文学において20世紀最高の傑作といわれるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』には、夢や睡眠に関する記述がたくさん出てくる。
…絵画においてもダリやマグリットなどシュールレアリスムの画家たちは、夢に触発された作品や夢をテーマにした作品を多く残している。(p86)
あなたは、よく夢を見ますか? 「めったに見ない」という人もいれば、「毎日たくさん見る」という人もいるでしょう。
夢をたくさん見るアーティストの中には、夢を創作のアイデアに役立てている人もいます。冒頭で引用した<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) の言葉にあるように、マルセル・プルーストなどの作家、サルバドール・ダリなどの画家をはじめ、芸術家のインスピレーションと夢を結ぶエピソードは、古今東西かなり多いものです。
夢を創作の材料にしているアーティストは、単に頻繁に夢を見るだけでなく、夢の種類が一般の人たちとは異なっていることがあります。ただの支離滅裂で起きたらすぐに忘れてしまうような夢ばかりでなく、夢の中で夢だと気づく「明晰夢」や、ありありとした五感を伴う「リアルな夢」、さまざまな感覚がリアルに連動する「共感覚」を経験していることもあるのです。
夢をアイデアの源にした有名人のエピソードの例にはどのようなものがあるのでしょうか。特殊なタイプの夢にはどんな特徴があるのでしょうか。どのような条件のとき、そうした夢を見るのでしょうか。わたしの経験も交えて、さまざまな資料を紐解いてみたいと思います。
夢をアイデアの源にした人たちのエピソード
夢をアイデアの源にした作品として、多くの人よく知られているのは、サルバドール・ダリが生み出した、シュルレアリスムの幻想的な作品群です。あたかもトーストのチーズのように時計が溶けている有名な「記憶の固執」など、ダリの絵は、夢なのか現実なのか区別がつかないような不思議な世界が描かれています。
夢で見たアイデアを書き留めるため、椅子の背にスプーンを置いてうたたねし、眠って夢が現われた瞬間にスプーンが落ちるけたたましい音で目覚め、急いで忘れないうちに絵に描いていた、というエピソードはあまりに有名です。
先日、VRヘッドセットOculus Riftでダリの夢の世界を散策できるとのニュースがありましたが、ダリの作品のような不思議で幻想的な世界は、見る人を魅了してやみません。
しかし、何も夢を活用して作品を創るのは、 シュルレアリストの画家の専売特許ではありません。古今東西、夢を創作に活用したクリエイターは数多く、なかには科学者や数学者でさえ、夢をアイデアの源とした人が大勢いるのです。その例を幾つか見てみましょう。
■ルネサンスの画家レオナルド・ダ・ヴィンチ
最初に登場するのは、かの有名なるルネサンスを代表するアーティスト、レオナルド・ダ・ヴィンチです。<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) によれば、ダ・ヴィンチは、夢にとても興味を持っていて、夢の世界の体験について描写しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、睡眠と夢に強い興味を持っていたという。(p86)
かつてレオナルド・ダ・ヴィンチは「夢の中では物事が実際よりもはるかに精密に見える」と言ったという。(p209)
ダ・ヴィンチが述べているように、夢の中では、物事が実際よりもはるかに精細に見えるという人は少なくありません。ちょうど、拡大鏡や望遠鏡で覗き込んでいるように、信じがたいまでの複雑なディテールや色彩、模様が見えることがあります。
これは世界の「近接化」と表現できるでしょう。 現実にはありえないほどの細かさとリアルさをもって、世界が迫ってくるのです。それはある意味で、写真のような高精細なスーパーレアリズムの絵より精細かもしれません。
■イギリスの詩人サミュエル・テイラー・コールリッジ
画家の次は詩人の例を挙げましょう。天才の脳科学―創造性はいかに創られるか によると、イギリスの詩人テイラー・コールリッジは、幻想詩「クブラカーン」を作詩したときのことをこう語ったそうです。
筆者は少なくとも外感覚に関しては三時間ほど深く眠っていたが、その間に二百行から三百行以下では書けないほどのものを鮮やかに自信をもって作詩することができた。
これを作詩と呼べるものならばということだが。というのは目の前にすべての光景がそのものとして表れ、それに伴う表現を努力して感じたり、意識したりということは何もなかったのだから。(p112)
彼はこのとき麻薬を使って幻覚を見ていたとも言われていますが、そのときの夢は鮮明ではっきりしたものであり、夢の中で詩の全体が形作られて、目の前に現われたのです。
彼は夢から覚めると、その内容をもとにクブラカーンを書きましたが、全部書かないうちに席を立ったとき、その続きは失われてしまったといいます。
■ボストンの発明家エライアス・ハウ
夢をインスピレーションの源とするのは、作家だけではありません。発明家だったエライアス・ハウのエピソードも<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) から見てみましょう。
19世紀にボストンの機械工、エライアス・ハウはミシンの開発に取り組んでいたが、糸と針をどのようにつくるか悩みに悩んでいた。
彼はどこかの先住民に捕らえられている夢を見た。先住民の槍の先がハウの目の前に迫ってきた。槍の穂先の先端近くに目のような穴が開けられていたのを見て、ミシンの原型を完成させたという。(p109)
エライアス・ハウはミシンを開発した人ですが、彼の突破口は夢でした。夢の中で見た光景が、現実で悩んでいた問題のまさにドンピシャの解決策をもたらしたのです。
夢で見たのはミシンそのものではなく、ミシンを作れないハウを処刑しようとする先住民の持った槍でしたが、彼はとっさにそれをミシンの針と結びつけて、斬新なアイデアを生み出しました。
■ドイツの生理学者オットー・レーヴィ
続いて登場するのは、何かを作るクリエイターではなく、理論を組み立てる科学者です。わたしたちは、脳にはセロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質が流れていることを今やよく知っていますが、それが発見されるきっかけとなったのは、生理学者オットー・レーヴィが見た夢でした。
ドイツの生理学者オットー・レーヴィは、神経と神経の間の伝達が化学物質によって行われると考えていたが、それを証明する方法を長年模索していた。
そして1923年のある日、彼は夢の中である方法を思いつき、目覚めるとすぐに枕元の紙に概要だけを書き込みまた眠った。
しかし、翌日、詳細が思い出せず長い一日を過ごした。ところが、幸運にも彼は次の日も同じ内容の夢を見た。このとき、彼はすぐに実験室に行って実験に着手した。(p108)
かくして発見されたのが、最初の神経伝達物質、アセチルコリンでした。彼は夢の中で、あたかもお告げか何かのように、実験方法のアイデアを教えられました。一日目はそれをすべて記憶することができませんでしたが、二日目にも同じ内容の夢を見て、今度は全容を理解しました。
レーヴィのエピソードで興味深いのは、彼が、枕元に紙を置いていたことです。レーヴィは、もしかすると、この夢を見る以前にも、たびたび夢を着想の源としていたのかもしれません。だからこそ、とっさに夢の内容を枕元に書き留めることができたのでしょうか。
夢を記録したことのある人ならよく分かると思いますが、たいていの夢は起きた瞬間には覚えていても、立ち上がったりはっきり目覚めたりしたら、ほとんど忘れてしまうものです。夢を記録するには、布団の中にいながら手を伸ばしてメモに書き留めるしかありません。それでも、ペンを手探りで探しているうちに忘れたり、字が汚すぎてあとで読めなかったりするものですが。
■ドイツの有機化学者アウグスト・ケクレ
夢で着想を得た科学者というと、ベンゼン環を発見したアウグスト・ケクレのエピソードは特に有名です。ケクレは、蛇のような原子のつらなりが、自分の尾を飲み込む夢を見て、ベンゼン環を思いついたと言われています。
これは夢の逸話として特に広く流布しているものの一つですが、ケクレが本当に夢を見たのか、それとも、記憶に残る逸話を創作しただけなのか、という点には疑問がさしはさまれているようです。夢を創作に用いたというと、神秘的で天才らしく感じられるため、後から創作されたり、誇張されたりした逸話も多いのかもしれません。
■ロシアの化学者ドミトリー・メンデレーエフ
元素の周期表を発見した科学者、ドミトリー・イワノビッチ・メンデレーエフも、大発見のきっかけは夢だったと言い残しているそうです。メンデレーエフは、元素について考えすぎて疲れて寝落ちしてしまった1869年のある日、夢の中で元素が並んだ表を見ました。目覚めたメンデレーエフは、急いで夢の表を紙に書き起こし、周期表のアイデアを得たと言われています。
■フランスの数学者アンリ・ポアンカレ
夢でアイデアを得たと述べる人の中には、夢のようなとらえどころのない世界とは正反対に思える学問を追求している人たち、つまり数学者さえもいます。その一人は天才数学者アンリ・ポアンカレです。
天才の脳科学―創造性はいかに創られるか にはポアンカレ本人によるこんな言葉が載せられています。
15日間、それ以降フックス関数と呼ぶようになった関数に似たものは他にありえないと証明しようと努力していた。
そのころ私は非常に無知だったのだ。毎日、仕事机に1,2時間向かい、たくさんの組み合わせを試してみたが、結論に至らなかった。
ある晩、いつもと違ってブラック・コーヒーを飲み、眠れなくなった。いくつもの構想が雲のように湧いてきた。それらが互いにぶつかり合い、何組かが組み合わさり、いわば安定した組み合わせが一つできた。
翌朝までに私は、超幾何級数から生ずる一群のフックス関数が存在することを証明できた。ただ結果を書きとめればよくて、それには数時間しか掛からなかった。(p70-71)
ポアンカレはこのとき眠っていたのでしょうか。それとも眠れないまま白昼夢を見ていたのでしょうか。
詳しいことはわかりませんが、普通とは異なるぼんやりとした状態で、ポアンカレの頭には次々とイメージが湧き上がってきたようです。ポアンカレが意識するでもなく、それらは互いに結び合わさり一つの答えに収束したのでした。
■文豪 夏目漱石
西欧の例はこのあたりにとどめて、次に、わたしたちと同じ日本に生まれた作家たちの例を見ていきましょう。最初に登場するのは、千円札でもおなじみ、文豪 夏目漱石です。
漱石は、鮮明な夢を見る傾向があったらしく、<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) の中で、夢をテーマとして書いた小品集が紹介されています。
『夢十夜』は、1908年の夏目漱石の小品集。「こんな夢を見た」という書き出しで始まる10の作品からなる。…非常に幻想的な内容で、読むものの心を不思議な世界に誘う内容である。(p205)
漱石の夢十夜[Kindle版] には、「こんな夢を見た」で始まる10の短編が収められています。
どれもつかみどころのない幻想的な内容で、景色が異常に細かく精細に描写されていたり、次々に場面が脈絡なく移り変わったりします。
明言されているわけではないものの、非常にリアルな内容からして、おそらく漱石自身の夢体験を元にして創作された作品群ではないかと思われます。
■詩人 宮沢賢治
続いて挙げるのは、幻想的な作品といえば、だれもが名前を挙げるであろう、「銀河鉄道の夜」の宮沢賢治です。
宮沢賢治は、書簡やメモに、自身の不思議な経験をたくさん書き残しています。たとえば、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書) によると、1919年夏に保阪嘉内に宛てた手紙にこう記しているそうです。
この世界はおかしからずや。人あり、紙ありペンあり夢の如きこのけしきを作る。
これは実に夢なり。実に実に夢なり。而も正しく継続する夢なり。正しく継続すべし。破れんか。夢中に夢を見る。その夢も又夢のなかの夢。(p168)
賢治はここで、現実がまるで夢のように感じられ、夢の中で夢を見ているかのような不思議な感覚について書き綴っています。
他の作品や手記を見ても、夢と現実の入り混じった感覚について繰り返し記し、空気が液体のように感じられるとも述べています。
そしてさらに、自分の詩は、自分が感じることをありのままに書いたものてあるとも明言しています。空に川が流れる「銀河鉄道の夜」は、賢治が体験した夢そのものだったのかもしれません。
■ゲームクリエイター 青沼英二
最後に、現在も第一線で活躍しておられる、別の分野のクリエイターの話も挙げておきましょう。
任天堂のゲーム「ゼルダの伝説」シリーズのプロデューサーとして知られている青沼英二は、Wiiで発売された「ゼルダの伝説トワイライトプリンセス」の制作秘話についてミーバースのインタビューの中で次のように語っています。
正直に言うとですね…仕事で海外に行った時に、たまたま、自分が「オオカミ」の姿で牢屋に閉じこめられている夢を見たんですね。
その時に何故、オオカミなんだろうと考えたりするうちに、それをゲームにしてみたいと思ったんです。なので、他の動物、という発想はなかったんです。
ゼルダの伝説トワイライトプリンセスでは、主人公のリンクが狼に変身しますが、そのアイデアは夢がきっかけで生まれたものでした。
歴史上のあらゆる分野のクリエイターが夢を創作に役立てていたように、現代特有のゲームクリエイターという分野の人にさえ、やはり夢から着想を得る人がいるのです。
ゼルダの伝説シリーズには、ほかにも「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」や、彼が関わる以前の「ゼルダの伝説 夢を見る島」など、夢とも現実ともつかないような幻想的な雰囲気を醸し出す作品が幾つか含まれています。
夢の中でアイデアが生じるのはなぜか
このように、昔から現代に至るまで、夢がクリエイティブな活動に大きな役割を果たしてきたのはなぜでしょうか。
はるか昔の時代には、夢は神からお告げだと考えられたり、未来を占うメッセージだとみなされた時期もありました。
しかし近代になって、眠りの研究が進むにつれ、夢の果たす役割やメカニズムが少しずつ明らかになってきています。
わたしたちは寝ている間、数多くの夢を見ているとされますが、たまたま起きる直前に見ていた場合に、「夢を見た」と意識するようです。
つまり「わたしは夢をほとんど見ない」と述べる人でも、実際に夢を見ていないわけではなく、単に意識していないだけです。
夢はレム睡眠中でもノンレム睡眠中でも見ますが、典型的な夢、つまり荒唐無稽で理不尽なストーリーを伴う不可思議な夢の数々はレム睡眠中に見ていることがわかっています。
そのとき、脳では、何が起こっているのでしょうか。<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) にはこう書かれています。
夢のなか、つまりレム睡眠中は「理論性」を司る前頭前野が活動を低下させている。
そのために、理論的な思考ができないが、逆に発想がその束縛を離れて自由になるのかもしれない。(p129)
寝ている間、わたしたちの脳は、あたかも電源を切ったパソコンのように、すべてが休止状態にあるわけではありません。
理性的な判断をつかさどる前頭前野は休んでいるものの、そのほかの部分は活発に働いていて、起きている間に得た情報を整理しています。
特に、記憶や感情に関わる大脳辺縁系の活動は、起きているときよりも活発だといいます。起きている間に経験したさまざまな出来事の記憶が、そのときに味わった感情によって重み付けされ、整理され、貯蔵されているのです。
その記憶の過程で生じるノイズこそが夢であり、整理中の記憶の断片が脈絡なく脳内で再生されているので、脈絡ない突飛な内容になるのではないか、と言われています。
起きているときであれば、わたしたちは五感を通して入ってくるさまざまな情報に対し、理性をつかさどる前頭前野の働きによって、理知的に反応し、対処します。
しかし寝ている間は、前頭前野の働きがオフになっているので、通常ならありえないような考えや突拍子もないアイデアが、理性によって検閲されることなく思考に上ってきて、夢として展開されるのです。
こうして理性のたがが外れることで、常識では考えもつかない独創的なアイデアが生まれることもあります。多くのクリエイターは、理性の限界から解放され、常識を超えた発想を得るために、夢を活用してきたといえるでしょう。
不思議な夢の世界「明晰夢」「リアルな夢」など
さて、ここまで夢がアイデアの源となる仕組みについて考えてきましたが、ひとえに夢と言っても、その性質はさまざまです。身近な話からいくと、夢が白黒だという人もいれば、カラーでとても鮮やかだという人もいます。夢の内容についても、コメディ映画のように楽しいものから汗びっしょりかく悪夢まで、人によって種類はさまざまです。
特に、クリエイティブな人が見ることが多いのが、夢の中で夢だと気づく「明晰夢」や、夢の中でもありありと匂いや痛みを感じる「リアルな夢」でしょう。それらにはどんな特徴があるのでしょうか。
明晰夢
まず一つ目の「明晰夢」は、夢の中でこれは夢だと気づく夢のことです。解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版) には、こう説明されています。
あなたは夢のなかで「これは夢だ」とはっきり自覚したことはないだろうか。これは一般に明晰夢(lucid dreaming)と言われており、さまざまな研究がなされている。夢の中で自分の思ったとおりに夢を展開させることができる人もいる。(p60)
わたしの友人で明晰夢をよく見る人がいて、その人は、夢を自分でコントロールできるといいます。よく見るのは空を飛ぶ夢で、自分で高度を自由自在に調節してスーパーマンのように高層ビルの間を飛び回れるのだそうです。
かくいうわたしは、あまり明晰夢は見ることがありません、空を飛ぶ夢は、わたしも時々見て、ものすごく爽快なのですが、ちょうど遊園地のアトラクションのように決まった道筋を飛んで行くことが多く、独特の浮遊感はあるものの、コントロールできる感覚はそれほどありません。
また、同じ本には、スクリーンを鑑賞するような夢を見る人もいることが書かれています。
夢の中で、映画のスクリーンやテレビを観ているような感じで夢を見ている。スクリーンに自分が登場することもある。(p61)
ちょうど映画を鑑賞するかのように、一歩離れたところから、一大スペクタクル物語を眺めている場合があるのです。
これと関連しているのは、自分が出てくるのを第三者視点で眺めている夢です。
夢の中で自分の姿を見ることを夢中自己像視という。上から見ていたり、うしろから見ていたりする。うしろから誰かに追いかけられている自分の姿が見えることもある。(p61)
スクリーンで映画を見るかのように眺めているとき、夢の中の登場人物として、自分の姿が現われることがあります。このときは一人称視点で夢を体験してるのでなく、第三者視点からそれを観察することになります。
わたしの場合も、時々、こうしたタイプの夢を見ます。眠りが浅いときに多いような気もします。
ちょうど映画を見ているように次々にストーリーが展開していくわけですが、なんとなく「主観視点で見たいのに…」という残念な気持ちを感じることがしばしばです。
なんといっても、スクリーンで見る映画のような夢より、VRヘッドセットでバーチャルの世界に入り込むような一人称視点の夢のほうが、圧倒的に没入度が高く、おもしろいでしょうから。
リアルな夢
二つ目は「リアルな夢」です。同じ本にはこうあります。
触覚や味覚がある夢、追いかけられる夢、高所から落ちる夢、空を飛ぶ夢、殺される夢、自分の背後に誰かがいる夢。
これらに共通しているのは、きわめてリアルであること。周囲の世界が自分に迫ってくるように感じる。(p61)
さきほど触れた、空を飛ぶ夢も、ここに含まれています。確かに、わたしが空を飛ぶ夢を見るとき、実際に空を飛んだことなどないはずなのに、その感覚のリアルさに驚きます。体がふわりと浮き上がる感触。すっと泳ぐかのように上昇する心地よさ、速度を上げると風に吹き煽られる風圧など、不思議なほどリアルです。
空を飛ぶ夢が、リアルな幻覚を伴うと、体外離脱のように感じられることもあるようです。解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書) の中で、ある32歳の女性がこう述べています。
子どものときから体外離脱はあります。高校生になって自分の特技と思うようになった。体のなかの意識を遠くに飛ばす。空を飛んで行く。体の自覚はなくて楽になる。景色がドッと変わっていって、今まで行ったことのある国とか行ったことのない未知の国へ飛んでいく。その世界にどっぷり浸かれる。幻覚というか鮮明に見える。自由に行き戻りができた。(p80)
わたしの友人の体験はこれに近いのかもしれません。
触覚や味覚がある夢についてはどうでしょうか。昔のマンガなどで、夢かどうか確かめるためにほっぺをつねって、「痛い! これは夢じゃない!」なんて叫ぶシーンがありますが、リアルな夢を見る人たちは、夢の中で痛みも普通に感じます。痛みどころか、夢の中でだれかの体に手を触れた感覚や、感じた匂いまで覚えていることがあるかもしれません。
悪夢を見る人の中には、相当リアルで恐怖を伴う夢を繰り返し見る人もいます。追いかけられる夢、追いつめられて転落する夢、殺される夢などです。
<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) によると、作家の色川武大は、ナルコレプシーという睡眠障害だったと思われますが、自分の体験を元にした話を遺作「狂人日記」の中でこう綴っています。
たとえば、自分は夢の中で何千何万回となく殺されている。日になんどという頻度でその状況が現われることもある。(p130)
後で触れますが、明晰夢やリアルな夢を頻繁に見る場合は、ある種の睡眠障害などと関連している可能性があります。
また、リアルな夢といえば、色彩のリアルさも忘れるわけにはいきません。わたしが夢の中で見る異様に鮮やかな色合いは、以前の記事で詳しく説明したとおりです。
先日そのことを知り合いに説明したところ、その人は白黒の夢しか見ないそうで、想像もつかないと言っていました。
わたしの絵は、鮮やかな色合いだと言われることが多いですが、夢の中で見る異常に鮮やかな色と無関係ではないと思います。
そのほか、リアルな夢の中には、聴覚を伴うものもあります。夢の中で音楽を聞き、それが起きた後もしばらく鳴り止まないこともあるでしょう。
<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) にはこんな逸話が載せられています。
音楽の世界でもイタリアの作曲家、ジュゼッペ・タルティーニは自分のベッドの足元で悪魔がヴァイオリンを弾いていた夢にインスピレーションを得て、『悪魔のトリル』という名曲を書いたと言われている。(p109)
非常にリアルな夢を見る人の中には、夢の中では五感が現実よりも鮮やかだという人さえいるほどです。
どうすれば不思議な夢を体験できるのか?
さて、「明晰夢」や「リアルな夢」の不思議さについて考えると、だれもが思うに違いない疑問があります。
それはもちろん、どうすればそんな夢が見られるのか? という疑問です。
もし、夢の中で自在に物事をコントロールできたり、圧倒的にリアルな夢を見れたりしたら、それこそアイデアが湯水のごとく湧き出るのではないでしょうか。
人間がそんなふうに考えるのは、何も今に始まったことではありません。昔から、同じように考え、夢の世界に取り憑かれてしまった人は数知れないのです。
先人たちの試行錯誤の例を幾つか見てみましょう。
体調が悪いときに多い?
見てしまう人びと:幻覚の脳科学 という本に出てくるのは、先ほどの色川武大と同じ睡眠障害、ナルコレプシーを患っているジャネット・Bの話です。
ナルコレプシーは非常に苦しい病気であり、悪夢や金縛り、恐怖などが伴う睡眠障害ですが、彼女はあるとき、ちょうど体外離脱するかのように夢のなかで空を飛んで苦しみから逃れるスキルを身につけました。彼女はこう述べます。
かなり長いあいだ、その心地よい幻覚を意図的に起こすように試みました。
たいてい大きなストレスや睡眠不足のあとに起こることがわかり、星々に囲まれて丸い地球を観察できるくらい高くまで浮かぶ経験を実現するために、自分で眠らないようにしたものです……。(p306)
ジャネットは、この不思議な空飛ぶ夢の心地よさに取り憑かれ、苦しい病気であるナルコレプシーを治療するのをやめて、それどころか意図的にその夢を繰り返し見ようとしました。
彼女の経験からすると、そうした夢体験は大きなストレスや睡眠不足のあとに起こることが多かったといいます。
眠りが浅いときに見る?
なぜストレスや睡眠不足にあるとき、リアルな夢を見やすいのでしょうか。
おそらくは、リアルな夢は、眠りが浅く、睡眠と覚醒のはざまにあるときに生じやすいからだと思われます。
ナルコレプシーは、リアルで恐ろしい夢を見ることの多い病気ですが、そのメカニズムについて、<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) ではこう説明されています。
ナルコレプシー患者は、寝入りばなにすぐにレム睡眠に入ってしまうことがある。このときに見る夢は、大脳皮質がまだ覚醒状態に近い状態で活動しているため、非常にリアルで実在感に富んだものに感じられるのだ。(p129)
リアルな夢とは、とりもなおさず、本来寝ている時には休んでいるはずの五感がまだ活動している状態で見る夢だと思われます。
大きなストレスや睡眠不足のもとでは、健康な人でもナルコレプシーのような睡眠の異常が一時的に生じることがあります。
ストレスによって睡眠のシステムが正常に働かず、眠りに入るときに、不具合で大脳皮質がシャットアウトされない場合に、リアルな夢を見やすいのかもしれません。明晰夢もまた、理性をつかさどる前頭前野が完全にシャットアウトされないまま見る夢といえるでしょう。
また、ここまで何回か引用した解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版) では、解離性障害という病気の患者が、明晰夢やリアルな夢を見やすいとされています。解離性障害では、記憶の処理がうまく働かなくなっていて、睡眠異常も伴います。
また自閉症・アスペルガー症候群の人なども、同様の夢を見やすいかもしれません。こちらも、睡眠による記憶の処理がうまくいっていないためにフラッシュバックなどが生じている可能性があるようです。
<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書)によると、妄想が生じる統合失調症の人は、起きながらにして、夢の中と同じように理性的に考えられず、突飛なことを「おかしい」とも思わない状態になっている可能性が指摘されています。(p102)
薬物の助けを借りた人たち
リアルな夢は、薬物を使ったときに生じることもあります。前述の詩人コールリッジは、麻薬を使っているときに、夢の中でクブラカーンを創作したようです。
薬物を使ってリアルな夢を見てアイデアを得るという、あたかも悪魔に魂を売るかのような方法は、一時期、詩人たちの間でかなり人気があったそうです。
見てしまう人びと:幻覚の脳科学 には、エドガー・アラン・ポーや、シャルル・ボードレールなど、幻想的な詩を書いた19世紀の詩人たちについてこう書かれています。
ポーは入眠時幻覚によって想像力がたくましく豊かになると感じ、自分が見た異様なものをメモできるように、幻覚を見ているあいだに突然身を起こして完全に目を覚まし、そのメモをたびたび自分の詩や短編に織り込んだ。
ポーの作品を翻訳していたボードレールは、そのような幻影の独自性にも興味をそそられ、とくにアヘンやハシシで促進されているものに魅了された。
19世紀の作品全体が(コールリッジやワーズワース、そしてサウジーやド・クインシーを含めて)そのような幻覚の影響を受けた。(p259)
これらの詩人たちは、薬物を使うことで、入眠時幻覚という一種のリアルな夢を人為的に誘発し、奇抜なアイデアを見つけていました。
この入眠時幻覚は、健康な人でも時折生じます。同じ本によると、ダーウィンのいとこのフランシス・ゴールトンは、入眠時幻覚は健康な人にも広く見られるという調査結果を書き残しています。
ゴルトンは入眠時に幻影を見る傾向を病的なものとは考えなかった。
むしろ、眠りにつくたびに鮮明に経験する人はわずかかもしれないが、(すべてではないにしても)ほとんどの人が少なくとも一度は経験していると考えていた。
実現するには特別な条件―暗闇か目を閉じた状態、心が不活発な状態、もうすぐ眠りに落ちる状態―が必要であるとはいえ、それは正常な現象なのだ。(p242)
しかし、入眠時幻覚を頻繁に見るとなれば話は別です。リアルで鮮やかな入眠時幻覚を繰り返し見るのは、何度も登場しているナルコレプシーの主な特徴の一つです。
ですから、入眠時幻覚を頻繁に見たり、薬物によって誘発させたりする場合、ナルコレプシーと同じような睡眠異常が脳に生じている可能性があります。
とはいえ、インスピレーションのためなら悪魔に魂を売っても構わないとさえ考える野心的な詩人たちにとっては、たとえ脳が異常な状態になろうと、独創的なアイデアを得られたらそれでいいと思えるのかもしれません。
同じ本には、エドガー・アラン・ポーについて、こうも書かれています。
入眠時幻影は「別世界」のもののように思えるのかもしれない。自分の幻影について説明する人は、この別世界という表現を何度も繰り返し使う。
エドガー・アラン・ポーは、自分自身の入眠時心象は見慣れないものであるばかりか、前に見たことのあるどんなものとも似ていないことを強調している。「絶対的に目新しい」のだ。(p249)
「別世界」にトリップできる経験と、自分の健康とを天秤にかけた場合、あなたはどちらを選ぶでしょうか。
また、この記述を書いている脳神経学者オリヴァー・サックス自身も睡眠不足などのストレスや薬物によってリアルな夢を見たことがあるといいます。そのときのことは、音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々 にこう綴られています。
当時、私はひどい不眠症にかかっていて、昔ながらの睡眠薬、抱水クロラールをかなりたくさん服用していた。
そのためひどく鮮明な夢を見る傾向があって、目覚めたあとにも、擬似幻覚のように続くことがあった。
あるときそういう状況になって、モーツァルトのホルン五重奏曲の夢が、起きてからも心地よく響いた。(p377)
この場合も、睡眠障害によるストレスと、副作用の強い薬物との相乗効果で、鮮やかで音楽も聞こえる夢が生じていました。
睡眠障害を抱えている状態で、無理やり薬で眠ろうとしていたため、脳の一部だけが眠って、別の部分は起きている状態になって夢を見ていたのかもしれません。
ちなみに道程:オリヴァー・サックス自伝 によると、オリヴァー・サックスは子どものころ空を飛ぶ夢も見たことがあるそうです。
それは子どものころの共感覚かもしれない
そのほかに幻想的で夢のようなアイデアを得るために用いられる薬物として古くから使われてきたのは、LSDという幻覚剤です。
LSDは、芸術などの文化にも大きな影響を与えた薬物で、ヒッピーの活動や、サイケデリックなアート、ファッション、音楽などの起爆剤になりました。
LSDは、前頭前野の活動を低下させ、ちょうど夢の中の世界のような幻覚世界を、起きながらにして生じさせるそうです。
道程:オリヴァー・サックス自伝 によると、詩人のトム・ガンは自伝的エッセイ「これまでの人生(My Life up to Now)」の中で、LSDが自分の創作に及ぼした影響について長々と書いているそうです。
「LSDを称賛するのはもうやらないが、人間としても詩人としても、私にとってとても重要だったことをまったく疑っていない。
……LSDのトリップはいかなる型にもはまらない、人に無限の可能性を開くものであり、人は無限を渇望する存在なのだ」(p378」
近年の研究によると、LSDは、脳の抑制を取り払い、異なる脳機能が同時に働くような状態にすると言われています。これは、子どものころの脳の状態とよく似ているそうです。
子どもの脳は、各機能の隔たりが弱く、さまざまな感覚が連動していると言われています。
そのひとつの特徴が「共感覚」であり、たとえば色で音を感じるとか、匂いで形を感じるといった不思議な感覚が生じます。
たいていの場合、大人になって脳が発達し、前頭前野が成熟してくると、これら無関係な部分同士のつながりを抑制するシグナルが強くなり、共感覚のような体験はほとんどなくなります。
しかしわたしたちは、大人になっても、夢の中では共感覚を経験することがよくあります。夢の中ではすでに述べたように、検閲し抑制する前頭前野が眠っているので、子どものころのような不思議な感覚や創造性が生じるのです。
LSDは、起きている間にそれと同様の、さまざまな感覚が無秩序に融合した世界を生じさせ、ときに爆発的なクリエイティブな創造性をもたらしてきたのでしょう。
いわばLSDは、子どものころのあの型にはまらない、自由奔放な創造性を取りもどす手段として、クリエイターたちから重宝されたのです。
現在では、LSDは規制のもとにあり、薬物を使ってアイデアを得ることの危険を多くの人がよく知っています。
それでも、クリエイターやアーティストは、いつの時代も、たとえ危険を冒しても子ども時代のようなインスピレーションを得たいと思うものであり、LSDに代わるさまざまなものが渇望されています。
それはスマートドラッグだったり、感覚遮断タンクだったり、明晰夢を見るためのサプリメントだったり、ヘミシンクだったり、あるいはオカルトだったりするかもしれません。夢の世界の独創的なアイデアを探し求めるクリエイターは今でも決して少なくありません。
わたしの夢のはざまの物語
最後に、ちょくちょく途中でも語ってきた、わたしの経験などを少々。
わたしは睡眠障害ぎみなためか、あるいは前頭前野の抑制がゆるいとされるADHDのせいなのかは知りませんが、奇妙な夢をけっこうこれまで見てきました。
さきほど書いた空を飛ぶ夢はもちろん、ストーリーが毎日続いていく夢とか、異様に鮮やかな夢とか、音楽が鳴り響く夢とか、現実よりもリアルな感触を味わう夢も色々ありました。
最近の創作のうちでは、ガラスの海 The Sea of Glassは異常に鮮やかな夢を描こうと試みたものでした。
またクリスタルタワー Crystal Towerは、記事の解説には書くのを忘れていましたが、かなり前に夢の中で見た、息を呑むほど美しく透き通った青い水晶宮のイメージが残っていたのだと思います。
かなり以前は、一年近く、ひたすら悪夢を見て、ほぼナルコレプシーに近い状態になった時期もありました。
また面白い夢をやたらと見ていたころは、夢の世界の魅力に取り憑かれ、毎日夢を見るために生きているようなこともありました。途中で出てきたジャネットのような状態ですね。
最近は、睡眠が安定してきた代わりに、不思議な夢をあまり見なくなりました。現実生活に集中できる反面、何か味気なく、物足りないのも事実です。
しかし、時折、ストレスが強くなったり、かなり疲れたりしたときに、うとうとして、またあのめくるめく夢の世界の扉が開くことがあります。
少しの間、幻想的で次々に風景が移り変わる夢の世界にダイブして、いつの間にか元の世界に帰ってきたとき、不思議な懐かしさや、体の軽さ、そして満ち足りた幸福感を覚えます。
ここまで長々と夢について語ってきましたが、わたしはいまだ夢の世界への行き方がわからず、扉の開け方も知りません。たまたまそこへ行けたとき、なぜあんな懐かしさや幸福感を覚えるのかもわかりません。おそらく解離的な夢体験のときには報酬系が同時に働くようですが、詳しい仕組みは不明です。
この記事では、科学的な見地から、夢のメカニズムを分析しましたが、わたしの素直な感情を吐露するとしたら、あれは、どこかもう一つの世界、わたしの生まれ故郷なのではないか、なんて詩的なことも思ってしまうのです。
こうした気持ちを覚えるとき、創作のアイデアの源として夢の世界を愛し、そのために魂さえ売ろうとした、古今東西の詩人、小説家、画家などのクリエイターに、心なしか共感して、苦笑いしてしまうものです。