[推理小説] 画家は夕焼けの古城の絵を描いた―翠河瑠香の葛藤

Act5.古城の伝説

アルベールと瑠香たちが古城に戻ると、女性たちはまだ中庭で不安そうに身を寄せ合っていた。

「あ、あなた…! その…どうだったの?」と泣きそうな声でテレーズがアルベールに駆け寄ってきた。

「いや、だれかが死んだなんてことはありませんでした」とアルベール。

俯いて凍りついていたエレーヌは、その言葉をき聞くや、胸をなでおろして、

「じゃ、じゃあ、あれは見間違いか何かだったのですね!」と願うような声で言った。

「大丈夫よ、エレーヌちゃん! きっと何でもなかったのよ」とマリーおばさんがエレーヌを抱きしめて慰める。

「いえ…」 アルベールは神妙な表情でつぶやいた。

「人は死んでいないようですが、おそらくは…」

「ま、まだ何かあったのですか、お父さま?」

エレーヌはマリーおばさんに抱きしめられたまま不安そうにアルベールのほうを振り向いた。

「いや、まだ確認したわけではありません。これから刑事さんと見に行ってきます」

そう述べたアルベールはアランとエティエンヌを連れて、中庭から玄関の中へと入っていった。瑠香たちもその後を追って古城の階段を上っていった。

二階の「古城のそで」の画廊の前まで来ると、瑠香たちは、どうも先ほどとは違う異質な雰囲気に気づいた。入り口のドアが無造作に開け放たれていて、奥のバルコニーまでまっすぐに風が吹き抜けている。

まず最初に意を決してアルベールとアラン刑事が踏み込んでいった。

「ああ…やっぱりだ! してやられた!」

部屋の中からアルベールが叫んだ。

瑠香たちも追って部屋へ入ってみると、アルベールが頭を抱えて膝をついて崩れ落ち、部屋の中央に飾られていたあの夕焼けの古城の絵は跡形もなく消えていた。立てかけてあったイーゼルは無造作に倒れていて、テーブルの上に重ねてあったティーカップが床に散らばって無残に割れていた。そして、バルコニーへの扉は開け放たれて、風が吹き込むままになっていた

「これは…盗難事件ですかな」

アラン刑事が周囲を舐め尽くすような厳しい目で見回してつぶやいた。

「そのようです…」 消え入るような声でアルベールはつぶやいた。

「ふむ、となると、ここからは警察の仕事ですな。皆さんは部屋を出ていってください。現場保存をせねばなりませんので」

「そ、そんな…」

後から追って部屋まで上がってきたエレーヌは、口元を手で覆って、目を見開いたまま愕然とつぶやいた。あれほど感動していた祖父の絵が盗まれてしまったのだ。由梨菜はそんなエレーヌの様子を見ていられず、うなだれて部屋の外へと出ていった。

「どうして…こんなことになっちゃったんだろう…」

「伝説よ…古城の伝説の再来だわ…!」

由梨菜の後から刑事に追い出されて部屋を飛び出してきたマリーおばさんが悔しそうにキリキリとつぶやいた。

「古城の伝説…いったいそれは何なのですか?」

由梨菜はマリーおばさんに尋ねた。瑠香は何か知っているようだったし、事件が起こった直後にも、テレーズがそのことをつぶやいていた。しかし、ここまでその古城の伝説とは何か、具体的に尋ねるチャンスを逸してしまっていた。

「じつはね、由梨菜ちゃん。この古城にはいやーな伝説があってね」

マリーおばさんは眉をひそめて口元に手をやってこっそりしゃべり始めた。

「あんまり大っぴらに言えたことじゃないんだけど、アルベールのとこの一族にまつわる変な言い伝えがあるのよ。聞いたとこだとね、過去にここのバルコニーから飛び降りて死んだ人がゴマンといるんだって。だからここは血塗られた『古城のそで』とか言われたこともあるのよ」

「ええっ」

「あっ、この話は刑事さんにもナイショだからね。いい話じゃないから、他言無用ってことになってるの。おばさんとの約束よ」

マリーおばさんは由梨菜に念を押してから、部屋からテレーズとエレーヌ、そしてアルベールとエティエンヌも刑事に追い出されてきたのを見て、みんなのほうに駆け寄っていった。

由梨菜はショックのあまり言葉を失ってしまった。まさか、この素晴らしい眺めの部屋に、そんないわくつきの言い伝えがあったなんて…。

「伝説のことを聞いたのね」

ふと後ろから瑠香の声がして由梨菜は振り返った。

「瑠香…わたし、こんなことになるなんて…」

由梨菜は今にも泣き出しそうな顔をして瑠香につぶやいた。

「落ち着いて、由梨菜。気持ちはわかるけど、伝説は伝説よ」

「うん」

「それに、頭がこんがらがってるかもしれないけれど、今回の出来事は、マリーさんが言うような、伝説の再来じゃないわ」

「えっ…」 由梨菜は目を上げて瑠香を見た。

「だって、考えてみてよ。言い伝えだと、この部屋から大勢の人が身投げして死んだんでしょ? でも今回の事件では少なくとも遺体は見つからなかった。犯人は何事もなく逃げおおせてしまったのよ。伝説の再来どころか、 伝説ブレイカーでしょ?」

「あっ…」

由梨菜はそれを聞いて落ち着きを取り戻した。それに、瑠香の言い回しがいつになくスラングっぽい響きを帯びていたのが意外で、緊張の糸が切れたようにも思った。

「そうだね、わたし色々ありすぎて、冷静に考えられていなかった。言われてみれば、伝説と全然違うよね。シチュエーションが似てるだけで」

「ええ。だからこれは、伝説の再来なんかじゃなくて、偶然か…いえ、あるいは、伝説のことを知っているだれかが意図的に言い伝えをまねてきた演出だと思うの」

「じゃあ、犯人は、言い伝えを知っている人のだれか?」

「…と言いたいところだけど」

瑠香は手のひらを返して肩をすくめてみせた。

「わたしが読んだ店売りの月刊誌にだって言い伝えのうわさが書かれてるくらいなんだから、誰が伝説のことを知っていたとしてもおかしくないわ。それは犯人をしぼりこむ手がかりにはならないわね」

「そっか…そうだよね…。でも、他言無用の伝説のはずなのに、なんでそんなに知られちゃってるんだろう…」

由梨菜の素朴な疑問に瑠香は苦笑いして答えた。

「由梨菜…・それはその…さっき、他言無用と言いつつ、伝説のことを思いっきり話してくれた人がいるでしょ?」

「あっ…」

由梨菜は口に手を当ててまわりを見回した。幸いみんなは向こうに先に歩いていったようだ。

「きっと、わたしが読んだ雑誌に書かれていたうわさも、そうやって広まっちゃったのよ」

「そっか…うわさってそういうものだよね」

「うわさは誇張されるものだから、真偽はアテにならないわ。それに惑わされることなく、冷静に観察しなきゃ、きっと答えは見えてこないと思うの」

由梨菜は瑠香の決意のこもったまなざしを見て、今回も、瑠香はこの事件の謎を解くつもりなのだと確信した。そして由梨菜は知っていた。瑠香がこのすべてを見通すような目でじっと真実を見つめたとき、解き明かされないまま終わる謎は今までひとつといえどなかったことを。

ふと気がつくと、すっかり窓の外は暗くなって、日が沈んでいた。

投稿日2017.06.27