[推理小説] 画家は夕焼けの古城の絵を描いた―翠河瑠香の葛藤

Epilogue.画家は夕焼けの古城の絵を描いた

こうして奇妙な事件の全貌が明らかになったことで、エレーヌたちは胸をなでおろし、一時はぎくしゃくしていた空気も和やかになり、すっかり落ち着きを取り戻した。

その夜は、瑠香も由梨菜も、古城での夕食を存分に楽しみ、やっと心の底から伝統あるフランス料理の美食を味わうことができた。エレーヌはすっかり快活さが戻ったし、アルベールはさすがに一段と申し訳なさそうにしていたが、それでも昨日よりはるかに瑠香や由梨菜と打ち解けていた。テレーズは夫の真意を知ったことでわだかまりもないようだったし、マリーおばさんは相変わらず雄弁だった。きっとこれからは怪盗伝説が新たな持ちネタになるに違いない。忙しく料理を運んできてくれるエティエンヌは優秀な執事としての技能をいかんなく発揮して輝いていた。


その夜、瑠香と由梨菜が古城での最後の一夜を過ごしていると、またドアがノックする音が聞こえた。

「瑠香、由梨菜、ちょっといいですか?」 昨日と同じエレーヌの声だったが、昨日よりもずっと元気そうだった。

「どうぞ」 由梨菜がドアを開けると、エレーヌがにこやかに入ってきて、三人は昨日のようにベッドに腰掛けて話し始めた。

「瑠香、改めて、その…今回は本当にありがとうございます。由梨菜もありがとう。こうして笑顔でいられるのは二人のおかげです」

エレーヌは嬉しそうに二人に言った。

「いえ、わたしのほうこそ」 瑠香が答える。「エレーヌとアルベールさんを信じてよかった。エレーヌを傷つけることにならないかすごく心配だったけど、エレーヌは大切な友だちだし、そのエレーヌが信頼しているお父さんならきっと…ね。相手がエレーヌとアルベールさんでないと、こんなにうまく話がまとまるなんてありえなかったよ」

瑠香は心底ホッとした表情でエレーヌに言った。由梨菜も「うんうん」とうなずいた。

「わたし、思ったんですが」 エレーヌはゆっくりとした口調で続けた。

「これまで、なんとなく、わたし一人で、おじいさまの名を背負っているような気がしていたんです。だって、お父さまは絵描きの道に進まなかったですし、お父さまもお母さまも、わたしにだけ期待しているような気がして」

由梨菜はエレーヌの言葉を聞きながら、著名な家族の存在がエレーヌの重荷になっていないか気になったことを思い出した。

「でも、今回のことでよくわかりました。おじいさまの名前を背負って大切にしているのは、わたしだけじゃなく、お父さまもずっと闘っていたんだって。おじいさまの絵が広く知られたのはお父さまの頑張りあってですし、おじいさまの評判が、わたしの将来に与える影響も、あれほど真剣に考えてくれていたんだなって」

瑠香と由梨菜は優しくうなずきながら耳を傾けた。

「それに、おじいさまほどの画家は、悩んだりせずともいくらでも絵が描けるように思っていましたが…、瑠香があの絵を描いたときのおじいさまの気持ちを想像させてくれたおかげで、おじいさまもわたしと同じように絵の描き方に悩んだり、迷ったりしてらしたんだなぁって、身近に思えました。おじいさまは目指すべき偉大な画家だということは変わりませんが、それ以前に、わたしと同じ一人の画家にも過ぎないんだって。そう思うと、なんだか気持ちが楽になりました。おじいさまのような絵描きになろう!って意気込みすぎる必要はなくて、わたしはわたしらしく、一人の画家を目指せばいいんだって気がして」

「わたしもそう思うよ、エレーヌ」 由梨菜が目を細めて同意した。

「だから、本当に、お二人に感謝しています。昨日はどうなることか、と思いましたが、今になって思えば、今回のできごとは、わたしの画家としての人生の大切な一歩になるんじゃないかって」

「そう言ってくれるとわたしも安心できるよ」 瑠香は目を閉じてしみじみ言った。

「それで、明日、ここを立ったあと、ぜひわたしのアトリエに来てもらえませんか?」

エレーヌは嬉しそうに二人を誘う。

「もちろん」 「エレーヌの絵、見せてもらう約束だしね」 瑠香と由梨菜も笑顔で応じる。

「それにじつは…」エレーヌはちょっと照れくさそうに続ける。

「あの夕焼けの古城の絵、こっそりわたしのアトリエに持っていくことになったんです」

「ええっ!?」 由梨菜がびっくりして声を上げる。

「声が大きいですよ、由梨菜! いえ、べつに誰かに聞かれちゃうってわけでもないですが」

「いいの? あの絵は…」と瑠香。

「はい。あの絵はもうこの世には存在しないも同然ですし、ここに置いておくのもよくないので。わたしのアトリエの奥の部屋の、わたしにしか見れない場所に、ひっそりと飾ろうかと思ってます」

「そっか…。あの名画は、これからはエレーヌが独り占めしちゃうのね」 由梨菜がいたずらっぽく笑う。

「はい! 世の中の方たちや美術館には申し訳ないですが、もう日の目を見させるわけにいきませんし、それがおじいさまの遺志でもあると思うので。もともと あの絵は、おじいさまの個人的な遺産の中にあったものですし、お父さまが世に公開しなければ、いずれはわたしの手に渡るはずでした。だから…わたしへのプレゼントとしてありがたく受け取っておこうと思います」

エレーヌははにかみながら嬉しそうに笑った。

「そうね、あの絵は、おじいさんと同じ道を志したエレーヌのアトリエにこそふさわしいと思うよ」と瑠香もうなずく。

「ただし!」 由梨菜はにっこりと念押しした。「だれかに見つからないようにね!」

「はい!」 エレーヌはぐっと両手を握りしめて笑顔で答えた。


こうして、謎めいた名画盗難事件のうわさは瞬く間に世間に広まった。あれほどの名画の消失を悔やむ声とともに、それに心を奪われ、夕焼けの古城から消え失せた正体不明の怪盗の物語に人々は夢中になった。それまでうわさになっていた血塗られた「古城のそで」のゴシップはすっかりかき消され、過去のものとして忘れられていった。

そして、月日が流れ…やがて、この失われた絵の代わりに、その画家の孫娘が描いたという、新たな夕焼けの古城の絵が注目を集めることになる。同じ夕焼けの古城を題材にしているにもかかわらず、祖父のものとは違う斬新な 構図、繊細な色使いで情緒豊かに描かれたその絵は、多くの人をとりこにし、目の肥えた評論家たちをうならせたという。

芸術家の血は受け継がれていく。ミステリアスな伝説ともに。すばらしい芸術は、過去を塗り替えて、新しい物語をカンヴァスに描いていくのである。

FIN.

投稿日2017.06.27