人生の最後まで芸術家であり続けた画家たち―病気・老齢・障害のもとでも絵を描くのをやめなかった

あなたはどれくらい絵を描くことが好きですか? あなたにとって、創作は、どれほど大切なものでしょうか。

芸術家と呼ばれる人たちは、創作することが大好きです。でも、それは単なる「好き」ではなくて、「人生そのもの」です。

有名な画家の中には、たとえ病気や老齢や障害に直面しても、絵を描くことを生涯の終わりまでやめなかった人たちが大勢います。

耳が見えなくなり、歩行障害や視力低下も抱えたフランシスコ・ゴヤ、白内障でほとんど失明しかけたクロード・モネ、深刻な脳の機能障害を抱えた、ゴッホマネデ・クーニングといった画家たちの物語は、人生の最後まで芸術家であるとはどういうことなのかをまざまざと教えてくれます。

この記事では、そうした画家たちのように、いつまでも創作を続ける芸術家であるためにはどうすればいいかを考えてみましょう。

この真っ白なキャンバスに

最後まで芸術家でありつづけた人5人の画家たち

まず最初に、死ぬまで芸術家であり続けた、有名な5人の画家たちのストーリーを、芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察 という本から見てみたいと思います。

それぞれの画家のところに載せているサムネイルをクリックしていただければ、画家の作品をGoogle画像検索で確認することができます。

フランシスコ・ゴヤ (原田病)

スペインの宮廷画家として革新的な絵を描いたフランシスコ・ゴヤは、リアルで迫力のある描写で知られています。

彼は37歳ごろからさまざまな体の不調に苦しんでいて、バランス感覚を失ったり、耳が聴こえなくなったり、視力が低下したりしました。

こうした症状の原因にはさまざまな説がありますが、フォークトー-小柳-原田病という白人にはまれな病気だった可能性があります。

この病気は眼と耳の炎症を伴う、苦しいものですが、ゴヤの創作意欲は衰えませんでした。

それでもGoyaは、62歳から73歳までの間に700点以上の絵を描いており、さらに多数のエッチング、スケッチ、図板を制作している。

Goyaはきわめてエネルギッシュで、時には肖像画を数時間で完成させている。(p88)

ゴヤは、晩年、眼が見えなくなって書くことも読むこともできなくなったと述べていますが、それでも絵は描き続けました。

むしろ晩年の絵は、それまで以上に色彩豊かで、絶えず発展しつづけていたと評価されています。

しかし興味深いことに、Goyaの生涯の最後の数年間では、作品はそれ以前の作品以上に色彩に富んだものになっている。

Goyaの芸術の顕著な側面は、彼が視力の低下と身体の不調からくる心の病を経験したにもかかわらず、絶えず成長し発展し続けたことである。(p88)

▽フランシスコ・ゴヤの作品

Francisco de Goya

クロード・モネ (白内障)

光あふれる表現で知られるフランスの印象派の画家クロード・モネは、晩年、白内障を患い、視力が極端に低下しました。

モネは、光を入念に観察することを得意としていて、屋外で絵を描くことを好む、いわゆる「外光派」だったので、眼の病気にひどい苦しみを感じたことは間違いありません。

当時、まだ先進的な技術などなかったのに、不確実とされる白内障の手術にモネが踏み切ったことは、その苦悩が並々ならぬものだったことをよく示しています。残念ながら手術は成功したとはいえませんでした。

それでもモネは、白内障が悪化し、眼が見えなくなっていく間も絵を描き続けました。用いる色も表現の仕方も変化しましたが、絵を描くことをやめませんでした。むしろ、目が見えないことによって、新しい絵の表現方法を確立していきました。

Monetの画家としての能力は変化しておらず、有名な「睡蓮」の連作が持つ強力な美的アピールは、1914年から1920年の最晩年の連作にも受け継がれており今日でも魅力的であり続けている。(p83)

モネの最晩年の睡蓮が魅力的なのは、ぼやけた輪郭が不思議で柔らかな美しさを描き出しているからです。

それは失明寸前の画家モネの眼に映っていた最後の色と光だったのです。

▽クロード・モネの作品 

claude monet

フィンセント・ファン・ゴッホ (精神疾患)

独特のタッチで知られるオランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホは、統合失調症であったと言われることがあります。

しかし、一般に統合失調症の人は長期にわたって集中することが難しいので、「芸術作品に対して注意を維持し、同じペースで熟慮しながら描き続け」たゴッホは、別の病気だったのではないかと言われています。(p87)

彼の生い立ちを見ると、人とのコミュニケーションが苦手で、融通が利かないところがみられ、近年ではアスペルガー症候群だった可能性が指摘されています。

また統合失調症のような精神的な異常は、アスペルガー症候群に伴う食習慣の異常によって、食べ物でないものを食べたり、毒性のあるアルコール飲料であるアブサンの中毒になったりしたためかもしれません。

そうした問題のためにゴッホは若くして精神病院に入院し、40歳より前に亡くなってしまいました。

しかし彼も最後まで絵を描くことをやめませんでした。

van Goghは、さまざまな心の悩みを持っていたにもかかわらず、1886年から死亡した1890年までの間に少なくとも638点の作品を描いているが、それらはすべて批評家にも一般の鑑賞者にも同じように賛美され、ひっぱりだことなってさまざまな美術館で展示されており、作品一つ一つが訴える多様な美的価値は、今でも高く評価されている。(p87)

ゴッホが描いた絵は時代を超えて、わたしたちの心に訴える魅力を持っています。

そこには、たとえ病気によって正気を失いつつある中でさえ、絵を描く情熱を失わなかった、ゴッホの鬼気迫る執念がこもっているのです。

▽フィンセント・ファン・ゴッホの作品

Vincent van Gogh

エドゥワール・マネ (梅毒)

近代絵画の先駆けを担ったフランスの画家エドゥワール・マネは、1878年、50歳を前にして、梅毒によって、脳が萎縮し始めました。(p260)

梅毒というと性感染症なので良いイメージを持ちませんが、当時のアーティストの中には、若気の至りによって梅毒を患った人がしばしばいるようです。たとえば、音楽家のスメタナ、シューベルト、ベートーヴェンも梅毒を患っていたと考えられています。

マネは、梅毒のため、足がうまく動かないなどの運動障害が現れ、全身のひどい疲労や痛みを抱えるようになりました。

生活が制限されるようになり、いままでのような絵の具の大作を制作しづらくなったためか、パステル画を多く描くようになりました。

しかし絵を描くことは決してやめず、死の直前には、大作「フォリー・ベルジェールのバー」を完成させました。

この絵は空間表現が正確でなく、脳の萎縮の影響を示しているといわれますが、それでも、マネは絵を描くことをやめなかったのであり、死を迎えるまで芸術家であり続けたのです。

▽エドゥワール・マネの作品

edouard manet art

ウィレム・デ・クーニング (認知症)

抽象的な表現主義の絵で知られる20世紀の偉大な芸術家、ウィレム・デ・クーニングは、70代ごろから、認知症を患っていました。

記憶が失われ、体も衰弱しましたが、妻や友人の助けを借りて、可能な限り絵を描き続けました。80歳ごろに描いた254の作品のうち、40点は博物館で展示され、高い評価を受けました。

脳が萎縮してスタイルは変化したものの、絵を描くことはやめず、晩年の最後の7年間にも、少ないとはいえ作品を制作したそうです。

脳の病気によってこうした彼独自の表現法が使えなくなっても、彼は具象的なスタイルで制作することはなく、抽象的な作品を描き続けたのである。

このことは、de Kooningが長年培ってきた非造形的な手法が、彼の発病後も生き残ったことを示している。(p50)

アルツハイマー型認知症によって、記憶が失われ、人格が損なわれ、言葉の意味を理解できなくなっても、ウィレム・デ・クーニングは、芸術家でありつづけました。

▽ウィレム・デ・クーニングの作品

Willem de Kooning

なぜ彼らは絵を描くことをやめなかったのか

こうした有名な画家たちは、なぜ絵を描くのをやめなかったのでしょうか。

彼らが、病気によって目や脳を損なわれても描くのをやめなかった事実は、絵を描くことがいかに心の深くに根ざしていたかを物語っています。

わたしたちは、脳を使って考え、行動します。歩くことも走ることも、食べることも寝ることも、言葉を話すことも記憶することも、脳のどこかを用いています。

こうした能力は、病気や老齢、障害のために、脳のどこかが損なわれると、うまくできなくなる場合があります。ゴヤはうまく歩けなくなりましたし、デ・クーニングは記憶を失いました。

でも、絵を描く能力や意欲は、脳のどこかが損なわれても、たいていの場合、失われないそうです。

成人の右半球あるいは左半球のさまざまな領域に生じた損傷は、芸術的産生の消失、あるいは劣化をもたらさなかったのである。

芸術家ではない人たちの記憶に基づいて物体を描く能力も、同じように脳の損傷によって消失することはない。(p260)

左脳が損なわれようと、右脳が損なわれようと、芸術家は絵を描くことをやめません。

芸術家でない一般の人たちの場合でも、絵を描く能力は、そう簡単には失われません。

見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンス の中で、認知症などが専門の岩田誠先生は、絵を描くことは、他の霊長類には見られない人間という橦だけの特徴なので、人間はホモ・サピエンスと呼ぶより、ホモ・ピクトル(描くヒト)と呼んだほうがいいのではないか、とさえ述べておられます。

人間にとって、絵を描くことはそれほど大切であり、脳のさまざまなところを使って創作しているのです。

だからこそ、歴史上大勢の画家たちは、たとえ脳が萎縮しようが、手足が動かなくなろうが、眼がほとんど見えなくなろうが、人生の終わりまで絵を描き続けることができたのです。

わたしは最後まで芸術家でありたい

でも、死ぬまで芸術家であった人たちは、単に絵を描く能力が保たれていたから絵を描いたわけではありません。

むしろ、絵を描くことや、芸術家として生きることを、何にもまして大切にしていたからこそ、創作する意欲を保ち続けることができました。「わたしは死ぬまで芸術家でありたい」と心から願い、決意していたのです。

芸術家として創作することは、彼らの人生に欠かせないものでした。死ぬまで芸術家でいることによって、彼らは人生の終わりまで、自分らしくあることができました。ゴヤはゴヤとしての人生を貫きましたし、ゴッホも最後の瞬間までゴッホでした。

わたしも、(有名な画家たちとは比べるにも値しないとはいえ)自分は死ぬまで芸術家でありたいと思っています。

これまで色々な分野に手を出して、さまざまな趣味を楽しんできましたが、自分の本質は何か、と問われると、芸術家(アーティスト)だと思っています。

わたしはもの書きとして、科学的な研究を調べて、論理的な文章を書くこともよくあります。それでもわたしは、もの書き である以前に、一人の芸術家でありたいと思っています。「書くこと」であれ、「描くこと」であれ、芸術家(アーティスト)としての自分の創作の一部だと考 えているからです。

わたしのこれまでの人生で、何かを創らなかった時期は、おそらく存在していません。わたしはずっと何かを創り続けてきました。これからも創り続けるでしょう。わたしが創作をやめたら、そのとき、わたしという人間は死ぬでしょう。

以前の記事で書いたように、わたしは創作しなければ死んでしまうタイプの人間です。

つまり、創作することが、食べることや寝ることと同じく、生きるために、また正気を保つために不可欠であり、もし創作する時間を取り上げられたら、一人の人間として存在できなくなってしまうのです。

大げさに思えるかもしれませんが、それほど必要に駆られているのでなければ、去年一年間に絵を95枚、文章を492記事も書いたりできません。

死ぬまで芸術家でありたいなら、しなければならないこと

しかし、「死ぬまで芸術家でありたい」、と言うのは簡単ですが、実際には、これは簡単なことではないのです。

今の世の中は、さまざまな娯楽や、無意味な作業や、過剰なコミュニケーションにあふれています。娯楽も仕事もSNSもある程度は必要ですが、うまく計画しないと、それらに時間を奪われて、創作する時間など残りません。

芸術家であるとは、ちょっと余暇で楽しむ趣味を持つこととは違います。食事や睡眠と同じほど大切なものとして、まとまった時間を確保する必要があります。

わたしにとって必要なのは、絵を描く時間、文章をつむぐ時間、そして(最近妙なことから復活してしまった)小説を書く時間です。そしてそれらを創るには、家族と会話する時間や、アイデアの源となる知識を集める時間、そうした活動を維持する体力のために定期的に運動する時間も必要です。

わたしは、これら必要なものをよく考えて、できるだけ生活を組織するよう努力しています。もちろん現状に満足しているとはいえません。本当ならもっと絵を描く時間もほしいのです。でも、全体のバランスを考えると、今はこれで精一杯です。

わたしたちは誰でも、時間は限られています。体力も限られています。生活のためにはお金も必要です。家族の必要もあります。限られたリソースをどう配分するか、よく考えて判断しなければなりません。毎日、何をえらぶかが、死ぬまで芸術家であるかどうかを左右します。

生まれながらに芸術家として誕生し、創造の病に取り憑かれ、創作していなければ死んでしまうよう運命づけられている人たちは、その運命を受け入れて、創作を続けられる環境を努力して造らなければなりません。

冒頭で述べたことを覚えているでしょうか。結局のところ、死ぬまで芸術家だった人たちとは、絵を描くことをはじめ、何であれ芸術を創ることが、単に「好き」だった人ではなく、「人生そのもの」だった人たちのことなのです。

彼らの人生それ自体が芸術であり、寝ても覚めても、何をするときでも芸術家として生きていたからこそ、彼らは死ぬ最後の瞬間まで、芸術家であることができたのです。

投稿日2016.02.06