大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(3)

豊かな自然のもとで、身体のリズムを取り戻そうと試みる体験記の三番目。前回は最近の考察のメモ集でしたが、今回は、昨年のふりかえりと今後の方向性について、ちょっと思うところがあったので書いておきたいと思います。

「今年の目標は立てるだけムダ」という心理学の研究を知っているので、わたしはあまり今年の目標にこだわることはありませんが、「今年」に限らず今後の方向性として書いておくのはいいかな、と。

「今年の抱負」という形ではなく「週ごとのステップ」といった形で少しずつ大きな目標に近づいていくのがいいらしいですし、方向性をはっきりさせておくのは大切。

探偵の仮面が必要だった理由

最近、ブログを読んでくださっている方から、メッセージをもらってちょっと考えたことがありました。

わたしはSNSやコメント欄は全部閉じてきましたが、唯一、絵のサイトのメッセージボックスだけは残してあるので、そこそこいろんな方から感想をもらいます。向こうのブログからはるばるこちらを見つけて、感想をくれる人もちらほら。引っ越しの前後は返信する余裕がなかったので閉じていましたが、ここしばらくはまた開いていました。

今年になっていただいたあるメッセージは、たぶん最近わたしの絵の更新がないせいだと思いますが、わたしの体調を気づかってくださる内容でした。それを読んでいて、ああ確かにわたしは最近は、書きたくもないトラウマの話題ばかり書く学者のようになってしまって、本当にやりたいことを置いてけぼりにしてきたなぁと感じました。

ずっといつまでもこんなことをやっているわけにはいかない、というのは前々から自覚していることです。確か1年以上前には同じようなことを書いていた気が。

結局、この「虹色の感性を取り戻したい」という2018年の目標は実現できなかったんですけどね。

わたしはずっと、今みたいな畑違いの医学的な考察からは引退して、創作活動に専念したいと思っています。そのほうがきっと人生の終わりから振り返ったとき満足がいくと思うから。

子供時代のトラウマの再演として、やりたくもない人生の火車を回しているような感覚。わたしが文章をやたらと書くのは、明らかに内面の空白とか混乱に対処するためであって、前回書いたトンプソン氏の「作り話」と同じです。

大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(2)
自然豊かなところで自分の体調と向き合う記録2

わたしにとって、学問的な文章を書くことは、強いられた再演であり、本当にやりたいことではない。というか本物の「わたし」が書いているという実感さえない。

わたしがずっと医学的な考察してきたことにはもちろんやむにやまれぬ事情がありました。端的に言えば、本当はそれをやってくれてしかるべき医者たちが、まったく頼りにならず、どうしようもなかったから。

もしわたしが自分でこのようにして、ここ数年間にわたる考察を積み重ねてこなかったら、今もまだ路頭に迷っていることは間違いない。

もしわたしが、数年前から今日この日に至るまで、ずっと自分がいちばんやりたいこと、絵を描いたり小説を書いたりすることに注力していたとしたら、そのあいだに何が変化したというのか。きっと何も変わらなかった。自分が苦しんでいる症状の実体も正体も、治療の手がかりすら得られず、わたしは永遠に空想の世界に閉じ込められていた。

もしも、わたしに永遠の命があれば、それでもよかったのかもしれません。わたしは永久に自分の空想のベールの内側にとどまっていたかった。安心できる空想の世界からいつまでも出たくなかった。

でも現実はそうはいかない。やがてわたしの身体は衰えていくだろうし、別の病気を抱えることもありうる。安定した収入も得られなくなるかもしれない。将来も同じ生活ができるとは限らない。だとすれば、わたしはわたしの病気の正体を解き明かさねばならなかった。

だからわたしは、本当は推理小説を書きたい「作家」だったにもかかわらず、「探偵」そのものにならざるを得なかった。自分が作家であり探偵の資質などないとわかっているにもかかわらず、不適格なその役割を担わねばならなかった。(ワトソンがシャーロック・ホームズになろうとするようなものである) 自分の病気を解き明かして、なんとかしてくれる医者がいないのならば、それを自分でやるしかなかった。

自分がいちばんやりたい創作を犠牲にして積み重ねてきた推理のおかげで、確かにわたしは、自分の抱えてきた問題の犯人を、かなりの程度明らかにできた、と思います。少なくとも素人探偵の力が及ぶ範囲においては、です。

「カタプレスを処方してほしい」と頼み込んで転院したときも、「たぶんリタリンやコンサータが効く」と主治医に訴えたときも、そして今回の引っ越しも、ぜんぶわたしが膨大な資料にあたって、自分で答えを探し求めてきた結果でした。わたしが自分で言い出さなければ、だれもそれを教えてはくれなかった。

もしも最初のあの慢性疲労外来にかかっていたままだったら、そして何も調べなかったとしたら、永久にこれらの進展はすべてありえなかった。そのことは、10年どころか30年もあの慢性疲労外来にかかり続けていて何の進展も得ていないわたしの知人たちを見ればわかります。年に何度も病院に行っておきながら、ただ何の実りもない現状報告を医者にしているだけです。「原因不明の病」という架空のアイデンティティにすがりながら。

特定の病名であることがアイデンティティになってしまっている人たちに絶対に引きずられてはいけない。そうなっては最後、死ぬまでその病気の啓発者または被害者になってしまい、決して自分の人生を歩むことはできなくなる。

だから、わたしは自分がこの数年間、正しいこと、そして必要なことにエネルギーを傾けてきたと確信しています。たとえ望んだことではないにしても、わたしはわたしの探偵にならねばならなかった。たとえ名探偵ではないにしても、できうる限りの調査と推理をやってきて、そこには紛れもない成果が伴った。

「わたし」に戻るにはどうすればいいのか

だけど、いつまでもこのままでいいのだろうか、とやっぱり思うわけです。いつかは探偵の仮面を脱いで、「わたし」に戻らなければならない。必要に駆られて未知なる症状の正体を明らかにするのではなく、ただ自分が望んでいる創作を楽しむために。

もちろん、一番いいのは創作と考察を両立できることだとは思っています。芸術と科学を両立したときにはじめて本物の創造性が生まれると思っています。

それでも、考察するために、今みたいに医学やトラウマの研究ばかりに目を通すのは、もはや本意ではない。わたしは科学と芸術を両立したいけれども、医学と芸術を両立したいわけではない。ましてやトラウマ医学を芸術に折り込みたいわけではない。

わたしがもともと興味があったのは自然科学でした。学生のころ、進路を決めるように言われたわたしは、毎日があまりに精一杯すぎて、自分が将来何をやりたいか、何を学びたいか、なんて考えることはできなかった。でも、そんななかで唯一ちょっと興味があったのは「森林学科」でした。そのわたしが今や癒やしを求めてはるばる「森の町」に移住してきたのは、偶然ではないと思っています。

森林にかぎらず、わたしはもっと自然界や動物について知りたい。そういう気持ちがあったから、去年あたりから読む本のジャンルを広げて、自然科学方面のものもいろいろ読むようにしてきました。「夜」の本だったり、「雨」の本だったり。そのあたりの知識と実体験がクロスした下の記事はとてもよかった。わたしの理想のエッセイに近い。

大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(3)
自然豊かなところで自分の体調と向き合う記録3

自然科学を調べていくうちに、医学ってやっぱりダメだな、と思いました。あまりに視野が狭すぎて、まったく本質を見抜けていない。わたしは主治医が睡眠専門医である関係がら、睡眠医学の本をたくさん読みましたが、それらすべてを合わせたよりも、本当の夜をさがして失われた夜の歴史 という本から学んだことのほうが多かった。

こうした本では概日リズム睡眠障害などの睡眠医学の話題も扱われていますが、医学だけでなく生物学や歴史学、さらには芸術や文化も扱っているので、睡眠という現象の全体を見渡すことができ、もっと広い視野を持てるようになりました。医学の本を読むより、こうした本を読むほうが、ぜったいに勉強になる、と思いました。

わたしがやりたいと思っている医学からの脱却、そして自然科学や芸術など、本当にやりたいことへの移行は、わたしの推理や考察にとってさえ、きっとマイナスではなくプラスになり、さらに上へ進む足がかりになるはずだと。

自然科学の視点を持つように、というのは、わたしの尊敬するオリヴァー・サックスが妻を帽子とまちがえた男で書いている姿勢に見倣うことでもありますし。

アイヴィ・マッケンジーのことばのなかでは、医者と自然科学者は対照的なものとされているが、私は自分が自然科学者と医者の両方であると感じている。

病気と人々の両方に、おなじように関心をもっている。また適当でない言い方かもしれないが、私は理論をあつかう人間であり劇作家でもある、と思っている。(p9)

北海道に引っ越してきてから気づいた発見の1つは、自然界のものはすべて、背景(環境)から切り離して考えてはいけない、ということ。

たとえば、都会では厄介者に見える虫やカラスなどの生き物が、自然界の風景の中で見ると、なんと美しいことか。前にも書きましたが、わたしは都会だと虫が苦手ですが、北海道で自然の風景の中にいる虫にはあまり警戒しません。怖いというよりも、興味深いという気持ちが先立ちます。

先日は、ワシを間近で見ました。何羽もの大きなワシが、ほんの数メートルの木の枝に止まっていて、バサバサと飛び立つのを見ることができました。カラスやハトなどの軽々と飛び立つ鳥たちとは違い、重みのある離陸の様子と、飛び立ってからの軽やかさは今までに見たことのない迫力でした。

たまたまそのシーンをうまく写真に収められたのもよかったです。適当にシャッターを切ったら写っていた(若干ピンぼけですが笑)

このとき思ったのは、「ああ、いままで動物園とかで見てきたワシとは全然違うな」ということ。同じ動物であるにもかかわらず、背景から切り離されて動物園のオリの中にいるのと、自然界という背景込みで観察すると、まったく印象が変わります。

わたしは自分が背景込みの絵を描く人だから、これは直観的にわかる。世の中には背景なしの人物だけの絵を描く人もいれば、背景だけの風景画を描く人もいる。でもわたしは両方込みで描くことが圧倒的に多い。それは背景があってこそ、人物の魅力が引き立ち、物語が生まれるからだと思っている。

絵の場合と同じく、自然界のものもすべて、背景込みのほうが間違いなく美しい。でも自然界の場合は単なる美しさの問題ではなく、機能的にも環境とつながっている。スティーヴン・ポージェスがポリヴェーガル理論入門で書いているように、生き物はみな「ニューロセプション」によって環境を対して常に応答している。どんな環境にいるかによって、生体の反応が変化する。

だから、環境を一切無視して、ちょうど動物を自然界から切り離して動物園のオリの中に連れてくるかのように、人間を病室や実験室に連れてきて研究した医学や心理学は、的外れなのだということを知りました。

前にもどこかで書いた気がするけれど、机上の空論である合理的な経済学がナンセンスだとされ、実際の世界での人々の不合理な動向を研究する行動経済学が発展したのも同じような理由からです。

わたしは医学を調べれば調べるほど、環境や背景を無視した医学の視点は間違っていると思うようになって、HSPとかポリヴェーガル理論とか、背景込みで理解しようとする生物学的とか環境心理学的な方向性に共感するようになりました。だからきっと、これから自然科学に目を向けていくほうが、わたしの考察にはプラスになるのではないかな、と思います。

まずは感性を取り戻さないと

けれども、やっぱりメインにしたいのは、科学ではなく、創作や芸術です。芸術をメインにしてはじめて、科学的に意味ある洞察ができるというわたしの信念は変わらない。本質的に芸術家でない科学者は無価値です。

前述のメッセージをいただいて、改めて思ったのは、医療関係の考察をしていたのって、わたしにとっては「目的」ではなく、いつかもっと創作を楽しめるようになるための「手段」だったよね、ということ。

確かにわたしの体調がもう少しよくなるまでは、もうしばらく探偵の仮面をかぶって、考察を続けなければならないと思います。

でも、できることなら、その素人探偵業はそろそろ終わりにしたい。自分の体調の意味を解き明かす道のりも、わりと大詰めに近づいてきた印象があるから、不可能ではない、と思うんですよね。今年中に、ということはできなくても、「わたしのルーツを探る」という探偵小説の終わりはそうそう遠くないのでは?

これからも科学的に考察することを完全にやめてしまう必要はないけれど、それ以前に作家であることに戻りたい。創作したい。自分が本当にやりたいことに帰りたい。それが今後の方向性です。

そのためにどうしても必要なのは、「感じる」能力、「感性」を復旧させること。

最初のほうで書いたように、2017年12月のわたしは、「来年は虹色の感性を取り戻したい」と言いながら、その目標に到達できなかった。虹色の感性を取り戻すにはどうすればいいのかかがわからなかったから。

それを明らかにするためには、去年1年の歳月が必要でした。わたしは昨年には虹色の感性を取り戻せなかったけれど、そのために必要なことを着々と進めてきました。

去年1年間の膨大な考察で明らかにできたのは、「感性」を担っているのは、脳の島皮質という場所であること。解離とはその島皮質の活動が低下して感性を切り離してしまう現象であるということ。そして、島皮質の活性を復旧させるためにはSEはじめボディワークのセラピーや自然界の中での体験によって、もう一度「感じる」ことができるよう訓練をしなければならない、ということでした。

「今年の抱負」のような大きな目標を立てても、たいていそれを実現できないのは、目標に至る道筋が明白ではないからです。高いところまでどうやって登っていいかわからないので、結局登れずじまいになってしまう。だから、大きな目標を実現させるには、まず目標を細切れにチャンキングし、スモールステップにわけなければならない。

わたしが去年やったのは、「感性を取り戻す」というとらえどころのない目標を、具体化させることでした。なぜ感性が失われたのか、どうすればそれを復旧できるのかを、脳科学的に解き明かして、現実的なレベルにまで引き下ろしました。そして、実際にSEのセラピーに通い始めたし、こうして北海道まで引っ越してきた。2017年12月の目標という山に、着々と登りつつあります。

ここ最近、去年一年間の考察によって明らかにしたことを、もうひとつのブログに整理してまとめています。断片的な考察を、記事のかたちにまとめておくことで、より理解が具体的になります。そうすることで、次に何をやったらいいかが明確になる。

とりあえず自動車学校を卒業するまでに、このまとめの作業を並行して終えて、それからSEなど本来ここに来た目的に取り組み始められたら、と考えています。今はまだ引っ越しの過渡期ですね。

昨年は、けっこう膨大な考察が必要だったので、ときには「手段」が「目的」にすり替わりそうになることもありました。だから今回メッセージをもらって、目標を思い起こせたのはとてもよかったです。

わたしの目標は、創作活動を再開するための感受性を取り戻すことであり、去年の膨大な考察と体験は、すべてそのためのスモールステップであったのだと。感性というとらえどころのない概念を科学的に可視化することで、手の届く現実的な目標に変換できるようになったのだと。

「心の傷を癒やしたい」なんて目標を立てただけでは、永久に心の傷は癒えません。トラウマが「心」という実体のない場ではなく、どのようなメカニズムで起こるものなのかを明らかにしてはじめて、現実的なアプローチをとることができます。実体のない抽象的な目標を達成するには、まずそれを具現化させて、日々取り組んでいける現実的なスモールステップにまで分解しないといけない。

同じように、「虹色の感性を取り戻したい」なんていう抽象的な目標を、わたしがすぐに達成できなかったのも当然でした。「感性」とはそもそも何なのか、どうしてわたしは、もともと持っていたはずの感性を失ってしまったのか。それを取り戻すには、具体的にどう行動すればいいのか。これがまずわからないことには目標に近づくことすらできません。

事実、2017年12月の記事で書いたように、あのチャールズ・ダーウィンでさえ、自分が感性を失ったことを嘆いていたのに、どうすればそれを取り戻せるかわからずじまいでした。その当時はまだ「感性」を科学的に研究することはできなかったし、島皮質のことも知られていなかったし、それを復旧させるセラピーの原型(ユングやライヒの研究)もまだ存在していなかった。

その意味では、やっぱり、わたしの「探偵」の仮面は必要だったと思うのです。もしわたしがただの芸術家だったら、ひとたび感性を失ったら、それを二度と取り戻せなかったでしょう。そうして凋落していった芸術家は歴史上数知れないからです。

だけど、わたしには内なる探偵がいて、わたしの心の中の人格には、心理学の名探偵である瑠香も、毒物学と微生物学の博士であるポロット氏もいる。(わりとわたしの推理の対象がその二つの分野に偏っていたのは興味深かったりする)

わたし自身は名探偵ではないけれど、そうしたペルソナ(仮面)の力を借りて、ここまでやってきた。ほとんどの作家はスランプに陥るとどうしようもないけれど、わたしはスランプとは何かを脳科学的に解き明かし、それを乗り越えることができる。

上のスランプの記事で書いた内容は、わたしの今の理解とおおむね重なってはいますが、わたしの場合のスランプは、もっと複雑で解き明かすのに時間がかかるものでした。

上の記事では、スランプというのは条件付け反応による解離だから、環境を変えたり、ボディワークしたりして解消すればいい、と書いていて、その基本的な方針は正しかったと今でも思っています。でも、もう少し深くまで掘り下げて考察しなければ、答えがでない部分があった。それを去年やっていたわけです。

「感性」というのはそもそも内受容感覚(体性感覚)から作られている直感の一部であり、内受容感覚を感性に変換しているのは脳の島皮質である。トラウマ経験をすると、人は内受容感覚を切り離すこと(解離)によって苦痛を麻痺させる。そのため解離が起こると感性まで切り離されてなくなったかに見えてしまう。これがわたしが陥っていた状態。

そこから回復するには、徐々に身体の内受容感覚を感じられるようにする必要があり、そのためのセラピーがSEなどのボディワークである。SEでは、自分の身体の内部を少しずつ感じるように訓練し、それに伴い島皮質が徐々に活性化され、身体と心のつながりが回復される。そのとき、内受容感覚から生み出される感性も同時に回復されることになる。同時に、アイデンティティの空白感のような症状や、慢性疲労も解除されることになる。

「感性」っていう日常でごく当たり前に思っている能力が、こんなに複雑なものだと、だれが想像したでしょうか? 少なくとも2017年のわたしには知るよしもなかった。確かに、19世紀の天才ダーウィンが答えにたどりつけなかったのも無理はない。去年1年のわたしは、我ながらよくここまで調べましたよね。 

抽象的でとらえどころがなかった目標を、ここまで具体化できたので、今年からは、この理解にそって、豊かな自然のなかで、SEにもう少し深く取り組んでいこうと思います。

そのプロセスの中で、感じる力を回復させ、また創作活動にたずさわっていきたい。その長期的な目標を常に心に留め、山頂をいつも望みつつ、長い道のりを少しずつ登っていくつもりです。

だけど…。

正直、こういうのって、文章にして決意を書いたりしても、全然意味なんてないんですよねー。長期休載中の漫画家とか、長期休場中の横綱とかみたいに、一度やれなくなってしまうと、再開するのが難しいもの。解決策は「使うこと」しかない。しかしそれが難しい。

でもわたしは一応、中学校以来、10年以上のブランクを経て絵や小説の新作をかいたことがあるから、今回もきっとまた創作活動に復帰できると信じてやっていきたいです。

続きはこちら。

自然豊かなところで自分の体調と向き合う記録4

Categories: 6章。2019.01.09