皆さんは「中動態」って知っていますか? 最近はやりのフレーズなので、どこかで聞いたことにある人もいるかもしれません。この耳慣れない言葉を広めたのは、 2013年の芸術の中動態―受容/制作の基層と、2017年の中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)の二冊かな、と思います。特に今年の後者の本で有名になってきました。
「能動的」か「受動的」か。そんな白か黒かみたいな考え方は、わたしたちの文化に広く浸透しています。ポジティブかネガティブか、外向的か内向的か、積極的か消極的か、自分の意志で行動するか、他人の意志に振り回されるか。たいていわたしたちは、その二種類の思考で考えるものです。
わたしみたいな敏感で慎重なHSP系の作家さんだと、大人しい、内向的、後ろ向き、受け身、内気、自己主張が苦手、などという、「受動的」側のレッテルを貼られてしまう人が少なくないのではないか、と思います。この世の中では、「能動的」であるのはよいことだが、「受動的」であるのは悪いことだ、とみなされるので、あまりいい評価ではないですよね。 文章ではやたら自己主張しているわたしですが、リアルではなかなか意見を言えません(笑)
けれども、この能動的か受動的か、という二項対立の考え方は、ずっと昔からある概念ではないのだそうです。それを教えてくれるのは言語学という学問。今わたしたちが学校で習う言語は、「能動態」か「受動態」の2つがメインですが、なんともともとは第三の立ち位置の言葉、「中動態」があったのだそうです。それどころか、古い言語だと、「受動態」なんて存在しなくて、「能動態」と「中動態」の2つだった、とまで言われています。
バンヴェニストはさらに興味深い事実を伝えている。能動態と受動態の区別が新しいものであるとはどういうことかと言うと、かつて能動態でも受動態でもない「中動態 middle voice」なる態が存在していて、これが能動態と対立していたというのである。
すなわち、もともと存在していたのは、能動態と受動態の区別ではなくて、能動態と中動態の区別だった。(p34)
これはつまり、昔の人は、能動的か受動的か、ポジティブかネガティブか、という、わたしたちの世の中では当たり前の考え方をしていなかった可能性がある、ということです。その代わりに、能動的か中動的か、という考え方をしていました。
能動と受動の区別が、かなり無理のある強引な区別であるのは、そもそもそれを発生させている能動態と受動態の区別が少しも普遍的ではなく、それどころか歴史上新しいものであるからではないだろうか? (p35)
こんな書き方をしても、わたしたちの文化では中動態という概念からして失われているので、なかなかピンとこない人が多いと思います。でも、古代において受動態ではなく中動態がメインだったのだとすると、今の世の中で、受動的とか内向的とかいったネガティブなレッテルを貼られやすいHSPの人たちに、なんだか別の見方ができるような気がしてきませんか? そして、芸術の中動態―受容/制作の基層という本のタイトルが示すように、この能動態でも受動態でもない中動態という考え方は、芸術の創作と深い関係があります。
この記事では、今の文化からはほとんど失われてしまった「中動態」とはどういう考え方なのか見てみましょう。正直いうと、今回挙げた二冊の本は、どちらも哲学者の方が書いている、やたらと難しい内容だったので、わたしの理解が言語学的に正確かはわかりません。微に入り細をうがつ学者さんから見たら、たぶん理解が適当すぎると言われてしまうと思います。
でもこの記事では、そんなきっちりとした学問からは離れて、中動態という言葉が象徴する文化と、その考え方のほうに焦点を当てて、それがHSPの人の生き方や創作にどう役立つのかを、エッセイ風に考察していきたいと思います。
奥ゆかしく慎ましい中動態
まず説明がいるのは「中動態」ってなんだろう、という部分でしょう。簡単に言えば、能動態でも受動態でもない、その真ん中のこと。厳密にはもうちょっと複雑なのですが、最初の入り口としてはそれくらいの理解がわかりやすいでしょう。
たとえば中動態とは、「自分でやった」でも「他人にされた」でもない、中間です。一般に、わたしたちの感覚から言うと、「勉強する」とか「掃除する」は能動的。「勉強させられる」とか「掃除させられる」は受動的。自分から進んで取り組むのは能動的。相手から強制されるのは受動的。そんな区別をしていますよね、
でも、その中間だってあるはずです。たとえば、大好きな先生から勉強するよう励まされて、その気になって勉強する場合。お母さんから掃除するよう言われて、納得して掃除を頑張る場合。もともとだれかに命じられたわけだけど、いやいや強制されるのではなく、喜んでそれに応じるようなとき、わたしたちは能動的でも受動的でもない、その両方を含む第三の考え方をしています。
能動態、受動態というのが、文法についての用語だということからわかるとおり、「中動態」というのも文法のひとつです。わたしたちが学校で倣う言語には、日本語にしても英語にしても、能動態と受動態しかないような教えられ方をしますが、昔の言語にはちゃんと3つめの中動態がありました。日本語で言うと、「見る」は能動態、「見られる」は受動態。それに対し「見える」や、日本の古語にある「見ゆ」は中動態だといいます。自分から能動的に「見る」のとも、だれかから受動的に「見られる」のとも違う、自分の意志で見てはいるけれど、あたかも向こうから風景が目に自然と飛び込んでくるような、能動的でもあり受動的でもあるというニュアンス、それが「見える」や「見ゆ」です。
中動態は、いまの言語では存在感が薄くなっていますが、ちゃんとまだ日本語の中に根付いています。例えば、「あの頃のことが懐かしく思い出される」という婉曲表現。自分から頭をひねって「思い出す」でも、トラウマみたいに無理やり「思い出させられる」でもなく、その中間的なニュアンスです。どこか受動的でありながら、それでもちゃんと自分の意志で能動的に思い出している、日本古来の奥ゆかしい、と言われる表現の多くは中動態のニュアンスを持っています。
繊細な人は、こうした物腰柔らかい、婉曲表現を好む人が多いと思います。「~だと考える」「~だと思う」といった能動的な表現を使うと主張が強すぎる、でも、「~だと考えさせられる」「~だと思わされる」といった受動的な表現だと、なんだか無理やりそうさせられたみたいで語感が悪い。そんなとき便利なのが「~だと考えられる」「~だと思われる」といった中間的な表現です。
わたしが学校で文章の書き方を習ったときは、こうした婉曲表現を使わず「~なのだ」「~です」といったはっきりとした物言いをするよう教えられました。でも、わたしはそれにずっと疑問を持っていました。物事をはっきり主張するときは必要です。でも、相手が受け入れにくいような目新しい意見を、あまりにはっきり主張しすぎるのは、空気が読めていない自己中心的な文体に思えました。(この「思えました」という言葉もまた語感を和らげる中動的な表現の一例ですね)。自分の意見を主張するけれど、強硬な言い方ではなく、物腰柔らかに控えめな言い方でワンクッション置く、それがもともと日本語に含まれている美学であり、能動態でも受動態でもない「中動態」ならではの魅力です。
わたしの学校の先生が、中動態や婉曲表現をあまりよく思わず、歯に衣着せぬ能動態を中心にした文章の書き方を教えようとしていたのは、最初に書いた、今の世の中の風潮が関係しているのでしょう。現代社会では、中動態という概念が失われ、なんでも能動的か受動的か、ポジティブかネガティブかの二項対立で考えられるようになりました。そうすると、受動態のなよなよしい文章は主張に欠けるので、能動態のはっきりした文章を使いましょう、ということになってしまいます。
しかし、本当に必要なのは、相手の気持ちにもしっかり配慮した上で、自分の意見を伝えられる人材ではないでしょうか。能動態ばかり使う文章は、北風と太陽で言うところの北風みたいなもので、自分の意見ばかり強硬に主張しすぎて、共感性に欠けているように感じます。自分の意見を主張したところで、相手の心を動かせなければ何の意味があるでしょう。それに対して、適度に婉曲表現を用いつつ、物腰柔らかに相手を説得していく中動態の文章は、太陽に例えられるでしょう。自分の意見を主張しつつも、相手が受け入れやすいようにわざと勢いを和らげるのです。
この奥ゆかしさ、控えめさ、という中動態が持つ美徳は、敏感の作家の感性にしっくりきます。繊細な人は、相手の気持ちをありありと想像できるので、あえて自己主張しすぎないよう気をつけることも多いからです。
HSPの人の控えめさは、今の時代の能動態か受動態しかない二項対立の価値観だと、受動態の側だとみなされてしまいがちです。でもそれは間違いだと思います。控えめさ、慎重さというのは、受け身で自己主張に乏しい、という性格ではなく、日本古来の伝統を受け継ぐ、奥ゆかしさという美徳、中動的な感性です。
HSPの人の繊細な感性は芸術家に向いていると言われますが、芸術において、主張しすぎず、控えめであることが、見る人に最も訴えかける、ということを示す面白い例がありました。先日の記事で引用した、ファージョン自伝―わたしの子供時代 でに書かれている、エリナー・ファージョン(ネリー)のおじいちゃんで名優でもあった、ジョー・ジェファーソンについてのエピソードです。
ジェファーソン氏の演技を見たことのない者には間をとるということや感傷を控えめにするということが芸術性において重要な価値を持つということを考えてみることもできないであろう。
…我々観客は、この役者の絶妙な間のとり方の例を無数にとり上げることができる。けっして急いだりあわてたりすることはない。あらゆる目線、どのためらいにもそれないの意味がある。
それらの演技は皆じつによくこなれているので、まったく生のままで演じているように見える。
しかし、これこそが芸術なのだ。
動揺の価値を、この役者のごく控え目な悲哀の表現にも見出すことができる。悲痛な場面をことさら煽り立てるようなことはまずもってない。
それは心臓に流れこむ血液のようにやってきてはまた去っていく。涙を振り絞らせたり。効果をねらって無理強いさせるようなことはなにもない。悲哀は草の葉におりた朝露のように、いつの間にかそこにおりてきて、見ているうちにゆっくり消えていく。
…その真実味は見る人の心を揺り動かし、その美しさは心の琴線に触れるのだ」(p144-145)
これは当時の論評からの引用だそうですが、ここでは「感傷を控えめにするということが芸術性において重要な価値を持つ」と書かれています。さらには「これこそが芸術なのだ」とも。
わたしも朗読をするときにずっと感じていたことなのですが、あまり慣れていない読み手は、感情を大げさに表現しすぎるきらいがあります。そのせいで聞いていると、力みすぎていて「気持ち悪い」という違和感を感じます。
ハープの弦を弾くときには、力いっぱい弾くのではなく、優しくしなやかに弾くと美しい音が出るものですが、心の琴線に触れるのもそれと同じです。芸術の感情表現は、少し抑えめ、控えめにするくらいがちょうどよく、最も自然に見る人聞く人の琴線に触れます。
わたしは自分の書いた文章を見直して推敲するとき、たいてい勢いを削って整える方向で調整します。より自己主張を強くするのではなく、あえて力みすぎたところの勢いを削ります。能動態で書かれた文章を中動態にすることがよくあります。そうすることで、空気の読めない勢いだけの文体から、こまやかに読む人の心に触れる文体へと、角を削って丸みを持たせられると思っています。まだまだ偉そうなことを言えるほど緩急自在ではありませんけれど。
責任の所在があいまいな中動態
中動態が奥ゆかしく繊細だと言うと、良いことづくめに聞こえますが、文化において、何かが廃れていってしまうことには十分な理由があるものです。言語の中で中動態の表現が廃れて、能動態と受動態の二項対立になってしまったことには。もっともな理由があります。
中動態は、角を丸めて勢いを和らげ、控えめにするという文法表現ですが、それは裏を返せば婉曲的にする、あいまいにする、責任の所在をなあなあにしてしまう、ということを意味しています。自己主張が和らげられるということはつまり、自分と他人のどちらが主で、どちらが従である、という主従関係をあいまいにしてしまう、ということです。
日本語でいえば、中動態の考え方は、さっき挙げた言い方のほかにも、こんな表現にも現れています。
つい~してしまった
仕方なく~を選んだ
~せざるをえなかった
~されるがままにする
どれも、あまりいい意味を感じませんよね(笑) さっきの婉曲表現と同じで、能動的でありながら受動的でもある表現ですが、自分でやったにもかかわらず、なんとなく責任の所在をあいまいにして、言い訳しているかのように感じられます。これが中動態の持つ負の側面です。
中動態の名残りがまだ色濃く残っている日本語に比べ、英語は中動態があまり存在しません。英語では、主語がはっきりしていて、だれが主体かがはっきりわかる構造になっています。そのせいか、英語圏では、責任の所在を明確にすることが好まれます。だれが悪いのかはっきりさせろ、ということです。
対照的に、中動態の名残りが残っている日本語では、主語がはっきりしない文がよく見られます。だれがやったのかがぼかされています。婉曲的に表現することで、責任の所在をあいまいにし、表現の強さを意図的に和らげているのです。それは日本古来の奥ゆかしさとか、個々の人の責任をあまり強く追求しすぎず集団責任として捉える、という文化とも関係しているのでしょう。こうした考え方は、アメリカ流の個人主義が広まりつつある現代では好まれなくなってきています。
今回読んだ本でも、社会が大きく複雑になって、犯罪者を処罰する必要に駆られるとともに、本人の責任か否かを判断するために、必然的に中動態は歴史の表舞台から追いやられ、白黒はっきりつける能動態と受動態の二項対立が広まっていったらしいことが書かれていました。アメリカ社会でキリスト教的な「罪」の概念が根強く、日本では仏教や神道的な「和」の概念が根強いのは偶然ではないと思います。。
本来、中動態にみられる奥ゆかしさ、責任の所在をあいまいにすることで語気を和らげる慎ましさには、相手の心に共感し、傷つけるのを防ぐというメリットもあるはずです。しかし、社会が個人主義になり、個人や企業の罪を冷徹に問う必要が生じると、中動態が持つ慎ましさは手ぬるさや臆病さとみなされるようになってしまいました。
中動態が表舞台から消え。能動態か受動態か、という構図になってしまったことには、ここ100年ほどのあいだに学校教育が普及したことも関係しているはずです。学校が一般化したことで、子どもたちは、能動的に教える側(教師)と、受動的に学ぶ側(生徒)という関係を、幼いころから教え込まれるようになってしまいました。
学校では、子どもは権力に従うべきで、口出しすることは許されないという姿勢を学んでしまいます。本来はそうでないほうがいいのてすが、どうしてもそうなっていってしまいます。子どもにとって学校は、この社会が能動態と受動態の二項対立で作られているということを「隠れたカリキュラム」として教え込まれる場所です。命令するか従うかどちらかだ、という白か黒か思考の中で育った子どもは、のちのち社会に出ても、家庭を持っても、同じやり方を繰り返してしまうかもしれません。
もうひとつ挙げるとしたら、学問の研究が生まれたのも、中動態が表向き廃されていったことと無関係ではないでしょう。中動態の婉曲表現は、文学と芸術の世界では今でもこよなく愛されていますが、学会や論文ではあまりよく思われませんから。
こうした様々な要因によって、文化から中動態が消え失せ、能動態か受動態か、という二項対立の考え方が当たり前になってしまったせいで、もともと中動態寄りの考え方をしがちな、繊細で感受性の高いHSPの人たちは、社会において居場所がなくなり、弱い人たち、受動的で内気で自己主張に乏しい人たち、とみなされるようになってしまいました。
今の世の中ではHSPの人は生きづらさを感じやすく、苦労しがちですが、歴史を通じてもともとそうだったわけではないはずです。たぶん、文化の中で中動態の考え方がまだ根強く、言語表現の中でも「見ゆ」や「思ゆ」といった中動態が生きていた時代なら、繊細な感受性を持つ人たちは今より重宝されていたのではないでしょうか。
けれども、わたしたちは、言葉で考えます。言葉にない概念は、考えることができませんし、気づきさえしません。言葉から中動態が失われていけば、中動態が担っていた概念もまた失われていきます。
例えば、ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観に書かれている、アマゾン奥地のピダハン族という少数民族が使う言葉には、時制の表現がないそうです。未来時制とか過去時制の時制ですね。そのせいで、この言葉を話す人たちには、時間の概念がありません。彼らは過去の物語も持たず、将来の夢も持ちません。だから神の概念も数の概念も持っていませんでした。今、この瞬間に生きて感じていることがすべてなのです。
時間の概念がない、なんてことは、わたしたちからすれば信じがたいですが、それを表す言葉がなければ概念さえ消えてしまうことを示す証拠です。そうであるなら、中動態が文法から表面上なくなってしまい、能動的か受動的か、という区別でしか人々が考えられなくなれば、中動態が担っていた慎ましさや奥ゆかしさという感覚も失われていきます。
能動的でもあり受動的でもある、という複雑な味わいの概念がなくなってしまえば、HSPのような人たちが持つ慎ましやかな性質が理解されにくくなり、代わりに欠点とみなされてしまうようになります。文化の中にそれを表す言葉がなければ、はみ出し者でしかないからです。HSPの人たち自身も、自分で自分を理解するための言葉を見つけられなくなっていくので、自分たちが何者かわからなくなり、自尊心を失いやすくなってしまいます。
HSPという言葉を作ったエレイン・アーロン博士が、ひといちばい敏感な子の中でこう書いていたのは、文化から中動態が失われ、能動態と受動態だけになっていったこととつながっている気がします。
昔から、敏感なタイプの人は、科学者やカウンセラー、宗教家、歴史家、弁護士、医師、看護師、教師、芸術家などの職についてきました。
しかし、次第にそういった分野からは追い出されつつあるようです。その原因は、敏感でないタイプの人が、どんどん意思決定を担う立場になったことでしょう。このタイプの人は生まれつき何かを慎重に決めるということをしませんし、質を落とさないことや、長期的に見た結果よりも、目先の利益や、分かりやすい成果を重視します。
…敏感な人は、その存在価値を認められず、決定権も与えられません。我慢するか、去っていくしかありません。そして、敏感でない人がさらにその職業での主導権を握っていく、という一連のサイクルができてしまうのです。(p47-48)
白か黒かはっきりさせよう、責任の所在を明確にしよう、利益が出るか利益が出ないかのどちらかだ、そんなわかりやすさが重視されるようになったせいで、あいまいさや奥ゆかしさを美徳とするHSPの人たちには居場所がなくなってきているのです。
芸術は自分で作るもの? だれかに作らされるもの?
では、それなら、HSPの人は、あいまいで奥ゆかしい中動的な考え方を捨てて、今の社会でよしとされる能動的か受動的かの二項対立の価値観を身につけるべきなのでしょうか。何事も白か黒でばっさり決めつけ、その中間にあるかもしれない考え方、たとえば、物事には悪いところも良いところもある、という考え方や、どんな人でも良い点と悪い点がある、というバランスの取れた見方を捨てるべきなのでしょうか。
わたしにはそうは思えません。たとえ社会が、能動態と受動態のどちらかを求め、白黒はっきりさせることを好むとしても、日本古来の、そして世界のさまざまな文化にも古来から伝わってきた、中動態という文法と、それが表す概念には、必ず良いところがあると思うからです。
特に、わたしが重要だと思うのは、芸術の中動態―受容/制作の基層 で書かれているように、芸術家には、中動態の感性がどうしても不可欠だ、と思えることです。HSPの人たちが芸術に向いていると言われるのは、もともと中動的な感性を生まれ持っているからではないでしょうか。江戸時代の「わびさび」の文化が芸術的なのも、当時の文化に中動態が根付いていたからではないか、と思います。
芸術が中動的だといえるのは、芸術はその本質からして、能動態でも受動態でもないからです。過去の考察で何回か触れていますが、芸術家は画家であろうか詩人であろうが作曲家であろうが、「だれが」芸術を作るのか、という部分について、あいまいな感覚を持っている人が少なくありません。
「詩神の訪れ」(ミューズ)や「漫画の神様からアイデアが降ってくる」という表現に代表されるように、芸術とは自分で一から十まで考えるものではなく、どこからともなくもたらされる着想と、自分の努力との共同作業で創り上げるものだ、と感じる芸術家は多いでしょう。
例えば、最近よく引用しているファージョン自伝―わたしの子供時代 のネリー・ファージョンは、夜中の空想がどこからともなく立ち現れ、劇場のようにひとりでに物語をつむいでいくのを感じていましたし、わたしもそうです。
ネリーは、自分の創作のアイデアがどこからともなく湧いてきてコントロールできないことを書いていました。
まだ少女だったころから、わたしのところに恍惚感は訪れたかと思えば消え、また訪れては消えていった。わたしが作品を書くという作業も、いわば方法も時も選ばずに気ままに行なわれてきた。(p605)
11歳のころに「カオスに捧ぐ」という格調高い詩を書いたときには、突然アイデアが天から降ってきました。
11歳になったとき、ファージョン嬢は深い深い意味のこめられたある神話を読んでいて、そこにカオスについて書かれてあるのを見た。その神話というのは、カオスという神が無秩序のなかから秩序を創造されたという話であった。
いままで知らなかったまったく新しいこの考え方が、彼女の想像力を大いに刺激した。ファージョン嬢は、カオスの名誉をいまこそ回復すべきだと感じ、すぐさまそれを実行してしまおうと決心したのである。
それは、ライシウム劇場で『リシュリュー』の公演が行なわれようという夕べのことで、まもなく外出のためにドレスに着替えるところだった。
けれども、ふつふつとたぎっている霊感を覚ましてしまうなど、もってのほかである。そこで、紙と鉛筆を大理石を埋めこんだ洗面台に置くと、顔を洗ったり、髪をとかしたりの作業を左手で行なっているあいだに、右手で作品を書いていった。(p532)
突然すばらしいアイデアが降ってきたら、それを逃すわけにはいきません。アイデアはふとひらひら訪れる蝶のようなもので、その場で捕まえないと、瞬く間にどこかに飛び去ってしまうものですから。だからこそピカソもベートーヴェンも、いつもメモ帳を持ち歩いて、アイデアを捕まる虫取り網を構えていたのではなかったでしょうか。
ところで今、わたしが時計を見上げると、真夜中の三時過ぎでした。好き好んでこんな夜更けに文章を書いているわけではないですし、どちらかといえば、今は絵を描くアイデアがほしいと感じます。でも、たまたま深夜に目が覚めたところにビビッと降ってきてしまったので、今が何時であろうが、求めているアイデアでなかろうが、予定と全然違っていようが、この記事を書かずにはいられなかったのです。わたしもネリーと同じく、これまでのありとあらゆる創作を「方法も時も選ばずに気ままに」行なってきました。わたしは自分の意志で、つまり能動的に創作しているというよりは、何かに突き動かされて受動的に創作しています。でも創作しているのはわたしなので、一番しっくりくるスタンスはその中間、つまり中動態です。
興味深いことに、ネリーは「まだ少女だったころから、いわば方法も時も選ばずに気ままに」創作してきたのは、学校にいかなかったせいではなかろうか、と続くところで書いています。
まだ少女だったころから、わたしのところに恍惚感は訪れたかと思えば消え、また訪れては消えていった。わたしが作品を書くという作業も、いわば方法も時も選ばずに気ままに行なわれてきた。
わたしは依然としてすべてを書きつくしてしまうことを強く望んでおり、どこで取捨選択をしたらよいやら迷ってしまうのだ。
わたしが規則正しく秩序立てた教育というものを受けていたならば、どのように、なにを選びとればいいのかを習得することができていたのだろうか。
…わたしには法則というものがなにひとつ身につかなかった。書くことに法則などなく、ただ個別の例がいくつかあるのみであるように思われるのだが、それはおそらく、わたしが法則というものを一切習得しなかったためであり、わたしの書いてきたものそのものが、そのただひとつの具体例となるのだと思う。(p605-606)
ネリーは一度も学校に行かずにホームエデュケーションで育ちましたが、それが法則を身に着けず、気ままに好きなときに好きなことを書くスタイルにつながったのではないか?と言っています。わたしは学校に行きましたが、学校の教え方は肌に合いませんでした。わたしもネリーと同じく「すべてを書きつくしてしまうことを強く望んで」いるので、毎度毎度、記事が長くなります。でも、せっかくミューズから降りてきたアイデアを、書き尽くさないなんてもったいないことはできません。
さっき書いたように、わたしは現代社会から中動態が失われたことには、学校教育がかなり関係していると踏んでいます。学校は、自分の意志で自分をコントロールし、法則を身につける場所です。教室にいるときには勉強以外のことを考えるのは許されません。突然アイデアが天から降ってきたからといって、いきなり創作をすることなど許されません。わたしは学生時代、小説のアイデアが降ってきたら授業そっちのけでアイデアをメモしていましたが、そんなことをやっているから突然先生に当てられて頭が真っ白になってしまうという恥ずかしい罰に遭わされてしまいます。
学校は、どこからともなく命じられた声に従って創作する、といった中動態のような態度を許してくれません。もちろん、学校にはいいところもありのますが、狭い教室の中に座らされる子どもたちは、やがて虫取り網を持って原っぱを駆け回ることも、心の中に訪れるアイデアを捕る方法をさえも忘れてしまうのではないでしょうか。
前に読んだ本でピクサーの社長のエド・キャットムルが言っていたように、まだ低学年のころの子どもは自由でユニークな絵を描けるのに、教育を受けるにつれて創造性が枯れてしまうのは、どこからともなく湧いてくるインスピレーションに打たれて、自分の意志の外で創作するという中動態の感性が、教育によって弱まってしまうからではないかと思います。
能動的でも受動的でもない第三の生き方
芸術の中動態―受容/制作の基層 で書かれているように、芸術には、どうしても今や失われつつある中動態の感性が必要です。芸術家は、能動態と受動態だけの世の中では、流れるインスピレーションを受けて創作し続けることなどできません。
芸術とは、そもそも自分のエゴだけで作る独りよがりなもの、ただ能動的なものではありません。かといって、今の社会で急増しているような、会社の意向を受けて、ただ下請けのように相手が望むものを納品するような、ただ受動的なものでもありません、そのようなものが芸術だとかクリエイティブだとか思われているとすれば、世の中から中動態が失われきってしまったことを哀しむしかありません。
芸術家は、空気の読めない自己主張をしている存在ではありません。その敏感な感受性をもってして、この世界のリアルタイムの空気の読み取り、それを自分なりの作品へと加工しています。自分の意志で創作しながら、時代の空気にも、人々のニーズにもマッチしている、そんな能動的でもあり受動的でもある感性の持ち主こそが、真のクリエイターそして、芸術家なのだと思います。
そういえばあのサルバドール・ダリは、「流行とは何ですか?」と訊かれたとき、流行とは「流行遅れになるということだ」と答えたと言われています。敏感な感性で時代の趨勢を感じ取るものの、自ら先んじて新しいものを生み出すさまは、受動的でありながら能動的、能動的でありながら受動的という、中動態の本質を突いているように思います。日本古来の武道では、相手が先に仕掛けてきたのに こちらが先手を取っているという「後の先」という概念がありますが、これもまた古くから伝わる中動態の感性かもしれません。先か後か、攻めか受けか、能動的か受動的かでは分類できない阿吽の呼吸がそこにあります。
現代社会で当たり前のものとして受け入れられすぎている、能動的か受動的か、ポジティブかネガティブか、積極的か消極的か、自己主張か得意か苦手か。そんな白か黒かに当てはまらない、より複雑で味わい深い考え方こそが中動態であり、中動的な考え方と、芸術的感性は切っても切れないつながりを持っているのです。
心理学者のミハイ・チクセントミハイは、クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学 の中で、創造的な人とは、矛盾する両極端の両方を持ち合わせている人だと述べていました。
創造的な人は状況に応じて、同時に積極的かつ協調的であったり、あるいは、あるときには積極的で、あるときには協調的であったりする。(p64-65)
今回考えてきたように、創作好きなHSPの作家さんは、この中動態という概念を知っておくと、生きやすさの点でも、創作の点でも大いに役立つと思います。能動態と受動態しかない世界では足場がなくとも、中動態という第三の立ち位置があることを知れば、自分のアイデンティティを確立するときの土台になるのではないでしょうか。
わたしの場合でいえば、わたしは自分は特定の色がない透明な存在だと感じていますが、その柔軟な立ち位置、悪く言えばどっち付かずながら、よく言えば両極端を内包した立ち位置こそが、じつは中動態という足場に立つ、ということだとすれば、自信を持てます。
言葉や概念から中動態が消えてしまい、表向き能動態と受動態しかなくなってしまった今のような時代は、わたしを含め、どちらにもなれる中間の人は、どちらにもなれるがゆえにどちらにも属せず、居場所のなさや生きづらさを味わってしまいがちです。肩身が狭く、疎外感を味わいやすく、自己肯定感を抱きにくいはずです。
でも、能動態と受動態だけでなく、中動態という世界が、ここ日本にも脈々と受け継がれてきたということ、そして、今もひめやかに奥ゆかしく、文化の片隅に根付いている、ということを知ると、自分の居場所を見つけられるのではないでしょうか。自分の個性が、伝統と歴史のある慎ましやかな感性に属していることに気づけたら、自信を持って中動的な生き方を貫くことができるでしょう。
▽創作と中動態の関係について