失われた過去を探しに専門家のところに行ってきた話(1)

去年、わたしはふとしたことから、自分のルーツを探し始める旅路に出ることになりました。

最初は、明るさ過敏に気づいて、何気ない気持ちで筑波大学に行ってみたことがきっかけでした。

幼少期からの明るさ過敏の原因を知るまでの苦労話

明るさ過敏のテストをしてわかったのは、わたしはもともと極度に敏感な体質、おそらくHSPだということ、そして、強すぎる感覚刺激をマスクして意識から遠ざけるために、ものすごく強力な「解離」という防衛機制が働いていて、そのおかげで何とかやってこられたらしい、ということでした。

アーレンの当事者・専門家の集まりに参加して感じた夜の世界の役割

ここ数年間、いろいろな本を読んで、自分を見つめ直すうちに、何度も何度も繰り返し、わたしの前に突きつけられたキーワード「解離」。

ひときわ共感性が強くて空気を読みすぎてしまう わたしの性格も、子どものときから多かったリアルな夢や空想世界、内なる誰かのような不思議な体験も、不登校になって以来ずっと続いている身体の重だるさも、時間感覚のおかしさも、小説や詩、絵の芸術的才能も、ぜんぶがぜんぶ、「解離」の特徴として本に書かれていることそのものでした。

わたしは自分がHSP(生まれつき人いちばい感受性の強い人)だと考えていますが、最近読んだHSPの本である子どもの敏感さに困ったら読む本: 児童精神科医が教えるHSCとの関わり方には、こんな一文がありました。

解離を否定していては、そこから抜け出せない。

…敏感さは環境によって生きづらさとなり、そして社会に適応できなくなることがあります。解離性障害はその最たるものといえます。(p152)

わたしは自分の「解離」と向き合うことにしました。わたしの心と身体に生じている解離は、生まれ持った感受性の強さからくる宿命だし、それに向き合わない限り、いつまでも、自分が何者かわからないし、先に進むこともできない、そう思いました。

そして、解離と向き合うために、解離の専門家に会いに行ったことを、自分探しの記録として残しておくために、記事にまとめることにしました。

この最初の記事では、まず、そこに至るまでの経緯として、わたしが不登校になった当時のことから振り返ってみたいと思います。

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わたしが不登校になるまで

わたしは10代のころ不登校になりましたが、学校が嫌で行けなくなったのではなく、ものすごく強い体調不良になったせいで、動けなくなりました。

進学校に進んだ上、失敗することや恥をかくことに過度に敏感だったので、学校生活はとてもストレスが多いものでした。ちょうどこの前の記事で書いたように、うちの学校は忘れ物をした生徒や、予習をしていない生徒に厳しいところで、先生から指されたときに答えを間違ったら、授業中ずっと立ったままのさらし者にされたりしました。そんなスパルタ教育の学校があるの!?と思われるかもしれませんが、戦時下とか高度成長期ではなく、れっきとした21世紀の進学校の話です。

なまじ勉強ができて、そんなところに行ってしまったせいで、自信がなく怖がりのわたしは毎日が戦時中みたいなストレスで、先生から指されても間違ったことを言わないよう徹底的に準備するようになって、寝るのは朝の4時でした。誇張ではなくて、朝刊の音とともに寝ていたので本当に4時でした。

そのおかげで、わたしの成績は学年トップでした。特に国語が得意で、ある同級生が だれが国語の能力が一番高いか尋ねたとき、先生は迷わずわたしの名を挙げたそうです。皮肉なことに、その国語の先生こそが授業中に生徒をさらし者にするスパルタ教師のひとりだったんですが。

不登校になったときの奇妙な症状

そんな学校生活の過労がたたって、不登校になってしまったわたしですが、それはある日突然のことでした。日付まで覚えていますが、朝起きたら、身体が鉛のように重だるくなって動けなくなっていたのです。重力が3倍になったような感じです。からだじゅうのエネルギーがしぼり取られて、文字通りカラカラに乾いたぞうきんのようでした。

同時に世界が崩壊してバラバラになってしまったかのように思えました。あたかも異世界に来たかのような感覚で、今まで整って一枚の絵になっていたジグソーパズルが地面に落ちて散開したかのような、あるいは、積み木で作られたお城が、ガシャーンと崩されて散らばったかのような。

そしてわたしは、文字が読めなくなっていました。教科書や本を見ても、まるで象形文字のようで、何が書いてあるのかまったく読めませんでした。眼球がむずかゆい不快感があって、あまりに気持ち悪いので目をえぐり出したいと感じていました。

不思議なことに、文字を書くことはできました。でも読めないのです。後々になって、読書能力が回復したあとに、オリヴァー・サックスの心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界を読んだとき、それは後天性の失読症と呼ばれるもので、書けるけれど読めない、という症状が実際に存在することを知りました。

不登校になってからの記憶はほとんどありません。まるで地獄の火に焼かれるかのような激しい苦痛と混乱のことは、感覚としては覚えています。でもエピソード記憶はありません。

親がつけていた観察記録などによれば、身体的な病気を疑いましたが、改善せず、精神科に行きました。しかし精神科の先生は、わたしが「うつ病」ではないと判断し、あくまで「うつ状態」だとカルテに書きました。そして、さまざまな抗うつ薬を試してみましたが、ひとつとして効きませんでした。経口摂取じゃダメなら、ということでアナフラニールの点滴なんかもかなり増量して試しましたが、うんともすんとも言わず医者が折れました。

ただ、一度だけSSRIで躁転(ハイになること)が生じました。ごく最近、気弱な精神科医のアメリカ奮闘記という本を読んで知ったことですが、SSRIでハイになる副作用が出るのは、潜在的に躁うつ病(双極性障害)のけがある人だそうです。ただわたしの場合、再現性はなかったんですが。(p80)

不登校になったわたしは、重い睡眠障害を発症しました。まず毎日のように“かなしばり”に遭いました。ちょっとでも うとうとすると、意識はあるのに体が硬直して動かなくなり、近くにだれかが立っているような幻覚や、ベッドが砂のように崩れ落ちる錯覚、窒息しそうな息苦しさなどが起こります。あまりに頻繁で毎日何回も起こるので、眠るのが恐怖になり、くたくたになりました。

こういうのは、オカルト的なものだと思われやすいですが、わたしはオカルトには縁がなく、調べていくうちに、睡眠麻痺と呼ばれるものだと知りました。特にナルコレプシーと呼ばれる過眠症によく見られますが、わたしは過眠だったけれど瞬間的に眠りに落ちることはなかったので、ナルコレプシーではなさそうでした。

時を同じくして、頻繁に悪夢も見るようになりました。体が石のように固く重くなって、どれだけ力を入れても動けなくなる夢。繰り返し繰り返し数百回は見ました。起きるとフルマラソンの後のような全身の痛みと疲れがあって屍のようでした。

睡眠リズム障害も発症していました。わたしはその中でも特に重症な非24時間型と呼ばれるタイプでした。精神科医に勧められて親がつけてくれていた睡眠記録によると、わたしは当時、一日に15時間くらい昏睡していて、しかも寝る時間は毎日30分から1時間ずつくらい後ろにずれていき、一ヶ月周期くらいで一周するようになっていました。

かなしばりと悪夢は3年ほど続いた後、次第に少なくなり、今では月に数度だけになりました。でも周期はそのままです。睡眠時間は短くなって8から10時間くらいになりましたが、睡眠リズムはほっておくと毎日ずれていき、ほぼ一ヶ月で一周します。ふつうの仕事につけないので、フリーの自営業という形で自活しています。

わたしは睡眠障害に対しても、ありとあらゆる薬を試しました。よく処方されるベンゾジアゼピンや、切れ味が鋭いと言われる薬でも、笑ってしまうほど効きませんでした。眠気の「ね」の字も起こりません。量を増やしてもだめ。そのうち、あらゆる薬を試して、どうしても眠れない人の最終手段とまで言われるベゲタミン(赤と白があるが両方とも)という薬も処方されました。調べてみたら、あまりに作用がきついので販売中止になったとか。でもまったく効かなかったんですけどね…(^_^;) 効かないものだからヤケクソで勝手に2錠飲んで、それでも何も変化なかったからこの薬も効かないと医師に言ったら、当然ですがこっぴどく怒られました。

ベゲタミンが発売中止へ。ベゲタミンを服用中の方が取るべき対策とは

そのころ、奇妙な症状もありました。世界が薄っぺらく見えるというか、突然、まわりの風景が作り物のように見えるようになってしまう。立体感のある世界ではなく、薄っぺらい紙で作られたハリボテみたいに見える。それとか、世界から色が失われて白黒に見える。錯覚かなとも思ったんですが、なかなか怖い体験でした。

後で思い出したんですが、これはこの時が初めての体験ではなくて、小学校2年生のときにも体験しているんです。ちょうどきょうだいが病気で亡くなったときでした。葬儀場に行ったとき、世界から色が失われて白黒になり、とても恐ろしい刑務所のような墓場のような灰色の世界が視界に焼き付きました。

そのことを覚えているのは、中学生のとき、それを題材にした小説を書いたからです。よほど鮮烈だったのでしょう。

こうした奇妙な知覚の変容は、統合失調症(昔の精神分裂病)だと思われてしまうこともあります。わたしの場合、精神科医は一度もわたしが統合失調症だと疑いませんでした。でも、親が適当に調べた知識で統合失調症ではないかと言い出したことがありました。それを精神科医に言うと、「ぜんぜん違います」と一蹴されました。

この記事の最初に引用した本子どもの敏感さに困ったら読む本: 児童精神科医が教えるHSCとの関わり方にもこう書かれていました。

統合失調症がある人は自分が病気だという意識がないので、「それは変でしょ?」とこちらが聞いても、「いや、変じゃない。あなたがわからないだけです」と言います。

解離の人たちは「それ、変でしょ?」と聞くと、「そうですよね、変だと自分でも思うんですけど、そう感じるんですよ」とか「変ですよね、でも聞こえるんです」と言います。(p158)

まあ、説明するまでもなくそのとおりでした。

わたしが統合失調症ではない、というのは、その後、精神病棟に入院したときにも保証されました。精神病棟に入院したというと、何かよほどヤバい症状があったのか?と思われそうですが、そうではなくて、あまりに体調が悪いのに、何の病気かわからなかったので検査のため入院したんです。有名な国立精神・神経センターでした。

そのときの医者は、思い出したくもないほど尊大で、患者をモノ扱いするような人だったんですが、入院中なのをいいことに、わたしにジプレキサという統合失調症の薬を最大量投与しました。

でも、症状がよくなることも悪くなることもなく、変化が何も見られなかったので、その医者は最終的にわたしを仮病とみなして「わがまま言って親を困らせちゃいけないよ!」とかなんとか失礼な言葉を山ほど浴びせかけて追い返したのでした。

後になってそのときのことを今の主治医に話すと、ジプレキサを最大量服用して効果が出ないどころか、副作用が何も出ないのは、それはそれで異常だと言われました。同じことは、今回会いに行った解離の専門家にも指摘されました。わたしの場合、どうやら、超強力な睡眠薬も抗うつ薬も効かなかったことと、ジプレキサで何の副作用も出なかったことは、同じ意味を持っているようでした。

不登校の専門家との出会い

さて、そんなわけで、うつ病でも統合失調症でもないということになって、国立精神・神経センターのような大御所からも精神科の病気ではなさそうだというレッテルを貼られて放り出されてしまった。

でもそれがかえって良かったのでした。というのも、精神科から解放されて、それまで大量処方されていた効果のでない色々な薬をやめたことで、ちょっと考えがまとまるようになったからです。

精神科の薬というと、離脱症状が問題で、やめるのに数ヶ月以上かかるなんて言われます。それで離脱のためのクリニックを紹介されたのですが、一回行っただけで必要なさそうだったのでやめました。というのも、今まで飲んでいた薬をスパッとやめたら、離脱症状も何もなくやめられたからです。薬の効果も副作用も出てなかったので、離脱症状もまったくなく、何も変わりませんでした。

変わったことと言えば、自分のものの見方です。それまで、自分は精神病なのではないか、と思っていたせいで(精神病への偏見もあったんでしょう)、無力感に打ちひしがれて死にたいとさえ思っていました。しかし自分の意思で治療法を選んで、服薬をすっぱりやめたことで、自分の人生のコントロールを取り戻せた気がしました。

そのとき以降、体調は少しずつ上向きました。当初は、大量服薬していた薬を飲まなくなったことで良くなったのかと思っていたんですが、筋道立てて考えてみると、効果も副作用も出ていなかったはずなので、それがすべてではないでしょう。

最近、読んでいた本に、薬漬けになっている人の問題は、自分では何もできないと打ちひしがれて、運命の主導権を医師や保険会社に委ねてしまうことだと書いてあるのを見つけて、ああ、あのとき良くなったのは、自分の意思を取り戻したからだったのか、と納得しました。

わたしは自分のことは自分で決めるようになって、自分の意思でセラピーにも参加しました。そこでは、1泊2日でアートセラピーと箱庭セラピーを体験できて、そこで得た気づきが大きな転機になりました。

それから、わたしは精神面ではなくて、疲労や睡眠を中心に治療を受けることになり、不登校の子どもを専門に見ている、すばらしい先生と出会いました。初診のときはともかく、そのころはもう20歳を過ぎていましたが、なんとか自分で治療の可能性を引き寄せたい一心で、かなり無理を言って頼み込んで診てもらえることになりました。

その先生のところで治療を受けて、意外な進展がありました。今までどんな強力な睡眠薬を使っても眠れなかったんですが、なんとクロニジンという血圧の薬を飲んだら効いてしまったという! 特別な薬とかではなくて、古いごく普通の降圧剤なので、薬代も安い! 今まであんな高い睡眠薬を試していたのは何だったのか…。

その先生は、睡眠リズム障害の専門家なのですが、なんでも一般の睡眠薬と、このクロニジンは作用する場所が全然違うのだとか。そりゃ、血圧の薬ですもんね。この薬は脳幹という脳の奥深くの中枢に働きかけて、交感神経の興奮をしずめる効果があるそうです。不登校の子どもの睡眠障害には、かなり役立つ薬だとわかっているとのこと。

やっぱり餅は餅屋ですよ。不登校のことは不登校の専門家に最初から当たるべきだった…。メガネを探して家中ひっくり返しも見つからず、じつは頭に引っ掛けてたなんて笑い話がありますが、間違った場所をいくら探しつづけてもダメなんだな―と痛感しました。

それでも、ずっと身体の重だるさのほうは続いていたんですが、こちらのほうは、心理検査などの結果、ADHDの薬を処方してもらえるようになって、コンサータを飲んだら、劇的によくなりました。

「のび太型ADHD」の本を読んで自分のお絵描き人生の謎が色々解けた話
わたしの創作力はADHDで苦労していたことの裏返しだった

この2つの薬のおかげで今、ある程度まともに生活できています。むかし、精神科であんなにたくさんの薬をあれこれと試して何にも効果も副作用もなかったのに、この2つの薬はびっくりするほど効いて、しかもわたしの場合、長く飲んでいても、耐性ができる気配がありません。

これでめでたしめでたし。

と行きたいところなんですが、しかし…

「解離」だと気づいたきっかけ

ここまでのところでわかったのは、もともとADHDがあって、そのせいで学校で不適応を起こして、不登校になったらしい、ということでした。だから発達障害や不登校の睡眠障害の治療が効いた。筋が通っているように思えます。

でも、何かおかしかった。推理小説で言えば、真犯人がわかってハッピーエンド、と見せかけて、回収されていない伏線がいくつかある、というような。ゲームで言うとエンディングを見たけれど、なぜか使っていない重要アイテムが残っていて、裏エンドの存在が見え隠れしているような…。

回収されていない伏線を挙げると…

■子どものころから世界がおかしくなったり、現実と空想が混じり合うような不思議な体験をしていたのは何だったのか
■取り憑かれたように創作しまくっていて、書いた文章、描いた絵は数知れず、あまりに多すぎるのはただの性格なのか
■なぜ超強力な薬の副作用が出なかったのか。普通は効果が出なくても副作用は出るはず

などなど。

わたしはADHDらしいとわかってから、ADHDの本をたくさん読みました。そのついでにアスペルガー症候群とか学習障害の本などもたくさん読みました。でもおかしい。読めば読むほど自分と違っていて当てはまらない。少なくとも間違いなくアスペルガーではない。

ADHDらしい不注意とか、忘れ物のひどさは散々体験したので、ADHD(というか多動のないADD)なのは確からしいけど、ADHDの本をどれだけ読んでも、上に書いたような奇妙な症状の説明がつかない。というか、そんなことはどの本にも一言も書かれていない。

わたしは、コミュニケーションの問題は全然なくて、友だちも多いです。うつ病のように落ち込むこともなくてかえってポジティブです。身体の疲労などの症状はいつも強いですが、検査では異常が出ないので、身体疾患ではありません。

一見、ほとんど問題がないようなのに、何かがものすごくおかしくて、地に足がついておらず、夢と現実のはざまを漂って死んでいるのか生きているのかわからない状態なのがわたしです。

何かおかしい。しっくりこない。そうやってもやもやしていたとき、発達障害について調べるついでに読んだ本がありました。子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)という本なんですが、虐待によって発達障害と似た症状が現れることがあって、特にADHDとよく似ているという話。ADHDとの違いは、「解離」の有無が重要なのだとか。

そのときは「解離」とは何なのか知りませんでした。でも、書かれていることがわたしの症状そのまんまでした。物忘れがひどすぎて、ちょっと前のことの記憶が飛ぶとか、自分の中に他人がいるような感じとか、他人を心から信じられないとか、地面から浮き上がるような奇妙な感覚とか、イヌ人格やネコ人格が現れるという話まで。子どものころから黄色いネコがいるんですよねー(;一_一) 挙げ句の果てには、脳が異常に興奮しているので普通の精神科の薬では効かないだとか、クロニジンが効果的だとか…。

わたしは虐待された覚えはありませんでした。親が不仲な機能不全家庭に育ったし、難病のきょうだいがいる、いわゆる「きょうだい児」という苦労がありましたが、まあ、こんなことくらい誰にでもあるよね! と思っていて、自分が育ちの問題を抱えているとかまったく思ってなかった。

だから、この本に書かれているような鮮烈極まりない虐待のエピソードとかを読むと、確かに症状はよく似ているけど、ただ似ているだけで、わたしの経験とは違うはず…と冷静に考えました。

だけどあまりに似ている。そのことは否定できない。それで、今まで読んだこともないような分野の本に手を出しました。解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)という本でした。

次の記事では、わたしが自分は「解離」なんだと意識しはじめたころの話を書きます。

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Categories: 3章。2017.07.04