[推理小説] 画家は夕焼けの古城の絵を描いた―翠河瑠香の葛藤

Act10.翠河瑠香の推理

瑠香に促されて、一同は、再び中庭に集まった。こうしてこの面々で中庭に集まると、否が応でも昨日の混乱を思い出してしまう。みなが落ち着きなくそわそわと体を動かしている中、ただ一人、翠河瑠香だけが、風に長い黒髪をなびかせて、夕日が差し込みつつある古城の中庭の真ん中に、強い意志のこもった目で立っていた。

「みなさん、ありがとうございます。ここに集まってもらったのはほかでもない…」

瑠香は全員を見回してから、「古城のそで」を見上げて続ける。

「わたしたちが昨日ここで見たものについて、もう一度じっくり考えてみるためです」

「えっと…、瑠香、昨日わたしたちがここで見たものって…」 由梨菜は不思議そうに問う。

「あの『古城のそで』から飛び降りた怪盗のことですよね?」と不安そうに続けるエレーヌ。

「そう」 瑠香はそっとうなずく。

「昨日、みなさんがあの瞬間に立っていた位置に移動してみてもらえますか?」

「え、ええ…どうだったかしら…」

テレーズはマリーおばさんと顔を見合わせて、昨日のことを思い出そうとする。そして瑠香が促すままに、全員が、まばらにそれぞれ昨日の立ち位置を再現していった。

「そういえば…あたしたち、記念写真を撮ろうとしていたのよね」

「でも、あのごたごたで結局撮れませんでしたね」

昨日と同じように並んだマリーおばさんとエレーヌが話す。

「マリーさんは、もう少し右でしたね、ちょうどその噴水の後ろ側あたり」と瑠香が誘導する。

「そ、そうだったかしらね?」

「ええ。アルベールさんが言ってましたよね、マリーさんの顔が噴水で隠れ気味だから、ちょっと左側に寄るようにって」

瑠香はどうやら、かなり厳密にあのときの状況を再現しようとしているようだ。当時この場にいなかったエティエンヌだけは、脇に退いてみなを見守っている。

全員が昨日と立ち位置につくと、瑠香は夕焼けに染まり始めた「古城のそで」を見上げて、話し始めた。

「では…、皆さんが、昨日そこで見たことをもう一度話していただけますか?」

瑠香がそう促すと、それぞれ記憶の糸をたどり、ぽつりぽつりと回想しはじめた。

「えっと…わたしはここで、何か大きな音がバルコニーから響くのを聞いて…」と由梨菜。

「その音はみんな聞きましたよね、瑠香?」とエレーヌ。一同も周りのみなの意見を確かめるかのようにうなずく。

「そして?」 瑠香は続きを促す。

「そして、音に釣られてわたしたちがバルコニーのほうを見ると…」 テレーズが考えながら続ける。

「黒い人影が出てきバルコニーから海に飛び降りました…」 エレーヌが辛そうに顔をしかめて言った。

「そこをもう少し詳しく確認したいんですが」 瑠香が鋭く切り込む。「そのとき、マリーさんは、ちょっと違う印象を持ちましたよね?」

みんなが一斉にマリーおばさんを見た。

「あ、あら、やだわ、瑠香ちゃん、あたしを疑ってるの? あ、あたしは何もやってないわよ!」

マリーおばさんは手をわなわな震えさせて声を荒らげた。

「いえ、疑ってなんていませんから、ただ見たものを話していただきたいんです」

こんなときの瑠香は徹底的に冷静で落ち着いている。その雰囲気に気圧されて、マリーおばさんはしゅんとなり、小声でぶつぶつ話し始めた。

「う、うーん、そのね、昨日、刑事さんに見間違いって言われたんだけど…」 マリーおばさんの目が泳ぐ。

「あたしはなんとなーく、あの人影はバルコニーから海というより、もう少しこっちに…」 マリーおばさんはバルコニーを見上げながら言う。「バルコニーの手前側に飛び降りたように見えたのよね」

「で、でもそれじゃ中庭のほうに飛び降りたってことに?」 とっさにエレーヌが指摘する。

「いいのよ、エレーヌ。マリーさん、続けてください」 瑠香がエレーヌを制止して続きを促す。

「ん…え、ええ、それからあたしゃ犯人が海に飛び込むのを見て水しぶきが…。あれっ、でもここじゃ確かにそんなもの見えないわよねー?」 マリーおばさんはは混乱して頭を抱える。

「それなんですけど」と瑠香。「いま目の前に見えてるのがその水しぶきじゃないんですか?」

瑠香の指摘に目を上げたマリーおばさんは、目を丸くして「あらっ」と声を上げた。

「そういえば、この水しぶきを見間違えたのかしら」

マリーおばさんの目の前には噴水の水が吹き出していた。

「あのとき、少なくともわたしたちは水音を聞きましたよね。その音が目の前の噴水と結びついてしまって、あたかも犯人が水な飛び降りたのが見えたように記憶してしまったんでしょう」

「そ、そうかもしれないわね、やあね、記憶ってほんとあやふやで」 しどろもどろのマリーおばさん。

「でも…」と瑠香。「今回はその記憶が大事なんです。マリーさんが水しぶきを見た、と言ったことには確かに理由があったんです。それはマリーさんが一人だけ噴水の前にいたからでした。そうだとしたら、もう一つの奇妙な点にもしっかり理由があるはずですよね?」

瑠香は不敵な笑みを浮かべた。

「そ、それって、バルコニーから手前側に飛び降りたっていう話ですか?」 先ほどマリーおばさんの言葉を遮ったエレーヌが尋ねる。

「そうよ」と瑠香。

「でも…わたしたちは海側に飛び込むのを確かに見たと思うし…」 由梨菜は考えあぐねてテレーズたちの顔を見る。みなは同意するようにうなずいた。

「そこなの」 瑠香は確信をこめて肯定した。

「それぞれが見たものがほんの少し違うことが重要なんです」

瑠香は人差し指を立てて、念押しするように言った。

「噴水の後ろに立っていたマリーさんが見たものと、それより右のほうに集まって立っていた由梨菜たちが見たものがちょっと違うのは、視差があったせいだと思うの」

「視差?」 由梨菜は首をかしげた。

「そう。エレーヌは絵描きだから、よく分かると思うけど、視点の位置が違うと…」 瑠香は右の左に歩き回って位置を変えながら説明する。「同じものを見ていても、背景がずれて違う構図になるよね?」

「あっ、はい、確かにそうですね。運動視差って呼ばれるものですね。わたしがこうやって動くと…」 エレーヌも左右に移動しながら話す。「瑠香の背景が古城になったり崖になったり…あっ!!」

エレーヌは目を見開いて叫んだ。

「ど、どういうことなの? 瑠香ちゃん、エレーヌちゃん?」 おろおろして尋ねるマリーおばさん。

「そっか、瑠香の言おうとしていること、わかりました。マリーおばさんから見たら、あの人影が手前側に飛び降りたように見えたのは、わたしたちとマリーおばさんの立ち位置が違っていて、運動視差があったからなんですね。えっ…あれっ?でもそれだとおかしくないですか? 視差が生じるということは、人影はバルコニーじゃなくて、もっと手前、わたしたちの近くにあったことに…」

そこまで話して、エレーヌは何かに気づき、顔を歪めて凍りつかせた。

「えっ…えっ?」由梨菜が動揺して瑠香とエレーヌを交互に見る。

「エレーヌ…ごめんね」 瑠香は申し訳なさそうに詫びる。しかしはっきり強い声で続ける。

「でもここまで来たら、全部明らかにするしかないの」

「は…はい…」エレーヌは消え入りそうな声で答える。

「運動視差があれば」 瑠香は核心を説明し始めた。

「それぞれの視点、つまり今立っている位置と、それぞれが見た人影の背景を線で結べば、人影そのものがどこにあったのか、はっきりわかるはず」

瑠香はまず、エレーヌを指差し、

「エレーヌたちはバルコニーの左側の崖の下に飛び込む人影を見た」

エレーヌたちと「古城のそで」のバルコニーの左側を結ぶ線を空中に描いた。

ついで瑠香はマリーおばさんを指差し、

「そして噴水の後ろにいたマリーさんは、バルコニーの手前側に飛び降りる人影を見た」

瑠香はもう一度手を動かして、マリーおばさんと「古城のそで」のバルコニーを結ぶ線を空中に描いた。

「この二つの線はあるところで交差しています。そして、その交差したポイントこそ、わたしたちが本当に人影を見た場所です」

瑠香はそこを指差し、みながいっせいにその場所に注目した。

投稿日2017.06.27