女性は男性に比べてADHDに気づかれにくく、本人が「ミスの多さ」や「同性に嫌われること」、「スケジュール管理の難しさ」などに悩んでいても、なかなか診断が得られません。
治療を受ければよくなるのに見過ごされるケースが多いのです。(p1)
これは、2015年に発売された女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版) のまえがきにある言葉です。
近年、ADHD(注意欠如・多動症)の存在はよく知られるようになってきましたが、やんちゃな男の子のイメージが強く、女の子のADHDについてはほとんど知られていません。
実はADHDは男の子と女の子では性差(ジェンダー・ディファレンス)があり、男性と女性で症状の現れ方が違うのだそうです。
一般にADHDは女性よりも男性のほうが3~5倍多いといわれていますが、実際には、ADHDの女性は見過ごされているだけではないかと言われています。(p44)
ADHDの存在を見過ごされたまま大人になると、そそっかしさやスケジュール管理の苦手さを自分の欠点だと思い込んで、自信を失ったり、二次的にうつになったりすることも少なくないようです。
この記事では、ADHDの専門家による複数の本を参考に、女性のADHDにはどんな特徴があるのか、よく混同されやすいアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)との違いは何か、治療には役立つポイントは何かまとめてみました。
これはどんな本?
この記事をまとめるにあたり、おもに参考にした本は以下の三冊です。
女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版) は2015年12月に発行された宮尾益知先生による、全編にわたり女性のADHDが解説された、イラストも豊富な読みやすい本です。出展を書いていない引用文はこの本からのものです。
発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) はご自身も不注意優勢型ADHDである星野仁彦先生による大人の発達障害の解説書で、女性のADHDが数ページにわたり解説されています。
図解 よくわかる大人のADHD は榊原洋一先生による大人のADHDの図解本で、こちらも女性のADHDの苦労を説明しているセクションがあります。
女性のADHDの10の特徴
まずは、女性のADHDに見られやすい10の特徴を見てみましょう。
もちろん、ADHDの女性だからといって、これら10の特徴がすべて見られるとは限りませんし、男性でも同じような特徴を示す人もいます。
あくまでも、傾向として女性のほうに現れやすい特徴だ、と考えていただければと思います。
また、これらの特徴は多かれ少なかれ普通の人にもみられます。ADHDと診断されて治療の対象になるのは、あまりにこうした傾向が強く出すぎて、生活が立ち行かない人たちです。
1.多動・衝動は目立たない「不注意優勢型」が多い
ADHDの男の子は「落ち着きのない子」「乱暴な子」などと叱られてしまいがちですが、女の子では、多動性や衝動性がそこまで強く現われることは多くありません。
乱暴というほど激しい言動はみられず、「元気な子」「移り気な子」などと思われている子が多いでしょう。
女性はADHDに気づかれにくいのです。(p25)
ADHDの子どもというと、多くの人は、授業中に立ち上がったり、すぐ手を出したりする、手に負えないわんぱくな子どもをイメージしがちです。
しかし、ADHDの男の子と、ADHDの女の子では、表に現われる症状がいくらか異なる傾向があります。
ADHDの基本的な症状は「不注意」「衝動性」「多動性」の3つだと言われています。
このうち、人によって、どの特徴が目立つかは違いがあり、多くの人たちがADHDと聞いて思い浮かべる、手に負えないわんぱくな子どもは、「衝動性」と「多動性」の強いタイプです。
このタイプは男の子に多く「多動性・衝動性優位型」、あるいは通称「ジャイアン型」として知られています。ドラえもんに登場するジャイアンのように乱暴な問題児が多いからです。
それに対して、女の子の場合は、多動や衝動が目立ちにくく、「不注意」が強いタイプが多いと言われています。
このタイプは「不注意優勢型」、あるいは通称「のび太型」と呼ばれています。のび太くんのように、心根は優しく穏やかですが、うっかり者でミスが多く、落ち着きがありません。
もちろん、女の子にも「多動性・衝動性優位型」(ジャイアン型)はいますし、男の子にも「不注意優勢型」(のび太型)はいます。さらにどちらも合わせ持つ「混合型」も存在していて、人によって症状の現れ方はさまざまです。
しかしどちらかといえば、女の子の場合は「不注意優勢型」(のび太型)が多く、男の子のようにトラブルを起こしたり、非行に走ったり、問題児となったりすることが少ないので、見逃されやすいのです。
ただし、「不注意優勢型」だからといって「多動性」「衝動性」がないわけではありません。むしろこれから考えていくように、目立たない形で、多動性と衝動性に悩まされています。
ADHDには「多動性・衝動性優位型」(ジャイアン型)、「不注意優勢型」(のび太型)、「混合型」の3つのタイプがある
■「不注意優勢型」(のび太型)
問題児になりやすい男の子のADHDと違って、女の子は不注意優勢型が多く、トラブルを起こさないため気づかれにくい
2.元気いっぱい。でも、ぼんやりしやすい
Aさんはよくも悪くも元気いっぱいな子どもでした。
絵画など趣味が多く、おしゃべりで活動的で、彼女の予定はいつも埋まっていました。(p11)
ADHDの特徴のひとつは、元気いっぱいでエネルギッシュなところです。
ADHDの女の子は、暴れたり人をたたいたすることはなありませんが、「元気な子」「移り気な子」と思われていることがよくあります。
好きなことには全力投球、遊ぶのも大好きです。趣味がとても多く、次から次に新しいことを始めます。
しかし、いつでも元気いっぱいかというとそうではなく、興味のない授業などでは、ふっと意識が遠のいて、いつの間にか別のことを考えていることもしばしば。
「不注意優勢型」(のび太型)のADHDは、興味のない場面では、いつの間にか注意がそれて、空想にふけりやすく、「デイ・ドリーマー」(昼間から夢を見る人)と呼ばれています。
いつの間にか別のことを考えてしまっていると、マンガさながらに先生に突然差されて我に返ったり、重要な指示を聞き逃して、あとでパニックになったりします。
また、基本的に身体を動かすのが好きなことは多いですが、運動がうまいとは限りません。
みんなと足並みをそろえるチームプレイや全身を使った動き、空間把握などが苦手で、どんくさい子もいます。これは、ADHDにしばしば合併する「発達性協調運動障害」(DCD)の症状です。
体を動かすのが得意でなく、見かけ上は落ち着いていておとなしく見える場合もありますが、これから考えるように、いつも何かやっていて、頭の中がエネルギッシュなことがあります。
ADHDの女の子はエネルギッシュなことが多い。色んなことに興味が移る。好きなことは全力投球。見かけ上は落ち着いていて思考が多動なことも。
■デイ・ドリーマー
興味のないことは上の空。いつの間にか空想にふけってしまう
■発達性協調運動障害(DCD)
DCDが併存する場合は、運動が苦手でどんくさい人も
3.「おっちょこちょい」「うっかり者」が代名詞
Aさんは子どもの頃からケアレスミスをすることが多く、家族や友達に「うっかりしている」と言われていました。
テストの解答を1問ずつずらして書いてしまい、0点をとったこともあります。(p10)
ADHDの女の子の大きな特徴は、ケアレスミスが非常に多いこと。「おっちょこちょい」「うっかり者」「そそっかしい」とみなされがちです。
不注意で人の話をよく聞いていなかったり、聞いていてもすぐ忘れたりするので、聞き間違いや書き間違い、忘れ物などのうっかりミスが多く、失敗を繰り返します。
上の文のテストの解答欄を一問ずつずらして書いてしまい0点になってしまったという話を見て、そんなバカなと思う人もいそうですが、案外その手の話は珍しくありません。
段取り良く計画的に作業するのが苦手なので、家事やテスト勉強、女の子らしいと言われる繊細な作業などが得意でないこともあります。
こうしたうっかりミスは、単に不注意なだけでなく、脳のワーキングメモリの不調が関係していると考えられています。(p28)
ワーキングメモリとは、作業記憶とも呼ばれ、ちょっとしたことを一時的に記憶しておく能力です。たとえば、先生や親の言付けや、口伝えに聞いた電話番号を、一時的に覚えておくときなどに使います。
ADHDの人は、ワーキングメモリが弱いので、さっき聞いたことを話している最中に忘れたり、部屋を移動したら頭から飛んで行ったり、あげくの果てには忘れたことにも気づかなかったりします。
家事などの段取りが求められる作業も、ワーキングメモリを駆使して複数のことを同時に進めたり、気配りしたりする必要がありますが、ADHDの人は次のことに取りかかると、さっきまでやっていたことを忘れてしまうことがよくあります。
またワーキングメモリの問題とは別に、ADHDには限局性学習症(SLD)が並存しやすく、脳の使い方が他の人とは違うために勉強についていけないこともあります。
子ども時代から、うっかりミスばかりの生活だったため、「自分はダメだ」と考えるようになり、うつになってしまう女性も少なくありません。
本当はADHDのせいなのに、そのことを知らずに大人になったので、自分の能力が足りないせいでうまくいかないのだと勘違いして落ち込んでしまうのです。
聞いたことをすぐ忘れる。次の作業に取りかかるとさっきまでやっていたことを忘れる
■限局性学習症(SLD)
ADHDの3割から5割は、脳の使い方が独特なために学校の勉強が苦手な学習障がいを持っている
■自尊心(セルフエスティーム)をなくす
ADHDのせいで失敗しているのに、そのことを知らず、自分の能力が足りないせいだと自分を責めてしまい、うつになる人もいる
4.注意の切り替えが苦手
ただ趣味的なことには集中でき、すぐれた結果を出していました。
そのため、勉強や家事の手伝いなど、他のことで多少ミスがあっても、本人も家族もさほど気にしていませんでした。(p10)
ADHDの女の子が、家事を段取りよく行うのが苦手だったり、大事なときに上の空になって集中できなかったりするのは、注意の切り替えが苦手、という点も関係しています。
ADHD(注意欠陥・多動性障害/注意欠如・多動症)というと、注意力が「欠陥」「欠如」しているのだと考えられがちですが、本当に欠如しているのは注意力そのものではなく、注意の切り替え能力です。
ADHDの女の子は授業中など、本当は注意を集中しないといけない場面でも、興味がなければ集中モードに切り替えることが困難です。
しかし趣味など、自分の好きなものに対しては、いつの間にかのめりこんでしまい、かえってキリの良いところでやめることができません。
家事など段取り良く行う作業は、炊事、洗濯、掃除、など次々に注意を切り替えて次の作業に移らなければなりませんが、ADHDの人はそこがスムーズにいきません。
集中すべきときに集中できない、やめるべきときにやめられない、こうした注意の切り替えと集中力のオンオフが苦手なために、生活に支障を来たしてしまうのです。
注意の切り替えが苦手なことは、生活リズムにも影響を及ぼします。夜寝たいのに、全然眠るモードに切り替わらず、夜更かししてしまい、昼間は寝不足でぼーっとしてしまう「概日リズム睡眠障害」になりやすいと言われています。
特に女性は、ホルモン変動の影響でもともと不安定なので、そこにADHDの不安定さが加わると、睡眠障害や体調不良を抱えやすいかもしれません。
第65回 男性にも読んでほしい、女性ならではの睡眠障害 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
妊娠した女性の脳は「物理的に変化する」:研究結果|WIRED.jp
本来、わたしたちの脳は、活動時の脳の活動と、安静時のリラックスした脳の活動(デフォルトモードネットワークDMN)を無意識のうちに切り替えています。
ところがADHDの人は、活動時にデフォルトモードネットワークのままになって、白昼夢にふけってしまったり、逆に安静時にデフォルトモードネットワークに切り替わらず、考えがまとまらない、寝られないといった問題に陥ったりするのではないか、と考えられています。( p64)
興味のないことには集中できない。好きなことには集中しすぎてやめられない。デフォルトモードネットワークの切り替えがうまくいっていないのかも
■概日リズム睡眠障害
夜眠るモードに切り替えられず、夜更かしして睡眠不足になる
5.頭の中が多動
時間がなくても「もっとできる」「もっとやりたい」と考えてしまう。希望や期待が多すぎる。
やりたいことを整理しようとしても考えがまとまらず、結局すべて予定に組み込もうとする。(p17)
ADHDの女の子は、男の子のように、見た目からして多動で落ち着きがない、ということはそう多くありません。
むしろ、頭の中が多動なことが多いようです。
あれもこれもやりたい、興味のあることが多すぎて時間がない、何かをやりはじめたら、次の瞬間別のことに注意が向いている、考えがまとまらず、次から次へと芋づる式にアイデアが降ってくる。
このせいで、いつもいっぱいいっぱいで心に余裕がなく、頭の中も、部屋の中も、ごちゃごちゃで混乱している場合があります。
見逃される子育て世代のADHD:朝日新聞デジタルには、こんな経験談が載せられていました。
小学生の時、他の女の子は机の中がきれいで、忘れ物もなくきちんとしていても、自分だけはいつもプリントをなくしたり、ハンカチを忘れたりしていました。授業も退屈でたまりません。
席を立って歩きまわることはありませんでしたが、いつも頭の中は空想でいっぱい。「もしもこうだったら」「ああだったら」と頭の中を常に忙しくしていないと、じっと座っていられません。
当時は、みんなそんなものだろうと思っていましたが、大人になってみると、そんなに四六時中いろいろ考え事をしていないと気が済まなかったのは自分だけだと分かりました。
頭の中が多動になってしまうのは、すでに考えたデフォルトモードネットワークの切り替え不調で、安静時に頭が活動しすぎたりして、思考が整理できないためかもしれません。
頭の中が、やりたいこと、気がかりなこと、途中でほったらかしている用事などで、あふれかえっていると、どれから手をつけていいのかわからず、パニックになることもあります。
落ち着いて優先順位を立てて計画することができず、衝動的になって、とりあえず手当たり次第手をつけた結果、余計に混乱が深まることもしばしばです。
思考の多動性は、ときに「ブレーキのない車のようだ」と表現されることもあります。この対処法については後ほど改めて取り上げます。
男性のように言動には多動性が現れない場合でも、頭の中ではひっきりなしにやりたいことが湧いてきて収拾がつかない
6.時間の見込みがいつも甘い
なぜ家事や雑事ができないのかと言えば、彼女たちは一つのことが終わらないうちに別のことに手をつけて、それが終わらないうちにまた別のことに手をつけるといった繰り返しで、何一つ片づかないまま次々に新しい用事ができて(というより勝手に自分で作って)頭のなかがパニックになってしまうのです。(p108)
これは発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) からの引用です。
頭の中が多動だと、当然ながら、次から次へとやることが出てきて、時間がいくらあっても足りなくなってしまいます。
ADHDの女性は、時間管理が大の苦手で、遅刻の常習犯になりがちです。
出かける前に食器を…、ちょっと掃除を…、SNSを…といった具合に、少しでも時間があると、用事を始めてしまい、余裕を持っているつもりが結局遅れます。
ひとつのことが終わらないうちに別のことを思いついて始めてしまい、時間をいとも簡単に超過して、予定がずれ込むことも日常のひとコマです。
いくらでもやりたいことを思いつく一方で、それらの優先順位をつけることは苦手なので、片っ端から予定に詰め込んでしまって時間がぜんぜん足りなくなります。
こうした時間管理の苦手さには、時間の長さの感覚が他の人とは違っていて、見込みが甘くなることが関係しているようです。
ADHDは脳の神経伝達物質ドーパミンの不均衡がおもな原因だと考えられていますが、ドーパミンは時間感覚の処理とも関係しているようです。
ドーパミンの不均衡のため、普通の人と時間の長さの感覚がずれている
7.余計なことまでしゃべりすぎる
しゃべりすぎるという特徴があるために、余計なことを言って友達を傷つけることが多かったりする。(p7)
ADHDの女性の場合、大きな問題になるのが、対人関係のコミュニケーションです。
「アスペルガー症候群」(自閉スペクトラム症)のように空気が読めない、というわけではありませんが、相手の気持ちはわかっているのについうっかり配慮ができず、人間関係に失敗してしまいます。
まず頭の中が多動なので、話し始めると相手の話を聞かずに一方的にしゃべったり、相手の都合を考えずに思い浮かぶことを延々と話したりしてしまいがちです。
また衝動性のため、人の話に割り込んだり、仕切ったり、余計なことを言って友だちを傷つけたりすることもあります。
いずれの場合も、後になって、もっと相手の話を聞けばよかった、あんなこと言わなきゃよかった…と後悔しますが、気をつけていても、ついつい言い過ぎてしまうのです。
その結果、悪気はないのに、特に同性の友達から、失礼な人、仕切りたがり屋、話の長い人、気配りできない人とみなされて、敬遠されてしまうことがあります。
しかし、すべてのADHDの女性がおしゃべりなわけではなく、シャイな性格の人もいるようです。(p43)
その場合は、言動の多動性は目立ちませんが、頭の中であれこれ考えすぎる思考の多動性が強いかもしれません。
コミュニケーションのときに多動性が強く出て、「おしゃべり」「話が長い」と言われることがある
■余計なことを言ってしまう
コミュニケーションのときに衝動性が強く出て、仕切ったり、つい余計な本音を口走ったりして人間関係が悪くなる
8.片づけられない
私は小さい頃から『片づけられない女の子』でした。
部屋が片づけられない、宿題も机の中も片づけられない、忘れ物、落し物、授業中のよそ見と私語はクラスで一番、いや学校で一番でした。(p122)
ADHDの女性というと、最もよく知られている症状は、「片づけられない」ことでしょう。上の言葉は、星野先生が有名なサリ・ソルデンの片づけられない女たち から引用しているものです。
ADHDの人は、ワーキングメモリが弱く、段取りよく物事を整理するのが苦手なので、散らかった部屋を見て、何から順に手をつければよいのかわからず、混乱しがちです。
一念発起して片づけ始めても、途中でつけた雑誌に夢中になったり、どう処理していいかわからないプリントが出てきたりして、しっちゃかめっちゃかになってしまいます。
そして部屋がほとんど片づかないまま時間だけが過ぎたり、むしろ最初より散らかっていたりして、自己嫌悪に陥ることもあります。
そのほか、衝動買いで物がどんどん増えたり、同じものを幾つも持っていたりすることもよくあります。
見逃される子育て世代のADHD:朝日新聞デジタルで書かれているように、不注意優勢型のADHDの子の中には、整理整頓ができなくても、家族のサポートのおかげで、学生時代をうまく乗り切る人もいます。
中学生の時には、家庭訪問にきた担任の先生に驚かれました。家での自分と、学校での自分があまりにも違っていたからです。
家の自分の部屋は、足の踏み場もないほど散らかっていて、よく母親に叱られていました。片付けるのはいつも母親。
一方、学校への提出物は遅れることはありませんでした。それは、母親から毎日のように口酸っぱくかばんの中を点検するよう言われていたからでした。
家では、親から生活態度を注意されても、なかなか改善できず、いつも「何度言っても身に付かない」とあきれられていました。
しかし、学校では、成績はむしろよい方で大きな問題を起こすことはありませんでした。
しかし社会に出て自立すると、1人ではうまくいかないことに気づいて、問題が表面化するかもしれません。
ワーキングメモリが弱いので、テキパキと段取りよく多くのものを整理するのが難しい。物をマニアックに貯めこんだり収集したりするのはアスペルガー症候群の可能性も
9.「女性らしく」なれずストレスを抱えやすい
日本では、ADHDの女性は特に生きにくさを感じます。
家事は女性ならできて当たり前という風潮があるため、できないことへの風当たりが強く、自己否定感にさいなまれる人も少なくありません。(p112)
これは図解 よくわかる大人のADHD からの引用です。
今の世の中では、ジェンダーフリーが叫ばれているとはいえ、昔ながらの女性のイメージが根強く残っています。
「きれい好き」「気が利く」「きちんとしている」「世話好き」「奥ゆかしい」「細かいところに気がつく」。
こうした大和撫子のような性質は、大人の女性に必須の、女性らしさや女子力だとみなされています。
男性のADHDの場合は、片づけられない、大雑把、気が利かない、といった症状が強くても、男の人はそんなもの、むしろ男らしいと許容されることもあります。
しかし女性が忘れっぽい、段取りが苦手、掃除もできない、というと、とたんに「ダメ女」のレッテルを貼られてしまいます。
結婚して家庭を持つと、なおさら女性は家事をこなして子どもを世話する「良妻賢母」であるべき、というイメージが強いので、しゅうとめから怒られたり、夫婦仲が険悪になったり、あげくの果てに子どもを虐待していると言われたりしがちです。
今の世の中はADHDの女性にとって生きにくい社会なので、ADHDの女性の中には、社会に出てから、うつ病や不安障害などの二次障害を抱えてしまう人もいます。
さきほどADHDの女の子は元気いっぱいだと書きましたが、意外なことに原因不明の体調不良や疲れやすさを抱えることがあります。
ケガの他にも、体調不良にもよくなりました。
はりきりすぎているのか、疲れがたまりやすく、授業中に眠ってしまうこともありました。
親はAさんを心配して、小児科や内科に連れて行きました。
しかしどの病院に行っても異常なし。
「疲れているから休みましょう」などと言われ、原因がわからないまま帰宅するのでした。(p30-31)
以下の体験談でも、ADHD当事者であるモンズースーさんが、人より疲れやすい体質であることを4コマ漫画で書かれていました。
私もADHD! (13) 「体ではなく脳が疲れている」という感覚 | マイナビニュース
私も子供の頃に同じような経験をしており、去年に息子と遊びに行ったときにも同じような失敗をしてしまいました。
「何で私は周囲の人よりも早く疲れてしまうのだろう……」とずっと不思議だったのですが、この本を読んで納得できました。
ADHDの子どもは疲労をうまくコントロールできず、原因不明の疲労感が続く慢性疲労症候群になってしまうことがあるようです。
またADHDの人は、不安をまぎらわしたり、ぼーとしてしまうのを防いだりするため、知らず知らずのうちに、自傷行為や依存症といった癖に陥ってしまうこともあります。
特に不注意優勢型に多いのは爪かみや抜毛症(トリコチロマニア)です。 発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) にはこう書かれています。
また抜毛癖は、爪かみと同様、不注意優勢型(のび太型)のADHDに多いので、半覚醒・半睡眠の状態にある自分の脳を覚醒させるために自己刺激的に行なっている自己投薬(Self-medication)の一種なのかもしれません。(p91)
そのほか、コーヒーや紅茶などを飲みまくってカフェインで目を覚ますのが習慣になっている人もいます。
近年では、LINEなどのSNSツールのコミュニケーションに依存してしまって、睡眠リズムが乱れる女の子が多いそうです。
中には、喫煙、ギャンブルなど、より刺激的なものに依存してしまう人もいます。
ADHDは、親との愛着関係がこじれると、リストカットなどを伴う境界性パーソナリティ障害(BPD)になりやすいというデータもあります。
10.個性豊かな創造性
ADHDの新奇追求や独創性は、長所にも短所にもなる症状で、過集中傾向も併せてうまくプラス方向に活用できれば、自分の才能や能力にあった職業に就いて、思う存分、独創的な仕事をやることができ、結果的にすばらしい業績を残せる可能性があります。(p77)
ここまで、女性のADHDの悪いところばかりを書いてきたので、読んでいて気が滅入ってしまった人もいるかもしれません。
しかし、ADHDの特徴は、決して悪い面ばかりが現われるわけではありません。
ここまで書いてきたことは、うまく活かせれば、こんな魅力的な特徴になります。
■新しいことには進んで挑戦する
■時間を忘れて好きなことに没頭できる
■たくさんアイデアを思いつく
■興味が広く感受性豊か
■世の中に埋もれない個性を持っている
大切なのは、「みんなと同じ」を目指すのではなく、自分のADHDの長所をどうやったら活かせるか考え、環境を整え、必要ならば、医療や専門家の助けを受けることです。
短所をうまくカバーできる方法を見つければ、ADHDはむしろ強みになるのです。
女性のアスペルガー症候群との違い
女性のADHDは、途中で少し触れたようにアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)と混同されることがあります。
たしかに、ADHDとアスペルガー症候群が並存することはありますが、基本的にこの2つは別々のものです。
見分けるポイントを幾つか挙げておきます。(p15,21,26)
■気持ちがわからない/わかるのに失敗する
アスペルガー症候群の人は相手の気持ちを読めないため人間関係でミスをしてしまい、何が悪かったのか理解しにくいようです。ADHDの人は、相手の気持ちがわかっているのに、衝動的に余計なことを言ったりして、後になって後悔します。
■細部を見る/全体を見る
アスペルガー症候群の人は、細部にこだわり、全体が見えません。場の空気を読めないのも、その現れだと言われています。ADHDの人はむしろ全体はわかるのに、細部に配慮できないため、大雑把と言われたり、ケアレスミスが絶えなかったりします。
■興味が狭く深い/広く浅い
アスペルガー症候群の人は興味の幅が狭く、特定の分野の博士と呼ばれるほど詳しくなります。ADHDの人は興味の幅が広く、どんどん興味が他のことに移るため、さまざまな分野のことを知っています。
■捨てられない/片付けられない
部屋に物があふれて散らかっていてもADHDとは限りません。臨床家のためのDSM-5 虎の巻によるとADHDの特徴は「片付けられない」であるのに対し、ASDの特徴は「捨てられない」だとされています。物を溜め込む人(溜め込み症や収集癖)は 強迫性障害(OCD)やアスペルガー症候群と関係しているようです。(p56)
女性のアスペルガー症候群について詳しくはこちらをご覧ください。
治療に役立つポイント
ADHDとうまく付き合い、個性を活かすにはどうすればいいでしょうか。
大切なのは、医療やさまざまなツールの助けを借りながら、欠点を補い、長所を伸ばしていける環境を整えることです。
女性のADHDに詳しい医師をさがす
現状、女性のADHDの専門医はいないそうなので、自分や自分の子どもがADHDかもしれないと思ったら、発達障害を幅広く診ている医師を調べて受診してみるほかありません。
ADHDの診断基準は男性の症状を中心に作られているので、女性のADHDは専門家でも見分けにくいと言われています。
ある医師に「ADHDではない」と診断されたとしても、セカンドオピニオンを考慮して、できるだけ複数の専門家の意見をあおぐのがベストでしょう。
もちろん、自分ではADHDだと感じても、そうでないことは十分にありえます。ADHDの症状はどれも、ある程度は普通の人にも見られるものであり、よほど極端に症状が現われて、生活に大きな支障が出ているのでなければADHDとはいえません。
またADHDのように見える症状が、低血糖症や愛着障害、睡眠障害など、実際には別の原因によって引き起こされている場合もあります。
自分で安易に判断せず、専門家の診察を受けるのはとても大切です。
薬物療法を試す
ADHDの治療薬は、日本では、今のところ(2016/02/現在)コンサータとストラテラが用いられています。
この二つはそれぞれ作用が異なりますし、そのほかにもさまざまな薬が使われているので、主治医と協力して、地道に自分に合う薬を探すことが大切です。
ADHDの女性は、ADHDの男性に比べて、治療後に効果が出すぎて戸惑う人も多いと言われているので、精神的にフォローしてくれる医師や家族、友人などの存在も大切です。(p21,53)
アプリを活用する
自己管理が苦手な人は、さまざまなウェブサービスやクラウドなどのアプリが役立つかもしれません。
■スケジュール管理:
予定はどうやっても忘れてしまうので、Googleカレンダーなどスケジュール管理アプリを使って、リマインダーを設定しておきます。
予定を書き込むこと自体を忘れるかもしれませんが、何かを聞いたらアプリにメモする「メモ魔」の習慣を身につけましょう。
ADHDだったと言われるピカソもベートーヴェンも、思いついたことをすぐ忘れるので、どこへいくにも、食べるときも寝るときもメモ帳を持ち歩いていて、忘れないうちにすぐ書き込む習慣を持っていたそうです。
■SNSには気をつける:
ADHDの人は衝動的にSNSやブログに投稿してあとで後悔しやすいので、SNSの代わりに自分の考えをメモできるノートを作りましょう。たとえばEvernoteなどは大御所です。
複数のデバイスを使っている人はクラウドを使って、データを自動的に同期させておくと楽になります。
■時間管理はほどほどに:
時間を忘れて何かに没頭してしまう人は、アラーム系のアプリを活用して、時間が来たら気づけるようタイマーを設定しておきましょう。
タスク管理系のアプリは、一見時間が節約できそうに感じますが、あまりに時間を細かく管理しようとすると、ストレスがたまるのでほどほどに。
頭がいっぱいになったときの対処法
「頭の中が多動」なタイプの人にお勧めしたいのは、頭がいっぱいいっぱいになり、ごちゃごちゃしてまとまらないと感じたときのためのスキルを身につけることです。
■マインドマップで書き出す
まず一つ目は書き出すこと。書き出すといっても、文章にまとまらないでしょうし、書くのもめんどくさい人もいると思います。それでマインドマップが役立ちます。
マインドマップは、中央にテーマを書いて、木の枝のように放射状に単語を書いていくノート術です。
細かいことは考えなくていいので、紙とボールペンを持ってきて、紙の真ん中に「私の頭の中」とでも書いて、ひたすら思いつくままにその周りに枝を伸ばして頭に浮かんだ単語を書いていきます。
この言葉とこの言葉は関係があるとか、順番がどうのとかは考えなくて構いません。ただ思いついた順に、ひたすら頭の中を写し取ればOKです。
書くことがなくなったら、色付きボールペンを持ってきて、今書いたマインドマップを見て、大事そうな単語にチェックをつけていけば、考えがまとまってくると思います。
もちろん、文章にできるという人は、ブログに書いたり、日記に書いたりしてもいいでしょう。ポイントは、どこかに書き出すということです。
頭の中に置いたままだと、少ないワーキングメモリを圧迫するので、書くことによって外に追い出します。ついでに視覚化できるので、整理しやすくもなります。
■マインドフルネスで頭をすっきりさせる
もう一つは、近年Googleなどの企業も取り入れていると言われるマインドフルネス。
東洋の瞑想などにヒントを得て作られた医学的なリラクゼーション法で、マインドフルネスストレス低減法、マインドフルネス認知療法など、いろいろな場所で活用されています。
頭の中が多動なADHDの人にマインドフルネスが役立つことについて、ポジティブ心理学の挑戦 “幸福”から“持続的幸福”へには印象的なたとえを用いてこう書かれています。
スローネスを強化することで、計画、記憶、衝動の抑制、創造性の育成など、実行機能を働かせる余地が生まれる。
精神科医のエド・ハロウェルが注意欠陥・多動性障害(ADHD)の子どもに言うように、「君は頭のフェラーリを持っているのだね。私はブレーキをかける専門家だよ。私は君がブレーキのかけ方を学ぶためにここにいるんだよ」。
瞑想すること、意識的な行為を育むこと―中断することなく、ゆっくりと話し、ゆっくりと読み、ゆっくりと食べること―そのすべてに効果がある。(p216)
思考の多動性、つまり「頭のフェラーリ」を持っているむのは素晴らしいことですが、それを役立てるにはブレーキの使い方を学ばねばならず、その方法のひとつがマインドフルネスなどのトレーニングなのです。
マインドフルネスは、具体的には、椅子に腰かけて、目をつぶって、意識を呼吸に集中させるという訓練です。すぐ気がそれて別のことに注意がさまよってしまうと思いますが、それに気づいたら、特に反応せず、呼吸に意識を戻します。
この「反応しない」というのがポイントで、たとえばいつの間にか夕食の献立を考え始めているのに気づいたら、それが悪いとかダメだとか反応せずに、ただそのことを確認するだけで、呼吸のほうに意識を向けます。
ただし呼吸器系の持病がある人や、トラウマ障害などで呼吸の不安定さを抱える人の場合は、安心できる体の部位を探して、そこに注意を集中するのがいいでしょう。
マインドフルネスの効果を検証した科学的研究によると、マインドフルネスとは注意のコントロール能力の鍛錬であることがわかっています。
マインドフルネスに慣れてくると、頭の中がいっぱいいっぱいになったときに、落ち着いてリラックスし、考えすぎるのをやめて、思考をリセットしやすくなります。
なお、「思考の多動性」という現象は、感覚の過敏さからくる、軽度の解離だと思われます。具体的なメカニズムを知ることもコントロールに役立つかもしれません。
生活や人間関係の工夫
そのほか女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版) には「生活改善のためのアイデア集」がイラスト付きで載せられています。(p60-64)
ADHDの女性の学校生活だけでなく、社会生活、異性との関係、結婚生活、子育てに関わるアドバイスなどもたくさん載せられているので、ぜひ参考にしてください。
おわりに: ADHDの女性が目指すべき「自分らしさ」
女性のADHDは見過ごされやすいので、診断を受けないまま大人になると、社会生活や人間関係がうまくいかず、「自分はなんてダメなんだろう…」と肩身の狭い思いする場合があります。
周りが求める「理想の女性」を目指すあまり、自分の理想や周囲の期待と、現実の自分との間に深いギャップを感じて、劣等感にとらわれ、すっかり自信をなくしてしまうこともあります。
しかし、もし原因が、あなた自身ではなく、ADHDという生まれつきの脳の傾向にあるとしたらどうでしょうか。
あなたは今まで自分のことを「がんばっても結果の出せないダメ人間」だと思ってきたかもしれませんが、実際には、「ハンディがあるのに精一杯努力してきた頑張り屋さん」だということになります。
今までうまくいかなかったのは、豊かなほとばしる個性を押さえつけて、無理やり世の中の求める「女性らしさ」、 「普通らしさ」に適応させようとしていたからです。
もともと六角形の宝石だったのに、それに気づかず、四角形の台座にはめ込もうと必死になっていたのだとしたら、どうやってもうまくいかないのは当然です。
ADHDの女性が目指すべきなのは、「女性らしさ」でも「普通らしさ」でもなく「自分らしさ」です。
鳥のような美しい創造力の翼を持っているのに、他の人と同じように地面を歩いて目的地に向かおうとしていないでしょうか。
短所を無理やり伸ばそうとしてもうまくいきませんが、自分の長所をしっかり認識し、それを伸ばすことに意識を向ければ、やがて長所によって短所を覆ってしまうことさえできます。
そうすれば、今まで「ふつうの人」たちに追いつけないで苦労していた自分が、いつのまにか、豊かな個性を発揮して、だれよりも自由に大空を羽ばたいていることを発見できるに違いありません。
ADHDの人に秘められた長所について知るには、ぜひ以下の記事もご覧ください。
今回、一部参考にした、宮尾益知先生の女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版) と姉妹本である女性のアスペルガー症候群 (健康ライブラリーイラスト版) は、全編イラスト入りで、とてもわかりやすく解説してあるので、気になる人はぜひ読んでみてください。
補足 : ADHDの性差は何を意味するか
この記事では、ADHDの症状の男女差について扱いましたが、なぜそのような違いが生じるのでしょうか。ADHDの性差についての研究から、どんな重要な事実が浮かび上がるでしょうか。
ハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかによると、ADHDの性差の発見の歴史はカナダのモントリオールのチームの1960年代の研究までさかのぼることができます。
カナダの研究者の多くは、多動症がカナダとアメリカ合衆国の双方での理解のされ方を形作ることに大きな影響力の及ぼし手となった。
特に重要なのは、モントリオールの研究チームであった。彼らは1960年代の半ばに研究を開始し、多様な観点から多動症を研究しはじめ、特に臨床症状、医学的治療、地理的そして時代的な観点においてこの障碍を拡大することに貢献した。
…このようにしてモントリオールのチームは、多動症が、大人にまで存続しうる障碍であり、過活動の男の子だけでなく、見逃されていると思われる不注意の症状をもつ女の子をも苦しめる障碍であるとする考えを、形作るのに大きな役割を果した。(p243-244)
こうしてカナダのチームが、多動だけでなく不注意という症状の重要性にも着目したことで、それまで多動症が男女比2.5 : 1と明らかに偏って診断されていた理由の一端が明らかになりました。
不注意の重視は、教師や臨床医が、過活動で破壊的な子どもだけでなく、すぐに気が散り、教室で明らかな問題を起こすことはないが、日がな一日夢想に耽っている子どもの存在を認知するよう促した。
術語のこの変化によって、こうした専門家たちは、男の子と比べると診断されることの少なかった女の子においても、次第にADDに気を配るようになった。(p16)
しかしながら、これですべての疑問が解決したわけではありません。なぜ男女で症状に違いが見られるのか、という問題は残されたままでした。
この研究の後、モントリオールチームのクラウス・ミンデらは、多動症の異文化研究に乗り出し、たとえばカナダとウガンダとでは多動症の症状が異なることを発見しました。
ウガンダの子どもたちもまた、多動症の症状を示すのであった。しかし、カナダとウガンダでは、この障碍の現れ方に重要な差異があった。
カナダの多動症の子どもたちは衝動的であったが、ウガンダの多動症の子どもは、より攻撃的で短気になる傾向があった。(p248)
こうした結果を受けて、クラウス・ミンデは、「彼自身は多動症が遺伝に基づくと信じているが、社会環境がさらに大きな役割を果たすと論じ」ました。(p248)
自分たちの周りの世界との間で困難を感じる子どもたちの多くは、初めから多動症ではなく、自分たちの発達に必要な要素を提供してくれない環境に対して反応しているのである。(p249)
これはADHDが子育ての問題による障害だ、と言っているわけではありません。遺伝的要素があることは間違いありません。しかし、環境的要素によって症状の出方が変化する、と述べているのです。
カナダとウガンダという異文化で、子どもたちが異なる環境刺激にさらされて育つように、現代の社会では、男の子と女の子は、生物学的な性差を生まれ持つほかに、文化的な性差(ジェンダー)にさらされて育ちます。
ADHDの症状の性差は、むろん生物学的違いも関係しているものの、それ以上に、こうした文化的な差異を反映している可能性があります。
本文中でも少し触れましたが、女性のADHDで不注意や思考の多動性が多いのは、おそらく男女の文化的ストレスの違いから、女性のほうが自己抑制傾向が強くなり、解離という現象を起こしやすいことと関係しているようです。
以下の記事で書いているように、生物の防衛反応には、積極的に闘ったり逃げたりする闘争/逃走反応だけでなく、ぼーっと意識を飛ばしたり固まったりする凍りつき/麻痺反応の二種類があります。前者はPTSDと、後者は解離と関係しています。
一時的なストレスにさらされた人は前者の活動的な反応を示しやすいのに対し、成長過程で慢性的なストレスにさらされた人は後者の自己抑制的な反応を示しやすくなると言われています。
ほかにも、あなたの子どもには自然が足りない には、ADHDの症状が環境によって変化することを示す、こんな研究が載せられています。
テイラーとクオによる、もっと最近の調査結果も、同様に考えさせられるものだ。…ADHDと診断されたものの治療を受けていない子供たちは、手入れや整備が行きとどいた中心街や住宅地を散歩した後よりも、自然のままにしつらえられた公園をたった20分散歩した後のほうが、集中力が高かった。(p119)
ADHDの子供を診ていて、自分もときどき軽い鬱の状態になると言う、ある精神医学者はこう語る。
「私はミシガンで育って、しょっちゅうフライフィッシングをしていました。子供時代の私には、それが心を静める方法でした。だから、気分が落ち込んだと感じると、自己催眠をかけて、あのころの思い出を引き出すのです」
彼はそれを「記憶の牧場」と呼ぶ。彼はADHDには現在処方されている薬物を適切に使うべきだと確信しているが、その一方で自然セラピーがもう一つの療法になるかもしれないと考えてもいる。
…自然セラピーがADHDの症状を緩和させることが真実だとすると、その逆も言えるかもしれない。つまり、ADHDは自然との接触を欠くことで悪化させられた一連の症状なのではないだろうか。(p120)
この研究が示しているのは、人工的環境の中にいるか、自然環境の中にいるか、という違いでも、やはりADHDの症状は変化するということです。
近年の研究によると、現在わたしたちを取り巻いている人工的環境は、自然環境に比べて生き物にとっては異質な刺激が多すぎることがわかっています。
そして、その過剰な刺激に圧倒された子どもは、ときにADHDのような症状を呈し、逆に自然環境の恩恵を受けるほどADHD様の症状が減ることが幾つかの研究から示唆されています。
興味深いことに、女の子のほうが自然環境の望ましい影響を受けやすいという、イリノイ大学の人間・環境調査研究室の研究もあります。
また、少年より少女(6歳から9歳)のほうが、家の近くの自然から集中力によい影響を受けることが多いこともわかった。平均的に、少女の家から眺められる緑が多ければ多いほど、その少女の集中力は高まり、衝動的な行動が減り、覚えた喜びも長続きする。
…精神衛生学では、少女は少年より生物学的にADHDを患う傾向が少ないとする考えもあるが、もしそうなら、それは少女が示すADHDの症状がより穏やかだからであり、治療―薬であろうと、緑であろうと―に対してより強く、健全な反応をするだろう。(p117)
刺激の多すぎる環境によってADHD症状が悪化する、という見方は、別の研究によっても裏付けられています。
たとえば、わたしたちの生活の中で、最も刺激過多なのはデジタル機器ですが、デジタル機器の過度の使用が、ADHD様症状を引き起こすという研究も増えてきています。
そして、よく知られていることですが、ADHDは人類史の長きにわたり、「障害」とはみなされていませんでした。かつては個性であったはずのADHDが「障害」として研究されるようになったのは近代になってからです。
つまり、社会の近代化とともに、身の回りの情報や刺激が増えすぎたことと、ADHDの出現、そして増加は連動している可能性があります。
この補足で取り上げた研究をまとめると、次のようになります。
■ADHDは男女で症状が異なる
■ADHDは国や文化によって症状が異なる
■ADHDは都市環境にいるときと自然環境にいるときで症状が異なる
■ADHDは社会が近代化してはじめて「障害」として研究されるようになった
ADHDの症状は、明らかに時代や文化ごとの環境の影響を受けています。
ということは、もとを正せば、ADHDとは、生まれつきの発達障害というより、環境に対して過敏に反応する遺伝的要因によるものではないか、と推測できます。
環境に対して過敏に反応する子どもは、過剰な刺激に耐えられないので、社会が近代化して刺激が多くなって初めて「障害」としてのADHDが出現した。そして生育環境の違いにも敏感なので、国や男女ごとでそれぞれ異なる症状が出ているのではないか、という仮説が立てられます。
もっと簡単にいえば、もともと耐性範囲の狭い子が、刺激の多い現代社会ではちょっとしたことでも圧倒されて、ごくふつうの日常でも頭がいっぱいいっぱいになってパニクってしまうので、多動や不注意になっているのでは?、ということです。
もし、ADHDの原因が「環境に対する過敏さ」であり、良くも悪くも環境を反映しやすい性質から来ているのだとすれば、ADHDを遺伝的な発達障害であるとみなす従来の医学的研究の視点では不十分だということになります。
女の子のADHDの発見に貢献したクラウス・ミンデが指摘していたように、ADHDの子どもたちが「初めから多動症ではなく、自分たちの発達に必要な要素を提供してくれない環境に対して反応している」のだとすれば、問題は個々人の脳ではなく、社会環境の側にある、という見方もできます。
それはつまり、障害のある子が「親なきあと」にお金で困らない本 に書かれているような「医療モデル」から「社会モデル」への考え方の転換です。
障害の定義をするときに、医療モデルと社会モデルという2つの考え方があります。
以前は医療モデルという考え方が支配的でした。これは個人モデルとも呼ばれ、障害者の社会的な不利は個人の問題であるとして、これを克服するために、医療やリハビリなどで周囲が援助してあげましょう、ということです。
この医療モデルだと、障害による生活のしにくさは、あくまで個人がもっているもので、障害者自身ががんばって不利を乗り越えなければならず、障害者が健常者の基準に合わせなくてはいけないことになります。つまり、社会にある障害者が生きにくい仕組みは、何も変える必要がないということです。
それに対して、現在は、社会モデルという概念が一般的です。こちらは個人の属性だけで障害をとらえることはおかしい。社会の仕組みが不備だから障害者のハンディキャップを生み出している、という考え方です。(p82)
むろん、この「社会モデル」は、問題や責任はすべて社会にあるから個人は悪くない、と責任を丸投げするための概念ではありません。社会の変化に期待しても、必要な支援や配慮が得られるようになることはめったにありません。
とはいえ、当事者の側が、ADHDとは単なる脳の発達障害ではなく、社会環境との相互関係によって生じているものだという視点を持つことは、きわめて大切です。
自分は脳の発達障害を負っている、という「医療モデル」で考えていると、うまくいかないのは、私は落ちこぼれだから、能力が足りないから、欠陥があるから、というネガティブな思考のループにはまってしまいがちです。
しかし自分の症状は、環境に敏感に反映しやすいことからきているという「社会モデル」で考えれば、どんな環境を用意すれば、もっと自分の個性を生かせるか、という前向きな思考につなげることができます。
この補足で取り上げた研究が示しているように、ADHDの症状に男女差があることは、ADHDの人は無意識のうちに、環境や文化から強力な影響を受けていることを物語っています。
そしてイリノイ大学の研究のように、環境を大きく変えれば、ADHDの症状が軽減されうることもわかっています。環境に対して敏感に反応できることは、捉えようによっては時代の趨勢に目ざとい長所ともなりえます。
薬物療法によって症状を抑えることは確かに選択肢のひとつですが、それと並行して、自分に合った環境を探す、あるいは作ることも、自分のADHD傾向をコントロールするための重要の手段になるのです。