前回からリニューアルして書き始めた、北海道に引っ越してからの暮らしの中での、ソマティックな体験や考察についての書くシリーズの二回目。
書きたいことは山ほどどっさりとあるんですが、自動車学校関係の負担が大きくて、まだ余裕がありません。
ちょっと前まで慢性疲労症候群で引きこもりやっていたような人間が、普通の人でもストレスで胃が痛くなるとかいう免許取得に通っていること自体が奇跡的というか無謀というか。
そんなわけで、今回の記事は、過去にも何回かやっている、小さな話題の詰め合わせというか覚え書きになります。そのうち、いつかまともな記事に編集できたらいいなぁ…。
もくじ
まず近況など
こちらに引っ越してきて二ヶ月になりますが、けっこう元気です。前回書いたように、薬を飲んでいないのに、都会で薬を使ってギリギリ活動していたころより元気な水準を保っています。毎日数キロのサイクリングも継続中です。
ただ、前回書いたように、根本から元気になったわけではないこともまた確かで、自動車学校とかイベントなどの予定が入ると神経が過剰反応して、平衡状態を保ちにくくなってしまいます。
しかし、都市で生活していたころは、ずっと慢性疲労状態だったので、そもそもこういった変化に気づけませんでした。ずっと底辺レベルをうろうろしている体調なので、ちょっとくらいストレスが上乗せされたところで変わりっこない。
それがこちらに来てからは、普段の体調の水準がかなり良いために、ストレスがかかったときに体調が悪化するのがよく観察できるようになり、いったい何がストレッサーとなっているのか特定できるようになってきました。
大きな要因は、自動車学校のような「他人から評価される場面」「失敗して恥をかくかもしれない場面」「人が大勢いる場所にいく」などですが、それ以外にも、乳製品を食べた後に腹部膨満や凍りつきが悪化することもわかりました。
(食物不耐症が慢性疲労症候群の原因のひとつであるという説は昔からある。しかし不耐症に関しては原因物質をすべて避けるよう勧める派と、そうするとかえって悪化してしまうので少しずつタイトレーションしながら食べるべきであるとする派がいる。あなたの体は9割が細菌を読む限り単なる消化酵素の問題ではなく、過敏性腸症候群と同様に、腸内細菌の問題ととらえたほうがいいように思う)
今のところは、この体調を維持していて、それ以上よくなる気配も、悪くなる気配もなく、一定の安定状態に落ち着いた気がします。では今後はどうなっていくのか。それに関しては、最近見かけて、ちょっと気になったニュースがありました。
愛知)元地域おこし協力隊員が開発、肌にやさしいオイル:朝日新聞デジタル
杉浦さんは、鳥取大学農学部で植物の遺伝子やたんぱく質などの研究に携わり、大学院修士課程を経て、基礎生物学研究所の研究員になった。
6年前に突然、化学物質過敏症が発症。ひどい肌荒れなどに加え、たばこや洗剤などの香りを嗅ぐだけで発作が起こり、歩くこともままならず、研究所を辞めざるを得なくなった。
その後も効果的な治療法もみつからず、都会を離れて空気がきれいな場所で暮らすことにした。知人の紹介で同県豊田市北部の山間地にある空き家を借り、1年半ほど療養すると、症状は徐々に改善していった。
わたしの理解からすると、化学物質過敏症は、トラウマ障害とメカニズムが似ているように思います。(ポリヴェーガル理論入門のp164でポージェスが説明している単一施行学習だと思われる)。とすると、わたしの場合もこの人と同じく転地療養しているようなものなので、似たような経過をたどるんでしょうか。
この人の場合の「1年半」という期間は、おそらくは腸内細菌の組成や脳の可塑性が変化するのにかかった時間(どちらも腸内および脳内の「生態系」が新しい環境に応じて変化するのにかかる時間、とみなすことができる)だと思うので、わたしの場合も、だいたい1年かそこら住んでいれば、もっと変化がみられるのかもしれない。
幸い、今のところは、自動車学校という外的なストレッサーがある以外は比較的 好調なので、今後の体調の変化を気長に見守っていきたいと思います。
最近の写真。
Windowsの壁紙みたいな絶景ばかりですが、ぜんぶうちの近場です。自転車で5分とか、車で10分のところ。観光地化されていない手付かずの大自然っていいですね。
ただの雪かきした後の雪の塊ですら美しい。
この青さ、雪ってこんなに青いものなんですね。都会の雪だと濁ってしまっているので、見たことがありませんでした。
もちろんときにはホワイトアウト状態になって、家の近くで遭難しそうになりますが…。
ちょっと衝撃的だったのは、吹雪いている夜中に家の外に出ると、家のまわりを歩いているだけなのに、砂漠を歩いているような状態なこと。このあたりは雪質がさらっさらのパウダースノー(雪質日本一を謳ってますが)なのですが、ひざくらいまで積もっていると、歩いたときの感触が砂丘そっくり。さながら白い砂漠です。
そんな夜は風が吹いて砂嵐ならぬ雪嵐が舞っていて、視界がひどく不明瞭で、歩いているだけで方向感覚がなくなりかけます。家から徒歩30秒のところなのに、猛烈な風が吹くと、風がおさまるまで立ち止まらないといけないほど。スノードームをひっくり返したときみたいに視界がホワイトアウトして、下手に歩くと雪山に突っ込んだり雪に隠れている側溝につまずいたりするので危ない。
雪山でこんな状態になったら間違いなくアウトですが、家という「安全基地」が近くにあるおかげで、気軽にそうした吹雪の夜の屋外を体験できます。「こういう経験がしたくてここに来たんだ―!」と幸せな気持ちになりますね(笑)
自然の雄大さもすばらしい。こんな背の高い木、都会だと町の中心に一本あるかどうかではないでしょうか。
夜中に町中をサイクリングしていると、謎の足跡がたくさんあったり。さすがに今の時期はクマは冬眠していますし、町中には入ってきませんが、キツネ程度の動物であれば、夜の町を気ままにうろうろしているようです。
おもしろかったのが、そこらじゅうの木に、遠目で見ると鳥の巣のような丸いもこもこっとした何かが引っかかっていること。近づいてよく観察してみると、鳥の巣ではなくて、青々とした寄生植物でした。
有名な「ヤドリギ」ですね。クリスマスリースにもなるという。人間が作った人工物としての自然ではなく、本物をすぐそばで観察できる喜びを味わっています。
ここからは最近考えたことのメモ。
1.解離とは自己のメロディが音符に断片化してしまうこと
自動車学校は、先日ようやく仮免許までたどり着きました。まだまだ中間にすぎないのに、我ながら情けないことですが、相当なプレッシャーを感じていました。試験どころか教習のたびに胃というか内臓が痛くなってしまいます。
その仮免試験の前日は、ゆっくり休んで明日に備える、といった過ごし方ではなく、朝から晩までひたすらと文章を書いていました。そういう切羽詰まったときのほうがなぜか集中力が研ぎ澄まされます。やはりどうも、わたしは「書くこと」を避難所として用いているらしい、というのを改めて感じました。
自己の混乱や焦燥のときにこそ創作意欲が向上するというのは、以前の記事でも書いたとおりです。アイデンティティが混乱しているからこそ、混沌に秩序を作り出すために、人は創作へ向かうのだと。
わたしの場合も、「書く」という行為には、とらえどころがなく、つかみどころのない混乱した現実を、紙面に固定するという効果があるように思います、創作して、作品という形に固定すれば、混沌が少しでも和らいだ気になります。
このことをうまく説明しているエピソードが、オリヴァー・サックスの妻を帽子とまちがえた男にありました。それは、コルサコフ症候群のウィリアム・トンプソン氏についてのエピソード。コルサコフ症候群とは、一瞬前のことも忘れてしまうほど重度の記憶障害ですが、その記憶障害と同時に、驚異的な作話能力が出現します。
あるときトンプソン氏は旅行に出かけた。
あとで聞いたことだが、タクシーの運転手は、彼ほどおもしろいお客を乗せたことはなかったという。トンプソン氏が次から次へと、すばらしい冒険に満ちた、おどろくべき身の上話をしてくれたからだ。
「あらゆる所を旅行し、あらゆる経験をして、会ってない人なんかないみたいでした。一生のうちに、あんなにたくさんの経験ができるなんて、信じられない」と運転手は言った。
「とても一人でできるわけじゃないですよ」われわれは答えた。「ひじょうに奇妙なんですが、要するにアイデンティティの問題なのです」p208)
コルサコフ症候群の場合、「アイデンティティの問題」の裏返しが、驚異的な創作能力です。サックスが言うのは、自己のアイデンティティがバラバラになった人間は、その状態に耐えることができず、一貫したストーリーを求めて創作するようになっていきます。
忘れられ、失われていくものを埋めあわせるために、彼は、たえずまわりのことや自分のことについてつくり話を続けていた。話をつくったり空想したりするみごとな力は、まさしく才能と言うべきであろうが、それは右のよう錯乱した状態によって誘発されたのだろう。
なぜならば、患者はたえずつねに自分自身とまわりの世界をつくり上げていなければならないからである。われわれは、めいめい今日までの歴史、語るべき過去というものをもっていて、連続するそれらがその人の人生だということになる。
われわれは「物語」をつくっては、それを生きているのだ。物語こそわれわれであり、そこからわれわれ自身のアイデンティティが生じると言ってもよいだろう。(p209)
自己がバラバラで、一貫性がなければ、なんとかして自分の体験に秩序を取り戻さねばならなくなります。自分が経験している断片的な世界を、ひとつにまとめるストーリーが必要です。バラバラの手がかりをたよりに、物語をこしらえて推理する探偵や考古学者のように。
神経科学的には、このことはガザニガの分離脳研究によって実証されていて、左右の脳をつなぐ脳梁を切断された人は、右脳と左脳が別々に働くようになります。右脳の自己が勝手に何か動作をすると、左脳の自己はその理由がわからないので、たとえ真実とは異なっているとしても、筋の通ったストーリーを作って理由づけしようとします。
コルサコフ症候群になると、重度の記憶障害のために、一瞬前に聞いた話も、自分がやったことも覚えていません。患者はつねに、過去という文脈なしに、未知なる知らない世界に放り出されているようなものです。
すると、自分の身の回りを先入観なしにいちから観察するはめになり、今自分はどこにいるのか、何をしようとしているのか、自分はだれなのか、といったことを、身の回りの手がかりから推理せざるをえなくなります。その結果、もっともらしい筋の通っているように思えるストーリーを創作する能力が向上していきます。
たとえ本当は的外れで事実と異なっているとしても構いません。必要なのは厳密な真実ではなく、自分がいったい何者なのか、バラバラになったアイデンティティをひとまずはつなぎあわせてくれる、説得力のあるストーリーだからです。
トンプソン氏が、なぜあのようにむきになって作話し、おしゃべりするかといえば、物語、ドラマが必要だからである。静かで、連続的な内面の物語を奪われた彼は、一種の物語マニアの状態に追い込まれたのだ。
だから際限なく話をし、妄想を語り、虚言症になってしまったのである。真実の物語や連続性をもちつづけることができないので、別の言い方をすれば、自己の内的世界を維持できないので、彼は疑似物語を次から次へと語らざるをえなかったのだ。
本物らしい疑似人間が登場する、見たところ疾患性のある疑似世界を語るのだ。(p210)
このトンプソン氏の物語は、解離の当事者の置かれた状況と非常によく似ています。解離もまた、以前書いたように、アイデンティティの核がバラバラになる状態だからです。
子どものころから解離性健忘によって自分史の一部を喪失してきた人、複数の人格に分裂してしまい、ちょっと前にやったことも記憶にない人、離人症によって濃い霧のなかをさまよっているようで、過去も未来も想像できないような人は、トンプソン氏ほどでないにしても、かなり重度なアイデンティティの障害を抱えており、一貫性のある自己がありません。
ダマシオの意識の理論によれば、わたしたちには、今ここを認識する「中核意識」と、たくさんの今ここの自分をひとつにつなぎあわせる「拡張意識」があります。簡単にいえば、中核意識は静止画の写真で、拡張意識とは、そのような写真をコマ送りビデオの形式で動画にする能力です。中核意識があれば、瞬間ごとの自己のスナップショットは撮れますが、一貫した流れのある自己という感覚を作り出すには拡張意識が必要です。
コルサコフ症候群も解離性障害も、どちらも「拡張意識」の障害であるといえます。いまこの瞬間を認識する「中核意識」は存在していますが、瞬間ごとの自分をひとつにまとめて、過去、現在、未来をつなぎあわせたナラティブ、つまり一貫した自己の物語を作り出すための「拡張意識」がうまく機能していない。自己の物語は瞬間ごとに断片化されているので、自分の想像力を使ってそれらをつなぎあわせなければならない。
そうすると、トンプソン氏が、自分はいったい自分は何者なのか、ということを説明するもっともらしいストーリーを作らねばならなかったように、解離の当事者も、断片的な自己から、自分のアイデンティティの物語を再構築しなければ安心することができません。そのため、一貫した自己を持っている常人には考えられないような創作能力が発達していきます。
たいていの場合は、そのような能力は、トンプソン氏のような、虚言やホラ吹きの域を出ないかもしれない。しかし、幼少期に獲得した解離傾向と、一種の編集の才能をあわせもった人たちの場合は、作話を魅力的に構成できるので、その力を活用して作家として活躍できるようになります。
トンプソン氏だってタクシー運転手からすれば、「彼ほどおもしろいお客を乗せたことはなかった」ほど作話が上手でした。もしトンプソン氏に、自分のおもしろい作話をうまく構成して小説形式にする前頭葉の才能があれば、彼は一流作家にだってなれたことでしょう。残念ながら彼はおもしろい作話を語るだけで、それをまとめる能力は持ち合わせていなかったのですが。
こうした記憶障害によって生じるコルサコフ症候群とは違い、解離の当事者の場合は、もともと前頭葉の抑制機能が秀でていることも多いので、単にストーリーを紡ぎ出すだけでなく、それを理路整然とまとめることのできる人もいます。古今東西の作家や哲学者の中にはきっとそういう人がたくさんいたはずです。
確かにどれくらい魅力的に料理できるかは人によって違う。でも、やっていることはトンプソン氏とあまり変わりません。崩壊し、混乱し、バラバラになった自己のアイデンティティを埋め合わせるため、創作という行為によって、断片に意味を付し、物語にまとめているにすぎません。
まわりの世界は刻々と意味をうしない、消えさっていく。彼は、意味を捜すか、あるいは必死で意味をつくりださねばならない。たえず話をつくり、ぽっかりと穴を開けている無意味さの深淵に、混沌の上に、意味という橋をかけなくてはならない。(p211)
前に書いたように、自己のアイデンティティ障害の解決という危急の課題がなければ、創作という苦しい行為を延々と続けられるはずもありません。作家という人種は、埋めても埋めてもすき間が空いて断片化している自分の内部の空洞を、少しでも塞ごうとして、自分を納得させるために物語を作り続けるのです。
では、もしアイデンティティが統一され、作話する必要がなくなれば、創作能力はなくなってしまうのだろうか。わたしはなんとなくそうであるような気がします。だからこそ、わたしは追い詰められたときほど創作したくなり、そうでないときは創作しようとあまり思わないのではないか。
自らの内面をのぞき込んだとき、そこにバラバラになった自己があるという感覚こそ、橋渡しをするための創作の火種なのです。もし自分の人格が統一され、まったきものになってしまったら、そもそも、内面をのぞきこもうとするきっかけがなくなる。内省的な性格でさえなくなり、自分の外部のものに気を取られるかもしれない。(もっともそれが生物としては普通なのだが)
サックスは、トンプソン氏のコルサコフ症候群を治療することはできませんでしたが、彼が作話をしなくなる時間があることに気づきました。
ときおり彼は、病院の静かでおだやかな庭へとはいってゆく。そして静寂のなかで、自分自身の平静をとりもどすのである。
…静寂と、十全にして満ち足りた雰囲気、しかもまわりはすべて人間以外のものばかりとあって、はじめて彼は静穏と充足感を味わうのである。
人間のアイデンティティだの人間関係だのはもはや問題ではなくなり、あるものはただ、自然との、ことばによらない深い一体感である。そしてこの一体感を通じて彼はこの世に生きていること、偽りのない真正な存在であることを感じとるのだ。(p218)
トンプソン氏は、自然のただ中を悠然と散歩しているときだけ、旺盛な作話をしませんでした。それはつまり、その時間だけは、自分のアイデンティティの断片をつなぎあわせねばならないという危急の切迫感から解放されるということでしょう。
なぜ自然の中にいると重度のアイデンティティ障害から解放されるのか? サックスはそれを説明していませんし、わたしもよくわかりません。
しかし、わたしはこれが事実であることを身をもって今体験しています。大自然のなかの雪道をサイクリングしているとき、わたしの頭の中の声はやみ、ふと、自分が「一つ」だと感じます。そこには断片化された自己の感覚はなく、ただ統合された自分がいるように思えます。
ただし、その感覚は、そのとき限りのものです。自然界の刺激がなくなれば、わたしはもとに戻ってしまう。これは、サックスがレナードの朝で引用している、T・S・エリオットの次の言葉を思いださせる。(サックスは別の本のどこかでもこれを引用していたはずだが、ちょっと思い出せなかった)
あなたは音楽 / 音楽が続いている間は (p146)
音楽が続いているあいだ、わたしたちは音楽のメロディと一体化して、自分の内面の問題を忘れることができる。ドーパミン性の凍りつきも消失する。しかし、音楽が鳴り止むと、また元の状態に戻ってしまう。
音楽は、外部からリズムを与えることで、失われた能力の外付け機構のように働き、正常な人体の連続性(手続き記憶)を取り戻させるように思える。それは言い換えれば、自己のアイデンティティの連続した流れ(拡張意識)を取り戻させることと同じ意味だといえる。手続き記憶と拡張意識という概念は、ともに似た何かを扱っているように感じる。
どちらも、意識することなくスムーズに連続する生体の機能(A・R・ルリヤの言う「キネティック・メロディ」、あるいはミハイ・チクセントミハイの言う「フロー」)のことを指しているのだ。
そして音楽と自然は、どちらも外部から働きかけを与え、このキネティック・メロディやフローの機能を正常化させている。すると、音楽や自然なしでは凍りついてフリーズし、スムーズにつながらなかった断片としての自己の「音符」が、ひとつの楽譜上に並び、ひとつの自己の物語という「メロディ」をかなでるのだ。
解離とは、自己のアイデンティティを奏でる音楽が、全体のメロディの流れを失い、個々の音符になって散らばってしまう状態である。
だから、解離に陥った当事者は、その断片化した音符を、なんとかしてひとつのメロディに組み直そうと奮闘するのだ。それが断片化したアイデンティティをつなぎあわせるための創作行為である。
しかし音楽や自然の刺激は、外からリズムを与えることにより、バラバラになってしまった自己の音符をもとどおりのメロディへと自然につないでくれる。自己のメロディが鳴り始めたら、もう創作に駆られる必要はなくなる。求めていた一貫した自己という流れるようなメロディは、今ここに奏でられているのだから。
2.サイクリングによる自己調節について
かなり寒くなってきましたが、引き続き、自転車には楽しく乗っています。
子どものころから都会に住んでいたので、自転車には乗っていましたが、もともと自転車に乗るのが特に好きだったわけではなく、引っ越し前までは、安いレンタル自転車に乗っていたくらいです。
ところが旅行でこちらに来たとき、自転車で町内を走り回るのがとんでもなく気持ちよく、一日に5kmや10kmも走ってしまったこともあって、今まで気づいていなかった楽しさに目覚めました。
思い返せば、わたしが自転車好きになるというのは、予想しうるものでした。うちの父親がそこそこサイクリング好きでしたし、その後も気の合う人にはやたらと自転車好きの人が多かったからです。
うちの主治医が言うには、自転車には、リズミカルな協調運動によってセロトニン系が調節される効果があるらしい。リズミカルな運動がもたらすセロトニン系の賦活効果については、睡眠専門医の神山潤先生の本で読んだ記憶がある。
だから、自転車好きな人たちはそうした自己治癒効果を求めているのではないかと。神経系の構造がきっと似た者同士なんでしょう。それで思い出されるのは、サックスが火星の人類学者で書いているトゥレット症候群の外科医カール・ベネット博士のエピソード。
その夜、わたしはベネット家の地下室でぐっすりと眠ったが、夜明けに隣の遊戯室から聞こえる奇妙な回転音で目を覚ました。遊戯室のドアにはガラスがはまっていた。寝ぼけまなこでそこからのぞいてみると、機関車のようなものが見えた。大きな車輪がもくもくと煙を吐きながらぐるぐる回転し、ときどきふうーっと音をたてているのだ。
不審に思ったわたしは、ドアを開けてそっとのぞいてみた。すると、上半身裸になったベネット博士が、悠然と大きなパイプをくゆらし、ものすごい勢いでエアロバイクをこいでいた。
前に置いた病理学の本は、見たところ、神経線維腫症のページが開いてある。これが彼の毎朝の習慣だったのだ。好きなパイプをふかしつつ、エアロバイクで30分運動しながら、その日の仕事に関係のある病理学や外科の本を読む。
パイプとリズミカルな運動が彼の神経を鎮めてくれる。チックも強迫行為もなく、せいぜい、ふうふうと言うだけだった(こういうとき彼は平原を走る列車になったつもりでいるらしい)。こうすれば、いつもの強迫観念や混乱なしに本を読むことができる。(p140)
たぶん、わたしと同類の自転車好きの人たちは、苦笑しながら、このベネット博士の習慣に共感してくれるでしょう。トゥレット症候群ではないにしても、きっと似通ったところがあると思います。
わたしの同類の人に共通しているのは、いずれもドーパミンの方向付け不全であり、エネルギーをうまくひとつの方向に向けるのが苦手。しかしリズミカルな運動をしている間や、音楽を聞いている間は、ドーパミンの方向づけができ、集中することができる。一つ目の項目で書いたように外部からリズムを与えると、凍りついていた断片がスムーズに流れてつながるようになる。
それが主治医の言うようなセロトニン系の活性化によるものなのかはわかりませんが、「リズミカルな運動が彼の神経を鎮めてくれる」というところからするとたぶん関係はあるのでしょう。セロトニン系というか、それと紐ついている腹側迷走神経系が活性化し、自己調節できるようにしてくれる、ということです。
言い換えれば、わたしと同類の人たちとは、ポリヴェーガル理論で言うところの耐性領域内にとどまるのが苦手な人たちであり、すぐに過覚醒や低覚醒になってしまいますが、リズミカルな刺激があるときは、自己調節能力が強化され、耐性領域内にとどまることができる。
だから、自転車に乗っていると、いつもの混乱や不安定さがなくなり、とてもすっきりとした心地になる。頭が整理され、気持ちが落ち着いていくのがわかる。
これは別に自転車でなくても構わず、たとえばオリヴァー・サックスがそうだったように水泳でもいいでしょう。水泳やウォーキング、マラソンなどもまたリズミカルな反復運動ですから。うちの父はランナーズハイ中毒で、熱中症になるまで走り続けるような人でした。
スパイクタイヤの自転車で静まり返った雪の中をただ走っていると、気持ちが落ち着きます。身体の中にこもっていた余剰エネルギー(中断された闘争/逃走のエネルギー)が、回転運動を通して昇華されていくんでしょうか。夜も遅くなってくると、町中の道路はほぼ貸切状態なので、天候と路面状態がよければ思う存分走り続けられます。
晴れた日は氷点下10℃以下まで冷え込みますが、意外と寒さを感じません。寒さに麻痺している(解離している)というわけではなく、これは天然のペンデュレーションとタイトレーションの結果なのだ、と思い当たります。
季節の変化はいきなり生じるのではなく、日に日に少しずつ、暖かくなったり寒くなったりしながら、徐々に冷え込んでいきます。毎日その中を自転車で走っているうちに、徐々に寒さに慣れてきます。いきなり寒波に曝露されるようなことはなく、徐々に身体が慣らされます。だから、氷点下になっても、それほど寒いとは感じません。(マイナス20℃を下回ると肌が痛くなってくると地元の人が言いますが、まだそれは体験していません)
安全基地のような家があるのも大きい。いくら外が寒くても、家に帰れば20℃のぬくもりがあります。本州の家のように家の中まで寒いということはありません。この温度差もまた、ペンデュレーションになって自律神経系の機能が鍛えられます。(一種の天然の温冷浴です)
外に出た瞬間は、手足が寒いのに、自転車で走り続けていると、手足があったまって熱を帯びるのがわかります。生体のホメオスタシスの機能が刺激され、身体が体温を保とうとしてくれているのです。トラウマ当事者ではこのホメオスタシスが働いていないのが問題なのですから、こうしてサイクリングを通してホメオスタシスが起動するというのは、それだけで治療になっている気がします。
外から帰ってくると、手足の内部が沸騰するような熱さに感じることがあります。不快な感覚ではなく、生き生きとしたエネルギーがみなぎっているような熱さです。もちろんすぐにもとに戻りますが、これは氷点下で活性化したホメオスタシスが、常温下に再調整されるまでの感覚なのでしょう。
こうした身体の生理的な自己調節機能を実感するにつけ、薬物治療の浅はかさがわかります。薬物治療は、生体はホメオスタシスによって反跳しようとするこうした作用を無視しているので、薬物治療をすればするほど逆の効果が起こってしまうことがあります。
比喩的に言えば、薬物治療とは、冬の寒さを肌で経験せず、常に薬で温かさを維持しようとするようなもの。外から熱を補ってやれば、確かに暖かくはなりますが、生体の自己調節能力は衰えます。そのうち薬なしでは暖かさを維持できなくなります。
同じことが、ドーパミンを補う薬物治療にもいえる。ドーパミンが足りないのなら、外から薬で補ってやればいい。そうすると、一時的にはドーパミンが足りるようになりますが、やがて生体のドーパミン調節機能が衰えるオーグメンテーション(反跳現象)が起きます。薬で補った結果、生体の自己調節機能が衰えていきます。
本来生き物の身体には、ホメオスタシスによって逆方向に内部から調整する機能が備わっている。寒ければ内部から熱くすることで平熱を保ち、何かの神経伝達物質が不足すれば、内部からその生産を増やして補おうとするような。
本当の治療とは、足りなくなった何かを薬によって補うことではなく、なぜか機能していない このホメオスタシスを再活性化し、生体が自己調節できるようにすることだといえます。
そして活動低下したホメオスタシスとは、ゆらぎを失った凍りつき状態である、とみなせるので、ホメオスタシスを活性化させる治療法とは、少しずつ神経系を揺さぶるペンデュレーションとタイトレーションということになります。
そのペンデュレーションとタイトレーションは、もともと自然界の中に昼夜や季節の変化のリフレインとして組み込まれているので、自然界のなかで身体を動かすことは、凍りついていたホメオスタシスの機能を再活性化し、薬物治療によらず、生体の自己調節能力を回復させることができます。
3.情動は不随意的な身体の反応だから認知では変えられないということ
最近、SEのセラピーで学んだことを実践しているなかで気づいた点。かなり重要なポイントと思われるのだが、トラウマ関連書籍のなかに説明が見当たらなかったので、どう説明していけばよいのかまだ悩んでいる。
ダマシオの 意識と自己によると、トラウマ反応とは、危機的状況に反応して身体が勝手に反応し、筋収縮などを起こすことであり、それは「情動」と呼ばれている。たとえば、危機的状況下では次のように、認知よりも前に、身体が反射的に反応する。
あなたに向かってくる車は、あなたが望もうと望むまいと、恐れと呼ばれる情動を引き起こし、あなたの有機体の状態の中の多くのものを変化させる―とりわけ、腸、心臓、皮膚が即座に反応する。(p197)
ポージェスもまた、このことをポリヴェーガル理論入門の中で別の用語を使って論じている。ポージェスは、この身体の非随意的な反応を描写するために「ニューロセプション」という用語を作った。
ここはよく注意してください。「知覚」と「ニューロセプション」の違いをはっきりさせましょう。「ニューロセプション」は環境中の危険因子について、意識しないで評価します。「知覚」とは、意識して行うもので、意識的に検知しようとすることです。
ニューロセプションは認知のプロセスではありません。これは神経的なプロセスで、意識には依存していません。ニューロセプションは環境中にある様々な「合図」や「きっかけ」を評価し、危険を察知し、こうした「合図」に適応的な自律神経系の状態をもたらす神経回路に依存しています。(p49)
「情動」と「ニューロセプション」は、どちらも身体の非随意的な反応のことを言っている。認知するより前に、身体が環境に反応し、勝手に動くということだ。ポージェスは、このように非意識的に動く身体の反応を、道徳上の問題だとすり替えて非難するわたしたちの文化を「エセ道徳のベニヤ板」として批判していたというのは、前回書いたとおり。
これらの神経学者たちは、トラウマ反応とは非随意的な身体の反応である、という点で意見が一致しているわけですが、より重要なのは次の点です。
この身体の非随意的な反応は、認知や意識の力で「随意的に」修正できるものなのか。
言い換えれば、身体に勝手にトラウマ反応が出ているとき、認知行動療法などで身体の反応を修正できるのか、ということ。
わたしの場合、こちらに引っ越してきてからSEのテクニックを試してみていて、自分が無意識的に腹部の内奥の筋肉を収縮させていることに気づきました。では気づいたのであれば、意識的にそれを緩めるよう努力すればいいのか?
最初はそう考えましたが、やってみると、どうもそれではうまくいかないことがわかる。身体が非随意的に収縮させている筋肉に「気づく」ことはできるのだけれど、それを意識的に緩めようとすると、うまくアクセスしきれないことが多い。ということは、非随意的に収縮する筋肉と、随意的に緩めることのできる筋肉は別のものなのだろうか?
そこで思い出したのが、たぶん多くの人が聞いたことがあろう、本物の笑顔と作り笑顔の違いの話。情動やニューロセプションの理論でいけば、「本物の笑顔」とは、環境の合図に反応して、身体が非随意的に作り出した情動であるということになる。他方、「作り物の笑顔」とは、認知の力で筋肉を動かして作るものである。そして、「本物の笑顔」と「作り物の笑顔」は違っており、本物の笑顔を意識的に真似することはできないことがわかっている。
これはつまり、トラウマの情動として現れる非随意的な筋肉の動きは、意識的にゆるめたり使ったりすることのできる筋肉の動きとは異なる、という意味ではないだろうか?
それを強力に示唆する説明が、ガザニガの右脳と左脳を見つけた男 の中にあった。
シャーロットは、随意的なほほえみと不随意的なほほえみにかんする興味深い解剖学的事象について調べていた。
脳はこの二つの能力を、脳内の別々のシステムに割り当てている。
随意的に笑う、つまりは指示を出されて笑うとき、その動作は左半球が司っている。この場合、顔の右側に伸びる皮質ニューロンと脳梁を横断する皮質ニューロンが関与する。これらのニューロンが他の皮質ニューロンを活性化し、ついには顔の左半分が動かされる。この現象はとてもすばやく起こるため、現れたほほえみは左右対称的に見える。脳卒中が起こり、こうした皮質経路のネットワーク内のどこかが損なわれると、損傷箇所に応じて笑顔のうちどこかの部分が垂れ下がる。
非随意的なほほえみはそれとは異なる。たいていは皮質下部と錐体外路系とよばれる部位から動きが生じる、まったく異なる分散的な神経学的装置が使われる。おもしろいジョークを聞いたときに作動して、くすくす笑う顔を見せるのがこのシステムだ。なぜパーキンソン病を患っている老人はあれほど無表情に見えるのだろう? 病気のために錐体外路系が損傷を受け、非随意的に笑うことが不運にもできなくなってしまったからだ。(p278)
非随意的なほほえみ(本当の笑顔)と、随意的なほほえみ(作り物の笑顔)は、「脳内の別々のシステムに割り当て」られているのである。
そして、随意的なほほえみは、脳の左半球と皮質、つまり認知の力によって作られるトップダウンのプロセスなのに対し、非随意的なほほえみは、脳の右半球と皮質下部、つまり情動の経路で生み出されるボトムアップのプロセスだ。
ここでは本物の笑顔は左右非対称なのに対し、作り物の笑顔は左右対称だと書かれている。これについてはだいぶ前に書いたけれども、モナリザのほほえみが左右非対称であることに現れている。モナリザは、右半球のプロセスである情動によってほほえんでいるので、右半球がつかさどる顔面の左半分がほほえんでいるのだ。
さて、認知行動療法などの「認知」による治療法は、このトップダウンの「作り笑顔」の経路によって、ボトムアップの「本物の笑顔」の経路に影響を及ぼそうとするものだ。それは可能なのか?
シャーロットと私は機材を組み立て、J・WとV・P、D・Rのテストに取りかかった。結果は完璧だった。たとえばJ・Wなら、思ったとおり、左半球にほほえむという指示を見せると顔の右側がほほえみ、そのすぐ後に左側がほほえんだ。これはすばらしい現象だった。
そこで右半球がどうするか見たくなった。ところがとても意外なことに、右半球は指示に従うことができなかった。以上だ。
随意的なほほえみを作るという選択肢が右半球にはなかったのだ。それでも右半球は、「ウインクをする」「息を吹きかける」という指示をたやすく実行できた。
一方患者たちは、ジョークや他の自然な状況を前にして不随意的に笑うことなら難なくできた。皮質下の制御システムは、分離脳手術の影響を受けていなかったのだ。(p279-280)
答えはまったくシンプル。
「右半球は指示に従うことができなかった。以上だ」。
トラウマとは右半球の情動が異常に活性化して危機に反応している状態のことを言うけれども、その右半球は、認知的な指示に従うことはできない。トップダウンの経路によってボトムアップの経路は変えることができない。
だから、わたしがたとえ、下腹部の内奥の筋肉が凍りついている、というトラウマ的な情動に気づくことができたとしても、認知の力で意識的にその筋肉をリラックスさせることはできない。
できることはといえば、安全を感じられる環境を作り出して、身体に安全だという感覚を感じてもらうためのボトムアップの経路を活性化させ、ちょうど「ジョークや他の自然な状況を前にして不随意的に笑う」ようにして、身体がおのずから安全を感じ取り、警戒を解くように仕向けることだけだ。それが唯一の解決策だ、ということになる。
トラウマ反応の筋肉の収縮は非随意的な運動であり、認知の「考えて指示する」トップダウンのプロセスではアクセスできず、感覚の「感じる」ボトムアップのプロセスでのみ変えていくことができるのだ。
4.ポリヴェーガル理論は視覚調節にも当てはまるのだろうか?
ポージェスのポリヴェーガル理論入門には、自律神経系の働きは、中耳の筋肉の調節に及んでいて、特定の周波数帯に聴覚のピントを合わせる微妙な調節をつかさどっていることが詳しく書かれている。
心臓および顔と顔の筋肉を制御している迷走神経が互いにつながりあっていることから、私たちは顔を見たり、声を聞いたりするだけでその人の生理学的状態がわかります。
加えて、顔と顔の筋肉の緊張が低い場合、中耳筋は神経系による緊張を失い、捕食者を連想させる低周波音に対して過度に敏感になります。
中耳機能にこのような変化が起きると、人間の声を聞いて意味を理解することが困難になります。話を理解するためには、比較的柔らかい、高周波の響きを聞き分けなくてはならないからです。(p130-131)
このあたりの話は、ポージェスの本の出版前に、すでにノーマン・ドイジの脳はいかに治癒をもたらすかで、「聴覚ズーム」機能に関わるポール・トマティスの研究に関連して詳しく説明されていたので、だいぶ前のセラピー体験記などで何回か触れた。
簡単に言うと、自閉症の子どもが、コミュニケーション障害を抱え、抑揚のない話し方をするのは、感覚過敏により常に自律神経が闘争/逃走や凍りつき状態にあるために、中耳の筋肉のピント調整ができず、会話の中の感情表現の成分を聞き取れないからだとされている。
しかし、わたしが気になっていたのは、自律神経系のバランスって明らかに、視覚のピント調整にも関わってるよね? という点。ポージェスは何も書いていないけれど、それは単にポージェスがもともと聴覚系統に興味を持っている人だったからにすぎず、視覚系統とポリヴェーガル理論のつながりはもっと研究されるべきではないだろうか。(ポージェスが視覚ストレスに言及しているのはポリヴェーガル理論入門のp191くらいだろうか?)
だって明らかに、常に自律神経が闘争/逃走状態にあれば目のピント調整が凝り固まって近視になってしまうし、逆に自律神経が凍りつき/擬態死にあって解離を起こしていると、目の焦点はぼやけて、うつろになって、一点に注目できなくなってしまうではないか。
ポリヴェーガル理論は聴覚だけでなく視覚にも関連しているはずなのだが、そこがまだうまく説明されていないだけなのだ。ポリヴェーガル理論入門の聴覚についての仮説(p106-108)が解決したことは、同時に視覚についての問題を解決するに違いない。
自然界の中で危険を感じさせるなにかを見たとき(聴覚の場合の低周波音に相当する)、敏感な神経系を持つ人は、環境の中の合図を過剰に増幅し、危険と感じ取るのだ。
ポリヴェーガル理論では、聴覚の場合は、自律神経は音域のピント調節を担っている中耳の筋肉に影響を与えるとしている。とすれば、視覚の場合は、目の焦点を合わせる筋肉に関わっていると考えるのは筋の通った推理ではなかろうか? しかし、目のピントを調整する筋肉、などというものがあるのだろうか。
それがあるのである。というか、ノーマン・ドイジが、ポージェスのポリヴェーガル理論と聴覚過敏について書いていた脳はいかに治癒をもたらすかの中で、視覚の同様の問題についても詳しく書いてくれていたのだった。ドイジはその本の中で、視覚の場合にはポリヴェーガル理論との関係を特に書いていなかったが、自律神経系と目のピント調節の関わりについては書いているので、関連性がないはずがないということになる。
では、目の場合には、耳の中耳筋に相当するもの、つまり焦点を調節するための筋肉のようなものは何か。耳のピント調節の研究は、ソマティック心理学において聴覚面の研究で名高いポール・トマティスの業績に負っているが、視覚面の研究で彼に並び立つのはウィリアム・ベイツである。
ベイツは何万もの人々の視力を測定し、とりわけストレスを受けているあいだは、視野の明瞭度が変動することを見出した。(p314)
しかしベイツは、目の焦点が水晶体の変形のみに依存するという考えに納得しなかった。白内障のために水晶体を除去され、(ウェバーのように)その代わりに固定レンズのメガネをかけるようになった患者の一部は、それでも焦点を調節することができたからだ。これは繰り返し報告されている興味深い事実だが、異なる距離にある対象物をそれぞれはっきり見るためには水晶体が変形しなければならないとする理論には都合が悪い。
ベイツは魚類、ウサギ、ネコを対象に、レチノスコープを用いてヘルムホルツの実験の再現を試み、先にあげた焦点の調節の問題が、水晶体の変形ばかりでなく、目を取り囲む6つの外眼筋が引き起こす眼球全体の変形によって起こることをつきとめた。
それまでは、外眼筋は目標追跡のためだけに目を動かすと考えられていた。ベイツは、外眼筋が眼球を長くしたり短くしたりすることで目の焦点を変えていることを実証した〔眼球の長さとは、角膜から網膜までの距離のこと。眼軸長とも〕。外眼筋を切断すると、実験動物の目は、もはや焦点を変えられなかったのである。(p315)
ポリヴェーガル理論において、顔面の筋肉をつかさどっているのは腹側迷走神経なので、リラックスしているか、それとも危険を感じているか、という自律神経の状態はたぶん、この外眼筋の制御を通して、目のピント調節をしているのだろう。ポージェスも一応、ポリヴェーガル理論入門の中でこう書いていた。
活気と幸せは、目の周りの眼窩筋である眼輪筋で表現されます。私たちは、顔の上半分から情動の「合図」を読み取ります。それが動かない状態だと、情動反応を判断し損なう恐れがあります。
もし、心臓の迷走神経による制御を抑制したら、迷走神経を制御している脳幹領域は顔も制御しているので、社会的交流において問題を抱えることになるでしょう。(p140)
明言はされていないけれど、たぶん腹側迷走神経は眼球のまわりの筋肉を調整して眼球の形を変化させ、目のピント調節に関与しているので、もし腹側迷走神経が働かず、闘争/逃走反応や凍りつき/擬態死反応がオンになっていれば、目のピント合わせや視力まで変わってしまうということになる。
それを証拠づける例は、ノーマン・ドイジが脳はいかに治癒をもたらすかの中でたくさん書いている。
最近の研究によってベイツの説の正しさが検証されている。つまり、水晶体の毛様筋は、さまざまな距離にある対象物を見る際に、はっきりと見えるよう目を「調節」し、焦点を絞る能力の構成要素の一つでしかないことが判明している。
日本の外科医は、強膜(眼球の白い組織)を伸ばして目の調節能力を改善することに成功しており、また外眼筋を手術した子どもの角膜の研究(角膜形状解析)によって、外眼筋の緊張がその人の眼屈能力と、網膜への光の当たり方に影響を及ぼすことが示されている。
「その結果、外眼筋の緊張と弛緩は、眼屈能力に影響を及ぼす。また私たちは、視覚プロセスにおける心の状態と意図の影響を無視することはできない。私たちは自分が興味を持っている文章なら、疲労を感じずに読めることは言うまでもない」(検眼医クリスティーン・ドレザル博士との私信)。
これらの有利な証拠があがっているにもかかわらず、ベイツは現在でも、不利な証拠だけをあげつらう懐疑論者から詐欺師呼ばわりされている。(p317)
「視覚プロセスにおける心の状態と意図の影響を無視することはできない」例として挙げられているのは、
・ パソコンやスマホや本ばかりを凝視する現代社会のライフスタイルが外眼筋を緊張させ、不適切な「中心固視」が生じること。
フェルデンクライスは、ベイツが視覚障害を持つ人すべてに共通して見出した問題に対処しようとしている。ベイツはこの問題を、不適切な「中心固視」と呼ぶ。
…ベイツは、現代生活で身につけた習慣のために目の照準が不正確になり、イメージが黄斑の外にある桿体細胞と呼ばれる細胞に投射され、視野がぼやけることを発見した。(p328)
・ 目の手術や病気に伴う激痛のため、眼球が凍りつき状態になり、視力をほとんど失ってしまい、のちにフェルデンクライスやベイツのソマティック技法によって回復した人。
要するにほとんど何も見えないということだ。彼は自分の目の前に差し出された指の動きを、ぼやけた波として検知することしかできなかった。眼科医は、生涯盲目のまま暮らすことになると言うのみだった。(p313)
痛みや目の炎症と、手術による傷があまりにもひどかったので、彼は「強い筋緊張によって目の動きを抑えるあらゆる種類のの反射的な反応」を発達させていた。(p332)
・ 催眠によって外眼筋の緊張がとれると、退行しただけでなく視力まで変わった人。
年齢による退行によって、催眠状態のもとで幼い頃の記憶を再体験し始めた男性のエピソードを読んでいた。…驚いたころに、この男性はメガネを必要としていなかった子どもの頃のように外界を見始めた。
おそらく催眠状態に置かれたために、目の筋肉の緊張が劇的に弛緩したものと考えられた。(p321)
こうして目の筋肉の緊張の度合いが視力に影響を及ぼすのは、おしなべて、以下の原則があるからだといえる。視力というものは目の滑らかな「動き」あってのものであるということ。
目は受動的に機能するだけの感覚器官ではなく、通常の視覚を得るためには動きを必要とする。
「目は静止してはいない。常に動いている」とアンドレアス・ラウレンティウスは1599年に書いている。視覚は健全な運動/感覚神経回路の活動を必要とする。
つまり脳は目を動かし、その動きの視野への影響を感じ取り、そのフィードバック情動を用いて新たな位置に目を動かさなければならない。盲目は一般に、受動的な感覚の欠落に尽きるものではない。
視覚は感覚刺激を受け取るだけではなく、感覚と運動に関わる活動だからだ。したがって盲目は、運動障害に一因があるケースも多い。(p318)
要するに「視力」というのは、細かい手作業に似た「動き」の問題なのだ。
リラックスしていると細かい精密な手作業ができる。緊張していると手の動きが滑らかでなくなり、ぎこちなく不器用になる。もっと固まっていると麻痺して何もできなくなる。
同じように、目もリラックスして滑らかな動きができていると、適切な視力を保てる。目が緊張して動きがぎこちなくなり中心固視になるとピント調節がしにくくなり、近視になる。さらに目が凍りついてしまうと視界がぼやけて焦点を合わせられなくなってしまう。
これが解離の「凍りついた瞳」である。そしてわたしの相貌失認の原因であろうことは前に書いた。
そして、これらの動きは、手が緊張する場合と同じく、筋肉の動きの滑らかさにかかっており、さらには自律神経の調節にかかっているのである。交感神経系が興奮して闘争/逃走状態になると手が不器用になるだけでなく、目のピント調節もぎこちなくなり、背側迷走神経が活性化して凍りついてしまうと、手足も目も柔軟性を失ってしまう。
(ADHDの子はサッケード、つまり衝動性眼球運動がうまく働いていないという研究は、ADHDの子は闘争/逃走状態にあり、目の動きがぎこちなくカクカクになっているということを意味しているのだろう。緊張した手が精密な作業を行えないのと同じである)
こうして、「視覚プロセスにおける心の状態と意図の影響を無視することはできない」ということが、ポリヴェーガル理論によって説明できる。おそらく、視覚や聴覚だけでなく、あらゆる感覚において類似したメカニズムがあるのだろう。感覚とは「動き」から生じているのだから、筋肉の動きが停止する凍りつき状態になれば、あらゆる感覚が麻痺し、ぼやけてしまう解離が起こるのである。
5.分岐点までさかのぼるというサックスの教え
わたしがオリヴァーサックスから学んだ教訓はたくさんありますが、その中のひとつは、過去にも何度か書いた次のこと、「疑問の答えは、未来の未知なる研究ではなく、過去の既知なる研究に人知れず埋もれているのではないか」、ということです。
わたしは一時期、発達障害や慢性疲労症候群の当事者たちと、ネット上でかかわっていましたが、そのとき感じた違和感は、彼らは自分の病名の研究、それも新しい研究にしか関心がないということでした。
彼らの中には、自分の病気についての最新のニュースをひとつも見逃すまいと最新情報を調べ、最新ニュースをSNSで共有している人も大勢います。しかしネット上のニュースは追うのに、過去の文献や本を読もうとしません。自分の抱えている問題は未知なる原因不明の病気であり、過去の研究には価値はないとみなしているかのようでした。
でも、わたしはそれとは逆のことをずっと考えていました。自分の抱えている奇妙な症状が、まだ明らかにされていない未知なるものだとは思えませんでした。これほど多くの人が世の中にいて、情報を発信してきたのに、いまだ未知なる領域が残っている確率はそうそうないはずです。自分が見つけた珍しい生き物が新種である確率より、あまり知られていないすでに発見された動物である可能性のほうがはるかに高いように。
それでわたしは、自分の病気はこれから解明されるべき未知なる何かではなく、もう発見されているのに気付かれず埋もれている何かだと考え、過去の文献をたくさん読んできました。
後になって、オリヴァーサックスの本を読みあさっていたとき、わたしがやっていたのは、まさにサックスがしていたことだと気づきました。もちろん、サックスのほうがわたしよりはるかに深く調査していましたが。
サックスは、意識の川をゆくによると、嗜眠性脳炎、トゥレット症候群、身体失認など、現代医学では説明できない奇怪な症状に出くわすたびに、それは新しい病気だと判断するのではなく、過去にすでに発見されている既知の病気だ。と考えて過去の文献を探りました。
そのような歴史の忘却や無視は、科学では珍しくない。私自身、頭痛診療所で働き始めたばかりの若き神経科医だったとき、それを目の当たりにした。私の仕事は診断―片頭痛、緊張型頭痛など―を下し、治療薬を処方することだった。しかし私自身も私が診る患者の多くも、その範囲内にとどまることはなかった。
…直近の文献を探しても、そういう症状についての言及が見つからなかった。当惑した私は、19世紀の報告を調べることにした。そちらのほうが現代のものより説明がはるかに詳しく、はるかに鮮やかで、はるかに充実している傾向がある。(p191)
サックスの言うように、わたしも、自分の頭痛が、一般的な分類である片頭痛、群発頭痛、緊張型頭痛にはまったく当てはまらないと感じていました。そんな奇妙な頭痛について知るには、医学が頭痛をカテゴリ分けして単純化してしまう以前の研究をあさらねばならなかった。「明らかに現代よりもはるかに制約がゆるく柔軟な時代に書かれた」埋もれた文献の数々を。(p191)
トゥレット症候群のときもそうでした。
片頭痛について、私は古い忘れられた医学文献―同僚のほとんどが無効か時代遅れだと見ていた文献―にもどらなくてはならなかった。トゥレット症候群についても、自分の置かれた状況は同じようなものだとわかった。
この症候群に対する私の興味に火がついたのは、大勢の脳炎後遺症患者をL-ドーパによって「目覚め」させることができ、その多くが、動かない失神しているような状態から、ほんのつかの間の「正常」を通り過ぎて、まったくの正反対の状態―半ば伝説の「トゥレット症候群」にとてもよく似た、ひどく運動過多でチックに苦しむ状態―まで、急速に変化するのを見たときだった。
なぜ「半ば伝説」かと言うと、1960年代にはトゥレットについて多くを語る人はいなかったからで、それは非常にまれで虚偽性障害かもしれないと考えられていた。私もおぼろげに聞いたことがあるだけだった。
実際、私の患者が明らかにトゥレットのようになりつつあったため、1969年に私がそれについて考え始めたとき、最新の参考文献を見つけるのに苦労し、再び前世紀の文献にもどらなくてはならなかった―1885年と86年のジル・ド・ラ・トゥレットによる元の論文と、それに続く12本ほどの報告書だ。(p195)
今でこそトゥレット症候群はわりとよく知られる病名になっていますが、じつはオリヴァー・サックスが埋もれた歴史から発掘してきてくれたおかげである、ということを知っている人はめったにいません。医者たちもそんなことを知らずにトゥレット症候群という病名を使っています。
サックスは、得体の知れない症状について説明するために、医学がカテゴリ化されていない時代の文献までさかのぼりましたが、皮肉なことに、そういった経緯を知らない医者たちは、再発掘されたトゥレット症候群を現代の医療に組み込んで、またもや単純にカテゴリ化してしまいました。
この受け入れやすい還元的な説明を手に入れて、トゥレット症候群は突然、再び注目の的になり、まったくの話、罹患率が1000倍にもなったように思われた(現在、罹患率は100人に1人と考えられている)。
いまではトゥレット症候群の突っ込んだ研究があるが、おもに分子と遺伝という角度からに限られた研究である。それでトゥレットの興奮性全体の一部は説明されるかもしれないが、喜劇、空想、模倣、あざけり、夢、表現、挑発、遊びなど、トゥレットの傾向に見られる詳細な状態の解明に寄与するところはほとんどない。
純粋な記述の時代から積極的な研究と説明の時代に移ったが、トゥレットそのものはいつの間にか寸断されて、もはや全体として見られていない。
この種の寸断は、科学における特定の段階―純粋な記述に続く段階―の典型かもしれない。しかし断片をいつか、どうにかして集めて、もう一度まとまった全体として示さなくてはならない。(p196)
こうした流れには、なんとなく、わたしも思い当たるところがあるような気がします。わたしが文献を発掘して、「答えを見つけた!」と思ってブログに書いた過剰同調性とか愛着障害、HSPなどの概念が、ネット上の有象無象の記事(たとえばアフィリエイト目的の“医師監修”の記事)などで単純化され、形骸化していくのを見てきました。
サックスのトゥレット症候群のときに起こったのは、そのはるかに大きなバージョンであり、インターネット上ではなく学問の世界で起こった形骸化でした。せっかくサックスが発掘したトゥレットの概念が、金儲け主義の医者たちによって拡散され、単純化されて、本来の概念のもつ意味が失われてしまったんだろうな、と思います。
一方、サックスが発掘した別の概念のなかに、自分の左足の怪我のときに、その理由を探し求めて行き着いた身体失認(ネガティブ・ファントム)がありました。
そして手術後の二週間、ギプスで固定されて動きと感覚を奪われた自分の脚が、自分の一部ではないように思えた。生きていない物体になってしまった。現実のものではなく、私のものでもなく、とんでもないことに他人のものになったように思えた。
しかし、この感覚を担当医に伝えようとすると、こう言われた。「サックス、きみはユニークだね。これまでそんなことを患者から聞いたことは一度もないよ」
これはばかげていると思った。私が「ユニーク」だって? 担当医は聞いたことがなかったとしても、ほかの症例があるはずだ、と私は考えた。
…その後、アメリカの神経科医サイラス・ウィアー・ミッチェルによる報告書に偶然出会った。
彼は南北戦争中にフィラデルフィアの手足切断者の病院で働いており、切断術を受けた人が失った手足の代わりに経験する幻肢(あるいは彼に言う「感覚のゴースト」)について、余すところなく入念に記述していた。
彼は「陰性の錯覚」、つまり重傷を負って手術したあとの手足の消滅と異物化についても書いている。彼はこの現象にとても衝撃を受けたので、この問題について特別な回状を書き、それが1864年に軍医総監局によって配布された。(p198)
そのミッチェルの記述は「しばらく関心を呼んだが、そのあと消え」てしまいました。50数年後、フランスの神経学者ジョゼフ・バビンスキーが、それと知らずにこの現象を再発見して報告しましたが、やはり「跡形なく沈」み、歴史から消えました。さらにソビエトの神経学者もまた独自に再発見しましたが、「まったく認識され」ませんでした。(p198)
この症候群は、当然サックスの時代の医師にも知られておらず、サックスが自分の体験の意味を知るために、最新の医者の研究を調べるのではなく、埋もれてしまった過去の研究を再発見する必要に駆られました。
この現象は一種の身体的な解離症状ですが、わたしもまた自分が経験した解離の意味を知るために、サックスら過去の偉人たちの埋もれてしまった研究を探る必要がありました。
最近わたしがよく話題にしている「切り離された身体」「実存の空虚」「生ける屍のようになる」といった感覚は、どれも現代の医者たちにもやはり認識されておらず、インターネット上を探しても答えを得られないので、真実を知りたいなら過去の文献をたどるしかありませんでした。
トゥレット症候群やHSP、愛着障害などの概念と違って、たぶん、このような解離の概念は、金儲け主義の医者や、アフィリエイト目的の記事などによって拡散されて形骸化する恐れはあまりないのではないか、と思います。あまりに奇妙なので、経験した人以外にはわからないからです。だからこそこういった分野は考察しがいがあるんですが(笑)
いずれにしても、現代医学で原因不明、謎とされている、奇妙な症状は、医学の歴史において、どこかで分岐点を誤って進んでしまったがために暗点化しているものだとみなせます。
過去のある時点、分岐前の歴史においてはすでに発見されていたはずです。しかし特定の方向に偏った研究が推し進められたせいで、いつのまにか見えなくなってしまったのです。
その場合、誤った方向に突き進んでいる現代の医学の最新情報をいくら集めても無駄でしょう。答えを知るには、誤った方角に突き進む前の、分岐点より前の時代の医学まで引き返して、分岐点を違う方向に進み直す必要があります。
現代の医者たち、そして当事者たちは大挙して同じ方向へと進み、情報を共有していますが、答えを知るには、その集団から一人で抜け出して、時代を逆行する必要があります。もはや誰もいなくなった寂れた分岐点にまで引き返し、別の道を開拓する必要があるのだと。
実際にそうやって引き返してみると、同じように考えた変人がちらほらといるものです。あらぬ方向に突き進む集団とは意見を異にして、過去への道をたどる考古学者のような探偵たちが。
わたしが参考にしてきた、V・S・ラマチャンドラン、ピーター・ラヴィーン、エレイン・アーロンなどの学者たちが、しばしば自分のことをシャーロック・ホームズにたとえているのも不思議ではない。これらの人はみな、既存の医学の概念を鵜呑みにせず、何か見落としがあるのではないかと考えて、医学の歴史を分岐点までたどり直したからです。わたしもまた、もともと推理小説家志望だったことも意外ではない…のかも?
謎を解くには現場に戻って地道に調査する必要があります。まだ概念化される前の段階に立ち戻り、再概念化をする必要があります。素材の段階まで戻り、料理し直さねばなりません。発達障害や慢性疲労症候群のような、単純化されたファストフード的概念が現れるより前に戻り、別の形に組み上げ直す必要がある。右脳と左脳を見つけた男 でガザニガはこう述べていました。
私たちはみな、こうした情報のダイエットに弱い。携帯メールや携帯電話で得られる即席の満足感に屈してしまったように、誰もが情報の簡略化に依存するようになった。
それでも、うわべだけの知識人と真の教養人を区別するものは、あらゆるものは単純ではないとわかっているかどうかである。その秘訣は、どのような話題であっても、その根本にある複雑さを十分に認識しながらも明瞭に語ることができるかどうかにあるようだ。(p404-405)
ファストフード的なネット上の記事やSNSの情報ばかりを調べ、先人たちの文献を探る努力を怠ると、過去にすでに発見されていたものをまた一から発見してしまうという過ちを犯します。サックス博士の片頭痛大全 の中でサックスが引用しているサンタヤナの言葉のように。
物事の歴史をわきまえていないと、それを繰り返す愚を犯す。―サンタヤナ
たぶん、いまインターネット上で当事者として情報を発信している人たちの多くがこの過ちに陥っています。自分の経験を通して、あたかも何か新しいことを発見したかのように盛んに情報発信するけれども、それはすでに誰かが発見し、おそらく過去には誰かの本の中で書かれていることばかりなのだ。医者たちの中にも、自分が新しい治療の方程式を発見したように「〇〇メソッド」を提唱する人がいるけれども、多くは歴史を繰り返しているだけだと思う。
そしてそのような人たちは、過去にだれかが発見したものを再発見するだけで、自分が発見者だと思いこむだけで終わってしまいます。積み重ねがありません。偉大な発見は常に巨人の肩に乗ることで成し遂げられるのだから、一人で新しいものを発見したと考えている人は井の中の蛙の幻想にすぎません。過去の巨人をまず探し求め、その上で、その肩によじのぼり、自分の目で眺めねば、本当に積み重ねのある発見はできません。
それで、インターネット上の浅い情報を追っているようでは不十分であり、それよりも過去の研究を調べるほうがいいということになります。残念ながら、わたしは医者ではないから専門の論文にあたれないし、英語の文献を自由に読むこともできません。サックスみたいに前世紀の資料まで図書館で調べることはできない。
そこで、せめて翻訳本を主に読むようになりました。翻訳本は話題になって価値を認められたからこそ翻訳されているので、国内の雑多な本を読むより当たりが多いと思っています。
とりわけ、自分の新しい考えを強調する人たちではなく、研究熱心な考古学者のような学者たちの文献を。サックスは「巨人」であるダーウィンやフロイト、ウィリアムジェイムズらの研究者であり、ヴァン・デア・コークは「巨人」ジャネを調べ、ラヴィーンは「巨人」ライヒを調べました。ポージェスもまたポリヴェーガル理論入門に書かれているように、過去の味覚嫌悪の研究を調べて、特定の病名に細分化される以前に戻っています。
私は今、1940年代と1950年代の単一施行学習の研究について調べています。ここに何かヒントがあると思っています。一回のトラウマ体験によって行動が変わり、その変えられた行動は非常に矯正しにくいわけです。味覚嫌悪は単一施行学習の一例で、横隔膜下の迷走神経の反応を伴う事象と関連しています。(p160)
過去の文献を調べるというのは、わくわくするおもしろい体験です。最近、ヴァン・デア・コークのトラウマティック・ストレスを読み返していたら、とても興味深い一文を見つけました。ヴァン・デア・コークは最新の本は有名だけど、過去に書いていた二冊の本の内容もまた興味深く、埋もれた発見の宝庫です。
カーディナー(Kardiner,1941)は、彼の患者の何人は、ヒステリー性の下肢麻痺などの症状にトラウマの後遺症的な影響を「閉じ込めてしまう」ことができているように思われると述べている。
彼の患者のなかには、その不安と興奮性が、転換症状あるいは解離性の傾向と反比例的な関係にあるように思われた者がいたのである。
抑うつ症状が最もひどい患者がトラウマとなった出来事に関して非常に詳細な記憶を持っており、さほど症状がひどくない患者の多くはその出来事についてあまりおぼえておらず、「知らぬが幸い」の生活を送る傾向があるということを、カーディナーは指摘した。
彼は大いなる率直さをもって、解離性症状あるいは身体化症状を呈する患者にとって最善であるとされている治療に対するきわめて重大な疑問を提起した。
その疑問とは、とてつもなく恐ろしい記憶に気づくことのみが、どのような場合においても、背中の痛みや意識喪失よりも好ましいと言い得るのか、ということである。(p28)
この過去の研究は、最近わたしがずっと書いてきた、以下のいくつかの点を、70年近く前に、すでに明白に述べています。
・解離とPTSDは正反対の現象であるということ
・解離は、ストレスのエネルギーを身体の中に閉じ込めて隔離しておく機能があること(これは発熱発作の考察のときにとても詳しく書いた)
・それゆえ、解離の人たちは、激しい精神症状がなく、トラウマ記憶も覚えていない代わりに、原因不明の身体症状を抱えやすいこと
・たぶんわたしは過去の恐ろしい記憶(おそらく視覚性)を抑圧していると思われるが、それを思い出すことだけが治療ではないということ。
特に最後の点は重要で、せっかく解離が過去の衝撃的な体験を封じ込めてくれているのなら、あえて思い出さない方向で適応していくという道もあるといえる。
記憶を封じ込めたままの状態は身体に強い負担をかけるわけだが、それならば、身体にかかる環境由来の負担をできるかぎり減らしてやれば解離を維持したまま耐性領域にとどまりやすくなるということ。今わたしがやっている都市生活から離れて人工的刺激の少ない環境で過ごすというのはまさにそういう方向性だといえます。
このように、真実は未来のまだ見ぬ未知の研究ではなく、過去の埋もれた既知の研究の中にある。昔の人たちは、今の人たちより知恵の点で劣っていたなどということはなく、かえって今の人たちよりももっと全体的な視野をもって物事を深く考えていたかもしれない。最新の研究についていくことも大切ではあるけれども、巨人の肩に乗ってみてはじめて、最新の研究のもつ意味がわかるわけです。
今回の記事はここまで。まだいくつかアイデアの断片的なものはありますが、長くなってきたので次回以降にまわします。今年ももうすぐ終わり。目まぐるしい一年でしたが、考えたことをしっかり行動に移せた年でした。この道がどこへ続いているかは未知ですが、来年もただ考えるだけでなく、ソマティックな「体験」が必要だということを忘れずに、できることをやっていきたいと思います。
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