[推理小説] 画家は夕焼けの古城の絵を描いた―翠河瑠香の葛藤

Act4.怪盗あらわる

古城の廊下を通って、階段を降りると、玄関の大広間につながっている。先ほど入ってきたときは気に留めていなかったが、玄関を出たところの城門の手前までの空間は、それなりに広い中庭になっていた。由梨菜は、客室のバルコニーから中庭を見下ろして一望したのを思い出した。すっかり夕暮れの光が差し込んできて、まぶしさに目を細める。

「あらあら! あなたたちがはるばる日本からやってきたお客さんたちなのね!」

中庭にいた婦人が二人に声をかけた。エリーゼやテレーズよりも少々恰幅がよく、派手なドレスを身にまとい、カールしたロングヘアにブランド物のキラキラした帽子、そしてフリルの日傘を差した彼女はにんまりと笑顔になって、

「ボンソワール、あたしはパリジェンヌのマリーよ」と元気いっぱいに自己紹介し、瑠香と由梨菜を順番に力を込めてハグした。

「ふふ、はじめまして、よろしくお願いします、マリーさん」 いつもながら落ち着き払った瑠香の隣で、由梨菜はまたも面食らって唖然としていた。

「よ、よろしくお願いします」

由梨菜はかろうじてあいさつの言葉を絞り出しつつ、世界にはさまざまな人がいるものだ、としみじみと噛み締めていた。

「マリーおばさま! お久しぶりです! 今日は来てくださってありがとう!」

駆け寄るエレーヌに、マリーは恰幅のよい体を飛び跳ねさせるように駆け寄り、小柄なエレーヌの体が見えなくなってしまうような勢いで力いっぱいハグして再会を喜んだ。

「ほんと、半年ぶりくらいかしらね! エレーヌちゃん! またまた大きくなって! 前に会ったときはこんなに小さかったのに!」

由梨菜は いよいよ抱きしめる手に力がこもるマリーおばさんを見て、小柄なエレーヌがそのままへし折れてしまわないか心配したが、きっといつものことなのだろう。

「あら、マリー、お久しぶり。よく来てくれたわね」 後から降りてきたテレーズも近くにやってきた。

姉さんもお元気そうで何よりよ!」

マリーおばさんは快活な声で笑顔を見せつつも、さすがに年上の姉に対しては、抱擁も控えめになるようだった。二人が並んでいるのを見ると、ずいぶん雰囲気が違うが、これでも姉妹だというから、世の中は広いものである。


マリーおばさんに対して、一通り自己紹介しているうちに、アルベールも降りてきた。

「みんな、揃っていますね。マリーも来てくれてありがとう」

そうほほえむアルベールの手には、三脚とカメラが握られていた。

「ちょうどいいから、ここで記念写真を撮ろうと思いましてね。でもその前に…」

アルベールは、中庭の中央の噴水の前にみんなを案内した。そして、手をさっと上げて、先ほどの画廊のほうを指差した。

「ほら、ここから見た光景が、あの絵のモデルなんですよ」

瑠香と由梨菜は、アルベールの指し示したほうを見上げて、その神々しいまでの輝きに息を呑んだ。太陽の光が「古城のそで」のバルコニーを照らし出し、夕日を背景に輝く古城はとても威厳を帯びて見えた。古城のおごそかな立ち姿と、それを演出する夕焼けの荘厳さとは、紛れもなく、あの絵に描かれた風景そのものだった。

中庭に立つ背の高い樹木で古城の一部が隠れてしまっているものの、それもまた景観に立体感を与えていた。そういえば、古城の絵には花びらか落ち葉のようなものが舞っているのを瑠香が指摘していたが、それはきっとこの木が風に吹かれたものだろう、と由梨菜は思った。

画家が描いた夕焼けの古城の絵は独特のタッチがとても臨場感を出している比類のないものだったが、そのモデルとなったこの風景もまた心を打つ絶景だった。絵をたしなむというほどではない由梨菜でも、こんな風景はぜひとも絵に描いてみたい、そう思わせるだけの迫力があった。ふと隣を見ると、エレーヌも恍惚とした表情でこの風景に見惚れていた。きっと芸術家としての感性が揺さぶられたのだろう。

「さて…」

みんなが一心不乱に古城を見上げていると、アルベールがにっこりほほえみ、カメラと三脚を持ち上げてみせた。

「せっかくだから、写真を撮りましょう。そうですね…、あの絵と同じ方向の構図で撮りたいところですが、逆光になってしまいますからね。古城は逆光になっても美しいですが、人間を逆光で撮ると、顔がわからなくなってしまいますね。ここは、このままに立ち位置で絵の構図とは逆向きに撮りましょう」

アルベールはそう言うと、夕焼けの古城を見上げる瑠香たちをそのまま、中庭の中央の噴水のそばに立たせたまま、自分は背後の樹木のそばまで下がっていった。

「では、このあたりに三脚を置いて、写真を撮りましょうか…、あっ、マリー、その位置だと噴水に顔がかぶってしまっていますよ、もう少し左に…」


バリィィン!!

そのとき何か大きな音が上から響き渡った。

「何!? いまの??」

マリーおばさんが大声を上げる。はっきり聞こえたその音は、どう考えても、「古城のそで」から響き渡ったように思えた。記念写真を撮ろうとしていた瑠香たちも、カメラを構えていたアルベールもハッとして「古城のそで」を見上げた。

その瞬間、何か黒いもの、いや人影のようなものが、「古城のそで」のバルコニーに現れで飛び降り、次の瞬間、何かが水面に落ちる音が響いた。

「きゃあぁぁっー!!! ひ、ひとが飛び降りたわ!!!」

マリーおばさんが金切り声で叫ぶ。

「瑠香! い、いまの…!?」

由梨菜も混乱して瑠香のほうを見る。

「ええ…! 黒い人影が…バルコニーから出て飛び降りたようね…」 瑠香は真剣な表情でつぶやした。

「あ…ああっ…」

エレーヌは放心状態で我を忘れて、体を硬直させている。

テレーズは「で、伝説よ…! あの悪夢の伝説が…」と、何か奇妙なことをつぶやいて取り乱している。

「ま…まさか…!」 アルベールは手をわなわなと震わせて立ち尽くした。「テ、テレーズ、エレーヌを頼みます! わたしは下を見に行ってきます!!」

アルベールは放心状態のエレーヌを妻に託し、まわりを見回して叫んだ。

「エティエンヌ、エティエンヌはいますか!?」

すると入り口のほうから執事のエティエンヌが駆けつけてきた

「な、何事でしょうか、アルベールさま。マリーさまの悲鳴が聞こえましたが…」

「人が…! 人が『古城のそで』のバルコニーから落ちたのです!」

「な、なんですと!」

「すぐに車を出してください! 崖の下の海岸まで見に行ってみなければ!」

アルベールとエティエンヌは城門のほうに駆け出した。

「由梨菜! わたしたちも!!」

「えっ…? ええっ? 瑠香??」

厳しい表情でアルベールとエティエンヌを追って駆け出した瑠香に、由梨菜もわけがわからないままついて走っていった。


エティエンヌが運転する車で崖の道を急スピードで降り、ほんの数十秒後には、4人は海岸の砂浜まで降りてきた。車を降りて見上げると、さっきまでいた崖の上の古城が夕焼けを背に威風堂々とそびえ立っている。こんな状況でもなければ、この風景を思う存分楽しめただろうに、と思うと、由梨菜はとても悲しかった。

そんな由梨菜を尻目に、アルベールとエティエンヌ、そして瑠香は海岸を波打ち際まで走り、古城の断崖の根元部分までやってきた。夕日が海に映えて、崖に打ち寄せる波が砕けて泡立っている。三人を後ろから追った由梨菜は、ふと、もし人が飛び降りたのだとすると、このあたりに遺体が流れ着いているのでは、と気づいて、恐怖のあまり足がすくんで、その場にしゃがみこんでしまった。

そのまま呆然としていると、遠くで瑠香が声を上げるのが聞こえた。

「これは…? パラシュートでしょうか!?」

遠くから見ると、瑠香は波打ち際で、何か大きな布地のようなものを手にして引きずっていた。アルベールとエティエンヌが駆け寄って、あれこれと話している。由梨菜もようやく立ち上がって、3人のそばまで歩いていった。

「瑠香? 何か見つけたの?」

「ええ…これは多分パラシュートだと思うわ…」

「はて、そうだとすると…」

エティエンヌが首をかしげて言う。

「アルベールさまたちが見た、『古城のそで』から飛び降りた人と言うのは、お亡くなりになったわけではなく、パラシュートで着地したということでしょうか?」

アルベールはそれを聞いて神妙な顔で唸った。

「ううむ…。確かにそうなりますね…。この高さです。ただ飛び降りたように見えましたが、実際は、すぐにパラシュートを開いて着地した、ということになるのでしょうね…。中庭からだと、飛び降りた瞬間は見えても、その後までは…」

「で、でも」 由梨菜があわてて口をはさむ。

「どうしてそんなことをする必要があるんですか? わたしたちを驚かせて心配させるなんて…、いったい誰が…」

「待って、由梨菜」

混乱して当惑している由梨菜の言葉を、瑠香が鋭くさえぎった。

「大事なことを忘れているわよ。あの人影が飛び降りたバルコニー、あれは『古城のそで』よ。そしてあそこには…」

そこまで聞いて、アルベールは顔面蒼白になって叫んだ。

「そうか…! 絵だ!!」

由梨菜は驚いてアルベールの顔を見る。

「絵って…あっ!!」

「どういうことです?」とエティエンヌ。

「わたしたちが見たのは、飛び降りた人の影じゃなくて、逃げ出した怪盗だったかもしれないってことです」

瑠香は落ち着いて冷静にそう説明した。

「こ、こうしちゃいられません! 早く画廊に戻って確認しなければ…っ!」

アルベールは大慌てで車のほうに駆け出した。

そのときだった。

「そこの方々、どうかされましたか?」

先ほど自動車を停めたあたりから、誰かが呼びかける声が聞こえた。

走り寄ってみると、警察の服を来た男性が立っていた。

「あ、あなたは?」とアルベール。

「わたしは刑事のアランです」

そう言って、刑事は、警察手帳を自ら提示してきた。

「おお、あなたが刑事の方でしたか、わたしがお電話したエティエンヌです」

「何? どういうことですか、エティエンヌ?」

エティエンヌと刑事の様子をいぶかしんで、アルベールが問いただした。

「いえ、アルベールさま、出過ぎたまねをして申し訳ございません。じつは瑠香さまたちをお送りする道中、この近くでエレーヌさまが、不審な人物を見かけたかもしれず、念のため、あたりを警戒してもらうよう、要請しておいたのでございます」

「ふ、不審な人物ですって…?」 アルベールの顔から血の気が引いていく。

「あっ、はい、わたしたちも一緒にいたんですが…」と由梨菜。

「車の中から、林のあたりで、エレーヌが、怖い人の顔を見たみたいで…わたしたちはただの見間違いだと思ったんですが…」

エティエンヌはそれにうなずいて続ける。

「ええ、わたくしもお嬢さまの見間違いにすぎないとは思ったのですが、今夜は瑠香さまや由梨菜さまもご宿泊になりますし、もしものことがあってはいけないと思い、内密に警備をお願いしたのでございます。アルベールさまに無断で要請したことは申し訳ございません。ただ、ご心配をかけたくなかったものでして…」

「そ、そうでしたか…」 アルベールは俯いて胸をなでおろした。

「いえ、エレーヌのことを思いやってくれてありがとう。しかしまさかこんなことになるとは…」

その様子を見て、アラン刑事は顔をしかめる。

「んんっ? では何かすでにあったのですか? わたしは今派遣されたところなので、事情がつかめていないのですが…」

「それがですね、じつは…」

アルベールたちは、アラン刑事に事の次第を報告した。そして、エティエンヌの運転する車に乗って古城へと戻り、アラン刑事も乗ってきた警察の車両で彼らについていった。

「もし、あれが本当に怪盗なら…」

アルベールは不安そうにつぶやいた。

「目当てはあの絵画のはずだ…」

投稿日2017.06.27