[推理小説] 画家は夕焼けの古城の絵を描いた―翠河瑠香の葛藤

Act8.エレーヌのひらめき

昼食の席は、昨晩に比べると張り詰めた空気は和らぎ、みな穏やかさを取り戻しているようだった。名画が盗まれた事実は変わらないし、やり場のない感情が癒えたわけではないけれど、事件のことは警察にゆだねて、今は日本から来た娘の友だちを温かくもてなしてやりたい、エレーヌの両親はそう割り切って振る舞っているかに見えた。エレーヌはエレーヌで、何か思いついたことがあるらしく、名画が手元に戻ってくるかもしれない一縷の望みを見つけ、心の支えを得ているように思われた。マリーおばさんは相変わらずの調子で、場の雰囲気を盛り上げてくれる。

由梨菜は、昨晩の夕食のときは、何を食べたかも覚えていないほどだったが、今日は、落ち着いて料理を味わう余裕を持っていた。見たことのない料理の名前をエレーヌに尋ねながらじっくり味わい、白身魚のポワレに彩り豊かな野菜を固めたテリーヌ、フランスの食卓には欠かせない固いパンなど、この国ならではの食事を楽しんだ。温かいオニオンスープを飲み、肉汁が効いた蒸し焼き料理を味わい噛みしめるうちに生きた心地がよみがえってきた。

けれども、由梨菜は瑠香のことが心配だった。昨日はあれほど頼りになった冷静沈着な瑠香が、今日はなぜか心ここにあらずの状態で、料理の感想を聞いても一言二言しか帰ってこない。食べる手はほとんど進まず、一口食べては、じっと考えこんでいるようだった。エレーヌと由梨菜は、心配そうに顔を見合わせて、頭を振った。


やがて和やかな食事を終えて、話題も一区切りついたところで、不意にエレーヌが、口を開いた。

「あ、あの…!」

その場にいた全員の目が、エレーヌのほうを見た。

「お父さま、お母さま、マリーおばさま…それに瑠香も由梨菜も、エティエンヌも、聞いてほしい話があります」

それまでの談笑とはうってかわって真剣な声色になり、場の空気が静まり返った。

「どうしたんですか、エレーヌ?」

アルベールは不思議そうにエレーヌを見つめ、「何でも話してみなさい」と促した。

「はい!」とエレーヌはうなずいた。

そのとき由梨菜はふと瑠香のほうを見たが、いつになく瑠香が当惑した苦悩の表情でそわそわしているのに気づき、奇妙な違和感を覚えた。何か口をはさみたげだが、それすらも悩みあぐねて判断つきかねているように思える。瑠香のこんな様子を見かけるのは由梨菜にとっても覚えがないことで、あまりにらしくない親友の様子に嫌な胸騒ぎがした。

「じつは…」そんな二人の様子に気づくことなく、緊張した面持ちのエレーヌは意を決して話し始めた。

「わたし、昨日、絵が盗まれたあと、どうしても気になることがあったんです」

「気になること?」 テレーズが首をかしげる。

「はい。瑠香と由梨菜とも話したんですが、絵を盗んだ怪盗の行動がなんだかおかしいんです」

みんなは黙ってエレーヌの話に耳を傾けた。

「わたしたちは、怪盗が大きな物音を立てたことで、『古城のそで』のバルコニーを見て、黒い人影が飛び降りるのを目撃しました。でも、それってなんだかおかしくありませんか?」

アルベールは真剣な表情でエレーヌのことばに聞き入っている。

「怪盗は、きっとどこかから隙を見て、家の中に侵入したんでしょう。なら、そのまま同じルートを使って逃げればよかったはずです。それなのに、わざわざバルコニーから飛び降りるなんて、目立つルートで逃げたのは、わたしたちに姿を目撃させたかったからだと思うんです」

「そういえばそうね」 マリーおばさんがポンと手を打った。

「そして、瑠香が教えてくれたんですが…」

そのとき瑠香は俯いて目を伏せていることにエレーヌは気づかなかった。

「怪盗がわざわざ自分の姿を見せた、というのは、その瞬間に絵が盗まれたと錯覚させるための演出だったんです。つまり、本当は別のときに別の方法で盗んだのに、それがばれないよう、自分に疑いが向けられないよう、わざと人目に触れるようにバルコニーから飛び降りるパフォーマンスをしてみせたんです」

全員がエレーヌの説明に注意を集中させて、かたずを飲んで見守っていた。部屋はしーんと静まり返って、ただエレーヌの声だけが響いている。

「あのとき…わたしたちがいないときに現場に入ることができた人が、ひとりだけいますよね? わたしたちが怪盗の姿を見たときにはその場にいなかった人で、その後…」

「まっ、まさか…!」

突然マリーおばさんがすっとんきょうな声を張り上げた。

「エティエンヌ、あなたなの? なんてこと!?」

「お、お待ちください! わたくしはそんな!」

エティエンヌは突然自分の名前が出て慌てて手をふって否定した。

「そうですよ、マリーおばさま」とエレーヌ。

「ほら、みなさい!」とマリーおばさん。エレーヌはあわてて、

「ち、違います、マリーおばさま、さっきの『そうですよ』はエティエンヌに言ったんです。エティエンヌは犯人ではありません。確かにあの瞬間、わたしたちと一緒にはいませんでしたが、エティエンヌには、絵を盗み出す機会はなかったはずです。エティエンヌはわたしたちが画廊を出て、中庭に降りるとき、一緒に降りてきました。そして、そのあと、怪盗が飛び降りた後も、すぐわたしたちと合流して、そのままずっと一緒にいました。だから、一人だけで画廊に入って盗み出すような機会はありませんでした。エティエンヌがわたしたちと一緒にいなかったのは、ちょうど絵が盗まれた時間だけなので、あんな目立つことをしたら、かえって自分に疑いがかかるだけです」

「あら、そうね」 マリーおばさんは、さっきの剣幕が嘘のように、あっさりと元に戻った。

「ごめんなさい、エティエンヌ。変な疑いをかけてしまって」

「いえ、わたくしのことはかまいません。それよりも続きを、お嬢さま」

「はい」

エレーヌはコホンと咳払いをした。そして一度大きく深呼吸をして、部屋の中の全員を見回した。

「わたしたちは、エティエンヌさんと同じように、あの瞬間、わたしたちと一緒にいなかった人をもうひとりだけ知っています。そしてその人は、そのあとすぐに犯行現場にやってきて、堂々と踏み込み、しかも長い時間そこに一人でいたんです」

「エ、エレーヌ…! 」 アルベールがハッと声を上げる

「そ、それっとまさか…」 テレーズも驚いて口元に手をやった。

「はい。それができたのは」

エレーヌはふーと息を吐いて一呼吸置いてから言った。

「アラン刑事さん、彼しかいません…!」


予想もしなかった答えに、全員が一瞬言葉を失って沈黙した。いや、全員が、ではなかった。その中でたった一人、エレーヌの説明を予測していた人物がいた。しかし、それは、彼女が望まざる結論だった。

「で、でも…!」 テレーズが気を取り直して落ち着かないそぶりで尋ねる。

「確か、絵は、アラン刑事が来る前に盗まれたはずでしょ?」

「そ、そうです」とエティエンヌ。「わたくしたちが画廊に入ったとき、すでにもう絵はなかった!」

「いいえ」エレーヌは落ち着き払って話を進める。「駆けつけたわたしたちが確認したのは、部屋の中央にあったはずの古城の絵がなくなっていたことだけ。そうでしたね、お父さま?」

「え、ええ…はい。確かにそうでした」

「そして、お父さまたちと一緒にアラン刑事が画廊に入って、絵が盗まれたことを見てとるや、アラン刑事はわたしたちをみんなすぐに部屋から追い出しましたよね?」

「そ、そうだったわ! そうなのね! あの刑事が!」 悔しそうにキリキリと歯を噛みしめるマリーおばさん。

「アラン刑事はきっとこうやったんです。まず、わたしたちが中庭にいるときに、機を見て古城に侵入した。そして『古城のそで』の画廊に忍び込み、あの絵だけを気づかれにくい場所、ひと目でわからない場所に隠しました。そして部屋を荒らして物音を立て、中庭にいるわたしたちの注意を引きました。その瞬間、バルコニーに飛び出て、彼が逃げるところをわたしたちに目撃させ、パラシュートで崖の下に着地します。そして、お父さまたちが確認しに降りてくると、ちょうど今来たぱかりのように装って話しかけ、刑事としての身分を使って、第一発見者の一人としてもう一度画廊に戻ってきました。あらされた部屋と、失くなった絵のせいで、お父さまたちが盗難事件だと気づくやいなや、アラン刑事は、警察の権限を使ってわたしたちを部屋から追い出し、その間に、隠しておいた絵をうまく持ち出しました。これで、きっと、謎が解けると思うんです!」

エレーヌは自信たっぷりに言い切って周りを見回した。そのとき始めて、瑠香が自分と目を合わさず、俯いていることに気づいてハッとしたようだった。

「エレーヌちゃん、あなたすごいわ! ほんとそのとおりね! これできっと絵を取り戻せるわ!」

マリーおばさんが丸い顔に満面の笑顔をたたえて手をこすりあわせた。他の面々はそれぞれ、あれこれと隣の人の意見を問い尋ねて真偽を確かめようとした。

「し、しかしエレーヌ…!」 アルベールが戸惑いながら言った。「そ、そのそれで、どうするというのですか?」

「決まってます、お父さま! 絵を取り戻すんです! わたしの考えが合っているかどうか、アラン刑事を問いただして確かめてみなければないません!」

エレーヌの真剣で決意のこもった視線に、アルベールは唇を噛み締めて難しい表情になった。

「お父さま?」

「う…、うむ、そうだな…」

そのときだった。

「エレーヌ、アラン刑事を問いただす必要はないわ」
エレーヌ、そして由梨菜はハッとして声の主を見た。その先にいたのは、さっきまでうつむいて悩みあぐねていた瑠香だった。さっきまでの煮え切らない態度に代わり、大きな決断をしたかのごとく強い意志のこまたまなざしと、はっきり響く鋭い声だった。

投稿日2017.06.27