この記事は、HSPと解離体質だと気づいたわたしが専門医の診察を受けに行った記録の最終回です。前回の記事では、薬物治療の中で、金縛りなどの睡眠問題が悪化してしまったことを書きました。
いったいどこに着地点があるのか、そもそも今回の一連の記事に終わりはあるのか五里霧中の状態でしたが、一応これまでと同じく、この第5回で一区切りを迎えることになりました。
一念発起して、覚悟を決めて、過去と向き合うために行動を起こしたその先に待っていたのは、予想もしない発見と教訓だったのでした。
ブプロピオン個人輸入
もともとわたしはほとんど薬が効かない体質なので、あまり期待していなかったんですが、とりあえず、専門医に提示された3つの薬のうち、残った最後のひとつ、ブプロピオンを個人輸入してみることにしました。
個人輸入だなんて、なんか怪しい香りがするので、これまでなかなか踏み切れなかったんですが、医者から正式に勧められたことで、調べてみることに。そうすると、意外と普通にみんなやっていることで、難しい手続きなどもなく、個人輸入代行のネットショップで買えるんですね。身構えるほどではなかった(笑)
ただ、ショップによって、値段に差があり、よく確認しないと、二倍以上の価格のものもあるようでした。特にブプロピオンは、薬の形態の種類が多いようで、まず、うつ病の薬ウェルブトリンとしての形式と、禁煙補助薬のザイパンの形式があります。名前が違うだけで、どちらも内容は同じです。
さらに、服用タイプもいろいろあって、一日に二回にわけて150mgずつ飲む半日タイプの徐放剤と、一日一回でいい300mgの丸一日タイプの徐放剤とがありました。わたしはとりあえず安かった半日タイプを購入。コンサータとかモディオダールみたいに一日一回のほうが楽だな―と最初思っていたんですが、半日タイプだと、体調が悪くて昼過ぎに起きても服用できるという意外なメリットがありました。
1週間くらいすると届いたので、早速飲んでみると…
あんまりパッとしない感じ。でも効いていないわけでもない感じ。もっと劇的な変化があれば、と思っていたので、最初は肩透かしに思えて残念でした。これならまだモディオダールのほうが効いていた。
でも、数日試すうちに、これはこれでいいんじゃないかと思えてきた。あんまり効いていないようだけど、日中ちゃんと起きて動くことは一応できるんですね。飲んでいないと一日中寝てしまうところ、ちゃんと起きれるというだけで効いてはいる。
そして、日中疲れたときには昼寝もできるのがブプロピオンの特徴。昼寝をしてしまうなんて、あんまり効いてないじゃないの、と最初は思いましたが、そういえばコンサータはここが問題なんでした。コンサータを飲むと、目がはっきり冴えて覚醒するのはいいんですが、無理やり上げるせいですごく疲れて体に負担がかかる。コンサータが効いている間は体を休めることができない。
それに対してブプロピオンはその半分くらいの効きだから、まあ一応動けるし、疲れたら休むこともできる、というマイルドな感じでした。あとで解離の先生に、そういう効き方だったと伝えると、コンサータと同じことをもう少し弱くやる薬だから、そうなるのは当然だと説明してくれました。もしそれで弱すぎると思ったら、1/2錠くらい増量してみればいいとのこと。
またずっと飲み続けたら副作用が出たり、効きが悪くなったりするか、と聞いてみると、それは個人差があるのでなんともいえないと。だけど、コンサータなどをかなり多めで服用しているような人はそうなりやすいけど、わたしの量だとあまり心配はいらないのではないか、とのことでした。
そんなわけで、微妙感はあるけれど、前の無理やりブーストよりは楽なので、しばらくブプロピオンでやっていくことに。解離そのものを薬で治すことはできないので、ブプロピオンでとりあえず動けるようにしておいて、あとは身体活動などを通して改善していくのがいいかな、という感じでした。コンサータみたいに覚醒させすぎると再トラウマ化の危険がありましたが、ブプロピオンなら、そこまで過緊張になることはなさそう。
思ってもみなかったベルソムラの効果
さて、それとは別に、並行してもうひとつ試した薬がありました。
それはベルソムラ。最近出た、オレキシンを減らすタイプの睡眠薬。オレキシンというのは前回書いたように、覚醒状態を維持している神経ペプチドで、ナルコレプシーの原因物質でもありました。わたしの推測では、わたしの症状ってナルコレプシー不全型みたいなものじゃないの?と考察しましたが、その関係で、ベルソムラを一度試してみたいなと思ってお願いしました。
わたしはもともと、どんな睡眠薬を飲んでも眠れないタチなので、効くかどうかは試してみるまでわかりませんでしたが、効果があるかないかはっきり判断したかったので、多めの20mg錠を試すことに。
帰ってその晩飲んでみると、まったく予想だにしていなかったことが!
飲んで30分くらいしたら、眠すぎて立っていられないくらいになった! しかも体の関節が脱力して、歩くと倒れそうなので、慌ててベッドへ。そのまま朝まで中途覚醒もほとんどなく死んだように寝ました。なんだこの効き方は!
こういう効き方って、よくハルシオンとかで耳にするんですよ。切れ味がよくて、スパッと寝れるとか。ふらつきに注意してくださいとか。でもわたしはそっち関係の薬で一度もそうなったことがなかった。だからなおさらびっくりしました。
次の日からも同じような感じでしたが、もっと奇妙な症状もあって、ものすごい眠くて倒れそうになったときにそのままベッドで寝ると、金縛りに遭いまくるようになりました。これまで金縛りは、中途覚醒のときとか、朝方とか、昼寝のときとかに出ていたんですが、そっちはほぼなくなって、代わりに入眠前に出るように。今までこんなことは一度もなかったけど、はたと気づいた。
これは全部ナルコレプシーそのものだ。
起きていられないほどの眠気、関節の力が抜ける脱力発作、そして寝落ちと同時に金縛りにかかる。ぜんぶナルコレプシーの典型的症状じゃないですか。
ベルソムラはオレキシンを減らして眠らせる薬で、ナルコレプシーはオレキシンが枯渇して眠ってしまう病気。つまりどっちもやっていることは似ているんですが、ベルソムラを飲んでナルコレプシーのようになってしまうことは基本的にはないそうです。おもな副作用のところにも書いていませんし、ネットで調べてもそんな副作用を気にしている医師はいません。だいたいベルソムラってこの前NHKがためしてガッテンで大々的に勧めて炎上したらしいし、安全でなければそんな宣伝はしないでしょう。
だけど、理論上はオレキシンを減らしたらナルコレプシーが起こるということはありうる。薬の説明書を読むと、まれな副作用として、脱力発作や睡眠麻痺といったナルコレプシー様症状のことが書かれています。だけど、あくまで「まれ」なはず。
それがベルソムラを飲むたびに完全再現されるということは、答えはひとつしかない。
やっぱりわたしはナルコレプシーの不全型だったのだ。
そのあと処方してくれた先生にもこのことを報告しましたが、確かにそうかもしれない、とのことでした。ナルコレプシーほどオレキシンが少なくないものの、普通の人より低値にあるので、ベルソムラを使うと振り切ってしまうのではないかと。
ここでちょっと専門的な話になりますが、極論で語る睡眠医学 (極論で語る・シリーズ) という本によると、人間の覚醒に関わっているのは脳の2つのシステムです。(p155-161)
ひとつは上行性覚醒系(AAS)。こちらは脳幹網様体などを含む、根本的な覚醒システムです。一番深いところにある根っこ。ここで覚醒をコントロールしているのがオレキシン。
他方、もうひとつ関わっているのが大脳皮質。こちらは、覚醒そのものというよりは、思考したり考えたりすることをつかさどっている。こちらはGABAによってコントロールされている。
この二つは、電子機器のOSとアプリみたいな関係にあるらしい。つまり脳幹の(1)上行性覚醒系がOSで、(2)大脳皮質がアプリ。
(1)のOSだけが起動して、(2)のアプリが起動していないのが、意識障害。目覚めてはいるのに、言葉をしゃべったりできない状態。最近、ベルソムラが高齢者のせん妄に効くという研究がありましたが、あれはベルソムラを減らすとOSを落とす効果があるからでしょう。
不眠の場合も、(1)OSが過覚醒しているのか、(2)アプリが過覚醒しているのか、で治療薬が変わってくる。
(1)OSが過覚醒している、つまり脳幹の生理的な部分が興奮している場合は、オレキシンを減らさないといけないので、ベルソムラが効く。また脳幹という生命維持のコントロールに関わる薬として、わたしが唯一効いたと書いた降圧薬のカタプレスみたいなのもこっちに効くはず。
しかし(2)アプリが覚醒している、つまり心配事とか精神症状のために眠れない人は、大脳皮質の覚醒に関わっているGABAを抑制する必要がある。こちらは、従来の多種多様な睡眠薬のほう。さっき挙げたハルシオンとか、有名なマイスリーとかはぜんぶこっち。
そうすると、わたしの場合、既存の睡眠薬がぜんぶ効かなくて、カタプレスとかベルソムラだけ劇的に効くのは、完全にアプリではなくOSの問題だということでしょう。精神症状とかで眠れないんじゃなくて、生命維持の中枢に何かトラブルが起こっていて、覚醒と睡眠の切り替えが難しいんだと思う。
ちなみにベルソムラを飲んで睡眠麻痺になるときは、すっごく眠いんだけど、このまま寝ると金縛りになってしまう、というのがはっきり事前に予測できます。
普通に眠るときは、いつのまにか意識がなくなって寝る、言い換えたら先にアプリが終了されて、その後でOSがシャットダウンされるわけです。
なのに、金縛りになるときは、アプリが起動したまま、つまり意識を保ったまま、先にOS側がシャットダウンされてしまうので、まだ意識があるのに体が寝てしまって動かないぞ~!!という異常事態になります。
わたしの観察では、アプリの終了にはそれなりに時間がかかるっぽい。少なくとも10分くらいでしょうか。普通の人が眠りにつくときも数分はかかるはず。だから、ベルソムラを飲んで猛烈に眠気でばったり倒れると、まだ意識が終了していないわけです。
その対処として、猛烈に眠くなっても、なんとかかんとか、10分くらいゲームでもして意識を保って、もう意識の側でも持たないなと思ったら寝るようにすると、金縛りに遭わずに眠れるようになりました。タイミングが難しく成功率は五分五分ですが、悪くはありません。
その後、ベルソムラを半分に割って10mgにしたり、ひとつ小さいサイズの15mg錠を使ったりしてみましたが、どれも一長一短な感じ。半錠だと眠りきれないことがあるし、15mgだったら、中途覚醒してしまうことがあったり。
これは何を意味するのか?
それにしても不思議で奇妙なのは、このベルソムラの効き方がいったい何を意味しているんだろうか?ということ。
解離の治療をするために専門医のところに行ったら、出された薬で金縛り頻発して、もしやナルコレプシーと近い?と思ってベルソムラを処方してもらった結果、このドンピシャ。今まで薬を飲んでこれほどの効果と副作用が出たのはコンサータ以来2つ目だと思うので、何かの核心に迫った感がある。
コンサータとベルソムラがここまで劇的に効く、という事実が指し示すのは、どっちも中枢神経系の覚醒機能に作用しているということ。
そして、わたしが子どものころからぼんやりしていたり、逆に過集中したり、空想世界に飛んだり、夢と現実のはざまにいるような感覚が生じたりするのは、ぜんぶここと関係していそう。
前回も書いたように、ADHDも解離もナルコレプシーも、ぜんぶ突き詰めたら覚醒システムの切り替え異常だと思うのです。解離の一番重い多重人格だって、人格呼び出しの際には催眠を使うし、自分で人格が切り替わるときも自己催眠のように一瞬とろんとしてから交代すると言われている。これは覚醒レベルが切り替わることで生じると考えるのが妥当。
健康な人でも、泥酔すると多重人格と同じ現象が起こります。泥酔した人は、まったく別人格のように振る舞い、気がつくと身に覚えがないことをやっていて記憶もない。これは解離とまったく同じ症状です。
そして、さっきの極論で語る睡眠医学 (極論で語る・シリーズ)によると、こうした泥酔のときの現象と、寝たまま記憶にないことを行なってしまうパラソムニア(たとえば寝たまま歩いたり食べたりして記憶にない)、そして解離の自動症(自分がのっとられて勝手に行動してしまういわゆる憑依)はぜんぶ同じメカニズムだと考えられるそう。(p60)
これらに共通するのは、意識障害を起こして、本人も自覚できない、あるいはコントロールできないあいだに、特定の行動パターンが再現されること。言い換えれば、何かの手続き記憶が勝手に再現されること。トラウマ障害ではこれは再演と呼ばれる。
この本では、それは「繰り返し学習した行動」(OLB)と呼ばれていて、 中枢パターン発生器(CPG) に保存されているという。(p59,67)
当然ながら、こうした自動的に行える手続き記憶は、人によって全然違うわけです。たとえばイチローだったら、あのバッターボックスに入ったときの一連の動作が「繰り返し学習した行動」(OLB)として保存されている。毎日同じ会社に通勤する人だと、帰り道が自動化されて、動物の帰巣本能のように中枢パターン化されている。
そして、トラウマ障害の患者の場合は、トラウマのときに繰り返し経験した苦痛が手続き記憶として学習されていて、それを無意識のうちに行なってしまう再演が生じる。たとえばPTSDのベトナム帰還兵だと、ささいな物音だけで我を忘れて闘争モードに入るかもしれない。子どものころ拘束されて習慣的に解離していた人は、成人後も似たような状況になると頭が真っ白になり体が動かなくなる。
普通の人の場合、起きている間に「繰り返し学習した行動」(OLB)に行動を乗っ取られて記憶にないということはほとんどありません。でも、カギを置いた場所を忘れたり、家まで帰宅した詳細を忘れていたりする。これは言い換えれば、覚醒状態が低下してぼんやりしているときは、中枢パターン発生器の自動運転に乗っ取られてしまい、記憶に残らないということです。
泥酔したときは自己認識ができなくなって意識の覚醒状態が低下しているし、睡眠中に歩いたり食べたりするノンレムパラソムニアも当然、意識の覚醒水準が低下しているわけです。
ではなぜ、トラウマ障害の人は、起きている普通の日常生活の場面で、しかもしらふのときに中枢パターン発生器の自動運転に行動を乗っ取られて、パニックになったり、自動症が起きたり、人格交代したり、解離したり、からだのあちこちで凍りつきや麻痺のパターンが再演されたりしてしまうのか。
論理的に考えたら、それは、普段から覚醒状態の異常が生じているから、という結論に落ち着くでしょう。体に保存された手続き記憶に無意識に乗っ取られてしまうのは覚醒水準が低下しているときだけなんですから。
まあ、わたしがこうやって推論するまでもなく、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 などの最新のトラウマ理論の本を読んだら、トラウマ障害とは覚醒状態のコントロール異常だとはっきり書いてあるんですけど、こう考えたら、つながってくるのは確かです。
トラウマ関連の疾患をもつ人は典型的に覚醒亢進(過剰な活性化の体験)や覚醒低下(少なすぎる活性化の体験)になりやすく、しばしば両極端に揺れ動きます。(p35)
そして、この覚醒水準を安定化させている神経ペプチドというのがオレキシンなんですよ。やっぱり解離って、後天的なストレスで、オレキシンの出が抑制されている病態じゃないの?ということになる。あまりにストレスの多い環境だと、脳は意識水準を下げて苦しみを緩和しようとする。いわゆる、気が遠くなるとか気絶するとかいう現象ですよね。そのとき多分、脳ではオレキシンが抑制されている。
子ども時代に慢性的なストレス下で、それがあまりにも頻繁に体験されたら、ずっとオレキシン低値のまま育つわけで、脳はそれに適応する。大人になっても、オレキシン低値がデフォルトになって覚醒水準の低い、解離の起きやすい脳になってしまう。
だから、わたしは解離しやすいと同時に、ベルソムラ飲んだらオレキシンが枯渇してナルコレプシーみたいになるんじゃないのか?
マインドフルネス
ここまでくれば、解離の対処法まであと一息。
オレキシンが低値なら、ナルコレプシーと同じようにオレキシンを補えば改善されるはずだけど、今はまだオレキシン受容体作動薬は実験段階でしかない。どうもオレキシンに血液脳関門を通過させるのに苦労しているらしい。だけどまあ、将来的にこれが使えるようになったら、ナルコレプシーより少量で試してみる価値はあると思う。
今できるのは覚醒水準を安定化させることのほう。
覚醒水準が低下したぼんやりしている状態から、どうやったら、意識をつなぎとめ、覚醒水準を安定域に保てるのか。
このための技法が最近よく耳にするマインドフルネスです。マインドフルネスのことをリラックス技法だと勘違いしている人も多いけど、本当は、注意を「今・ここ」につなぎとめるための技法です。
たとえばマインドフルネス瞑想では、注意がそれて、いつのまにか晩御飯のことをあれこれ考えだしたりしたら、意識して注意を引き戻します。これは解離しようとしていく意識を「今ここ」に引き止めるということ。覚醒水準が下がるのをつなぎとめるということ。
だから、近年の解離の治療論は、マインドフルネスを中心に語られている。さっきの トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 のセンサリーモーター・サイコセラピーとか、ソマティック・エクスペリエンスとかいった技法はマインドフルネスを中心に組み立てられている。
体の動きをしっかり観察して、自動化された部分を意識して修正していくアレクサンダー・テクニークとかフェルデンクライスメソッドもやっぱり同じ。いつの間にか薄れていく意識を引き止めて、「今・ここ」にとどまるのを訓練します。
わたしの場合、陥りがちな間違いが、しんどさからリラックスしようとしてしまうこと。例えば、昔、自律訓練法を学んだんですけど、あれは自己催眠をかけて、体をリラックスさせるという方法でした。
たとえば、電車に座っているときとか、しんどくなってきたら、目を閉じて、心と体を落ち着かせるわけです。
だけど、じつはこれって、マインドフルネスと真逆のことをやってるんですよね。スピーチ前とかに緊張しすぎている人なんかには効果的なスキルですが、もともと解離しやすい人が自己催眠をかけるなんて、もっと解離しようとしているようなもの。より一層覚醒水準が下がってしまう。実際、自律訓練法をやってるとそのまま眠ってしまう人も多い。
解離に必要なのはその逆、注意をつなぎとめて、起きていることです。電車に座っているとき、意識がぼんやりしているのに気づいたら、マインドフルネスは自律訓練法とは逆に、今の身の回りのことに意識を向けるようにする。だけど、まわりの雑音に意識を向けすぎると圧倒されてしまうから、そうならない注意力の距離感を保つようトレーニングする。
マインドフルネスは言ってみれば、覚醒レベルを望ましい水準に引き戻すトレーニングです。注意散漫になっているときも、逆に過集中してしまっているときも、注意を今・ここに引き戻して、上の空や没頭状態から帰ってくるためのスキルです。
そのことに気づいてから、しんどくて意識がぼんやりしだしたら、リラックスしようとするのではなく、まず足に注意を向けて、「地に足がついている」という感覚に集中するグラウンディングを行うようにしています。そしてしっかり地に根を張った状態で、全身の感覚に注意を向け、無駄な力が入っているところは抜き、逆に力を入れなければならないところは自立させるようにする。
さっきの本によると、解離している人は立ったり座ったりしているとき周辺部の筋肉を使って、体幹部の筋肉を使わない傾向にあるそうです。たぶん、解離が起こると体幹が脱力しちゃうから致し方なしにそうなっていくんでしょう。体は脱力したいのに無理やり自立させているというか。だけど、逆に言えば、意識して体幹部の筋肉を使うことで、解離を解除できるともいえる。
トラウマ理論では、姿勢と覚醒水準は関係しているとされます。当たり前の話ですが、立ったまま寝ることはできないし、横になったままいつまでも起きていることはできない。解離の人は無力感を感じさせるぐんにゃりとした姿勢になりがち。寝る一歩手前の低覚醒状態ということが姿勢にも現れているということです。
なら姿勢を正すことで覚醒水準も変えられる、というのがアレクサンダー・テクニークなので、グラウンディングと一緒に、背筋を自立させることを意識しています。だらりとした低緊張の姿勢でも、シャキッとしすぎた過緊張の姿勢でもなく、一番自然な姿勢はどこかをマインドフルネスで探っていきます。
これは体に染み付いた手続き記憶、さっきの「繰り返し学習した行動」(OLB)を変えていく、ということです。無意識の姿勢というのは中枢パターン発生器に保存された自動行動の最たるものなので、なかなか変えていくのは大変です。
だけど、一日のうち場所や時間を決めて、たとえば外出している間はしっかり自然な姿勢を意識する、家に帰ってからは低緊張の姿勢でだらけてもいい、といった使い分けをしていけばいいのだろうと思っています。
注意力散漫で解離するのは何も悪いことじゃなくて、わたしの場合は絵のアイデアを得たりするのに役立っています。問題は、本来 低緊張になるべきでないときにぐったりしまうことなので、そういう場面ではマインドフルネスを意識するようにして、スイッチのオンオフを鍛えていこうと思っています。
過去ではなく「今・ここ」に
今回の一連の記事では、最初、わたしは過去のトラウマを探す気になっていました。だから、タイトルも「解離された過去を探しに」にしていました。
だけど、専門医のところに行ってみると、解離されているものをわざわざ掘り出すのはよくない、ということを言われました。同時期に読んだ最新のトラウマ治療の本の数々もそれと同意見でした。
たとえば身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこうある。
1893年のブロイアーとフロイトの主張とは裏腹に、トラウマを、それと結びついた感情のいっさいとともに思い出しても、必ずしもトラウマは解消しないのだ。(p321)
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 にも直截的にこう書かれている。
治療的に大きな誤りとなるのは、よいセラピーの「あまり魅力的でない」側面を犠牲にして、記憶の回復を優先させることです。
一部のクライエントは、実際のセラピー的な変化をもたらす唯一の方法は「記憶を取り戻す」ことであり、そこに早く到達しなければならないと強く信じている可能性があります。
…一部のクライエントは「本当は何が起きたのか」がわかるだろうと期待して、セラピーを受けにやってきます。
セラピストは、センサリーモーター・サイコセラピーは「記憶」を回復する技術ではないことを強調します。(p337-338)
まさにわたしみたいなクライエントに向けて書かれていますね(笑) さすがわたしが受診した専門家の先生はこれと同じような対応をしてくださいましたが。
一昔前は、解離された記憶は詳細まで思い出して治療しなければならないと信じられていて、曝露療法などが基本でした。しかし記憶のすべてを思い出してもよくならないどころか、そもそも曝露療法で悪化するような例が多数報告されるようになってきました。ここ日本だと、まだまだ古い医学のままやっている病院も多いですが、ちゃんと最新の理論についていっている人は、記憶を思い出すことに重点を置いたりしません。
むしろ、過去を思い出して解決する催眠療法とか前世療法とか怪しげなものをやっているところからは、できるだけ距離を置いたほうがいい。
もちろん、過去に重大な何かがあって、記憶が失われているというと、何があったのか思い出したいと思うのは自然だと思います。わたしも、それらしき断片的な手がかりがとても多くあるので、何かあったことは確かだと思います。ときどき他とは質が違いすぎる恐ろしい夢を見るのはそこから来ているはずです。
じゃあ、記憶を封印してしまっている解離は悪いもので、解除しなければならないのか、というと、わたしは今では全面的にいいえ、と言えます。
解離って病気の名前になっているせいで、病気の症状のように思われがちですが、実際には防衛機制という脳をら守るメカニズムなんですよね。しかも、前回の記事で考えたように、寝ている間はだれでも解離状態にある。
健康な人でも、嫌なことがあったら寝て忘れませんか? 解離というのは、健康な人を含めてあらゆる人間に備わっているシステムなので、誰もが解離を経験しています。トラウマだらけのこの世の中で、わたしたちが絶望せずにやっていけるのは、ある意味、解離のおかげです。どんな人でも多かれ少なかれ、解離が働くおかげで、嫌なことを忘れています。
でも、不幸にもこの解離があまり働かない人がいる。それが過去にあった嫌なことにいつまでも囚われ続けてしまう うつ病とかPTSDの人たち。こうした病気でなくても、執念深く嫌な出来事を覚え続けていて、怒りや悲しみに囚われた復讐の人生を送っている人がいます。
こうして考えてみると、あれっ、解離ってやっぱり悪いものじゃなくて、逆に保護してくれているものでは?と思うわけです。
わたしは今、体調不良や慢性的な気力の低下以外には、不幸な過去の記憶に取り憑かれるようなことはありません。だけど、過去を振り返ってみると、ものすごいトラウマだらけになっていても不思議ではない要素がたくさんある家庭環境でした。なのにわりとポジティブに生きているというのは、解離が強すぎて、過去をぜんぶ覆ってくれているからです。
また絵の才能とか文章の才能とかも、この一連の記事の最初に書いたように、解離によって意識がさまよいがちなところから生まれています。注意力散漫なマインドワンダリング状態というのは、決して悪いものではなく、ひらめきには不可欠です。ただそれが四六時中起こっていると問題になるだけです。
わたしの場合、問題の原因を成しているのは、どうやら解離ではなく、過去の手続き記憶のほうです。
ちょっと図解してみると…
大きなトラウマ経験
↓ ↓
顕在記憶 からだの手続き記憶
↓ ↓
解離されている 意識されている
↓ ↓
記憶の欠落 身体症状
↓ ↓
解離を伴う仮面うつ病状態
というのがわたしの状態。トラウマ経験の記憶のうち、顕在記憶(意識にのぼる記憶のこと)は解離によって消えているのに、からだの手続き記憶(無意識のうちに体に現れる記憶のこと)のほうは残っている。それが、さまざまな不定愁訴として意識されている。
他方、解離が弱い人だとこうなる。
大きなトラウマ経験
↓ ↓
顕在記憶 からだの手続き記憶
↓ ↓
意識されている 意識されている
↓ ↓
精神症状 身体症状
↓ ↓
パニック、うつ病、PTSDなど
解離が弱いと、意識的な記憶は傷跡が生々しいままで過去のトラウマ記憶がそのまま露出していることになります。からだの手続き記憶のほう強いけど、それ以上にむき出しのトラウマ記憶が強烈なので、強烈な精神症状に振り回されることになる。
どちらが楽とかましだとかは比較にならないとは思うんですが、わたし個人としては、上のタイプのほうが、つまり今の自分のほうがよかったんじゃないかなーと思っています。
解離が働かないということは、過去のトラウマ記憶に圧倒されて冷静に考えられないということ。今こうして書いているような、文章や絵も落ち着いて描くことができないような圧倒的なパニック状態。わたしの場合、落ち着いて創作できるのは、解離が強く働いて、過去の記憶を封印してくれているおかげなんだ、ということがわかりました。
そうであれば、何も親の敵であるかのように、解離を治療しようだなんて思わなくていいんです。解離された記憶を思い出す必要もない。それはたぶん、封印したままのほうがいい記憶だから、手を付けないに越したことはない。今回受診した解離の専門家の先生もそういう意見でした。解離された記憶は、危険物だからこそ隔離されているのだと。
その代わり、上のチャートを見ればわかるように、問題になっているのは、からだの方が覚えているトラウマ記憶、手続き記憶です。解離という防衛機制は、トラウマ記憶のうち、意識にのぼる部分は封印することができる。でも、からだが覚えている固定的パターンとしての記憶のほうには無力なのです。だから、解離の強い人は、トラウマ記憶は思い当たらないのに、からだにさまざまな症状が再演されるという仮面うつ病のような矛盾が起きてしまう。
そこを修正して、からだに残った手続き記憶を上書きしてやろう、というのが、さっきから話題に出ているセンサリーモーター・サイコセラピーやアレクサンダー・テクニークです。
GrigsbyとStevensは、機能不全のパターンを変更するうえで、潜在的に手続き的に学んだことを無効にする方が、もともとの原因を語るよりもいっそう効果的であると示唆しました。(p335)
こうしたセラピーに共通する根幹がマインドフルネスでした。マインドフルネスとはつまり、からだの手続き記憶によって自動的に乗っ取られそうになったときに、それに気づいて意識的に行動を書き換えるトレーニングですから。
結論をいうと、わたしは過去を掘り返すのはやめました。過去は持って生まれた強力な解離におまかせしていればいい。解離は敵じゃなくて頼れる同志だった。
そして過去に執着する代わりに、わたしがなすべきことは、マインドフルネスなどのトレーニングを通して、過去ではなく「今・ここ」を生きる力を身につけることなのだと。
最後に見つけた意外な“答え”
そういうわけで、ちょっと遠回りしましたが、わたしに必要なのは、過去の記憶を思い出すことでも、解離を治療することでもなく、体に保存されたパターンを意識的に上書きしていくことだとわかりました。
そのために、カウンセリングは必要ないし、ましてや曝露療法などもってのほか。
一番いいのは、ソマティック・エクスペリエンスやアレクサンダー・テクニークの専門家の指導を受けることだと思いますが、あれは日本では医療行為として認められていないから費用がやたらかさむし、トレーナーの質もピンきりなんですよね。自分ではどうしようもない、と思ったら行くけれど、自分で本を読み込んで、試行錯誤していくことでも上達できると思うので、今はそちらをやっていきます。
自己流をやると、理解不足のせいで間違ったことを覚えがちですが、わたしの経験上、そうした誤りは、本をひたすら何冊も読んでいくうちに必ず修正されるし、かえって専門家のほうが自分より理解が甘いなんてザラなので。
そもそもアレクサンダー・テクニークの創始者のマサイアス・アレクサンダーとか、フェルデンクライスメソッドの創始者モーシェ・フェルデンクライスは、自力で自分を観察してトライ・アンド・エラーの中で自己治療していき、それを体系化した人たちなので、自分を観察する能力さえあれば、自分で自分の医者をするのが最も近道なんじゃないかと思います。
今回、意を決してさまざまなチャレンジに取り組みましたが、残念ながら、唯一無二のすっきりする答えは見つかりませんでした。解離の専門家のところに行ったけど、それで体調が改善したわけではなかったし、過去の重荷が取り除かれたわけでもなかった。教えてもらった三種類の薬やベルソムラを試したけど、どれも一長一短で魔法の薬はなかった。
これだという最適解が見つからなかったので、この数ヶ月の取り組みはなんだったんだろう…と落ち込みました。頑張って色々チャレンジしたのに、すべて無駄足だったような気がして。
だけど、こうして記録をつけて考えを整理していくうちに、この数ヶ月の試行錯誤の意味が見えてきました。
キーワードは、さっきもちょっと書いた「使い分け」。言い換えれば、マインドフルネスによってセルフモニタリングし、その時々で対処法を柔軟に変えていけばいいのだ、ということ。
今回の取り組みでは、確かに最適解は見つかりませんでしたが、その代わり、選択肢はものすごい増えたんです。今まで日中コンサータ、寝る前カタプレスという、ひとつ限りの選択肢しかなかった薬は、日中はコンサータ、モディオダール、ブプロピオン、寝る前はカタプレスとベルソムラ。選択肢は二倍以上に増えました。
そして、どの薬もそれぞれ一長一短ありました。コンサータやモディオダールは頭は働くけど、身体の過緊張が強い。ブプロピオンは頭はぼんやり気味だけど身体は楽なので動けるようになる。つまり、頭を使う作業の日は前者、外出したり運動したりする日は後者が適している。またブプロピオンは半日徐放剤なので、昼すぎに起きた日を有効活用するには、こちらが適している。
寝る前も、頭が興奮してノルアドレナリン過剰だと思うときはカタプレス飲めばいいし、疲れすぎて切り替えスイッチすら働かず寝るモードになれないときはベルソムラ20mgが適している。もっとマイルドに寝れそうなときはベルソムラ半錠か15mgでよさそう。
昼間の解離の対処にしても、さっき書いたようなマインドフルネスだとかグラウンディング、アレクサンダー・テクニーク、ソマティック・エクスペリエンスなど、いろいろスキルを身に着けました。どれかひとつが効果てきめんということはなかったけど、それぞれ適した場面があります。そもそも解離をいつも解除しないといけないわけじゃなく、解離しててもいい場面もある。
また明るさ過敏と音過敏への対処も工夫するようにしました。最初はずっとイヤープラグ&メガネ状態でしたが、現在は、親しい人と会話するときにはサングラスを外しています。短時間ならメガネなしで明るいところにいても大丈夫なので、ここもオンオフのメリハリをつけようかなと。サングラスをいつもかけてるより、ときどき外して素顔が見えたほうが人との距離感が狭まると思います。
どれもやっぱりポイントは「使い分け」なんです。しっかりセルフモニタリングして、場面に応じた薬やツールを選択する。
自分で自分の医者になる、とは、たぶんそういうことなんだと思います。賢い医者は、患者のコンディションに合わせて柔軟に処方を変えます。もし患者が入院してたら、それこそ毎日処方を調整するかもしれない。外来ではそれはできないけど、その代わりに、患者自身が自分で自分の医者になる観察眼を身につければいい。
考えてみれば、ひとつの処方だけで、毎日うまくいく魔法の薬なんて、いくら探してもないはずなんです。人間の身体は毎日コンディションが変わるし、同じ薬を飲んでいたら耐性ができたり、オーグメンテーションが起こったりするもの。人間の身体は刺激に対して適応するようになっているので、どんなにいい薬でも、食べ物でも、馴化が起こるのはアタリマエ。どんな神ゲーでも毎日プレイしてるといつかは飽きるのと同じ。
だから、これが最適解、というような薬も治療法も見つからなかったのは当然でした。本当の最適解は、身体に飽きさせない、ということ。つまり毎日の状況に合わせて答えを変えるということだった。そしてこの数ヶ月はそのための選択肢のパリエーションを増やすことに成功していた、そう気づきました。
だから、これからは主治医の協力を得て、これらさまざまな選択肢をいかに臨機応変に使い分けるかを訓練していくことが大切なんだと思います。どれかひとつにこだわらず、一日一日、自分の状態や環境に合わせて対応を変化させていく。そうしているうちに、多分さらなる選択肢のバリエーションも増えていくでしょう。
今後の課題としては、今回意外なところから、睡眠問題にスポットライトが当たったので、一回終夜睡眠ポリグラフ検査を受けてみたいし、やがて来るだろうオレキシン受容体作動薬も試せる場所にいたいです。
あとどうやらやっぱりベルソムラを飲んだ後も非24時間睡眠覚醒リズム障害が続いているようなので、そこらへんも煮詰めていく必要がありそう。もともと一ヶ月周期で睡眠リズムがずれていくんですが、どうやらベルソムラで無理やり眠っても、内部でリズム変動しているっぽい感じで、ぐっすり眠れる時期とすぐに起きてしまう時期とがあります。それが何か探るのが今後の課題。
また、最近、意識を「今・ここ」に向けるマインドフルネスの手段のひとつとしてボルダリングをはじめました。どうやらボルダリングはマインドフルネス効果によって、重症うつ病に効くようです。うつは重症化すると悲嘆する力もなくなって感情が麻痺した解離状態になるので、たぶん関係ありだと感じました。その感想とかは以下の記事にて。
今回のシリーズも、ひとつの結論が出て、ようやく締めくくりに至りました。過去を探しに行ったのに、まわりまわって 今ここに帰ってくるというのは、我ながら、なかなかよくできた結末ではないかと思います(笑) そして、答えが見つかるどころか、毎日リアルタイムで答えを見つけていかないといけないこともわかりました。
結局、旅の終着点が見つかるどころか、まだチェックポイントのひとつという感じになってしまいましたが、自分のルーツを探る旅は、たぶん一生続くんでしょう。また進展があれば、次のシリーズを書き始めるつもりです。
最後に、もしここまで読んでくれたような風変わりな方がいらっしゃいましたら、迷路のような自分語りに辛抱強く付き合ってくださったことに感謝します。ありがとうございました。
▽次なる進展について書き始めました。