明るさ過敏や目の疲れの苦労の正体を探りに筑波大学に行ってきた話(4)

子どものころから悩まされていた、まばたきの多さや目の疲れ、明るさ過敏の原因を探るうちに見つけた光の感受性障害、「アーレンシンドローム」という概念。これは、その真偽を確かめるべく、筑波大学の専門機関へと赴いた体験記の第四回です。

前回までのところで、アーレンシンドロームのスクリーニングテストや、色つきレンズのフィッティングの結果、どうやら思っていたより、かなり強い明るさ過敏があるようだ、という事実が明るみに出ました。

アーレンシンドロームの色つきレンズのフィッティングに行ってきた

これは、アーレンシンドロームの可能性を疑って専門機関へと出向いたわたし自身にとっても予想していない意外な展開でした。そして、このできごとをきっかけに、まるでバラバラだったパズルのピースがはまるように、これまでの人生のさまざまなキーワードがつながりはじめました。

今回の第四回の感想では、まず、前回の体験を契機に、わたし自身のこれまでの人生について明らかになったことを色々と書いています。わたしが持っているADHD傾向と、今回、明らかになった光の過敏性、そしてこのサイトに載せている絵の世界などの芸術的創造性をつなぐミッシングリンクがついにはっきりしたように思います。

そのあと、筑波大学での3回目の面接で、色つきレンズのフィッティングをさらに進めた感想について書きたいと思います。

解離されていた感覚過敏からわかったこと

まず、前回のフィッティングのあとで生じた変化について振り返ることにしましょう。

前回のフィッティングでは、多種多様な色のレンズをとっかえひっかえして、明るさや色を比較するという、ものすごくハードな認知作業をしたので、さすがに目が疲れ果てました。

目だけでなく、神経を研ぎ澄ませて見え方の違いを判断していったので、集中力も消費して神経がすり減ったように思います。

そうした認知疲労も関係しているのでしょうが、家に帰ってから、奇妙な変化に気づきました。

それは、今までより、まぶしさや明るさが気になってしまい、気分が悪くなってしまうこと。

単に疲れているから、ではなく、今までは気に留めていなかったまぶしさが、意識に割り込んでくるようになりました。

特に、次の日の夜、明るい会場に行く用事があったのですが、いつもは単にまぶしいだけの照明が、洪水のような刺激として迫ってくるように感じられました。まるで金メッキのように見えました。

意識すると苦しいので、意識をそらせようとするのですが、ついまぶしさに注意が向いてしまい、圧倒されそうになってしまう。

さまざまなテクニックを活用して気持ちを落ち着かせていましたが、かなり動揺してしまい、用事が終わるとすぐに屋外に飛び出ました。

屋外に広がる漆黒の夜は、とてもホッとする暗がりで、一気に緊張がほぐれたのを覚えています。あまりに安堵したので、その後少し散歩して、ゆっくり帰宅したほどでした。

まぶしさに「気づいてしまった」

感覚の洪水に圧倒されてパニックになるというのは、自閉圏の人の症状としてよく聞きます。

当事者の綾屋紗月さんによる発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく) によれば、自閉圏の人たちは、外部からの感覚刺激を選り分けるのが難しく、騒音やめまぐるしい動きなどの刺激をすべて受け止めてしまい、「感覚飽和」と呼ばれる状態になるそうです。

大量に刺激が感受されすぎて、たくさんの感覚で頭が埋め尽くされている状態を、わたしは「感覚飽和」と呼んでいる。

これは私をとても疲れさせるもので、この感覚飽和に陥って情報が追いつかないときに、いわゆる「フリーズ」や「パニック」が引き起こされる。(p57)

処理しきれない感覚に圧倒されると、メルトダウンと呼ばれるパニック症状を起こし、その苦しさから逃れようとして、頭をガンガン壁にぶつけるなど、異常な自己破壊行動をしてしまうことがあると聞きます。

おそらく、わたしが感じた圧倒されるような感覚はそれと似ているのでしょう。しかしわたしは、パニックにはならず、表向き冷静さを保つことができました。

それは、わたしが、自律訓練法やらマインドフルネスやらバタフライハグやら、自分を落ち着かせるさまざまな手段を使い慣れているせいもあるのでしょうが、それよりも、もともと刺激を抑えこむのが得意なのだと思います。

わたしが、これまで気にしていなかったまぶしさを意識するようになってしまったのは、先回のレンズのフィッティングの記事で書いた、第三ラウンドのフィッティングが原因でした。

第三ラウンド、つまり3枚目のレンズのフィッティングでは、すでにかなり視界が暗くなっていたので、いつもと見え方がまったく違っていました。そのとき初めて、わずかな黄色の輝きが「まぶしい」ことに気づきました。

これまでは、視界全体が輝いていたので、それが普通、当たり前だったのです。ところが、暗いレンズをかけて明るさをしぼったことにより、視界の一部だけが黄色く輝くようになりました。

そのとき、今まで当たり前と思っていたものが、じつは「まぶしさ」だったことに初めて気づいたのでした。まるで精神修行のようだったと書きましたが、あたかも悟りを開いたのように、「ユリイカ!」(私は見つけた!)とでも叫びたくなるような発見だったのです。

でもそれは、単に「気づいた」というより「気づいてしまった」という意味合いを帯びていました。

これまでは、まぶしさに気づかないよう、無意識のうちにフィルターがかかっていたのです。まぶしさという感覚がほとんどマスクされ、それは代わりに目の疲れとして意識されていました。おそらく、感覚に圧倒されないための、脳の適応だったのでしょう。

ところが、この黄色がかった視界は、当たり前のものではなく、まぶしさなのだ、と気づいたことによって、感覚の洪水から脳を守るための無意識のフィルターが、少なくとも部分的に解除されてしまったのだと思います。

そのせいで、今までは隔離されていた感覚の刺激が意識に上るようになってしまい、受け止めきれない刺激があふれそうになったということでしょう。

ところで、この感覚過敏に対する無意識のフィルターは、単にまぶしさだけにかかっていたのではないようです。というのも、その日以降、もともとあった音過敏も強くなって、いつも以上に騒音に圧倒されるようになったからです。

最新脳科学でわかった 五感の驚異 を読むと、近年の研究によれば、五感はそれぞれ独立しているのではなく、互いに関連し、影響しあっている、クロスモーダルなものだとされています。たとえば、目を開けている人と、目隠しをしている人とでは、同じ一流シェフの料理を食べても感じる味が違います。目に見える料理の美しさによって味覚が補正されるからです。

わたしの場合も、単に視覚のまぶしさだけが感覚の洪水をもたらしていたのではなく、おそらくあの日以降、感覚全体にかかっていたフィルターが弱まり、すべての感覚に対する過敏さが増したのだと思います。

そのことに気づいてから、その次に明るい場所に行くときは、まぶしさは変えられないものの、耳栓を強く閉めるという対策を講じました。またいつも以上に休息を多くとって、神経を休めるようにもしました。

まぶしさだけでなく、受け取る感覚の総和を減らしてやることで、圧倒されるような感覚の洪水を防げるはずだと想定しました。しかして確かにそのとおりになり、まぶしさは気になるものの、うまくしのげるようになりました。

無意識のフィルターとしての「解離」

では、わたしの場合に、本来存在している強い感覚過敏を和らげ、さもごく当たり前のことであるかのように思い込ませ、脳をだましていたフィルターとはなんだったのでしょうか。

おそらく、それは「解離」と呼ばれる脳の働きだと思います。

解離とは、圧倒されるような感覚を切り離して、存在しないかのようにしてしまう脳のシステムです。

たとえば、虐待された子どもなど、自分では抱えきれないほどのトラウマ経験に直面した人の場合、脳を守るために解離が生じて、トラウマ記憶が封じ込められ、記憶のつながりが断たれることがあります。

けれども、これは虐待のような悪意をもった攻撃に対してだけ用いられる脳のシステムではありません。

なんであれ、まわりから加えられる刺激があまりに強すぎて、脳が持ちこたえられなくなったとき、刺激を切り離し、封じ込めるために解離が生じます。トラウマ記憶による強すぎる刺激も、感覚過敏による強すぎる刺激も同じです。

解離が生じると、その刺激そのものには気づかなくなります。存在すらほとんどわからなくなってしまい、何事もなかったかのように覆い隠されてしまいます。

その代わりに、強すぎる刺激を封じ込めるために、ものすごいエネルギーを使っているので、体の別の部分に疲労や痛みなどの支障が出てきます。一部機能が遮断されて、一時的に歩けなくなったり、目が見えなくなったりすることもあり、これは転換性障害身体表現性解離と呼ばれています。

では、解離によってそうした不思議な現象が生じるとき、わたしたちの体ではいったいどんなことが起こっているのでしょうか。それは、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合 の次の記述でわかりやすく説明されています。

ちょうどアクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態と考えると分かりやすいかもしれない。

そしてそれは、エネルギーを消費する交感神経系と、それを節約しようとする副交感神経系の両方がパラドキシカルに賦活されている状態であるとする。これが解離状態であるというのだ。(p17)

わたしたちの体の働きは、自律神経の2つの活動のせめぎあい、つまりテンションを上げる交感神経と、リラックスさせる副交感神経のバランスによって成り立っています。

解離とは、強い感覚刺激にさらされて、交感神経という「アクセル」が強く踏み込まれているとき、その逆の「ブレーキ」の働きをする副交感神経をフルに働かせて拮抗状態に持ちこみ、何もなかったかのように打ち消してしまう状態です。

たとえば、交感神経が1働くと、副交感神経を1働かせるだけでバランスをとることができます。ところが、トラウマなど強い感覚刺激に晒されている人の場合、交感神経が常に10働いているようなものなので、それを打ち消すには副交感神経も10働かさなければなりません。

絶え間ない刺激のせいで興奮して騒ぎ立てる交換神経を、同じほど頑張って封じ込めるわけですから、相当強い抑制力が必要です。さっき、わたしが刺激を抑えこむのが得意なのでパニックにならずに済んだのだろう、と書いたのはそういうことです。ただ得意といっても、それは無意識の働きなのですが。

しかし、交感神経1に対して副交感神経1で対処しているのと、交感神経10に対して副交感神経10で打ち消すのとでは、どちらも表面上は拮抗状態なので何事もないように見えますが、使っているエネルギーは段違いです。アクセルをフルに踏み込みつつ、急ブレーキで抑えていたら摩擦で部品がすりきれてしまうでしょう。

だからこそ、感覚刺激に対して解離を使って対処している人は、感覚刺激そのものの存在には気づかないようになっているとはいえ、ものすごく疲れたり、体に転換性障害や身体表現性解離としての症状がいろいろと出てきたりするわけです。

わたしの場合も、おそらく強すぎる感覚過敏を封じ込めるために解離を使っていたので、感覚過敏そのものの存在にほとんど気づいていませんでした。人よりちょっと過敏かな、という程度の認識です。

わたしが主に感じていたのは、目や体の疲れでした。明るさ過敏はあるとは思っていましたが、それほど強いとは思っていなかったからこそ、前回のフィッティングのときに真っ黒なレンズが楽だとわかって心底驚いたのです。

感覚刺激が解離されていると、そのことに気づかないわけですから、葛藤も生じません。さっきの解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合 に書かれているとおり、解離と葛藤は同時に存在しえないものです。

ところがスターンの解離理論からすれば、葛藤よりもさらに深刻な状況があり、それは葛藤が成立しない状況、心の一部が体験として成立してない解離された状態であるということになる。(p77)

わたしの場合も、黄色く輝く視界全体を覆うまぶしさという圧倒的な感覚刺激は、まったく体験として成立していませんでした。それは存在しないかのように隠されていました。

しかしひとたび解離が解除されると、今まで気づかないように隔離されていた刺激の存在に気づくので、葛藤が生じます。その葛藤こそが、フィッティング後にわたしに生じた感覚飽和との格闘だったのでしょう。

もちろん、わたしの場合は、もともと強い解離傾向があるので、一時的に解離が弱まったとはいえ、まだかなり感覚過敏を解離させていると思います。もしそれをすべて解除してしまうと、わたしはきっと耐えられないのではないかと思います。

生まれつきの感覚過敏「HSP」

ではなぜ、わたしが、解離によって感覚過敏をマスクするようになったのか。

事の始まりは、物心つくよりもずっと前、それこそまばたきが多いとか、まぶしいことに気づくよりはるか昔、生まれて間もないころにさかのぼります。

わたしの親の話によると、生まれてすぐのころから、わたしは泣いてばかりで、全然寝ようとせず、母子ともに疲れ果てたころにやっと寝落ちする、という状態がつづいたそうです。

わたしはいまだに寝つくのがかなり難しいのですが、睡眠障害の専門家の三池先生の子どもの夜ふかし 脳への脅威 (集英社新)を見ると、ADHDの人は赤ちゃんのときからこうした寝つき不良がよく見られるそうです。

ADHDの子どもの中にも、睡眠問題を抱えているお子さんが少なくありません。2007年以降に発表された、乳幼児期の睡眠とADHDとの関連をまとめた論文は300を超えます。

それぞれの報告に共通するのは、「寝つき不眠」と呼ばれる寝つきの悪さと、夜中に何度も目を覚ましてグズる「頻回覚醒」です。(p60)

ではなぜ寝られないのか。簡単にいえば、脳が寝るモードに切り替わらないせいです。寝るモードになれないのはリラックスできないから。リラックスできないのは神経が高ぶっているから。

そして、なぜ神経がいつも高ぶっていて休まらないのかというと、それはおそらく、ひとつには感覚過敏が存在しているからです。生まれつきの感覚過敏のせいで、常に内外からの刺激によって神経が高ぶって休まらないため「寝つき不眠」が生じたり、「頻回覚醒」で目を覚ましたりしやすいのです。

最近になって、こうした生まれつきの感覚過敏、という体質は、HSP (Highly Sensitive Person:ひといちばい敏感な人)と呼ばれることを知りました。

HSPは1996年にひといちばい敏感な子 の著者である、アメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士が提唱した概念です。

光の感受性障害であるアーレンシンドロームと比較すると、HSPのほうが新しい概念であり、光だけでなく、他のさまざまな感覚過敏を生まれつき抱えている人を指しています。つまるところ、ものすごく繊細な人のことなのです。

「敏感すぎる自分」を好きになれる本 の説明を要約すると、HSPには次のような特徴があるそうです。(p29-31)

1.刺激に敏感に反応する
…さまざまな感覚の過敏性があり、他の人が反応しないようなささいな刺激に敏感

2.人に過剰に同調しやすい
…まわりの人の気持ちや場の空気を敏感に読み取れるが、自分の気持ちを押し殺して周りに合わせてしまいやすい

3.直感力があり、ひらめきが強い
…あまり考えなくても過去の膨大な記憶から直感的に本質がわかる

4.慎重で自分のペースで行動することを好む
…常に神経を張りつめているため疲れやすい

5.内的生活を大事にする
…空想や想像が豊かで、感受性・共感性が強く思索的

これらの特徴から描き出されるのは、とても繊細で傷つきやすく、他の人の顔色に敏感で、空気を読みすぎてしまい、少ない手がかりから多くを推察するほど直感力が鋭く、そのせいで、あえて社会から一歩身を引いて自分のペースを大切にすることを好み、避難場所としての創作や空想世界を大切にする人物像です。

はっきり言って、わたしそのものです。

同時に、この人物像は、不注意優勢型のADHDの人の特徴と一部重なっています。不注意優勢型のADHDの人も繊細で自分の世界にのめり込みやすく、芸術的感性が豊かだったりします。

「のび太型ADHD」の本を読んで自分のお絵描き人生の謎が色々解けた話
わたしの創作力はADHDで苦労していたことの裏返しだった

それもそのはず、HSPとADHDは互いに重なりあう概念だと思います。

「ADHD」とは何だったのか

光の感受性障害であるアーレンシンドロームが発達障害と深く関わっているように、HSPもまた発達障害との関連性があると考えるのは自然なことでしょう。

まず似ているところがあるのは自閉症です。感覚過敏は自閉症によく見られるからです。しかしアーロン博士は、ひといちばい敏感な子の中で、HSPは他人の気持ちに対しても繊細で、空気を読む力が鋭い傾向があるのに対し、アスペルガー症候群などの自閉症は空気を読むことが難しくマイペースなので性質が違う、とはっきり述べています。

HSCと混同される理由は、自閉症やアスペルガーの子どもたちは、感覚的な刺激に極めて敏感な点です。でも、場の空気や相手の気持ちには敏感とはいえません。これがHSCと大きく異なるところです。(p66)
[※HSCとはHSPのPersonをChildに置き換えた「人一倍敏感な子」の意味]

博士は、HSPが軽度の自閉症であるというのも違うだろうと述べています。HSPの人は人に強い関心があり、自閉症とは真反対のベクトルに位置するからです。わたしも自分のことを考えて確かにそうだと思います。わたしは子どものときからずっと、人の心に異常なほど関心を持っていました。

空気を読めないがために相手の顔色を気にしすぎるアスペルガーの人もときどきいますが、その場合はHSPとは違って、気にするところが変にずれている気がします。もともと他人の気持ちに興味があるわけではなく、人間関係がうまくいかないせいで気にするようになってしまったのでしょう。

一方、ADHDとHSPの関係については、アーロン博士は類似点を認めつつ、相違点も指摘して、慎重な姿勢をとっています。しかし多くのHSPの子どもがADHDと診断されていることは認めています。

実のところ、アーロン博士が認める通り、もともと感覚過敏があるせいで、ADHDの三大症状、つまり多動性・衝動性・不注意が生じている人は少なくないはずです。(p65)

たとえば博士はこう述べています。

気が散る要因がたくさんある時や、そのような状況が長引く時、あるいは、動揺してすでに内面から過剰な刺激を受けている時に、さらに外からの刺激を受けると、圧倒され興奮して「おかしな」振る舞いをしがちです。

これが、ADHDと間違われてしまうもう一つの理由です。(p65)

すでにみたとおり、ADHDの子どもは、赤ちゃんのころから感覚過敏のせいで神経が高ぶって寝られない傾向が見られます。

さまざまな刺激に敏感だと、落ち着きがなくなったり、衝動的に反応してしまったりして、いわゆるジャイアン型のADHDのようになるはずです。また集中しなければならないときに、感覚過敏のせいで注意がそらされると不注意に見えるでしょう。

より感覚過敏が強い人、より生まれつき繊細な人の場合は、過敏さをそのままにしていては身がもたないはずです。より繊細なHSPの人の場合は、おそらく脳を保護するために解離が働き、ぼんやりとして自分の世界にのめりこみやすい不注意優勢型の、いわゆるのび太型のADHD(多動がないのでADDとも呼ばれる)に成長していくのでしょう。

我が身を脅かす感覚過敏に対するこうした反応は、実は人間の緊急時の生存システムとしてもともと組み込まれているものです。これは、恐怖反応としてよく知られています。

たとえばあなたが獰猛なライオンに突然出くわしたら、どうなるか考えてみてください。まず「闘争・逃走」というパニックじみた反応が生じます。何も考えられなくなり、衝動的に攻撃したり逃げだしたりします。

しかしさらに追いつめられてライオンに飛びかかられ、恐怖が頂点に達すると、今度は「固まり・麻痺」という反応が生じます。これは体の力が抜けて死んだようになったり、意識を飛ばしたりして、恐怖や痛みをやり過ごす反応です。

さっきも引用した解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合 によると、このうちの「逃走・闘争」は圧倒する恐怖の刺激に対して交感神経が過剰に緊張している状態です。そして、さらに進んだ「固まり・麻痺」はそれを副交感神経で抑えこんだ状態、つまり解離なのだそうです。(p22)

これらの恐怖反応は、本来は緊急時に生じますが、日常生活で同じようなことが起これば、当然似たメカニズムが働くはずです。

つまり、感覚過敏のせいで、いつもライオンに対面しているかのような刺激を受けている子どもは、「逃走・闘争」のように暴力的になったり、多動になったりするでしょう。パニック状態にあり、頭はまっしろで何も考えず衝動的に行動していしまいます。これがジャイアン型のADHDです。

さらにHSPの程度が強い過敏で繊細な子は、ちょっとしたことでライオンに飛びかかられるかのような圧倒的な刺激にさらされます。そうすると、「固まり・麻痺」のように解離が生じます。恐ろしい現実から心を切り離してぼーっと心ここにあらずになったり、空想世界に逃避して夢見がちになったりします。これがのび太型のADHD(ADD)です。

つまり、ADHDとは、平和な日常にいるはずなのに、感覚過敏による絶え間ない刺激のせいで、緊急事態の生存システムが働いてしまい、交感神経が過緊張して落ち着きがなくなったり、逆にそれを抑えるために副交感神経をフル稼働させて、ぼーっとする解離が生じたりしている状態だといえます。

緊急時のシステムを常時使っているのであれば、ADHDの人がやたらとエネルギッシュだったり、逆に疲れやすかったりするのも当然でしょう。いつもオーバークロック状態なのでパフォーマンスが向上しているぶん、エネルギー効率が悪いのです。

先ほどのアーロン博士のひといちばい敏感な子では、ADHDとHSPは別のものと書かれてはいますが、よくよく読んでみると、博士はADHDという言葉を用いるとき、冒険好きなジャイアン型のことを指していて、HSPという言葉は用心深いのび太型に当てはめているようにも受け取れます。(p64)

「敏感すぎる自分」を好きになれる本によると、さらに、冒険好きでスリルを求める感覚過敏の人たちは、HSPならぬHSS (High Sensation Seeking:刺激を大いに求めること)と表現されています。これは心理学者のマービン・ズッカーマンが提唱した概念だそうです。(p66)

そうすると、のび太型、つまり不注意優勢型のADHDとはHSPそのものであり、ジャイアン型、つまり多動・衝動性優位型のADHDはHSSそのものだということになります。もちろんHSPとHSSの中間の人も存在するとされています。それはいわゆる混合型のADHDのことでしょう。

わたしは、こうした概念を知って、ADHDとは、生まれつき感覚過敏のあるHSPやHSSの人が不適応を起こした場合につけられる医学的な診断名ではないかと思うようになりました。もちろんADHDには他にも色々原因があるのかもしれませんが、感覚過敏はかなり大きなウェイトを占めていそうです。

生まれつきHSPやHSSがあっても、うまく社会に適応できれば「ひといちばい敏感な人」ですが、不適応を起こしたときにはADHDという「障害」とみなされるのではないでしょうか。

感受性の強さはリスクであり才能でもある

わたしも不注意優勢型ADHDと診断されていますが、おおもとをたどれば、このHSPに行きつくはずです。

わたしは、よく自分がおおざっぱだとか、細かいところは無視するとか言いますが、たぶん鈍感だからそうしているわけではなくて、逆にあらゆる感覚が過敏すぎて、あまりに色々な方面に気が向きすぎるせいで、意識が拡散しているのだと思います。

わたしの不注意とか、ぼんやりしてしまう癖とか、子どものころから空想世界を思い描き続けていたことなどは、生まれつきの感覚過敏による圧倒されるような刺激を、解離を用いて遮断して、脳を保護してきたために培われたのでしょう。

そのあたりのことは前の記事に書きました。

芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源
国語や美術が得意な人は子ども時代から空想傾向を持っている

ところで、上の記事では、解離によって空想世界や芸術的感性が作られる理由として、恵まれない家庭環境や安心できる居場所がないことなどの苦痛からの逃避があると書きました。それもまた、今回書いているHSPの傾向と関係しています。

HSPの人は、ささいなことに傷つきやすく、他の人の気持ちにも敏感です。そのため、混乱した家庭や不適切な養育環境で育つと、普通の子ども以上にストレスを抱え込みがちです。

たとえば、両親が不仲だと、どちらの親にも配慮しようとして板挟みになったり、家庭内の混乱を幼いころから過敏に察知して、子どもなのに親やきょうだいの気持ちを汲みとって気を回したりします。

「敏感すぎる自分」を好きになれる本 を見ると、HSPの人は、無意識のうちに場の空気を読みすぎて自分を合わせ過ぎたり、親子の絆である愛着がうまく発達しなかったりしやすいそうです。(p44,85)

本当なら安心できるはずの家の中が、気が休まることのない強制収容所のように息苦しい場所になると、不安や孤独や恐怖から交感神経が常に興奮しつづけます。そして、それを抑えこむために副交感神経の抑制機能を普通以上に強く働かせると、解離が生じて、頭がフリーズしたり、感覚がマヒしたり、普通に過ごしているだけで疲れ果てたりするようになります。

わかりやすい「解離性障害」入門 では、解離が強くなりすぎて日常生活が困難になった状態である解離性障害や、解離して切り離した部分が別の人格になって切り替わってしまう解離性同一性障害の人たちの場合、激しいトラウマではなく、こうした家庭内の絶え間ない緊張が原因になっている人が少なからずいるとされています。親の側の不適切な養育環境だけでなく、子どもの側の感受性の強さも関係している「関係性のストレス」が原因なのです。(p194,201)

こうした子どもの側の生まれつきの感受性の強さは、愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書) によると、幾つかの遺伝要因が関わっているそうです。

たとえば、ドーパミンに関する特定の遺伝子変異があると、ADHDになりやすいだけでなく、同時に養育環境の影響も強く受けやすいそうです。(p130)

またセロトニン・トランスポーター遺伝子の短い組み合わせがあると、うつや慢性疲労になりやすく、やはり養育環境の影響を強く受けやすいそうです。(p133)

疲労感が強く不登校になる子どもには、これらの遺伝子多型が見られるという研究が存在しています。たとえば、不登校の子どもの睡眠障害に詳しい三池先生の学校を捨ててみようには、こう書かれていました。

不登校の子どもたちのドーパミントランスポーター遺伝子の過多について、東大の石浦章一教授に検討していただいた結果、彼らはいろいろなものに興味をもちやすい性質をもっている可能性が示唆されるデータを得た。(p109-110)

検査はしていませんが、おそらくは、わたしも間違いなくそうなのだと思います。「いろいろなものに興味を持ちやすい」イコール「環境の影響を強く受けやすい」ということです。

しかしどちらの場合も共通しているのは、これらの遺伝子は「弱さ」ではなく「感受性」の遺伝子だということです。まわりの環境が悪ければより悪い結果が生じ、まわりの環境が良ければより良い結果が生じ、才能を開花させることにもつながる遺伝子なのだそうです。

ドーパミンD4受容体遺伝子多型にしろ、セロトニン・トランスポーターの遺伝子多型にしろ、それが存在することは、養育環境に左右されやすいという過敏な傾向を有むが、逆に良い環境を与えることができれば、そうした遺伝子多型でない場合よりも、むしろ安定を獲得することができるのである。(p135)

繊細な人は、精神疾患や依存症などを抱えやすい反面、独特な感性を発揮して、学者や芸術家として成功するケースもあることはよく知られています。そしてそれはADHDの人の特徴でもあります。

ちなみにこの愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書) では、環境に過敏に反応する感受性の強さとADHDは、先ほどの遺伝子の観点から見ても、同じものの別の面ではないか、とされています。

一方、自閉症は、似た面がありつつも、人ではなく物やシステムに関心を持つなど対極的な性質を持っているので、別のものだと説明されていました。これはこれまで考えてきたことと一致しています。(p139.172)

また、アーロン博士の、ひといちばい敏感な子では、HSPの正体はまさに、これらのドーパミン、セロトニンの感受性の遺伝子だとされていました。とするとやはり、HSPとADHDは、同じ感受性の遺伝子を土台にした重なり合う概念であると考えるのが理にかなっているように思えます。

さきほど書いたとおり、わたしは、ADHDのほとんどは、生まれつきHSPやHSSの人が不適応を起こした場合につけられる診断名だと思っています。

生まれつき感受性が強く、感覚過敏がある人は、不適切な環境に置かれると、多動性や衝動性などの問題行動が表に出てきて「ADHD」つまり「注意欠陥多動性障害」というマイナスのレッテルを貼られます。

しかし、望ましい環境に置かれると、生まれつきの感受性を、たぐいまれな感性として活かして「才能」にすることができます。その場合は、HSPではあっても、ADHDという「障害」ではありません。

わたしの場合は、もともとHSPがあるために、光過敏だけでなく、音過敏、皮膚過敏、匂い過敏などいろいろな過敏性があるようです。人の気持ちにも敏感すぎて過剰に反応しがちです。残念ながら、家庭環境も悲惨だったので、おそらく生後半年ごろの時期から不安や孤独にさらされ、そうした刺激を解離させることで対処してきたようです。

解離が強くなったのは、いろいろ混乱した環境にさらされた小学生のころですが、その時期に詩や絵や作文の分野で明らかに他の子とは違う創作能力が次々に現れました。本格的に解離が強くなることで、副産物として逃避先の空想世界が大きくなり、芸術的才能が培われたのだと思います。

けれども、さきほど見たとおり、解離にはエネルギーを使います。前の記事で書いたとおり、自分が他の子の何倍も苦労していることに気づかず、そのほかのストレスも相まって、結果的に不登校に追い込まれ、後にADHDと診断されました。

でも、幸運だったのは、支えてくれる人との出会いがあり、決してあきらめないよう励まし続けてもらえたことです。そのおかげで、生まれつきのHSPがある面では「障害」として現れつつも、別の面では「才能」として活かせるようになってきたのだと思います。解離の副産物として生まれた芸術的感性を、他の人には存在しえない後天的な才能として活用できるようにもなってきました。

わたしには他の人と違う能力があります。ひといちばい深く考える力や、文章や芸術を創作できる感性をいくらか持っています。

けれども、前にも書きましたが、わたしは自分が「天才」のたぐいでないことはよく知っています。進学校に通っていたとき、じかに天才を見てきました。わたしが苦労してやっと達成できる課題を、いともたやすく、わずかな時間でこなしてしまうような人たちです。

わたしの能力は、そうした生まれつきの才能、つまり天才ではなく、その真反対のものです。それは生まれつきの感受性の強さからくるもろさを補うために発達させた「適応」です。

心がもろいからこそ人の何倍も考えて自分を納得させ、敏感すぎるからこそ避難場所としての空想世界を創りだし、傷つきやすいからこそ感情表現がこまやかで、空気を読み過ぎるからこそ多面的な人格が生まれ、たびたび窮地に追い込まれるからこそ様々な本を読んで対処法を探り出し、困難が生じるたびに神経機能をオーバークロックさせ、適応に適応を重ねた結果として、今のわたしがここにいるのです。

話がつい長くなってしまいました。この話題を詳しく掘り進めると本が一冊書けてしまうほどキリがないので、このあたりで締めくくって次の話題に移りましょう。

2回目のレンズフィッティング

さて、ところ変わって、さまざまな気づきを胸に秘めて、みたび訪れた筑波大学。色つきメガネのフィッティングの2回目ですが、今回はどんな展開になるのでしょうか。

道中は、最近興味をもった右脳と左脳を見つけた男 – 認知神経科学の父、脳と人生を語る – という本を読んでいました。認知神経科学の父として知られるマイケル・ガザニガによる、今年3月に発売された自伝的な本です。

マイケル・ガザニガの本は、前にこのサイトで紹介したこともありますが、かなり読みにくいことが多く、それこそ内容が理解できず同じ場所をループしやすい難読系の本です。しかし、右脳と左脳の研究は解離の研究と縁が深いので、しっかり事実を知っておきたいと思ってちまちま読んでいます。

右脳は創造的という都市伝説が否定された代わりに、近年では右脳と左脳をつなぐ脳梁の弱さ、つまり複数の視点を切り替えて考えられる力が創造性と結びついているという研究があるらしく、しかも脳梁の弱さは解離とも関係しているようなので、気になる内容なのです。

そんな読みにくい本と格闘しているうちに面談の時間になりました。

最初に、前回のフィッティングの後、体調がどうだったか聞かれました。全部話すのは無理なので、上に書いたことのほんの一部、これまで当たり前だと思っていた部分に気づいて、少し感覚過敏が強くなった、というようなことを話しました。

すると、そうした説明をする人はこれまでいなかったものの、一時的に体調が悪化した人はいるとのことでした。まあ、わたしがしたような説明は、解離について知らないと出てこないと思います(笑)

5枚目、そして6枚目…

それから、いよいよ前回の続きということで、レンズのフィッティング。まず、前回調整済みの3枚重ねのレンズの見え方を試してみました。すると…

明るい…??

前回の最後に、ちょっと暗すぎるかも、などと言っていたのに、まだ明るいという困ったことに。でも、考えてみれば、前回からこのかた、刺激に対するマスクがいくらか解除されて、感覚過敏が前より強くなっているので、より本来の感覚に近づいているのかもしれません。

どうしたものか…と思っていると、4枚目のレンズを重ねましょう、ということに。4枚目!? すっかり3枚で打ち止めだと思っていたら、まだ重ねることができたとは! 驚くというより、後は確認するだけだと思っていたレンズの調整が、まださらに続くことがわかって、苦笑いしながら今一度気を引き締めたのでした。

4枚目のレンズを重ねる過程は、前回と同じように、ひとつずつ色を変えて、見え方を確認していきます。前回よりさらに微妙な差異の判断が求められますが、感覚が鋭敏になっているのか、どれが見えやすいかは、わりと簡単に判断できました。しかし、気になるのは、どれをやっても、目に対する刺激が十分弱くならないこと。

一番見え方がましだったのは、ごく薄いべっこう飴のような色のレンズ。黄色みがかっているというほどではなく、ほんの少し暗くする感じだったかもしれません。しかしそれでは十分でないので5枚目にいくことに。そうか…5枚目もやるのか…(笑)

そしてまた様々な色を重ねていくわけですが、このあたりになると、合わない色だと、視界が変に色みがついてしまってすぐに見えにくさがわかります。結局、ほぼ色のついていないグレーを重ねて、さらに明るさを抑えるのがよさそうでした。

しかし、かなり蛍光灯が明るい部屋でフィッティングをしているので、ここでちょうどよく思えるメガネが、果たして他の環境でも見やすいのだろうか、という疑問も。それで、部屋を出て、廊下なども見させてもらうことにしました。

すると、かなり暗い視界ではあるものの、比較的よく見える感じ。最初は暗すぎる気もしましたが、少し歩くとこれはこれでありかなと思う。そして驚いたのが、階段の踊り場の先にある窓の向こうの中庭を見たとき。ものすごく立体的に見えて、一瞬言葉を失いました。試しにレンズを外して見比べてみても、やはりレンズがあると立体的に見える。

単なる光の加減なのか、それともアーレンシンドロームの人に多いとされる立体感認知の障害がわたしにもあるのかは判断できませんでしたが、とても不思議な体験でした。

とても暗い色のレンズなので、「歩いたりするのに問題はないですか」とも聞かれましたが、全然問題なく。かえって、なんだか視界が楽で、リラックスできて、全身の力が抜けるような感じもありました。やはり、光過敏のせいで、常日頃、普通以上に体が緊張しているのだろうか…。それとも一時的な気のせいにすぎないのか…。

ところで、今回の面接に行く前から考えていたことですが、メガネを複数作って、場所によって使い分けるという方法はどうなのか尋ねてみました。すると、実際にそうして室内用・外出用などと複数作る人もいるとのこと。

フィッティングで必要な色はある程度わかるので、2つ目以降のメガネは自分でメガネ屋に行って作る人もいるのだそうです。

わたしの場合は、このとき選んだ色だと、室内でも室外でもわりと見やすそうでした。照明を落としてもらうと暗すぎたので、さすがに夜は使えなさそうです。わたしは夜道でも明るさを感じるので少し残念ですが、さすがに暗がりでさらに視界を暗くするのは危険ですから致し方ないでしょう。

その後、本当にこの色でいいのかをさらに確かめるために、まだフィッティングしていない別の色を試してみると、なぜか意外にも、薄い赤色を重ねたときに見やすい気が。しかしちょっと色の不安定さを感じるので、もう一枚、6枚目(笑)として青いレンズをかぶせることに。すると、それはそれで見やすい。

ここに来て、グレーを重ねた5枚重ねのレンズと、赤と青を合成した紫を重ねた6枚重ねのレンズが最終候補に残りました。どちらも相当色を重ねていて、最後のほうは薄めなので、机に置いた状態では違いがわかりません。グレーも紫もかなり似ているので、本当にわずかな違いしかないのでしょう。

しばらくの間、両方を比べてみましたが、甲乙つけがたい。黄色かがった紙面を読むにはグレーの5枚重ねのほうがいいし、白い紙面を読むには紫の6枚重ねのほうが判別しやすいという微妙なレベル。

さまざまなものを見て徹底比較したところ、やっぱり視覚として楽なのは、先ほど廊下まで出歩いたグレーの5枚重ねのほう。でも、1時間フィッティングした今の認知疲労している状態の判断が信頼できるのか確証がない。

判断は最終ラウンドに持ち越し

そんなわけで、もう一度、日を改めて最後のフィッティングをお願いすることにしました。せっかくここまで来たのだから、慎重に判断したいと感じました。このあたり、繊細で慎重なHSPらしい判断だなーと今この感想を書いてて思ったり(笑)

聞くところによると、わりとすぐに決まってしまう人もいれば、わたしみたいにトコトン悩む人もいるそうです。やっぱり自閉圏などの感覚過敏でアーレンシンドロームがあっても、わたしみたいな繊細で慎重なHSPではない人も多いのでしょう。

話によると、レンズは月末にまとめて発注するので、今月中に決まれば、どのみち完成までの期間は同じだそうです。今月末に発注して、来月中に受け取ってメガネ屋さんに持っていくとのことなので、11月ごろには使えるようになるのかな。それならなおさら、今月中にもう一度、フィッティングを再確認しようと思いました。

ところで、レンズをフィッティングしているときに、見やすさを確認するための見本として置かれていた教育相談研究 52号という冊子にアーレンシンドロームについての論文が掲載されていました。見やすさを確認するためには見るだけでなく、読まないと意味がないと思ったので、適当に読んでいたのですが、いろいろと興味深い情報が。

アーレンシンドロームの人のうち65%だったかに自閉傾向があって、ほかにはADHDなどの発達障害や統合失調症がみられるそうです。また、光過敏の困りごととして、疲労や痛みなどの身体症状がかなり多いといった記述も。メモをとったわけではないので、正確かどうかわかりませんが、個人的に気になる情報でした。

こうして、今回も、また1時間に及ぶ色つきレンズとの死闘を終えて、よたよたと帰路につくことになりました。やはり道のりは長かった…。しかし着実に前進していると思いますし、さまざまな発見が得られているので、とても貴重な経験をさせてもらっていると感じています。

わたしのこれまでの人生が、なぜこんなに摩訶不思議だったのか、ということについて、少しずつパズルのピースがはまって、全体像が見えてきているのが嬉しいです。まだつながりが不自然に思える点も少しありますが、おそらくピースがすべて出揃っていない可能性がありそうです。そのあたりも、調査し続ければ、おいおい答えは出てくることでしょう。

この体験記も、まだもう少し続きそうですが、また進展があったら続きを書きたいと思います。

▽続きを書きました

明るさ過敏や目の疲れの正体を探りに筑波大学に行ってきた話(終)
色付きレンズ最後のフィッティングとわたしの全生活史の分析

Categories: 1章。2016.09.16