道北の秘境 天竜沼と松山湿原へ行ってきた。大自然という図書館から学びたい。

道北の仁宇布にある「松山湿原」に行ってきました。

松山湿原とは、美深町のサイトによると、「北海道自然環境保全地域で、日本の重要湿地500の一つに数えられている標高797mの高層湿原」なのだそうです。

ふもと部分に「天竜沼」という池があり、まわりがバリアフリーの遊歩道になっています。そこに、「あゝ秘境」と書いてある石碑があるので、きっと秘境なんでしょう!

天竜沼までは車で行けますが、そこから900mほど登山道をのぼった先に松山湿原があるらしい。「らしい」というのは、残念ながら、雪がまだ残っていて、登頂まではできなかったので。もう五月末だというのに。

だから、松山湿原に行ってきたというタイトルなのに、松山湿原そのものには到達できておらず、タイトル詐欺みたいですみません。

でも、ふもとの天竜沼や登山道の道中でも、おもしろい植物をたくさん発見できたし、すばらしい景色も見れたので、そのレポートを書いておこうと思います。

※その後、9月に改めて登頂してきました。松山湿原頂上の様子についてはそちらの記事にて。

「あゝ秘境」

松山湿原は本当に「秘境」なんでしょうか。秘境の定義がよくわかりませんが、道北に住んでいるわたしの家からは、松山湿原までは1時間半くらいで行けます。

だから、そんなに秘境だとも思ってなかったんですが、考えてみれば、わたしの住んでいるところ自体が、ほとんどの日本人にとって秘境ですよねー(笑) 地図で見ても、確かにこれは秘境だ。

うちの家から山道を自動車で1時間半ほどで着きますが、道中、ほかの自動車を10台も見かけなかったような…。

だから、とても快適なドライブでした。誰もいないときは中央線越えて走っていても大丈夫。(狭い道路や雪道だと、臨機応変に中央線越えて走るのも大事)

最近、都会では痛ましい交通事故がたくさんあって、わたしもできれば自動車に乗りたくないな―と思っています。でも、ほかに車のいないまっすぐな森の中を走っていると、自動車も使いようだなと感じたりも。

刃物は不用意に使ったら危険だけど、料理のときは役に立つ。自動車も同じようなものかもしれない。都会では公共交通機関も充実しているから、わざわざ自動車に乗る必要もあまりないけれど、こんな人が少なくてただっ広い土地だと自動車のありがたみを感じますね。

道中は、ずっと山や森のなかを走りましたが、本州の山道のように蛇行してはいません。北海道の山道は、多少はアップダウンはあるけれど、かなり真っすぐで見通しもいいです。たまーに後ろから車が来たら、ウィンカーを出して左に寄って減速すれば抜かしてくれるので、のびのびドライブできます。

道路照明灯もない道がずっと続くので、夜はさぞや星空がきれいでしょう。道路上にあるのは、雪道や夜道で道の端を示すための矢印(矢羽根付きポールというらしい)とカーブの標識くらい。

日本語の文字が入った標識もめったにないので、なんだか、日本ではなく、アメリカの片田舎とかオーストラリアを走ってるような気分になります。森のこもれびが暖かい。

何の変哲もない森の中を走っていると、いつのまにか自治体の境界を越えて、美深町に入ります。町のロゴはチョウザメモチーフ。昔は天塩川にチョウザメがたくさんいたらしいですが、今は絶滅してしまって、美深町のチョウザメ館で養殖されています。

森の中を自動車で走っていると、道路上にキツネが寝そべっている! あわててスピードを落として避けようと対向車線に移る。しかし、なんとキツネはのっそり起き出して自動車の前をふさいでくる。ああ、この子はたぶん、ドライバーにエサもらったんだなーと直感。

一回でもエサをやるドライバーがいると味をしめてしまって、車を止めることを覚えてしまうんですね。でもそんなことをやってたら、いつか本当に轢かれちゃうのに…。野生動物にエサをあげるような無思慮な人には本当に困ります。

車内から撮ってもらった写真になんとなくキツネが写ってるけど見えるかな? 

キツネのディフェンスをなんとか避けて進むと、こんどは道路上に大きなカエルが! キツネに比べると見分けにくかったので、避けるのがギリギリになってしまったかも…。

ここ北海道では、本州の大都市ほど、人間が事故に巻き込まれる危険はありませんが、代わりに動物たちとの事故が多い…。タヌキだったりシカだったりが多いと聞くけど、両生類なんかはもっと犠牲になっていそう。気をつけてはいるけれど、限界はあるし、生き物たちには申し訳ないです。

自宅から自動車で走ること1時間と少し。道中の道沿いには、タイヤのチェーンを付け替える駐車スペースくらいしか休憩スポットがない。そんな道を延々と走っていると、ついにこんな看板が。

やっぱり秘境なんだここ。

この看板のわきにある門の中へ入っていくと、本州の山道みたいな蛇行した道路が、だいたい5kmくらい続き、松山湿原のふもとの天竜沼へ到達できます。対向車線がない、一車線だけの林道のような道。

対向車が来たら、ところどころに設置されているすれ違い用の待避場所でやり過ごさなければなりません。北海道にいるとこんな道もよく走るので、運転免許取り立て二ヶ月にしてもう慣れていますが(笑)

このときも、天竜沼のほうから自動車が帰ってくるのに出くわして、一台目はこちらが待避場所に入り、二台目は向こうが先に待避場所に寄ってくれてやり過ごすことができました。

向こうは初心者マークの車がこんなところに来てびっくりしたかもしれませんが、わたしは普通の幹線道路とか都市部より、こんなところの運転のほうが好きです。

途中の山道は遊園地のジェットコースターみたいに曲がりくねっていて、見通しが悪く、要所要所に設置されているいくつものミラーで、対向車が来ていないか確認しながら登っていきます。たかが5kmほどと言ってもけっこう時間がかかる。

やっとたどりついた天竜沼駐車場。時間は午後1時くらいでした。ほかに来ている人は一人もおらず。さっきすれ違った車二台が唯一のお客さんだったみたい。

それにしても、どうしてさっきの人たちは、こんなに早々と引き上げたんだろう? と疑問に思いましたが、その答えは、登山中に明らかになることになりました。

天竜沼駐車場には、冒頭で紹介したこんな石碑が。やっぱり秘境なんですね(笑)

確かに相当な山奥です。天竜沼という名前も、最初に見つけた人が、あたかも天竜が水浴するような神秘的な場所だと思ったのかなぁ、なんて思いを馳せました。天人峡とか層雲峡みたいに、神秘的な名前の名勝が道北にはたくさんあります。

駐車場には、近辺の地図もありました。しつこいくらいに秘境アピールが(笑)

近くには「女神の滝」「雨霧の滝」という場所もあるみたいでしたが、正反対の方向なうえにかなり遠いので、今回は松山湿原への登山道を選ぶ。

駐車場にはほかに、水も出ないようなトイレ小屋と、入林するときに名前を記す無人入林申請帳が置いてありました。もし遭難するようなことがあったら参考情報として使うらしい。

注意書きによると、山菜以外の北海道の国有林の植物は法律で保護されているので、無許可で採ったりしてはいけないと。ということは、一応、山菜は採ってもいいということなのか(笑) 今回は何も採りませんでしたが、登山道のすぐそばにも、たくさん山菜が生えていました。

松山湿原への登山道

天竜沼駐車場に車を停めて、近くの登山道から、いざ松山湿原を目指して登っていきます。

登山道の入り口あたりには、登山者に貸す杖を入れる木箱がありましたが、杖は一本もない。代わりに杖に使えそうな枝がいくつか入っていました。

最初に置いてあるのを、遠慮しない人が持って帰ってしまって、そのあと善意の人が登山に使った枝を置くようになった感じ。

近くには、巨大な「松山の鐘」があったので、登山の前に鳴らしておきました。

ちょっと叩いただけで、かなり強烈な、耳をつんざくような鐘の音が、山に響き渡ります。これでクマも、人間が入ってくることをわかってくれただろうか…。

今、クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)というアイヌの狩人のものすごく面白い本を呼んでいるんですが、熊よけのためには、ペットボトルをペコペコ鳴らしながら歩くのがおすすめらしいです。

熊よけの鈴などの音はもう慣れてしまっているけど、ペットボトルの音などは、まだ珍しい音なので「痛くもなきゃ痒くもないし嫌な音だなぁ、聞いていると嫌な音がするなぁ」とクマが避けるのだとか。(p257)

あと、「細い棒で立ち木を縦に、木なりに当てて叩く」というのも効果的だそうで、今回はちょうど入り口で拝借した杖がわりの枝があったので、頻繁に試していました。いったい何をやっているのかと連れが不思議がっていましたが(笑) (p259)

登山道に入ってすぐのところは、森の不思議を学べる体験エリアのように整備されていて、こんな看板が立てられていました。

町の子どもたちが遠足に来たりするんでしょうか? 秘境にしては妙にきれいに整備されてますよね。

最初にあったのは「風穴」。岩の隙間から冷気が出ているとのこと。

確かに近寄ってみると涼しい。そんなに標高が高くないのに雪がまだ残っているし、特殊な地形であることがわかります。

次の看板の説明は「倒木更新」について。

倒れた古木に種が飛んできて、そこを苗床にして水分や養分を吸収し、植物が育っていくんだそう。近くで見てみると、倒木全体が、コケや小さな植物で覆い尽くされています。

コケの自然誌 で読んだこの記述が思い出されます。

コケむした倒木はよく、「乳母の木(nurselog)」と呼ばれる。

森の中に時折見かける、まっすぐ一列に並んだアメリカツガは、そうやって乳母の木が与えた栄養の名残だ。

湿った倒木の上で一緒に芽生えた苗木が育ったのである。(p229)

乳母の木とはなんともすてきな名前。なんとなく深海で死んだクジラのまわりにできる鯨骨生物群集も思い出しますね。海の底と森の中で、同じような命のリレーが行われている。

お次は根上がり木。

豪雪地帯に行くと「根曲がり」の木はよく見かけるけれど、そうではなく「根上がり」。

もともとは倒木更新で古木を覆って新しい木が生えたのに、その倒木が朽ちてしまった後に、覆ってた根だけが地表に残るとこうなるらしい。

詳しくはこちらのページ(根上がりの木のわけ)で説明されていました。人工林では見られない、自然林ならではの光景なんですね。

足元には、ニリンソウが咲き誇っていて、わたしの地元のあたりより、季節がちょっとだけ遅いように感じました。森の中だし、少し高地なので、きっと気温がまだまだ低いんでしょう。

この体験エリアのわきから、登山道に進んでいくと、足元には木片チップが敷かれている部分もあり、比較的歩きやすい。樹木が生い茂っていて、大自然の複雑な生態系がからみあっているのがわかります。

道のあちこちに渦巻状のシダ植物の芽が生えています。その数たるや、わざわざ探さなくて指さしただけで、見つかるほど。

さすがにどれが何の種類かまでは、よくわからない。表面が赤っぽくて毛が生えているのはゼンマイなのかなぁ…。ワラビ、ゼンマイ、コゴミ以外にも似たような形の種類はたくさんあるのかな?

周囲の木々の表面はコケや地衣類で覆われています。動物の体毛かと思うくらい、濃くて長い毛が木の肌をはっていました。

地衣類も、このあたりのは、ふだん見かけるものよりさらに元気そうな気がする。地衣類って乾燥していると乾いて縮み、水分を含むと復活する変水性があるんでしたっけ。

失われた、自然を読む力によれば、「空気の質に対する地衣類の感度はとても鋭いので、空気の環境指標としてよく用いられている」という。こんなに元気そうだということは、空気が澄んでいる証拠ですよね。(p116)

(ただしチャシブゴケ科のLecanora muralisは例外で都会の大気汚染に強いらしい…)

道の脇は木の肌や根っこや岩が入り組んだ自然の壁になっていて、植物が複雑に繁茂しています。よくよく覗き込んでみると、コケが織りなす模様がとてもきれい。この金平糖みたいなのはスナゴケ?

近寄ってじっくり見てみると、このつぶらな胞子体は、もしかすると、前に写真で見せてもらったことがあるタマゴケ(Bartramia pomiformis)では?

ネットで調べても園芸店の人工栽培みたいな画像ばかりしか出てこなくて、自生している状態がわかりづらいけど、たぶんタマゴケですよね。

タマゴケはそんなに珍しいコケではないけれど、都市部では見かけない、山の中ならではのコケの一種です。自分が大自然の残っている森にいることを自覚できます。

この写真だと、後ろに生えているのは、マイヅルソウだと教えていただきました。コケにしても他の植物にしても、自然豊かな場所の多様な生態系の中にいる姿が一番調和がとれてて美しい。

登山道のそばを観察していて、次に見つけたのは、道端のエンレイソウ。エンレイソウは、白色をはじめ、さまざまな色のものをあちこちで見かけますが、ここでは赤い線が入った花や、真紅の花を見かけました。

ネットで調べてみると、エンレイソウの花の色合いはかなり多彩なんですね。咲いている場所ごとに、さまざまな姿を見せてくれて、飽きない花です。

続いて見かけた、こちらの花はサンカヨウ(山荷葉)の花かな?

葉っぱがフキに似てるということで調べてみたらサンカヨウがヒット。雨が降ると花びらが透明になるらしいのですが、この日は快晴でした。ちょっと残念。でもさすがに雨が降ってるときには来れないな。

さらに登っていくと、こんどは右側にツタアジサイに覆われた立派な木がのびていて、その表面に、何か昆虫がとまっていました。

この写真だとよくわかりませんが、中央あたりにいます。ズームしてみると…

何かの蛾だとはわかるんですが、種類が同定できない。近そうな種類は、トンボエダシャクとかウメエダシャクで白黒の柄。だけど、どちらもこの写真の模様とは違う。おそらく〇〇エダシャクといった名前なんでしょうが、今はわかりませんでした。

(追記 : 一年後に似た蛾と再会して、シロオビクロナミシャクかその仲間だとわかりました)

一方、こちらは…模様からするとタテハチョウの仲間かな? 

かなり遠くからスマホのカメラで写しただけので、あまり鮮明には見えませんが。

道端のあちこちに、見慣れない昆虫がたくさんいます。わたしは都会に住んでいるころは虫が苦手でしたが、山や森に入ってしまうと、虫の観察も楽しいですね。今でも、家の中に虫がいるとぎょっとしますが、自然の中で見るのは平気です。背景って大事です。

三合目―空気が冷たくなってくる

しばらく登っていると、三合目の案内札が。

このあたりまで登ってくると、木々のすきまからのぞく、澄み渡る空が美しい。空にちょっと近づいた感じ。

慣れない登山に少し息切れもしますが、空の美しさと森の香り、そして鳥たちの鳴き声に癒やされる。

樹皮にびっしり貼りついたコケや地衣類と、そこに生えている謎のキノコがあちこちに見られます。

コケや地衣類は生長が遅いから、こんなにびっしりと樹皮が覆われるまでに、どれほどの年月が経過したのだろう。人工的な庭園と違って、自然が長い歳月をかけて作り出した複雑な景観はとても味わい深い。

道端にギョウジャニンニクもたくさん見かけました。山菜採りに来たわけではないので採ったりはしませんが、まだかなり小さくて、葉っぱが出たばかりに思えます。

地元のほうでは時期を過ぎたギョウジャニンニクがこんなにまだ小さいなんて。

そして、これはたぶん、コゴミ(クサソテツ)ですよね? この前、山菜としていただいたことがあります。

だいたいコゴミ→ゼンマイ→ワラビの順番でちょっとずれて旬の時期になるらしい。

採れ頃のコゴミや、小さなギョウジャニンニクを見かけるというのは、登っているうちに標高が高くなって、冷涼な場所にやってきたということなのかもしれません。

標高が高くなったせいか、このあたりまでくると雪がしっかり残っていて、登山道を塞いでいました。

ここに来てはたと気づく。さっき車で、早々と引き返していった人たちは、きっとここまで来て、登るのをやめて帰ったに違いない。

画像ではわかりにくいですが、この雪、かなり分厚く積もっていて、杖として使っていた木の枝を刺してみると、だいたい1mくらいズボッと刺さります。しかも斜面になっているので、足を滑らせたら、かなりずるずると落ちてしまいそう。

でも、深い雪に刺した枝が支えになるのと、足場としか仕える木の枝がたくさん雪の下から生え出ているので、ここはそれほど苦労せずに抜けることができました。

六合目―雪に行手をはばまれる

雪で塞がれていた場所を越えると、歩きやすい登山道が続いていて、六合目まですんなり登ってこれました。

この白い花は…なんだろう? 葉っぱの形からするとコンロンソウではなく、エゾワサビか? どのみちタネツケバナ科の何か。

茂みの中をのぞき込んだら、レース模様みたいな、白い小さな花が、きらきらと輝きながら、たくさん群生していました。後で調べたらエゾワサビだったらしい。

かなり登ってくると、なんとスプリング・エフェメラルのエゾエンゴサクの群生が。

春の雪解けととも、ほんのひと時だけ出てくる可憐な花で、花を食べることもできます。もううちの近所ではほとんど見かけませんが、やはりこのあたりの高地は、今が「雪解け」なんですね。まだ雪の塊が残ってるし。

同じく春の山菜のエゾノリュウキンカの群生もありました! 水のあるところを好む花ですが、ちょうど渓流が流れていて、流れを取り囲むように生えていました。

花が咲いてしまうともう食べごろを過ぎてしまうんですが、この群生地にはまだつぼみのもあって、おいしそうでした(笑) 昔の人たちは山菜シーズンの終わりごろになると、こうやって高地にまで美味を求めて登っていたのかもしれない。

このあたりまで登って来るとすばらしい景色! 空気遠近法のお手本みたいな、うっとりするような風景。

近くの風景は赤みがかっていて、

遠くの山稜に向かうほど、虹色にグラデーションして寒色になっていく。わたしが風景を描くときによく使う色使いです。でも知識としては知っていたけど、現実にこんなきれいなグラデーションの風景を見たのは初めてかもしれない。

青空も、とくに写真の色補正とかをしたわけじゃないのに、突き抜けるようなスカッとしたスカイブルーです。

遠くの山の上には、まだしっかりと雪が残っているのが見えます。このあたりだと函岳(標高1129m)だろうか? 星空がとてもきれいだと聞くので、一度登ってみたい山。なんと利尻富士も見えることがあるらしい。

さらに登っていくと、なんと「展望台」の案内板が。

でもこの展望台というのは、この横の階段を10段くらい登るだけの、天然の展望台でした(笑) 背後は奇岩がそびえたっていて、頂上が近いことを思わせます。

登ってみると、すっかりツタで覆われた背の高い一本の木があって、「展望台」という木製の札がかかっていました。

なんだか、子供が発見した秘密基地みたいでほほえましいですね。人工の立派な展望台ではないけれど、自然の地形を活かしたすてきな絶景スポット。そこからの眺めは…

まあ登山道と高さはそんなに変わらないので、さっきまでの景色と大きく変わるわけではないですが、ちょっと一息ついて、雄大な景色を堪能することができます。

展望台を降りて登山道に戻ると、道はさらに険しく上り坂に。左右のやぶもかなり深くなってきて、1m以上ありそう。

いよいよ、頂上の松山湿原が近い、と感じてわくわくします。

ところが…

あと一息で頂上という、たぶん700mくらいの地点に、雪がまた積もっていました。

画像だとわりと行けそうに見えますが、試しに半分くらい行ってみたら、急斜面になっていて危険。しかもさっきみたいに足場にできる枝などもない。

もし足を滑らせたら、下のほうまでずるずると滑落しそう。実際、途中まで行ったとき、引き返そうとしたら、足の踏み場がなくなって戻るに戻れず、少しだけ滑って怖い思いをしました。

山のもっと上の斜面の雪がないヤブの中を迂回するという手をありましたが、今日の服装はあまり密閉性の高いのではなかったので、ダニとかがいたら対応できない。ちゃんとした杖も持ってきていないし。

さらには、連れがそうしたところに慣れていない人だったので、残念ながら、ここで引き返すことにしました。山では無理をしないのが大事ですもんね。ここまで来ただけでも頑張った。また改めて秋頃にチャレンジしよう。

帰りの山道は下りなので楽ですが、足を滑らせないように慎重に。道端をよく観察しながら下っていくと、登るときには見ていなかった、赤い不思議な物体を発見。

なんだろうこれは、とよく近づいてみると、赤いミズバショウみたいなのが、地面からぽっこりと生えています。

あとで調べると、ザゼンソウというらしい。最初はかなり珍しいものを見つけたのだろうか、と思いましたが、一度見つけると脳が探索像を形成するので、帰り道にたくさん見つかりました。

本当はいろいろなものが身の回りにあるのに、わたしたちは自分の知ってるものしか見えていないんですね。でも一度気づいたり、知ったりしたら、それが「見える」ようになるのだ。

見ているものを認識するには、神経回路が経験によって訓練されなければならないのである。(p23)

天竜沼を散策

ふもとまで降りてくると、もう15時でした。二時間も登山していたらしい。次に松山湿原に来るときは、もっと早く家を出ないとだめですね。こんなスケジュールでは、湿原でゆっくりしていたら日が暮れてしまう。

それでもこの日は、まだちょっと時間があったので、ふもとの天竜沼を散策してから帰ることにしました。

天竜沼のまわりにはバリアフリーの遊歩道が設置されていて、かなりきれいに整備されているので、体力のない人でも気軽に散策できます。

この遊歩道の感じ、なんとなく、わたしが昔、修学旅行で北海道に来たときに見た、紅葉の美しい湖を思い出させました。きっと秋に来たらすばらしいんだろうな。

池の周囲には巨大なミズバショウが。

 手のひらのサイズの二倍くらいありますね! ミズバショウってもっと可愛らしい花なイメージがありましたが、ここ道北のあちこちに群生しているミズバショウはでかい。考えてみれば、世界最大の花のショクダイオオコンニャクも、ミズバショウと同じサトイモ科なんでした。

遊歩道は、湖を半周できるほどの距離が続いていますが、残りの半分は森の中の獣道になっていました。探索してみたいところだったけど、倒木が道を塞いでいたし、さすがに疲れていたので、途中で引き返しました。

湖の澄んだ水に映る、スカイブルーが美しい。

湖のほとりには、ピンク色の可愛らしい花が咲いていました。

あとで教えてもらったところではショウジョウバカマというんですって。特に珍しい花ではなく、湿ったところに広く分布している花のよう。

天竜沼のほとりは、比較的きれいに整備されていて歩きやすいし、静かでだれもいないし、森と湖の澄んだ空気が味わえるし、なかなか良いところでした。

登山する体力のないお年寄りなどでも、自動車で連れてきてあげたい「秘境」だなと感じました。

ちなみにすぐ近くにトロッコ王国という観光スポットもあるのだけど、16時で終わるので無理でした。やっぱりもっと早起きしないと…。

そこは自然の“図書館”だった

こうして、ひととおり散策して満喫したところで、名残惜しいけど帰ることに。わたしたちが来ているあいだ、他の観光客は誰も来ませんでしたし、美深-雄武線に出るまでの一車線のみの山道も、だれともすれ違わず。

やっぱり秘境なだけあって、訪れる人もめったにいませんね。もう少し近ければ、毎週でも来たい場所なんだけど(笑)

北海道に引っ越してきてからいろんな場所に遊びに行っていますが、その中でも今回の松山湿原(への登山道)は一二を争うほど好きなところでしたね。

どうも、わたしは観光スポットとして有名な、一面のヒマワリパークとか、シバザクラの丘とか、コスモス畑とかは全然楽しめないみたいです。

一種類か数種類しかない花畑は、最初にひと目見たらきれいだけど、それで終わってしまう。すぐに飽きて楽しめなくなる。

どうやら、昔のわたしを含めて、現代の都会人は、「自然ではないもの」を「自然」だと思い込んでしまっていると思います。

緑地公園、植物園、動物園、水族館、花畑。「自然好き」をアピールする人たちは、そういう場所が好きだといいますが、それらは自然などではない。自然を模した人工物です。自然を切り売りし、加工した商品ともいえる。

それに対して、松山湿原のあたりは、自然林らしき歴史ある森が残っていて、自然が長い月日をかけて作り上げた入り組んだ生態系が非常に楽しい。探せば探すほど新しいものが見つかるし、じっくり観察すればするほど発見と驚きがある。こんな場所であれば、一日中だって入り浸りたいところです。

わたしが好きなのは、コケの自然誌 に書かれているような、こんな感覚なんですよ。

植物を集めてまわり、植物の根や葉で籠をいっぱいにするのが私は大好きだ。エルダーベリーの実が熟れた頃とか、たっぷり油を含んでベルガモットが熟した頃など、大抵は特定の植物を念頭に置いて採集に行く。

だが本当は、ぶらぶらと歩くことそのものが、何か他の物を探しているときに思いもかけないものが見つかったりするのが楽しいのだ。

その感覚は図書館でも同じだ。それはベリーを摘むのと本当によく似ている―穏やかな本の草原で何かを探して意識を集中する。そして、どこかの茂みの中に隠された知識には、見つける価値があるのだ。(p163)

わたしも図書館に行くのは大好きですが、まさにここに書かれているように、図書館と森はよく似ています。図書館はぶらぶらと書棚を見て回って、思いがけない本を発見するのが楽しい。森もまたしかり。そういう楽しみは、特定の種類の花だけを一面に植えて、目当ての花を見つけたらそれで終わりの花畑では味わえません。

図書館がまだ見ぬ知識の宝庫であるように、森もまた知らない知識の宝箱でもある。そこにいると、自分がいかに何も知らないまま生きてきたかを思い知り、謙虚にさせられます。

普通の花畑などだと、目に見える虫や花の種類は限られていて貧弱な生態系ですが、この松山湿原だと、身の回りに数えきれないほどの動植物がいて、飽きさせられません。かえって、自分があまりにも何も知らないことに圧倒される。

ネイティブアメリカン伝承の最初の人ナナブジョも、ユダヤ教聖書の最初の人アダムも、最初に与えられた使命は動植物をよく観察し、名前をつけることだった。

わたしは最近、森のなかに立っているとき、自分がそれと似たような状況にいるように思えます。だってまわりにこんなにたくさん生き物がいるのに、都会で生まれ育った自分は、何一つ知らないんですから。この自然の図書館でわたしはもっと学ばねばならない。

まだまだ知らない動植物ばかりだけど、ちょっとずつでも名前を知るようにして、まずは顔見知りになりたい。そして、名前を知るだけでなく、しっかり生態なども理解していきたい。まだまだ道のりは長いし、やりたいことは山のようにあります。

それに、わたしの体調も、この前行った人工的なシバザクラの丘だと、かなり具合が悪かったのに、ここのような本物の自然のある場所ではかなり元気です。山登りしても平気。きっと、さまざまな種の植物から出るフィトンチッドとか、森に棲む多様な微生物などが体に合ってるんでしょうね。

やっぱり森林浴はなぜ体にいいか (文春新書) で宮崎良文さんが書いていたように「人の生理機能は先天的に自然対応用にできている」のだと思う。いかに現代人が自然から遠ざかってもわずか数世代で別の生き物にはなれないし、体のつくりが変わるわけでもないのだから。(p120)

今回は残念ながら湿原まではたどり着けませんでしたが、道中だけで、充分に満足でした。湿原の生き物を観察する楽しみは、次回訪れるときまで取っておきたいと思います。

というか帰ってきてから調べてて見つけたんだけど、ガイド付きトレッキングツアーを申し込んだりできるのか! やっぱり詳しい人の解説聞けたらより楽しめますよね。価格も2人以上は一人1000円と非常に手頃!  

次回は友だちを誘ってみんなで行ってみようか。またそのときには体験記を書きたいですね。

だけど先に登山用の装備をちゃんと買わなきゃ…。そのためには東川町まで出てMont-bellに行かなきゃだし…。本当にやることがいっぱいです(笑)

投稿日2019.05.26