失われた過去を探しに専門家のところに行ってきた話(2)

この記事は自分探しをしてきたわたしが、HSPや解離だったと気づいて、専門家に会いに行った話の2番目です。前回はこちら。

前回のエピソードはまだ前置き部分で、わたしが不登校になったときのことを書きました。進学校に通って、ものすごいストレスにさらされて、睡眠時間を削りまくって潰れてしまったという話。

そして、不登校になってから、鉛のような身体の重さとか、現実感の喪失とか、失読症とか、睡眠リズムの崩壊とか、いろいろ奇妙な症状に見舞われたこと。

精神科に行ったけれど、これといった診断名がつかず、どの薬もうんともすんとも効かなくて、結局追い返されてしまい、その後、不登校の専門家のところで治療を受けて、ある程度ましになったこと。

でもまだ回収されていない伏線があり、それは「解離」だと気づいたところまで書きました。

その続きの第二回ですが…今回もまだ前置き部分です。 やったらめったら ややこしくて紆余曲折がある話なので、なかなか専門家にたどりつかなくてすみません。実時間として10年かかってるので…。

前回の最後にやっと「解離」というキーワードにたどりついて、それからどうなったのか、今回はその続きから書いていきます。

調べれば調べるほどドンピシャだった「解離」

前回の最後に書いたとおり、「解離」とはなんぞや?ということになったわたしが手に取ったのは、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)という本でした。

この本もまた、ひとつ前に読んだ本みたいに壮絶な虐待などの話があって、かなりドロドロした事例がたくさん出てきます。

最初は、やっぱり自分とは違うはずだよなーと読んでいたんですが、当事者の性格とか話す言葉のひとつひとつが他人事とは思えないんです。わたしが書いた?みたいな言葉が頻繁に出てきます。

この本は、たぶんそういう経験をした人でないと、何が書いてあるのかまったくピンと来ないたぐいの本だと思います。

幻聴、幻視、体外離脱をはじめ、かなり突拍子もない体験談が次から次に出てくるので、そういうけのない人だと、異次元の話のように感じられるはず。読む人を完全に選ぶ本です。

だけど、わたしには親和性がものすごくあった。ちょうどこの本を読んでたのは2015年ごろでしたが、特に衝撃的だった部分を、このサイトの記事にもまとめました。

芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源
国語や美術が得意な人は子ども時代から空想傾向を持っている

「持続的空想」とか「空想傾向」と呼ばれる、幼少時代からの空想世界への親しみ。このあたりの記述を読んだときは、ぞぞぞっと来ました。

今までどんな本を読んでも、発達障害とか精神疾患とかの本を読んでも、このことは書いてなかったんです。

でも、わたしにとっては、自分の根幹、アイデンティティの柱ともいえる中核だった。これがあるから、わたしは学校の他の子とは全然違ったし、辛い境遇でも、今日まで生き延びてくることができた。

その一番大事な部分について、この本でははっきりと書かれていて、しかもこの先生は、わたしが自分で説明する以上に、それを的確に理解して説明してくれている。

衝撃でした。しかも、こういう傾向を持った子どもは、「作文」「美術」「詩」「演劇」などが得意だと繰り返し書かれていました。

まさにそれってわたしのことじゃない?? そう思わずにはいられませんでした。

幼稚園のころから大量に絵を描きだして、小学校3年で詩を作りまくってほめられ、4年生で朗読がうまいとほめられ、5年生のときから小説を書き出して、中学校では演劇の脚本を書いて、今に至るまで創作活動なしでは生きていけないのがわたしです。

これまで読んできた発達障害の本では、たとえばアスペルガー症候群の本を読むと、ぜったいに「理科」や「数学」が得意だという話が出てくるんです。

ADHDの本だと、逆に、学習障害が伴いやすいからか、勉強が苦手だと書かれています。今まで一度たりといえども、「作文」をはじめとする「国語」が得意な人の話なんて読んだことがありませんでした。

だからこそ、自分は発達障害らしくないなーと折に触れて思っていたわけです。なんてったって、同級生がストレートで京大理学部に入るような進学校で、国語の成績は不動のトップだったわたしですよ。ぜったいにアスペルガーとか学習障害ではありません。

だけど!!  この本にははっきり書いてありました。

彼女たちの空想能力は概して活発である。学校では国語や美術の成績が優秀であることが多く、とりわけ作文や詩、絵画において秀逸な作品を仕上げる。

それらの作品を仕上げるのにあまり苦労はなく、頭に浮かぶ空想・表象をそのまま文字や画にうつしかえるだけである。(p127)

この瞬間でした。今まで、やっぱり結局は他人事じゃないの?と斜に構えていた「解離」が、もしかしたら、自分に関係している問題なのではないか。そう思い始めました。数学や理科が得意なら、それはアスペルガーかもしれない。でも国語や美術が得意なら、それは「解離」なのかもしれない。

そのときから、むさぼるように解離の本を読みました。発達障害の本は読めばよむほど違和感がありましたが、解離の本は、読めば読むほど自分のこれまで不思議な体験に説明がつき、手がかりの片鱗さえなかったピースがパチリパチリとあるべき位置にはまっていくのを感じました。

たとえば、わたしが子どものころから経験していたリアルな夢や、不登校になる少し前から頻繁に経験している睡眠麻痺(かなしばり)は、解離の特徴のひとつでした。

夢の中で見る鮮やかすぎる色―現実にはありえないカラーの神経科学
夢の中で見る現実にはないほど鮮やかな色の考察
幻想的な夢をアイデアの源にしたアーティストたち―なぜ明晰夢やリアルな夢を見るのか
夢を創作に活用したクリエイターたちのエピソードと幻想的な夢のメカニズム

同じ著者が今年出した最新の本も、発売日に買いましたが、まさにわたしのことだと感じたのは記憶に新しいところです。

「色がない」わたしは自分が描く空想世界の中でだけ虹色でいられる
わたしは「色がない」から「虹色」の空想世界を描き続ける

HSPの子は解離しやすい

はじめに解離の本を読んだときは、壮絶な虐待経験がなかったので自分のこととは思えない、と考えました。でも、よくよく調べていくうちに、だからといって解離でないとは限らないことを知りました。

まず、生まれつき感受性の強いHSPの子は重大なトラウマがなくても解離しやすいということです。

わたしが自分はHSPだと知ったいきさつについては、以前に書いたのでここでは割愛します。簡単にいえば、生まれつき人の気持ちや刺激に敏感な子のことです。

芸術的な感性が鋭いHSPの7つの特徴―繊細さを創作に活かすには?
感受性が強いHSPの人が芸術に向いているのはなぜか

前の記事の冒頭で引用した子どもの敏感さに困ったら読む本: 児童精神科医が教えるHSCとの関わり方 に、こんなエピソードがありました。

とても優秀な子です。敏感で、境界が弱く、解離性障害がありました。

小学1年から本を何十冊も読んでいました。図書館で借りてきて、2、3日で10冊も読むような子です。6年生のときには自分で映画の脚本を書いています。

…友だちと分け隔てなく接することができ、社交的な性格で、他人との争いごとを避け、仲間のことを優先させ、他人の立場に立って物事を考えることができる。

これだけを聞くと問題がなさそうですが、じつはこれはすべて、境界の弱さのあらわれでもあるのです。

彼は友だちに相談を受けることが多くありました。境界が弱いので、その友だちに感情移入しやすく、他人のことを自分のことのように感じてしまい、落ち込みます。(p153)

もう今さらですが、やっぱり、わたしのことか!!! 状態です。読んでいて笑えるくらい似すぎていました。

「とても優秀」。わたしは小学校のころから基本的にいつも成績上位でした。

「小学1年から本を何十冊も読んでいました」。わたしはそこまで早熟じゃなかった気もしますが、小学校時代に図書室に入り浸って、シャーロック・ホームズとアルセーヌ・ルパンと少年探偵団は全巻読んだ記憶があります。内容は記憶にないですが。

「6年生のときには自分で映画の脚本」。5年のときには推理小説書いてたわたしのほうが先でした(笑) 

「友だちと分け隔てなく接することができ、社交的な性格」。わたしはいつも友だちがいました。孤立したりいじめられたりすることはほとんどなかったはずです。たいていはクラスの少数派を取りまとめる影のリーダーをやってました。

「他人の立場に立って物事を考えることができる」。わたしの推理小説はいつだって心理トリックが基本です。国語の成績がよかったのもそれですね。

ちなみに国語ではよく、文章の意図や登場人物の心境を読み取る問題が出ますが、国語の問題で作家の気持ちになって考えるのは間違いです。自分が小説を書く人だから言えることですが、作家の意図はテスト問題の答えとは全然違っているはずです。

考える必要があるのは、勝手にあれこれ推測してわかった気になっているテスト出題者や評論家の意図です。ここはどう答えさせたいんだろう、と出題者の立場に立って考える力が必要なのであって、作品そのものに没頭してはいけません。

作家はテストの答えになるような唯一無二の意味を込めて文章を書くわけではありません。作家の狙いは、もっと豊かに想像しながら一人ひとり違った感想を持って読んでもらうことで、全員に同じ答えを求めるなんてナンセンスです。

当時からよく思っていたことですが、国語のテストなんて、評論家の妄想に付き合わされているようなもので、作家の感性に触れることからかえって遠ざけるだけの馬鹿らしいものでした。

そして、本当に「これだけを聞くと問題がなさそう」なんです。わたしも学校の先生から問題がある子とみなされたことはなく、忘れ物が多すぎるという欠点はあれど、模範的な生徒だと評価されていました。

でも、わたしは内心いっぱいいっぱいで、いつも緊張して怖がって不安を抱えていた。周りの期待に答えないといけない、怒られないよう成績優秀でありつづけなければいけない、恥をかかないよう見張ってないといけない。まさに「じつはこれはすべて、境界の弱さのあらわれ」と書かれていることそのまんまです。

このエピソードの続きにはこうあります。

やることは速いのですが、長続きせず、我慢できず、身の回りのことしかしない。

パソコンを始めると目つきが変わり、一日中、集中してしまうので、次の日には疲れて学校に行けなくなってしまいます。

…小学6年ごろから記憶の空白があり、眠れず、夢と現実の区別がつきづらくなっています。

…彼の中には、3人の人格がいました。…敏感な子たちが追い詰められ、心の中に別人格を生み出し、解離する。この子にも、それがあったのです。

でも、両親は理解がありません。そういう中で、彼は3つの人格を統合して、いろいろやり取りしながら生活していました。(p153-154)

そのとおりでした。「一日中、集中してしまう」。わたしは何かに没頭するとそこから抜け出せなくなる。そして過集中になってすごく疲れる。でもそのおかげで、たくさんの作品を作ることもできる。

「小学6年ごろから記憶の空白」。わたしは小学校の時期全体にわたって記憶が欠落しています。特に4年生あたりのことは99%記憶にありません。もともと過去の記憶が断片的なのですが、特に小学校4年のころは異常で、こういう事があったと教えられても、まったく思い出すことさえできません。

小学校4年というのは、わたしの芸術的才能が突然多岐に開花した時期であり、同時に空想の友人が現れたり、解離現象が明確になった時期でした。

最近、当時の友だちがそのころの話をたくさんメールで送ってくれたんですが、自分でも怖くなるほどまったく記憶になく、これは普通じゃないぞ、と思いました。メールに書いてくれたことは状況証拠からして事実に違いないんですが、まったく思い出せませんでした。相手のほうが当時のわたしのことを10倍は記憶していました。

「夢と現実の区別がつきづらく」。その時期から今に至るまでわたしは「夢と現実のはざま」に生きています。わたしにとっては、空想世界のほうが現実世界よりも鮮やかで現実的だったりします。小学校4年生のころについて残っているわずかな記憶は、日常の記憶ではなくて、その時期に空想の友だちが現れたことや、空想に没頭しながら朗読したことなどです。

「敏感な子たちが追い詰められ、心の中に別人格を生み出し、解離する」。わたしに起こっていたのはそれでした。当時わたしは心の中にかなりの人数の人格がいました。なぜか別人になって友だちにメールしていて、二重の人間関係になっていたこともありました。

わたしも、このエピソードの子と同じく、そんなことを両親にわかってもらえるはずもなく、何とか人格を統合し、やり取りしながら生活していました。というより、それが異常なことだとこれっぽっちも思っていませんでした。

このエピソードの子は、どうやら、これといって特別なトラウマ経験はないにもかかわらず、HSPの感受性の強さのせいで、色々なストレスに圧倒されてしまって解離してしまったようです。

意識がここにない、思考と感情と感覚がバラバラ、そういう状況が解離状態であるといえます。

HSCは解離がたくさん起こっています。自分が自分でなくなっている。そういう状態になっている子がたくさんいます。(p157)]

虐待などの衝撃的な体験がなくとも、HSPなどの感受性の強さがあったら、解離する可能性は十分にある、ということになります。感受性が強いと、学校生活などのごくありふれた体験が、強いトラウマやストレスになりうるからです。

HSPという概念を提唱したエレイン・アーロンも、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)の中で、HSPの子どもは乳幼児のころから敏感さのせいで解離しやすいと言っています。

ホールディング(抱かれること)が充分でなかったり、自分の存在が無視されたり、あるいは虐待されたりすると、乳幼児にとってあらゆる刺激が耐え難いものとなる。

そうなった時、乳幼児が唯一できることは、意識を眠らせ、そこにいることをやめてしまうことだ。そうやって防衛手段として「現実から解離すること(dissociating)」が習慣になっていく。

この時期に過剰な刺激を受けると、世界は危険なものとなり、持てるエネルギーのすべてを外の世界からの侵入を防ぐのに使い果たすので、自己形成ができなくなってしまうのだ。(p96)

うちの家系を見てみると、母はHSP的な人ですし、わたしは生まれて間もないころから過敏すぎて寝つかない子だったらしいので、遺伝的なHSPが解離しやすさをもたらしていたと考えて間違いなさそうです。

けれども、それだけで説明がつくとはちょっと思えないのも確かでした。さっきのエピソードの子は、一時的に解離していましたが、その後、統合して元気になっていったそうです。またエピソードの内容からしても、わたしの解離のほうがかなり強かった気がします。

解離して記憶がなくなっている

色々な本を読んでいるうちに、もう一つ、自分とよく似ているなーと思ったエピソードがありました。そちらはサイコロジカル・トラウマ という本に書かれていたものです。

L・シャロンという30歳の既婚女性は、身動きが取れなくなるような不安感と、強迫行動、そして普通でない身体症状について内分泌科医に語った後に、精神療法をすすめられた。(p194)

身体症状には、めまい、胸の締め付け、動悸、頻脈、顔面紅潮、抑制できない発汗など一連の自律神経症状を呈していた。症状には、パニック発作や死の恐怖は伴わなかった。彼女はしばしば激しい身体的苦痛で目を覚ました。(p196)

つまり患者は、変動するさまざまな身体、情動、行動、認知障害の症状を呈していた。これらはどんな一つの診断にも相当しない。(p197)

シャロンは、強い身体症状を抱えていました。最初は身体疾患だと思って内分泌科医にかかったほどです。

シャロンの症状はわたしとよく似ていて、わたしもやっぱり、パニック発作や死の恐怖はありません。でも「激しい身体的苦痛で目を覚ま」すことはあります。

そして「変動するさまざまな身体、情動、行動、認知障害」のせいで、「どんな一つの診断にも相当しない」というのは、いろんな医者から何度も言われてきました。

けれど、シャロンがわたしとよく似ていると感じたのは、ただの体の症状だけではなくて、もっと根本の性格のところです。

小説と、その次に絵において見られたような彼女の豊かな創造能力や優秀な表現能力と、締め付けられがんじがらめにされ「緊張」した彼女の自己表現との間には大きな不均衡があった。

このことから、心的トラウマによって、その他の領域では見たところ健康なのに、分離した認知様式を選択的に損なわれうるという法則が描かれる (第4章を参照)。

このケースで独特なところは、この患者が普通でない認識の強さと弱さのパターンを持っていたということである。(p195)

シャロンは、どうやら、わたしと同じで、創作していないと死んでしまうタイプだったみたいです。そして小説や絵などにマルチな才能を発揮して、とても多作でした。作文、詩、絵、演劇が得意だったわたしとよく似ています。そしてさっきのHSPの子と同じく「見たところ健康」でした。

シャロンはものすごく優れた創作能力を持っていたのに、他の部分でものすごく欠けているところがあって、「普通でない認識の強さと弱さのパターンを持っていた」そうです。

解離の人はそんなことがよくあります。トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべて を読んでいると、こんなくだりがありました。

解離能力によって、このような患者の多くは、人生のいくつかの局面においてかなりの成功を収めることを可能にするような有能な領域を発達させることができるが、一方で、解離した自己の断片のある面は、トラウマに関する記憶をもっており、親密さや攻撃性に関係する問題を調整する能力に壊滅的な軌跡を残してしまう。(p216-217)

解離が強い人は、トラウマを経験しても、それを記憶の隅、無意識のブラックボックスに隔離しておけます。そのおかげで、トラウマを意識せず、優れた才能を発揮できますが、ずっと劇毒のようなトラウマを封じるために多大なエネルギーを使っているので、心身に「壊滅的な軌跡」が発生します。

その行き着く先が、シャロンみたいな「普通でない認識の強さと弱さのパターンを持って」いる、ひどく奇妙で不安定な状態なんでしょう。

シャロンは、情感豊かな創作はできるし、文章を書くのも達者なのに、自分の気持ちをうまく言葉にして伝えられない、自分の体で何が起こっているのかを感じ取って言葉にすることができない状態だったので、カウンセリングがあまり役に立ちませんでした。

心と体が解離されていたので、体が感じているストレスに心が気づけず、そのせいでストレスが体のさまざまな症状として現れていたようです。

シャロンの場合、体が感じているストレスに気づけないせいで、言葉を使ったカウンセリングはダメでしたが、その代わり、気持ちを絵で表現することはできました。

個人的な図像イメージをイラストや夢報告の形で表に出すような彼女の優れた才能は、伝統的な「言語をもちいた心理療法」よりも「描画療法」による精神療法を組み立てることを必要としていた。(p195)

彼女の芸術的才能は見ることよりも、感じたり想像することと結びついていた。(p204)

ここで書かれているシャロンの才能のタイプは、わたしと本当によく似ています。シャロンの創作は「見ることよりも、感じたり想像することと結びついて」いました。

わたしも、見たものをしっかり観察して描くのがひどく苦手です。人の顔の印象がこれっぽっちも残らず記憶できず、目で見たものの認識がかなり弱いみたいです。やたらと見落としや忘れ物が多いことにも関係してるかもしれません。

その代わり、心で想像したことや感じたものを描くのは得意です。だからわたしの絵は、いつもお手本とか実物を見ながらの模写ではなく、最初から最後までオリジナルの空想世界を描きます。

目で見たものの記憶力が高く、写実がうまいタイプはアスペルガー症候群の人に多いみたいですが、やっぱりわたしはアスペルガーとは正反対で、目で見ることより想像することが役立つ国語や美術を得意としているようです。

シャロンは、その後、アートセラピーを通して過去を振り返っていくことになりました。そういえばわたしもアートセラピーと箱庭セラピーが転機になったなーと思い出しました。今だって絵を描きまくっているのはアートセラピーみたいなものですし。

そして、アートセラピーをやっている中で、過去の忘れられていたトラウマ記憶が蘇ってきました。

男の子たちが女の子たちを追いかけてつかまえる遊びは「女の子狩り」と呼ばれた。患者は、カバーの下やクローゼットや貯蔵倉の中やガレージに隠れたり、「見えなくなる」ことが上手になった。(p200)

被催眠性の最も高い子どもたち(7歳から11歳)では、自己催眠は虐待する対象からの逃避となりうる。

子どもたちは虐待者の前に身体だけを残して、透明人間のようになり、自分の一部を自由に漂わせることを学ぶ。

こうして、多重人格などの解離性障害を生む土台が築き上げられるのだ。(p109)

シャロンは、子ども時代に男の子たちから性的ないじめを受けるという辛い経験をしていました。そのために、隠れて気配を消して「透明人間のように」「見えなくなる」ことがうまくなりました。

いろんな本を読むと、気配を消して透明人間のようになるというのは、解離してしまう人にわりと共通する体験らしいです。

わたしの場合は、(今思い出せる限りでは)あまりに忘れ物が多かったり、先生に指されるのが怖かったりしたせいで、先生にも誰にも気づかれないよう、ひたすら気配を消していました。自分の色を消して、無色透明になって、背景に溶け込むようにしていました。

けれど、ここでわたしが気になったのは、シャロンが、こうしたトラウマの記憶を、そのときまで、一切合切、記憶のかなたに忘却していたことです。シャロンははじめ、トラウマを覚えていませんでした。だから精神科ではなく内分泌科に行きました。

しかしセラピーで自分の過去や感情を絵で表現するよう努めるうちに、夢やフラッシュバックの形で段階的にトラウマ記憶がよみがえり、細部を意識するようになりました。

こういう話は、解離の本ではよくあることです。エレイン・アーロンは、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)の中でこう言っていました。

HSPはものごとをより細かく感じ取る傾向にあるということを考えれば、非HSPよりもHSPのほうが子供時代の問題により強い影響を受けるというのが納得できるだろう。

ただ、現在の問題の原因となった子供時代の大きな出来事を、本人が覚えていないことが多い。ごく小さい時に起こったから覚えていなかったり、あまりにも苦痛だったために、わざと忘れてしまう。

つまり意識がその情報を無意識に葬り去ってしまったのだ。この無意識が、深く不信に満ちた態度を創り上げ、うつ状態や不安感を引き起こす。(p126)

子ども時代に衝撃的なトラウマを経験した人は、それを記憶から解離して封印してしまい、きれいさっぱり忘れ去っていている、そのおかげで表面上は普通に生活しているけれど、記憶から解離されたトラウマが身体症状となって体に出ている、ということが時々あります。

じゃあ、わたしはどうなのか。

少なくとも、わたしは具体的なトラウマ記憶がありません。でも小学校のころの記憶がひどく断片的で、特に4年生のときの記憶はごっそりと消えています。その時期は、じつはシャロンを含め、子どもが衝撃的な記憶を解離させて記憶喪失になりやすい時期(さっき7歳から11歳と書いてましたね)にぴったり一致しています。

そして、その時期、わたしは家庭の複雑な事情から、親元から頻繁に引き離されて親戚に世話されていたことがわかっています。その親戚というのが、これまた厄介なことに、精神異常者といって差し支えないほど思考がおかしい人たちでした。

サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅 など色々な本を読んでいるうちに、うちの父方の祖母の家系は、たぶんサイコパス遺伝子を代々持っているんじゃないかとわかりました。自分でも信じがたいですが、これも調べれば調べるほど、そう考えるしか説明がつかないと思えました。ほかの精神疾患や人格障害では説明のつかない言動ばかりで、唯一、遺伝的なサイコパスと考えた場合にのみ、細部まではっきり説明がつきました。

その親戚に預けられていた(というより、連れ去られていた)時期の経験をわたしはすっかり忘れていて、時期を同じくして空想の友だちなど別人格が次から次へと出現して、芸術的才能なども開花している。

色々とトラウマの専門書を調べているうちに、強力な抗精神病薬で眠気の副作用も出ないほど脳が興奮したり、ずっと強い身体症状に苦しめられたり、記憶が完全に抜け落ちたりするのは、ごく日常レベルのトラウマでは生じにくい、ということを知りました。けれども、性的虐待などの重大なトラウマ被害者には生じうるものだと書かれていました。

わたしは時々、前回書いたのとは別に、ものすごく恐ろしい悪夢を見ます。だれもいない闇の中を孤独でさまよっているときに、何か恐ろしい体験をして、渾身の声を上げて泣き叫ぶのに、向こうにいるお母さんは背中を向けて家事をしていて気づいてくれない。わたしはふだん感情を出さないタイプなので、夢の中で自分が死に物狂いで泣き叫んでいることに、ひどく驚きました。

もちろん、何も記憶がないので、その時期に何があったのか、あるいは何がなかったのか、ということについては何ともいえません。

わたしは心理学を勉強して、人間の記憶のあいまいさとか、移ろいやすさとか、暗示のかかりやすさとかを知っているので、この件については、どちらとも言えないとしか思っていません。

いざ解離の専門家のもとへ

なんだか重い話になってしまいました。正直いって、過去のことなんてわからないことだらけなので、今さらほじくり返しても仕方ないと思います。

だけど、困ったことに、最近また体調がかなり悪い。せっかくクロニジンなど幾らか効果のある薬のおかげで安定したかに見えたんですが、体が過緊張状態になったり、動けなくなったりして、ジリジリと追い詰められているような感じでした。相変わらず、生きているのか死んでいるのかわからないような感覚はそのままですし。

もちろんできることは何でもやってみました。漢方とか鍼灸とか磁気治療とか食事療法とか、その他もろもろ、普通の人が思いつくことや勧められることは一通り試していると思います。でも、はっきり効果があったのは、いつぞやのアートセラピーと、クロニジン、コンサータというほんの一部の薬だけでした。あとは何にも変わりません。プラセボ効果さえありません。

それで、もうこれは素人判断で対処している場合ではなく、腹をくくって、専門家の意見をあおぐしかないか! と決断しました。

HSPの人は、自分にトラウマがあるとか、育ちの問題があるといったことを認め難く思うようです。記憶があいまいなせいもありますし、自分を育ててくれた人たちのことを悪く考えたくないからでもあります。わたしもそうです。でも、エレイン・アーロンは、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)でこうアドバイスしてくれていました。

ここで、生まれつき「きわめて敏感な子供」は、あらゆることに影響を受けやすいということを思い出してほしい。家族の中で「いちばん敏感な人」が、いちばん「歪み」を受けやすいという。

うまく機能していない家族の中では、いちばん敏感な人が、調整役、標的、殉教者役、患者役、親役などを請け負わされてしまうのだ。

また、弱者に仕立て上げられ、その人を守るのが家族の目的となってしまうこともある。

この場合「この世に自分が存在していいという安心感を感じたい」という敏感な子供のニーズは見過ごされたままになってしまうことが多い。

もっと端的に言おう。たとえ、はたから見れば大した問題のない家庭環境だったり、比較的平穏な子供時代を送ったように見えても、あなたは他の子供より余計に「つらさ」を感じたはずだ。

子供時代の傷を癒やすためにセラピーが必要だと思ったのなら、臆せずにセラピーを受けよう。

どんな子供時代にも語るべきストーリーはあり、それは耳を傾けられるべきものなのだから。(p253)

ずっと支えてくれている不登校と睡眠の専門医の主治医も、はじめはリスクを心配していましたが、最終的にはトラウマ治療に同意して、紹介状を書いてくれました。宛先は、わたしが本をよく参考にさせてもらってきた解離の専門家の先生。

むかし精神科で薬づけにされて大変な目に遭ったし、あの国立精神・神経センターでさえ仮病だの何だのとひどい言われ方をしたので、こういうのは、専門家のところにいくしかない、と判断しました。

ずっと著書を読んで慣れ親しんできた方ですし、薬に頼りすぎずバランスの取れた医療のできる方だとも知っているし、会ったことはなくても、この先生なら、何かわたしが気づけない手がかりを見つけてくれるかもしれないという信頼感がありました。

そして、この先生で無理なら、もう日本国内では打つ手なしだろうとも思っていました。これは最終手段でした。

行ってみるまではずっと不安でした。信頼しているとは言っても、実際に会ってみると幻滅する可能性だって十分あります。

では、行ってみてどうだったのか。ようやく前置きが終わったので、次回はそのことを書きたいと思います。

 


Categories: 3章。2017.07.04