空をかける恋 物語への招待 (セリ・オーブ)という本の中で、いろいろ紹介されています。
やはりホラーやサスペンスが多いようですし、著者自身も、大人のイマジナリーフレンドについては受け入れがたく感じているよようなエピソードがあります。
電車に乗るとき、突然笑い出してだれかと会話しているような若い女性を見かけたとき、これはイマジナリーフレンドかもしれないと思いつつ、頭のおかしな人という考えも拭えず、違う車両に乗ったという話が書かれています。
大人のイマジナリーフレンド
この「つばさ」の例は、本書の中で健康な解離として扱われています。つばさは、解離によって作り出したイマジナリーフレンドによって、思春期から青年期に至る寂しさを紛らわせていたのです。
もちろんヒロインのつばさは精神を病むことも、解離性障害になることもありませんでしたから、イマジナリーフレンドの存在は、何か病的なものである、というわけではありません。
この本ではp18-43の区間で、イマジナリーコンパニオンについて扱われており、上記のエピソードは末尾のコラムにあたります。
イマジナリーコンパニオンについての説明を読むと、まず、この現象は4,5歳から10歳ごろまでの20-30%の子どもにみられると書かれています。(p19)
たとえば、小学二年生のハルコさんは、学校で友だちができないでいたところ、「なかま」という数名のイマジナリーフレンドが生まれました。同級生からいじめられることもありましたが、「なかま」のおかげでつらいとか寂しいとかは感じませんでした。(p21)
しかし中には、大人になってもイマジナリーフレンドと付き合っている場合があり、この本でも20代後半の主婦コユキさんの例が挙げられています。
コユキさんには、幼いころから人には見えないサクラやモミジという名前の話し相手がいました。両親の不仲によるストレスを癒してくれ、一緒に歌を歌うこともありました。
結婚してからしばらく、イマジナリーフレンドは消えていましたが、介護の問題が生じてから、親戚のいざこざが生じ、再びイマジナリーフレンドが支えてくれるようになったといいます。(p25)
大人になっても存在するイマジナリーフレンドをどうみなすべきか、という点については次のように書かれています。
解離性同一性障害の患者さんの場合も、幼少時のイマジナリーコンパニオンを多くの交代人格とともに維持していることが多いため、成人期のイマジナリーコンパニオンに出会った際は、解離性障害を一度は疑う必要があるでしょう。(p26)
解離性障害の患者さんでは、大人になってもイマジナリーコンパニオンの存在によって心のバランスを保っている場合があります。
子どものころにいったん消失したイマジナリーコンパニオンが、ストレスの高い環境に置かれたことにより再び姿を現すこともあり、この段階では治療が必要になります。(p40)
これらの言葉からすると、大人になってもイマジナリーフレンドがいる場合は、解離性障害や解離性同一性障害がないか、スクリーニングする必要があるかもしれません。またストレス環境を見直すことも考えたほうがよいでしょう。
しかし実際には「つばさ」のように、健康なレベルの解離である場合も少なくないでしょうから、特に不都合なことが生じていないなら気に病むことはないかもしれません。
イマジナリーコンパニオンと解離について、より詳しくはこちらの記事をご覧ください。