[推理小説] 白の疑惑―翠河瑠香の挑戦


◆登場人物
翠河瑠香(みどりかわ るか)…冷静沈着、頭脳明晰な主人公
神名由梨菜(じんめい ゆりな)…主人公の親友
笹島恭三(ささしま きょうぞう)…大富豪
高倉健治(たかくら けんじ)…弁護士
實下筆子(さねした ひつこ)…秘書
加咲松佳(かさき まつよし)…医師
加津江(かづえ)…お手伝い

Act1.序 翠河瑠香の探検

彼女は翠河瑠香という名の少女であった。彼女は親友の神名由梨菜と共に、その日、ある老人の家に滞在していた。

その老人というのは、大富豪として名を轟かせている笹島恭三氏であり、この日、彼は何故か、自宅に知人やその他の人々を集めていた。瑠香と由梨菜もそのうちの一人であったが、何故招かれたのか全く見当もつかなかった。

その邸宅は、まるで西洋のシャトーの様で、巨大そのものだった。全体は四角く、真中に中庭を挟む形になっていて、周りは巨大な庭園だった。花々が綺麗に咲き乱れる中に聳え立つ、石造りの古城といった雰囲気で、どこか神秘的だった。内部ももちろんそれに見合った純西洋風で、一面に絨毯が敷かれ、燭台のような電灯から出る淡い橙色の光が、人々を取り巻いていた。人々は、その邸宅を物珍しそうに眺め回していたが、同時に並々ならぬ恐怖を抱いていた。というのは、この宅の主が、始終眉を顰めて、招待客を睨んでいたからであった。

そんな中、瑠香と由梨菜の二人の少女は、邸宅のある一室に入り込んで部屋全体を隈なく探り、何やら調べていた。その部屋は古ぼけて小ぢんまりとしており、中庭と反対側の棟が見渡せる場所にあった。

「一体、ここの主人は、何故私達にこんなちっぽけな部屋を調べさせるのかしら…?」
由梨菜は、丁寧に絨毯までめくり上げて床を調べている、冷静沈着な瑠香に訊いた。当の彼女は自分に向けられた質問とは思わず、床のタイルの隙間に細い指の爪を引っ掛けた。そして引っ張ったが、爪がパチッと音を立ててタイルから外れただけだった。

 由梨菜は訝しげにそれを見守っていたが、やがて自分も窓に寄って、その縁に手を当てて何かを探り始めた。彼女は瑠香を横目で見ていた。瑠香はあまりにも賢良であった。容姿は可憐なまでに美しかったが、殆ど表情は表さずにいた。それは彼女の才媛さを一層際立たせていた。実際彼女の学力は群を抜いたものだった。その彼女が、恥ずかしげも無く誇りだらけの床に屈み込んで、じっとタイルの隙間にルーペを当てているのは、実に奇妙な感じだった。

「由梨菜、ちょっと見て。ここよ……」と、瑠香は唐突に由梨菜を呼んだ。瑠香は、その大きく円らな、輝きを放つ黒い眸で、由梨菜をチラッと見やった。真っ直ぐな長い黒髪がふわっと翻った。
「なに? 瑠香、何か見つかったの?」と、由梨菜は興味津々に、瑠香の傍らに屈みこんだ。
「ここよ……」と瑠香は再度言い、タイルの一つを触った。そのしなやかな手はタイルの先端に伸び、それをめくり上げた。果たしてそこには奇妙な物が現れた。

 瑠香は物理学者、翠河達邦の娘、由梨菜は警視、神名黎明の妹。二人を呼び寄せた笹島は達邦の知人であった。笹島は、瑠香と由梨菜を呼んだ理由をその父と兄には一切喋らなかったし、当の本人も全く知らされていなかった。彼はただ瑠香と由梨菜が来るなり、この部屋を調べるよう言った。
瑠香は謎めいたこの事実に、一応の推理は立てていた。この奇妙な事実の解明をするにあたって、彼女が見た笹島の行動は、非常に興味深い物だった。彼は平静を保とうと努力していたが、観察力の鋭い彼女の目には、どうも何かにおびえているように見えた。

 多分に、彼は何か……例えば殺人や盗みの予告におびえているのだろう、と瑠香は考えていた。そしてその答えはこの部屋の中に有ると確信していた。見回すと、この部屋で床に密接しているものといえば巨大な本棚とテーブル、三脚の椅子だけで、本棚には溢れんばかりの本が詰まっていたが、どれをとっても大した価値はなさそうな本だった。ただ、テーブルの上の豪奢な金庫だけが、重厚な光を発していた。多分彼は、この金庫の紛失……すなわち窃盗を恐れているのだ。

そう考えた後、瑠香はタイルを引き剥がした跡を覗き込む由梨菜を見やった。なんとそこには、人がようやく通れる位の、長方形の通り穴が顔を見せたのだ。タイルの隙間に手を引っ掛けられる場所が有った。瑠香は由梨菜を見ると頷いて、その中へするっと滑り込んだ。そしてすぐに、「由梨菜大丈夫よ、中はかなり広いわ……」と声が聞こえた。

 四方八方石に囲まれ、暗澹とした通路の中に出た二人は、お互いの居場所を探りあった。
「瑠香、どこに居るの? 全く見えない……」
声を上げると、その音が反射して、まるで何人ものコーラスのように聞こえた。瑠香は答えて自分の居場所を示した。
二人は胸ポケットに懐中電灯を入れていたので、墨を流したような濃い闇の中でも足元には困らなかったが、驚くほど段差の多い通路で、何か追跡を逃れる時などもってこいというようなところだった。古代の王族の城や内戦地帯の家々などの地下にありそうな代物で、周りは石造りになっており、かなり古く感じられる。常識で考えれば現代富豪の家にこんな物があるとは不思議だが、この邸宅の構造を考えるとそうでもなかった。どこか中世の王室を思わせる部屋も有れば、所々に燭台のような電灯があり、金で縁取られた椅子などもあった。まさに中世のシャトーを模写したような物だった。これを見れば、抜け穴のような物があっても不思議ではない。富豪笹島家に先祖代代伝わる古来の城である。昔の城主がつくり出したのだろう。
「気をつけた方がいいわ、由梨菜。多分私達は何らかの犯罪に巻き込まれる事になるから」
と、瑠香は途中静かに言った。その言い方は、試練を前にした力強い者のようだった。段差の多い通路の中で、用心深くしていた由梨菜は、不思議そうに応えた。
「……何故なの……?」と。
しかし瑠香は答えなかった。ただ、闇を光の輪が照らしていく。瑠香は、何故警察ではなく、自分達にこんなことを頼んだのか、笹島の真意が読み取れなかったのだ。

 やがて二人は大庭園の井戸の中に出た。このような抜け道は井戸の中の出口が多い。頭上から眩いばかりの光線が降り注ぎ、二人は目を細めた。これから井戸を這い上がるのかと思うとぞっとした。二人は塔に幽閉された淑やかな姫君のようで、どうすれば這い上がれるのか見当もつかなかった。というのも周りは全て石で囲んであるし、下方は水が溜まっていて出るにも出られなかったのである。他に出口と思しき物もあるにはあったが大量の砂に埋もれていた。

瑠香と由梨菜は互いに顔を見合わせた。そして溜息をついた。
「とても出られそうに無いわね……ロープでもあれば、別だけど」と、瑠香は呟いた。

 結局二人は、抜け道を見つけたものの出られずじまいで、最初の入り口まで戻る事にした。その道すがら、由梨菜は瑠香に訊いた。
「何故笹島さんは私達二人にあの部屋を調べさせたのかしら……。『秘密の通路のような物が無いか調べてくれ……』って。それも用も告げずに呼び寄せておいて……」

由梨菜の問いに、瑠香は思案げに答えた。
「多分ね……彼はあの部屋――金庫室――にあった金庫の事が心配なのよ。私はお手伝いさんから話を聞いたんだけど、あの部屋に金庫を移したのはつい先日らしいの。つまりあの中には大金が詰まっていて、誰かがそれを盗ろうとしているのよ」
「だから私達に、部屋が安全で金庫を置くのに適しているか、調べさせたというの……?」
さらに訊く由利菜に、瑠香は肩を竦めて言った。
「わからない……でも何か起こるわ。気をつけていることだけは忘れないで…」