[推理小説] 画家は夕焼けの古城の絵を描いた―翠河瑠香の葛藤

Act14.画家は何を見たのか

夕日が照らす中庭での短いようで長い緊張の時間。誰もが明らかになった真実をすぐに受け入れられず、心の整理を必要としている様子だった。

「ねえ、あなた、これからどうするの?」と痛ましい表情で訊くテレーズ。

「このまま事実を隠すのですか? それとも…」とエティエンヌ。

マリーおばさんはエレーヌをぎゅっと抱きしめて慰めている。

アルベールはこれからどうするか、考えあぐねているようで、言葉を絞り出せないでいた。

そのとき口を開いたのはやはり瑠香だった。

「あの…」

みんなの視線が一斉に瑠香に注がれる。

「アルベールさん、あの古城の絵ってまだ置いてありますよね?」

由梨菜は驚いて瑠香のほうを見る。

「えっ…? だって、アルベールさん、あんなにいわくつきの絵を処分したがってたから、もう今ごろは…」

瑠香は首を振った。

「いえ、そんなことないでしょう。アルベールさんはお父さんの絵を愛しているから捨てたりできないと思います。絵を傷つけたり燃やしたりするのではなく、盗難という形を選んだのもそのためじゃないでしょうか。それに、今回のパフォーマンスが必ず成功するという確証もなかったはず。ちょっとタイミングがずれたり、みんなの目がそれたり、アクシデントで人形を落とす方向がずれたりしたら、あんなふうに人が落ちたと大騒ぎにならず、なんだかわからないままに終わってしまったかもしれない。もしうまくいかなかったら、日を改めるか、別の方法を考えるかするつもりだったんでしょう。だから絵はすぐに処分できなかったはず」

「いやはや、本当にすべてお見通しなんですね」 アルベールは苦笑いした。

「はい。絵は人目につかない物置きの奥、もともとあった場所に戻してあります。けれど…やはり、わたしはあれを再び日の目を見させたいとは思いません…。たとえ人を欺こうと、このままにしておきたいのです…」

アルベールはまた苦悩の表情を浮かべた。

「わたしは、そのことに異論はないんですが」と瑠香。「まだ気になっていることがあるんです。わたしは自分の目で確かめてみたいんです。アルベールさんが見つけたという絵の下に描かれていたものが、本当に身投げする人の姿だったのか、ということを…」

「えっ…!?」 アルベールはとても意外そうに顔を上げた。

そのころには夕日は沈み、あたりはすっかり暗くなってきたので、一同は城の中に入って続きを聞くことにした。


「瑠香さん、みなさん、倉庫からもう一度取り出してきました」

そう言ってアルベールは、厳重につつまれたカンヴァスを食堂の大テーブルの上に置いた。包みを開けると、そこにあったのは紛れもなく、昨日、瑠香たちが見せてもらったあの夕焼けの古城の絵だった。

「わかってはいるつもりでしたが…」とエレーヌ。

「こえして本物を見ると、本当に、昨日の出来事はお父さまの芝居だったのですね」

アルベールはきまり悪そうに白髪を手でなでた。

「でも、やっぱり、本当に美しい…」 由梨菜たちは改めて絵に見惚れている。

「それで…瑠香さん、どういうことなの?」 テレーズが困った表情で瑠香に尋ねる。

「はい…。この部分ですよね?」 瑠香は例の舞い散る花びららしき部分を指差して、アルベールに訊いた。

「はい。もちろん、この花びらが全部、問題の部分というわけではなく…このバルコニーのそばの部分に描いてある花びらの下にだけ、飛び降りる人が描いてあったのです。他の花びらはおそらく、それを隠すときに違和感が生じないよう、一緒に描き加えられたものでしょう」

「アルベールさんがそれを確かめたX線画像は残っていますか?」

「いえ…、さすがに証拠のようなものは残したくなかったので…」

「そうですか…」 瑠香はちょっと残念そうにつぶやいた。

「なら、ここからはわたしの推測になりますが、聞いてもらえますか?」

「いいでしょう」 アルベールたちは再び瑠香の説明に耳を傾けた。

「まず…エレーヌの意見を聞きたいんだけど」

「はい、なんでしょう、瑠香?」

「エレーヌは絵描きだから、たぶんここにいる誰よりも、この絵を描いたおじいさんの気持ちになって考えることができると思うの。エレーヌなら、こんなに美しい絵を描くとき…飛び降りる人の姿を描いたりするかしら?」

「いいえ」 エレーヌは即答した。

「わたしなら、これほど心を打つ夕焼けの絵を描きながら、同時に人が死ぬような絵は描けないと思います」

「そうよね…」 隣で由梨菜も考えながら同意する。

「わたしなら…」 エレーヌは続ける。「やっぱり絵には統一感を持たせると思うんです。美しい絵は隅々まで美しくまとめあげ、おどろおどろしい絵にはそれなりの雰囲気をまとわせるような…」

由梨菜はエレーヌがおどろおどろしい絵を描いたらどんな絵になるのだろう、と一瞬興味を惹かれたが、ここは黙って聞くことにした。

「だから、こんな美しい絵に飛び降りる人を描くと台無しになっちゃいますし、反対にホラーな絵を描くにしても、こんな美しく描いちゃったら、その、もったいないと思います」

瑠香はそれを聞いて満足そうにうなずいた。

「そうね、だからこそ、この絵に飛び降りる人なんてものが描かれているとわかったら絵の価値が台無しになってしまう。アルベールさんはそう考えて、おじいさんの評判を気にしたんですよね」

アルベールは無言で同意する。

「もう一つ」と瑠香はエレーヌのほうを見た。

「この絵は倉庫の奥にしまってあったのだけど、エレーヌなら、せっかく描いた傑作を公開せずしまっておくとしたら、どうしてかしら?」

「そうですね…」 エレーヌは思案しながら言葉をつむぐ。「わたしなら、何かどうしても納得のいかないところがあった場合でしょうか…?」

瑠香はうなずいて続けた。

「そうね。そうすると…どうも気になるのは、これって本当におじいさんが描いたのかどうか?ということです」

「えええっ! この絵って贋作なの! そんな! あたしショックだわ!!」 ここのところおとなしかったマリーおばさんがにわかに大声上げたので全員がびっくりした。

「いえ、もちろん、この絵そのものはおじいさんの絵ですが」 瑠香は冷静に話を戻した。「問題は飛び降りる人の部分ですね。もしかすると…なんですが」

瑠香は一呼吸置いてみんなを見回した。

「この部分は2回上書きされたんじゃないでしょうか?」

「2回?」と由梨菜。

「ええ。最初におじいさんは普通の美しい風景画を描きました。しかし発表する前に、だれかのいたずらで、飛び降りる人を描き足されてしまった。きっと古城の言い伝えを知っているだれかの悪意によって。それで困ったおじいさんは、応急処置として、風に舞う花びらのようなものを描き加えることで塗りつぶした。でも、それによって、この絵は納得のいかないものになってしまった」

「そっか…もともと意図したものじゃないから…」と由梨菜。

「そういえば、この花びらのもとになったらしい花、中庭のどこにもないんですよね」とエレーヌ。

「そう。だからアルベールさんは、花びらのようだけど落ち葉かもしれないとも説明してくれましたね。もともとないものを無理やり描き足したから、なんだかよくわからなくて当然なんです。おじいさんは相当腕のいい画家でしたから、全体としては違和感なく美しくまとまっているように見える。でも、おじいさんにしてみれば、修正を加えずにすんだ元の絵のほうがよかった。だから納得がいかず発表できなくなってしまった」

「でも、それなら、花びらなんか描かずに、いたずらで描き加えられた人物の部分だけをもとの絵と同じように塗りつぶしたらよかったんじゃないの?」と由梨菜。

「あっ、でも…」とエレーヌ。「それだとそこだけタッチが変わったり、絵の具が盛り上がったりして目立つかもしれません。ちょうど背景の部分なので悩ましいですね。いっそ絵の具を盛り上げて、手前のほうに舞い散る花びらのように見せかけてしまおう、と思ったおじいさまのお気持ちもわかる気がします

「うーん、だけど…」 由梨菜は首を傾げてうなる。

「そうね、けっきょく、どうやっても元の絵には戻らなかったんじゃないかしら」と瑠香。

「そうか…だから、父はこの絵を発表するに踏み切れず、倉庫の中に眠らせていたのですね」 アルベールはしみじみと言った。

「無念…だったでしょうね…」エレーヌがつぶやく。「おじいさまほどの画家だったからこそ、これほどの傑作だからこそ。心無いいたずらで台無しにされてしまったのは…」

「うん…」由梨菜も残念そうにうつむく。

「けれど、もしそのとおりなら、エレーヌのおじいさんは、血塗られた絵なんて描いてないってことになるでしょう?」

瑠香がそういうと、エレーヌの顔がパッと明るくなる。

「そうですね! やっぱりおじいさまはすばらしい画家でした!」

瑠香もにっこりとほほえんで続ける。

「ええ。それに…この古城の言い伝えなんだけど、もし今の推測が確かなら、この絵に描き加えられた心無いいたずらだけじゃなくて、その言い伝えそのものが、だれかの悪意あるいたずらなんじゃないかしら」

「な、なんですって!!!」 またマリーおばさんが大声を上げた。この言い伝えは持ちネタだっただけに、さすがにここは他人事ではないらしい。

「わたしの印象にすぎないんですが…」 瑠香は天井を見上げて、思い返しながら続けた。

「あの『古城のそで』のバルコニーから見た夕日、本当にすばらしい絶景でした。確かにバルコニーに立つと眼下の海に吸い込まれそうになりましたし、あの真っ赤な夕日から血を連想するような人がいたのかもしれない。でも、ここの伝承には、具体的にだれそれが死んだという細かい史実はないんですよね?」

「確かにそうね…」とテレーズ。

「あたしゃ人がゴマンと飛び降りたって聞きましたけどね」とマリーおばさん。

「具体的な史実がないのにうわさだけが広まるって、なんだかゴシップっぽいんです。最初に雑誌で読んだときもそう思いましたから。それで、考えたんです。だれか昔の人が…もしかしたら、あの『古城のそで』から眺められる絶景にけちをつけたくて、悪意あるうわさを広めたんじゃないかって」

「確かにあれだけ美しいとねたむ人もいるかもね…」と由梨菜。

「そして、それとまったく同じように、おじいさんが描いた絶景の夕焼けの古城の絵にもねたんで、悪意あるいたずらを描き加えた人がいたんじゃないかって」

「あっ、それなら辻褄が合いますね、瑠香!」 エレーヌが両手を合わせて言った。

「それじゃあ、どちらも、悪いうわさも、描き加えられたいたずらも、美しい夕焼けをねたんだ人の悪意あるいたずらだったってこと?」と由梨菜。

「もちろん、過去に何があったかはわからない。だけど、そう考える余地が十分にあるってことよ」

瑠香はそう言ってにこりとした。

それを聞いたアルベール、テレーズ、エレーヌ、マリーおばさん、エティエンヌは互いを見回して、無言で何度もうなずいた。誰もがこの結末に満足しているようだった。

「だ、だけど…」 由梨菜が心配そうに慌てて口をはさんだ。

「わたしたちはそれで納得しちゃえるけど、世間の人はそうじゃないでしょ? この絵の秘密を知ったら、きっと…」

「ええ。アルベールさんの危惧したとおりになっちゃうかもしれないわね。だから」

瑠香はアルベールとエレーヌの顔を順に見てくすりと笑った。

「せっかくアルベールさんがエレーヌのために一世一代の大芝居を打ったわけだし、この絵は盗まれたままでいいんじゃないですか? 」

そしてこう続けた。

「もともとおじいさんはこの絵を発表するつもりはなかったので、これはこの世に存在するはずのない絵なんです。そして盗まれたのは事実だし、謎の怪盗が逃げおおせたのも嘘じゃないですから」

瑠香は二人に向かってウインクした。

「それに」 瑠香は夕焼けの古城の絵を見つめながら、どこか嬉しそうに続けた。

「画家だったおじいさんは、すばらしい芸術的なスキルを使って、悪意のあるいたずらを塗り消して、こんなすばらしい絵にしてみせた。それなら、その子どもであるアルベールさんが、これまた摩訶不思議な芸術的な演出で、悪意のある言い伝えを、名画に心を奪われた怪盗伝説で塗り消してしまうというのも、芸術家の血筋のなせるわざ、じゃないかと思うんです」

瑠香の言葉に、アルベールとエレーヌは顔を見合わせてくすりと笑った。

投稿日2017.06.27