大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(終)

自然豊かなところで、身体のリズムを取り戻す体験記の9番目。

前回の8番目の記事では、もうこちらに記事を書く理由がなくなったとのことで休止しました。

その後、道北での暮らしを続けるうち、ここでの体験記は、もう完全に役割を終えただろう、と思うようになりました。だから、「休止」ではなく「完結」として、この9番目の記事を書きます。

引っ越してきたのが去年の10月末、今は9月末。ということで、もうすぐ1年を迎えようとしています。この一年に起こった心境の変化をまとめて、この一連の体験記を閉じたいと思います。

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大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(8)

自然豊かなところで、身体のリズムを取り戻す体験記の8番目。

前回の7番目の記事は、たとえ興味の対象が変わったとしても、トラウマに対する考察は続けていきたいといったことを書きました。

また断食療法への関心についても書きました。こちらのほうは、過去と同じことをやるより、せっかく野菜がたくさん採れる地方なので、ゲルソン療法のようなものに挑戦してみようかと検討中。

今回の8番目の記事では、わたしが自然の治癒効果を受けられるようになるのに、やっぱりSEのセラピーが重要な役割を果たしていたんじゃないかなぁ、というメモなど。

ここ数年間、あまり表に出したくない私秘的な体験が多かったので、長らく、こちらの「My Life History」の中で、自分の体験記を書いてきました。特にセラピー関係の記事はそうでした。

しかし、ここ最近は、自然の中での体験が主になっていて、わざわざ読みにくい場所で書く必要性を感じないので、表のほうで記事にすることが増えました。だから、最近書いた以下の記事などは実質的に前回の体験記の続きです。

その影響から、こちらの「My Life History」内で書く体験記が減っていますし、内容も薄くなっています。

でも、今後もまたボディワークのセラピーを受けるかもしれませんし、あまり表に出したくない体験記を書くこともあるかもしれないので、引き続きこの場所は残しておきたいと思います。

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大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(6)

自然豊かなところで、身体のリズムを取り戻す体験記の6番目。

前回はロビン・ウォール・キマラーの本が今後の指針になりそうだということを書きました。

今回は、札幌までSEのセラピーに行ってきた内容を書きますが…なかなか更新する気になれなかったことからもわかるように、あまり良い体験ではありませんでした。

だけど、無駄な体験だったわけではなく、今後の方針につながる試金石になった重要な出来事だったとも思います。そのあたりの感想を含めて、記録として残しておきます。

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大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(5)

自然豊かなところで、身体のリズムを取り戻す体験記の5番目。

前回は、最近の心境の変化、わたしはもともと原体験として自然に親しんでいたために、ここに引き寄せられたのではないか、ということを書きました。

今回は、今後のわたしの目指す方向性において、すばらしい手本になってくれると感じた一冊の本について書きたいと思います。

なお、以前ここで書いていた自然界についての体験記(星空を見たりスノーシューで歩いたり)は、別に自分の体調と向き合う関係の話ではなく、芸術的色彩を帯びた内容なので、表のほうに統合しました。

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大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(4)

豊かな自然のもとで、感覚的体験の豊かさを取り戻そうとする体験記の4番目。前回は昨一年をふり返って今後の方向性について考える内容でしたが、今回は最近の心境の変化について。

北海道に引っ越してきてから、早いもので三ヶ月半が経ちました。とても充実している毎日で、以前なら考えられないほどあちこち行っているのに、こんなにも時間が早く過ぎて不思議な感じです。

これはちょうどファスト&スロー(下) でダニエル・カーネマンが言っている2つの自己認識、「経験する自己」と「記憶する自己」の対立の例のひとつですね。充実した時間は、「経験する自己」(今この瞬間の自己認識)とっては長く感じられますが、「記憶する自己」(後からふり返る自己認識)にとってはあっという間に感じられます。「記憶する自己」は持続時間を無視するからです。(p267)

この三ヶ月のわたしは、後からふり返る自己にとっては短い三ヶ月だった。けれども、今この瞬間を感じる自己にとっては充実した三ヶ月だった。そういうことなら、感覚的体験を取り戻すという目的は達成しているといえます。

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大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(3)

豊かな自然のもとで、身体のリズムを取り戻そうと試みる体験記の三番目。前回は最近の考察のメモ集でしたが、今回は、昨年のふりかえりと今後の方向性について、ちょっと思うところがあったので書いておきたいと思います。

「今年の目標は立てるだけムダ」という心理学の研究を知っているので、わたしはあまり今年の目標にこだわることはありませんが、「今年」に限らず今後の方向性として書いておくのはいいかな、と。

「今年の抱負」という形ではなく「週ごとのステップ」といった形で少しずつ大きな目標に近づいていくのがいいらしいですし、方向性をはっきりさせておくのは大切。

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大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(2)

前回からリニューアルして書き始めた、北海道に引っ越してからの暮らしの中での、ソマティックな体験や考察についての書くシリーズの二回目。

書きたいことは山ほどどっさりとあるんですが、自動車学校関係の負担が大きくて、まだ余裕がありません。

ちょっと前まで慢性疲労症候群で引きこもりやっていたような人間が、普通の人でもストレスで胃が痛くなるとかいう免許取得に通っていること自体が奇跡的というか無謀というか。

そんなわけで、今回の記事は、過去にも何回かやっている、小さな話題の詰め合わせというか覚え書きになります。そのうち、いつかまともな記事に編集できたらいいなぁ…。

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大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(1)

新天地に引っ越してから、1ヶ月がすぎ、そろそろ近況をまとめておいたほうがいいかなと思い、6番目のシリーズを書くことにしました。

とりあえず記事のタイトルは「大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり」にしてみました。タイトルの意味については記事内で説明します。

いつもどおり、基本的には自分のための備忘録であり、だれかが読むことを想定していないので、難しい説明や 個人的な内容が多いです。

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切り離された自分の身体を取り戻すセラピー体験記(終)

セラピーの体験記(とは名ばかりのごった煮考察集)の第二期も、今回で終わりです。

前回はおもにオプトメトリーによる光過敏の対策のその後について書きましたが、予告したとおり、今回取り上げるのは、オリヴァー・サックスの最も代表的な著書レナードの朝、最初の執筆以来、何度も増補改訂を繰り返され、サックスの長年の考察の集大成のひとつといえる本です。

セラピーの総括そのものは、13回目にやってしまったので、この最終回の内容は、セラピーと直接関係はありませんが、わたしの抱えている症状と密接に関連する「凍りつき/擬態死」の考察であり、セラピーの本質そのものと深く関わっていると思います。

引用文が多いため、今までで最長の分量(ふだんの2-3倍)になってしまいましたが、もし興味のある人がいたら、お付き合いください。

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切り離された自分の身体を取り戻すセラピー体験記(14)

北海道への引っ越しを挟んでのセラピー体験記第二期14回目。前回は、東京でのセラピーの総括や、新しくプリズム入りメガネを購入したことなどを書きました。

今回の14回目では、まずわたしの眼球運動障害について、またプリズム入りメガネに変えたことの感想、そしてそれに関連して、おそらくは眼球運動異常と迷走神経の凍りつき/麻痺反応が関連しているということなどを書きたいと思います。考えていたことを前部書ききれなかったので、次回の最終回の記事との前後編のような関係になる予定です。

ここ一週間ほど引っ越しでバタバタしているだけでなく、環境が変化した恩恵か、以前では考えられないほど活発に動いているので、記事内容が遅れていますが、今回と次回の内容は、引っ越し前の今月(10月)はじめごろの考察です。

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切り離された自分の身体を取り戻すセラピー体験記(13)

前回の体験記は北海道旅行のときに考えたことの後編部分でした。

今回は、こちらに帰ってきてからの出来事。最後のSEセラピー、主治医への報告、そしてオプトメトリストのところでプリズム入りメガネを作ったことなどを書きます。

もうこの第二期の体験記も13回目になりました。わざわざ読んでくれているような奇特な方がいるのかはわかりませんが、第一期と同様、15回で締めくくりたいと思っています。こちらに滞在中に受けるSEセラピーは今回が最終回なので、わりといい区切りになりそうですね。

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切り離された自分の身体を取り戻すセラピー体験記(10)

前回の記事では、最近読んだトラウマをヨーガで克服するをもとに得た気づきや、主治医との話を通して考えたことについて書きました。

今回は12回目のセラピーの内容を中心に、最近考えたことや実践したことについて書きたいと思います。

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切り離された自分の身体を取り戻すセラピー体験記(9)

前回の第8回はサックス先生の片頭痛の本から得た気づきについて書きました。そろそろ次のセラピーなのですが、それまでの間の出来事をまとめておいたほうがいいかなと思い、9回目を書くことにしました。

今回はおもに、日常生活の中でのボディワークのトレーニングが、ある本をきっかけに大きく前進したことについて。そして主治医と話したことのメモなど。

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切り離された自分の身体を取り戻すセラピー体験記(8)

SEのセラピーの体験記の第二期の8回目。前回は、反動のせいか激しく落ち込んだ話を書きましたが、幸いそちらのほうはすでに落ち着いています。

それよりも、考察面でものすごい進展がありまして、それをどう記事にまとめたらいいのか迷いに迷っていました。あまりに多くのことが一度にわかったもので、整理しきれる自信がないというか。でもためらっていても仕方ないし、ここの体験記はそうした錬成途中の考えを書く場所でもあるので、頑張って書き出してみます。

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切り離された自分の身体を取り戻すセラピー体験記(7)

自分の身体を取り戻すためのセラピーの体験記の7回目。前回は大自然のさなかに旅行に行った、即席の自然セラピーのような体験について書きました。

今回はその続きを書こうかと思っていたんですが、同じ内容を別々の記事に前後編に分けて書くのが好きじゃないので、けっきょく、後編に書くつもりだった内容は、前回の記事に追加してしまいました。

今回は、話はそちらの話いったん置いといて、近況を中心に書きたいと思います。

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切り離された自分の身体を取り戻すセラピー体験記(6)

SEのセラピー体験記の第二期の6番目。前回は、学習された不使用の研究などを参考に、自分の感覚が萎縮していることを考えました。今回は…

前回の流れで、道北まで行ってきました。

いや、広い世界を経験せねば、と言い出して、そのまま道北に行くとか、単純すぎるんですが、想像力が萎縮しているのか、それくらいしかまともに思いつかなかったもので(笑)

というわけで、今回は、なぜいきなり旅行に行ってきたのか、そして、初めて日本の最北のほうまで行って、広い自然を満喫してきたなかで感じたことを書きます。

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