身近なファンタジー異世界をガイドしてくれる本―レイチェル・カーソン「海辺」
レイチェル・カーソンの「海辺」を読んで、海の生き物に親しみが湧きました。この本でレイチェルは、科学と芸術を融合させて、海辺の生態系を美しく描写しています。海辺という過酷な環境に適応した生き物たちから、人間の多様性について学べることについても考えます。
レイチェル・カーソンの「海辺」を読んで、海の生き物に親しみが湧きました。この本でレイチェルは、科学と芸術を融合させて、海辺の生態系を美しく描写しています。海辺という過酷な環境に適応した生き物たちから、人間の多様性について学べることについても考えます。
「リティコとボディグ」それは、グアム島のチャモロ人を襲った難病でした。オリヴァー・サックスは現地を訪れ、呪われた運命のもとで懸命に生き抜く人々の様子を記録しています。どうして彼らは恐ろしい病気のもとでも尊厳を保てたのか、どんなことを参考にできるか、といった点をまとめました。
危機を生き延びた人の体にトラウマが記録されるように、大量絶滅を生き延びた植物も当時の出来事を記録している。植物の化石の目撃証言を読み解く方法がわかったことで、太古の地球の気候変動がわかる、という科学推理物語を読みました。
オリヴァー・サックスの著書「色のない島へ」を再読して、病気や障害のもとでも喜びを保っている人々について考えてみました。
脳神経科学者オリヴァー・サックスがシダ観察のためメキシコに旅行した日記「オアハカ日誌」。わたしもシダ観察を始めた今になって再読すると、発見が色々ありました。シダはなぜ魅力的なのか、初心者が見分けるポイントはどこか書いてみました。
半世紀以上前に、早くも炭鉱のカナリアのように地球の危機を警告していたレイチェル・カーソン。その伝記や著書など、いくつかの本を参考に、とても敏感で感受性の強い作家また科学者だった彼女の人となりや生き方について調べてみました。
古代の人々が自然の手がかりから、さまざまな情報を読み取ったスキルは「ナチュラル・ナビゲーション」と呼ばれています。現代社会で生きづらさを感じている感覚が敏感な人たちにとって、そのスキルがいかに役立つか考えました。
「過労死」(karoushi)と「森林浴」(shinrinyoku)は、どちらも日本発祥の国際語として知られています。日本では疲労についての研究が進むと同時に、疲労を回復させる自然セラピーの研究も進み、世界をリードしています。そうした研究の中から、7つの要点をまとめてみました。
自然が身体にいいのはわかっている。必要なこともわかっている。でもどう自然と関わっていいのかがわからない。そんな人に、ぜひ読んでほしい本、ネイティブアメリカンの血を引く植物学者ロビン・ウォール・キマラーによる「植物と叡智の守り人」を紹介します。
恐ろしい場面で抵抗できず固まってしまう、頭が真っ白になって何も言えなくなる。そんな凍りつき(解離)反応は、現代文化では弱さや恥とみなされがちです。しかし生物学的には弱さどころか勇敢さだといえる理由を考えました。
ドイツの「森の幼稚園」の取り組みから、子どもたちが自然と共に育つときに、どんなメリットがもたらされるか考えました。
「9つの脳の不思議な物語」に離人症の女性ルイーズのエピソードが載せられていました。わたし自身の経験も交えて、改めて離人症の感覚世界を考えます。
発達障害は本当に「障害」なのでしょうか。むしろそれは、さまざまな環境に適応した、生物としての多様性である、ということを地衣類、アンモナイト、先住民族たちのエピソードから考えます。
医学と農業はある意味で平行宇宙のような関係にあります。どちらも20世紀に同じ過ちを犯し、同じ課題に直面してきたからです。この記事では微生物の生態系を世話することが医学と農業両方にどんな良い影響があるか考えます。
ピーター・ラビットの作家ビアトリクス・ポターの生涯から、アウトドア教育のメリットについて考えました。とりわけ発達障害や学習障害の子どもにとって、自然のなかで学ぶことがどう役立つか考察しています。
オリヴァー・サックスの片頭痛の研究から、凍りつきや解離が持つ生物学的な役割について考えました。
定型発達という概念の不自然さについて、コケの生態学について学んで考えたこと。
検査に現れない原因不明の息苦しさについて、凍りつきの症状という観点から考えます。
リチャード・ルーブが提唱した「自然欠乏障害」という概念とADHDのつながりについて、豊かな自然が脳機能や自律神経にもちらす効果、母なる自然に対する愛着障害、微生物生態系(マイクロバイオーム)の多様性の減少、という3つの観点から考察しました。
わたしたちがみな知らず知らずのうちに陥っている、本当は何も知らないのに知っている気になってしまう「知ってるつもり」の錯覚について考えました。