天才と狂気は紙一重。
昔から、世界中で繰り返されてきた言葉です。この言葉が真実かどうかはともかく、創作に意欲的に携わる作家たちの多くが、薄々気づいていることがあります。
それは、自分は「創作をしていないと死んでしまう」ということです。文字通り死ぬわけではないとしても、精神的に追い詰められたり、人生が輝きを失ったり、生きる意味を見失ったりするに違いない、ということに気づいています。
創作活動に対する、ある種の強迫観念や切迫感は、芸術家として成功する人特有のものです。
成功する芸術家、つまり有名な画家や作曲家、小説家、詩人の中には、驚くほど多作な人が少なくありません。あるいは、生涯の長い年月にわたって、芸術の創作活動に打ち込み、ひたすら作品を創りつづけます。
一般に「一万時間の法則」などの熟達化の研究からすると、多くの人が天才になれなかったり、芸術面で成功できなかったりするのは、すぐにあきらめてしまい、徹底的な努力ができないからだと言われています。
多くの人がすぐあきらめたり、投げ出したりして続けられないのは、「創作をしていないと死んでしまう」という強迫的な切迫感がないからです。
書きたがる脳 言語と創造性の科学 によると、ヴィクトリア・ネルソンは、創作に関する本のなかで、次のように書いているそうです。
途切れなく作品を生み出すすさまじく多作な作家は、ライターズ・ブロック(※注:書けなくなるスランプのこと)に陥った作家にとっては賛嘆の的で、太りすぎの人間が拒食症を羨むように羨む。
それで、この言葉の氾濫がライターズ・ブロックの変形を隠している場合が多いことを見逃してしまう。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの小さな踊り手が魔法の赤い靴を脱げなくなったように、強迫的な作家は書くことを止められない。
それどころか、強迫的な執筆はもっと深い文学的、感情的な体験の要求から逃れる方法の一つなのだ。(p71)
アンデルセンの童話に出てくる少女カレンは、すばらしい踊り手でしたが、純粋に踊りたくて踊っていたのではありませんでした。魔法の赤い靴をどうしても脱げないがために、もはや躍らずに生きていることができなくなっていたのです。
創作しない人の大半は、作家たちを見て「そんなに創作できるって羨ましい」と言います。
でも、日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめが述べるように、ほとんどの場合、作家は自分で望んだわけではなく、「創作しなければ生きていられない」という宿命のせいで創作していると感じます。
人間の遺伝子と経験を浮かべた巨大なスープには、どの世代にも何人か、人並みでない人生―たとえそれがどんな不自由や逆境となろうとも―へと駆りたてられる人間を生み出してしまう要素が含まれているのだろう。
探検家も作家も芸術家も、自分たちは宿命を授けられてしまったと感じているもので、それが自ら選んだ人生だと思う者はまれだ。(p391)
多くの人にとって芸術は、「してもしなくてもよいもの」ですが、成功した芸術家たちにとっては「生きるために必須のもの」なのです。この違いが、粘り強く創作しつづけられるかどうかを分けるキーポイントと言って差し支えないでしょう。
では、なぜ芸術家たちは「創作をしていないと死んでしまう」と感じるのでしょうか。3つの理由を考えてみたいと思います。
なお、この記事では天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性 という本から繰り返し引用しますが、この記事に出てくる人たちが必ずしも発達障害だったわけではありません。
これから考える創作へと駆り立てる3つの要素は さまざまな背景の作家たちに見られるものであり、アスペルガー特有のものではありません。
▽「天才と狂気は紙一重」
ダリをめぐる不思議な旅 (ラピュータブックス)に よると、この言葉は、イタリアの精神科医チェーザレ・ロンブローゾ(Cesare Lombroso)が1888年に書いた「天才論」から生まれたそうです。(p181)
もくじ
1.正気にとどまるために創作している
最初に「天才と狂気は紙一重」というよく知られた慣用句を挙げました。この言葉について、天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性 によると、グレゴリー(Gregory. 1987)はこう述べたそうです。
天才と狂気は紙一重という考えはよく考えてみる必要がある。
偉大な詩人や画家、科学者、数学者が狂っているというのは、もちろん正しくない。
いや、狂気とは縁遠い存在である。(p8)
彼は、天才と狂気は縁遠いものだと述べています。確かに、それは真実です。レオナルド・ダ・ヴィンチや、ウォルフガング・モーツァルト、アルバート・アインシュタイン、ビル・ゲイツ…。天才たちの多くは気が狂ってはいませんでした。
しかしグレゴリーは、天才が狂気と縁遠い、というのは、天才が狂気とが関係しない、という意味ではない、ということを続けて説明しています。
それどころか彼らはおそらく、正気であることを維持するために熱心に想像力を働かせて仕事をし、静かで平凡な生活を送っている人が考えもしないような心の機能のさせ方ができるのだろうし、そしてそのために、彼らの仕事には直感と危険への感覚の双方が働くのだろう。(p8)
天才は「正気であることを維持するために」熱心に創作活動に打ち込む、と彼は述べています。これはどういうことでしょうか。
この本の著者である精神医学教授マイケル・フィッツジェラルド博士は、こう注解します。
グレゴリーが前述しているように、天才の活動が彼らを狂気に駆り立てるのではなく、正気にとどまるために彼らは活動しているのかもしれない。
…創造的な仕事が妨げられた時、自殺しそうなほど意気消沈する傾向がある。(p8-9)
偉大な芸術家たちは、正気にとどまるために創作活動を行っていて、もし創作が妨げられるなら、彼らの人生はひどいことになるのではないか、というのです。
たとえば、糖尿病の人はインスリンを定期的に打たなければ生きていけません。だから決してインスリンを切らしません。
同様に、偉大な芸術家たちは、創作活動を切らすと生きていけないのではないでしょうか。だからこそ、創作活動を切れ目なく、愚直に続けるのではないでしょうか。
歴史上の作家たちの例
この本では、実際に、「正気にとどまる」ために創作活動に没頭したと思われる、過去の偉大な創作作家たちの例が挙げられています。
4人の例を見てみましょう。
■ハンス・クリスチャン・アンデルセン
1825年、アンデルセンは日記をつけ始め、強迫観念に取りつかれたように書き続けた。「書かなければならないから書く、そうせざるを得ない」と述べたこともある。(p57)
童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)が、文章を書き、創作を続けたのは「そうせざるを得ない」からでした。単なる余暇の趣味ではなく、生理的な必要に駆られた、強迫的な活動だったのです。
■アーサー・コナン・ドイル
コナン・ドイルにとって、難問に着手し解決していくことは純粋に知的欲求を満足させる喜びであり、金銭的報酬には興味がなかった。彼はひどい抑うつ感に苦しんだ。
「暗く重い気分は年を重ねるにつれて頻繁に生じるようになり、その期間はますます長くなっていった」。執筆は抗うつ剤として作用した。(p119)
「シャーロック・ホームズの冒険」で有名な作家アーサー・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle)は、ひどい抑うつ感に対する抗うつ薬として、執筆活動を続けました。彼は、自分は小説を書かなければ、ひどいうつ病になって、生きていけなくなるかもしれないと感じていました。
■L.S.ローリー
ローリーの場合も、音楽が自殺を止める役割をある程度果たしたのだった。もちろん、ローリーを自殺願望から救った大きな存在は絵だった。(p285)
彼は自分の芸術に熱中しており、「描かずにはいられない運命にあった」。(p278)
画家のL.S.ローリー(L.S. Lowry)もまた、重いうつ状態や自殺願望と闘っていました。しかし彼は、創作活動を通して、生き延びることができました。彼にとって創作は、やってもやらなくてもいいものではなく、それなしでは生きていけない「運命」だったのです。
▽ローリーの絵 (クリックで画像検索)
■フィンセント・ファン・ゴッホ
芸術はフィンセントの重荷であり、彼を食いつぶしていった。「絵を生み出す痛みは私の命のすべてを奪い取ってしまうだろう。そうなったら、もう自分は生きた気がしなくなることだろう」。(p264)
ファン・ゴッホはゴーギャンをカミソリで脅した上、自分の耳の一部を切り落とした。その後の一年間は療養所で過ごしたが、狂気との戦いを縫うように絵を描き続けた。1890年7月27日に拳銃自殺を図り、その二日後に亡くなった。(p258)
画家のフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)もまた、自分の正気を保つためにひたすら絵を描いていました。彼にとって、創作活動は、楽しみではなく、正気を保つために課せられた使命でした。
残念なことに、彼はひたすら描き続けてもなお正気を保つことはできず、狂気に屈服してしまいました。
▽ゴッホの絵 (クリックで画像検索)
▽ゴッホが「狂気」の画家ではなく「正気」の画家だったといえる理由
精神安定のための芸術
こうした精神安定に関わる芸術の役割について、マイケル・フィッツジェラルド博士はこう述べます。
芸術活動は抗うつ的な効果があると推測される。
彼らは、芸術面での壁にぶつかったときに、おそらく普通の人より落ち込みが激しいと思われる。
彼らの芸術活動は低くなりがちな自尊感情を引き上げるのである。(p303)
もちろん、歴史上、多くの天才的な芸術家たちの中には、うつ状態に悩まされた人もいれば、そうでない人もいました。
しかしながら、たとえうつ状態に悩まされなかった人たちでも、その人から創作活動を取り上げてしまうなら、どうなったでしょうか。おそらく正気を保つのが難しくなったのではないか、と考えられます。
ある意味で、芸術家とは、松葉杖なしでは歩けない人のようなものなのです。芸術の創作活動という松葉杖を取り上げてしまうと、その場に倒れ込んで、歩けなくなってしまうからです。
2.自分の存在意義を探している
偉大な芸術家たちが、「創作しないと死んでしまう」と感じる2つ目の理由は、彼らは、アイデンティティの構築に不自由さを抱えていることが多いことと関係しています。
偉大な創作作家の多くは、自分はだれなのか、なぜ存在しているのか、と悩んでいます。中には、複数のアイデンティティを抱え持つ人もいて、男性でありながら女性のようだったり、女性でありながら男性のようだったり、子どものまま成熟できなかったりする人もいます。
作家のジョージ・オーウェル(George Orwell)は「星と同じように人間は孤独である」と述べて、どこにも自分の居場所を見いだせない辛い心境を吐露しました。(p130)
この本は、その複雑なアイデンティティが、創作活動に与える影響をこう説明しています。
こういう作家たちは、ジーン・クイグリー(Quigley.2000)が「自己構築」と呼んだような領域で、大きな課題を抱えている。
逆説的なことだが、彼らの独創的文学作品に、彼らの懸命な苦闘が役に立っているのである。
…文学作品の多くは「異なる自己」に関するもので、自己の感覚に問題をもっている人たちは、そのことを書くのに長けていることがよくある。これが文学的成功に導くのである。(p33)
芸術家は、自分自身がだれなのかわからず、理解できないため、自分について知ろうと苦闘します。自分探しのため、いろいろな活動に打ち込みます。その様子が、独特な芸術作品となって現れるのです。
たとえば、複数のアイデンティティや人格を持つ人の場合、その人の内面は普通の人より際立って複雑であり、それを整理するためには、何かの仕方で表現し、外に出す必要があります。
ちょうど、いろいろなものがごちゃこちゃ詰まった引き出しを整理するには、ぜんぶをいったん外に出さなければならないのと同様です。
はじめから片付いていて、物も少ない引き出しならば、外に出す必要はありませんが、アイデンティティが混乱している人の場合は、いったんすべてを外に出さないと整理できず、この外に出すということが、とりもなおさず創作活動を意味しているのです。
一般に、芸術家になるような人は、普通の人よりも感受性が強く、情報やアイデアがすぐに溢れていっぱいになってしまうと言われています。
鈍感な世界に生きる 敏感な人たちによると感受性の強い人たちは、アイデアをたくさん思いつきすぎて、あふれかえってしまうため、ときに重荷に感じることがあると書かれています。
「インスピレーションは自分の内側から泉のように湧いてくるので、むしろインスピレーションを得ないようにしてきたぐらいだ」と話す人もいます。「すぐにはじめるんだ」という内なる声がして、聞こえないふりができないのだとも。
「私は絵を描くのが大好きです。でもまぶたの裏に新たな絵が映ると、重荷のように感じることが時々あります。内側から興味が湧き上がり、すぐにでもカンヴァスに絵を描かなくてはいけないというプレッシャーを感じます」(p61)
アイデンティティが複雑になるのもそのような思考の過剰さが関係しているのかもしれません。
あふれた情報を整理するには、それを切り離したり、ぶちまけたりするしかなく、ちょうど火山活動の噴火のようにして、芸術として発散するしかないのです。
歴史上の作家たちの例
天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性には、自分探しのために創作活動に打ち込んだ人たちの例が、幾つか挙げられています。
■ハンス・クリスチャン・アンデルセン
『わが生涯の物語』(1832年)では、このアイデンティの欠落がはっきりとわかる。
彼は「頻繁に鏡を見ているのは確かなのに、自分の顔立ちを思い出すことができない」と書いている。
彼の偏執的なまでの自伝執筆は、実は自分探しだったのである。(p67)
これは、すでに出てきた童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)についての記述です。アンデルセンの童話の登場人物は、アンデルセンが自分自身を投影したものだと言われています。
「見にくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「人魚姫」などの主人公たちは、アンデルセンの複雑なアイデンティティを投影し、自分探しをした一種の「たとえ話」として生まれたのです。
■ウィリアム・バトラー・イェイツ
時々イェイツは、自分の本当の自己は詩作品の中にあると考えて満たされた気持ちになった。
「私の人格はほとんど本当の自分ではなく、歩んできた人生はすべて挫折だった。そのことは私の詩に影響している。詩こそ本当の自分である。ダンサーの人格がダンスの動きに影響しているように」(Ellmann 1979) (p113)
こちらの例は、アイルランドの詩人、ノーベル文学賞作家のウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats)についての記述です。
イェイツもまた、自分はだれなのか、何なのか分からない、というアイデンティティの問題にもがき苦しみましたが、創作活動をすることで、自分探しができました。
自分は何なのかわからないとしても、自分が魂を込めて作ってきた詩は、自分のアイデンティティを確かに表現している、と感じ、慰めが得られたのです。
■マーク・ストランド
時々、仕事の休止が一晩だけでなく、数週間、数ヶ月、あるいは数年も続くことがあります。書き上げるのに全力を傾ける本と本の間の休止期間が長くなればなるほど、人生は辛くもどかしいものになります。
私が「辛い」と言うとき、おそらくそれは、人が感じるささいな落胆に対してはあまりに大げさな言葉でしょう。
しかし、それがずっと続き、創作上の行き詰まり(ライターズ・ブロック)と呼ばれる、文章が書けない状態になると、痛々しく、辛い状態になります。
自分のアイデンティティが脅かされますから。
何も書いていなくて、でもあなたは作家で、作家として知られているとすれば、いったい、あなたは何なのか、ということです。(p84)
これは、クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学に載せられている作家マーク・ストランドの言葉です。この本が述べるように、「創造的な人にとってもっとも耐えがたいことは、なんらかの理由で働くことができなくなったときに経験する喪失感と空虚感」です。それは「自己概念のすべてが危機にさらされること」を意味しています。
ごく普通の人にとって、たまに創作ができればそれは喜びですが、創作せずに日常を過ごしていても、特に自分に何かが欠けているといった不全感は感じません。しかし芸術家にとって、創作できている自分だけが真の自分であり、創作をしていない自分には、なんの存在価値もないように思えてしまいます。
マーク・ストランドは、創作しているときだけ「作家マーク・ストランド」でいられました。何も創っていない日常を過ごしている自分は自分ではなく、存在意義すら見出だせず、「いったい、あなたは何なのか」と問い詰められるようなアイデンティティの混乱に陥ってしまうのです。「書くことを通してみずからを定義する者にとって、それは昏睡状態にあるようなもの」とも表現されています。(p271)
同様に、この本によると、カナダ人芸術家のマイケル・スノウについても、「多くの成功をもたらした絶え間のない業績へと彼を向かわせたものは、彼がこれまでずっと払い除けようとしてきた混乱と不安の感覚である」と書かれています。(p78)
アイデンティティを見つけるための芸術
こうした芸術作品がもたらすアイデンティティ構築に対する影響について、天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性の中でマイケル・フィッツジェラルド博士はこう述べています。
芸術作品は、混乱したアイデンティティと表出しがたい言語とを解決するための一種の努力なのである。作品を創造することが自らを助け、しかも自己の療法と化している。(p302)
創造性やフロー体験の研究者として名高い心理学者ミハイ・チクセントミハイもクリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学でこう書いています。
すでに何度か見てきたように、経験に秩序を回復するために、人は一般的に文学の執筆に向かう。(p293)
詩人と小説家は存在の混沌に敢然と立ち向かう。
ヒルデ・ドミンは、行動と感情が理にかなった、言葉の避難場所を作る。マーク・ストランドは、さもなければ忘却の彼方に消え去ってしまう束の間の経験を、歴史のように記録する。(p295-296)
芸術は「経験に秩序を回復」し、「存在の混沌に敢然と立ち向かう」ための優れた道具です。
以前の記事でも、言葉にならない思いを表現するのに芸術や創作活動が役立つというテーマを取り上げました。
複雑なアイデンティティのため、自分自身が何者か分からない、というのは、まさに「言葉にならない思い」です。
それを表現するには、詩・音楽・絵・物語といった、芸術的活動が必要であり、偉大な芸術家たちは、自分を見つけたいという飽くなき願いのために、果てしなく芸術に打ち込み続けたのです。
3. 死への恐れに駆り立てられる
偉大な芸術家たちが、「創作しないと死んでしまう」と感じる3つ目の理由は、非常にシンプルな理由です。
彼らは、死への強い恐れを抱いていて、生きている間に少しでも多くのものを創作しなければならない、死なないようにするには創作し続けなければならない、といった切迫感に突き動かされているのです。
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者によると、動物管理学者として成功したテンプル・グランディン(Temple Grandin)はこう述べたそうです。
「わたしがとても不安なのは、こういうことなんです……」ハンドルを握りながら、ふいに口ごもったテンプルの目に涙があふれた。
「図書館には不死が存在すると読んだことがあります……わたしが死んだらわたしの考えも消えてしまうと思いたくない……なにかを成し遂げたい……権力や大金には興味はありません。
なにかを残したいのです。貢献をしたい……自分の人生に意味があったと納得したい。
いま、わたしは自分の存在の根本的なことをお話ししているのです。(p398)
思想家や芸術家など、何かを創造する人にとって、死によって自分と自分の生きた証が失われてしまうというのは、何よりも恐ろしいことです。彼らは死という概念を理解できず、ただ漠然とした不安と恐怖におびえています。
歴史上の作家たちの例
ここでもやはり、死への恐れを原動力に創作した過去の有名人たちの例を紹介したいと思います。
■アルベール・カミュ
真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。(p12)
作家アルベール・カミュは、常に人生の意味に悩まされていたので、シーシュポスの神話 (新潮文庫)の冒頭でそう書きました。カミュはエッセイ「ギロチンについての考察」などを通して、常に死の感覚と向き合いつづけました。
カミュは、芸術家は創りたいから創作するのではなく、死ぬまで創作しつづけることを課せられているのだ、ということを知っていました。
なにかで創造行為が終りになるとしても、それは眼のくらんだ芸術家の《私はすべてを語った》という勝ち誇った、根拠のない叫びとともにではない。
創造者の経験の幕を閉じ、創造者をその魔神から解放するところの死によってなのだ。
…創造はまた、人間の唯一の尊厳―すなわち自己の在り方に対して執拗な反抗を試み、努力が不毛だとわかっていながら、なお辛抱強く努力をつづけるという姿勢―の驚くべき証言である。(p201-202)
芸術家にとって、すべて語り尽くして創るものがなくなってしまうようなことはありえず、創作が終わるのは死によって解放されるときのみなのです。
■アンディー・ウォーホル
彼は「まさに夜行性の生き物で、文字通り夜に眠るのを恐れていた。夜明けまで眠ろうとしなかった。眠りは死と同じであり、夜が恐ろしかったからだ」(p300)
天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性によると。ポープアートや映画の作家として知られるアンディー・ウォーホル(Andy Warhol)は、まさに、死に対する恐れに取りつかれた人でした。病院や医者も恐れ、自分が信頼できるのは自分の作品だけだと信じていました。
▽ウォーホルの絵 (クリックで画像検索)
■スティーブ・ジョブズ
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。
なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。
自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。
これは「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳 :日本経済新聞 からの引用ですが、アップルのCEOとして活躍したスティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs)が、有名な米スタンフォード大学の卒業式のスピーチで語った言葉です。
スティーブ・ジョブズは、死に対する鋭い意識を持っていました。彼の熱烈な創作意欲は、「自分はまもなく死ぬという認識」に突き動かされたものでした。死のイメージを原動力にして彼の作品は世に送り出されたのです。
■パブロ・ピカソ
ピカソは晩年になると、「死」への恐怖と否認が始まり、それから逃れるようにますます制作活動にのめり込むようになりました。誰か知人の死を伝えられるたびに彼は断固として繰り返しました。
「いいかね。老齢と死を一緒にしてはいけない。この二つは、何の関係もないのだから」と。(p66)
これはVOICE新書 知って良かった、大人のADHD から引用した、画家パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)についての記述です。ピカソは晩年最も多作だったと言われていますが、その原動力となったのは死の否認と恐怖でした。
しかし彼はそのころ「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」と言ったとも言われており、ある種の達観に至ったのかもしれません。
▽ピカソの絵 (クリックで画像検索)
■ゲオルク・ファルディ
ゲオルク・ファルディは、七歳で詩人になる決意をした理由を問われたとき、「死ぬのが怖かったから」と答えた。
言葉のパターンを創造すること、つまり、それが持つ真実と美しさによって詩人の肉体よりも長く存続する可能性を持った言葉のパターンを創造することは、反抗と希望の常為であり、それらがその後の73年の人生に意味と方向性を与えてくれたとファルディは述べている。(p42-43)
これはクリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学からの引用ですが、詩人ゲオルク・ファルディもまた「みずからの死後も存在しつづける何かを作ること」が創作の動機になっていました。
この本では芸術家のみならず、ジョン・バーディーン、ハインツ=マイヤー・ライプニッツ、マンフレート・アイゲン、マックス・プランクといった物理学者たちの研究もまた、「短い歳月が過ぎれば死にゆく運命にある肉体の限界を超えようとする」試みだったと書かれています。
死から逃れるための芸術
こうした死への恐れが創作活動を促すことについて、天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性の中でマイケル・フィッツジェラルド博士はこう述べています。
天才というものは死に関して鋭い感覚をもっていて、死ぬ前に生み出す必要があるのである。(p104)
彼らは「不滅」への欲望に駆り立てられ、これを自分たちの芸術作品でもって「達成」している。(p302)
芸術家たちは、死というものへの明敏な感覚を持っているからこそ、世の中の多くのものが儚く、永遠を望み得ないことに気づいています。そして、自分がやがて死ぬこともまた、ピカソのように否認しようとも、やはり意識しています。
そうであれば、彼らが求めてやまない永遠を手に入れるには、ただ作品を創って、自分が存在したことの証を世の中に残すしかないのです。
日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめの中で探検家トリスタン・グーリーが書いているように、創作は、死を超越して、自分の足跡を残すための手段です。
ダーウィンが自身の体験を記した『ビーグル号航海記』はいまでも入手できるし、わくわくしながら読み進められる本だ。著者よりずっと長生きしたことになる。
時間は人間との競争には勝利した。いつだって時間が勝つ。けれども、人間が遺した業績まで滅ぼしきれてはいない。
創作活動もまた、死を出し抜く手立てのひとつだろう。時間を食いとめ、不滅を求めてやまない思いを満たし、自然界の働きかけに何度でも応じようとする答えの形だ。
ゴーギャンに実際に会ったことはなくても、とりどりの色が踊る太平洋の絵画は生き生きとわたしたちの心に映り、描き手その人よりも鮮やかに残る。(p307-308)
また、クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学の中でミハイ・チクセントミハイは、死への恐れは、感覚を鋭敏化させ、芸術家に必須の感性を研ぎ澄ませると述べています。
ゲオルク・ファルディが彼の詩の最高のもののいくつかを書いたのは、いくつかの強制収容所で日常的に死と直面していたときであった。
そして、エヴァ・ザイゼルは、スターリン時代の牢獄でもっとも悪名の高かった、恐ろしいリュブリャナ刑務所に収容されていたとき、終生つづくアイデアを集め、蓄積したのであった。
サミュエル・ジョンソンが言ったように、数日のうちに死刑になるという知らせほど、精神を尖鋭化させるものはない。
だれでも、余命わずかだと宣告されれば、切羽詰まった気持ちになり、何かを残したいと感じるものです。たいていの人は末期の病気になるなどしなければ そうは考えませんが、芸術家は違います。彼らはアイデンティティがあやふやで常に風前のともしびなので、日々、自己の存在の消滅と隣合わせに生きています。
死への恐れと、永遠への待望は、芸術家たちを追い詰めると同時に、彼らの感性を鋭く研ぎ澄ませます。そうして彼らは、一心不乱に芸術の創作活動に打ち込み、実際にその名が後世に残るほどの偉大な業績を挙げるのです。
創作していないと死んでしまう人たち
この記事では、芸術家が「創作しなければ死んでしまう」と感じる理由を3つ取り上げました。
■自分の存在意義を探している
■死への恐れに駆り立てられている
この3つは、それぞれ無関係のものではなく、互いに結びついています。言い換えれば、稀薄でもろいアイデンティティというひとつの核心を、異なる角度から見た3つの面だといえるかもしれません。
それぞれの項目で例に挙げた芸術家たちは、ひとつの項目だけに当てはまるわけではなく、おそらく伝記などを調査すれば、残りの2つの項目にも当てはまるようなエピーソードを有しているでしょう。
彼らはみな、ろうそくの火のように消え失せたり、正気を失ったりしてしまうような、不安定で揺れ動くアイデンティティのともしびを風雨から守るがごとく、創作という安全なとりでを命がけで築き続けていたように思えます。
クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学の中で、ドイツの詩人エルデ・ミトンがこう述べているとおりかもしれません。
「言語のなかに避難場所を見つけるのは正常なことです」と彼女は言う。
「あなたが音楽家なら音楽のなかに避難場所を見つけ、画家なら色彩のなかに避難場所を見つけるでしょう」(p275-276)
わたしの場合はどうかというと、こんな天才たちには及ぶべくもないですが、やはり「創作しなければ死んでしまう」タイプなので、アイデンティティの確立のために、ひたすら何かを書いたり、描いたり、作ったりしているのだと思います。
別の記事で描いたとおり、わたしにとって、創作するということは、自分の存在意義を認識し、自尊心を高めることに役だっています。
わたしは、相当アイデンティティが複雑で混乱している人間ですが、それを表出することで、整理しているという側面は大きいと思います。
どちらかといえば、この記事で列挙したような、古今東西の名だたる芸術家たちのような創造的な資質を持っているというよりは、自分にずっと何かが欠けているという気持ちのほうが強い気がします。
それでも、たとえ時間がかかり、ほかの活動や日常生活が圧迫されるとしても、執筆と創作は続けるつもりです。何らかの創作活動を続けなければ、安定を保てないと思うので、ある意味で課せられたもの、生きるのに不可欠なものと割り切るしかないようです。
とはいえ、この記事で見たように、芸術は、たいていの場合、混乱したアイデンティティを持つ人にとって「治療薬」の役割を果たしています。
芸術は、芸術家の欠けているところを補うがゆえに、生きるために不可欠のものであると同時に、ミハイ・チクセントミハイが述べるように、かけがえのない喜びの源にもなり得ます。
創造的な人々はしばしば、開放性と感受性によって苦悩と苦痛、そして、多くの楽しさにさらされる。
彼らの苦悩は容易に理解できる。強い感受性は、私たちが通常感じない軽蔑や不安を引き起こす。(p82)
しかし、その人が自分の専門領域で働いているときには、不安や心配事は消え失せ、それらは無上の喜びに変わる。
おそらく、もっとも重要な特質、言い換えれば、創造的な人々すべてに恒常的に見られる特性とは、創造のプロセスそれ自体を楽しむ能力であろう。(p84)
わたしも、創作は生きるために課せられた重荷ではなく、生きるために不可欠な伴侶だと思っているので、無理せず、マイペースで、自分の必要に応じて続けていきたいと思います。